[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第41話 帰還〜最終回

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムスリップしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第41話 帰還〜最終回
スティーブ・ジョブズはこれまでになく混乱していた。自身が哀願しCEOの座に座らせたジョン・スカリーに裏切られたと心底から思っていたようだ。自分に落ち度がなかったかを反省するのも人の常だが、彼にはそうした常人の感覚はなかった。私らからみれば、現在のAppleの混乱と低迷全ての原因はスティーブ・ジョブズその人にあるのは明白だったのだが。

しかしAppleは1984年1月24日にMacintoshを発表したが、この前後の状況は勢いに任せてやりたい放題を続けてきたというのが現状だったといえる。
例えば予算の概念はあったが「ここまで…」というブレーキをかける機運はなかったし、財務や経理業務が正確迅速に把握されず在庫管理も疎かだった。したがって経営状態が良いときはともかく一度問題が生じても一体自分たちのどこが…何がいけないのか、どう改善すべきかもすぐには把握できなかったと思われる。
もともと閃きで行動を決める類のスティーブは歯車が噛み合わなくなるとどうしたらよいのか分からないはめとなる。その上でスカリーからはきちんと仕事をして欲しいと要求されるとジョブズはMacintoshの失敗をすべてスカリーのせいにした。

私のオフィスでスティーブは涙ながらに、
「トモ、俺はいったいどうなるんだ。どうすればいいんだ。未来を知っている君ならわかるはずだ」
とはじめて自分の未来を教えろと迫った。
1976年末にスティーブ・ジョブズ宅のガレージ前にタイムスリップして以来、私が記憶していた範囲ではすべて歴史が刻んだ結果どおりにことが運んでいた。
2016年から来た私にとって、多くの結果はすでに知っていたが、なぜそうなったのか、どのような紆余曲折があったのかは資料や関係者の証言があっても正直不明なことがほとんどだったから、自分がAppleの社内に置かれてはじめて知るあれこれも多かった。しかし結果は結末はすでに知っていたとおりだった。

Apple II は発売され大成功を収め、Apple III は失敗、ウォズは飛行機事故を起こし、スティーブ・ジョブズはクリスアン・ブレナンとの間にリサという娘をもうけた。その娘の名をつけたLisaもスティーブはいま自分の手で葬り去ろうとしていた。そしてジョン・スカリーという男がCEOとなり、1984年1月24日に華々しくMacintoshが発表され、そしていまスティーブとジョンの間に大きな亀裂が入ってしまった。
すべては歴史のとおりだった。違ったことがあるとすれば、加賀谷友彦という私の存在だけだ。
私は歴史、Appleの歴史にとってはまさしく異物なのだ。
とはいえ、その異物である私も意識的に歴史を変えようとは思わなかったしそうした行動は控えたつもりだが、私という存在はまるでいなかったように歴史は歩んでいる。だとすればスティーブ・ジョブズの運命も変えられるとは思えない。

「分かったよスティーブ。他ならぬ君の頼みだ。タイムスリップ後の私という存在は君無しではあり得なかったことも事実だと思っているし君が望むならスティーブ・ジョブズという男のこれからを話してもいいよ。ただし、君の人生はこれからも栄光と挫折の波の中にいることになる。それでも聞たいかい」
私は涙が乾いたスティーブの顔を直視しながらいった。
スティーブは無言で頷いた。

私はオフィスのドアが閉まっていることを確認し鍵をかけて自分の椅子に座り直した。
スティーブが生唾を飲み込む音が聞こえた。
私は意識して静かな口調で話し出した。まるで目の前にいる青年のことではなく他人の物語を聞かせるような感じで。

まずは近々スティーブ・ジョブズの側近であるジェイ・エリオットの気配りで疎遠になったスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーが直接会談する機会がお膳立てされること。
その場でジョン・スカリーの放つ言葉はスティーブを一層怒らせるに違いないこと。しかし君はことの核心はジョンにあると思っているしそう反論するだろう。
「売上げは急激に落ち続け、費用は削減しなければならず、経営側として決断し始末をつけなければならないことは山ほどあった。しかしスカリーはなにもしていないではないか。まるで昨年末から休暇を取ってでもいたように閉じこもっていただけではないか…」と。

スティーブが静かに頷きながら、
「その通りだ、トモ。ジョン・スカリーこそ問題の核心なんだ。彼の役目は俺に協力し、上手に俺を管理し指導することのはずなのだ」
吐き捨てるようにいった。
私は続けた。
その後、ジョン・スカリーが外国へ出張する機会が生まれるが、その機会を得て君はスカリーをCEOの座から引き下ろそうと考え画策する。しかしその策はある人物によりスカリーに漏れてしまい作戦は失敗すること。
結局、ジョン・スカリーは取締役会に、君を取るか自分を取るかを迫ることになると話した。

スティーブは顔を上げ、聞いた。
「取締役会は当然俺を支持するんだろうな」
私は静かに首を横に振った。
「嘘だ!そんなことはあり得ない。Appleは俺が、俺たちが作った会社だ。マークラだってデル・ヨーカム、ジェイ・エリオットだって俺の腹心だぜ、トモ。それはいくらなんでもないだろう」
先ほどまで泣いていたスティーブだったが今度は闘争本能丸出しの表情で私に迫った。
「いいかいスティーブ。これは君が是非にも聞かせろというから2016年の未来からタイムスリップした私が歴史の事実として知っていることを話しているんだ。残念ながら間違いはないんだよ」

