[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第36話 スカリーという男

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムスリップしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第36話 スカリーという男
新しいAppleの社長を探しているという話しはApple社内でも知られていた。特に秘密にする話しでもなかったしマイク・マークラが早く社長の重責を外してくれと後押ししてもいた。
またペプシの社長でマーケティングのプロでもあるというジョン・スカリーという男に白羽の矢が立ちスティーブ自らが交渉中だという話しも漏れ聞こえてきた。社内の一部では何故スティーブはジョン・スカリーに拘っているんだと首を傾げる者もいた。

ただしスティーブという男をよく知っている我々の間では何故スカリーなのかということは自明の理であった。
Macintosh開発チームのジョアンナ・ホフマンは聡明でストレートな物言いをする女性でもあり、この頃私は彼女と話す機会が増えていた。ただしそのほとんどはシェリー・リビングトンと3人の時だったが。

「皆は何故スカリーなのかと訝しがっているけどそんなこと説明がいることかしら」
シェリーは今更バカバカしいというように首を傾げた。
ジョアンナは愉快だという顔をしながら、
「ほんとね。Appleはコンピュータメーカーよ。本来なら同業の会社から適任者を見つけるのが理屈だと思うけど皆そのことに気がつかないのかしら。ねぇ、トモ」
話を振られた私は、
「まあ、社長が誰になったところで我々の報酬が変わるわけもないしと大方の社員は興味がないのかも知れないね」
「だけど会社にとって社長の選任は重要な事よ。当然よね」
シェリーは真面目な顔で私を直視した。

「やはりスティーブの思惑に皆振り回されているということかな」
私が呟くと、
「スティーブはとにかく自分が主導権を握りたいのよ。本来なら自分が社長になりたいと思っているに違いないわ」
「そうね、だけどさすがにこれまでの経緯を知る役員会ではそれが通らないことをスティーブは知って、何とか自分がコントロールできる人材を探しているんだと思うわ」
ひとつ離れた席にいたラリー・テスラーらが (声がでかいぞ) というサインを笑いながら我々に送ってきたが、それを知るとジョアンナはラリーへ陽気に投げキッスした。

ランチの後、職場に戻るまでの数十分、私ら3人は新しい社長の専任とスティーブの思惑について言いたいことを話しあっていた。
シェリーがいう。
「ジョン・スカリーって人、コンピュータのこと知ってるのかしら」
「いや、知らないからこそスティーブの思うつぼなのよ」
ジョアンナがすかさず答えるとシェリーも (分かったわ) というような意味深の表情をした。そして私の意見はという意味なのだろう右手を私に向けた。

Sculley and Jobs

※Apple Computer,Inc. Annual Report 1983 より、スティーブ・ジョブズとジョン・スカリー


「私もその通りだと考えているよ。ジョン・スカリーって人はマーケティングに精通しているらしいね。企業にとって社長がマーケティングに強いことは大切な事だしある意味これまでそうした点がAppleに欠けていたことは事実だよ。だから繰り返すけどマーケティングのプロフェッショナルだという肩書きには反対しないけどね」
すかさずジョアンナは、
「あら、随分とスカリーに身贔屓するのね」
といたずらっぽい顔をした。

「いや、すでに貴方たちには分かっているだろうけどスティーブにしてみればマーケティングに関してはスカリーに任せノウハウを勉強するとしても、今後の新製品の動向やプロダクトの主導権といったものをすべて自分が掌握したいわけで...」
「そう、スカリーがコンピュータのことを知らなければまずはスティーブに聞くのが筋だし、そうすればスティーブの考えや主張がスカリーを通して具体策となっていくわよね」
ジョアンナはため息をついた。

私は気心の知れたシェリーとジョアンナに近未来の予測だとして話しを続けた。無論それは2016年からタイムワープしてきた私だからこそ知り得た歴史的事実なのだが。
「私の危惧、そしてその結末を2人には話しておこうか...」
無意識にも真面目な表情になったのか、2人の女性も真剣な顔で身を乗り出してきた。
「あくまで私個人の意見だが、事実ジョン・スカリーという人物はスティーブの求めに応じてAppleの新しい社長に就任するよ。もう少しでね。問題はその後、社内の組織変更をすることになるが承知のようにいまはLisaプロジェクトとMacintoshプロジェクトのリーダーは別だよね」
「そうね。MacintoshはスティーブだけどLisaはジョン・カウチよね」
シェリーがわかりきったことだというように言い切った。
私は2人の顔を眺めながら、
「きっとこの2つのプロジェクトのリーダーはスティーブが総括することになるよ」
といった。

