1970年代から劇的に仕事を変えた7つのテクノロジー

先日古い知人と話しをする機会があった。共に自身の体験として振り返れば劇的な...本当に激変の時代を体現してきたことを痛切に感じるといった話題になった。社会に出てしばらくは一流企業であってもゼロックスコピーもFAXもなく電卓さえ一般的でなかった。というわけで今回は私的な感覚ではあるが1970年代初頭に一部上場企業に就職した自身を振り「1970年代からの劇的に仕事を変えた7つの新テクノロジー」と題してハードウェアとソフトウェアの与太話をさせていただく...。


■1■ パーソナルコンピュータ
まずは何といってもパソコンを抜きにしてテクノロジーの進歩は語れない。とはいえ自分の仕事を変えたテクノロジーといっても、人によりそれぞれの時代を担い、それぞれの体験があるはずだが、20世紀のテクノロジーの中で社会とビジネスを激変させた最たる物はやはりパーソナルコンピュータに違いない。

後述する「電子メール」も「DTP」あるいは「表計算ソフト」にしてもすべてパソコンがあってこそのものだ。
しかし我々はいまでは何の不思議とも思わずパソコンを仕事に活用しているが、そのパソコンが個人個人の立場で仕事に使えるようになったのは意外と後になってからだ。

確かにApple II は1977年に登場したしコモドール社のオールインワンパソコンPET2001を手にしたのは1978年だった。その後、これはと思う多くのパソコンを手に入れてみたが日本語対応されておらず、手軽に自分たちの仕事に取り入れることはできなかった。無論英語圏のユーザーならApple II とプリンタがあれば実用となったに違いないが...。

個人的にパソコンが仕事で使えるという思いをしたのは1982年に登場したNEC-9801、1983年に登場したIBM5550あたりからだった。Macintoshは1984年にリリースされたがオフィシャルに日本語化されたのは1986年のMacintosh Plusに「漢字Talk 1.0」が搭載されたのが最初だった。ではそれで即仕事に使えたかといえばメモリの少なさ、アプリケーションの少なさなどの理由から極限定された範囲でしか実用にはならなかった。

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※1984年、自宅でIBM 5550を前にした筆者


私がパソコンを本当の意味で仕事に密着する形で使い始めたのは1989年に起業してからだった。そしていわゆる経理事務はもとより顧客管理や対外的な印刷物の作成などすべてをMacintoshで可能になったのはさらに数年が必要だった。
ただし振り返って見ると仕事にパソコンが導入されたことで我々1人1人は仕事が楽になったのだろうか?

現実は、手際がよくなり仕事の仕上がりが速くなった分だけ別の新しい仕事を任されるし、パソコンのハード・ソフトに関わるあれこれで従来には考えられない程、新しい事を覚えなければならなくなった。
1人のサラリーマンとしてパソコンが登場したからといって楽になったという感じはまったくといってなかった...。

現在からの視点から眺めるとパソコン無くしてどのように仕事ができるのか...と不思議な感覚に陥るが、1970年代から1990年ほどの間、パソコンも携帯電話もないのに任された任務はきちんとこなしていたはずだ。パソコンは仕事の効率を高めると同時に高度な意志決定にも重要だと思われているが、それを使うのは我々サラリーマンでありOLだ。果たしてパソコンは我々の見方なのだろうか...。

マイコンやパソコンといったものと約40年ほど格闘してきた1人として振り返れば、確かにパソコンを通じて...例えばインターネットといった新しいテクノロジーを知り、活用する術を学べたことは間違いないが、振り返れば文字を手書きで書けなくなったし友人知人たちの住所はもとより、電話番号でさえほとんど携帯電話のメモリ内に頼りきりで覚えていない自分に気づく。
外出時に財布を忘れても慌てないがiPhoneを忘れると不安でしようがない...。これはある種の依存症であり能力の視点から見て退化ではないのか...。

■2■ ボールペン
経理業務で総勘定元帳や仕入帳といったバインダー形式の元帳記入はつけペンとインクだった。家庭ではさすがにつけペンなどには縁がなかったから最初は戸惑ったが、例え自前の万年筆を持っていても使うことは禁止されていたから選択肢はなかった。
勿論間違った時は二本線で消し、訂正印を押した上で空いている場所に書き直すか、場合によっては砂消しゴムなどで完全に消し去って書き直したが、上書きはインクが滲むので閉口した。

いつの頃からボールペンの使用が許されたかは記憶にないが、当初は公文書への使用が認められなかったもののちょうど1970年代頃から少しずつ使われていったと思う。しかし鉛筆もそうだったが、職場でのボールペン利用はかなりシビアで、インクがなくなったボールペンを総務部へ持って行かない限り新しいものは支給されなかった。
ボールペンはたまにボールの先にインクの塊がこびりつき、それが用紙を汚すこともあったが、つけペンとは比較にならない便利さがあった。

ではなぜブルーブラックのインクと付けペンだったのか...。それには大きな理由があった。すでに40年も前の事だからお話しするが、帳簿がバインダー式だったことと関係する。経理上のことなのか財務的な関係なのかは平社員には判断が付かなかったが要は後で都合の良いように元帳を書き直すことができたからだと聞かされた。

用紙はコクヨ製だがそれらは年代を重ねると変色するが、日常ページを増やすためのものとは別に交換用の古い記入用紙が保存されていた。古い元帳の数ページが新しい用紙では誰が見ても書き換えたと分かるからだ。用紙はそうした配慮でなんとかなったが問題はインクであった。

