NuAnsのAndroid搭載スマートフォン「NuAns NEO [Reloaded]」発表

トリニティ株式会社は2月20日、Android搭載スマートフォン「NuAns NEO [Reloaded](ニュアンス・ネオ・リローデッド)」を発表し、本日ウェブサイトにて先行予約を開始の上、2017年5月より出荷をすると発表。


   201702_neo_campaign.jpg

すべてが新しい、すべてをこれひとつで。

△ 最新、最良をNuAns NEOに再装填

・最新Android 7を搭載
・安心のセキュリティパッチやアップデート配信
・Snapdragon 625採用
・Quick Charge 3.0対応
・3,450mAhの大容量バッテリー
・5.2インチフルHD液晶ディスプレイ
・曲面ガラスでも割れにくい「Dragontrail Pro」採用
・指紋認証センサー搭載
・おサイフケータイ対応
・大手キャリアすべてで使える最新のマルチバンド設計
・ソニー製センサー高性能カメラ採用
・防塵防滴仕様

△ 価格
 ・CORE(本体)
  46,111円(税別)
 ・TWOTONE(カバー)
  1,400〜1,833円(税別・素材によって異なる)
 ・FLIP(カバー)
  2,750〜3,680円(税別・素材によって異なる)

△ NuAns NEO [Reloaded] 予約特典キャンペーン

Trinity NuAns StoreでNuAns NEO [Reloaded]のCORE(端末本体)を予約いただき、さらにアンケートにお答えいただいた方にもれなくTWOTONEカバー(上下セット)もしくはFLIPケースをプレゼント。端末本体の価格のみでケースがついてくる、お得なキャンペーン。

△ 応募期間
  2017年2月20日(月)〜3月31日(金)まで

△ キャンペーン詳細

※TWOTONEカバーおよびFLIPケースの色/種類は選べない。
※プレゼント対象のTWOTONEカバーは、コルク、ストーン、デニム、パンチングスエード、GRAMASシリーズを除く。
※プレゼント対象のFLIPケースは、GRAMASシリーズを除く。

製品紹介




[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ第1部 ー 第29話 現実歪曲フィールド

還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会う。厄介なのは加賀谷が持っていたiPhone 6s Plusをスティーブが見てしまったことだ。この事実が過去と未来に悪影響を及ぼすのだろうか。そんな危惧をよそに初対面の加賀谷をスティーブは自宅のガレージに引き入れた…。そして一緒に働くことになった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第29話 現実歪曲フィールド
Macintoshプロジェクトは相変わらずスティーブ・ジョブズとジェフ・ラスキンとで主導権争いが続いていた。しかしどう考えてもラスキンに勝ち目はなかった。私もラスキンから相談を受けた手前、何とか穏便にことを納められないかと画策してみたが妙案は浮かばなかった。

まだ社長のマイク・スコットが在職していたときのことだが、ラスキンもスティーブによる数々の圧力と妨害工作を受けつつ抵抗はした。目立ったこととしてラスキンはMacintoshプロジェクトを率いる能力がスティーブ・ジョブズにはないとした10項目ほどにわたった論証を文書でマイク・スコットに提出した。1981年2月19日のことだった。
私自身はその原文を見たことがなかったが後で聞いたところによれば以下のような内容だったという。

 1)常習的に打ち合わせのスケジュールを破る
 2)考えずに行動することで誤った判断が多い
 3)他人の成果を認めようとしない
 4)感情的に反応する
 5)一見温情的であるかのようだが不合理で無駄の多い判断をする
 6)人の話を聞こうとしない
 7)約束を守らない
 8)権威主義的な決断を行う
 9)すべての見込みに裏付けがなく楽観的
 10)無責任で思慮不足
 11)したがってソフトウェアプロジェクトのマネージャーとして最悪

この内容から想像すればラスキンは以前スティーブ・ジョブズが提案したように、すなわちハードウェアはスティーブが、ソフトウェアをラスキンが担当するということでやむを得ずとはいえ納得していたように思える。

ともかく論証メモの内容をスコッティから知らされたスティーブは怒り狂った。当のスコッティはこの厄介な問題をマイク・マークラに振り自分は関わらないようにした。それは厄介な話しから距離を置きたかったというだけでなくLisaプロジェクトからスティーブを外したことでもあり、自分の裁定ではスティーブが納得しないであろうことを考えたからだ。

「トモ、ラスキンって奴は思っていた通りのクソ野郎だ。大クソ野郎だぜ。こうも真っ向から俺の悪口を書かれては黙っていられない。これからマイク(マイク・マークラ)に奴をプロジェクトから外せと言ってくるよ」
スティーブは私のオフィスのドアを勢いよく閉め、大きな靴音をさせながらマイクのオフィスに入っていった。

スティーブはこれほど正面から自分の弱点を指摘されたことはなかったこともあって事の原因はともあれ怒るのも当然だと思えた。しかし反面ラスキンにしてみれば彼がスティーブに反論できることはこうしたことくらいしかなかったのだ。
その少し前、私が受付のシェリー・リビングストンと雑談していたとき、ラスキンが近寄ってきていった。
「トモヒコさん、少しお話しがしたいんですが」
正直私はラスキンとの話しよりシェリーとバカ話をしていた方が楽しかったが、仕事だからしかたがない。

