早いもので…というべきか、あるいは長く感じたというべきか、ともかくも来週3月6日は愛犬ラテが亡くなって2年目…すなわち三回忌となる。犬を飼いたいと引越までして生後6ヶ月の保護犬を迎え入れたわけだが、これほどまでにオトーサンの人生にとって重要なというか大切な位置を占める存在になろうとは当初考えもしなかった。 ラテと名付けたメスのワンコは例えば縫いぐるみみたいに見るからに可愛いビジュアルでは無かった。幼犬だからしてだろうが頭が大きく目はどちらかといえば腫れぼったく痩せ細っていた。 後から考えればラテとの出会いはなかなかにドラマチックで運命的なものを感じるが、正直オトーサンにとって当時はどのような犬種であっても良かったともいえる。※我が家に迎えて小1ヶ月後に初めて美容室へ。戻った直後の写真 とはいってもいい加減な気持ちで飼い犬を探したわけではない。しかし初めての経験でもあり当初ネットの保護犬を譲って貰おうとしたもののどうにもタイミングが悪く失敗…。 おかしな事にワンコを飼うために最良の環境をと引越までしたものの肝心のワンコが決まらないという有り様だった。 ともあれラテと名付けたワンコを向かえたのが2006年12月10日。医者によれば推定生後6ヶ月だということなので誕生日は2006年6月10日と決めた。 それから15年9ヶ月の間、ラテはオトーサンたちの最愛の娘であるとともに最良の友となった。無論オトーサンはラテを粗略に扱ったことはない。ワンコとして躾は少々厳しかったかも知れないが出来うる限りの愛情を注ぎ込んで育てたが、失ってみてその存在の大きさにあらためて驚いている。※ラテファミリー。2014年3月21日、雪の降った公園で… どこを歩いてもラテとの思い出が沢山詰まっている。だからして散歩するのも些か切なく気が進まない日が続いてきたが先日面白い事に気づいた。 女々しいと笑われるかも知れないが、近隣を歩くときラテのリードを引いているつもりで歩くとなかなかに楽しいのである。いわゆる「エアー散歩」とでも言ったらよいのだろうか。 すでにラテの癖というか習性は分かっているからこういった草むらがあれば…こんなことをするだろう。向こうから別のワンコが来たらきっとこんな感じで吠えるかも知れない…などとあたかもラテと一緒に歩いているかのように意識して歩くとそれこそ当時の神経の使い方といったものが甦ってくる。 そして時にはラテ特有のアイコンタクトでオトーサンに視線を送ってくれる姿が目に浮かぶのだ。※アイコンタクトをしながらの散歩 一匹のワンコがこれほどオトーサンの心深く入り込んだことは自身些か驚くと同時に戸惑ってもいるが、ラテの存在は間違い無くオトーサンの人生の終盤において強烈な光を放って生きる大切さや人を愛する大切さを身をもって教えてくれたようにも思える。 最後にこれまで未公開のものをひとつご紹介したい! これは数年前に近隣でよく出会う小学生の女子から渡されたメッセージカードだ。オトーサンは誰に対しても名前を聞いたり年齢や学校、ましてや住所などプライベートなことは一切聞かないようにしているのでこの女子の名前は知らず、彼女も単にラテというワンコの名を知っているだけに過ぎなかった。出会ったときだけのお付き合いである。※クリックで拡大表示します! ともあれ手前味噌ではあるが、この女子にわざわざメッセージカードを書いてオトーサンに渡そうとした動機があったわけでそれがメッセージによく現れていると思う。 要はありがたいことに、大変嬉しいことにラテはこうして近隣の沢山の子供たちに愛されていたしラテは回りを笑顔にしてくれる存在だった。無論ラテ自身も皆に愛されていたことを知っていたからこそ進んで子供たちに近づいたと思われる。 ラテは実に幸せなワンコであった!
