[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第19話 PARC訪問

還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会う。厄介なのは加賀谷が持っていたiPhone 6s Plusをスティーブが見てしまったことだ。この事実が過去と未来に悪影響を及ぼすのだろうか。そんな危惧をよそに初対面の加賀谷をスティーブは自宅のガレージに引き入れた…。そして一緒に働くことになった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第19話 PARC訪問
Appleは正式な株式上場前に何度か資金調達を実施した。1979年8月には L・F・ロスチャイルドやゼロックスそしてエジプト系投資家などに対してだ。うちゼロックス社には10万株を売却した。このときの資金調達はかなりApple側が強気で (売ってあげた) という感じが強かった。

ともあれゼロックスに恩を売った成果が3か月後のゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)訪問に繋がったとみるべきだろう。このPARC訪問には多くの伝説が生まれたが、この訪問をきっかけにスティーブ・ジョブズは GUI を持つパソコン開発に意欲を持ち、それが後年 LisaやMacintoshとして開花することになる。

1979年12月、スティーブ・ジョブズはゼロックス社のパロアルト研究所を訪れた。
しかしスティーブは当初、その訪問にあまり乗り気ではなかった。
「トモ、君も一緒に来てくれないか。ジェフ・ラスキンはともかくビル・アトキンソンが五月蠅く勧めるんだが気が乗らないんだよ」
スティーブ・ジョブズはAppleの業績のよさや先の資金調達成功もあって強気だった。
「俺の信条だが、どうせ大企業なぞに革新的なものなど作れるはずはないし行くだけ無駄だと思うんだ」

「でも、君は行こうとしているんだろう」
私は悪戯っぽくスティーブにいった。
「いや、社内の奴らの勧めだけならその気はなかったが、マークラとスコッティいわくゼロックスの幹部が是非俺に見学に来てほしいという依頼が続いているというんだ」
「トモ、君も噂を聞いたかも知れんがゼロックスへの今回の株式売却で埒もない噂が立ったらしいんだ」
スティーブはうんざりした表情で吐き捨てるようにいった。

「知ってるよ。ゼロックスに対する株式売却はゼロックスがアップルの買収を考えてのことだ...という噂らしいね」
私は先ほどダン・コトケが持ってきてくれたコーラーの瓶をあけながら答えた。
「トモ、そんな砂糖水など飲まない方がいいぜ。飲み物は水以外なら生ジュースに限るよ」
スティーブはオレンジジュースのグラスを手にしながらも私の話に頷いた。
「そうなんだ。ここでだんまりを決めているのではなく俺たちがPARCを乗っ取るくらいの気持ちで1度訪問してくれとマークラも五月蠅いんだよ。そうした世間的な付き合いをこなすのも俺の仕事だといいやがる」

「なあ、トモ…。俺は半分冗談のつもりで言ったんだが君は真顔だな」
私は今回の訪問がAppleの未来にとっていかに重要な意味をもっているのかを知っているから自然に真剣な表情になったのか、普段の私とは微妙な違いにスティーブは気がついたのかも知れない。
「いや、君との約束だから未来のことへの明言は避けるけど...行った方がいいよ」
真面目な顔でいった私を真正面からスティーブはあの鋭い視線でしばらく見つめていたが、
「わかった。君がそういうのなら何かあるのかも知れないな。一緒に行ってみようぜ」
「後で日時は知らせるよ」
いいながらスティーブは席を立った。

結局スティーブに同行したのはビル・アトキンソン、ジェフ・ラスキン、ジョン・カウチそして私の4人だった。スティーブが人選した結果だが、ラスキンはそもそもの言い出しっぺでPARCに詳しいから、そしてアトキンソンはソフトウェアの、カウチはハードウェアの責任者として選ばれたらしい。
こうして我々4人はPARCに乗り込んだが、後で聞いたところによればビル・アトキンソンは今回の訪問に際してアラン・ケイの論文を始めとして多くの資料に目を通し勉強していたらしい。

我々5人がPARCの地味なエントランスを入るとPARCのアデル・ゴールドバーグ女史がAltoが置かれているロビーに案内してくれた。
スティーブは意識的なのか、あるいは緊張していたのか見るからに態度が横柄でスーツこそ着ていたものの両手をズボンのポケットに突っ込んだまま握手もしなかった。

PARC201611.jpg

※ゼロックス・パロアルト研究所


我々が通されたデモルームにはラリー・テスラーが穏やかな表情で待っていた。
型どおりの挨拶が済んだ後、早速アデル・ゴールドバーグが一抱えもある円形のハードディスクを持って現れた。眼前には縦型のディスプレイにキーボードとマウスおよびピアノの鍵盤の様な装置が置かれ、設置台の下にはハードディスク装置とAltoコンピュータの心臓部、すなわちハードウェアが隠されていた。

私は2016年の時代からタイムワープした人間だし、1992年に富士ゼロックスの展示会においてAltoの実機を見ていたから、それぞれのハードウェアの構成が何を意味するかの理解はあったがジェフ・ラスキン以外はAltoの実物を見た者はいなかったようだ…。
電源が投入されてゴールドバーグがデモを始めるとテスラーがそのオペレーションとモニター上の動きをひとつひとつ説明してくれた。

xerox_Alto.jpg

※Altoの実機。1992年に筆者撮影


モニターが明るくなった途端にスティーブの顔色が変わった。
カウチが、
「モニターの背景が白いぞ!それに表示文字が黒い…」
アトキンソンが、
「紙とペンを模しているんだ」
独り言のようにつぶやいたが、スティーブは無言だった。
ジェフ・ラスキンは満足そうに微笑んでいる。

テスラーがAlto開発のコンセプトを簡単に説明した後、ワードプロセッサや図形がマウスというポインティングデバイス操作で直感的な移動や拡大縮小などを行うデモがあった。
一通りの説明の後に質疑応答の時間がとられたが、質問のほとんどはビル・アトキンソンだった。無理もない、なにが起こっているかは皆わかったが、これほどのコンピュータを見た事がなかったからカウチもスティーブも無言を通すしかなかった。
スティーブはもっぱらボタンが三つ並んいるマウスを手にして仔細に眺めているだけだった。