受付が見えるホールの片隅にあるコーナーに我々は座った。後ろは壁だし左右に見通しは効いたものの、通る人たちに注視をすれば我々の話を聞かれる心配はほとんどなかったからだ。それに密室で彼と話しをするという事実はスティーブへの手前避けたかったからこうしたオープンな場所は好都合だったのだ。

「ジェフ、私がアドバイスできることがなくて心苦しいけどスティーブは着々とプロジェクトを自分が率いる準備をしているようだね」
私の話をラスキンは肩を落として聞いていたが、
「あなただからいうけど、私もこれほどスティーブが狡猾だとは思わなかったです」
といい大きなため息をつきながら、
「トモヒコさん、現実歪曲フィールドという言葉を聞いたことがありますか」
無論2016年からタイムワープしてきた私はその語句や意味を知っていたが、これまでアップルの社内で聞いたことはなかった。
咄嗟に私は、
「いえ、聞いたことありませんね」
と答えていた。

「トモヒコさんでも知らないことあるんですね」
嫌みないい方ではなく、私を買いかぶっている様子が見て取れたが私は苦笑するしかなかった。
「まったくスティーブのやり方には怒りしか感じません。一言でいうなら他人のアイデアを平然と盗むんですよ」
私の無言の促しにラスキンは小声ながら雄弁に話し出した。
それによれば、スティーブ・ジョブズは他人からの提案や意見を一蹴し鼻であしらっておいて、その数日後には (素晴らしいアイデアを考えついたよ)といいながらその主張を自己のアイデアとして通すというのだ。

私自身にスティーブはそうした思いをさせたことはなかったから気がつかなかったもののMacintosh用のBASICを開発していたプログラマーのドン・デンマンやアンディ・ハーツフェルドからも同様の話しを聞いたことがあるので本当のことらしい。だからドン・デンマンいわくスティーブに認めさせたいアイデアがあったら彼に話し、ダメだと一蹴させればよい。そうすれば一週間後にスティーブ自身が (よいアイデアを思いついた) とその案を披露し採用するからという皮肉を言っていた…。

「スティーブのこの卑怯な戦法が意識的なのか、あるいは無意識な行動なのかは分からないんですが私たちはこれを “現実歪曲フィールド” と呼んでるんです 」
ラスキンは (この後でマイク・マークラに呼ばれている)といいながら、(愚痴を聞いてくれてありがとう)と席を立った。このとき “現実歪曲フィールド” という名付け親はジェフ・ラスキンなのかと思ったが、後にアンディ・ハーツフェルドからバド・トリブルの命名だと聞かされた。

しかしスティーブを擁護するわけではないが、物事を見極めビジョンを具現化する道のりは単純ではない。スティーブにしても思いついたあれこれを翌日には否定することで知られているが、要はひとつの考えに執着する危険性を廃し、可能な限り様々な可能性を求める姿勢のために他人の意見をも躊躇なく取り入れる結果なのかも知れない。
無論最初その意見をいった本人からすれば自分のアイデアを奪われたと思うだろうし結局そうなのだが...。

私が (やれやれ) とため息交じりの重い気持ちで立ち上がったとき、受付にいるシェリーが手招きしているのに気がついた。
「ため息はいけないな…(ため息は命を削る鉋かな)という川柳かなにかがあったな」
私は自虐的ないいかたをしながらシェリーの前にいくと彼女はどうやら私の振る舞いを見ていたようで、
「話しは聞こえなかったけどジェフの話しはあの件しかないわよね。だけどトモ、あなたが気落ちする問題ではないわよ。それに、スティーブはもとよりだけどジェフも自尊心の強い人よね。いずれは衝突するということは誰が見ても明らかよ。両雄並び立たずってことだからトモが気を遣う問題ではないのよ」
となぐさめてくれた。

ちょうど外出先から戻ってきたロッド・ホルトが受付カウンターに両肘をついてシェリーと話しをしている私を見ながら、
「お二人さん、仲がいいねぇ」
ウィンクしつつ茶化しながら奥に入っていったが周りにほんのりとキャメルの香りが漂った。

そういえば “現実歪曲フィールド“ の意味だが、ジェフ・ラスキンやバド・トリブルらがいうところのニュアンスと私がワープする前、2016年あたりに意味していたものとはかなり違うことに気がついた。
理屈から考えれば「フィールド(field)」とは電場・磁場・重力場などの「場」を意味すると考えられる。そしてその前に「現実歪曲」と付くのだから文字通りその意味は「現実や事実を歪めてしまう場」といった意味になる...。
したがって近年私たちが認識している「現実歪曲フィールド」とは、スティーブ・ジョブズの持つカリスマ性が現実世界に及ぼす影響力を意味する言葉であり、不可能を可能にする交渉力といったニュアンスで使われていたはずだ。
例えば (ジョブズの現実歪曲フィールドが発動するや否や、一瞬で無理が有理に変化した…) などと使われるように。しかしラスキンらの話しではよい意味というより、人のアイデアを自分のアイデアとして転化し、ごり押しをすることだというニュアンスだったのだ。