いよいよ今年もあと僅かになった。このアーティクルをアップする23日土曜日の翌日はクリスマスイブとなる。オトーサンたちは別にクリスチャンでもなくただケーキを食べるという程度のことしかやらないが一昨年(2021年)の24日にラテが倒れてから、12月24日は別の意味で特別な日になってしまった。 その日、ちょうど女房も仕事が休みだったこともあって夕方の散歩も一緒に近隣の公園に向かった。とはいえその頃のラテは確実に足腰が弱り遠出はできなかったから形だけの散歩のつもりだった。※2021年12月24日夕刻の散歩の様子 しかし暫くしてラテの様子が変なのに気づいた…。足腰がままならないのはいつもの通りだったが、ゼイゼイといった感じで呼吸が苦しそうに思えた。 女房と相談して散歩は打ち切り、そのまま近所の動物病院に運び込んだが早速診察してくれた医者は「このまま家に帰っていたら死んでたよ」と言った…。 ラテは注射を打たれ、別の部屋でしばし酸素吸入器を宛がわれた。※動物病院で酸素吸入器を宛がわれるラテ 幸いなことに命は長らえたもののその日からラテは寝込むことになった。オムツはもとよりだが食事を受け付けなくなったため点滴に頼らざるを得ない。数度歩けないラテを抱えるようにして動物病院に通って点滴を打ってもらったがそれも大変だと医者の勧めでオトーサン自身がラテに点滴を打つことになった。いやはや、命を繋ぐには欠かせない点滴だとは言えオトーサン自身がラテの体に針を刺すのは辛かった。それでもラテは排泄時には外へ出たかったようで、オトーサンは全体を引き上げるようにしてささえながら外に連れ出したりもした。※自力では立てないのでオトーサンが引っ張り上げながら少しずつ進む しかしこのままではいつ息を引き取ってもおかしくない…。医者もいわゆる老衰だから元に戻ることは期待しないようにと言っていた。痩せ細り寝ているラテを見るのは実に辛かったが、オトーサンたちにできることはなかった。 ただ、期待はしていなかったものの「もしかして…」とオトーサンは寝ているラテの横にドッグフードを牛乳に浸した容器を置くようにした。※オムツ姿で戯けて甘えるラテ 勿論ラテは当初見向きもしなかったが、点滴が一週間を過ぎようとしたときかラテがその牛乳入りドッグフードを食べたのだ! 僅かな量ではあったが完食したのを見たオトーサンは文字通り飛び上がって喜び、量を増やしていったがラテはそれを食べるようになったからか何と立ち上がるようにもなったのだ。 やはり食事ができるようになったことで一時的にしろ体力と気力はかなり戻った感じで室内でのボール遊びに興じるまでになった。 とはいえ一時的なことであるのは明白で結局年を越した3月6日の早朝に息を引き取ったが、ラテ自身ももっと生きたかったのだろうがなによりもオトーサンたちに2ヶ月半ほどの期間、最後最高のサプライズを送ってくれたことになる。※ママちゃんに手を握って貰いながら安心して眠る いや、そもそも12月という月はラテとオトーサンたちにとって中々に縁のある月で、2006年12月10日にラテは我が家に連れて来られて家族になったのだった。 そう考えるとクリスマスがどうのこうのではなくオトーサンたちの人生の終盤においてラテ自身が何とも得がたいプレゼントだったことに思いを馳せている…。
今年も師走になってしまった…。慌ただしい時節であるが本来なら新たな年に向かって気持ちを切り換える時期なのだろうがオトーサンにとっては12月24日にラテが倒れたという事実がいまでも心に何かしらの傷跡を残している感じで素直に喜べないのが残念だ。 まあ、気持ちの上では日々ラテと一緒のつもりで生活をしている。女房の部屋からリビングに続くドアもオトーサンは意識的に少し開けている。 それはラテが行き来できるようにとの配慮なのだ。よく鼻面でその隙間を開いてドアを開け、こちらに顔を出すことがあったからだ。また先日結婚46周年記念として女房がセッティングしてくれた京都旅行へ行った際にもオトーサンの首にはラテの遺骨が入ったペンダントが下がっていた。 そんなラテが15年3ヶ月(推定)オトーサンたちと一緒に生きた証しは思い出だけでなく数千枚にもなる写真と動画に残されている。 