初めて仕事として制作したMacでアニメーションの思い出

何にでも最初、始めてというものがある。私にとってマイコンはもとよりPET 2001やApple IIそして最初のMacintoshは個人の楽しみであり、仕事にかかわることではまったくなかった。しかし1987年、Macによる動画制作の依頼がはじめてあり、私は社長の命で数分のアニメーションを仕事として作ることになった。


ただし社内に目を向ければ、貿易業務の一端を何とかパソコンで効率よく処理できないかと自前で買った最新鋭のパソコンを会社に持ち込み、BASICでプログラミングし、ある種の書類作成の自動化を図ったりと試行錯誤をしていた時代だった。
とはいえ資料作りにしろ、パソコンから生み出される結果・成果は社内の効率化・合理化のためであり、それが直接金を生むということはなかったし正直考えたこともなかった。
個人的にコンピュータ雑誌に原稿を書き、その原稿料がよい副業となっていた頃でもあったが、会社の仕事として外部からなにがしかのデジタル的な受注をコンピュータで制作するなどまだまだ先のことだと考えていた。

さて1987年といえば最初のカラーをサポートしたMacintosh II がリリースされた年でもあった。そして私はといえば、夏休みを利用し7月27日から31日の5日間、米国ロサンゼルス郊外のアナハイムで開催された世界的CGの祭典「SIGGRAPH」に参加した年でもあった。私の頭の中はコンピュータグラフィックス、コンピュータアニメーション一色だったといえる。

その「SIGGRAPH」から戻った直後だったと思うが、社長から「後で雪印のAさんがくる。君に頼みたいことがあるので同席するように」といわれた。
私の勤務先は従業員数人の小さな貿易商社だったが、行き掛かりは知らないもののAさんは雪印乳業(当時)○○工場の工場長だった。したがって顔は知っていたがそれまで挨拶程度で仕事の会話に加わったことはなかった。それが同席しろとはどういうことなのか、一瞬怪訝に思ったがそこはサラリーマンの気楽さですぐに忘れた(笑)。

雪印からの依頼は私にとって大変エキサイティングな内容だった。というか考えたこともないようなことだった。
それは同社がセンサー技術を応用して開発した動粘度モニタリングシステムの核となるRHEO CATCH (レオキャッチ)という粘度計を説明紹介するアニメーションを作ってくれというものだった。
1987年といえば30年前であり、アップルもそしてMacintoshもマイナーな存在だった。したがって企業が広告宣伝やアピールのために動画やアニメーションを作るとすれば広告代理店や専門の映像プロダクションに依頼してビデオ映像作品として制作するのが当然の時代だった。あるいはマスコミへの発表の場でもせいぜいプロジェクターやスライドによる告知しか考えられなかった。

それがどういう風の吹き回しかMacintoshのアニメーションとして作れないかという。
ひとつには社長がなにがしかの仕事を取りたくて、私の存在をオーバーに訴えたのかも知れない。事実私の個人としての名前は「MACLIFE」といった創刊したばかりの専門誌に載っていたし、ジャストシステムの図形処理名人「花子」のマニュアル本も出版されたばかりだが早くもベストセラーになっていたから針の穴のような狭い世界だとは言え知られる存在になっていた。


最初に問われたのは3分ほどのアニメーション制作で費用はどの程度かという点だった。その頃は前記したカラー版Macがやっと登場したばかりで高価なこともあって普及には些か時間がかかると思われていたし、カラー対応のソフトウエアも大変少なかったから一体型Macでモノクロの作品、それも9インチという小さな画面で作るしかなかった。後は画面をフリッカーが目立たないようにビデオ撮影して活用することを考えていたらしい。
ともかく私が雪印からの仕様を考慮した見積額は50万円だったと思うが、ビデオで制作するよりずっと安いと一円も値切られず契約となった。

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※1987年9月に納入したMacによる最初のアニメーション作品。成果物のバックアップフロッピーディスク


決まった大きな要因としては私がVideoWorks IIというアニメーションソフトで簡単な試作品を見せたからに違いない。何しろコンピュータアニメーションが目の前で描かれ、それが動くというシーンを見たことのある人など業界人以外にはまだまだいない時代だったから、それだけで驚かれた。

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※VideoWorks II は優秀なアニメーションツールで後にDirectorへと進化する