そんなことを考えながら自分のオフィスのドアを開けようとしたとき、ひとつ離れたオフィスのドアが開きマイク・マークラが渋い表情をして手招きしていた。
今日はよく手招きされる日だと苦笑しながら私はマイクのオフィスに入るとそこはタダならぬ雰囲気だった。マイクの他、スティーブ・ジョブズと先ほど話したジェフ・ラスキンが睨み合っているではないか。

「トモ、頼むから君もこの場にいてくれないか。俺ひとりじゃ収集がつかないからな」
私が同席すれば少なくともスティーブはそうそう無茶なことはいわないだろうというマイクの思惑だったようだが、哀願するような顔でいわれたからには仕方なく空いている椅子に座った。マイクは自分の席に座りながら、
「二人の話を聞き、解決策をと考えているんだが話しが拗れすぎてしまったよ」
と私に向かって呟いたが、どこか諦めの気分が漂っていた。
ジェフ・ラスキンも私に視線を向けつつ、
「会長のスティーブとこうしてやりあって分が悪いことは私でもわかります。しかしスティーブのやり方はフェアではないし企業のトップがやるべきことではないでしょう。もっと正々堂々とプロジェクトのリーダーになりたいのなら正攻法で責めるべきです」
と口火を切った。
スティーブはと見ればすでに涙目になっている。どうにも彼は子供っぽいところがあり、自分の思うようにならないとすぐ泣くというのがスティーブの特技だと皮肉る人もいた。

ラスキンは、
「まずスティーブは人間として約束を守らなければなりません。自らハードウェアは自分が、ソフトウェアは私にと宣言したのにもかかわらず次第にソフトウェアにまで口を出すそのやり方は許せません」
一息入れて続けた。
「それに皆さんご存じのようにMacintoshプロジェクトは私が立案し私がスコッティやマイクの許可を受けて始めたものです。理由もなく誰にしても横取りされる覚えはありません。ましてや私の仕事自体までをも邪魔するというのではApple会長の名が泣くでしょう。こんな状態では私は一日たりともスティーブと一緒に仕事はできません」
「俺だってそうだ…」
スティーブも言い張ったがその言い方はどこか弱々しかった。

マークラの決断は予想されたものだったが、彼の立場からすれば他の選択肢はなかったに違いない。1時間ほどのミーティングが終わったときMacintoshプロジェクトのリーダーはスティーブ・ジョブズの手中にあった。マイクもこれが公正な決断であるとは思っていなかっただたろうが、社内のもめ事をこれ以上大きくさせ長引かせるわけにはいかなかった。
ラスキンには一週間の休暇しか与えられなかったしこれまでの苦労に対する賞賛の一言もなかった。肩を落としたラスキンは私の方にチラッと視線を送りながら会釈し静かにマークラのオフィスを出ていった。
休暇から戻ったラスキンには新しい研究部門のリーダーというポジションが提示されたが、ラスキンにとっては魅力のあるものではなかった。どうせ注目を浴びるプロダクトを考え出せばまたスティーブがずかずかと乗り込んでくるとも考えた。

結局翌年の1982年3月、ラスキンはAppleを去った。そして生涯アイコン操作のGUIよりも優れたインターフェースがありうるとし、かつMacintoshのコンセプトは自分が考えたものだという主張を繰り返したがすでに見てきたように製品化されたMacintoshはラスキンのコンセプトとはまるで違ったものだったしことの是非はともあれ、それは誰が見てもスティーブ・ジョブズのマシンだった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊



ラテ飼育格闘日記(533)

オトーサンのギックリ腰が長引いているのでラテも不満のようだ。散歩の時間が短くなりがちだからだが、こればかりは仕方がないし、それでも朝夕共に40分とか1時間近くは外で過ごしている。しかしギックリ腰も寒いところに長時間いるのは決して良いはずはない。


ギックリ腰なのでそもそも遠くへ散歩するつもりはないが、ラテはまったくオトーサンのことを考えていないのが辛い。なにしろ玄関を出るときに腰は明らかに曲がっている。それを自覚しつつ、少しでも目立たないように、痛みを感じないようにと姿勢を正しながら歩くわけだが、しばらく辛い思いをしてでも歩いていると少し楽になっている自分を感じる。
少なくとも椅子に座りっぱなしというよりは歩いた方が腰に良いように思うが、無論油断して無理すれば激痛が走り数十秒は固まってしまうことに…。

Latte533_01.jpg

※お子さんが作ったというカラフルな王冠をラテに。ちょっと迷惑そうかな(笑)


それでも朝夕の散歩を欠かすわけにはいかないとオトーサンは腰に湿布を貼りコルセットを絞めて出かけるが、ラテは夕方の散歩だと必ずといってよいほど近所の公園に向かうからか、朝はその反対方向にリードを引くことが多い。
そちらの方角に向かうとUターンでもしない限り小一時間の散歩となってしまうが、天気がよい場合にはゆっくりと注意をしながら歩くことにしている。

