[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ第1部 ー 第29話 現実歪曲フィールド

還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会う。厄介なのは加賀谷が持っていたiPhone 6s Plusをスティーブが見てしまったことだ。この事実が過去と未来に悪影響を及ぼすのだろうか。そんな危惧をよそに初対面の加賀谷をスティーブは自宅のガレージに引き入れた…。そして一緒に働くことになった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第29話 現実歪曲フィールド
Macintoshプロジェクトは相変わらずスティーブ・ジョブズとジェフ・ラスキンとで主導権争いが続いていた。しかしどう考えてもラスキンに勝ち目はなかった。私もラスキンから相談を受けた手前、何とか穏便にことを納められないかと画策してみたが妙案は浮かばなかった。

まだ社長のマイク・スコットが在職していたときのことだが、ラスキンもスティーブによる数々の圧力と妨害工作を受けつつ抵抗はした。目立ったこととしてラスキンはMacintoshプロジェクトを率いる能力がスティーブ・ジョブズにはないとした10項目ほどにわたった論証を文書でマイク・スコットに提出した。1981年2月19日のことだった。
私自身はその原文を見たことがなかったが後で聞いたところによれば以下のような内容だったという。

 1)常習的に打ち合わせのスケジュールを破る
 2)考えずに行動することで誤った判断が多い
 3)他人の成果を認めようとしない
 4)感情的に反応する
 5)一見温情的であるかのようだが不合理で無駄の多い判断をする
 6)人の話を聞こうとしない
 7)約束を守らない
 8)権威主義的な決断を行う
 9)すべての見込みに裏付けがなく楽観的
 10)無責任で思慮不足
 11)したがってソフトウェアプロジェクトのマネージャーとして最悪

この内容から想像すればラスキンは以前スティーブ・ジョブズが提案したように、すなわちハードウェアはスティーブが、ソフトウェアをラスキンが担当するということでやむを得ずとはいえ納得していたように思える。

ともかく論証メモの内容をスコッティから知らされたスティーブは怒り狂った。当のスコッティはこの厄介な問題をマイク・マークラに振り自分は関わらないようにした。それは厄介な話しから距離を置きたかったというだけでなくLisaプロジェクトからスティーブを外したことでもあり、自分の裁定ではスティーブが納得しないであろうことを考えたからだ。

「トモ、ラスキンって奴は思っていた通りのクソ野郎だ。大クソ野郎だぜ。こうも真っ向から俺の悪口を書かれては黙っていられない。これからマイク(マイク・マークラ)に奴をプロジェクトから外せと言ってくるよ」
スティーブは私のオフィスのドアを勢いよく閉め、大きな靴音をさせながらマイクのオフィスに入っていった。

スティーブはこれほど正面から自分の弱点を指摘されたことはなかったこともあって事の原因はともあれ怒るのも当然だと思えた。しかし反面ラスキンにしてみれば彼がスティーブに反論できることはこうしたことくらいしかなかったのだ。
その少し前、私が受付のシェリー・リビングストンと雑談していたとき、ラスキンが近寄ってきていった。
「トモヒコさん、少しお話しがしたいんですが」
正直私はラスキンとの話しよりシェリーとバカ話をしていた方が楽しかったが、仕事だからしかたがない。

受付が見えるホールの片隅にあるコーナーに我々は座った。後ろは壁だし左右に見通しは効いたものの、通る人たちに注視をすれば我々の話を聞かれる心配はほとんどなかったからだ。それに密室で彼と話しをするという事実はスティーブへの手前避けたかったからこうしたオープンな場所は好都合だったのだ。

「ジェフ、私がアドバイスできることがなくて心苦しいけどスティーブは着々とプロジェクトを自分が率いる準備をしているようだね」
私の話をラスキンは肩を落として聞いていたが、
「あなただからいうけど、私もこれほどスティーブが狡猾だとは思わなかったです」
といい大きなため息をつきながら、
「トモヒコさん、現実歪曲フィールドという言葉を聞いたことがありますか」
無論2016年からタイムワープしてきた私はその語句や意味を知っていたが、これまでアップルの社内で聞いたことはなかった。
咄嗟に私は、
「いえ、聞いたことありませんね」
と答えていた。

「トモヒコさんでも知らないことあるんですね」
嫌みないい方ではなく、私を買いかぶっている様子が見て取れたが私は苦笑するしかなかった。
「まったくスティーブのやり方には怒りしか感じません。一言でいうなら他人のアイデアを平然と盗むんですよ」
私の無言の促しにラスキンは小声ながら雄弁に話し出した。
それによれば、スティーブ・ジョブズは他人からの提案や意見を一蹴し鼻であしらっておいて、その数日後には (素晴らしいアイデアを考えついたよ)といいながらその主張を自己のアイデアとして通すというのだ。

私自身にスティーブはそうした思いをさせたことはなかったから気がつかなかったもののMacintosh用のBASICを開発していたプログラマーのドン・デンマンやアンディ・ハーツフェルドからも同様の話しを聞いたことがあるので本当のことらしい。だからドン・デンマンいわくスティーブに認めさせたいアイデアがあったら彼に話し、ダメだと一蹴させればよい。そうすれば一週間後にスティーブ自身が (よいアイデアを思いついた) とその案を披露し採用するからという皮肉を言っていた…。

「スティーブのこの卑怯な戦法が意識的なのか、あるいは無意識な行動なのかは分からないんですが私たちはこれを “現実歪曲フィールド” と呼んでるんです 」
ラスキンは (この後でマイク・マークラに呼ばれている)といいながら、(愚痴を聞いてくれてありがとう)と席を立った。このとき “現実歪曲フィールド” という名付け親はジェフ・ラスキンなのかと思ったが、後にアンディ・ハーツフェルドからバド・トリブルの命名だと聞かされた。

しかしスティーブを擁護するわけではないが、物事を見極めビジョンを具現化する道のりは単純ではない。スティーブにしても思いついたあれこれを翌日には否定することで知られているが、要はひとつの考えに執着する危険性を廃し、可能な限り様々な可能性を求める姿勢のために他人の意見をも躊躇なく取り入れる結果なのかも知れない。
無論最初その意見をいった本人からすれば自分のアイデアを奪われたと思うだろうし結局そうなのだが...。

私が (やれやれ) とため息交じりの重い気持ちで立ち上がったとき、受付にいるシェリーが手招きしているのに気がついた。
「ため息はいけないな…(ため息は命を削る鉋かな)という川柳かなにかがあったな」
私は自虐的ないいかたをしながらシェリーの前にいくと彼女はどうやら私の振る舞いを見ていたようで、
「話しは聞こえなかったけどジェフの話しはあの件しかないわよね。だけどトモ、あなたが気落ちする問題ではないわよ。それに、スティーブはもとよりだけどジェフも自尊心の強い人よね。いずれは衝突するということは誰が見ても明らかよ。両雄並び立たずってことだからトモが気を遣う問題ではないのよ」
となぐさめてくれた。

ちょうど外出先から戻ってきたロッド・ホルトが受付カウンターに両肘をついてシェリーと話しをしている私を見ながら、
「お二人さん、仲がいいねぇ」
ウィンクしつつ茶化しながら奥に入っていったが周りにほんのりとキャメルの香りが漂った。

そういえば “現実歪曲フィールド“ の意味だが、ジェフ・ラスキンやバド・トリブルらがいうところのニュアンスと私がワープする前、2016年あたりに意味していたものとはかなり違うことに気がついた。
理屈から考えれば「フィールド(field)」とは電場・磁場・重力場などの「場」を意味すると考えられる。そしてその前に「現実歪曲」と付くのだから文字通りその意味は「現実や事実を歪めてしまう場」といった意味になる...。
したがって近年私たちが認識している「現実歪曲フィールド」とは、スティーブ・ジョブズの持つカリスマ性が現実世界に及ぼす影響力を意味する言葉であり、不可能を可能にする交渉力といったニュアンスで使われていたはずだ。
例えば (ジョブズの現実歪曲フィールドが発動するや否や、一瞬で無理が有理に変化した…) などと使われるように。しかしラスキンらの話しではよい意味というより、人のアイデアを自分のアイデアとして転化し、ごり押しをすることだというニュアンスだったのだ。

