ラテ飼育格闘日記(548)

まだ5月だというのに、ときに三十度を超える外気温の日になる季節になってきた。オトーサンも苦手な季節だがラテはすでに日陰の風通しの良い場所に腹ばいになって動かない…ということが多くなってきた。これからは些か散歩の時間も気温を考えて調整しなければならなくなる。


それでも朝夕の散歩は欠かせない。オトーサンは限られた時間をいかにラテが楽しく過ごせるかを考え、散歩の時間やコースを決めているつもりだが当のラテはそうしたオトーサンの思惑とはまったく別の次元にいる。
一緒の空間で日々を過ごし、同じ時間サイクルの中で生活していると擬人化以前にそこにいるワンコが我々ホモサピエンスとは種が違ういきものであることを忘れてしまう。

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なかなか凜々しい、いや...ベッピンさんです(笑)


美味しい物を食べ、ボール遊びなどをすればお互い顔を見合わせて笑い合う。女房が足が痙ったと呻いていれば何ごとかと顔を舐めにいく。
そうした日常を過ごしていると姿形は違うが、ラテはまさしく苦楽を共にする家族の一員であることを実感する。それはそれで間違いなのだが、冷静になって考えればラテとオトーサンたちは同じ日常を一緒に過ごしてはいるものの住んでいる世界はまるで違うということも認識しておく必要がある。

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※ファミリーのオカーサンを息子さんとラテが奪い合い?


よく言われることだが、ワンコが見ている世界は私たちの認知している色合いと比較して知覚できる色が少ないためにかなり地味な世界のようだ。反面聴覚は我々が聞き取れない高い周波数の音を認識し、嗅覚に至っては我々の能力の500倍とも1000倍とも言われる信じられない能力を持っているといわれている。
事実ラテと散歩を一緒に…などといってるものの、知り合いの方に出会ったり子供たちと触れ合ったりしている姿はどう見ても我々の感じ方に重なるものがあり、喜んでいるのか嫌がっているのかといった感情面まで分かったつもりでいる。

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※ファミリーの女子に出会うとラテの態度は他の子供たちと違うのが面白い


しかし道を歩いている時、ラテの視線はもっぱら地面とその周辺に限られている。地面と路面にある樹木や草木あるいは電柱やらの臭いを嗅ぐのに多くの時間をとっているのが現実だ。
オトーサンに言わせれば「そんなに地面ばかり見ていないで、若葉が映える青空を見てみろ。美しいぞ」と言いたくなる。
とはいえラテは周囲を嗅覚で嗅ぎ回り、細密な情報を得ているわけで、いわば嗅覚で世界を “見て” いることになる。我々と世界の見方、認識の仕方がまるで違うのだ。

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※今日もワンコ好きの子供たちにモミクチャ(笑)


ラテは臭いで空間と時間を把握し、我々人間にはわかり得ない世界を認識して生きている。無論視覚も前記したように色味を別にすれば大切な感覚だし事実観察していればわかるが、視覚に頼った判断も多い。
こうして考えてみるとラテはワンコの世界観を人間界に持ち込んで融合させているように思える。それも大方は大変上手に融合し、時には上手く使い分けているというべきか。

そしてエピソード記憶も優れているようだ。ラテは語ってくれないが我々と同様、自身にとっての大切な記憶長い間覚えているように思える。
季節が暖かくなるとそれまで見向きをしなかった自動販売機の前で立ち止まり水を飲みたいと要求する。これは凄いことだとオトーサンは思っている。自動販売機といっても使用頻度が高い場所のものなら分かる気もするが、まったく初めての場所にある自動販売機も同じく喉の渇きを満たしてくれることを知っているのだから…。

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※久しぶりに入った公園にある滑り台にラテはスタスタと近づいた...




※滑り台でオトーサンとラテが一緒に遊ぶ。なかなかに楽しい!