「ちょっと待て、トモ。俺の未来は命がある限り続くんだ。この機会に俺の未来すべて聞かせてくれないか。ただしこのオフィスでは気が滅入る。ドライブしながら聞かせてくれ」
私の都合など聞きもせず、スティーブ・ジョブズは私の袖をひくように私のオフィスを出てエントランスに向かった。駐車場に行くためだ。
受付にいたシェリーがただならぬ我々2人の様子に心配そうな視線を送ってくれたが、私は笑顔で軽く手を上げ「大丈夫だ」という意を示した。

スティーブが向かった先はロス・アルトスのスティーブ・ジョブズの実家だった。
車の運転に支障が出てはと心配しながらも私はスティーブがApple退社を余儀なくされること、新しいコンピュータ会社を起業しかつデジタル映像会社を買収し苦労はするものの成功すること、そして1996年末にAppleに復職し大成功を収めることなどを大まかに話した。ただし話しはまだ彼の寿命や病気との闘いのところまでには至らなかった。

スティーブは、
「トモ、君の話はわかった。どうやら君の話ではいまの俺は分が悪いようだ。しかし俺は自分の運命が100%決まっているなどどうしても信じられんよ。生き方、考え方、行動次第で違う未来を切り開くことだってできるに違いないよ。そう思わなかったら人生なんて面白くもなんともないぜ。まあ久しぶりにママの料理でも食べて、ジョンとの戦いの作戦を練ろうよ」
そういいながら我々は車を降り久しぶりにスティーブ・ジョブズの実家のガレージ前に立った。

そのとき、ジャケットのポケットに入れてあったiPhone 6s Plusがいきなり「ジ~ッ」とバイブレーションした。
「電池は完全に切れているはずなのにおかしいな」
と思いながら私は先に歩くスティーブの背を眺めながらポケットから iPhoneを取りだした。
不思議なことに画面は久しく見ていなかったロック画面が表示していたので思わずホームボタンを押した。
瞬間私は目眩を起こしたのか光に包まれ体が大きく揺れた。そして意識を失いそうになり思わず「スティーブ!」と叫んだが、刹那スティーブ・ジョブズの悲鳴が聞こえた。
「嗚呼、どうしたトモ。おい、変だぞ。君の体が透き通っている。嘘だろう、頼むトモ、行かないでくれ。俺を一人にしないでくれ。トモ!」
そう叫ぶ声が遠ざかった。

頭を抱えるようにして蹲ったまま私はゆっくりと目を開けた。不思議に自分がどこにいるのかがわかるような気がした。
その耳に今度は、
「大丈夫ですか」
「救急車呼ぼうかしら」
という慌てる人たちの声が聞こえた。
「申し訳ありません。大丈夫です。ありがとうございます」
そういいながらゆっくり立ち上がった私の目の前にApple銀座の眩いばかりの照明があった。廻りを見渡すとまだ昼間ではあったがクリスマス・デコレーションに飾られた銀座の街並みは美しかった。

さすがに心臓はバクバクだったが、思わず手にしたiPhoneを見るとその日付は2016年12月6日の午後2時を示していた。
タイプスリップし、約9年間もAppleで働いたというのに戻った現在の時間はタイムスリップしたその時とほとんど変わっていなかった。
「戻れたのだ! いや一瞬の夢だったのかも知れない!」
そう思ったが、写真アプリの中には数十枚、私が1970年代のAppleにいたときの写真が残っていたし、着ていたジャケットも9年前とは違い、先ほどまでスティーブ・ジョブズと一緒にいたときに身につけていた淡いブルーのジャケットだった。
緊張が一気に取れた気がして私は恥ずかしさも忘れ、Apple銀座のエントランス前で泣き出していた。それは感極まったうれしい涙だったのは間違いないが、反面スティーブをあのまま置き去りにしたように思えて後ろめたくもあった。

そもそも私はここ、Apple銀座に新しいiMacを、そして女房にiPhoneケースでもクリスマスプレゼントしようとやってきたのだ。
手に持っていたiPhone 6s Plusをポケットに突っ込み、私は涙を拭き姿勢を正して店内に入った。
ふと視線を感じて振り向くと今買ったばかりなのだろう、iPhone 7のパッケージを大切そうにバッグに入れようとしてる女性と眼が合った。
思わず「シェリー!」と叫んでしまいそうになったが、年齢から考えても彼女がシェリー・リビングストンであるはずもなかった。しかし呆然と立ちすくんでいる私に素敵な笑顔を見せてくれつつ彼女は銀座の街に溶け込んでいった。

(完)



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 脱稿のご報告

昨年(2016年)の9月から連載をはじめた「[小説]未来を垣間見たカリスマ ~ スティーブ・ジョブズ」を脱稿した。他人事みたいだが、大げさでなく自分で書いたというより “書かされた” といってよいほど筆が運んだ。この小説を始めようと思った経緯は「[断章]~「未来を垣間見たカリスマ ~ スティーブ・ジョブズ』はなぜ小説なのか」にご紹介したが、実に楽しくもエキサイティングな9か月だった。


