ラテ飼育格闘日記(512)

一週間はオトーサンたちにとってそれこそあっと言う間に過ぎ去ってしまう時間だが、ラテはどのような感覚でとらえているのだろうか。それはよく分からないものの一週間前、1ヶ月前…いや数年前のこともよく覚えていると思われ驚かされることもある。その記憶…エピソード記憶の良し悪しで次の行動が変わるのは実に面白い。


前回(511)で、砂場の公園で会った子供たちのことをご紹介した。夏休みも終わり、学校が始まったからか夕方の公園にはしばしの間子供たちの黄色い声が響く。
そこにいけば、いつもというわけではないもののラテを知っている、ラテも好ましいと思っているであろう小学生女子たちに会えるかも知れないとオトーサンも意識的に足を向けるようにしている。

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※楽しいこと、あるといいなあ


というわけで雨も上がったからと夕方にその近くの公園へとラテのリードを引いた。近くまで来るとやはりというか、誰だかは分からないが子供たちの声が聞こえる。オトーサンはラテに刺激ができてよかったと思いながら公園に入ろうとしたら、あらら…ラテが嫌だという。

たまたまかと思い公園の外側を半回りすると別の入り口があるのでそこまではラテと付き合おうと散歩を続けたが、入り口にきても入りたくないと頑なな態度を示す。
ふと、気がついたがあれからも1,2度この公園に来たとき小学生女子たちはいなくて未就学児童に囲まれたことがあった。無論その時もラテは触られても大人しくしていたが尻尾が下がっていた。

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※この日は出会いがなくて少し錆びそうなラテ。オトーサンと一休み


想像するに「オトーサン、今日は疲れたから子供たちとは遊べないよ」と言っているように思えたので苦笑しながらも公園を後にした。
やはりラテ自身が好きな小学生女子たちに対する態度と未就学児童たちへの態度を思い出してみると明らかな違いがあることがわかる。

馴染みの小学生たちの場合、声をかけられたりあるいは近づかれたりすると尻尾を振るのは勿論だが、口を開けてどこか甘えるような笑顔で対峙する。そして子供が立っている場合は足や下がった手を舐めようとするし、もし子供がしゃがみ込んでくれた場合は間違いなくその口元や顔を舐めようとする。

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※公園に入ると「ラテちゃん!」と小学生の女子が駆けてくる。嬉しいことです


さらに、特にラテが好きな子供の場合は(大人でも)相手が立っていると大きな体をあずけるように両前足を上げて抱きつこうとするし、尻尾の振り方も激しくお尻ごとビュンビュンといった感じか(笑)。
この顔を舐めることはラテにとっては親愛を示す大切な行為のようで、相手がそれを許してくれるなら丁寧に舐めるし、もし子供が3人いる場合には順番にきちんと3人を1人ずつ舐める。その時のラテの目付きは大げさでなく慈愛に満ちている。そして1人だけを舐めるとか1人だけを無視するということはないのが凄いとオトーサンは常々感心している。

さらに初対面の子供の場合もこれに準じる。子供たちが友好的であれば一年も前から知ってる子供と変わらぬ親愛の情を示す。ただしそれは大好きな子供と出会ったときと比べれば緩慢な動きのようだ。

対して未就学児童、例えば三歳とか四歳といった幼児が「ワンワン!」といいながら近づいてくると尻尾を軽く振るが、特に歓迎の行動はとらないのが普通だ。

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※どうしたことか、ラテがオカーサンに抱っこを要求 :-)


表情も前記したような明らかに喜びの表情ではなく無表情でときに目を大きく見開くこともある。これは注視のサインだとオトーサンは考えているが、とはいっても唸るとか逃げようとするわけではない。ただしラテから幼児に歩み寄ったりすることはなく、顔を舐めようとすることもない。ただただなすがままに大人しくしている…どこか感情を押し殺して我慢しているようにも思える。