「それって私らMacintoshチームにとっては悪い事ではないかも知れないけど、Lisaチームには最悪なことじゃない」
ジョアンナは吐き捨てるように呟いた。
私は頷きながら、
「だから次ぎに何が起こるかはわかるよね。スティーブは極力Lisaの販売や社内での存在感といったものを潰しにかかるだろうからLisaは短命に終わるはずだよ」

社内の風潮はもともとこうしたLisaかMacintoshかといった極端な二派に別れていたわけではない。概して両方のチームは互いに精神的および技術面においてもサポートしあっていたしMacintoshのプログラミングを担当する技術者の半分はLisaチームから来た人たちだった。事実ビル・アトキンソンを筆頭にそのほとんどは掛け持ちだったといってよいだろう。
ただしスティーブ・ジョブズひとりがMacintoshを成功させたい一心でLisaをサンドバッグのように扱っていたのだ。

「それからどうなるの」
ジョアンナはシェリーと顔を合わせながら問う。
「くどいようだけどLisaは色々と延命を図るけど失敗作として葬られるだろうね...」
私がまだ言い終わらないうちに、
「Lisaの話しはいいのよ。スティーブとスカリーは上手く行くのかしら」
シェリーが突っ込んでくる。

深く息を吸い込んでから私はなるべく軽口を叩くような雰囲気で続けた。
「最初の一年はとても上手く行くと思うよ。だけど、そうだな、再来年の今頃は険悪な仲になるだろうね」
面白い事にシェリーにしてもジョアンナにしても私のこうした一見荒唐無稽な話しに (なぜそう思うの) といった質問はしなかった。それまでの付き合いの中で私の未来予測がすべて現実となっていくことを知っていたからだがまた (なぜトモは未来がわかるの) という質問もしなかった。まさか私が未来からタイムスリップしてきた人間だとは思わなかっただろうが、何らかのそう断じる根拠があっての話であり私が虚言を労する人間でないことは理解してくれていたからだ。

私はこれ以上現時点で話しても意味は無いと思い話題を変えた。
「ところでも二人はスカリーと会ったことあるのかな」
「ええ、会ったというより近くで見たという方が適切だけど、少し前もAppleを見学しに来たわよね」
「そうそう。そのとき私も受付で挨拶したわ」
2人がうなずき合って言い交わした。

「それなら聞くけど、スカリーという男はAppleに相応しい、いや似合う人物だと思うかい」
私は些か意地悪な質問をぶつけてみた。
「そうねぇ。仕事ができるかできないかといったことは私には分からないけど第一印象を正直言うとね、彼はこのシリコンバレーには似合わないと思うな」
ジョアンナの物言いに頷きながらシェリーも、
「同意見だわ。一言でいうなら良くも悪くもだけどAppleらしさAppleが築いた文化を理解できるとは思えないわ」
と辛辣な感想だった。

私は2人の話しを聞きながらサンフランシスコやボストンのMacworld Expoでジョン・スカリーのキーノートスピーチを見聞きしたこと、そしてMacworld Expo/Tokyo第1回目のときに来日した際、テープカットしたことやその後展示会場を見回ることなくアップルジャパンのスタッフらに促され足早に去っていったことなどを思い出していた。
後でアップルジャパンの関係者に聞いたところに寄ればそのままゴルフ場に行ったと聞き、日本最初のMacworld Expoだからこそ会場内の各展示、すなわちデベロッパーたちに挨拶して回ってもバチは当たらないだろうにとがっかりしたことを思い出した。

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※第1回Macworld Expo/Tokyoでテープカットに現れたジョン・スカリー氏とアップルジャパン社長の武内重親氏(筆者撮影)


「ねえねえ、トモなにを考えてるの」
シェリーの呼びかけに我に返った私は、キーノートスピーチの際にTシャツ姿で現れたジョン・スカリーの姿に痛々しさを感じたことも記憶の底から宿ってきた。彼は彼なりに東海岸のビジネスのセオリーを脱ぎ捨てAppleに同化しようと努力をしていたのだろうが、その姿はコンピュータメーカーの社長にはどうしても思えなかったのだ。
「確かにそうだな。いまスカリーをこの場に立たせたとしても違和感100%だろうな」
私の物言いに2人はクスクスと笑った。