予め説明されていた時間が過ぎた。ラリー・テスラーとジェフ・ラスキンが握手を交わし、ビル・アトキンソンとジョン・カウチも如才ない挨拶をしてPARCを後にしたがスティーブは終始無言だった。アトキンソンが感想を聞いても生返事をするだけだった。

スティーブは自分のオフィスに戻ってすぐに電話の受話器をとった。
「どこにかけるの」
いま戻ったばかりでもあり私の意外だという声にかぶせるように、
「ゼロックスの重役だよ」
そういったスティーブは電話に出た相手に矢継ぎ早に、それも少々無礼にも思う喋り方で話し出した。
「ああ、スティーブだ。Appleのスティーブ・ジョブズだがいまPARC研究所から戻ったところだ。ただし納得できないことがあるんで電話したんだ」

「そうだ。君がいう...そうだ、そうしたデモを見せられたが、技術的に見るべき点もあったがもっとましなデモがあるはずだ。俺に隠し事があるというなら君のところとはこれっきりになるぞ」
脅すようにスティーブは続けた。
スティーブはゼロックスの重役に電話して今日見たことを話しつつ、おざなりではなくもっと本格的な機能説明を迫ったのだ。スティーブは先ほど見せられたAlto およびSmalltalkのデモにはもっともっと奥が深いものが隠されていると直感したようだ。
「うわべだけでなく、すべてを見せてくれ。そもそも訪問しろといったのはそちらだろう。OK。分かった、間違いないように手配を頼むぞ」

天下のゼロックス社の役員にAppleのスタッフへ命令するかのような話し方にスティーブをよく知っている私も唖然としたが、受話器をおいたスティーブはニッコリと微笑んで、
「これでよし」
と呟いた。

PARCのAltoおよびSmalltalkのデモには2つのバージョンがあったという。特に審査に通ったVIP向けのものと一般に見せるものとである。
明らかに1度目は、誰にも見せる式の、いわゆる無害なデモを我々は見たに違いない。スティーブは、そのとき自分たちに与えられなかった情報がどれほど多いかを悟ったらしい。そしてたった2日後に再び大人数を連れてPARCくことになった。

今度はマイク・スコットやスティーブ・ウオズニアックも一緒だったしLisaプロジェクトとしてスタートしたばかりの技術者数人も同行した。
2度目の訪問時、エントランスで待ち受けていたのはPARCのハロルド・ホールら2人だったが応接室で前回より長い時間我々は待たされた。スティーブたちは準備に必要な時間だろと気にも留めなかったが、私はデモ担当のアデル・ゴールドバーグが「今日のデモなど聞いていない」と主張し、デモするのを一時は拒否したことを知っていたからその情景を想像して楽しんでいた。無論その結末も知っていたから安心して待っていられた。

アデル・ゴールドバーグはApple社の能力と意図を知るよしもなかったが、技術者の本能と自身らが開発し育てたAltoおよびSmalltalkの重要さと大切さを知っており、特に優秀なプログラマーにそれらを見せるリスクを恐れていたのだ。彼女は何とかしてゼロックス社自身にAltoとSmalltalkを正当に評価させ、これを世に出したいと考えていたらしい。
しかし今回の訪問に際してゼロックス本社からは ( すべてを見せろ )という指示がなされていた。これにはアデルも従うしかなく顔を真っ赤にして我々の前に現れた。

1度目は終始無言で通したスティーブ・ジョブズだったが、この2度目の訪問では多々感嘆の声を出し、最後には「この会社はなんでこいつを発売しないんだ」と声を荒げた。
我々に強い印象を残したデモのひとつはAltoの画面上のテキストが1行ごとにスクロールするのを見たスティーブが、
「これがドットごとに紙みたいに動いたらいいのに」
といったときのことだ。
デモをしていたダン・インガルスは (おちゃのこさいさいです) といいながら、Altoを止めずに実現したときにはAppleの全員が呆然となった。

私は部屋の隅に我々が驚いている様子を楽しんでいるかのように立っている人物に気がついた。
皆に気づかれないよう静かに立ち上がって私はその人物の前までいき、
「はじめまして、トモヒコ・カガヤといいます。アラン・ケイさんですね」
「お会いできて光栄です」
と右手を出した。
私の手を両手でしっかりと握り返しながらアラン・ケイは私の顔を正面から見つめ、
「失礼だが、君もAppleの社員なのかい」
と聞いた。

「そうですが、なぜですか」
私の質問に彼は (僕には君だけ体から発する音色が違うように思えたんでね) と笑った。
私はそのとき、彼がミュージシャンでもあることを思い出した。
アラン・ケイは続けて、
「僕にはスティーブ・ジョブズやAppleのことより君の秘密に興味があるよ」
「楽しんでくれ。また会おう…」
ウィンクしながら彼は奥に引っ込んだ。
気がついたら私はうっすらと汗をかいていたがそれは暖房のせいばかりではなかった。
もしかしたらアラン・ケイは持ち前の鋭い観察力と直感力で私が現代(1979年)にはそぐわない人間だと気づいたのかも知れない。

スティーブはといえば帰り際にAltoを一台正式に購入したいと要望したが、ゼロックス社は市販製品ではないことを理由にそれを拒否した。
帰りの車の中でスティーブは私に向き直り、PARCでデモを見た印象を興奮気味にいった。
「トモ、理性ある奴ならすべてのコンピュータはあのようになるべきだよ」

ただしこの日、スティーブは GUI にあまりにも強く心を奪われた結果、AltoおよびSmalltalkの優れた他の面、例えばオブジェクト指向プログラミングとEthernetでつながったメールシステムの重要性を見落としていた。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第18話 時空の狭間

還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会う。厄介なのは加賀谷が持っていたiPhone 6s Plusをスティーブが見てしまったことだ。この事実が過去と未来に悪影響を及ぼすのだろうか。そんな危惧をよそに初対面の加賀谷をスティーブは自宅のガレージに引き入れた…。そして一緒に働くことになった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第18話 時空の狭間
あれは1979年の秋頃だったと記憶している。私がそろそろ寝ようとしたくを始めたときドアがノックされた。スティーブに違いない。
「どうぞ、まだ起きてるよ」
私の声が響いているうちにドアが勢いよく開かれた。
「どうしたのスティーブ」
どこか思い詰めたようなスティーブ・ジョブズの表情を見て私は聞いた。