本稿はこの後「第41話 帰還」で完結となる。
今回の執筆では一回毎の読み切りの形を取ったため、一般的な小説の形態は取りづらい。本来なら複数の事案が絡み交差しつつ物語が進行していくべきかと思ったが、わかりやすさと読みやすさをまずは優先した。
今後は約40篇の話しを1冊の本の形にまとめるべく作業を進めたいと考えている。その時点で書けなかったこと、書かなかったことなどを補足してより充実させた内容にしたい。

また執筆にあたり、あらためてスティーブ・ジョブズという人物を調べ直した。
私はスティーブ・ジョブズという人物を生で知っていた。一対一で話した事はなかったもののデベロッパーという立場で彼のすぐ隣にいたこともあったしホテルですれ違ったこともあった。また彼のキーノートを生で見たこともある。そして彼に手紙を書いたこともあるし当該ブログに幾多、彼のあれこれについて記事も書いてきた。
とはいえ、小説という虚構の世界となれば自分なりにスティーブ・ジョブズという男の息吹を側で感じられるようにと考え、知ってるつもりのことも含めて調べ直した。ために幾多の資料に当たりつつ先達の業績を多々参考にさせていただいた。ひとつひとつは記さないがここに謹んで御礼を申し上げたい。

しかし調べれば調べるほどスティーブ・ジョブズという人物は嫌な男だった(笑)。
いみじくもジョン・スカリーは次のようにスティーブを評している。
「スティーブはまさに刺激的だ。彼は傲慢で、暴虐で激しく、ない物ねだりの完全主義者だ。彼はまた未熟で、かよわく、感じやすく、傷つきやすくもある。そして精力的で構想力があり、カリスマ的で、さらにおおむねは強情で、譲らず、まったく我慢のならない男」だと…。
そんな男がAppleという会社を資産総額世界一の企業にし、世界を変えたのだ。だからこそのミラクルであり好奇の目で見たくなってしまう。

さて、結局タイムスリップしたスティーブ・ジョブズ宅のガレージ前から始まり、苦悩と不安に心揺れるスティーブ・ジョブズを残して主人公加賀谷友彦は現代に帰還することになる。
そしてスティーブ・ジョブズにはこの後、すでに知られているように人生最大の苦悩と挫折が待ち構えている。
したがってスティーブが一番輝いていた時代ほど魅力のある舞台はないしこの後の彼の人生はすでに広く知られているように思うので続編を書くことはないだろう。ただしスピンオフ作品といったことなら書けるかも知れない。
事実、例えばビル・ゲイツなどスティーブの人生に関わった重要人物の数人はストーリーの都合上および意図的に避けたこともあって、何らかの形で補完したいとも思っている。

多くの方はこの小説に登場する人たちのことはよくご存じだと思う。スティーブ・ジョブズは当然としてもスティーブ・ウォズニアック、ロッド・ホルト、クリス・エスピノサ、ビル・フェルナンデス、ダン・コトケ、ランディ・ウィギントンあるいはマイク・マークラといった創業時の人たち。そしてMacintoshの開発に携わったビル・アトキンソン、アンディ・ハーツフェルド、ピュレル・スミス、ジョアンナ・ホフマンやスーザン・ケアら。またマイケル・スコット、ジェフ・ラスキン、アラン・ケイやラリー・テスラー、ジョン・スカリー、さらには受付係のシェリー・リビングストンといったすべての登場人物は実在の人たちだ。
ただし彼ら彼女らの言動は史実に基づいたものもあるが、多くは彼ら彼女たちだったらそう反応するだろうという判断に基づく創作である。無論これは小説というフィクションであることをあらためてご承知おきいただきたい。

私自身を仮託した加賀谷友彦という男がそうした人たちの中にいたとすれば、どのような交友関係を作るのか、誰と気が合い誰と反発するのかといったことを考える事も楽しかった。
執筆を終えた今、大げさに言うならこの約8年間 (1976年末から1985年春) 一緒の職場で付き合い、世話になったシェリー・リビングストンやマイク・マークラ、あるいはロッド・ホルトらに「さよなら」を言えず去ってしまったことが気になっている(笑)。
ともあれ完結まで後1編を残したのみとなった。最後までお楽しみいただければ幸いである。




[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第40話 亀裂

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムスリップしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第40話 亀裂
Macintoshの発表は間違いなく大成功だった。それはスティーブ・ジョブズにとっても新しいCEO ジョン・スカリーにとっても同じだった。大方の予想通り、スカリーは自身をスティーブにとってマーケティングと経営に関してよき指導者であると自負していたし、スティーブはスカリーにとってテクノロジーについて教えてくれる教師であった。

特にスカリーはまさに絶妙なタイミングでMacintoshのデビューの場にその存在感を示すことが出来た幸福感に酔っていたようだ。こうした注目のされ方は成功していたとはいえペプシではあり得なかった。
CEO就任からMacintoshの発表を境に1984年は2人にとって絶頂期だったといえよう。マスコミは2人のことを「ダイナミック・デュオ」と称して賞賛した。
スカリーも調子に乗って、
「Appleのリーダーはただ1人、スティーブと私です」
などと公言してはばからなかったし、確かに2人は公式の場はもとより社内においても常に一緒だった。