Latte533_02.jpg

※梅の花が見頃


時間的に急ぐわけではないので危ない事や汚い場所に立ち入るといったこと以外、出来るだけラテの行動を制約しないようにと心がけているオトーサンだが、ラテは実に優柔不断だ。
植え込みのピンポイントに気になる臭いがあるのかリードを強く引くのでオトーサンはリードを少し緩める。しばらくクンクンし、場所を10数センチ移動しながらまたクンクン。そしてまた踵を返して元の位置に戻ってまたクンクンと続くことも多い。1,2度、このままリードを引かずにいたらどれほど一箇所でクンクンし続けるのかを確認しようとしたことがあるが10分が過ぎたところでオトーサンがぶち切れた(笑)。

「我が娘はきっとレストランに入ってメニューを渡されても『あれもよいけど、こちらも美味しそう』となかなか決めることが出来ない女に違いない」とオトーサンは文句をいうが、オカーサンは「ワンコはメニューを見ないわよ」と冷静だ(爆)。
しかし氷点下の朝、こんなことをしていては腰が治るどころか風邪をひいてしまいそうでついついリードを引いてしまう。

特に朝の散歩はオカーサンの仕事の都合により家を出る時間が違うからバリエーションがあるといえばある…。一緒に近隣の駅へと向かえば大型団地の中をゆっくりと通っていくこともあり、その過程でこの時期は日の出を見ることができる。また時間帯によっては学童たちの登校時間帯にぶつかることもあるが、この場合は知り合いの子供たちと出会ったり、向こう側の歩道を歩いている女子たちから手を振られたりもする。
ただし道順にもよるものの時間帯が合わなければ小一時間の間、知り合いに合う機会はないのが普通だ。そりゃあそうだろう。この寒空の朝の時間帯だから通勤や通学といった用事がなければ誰が好き好んで歩き回るものか(笑)。

Latte533_04.jpg

※子供たちは腰の痛いオトーサンが羨ましく思うほど元気に軽々と飛び跳ねている


それでも保育園に子供を預けに向かう母親やときに父親がペダルを踏む自転車と多々すれ違うこともあるし、幼稚園の送迎バスや市バスの姿も見られる時間帯なので気は抜けない。
そうした道のりをラテは臭い重視でゆっくりと歩いて行く。幼犬の時にはオトーサンの前に出てリードを引くほど早く歩いていたラテだが、最近は気になるワンコにでも会わない限り確実ではあるがゆっくりと歩く。

途中休みの時間はほとんど入れないが、所々のベンチや大型施設の石畳で一休みしたり、水飲み場にオトーサンを引いて「水飲みたい」と意思表示をすることもある。
そうした少々時間を有する散歩の先にも小学校があり、時間帯によっては見知らぬ学童たちと多々すれ違うが、ラテはこちらに駆けてくる子供は自分のところに来るものだと思っているフシがあり、当然のことながらそのまま通り過ぎると見るからにがっかりした表情になる。
たまにワンコ好きの女子が「可愛い!」と近寄ってくると大変な喜びようだ。

Latte533_06.jpg

※見知らぬ学童たちに囲まれてラテは至福のときを過ごす


こうして朝の散歩は些か時間のかかるものになるし不確定要素の多い散歩となるのが常だ。対して夕方の散歩時にはワンコが好きな子供たちがいる可能性もあるし、お馴染みとなったファミリーの女の子や母親に会えるかもしれないとまずは近所の公園に向かうのが習慣になっている。
とはいえお会いする約束をしているわけではないしそれぞれの都合もあるわけで、公園に入ってみると人っ子一人いないときもあるし、サッカーや野球もどきの練習をしていて散歩ができない場合もある。

だからこそラテは好きな女の子やその母親に会えると飼い主のオトーサンが嫉妬したくなるほどの喜びようを示し、相手が許してくださる場合はそれこそ抱きつき顔を舐め回す。

Latte533_05.jpg

※可愛がってくださる母親の姿を見つけたラテの表情はきらめいている。そして飛びついて顔を舐める...


そんな風景を不思議そうに眺めている子供たちや母子の姿も目立つときがあるが、こればかりはワンコ嫌いな場合もあるからしてオトーサンはこちらから近づくようなことはしないように心している。
それでも「あっ、この犬まえに会ったことがある」「オオカミみたいだけど可愛い」「触ってもいいですか」などなどと近づき声をかけてくれる子供たちも多い。
そうした子供たちを仰ぎ見るラテの嬉しそうな顔を少しでも見たくてオトーサンは今日もラテのリードを引きながら散歩を続けるのであった。



マイクロフォーサーズ用250°魚眼レンズ「Entaniya Fisheye 250 MFT」発売

株式会社フラッシュバックジャパンは2月17日、ハイクオリティの360VR/ワンショットVRを実現するマイクロフォーサーズ用250°魚眼レンズ「Entaniya Fisheye 250 MFT」の販売を開始したと発表。


