ラテ飼育格闘日記(508)

ここのところ、猛暑だったり台風の影響だったりが続きいつもの夏以上にラテが歩く機会がない。無論炎天下を引きずり回すのは避けているし暑い日は日が暮れる時間を確認しつつ、雨の日は雨雲レーダーをにらめっこしながらラテを連れ出すものの、極々近所を回って戻るというオトーサンの体力にも適合する散歩が続いている(笑)。


その散歩も好き嫌いはともかくワンコと出会ったり、知っている子供や飼い主さんたちと出会う機会があるのとないのとではラテの歩き方も違ってくるし機嫌にも大きく影響してくる。とはいっても天気や陽気を考慮するのはワンコの飼い主さんたち皆が工夫していることだろうが、散歩の時間が短いこともあってラテにとって刺激がない散歩が続く…。

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※何らかの意欲が強いときのラテの表情は明るい


しかし思えばラテは幸せなワンコだ。極限られた範囲、限られた人たちだとしてもすれ違えば声をかけてくれる方も多い。
先日の夕方、小雨模様だったこともありグダグダ散歩を続けていたが前方から歩いて来た二人連れの一方のご婦人(極々たまにすれ違うことあり)が、微笑みながらラテに向かって「あらあらワンちゃん元気そうね」と声をかけてくれた。

無論お名前も知らない方だが、ラテは相変わらず知らない大人へはお決まりのように吠える。ワンコ嫌いなら吠えられれば怖いとすぐに離れるものだが、その方はワンコを飼っているか飼っていた方なのだろうか、臆せず「可愛いわね」と声をかけながら…振り向きながらすれ違っていった。

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※オカーサンにチューをされて嬉しそうだ(笑)



面白いのはその姿をラテが追い、「アン、ワンワン」と吠えつつも追うように向きを変えたことだ。ご婦人はそれが嬉しいらしくまたまた手を振ってくれる…。
たまたまではあるが、こうした出会いもラテにとっては良い刺激らしくそうしたことがあると表情が明るくなるし歩き方も違ってくるから現金なものだ。

それに昨今は小型犬が多くなったし、中型犬では柴犬やコーギー犬たちが多いように思う。だから近隣でラテに似た雑種にはまだ出会っていない。したがって結構すれ違い様に「何犬ですか?」と聞かれることもあるし、ワンコ好きなら1度出会ったら記憶に残るのかも知れず、見知らぬ方に声をかけられるケースも多いのである。

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※近所に住んでいる柴犬のアンリちゃんのオカーサンがラテは大好きだ。そしてアンリちゃんとは機嫌良く一緒に歩く


ただしそれだけにラテのリードを持っているオトーサンは気が抜けない。ワンコ好きだから、あるいはラテを可愛く思ってくれて声をかけ手を出してくる人たちだとしてもラテが好むか好まないかはまた別問題だからだ。これまですれ違い様に視線を合わせた人たちに吠えることはあっても唸ったり攻撃しようとしたことはほとんどないが、オトーサンの見立てとラテの好みは同じであるはずもなく、オトーサンが好印象な人だからとリードを緩めることは危ないと心している。

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※石畳に腹ばいになって...何を思う?


くどいようだが吠えることが即攻撃の意志を表すものではないし、幸いこれまで他のワンコはもとより人間に危害を加えようとしたことはないが、よく「よい番犬になりますね」と皮肉られる?ように知らない人には警戒心を解かないラテでもある。子供たちを除いてだが…。

ところで先日、オカーサンの帰りが遅い際にラテと途中まで迎えに行った。すでに街灯の明かりや歩道に立ち並ぶ住居からの明かり以外はオトーサンの持つ懐中電灯の光が頼りだ。
オトーサンは日中の散歩ではパナソニック製ウェアブルカメラをヘッドセットに装備して出かけるのが常だが、夜に出かける際には赤外線撮影をサポートしている小型カメラを装着することにしている。

こうした暗い環境下ではオトーサンの視線は懐中電灯が照らす足元に集中せざるを得ない。ラテの進行方向に危険なモノなどがないかを確認しながら歩くからだ。
そんなとき前方から「あっ、ラテちゃん!」「あれがラテちゃんよ」という声が聞こえた。視線を上げると、たぶん家族旅行からの帰りだったのだと思うが荷物を持ったポニーテールの女の子が笑顔でラテに手を出した。