だから思わず擬人化というより人間扱いしてしまう(笑)。またラテの行動や態度も我々人間の理解を超えている場合があるものの、歩きながらオトーサンの足を突いたり、抱っこをせがんだり、アイコンタクトして吠えたりするその意味や意図も大方は理解できると考えている。そして悲しい、嬉しい、不安、怖いといった表情も慣れればストレートに分かるし、オトーサンの顔色をうかがいながら上目遣いで悪戯をするなど、ラテとの日々はまさしく個性的な感情・意識・意志を持った頭脳と対峙している喜びがある。
要はものの道理が分かっていると思ってしまいがちだが、しかし前記したようにラテは我々がどうあがいてもわかり得ない世界観の中で生きていることもまた事実なのだ。

それにも関わらず、世界観が違うにもかかわらず、程度問題としても種が違う者同士が理解し合える素晴らしさはワンコの醍醐味だ。
なんと言ったらよいか...オトーサンを必要とし、信頼を寄せてくれる相手と共に過ごす毎日ほど生き甲斐のあることはないのではあるまいか...。




43年前、京都ひとり旅の思い出

京都には何度行ったか、正直数え切れない。女房と一緒にそして後半は私の両親を含めて4人で毎年、それも多いときには桜の季節と紅葉の季節、あるいは正月といった具合に至福のひとときを過ごした。実際 “桜” といえば京都の桜を思い出すほどだ。そうした京都旅行の中でも忘れなられない特異な旅がある。それは昭和49年(1974年)8月にひとり旅した思い出だ。


独身時代であり、懐具合もよかったものの、なぜ京都にひとり旅してみようと思ったのか、いまとなっては釈然としない。それ以前に京都といえば修学旅行で立ち寄ったことがあっただけだから、仏像好きの私としては自由に旅を満喫したいと思ったのかも知れない。
さて、なぜいまさらこのようなテーマで記事を書こうと思ったのかといえば、当時よほど印象深い旅だっのか、旅行の過程を写真と共に1冊のアルバムにしたものが出てきたからだ。決して几帳面とは言えない自分がよくもまあ、整理して残したと感心する。何しろすでに43年も前のお話しなのだから…。
京都の観光名所など、今となっては珍しくもないだろうがひとり旅の気楽さと不便さといった両極端を味わった旅でもあった。

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※43年前、京都ひとり旅したアルバムを発見(笑)


1974年8月29日、日の高いうちに私は京都大原に向かった。新幹線で京都まで来て駅のコインロッカーに荷物を預けタクシーを拾った。
ときはちょうど昼時だったようで大原三千院入り口近くにあった一福茶屋という店で “とろろ蕎麦” を食す。350円也。
勿論カメラを持って行ったが、三千院門前は三脚禁止だったので自分撮りができないことにもどかしさを感じた。

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※三千院門前で。三脚が使えず自撮りができなかったので旅行者の方にお願いした


三千院の往生極楽院で本尊の阿弥陀如来三尊を仰ぎ見る。会うのは初めてだった。
中央の阿弥陀さまより両脇士に魅せられる。お尻が少し上がり、いまこのとき衆生の救済に向かおうとする瞬間の姿なのだそうな。

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※三千院の往生極楽院


三千院から200mほど離れた来迎院へと立ち寄るが、ここは本堂しか見るべきものがないと5分で退散。一路、東海道自然歩道とかを歩き出す。
現在のように道々に土産物屋がある時代ではなかったが、一件の喫茶店を見つけてアイスコーヒーを注文。私はここではじめて京都ではコールコーヒーと呼ぶことを知った。
どのくらい歩いたのか、寂光院にたどり着いた。あの建礼門院陵があることで知られているが、さすがというべきか、女性の観光客ばかりで見回した限り、男性は私だけのようだった。
院内に置かれていた建礼門院の像は彩色され京人形のようだった。

 思いきや 深山の奥に すまゐして
 雲居の月を よそに見むとは

の歌が哀れ。だからであろうか、パラパラと天気雨が降ってきた。私には建礼門院の涙に思えた。
寂光院門前で運良くタクシーが拾えたので京都駅に戻り、コインロッカーから荷物を出して旅館へと思ったが時刻はまだ15時。
時間つぶしと話しのネタにと駅前の京都タワーに登ってみた。無論初めてである。
しかし正直あまりにも俗っぽい土産物屋ばかりで見る気が失せ、早々に降りて旅館に向かった。