「今日の結論になるけど」
私は2人に断って話しを続けた。
「スカリーにはスカリーの利点があると思うよ。しかしどう考えてもスカリーは苦労するよ。だって清涼飲料水とか菓子類を売る東海岸のエスタブリッシュメント企業の枠の中で育ったスカリーなんだ。一方我々のビジネスは四半期を基準とし慣例に捕らわれないイノベーションを続けていかなければならないビジネスだ。その違いを理解し咀嚼するには多大な時間と努力がいるだろうね」
それに、
「スティーブはスカリーを見くびり過ぎていると思うな。だってスカリーも畑違いとはいえ百戦錬磨のビジネスマンだよ。スカリーがAppleをより会社らしい会社にできるとすればそれは同時にApple社内に権力闘争を生みだすことにもなるだろうね。それは回り回ってスティーブ一人の思い通りには動かない組織になるということだな」
我々は軽いため息をつきながらそれぞれの職場に戻った。

ジョン・スカリーはスティーブの誘いに固辞を続けていたが結局1983年4月、マイク・マークラに変わってAppleの新社長になることを受諾した。
「本当に有意義なことができるチャンスを捨て、一生砂糖水を売り続けるのかい」
というスティーブの殺し文句がスカリーの気持ちを揺り動かしたとも、あるいはAppleが最終的に提示した条件、すなわち年俸100万ドル、移籍ボーナスとして100万ドル、最大100万ドルのストックオプション、業績連動の報奨金そして200万ドルの自宅が購入できる低利融資に動かされたという口さがない噂も飛び交った。

確かにAppleが提示したこうした条件は破格なものであったがスカリーの肩を持つわけではないものの、彼はペプシで好条件で働いていたし何よりも安定業種、安定企業で実力を発揮し安定した地位にいたそのことをすべて捨てAppleで挑戦を選んだのだ。
スカリーは社長就任演説で、
「私がAppleに来た一番の理由はスティーブと一緒に仕事をしてみたいと思ったからです。彼は今世紀のアメリカにとって重要人物の一人だと考えています。そして私はその彼の成長を手助けできるチャンスに恵まれたのです...」と切り出した。
ジョン・スカリーの社長就任はウォール街も歓迎し株価は63ドルまで上昇した。
しかし一番喜んでいたのは他ならぬスティーブ・ジョブズだったに違いない。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズ III」東京電機大学出版局
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「マッキントッシュ物語」翔泳社刊
・「エデンの西(上)」サイマル出版会



デジタルから少し距離をおこうとする個人的な考察

今回のタイトルは時代に逆行したアナクロニズム丸出しの論と映るかも知れない。無論まったくの個人的な思いであり他人に押しつけるつもりはないが、40年間デジタルを追い続けてきた1人の素直な思いでもある…。それにいまデジカメ全盛時代にあの「写ルンです」が人気だとか。そうした傾向も考えると些かデジタルの疲れが溜まってきたのかも知れない。


毎年登場する新型 iPhoneやApple Watch等など新製品が発表されると心がざわつく。さらにmacOSやiOSも新しいバージョンが今後もリリースされ続けるに違いない。
それぞれが新しい機能満載だから、それらを手にすればきっと楽しいことが増え生活も便利になるだろう...。そう考えて私たちは新製品を求める。

確かにそうした類の進歩や進化を望むことは可能だ。以前できなかったことができるようになり、以前よりスピードが速く明るく鮮明なディスプレイ、あるいはより高解像度のデジカメを手にして写真撮影や編集に意欲が湧くことは素敵なことだ。
スティーブ・ジョブズは世界を変えたというしそれは確かに間違いはない。その恩恵の一部を我々も受けていることもまた事実である。

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ただし私たちはその恩恵により、より豊かに、より安全に、より楽しく毎日を過ごせるようになったのだろうか。
別に世界のあらゆる出来事をAppleに結びつける必要はないが、確かに世の中便利になったし IT 機器の進化により専門的な知識や技術がなくても高度でクリエイティブなことが可能になった。
これはデジタルカメラひとつを考えてみても確かなことで、銀塩カメラとは使い勝手もコスト面からも雲泥の利がある。
でも錯覚をしてはいないだろうか...。