同社から新製品の粘度計カタログをいただき、何をどのようにアピールしたいのかを打ち合わせた結果半日程度でプロトタイプができた。
それは個人的に当時としては珍しいMacintosh用のビデオデジタイザやイメージスキャナなどの周辺機器が揃っていたこと、そしてVideoWorks IIの扱いに十分精通していたからだ。

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※VideoWorks II によるアニメーション画面例


微調整およびクライアントの要望を踏まえた変更は会社に導入されたMacintosh SEで即対応できた。
「ここはこうならないか」という要望希望を目の前で手直しして作品に即反映する様も驚かれた。ビデオ作品では編集でなんとかなる範囲の変更ならともかく撮り直しとなれば費用も時間も大幅に変わるからだ。

こうしてプレゼン用アニメーションは無事に納品となったし請求額もきちんといただいた。といってもサラリーマンの私の懐に入るものではないが(笑)。
このときの経験、インパクトは私にとって非常に大きなものだった。前記した「SIGGRAPH」で見た世界も含め、デジタル作品やソフトウェアの開発といったものが立派なビジネスになる事を確信した瞬間だった。
その2年後に私は会社を辞め、Macintosh用専門のソフトハウスを起業することになるが、まさしくVideoWorks IIによるアニメーション制作は人生の分岐点となった。


Apple II で5インチフロッピーのコピー作成を紹介

VisiCalcを起動しようとApple II など押し入れの奥にしまい込んでいる機器をセットアップしたついでといってはなんだが、Apple II とDISK II による5インチフロッピーディスクのコピー手順とその実際をご覧いただこうと動画を撮ってみた。しかし何をやるにもまずは忘れていることを思い出さなければならないのが面倒だ...。


現在のパソコンでなら、ボリュームにしろファイルにしろメディアによって多少のあれこれはあり得るもののその複製を作るのは簡単だ。しかしまだハードディスクといった周辺機器がユーザーのところまで降りていないApple II の時代はけっこう面倒な作業だった。
今回は懐古趣味といわれるかも知れないが、Apple II 時代主流のメディアであった5インチフロッピーディスクを丸ごとコピーする手順をご紹介したいと思う。

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※今回使用するApple II Plusとグリーンモニター、そして1台のDisk II。さらにDOS3.3のマスターディスクとブランクディスク


コピーしようとするオリジナルフロッピーは「DOS 3.3」のシステムディスクだ。当時もこのフロッピーディスクが頼りだったこともあり、ほとんどのApple II ユーザーはその複製を作って万一の場合に備えていた。
この「DOS 3.3」を未使用のブランクフロッピーディスクにそのままコピーしようというわけだが、勿論フロッピーディスクのコピーを作るのにはそれを読み書きできるディスクドライブが必要だ。したがってApple純正の Disk II に登場してもらうことにしよう。

まずシステム構成を記しておくと、Apple II Plusとグリーンモニター、そしてDisk II 1台だ。
事情に詳しい方なら、Disk II が2台あればコピーが楽だとご存じだろう。一方のディスクからオリジナルのシステムデイスク内容を読み、もう一方のディスクに入れたブランクフロッピーディスクへ書き込めばよい理屈だ。勿論...というか我が研究所にもDisk II は2台あるからそうすれば簡便だ。

ただしせっかく?のチャンスだ。当時Disk II ドライブは高価でドライブのコピー品まで登場したほどだからApple II ユーザーでもDisk II が1台でがんばった方も多いのだ。
ということで今回はディスクドライブ1台であえてコピーをやってみようと考えた。確かにひどく面倒だが、当時こうしたことに慣れてはいたものの現在の便利さといかに違うかを感じていただければ嬉しい。

さて実際、一連の手順は動画に収録したのでそれを参考にしていただきたいが、ここでは手順の概要を記しておきたい。
まずはDOS 3.3 のオリジナルディスクを使ってApple II をブートしてみる。
問題なく起動し "]" のプロンプトが表示し入力待ちのカーソルが点滅している。