したがって分かりやすくいうなら、ラテは幼児と対峙すると気疲れするのではないか。尻尾が下がってしまうことが多いのもそれを表していると思うのだが。
これまた想像の域を出ないが、幼児はラテにとって敵ではないしそれが人間の赤ん坊だということは理解していると思うが、それこそどんな行動を起こすか分からない不安を持って接しているようだ。尻尾を引っ張ったり耳を引っ張ったり、あるいは体毛を引っ張ったりもする。時には怖いもの知らずだから頭や背をパンパンと叩く幼児もいる。

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※10日ほど前に会ったときには怖々手を出していた男の子が積極的になってきた


それとラテにとって小学生の子供と三歳、四歳の子供の1番の違いは、ラテから見て相手の気持ちが表情や行動、声などでわかるし、反対に犬好きな子供ならラテの表情を読み取ってくれるに違いない。要はコミュニケーションが取れるのだ。しかし幼児はラテにとって守らなければならない対象ではあっても喜びの対象ではないと思っているのではないか…。

子供たちの声と共に幼児の金切り声を聞きつつ、ラテはオトーサンの意に反して公園を離れていくのが可笑しかった。また来ようね、ラテ!




両差しタイプの MicroUSB端子はよく見極めて利用したい!

近年ガジェット類の小型化から充電やパソコンとの接続のためにMicroUSBタイプのコネクタを装備している製品が多くなっている。そしてコネクタにケーブルを接続するとき、その裏表を意識しなくても良いいわゆる両差しタイプの端子を持つケーブルも普及し出した...。しかし問題が!


ここの所、USB-Aタイプの端子およびMicroUSB端子を持つケーブルで両差しタイプの製品が増えてきた。両差しタイプというのは本来コネクタの形状から端子の差す向きが決まっているわけだが、それが裏表...すなわち両面どちらを向けても差し込むことができるタイプの製品だ。

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※左が標準タイプのMicroUSB端子、右が両差しタイプの端子


すなわち端子の向きを気にせずコネクタ端子を差し込むことができるので便利だという売りだ。いや、その点は確かに便利に違いないからこそこの両差しタイプのケーブルを私も一部で使ってきた。
しかしこの数週間で二つのガジェットのUSBコネクタが基板から外れ、壊れるというアクシデントを経験したが、その要因のひとつがこの両差しタイプのMicroUSB端子にある…というのが今回のテーマである。

まず最初に申し上げておきたいことはガジェットに使われているコネクタはともかくMicroUSBケーブルの端子は出来不出来が結構あるという事実だ。これまで多くのMicroUSBタイプのケーブルおよびガジェットを使ってきたが、精度や互換性に問題があるケースもままあったし、特に両差しタイプのMicroUSB端子にはそれが目立つ気がする。

数種の両差しタイプMicroUSB端子(オス)を特定のガジェットのコネクタに装着しようとするとスムーズにいかないことがある。本来両差しタイプは向きを気にせず使えることがメリットなはずだが、差し込むことができてもそれがかなりキツイ場合がある。そこで一般的なMicroUSBケーブルを使ってみるとスムーズに接続できる...。

今回ガジェットのMicroUSBコネクタが壊れたのはウェアブルカメラだったが、その撮影データ(動画)を消さないと次の撮影にメモリ容量が足りなくなる可能性があるからと朝夕使用の度にデータをパソコンに写し、カメラ側のデータを消すことを続けてきた。またパッテリーは内蔵リチウム電池なのでその充電も同じコネクタを使う。そしてこれまで8ヶ月ほどの間、何の問題もなかった…。

さて、使用頻度が高いものほど向きを気にせず接続できる両差しタイプのケーブルを使ってみようとわざわざ選んでみたが無論特に乱暴な使い方をした覚えはない。しかし前記したようにあらためて比較して見ると一般的なMicroUSBコネクタと比較して両差しタイプのMicroUSB端子は差し込みがキツイ場合が多く、ためにわずかにしても力を加えることになる。どうやらこれが今回コネクタが基板から外れた原因のようだ。なにしろこれで2度目なのだから...。無論2度とは別々の製品で起こった!