   250MFT.jpg

………………………………………………………………………………………………
 ■ Entaniya Fisheye 250 MFT とは
────────────────────────────────────

 Entaniya Fisheye 250 MFT は、マイクロフォーサーズマウント規格に準拠するデジタルカメラに装着して利用できる魚眼レンズ。
 Entaniya Fisheye 250 MFT は、従来のアクションカメラを利用した機材と異なり、マイクロフォーサーズ規格のカメラに装着することができる。アクションカムと比較してイメージセンサーが格段に大きいマイクロフォーサーズ規格のカメラで利用することで、同じ4K撮影であってもシャープな映像を実現。併せて、アクションカムの弱点であった低光量により発生するノイズやディティールの潰れも、マイクロフォーサーズを利用することで解決することができる。

 視線を限定する乗り物系や、スポーツ観戦など正面がメインのVRなど、360度不要なシチュエーション、”ワンショットVR”の撮影においても、250度カバーしてシャープな映像を実現する Entaniya Fisheye 250 MFT は力を発揮。

 また、Entaniya Fisheye 250 MFTの販売開始にあわせ、魚眼レンズのリヤレンズを交換し、焦点距離(イメージサークルサイズ)の変換及び、絞りの変更を行う用交換パーツキット、「Entaniya Fisheye 250 MFT 後群キット」の販売も開始した。

………………………………………………………………………………………………
 ■ Entaniya Fisheye 250 MFT 製品仕様
────────────────────────────────────

 ・製品名  :Entaniya Fisheye 250 MFT 2.3
 ・製品名ヨミ:インタニヤフィッシュアイ 250 MFT 2.3
 ・種類   :マイクロフォーサーズマウント魚眼レンズ
 ・通常価格 :419,040円(税込)
 ・特別価格 :399,800円(税込)※フラッシュバックジャパン特別価格

………………………………………………………………………………………………

 ・製品名  :Entaniya Fisheye 250 MFT 3.0
 ・製品名ヨミ:インタニヤフィッシュアイ 250 MFT 3.0
 ・種類   :マイクロフォーサーズマウント魚眼レンズ
 ・通常価格 :419,040円(税込)
 ・特別価格 :399,800円(税込)※フラッシュバックジャパン特別価格

………………………………………………………………………………………………

 ・製品名  :Entaniya Fisheye 250 MFT 3.6
 ・製品名ヨミ:インタニヤフィッシュアイ 250 MFT 3.6
 ・種類   :マイクロフォーサーズマウント魚眼レンズ
 ・通常価格 :419,040円(税込)
 ・特別価格 :399,800円(税込)※フラッシュバックジャパン特別価格

………………………………………………………………………………………………

 ・製品名  :Entaniya Fisheye 250 MFT 後群キット2.3
 ・製品名ヨミ:インタニヤフィッシュアイ 250 後群キット2.3
 ・種類   :Entaniya Fisheye 250 MFT 用交換パーツ
 ・通常価格 :70,200円(税込)
 ・特別価格 :69,800円(税込)※フラッシュバックジャパン特別価格


………………………………………………………………………………………………

 ・製品名  :Entaniya Fisheye 250 MFT 後群キット3.0
 ・製品名ヨミ:インタニヤフィッシュアイ 250 後群キット3.0
 ・種類   :Entaniya Fisheye 250 MFT 用交換パーツ
 ・通常価格 :70,200円(税込)
 ・特別価格 :69,800円(税込)※フラッシュバックジャパン特別価格

………………………………………………………………………………………………

 ・製品名  :Entaniya Fisheye 250 MFT 後群キット3.6
 ・製品名ヨミ:インタニヤフィッシュアイ 250 後群キット3.6
 ・種類   :Entaniya Fisheye 250 MFT 用交換パーツ
 ・通常価格 :70,200円(税込)
 ・特別価格 :69,800円(税込)※フラッシュバックジャパン特別価格

Entaniya Fisheye 250 MFT



1970年代から劇的に仕事を変えた7つのテクノロジー

先日古い知人と話しをする機会があった。共に自身の体験として振り返れば劇的な...本当に激変の時代を体現してきたことを痛切に感じるといった話題になった。社会に出てしばらくは一流企業であってもゼロックスコピーもFAXもなく電卓さえ一般的でなかった。というわけで今回は私的な感覚ではあるが1970年代初頭に一部上場企業に就職した自身を振り「1970年代からの劇的に仕事を変えた7つの新テクノロジー」と題してハードウェアとソフトウェアの与太話をさせていただく...。


■1■ パーソナルコンピュータ
まずは何といってもパソコンを抜きにしてテクノロジーの進歩は語れない。とはいえ自分の仕事を変えたテクノロジーといっても、人によりそれぞれの時代を担い、それぞれの体験があるはずだが、20世紀のテクノロジーの中で社会とビジネスを激変させた最たる物はやはりパーソナルコンピュータに違いない。