しかし一見順風満帆のAppleも現実に社内を見回せば無視出来ない問題に捕らわれていた。
そのひとつが1983年の4月、ジョン・スカリーがAppleの社長兼CEOとなったのに合わせ、スティーブ・ジョブズは新任のスカリーがそれまでの経緯を知らない事を利用し、自身の指揮権強化をアピールし始めたのである。なぜなら以前社長だったマイク・スコットからジョブズはLisaのプロジェクトの指揮権を剥奪されていたこともあり、ジョブズはMacintoshの開発および販売をより有利にするため、すべての指揮権を取りたかったからだ。

ジョブズの強力な訴えに動かされ、スカリーはジョブズにMacintosh部門を自由に統括する権限を与えただけでなくその11月にはMacintoshとLisa部門は「Apple 32 SuperMicros 」部門として統合されたのである。
この頃のパッケージにはそれを示す「Apple 32 SuperMicros 」というロゴタイプが印刷されている。

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※LisaでMacintoshのアプリを走らせる「MACWORKS」パッケージにも「Apple 32 SuperMicros 」の記述がある。当研究所所有


ともかく重要なのはこの「Apple 32 SuperMicros 」部門の指揮をスティーブ・ジョブズが取ることになったことだ...。いわば彼は念願のMacおよびLisaに関わるすべての指揮をとる権限を与えられたわけだ。
この事実はMacintoshの開発および販売を一大優先と考えるジョブズによってLisaの製造と販売は意図的にブレーキをかけられることになった。
Lisaがビジネスとして失敗に終わった要因は単純ではないが、経緯を知っている我々から見てその直接の原因は明らかだった。

シェリー・リビングストンは常に私のよき話し相手、理解者となってくれたが「Apple 32 SuperMicros 」の発表を聞いたとき、
「これは明らかにLisa潰しにかかるわね、スティーブは」
と眉をひそめた。
「ジョンにはスティーブの考えている先がまったく分からないのかなあ」
私がため息交じりにいうと、
「そうね。しかしジョンもいくらCEOだからといっても経験がないAppleでの舵取りは他の人の意見も多く聞いてから判断すべきよ」
と納得いかない様子だった。
「いや、これはやっかみではないけどスティーブは意図的にスカリーに他の人間を近づけないようにしているよ」
私がいうとシェリーは首を縦に振りながら、
「そういえば最近、トモ…貴方でさえスティーブと話す機会がないらしいわよね」
怪訝な表情で呟いた。

「愚痴に聞こえたら誤るけど、ここの3か月ほど挨拶程度しか話す機会がないんだ。常にスティーブの隣にはジョンがいるしね」
事実これまであれほど「トモ、トモ」と頼りにしてくれたスティーブだったが、私に限らず例えばマイク・マークラもスティーブとほとんど話す機会がないとこぼしていた。
しかし1984年も夏が過ぎ、秋が来てクリスマス商戦が目の前にきたときスティーブとジョンの蜜月は終わることになる。

ジョンとスティーブはクリスマス商戦を念頭に入れて膨大な数のMacintosh製造に全力を注いでいたが、予定を大幅に下回る需要しか生まれず在庫の山がAppleの財政を危うくしはじめたからだ。事実目前の四半期決算で初めての赤字を計上し、社員の1/5にあたる人員削減を実行せざるを得なくなった。

もっとも悪い事にこの状況に至った責任をスティーブとジョンはそれぞれ相手の責任だと押しつけ合ったことだ。
スティーブ・ジョブズにいわせればマーケティングの手腕を買われてAppleのCEOに就任したジョン・スカリーが思うように働いていないと感じるようになったし、ジョン・スカリーにしてみればやりたいことを皆ジョブズが邪魔しているか反対されていると考えていた。

そんな緊迫した状況下でAppleは1985年を迎えた。
そもそもAppleという会社のコンセプト、すなわちジョブズのビジョンにも捻れが生じてきた。
Macintoshにしても単体で売れる時代ではなくネットワークが必要になってきたしLaserWriterの開発とPageMakerの登場でデスクトップ・パブリッシング(DTP)という概念が次のキラーシステムとなろうとしていた。Appleもそれらを敏感に感じMacintosh Officeと称するAppleTalkを使うローカルネットワークとファイルサーバーシステムを実現し売り込もうとしていた。
しかしApple社内でそれらは一部の人たちを別にして耳慣れないコンセプトだった。なにしろAppleという会社は依然として「1人に一台ずつのコンピュータ」を普及させることを目指した企業だったからだ。

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※PageMaker最初期の雑誌広告(1985年)


もともと閃きで行動を決める類のスティーブ・ジョブズは歯車が噛み合わなくなるとどうしたらよいのか分からないはめとなる。その上でスカリーからはきちんと仕事をして欲しいと要求されるとジョブズはMacintoshの失敗をスカリーのせいにしはじめた。

新しい年になって間もなく、珍しく…本当に珍しくスティーブ・ジョブズが私のオフィスに入ってきた。気むずかしい顔をして。
「トモ、ここのところ新しいCEOに振り回されて君ともまともに話しができなかったが今日は少し時間が取れたので君の話を聞きに来たよ」
と勝手知ったる椅子にどかりと座った。