そんなことを考えながら自分のオフィスのドアを開けようとしたとき、ひとつ離れたオフィスのドアが開きマイク・マークラが渋い表情をして手招きしていた。
今日はよく手招きされる日だと苦笑しながら私はマイクのオフィスに入るとそこはタダならぬ雰囲気だった。マイクの他、スティーブ・ジョブズと先ほど話したジェフ・ラスキンが睨み合っているではないか。

「トモ、頼むから君もこの場にいてくれないか。俺ひとりじゃ収集がつかないからな」
私が同席すれば少なくともスティーブはそうそう無茶なことはいわないだろうというマイクの思惑だったようだが、哀願するような顔でいわれたからには仕方なく空いている椅子に座った。マイクは自分の席に座りながら、
「二人の話を聞き、解決策をと考えているんだが話しが拗れすぎてしまったよ」
と私に向かって呟いたが、どこか諦めの気分が漂っていた。
ジェフ・ラスキンも私に視線を向けつつ、
「会長のスティーブとこうしてやりあって分が悪いことは私でもわかります。しかしスティーブのやり方はフェアではないし企業のトップがやるべきことではないでしょう。もっと正々堂々とプロジェクトのリーダーになりたいのなら正攻法で責めるべきです」
と口火を切った。
スティーブはと見ればすでに涙目になっている。どうにも彼は子供っぽいところがあり、自分の思うようにならないとすぐ泣くというのがスティーブの特技だと皮肉る人もいた。

ラスキンは、
「まずスティーブは人間として約束を守らなければなりません。自らハードウェアは自分が、ソフトウェアは私にと宣言したのにもかかわらず次第にソフトウェアにまで口を出すそのやり方は許せません」
一息入れて続けた。
「それに皆さんご存じのようにMacintoshプロジェクトは私が立案し私がスコッティやマイクの許可を受けて始めたものです。理由もなく誰にしても横取りされる覚えはありません。ましてや私の仕事自体までをも邪魔するというのではApple会長の名が泣くでしょう。こんな状態では私は一日たりともスティーブと一緒に仕事はできません」
「俺だってそうだ…」
スティーブも言い張ったがその言い方はどこか弱々しかった。

マークラの決断は予想されたものだったが、彼の立場からすれば他の選択肢はなかったに違いない。1時間ほどのミーティングが終わったときMacintoshプロジェクトのリーダーはスティーブ・ジョブズの手中にあった。マイクもこれが公正な決断であるとは思っていなかっただたろうが、社内のもめ事をこれ以上大きくさせ長引かせるわけにはいかなかった。
ラスキンには一週間の休暇しか与えられなかったしこれまでの苦労に対する賞賛の一言もなかった。肩を落としたラスキンは私の方にチラッと視線を送りながら会釈し静かにマークラのオフィスを出ていった。
休暇から戻ったラスキンには新しい研究部門のリーダーというポジションが提示されたが、ラスキンにとっては魅力のあるものではなかった。どうせ注目を浴びるプロダクトを考え出せばまたスティーブがずかずかと乗り込んでくるとも考えた。

結局翌年の1982年3月、ラスキンはAppleを去った。そして生涯アイコン操作のGUIよりも優れたインターフェースがありうるとし、かつMacintoshのコンセプトは自分が考えたものだという主張を繰り返したがすでに見てきたように製品化されたMacintoshはラスキンのコンセプトとはまるで違ったものだったしことの是非はともあれ、それは誰が見てもスティーブ・ジョブズのマシンだった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ第1部 ー 第28話 巨人の足音

スティーブ・ジョブズは稀代のビジョナリーであり、未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです

■第1部 ー 第28話 巨人の足音
Appleは忙し過ぎた。1980年から1981年初頭は株式公開、Apple IIIの失敗、魔の水曜日、ウォズの飛行機事故そしてApple最初のCEO マイク・スコットの辞職と大揺れのAppleだった。しかしApple II の売上げが依然としてAppleを支えていた。ウォズがただただ好きでやった仕事の結果のApple II が...。

ちなみに少し先の話だがそのウォズは1981年の秋には大学の4年の課程を終えるため、カリフォルニア大学バークレー校に復学するという。ただしスティーブ・ウォズニアックとしてではなく、学生たちや教授陣の特別な目を避けるため仮名で復学を計画していた。そしてAppleはといえば41名もの解雇者を出したその後、あらたに多くの社員を新規に採用し心機一転の心意気を見せようとしていた。

そんなある日、私が自分のオフィスに戻ろうとして受付前を通ったときシェリー・リビングストンがカウンターに入ろうとしているところに出会った。
「あら、トモ…まさかあたしを見て素通りする気ではないわよね」
快活なシェリーは私の反応を待たずに、
「トモ、今日は素敵なスーツ姿ね。どうしたの、そのまま結婚式にも出られるわよ」
「ジジイをからかってはいけないよシェリー」
私も少し無駄口をたたきたかったので受付カウンターに片肘を置いてシェリーに向き直った。
幸い周りにはだれもいなかった。

「だってスーツ姿で会社にくる人などここには数えるほどしかいないから目立つのよ」
「確かにね。爺さんになると姿形くらいピシッとしていないとシェリーにも嫌われるからさ」
私は自分の子供といってもおかしくない年齢のシェリーに笑いながら冗談をいった。
実際仕事とはいえ、スティーブはもとよりマイク・マークラらとの会話は気が抜けない内容ばかりだったから、たまにはこうして軽口をたたきたい気分になる。それにスコッティの退職やウォズの飛行機事故などのあれこれでシェリーと接する機会も多くなりこうしてお互い冗談をいえる間柄になっていた。

「あら、ご謙遜なこと。しかしこの本社にいる経営陣の中では確かにトモは一番年上よね。だからこれまた目立つのよ。ここは若造のたまり場だもの」
自分の言い方がおかしいのかシェリーは小さな声を出して笑った。
「私は経営陣ではないよシェリー、単なるCIOに過ぎないよ」
とことわりつつ、
「でもそうだねぇ。ロッドより私は一回り以上の年上だからApple唯一のジジイかもね」

「でもさあ...トモ」
シェリーはどうしたのか急に声を潜め、周りを確認してからいった。
「トモ、あなた自身は気づいていないようだけど私の知っている大方の人は例のセミナー以降、皆あなたに一目置いてるのよ。奴を侮ってはならないと…」
私に向けられた真剣な視線をまともに受け止められずにその視線を外しながら、
「確かに私はCIOというよりいまだにスティーブ直属のただ1人の人間だからね。それを別にしたらやはりただのジジイだよシェリー」

「そうよねぇ。あなたって私と一緒にマニュアルをタイプしてくれたし、他の人と争ったところを見た事もないわ。まあそれがここでは特別なのかな」
自分の言葉に納得したのかシェリーは笑顔に戻った。
「でもね、トモ。あなたはこのAppleの他の連中とは違った時代を生きているような、すべてを見通している目をもっていると皆はいってるわよ」
訝しい顔を向けた私にシェリーは、
「例えばランディやダンも...そうロッドもいってたけど、あなたの言うことって正確で的確だから怖いって。それにPARCから来たラリー・テスラーもあなたを気に入っているようね」
私は少々ドキッとしたが、
「違った時代か。シェリー、それは私がここで浮いている証拠だよ。それに単に年上だから皆ジイサンに優しいのかも知れないね」
「それに、男ばかりに興味を持たれても面白くないな」
私はそう笑うとシェリーは真顔になり、
「いえ、トモもすでに話したことがあるようだけどMacintoshプロジェクトにいるジョアンナ・ホフマンもあなたに興味津々だったわよ」
「年寄りをからかうものではないよシェリー」
わざと大声を出しながら受付カウンター前を後にした。