後述する「電子メール」も「DTP」あるいは「表計算ソフト」にしてもすべてパソコンがあってこそのものだ。
しかし我々はいまでは何の不思議とも思わずパソコンを仕事に活用しているが、そのパソコンが個人個人の立場で仕事に使えるようになったのは意外と後になってからだ。

確かにApple II は1977年に登場したしコモドール社のオールインワンパソコンPET2001を手にしたのは1978年だった。その後、これはと思う多くのパソコンを手に入れてみたが日本語対応されておらず、手軽に自分たちの仕事に取り入れることはできなかった。無論英語圏のユーザーならApple II とプリンタがあれば実用となったに違いないが...。

個人的にパソコンが仕事で使えるという思いをしたのは1982年に登場したNEC-9801、1983年に登場したIBM5550あたりからだった。Macintoshは1984年にリリースされたがオフィシャルに日本語化されたのは1986年のMacintosh Plusに「漢字Talk 1.0」が搭載されたのが最初だった。ではそれで即仕事に使えたかといえばメモリの少なさ、アプリケーションの少なさなどの理由から極限定された範囲でしか実用にはならなかった。

Seven_technologies_01.jpg

※1984年、自宅でIBM 5550を前にした筆者


私がパソコンを本当の意味で仕事に密着する形で使い始めたのは1989年に起業してからだった。そしていわゆる経理事務はもとより顧客管理や対外的な印刷物の作成などすべてをMacintoshで可能になったのはさらに数年が必要だった。
ただし振り返って見ると仕事にパソコンが導入されたことで我々1人1人は仕事が楽になったのだろうか?

現実は、手際がよくなり仕事の仕上がりが速くなった分だけ別の新しい仕事を任されるし、パソコンのハード・ソフトに関わるあれこれで従来には考えられない程、新しい事を覚えなければならなくなった。
1人のサラリーマンとしてパソコンが登場したからといって楽になったという感じはまったくといってなかった...。

現在からの視点から眺めるとパソコン無くしてどのように仕事ができるのか...と不思議な感覚に陥るが、1970年代から1990年ほどの間、パソコンも携帯電話もないのに任された任務はきちんとこなしていたはずだ。パソコンは仕事の効率を高めると同時に高度な意志決定にも重要だと思われているが、それを使うのは我々サラリーマンでありOLだ。果たしてパソコンは我々の見方なのだろうか...。

マイコンやパソコンといったものと約40年ほど格闘してきた1人として振り返れば、確かにパソコンを通じて...例えばインターネットといった新しいテクノロジーを知り、活用する術を学べたことは間違いないが、振り返れば文字を手書きで書けなくなったし友人知人たちの住所はもとより、電話番号でさえほとんど携帯電話のメモリ内に頼りきりで覚えていない自分に気づく。
外出時に財布を忘れても慌てないがiPhoneを忘れると不安でしようがない...。これはある種の依存症であり能力の視点から見て退化ではないのか...。

■2■ ボールペン
経理業務で総勘定元帳や仕入帳といったバインダー形式の元帳記入はつけペンとインクだった。家庭ではさすがにつけペンなどには縁がなかったから最初は戸惑ったが、例え自前の万年筆を持っていても使うことは禁止されていたから選択肢はなかった。
勿論間違った時は二本線で消し、訂正印を押した上で空いている場所に書き直すか、場合によっては砂消しゴムなどで完全に消し去って書き直したが、上書きはインクが滲むので閉口した。

いつの頃からボールペンの使用が許されたかは記憶にないが、当初は公文書への使用が認められなかったもののちょうど1970年代頃から少しずつ使われていったと思う。しかし鉛筆もそうだったが、職場でのボールペン利用はかなりシビアで、インクがなくなったボールペンを総務部へ持って行かない限り新しいものは支給されなかった。
ボールペンはたまにボールの先にインクの塊がこびりつき、それが用紙を汚すこともあったが、つけペンとは比較にならない便利さがあった。

ではなぜブルーブラックのインクと付けペンだったのか...。それには大きな理由があった。すでに40年も前の事だからお話しするが、帳簿がバインダー式だったことと関係する。経理上のことなのか財務的な関係なのかは平社員には判断が付かなかったが要は後で都合の良いように元帳を書き直すことができたからだと聞かされた。

用紙はコクヨ製だがそれらは年代を重ねると変色するが、日常ページを増やすためのものとは別に交換用の古い記入用紙が保存されていた。古い元帳の数ページが新しい用紙では誰が見ても書き換えたと分かるからだ。用紙はそうした配慮でなんとかなったが問題はインクであった。

新しく記入した文字と数年経過したページの文字を比較するとそのインクが経時変化で変色していた。現在のインクは分からないがその時代はまだそうしたインクがあったということだ。では...とあるページを後になって入れ替える場合にはどうするか...。くどいようだが用紙は古い用紙を使うにしろそこに記入したインクが見るも新しいものではこれまた変だ。

実は記入したインクの上に火を付けたタバコの先を近づけて熱を加えると書いたばかりのインクが変色してまるで数年あるいは十数年経過したように見えるのだった。ただし近づけ過ぎればせっかくの用紙が熱で焦げ、一ページ、あるいは裏表を全部書き直すハメとなった(笑)。