「トモ、遅くに済まないがワインがあったら一杯くれないか」
そういいながらソファーにどっかと座り込んで足を伸ばした。
私は冷蔵庫から冷やしたカルフォルニアワインのボトルを取り出して、
「スティーブ、君は赤の方がよかったな」
と聞きながら返事を待たずに栓を抜いていた。

ワイングラスを持ったままスティーブは少しの間凍り付いたように動かなかった。
「どうしたのスティーブ」
私の再度の問いかけにハッと我に返ったスティーブは一気にグラスを飲み干した。

「トモ,遅くに済まない」
こちらも同じことを繰り返してスティーブは、らしくもない話し方でボソッと口を開いた。
「変なんだよ、トモ。これは君にも関係することかと思って飛んできたんだ」
「実に腑に落ちないことが起こってるんだ」
どうやらスティーブの口ぶりからは仕事の話しではないらしい。もしかしたらクリスアン・ブレナンとその子供の話かと私は正直身構えたが、どうもそうではないようだ。

「昨日、オフィスの引き出しの奥からこの数枚の写真が出てきたんだ」
彼は脱いだジャケットの内ポケットから封筒に入っていた写真を広げた。その中には見覚えのある風景が写っていた。
「これって、もしかしたら日本の秋葉原の写真かい。いや、君が写っているから違うんだろうな」
私の訝しい顔を凝視しながらスティーブも考え込んでいるようだ。
しばらくして、
「いや、どうやら...俺が (どうやら) というのも変だがその秋葉原なんだよ」
「俺って気がふれてしまったのかな、トモ」
スティーブは哀願するように再度私に視線を向けた。

「どうにも君が何で困惑しているのか、いまひとつよく分からないからゆっくりと説明してよ」
私の物言いに頷きながらスティーブは話し出した。
「トモ、俺はどうやらこの半年の間に日本に行ったらしいんだ」
そのスティーブの珍しくも動揺した態度と変な話しっぷりに私は思わず吹き出した。
「ゴメンゴメン。これまでこんな君を見た事がないからね」
私は言い訳をしながら、スティーブがまだ手にしているグラスにワインを注いだ。

「いや、こんな話しはトモ、君にしか話せないよ」
私の無言の促しにスティーブは続けた。
「写真を見るまで覚えがまったくなかったことなんだ。俺ってまだ数ヶ月前のことを忘れるようなボケではないつもりだが、何かが変なんだ。写真を見た瞬間俺は “初めて” 日本に行ったことを思い出した…いや、忘れていたんではないんだ。初めて知ったというべきなのかな」

スティーブの話を要約すると。彼は日本に行ってきたことを “知らなかった” のだという。忘れていたことを思い出したのではなく写真を見てそれが事実だったことを初めて “分かった” のだという。
そもそも、もし自分が日本へ出張が決まったとするなら私に言わないはずはないし、必ず一緒に行こうと誘ったはずだと彼は言う。しかし日本に行くことも、戻ったこともまったく記憶になくしたがって私にその日本行きのことを話したこともないはずだという。

「いいかいトモ、おかしいんだ。日本に行ったのなら社内の数人とも話題になるだろうし君が知らないはずはない。それにだ…」
スティーブは困惑というより恐怖の表情を示しながら、
「俺自身の認識自体、日本に行った記憶もなければ、大体がそのために数日の休みを取ったはずもないんだよ」
「私も君が数日会社を休めば分からないはずはないよ」
私の確信に満ちた言い方に強く頷きながら、
「だろう? しかし俺にもその実感はまったくなかったし会社に出張の申請をした形跡もないんだ。だけどこの写真は本物だと俺の心が訴えるんだよ」
「スティーブ、怒るなよ。この写真は合成ということはないのかい。誰かが悪戯で作ったフェイクだとか…」

スティーブは2杯目のワインを飲み干してやっと落ち着いてきた。
「俺もそう思ってさ、先ほど日本の知人…ここに一緒に写っている奴に電話をしてみたんだ。覚えはなかったけど確実に日本で世話になったことを思い出した…いや、実感として分かったからさ」
思わず私はクスッと笑ってしまった。
「しかしだトモ、俺だって (私はお前と会ったことってあったか) などとは聞けないよ。だから忘れたふりをしてさ、秋葉原に行ったとき、TEACのオーディオを見にいった店名を教えてくれといってみたんだ」
「しかしスティーブ、相手の人が (貴方なんか知らない)といったらどうするつもりだったの」
私のいささかリラックスした物言いにスティーブも乗ってきたのか、
「いや、正直ドキドキものだったけど受話器からは間違いなく聞き覚えのある声で (スティーブ・ジョブズさん、その節はありがとうございました。秋葉原をご案内できて光栄でした)と言われたから、これは間違いないなと思ってさ」

真顔になったスティーブは、
「いいかい、トモ。確かに俺は日本に行き秋葉原の散策を楽しんだんだ。実感はいまだにないが、記憶というものは再構築されるという説もあるらしいよな。写真を見て、俺を秋葉原へ案内してくれた日本のパソコン雑誌の編集長の声を聞いたとき、記憶が宿った感じなんだ。不完全だけどね」
「………」
「しかし、トモ。俺は、この俺はAppleを休んではいないんだ。記録もそうなっている。だとすれば…」
「もし夢でないのなら君が2人いたということになるね」
私がスティーブの言葉を引き継いでいうと彼は大きなため息と共に天井を仰いだ。