私はそれまで手にしていた電池の切れたiPhone 6s Plusをジャケットのポケットに入れながらいった。
「難しい問題を抱えているようだね」
私が本題に入るとスティーブは眉間に皺を寄せ、両手の指先を合わせながら呟いた。
「奴を追い出すしか解決策はないんだ、トモ。問題はその方法が俺にはわからないんだ」
「おいおい、スティーブ。いくらなんでもそれは穏やかではないよ。ジョンは君が連れて来た人間だぜ」
私がいうと、
「そんなことは分かってる!」
と怒鳴った。

スティーブが私に対してことの是非はともかく怒鳴るということはこれまで一度もなかった。あの気むずかしく横柄なスティーブが私には穏やかなのがApple社内の七不思議のひとつだとジョアンナ・ホフマンが冗談気にいったほどだった。
ハッとしたスティーブは、
「すまない、トモ。君に怒鳴るつもりはなかったんだ。どうやら俺の神経も極限まで痛めつけられているようだ」
彼は本当に悄気ていた。どうしてよいかわからない子供のようだった。
「スティーブ、そんなことはどうでもいいよ。穏やかな解決策はないのかい」
スティーブの混乱を沈めたいと私は静かにつぶやいた。しかし2016年からタイムスリップした私は、この混乱の結果が分かっているだけにできるなら問題の核心に触れることは避けたかった。

スティーブは私の近くに椅子を動かし、哀願するようにいった。
「トモ、俺はどうなってしまうんだ。このままでは…Appleは、俺たちのAppleではなくなってしまうよ。どうすればいい、トモ」
あの人を射貫くような視線を私に送りながら涙を浮かべていた。
私も適切な言葉が思い浮かばず、しばらく沈黙が続いたが、スティーブは私に哀願した。
「トモ、これまで俺は自分の未来について君に聞くことは避けてきた。しかし俺はどうなるんだ。どうしたらいいんだ。頼む教えてくれ…」
うなだれながらスティーブは私の膝を両手で掴みながら続けた。
「トモ、君は未来から来た人間だ。歴史の顛末は知っているはずだ。俺はどうなるんだ、どうしたらいいんだ。結果がわかれば対処の方法だって見つかるかも知れないんだ。歴史だって変えられるに違いないんだ。お願いだ、教えてくれ」
私はスティーブ・ジョブズの泣き声をどこか遠くに聞きながら、彼の今後の人生をどのように話したらよいかを考えていた。

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊


[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第39話 アラン・ケイ

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムスリップしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第39話 アラン・ケイ
1984年1月24日にMacintoshが発表されたことでAppleは連日連夜お祭り騒ぎだったしメディアからの取材攻勢も今まで以上に凄かった。無論その対応の多くはスティーブ・ジョブズがやっていたこともあり、かつ彼の隣には常にといって良いほどジョン・スカリーの姿があったから残念ながら私にとってもスティーブは遠い存在になってしまった感がある。

またロッド・ホルトも含め、あのガレージ時代からのAppleを知っている者もほとんどいなくなっていたから気の緩む時間も無かった。ともあれこの頃私に課せられたミッションのひとつに製品化されたMacintoshの徹底した評価だった。これはスティーブからもいわれたがマイク・マークラからも強い要請があった。
Macintoshの誕生は当事者から見ても大げさでなく無理の連続を押し通して完成したプロダクトだった。したがって果たしてこれはスティーブ・ジョブズがいうように宇宙を凹ますコンピュータになり得るのか、というだけでなく市場に受け入れられるのかを徹底的に分析しておく必要があった。

そういえば手前味噌になるが、この私に課せられたミッションの適任者が私以外にいたとは思えない。なぜならMacintosh開発チームの人間それぞれにとって自分たちがクリアしなければならない目の前のあれこれを実現するため日夜躍起になっていたから、Macintoshという1台のパーソナルコンピュータ全体を俯瞰して直視できる者はまずいなかった。

無論スティーブ・ジョブズもその1人だったしそうあるべきだつたが、彼は物事を公明正大に評価するには熱すぎた人間だ。
その点、私はといえば2016年からタイムスリップした人間であり、1984年にMacintoshの実機を手に入れそれこそユーザーの立場であらゆることを試し、歓喜と落胆を繰り返していたから、技術的な面は別にして、私にはすでにここにいるAppleの誰よりもMacintoshを使い込んでいる人間だった。

反面私はAppleを去って行った友人のロッド・ホルトが羨ましかった。無論彼は望んでAppleを辞めたわけではないが、彼はAppleを辞めても行くところ、生きる術があった。しかし2016年からタイムスリップした私にはもしAppleを首になったとして別のどこかで…ということは事実上出来得なかったし、生きる意欲も術もなかった。
そんな私の立場を知っていたのはスティーブ・ジョブズただ1人だったが、彼は前記したように目の前の新しい環境に没頭し、廻りに気遣いするような人間ではなかった。