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※ウェアブルカメラのMicroUSBコネクタが基板から外れた(上)。写真下は同型製品の正常なコネクタ


最初はたまたまガジェット側の組み立てが柔かったのかと思った。そして超小型の基板にハンダ付けされている部品だからして柔なのはある程度は仕方がないと思ったりもするが壊れるのは困る。

これまでこうしたトラブルはなかったものの2度のMicroUSB端子が基板から外れた直接の原因を考えるとやはり装着時にどうしても力を入れざるを得ない両差しタイプのケーブルを使い始めてからなのだ。
繰り返すが決して雑に扱っているわけではないし両差しタイプのケーブルに気を遣いながら使うのならこれまでの一般的なMicroUSBの方が安全だという結論に達し、現在は特別なガジェット以外両差しタイプのMicroUSBは使わないことにした。

こうしたアクシデントや感想はあくまで私の環境下で起こったことだし個人的な体験ではあるが、両差しタイプのMicroUSB端子は数社のメーカーを比較してみても装着時にキツイと感じる場合があるのは確かだ。

したがって本来便利なはずのケーブルではあるが、使用時にはガジェットのMicroUSBコネクタとケーブル端子の相性や精度も含めてきちんと見極め、もし少しでもキツイと感じたら利用は止めた方がよいと思う。千数百円程度のケーブルが原因でガジェットが壊れては元も子もないし、接続が少しでもキツイ場合や接続しにくいケーブルは使わないようにしたいものだ…。



[断章]〜「未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ」はなぜ小説なのか

今回は「[小説]未来を垣間見たカリスマ ~ スティーブ・ジョブズ」を一回お休みにして、なぜ小説技法も身についていない奴が小説といった形をとって、それも陳腐とも言えるタイムワープまで使いスティーブ・ジョブズの若い頃の姿を描こうとしたのか、断章としてお話ししてみたい。ちなみに「断章」だが、作家:陳舜臣は「小説のある段落で、進行中の物語から少しはなれて、作者が読者に説明したいことを挿入する部分」と書いている。


※本編の小説はフィクションです※
小説でスティーブ・ジョブズの人生やAppleの歴史を表現してみたいというアイデアはすでに15年も前から温めてきたことだった。しかしこれまでなかなか機が熟さなかったというべきか。やっと頭の中でスティーブ・ジョブズを始めとする人物たちが動き始めたような気がしたのだ…。
ではなぜこれまで小説など一度も書いたこともなくその技法やテクニックについて勉強したこともしようと思ったこともない者が小説の体でスティーブ・ジョブズの若い頃を描きたいと思ったのか、その点を自分自身を鼓舞する意味も含めてまとめておきたい。

当ブログにしばしばお立ち寄りいただいている方ならご存じの通り、これまでにもAppleやスティーブ・ジョブズにかかわる多くの記事を書いてきた。それぞれはご紹介した時点において可能な限り一次資料や信頼できると思われる書籍などを基に史実に忠実な描写をしたいと考えた。

そもそもそれぞれのアーティクルは当然のことながらその都度のテーマに沿った内容だ。例えば「2人のスティーブが出会ったきっかけは?」「Apple 1とはどのようなコンピュータなのか」「そもそもAppleという会社を創業するに至る動機は?」あるいは「スティーブ・ジョブズとはどんな男なのか」といったように...。
そして事実を伝えるためには「誰が、いつ、どこで、何故、何を、どのように」といったフレームワークを明確にする必要があるというが、一般的な記事ではこれらを立体的に網羅するのは難しい…。無論私自身の力量の問題も否定できないが。

しかし長い間Appleの歴史やそれにかかわる群像を調べていると単一のテーマに絞ろうとしてもそれらにまつわる多くのエピソードやきっかけがまとわりついていることを知る。そもそも狭い範囲の事実だけを検証しようとすればするほど直接間接に様々な要因がかかわっていることに気づかされるし我々の人生とはそうしたものに違いない。ともかくそうした要素をひとつひとつ取り上げれば散漫なものになりがちだし焦点はボケてしまう。

