ラテ飼育格闘日記(523)

前回も記したがオトーサンは左目の手術を受けた。白内障が進行したためだが、保護めがねを着けることを厳しくいわれているしこんな時に目にゴミでも入ればまずいことになる。理想は術後一週間程度、土埃や砂埃がたつ場所には近づかないことなのだが、そうもいかないのが辛いところ…。ただしラテは術後にアイコンタクトが多くなった。やはりオトーサンの変化を気にかけているのか…。


ラテは黙して語らないが、朝夕の二度の散歩を心待ちにしているに違いない。オトーサンもそうした散歩が単に排泄の機会を与えるためといっただけにならないよう心がけているつもりだが、ラテが望むようなワンコや人との出会いが都合良く待っているはずもなくここのところラテは些かくさっていた。

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※誰かこないかなあ...


それは天気もよくない日が続いたこともあるが、お馴染みとなったファミリーや他の子供たちともほとんど会えない日々が続いたからだ。雨の日を別にすれば夕方の散歩はルートこそ違えど向かう場所はほとんど一緒だ。ラテのエピソード記憶はたいしたものでどの場所で誰と会ったかなども長い間覚えているらしい。したがってその日に特別な思いがあれば別だがやはり楽しいことがあった場所に足を向ける傾向にある。

ということでここのところ、紆余曲折はあっても必ず立ち寄るのが近所の砂場の公園だ。その場所では小学生の女子たちとの出会いが多々あったしご近所に住む母親と小学生の女の子、そして未就学児童の弟と楽しい思いをしたからか、その方面に足が向いた際には必ず通る場所となった。そういえばファミリーと出会う直前だったか、ラテは一時期その公園を避けるようになったときがある。
それは小さな公園を我が物顔でボールを蹴りながら走り回るサッカー少年・少女たちが多くなったからだ。無論公園は皆のものだからサッカーをやってはならないというつもりはない。ボールひとつあれば楽しめるサッカーは男女を問わずとっつきやすいのだろう。

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※ピークは過ぎたとはいえまだまだ美しい紅葉を見ながらの散歩は実に贅沢だ


しかし広い公園の片隅なら問題ないが小さな公園を数人の子供たち、ときには教えているのだろうか大人も混じって我が物顔で駆けずり回られては危なくて仕方がない。
実はラテだが、随分と昔の話しになるもののサッカーボールを二度当てられてあの大きさのボールが怖くなったらしく近くをボールが通過すると尻尾が下がってしまう。その上に転がっているボールならまだしも構築物の壁などに蹴りを入れ「パーン!」とボールが跳ね返るその音が嫌いなのだ。だからサッカーをやっていると尻込みしがちなのだ。

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※オトーサンは大きなゴーグル(保護めがね)をかけてるからか、この日もラテのアイコンタクトは多かった


とはいえラテにとってその苦手なサッカーをしのぐ楽しい思い出が重なった公園なのだろう、尻尾が下がりつつもその公園を横切る日々が続いた。しかしどうしたことかお馴染みとなったファミリーの姿が数日、一週間、10日と続いて見えない。オトーサンはこの時期だからお子さんか母親が風邪とかインフルエンザにでもかかり外出できないのではないかと心配した。そんなわけだから今日も明日も明後日も…という日が続いたもののラテはサッカーをやっていないときには砂場に腹ばいになりしばし待ちの姿勢を崩さなかった。

オトーサンが左目の手術を終えた4日後、ラテはその公園に入ったがやはり知り合いの子供たちもいなくて数人のサッカー少年たちの占有といったありさまだった。しかしこればかりは仕方がない。オトーサンは「ラテ、そろそろ歩き出そうよ」と声をかけ、公園を後にしようとした瞬間「ラテちゃ~ん」「いま行くから待ってて!」と聞き覚えのある声が聞こえた。ラテは軽く両前足を浮かして声のする方向を探しつつ満面の笑顔になった。

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※聞き覚えのある声が聞こえた瞬間、ラテの表情ががらりと変わった