ボールペンはそうした不正を許してくれない新しい文具だった。思えば会社に大型コンピュータが導入された時期になってボールペンは社内で急速に普及した。そしてボールペンの利用は鉛筆やペンとは違い、強めの筆圧が必要なこと、線の太さが均一なことなどから大げさに言えば筆記の方法まで変化させたペンとなった。

■3■ 電子メール
電子メールの台頭は迅速に相手へメッセージを届けることが可能になっただけでなく、ビジネススタイルや価値観も変えるものとなった。
FAXが登場してもしばらくの間、いわゆるオフィシャルな内容のものは封書で送ることが礼儀であると教えられた。したがってその文面も「拝啓、貴社益々御清祥の段、お慶び申し上げます...」といった定型の堅苦しい出だしで書き始めたし、後述のワープロが普及するまでは当然のことながら手紙は手書きだった。

文書の内容はともかく手書きとなれば文字の綺麗さや品格は誰にでも出せるものではなかったが、逆にどの部署にも毛筆はもとより文字を書かせたら一番という人材がいて手紙だけでなく熨斗や冠婚葬祭の時には俄然目立つ存在となった。

対外的な手紙はどの会社も大差がなかったと思うが、社内間の情報伝達にはそれぞれ独自の工夫があったように思う。私の勤務先では他の部署に電話するにも交換手を通さなければならなかったこともあり、社内恋愛の相手に意思伝達する場合も「社内便」といった手紙の制度を活用した(笑)。

Seven_technologies_02.jpg


本来この「社内便」とは本社内だけでなく各地の支店間や工場との文書による意思疎通のために活用されていたもので、定期的に専用車により運び出し、あるいは運び入れるといった仕組みであり、封書にしても新品の使用は厳禁で古い封書に紙を貼り、そこに宛先を書いて数度再利用していた。

本社に配送された社内便は総務部が一括して各部署別により分けて部署別の棚に入れておく仕組みだった。我々平社員はコピーのついでや文具などの消耗品を受け取りに行く際にその棚を確認するよう義務づけられていた。そして棚に入っている封書などを部署に持ち帰ってそれぞれ宛名の人の机上に置くことになっていた。

これを悪用...いや活用する強者が登場する。例えば広報のB子さんにデートの誘いをしたい場合にこの社内便を使うのだ。古い封筒を使って封をし、宛先を書き、差し出し人はそれらしく支店や工場の部課名を書くが、その書き方は予めB子さんと打ち合わせしておくことが普通だった。そして総務部の社内便棚の広報部棚に放り込んでおけばよい。

大きなトラブルがなければ一日数回の機会があり、封書は相手の机上に乗るし、宛名が明記されている封書を上司と言えども他人が開封することはまずなかったし万一他人に開けられてもある種の暗号化しておけば誰からの手紙と特定はできない。受け取った方も「なんでしょうね、嫌がらせかな」でとぼけられた(笑)。
とまあ、のどかな時代だった。

■4■ DTP
デスクトップ・パブリッシングは机上のMacとPageMakerというソフトウェア、そしてレーザープリンタで一般の印刷物に匹敵するクオリティの印刷が可能になった。Appleが実用化したシステムである。
確かにそれは凄いことだったが、一方...普通のサラリーマン、普通のOLにこれまで経験したことのない過度な期待と能力を求められることにもなった。そして仕事は格段に増えることになる。

それまでテキストだけの印刷物はもとよりだが図版や写真が入る印刷物は出入りの印刷屋に頼むのが約束事だった。電話一本で飛んできてくれたし、手書きの原稿や必要な写真ならびに図版を渡して重要なポイントを打ち合わせすればすぐに試し刷りを持ってきてくれた。そのクオリティとスピードは「さすがにプロ」と唸らせるものだった。

Seven_technologies_03.jpg

※最初期のAldus社PageMakerの広告(1985年)。"page layout" という言葉と共に"desktop publishing" という表記がなされている【クリックで拡大】


あるいは社内用の簡易印刷なら和文タイプライターを数台備えてありプロのお姉さんたちがいるタイプ室に行き「この文章を100枚、何日の何時までにお願いします」と依頼するのが普通だった。後はいわゆる輪転機(ガリ版)で指定枚数を印刷してくれたから一般社員の仕事は下書きだけで済んだ。

それがDTPなるものが登場し、プロの印刷屋並の能力とセンスが平凡なサラリーマンやOLに期待されるのだから怖い...。
確かにパソコンとレイアウトソフトを使えばテキストと図版を混在した数ページの会報などは比較的簡単にできる。しかしセンスは勿論だが印刷物に関するノウハウがあるわけもなし、出来たものはあちらこちらでフォントが違っていたり、必要以上の装飾やボーダーがあったりと無残な結果も多かった。

結局DTPは普通の人材にパソコンとソフトウェアの操作法を覚えさせ、ページレイアウトの基本はもとより使用する写真を自分で撮るまでに至るという大きな負荷となった。何しろそれ以前の仕事は減らないのだから。