※フロッピーディスクの複製を作る過程を動画でご紹介。はなかなかに面倒だったことがお分かりになるはずだ


ここでシステムディスクに収録されているコピープログラムを実行するわけだが、ここでは "]RUN COPYA" と入力してリターンキーを押す。
ちなみにここでApple II の詳しいコマンド云々を解説するつもりはないが、Apple II は整数BASICとApplesoftと呼ぶ浮動小数点BASICが使え、それぞれ切替て使うことができるが、プロンプトが "*" なら整数BASIC、 "]" ならApplesoftと区別がつく。
そして整数BASIC時にコピープログラムを走らせるには "RUN COPY" というコマンドになるが、Applesoftの場合は "RUN COPYA" となる。

するとコピープログラムが起動し、オリジナルディスクが入っているドライブのインターフェースカードスロット番号とドライブ番号を聞いてくる。SLOTは初期値の "6" なのでそのままリターンを押し、続いてのDRIVE番号も初期値の "1" なのでこれまたリターンキーを押して先に進む。

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※Disk II のインターフェースカードは#6スロットにセットしてある


続いて同じくデュプリケートするディスクのスロットと ドライブ番号を聞いてくるが、SLOTは同じく "6" のままリターンキーを押すが、DRIVE番号は "2" と表示されているものを キーボードから "1" と入力して変更する。
これで1台のフロッピードライブを使ってコピーする準備ができたことになる。

後は指示にしたがってフロッピーディスクドライブにマスターフロッピーとコピーフロッピーを入れ替えつつリターンキーを押していけばよい。
ただし入れ替えはかなりの回数を覚悟しなければならない。実際にカウントしたら18回で仕入していた。
コピーが終わると "DO YOU WISH TO MAKE ANOTHER COPY?" と表示されればコピーが終了したことを意味し、続けてコピーを行わない場合は "N" を入力してコピープログラムを終了する。

問題はブランクディスクに問題なくDOS 3.3がコピーされたかだ。これはブートしてみれば確認出来るわけだから、Disk II にコピーしたフロッピーディスクをセットしてApple II を再起動させれば一目瞭然だ。
幸いこの例では旨くコピーができようでDOS 3.3が正常に起動したのでこれでミッションは完了である。

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※コピーしたフロッピーディスクは正常に起動した


いまでは3.5インチのフロッピーディスクでさえ見たことがないユーザーが増えているという。ましてや5インチのフロッピーの扱いなど知る由もない方々も多いと思うので当時のオペレーションの一端を知っていただければと思う。
こうして古い機器をたまに使ってみると、いかに現在のパソコンが便利かをあらためて思い知らされる。それにしてもあれだけ夢中になって勉強したあれこれだが、忘れていることの多い事にも驚く。
楽をすればそれまでの苦労は簡単に忘れてしまうものなんですな。少なくとも私は...(笑)。



Apple Adjustable Keyboardを再考する

アップルはデザインとインターフェースに優れたコンピュータメーカーとして知られてきた。これまでにも期待に恥じない素晴らしい製品を多々開発してきたが、反面意気込みは強かったものの市場に受け入れられないために短命に終わった製品も目立つ。今回はそうしたプロダクトの一つ「Apple Adjustable Keyboard」をご紹介してみよう。


Apple Adjustable Keyboardが発売されたのはアップルがQuickTimeを前年度にリリースしたことから盛んにマルチメディア指向を探っていた1993年だった。
国内では最初ASCII キーボードが、そしてしばらく経ってからJISキーボードが発売されたと記憶している。米国価格はUS$219だったが国内では5万円ほどしたはずだ。まだADB (Apple Desktop Bus)時代のことだ。

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※Apple Adjustable Keyboardパッケージ


まずはそのパッケージだが、当時もそのサイズと重さに驚いたものだ。パッケージの形は台形で広い方の横幅が約48cm、狭い方で約41cmほど。そして奥行きが28cmで高さが12.5cm、重さは3Kgほどあった。
パッケージの材質はダンボール製で地味だが作りはなかなか凝っていた。

まず上蓋を上げると3重になっており、一番上はマニュアルやドライバーソフト、フロッピーディスケット、そして2本のADBケーブルが収納されているがその打箱のカバー上部にはアップルロゴの形に切り抜かれている。

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※蓋を開けると一番上の箱にアップルロゴが抜いてある


次ぎに出てくるのがキーボード本体と専用パームレストが、そして一番下はテンキーユニットだ。私の手元に残っているのはUSAバージョンというASCII 版だが、QWERTYキー配列に特別な点はないが人間工学とかエルゴノミクスと騒がれた時期の製品だけに現在のキーボードとは大きく異なった点が多い。