直後、ランディ・ウィギントンに呼び止められた。
「トモ、丁度良いところで会ったよ」
「ランディ、元気そうだね」
私の挨拶も面倒だという感じてランディは顔を近づけていった。
「トモ、覚えてるかい。2年ほど前になるのかなdisk II の検証時にさ、フロッピーディスクの片側に切り込みをつけて裏返しにすれば143KBが倍使えるとあなたが教えてくれた件だけど」
「もちろん覚えているよ。便利にしているかい」
「いや、ビル・フェルナンデスらとも話したんだがトモって凄いなあと...」

私は何のことかが分からないので困った顔をした。
「あのさ、フロッピーディスクの裏側も利用するのは良いけどナイフやハサミだと失敗するときもあるといったらあのときトモは (そのうち安全に同じことが出来るツールが出てくる) と言ってましたよね」
「ああ、それがどうしたの」
私にはまだ話しの流れが分からず問い返した。
「いや、先日コンピュータ関連の周辺機器を作っている人と知り合ってさ、たまたま聞いたんだけどトモが予言したツールが “Nibble Notch” という名で売り出す計画を立ててるというんだ。雑誌への広告も年末までには出したいっていってたんだ」
「なるほど、そんなことか」
私は話しが見えたので安心して答えた。
しかしクリスは私の予言が当たったと嬉しそうな顔をしている。
「クリス、あれは予言ではないよ。世の中同じことを考えそれをビジネスに繋げようとする人たちが必ず出てくるという意味さ。だから予言ではなく予測、悪く言えば当てずっぽうだよ」
まだなにか言いたそうなランディを残して私は笑いながらオフィスに向かった。

自分のオフィスに戻る短い時間でふと考えた...。もし私がこのまま元の時代に戻れなかったら、いや戻れたとしてもAppleの歴史というか軌跡に私という人間がいたことが記録に残されるのだろうかと。いや、もし (私には幸いだが) 元の時代に戻れたとしたら、いまここにいるスティーブやシェリー、ランディたちの記憶の中にトモヒコ・カガヤというジジイの記憶は消されてしまうのだろうか。そう考えるとちょっと虚しくなってきた。

自分のオフィスに入る前にちょっとした報告をしようとスティーブのオフィスを覗くとスティーブ・ジョブズとマイク・マークラがいた。2人とも機嫌が良いみたいで「お帰り」と声をかけてくれた。
「どうしたんですか、お二人とも今日はいい顔してますよ」
私がいうと、マイク・マークラは少し恥ずかしそうな表情になったが、
「スコッティが抜けた後の新しい人事がきまったんだよ、トモ」
というと隣のスティーブ・ジョブズも満足そうに笑顔を向けた。なかなかこうした和やかな場は近年のAppleにはなかったので私は少々訝しい顔をしたのかも知れない。

それを察したのかマイクが戯けたように、
「シリコンバレーの名士殿が26歳の若さでAppleの会長になられたんだよ」
その物言いを受けてスティーブは
「マイクがCEO就任を受けてくれたんだ、トモ」
「それはおめでとうございます。マイク...そしてスティーブ」
私は2人の手を順番に握った。要は新しいAppleの社長がマイク・マークラ、そしてスティーブ・ジョブズは会長に就任したのだ。

マイクは、スティーブの机上にある電源が入っていないApple II のキーボードを指で押しながら、
「僕はこうした役割には就かないと決めていたんだが、残念ながらいまは適当な人がいないようだ。スティーブと話し合ってきたんだがあくまで暫定的な措置なんだよ」
言い訳をいいながらもマイクはどこか嬉しそうだった。そして、
「スティーブとも意見が一致したんだがApple III の苦い教訓から研究開発費も大幅に増やすことになる。なによりも世界がびっくりするようなコンピュータを作らなければな」
スティーブもマイクの発言を受け、
「そうだよマイク、俺たちが素晴らしい製品を開発できる実力があることを立証しないといけないんだ。Macintoshがまさしくそのプロダクトになるんだ」

「万々歳じゃあないか」
私も明るいAppleが好きだ。Appleの2人の雄が一緒に和気藹々未来に向け建設的な話しをしているのを聞くのは久しぶりだし心底嬉しかった。だから自然に拍手をしていた。
スティーブは私の拍手を笑顔で制止しながら、呟いた。
「トモ、しかし手放しで喜んでいる場合でもないんだよ」
私にはいま彼らが心配していることが分かっていた。この時期Appleが自社の計画を遂行していくなかでひとつの壁が見えてくることは歴史が証明していることだった。

私の表情を見て取ったのかマイクは、
「なんか、トモはすでに分かっているようだなスティーブ」
と声を出した。
スティーブ・ジョブズは苦笑いしながら
「トモは未来が分かる男だからな」
とふざけてみせた。

スティーブとマイクの顔をみながら私はいった。
「IBMの参入だね」
「承知のように我々はIBMがパーソナルコンピュータ市場に参入してくることは早くから予想していたことだ。いまさら驚くことではないがLisaを早く完成させないとならんな」
マイク・マークラが真顔でいった。
「いや、出荷はMacintoshの方が先になるよ」
スティーブは口を尖らせていったが続けて、
「確かにIBMはコンピュータの雄だよマークラ。だけどあの巨大企業にパーソナルコンピュータの粋が分かってたまるものか。どうせクソな製品しか出てこないよ」
相変わらずのスティーブの弁だった。
しかし歴史の結果を知っている私はその巨人IBMの足音が遠くから聞こえるような気がした。
「でも絶対に侮ってはいけませんよ」
と思わず強い口調で答えたが、2人にあまり緊張感は感じられなかった。

IBM PCは1981年8月に発表されたが、その際Appleは余裕を見せるつもりだったか "Welcom IBM" と題した広告を掲載した。

Welcome,IBM. Seriously.
Welcome to the most exciting and important marketplace since the computer revolution began 35 years ago. And congraturations on your first personal computer. Putting real computer power in the hands of the individual communicate and spend their leisure hours. Computer literacy is first becoming as fundamental a skill as reading or writing. When we invented the first personal computer system, we estimated that over 140,000,000 people worldwide could justify the purchase of one,if only they understood its benefits. Next year alone,we project that well over 1,000,000 will come to that understanding. Over the next decade ,the growth of the personal computer will continue in logarithmic leaps. We look forward to responsible competition in the massive effort to distribute this American technology to the world. And we appriciate the magnitude of your commitment. Because what we are doing is increasing sosial capital by enhancing individual productivity. Welcome to the task.
Apple Computer.

「ようこそIBM様。コンピュータの革命が35年前に始まって以来、最もエキサイティングで重要な市場へようこそ。 貴社初のコンピユータ発売にお祝い申しあげます...」


に始まるAppleの広告は話題性こそ大きかったがその余裕、状況軽視が仇になり急速にシェアをIBMに奪われていった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第27話 コーブンに会う

スティーブ・ジョブズは稀代のビジョナリーであり、未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第27話 コーブンに会う
「トモ、ちょっと頼みがあるんだが…」
久しぶりに休暇が取れた日曜日の午後、私の自宅をスティーブが訪れた。
そう言えば彼が我が家を訪れたのは引越直後にお祝いを持って現れてからは初めてだった。

スティーブの豪邸とは比べものにはならない小さな借家だったが、私はそのお気に入りのリビングルームに彼を誘い入れた。
「おい、俺ははじめてみるが、これは君の奥さんかい」
小さなフレームに入れてテーブルの端に置いてあった女房の写真に気づいてスティーブは聞いた。
「ああ、たまたま名刺入れに若い時の写真が一枚入っていたのに気づいてね…」
「ふうん。子供みたいに見えるな...可愛くてさ」

スティーブ精一杯の世辞なのだろうが、私が反応する間もなくソファーに座り込んで話し始めた。
「トモ、休みなのに悪いがまずは君が仏教とか禅についてどう考えているのか教えてくれないか」
スティーブは真面目な顔をしていった。