嬉しいことに、数えてみると15日ぶりにファミリーの姿があった。ラテは最初に公園に入ってきた女の子に飛びつくようにして顔を舐めていたが、その向こうに母親の姿を認めると尻尾をお尻ごと振りながら低い姿勢で母親に向かってかけだした。

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※2週間ぶりにお馴染みの女の子に会えて喜ぶラテ


「ひさしぶり!」と座り込んでくださった母親の膝にラテは乗りながら猛烈に顔を舐め始めた。その後ろをサッカー少年が蹴ったボールが通り過ぎたとき、女の子がボールを追ってきた男の子に「ねぇねぇ、ラテちゃんにボールを近づけないで!」と注意をしてくれた。ありがたい!

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※ファミリーの母親の姿を確認するとお尻ごと尻尾を振って駆け寄った


どうやらファミリーは用事で実家に行っていたという。「インフルエンザでなくてよかった」というオトーサンに向かって女の子は「でも寒かったよ」と笑った。
ラテはまだ母親に嬉々として相対していた。


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第19話 PARC訪問

還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会う。厄介なのは加賀谷が持っていたiPhone 6s Plusをスティーブが見てしまったことだ。この事実が過去と未来に悪影響を及ぼすのだろうか。そんな危惧をよそに初対面の加賀谷をスティーブは自宅のガレージに引き入れた…。そして一緒に働くことになった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第19話 PARC訪問
Appleは正式な株式上場前に何度か資金調達を実施した。1979年8月には L・F・ロスチャイルドやゼロックスそしてエジプト系投資家などに対してだ。うちゼロックス社には10万株を売却した。このときの資金調達はかなりApple側が強気で (売ってあげた) という感じが強かった。

ともあれゼロックスに恩を売った成果が3か月後のゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)訪問に繋がったとみるべきだろう。このPARC訪問には多くの伝説が生まれたが、この訪問をきっかけにスティーブ・ジョブズは GUI を持つパソコン開発に意欲を持ち、それが後年 LisaやMacintoshとして開花することになる。

1979年12月、スティーブ・ジョブズはゼロックス社のパロアルト研究所を訪れた。
しかしスティーブは当初、その訪問にあまり乗り気ではなかった。
「トモ、君も一緒に来てくれないか。ジェフ・ラスキンはともかくビル・アトキンソンが五月蠅く勧めるんだが気が乗らないんだよ」
スティーブ・ジョブズはAppleの業績のよさや先の資金調達成功もあって強気だった。
「俺の信条だが、どうせ大企業なぞに革新的なものなど作れるはずはないし行くだけ無駄だと思うんだ」

「でも、君は行こうとしているんだろう」
私は悪戯っぽくスティーブにいった。
「いや、社内の奴らの勧めだけならその気はなかったが、マークラとスコッティいわくゼロックスの幹部が是非俺に見学に来てほしいという依頼が続いているというんだ」
「トモ、君も噂を聞いたかも知れんがゼロックスへの今回の株式売却で埒もない噂が立ったらしいんだ」
スティーブはうんざりした表情で吐き捨てるようにいった。

「知ってるよ。ゼロックスに対する株式売却はゼロックスがアップルの買収を考えてのことだ...という噂らしいね」
私は先ほどダン・コトケが持ってきてくれたコーラーの瓶をあけながら答えた。
「トモ、そんな砂糖水など飲まない方がいいぜ。飲み物は水以外なら生ジュースに限るよ」
スティーブはオレンジジュースのグラスを手にしながらも私の話に頷いた。
「そうなんだ。ここでだんまりを決めているのではなく俺たちがPARCを乗っ取るくらいの気持ちで1度訪問してくれとマークラも五月蠅いんだよ。そうした世間的な付き合いをこなすのも俺の仕事だといいやがる」