実はこの旅行のひとつの目的はこの旅館にあった。
三条河原町西に懐石・京の宿「大文字家」があった。ここは亀井勝一郎や水上勉らが愛した京の宿として紹介されていた雑誌の一文を読み、是非そのうち1度で良いから利用してみたいと考えていたのだ。

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※懐石・京の宿「大文字家」のパンフレットと記載されていた亀井勝一郎と水上勉による推薦文


ただし京都の宿は一見は利用できないところもあるので私はおそるおそる電話をしてみた結果、利用可能とのことだったので予約をした。
何度も写真で見た水打ちされた狭い道を入ると夢にまで見た(笑)大文字家の玄関だった。

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※水打ちされた石畳を入ると雑踏が嘘のように消える


通された部屋は八畳だったと思うが、近代的な旅館とも、無論ホテルとも異質な独特の空間だった。
覚えているのは一品ずつ出でくる懐石料理の数が多くて驚いたこと、そして一人で飲むビールが効いたことだった。

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※二泊した宿、大文字家の一室。背景のテレビが時代を感じさせる


翌日は嵯峨野へ行き、三条大橋を渡ったり、化野念仏寺を経て祇王寺へと向かった。

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※祇王寺、控の間の吉野窓


途中、檀林寺があったのでちょいと覗いたら、門前で週刊新潮を読んでた老人に「おいでやす」と言われ入ってみたが見るものはなかった。

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※化野念仏寺奥の竹林


さらに南に下って少々右に折れると二尊院。またまた歩いて落柿舎に寄り常寂光寺。そして回り回って嵐山に出た。

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※落柿舎、中は撮影禁止だった


京の夏は本当に暑い。よく歩いたものだが、ここからタクシーで八坂神社へ行く。せっかくここまで来たのだからと祇園一、いや日本一の茶屋である一力の暖簾を眺めて踵を返した。

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※現在この付近はお土産やなどが立ち並んでいるはずだが、三脚を立てて自撮りした一枚


四条小橋あたりだったと思うが実に京らしい若い女性に出会った。
出会ったといっても向こうは風呂敷包みを抱え、浴衣を着て歩いていただけだが、若造の私から見ても一般女性ではないように思えた。勇気を出して声をかけ、写真を撮らせてもらったが、どうやら舞妓になりたての女性のようだった。
ようだったというのは、一応失礼にならないようにと気を付けながら二三聞いたのだが、帰ってきた京言葉がよくわからず、結果不明のままだった(笑)。

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※四条小橋あたりで舞妓さんと思われる若い女性とすれ違い、写真を撮らせていただいた


現在の京都は、旅行者が舞妓の姿になり、数時間歩き回ることができるサービスもあり、偽舞妓・偽芸子を本物と思って写真を願っている観光客も目につくが、無論当時そんなサービスはなかった。
スッピンの顔から判断してせいぜい高校生といった年齢に思えたが、どこであれすれ違い様に女性に声をかけたことは初めてだった。いや本当だってばあ(笑)。
そして旅館に戻った。

三日目の朝がきた。ニュースによれば台風が接近しているというものの空はまだ晴れていたので鴨川のほとりを散策した後に三十三間堂に向かった。建物の中に入ると修学旅行当時の思い出が湧き上がってきた。この千体の仏像の中に亡くなった知り合いの顔があるとかないとか…といったガイドの説明があったことも思い出した。
そして慌ただしく清水寺へと急ぐ。途中、七味屋で唐辛子を買い、清水人形の店を覗いたら地蔵の焼き物と目が合ったので購入した。

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※清水寺の舞台


小さな買い物袋を下げながら清水寺の舞台へ。そして三年坂を下り八坂の塔を眺めながら円山公園に出て長楽館で一息しようとコーヒーを頼む。BGMはベートーベンだった。

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※八坂の塔


この日はメチャ暑かったが、神宮通りを歩きに歩いて平安神宮へ到着。少々プラモデル的だが美しい。そして左近の桜の前で三脚を立てて自撮りする。
次ぎに目指したのは南禅寺。途中あまりの暑さに自動販売機でコーラーを立ち飲み。80円也。
山門を通って歩くと目的のレンガ造りの水道橋が見えてきた。琵琶湖疏水が流れる水道橋を堪能して昼飯をと店に入った。するとテレビで台風情報をやっていて今にも京都付近に上陸するという。