さらに小説の形をとってみようと考えた一番の動機は、司馬遼太郎が小説「空海の風景」の中で執筆の動機を「空海を肉眼でみたいという筆者の願望」と書いたように、私もこの眼を持ってスティーブ・ジョブズの若い頃に接したいと思ったからに他ならない。
ちなみに私が生身のスティーブ・ジョブズに出会った最初は1989年7月10日、幕張の東京ベイNKホールにおけるNeXT発表会だった。さらにステージにあがる前にホテルの通路ですれ違ったこともよい思い出だ。

さらにアップルジャパンのデベロッパーとなったこともありスティーブ・ジョブズが復帰後はMacworld Expo/サンフランシスコの会場でジョナサン・アイヴと一緒にいる姿を多々目撃したし、一度はExpo/Tokyoなどで彼のキーノートを見たり、デベロッパーの代表たちがホテルのレセプションルームで談笑していたときプレゼン姿のままのジョブズが部屋に入ってきたこともあった…。

それと私がAppleの歴史に興味があるのは自分が夢中になったApple II やMacintoshという素晴らしいパソコンを生んだ企業を知りたいと思ったことは当然だが、それ以上にそこで働く人たちの情熱や思いがどういうものであったかに強く引かれたのだった。
Apple II がAppleという企業で生産されたという事実より、なぜそういうことになったのか、誰の意志なのか、どのような思いで開発したのか、時代背景は…等などの方に興味が向かったのである。

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※主人公の加賀谷友彦は40年前のスティーブ・ジョブズ自宅前にタイムワープしてしまった!。加賀谷は私自身を仮託した人物だ


こうした興味に沿った記事を書きたいと思ったら、もう通り一遍の記事ではそれらにまつわる人々の思念といったものを伝えることは難しい。しかし小説の体をとれば表現の幅が大きく広がるのではないかと考えた...。
なぜ小説なのか…前記と重複する部分もあるが思いついたことを以下にまとめてみた。

1)史実に基づいてが基本だが、多くのミッシングリングを状況証拠やフィクションとして埋めればストーリー性が増すと考えた。ひとつテーマを決めた記事だとどうしても立体的な描写がやりにくく平面的な解説になりがち。小説の体を取れば情景描写や人と人との感情のぶつかり合いも描け、多面的/立体的な表現が可能になると思った。

2)三人称の上に神視点、さらに断章も入るというなんでもありの書き方は素人丸出しだと自覚しているが、なにかの賞を狙うつもりはないし(笑)、読んでくれる人たちが楽しんでいただければそれでよい。というか書いている本人が一番楽しんでいるしなによりも数編書き出してみると面白い事に主人公たちが理屈でなく一人で動き出すようにも思えて小説家の性を垣間見る思いをしている。

3)ありきたりではあるがタイムワープで主人公(私を仮託)をその時代に立たせ、実際に私が体験・経験した時代の空気を主人公の目で表現したいと思った。文字通り肉眼でスティーブ・ジョブズを見、その空気感を少しでもお伝えできたら嬉しい。そしてスティーブ・ジョブズが真のビジョナリーになり得た理由だが、天性の聡明さは当然としても40年後の未来からやってきたひとりの男の影響が強かったのだというストーリー展開にも興味を持った次第。

4)米国のニュアンスを借りつつ表現はあくまで日本人に無理なく通じるようにと考えた。例えば「第5話 株式会社になる」でジョブズの養父が登場し「なあマイク、君たちが苛つくのもよくわかるが、”色の道” は息子に任してくれや」という台詞はまったくもって日本語だ(笑)。ただし養父のポール・ジョブズはガレージ時代、仲間たちがイライラし険悪な状態になると実際に中に入り、雰囲気を和らげたという。
ちなみに「色の道」だが、私は若かりし頃に東証一部上場の顔料・染料メーカーに6年ほど勤めたが、その色作り…カラービジネスを極めるという意味で創業者の社長は興が乗ると自社のビジネスは「色の道」と称して悦に入っていたことに所以する。