「なあ、トモ…。俺は半分冗談のつもりで言ったんだが君は真顔だな」
私は今回の訪問がAppleの未来にとっていかに重要な意味をもっているのかを知っているから自然に真剣な表情になったのか、普段の私とは微妙な違いにスティーブは気がついたのかも知れない。
「いや、君との約束だから未来のことへの明言は避けるけど...行った方がいいよ」
真面目な顔でいった私を真正面からスティーブはあの鋭い視線でしばらく見つめていたが、
「わかった。君がそういうのなら何かあるのかも知れないな。一緒に行ってみようぜ」
「後で日時は知らせるよ」
いいながらスティーブは席を立った。

結局スティーブに同行したのはビル・アトキンソン、ジェフ・ラスキン、ジョン・カウチそして私の4人だった。スティーブが人選した結果だが、ラスキンはそもそもの言い出しっぺでPARCに詳しいから、そしてアトキンソンはソフトウェアの、カウチはハードウェアの責任者として選ばれたらしい。
こうして我々4人はPARCに乗り込んだが、後で聞いたところによればビル・アトキンソンは今回の訪問に際してアラン・ケイの論文を始めとして多くの資料に目を通し勉強していたらしい。

我々5人がPARCの地味なエントランスを入るとPARCのアデル・ゴールドバーグ女史がAltoが置かれているロビーに案内してくれた。
スティーブは意識的なのか、あるいは緊張していたのか見るからに態度が横柄でスーツこそ着ていたものの両手をズボンのポケットに突っ込んだまま握手もしなかった。

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※ゼロックス・パロアルト研究所


我々が通されたデモルームにはラリー・テスラーが穏やかな表情で待っていた。
型どおりの挨拶が済んだ後、早速アデル・ゴールドバーグが一抱えもある円形のハードディスクを持って現れた。眼前には縦型のディスプレイにキーボードとマウスおよびピアノの鍵盤の様な装置が置かれ、設置台の下にはハードディスク装置とAltoコンピュータの心臓部、すなわちハードウェアが隠されていた。

私は2016年の時代からタイムワープした人間だし、1992年に富士ゼロックスの展示会においてAltoの実機を見ていたから、それぞれのハードウェアの構成が何を意味するかの理解はあったがジェフ・ラスキン以外はAltoの実物を見た者はいなかったようだ…。
電源が投入されてゴールドバーグがデモを始めるとテスラーがそのオペレーションとモニター上の動きをひとつひとつ説明してくれた。

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※Altoの実機。1992年に筆者撮影


モニターが明るくなった途端にスティーブの顔色が変わった。
カウチが、
「モニターの背景が白いぞ!それに表示文字が黒い…」
アトキンソンが、
「紙とペンを模しているんだ」
独り言のようにつぶやいたが、スティーブは無言だった。
ジェフ・ラスキンは満足そうに微笑んでいる。

テスラーがAlto開発のコンセプトを簡単に説明した後、ワードプロセッサや図形がマウスというポインティングデバイス操作で直感的な移動や拡大縮小などを行うデモがあった。
一通りの説明の後に質疑応答の時間がとられたが、質問のほとんどはビル・アトキンソンだった。無理もない、なにが起こっているかは皆わかったが、これほどのコンピュータを見た事がなかったからカウチもスティーブも無言を通すしかなかった。
スティーブはもっぱらボタンが三つ並んいるマウスを手にして仔細に眺めているだけだった。

予め説明されていた時間が過ぎた。ラリー・テスラーとジェフ・ラスキンが握手を交わし、ビル・アトキンソンとジョン・カウチも如才ない挨拶をしてPARCを後にしたがスティーブは終始無言だった。アトキンソンが感想を聞いても生返事をするだけだった。

スティーブは自分のオフィスに戻ってすぐに電話の受話器をとった。
「どこにかけるの」
いま戻ったばかりでもあり私の意外だという声にかぶせるように、
「ゼロックスの重役だよ」
そういったスティーブは電話に出た相手に矢継ぎ早に、それも少々無礼にも思う喋り方で話し出した。
「ああ、スティーブだ。Appleのスティーブ・ジョブズだがいまPARC研究所から戻ったところだ。ただし納得できないことがあるんで電話したんだ」