クリエイティプなツールを手にしたからと言って皆が皆素晴らしい作品が作れるわけではないしiPhone 7 Plusのダブルレンズで誰もが人を驚嘆させる写真がとれるはずもない。
こんなことをいうと「夢のない奴だ」と笑われるかも知れないが、パーソナルコンピュータの黎明期から現在のデジタル化の波をモロに経験・体験してきた1人としてこれは実感なのだ。

最初はパソコン...例えばApple II が登場したとき、それはオモチャ同然だと既存のコンピュータメーカーは鼻も引っかけなかった。よくてゲーム機程度にしか評価しなかった。
私も1978年コモドール社製 PET2001というオールインワン・パソコンを買ったとき、親戚のオヤジに「いい歳して30万円ものゲーム機を買ったのか」と揶揄された。

しかしワードプロセッサやスプレッドシートのソフトウェアが登場したおかげで、そして後にDTPと呼ばれるデスクトップパブリッシングが発明されたおかげで社会のあり方は確かにかわった。
皆、時代に遅れてはならじとパソコンのキーボードに向かいワープロを覚え、マルチプランやエクセルを習い、ページメーカーを使えるようにと努力した。それが職場で生き残るためでもあったし、自分のスキルを高めて効率を上げられるからだと考えたからだ。

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とはいえ結果はいちサラリーマンやOLたちが考えていた思惑とは大きく違った。我々は与えられた仕事を正確にそしてなるべく早く綺麗に仕上げ、その見返りとして高い評価を受け、残業をせずに定時で帰りたいと考えた。
しかし残念ながら世の中はそんなに甘くはなく、早く終わった仕事の後には別の仕事が回ってきた。結局帰宅するのはいつもの遅い時間でしかなかった。いわゆるOA化は私たちに1.5倍から2倍の仕事をさせるための手段ともなった。

例えば企業内で印刷物を作ることを考えたとしよう。私がサラリーマンになった時代はやっと大手企業に大型コンピュータが導入され始めた時代だったが、社内向け印刷物ならタイプ室という部署に和文タイプライターをこなす女性たちが専門職として存在したから、その部署に手書き原稿を渡してタイプして貰い、ガリ版で必要枚数を刷ってもらった。「これで100枚お願いします」といえば済んだ。
さらに対外的な印刷物でクオリティを求める場合は手書きの原稿とコマ割りした図や必要な写真を出入りの印刷屋に渡せば見栄えの良い印刷物ができた。
すなわち一担当の仕事は文書の内容を精査し、原稿を書くことで完結したのである。

それがDTPが登場しポストスクリプトプリンタが導入された途端に一般職にもかかわらず、原稿書きはもとよりレイアウトからデザイン、フォントの選択、印刷に至る全行程をやらなければならないはめとなった。無論DTPソフトに精通する必要があるのは当然である。
要は、大げさに言うならコンピュータは仕事のクオリティを上げたが、我々の仕事の量を桁違いに増やしたのである。
パソコンは知的自転車と賞賛され、我々の知的活動の範囲とスピードを大幅に向上させたことは間違いないが、そのサイクル幅は短くなり、結果仕事の frequency が増大することになってしまった。企業にとっては大きなメリットに違いないが人はより働き蜂になるしかなくなってしまったともいえる。

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だから、本来ならスキルを持ったサラリーマンやOLがその恩恵を被り、より豊かな暮らしができるというのがあるべき姿ではないだろうか。しかし現実を見れば企業ばかりが利益を搾取し働く人たちを社畜としていく。私にはその原動力の一つが世の中のデジタル化、IT化であるようにも思えるのだ。

元々こうしたパソコン関連の知識は技能だと考えられた。確かに当初は誰もがパソコンを操作しデジタルデータを駆使して結果を出せるわけでもなかったからそう考えられた。そして技能はビジネスに直結し、Macintoshシステム一式を揃えて望むなら誰でもがデザイナーやクリエーターになれると錯覚した時代があった。
ただしこうしたユーザーが増えるに連れてプロフェッショナルとアマチュアの差を見極める能力のない者にとっては違いがわからず、結局価格の安い”にわかデザイナー” や “素人カメラマン” にプロフェッショナルたちが駆逐される事態も頻発する。