そんな平々凡々の日々を送っていたある日、久しぶりにエキサイティングなことが起こった。
私が自分のオフィスでMacWriteを使って資料をまとめていたとき、オフィスのドアが叩かれた。
「どうぞ、おはいりください」
の声と同時に入ってきたのはあのアラン・ケイだった。

「やあ、トモヒコさん、あなたとお話しがしたくてやってきました」
と底抜けな明るさを漂わせてアラン・ケイが右手を差し出した。
私はその手を両手で強く握りながら、
「Appleで会えて嬉しいです」
と椅子を勧めた。
アラン・ケイは本来なら私より8歳も年上なはずだったが、彼はこの1984年当時44歳という働き盛りだった。対して私はすでにジジイだったが、可笑しな物で2016年に40年前にタイムスリップしたときから自分でいうのも辺だが歳を取らなくなったように思えた。

「久しぶりです、トモヒコさん」
再びそういうアラン・ケイに私は、
「トモと呼んで下さい」
といった。

「あなたは今般Appleにアップル・フェローとして入社されたんでしたね」
私がいうと、
「やはり、トモ。あなたはどこか不思議な男だな。私がアップルフェローとして入社したことなど社内でもほとんど知らないはずなんだが」
といいながら、その瞳がきらりと光った。
アラン・ケイは続けて、
「パロアルト研究所で会ったとき、別れ際にいった僕の言葉を覚えてるかな」
いたずらっ子のような表情でいった。
「覚えてますよ。あなたは、『僕にはスティーブ・ジョブズやAppleのことより君の秘密に興味があるよ』
と言われましたね。それに、オーラーが違うとも」
と私は答えで微笑んだ。

「よく覚えてますね」
といいつつ、続けて、
「ああ、トモ、申し訳ないがコーヒーを飲んでいいかな」
ケイはオフィスの端にあるコーヒーサーバーを見ていった。
「勿論です。私も飲みたいから一緒に飲みましょう。少し待って下さい」
数分後、カップ2杯分のコーヒーを入れて私はケイの正面に座り直した。

アラン・ケイはコーヒーを待っている間、オフィスの奥に置いてあった安物のクラシックギターに目を留め、
「ああ、トモ…君もギターをやるんだね。嬉しいなあ」
と目を光らせた。
「まあ、私のはあくまで趣味でしかありません。子供の頃からクラシックギターを楽しんできたけど、そう1年半ほどはパコ・デ・ルシアに憧れてフラメンコギターも習いました。しかし貴方はジャズギタリストとしてプロフェッショナルなのですから一緒にされては困りますよ」
私は笑いながら言い訳した。
「パコ・デ・ルシアといえば、僕も興味があるよ。Fuente Y Caudal(邦題 :二筋の川)は大好きだし、ジョン・マクラフリン、アル・ディ・メオラとのスーパー・ギター・トリオも多くのインスピレーションを与えてくれたよ」

「それは嬉しい。しかし音楽の話しはともかく、ケイ、 あなたはAppleで何をしようと思っているのですか」
私は直球の話しを切り出した。
ケイはニヤリとしながら、
「僕はここAppleで直接生産性に寄与することはないと思うよ。アップル・フェローだからという訳ではないが僕の仕事は研究というか計画というべきか、温めている期間が長いのが普通なので、目に見える形にするまでに時間がかかるのが難点なんだ。
ただし君だからいうが、僕がAppleに入った理由のひとつは第3パラダイムの製品、すなわちフラットスクリーンディスプレイを持ち無線によるネットワーキングが可能な小さなコンピュータを手がけたかったからなんだ。それと、しいていうならスティーブの教育係ってとこかな。それも未来に向けての指針を示す仕事だよ。ただし、気になることがひとつあるんだトモ」
「なんでしょうかそれは」
アラン・ケイはしばらく私を直視していたが、
「それは君だよトモ」
と真顔で言った。

私が困惑して黙っていると、
「僕はスティーブが未来に向けてどのような製品開発に取り組むべきなのかをアドバイスする立場にあるんだが、すでにスティーブにはトモ、君という存在がいる。したがって僕の出番はないかも知れんな」
口ひげを左指で撫でながらケイはいった。
「私は貴方のように輝かしい経歴もないし、ただのジジイですよ」
私が弁解じみていうと、ケイは、
「ここではそう聞いておこう。しかし常に未来におけるコンピュータのあり方や子供たちの教育といったあれこれを考えている僕にとって、トモ…君はなんとも気になる存在なんだよ」
私は苦笑いしながら自分の頭を指さし、
「ケイ、あなたは『未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ』と主張されてますが、しいていうなら私はそれをここでやっているに過ぎないんですよ。私はエンジニアではないので」
「いや、君には…どういえば良いか、そう…未来の臭いがするんだ。その理由は僕にも分からんけどね」
ふと、コーヒーのカップを手に持ったまま立ち上がって窓際にある椅子に座り直しながらアラン・ケイは続けた。