私は思いついたことをいった。スティーブの動揺を糺したかったからだしその事実はまぎれもなく私の存在が引き起こした矛盾であり、時空の狭間で起こった “ねじれ” のように思えたからだ。
「スティーブ、この件は2016年の日本からこの時代にタイムワープした私の存在が引き起こしたことに間違いないと思うよ」
「どうやら歴史というか時空という奴は私にまだ日本へ接触されたくないのかも知れないね。しかし君は仕事で日本に行かなければならない。ならば必ず私も一緒にということになる。それでは神は…いや比喩だけどね…困るので君と私の日常はそのままに君自身を…この場合はパラレルワードなのかな、わずかに違う世界にいる君を日本へ行かせたのかも知れないね」
私もワインをひと舐めし、窓のカーテンを引きあけた。満点の星空はどのような不思議が起こってもおかしくないと示唆しているように思えた。
「そうした意味でいえば、君もこのカリフォルニアの世界でほんの数日間タイムワープしたことになるのかな。というより君が写真を見た瞬間に歴史の修正・修復が起こり、君の記憶にもう1人別世界の君の記憶が触れ合ったのかな」

「なるほど、まだ半信半疑だがそんな風に考えないと俺が狂ってしまったことになるよ。トモ、君の秘密を知っているのは俺だけだ。だからこそ時空の矛盾は君と俺しか認識できないのかな」
スティーブにやっと笑顔が戻ってきた。
「それで、スティーブ…君は写真を見て日本で過ごしたことを思い出したのかい」
私はいつ戻れるかもしれない懐かしい日本のことを僅かでも知りたくてスティーブに聞いた。なにしろ1979年といえば、私は結婚して2年目だった。そして小さな貿易商社に勤務し趣味で富士通のワンボードマイコンやコモドール社のPET2001というオールインワンのパソコンを楽しんでいた時期だ。

正直、女房がどうしているかが心配でそれを思うと胸が張り裂けそうだった。しかしもしパラレルワールドだとしてスティーブがカリフォルニアと日本の秋葉原に同時に存在したとするなら、私自身だって2019年(3年経過したから)と1979年の今に同時に存在しているのかも知れない。そうであれば女房と未来の私は何の支障もなく平凡な毎日を送っているに違いない。
そうであって欲しいと私は思わずワイングラスをテーブルに置き、両手を合わせた。

「どうしたトモ」
スティーブが沈思した私を訝しがって声を出した。
「君流に考えるなら、どうやらここにいる俺は日本には行ってなく、単に記憶を授かっただけかも知れないが、いまの俺も実体験としていくつかのことは思い出せるんだ。おかしなことに仕事の話しはあまり知らないんだが」
笑いながらスティーブは秋葉原での出来事を話し出した。
「先ほどもいったが、案内してくれたのはパソコンの月刊誌の編集長だったよ。ASCII っていう雑誌だったな」
「その人だったら私も知ってるよ」
懐かしい顔が浮かんだ。

スティーブは編集長に案内され、秋葉原を堪能したという。時代は70年代後半の時代だったからスティーブが歩き回っても気づく人はまずいなかった。そしてスティーブは熱心なオーディオマニアでありTEACのオープンデッキを愛用していたのでラジオセンター2階にあったTEACのオープンデッキ用のパーツ類を販売しているジャンク屋のような店まで立ち寄ったらしい。

「トモ、正直驚いたよ。電子部品やオーディオパーツといった類はアメリカが本場だと思っていたけどあの雰囲気と品揃えは特別だな。少年の頃、よく親父にエレクトロニクス部品の店に連れていかれたしああいうのは好きなんだ」
一息いれて、
「だんだん記憶がはっきりしてきたけどラジオセンターには驚いたよ。確かに店舗は綺麗ではないし天井が低くてさ、俺は頭をかばいながら屈んで見て回ったなあ...。そうそう電話をかけたとき編集長に聞いて思い出したんだが俺たちが入ったのは “菊池無線電機" とか "内田ラジオ" といった店だったっけ」
スティーブは遠くを見つめるように虚ろな表情をしたがすぐにいつもの活発さを取り戻した。

「俺は最初その "ラジオセンター” というのがいわゆる量販店の名だと思ったんだ。しかし店内を回って気がついたが小さなショップが集まった集合ビルなんだなあれは。同じような商品、競合する商品を販売している店がずらりと並んでいることを知って本当に驚いたよ」
私はたたみ込んだ。
「で、スティーブ、君はなにか買ったのかい」
スティーブは少しずつ記憶が膨らんでいくことを楽しんでいるかのようだった。
「そうそう、俺が土産代わりに買ったのは超小型平面スピーカーだったよ。知らないメーカー製だったがデモを聴かせてもらったけど小型の割には迫力あるサウンドが出てたよ」

スティーブは喉が渇いたのか、目でワインがもっと欲しいと催促したので私は2本目のボトルを持ち出して栓を開けた。スティーブは上手そうにグラスに並々と注いだワインを喉に流し込んで話しを続けた。
「そうだ。確か “カイテンズシ” という店で寿司を食べたな。寿司と蕎麦はベジタリアンの俺も魅惑されたよ。それに…ここだけの話だが日本滞在中に女の友達もできたよ。」
スティープはウィンクしながら話しは尽きることがなかった。

ともあれスティーブは同じ時期にこのカリフォルニアと日本に同時に存在したことになる。そんなことがあり得るのかどうか、私などがいくら考えても分かるはずもなかった。ただし確実なことはスティーブ・ジョブズが嘘や虚言をいうはずもなかったし夢でもなかった。だから彼が大きな興味を持って日本を訪れたこと、秋葉原を嬉々として歩き回ったことは “現実” だったのだ。

そもそも彼が日本を意識しだしたのは禅だったという。リード大学在学中に鈴木俊隆著「禅マインド・ビギナーズ・マインド」という本に影響されたからだ。
そして鈴木が開いたロスアルトスの禅センターを訪ねたときに乙川(知野)弘文と出会い師と仰ぐようになる。それは私がタイムワープした1976年の前年だったらしい。
ともあれこの出来事が私とスティーブの運命をより複雑に交差させていくことになったし、私が未来からタイムワープした人間であることをあらためてスティーブ・ジョブズに知らしめる出来事となった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社刊
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社刊
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社刊
・「ジョブズ伝説」三五館社刊