さて、振り返ればこれまで足掛け40年間、Appleの新製品の多くを手にしてきた。近年もiPodやiPhone、iPadそしてApple Watchにしても購入した。そして大げさに言えばその際には喜びも感じたし何かを目標とする意欲も強くなったが、冷静に考えてみればiPhone 4とiPhone 5あるいはiPhone 6になったからといって私の生活の実態が目に見えて良いベクトルへ向かったわけではない。
「あっ君もiPhone 6 買ったの?僕もだ!」という世界の住人であったに過ぎなかったといえば言い過ぎであろうか。

さらに最近あらためて実感したが、私の手元にはAppleの黎明期、パソコンの黎明期からの文書や図版あるいは自身の足跡ともいえる写真などが文字通り大量に残っている。正確に言うならたまたま残ったものもあるが、意図的に集めたアイテムもある。
これらを活用するにはデジタル化やデータベース化が必須だと誰もが思うに違いないし私もその必要性を否定するものではないが、デジタル化こそがデータを生かし保存するための最良の道だとは思わない。

振り返って見ると1977年からコンピュータの世界に足を踏み入れたが、現在写真や文書が残っていない空白の時期がある。その理由はスチルカメラやデジタルカメラが登場し始めた時期だったり、新しいデータ記録媒体が登場したり、カラー画像ファイルのフォーマットが現在とは違っていたりと黎明期特有の狭間だったからだ。
当時デジタルカメラは現在の感覚からすればメチャ低解像度であり、その当時のデジタル写真はいまではブログに載せようにも使い物にならない。しかしアナログカメラで撮ったものは紙焼きとして残っている。また紙焼きだからこそ残ったともいえる。

文書データも同様だ。これまた黎明期に存在した幾多のワードプロセッサはその文書保存の際に独自のフォーマットである場合がほとんどだった。
例えばいま、その文書ファイルを参照したいと思ってもそれを入力したアプリケーションがなければ再現できない。幸いそのアプリケーションを保存していたとしてもそれをインストールし起動するには適合するハードウェアが必要だし、第一近年のOSでは使えない。念を入れてTEXTフォーマットでコピーしていたものしか再現できないのだ。
さらにCD-Rやハードディスクに保存したがために読めなくなった貴重なデータも数多く、思い出したくもない(笑)。それに現在主流になっているクラウドだって、いつサービスが終わるか分かったものではない。

ついでといってしまえば iPhoneといったスマートフォンの登場はソーシャルネットワークの登場もあって「人と人とを繋げるデバイス」と歓迎された。確かにそうした現実も否定しないが周りをよく観察してみれば、社内や家庭においてもそこに相手がいるにも関わらず会話はスマートフォンによるメッセージで、といったケースが増えている。
いや、道を行き交う人々を見れば一目瞭然に違いない。友人と歩きながら、犬の散歩をしながらスマートフォンに向かっている人たちのなんと多いことか。
そうした現実を見るとテクノロジーは人と人を繋いだのではなく人と人とを隔絶させる役割を果たしていると思わざるを得ない。
現代の我々は人間関係の絆の生々しさを薄める感のあるSNSを求めているのかも知れない。

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私にとってMacはなくてはならない道具だが、他にも様々やりたいことが山ほどある。犬との散歩、楽器の演奏、読書、好きな音楽に身を任せること、時には等身大の女性像を造形したり最近は時代小説を書き始めるなど仕事とは距離をおいたミッションもある。

そして「手元の年賀状や領収書はすべてスキャナでデジタル化しましょう」といういった勧めもあるが、私はあえてそれはそれとしても最重要な紙ベースの資料はアナログのまま保存しておくべきだと考えている。さらにデジカメの写真も "これは" と思った一枚はプリントアウトしておくべきだとつくづく思う。
これまで多くのデジタルデータを失った自戒を込めて...。

また他人がどう思うかはともかく、私は電話やソーシャルネットワークで友人知人たちと情報交換するより、一緒に飯を喰いながら、あるいは肩を並べて歩きながら議論する方が好きだ。
バーチャルリアリティも益々期待が高まっているが、それらが有効なのは通常では体験出来得ないものが対象のときではないだろうか。できうるならこの目で現実を見つめ、空気の冷たさや臭いを感じ、この手や指で物に触れ、目の前に座っている友人知人たちと議論をするといった日常をより多く体験したいとつくづく思う今日この頃である。
まあ、こうした感慨に耽るのはまさしく歳をとったということなのかも知れないが…。



ラテ飼育格闘日記(543)