5)本編を楽しみながら読んでいただければスティーブ・ジョブズという男の素顔と黎明期のAppleがよく理解できるというものを目指したい。無論小説としてのフィクション部分は別にしてだが、これまでスティーブ・ジョブズについて書籍などを通じ、何らかのイメージを持っていた方ほどリアリティを感じていただけるに違いない。また本編は特にどこがフィクションなのかについては明記しない。

6)最初からストーリー、構成、内容的に完璧を求めずストーリーを進めていく過程で矛盾点や間違いを正し、話題も追加していくつもりだ。これもブログだからできることに違いない。

7)まずまずの結果が出せたら電子書籍化をめざしたい。ホントカ(笑)。

というわけだが、どこまで続くか書いている本人も分からない。できることならMacintoshをリリースした翌年、Appleを追われるところまで続けたいと思っているのだが…。しかしそれでは私自身を仮託した主人公、加賀谷友彦は丸9年間も現代に戻れないことになってしまう。それでは家族も心配だし(笑)、何らかのきっかけで一, 二度現代に戻したいとも思うが、さてどうなりますやら。
興味を持っていただければ幸いである。


Apple、macOS Sierra 無料アップデートとして提供開始

Appleは9月21日、世界で最も先進的なデスクトップオペレーティングシステムの最新メジャーリリースとなるmacOS Sierraを、無料アップデートとして本日より提供することを発表した。macOS SierraにはSiriが搭載されるほか、iPhoneおよびiPadでお馴染みのインテリジェントかつ便利な機能と並んで、特にデスクトップ用として設計された、まったく新しい機能もMacで利用できるようになる。


ユニバーサルクリップボード、デスクトップと「書類」フォルダのファイルをiCloudに自動保存する機能、自動ロック解除、Apple Payのウェブ利用といった機能により、MacとほかのAppleデバイスの連係がいっそう向上する。また、写真アプリケーションには新機能の「メモリー」が追加され、お気に入りの写真やビデオのコレクションを自動的に作ることができる。

Macで利用できるSiriは、メッセージやメールを送信したり、書類を見つけたり、情報を探したり、フォトライブラリを検索したり、システム環境設定を調節したりと、様々な作業を手伝ってくれる。Siriの検索結果はドラッグ&ドロップで書類に追加したり、後から参照できるように通知センターの「今日」にピンで貼り付けておくことが可能。ユニバーサルクリップボードでは、あるAppleデバイス上のアプリケーションの内容をコピーして、別のAppleデバイス上の別のアプリケーションにペーストできる。デスクトップと「書類」フォルダのファイルをiCloudに自動で保存する機能では、iPhoneやiPadから、Macのデスクトップに置いたファイルにアクセスできる。そして、自動ロック解除では、認証済みのApple Watchを身に付けている時は、Macに自動的にログインできるようになる。

​macOS Sierraには以下のような優れた新機能も用意されている
 ●メッセージ:アプリケーション内でウェブリンクのプレビューやビデオクリップの再生、メッセージバブルに対してハートやサムズアップ(賛成や承認)などのTapbackを直接返信するなど、会話がより面白くなる。また、巨大な絵文字を使ってメッセージのインパクトを高めることができる。
 ●ウインドウのタブ機能:マルチウインドウに対応するMacアプリケーション全般(マップ、メール、Pages、Numbers、Keynote、テキストエディットをはじめ、サードパーティ製アプリケーションも含む)で有効になる。
 ●ピクチャ・イン・ピクチャ:SafariやiTunesのビデオウインドウを、デスクトップ上に表示できる。このウインドウは、サイズを変更したり、ドラッグで移動したり、画面の任意のコーナーにピンで固定したりすることで、別の作業を続けながらビデオを観ることができる。
 ●最適化されたストレージ:Mac本体の空き領域に余裕がなくなってきた時に、あまり使わないファイルをクラウドに保管したり、使わなくなったアプリケーションやファイルを削除するように利用者に促すことで、本体ストレージの空き容量を増やす。
 ●iTunesの中にあるApple Music:新しいミュージックを発見したり、独占配信から最新リリースを閲覧するのがこれまで以上に簡単になる。