「そうだ。君がいう...そうだ、そうしたデモを見せられたが、技術的に見るべき点もあったがもっとましなデモがあるはずだ。俺に隠し事があるというなら君のところとはこれっきりになるぞ」
脅すようにスティーブは続けた。
スティーブはゼロックスの重役に電話して今日見たことを話しつつ、おざなりではなくもっと本格的な機能説明を迫ったのだ。スティーブは先ほど見せられたAlto およびSmalltalkのデモにはもっともっと奥が深いものが隠されていると直感したようだ。
「うわべだけでなく、すべてを見せてくれ。そもそも訪問しろといったのはそちらだろう。OK。分かった、間違いないように手配を頼むぞ」

天下のゼロックス社の役員にAppleのスタッフへ命令するかのような話し方にスティーブをよく知っている私も唖然としたが、受話器をおいたスティーブはニッコリと微笑んで、
「これでよし」
と呟いた。

PARCのAltoおよびSmalltalkのデモには2つのバージョンがあったという。特に審査に通ったVIP向けのものと一般に見せるものとである。
明らかに1度目は、誰にも見せる式の、いわゆる無害なデモを我々は見たに違いない。スティーブは、そのとき自分たちに与えられなかった情報がどれほど多いかを悟ったらしい。そしてたった2日後に再び大人数を連れてPARCくことになった。

今度はマイク・スコットやスティーブ・ウオズニアックも一緒だったしLisaプロジェクトとしてスタートしたばかりの技術者数人も同行した。
2度目の訪問時、エントランスで待ち受けていたのはPARCのハロルド・ホールら2人だったが応接室で前回より長い時間我々は待たされた。スティーブたちは準備に必要な時間だろと気にも留めなかったが、私はデモ担当のアデル・ゴールドバーグが「今日のデモなど聞いていない」と主張し、デモするのを一時は拒否したことを知っていたからその情景を想像して楽しんでいた。無論その結末も知っていたから安心して待っていられた。

アデル・ゴールドバーグはApple社の能力と意図を知るよしもなかったが、技術者の本能と自身らが開発し育てたAltoおよびSmalltalkの重要さと大切さを知っており、特に優秀なプログラマーにそれらを見せるリスクを恐れていたのだ。彼女は何とかしてゼロックス社自身にAltoとSmalltalkを正当に評価させ、これを世に出したいと考えていたらしい。
しかし今回の訪問に際してゼロックス本社からは ( すべてを見せろ )という指示がなされていた。これにはアデルも従うしかなく顔を真っ赤にして我々の前に現れた。

1度目は終始無言で通したスティーブ・ジョブズだったが、この2度目の訪問では多々感嘆の声を出し、最後には「この会社はなんでこいつを発売しないんだ」と声を荒げた。
我々に強い印象を残したデモのひとつはAltoの画面上のテキストが1行ごとにスクロールするのを見たスティーブが、
「これがドットごとに紙みたいに動いたらいいのに」
といったときのことだ。
デモをしていたダン・インガルスは (おちゃのこさいさいです) といいながら、Altoを止めずに実現したときにはAppleの全員が呆然となった。

私は部屋の隅に我々が驚いている様子を楽しんでいるかのように立っている人物に気がついた。
皆に気づかれないよう静かに立ち上がって私はその人物の前までいき、
「はじめまして、トモヒコ・カガヤといいます。アラン・ケイさんですね」
「お会いできて光栄です」
と右手を出した。
私の手を両手でしっかりと握り返しながらアラン・ケイは私の顔を正面から見つめ、
「失礼だが、君もAppleの社員なのかい」
と聞いた。

「そうですが、なぜですか」
私の質問に彼は (僕には君だけ体から発する音色が違うように思えたんでね) と笑った。
私はそのとき、彼がミュージシャンでもあることを思い出した。
アラン・ケイは続けて、
「僕にはスティーブ・ジョブズやAppleのことより君の秘密に興味があるよ」
「楽しんでくれ。また会おう…」
ウィンクしながら彼は奥に引っ込んだ。
気がついたら私はうっすらと汗をかいていたがそれは暖房のせいばかりではなかった。
もしかしたらアラン・ケイは持ち前の鋭い観察力と直感力で私が現代(1979年)にはそぐわない人間だと気づいたのかも知れない。