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※夜半にオカーサンを迎えに行く途中で馴染みの女の子とその家族と出会った。ラテも意外な時間に出会っただけに嬉しそうだった...。赤外線モードで撮影


ラテも即それが誰なのかは分かったのだろう。お尻ごと尻尾を大きく降って女子を見上げたが、たまに会うとオトーサンたちに手を振ってくれる女の子だった。数歩後ろにはお母さんと姉妹と思われる方がこれまた笑顔でこちらに会釈をしてくれた。
多分にラテのことを何らかの形で耳にしているように思えたのでオトーサンは思わず「いつもお世話になってます…」と会釈を返しつつすれ違った。

ラテの思うように日々好きな子供や飼い主さんたちと出会えるはずもないが、例え少数でもすれ違ったときに声をかけてくれ、そして可愛がってくれる人たちがいることにあらためて感謝しつつ、ラテは幸せなワンコだと心から思った。




最高級の防水・耐衝撃性を備えた 「Catalyst Case for iPad Pro 12.9インチ」発売

トリニティ株式会社は8月26日、防水・防塵の国際規格「IP68」を取得、水深2mと、1.2mの耐衝撃性能を兼ね備えた他の追随を許さないiPad Pro 12.9インチ用ケース「Catalyst Case for iPad Pro 12.9"」を全国の家電量販店、および一部雑貨店を通じて本日より販売すると発表。なお、本製品はTrinity Online Storeでも取り扱いする。


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Catalyst Case for iPad Pro(カタリスト iPad Pro 12.9インチ 完全防水ケース)は、防水と防塵の国際規格であるIP試験で最高の等級を表す「IP68」を取得、最大2mまで水中での使用が可能。
ゲレンデや海、プールやお風呂などでもiPad Pro 12.9インチを楽しむことができ、アウトドアやスポーツなどさまざまな環境で安心してiPad Pro 12.9インチを使用することができる。
さらに特殊な衝撃吸収機構で1.2mもの高さから落下してもiPad Pro 12.9インチをしっかりと守る、強靱な完全防水・防塵ケース。

 ・水深2m完全防水
 ・1.2mの耐衝撃プロテクション
 ・最高レベルの耐塵性
 ・JIS防水規格 最上級「IP-68」準拠
 ・ハードコート光学カメラレンズ
 ・クリアなスピーカー音再生
 ・ケース使用時にすべてのボタンと機能が使用可能
 ・タッチスクリーン対応
 ・iPad Pro 指紋認証機能「Touch ID」対応
 ・Lightningケーブル対応

4段階から好きな角度に調整できる、動画視聴に便利なスタンドが付属。さらに、ケースを外す際に使用できる、Catalystのロゴマーク入りのオープニングツールも付属する。

定価はオープン価格だが、オンライン価格は22,500 円 (税別)

カタリスト 12.9インチiPad Pro 完全防水ケース




スーツ姿のスティーブ・ジョブズ考察

スティーブ・ジョブズのスーツ姿を知る人も少なくなった感がある。先日クライアントの方から「スティーブ・ジョブズってスーツ着たことってあるんですか」と聞かれた。その2日後にTwitterで蝶ネクタイの話題が目に付いたので今回はスティーブ・ジョブズとスーツの雑談をしたい...。


そういえばジョブズのイメージは近年Appleユーザーになった方の印象ならジーンズに黒のタートルシャツといったものだろうしスーツ姿の彼をイメージするのは難しいかも知れない。しかしApple IIのデビューを機に彼もスーツを着始めたのだ。
以前「スティーブ・ジョブズの衣装がずっと変わらなかった...は伝説」でも述べたが、Apple復帰後もスーツ姿でイベントに登場したこともあった。

ところでジョブズはそもそもヒッピーだったといってよいだろう。「スティーブ・ジョブズ」 1995 ロスト・インタビュー」の中で、「あなたはヒッピーですか、それともコンピュータ・オタクですか?」と聞かれ「どちらかを選べと言われれば、私は間違いなくヒッピーだ」とジョブズは答えている。

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※1997年第1回WCCFでスティーブ・ジョブズは初めてスーツ姿でブースに立った