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※南禅寺境内にある琵琶湖疏水の水道橋を背景に


本当なら銀閣寺に向かうことを考えていたが、仕事上新幹線に止まられると困るので一泊切り上げ帰る決心をした。せっかくの旅行だったが、サラリーマンだからして仕事に穴をあけるわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いで一日早く帰ることにした次第。

大文字家に戻り、事情を説明すると快く一泊のキャンセルを承諾してくれ、三つ指ついて送ってくれた。
「また来ます」と言いつつ背を向けた。実際にその数年後、女房と一緒に再び大文字家に泊まったが、代替わりしたのか趣がかなり変わっていて残念感が強かった…。

ともあれ京都駅に戻り、新幹線のチケットを買うが、小一時間余裕があるので近所の東寺に寄ってみた。
空を見上げると明らかに暗くなってきている。「おのれ台風16号」
こうして私の京都ひとり旅は終わった。なお京都へは冒頭に記したように数え切れないほど行ったが、ひとり旅はこのとき以来機会が無い。

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※15時44発東京行きの新幹線にて急遽戻ることに


それにしても僅かな点数とはいえ、さらに退色しているとはいえこうした記憶をフィードバックできるのも写真が残っているからだ。
余談ながら、現在デジタルカメラで撮った写真は果たして43年後に問題なく楽しむことができるのだろうか?
以上43年前の京都旅行のレポートでした(笑)。



Instagram、ロケーションとハッシュタグに関連するストーリーズ投稿を表示する機能追加

Instagramは2017年5月23日(米国時間)、Exploreページにロケーションやハッシュタグに関連するストーリーズ投稿(「インスタグラム ストーリーズ (Instagram Stories)」でシェアした写真や動画)を表示する機能の追加を発表。


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Exploreページ(検索機能がある虫眼鏡アイコンのページ)は毎日1億以上の利用者が訪れ、様々なコミュニティや出来事を“発見”している世界最大級のプラットフォーム。今回追加される2つの機能によって、特定の場所で起こっている出来事や、興味関心に基づいたストーリーズ投稿をリアルタイムで楽しむことができるようになる。

機能の詳細は以下の通り。

・ロケーションのストーリーズ:
 Exploreページの上部に、今いる場所に関連するストーリーズ投稿が表示されるようになる。また、検索機能を使って都市やランドマークを検索すると、検索結果の一番上にストーリーズの丸いアイコンが表示され、その場所のロケーションスタンプを使ってシェアされた投稿を見ることが出来る。

・ハッシュタグのストーリーズ:
 特定のハッシュタグを検索した場合も、画面上部にそのタグを使ってシェアされたストーリーズ投稿が表示され、利用者の関心に合った投稿をより発見しやすくなります。

ロケーションスタンプやハッシュタグスタンプを使ったストーリーズ投稿をシェアすると、あなたの投稿が特定のロケーションやハッシュタグのストーリーズに追加されるかもしれない。投稿が追加されないようにするには、自分のストーリーズ投稿を見た人の一覧で「X」をタップし、非表示にできる。

今回のアップデートによって、自分の住んでいる地域の新たな風景を発見したり、例えば #今週もいただきますのハッシュタグを検索して食卓の献立のインスピレーションを得たり、Instagramを通して様々な体験を世界中の利用者とリアルタイムで共有し、より簡単に新しい世界を発見できるようになる。

これらの機能は本日より順次展開する。詳細に関しては、Instagramの日本語公式アカウント@instagramjapanより確認のこと。

Instagram 日本語版公式アカウント:



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第38話 Macintosh誕生

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムスリップしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第38話 Macintosh誕生
1984年1月24日、幾多の困難を克服し大きな犠牲を払いながらもスティーブ・ジョブズの夢であったMacintoshが発表された。それはApple本社近くにあるフリントセンター講堂で開かれた年次株主総会の場だった。
株主総会だからして近年のスペシャルイベントなどとは些か違い、最初は形通りに法律顧問による株主総会として事務的な発表と手続きが話され、続いてその9ヶ月前に新しいCEOに就任したばかりのジョン・スカリーがAppleの業績を発表した。

その後にスティーブが登壇したが、その様子は些か芝居じみたものだった。
その場に集まった株主たちにはこの場でなにか新しい製品が発表されるであろうことは分かっていた。しかしスティーブ・ジョブズは演台にはいきなり登場せず、真っ暗に落とされた照明の中、左の袖から聴衆に語りはじめた。
そして伝説となるスピーチが始まった。

「1958年のこと。IBMはゼログラフィと呼ばれる新技術を発明した若い会社を買収する機会を逃し、2年後にゼロックス社が誕生し、IBMはそれ以来自分を責めています」と語りだした。
私はMacintosh開発チームの連中と共に舞台裏と袖とを行き来しながら固唾をのんでスティーブのスピーチを聞いていたが、その後のデモンストレーションが上手く行くかに気を取られてほとんどスティーブの話しの内容を覚えている人はいなかったように思う。
ジョアンナ・ホフマンと目があったとき、彼女は両掌を組み、神に祈っているような表情だった。
なにしろMacintoshのすべてが安定していたわけでもなく、またスティーブが急に、
「Macintoshに喋らせよう」
と言い出したから大変な事になったのだった。
安定して音声合成ソフトを使うにはMacintoshの内蔵メモリである128KBでは不足だったのだからたまらない。
結局内蔵メモリを512KBと急遽4倍に増設したMacintoshを使うことになった。無論社外には内緒だ。

「IBMは本当に世界を征服してしまうのでしょうか。ジョージ・オーウェルの書いた『1984』のように?」
スティーブは機関銃のような早口で聴衆に語りかけると続いてあのコマーシャル「1984」のビデオが流れた。
観客は熱狂していたが、ここでやっとスティーブ・ジョブズに照明が当たった。
彼はきちんとしたスーツに蝶ネクタイ姿だった。
スティーブは、
「これまでのパーソナルコンピュータにマイルストーンとなるような製品は2つしかありません。それは ‘77年のApple II と ‘81年のIBM PCです。そしてLIsaの登場から1年経った今、我々は3番目のマイルストーンとしてMacintoshを発表します…」
Macintoshはかれこれ2年以上も開発にかかったこと、そしてついに狂気じみているほど素晴らしい製品ができあがったとスティーブは続けた。



※1984年1月24日、Macintoshを発表するスティーブ・ジョブズ(一部)


Macintoshの価格は2,495ドルで全米1500以上のAppleディーラーで今日から入手できることを伝えた後に
「Macintoshの革新的な部分を紹介しよう」
とMacintoshがLisaの技術を売れ筋価格帯の製品に落とし込んだと自賛し、マウス、ウィンドウ、アイコン、プルダウンメニューなどなどの紹介を続けた。

「MacintoshはLisaと同じ32ビットの68000プロセッサを使っているんだ。メモリは全部で192KB、そのうち64KBのROMを備えておりOSやグラフィックス機能、ユーザーインターフェースはすべてROMに入っている。RAMは128KB、そして80年代のディスクとして1枚に400KBものデータを記録できる3.5インチのフロッピーディスクを装備している」
スティーブはその後に同時発売される周辺機器を誇らしげに紹介した。

一息入れたスティーブは、
「Macintoshを紹介しよう。すべてはあのバッグに収まっているんだ」
と言いながらステージ中央に歩み寄り、自らMacintoshをバッグの中から取りだした。

舞台裏でアンディ・ハーツフェルドとスーザン・ケアが同時に、
「いよいよだぞ」
「いよいよね」
と叫んだ。
また万一のアクシデントがあった場合を想定してバレル・スミス、スティーブ・キャップス、ブルース・ホーンらが固唾をのんで待機しつつ見守っていた。
なにしろこれまで7,800万ドルの開発費を注ぎ込み、信じられないほどのプレッシャーにさらされながら週90時間以上の労働を強いられた成果がこのスティーブの発表で運命が決まるのだ。