[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第17話 VisiCalc

還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会う。厄介なのは加賀谷が持っていたiPhone 6s Plusをスティーブが見てしまったことだ。この事実が過去と未来に悪影響を及ぼすのだろうか。そんな危惧をよそに初対面の加賀谷をスティーブは自宅のガレージに引き入れた…。そして一緒に働くことになる。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第17話 VisiCalc
1979年に入るとAppleが一段と成長・成功するための環境が整ってきた。その第一はパソコン初の表計算ソフト「VisiCalc」の登場だ。Apple II にとって当初から組み込まれていたBASIC言語によるプログラミング機能および拡張スロットの使いやすさ、そしてDISK II というフロッピーディスクの普及とこのVisiCalcはあたかもパソコンの三種の神器とでも呼ぶべき組合せとなった。

ところでスティーブ・ジョブズという男と丸2年の間、それこそ衣食を共にする生活を送ってきた私だが、それまで書籍や映画といったメディアから受けていた印象とはかなり違うことがわかってきた。
確かに Good Jobs として付き合っているかと思えばいきなり Bad Jobs に変貌するという例も数多く見てきたが、スタッフらの多くもスティーブの言動には慣れているのかクソ野郎呼ばわりされてもあまり気にかけない様子だった。またスティーブ・ジョブズはAppleの創業者であるという点で尊敬もされ会社の顔となっていったが、社員たちはスティーブが会社のトップとは認識していなかった。あくまでスコッティとマークラが経営を取り仕切っているという認識だったのだ。
ただし口うるさいスティーブだったが私に対しては周りが不思議に思うほど真摯な対応をとっていた。

そんなスティーブだが、機嫌が悪いと自分からスタッフを誘ったイタリアレストランで支払もせずに帰ってしまうこともあったし、逆に機嫌がよいときにはやけに気前がよかった。
例えばAppleに貢献してくれるサポーターや販売代理店の代表、あるいは著名人たちにはApple II を無償提供することも度々あったし、そこまではともかく卸値で直販するといった場合もあった。

Apple II が順調に出荷されるようになったある日、ダン・フィルストラという男がボストンでソフトウェ会社を設立したことを知ったスティーブはApple II を原価で提供したことがあった。スティーブに特別思うところがあったはずもなく、たまたま機嫌がよかっただけなのかも知れないが...。ただし後で聞いたとろによれば、Apple II がより成功するためにはソフトウェアの充実が重要であり、キラーアプリケーションの登場が急務だといった私の持論が記憶に残っていたからだという。

「別に深い意味はなかったよ。ただし以前トモが言っただろう...ソフトウェアが重要だってさ」
「確かそんな話しをしたなあ...」
スティーブは遅い昼飯のつもりなのか、冷えたピザを頬張りながら話した。
「その、ダンといったかな、奴がソフトウェア会社を設立しApple II 向けのソフトも作りたいと言っていることを聞いて多少なりとも便宜を図っただけさ」

しかし偶然の歯車はAppleのより成功へとギアを入れ始めた。とはいえスティーブをはじめ誰もがその足音を聞き逃していたともいえる...。
1979年の年明け早々、そのダン・フィルストラが自社(パーソナルソフトウェア社)開発のソフトウェアを持参しデモをさせてくれとやってきた。

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※パーソナルソフトウェア社時代のVisiCalcパッケージ(当研究所所有)


対応したのはマイク・マークラ、スティーブ・ジョブズ、ロッド・ホルトそして私の4人だった。フィルストラは挨拶もそこそこにApple II を格安で売ってくれた礼を言い始めたがスティーブはそれを両手で制しながら聞いた。
「そのソフトウェアの名はなんていうんだい」
大きめな眼鏡のフレームを指で押し上げながらフィルストラは、
「Calculedgerと名付けましたが、発売までに変えるかも知りません」と答えた。
スティーブは躊躇せず、
「ありふれた名だな。もう少し印象深い名の方がいいぞ」
といったが、隣に座っていたマイクがスティーブの膝に手を置きこれまた制止しつつ (Apple II で開発したのか) と聞いた。

「AppleSoft BASICで開発したのでApple II 専用ということになります」
フィルストラは答えながら、机上に用意されたDisk II に持参のフロッピーディスケットをセットし隣にあるApple II の電源を入れた。
Disk II は (カタカタ…キュルキュル…)と小気味の良い音を立てて「Calculedger」を起動した。
無論同席した私は眼前にあるソフトウェアが後に「VisiCalc」と名を変え、Apple II の販売台数を大きく後押しするキラーアプリケーションとなることを熟知していたが、変な横やりは歴史の必然性を変えることになると考え口出しはしないことに決めていた。私がどうのこうのと言わなくても「VisiCalc」は成功するわけだしAppleが大きな躓きをするわけでもないのだから…。

ところで「Calculedger」は当時ハーバード・ビジネス・スクールの学生ダニエル・ブルックリンと友人のマサチューセッツ工科大学に在籍していたロバート・フランクストンが自身らの会社であるソフトウェア・アーツ社で開発したものだった。
話は前後するが、プルックリンは自身のアイデアをハーバード大学の財務学教授に相談したが、教授は大型コンピュータの時分割システムが存在するのにマイコン用のソフトウェアなど売れないだろうと笑いながらも以前自分の担当学生だったパーソナルソフトウェア社のフィルストラを紹介したのだった。

ブルックリンに会い、彼のアイデアが気に入ったフィルストラは自分の手元にあったApple II をブルックリンとフランクストンに貸し出した。
後から聞いたところによれば、開発機材購入の余裕がなかったブルックリンたちがフィルストラにコンピュータの貸出を依頼したとき、他機種はすでに貸出済みでフィルストラの手元にはApple II しか残っていなかったという。
こうして偶然の女神はAppleに微笑んだが、マイクにしてもスティーブにしても「Calculedger」が示す可能性と未来を感じ取ることはできなかった。

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※VisiCalcの画面例。罫線はなく必要ならハイフンなどで区切りを入れる必要があった(前記パッケージ同梱のマニュアルより)