「ところで先日、Macintosh開発チームのビュレル・スミス君から君が持っているという未来のデバイスのモックアップの話しを聞いたのだが、僕にも見せてもらえるだろうか」
遠慮がちにケイはいったが、その目付きは真剣だった。
「勿論ですとも」
私は机の引出を開け、すでにバッテリーが完全に切れたiPhone 6s Plusを取りだしてケイに渡した。
ケイは手にしたiPhone 6s Plusをしばし見つめ、無言のまま私の表情を覗き込み、またiPhone 6s Plusに目を落とすということを数回繰り返した。
「これは、凄い!表面は強化ガラスだろうしボディはアルミニウムのようだ。僕にはこれがモックアップだとは信じられん。いや、モックアップだろうと製品だろうと現在の技術を駆使してもこれだけの完成度を求めるのは無理だな。やはり君にはなにか大きな秘密があるらしいな」
ケイはニヤリとしながら、
「それはともかくこれが動作しSmalltalkが走り画面がもう少し大きければダイナブックそのものだな」
私は思わず、
「実は iPadという製品が…」
と言いそうになったが、辛うじて自制した。

私は自分が隠していることが暴露するのではないかと思い話題を変えた。
アラン・ケイの顔を見ていると自分が40年前の日本からタイムスリップしてきた人間であることを正直に話したくなってくる。彼にはそうした不思議な魅力が溢れているように思った。
「そういえば、ケイ。貴方はMacintoshのことをどのように評価してるんですか」
アラン・ケイは窓際でまだiPhone 6s Plusを握ってその感触を確かめていたが、視線をiPhone 6s Plusから外さずにいった。
「Macは、批判するに足りる最初のコンピュターだよ。ただしパワーが小さすぎるね」
ケイは顔を私の方に向け、
「そう、スティーブに同じ事を言ったら激怒されたよ」
と声を立てて笑った。

続けてケイは、
「僕たちがどうアドバイスしようとAppleは、いやスティーブ・ジョブズらは自らの考える方向に会社を持って行くに違いないが大きな苦難が待ち構えているように思うよ。だから僕たちの役割は現実的にはそんなに意味のあることではないのかも知れない。しかしAppleでトモ、君と未来のプロダクトについて一緒に仕事ができるならそれが一番嬉しいよ」
iPhone 6s Plusを名残惜しそうに私の手に戻しながらアラン・ケイはため息をついた。
そのとき、私はふと閃いた。
もしかしたらアラン・ケイはすでにスティーブ・ジョブズの運命を危惧していたのではないかと…。
私は実際40年ほど先の未来を知っている男だったが、アラン・ケイはこの時代にいて未来を覗くことができる男なのかも知れないと彼の後ろ姿を眺めながらオフィスのドアを閉めた。

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー刊




[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第38話 Macintosh誕生

スティーブ・ジョブズは未来のテクノロジーを時代の最前列で考え見つめてきたといわれている。しかしその陰には2016年12月6日、アップル銀座のエントランスから40年前のカリフォルニア、ロス・アルトスにあるスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にタイムスリップしたひとりの男の存在があった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第38話 Macintosh誕生
1984年1月24日、幾多の困難を克服し大きな犠牲を払いながらもスティーブ・ジョブズの夢であったMacintoshが発表された。それはApple本社近くにあるフリントセンター講堂で開かれた年次株主総会の場だった。
株主総会だからして近年のスペシャルイベントなどとは些か違い、最初は形通りに法律顧問による株主総会として事務的な発表と手続きが話され、続いてその9ヶ月前に新しいCEOに就任したばかりのジョン・スカリーがAppleの業績を発表した。

その後にスティーブが登壇したが、その様子は些か芝居じみたものだった。
その場に集まった株主たちにはこの場でなにか新しい製品が発表されるであろうことは分かっていた。しかしスティーブ・ジョブズは演台にはいきなり登場せず、真っ暗に落とされた照明の中、左の袖から聴衆に語りはじめた。
そして伝説となるスピーチが始まった。

「1958年のこと。IBMはゼログラフィと呼ばれる新技術を発明した若い会社を買収する機会を逃し、2年後にゼロックス社が誕生し、IBMはそれ以来自分を責めています」と語りだした。
私はMacintosh開発チームの連中と共に舞台裏と袖とを行き来しながら固唾をのんでスティーブのスピーチを聞いていたが、その後のデモンストレーションが上手く行くかに気を取られてほとんどスティーブの話しの内容を覚えている人はいなかったように思う。
ジョアンナ・ホフマンと目があったとき、彼女は両掌を組み、神に祈っているような表情だった。
なにしろMacintoshのすべてが安定していたわけでもなく、またスティーブが急に、
「Macintoshに喋らせよう」
と言い出したから大変な事になったのだった。
安定して音声合成ソフトを使うにはMacintoshの内蔵メモリである128KBでは不足だったのだからたまらない。
結局内蔵メモリを512KBと急遽4倍に増設したMacintoshを使うことになった。無論社外には内緒だ。

「IBMは本当に世界を征服してしまうのでしょうか。ジョージ・オーウェルの書いた『1984』のように?」
スティーブは機関銃のような早口で聴衆に語りかけると続いてあのコマーシャル「1984」のビデオが流れた。
観客は熱狂していたが、ここでやっとスティーブ・ジョブズに照明が当たった。
彼はきちんとしたスーツに蝶ネクタイ姿だった。
スティーブは、
「これまでのパーソナルコンピュータにマイルストーンとなるような製品は2つしかありません。それは ‘77年のApple II と ‘81年のIBM PCです。そしてLIsaの登場から1年経った今、我々は3番目のマイルストーンとしてMacintoshを発表します…」
Macintoshはかれこれ2年以上も開発にかかったこと、そしてついに狂気じみているほど素晴らしい製品ができあがったとスティーブは続けた。