確かに私は日本人だが、あらためて日本文化とか仏教や禅といったことを急に話題にされてもきちんと勉強したわけではないので実に心許ない。
「スティーブ、君が仏教とか日本文化について興味を持っていることはよく知っているけど私は単に日本人というだけで詳しくないから雑談しかできないよ」
私は最初に言い訳めくが釘を刺しておいた。
「ああ、それでいいんだ」
スティーブはリラックスした姿勢をしながら窓の外を眺めた。
「相変わらずひとり暮らしで何もないけど、ワインでもあけようか」
私は先週買いだめした赤ワインのボトルとワイングラス2つを持ってきてスティーブの前にあるテーブルに置いた。
グラスが汚れてないかを確かめながら私は、
「何が知りたいの、スティーブ」
と聞いた。

「トモ、君は俺がコーブン(知野弘文=乙川弘文)を禅の師と仰いでいることは知ってるよな」
「知ってるよ。前にも聞いたことがあるしスティーブ、君が知野さんを知ったのは確か私が君のガレージ前に現れた年の数ヶ月前だったみたいだね」
「うん、禅センターに行った時に知り合ったんだ」
スティーブは私がワインをグラスに注ぐのを待ちきれないかのように手を出した。

「久しぶりに近々そのコーブンと会う約束をしたんだけど、トモ...君も一緒に来てくれないか」
スティーブはあの人を射貫くような視線を一瞬私に向けたが、すぐに穏やかな表情に戻った。私は何だか禅や仏教を勧誘されているみたいでこそばゆい感じをしつつ、
「それはかまわないが、私を誘うなにか意図があるのかい」
思ったことをストレートに言ってみた。
スティーブと四六時中付き合ってきたが、彼に対して日本人特有の遠慮はすべきでないことを勉強したし、スティーブ自身も曖昧な物言いを好まなかったから極力ストレートに発言するよう心がけていた。

「いや、まさか君に禅を勧めようというんではないんだ」
私の考えたことが分かったのかスティーブはワイングラスを目の高さまで上げて、
「いつかコーブンと電話で話したとき、トモのことが話題になったんだ。彼が君と会ってみたいというんだ」
そういいながら一杯目を飲み干したスティーブは自分のグラスに自身でワインを注いだ。
私は自分が苦笑したのをスティーブに知られないようにと顔の向きを変えたが、
「嫌かい」
スティーブは私の心を読んだかのようにいう。

私はスティーブの真正面に椅子を向けて彼の視線を跳ね返すように話し始めた。
若い頃に私は宗教といったものの魅力と怖さを知った。スティーブがそうだったように自分という人間は何者であるのか、どのような人生がこれから待っているのかを知りたくて、というより自分の未来に大いなる不安を抱いて聖書を読んでみたり弘法大師空海の生涯を追ったりした時代があることを話し始めた。
要はどのような宗教もそれを信じた人と信じられない人の間には大きな壁ができること、特定の宗教の信者になったために人格が変わった人も見てきたこと。本人が幸せならそれでよいのかも知れないが、仏や神に依存しすぎ、ましてや新興宗教にのめり込みすぎて家庭まで壊した人を見聞きしてきただけに宗教とて人生万能の薬ではないと肝に命じていることを話した。

「なにかを信じることは悪い事ではないけど、そのために他の世界が見えなくなったり人の意見に耳を傾けないのでは何の為の宗教なのかと思うんだ、スティーブ」
両手の指先を合わせながらスティーブ・ジョブズは私の話を黙って聞き続けた。
「スティーブ、私は君に説教をする気はさらさらないけど、人生の師は決して僧侶だけではないと思うんだ。無論両親や学校の先生、ビジネスの先輩たち、近所の老人たちもそうかも知れないし時には友人たちこそが自分にとって人生の師でありうるときもあるんじゃあないかな」
私はまだ口をつけていなかったワインをひとなめして続けた。

「特に僧侶という立場は我々凡夫にとって、ああ “凡夫” って意味分かるよね」
スティーブは頷いた。
「しかし僧侶という立場は我々凡夫にとって学校の教師や近所の老人、友人たちとは比較にならない影響力を持っているんだ。なにしろ僧というのは本来仏教の戒律を守る、男性の出家者である比丘、女性の出家者である比丘尼(びくに)の集団のことを意味するから職業でもない…。そして一般人には絶えられないきつい修行を続け人の欲望をコントロールでき人生の意味といったことを悟っているというのがあるべき姿だよ。だからこそ人々に尊敬されるわけだし、我々は僧侶を大学の先生に対するのとは違った立場で相対するわけだね」

スティーブは穏やかな微笑をたたえながらいった。
「トモ、君は僧侶が嫌いなのかい」
私は明確な言葉でそのことを言わなかったが、私の意図をスティーブは理解したようだ。
「トモ、君の僧侶や宗教に対する危惧は俺も分かってるつもりさ。僧侶とて人間だし食事もすれば宗派によるようだが女も抱くだろう。だけど俺の知らない世界を知っていることも事実さ」

ワイングラスを見つめながらスティーブは、
「それに俺は一時期、日本に行って僧侶になろうとしたこともあったしダンと一緒にインドまで行ったけど正直宗教やスピリチュアルなあれこれには幻滅して帰ってきたんだ。だから俺は仏教をそのまま信じているわけでもないんだ。そうそう、俺の考え方が間違っているのかも知れないが俺にとって禅は宗教というより心身共に自分を磨き上げるメソッドだと捉えているんだ。禅に魅せられたのは知的理解よりも体験に価値を置いていたからなんだよ」
一気に話したスティーブはソファに座り直して続けた。

「前にも話題にしたが俺も仏教に関する本を大学の図書館で読みあさったよ。『あるヨギの自叙伝』『宇宙意識』『タントラへの道』『仏教と瞑想』そして『禅マインド ビギナーズ・マインド』などかな」
さすがに複数の著名をすらすらと話すスティーブだったからそれらを本当に熟読したんだろうとあらためて感心した。
「しかし、だ。トモ、俺は知的理解...そうだな、頭でいくら理解しても実践なくしてなにも変わらない変われないことを思い知ったよ。いくら本を読んでもそれだけでは現実は変わらない。その点禅は実践を重視するだろ、そこに科学的なニュアンスを感じたんだ。その頃の俺に一番足りなかったのは知ることではなく体で体験することだったんだ。どうだ、おかしいかな」

「そうだなあ、私には明言する資格はないけど禅ももともと禅宗といって坐禅を基本的な修行形態とする宗教だよね」
私は若いときに興味本位で知った裏覚えの知識を絞り出しながら話しを続けた。
“禅” とはもともとサンスクリットの dhyāna(ジャーナ、パーリ語では jhāna)の音写であり、音写「禅那(ぜんな)」の略である。さらに禅那を今風に和訳すれば “瞑想” ということになる。
「ただし受け売りだけど、禅はまさしく体験によって伝えるものこそ真髄だとする “不立文字(ふりゅうもんじ)” を強調するから、瞑想と禅は別物だというのが専門家の通例のようだね」

スティーブは私に言われなくとも禅の歴史やその成り立ちに関しても知っていたから話しそのものは難しいものだったがお互いに理解はできた。
私は小腹が空いてきたのでワインに合いそうなスナックを取りだしてテーブルに置いたが、スティーブは見向きもしなかった。

「スティーブ。これは私がワープしてきた2016年当時の情報だが、禅というより...瞑想には科学的な “効果・効用” があることが証明されたらしいよ。無論昔から精神統一に良いとか呼吸法が健康に役に立つといった話しは多々あったけど、アメリカの研究者がいくつか重要なことを発見したというテレビ番組を見たよ。確か “マインドフルネス” というんだが...」
私が口にしたスナックを横目で見ながらスティーブは (体によくないよ) とでもいうように両肩を上げた。