スティーブはといえば帰り際にAltoを一台正式に購入したいと要望したが、ゼロックス社は市販製品ではないことを理由にそれを拒否した。
帰りの車の中でスティーブは私に向き直り、PARCでデモを見た印象を興奮気味にいった。
「トモ、理性ある奴ならすべてのコンピュータはあのようになるべきだよ」

ただしこの日、スティーブは GUI にあまりにも強く心を奪われた結果、AltoおよびSmalltalkの優れた他の面、例えばオブジェクト指向プログラミングとEthernetでつながったメールシステムの重要性を見落としていた。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊



誰のための「Designed by Apple in California」なのか?

2016年11月16日、Appleから発売された "Apple Designの20年を振り返る“という豪華写真集「Designed by Apple in California」は実に悩ましい "新製品" だ。その出来が素晴らしいのはあらためて申し上げるまでもないが、Macテクノロジー研究所的には大きな疑問を抱いた。


それは「何故いま、Appleがこのタイミングで豪華写真集を出したのか」という点である。そしてこれは誰のための本なのか...という点も気になった。
この豪華写真集に関してはすでにウェブサイトの方でPodcastにてお話しをしているが、些か再確認しなければならない点もあったりするのであらためてこの豪華写真集を注視してみたい。

しかし発売数日は話題にもなったがすでに二週間も過ぎるとツィッター上でもほとんどこの写真集についての書き込みを見なくなった。そもそもお安い本ではないから誰も彼もが争って買うという代物ではないのだろう。しかしそうだとしても何だか不思議な逸品に思える。

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※Appleから出版された豪華写真集「Designed by Apple in California」


私が本書の発売に関して情報を得、最初に思ったことはそれが豪華本であるとかかなり高価な本だといったことではなかった。ただひとつ「なぜAppleはこの時期にこうしたコンセプトの本をApple自身で出版したのか」ということだった。
Appleほどの企業がこれほどの物を自身で出版するからには当然何かしらの意図や目的があってしかるべきだろう。そう考える方が合理的で自然だ。では何の為に...?

先のPodcastはAppleからの発表されたプレスリリースの抄訳を元にしてのお話しである。しかし届いた自身の分の「Designed by Apple in California」を開くと些かプレスリリースとはニュアンスが違うことも分かった。そんなあれこれも交えての感想を記してみる。
ところでAppleがこの種の本を作ったことは知る限り創業10周年のときに発行した「So Far」という大型本しかない。しかしこの本はAppleの従業員や関係者だけに配られた非売品だった。したがってマニュアル類を別にして一般向けに販売されるApple出版物としてはやはり初めてのケースなのだ。

そして本書を開いて感じたことは「やはりジョナサン・アイブ」が自身ならびにデザインチームと過ごした二十年の成果をまとめたものだということである。
そもそも本書はテキストによる記述がほとんどないのも特長だが、そんな中で序文を書いているのがジョナサン・アイブ自身だ。そして奥付と考えてよいのだろう、最終ページには本書に関わった人たちの名がアルファベット順に記されている。無論ジョナサン・アイブの名もあるが、そのどこにもApple CEOのティム・クックの名はない。だからこれはAppleの本という以前に1997年から20年間のジョナサン・アイブおよびデザインチームの軌跡を形にしたものだということになろう。

またこうした企画を眼前にすると我々はAppleデザインのアーカイブとしてそのすべての製品を網羅しているのだろうと考えがちだが、アイブは序文で「すべての製品を網羅したわけではない」といい「重要なもの、私たちに何かを教えてくれたもの、ただ私たちが愛着を持っているものに絞った」とある。
別途の情報によれば本書の撮影のため、過去の製品の多くはAppleが買い戻ししたものだというニュースも入ってきた。そもそもが過去を振り返らないことを自負していたAppleがこうした一連の製品を陳列や貸出のために自社内に残して置いたはずはないのだ。
しかし私らだって極一部ではあるものの自分で気に入ったApple製品は捨てずに保管してある。だからアイブが「愛着を持っているものに」などといったところであまり感情移入はできない(笑)。