しかし最近オトーサンはそうしたいわば二次元の映像だけではなく形、物体としてのラテに会いたくて仕方がない。具体的にいうなら実物大でそっくりな造型物がいてくれたらオトーサンの気持ちも今少し和らぐような気がするのである。 そうした意味で大変残念な思いを拭いきれないことがある。それはラテのまともな3Dデータを残せなかったことだ。 申し上げるまでもなく現在は優秀な3Dスキャナも存在し比較的容易に実在する人物などの3Dデータを取り込み3Dプリンターで再現することができるようになっている。 事実オトーサンもそうした3Dスキャナを所有しているし、すでにいくつかのオブジェをスキャンして3Dプリンターで複製を作ったりしている。※いまでは優秀な3Dスキャナを所有しているのだが… しかし、ラテが亡くなった2022年3月には間に合わず、本格的な3Dスキャナが手元に届いたのは6月になってからだった…。勿論それまでにもiOSによる3Dスキャンアプリも多々試したがラテの全身像を正確にスキャンするまでには至らなかったし、あれこれとラテの周りでオトーサンがガタガタやっているとラテが動いてしまったりして結局きちんとしたデータを得るまでには至らなかったのだ。※iPhoneで作った未完成のラテ3Dデータ 今更悔やんでもどうにもならないことではあるが、数枚の写真から3Dの人物像を作り出せるまでになった昨今だから、ワンコでもできるかどうかを取り急ぎやってはみたが、ランダムな写真群では駄目なようだ。 もし安価でオトーサンの願いが叶う方法や、効果的なアプリなどがあったら是非是非ご教授願いたい🙇🏻♂️ 例えばAdobe Substance 3D Sampleのようなツールはいくつかあるが、写真をあらためて効果的に取り直すことはできないわけで、すでにある幾多の写真を使わざるを得ないから難しい。 まあまあ、そうした3Dデータが取れたとしても現実的には実寸で再現することは難しいし、第一邪魔で仕方がないかも知れない(笑)。でもオトーサンはそうした形あるものとしてのラテに会いたいのだ‼️※2006年12月10日、ラテは我が家族となった。写真は連れて来られた当時に撮影した一枚。 そういえば、このアーティクルをアップする9日(土曜日)の翌日…12月10日は生後6ヶ月(推定)のラテが我が家に茨城から連れて来られて家族になった記念日である。 あの時のラテはさすがに小さかったしその不安そうな表情はいまでも一枚のピンボケ気味の写真に残っている…。
例年に無くこの季節になっても温かいからか、木々の紅葉の色合いが良くないように思える。しかしワンコと散歩するには最良の季節になったわけだが、肝心の愛犬がいないのだから何とも寂しい。そのオトーサンは日々これまでの写真を整理しながらX(Twitter)に数枚ずつラテの写真をアップするのを楽しみにしている…。 残った数千枚の写真を年月および日付順に眺めているとあらためてラテがとても表情豊かなワンコだったことを実感する。無表情、不満足な顔、期待感溢れる顔、眠そうな顔、眠っている顔、喜んでいる顔、笑顔と様々だが、ワンコがこれほど表情および感情表現が豊かなのは当初は分からなかった…※お気に入りのラテの表情をTシャツなどにして日々愛用している 他のワンコの場合は分からないが、ラテは幼犬時代の表情は概して硬く大きな変化はないように思えた。いや、オトーサン側が予備知識もなかったからして見逃していたこともあるだろうが残った写真を眺めてもそれは確かなように思う。 それはラテは保護犬であったし何らかのトラウマも持っていたように思われるから新しい飼い主に心を許すのには時間がかかったのでろうと推察している。 家族となってからしばらくはオトーサンたちが離れることに恐怖を感じるといった態度を見せた。例えば散歩の途中、オトーサンが景色をカメラに収めたいとラテを側の手すりに繋いだりすると猛烈に鳴き出すといった有り様で、近所のコンビニで買い物をと安全だと思われる場所につないでも吠え続けるのでおちおちと買い物ができなかった。 しかし一般に言う分離不安とは少し違った。