ここでヒッピーとは何かについての解説は避けるが、その後に続きジョブズが述べているようにMacintoshの開発者たちはコンピュータを作るためにコンピュータを開発したというより、優れたコンピュータなら音楽にしても芸術にしても自分たちの求めるものを実現する力がある...と考えたからこそ開発に没頭できたといえるのだ。決して単に機械いじりが好きだったというわけではない...。

さて、スティーブ・ジョブズが起業する前後のストーリーはいまでは広く知れ渡っている。それらの情報を精査する必要もなく彼の姿はヒッピーそのものだった。髪や髭もぼさぼさで何週間もシャワーを浴びず、自分の食生活ならそれで良いと考えていたらしい。そのため体臭も酷かった...。
そんな彼が素足で歩き回り、金がないのでコーラーの空き瓶を集めて小銭に替えていたり、一週間に1度無償で食事を提供してくれる寺院などを回って食を繋いでいたスティーブ・ジョブズはスーツ姿とは無縁な存在だった。

Appleを起業してからも姿格好は大して変わらなかった。しかしそんなジョブズが最初にスーツを着て公の場に立ったのは1977年第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェア(WCCF)の場だった。
Appleはマイク・マークラの資金援助で法人となり、ジョブズの押しの強さが功を奏してインテルのプロモーションなどで成功を収めていたマッケンナ・エージェンシーにあの6色ロゴをデザインさせたスティーブ・ジョブズらはWCCFでApple IIをお披露目すべく全員が一丸となって働いていた。

またマークラとマッケンナはブースに臨むスタッフたちの身なりにも気を遣い、スティーブ・ジョブズをサンフランシスコの洋品店に連れて行き、生まれて初めて三つ揃えのスーツとネクタイを買わせた。ジョブズはそのスーツを着てWCCFに臨んだ。
彼は誰にも負けない頑固者だったが、状況を判断し理解する能力には優れていた。
Apple II をより見栄え良く、使い勝手のよさをアピールするためにオリジナルケースが必要だと主張したように、そのApple IIを大々的に売り出すこの好機には例え窮屈であってもスーツ姿は合理的だと考えたのだ。

ちなみに余談ながらスティーブ・ウォズニアックはこのWCCFに臨み、デモするためのApple IIを安定させるため全力を尽くしたがイベント出展はどこかお祭り...遊びと考えていたのか、相変わらず架空の新型マシンのチラシを作っていたずら放題していたし、残っている写真から見る限りスーツどころか見栄えの良くないシャツ姿のままだった(笑)。

ともかくこのWCCFに出展した機会こそスティーブ・ジョブズがスーツ姿になった最初だった。とはいえこの第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェアにおけるジョブズのスーツ姿はその髭面も相俟ってかどこかぎごちない感じもする。しかしその後の彼は要所要所でスーツ姿、それもタキシードに蝶ネクタイ姿を披露するが、ガタイのよい彼にタキシード姿はよく似合っていた。

第1回WCCFの後、Apple IIは大成功を収めスティーブ・ジョブズは23歳で数字の上とはいえ金持ちになった。またマスコミも彼を「時代の寵児」ともてはやしはじめた頃から髪はまだ長かったものの自分の身だしなみに気を付けるようになっていった。
マークラとスコット社長がベンチャーキャピタル探しにニューヨークの投資グループに出向いたときにはスティーブ・ジョブズも一緒に連れて行かれた。ジョブズの姿形が人前に出せるようになったとマークラらが考えたからだ。

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※上はLisaとスーツ姿のスティーブ・ジョブズ(ビジネスウィーク誌1984年1月16日より)。また蝶ネクタイとジーンズ姿でも公の場に現れた(下)


どうやらスティーブ・ジョブズは蝶ネクタイが気に入っていたようだ。この蝶ネクタイ姿で最初期の映像として知られているのは1984年1月24日、Macintoshの発表時での彼の姿だ。それ以降もジョブズのタキシード姿は頻繁に見られるようになった。そして時には蝶ネクタイでジーンズ姿といったこともあった。

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※1984年1月24日、Macintoshの発表時にはタキシードと蝶ネクタイで壇上に上がった


1989年7月10日、幕張の東京ベイNKホールでNeXT発表会があり、私も客席に陣取ったが、その1時間ほど前だったか…東京ベイ・ヒルトンホテルのロビーに通じる場所で三人連れでこちらに歩いてくるスティーブ・ジョブズとすれちがった。プレゼンを前にした彼はきちんとフォーマルスーツに身を包みながらも噂通りの気むずかしい顔をしていたものの大柄の彼はオーラーで輝いていた。