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※発送用のダンボール箱から取り出すとさらに白いダンボールに保護されたAppleらしい包装に包まれた本誌が出てきた


そういえばプレスリリースに本書は「スティーブ・ジョブズの思い出に捧げる」と記されていたのでPodcastではその点にも突っ込みを入れたが、実際に届いた本にあるアイブの序文和訳だとストレートに「スティーブ・ジョブズに捧げる」とある。プレスリリースの表記は直前の「...そしてスティーブ・ジョブズのことを思い出さずにはいられません」という部分を受けた意訳だということになる。

ともあれ、過去製品の買い戻しまでして制作した「Designed by Apple in California」が単にAppleの道楽と位置づけられるとは誰も思ってはいないはずだ。だからこそ、ジョナサン・アイブはAppleを離れる決心をしたのではないかというゲスの勘ぐりもしたくなってくる。そうでも考えないと本書の存在意義が見えてこないのだ。
この豪華写真集が発売されてから二週間が過ぎた(当該原稿を書いている時期)。しかしいくら膨大な情報の海に翻弄されている我々だとしてもすでにほとんど本書の話題を見聞きしないのも興味深い。

確かに手軽に買おうとする値段ではない。小で20,800円(税別)、大は30,800円(税別)だ。
独断と偏見を承知でいうなら、ひとりでも多く世界中のAppleユーザーに本書の内容とデザインチームあるいはアイブの真意を伝えたいなら豪華本という形ではなくデジタルブックで良かったのではないだろうか。長い間、デジタルの世界を牽引してきたAppleが今更紙ベースの、それもこれほどの本を出版するということ自体が私には尋常ではないように写ったのだ。

だから私にはAppleという企業が...というよりジョナサン・アイブの強い思いが形になった本だと思わざるを得ない。多分にこうした企画を聞いたティム・クックにしても反対する理由すら見つけられないほどアイブの力がApple内で大きくなっているという現実も見えてくる。

さて、この「Designed by Apple in California」は誰のための本なのだろう。購入した私が申し上げるのも変だが、どう考えてもこれは我々ユーザーのためのものではないような気がしてならない。
なにしろ「本書をスティーブ・ジョブズに捧げる」と言いつつもジョブズとアイブ初の仕事といわれた初代のiMac、すなわちボンダイブルーのiMacが載っていない点は特に気に入らない。当Macテクノロジー研究所でさえ大切に保管している逸品なのに...。

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※当研究所所有の初代iMac (ボンダイブルー)


それだけではない。写真集最初のページ(15ページ)は5色キャンディカラーのiMac(Rev.C)で飾られている。そのページ右上には "iMac 1998" と印刷されている。これは無論発表あるいは発売年を意味するはずだ。しかし、これも変だ。
ちなみに初代ボンダイブルーのiMacは1998年5月のWWDCの場で発表され、発売は8月15日(米国)だったが問題のキャンディーカラー(Rev.C) の発表は1999年1月のサンフランシスコ Macworld Expo基調講演の場だ。ということはこの声か盆は最初のページから間違っていることになる。

こうして見ていくと「Designed by Apple in California」はAppleの製品群を単純に紹介する本ではないことは十分に承知しているが、取り上げている製品の少なさも含めて雑さが目立ってくる。
これではやはりユーザーのための書籍とは思えない。

ともあれ過去を振り返るのを潔しとしなかったスティーブ・ジョブズ、その彼に捧げられた過去20年間の記録が本書だとすれば、捧げられたスティーブ・ジョブズは草葉の陰で何を思っているのだろうか。