「Calculedger」の一番重要な機能は縦横の表組みになっている数値の一箇所を変更するとその値に関連する合計覧なども瞬時に計算し直してくれる点にあった。しかしスティーブらはその名称に捕らわれたのか単なる計算プログラムだと思い込んだようだ。特にマークラは自身が開発した小切手帳管理プログラムをフィルストラに見せるなど場違いの言動も目立った。
しかし別れ際にマイクは愛想良く「プログラミングが完成したらまた見せてくれないか」とフィルストラに声をかけた。

私がため息交じりに自分の席に戻ろうとしたときロッド・ホルトが追いかけてきて呼び止められた。
ホルトは愛用のキャメルに火を点けながら私に聞いた。
「トモ、君はずっと黙っていたがどう思う、あのソフトウェアは?」
私は正直に、
「みんな頭がいいのになぜソフトウェアの価値が分からないのかなあ」
と答え、ひと呼吸入れて皆の反応の弱さに不満を呈した。
「あれはまさしく表計算アプリケーションなんだけどねえ」
「なるほど。俺もブログラミングはできるけど根っからのハード屋なんだな。人の書いたプログラムの価値を推し量るのは難しいや」
とホルトは自嘲気味にいいながら背を向けた。

「Calculedger」は「VisiCalc」と名をあらため同年の10月に売り出されると大きな反響を得てApple II の売上げが明らかに伸び始めた。
Appleで一番喜んだのはスコッティだった。昼どきに一緒になったときもこぼれるような笑顔だった。
「なにしろVisiCalcを使いたいのでApple II の出荷を急いでくれと催促が凄いんだよ、トモ」
とはいえさすがにスコッティは喜んでいるだけではなく、したたかな面も見せた。フィルストラがソフトウェアのデモをするため販売店回りをする際、Appleの営業を同行させて手伝いと共にその場でApple II の注文を受けさせた。

パーソナルソフトウェア社はその後VisiCalcの好調さに乗ろうと社名をビジコープ社とあらため販売に攻勢をかけた。しかし後から登場したマルチプランやロータス1-2-3といった二番煎じのソフトウェアに次第に押されていく。当時ソフトウェアは著作権主張ができなかったこともあり後発のそれらに異議を申し立て、権利主張するすべがなかったことは時代の不運というしかなかった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社 
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊





[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第16話 明と暗

還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会う。厄介なのは加賀谷が持っていたiPhone 6s Plusをスティーブが見てしまったことだ。この事実が過去と未来に悪影響を及ぼすのだろうか。そんな危惧をよそに初対面の加賀谷をスティーブは自宅のガレージに引き入れた...。そして一緒に働くことになる。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第16話 明と暗
スティーブ・ウォズニアク渾身の作品 Disk II は大評判となりApple II 本体の売上げに大きく貢献する。これまで類を見ない少ない部品点数で構成されたフロッピーディスクドライブはウォズらしい作品だった。自身も優秀な技術者でホームブリュー・コンピュータ・クラブの名司会者でもあったリー・フェルゼンシュタインも (こいつらとやり合うのは避けた方がよさそうだ) と驚嘆したという。

1978年は社員数が60人程までに増え、Apple II の受注は順調だったからあれほど苦労したキャッシュフローの問題も過去のことになった。
ただし企業として現状に甘んじているだけでは未来がないことも明らかだった。
マイク・マークラはこれまでApple II に寄せられた意見や改良すべき点をスコッティと一緒にまとめていた。

「Apple II の改良すべき点といっても急務はどれほどあるの?」
私はマイクに聞いてみた。
「ユーザーが希望している最も多い要望はテキストに関する制約だろうな」
「大文字だけしか表示できないことや一列あたり40文字という制約だね」
私の言葉にマークラは頷いた。
「大文字だけでは表現力が弱いとあのテッド・ネルソンにも皮肉られたしな」
マイクは少々疲れ気味なのか、右手の指で両目を軽く押しながら続けた。
「これまでのようにホビースト相手だったらともかく、ビジネス向けのソフトウェア類を充実させるとなれば小文字表記と80カラム仕様は不可欠な機能になるだろうね」

「スティーブはどんな考えなのかな」
私の質問にマークラは眉間に皺を寄せて声を潜めた。
「スティーブはApple II の改良版といった間に合わせでは満足できないというんだ」
「まったく新しい機種を開発したいというのかい?」
マークラは厄介なことだと顔に表しながら無言で頷いた。

後日スティーブと2人だけになったとき、その問題を素直にぶつけてみた。
スティーブの話しは良し悪しはともあれ明確だった。
「ひとつの理由はいつまでもApple II に寄りかかっていては駄目になるということだよ」
「先日の会議でとりあえずApple II のビジネスバージョンとApple II Plusという改良版を開発するということになったらしいけど...」
私の話に被せるようにスティーブは、
「あくまで時間稼ぎ、間に合わせだよ」
と突っぱねるように言い切った。

「それともうひとつ大きな理由があるんだ」
スティーブは両掌の指先を合わせながら私を睨んだ。
「ウォズにいつまでも頼よっていてはこれまたダメだと思うんだ」
私自身は未来から来た男だし2016年までのAppleの運命を知っているから驚かないが、社内でこんな意見を吐けば大混乱になるに違いなかった。事実社内においてもAppleがこれだけ成功したのはすべてApple II を開発したウォズがいればこそだという評価が多かったし、特に技術陣とってウォズは神だったからだ。それがまたジョブズには不満だった。