なぜならオトーサンが少しずつ馴らさせたこともあったが、ラテは自宅にいるときオトーサンが出かけても騒いだり吠えたりはしなかった。要は知らない場所でオトーサンと離れることに大きな不安を持っていたように思う。 そんなラテだったから当時の表情は総じて硬いものが多い。 やはり表情が豊かになったと思うのは3,4年たってからかも知れない。そして確実なことはいわゆる老犬といった年齢になるとその表情は俄然豊かになったように思える。大げさかも知れないが信頼は揺るがぬものとなり、ラテ本来の気質も和らいだのではないだろうか。 初対面の大人には男女を問わず吠えるというのがいつもの事だったが、13歳くらいからは吠える頻度も低くなり、初対面の人にも甘える姿勢を見せることもあった。 そして最晩年というか、倒れて寝込むようになった頃からはこれまでになくその表情には幼さが増したように思う。子供に帰ったとでもいうのか、子犬時代以上に可愛い表情をするしその表情にも細かなニュアンスが含まれているようにオトーサンには思えた。 オトーサンたちにとってはその15年9ヶ月の命(推定)はとても短く思えたが、近隣のワンコたちの情報などを耳にすると中型犬としては随分と頑張ってくれたようにも思え感謝せざるを得ない。
私ら夫婦はいまも朝起きるとラテの慰霊に捧げている生花の水を変え、別途グラスの水を変えている。そして時には話しかけてもいる…。ラテの姿は見えないがオトーサンの足元にあのデカイ体がいるように感じている毎日だ。 繰り返すがラテがオトーサンに与えてくれたものはあまりにも大きいと感じているが、これまた常々考える事は、果たしてラテは幸せだったのだろうかということだ。 いまさら何をバカバカしい…とお笑いになる方もいるかも知れないが、本当なのだから仕方がない。 いま振り返って見るとラテの人生は大別して時期により5段階に分けられるように思う。無論我々夫婦の人生もラテのそれとシンクロしているわけだが…。 今回はそんなあれこれを思い出してみたい。①子犬時代 ラテが我が家に来たのは2006年12月10日だったが、生後6ヶ月だというこの子犬は基本暴れたり夜泣きをしたりという事でオトーサンたちを困らせることはなく良い子だった。しかしこの日記の最初のころに度々オトーサンが嘆いていたように甘噛みが酷くて困ったし、散歩途中に何にでも興味を示し拾い食いにも最大の注意を払わなければならなかった。また広い公園でデビューを果たしたがどのワンコに対してもほふく前進の形を取り、へりくだって近寄るワンコだった。②飼い主との信頼を築く 捨てられたと思われるラテだったからか、一緒に暮らすようになってからも二年ほどはいま思うと互いに遠慮というか試行錯誤の時期が続いた。ラテはオトーサンたちを頼ってくれたもののどこか100%オトーサンたちを信頼というか信用しきれない時期があったように思える。 勿論目立って反抗したりはしなかったが、いま思えば日々が…一時一時が信頼を築く大切な時間だったに違いない。 残っている数千枚の写真を見てもそのことは明らかだ。それはラテの表情に表れている…。我々の顔だって少年から青年、そして壮年と顔つきが随分と変わるものだが、ラテの三歳近くまでの表情はとてもきつい顔をしているのだ。③健康で落ち着いた時代 2013年10月に現在の地に引っ越してきたが、我々ならずともラテの生き方も好むと好まざるとは別に大きく変わっていった。 以前の場所では歩いて15分ほどで広い公園があり、時に10匹以上ものワンコが集まっていた。そうした中でラテが好んだワンコはビーグル犬のハリーちゃん、雑種の大型犬マキちゃん、ボーダーコリーのボーちゃんだった。幼犬時代は前記したようにどんなワンコでもへりくだって近づいていたラテが一歳半くらいになると猛烈に好き嫌いが激しくなりオトーサンを困らせたものだ。 それでもありがたいことに前記のワンコたちならびにその飼い主さんたちと出会うと喜びの表情に変わったものだ。 それが現在の場所からはラテを連れて歩くと片道30分はかかるのでおいそれと足を向けられなくなった。