コメントに「いいね!」他、投稿コメントを個別管理するツールを含むアップデートを発表

インスタグラムは12月6日(米国時間)、利用者がより安全・快適に自己表現ができるプラットフォームを実現する取り組みの一環として、コメントツールをアップデートしたと発表。今回のアップデートで、各コメントに「いいね!」ができる機能、そして特定の投稿についてコメントをオフに設定できる機能が加わった。


   instagram1207am.jpg

新たに追加される機能の詳細は以下の通り。

△ コメントに対して「いいね!」できる機能:
  投稿された写真や動画に付けられた各コメントの右側にハートアイコンが表示されるようになった。ハートアイコンをタップすると、コメントに「いいね!」を付けることができる。「いいね!」で利用者同士がお互いをサポートする気持ちを表すことで、ポジティブなコミュニティ形成がより促進されるものと期待されている。

△ コメントをオフにする機能
  特定の写真や動画のコメントをオフにする設定が、本日より全てのアカウントで利用できるようになる。コメントをオフにするには、投稿時に「詳細設定」をタップし、「コメントをオフにする」を選択。また、投稿後に「...」をタップすると、投稿済みの写真や動画でもコメントをオンに設定し直すこともできる。

また、アカウントを非公開設定にしている場合、一度フォローを承認した相手でも、後からフォローを外すことができるようになった。これまでは承認済みのフォロワーをブロックする方法しかなかったが、今後はフォロワーのプロフィール右上に表示される「...」からフォローを外すことができる。なおフォローを外された相手に通知が届くことはない。

インスタグラムは今年9月、特定のキーワードを自動的に非表示にするコメントツールを発表し、投稿するコンテンツに関する体験を利用者自身がより簡単にコントロールできるようになった。また、自殺や自傷行為をほのめかす投稿を発見した際、匿名で報告できるツールも展開し、自分を傷つける恐れがあると思われる利用者に役立つ情報をインスタグラムから直接提供できるようになった。

上記の機能は全世界で順次展開予定。

インスタグラム 日本語版公式アカウント(日本語)



白内障手術の顛末〜術後編

左目の白内障手術をした。昨年末あたりから病状が進行し視野の中央の混濁が著しくなったからだ。例えて言えば、眼鏡の中央を脂ぎった指で触ったように見えないのだ。通っているクリニックの医師からそろそろ手術をと勧められたので一大決心して手術に望むことにした。今回は2回目…術後のレポートだ。


術後一番心配なことは感染症だそうで、病院から渡された手引き書にはかなり面倒なことが書かれている。まず一週間は目を保護するために24時間保護めがねをかけた生活をしろという。無論寝るときもだ。それは寝ている間、無意識にでも目を擦ったりしないように予防の為である。
その後の一週間も起きてから寝るまでは保護めがねをしなければならない。

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※事前に用意した保護めがね2種。右のは愛犬との散歩用にと防塵用のものを買って置いた


また一週間は顔を洗えず、絞ったタオルなどで目を強くこすらないように拭くことになるし一般的な洗髪もできない。入浴は翌日からは首から下だけシャワーを浴びるか、お湯が目に入らないように入浴しなければならない。したがって白内障の手術は真夏は避けるべきだということになる。

無論処方された目薬の点眼も3種類、朝・昼・晩・就寝時と一日4回行うがそれぞれは5分程度時間をおいて注す必要がある。そして術後3ヶ月間は定期的通院と点眼を続けることになる。一番きついのは1ヶ月間は禁酒と禁煙を強いられることだろうか。私はどちらも興味がないので問題ないが、愛煙家や晩酌をかかせない人はこれを機会に止めるか量を減らすとよいかも知れない(笑)。

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※処方された3種の目薬を一日4回点眼しなければならない


ただし渡された「退院のしおり」によれば、力仕事でなければ退院後仕事は可能だというし、目が疲れない程度であれば読書やパソコン利用も可とされている。私自身もガーゼのプロテクトを外した翌日からはこうしてパソコンの前に座っている。
ということで外出も可能だが、埃っぽいところは避けなければならず、万一術後の目にゴミが入ったり、擦ったり、あるいは強くぶつけてしまうようなことになれば再手術になる可能性大だという。