「なるべく個人的な確執を表に出してはならないと思うけど、トモ...君には正直に話すよ。ウォズは確かに天才だがすでに1人の天才がイノベーションを生み出す時代ではなくなっているし正直ウォズの閃きでまったく新しい製品を作り出すことは無理なんだ」
私は思わず頷いた。
「俺たちが会社を作ろうとしたのはすでにApple 1やApple II のプロトタイプがあったからんだ。その可能性にかけただけなんだが今は状況がまったく違う。いつまでもApple II が売れると寄りかかっていては会社が危ないんだよ」
それに、と繰り返したスティーブは饒舌になっていた。
「Appleにはウォズ以外にも優秀な技術者がいることを証明しなければならないんだよ」
力説するスティーブの目を直視しながら私はいった。
「スティーブ、怒らないで聞いてくれるかな」
怪訝な顔をこちらに向けなががらもスティーブは頷いたので私は話しを続けた。
「君は異論があるかも知れないがApple II は設計から開発まですべてウォズの仕事だといわれているからウォズのマシンだ。だから次のマシンは君自身の考えるコンセプトで設計した新しいマシンを作りたいのかな」
スティーブは意外にも怒るどころか体を起こしながら、表情を柔らげた。
「実はそうなんだよ、トモ!」
「ただし俺でもストレートにそうそう話しを切り出せる相手ばかりではないからな...。さすがにトモだ」
変なところで誉められたが、スティーブはウォズに依存せず、自分が考えうる最良のコンピュータ作りを考えていたのだった。
ただしまったく新しい製品開発を短期間で望むのはさすがに当時の状況では無理な話でもあったからApple II のビジネスバージョンであり、かつApple II のソフトウェアとも互換性を持つといった折衷案でApple III 製品開発計画がスタートすることになった。

それでもビジネスの苦労はスティーブ・ジョブズにとって発憤材料になるものだったが、自業自得だとはいえスティーブを打ちのめす出来事が生じた。
1978年5月17日、オレゴン州の林檎農園に引っ込んでいたクリスアン・ブレナンが女の子を産んだのだ。スティーブが自分の子供ではないと必死に抵抗した子だ。
いかに混乱していたとはいえスティーブの言動は常軌を逸していた。自分の子供ではないと拒みつつ、わざわざ子供の顔を見に行き女の子に “Lisa” という名前をつけたりする。自発的に養育費を払ったかと思えばすぐに止めてしまう。

クリスアンが示談の話しを持ち込んできたとき、マイク・マークラが口を出したのが気に障ったのかスティーブは示談自体を蹴った。
マークラは、
「トモ、忠告しておくよ。この件には君とて立ち入らないことだ」
深いため息とともにマークラは自分の席に戻っていった。

私もこちらからあえて子供の話やクリスアンの話題は出さないように注意していたが、あるときスティーブは暗い顔をして一人ごとのように呟いたことがある。
「俺の人生の中でこれほど思うようにならず無力な出来事はないよ」

しかし私とてこの件に関してはスティーブの言動にひとつでも同情や共感を覚えたことはなかった。当時はDNA鑑定がなかった時代だが、父子鑑定テストを承諾し、その結果スティーブがリサの父親である可能性は94.97%と出た。それでもスティーブは違うといいはり、定期的な養育費の支払いを拒んだだけでなく (父親である可能性なら、アメリカ人男性の28%にある) と根拠もない虚言を繰り返していた。
 
ある意味、彼の人生はすべて自分主導で歩んできたともいえる。大学も自ら選んだし自身の意志で中退もした。ウォズを誘って起業し、マークラやレジスといったその道のプロも懐に引きいれた。いろいろあったがそれらは皆スティーブ自身の意志のなせる業だった。しかし生まれた子供の存在は動かざる事実だったが、彼にとって子供を認知することは自分の存在を否定することに等しかったのかも知れない。

この頃、スティーブを多少でもコントロールできたのはロッド・ホルトと私だけだったように思う。特にホルトは仕事の面でもプライベートな面も時に父親、時に兄のようにスティーブの相談相手にのなっていたし、私はといえば愚痴のはけ口だった。ただし口には出さないもののスティーブにとって私はどこか怖い存在でもあったのかも知れない。何しろ自分の将来、未来がすべて分かっているただ1人の人間だったからだ...。

スティーブはクリスアンが出産したと聞いたとき、私に対して普段は決していわないことをボソッと口にした。
「トモ、俺の未来はどうなる? 俺は駄目になってしまうのか?」
私などには思いもよらない感情が彼の中に渦巻いていたのだろうが、彼は無性に...自分でも正体が分からないものに恐怖を感じていたようだ。
あまりに打ちのめされている彼の肩に手を置き私はいった。
「スティーブ、余計な事はいわないよ。ただただ正しいことを心がければ君はいつまでも素敵なスティーブだよ」

スティーブ・ジョブズはプライベートの混乱を覆い隠すようにApple III の開発に口を出すようになるが、ケースを自分でデザインすると主張したのはともかく、組み込むべきものが入らないサイズを要求しただけでなくここでも冷却ファンは罪悪だとしてその利用を認めなかった。
その他、日々主張が変わることでApple III のプロダクトは混乱を極めになる。しかしそれはしばらく後になっての話だ。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「林檎百科~マッキントッシュクロニクル」翔泳社刊
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第15話 DOS3.0誕生

加賀谷友彦は1976年12月6日に出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩が...。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープしカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そしてスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第15話 DOS3.0誕生 
スティーブ・ウォズニアクは確かにフロッピーディスク・コントローラを極限まで簡素化し、同時にフロッピーディスクからファイルの読み書きが出来るプログラムを書いた。しかしそれはハードウェアに最も近い物理層以下の知識を駆使してなんとか実現しただけで一般ユーザーが使えるものではなかった。
そしてディック・ヒューストンという人物がコントロール・カードのためにROMコードを書いた。しかし彼らにもできることはそこまでだった...。

もともとウォズはフロッピー・ディスク装置に詳しいわけでもなかったし経験もなかった。だから経営陣に今度はDOSを書いてくれといわれてもいたがこればかりは自信がなかった。
ただし成功の女神はAppleを放ってはおかなかった。

dos3_01.jpg

※当研究所所有 DOS3.3 System Master 5インチ・フロッピーディスク


Appleは1978年1月28日にそれまでより15倍ほども広い 10260 Bandley Drives, Coupertino に移転した。勿論事務所内の設計はスティーブ・ジョブズが取り仕切った。

「おい、クリス。おまえは器用だし絵や図面を書くのが巧いのを見込んで頼みがある」
スティーブ・ジョブズはすれ違ったクリス・エスピノサの肩に手を置いて大きな声をだした。
何ごとかとクリスはスティーブに向き合ったが、スティーブ曰く新しい事務所のオフィス...レイアウトプランを分かりやすく描いてくれという依頼だった。
「おやすい御用ですよ。なにか下書きみたいなものがあるんですか」
クリスの問いに、
「そんなものはない。俺の頭の中にあるイメージを話すからそれを図面にしろ!」