「最新の脳科学の研究で宗教性を廃したマインドフルネスは脳を改善し鬱病の再発防止やビジネスにおいても効率をアップさせる効果があることが証明されたらしいね。とはいえスティーブ、禅も仏教ならその究極は悟りを開くことが目的だろう。しかし君は禅から何を学ぼうとしているの」
スティーブは少し考えた後で笑いながらいった。
「そうだな、最初はともかく自分の気持ち、心を落ち着かせたいと思っただけなんだ。当時の俺は常に心穏やかでないガキだったからな。しかし正直にいえば、俺は当時何かにすがりたかったんだ。だから『禅マインド ビギナーズ・マインド』の影響を受けてロスアルトス禅センターに行った時にコーブンに出会ったんだよ。俺にとっては実に神秘的でさ、今まで出会ったことのない類の人だと思ったよ」

私はその頃の彼の心の葛藤を分かるような気がした。自分の来し方と未来が果たしてどうなのか。自分が何者で何を成すべきかも分かっていない若者がなにか拠り所となるものが欲しかったに違いない。
スティーブと2人だけで長い話しをするのは久しぶりだったが、数日後に彼と禅センターに同行することを約束して別れた。
帰り際にスティーブは真面目な顔で、
「だけどトモ、よい機会だから白状するけど、俺にとっての一番の師は...トモ、君なのかも知れないな」
そんな呟きを残してスティーブ・ジョブズは帰っていった。車の爆音を響かせながら。

一週間後、スティーブも久しぶりのようだったが彼の車に乗り一緒に禅センターに向かった。カリフォルニアの空は絵はがきの写真みたいに青かった。
知野弘文は小ぎれいな袈裟を纏い、両掌を組みながら笑顔で我々の前に現れた。
写真を見て想像していたとおり小柄な人だったが全身から活力がみなぎっているように感じられた。私はどう挨拶してよいか迷ったが右手を差し出しながら「加賀谷友彦です。お目にかかれて光栄です」といった。
知野は「ようこそ、おいでくださいました」と独特なイントネーションの日本語でいいながら軽く合掌した後に私の手を力強く握った。
「ここで日本の方に会うのは久しぶりです。スティーブから貴方のことを聞き一度お会いしたいと思っていました」
と今度はスティーブにもわかるようにとの配慮かブロークンな英語でいいながら、
「こちらへ」
私たちを日本間でもなければ洋風でもない質素な一室へ誘った。

どうやらコーブンは私の年齢が気になったようだ。Appleの社員としては確かに異例の高齢者であることは間違いないし、そうした人材を何故スティーブ・ジョブズが気に入り全幅の信頼をしているかに不審を持ったらしい。もしかしたら怪しい人物に丸め込まれているのではないかと危惧したのかも知れない。
とはいえまさか (私は2016年の未来からタイムワープしてきた人間です) と白状するわけにはいかない。第一スティーブとの約束ごとでスティーブの承諾なく本当の事を話してはならないと決めていた。そもそも本当の事をいったところで頭がおかしいジジイとしか見られないだろうが。

私といえば反対にスティーブが信奉するコーブンという僧侶とは実際どのような人物なのか、スティーブがなぜそんなにも高く評価しているのかを見極めたいとその場に挑んだ。知野弘文=乙川弘文が曹洞宗の僧だということ、スティーブとの関係については日本で出版された「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」などから知ってはいたが私の知っている情報はそんな僅かなことだけだった。

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※ケイレブ・メルビー原作/ジェス3作画/柳田由紀子訳「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」集英社インターナショナル刊表紙


コーブンとの話しは小一時間も続いたが、この初面談はスティーブの期待外れだったかも知れない。何故なら話題は禅とか仏教のことより音楽だったり映画の話題だったり、あるいは初めて渡米したときの戸惑いといった取り留めのないものとなったからだ。
特に初めてアメリカの土地を踏んだときのカルチャーショックについては話しが合った。

「私が初めてアメリカに来たのは1967年でしたが、カガヤさんの初渡米はいつだったのですか」
私はいきなりコーブンに問われて一瞬ドギマギした。それは私の初渡米は1987年のことだったからで、この年より6年も先の話だからだ。うっかり思ったことを口から出してしまえば大きな矛盾が露わになってしまうが、そうした点には最新の注意をする癖というか習慣がついていたので、
「オーディオ関連の仕事でスティーブに会う前に初めてアメリカを体験しました」
と誤魔化した。

幸いコーブンはそれ以上話しを突っ込まず話題は初渡米での言葉の不自由さは勿論、レストランで注文し出てきた料理の量が多すぎて困惑したこと、チップ社会に慣れるまでギクシャクしたことなどなどの思い出話となった。
特にコープンは私がボストンの日本食レストランで揚げ出し豆腐を食べていたとき、隣の客から (それはなんだ) と聞かれ、上手く説明ができないため (豆腐の天ぷらだ) と説明した話しや、ニューヨークでラーメン屋を見つけ嬉々として入ったまではよかったが、店内が日本的だったからか同行の一人が思わず (味噌3つに醤油1つね ! ) と日本語で注文したものの (Excuse me.....) と言われた話しに声を上げ手を叩いて豪快に笑った。しかし常にその目は冷静さを欠いていないように思えた。

後で思い返すとコーブンは私の持っている僅かなわだかまりを察し、意識的に仏教とか禅の話しを避けたのかも知れないと気がついた…。
このとき、スティーブ・ジョブズはまだ26歳であり、知野弘文も43歳だったが私は彼らとは年代がまったく違う年寄りだった。だからか、その私の目から見て、1人の日本人から見て知野弘文はどう見ても普通の僧侶であり特別な存在には思えなかった。
私の印象はといえば、コーブンは袈裟こそ着ているものの、話しのとおりの人物であるなら合理的な考え方をする人のように思えたし、かつ世俗というものをすべて肯定するようなその物言いに僧侶というより話術が巧みな優秀なビジネスマンのように思えた。

帰り際にコーブンは、
「スティーブ、カガヤさんを連れてきてくれてありがとう。この人は私の知らないことを沢山体験しているように感じる大変興味深い方だね」
といいながら、私に向かって合掌しつつ、
「また機会を作ってスティーブと一緒に来てください。楽しみにしています」
といいながら、コーブンは如才なく駐車場まで送ってくれた。

とはいえ暫くぶりにコーブンと会ったスティーブ・ジョブズの表情には喜びが溢れていた...。
なにしろ出会った当初、スティーブは日本に行き永平寺の門を叩いて僧侶になろうと真剣に考えていたというが、コーブンが「結局は禅の修行も事業も同じだ」と説き日本行きを断念させたことがあったという。
確かに、それが本当なら知野弘文の物言いが少し違っただけでスティーブ・ジョブズは禅寺に入りAppleという企業は残らなかったに違いない。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」集英社インターナショナル社
・「ジョブズ伝説」三五館社


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第26話 魔の水曜日

スティーブ・ジョブズは稀代のビジョナリーであり、未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです。

■第1部 ー 第26話 魔の水曜日
ウォズが飛行機事故を起こし、まだ完治していない3週間後Appleにまたまた激震が走った。
Appleは業績は良かったものの、CEOのマイク・スコット(スコッティ)から見れば “Apple船” は少しばかり沈みかけていた。それは財務的というよりAppleという希有な企業の社風が壊れつつあったし、その原因はさまざまな人間が増えた結果、無能な社員が重荷になったからと感じたようだ。荷が重ければそれらを捨てないと船は沈んでしまう。スコッティはApple III の失敗に鑑み、一大決心をした。

事実Appleの自由を重んじる企業文化や会社が社員らに示していた善意と寛容さをもってしても社員各自の能力差を無視することは出来なくなったというのが大きな理由だった。
確かにそうした緩んだ空気がApple III の失敗につながったというのも説得力のある意見だった。
すでに気心が知れ友人となっていたロッド・ホルトがいみじくも私に言ったことがある。
「仕事ができないうえに、まともに働かないエンジニアが大きなヘマをしたら普通の会社なら首だよ。しかしAppleはそいつらを管理職のポストにして摩擦を避けている。この会社じゃ人を首にしないんだよ、トモ。それでは無能な管理職だらけになってしまう」