さて、幸い手術の当日に自宅に戻れたが寝る頃になると異物感が強くなって気になる。まあ、日帰りができたとはいえ手術をしたのだから何らかの違和感があって当然だと自分を納得させる。
ひとつ個人的な問題は愛犬の散歩だった。事前に医師に相談すると極端に埃っぽい場所や河川敷、あるいは草原みたいな場所は避けるべきだが保護めがねをかければ舗装された道であれば短時間なら大丈夫でしょうと言われた。術後の心配事に犬の散歩の相談などしたからか、医者は苦笑いしていた...。

ともかくその日はプロテクター(眼帯)をした上に事前に準備しておいた防塵眼鏡をかけ、女房のサポートを受けながら短い散歩を終えたが、愛犬は不満そうだった(笑)。
なにしろ左目は覆われ、右目はド近眼なものの眼鏡をかけられない。ということはほとんど見えないということになる。大昔、瞼の中に小さなでき物が出来た際に簡単な手術で取ってもらったことがあったが、その際には市販の眼帯だったので眼鏡が使えたために片眼は視力が出ていた。しかし今回はそれもかなわなかったのでどうしようもない。

翌日の午前中に診察を受けに行った。予約は午前10時半だったが大混雑だったためか眼圧や視力検査および医師の診察が終わるまでには2時間近くかかった。
幸い経過は良好のようで安心したが、眼帯を取ったときの驚きは期待以上のものがあった。

人工レンズは単焦点仕様なので遠くを見るとぼやけるものの、矯正視力は1.2出ているとかでモニターや手にした書籍などは驚くほどよく見える。それに色味が右目とまったく違う。

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※眼帯を外して病院の待合室床を見たときのイメージ。これまでの見え方(上)と術後の見え方(下)。これは後から写真をそれらしくレタッチしたもの


これまでそれが現実だと思っていたアイボリーの世界がそれこそ白色蛍光灯下にさらけ出されたように思えるほどだ。自身が構築してきたウェブサイトの色合いも特にホワイトが美しく見違えるようだ。

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※これまた眼帯を外してiPhoneの画面を見たときのイメージ。左が手術前、右が手術後。大げさでなくこれほどの差を感じた


ただし日常生活時の一番の問題は両目の視力に大きな差が生じていることだ。これらは右目も手術をすることを除外して考えると眼鏡で矯正するしかない。とはいえ術後の左目の視力は3か月程度経たないと安定せず、それ以前に慌てて眼鏡を新調してもすぐに使い物にならなくなるという。
その3か月程度の間をどう過ごすかが厄介なのだ。少しは慣れるかも知れないが、何しろ裸眼だと左目は30センチとか40センチの距離なら大変よく見える。しかし右目はド近眼と老眼の影響でその距離のモニターのテキストだけでなく写真も判別できない有様なのだ。

そこで思いついたのは5年も前になるが興味本位で買ったレンズの視度調節が可能な眼鏡を使ってみようということだった。
これはそもそも災害時の緊急用や一時的なスペアのメガネとして開発されたものだというから長く常用するものではないようだが、視力が安定して新しい眼鏡を作れるようになるまでその都度左右両眼の視力に合わせてレンズを調整すれば実用になるのではないかと思いついたわけだ。それにこの眼鏡ならかけたまま保護めがねもつけられるのだ。

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※左右別々に視度が調節できる眼鏡


無論両眼それぞれの視力に合わすことができたとしてもそのままでは差がありすぎて長い時間使い続けるのは無理だが、他にこれ以上フレキシブルな対処方法はないのではないかと早速取り出して調整をしてみた。
早速その夜に愛犬を外に連れ出した際に使ってみたが、何十年ぶりに両眼のピントが合い、遠くまで見通せることが分かった。使いづらい点もあるが新しい眼鏡が作れるまで、これでしのごうと考えている。

これから白内障の手術をと考えている方、時間と費用がかかる問題だから軽率なことは申し上げられないができれば早めに信頼できる病院で手術を行うことをお勧めする。手術そのものは不安が伴うものの基本的には短時間で問題なく終わる安全なものだという。そして何よりも長い間不自由だった視力が若返るのだ。
万一右目も支障が出てきたら迷わず手術をしようと考えている。



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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員