さらにその公園に行ったとしても環境や状況が変わりワンコたちが足を向ける場所ではなくなり、帰りのラテは面白くないと歩くのを拒否することもあった。 しかし思えば、前の環境下では確かにラテはワンコ同士の激しい遊びを楽しんでいたが、現在の地に来てからは体をぶつけ合って遊べるワンコには巡り会えないでいた。 その替わりと言っては叱られようが、未就学児童を含む多くの子供たちに可愛がってもらい、しいては現在も家族絡みでお付き合いいただいているご家庭ができた…。近隣の公園に出向けば「ラテっ!ラテちゃーん」といった黄色い声があちこちから飛んだ。 思えば2013年秋から2018年あたりまでが健康にも恵まれ、日々楽しく過ごせたという時期だった。④老犬の域に入りより落ち着いた犬生を過ごす はっきりとした境界線があるわけでもないが、2019年あたりになるとラテの後ろ右足に難が目立つようになった。足を痛そうに持ち上げることもあり、足を引きずりながら歩く場合も出て来た。 しかし食欲も旺盛で行動も落ち着いた感がめだってきたが、これは体そのものが無理出来なくなってきたことからくるのかも知れない。 この頃はオトーサンたちの言葉は勿論、その時その時オトーサンたちが考えることをラテは理解しているようにも思えたし、反対にラテの吠え方や行動からなにを欲しているのかが分かるようになった。そして真っ白になったマズルも印象的だが、その両眼は穏やかで表情豊かに見え一段と可愛さが増したと言える。⑤虹の橋を渡るまでの悪戦苦闘 2021年12月24日、散歩途中の様子が変なのでそのまま動物病院へ連れて行くとすぐに酸素吸入器にかけられ「このまま放置していたら死んでいた」と医者に言われた。要は心臓が弱っているということで老衰だから治ることは考えるなと印籠を渡された…。 自力でまともに歩けないからと、オトーサンが体を引き上げるようにして路面に出し、排泄はもとより形だけの短い散歩になったし大型犬用のカートや万一の場合にも酸素吸入器も手に入れたがラテの体力は風前の灯火のようだった。 おむつをし、痩せたラテはオトーサンたちにとって益々可愛い存在であり何とか一日でも長く一緒にいたいと願ったが、ついに食べ物も取れなくなり点滴が始まる。点滴は必須となったが日々ラテを病院へ連れて行くのも大変とオトーサンが点滴をすることになった。最初は怖いというより悲しくてオトーサンの手も震えた物だがラテは暴れることもなく一言も声を上げなかった。 長い間の習慣も含めておむつの中の💩の感覚が嫌だったのだろうが、本来立てないはずのラテがむくりと立ち上がり玄関へヨタヨタと向かうとオトーサンたちは急いでラテを外に連れ出すこともあった。無論おむつに排泄する場合も多くなったが綺麗に始末をするまでラテは悲しい声を上げた。 ともかく固形物を食べなくなり一週間が過ぎ10日が過ぎ、見るからに衰弱していく様が悲しかったが、オトーサンはもしかして…とドッグフードを牛乳に浸した小丼を寝ている脇に置くことにした。無駄を覚悟でそんなことを数日やってみたが、ある日いきなりそれを完食した! 結局そのおかげでラテは2ヶ月ほどオトーサンたちにサブライズをしてくれ翌年3月6日に亡くなった。 やはり辛かったのだろうし、もしかしたら自分の寿命を感じ取っていたのかも知れないが夜泣きに2ヶ月悩まされたが、それもいまでは懐かしい思い出となってしまった。 3月6日の午前3時ころか、相変わらず夜泣きを始めた。様子を見に行くとどこかいつもと違うように感じたオトーサンは椅子に座り、その膝に軽くなったラテの骨張った体を乗せて抱き上げてあげると大人しくなった。そのまま15分ほど抱いてあげたが、その2時間ほどの後に危篤状態となり酸素吸入やらの甲斐も無く静かに息を引き取った。 というわけでラテがどう思っていたかは分からずじまいだが、オトーサンの見るところラテは数は少ないものの親友というべき3匹のワンコと知り合えたし、多くの子供たちを始めとして行き交う人たちに可愛がっていただいた。子供たちに跨がられても、尻尾や耳を引っ張られても声を上げたり怒ったりしないというフレンドリーさもあっただろうが、皆に愛され幸せだったと思いたい。