その頃、スティーブのオフィスに度々スコッティとマイク・マークラが集まり静かではあったが激論が繰り返されていた。そもそも私はCIOになって専用のオフィスを宛がわれていたがスティーブが社内にいるとき、ほとんど彼と一緒だったし重要な会議のその場にいた。

「いいかいスティーブ、俺は物わかりが悪い単なるシブチン社長ではないぜ」
スコッティは感情をおさえつつ口火を切った。
「俺は常に社内を歩き回り、良しにつけ悪しきにつけて仕事の進捗状況をこの目で確認し彼ら彼女らと話し合ってきた。彼ら彼女らがなにを考え、いまどんな状況にあるかを社内で一番知っているのはこの俺だ。なあ、マイク…そうだろう」
同意を求められたマイク・マークラは無言で頷いた。

「皆の志気を高めるため、承知のように会社の負担で全員をハワイ旅行させたこともある。スコッティは派手好きだという批難もあったが、それもこれも仕事によい結果を求めてのことだ」
スコッティはスティーブ、マイクそして私へと順番に視線を送りながら続けた。
「それがどうだ。いがみ合いが増え、責任のなすり合いばかりだ。Appleらしさとかよき時代の社風などどこにもないよ」

スティーブが口を挟んだ。
「だから何度も取締役会や改善委員会で皆で話し合ったよ。それだけの理由で君の言う41名もの解雇が本当に必要なのか説明してくれよ」
その言葉を吟味するようにスコッテは (君らしくもない物言いだな) といいながら話しを続けた。
「スティーブ。創業者の君に意見することではないが、社風というものは取締役会や委員会で定めるものではないし、求めてはいけないんだ」
「そしてこの決定は常々君の言う、B級の人間を増やさないための策なんだよスティーブ」

小一時間もの話し合いの末、スティーブの目にはうっすらと涙が浮かんでいたし、マイクも沈んだ気持ちを隠そうともしなかった。
スコッティがたたみ込んだ。
「誰かが悪者にならなくてはならないなら、俺が悪者になるよ。収まりが付かなくなったらこの俺を首にすればいい」
「ともかく、偽善とイエスマンと無謀で無責任な計画にはもううんざりだよ」
スコッティは吐き捨てスティーブのオフィスを出て行った。
後に残ったマイク・マークラは苦虫を噛みしめたような顔で、
「まあ、仕方がないなスティーブ」
といいながらドアを開けた。

こうして41名の社員の解雇が決まり、ひとりずつ対象者がスコッティのオフィスに呼ばれた。Appleという会社に “首” などあり得ないと思っていた社員らは次は自分が呼ばれるのではないかと恐れた。彼らにとってこれまで無邪気に信じ合ってきた時代の終わりであり、会社に対する忠誠心の終わりでもあるように思えた。
この最初の大量解雇はブラック・ウェンズディー(魔の水曜日)などと呼ばれたが、波紋は会社側が考えていた以上に大きくなっていった。それにスコッティは暗に (これは最初の一歩だ) と臭わすなど社内の反感を買っていった。

マイクとスティーブにも当然のことのように社員らの陳情やクレームが多々舞い込んだが、2人はまるで知らなかったかのような態度で社員らに接していた。ためにスコッティは次第に孤立し窮地に立たされていく...。
その数日後、受付カウンターを通ったとき、シェリー・リビングストンに呼び止められた。
「トモ、ちょっと話し相手になってよ。もう皆がギスギスしていて私も気が滅入るのよ」
「それは私も同じさ、どうにもスコッティだけに責任を押しつけて問題を終息させようという感じだからね」
我が意を得たりといった表情でシェリーは、
「あなたは創業時からAppleにいるんでしょう。そして今は CIO と偉くなったわよね。ならガレージで好き勝手に営業していたAppleという会社を株式公開し事業部制を置き、年商3億ドルに達する多国籍企業に育てたのは誰のおかげかおわかりでしょ、トモ」

「無論承知しているよ。それに君はスコッティが好きだからなあ」
少し伏し目がちになったシェリーは怒りをどう収めようか自分と格闘していた。
「皆はスコッティのことを気分屋だというけど、ここだけの話…気分屋というならマイクだってスティーブだってその上を行ってるわよ」
珍しくシェリーの口から経営陣への不満が出た。

結局事態の収拾を計らなければならなくなったマイクとスティーブは3月、ハワイから戻ったばかりのスコッティの社長解任を決めた。当のスコッティは社長解任が発表されたとき、飼い殺しのような待遇には絶えられないとAppleを去ることを決断する。
ロッド・ホルトは大きなため息をつきながら私に呟いた。
「スコッティは自分の全人生をAppleに捧げてきたからな。彼はいつも働きづめだったし飲酒したり二日酔いになる余裕もなかったはずさ。それに彼は他に就職しようなどという気はないだろうから今後が気がかりだよな」
事実スコッティは自宅のブラインドを閉めたまま一歩も外に出ず、電話にも出なかった。

この事態は予想以上にスティーブのメンタルな部分に大きな影響を与えたようだ。
あるときスティーブは小声で私に打ち明けた。
「トモ、皆がどう言ってるかはともかく俺はスコッティのことが気になって最近よく眠れないんだ」
「社長解任を後悔してるのかい」
私の問いには答えず、
「どうにも気持ちがざわついてさ、スコッティが自殺したという電話がかかってくる夢を見るんだ」
スティーブはスティーブで魔の水曜日の責任をすべてスコッティに押しつけたことへの罪の意識に苛まれていたようだ。

そういえばAppleを去るとき、スコッティはエントランスまで送っていった私の肩に左手を置きながら右手でシェリーと握手しつつ、
「長い間、世話になった」
「君とはもっと一緒に仕事をしたかったよ」
と笑顔をみせながら呟いた。
「Appleは私が育てた子供なんだよ、トモ」
そう呟いてマイク・スコットは背中を見せた。
Apple III の失敗、ウォズの記憶喪失、魔の水曜日そしてスコッティの辞職にもかかわらず、スコッティの育てたAppleは繁栄を続けた。それを支えたのは相変わらずApple II の売上げだった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト社


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第25話 セミナー開催

スティーブ・ジョブズは稀代のビジョナリーであり、未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムワープしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第26話 セミナー開催
株式公開の騒ぎも一段落し、ウォズも去った1981年春先のある日、Apple本社の一番大きなフロアーで「パーソナルコンピュータの未来」と題するセミナーが開かれた。講師は私こと加賀谷友彦だ。スティーブ・ジョブズのたっての要望で開催された勉強会のひとつだったが、出席は任意というふれこみだったものの意外なことに予想以上のスタッフが集まった。

セミナー冒頭にスティーブの挨拶があった。
「これからトモがどんな話しをするのか詳しい内容については俺も知らないが、近未来のコンピュータ、パーソナルコンピュータに関わる内容のようだ。ただしひとつだけ君たち全員に注意しておくことがある。我々は仕事上これからパーソナルコンピュータがどのような進化を遂げるかをもし知ることが出来るなら目標も明確になるに違いないし社員全員の共通認識も持ちやすくなるだろう」

スティーブは全員を見回した後、
「ただしトモの話しはもしかすると君たちには荒唐無稽、単なる夢物語に聞こえるかも知れない。いや、戯言だという奴もいるかも知れない。しかし俺はここで断言しておく。トモの話しを笑いものにする奴がいたら俺が許さない。今回のセミナーは俺やマイク・マークラらが無理に頼んで実現したものだ」
一息いれたスティーブは少し微笑みながら、
「俺はトモと仕事は勿論それこそ衣食住を一緒に4年過ごしてきた。トモは承知のように多弁ではないが彼と話をした奴は分かるだろう。彼の話すビジョンはときに突飛なことに思えるかも知れないが後で振り返ってみるとその通りになっていることがほとんどだった」

「俺自身驚かされたことが幾たびもあった」
スティーブは思い出すように天井を見上げながら、
「トモと始めて、そう1976年12月に会ったときのことだ。マイクらの支援で俺たちは来年早々法人化することに決めていたが、トモはその日を ”1月3日ですね” といった。俺たちはまだ手続きがどのように運ぶかも分からなかったしマイクと打ち合わせをする前だった。だから瞬間マイクが勝手に決めたのかと怒鳴ったくらいだ」
会場内に笑いが起こった。