春の真っ盛りということか。桜の多くは満開を過ぎて葉桜になり多くは散り始めている。そんな少々遅ればせながらの桜を満喫しようとラテファミリーは再び都立桜ヶ丘公園に行ってみた。葉桜でもまだ見事に違いないと期待をしながら。


期待通りお花見坂という桜の並木がずらりと並ぶ場所はまだまだ見頃であった。前回は「桜祭り」というイベントに合わせて立ち寄ってみたわけだが、少し時期を外した方が人の出も少ないし屋台もイベントもないので静かだし開放感が違う。
とはいっても我が娘は100%花より団子派なのでオトーサンたちの花見にはまったく協力的でなく終始地面の臭いを嗅いでいる(笑)。

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※冷たくて気持ちいいなあ


一昔前は桜の時期になると両親を連れ、京都にわざわざ桜を見に行った時期もあったが、身近にこうした桜の見所が多々あるので日々ラテとの散歩途中に花見ができるのだからわざわざ遠出しようとは思わない。
都立桜ヶ丘公園の桜を満喫してオトーサンたちは帰路についたが、戻る道々に咲く桜もまた見事だった。

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※再び都立桜ヶ丘公園に遅ればせながら桜を見に行った。そしてオカーサンと記念写真


とはいえラテはやはり桜より大好きな子供たちの方がお気に入りのようだ。
いつもの公園に行くとそこにはお馴染みのファミリーがラテを迎えてくれた。ラテは早速母親に駆け寄って嬉しさを体中で表すし、女の子とはポッキーの端を食べ合ったりする。

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※大好きなファミリーの母親にチュー


他の子供たちのコマンドは無視しても大好きなこの女子の「お座り」「お手」「お代わり」「伏せ」そして「待て」のコマンドはきちんと守るのが微笑ましい。
ときに女子が立ったままでオヤツを上げようとするとラテも後ろ足で立ち上がる。

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※後ろ足で立ち上がり大好きな女子にオヤツを強請る


こうしたお気に入りの子供との接触はラテを生き生きとしてくれるが、子供大好きのラテも大勢の子供に取り囲まれ騒がれたり廻りを走られたりするのは嫌いなのだ。
例えばサッカーボールで足さばきをしながらラテに近づいたり奇声を発したりされると尻尾が下がってしまう。
初対面の大人には拒否反応を示し、初対面でも子供ならフレンドリーなラテでも大好きになった大人と子供と比べると大人の人の方が好きなのだ。

それは多分に安心して向かい合いができるからだとオトーサンは考えている。子供たちの多くがラテに興味を示してくれるのは「可愛い」という感情と共に「生きているオモチャ」といった感覚があるように思う。だから全てが執拗だ。
まあもともと子供に「ワンコの気持ちを察しろ」と求めるのは無理な話だが、ラテの前に三人の学童が座り、それぞれが「お手!」「伏せ!」「ラテちゃんお代わり!」だなんていう光景は珍しいことではない(笑)。

そんなとき手を出された複数の子供の誰にお手をしたら良いかと迷っているラテが気の毒になる(笑)。
子供たちの姿が見えないと寂しいと思いつつ、執拗すぎると大変だという些か我が儘な飼い主とワンコではあるが、そうした時にはオトーサンがラテの思いを代弁し「ほら尻尾が下がったね。ラテ疲れたようだから歩いてくるよ」とその場を離れるのも飼い主の役目である。

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※登校途中の学童たちに囲まれるラテ。総じて女の子たちは静かにラテと対面してくれるのでオトーサンも安心していられる


役目といえば、今日は狂犬病予防注射を打ちに動物病院に行った。ワンコの飼い主にとって1年一回の責務である。
お世話になっている動物病院は体調の良いときの午前中に来て欲しいという。体調が良いときというのは当然だが、狂犬病予防注射は強い薬でもあり、それが原因で体調を壊す例が時々あるのだという。ために午前中の接種であれば万一体調に異変が出ても対処できるからと言うことらしい。
とはいえ動物病院は午前9時からの開院だ。通常どおり、朝の散歩を済ませてから再び支度をしてラテと家を出たが、中途半端な時間帯の散歩は動物病院か美容室だとラテは十分知っている。したがって外に出た途端に「やはりそうなのね」とリードが重くなる。