■5■ 表計算ソフト
ビジカルクに始まる表計算誕生物語はそれ自体が面白いが、一般のサラリーマンに与えた影響は計り知れない。思い起こせば私の場合も残業の多くは計算上の縦横が合わないために読み合わせをやり、数値に間違いがないかどうか、縦と横の計算に間違いがないかを確認するためのものだったといえる。そして読み合わせには当然のことながら2人の担当が必要だったし、計算は1人では間違いを見つけづらいという経験則からこれまた2人で交互に行ったものだ。それも計算は算盤が主だった...。

Seven_technologies_04.jpg

※最初の表計算ソフトVisicalc。罫線はなく必要ならハイフンなどで区切りを入れる必要があった


いまでは表計算...スプレッドシートといえば "EXCEL" ということになっているが、ここに至るまでには幾多の生まれては消えて行ったソフトウェアがあった。
結果、求人募集には「WORDとEXCELが使える人」というのがポピュラーになった。しかし私たちはEXCELの使い方には精通したが計算能力が向上したわけではないのだ(笑)。

■6■ ワードプロセッサ
パソコンが登場した後、課せられた1つの使命がワードプロセッサ...すなわち電子タイプライタともいうべき文章を綴るためのソフトウェア開発だった。文字を扱うという意味ではパーソナルコンピュータはキーボードを有しタイプライタを模したことで機能面はもとより取っつきやすくなったともいえる。
ただし私らの興味はいつになったら日本語で文字入力できるのか...ということだった。そうした期待が大きかったから、やっと日本語入力と共にドットインパクトプリンターで打ち出されるようになった漢字はいま思えばギザギザだったが、随分と美しく思えたものだ。

Seven_technologies_05.jpg

※PC-9801で一太郎を使う筆者(1985年9月撮影)


最初はパソコンよりワープロ専用機の方が機能が特化していただけに実用になったしコストパフォーマンスも高かった。私が好んで使ったApple II はついに日本語対応にならなかったしMacintoshだって正式に日本語システムが搭載されたのは漢字Talk 1.0 (1986年)になってからだが実用となったのは漢字Talk 2.0 (1988年)になってからだった。
そしていつしかワープロを扱う事は一昔前の読み書きソロバンのように考えられたし、特にビジネスに携わる者は必須科目となっていく。

ワープロはそれまでの手書きのように字が綺麗とか癖字であるといったことで評価されるのではなく文章そのものの巧みさも問われるようになった。サラリーマンやOLたちは所属部署を問わずそれまでとは違ったスキルが求められるようになった。

■7■ 携帯電話
携帯電話の月額料金が現実的な値段になり、本体も小型になった1994年前後に最初の製品を手にした記憶がある。小さな会社の代表者であった私はいま考えてもかなり忙しかったし講演やセミナーあるいは展示会などなどで全国を飛び回っていたから連絡を取り合う手段としては最適なものだった。とはいえまだまだ通話料金は高かったから携帯電話はもっぱら受信用と考え、よほどの急用でなければ発信は公衆電話を使うようにしていた...。

よく言われることだが、いつでもどこでも連絡ができる...ということは確かに便利だし何らかの決断を急ぐ場合にはありがたいものには違いない。ただし反面こちらの意志にかかわらず呼び出し音が鳴るというのは鬱陶しいものとなる。
第一、携帯電話を使って呼び出しするほど急ぐ用事などそうそうあるのだろうか(笑)。
1970年代に会社の机上に電話機はあったがそのほとんどは取引先からの通話だったし、例えば外出している部課長にコンタクトをしたくても戻ってくるか、あるいは向こうから電話連絡があるまではどうしようもなかった。
とはいえそれが当然のことだったからほとんどの場合はイライラすることもなく時を待つしかなかった。そしてそのことで仕事に大きな支障が出たという例はほとんどなかった。

携帯電話はまた人との待ち合わせの風景を激変させた。それ以前はもしすれ違ったとしても対処方法がないため、どこで何時何分で待ち合わせだということをくどいように確認したし、特に仕事などで初対面の場合には自分の風貌や着ているもの、あるいは持ち物等まで知らせたものだ。
また大きな駅には伝言板が必ずと言ってよいほど設置されており「○○さん、先に行きます」とか「30分待ったけど、さよなら」などの伝言がびっしりと書かれていたものだ。そしてすれ違いというか約束していたとしても会えないケースも多々生じたものだったし、いま来るか...と待ち続けて1時間...といったことなども珍しくはなかった。

ただし、誰もが携帯電話やスマートフォンを所持している昨今では待ち合わせの時間はともかく場所も「○○駅の改札で」程度で済むようになった。なぜなら現地で電話を掛け合えば間違いなく会うことができるからだ。
携帯電話は人と人の出会いや仕事だけでなく我々の生き方そのものを変えた...。



ブログ内検索
New web site
[小説]未来を垣間見たカリスマ  スティーブ・ジョブズ
ジョブズ学入門
WATCH 講座
大塚国際美術館ひとり旅
ラテ飼育格闘日記
最新記事
お勧めの新旧記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員