「その種のことは創業からのメンバーだった…ここにいるマイクやロッドをはじめクリス、ビル・フェルナンデス、ダン・コトケらには頷くことが大いに違いない」
出席しているスタッフらは近くにいるマイク・マークラやロッド・ホルトあるいはダン・コトケらに顔を向けたがスティーブが名指しで呼んだ人たちがこぞって静かに頷く姿に皆は息をのんだ。

「しかしトモは占い師ではないし予言者でもない。正直彼がどのような理屈でそうした結論に達するのかは俺にも分からないが断言するけどトモは本物のビジョナリーなんだ。彼は技術者ではないが、コンピュータはどうあるべきかを良く知っている、俺たちよりよく知っている。もし彼の思いを俺たちが共有できるのならその実現にはここにいる君たちの力が是非にも必要なんだ。真摯な態度で聞いて欲しい」
スティーブは深呼吸し、
「ではトモ、始めてくれ」
といいながら壇上から降り自分の席についた。

私は緊張しながらもスティーブのいた壇上にあがり、全体を見回した。いやはや錚々たるメンバーたちだ。マイク・スコットやマイク・マークラらAppleの役員らはもとよりだが、ジェフ・ラスキン、ビル・アトキンソンそしてPARCからきたばかりのラリー・テスラーやラスキンのMacintoshプロジェクトに参加したばかりのジョアンナ・ホフマン、バレル・スミス、そしてアンディ・ハーツフェルドらの顔も見えた。

私は現役時代、数十人のセミナーから500人近くも聴衆がいる前でスピーチしてきたから大勢の前で話すことに躊躇はなかった。例えば1993年だったか、私は機会学会の “ScentificVisualization研究会” の講師として招かれ、QuickTimeのテクノロジーに関して講演をしたことがあった。
後でお聞きしたところによれば、そこに参列されていた方々は東大や慶応、東工大の教授や先生方だった。しかし当時アップルのデベロッパーでもあり、かつコンシューマ向けとしては最初のデジタルビデオ・ソフトウェア開発にたずさわりQuickTimeに関しては最先端の情報を得ていた自負もあったから臆することもなかった。
しかしそんな私でも天才、伝説の人たちと語られる大勢の人たちの前に立つのは実に場違いに思えたが、ここまできたらやるっきゃない。

「先般、CIOの職責を命じられたトモヒコ・カガヤです。今日は皆さんそれぞれ大変お忙しい時間を調整し出席いただけたことにまず感謝いたします」
私はそう述べた後、すぐに本題に入った。ただし1時間ほどにもなった話しの全てをここで再現するのは長すぎるし退屈だろうから要点のみを記してみる。

まず今日の話のテーマはパーソナルコンピュータが今後35年ほどの間にどれほどの進化を遂げるかについての考察だと明言した。なぜ40年とか30年という切りの良い数値でなく35年という半端な未来を示すのかについては説明しなかったが、無論それは2016年からタイムワープした私の持つ知識の限界だったからだ。
そしてスティーブも言ってくれたようにこれは占いでもなければ私の個人的な夢や希望ではなく “事実” だと告げ、なぜならそれが歴史というか進化・進歩の必然性だからだと述べた。

「皆さんには釈迦に説法ですが米インテル社の創業者のひとりであるゴードン・ムーアが1965年論文上に示したムーアーの法則が知られています。大規模集積回路の集積度の進化はまずこの通りに進むものと思われます」
断言した私の言葉が終わらない内に小さなざわめきが起こったがすぐに静かになった。
「我がAppleは申し上げるまでもなくパーソナルコンピュータメーカーの雄です。Apple II でこの世界を切り開きホビーにしろビジネスにしろいままでには考えられなかった世界を実現してきました。しかし我々が単に機能が豊富で優秀、そして安価な製品を作るだけのメーカーに甘んじるならあと数年でこの業界から消えてなくなるでしょう」
さきほどより大きなざわめきが起こった。

「Appleは単なるメーカーであってはならないと思っています。確かにコンピュータという最も進化したテクノロジー製品を製造することがビジネスの根幹ですが忘れてはならない1番大切な事があります」
少し遅れて席に着いた受付のチーフ、シェリー・リビングストンが胸の前で軽く手を振ってくれた。
「Appleの使命はハードウェアを開発するだけでなく、それらのプロダクトやサービスでいままでにないユーザー体験を提供することが大切です。ただ珍しいものというだけなら皆さんも経験がおありのように早々埃を被って倉庫の奥にしまい込まれるでしょう」

続いて私はパーソナルコンピュータは人類初の無目的な製品なのだといった。冷蔵庫にはテレビにはあるいは洗濯機にはその目的があるし冷蔵庫に洗濯をさせようとする人はいない。しかしパーソナルコンピュータは計算機としてだけでなく絵を描き音楽を奏で、様々なゲームを楽しむことができる。近い将来には写真の美しさをそのままパソコンの画面で確認するだけでなくその編集までできるようになるし、離れている人たちと気楽に電子メールで情報交換ができるだけでなく相手の顔を見ながら会話することもできるようになる...。
しかしそれだけに目的意識のない人にパーソナルコンピュータを与えても彼・彼女はなにをしてよいのかが分からないし、ましてや何が出来るかも知らない。何が出来るのか、どのような可能性を秘めているのか、ユーザーはどう変われるのかを製品に添えて提供できることがポイントとなる。それにApple II は使いやすく分かりやすい製品であり、ために教育の場でも注目を浴びつつあるが、現行のコンピュータは覚えなくてはならないことが多すぎて決して普通の人が遊び半分で扱えるものではないと論じた。

「ここにいらっしゃる皆さんは世辞ではなく異能な人たちばかりです。したがってご自分をユーザーと見立てた製品設計、製品企画をやってはなりません。このことは人として優秀であるとか無能という違いがあると申し上げているのではないのです。私たちにはそれぞれ役割があり得手不得手もあり、望む世界が違うのです。理想的にはその世界の全ての人たちが目を光らせ嬉々として手にとってくれるような製品を作らなければなりません」

私は座っている人たちの反応をみようと再び100人以上もいるであろう参加者をゆっくりと見回した。
「したがって我々はApple IIあるいは将来の新製品で普通の人たちが何ができ、日常の生活やビジネスにおいてどのような可能性と変化が期待できるかを明確に示す必要があるんです」
話しのスピードを少しあげて、
「ハードウェア・テクノロジーは先のムーアーの法則をベースにICの集積度が飛躍的に向上します。ということは3つの改革が期待できることになります。ひとつはコンピュータの小型化、2つ目は処理スピードの向上、3つ目にコストダウンですね」

続いて私たちはApple II でこれまで大型コンピュータしか知らなかった人たちに机上に乗る小型のコンピュータで多くのことができることを知らしめたこと。しかし35年後の未来を考察するならコンピュータはアラン・ケイ氏が提唱しているダイナブックのサイズを通り越し掌に乗るサイズになること。いや、SFの世界を申し上げるのではないが腕時計がコミュニケーションツールになるのだといった。
しかしそれを実現するためには集積度のさらなる向上、ディスプレイの進化、バッテリーの小型高性能化が是非とも求められることは申し上げるまでもないことだとも…。

会場内にはいくつかため息が漏れ始めた。
私は少しリラックスしてきたこともあり、再び会場内の人たちと視線を合わせながらゆっくりと見回しながら続けた。

「デバイスは小型化するだけではありません。そのタバコの箱より一回り大きなサイズの中に大別して4つの機能が包括されるでしょう。ひとつは無線を使う携帯電話、ミュージックプレーヤー、ネットワークインフラを使う電子メール等の情報端末機能、そして超小型のパーソナルコンピュータとしてアプリケーションやゲームソフトの実行です。さらにこの小型の端末はより新しい世界を作り出す可能性を秘めています。その第一はクレジットカードの情報をこのデバイス内に記憶させ、ショップのレジ近くに設置してある読み取り機にかざすだけで安全にスマートに買い物が出来る “財布のいらない” 時代が来ます。さらに電車やバスは勿論、ドライブインなどでもそうしたデバイスを読み取り機にかざすだけで通過できるようになるのです」