そのクリスが描いたオフィスプランは明解だった。
少々横長の広いスペース中央はトイレとし、左上はテニスコートで右上が製造部門、左下はエンジニアリングを含むソフトウェア技術部門、そして右下はオフィスと4分割されていた。そして誰がどの場所にいるのかも書かれている。
勿論このプランは引越当初の予定で描かれたものだが、テニスコートはすぐに商品の在庫置き場に浸食されていった。
ともかくこのレイアウト案による基本的な割り振りはスティープのお気に入りだったようでAppleのオフィスプランの伝統となったばかりか、後のPIXAR社のレイアウトにも取り入れられた。

余談ながらこのバンドレー・ドライブのオフィスのレイアウトを思い出すと当時のスタッフたちの顔がひとりひとり浮かんでくるし、それぞれの仕事の重要性というか期待度というものがわかるような気がする。
例えばソフトウェア技術部門の小間割りだが、スティーブ・ウォズニアクのオフィスの隣には常に相棒とも言える活躍をしていたランディ・ウィギントのオフィスがあった。また技術部門には副社長ロッド・ホルトのオフィスがあった。ただし彼はウェルデル・サンダーと同室だったが、ひとりで一番広いスペースを使っていたのはビル・フェルビルナンデスだった。無論彼の仕事は各種計測機械類を必要としていたから単に机と椅子があるスペースではなかったが…。

またソフトウェア技術部門の大部屋には1977年11月、ロッド・ホルトが採用し、データセンターの6502 BASICソースが消滅した際に力になったクリフ・ヒューストンとディック・ヒューストンの兄弟がいた。

また一般オフィス側に目を転じれば、スティーブ・ジョブズとマイク・マークラはそれぞれ広めの個室だったが、ジョブズのオフィスの片隅には私の机が用意されていた。
マイク・スコットはゲーリー・マーチンと相部屋だったものの、一日の多くはスティーブ・ジョブズの部屋の隣にある会議室で様々なスタッフたちと打ち合わせをしていたし社内を歩き回るのを好んでいたからオフィスにはほとんどいなかった。
そしてオフィススペースの中央には受付と秘書を兼ねたあのシェリー・リビングストンら3人が詰めていた。
その他、ランチ・ルームやゼロックスコピー機が設置された部屋などもオフィス側にあった。

ともあれ何が幸いするか分からないのが世の中だ。バンドレー・ドライブの新しい事務所の通り反対側にボブ・シェパードソンの会社 (シェパードソン・マイクロシステムズ社)があった。したがって引越直後から双方向の行き来ができていた。
ある日、ウォズが鼻の穴を膨らませ、興奮気味にジョブズのオフィスのドアを叩いた。丁度私はジョブズに呼ばれて話しをしていたが、ウォズの勢いに押され、
「私は外した方がいいかな」
と聞いた。
ウォズは両手を体ごと揺らし、
「いや、トモ...君も一緒に聞い俺てくれ」
といいながら空いている椅子にどかりと座り込んだ。

「スティーブ、いま僕はボブ…ほら向こうにあるボブ・シェパードソンの会社にフロッピーディスク装置を見せにいったんだよ。先週彼の会社の前でばったり会い、フロッピーディスク装置を見たいといわれたんだ」
ウォズは興奮すると余計に早口になる。大分慣れたとはいえ、彼の話しを瞬時に理解する英語力が私には不足していることをあらためて思い知らされた。

「そこで、フロッピーディスクのファイル管理の話しになったんだけどボブの会社にいるポール・ロートンがDOSを書きたい...是非やらせてくれといってるんだよスティーブ。交渉は君の役目だ。すぐにでも相談してくれないか」
ジョブズもDOSの重要性を理解していたから早速腰を上げ、早くも2週間後には契約を締結した。またApple側の技術者としてはフロッピードライブ開発で苦労してきたランディ・ウィギントンが手伝うことになった。

「やはり餅屋は餅屋だよ、トモ。経験というパワーが大きいとはいえボブのところにはナショナル・セミコンダクターのIMP-16があったよ。ポールはそれを使っての開発なんだ。ウォズはいまだにアセンブラーさえ通さない手作業だからな」
スティーブは遠くを見るように両手の指先を合わしてソファーに横になった。

「スティーブ、それでもウォズは遊んでいるわけではないよ。ポールが打ち出した紙テープをApple II に読み込ませるため、紙テープリーダーのインターフェース作りに没頭してるよ」
私が報告するとスティーブは片手を上げてつぶやいた。
「わかってるよ。ウォズはやはり天才だし我が社の誇りだな」
こうしてApple II 用の最初のDOSはバージョン 2.8で完成形となったが、2.8では収まりが悪いとDOS3.0として発表された。

【断章】
コンピュータのデータ記憶媒体にカセットテープを使っていたユーザーにとって143KBという現在の感覚ではとても小さな空間とはいえその使い勝手の良さは衝撃だった。無論ウォズがいかにがんばってDisk II を開発したところでDOSがなければ一般ユーザーの手に渡ったところで使い物にならなかった。
データの読み書きが速いことは勿論、データのランダムアクセスが可能になったしファイルの管理が容易になった。そしてゲームも含め大容量のソフトがフロッピーディスクベースで供給されるようになった。

dos3_02.jpg

※当研究所所有、日本語版 The DOS Manual 表紙


Disk IIはApple II の拡張スロットに挿すインターフェースカードと共に購入したがその価格は当時199,000円だった。1983年のことだったと記憶している。
そして当時のDOSはすでに3.3になっていたが、需要が急速に伸びてきたこともあって日本語のマニュアルが用意されていた。
翻訳は井之上パブリック・リレーションズが行ったものだが、原典の翻訳とはいえいま見ても決して分かりやすい解説書ではない。しかし当時は日本語の資料がまだまだ少なかったことでもあり嬉々として熟読した。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「林檎百科~マッキントッシュクロニクル」翔泳社刊
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊



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プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員