※1984年1月24日、Macintoshを発表するスティーブ・ジョブズ(一部)


Macintoshの価格は2,495ドルで全米1500以上のAppleディーラーで今日から入手できることを伝えた後に
「Macintoshの革新的な部分を紹介しよう」
とMacintoshがLisaの技術を売れ筋価格帯の製品に落とし込んだと自賛し、マウス、ウィンドウ、アイコン、プルダウンメニューなどなどの紹介を続けた。

「MacintoshはLisaと同じ32ビットの68000プロセッサを使っているんだ。メモリは全部で192KB、そのうち64KBのROMを備えておりOSやグラフィックス機能、ユーザーインターフェースはすべてROMに入っている。RAMは128KB、そして80年代のディスクとして1枚に400KBものデータを記録できる3.5インチのフロッピーディスクを装備している」
スティーブはその後に同時発売される周辺機器を誇らしげに紹介した。

一息入れたスティーブは、
「Macintoshを紹介しよう。すべてはあのバッグに収まっているんだ」
と言いながらステージ中央に歩み寄り、自らMacintoshをバッグの中から取りだした。

舞台裏でアンディ・ハーツフェルドとスーザン・ケアが同時に、
「いよいよだぞ」
「いよいよね」
と叫んだ。
また万一のアクシデントがあった場合を想定してバレル・スミス、スティーブ・キャップス、ブルース・ホーンらが固唾をのんで待機しつつ見守っていた。
なにしろこれまで7,800万ドルの開発費を注ぎ込み、信じられないほどのプレッシャーにさらされながら週90時間以上の労働を強いられた成果がこのスティーブの発表で運命が決まるのだ。

スティーブ・ジョブズが初代Macintoshを発表するその姿は2016年からタイムスリップした私にとって何度もYouTubeなどの動画であるいはスティープの生き様をテーマにした映画などで見たお馴染みの光景だった。
しかし現実に自分がその舞台裏で多くの開発者らとスティーブの一挙一動に固唾をのんでいるとそれはまったく別の出来事のように思えた。

隣に立っていたバレル・スミスが、
「トモ、スティーブがMacintoshにフロッピーを入れたよ」
と叫びながら私の腕を掴んだ。
そのフロッピーは開発陣が徹夜で仕上げたデモ用プログラムだった。スティーブは芝居っけたっぷりにそれをシャツの胸ポケットから取りだしてMacintoshにセットしたのだ。
そしてスティーブはその場を一端静かに離れ、デモは会場の大型スクリーンに映し出された。

最初は “Macintosh” という大きな文字が画面一杯に横スクロールしながら流れていった。それはスティーブ・キャップスが工夫したフォントだった。
続いて星空のような背景にMacintoshという表示が現れ、その下に “Insanely Great!” という筆記体の文字がアニメーションで描かれた。それはブルース・ホーンが苦心して作ったデモだ。
そしてMacPaintやMacWriteといったアプリのスクリーンショットがスライドショー的に表示された。
私の前に陣取っていたブルース・ホーンが大きな安堵のため息をついた。

スティーブがMacintoshに歩み寄った。
スーザン・ケアとジョアンナ・ホフマンが私のシャツの袖を引きながら緊張している。
「ではここでMacintosh自身に喋ってもらいましょう」
スティーブはMacintoshを操作した…。
するとMacintoshはいかにもな音声合成の音質だったもののスピーチシンセサイザーによるメッセージを喋りだした。

「ハロー、僕はMacintoshです。あのバッグから出られて実にいい気分です。人前で話すのは慣れていないので、僕がIBMのメインフレームに最初に出会ったときに思いついた格言を皆さんに紹介しましょう。『自分で持ち上げられないコンピュータを信用するな!』ということです。お聞きのように僕は話せますが、今は少し控えて聞き役に徹しようと思います。それでは大いなる誇りを持って紹介しましょう。僕にとっては父親のような人…スティーブ・ジョブズです」

照明がスティーブに戻り、聴衆の歓喜はきわまったかのように拍手が鳴り響いた。
聴衆には分からなかったが舞台裏も聴衆に負けずに大騒ぎだった。誰もが飛び上がっていた。
このスピーチ原稿は最初アンディ・ハーツフェルドが書いたもののスーザン・ケアの提案によりシャイアット・デイ社のスティーブ・ヘイドンに書いてもらったものだった。
拍手はなかなか鳴り止まなかった。

ジョアンナ・ホフマンは私の腕を取りながら、
「ねぇ、見てよトモ。スティーブ涙ぐんでない」
と呟いたが、自身も涙声だった。
思えば、この日この時がスティーブ・ジョブズが生涯における一番の頂きに触れた一瞬だったように思う。
登り詰めた山は…降りるしかないことにスティーブは気づかなかった。

(続く)

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズ III」東京電機大学出版局
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オライリージャパン
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト
・「Steve Jobs Keynote History 1984ー2011」(マックパワー付録)アスキー・メディアワークス





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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員