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※外装の中は3段に。上からマニュアル類およびケーブル、キーボード本体、テンキーユニッ


まず本体側のキーボードだがスペースキーのサイズに目を奪われる。そして付属のパームレストが手前側に左右ふたつ取り付けられるようになっているが、このキーボードはなんと手前側が左右に拡がるように開くことだ。そして背面には滑り止め処理はもとよりキーボードの角度が変えられる折り畳みのスタンドがある。

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※キーボードにパームレストを取り付ける(上)。キーボード本体を左右に開いたところ(下)


また何よりも目立つのは別ユニットのテンキーユニットの存在だ。そこにはカーソルキーとファンクションキーが集中しているものの、そのデザインは本体と統一が取れたものとしても形状はキーボード本体と橫に列べて置くにはしっくりしない。

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※パームレストを付けたテンキーユニット


さらに粗探しみたいだが、例えばキーボード本体左上には例の6色アップルロゴが埋め込まれているが、テンキーユニットの同じ位置には単に型押しのアップルロゴがあるだけだ。コストの問題だろうが、変なところでみみっちい…。

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※キーボード本体には6色アップルロゴがあるものののテンキーユニットには刻印だけだ


Apple Adjustable Keyboardは、ユーザーそれぞれの利用環境とある程度の特性に配慮し、自分にとって楽なアプローチで打鍵ができるよう配慮されたキーボードだった。そして確かにキーストロークもよく、当時のパソコンキーボードとしては良質な製品であることは間違いなかったと考える。

ではユーザーに歩み寄ったといわれたApple Adjustable Keyboardは成功したかといえばアップルの目論見は成功しなかった。
それはその後、Apple Adjustable Keyboardを踏襲したトータルデザインが継承されなかったことを考えれば明らかだろう。
エルゴノミクスといえば聞こえは良いものの、当時のアップルはそれを広め、多くのユーザーに使いたいと思わせる力がなかったというしかない。

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※ケーブルは接続していないが、こうして本体とテンキーを横に並べると少なくとも幅60cm以上のスペースが必要となる


そもそも一番の問題は、利用面積を広く占有しなければApple Adjustable Keyboardの利点を満喫できないことだ。パームレストはもとより、キーボード本体を開き左右のキートップに角度を付け、さらにテンキーを隣に置くにはかなり恵まれたデスク環境でなければ使えない。実際に計測してみると横幅は最低でも60cmの空間が必要となる。

アップルは人間工学を考慮したのだろうが、大げさに言うなら環境工学、いや…生活工学とでもいうべき多くの人たちの現実を考慮に入れなかったとしか言いようがない。
そうした意味においてApple Adjustable Keyboardは、アップルというメーカー側の理想だけを指針に製品化した、アップルらしいといえばアップルらしい特異なプロダクトだっといえる。



VisiCalc をApple II で起動!

少々時間が取れたのでずっと懸案事項のひとつだったことをやってみた。それはすでに8年も前になるが、資料としてeBayに出品されていたApple II 用の表計算ソフト「VisiCalc」のパッケージを手に入れたものの、これまで一度も起動させていなかったことだ。


「VisiCalc」に関しては旧記事「Apple II 用として開発された表計算ソフト『VisiCalc』再考」に詳しいので繰り返さないが、現Excel (エクセル)の発端となった画期的なアプリケーションであり、為にApple II のキラーアプリケーションとしてApple II の売上げにも大きく貢献したことが知られている。
なにしろしばらくの間「VisiCalc」はApple II 専用だったのである。

私の手元にある「VisiCalc」のパッケージはフェイクレザーの3穴バインダ形式になっているものでリリースは1981年、パーソナルソフトウェア(Personal Software)社から発売となっている。なお同社はVisiCalcの成功を確信した後、社名をビジコープ社と変えているから、手元のパッケージはまだ販売初期のものということになる。
対象は “Apple II & II Plus 48K 16Sector“ と明記された文字通り、Apple II 版だが、すでにオリジナルディスクは無くバックアップディスクしか残っていない。しかしマニュアルやリファレンスカード、保証書などは当時のまま残っている。

今回「VisiCalc」を起動してみようと用意した機材は以下のものだ。

・Apple II plus
・DISK II
・モニター (Apple IIc 用のグリーンモニター)