Apple Press Info




「スティーブ・ジョブズ 無謀な男が新のリーダーになるまで」(上巻)読了の感想

待ちに待ったブレント・シュナイダーおよびリック・テッツェリ著「Becoming Steve Job」の訳本が出版された。日本語訳はお馴染みの井口耕二さんである。待ちきれずに英語の原著も開いていたが、やはり気軽に読めるのは翻訳者のおかげであり実にありがたい!感謝。


ということで本書は上下巻2冊で出版されているが、2冊はかなりのボリュームなので今回は上巻のみの感想をお届けしてみたい。
さて「Becoming Steve Job」の原著はウォルター・アイザックソンの公式伝記と同じサイズの1冊だが、日本語版は前記のとおり上下巻で出版されたものの訳本のタイトルが長すぎる(笑)。

繰り返すが原題は「Becoming Steve Job」といたってシンプルだが、日本語版は「スティーブ・ジョブズ 無謀な男が新のリーダーになるまで」と長い。本書だけではないが近年の翻訳本はタイトル/サブタイトルが長すぎる...。
この日本語版も例えば「真のスティーブ・ジョブズになるまで」程度で良いのではないか。事実下巻の帯には「こうして、彼は『スティーブ・ジョブズ』になった。」とあるではないか。

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※ブレント・シュナイダーおよびリック・テッツェリ著/井口耕二訳「Becoming Steve Job」日本経済新聞出版社刊の上下巻


さて、スティーブ・ジョブズという人間をより知りたいと思う場合にはご存じだと思うが公式伝記という存在がある。前記したウォルター・アイザックソン著だがジョブズが願った通りに描かれたかはともかく、とかく批判も多い1冊で、特にジョブズを知る人たちからは真のスティーブ・ジョブズが描けていないという声も多いという。

そうした背景もあるのか、本書にはジョブズの真の姿を描いてほしいということからジョブズ夫人のローリーンやティム・クック、ジョニー・アイブといったスティーブ・ジョブズに最も身近だった人たちのインタビューも含まれ、公式伝記にはない話し、これまでのスティーブ・ジョブズの印象とは少し違った面をも浮き彫りにしている点が評価されているようだ。

本書の中で語られるスティーブ・ジョブズは、これまで我々がイメージしてきた...イメージを植え付けられた感もあるが、感情にまかせて相手を罵倒することが多いというイメージとはかなり違ったジョブズがいる。
例えばジョブズの生涯のメンターの1人、レジス・マッケンナの証言によれば、マッケンナの社員が1度電話でスティーブ・ジョブズに口汚く罵られたことがあった。それを知ったマッケンナは「2度とやるな」とジョブズに注意したそうだが、次に来訪時にその部下のところまで行き、誤ったという。このようなジョブズは我々のイメージとはかなり違う...。

NeXTとピクサー時代にそれまで閃きの変人だったジョブズがビジョナリーおよびCEOに相応しい人間に変貌していったというのが本書のテーマのようだが、我々はなぜApple復帰後にあのような満塁ホームランを打てたのかに興味があるわけだが、本書のページをめくっていくと、ジョブズもジョブズなりに苦悩し、学ぼうと努力している様が伺える。
最高の製品を作りたい。そのためにはAクラスの人材だけを採用したい。そう考える中で妥協とか限界を簡単に口にする相手を許せなかったジョブズの姿が浮かんでくる。

というわけで期待を裏切らない著作だが、重箱の隅を突くつもりはないし、粗探しのつもりでもないもののやはりいくつかの点で気になる部分がある。ここでは上巻の2箇所についてご紹介しておくが、実際の記録という面ではいずれも蔑ろにしてはならない点だと思う。