特にNeXT時代はAppleとは顧客層が違うこともあってジョブズは公の場ではスーツ姿が目立つようになる。しかしAppleに復活した後はジーンズ姿が目立つものの、例えば1998年5月のWWDCで iMacを発表する際のスティーブ・ジョブズはスーツ姿だった。

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※1998年5月のWWDCで iMacを発表する際のスティーブ・ジョブズはスーツ姿だったがネクタイはしていない


ただしその後、例えば1999年のMacworld Expo San Franciscoではジーンズを履いていたものの上着は白のタートルに黒いジャケットだったし同年のMacworld Expo Tokyoも同じスタイルだった。
こうした使い分けがどのような思惑によってなされたのかに興味はあるが、今となっては知るすべはない...。

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社


私のトラウマと夢の考察

先日、知人らとの話しの中でトラウマの話題が出た。それぞれ抱えてきた...抱えているトラウマについて雑談したが、私自身は幼少期から2つのトラウマを抱えているようだ。何故ならいまだにそれらを基にした夢を多く見る...。今回は幼少期から抱えてきた個人的なトラウマについてのお話しである。


「トラウマ = trauma」とは...明鏡国語辞典によると「心理的に大きな打撃を与え、その影響がいつまでも残るようなショックや体験。心的外傷。精神的外傷。」だという。
私の場合、影響が日々の行動に明確に現れているとは自覚していないが、夢の中でははっきりと自覚できるほど頻繁にその痕跡を暗示する夢を見る…。

まずひとつめだが、夢はこんな感じだ。
尿意をもよおし、トイレを探すが夢のバリエーションはここでまず2つに分岐する。ひとつはトイレがなかなか見つからないという夢だ。暗く裏長屋のような場所をさ迷う場合もあれば、コンクリート打ちっ放しの現代的な建築内、あるいは明らかに大きなホテルや公共施設といった場所をトイレを探して歩き、走り回るというパターン。

2つ目は周りの人にトイレの場所を聞くなどしてたどり着き、ドアを開けるもそこは狭い押し入れのような場所だったり反対にかなりの広さはあるが散らかってトイレには思えず躊躇している...。といった夢だ。

こうした夢をいまだに見る...トラウマの原因は自分なりに分かっている。
それは小学5年生の一学期まで生まれ育った環境によるものに間違いない。この時代、私は東京の北区中十条というところにあった大きな2階建てアパートに親子5人で住んでいた。実際の所記憶はあやふやだが子供心には古くて規模が大きく戦前に建てられたアパートのように思えたが、エントランスはエンタシスのような太い柱が2本あったし、複数のドアを開けて入ると中央は1階の各部屋に続く廊下、そして右側には立派な階段があり2階へと続いていた。

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※昭和28年(1953年)8月、アパートのエントランスで弟と


アパートの内部だが中央に通路があり、左右共に6件ほどの部屋があったように思う。それぞれが6畳一間と現在の観点から見れば実に狭い部屋だが戦後の混乱期だったことを考えればしかたがなかったに違いない。
アパートは洗濯場とトイレが共同だった。ドアを開け4件分ほど廊下を直進すると洗濯干し場に出るドアがあったが正面は西音寺というお寺の墓地だった。

そこを左に曲がると右側には洗濯場があり、各部屋の洗い桶や洗濯板といった私物が立て掛けてあり、その奥がトイレだった。確か個室が4個と男子用便器が3基ほどあったように記憶している。
真っ昼間のお墓は子供たち格好の遊び場だった。それは大人たちも同じで閻魔の石像の王冠を灰皿代わりにしていた旦那衆もいた(笑)。

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※墓地の石像前に座り込んでいる2歳の筆者


しかし夜になると様子は一変する。廊下の裸電球は暗く、子供心にひとりで夜中にトイレに行くそのこと自体がとても怖かった。なにしろ正面にある勝手口のドアのガラス窓からはぼんやりと墓地が見えたからだ。また洗濯場もトイレも暗かった。共同洗濯場上にあるたったひとつの裸電球が前記したタライの影を廊下まで延びさせときに人の影のような形に見え怯えた。