Visicalc_system.jpg

※今回VisiCalcを起動するために用意した機材


この5インチのフロッピーディスクにバックアップコピーがいつ作られたかは不明だが、当該パッケージを入手した最初のユーザーが作ったとすれば、購入からそんなに時間は経っていないうちにバックアップを取って置いたと考えて不自然ではないだろう。なにしろフロッピーディスクは磁気にも埃あるいし湿気などにも弱いから、私なども手に入れたソフトウェアのバックアップはなるべく早めに作っておくという習慣をつけていたくらいなのだから...。
といえばすでに30年以上は有に経っているわけで、この一枚限りの「VisiCalc」が起動しないとすれば諦めるほかはない。

今回の検証は、当該フロッピーが正常に起動するかどうかにかかっているが、旨く動作したなら当時の使い勝手はどのようなものだったかを思い出してみたいと考えた。
動いたからと言って、まさか「VisiCalc」を実用として使ってみようなどと考えたわけではなく、感覚的にも最新のExcelなどとどれほど違うのか、あるいは世界初の表計算ソフトの実力を再評価してみたいと考えたに過ぎない。

無論私自身「VisiCalc」が発売された時代にリアルタイムに使ったユーザーの一人だった。ただし白状すると正直いま思うに表計算ソフト、スプレッドシートというコンセプトがどのようなものなのかを深く考えなかったようだ。
ために当初は価格が安いからと「MagiCalc」という二番煎じの製品を買ったこともあった...。

さて、前記した機材を押し入れの棚から取りだしてセットアップすることからはじめる。それぞれが皆古い製品ばかりだから、いつ故障してもおかしくないわけで机上に置くのも、その取り扱いにも自然に丁寧になっている自分がいる。
ただしセットアップといっても難しい事はまったくない。

まずはApple II の蓋を開け、スロットに刺さったままにしているDISK II インターフェースカードにDISK II のケーブルコネクタを差し込み蓋を閉める。
モニターをApple II の蓋の上に置き、Apple II 本体とモニター共に電源コードをセットしてコンセントに繋ぐというこれだけだ。

いよいよフロッピーディスクをDISK II にセットして起動してみる。例え起動しなくても何の問題もないはずなのにやはりこうしたことは些か緊張するものだし反面期待も大きい。
DISK II の扉を閉めたらモニターの電源を入れ、続いてApple II 背面にある電源スイッチをONにする。
「カタカタカタカタ...」
懐かしいDISK II が音を立てたと思ったら、あっと言う間に初期画面がモニターに表示した。
問題なく起動したようだ。



※ユーザーズガイドからフロッピーディスクを取りだして起動させる


早速Apple II のキーボードからいくつかのセルに文字列や数値を入力しようとするが、そこはExcelではないわけで(笑)、全くといってよいほどコマンド類は忘れている。
それにさすがのApple II plusも問題なく動作しているものの、キーボードは些かチャタリング気味であるしキーストロークが現在のキーボードとはまったく違うので打ったつもりが入力されていないということもある。



※起動後に以下の基本中の基本をオペレーションしてみた


ともあれ、ユーザーガイドにある入力例の基本中の基本をそのままトレースしてみた。
こんな感じである。なお表記はユーザーガイドに準じている。

>A1®
SALES → 100®
>A2®
COST → .6*B1®
>A3®
"-GROSS- → +B1-B2®
>B1®

現在ExcelやNumbersといったアプリを使っている方なら、なにをしているのかはご想像がつくものと思う。
一応簡単な説明をさせていただくと

>A1     特定のセルへの移動を意味する。この場合は当然1行目のA列を意味する
®      リターン
→       セルをひとつ右へ移動
SALES    テキスト入力。COSTとか-GROSS-も同様。
       ただし-GROSS-の前に " が付いているのは - は演算記号ではなく文字列であることを宣言するため
.6*B1    計算式。B1の値に 0.6 を乗じた値を算出する
+B1-B2   計算式。B1の値 から B2の値をマイナスすることを意味する

勿論、この例の場合は「SALE = 100」から「COST」を引いた計算結果は「40」だが、B1の値である100を200にしたとすれば、答えはそのコストである6割を差し引いた80に変わる。また変数を扱う事もできる。
ただし現在の表計算ソフトとは違い、罫線機能はない。したがって一行を使い例えば = や - などを入力して罫線としなければならない。

個人的には今もってExcelなど出来ることなら使いたくないと思っている一人だが、本当に久しぶりに「VisiCalc」に対面してみると数行テキストや数値を入力するだけで肩が凝って疲れてしまった。
というわけで、「VisiCalc」は進化や変化が激しいコンピュータの世界におけるひとつのエポックメイキングであり、起動する現物は時代を正確に伝える証拠でもある。
今後も大切に保存したいと考えている。



驚かされたホテルのドアマンの対応とは?