スティーブ・ジョブズが初代Macintoshを発表するその姿は2016年からタイムスリップした私にとって何度もYouTubeなどの動画であるいはスティープの生き様をテーマにした映画などで見たお馴染みの光景だった。
しかし現実に自分がその舞台裏で多くの開発者らとスティーブの一挙一動に固唾をのんでいるとそれはまったく別の出来事のように思えた。

隣に立っていたバレル・スミスが、
「トモ、スティーブがMacintoshにフロッピーを入れたよ」
と叫びながら私の腕を掴んだ。
そのフロッピーは開発陣が徹夜で仕上げたデモ用プログラムだった。スティーブは芝居っけたっぷりにそれをシャツの胸ポケットから取りだしてMacintoshにセットしたのだ。
そしてスティーブはその場を一端静かに離れ、デモは会場の大型スクリーンに映し出された。

最初は “Macintosh” という大きな文字が画面一杯に横スクロールしながら流れていった。それはスティーブ・キャップスが工夫したフォントだった。
続いて星空のような背景にMacintoshという表示が現れ、その下に “Insanely Great!” という筆記体の文字がアニメーションで描かれた。それはブルース・ホーンが苦心して作ったデモだ。
そしてMacPaintやMacWriteといったアプリのスクリーンショットがスライドショー的に表示された。
私の前に陣取っていたブルース・ホーンが大きな安堵のため息をついた。

スティーブがMacintoshに歩み寄った。
スーザン・ケアとジョアンナ・ホフマンが私のシャツの袖を引きながら緊張している。
「ではここでMacintosh自身に喋ってもらいましょう」
スティーブはMacintoshを操作した…。
するとMacintoshはいかにもな音声合成の音質だったもののスピーチシンセサイザーによるメッセージを喋りだした。

「ハロー、僕はMacintoshです。あのバッグから出られて実にいい気分です。人前で話すのは慣れていないので、僕がIBMのメインフレームに最初に出会ったときに思いついた格言を皆さんに紹介しましょう。『自分で持ち上げられないコンピュータを信用するな!』ということです。お聞きのように僕は話せますが、今は少し控えて聞き役に徹しようと思います。それでは大いなる誇りを持って紹介しましょう。僕にとっては父親のような人…スティーブ・ジョブズです」

照明がスティーブに戻り、聴衆の歓喜はきわまったかのように拍手が鳴り響いた。
聴衆には分からなかったが舞台裏も聴衆に負けずに大騒ぎだった。誰もが飛び上がっていた。
このスピーチ原稿は最初アンディ・ハーツフェルドが書いたもののスーザン・ケアの提案によりシャイアット・デイ社のスティーブ・ヘイドンに書いてもらったものだった。
拍手はなかなか鳴り止まなかった。

ジョアンナ・ホフマンは私の腕を取りながら、
「ねぇ、見てよトモ。スティーブ涙ぐんでない」
と呟いたが、自身も涙声だった。
思えば、この日この時がスティーブ・ジョブズが生涯における一番の頂きに触れた一瞬だったように思う。
登り詰めた山は…降りるしかないことにスティーブは気づかなかった。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズ III」東京電機大学出版局
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オライリージャパン
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト
・「Steve Jobs Keynote History 1984ー2011」(マックパワー付録)アスキー・メディアワークス





Escape Motionsのペイント・アプリRebelle 2 のステンシル機能に関して

過日、Escape Motionsの新しいペイント・アプリRebelle 2 に関して覚書という形で記事を書いた。その中でステンシルという機能について簡単に触れたが、今回はその補足である。


ステンシルの表示は「ウィンドウ」メニューの「Stencils」を選ぶことで表示がON・OFFできるが、アプリに当初用意されているステンシルのライブラリはたったの12個でしかない。またなによりもこの機能をより生かそうとすればユーザーなりに必要なステンシルを登録したいと思うのが自然であろう。
私も当初ろくにヘルプで表示するユーザーガイドも見ないで操作していたから、このステンシルの扱いについて難しいものかと思っていたが、実際にやってみると実に簡単だったのでメモのつもりでご紹介させていただく。