この「夜にトイレに行くのが怖い」という感情は子供の私だけ特有のものではなかった。なぜなら隣の家族は夜トイレに行くときには家族全員(4人だったか...)で出かける習慣があったくらいだ。だから尿意をもよおしてもなるべく我慢しようとして漏らしてしまうこともあったくらい出かけるのが怖かった。

小学5年生の夏、母が応募した都営住宅への申込みが当選し2LDKに引越することになったときその住宅には風呂はなかったが専用のトイレがあった。弟と飛び上がるように喜んだことを覚えているが、お若い方にこのときの喜びを理解いただけるかは心許ない…。
すでに50数年も前のこの記憶がいまだに夢の中に様々な形、バリエーションとして現れるのだから面白いといっては語弊があるが自分でも笑ってしまう。しかしこればかりは自分でコントロールできないのだから仕方がない。

さてもうひとつのトラウマだが、こちらは原因が分からない。
これまた頻繁に夢に現れる決まったストーリーなのだが、さまざまな土地や場所に仕事や旅行で行った先から自宅に戻るときに不安に苛まれるという夢だ。その不安とは身の危険といった深刻なことではなく「どのように戻ったらよいか」が分からず困っているといったストーリーである。

駅のシーンでは何番線の電車に...何行きの電車に乗ったらよいかが分からず迷っている。駅員に聞いても適切な受け答えをしてくれない。
あるいは夕暮れのどこか校外にいるようだが、用事が終わりさて帰宅しようと考えるものの駅はどこなのか、どちらの方向に歩けばよいのか、バス停はあるのかが分からず、あたりは暗くなってきて途方に暮れている自分がいる。

この種の夢は場所に多くのバリエーションがあるのも特長だ。前記したように駅や校外だけでなく大きなビルの中で迷子になったり...といった場合もある。
そしてリアルな意味で唯一記憶に残っている同種の出来事はこれまた小学校低学年のとき、母の許しを得てはじめて一駅先の赤羽駅まで弟を連れて行くことになった。目的は確か友達の家にいくことだったが、親なしで電車に乗ったのははじめてだったし弟を連れ大きな不安とプレッシャーを抱いたことは忘れられない。しかしその程度の事がいまだに尾を引いているとは疑問だが、本当の所はわからない。

まあ夢判断とか精神分析の力を借りるまでもなく素人考えでもこの種の夢は何らかの "不安" を意味していることはわかる。先行きの不安なのか、生きることへの不安なのかは分からないが、トイレの夢同様少年期からの夢なのだ…。
これらの夢は決して楽しい夢ではないが、自分の深層心理というか、普段は意識していない奥底の心を知る手段として我ながら面白いと考えている…。



「FileMaker カンファレンス 2016」オンライン事前登録を開始

ファイルメーカー株式会社は8月23日、「FileMaker カンファレンス 2016」のオンライン事前登録を開始したと発表。本カンファレンスは、2016年11月9日(水)〜11日(金)の3日間、JPタワーホール&カンファレンス(東京都千代田区)にて開催される。


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2009年の初開催から8年目を迎える今年の「FileMaker カンファレンス 2016」では、“カスタム Appを作成し、未来をデザインしよう” をメインテーマに掲げ、FileMakerとカスタム Appについて情報収集したい新規のお客様、導入を検討中のお客様に向けて、新規導入の前後に必要となる知識や情報をご提供するセッションを例年以上に充実させた。

多様なトピックをカバーした50以上のセッションで、iPad、iPhone、Webアプリケーションをビジネス現場へ積極的に取り入れたいというニーズにこれまで以上に応える。FileMakerプラットフォームを使ってビジネス向けカスタム Appを独自開発する際に課題となる、より効率的に設計・構築・展開する方法やテクニックのほか、最新のベストプラクティス、お客様事例、内製化のヒント、などを幅広く紹介していく。

セッションの参加は「フリーパス方式」を採用しているため、参加者は事前登録を済ませるだけで、当日は席に余裕がある限り、どのセッションにも自由に出入り可能。

【開催概要】
 会期:2016 年 11 月 9 日(水)〜2016 年 11 月 11 日(金)
 主催:ファイルメーカー株式会社
 会場:JPタワーホール&カンファレンス
 詳細:http://www.filemaker.com/jp/conference




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プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員