先日「3000人の顔と名前を覚えたドアマンに聞く【簡単に顔と名前を覚えられる記憶術】」というウェブサイトを見て古い記憶が甦ってきた。記録を調べて見るとそれは1996年11月5日のことだったようである。


その日、日本経済新聞朝刊にアップルの全面広告が載った。それは当時のCEO ギルバート・アメリオ氏の大きな写真と共に「メーカーの理論より、ユーザーの実感の方が、はるかに正しい」というコピーが印象的だった。
実はその日はホテル・オークラでアップルジャパン主催のエグゼクティブミーティングがあり、来日したアメリオ氏も同席するということでデベロッパーの一人として私も招待を受けていた。

Gil_Amelio.jpg

※1996年11月5日、日本経済新聞朝刊に載ったアップルジャパンの全面広告。当時CEOのギル・アメリオ氏から直筆サインをいただいた


私は朝刊の広告を見ながらふと思いついた。この新聞を持参しアメリオ氏本人にサインをしてもらおうと...。
まあ実際にそうしたタイミングがとれるかどうかは会場に行ってみなければ分からないが、チャンスがあればよい記念になると思ったのだ。
結果は嬉しいことに一言二言会話ができ、握手もできたしサインも嫌な顔もせず笑顔で応じてくれた。
この辺のエピソードに関しては「前Apple社 CEO ギルバート・アメリオの思い出」に詳しいのでご参考にしていただければ幸いである。

さて本題だが、アメリオ氏のサインのことではない。
私は自分の会社から車でホテルに直交したが、残念ながらホテル・オークラを多々利用したことはなかったはずだ。過去に一般の客として出入りしたことはあったかも知れないが、馴染みだったとか定宿だったということではなかったから一見の客であった。

ハイヤーがエントランスに着くとさすがに一流ホテルだ。ベルボーイが「いらっしゃいませ」と開いた車のドアを押さえて笑顔で迎えてくれた。
私は会釈し、コートの裾に注意しながら車から降りフロント入り口へと向かった。
そこで初めて驚くべき体験をしたのである。

ドアは自動ドアだったと思うが、入ったその脇に中年のドアマンがいた。優雅な足取りで私の方へ向かってきた。そのときドアマンは「いらっしゃいませ松田様」といいながら手荷物を持ってくれた。
「お世話をかけます」といいながら私は「凄いな」と感激していた。
たかが名前を呼ばれただけではあるが、ドアマンとは当然のことながら初対面なのだ。これが度々利用していた御茶ノ水の山の上ホテルであれば顔と名を覚えて貰うほど利用していたから当然としてもこのホテルは繰り返すが一見であった。無論コートに名札がついていたわけではない(笑)。

前記したウエブのニュースでは3000人の顔と名前を覚えているドアマンの話だが、それ自体努力の賜でありサービス業としては素晴らしいことだと思うが、ドアマンはどこで私の名前と顔を知ったのだろうか。
意地の悪い私はドアマンがいた付近に馴染みのアップル担当者でもいて「あれは松田さんです」と耳打ちでもしているのかと注視したがそれらしい人物もいなかった。

ということは本日アップルのイベントがあり、当該時刻には多くの招待客がこのロビーへと足を踏み入れるということで、推測だがアップルから招待客の顔写真と名前といったリストがホテル側に渡され、それをドアマンが意識的に覚えたということ以外に考えられない。しかし招待客の数は500人にも上っていたのだからどうにも釈然としない。
著名な政治家とか芸能人であればともかく一般客の名前をそらんじる努力は仕事とはいえ大変なことに違いない。
「それがサービスなのだ」といってしまえばそれまでだが、これまで多くのこうした催事に参加してきたが、ドアマンからいきなり名前を言われたのはこの時だけでありその後は経験していない。




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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。ゆうMUG会員