まず最初は82ページにある「1,295ドルのアップルIIは、1977年4月に発売されるとすぐ大ヒット商品となる」という記述だ。
しかしApple II が "発売" されたのは4月ではなく6月だ。いちおう原書を確認してみると「the $1,295 Apple II was an immediate hit upon its April 1977 introduction.」とある。"introduction" は一般的に考えてもこの場合は「紹介」とか「発表」の意であり販売ではない。

事実Apple II は1977年4月16日〜17日に開催された第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェア(WCCF)でお披露目されたのでありここは「1,295ドルのアップルIIは、1977年4月に発表されるとすぐ大ヒット商品となる」とすべきだろう。
さらにいうなら原著にもこの時の販売価格は1,295ドルと書かれているが、当時Apple自身がBYTE誌に掲載した広告によれば4K RAM仕様の価格は1,298ドルとなっている。

2つ目だが、ここの訳も誤解を生みやすいかも知れない。内容だが、同じく上巻の79ページに以下の文がある。

「法人となったアップルは (中略) スコッティとマークラが人を雇い、会社としての体裁を整えていく。最初の数ヶ月、スティーブは、自分が一番得意とすることに専念した。少人数を集めて、なにかすばらしいものを作るのだ。このとき作ったのはアップルII 〜パーソナルコンピュータというものを世に知らしめたマシンである。」

日本語版を素直に読めば、まずスティーブたちはマイク・マークラらの支援を受けて会社を法人化する(1977年1月3日)。2月に入りCEOとしてマイケル・スコットを迎えるが、体勢が整ったところでスティーブ・ジョブズは「なにか素晴らしいものを作りたい、作るんだと決心し」Apple II の開発を始めた...と受け取れよう。少なくとも私にはそう読めた。だとすればそのニュアンスはまったくの間違いだ。

そもそもマイク・マークラはガレージ時代のAppleに出向きウォズニアクの作ったApple 1やより素晴らしい機能を盛り込んだApple II のプロトタイプ(1976年8月頃には存在していたようだ)に感動してアップルに参画することになった。第一法人となった1月から「なにを作ろうか」と考えたのではその3ヶ月後のWCCFにApple II をお披露目するなど出来ようもない。

念のため原文を参照すると該当部分は " For the first few months, Steve kept doing what he knew how to do best: rally a small crew to produce something wonderful. " となっている。したがって和訳の「少人数を集めて、なにかすばらしいものを作るのだ。」と言い切った表現が分かりにくいのではないか。

ここは「最初の数ヶ月の間、スティーブは、自分が一番得意とすることに専念する。そして素晴らしい "ある物" を開発するために、少人数の仲間を集結した。このとき完成させたのがアップルII 〜パーソナルコンピュータというものを世に知らしめたマシンだった。」でいかがだろうか...。

結果のみに興味があるという方ならこんな些細なことはどうでも良いに違いない。しかしこうしたポイントを蔑ろにすればスティーブ・ジョブズというヒッピー同然の男がいかに苦悩しつつ、ウォズニアクを代表する周りの人間を鼓舞し、ときにおだて、ときに怒鳴り、ときに感動させながら前へと進んでいったのかという姿...過程が見えてこなくなる。

あまり内容に深入りしすぎるとネタバレだらけになるので遠慮するが、本書上巻はスティーブ・ジョブズの出生やAppleを起業した時代から始まり、Appleを去った後にNeXTを立ち上げ、ピクサーを買収、そして古巣で瀕死のAppleに復帰したところまでが描かれている。

その一通りを俯瞰するならApple時代はもとよりNeXT時代もスティーブ・ジョブズは世間知らずの自惚れ野郎でありクソ野郎だった。しかしピクサーを支援する中でこれまでには気づかなかった大切な物を感じ取っていったように思う。ともあれこれまでスティーブ・ジョブズを好きだった人も、嫌いだった人も是非読んでいただきたい1冊である。
下巻もただいま楽しみながら読んでいるが、読み終わったらまた感想などをご紹介したい。




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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形を研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員