さてRebelle 2 で油絵を描こうという場合には普通ステンシルの必要はないと思う。しかしデザイン系あるいはイラストレーションといった作品をという場合には例えRebelle 2 をメインに使おうとする場合でもときに綺麗な線や緻密なオブジェクトを描きたいという欲求はあり得ることだと思う。しかしRebelle 2 はペイント系100%のアプリであり、直線すらいわゆるフリーハンドで描くのが当然のツールだ。
したがってステンシルはキャンバスに描きたいのが直線であれ円や多角形であり、より複雑なパターンをフリーハンドではなくカチッとした線で欲しいという場合に有効なツールとなる。

念のため、使い方をおさらいしておくが、ステンシルパネルから任意のステンシルをクリックする。オレンジカラーの矩形本体とその右上に小さな四角形(ステンシル・メニュー)が表示されるはずだ。

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※ステンシルをキャンバス上に置いた例


そのステンシル・メニューは四分割されており、左上が「移動」、右上が「回転」、左下が「拡大・縮小」そして右下がポップアップメニューになっていて「反転・水平方向に反転・垂直方向に反転・取り外し」から選択できる。

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※ステンシル本体右上の矩形はコントロールパネル


そのステンシル・メニューを操作し、ステンシルをキャンバス上の任意の位置およびサイズにしてからその白で抜かれた部位を任意の色で塗りつぶすが、このときステンシル上には色は付かない。

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※ステンシルの上から任意のカラーで塗る。その場合にステンシル本体のオレンジ色部分には色は塗れない


塗り終わったらステンシル・メニューの「取り外し」を使ってステンシルを消すとステンシルのパターンが綺麗に残っているはずだ。無論塗りは水彩でもアクリルでもツールは自由だ。

>Stencil_04.jpg

※塗り終わったらステンシルを取り外すと塗った部位が残るという理屈


ではステンシルはどのように自作してステンシルパネルに登録するのかを見ていこう。
話しは簡単だ。グラフィックソフトでステンシルにしたいパターンを描き、あるいはクリップアートなどを使いそれを .jpg で保存する。その際ステンシル化を考え、余白はオブジェクトぎりぎりのサイズで保存しておくことがポイントか。

Stencil_05.jpg

※例えば左の写真を白黒二値化したデータも .jpg で保存すればステンシルとして使える


後はRebelle 2 のステンシルパネル右下の「Create Stencil from Image File」アイコンをクリックし、当該 .jpg ファイルを指定して読み込めば良い。

Stencil_06.jpg

※ .jpgファイルを「Create Stencil from Image File」でステンシルパネルに読み込めば即ステンシルとして使える


これで自作のステンシルがステンシルパネルへ登録される。
ちなみにステンシルパネルから任意のステンシルを消去する場合は、当該ステンシルを選択の上で「Remove Stencil from the Library」ボタンをクリックすれば消去できる。

さてくどいようだが、ステンシルは本来フリーハンドで描きにくいオブジェクトをキャンバス上に表現するためのものだ。したがって一般的には均整の取れたカーブを持つ線やフォント、あるいはアイコンみたいなものに適しているから、その原型作りはドロー系というかベクトル系のツールで作るのがお勧めだ。
無論フリーハンドで描いたパターンや写真を二値化したものなどをステンシルとしてキャンバス上のレイヤーに持ち込んでみるのも面白かも知れない。コラージュなどに応用が利くだろう。

Stencil_08.jpg

※これも写真を二値化してステンシルとして利用した一例【クリックで拡大】


Rebelle 2 にとってステンシルは多用するものではないかも知れないが、その長所や利点を知っておくと役に立つ場合があるに違いない。

以下の動画はこれまでの説明を一通りリアルタイムで解説したものだ。参考にしていただければ幸いです。



※Rebelle 2 のステンシル機能の概要を動画で解説しました


Rebelle 2 ウェブサイト






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プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員