私は手元に用意された水を一口飲んで喉を潤した。
続けてすべてをいま想像するのは無理かも知れないが、こうしたデバイスがAppleからリリースされたら世の中は、いや世界はどのようにかわるのだろうかを真剣に考えるべきだといった。そしてこれまた重要なのは「何かができること」だけではない。いかに直感的に分かりやすく目的の機能を呼び出して実行できるか操作を極力シンプルにしなければならないとも…。分厚い取扱説明書を端から端まで何度も読まなければわからないようなユーザーインターフェースでは誰も使おうとはしないだろうと。我々がこれから相対する顧客のほとんどは技術者ではなく一般的な人たちであり、主婦であったり学生あるいは子供たちなのだから。

「例えば未来の極小・極薄のモニターは当然カラーでプリントされた写真を見るのと同等の精緻な表示が可能になります。そのデバイス自体には物理的なボタンはほとんどなく操作はディスプレイ上の仮想ポイントをユーザー自身の指で触れればそれだけで目的を達することが出来るようになります」
私は強調した…。

続けて、画面上のボタンはデザイン的にもサイズや機能的あるいはその位置もソフトウェアによるものだから自由度が高いことになる。そして単に触れるという行為だけが操作ではないと行った後に、
「いまこの会場の中には Lisa のGUI開発で苦労されている方々もいらっしゃいますが、貴方たちなら理解してもらえると思います。LisaはGUIを持ちその操作の多くはマウスと呼ぶ小型のデバイスを使うことを目指しています。
さて、そのマウスボタンの数をいくつにすれば良いかで苦悩していると聞いてます。数を増やせば一見便利そうですがオペレーションの瞬間にどのボタンを押すべきかでユーザーは迷うことにもなりがちです。
例えばマウスのボタンがひとつだけと仮定してみましょうか。普通に考えればボタンは押すことで目的を果たすわけですからひとつでは役に立たないと思う人もいるかも知れません。ひとつのボタンでは機能というか働きが限られてしまうと考えるのが普通でしょう。そうするとボタンは2つ必要だ、いや3つはあった方がいい…という議論になります」

マウスボタンの数について研究していたラリー・テスラーが思わず我が意を得たりと手を叩いた。
それにつられて周りが和み始めた。

「だとしても我々は固定観念に凝り固まってはなりません。例えひとつだけのボタンだとしてもその操作は押す、長押しする、押したままマウスを移動させる、2回続けて押すといったバリエーションをソフトウェアで認知させそれぞれの機能にわりふることもできることを知っています。いや押さずにある領域にマウスポインタ、すなわちカーソルを置くということも一種のコマンドになり得ます」
ラリー・テスラー、ジョン・カウチそれにビル・アトキンソンら数人が大きく頷いているのが見えた。

それとこうした携帯可能なデバイスを実現するのにはバッテリー駆動が肝心となること。それもフル充電すれば最低12時間程度連続使用が可能な超小型のパッテリーが必要だと話した。

「しかし残念ながら…申し上げるまでもないが現在のテクノロジーではこれらを実現するのは無理です。しかし無理だから関係ないと切り捨ててはAppleに未来はありません。できることからいわゆるデスクトップ機にこうした能力・機能を実現しようとする意志、心がけが肝心だと思います」
この世界にタイムワープして4年にもなるというのに相変わらずつたない英語ではあったが、ゆっくりと話した。

繰り返すが近未来のパーソナルコンピュータは現在のDOS(ディスク・オペレーション・システム)のようにユーザーが暗号のようなコマンドを入力しなければならない操作系では普及に限界が生じるだろうこと。Apple II は大変使いやすいと評価されているが、それでも一般ユーザが理解できることはほんの一握りのことに違いない。
スティーブらと一緒に一昨年の末にゼロックスのPARCへ見学に行ったが、そこで見たことが我々の当面の目標に違いない。無論Altoの真似をすればすむことではないはず。Appleならではの新機軸を多々取り入れて市場の、業界の度肝を抜く製品作りをしようではないかと説いた。
パラパラと小さな拍手が湧き起こり、それが次第に大きくなった。

最後に私は2016年12月6日にタイムワープした際、持参していたiPhone 6s Plusをポケットから取りだした。すでにバッテリーは完全に切れているので起動する心配はなかったし事前にスティーブ・ジョブズの了解を得、私が独自のネットワークを使って製作した未来を予測する “モックアップ” だと称して見せることにしたのだ。

拍手が収まったところで私はそのiPhoneを右手に持ち、壇上から皆に見せながらいった。
「これまでの私の話は通り一変の夢ものがたり、SF、悪い冗談と聞いた人もいるかも知れない。しかし情報の出所は教えられないが正確性を重視した話しだと理解して欲しい。とはいえ話しだけでは面白くもないだろうからここではじめて皆さんに私が話した未来のプロダクト、掌に乗る情報端末とも呼べる製品のモックアップをお見せしたい」
そういうと会場が大きくざわついた。口笛が飛び交い奇声を上げる者もいた。

「遠くてよく見えないかも知れないが、興味のある方はセミナーが終わった後で時間の許す限り手にとって見て欲しい。無論モックアップだから動作するはずもないが、未来のAppleがこうしたプロダクトの実現に努力することこそ世界の覇者になれる道だと信じています。そしてそれが世界中のユーザーの手にポケットにバッグ内に入ることを目標にしようではありませんか」

そう告げた後、続けてこの場では触れるだけに留めるものの、後30年ほど経ったとき、ひとつの重大なキーワードをいかに制することができるかがAppleを含めたIT企業の運命を左右するだろうと話し、それはAI すなわち人工知能だと付け加えたが、これにはほとんど反応がなかった。

「ただし、いまお話しした一連の進化はセグメント毎に…年代順にくぎれるものではなくシームレスにそして一部が重複し繋がっているものです。だからこそ我々も日々の基礎研究を怠ってはならないと思います」
と締めくくった。
「スティーブ、これで私の話を終えるがなにか付け加えることがありますか」
私は満足そうに最前列に座っているスティーブ・ジョブズに話しを向けた。

スティーブは座ったまま首を横に振り、特に話すことはないと無言で意思表示した。
「長い間、静かに聞いていただきありがとう」
私はお辞儀をしながら両手を軽く合わせて合掌した。そして壇からから降りようとしたがその瞬間、壇上に数十人のスタッフらが駆け寄ってきた。無論モックアップとして提示したiPhoneを身近に見るためだ。

ビル・アトキンソン、ラリー・テスラー、バレル・スミスらは明らかに顔色が変わっていた。ジョアンナ・ホフマンは周りに押されたのか羽織っていたカーディガンが片方肩から外れかかっていた。
後にハードウェアの天才と呼ばれるバレル・スミスが我先にiPhoneを手に取って私の顔を見ながら「これって本当にモックアップなの」と聞いた。
頷くしかない私だったが、ハードウェアに詳しい彼から見て精度の高さだけ見ても尋常な作りではないことを察知したようだ。無論iPhoneの背面にはあのアップルロゴが燦然と輝いていたから皆それにも目を見張った。

それはともかくモックアップとして見せたiPhoneの説得力は絶大だった。これを見せなければ何といわれようと彼ら彼女たちの多くは私の話を一種の戯言としか捉えなかったように思う。
後年、Appleのデザインチームは数多くのモックアップを制作して実機への期待度を高め、設計段階だけでは分からない操作性の確認などを行うのが好例となっていくがそれはこの時の教訓を生かしたものだといわれている。ともあれ私はしばらくの間、そのモックアップと称した未来の超小型デバイスについて様々な説明を求められることになり、整合性のある合理的な言い訳に苦労することになった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト社


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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員