その午前9時前に動物病院のドアを開けると先客がひと方いらした。ニャンコを連れてきた常連さんのようだが診察室から途切れ途切れに聞こえてくる院長の話しから想像すると重病のようだ。
当初可愛らしく「ニャオン、ニャーオン」と鳴いていたのが何か物理的な処置をされているのか鳴き声が変わった。
その瞬間待合室で不安そうに座っていたラテが立ち上がりアクビを繰り返す。

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※平成29年度狂犬病予防注射証は赤色だった


オトーサンの勝手な想像だが、ラテは生後三ヶ月(推定)から六ヶ月までの3ヶ月間、ニャンコが六匹もいるボランティアの方に預かられていたという。したがってラテはニャンコ文化はある程度理解できるのではないか。
病室で盛んに鳴いているニャンコの辛さでも伝わってきたのか、急にそわそわし始めたラテだった。
そのラテは体重を計り、念のため院長が聴診器などでの内診をした後に背中へ狂犬病予防注射をしてもらった。いつものことだが微動だにせず、声も上げずにミッションは終了。
ちなみに今年、平成29年度の狂犬病予防注射済証は赤色だった。


「フォースメディア 脱臭器 オゾンの力 for トイレ JF-EO3TW」レポート

昨年の8月から、掌に乗るほど小型のBESTEKオゾン発生消臭器 BTAS807WH (白)をトイレ用として使っているがとても快適で具合が良い。ただしこの製品は安価だが、充電式のため長くて1週間程度しか持たずその都度フル充電をしなければならない。無論だからこそコンセントの無い場所でも使えるという利点はあるが、ある意味この手の製品の効果を確認するために購入したようなものだったから、いまひとつ本格的なものをと考えた。


今回手に入れた「フォースメディア 脱臭器 オゾンの力 for トイレ JF-EO3TW」もその名の通り、脱臭・除菌効果の高いオゾンを使って、トイレやリビングの脱臭・除菌ができる家庭用オゾン脱臭器としては本格的な製品である。

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※「フォースメディア 脱臭器 オゾンの力 for トイレ JF-EO3TW」パッケージ


「JF-EO3TW」はサイズがW100×D56×H140 (mm)と大きめだが、よく考えられた製品に思えたので購入を決めた。
まず第一はコンセントタイプの製品だということだ。したがって充電をするといった必要はないし、フィルターの掃除や交換が不要のメンテナンスフリーなのと相俟ってまったく手がかからない理屈だ。

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※JF-EO3TW 本体


第二にBESTEKオゾン発生消臭器 BTAS807WHが1時間毎にオゾンを発生するのに対して「JF-EO3TW」は常に動作中に人がトイレに入ると人感センサーが働き自動的に動作を停止する。ためにトイレ使用中にオゾンを浴び続けることはないという。
ただし本体中央のボタンを押せばすぐにパワーアップモードが始動し、イヤな臭いを素早く除去することもできる。

第三にトイレモード、ルームモードという二つのモードを持ち、トイレモードは約2.2 m³ の広さに対応し、ルームモードなら約23.3 m³(約6畳)の広さをカバーできるという点だ。したがってトイレといった狭いスペースだけでなくキッチンといった程度なら消臭・除菌効果が期待できることになる。

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※JF-EO3TW本体背面


さて動作だが、トイレモードでは動作開始後(設置後)約2分動作し8分スタンバイ状態が繰り返される。またルームモードの場合は約8分動作し2分スタンバイが繰り返される仕組みだ。
そして動作中に人感センサーが反応した場合には自動的にスタンバイ状態なり、トイレモード時に手動ONにすると人感センサーは無効になり約4分間動作が続く。

私の用途は100%トイレ用だが、要はトイレに入った際に脱臭器が動作している場合、人感センサーが働きオゾン発生をストップさせ、トイレから出た後で前記のON, OFFを繰り返すということになる。
よく考えられているという点だが、オゾンを隅々まで届けるためにファンを内蔵していること、前記した人感センサーの感知範囲は3mであり水平・垂直共に約120度と広いことなどの他に、例えば本体正面にコンセントがあることだ。したがってコンセントがひとつだったり塞いでしまったりしても「JF-EO3TW」のコンセントに差し込むことで、シャワートイレなどが一緒に利用可能となる。

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※背面のコンセントプラグ下の突起はコンセント下にあるアースをカバーしてくれる


肝心の効果だが、これは文句がないほどだ。BTAS807WHと比べると動作中にトイレのドアを開けた途端にオゾン臭を感じる。無論この種の家庭用のオゾン発生器は適切な広さ、空間で使用するならオゾンの濃度は危険濃度にはなりえないので安全だという。

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※実際の我が家のトイレで稼働中の「フォースメディア 脱臭器 オゾンの力 for トイレ JF-EO3TW」


まあこればかりはメーカー側が主張するスペックを信じるしかないが、私の家は人間だけでなくワンコの糞も処理するのでやはりこの種の機器は必要なのだ。
この「フォースメディア 脱臭器 オゾンの力 for トイレ JF-EO3TW」のおかげでスプレー式の瞬間消臭剤の使用量も激減している。





驚かされたホテルのドアマンの対応とは?

先日「3000人の顔と名前を覚えたドアマンに聞く【簡単に顔と名前を覚えられる記憶術】」というウェブサイトを見て古い記憶が甦ってきた。記録を調べて見るとそれは1996年11月5日のことだったようである。


その日、日本経済新聞朝刊にアップルの全面広告が載った。それは当時のCEO ギルバート・アメリオ氏の大きな写真と共に「メーカーの理論より、ユーザーの実感の方が、はるかに正しい」というコピーが印象的だった。
実はその日はホテル・オークラでアップルジャパン主催のエグゼクティブミーティングがあり、来日したアメリオ氏も同席するということでデベロッパーの一人として私も招待を受けていた。

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※1996年11月5日、日本経済新聞朝刊に載ったアップルジャパンの全面広告。当時CEOのギル・アメリオ氏から直筆サインをいただいた


私は朝刊の広告を見ながらふと思いついた。この新聞を持参しアメリオ氏本人にサインをしてもらおうと...。
まあ実際にそうしたタイミングがとれるかどうかは会場に行ってみなければ分からないが、チャンスがあればよい記念になると思ったのだ。
結果は嬉しいことに一言二言会話ができ、握手もできたしサインも嫌な顔もせず笑顔で応じてくれた。
この辺のエピソードに関しては「前Apple社 CEO ギルバート・アメリオの思い出」に詳しいのでご参考にしていただければ幸いである。

さて本題だが、アメリオ氏のサインのことではない。
私は自分の会社から車でホテルに直交したが、残念ながらホテル・オークラを多々利用したことはなかったはずだ。過去に一般の客として出入りしたことはあったかも知れないが、馴染みだったとか定宿だったということではなかったから一見の客であった。

ハイヤーがエントランスに着くとさすがに一流ホテルだ。ベルボーイが「いらっしゃいませ」と開いた車のドアを押さえて笑顔で迎えてくれた。
私は会釈し、コートの裾に注意しながら車から降りフロント入り口へと向かった。
そこで初めて驚くべき体験をしたのである。

ドアは自動ドアだったと思うが、入ったその脇に中年のドアマンがいた。優雅な足取りで私の方へ向かってきた。そのときドアマンは「いらっしゃいませ松田様」といいながら手荷物を持ってくれた。
「お世話をかけます」といいながら私は「凄いな」と感激していた。
たかが名前を呼ばれただけではあるが、ドアマンとは当然のことながら初対面なのだ。これが度々利用していた御茶ノ水の山の上ホテルであれば顔と名を覚えて貰うほど利用していたから当然としてもこのホテルは繰り返すが一見であった。無論コートに名札がついていたわけではない(笑)。

前記したウエブのニュースでは3000人の顔と名前を覚えているドアマンの話だが、それ自体努力の賜でありサービス業としては素晴らしいことだと思うが、ドアマンはどこで私の名前と顔を知ったのだろうか。
意地の悪い私はドアマンがいた付近に馴染みのアップル担当者でもいて「あれは松田さんです」と耳打ちでもしているのかと注視したがそれらしい人物もいなかった。

ということは本日アップルのイベントがあり、当該時刻には多くの招待客がこのロビーへと足を踏み入れるということで、推測だがアップルから招待客の顔写真と名前といったリストがホテル側に渡され、それをドアマンが意識的に覚えたということ以外に考えられない。しかし招待客の数は500人にも上っていたのだからどうにも釈然としない。
著名な政治家とか芸能人であればともかく一般客の名前をそらんじる努力は仕事とはいえ大変なことに違いない。
「それがサービスなのだ」といってしまえばそれまでだが、これまで多くのこうした催事に参加してきたが、ドアマンからいきなり名前を言われたのはこの時だけでありその後は経験していない。




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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員