新しく記入した文字と数年経過したページの文字を比較するとそのインクが経時変化で変色していた。現在のインクは分からないがその時代はまだそうしたインクがあったということだ。では...とあるページを後になって入れ替える場合にはどうするか...。くどいようだが用紙は古い用紙を使うにしろそこに記入したインクが見るも新しいものではこれまた変だ。

実は記入したインクの上に火を付けたタバコの先を近づけて熱を加えると書いたばかりのインクが変色してまるで数年あるいは十数年経過したように見えるのだった。ただし近づけ過ぎればせっかくの用紙が熱で焦げ、一ページ、あるいは裏表を全部書き直すハメとなった(笑)。

ボールペンはそうした不正を許してくれない新しい文具だった。思えば会社に大型コンピュータが導入された時期になってボールペンは社内で急速に普及した。そしてボールペンの利用は鉛筆やペンとは違い、強めの筆圧が必要なこと、線の太さが均一なことなどから大げさに言えば筆記の方法まで変化させたペンとなった。

■3■ 電子メール
電子メールの台頭は迅速に相手へメッセージを届けることが可能になっただけでなく、ビジネススタイルや価値観も変えるものとなった。
FAXが登場してもしばらくの間、いわゆるオフィシャルな内容のものは封書で送ることが礼儀であると教えられた。したがってその文面も「拝啓、貴社益々御清祥の段、お慶び申し上げます...」といった定型の堅苦しい出だしで書き始めたし、後述のワープロが普及するまでは当然のことながら手紙は手書きだった。

文書の内容はともかく手書きとなれば文字の綺麗さや品格は誰にでも出せるものではなかったが、逆にどの部署にも毛筆はもとより文字を書かせたら一番という人材がいて手紙だけでなく熨斗や冠婚葬祭の時には俄然目立つ存在となった。

対外的な手紙はどの会社も大差がなかったと思うが、社内間の情報伝達にはそれぞれ独自の工夫があったように思う。私の勤務先では他の部署に電話するにも交換手を通さなければならなかったこともあり、社内恋愛の相手に意思伝達する場合も「社内便」といった手紙の制度を活用した(笑)。

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本来この「社内便」とは本社内だけでなく各地の支店間や工場との文書による意思疎通のために活用されていたもので、定期的に専用車により運び出し、あるいは運び入れるといった仕組みであり、封書にしても新品の使用は厳禁で古い封書に紙を貼り、そこに宛先を書いて数度再利用していた。

本社に配送された社内便は総務部が一括して各部署別により分けて部署別の棚に入れておく仕組みだった。我々平社員はコピーのついでや文具などの消耗品を受け取りに行く際にその棚を確認するよう義務づけられていた。そして棚に入っている封書などを部署に持ち帰ってそれぞれ宛名の人の机上に置くことになっていた。

これを悪用...いや活用する強者が登場する。例えば広報のB子さんにデートの誘いをしたい場合にこの社内便を使うのだ。古い封筒を使って封をし、宛先を書き、差し出し人はそれらしく支店や工場の部課名を書くが、その書き方は予めB子さんと打ち合わせしておくことが普通だった。そして総務部の社内便棚の広報部棚に放り込んでおけばよい。

大きなトラブルがなければ一日数回の機会があり、封書は相手の机上に乗るし、宛名が明記されている封書を上司と言えども他人が開封することはまずなかったし万一他人に開けられてもある種の暗号化しておけば誰からの手紙と特定はできない。受け取った方も「なんでしょうね、嫌がらせかな」でとぼけられた(笑)。
とまあ、のどかな時代だった。

■4■ DTP
デスクトップ・パブリッシングは机上のMacとPageMakerというソフトウェア、そしてレーザープリンタで一般の印刷物に匹敵するクオリティの印刷が可能になった。Appleが実用化したシステムである。
確かにそれは凄いことだったが、一方...普通のサラリーマン、普通のOLにこれまで経験したことのない過度な期待と能力を求められることにもなった。そして仕事は格段に増えることになる。

それまでテキストだけの印刷物はもとよりだが図版や写真が入る印刷物は出入りの印刷屋に頼むのが約束事だった。電話一本で飛んできてくれたし、手書きの原稿や必要な写真ならびに図版を渡して重要なポイントを打ち合わせすればすぐに試し刷りを持ってきてくれた。そのクオリティとスピードは「さすがにプロ」と唸らせるものだった。

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※最初期のAldus社PageMakerの広告(1985年)。"page layout" という言葉と共に"desktop publishing" という表記がなされている【クリックで拡大】


あるいは社内用の簡易印刷なら和文タイプライターを数台備えてありプロのお姉さんたちがいるタイプ室に行き「この文章を100枚、何日の何時までにお願いします」と依頼するのが普通だった。後はいわゆる輪転機(ガリ版)で指定枚数を印刷してくれたから一般社員の仕事は下書きだけで済んだ。

それがDTPなるものが登場し、プロの印刷屋並の能力とセンスが平凡なサラリーマンやOLに期待されるのだから怖い...。
確かにパソコンとレイアウトソフトを使えばテキストと図版を混在した数ページの会報などは比較的簡単にできる。しかしセンスは勿論だが印刷物に関するノウハウがあるわけもなし、出来たものはあちらこちらでフォントが違っていたり、必要以上の装飾やボーダーがあったりと無残な結果も多かった。

結局DTPは普通の人材にパソコンとソフトウェアの操作法を覚えさせ、ページレイアウトの基本はもとより使用する写真を自分で撮るまでに至るという大きな負荷となった。何しろそれ以前の仕事は減らないのだから。

■5■ 表計算ソフト
ビジカルクに始まる表計算誕生物語はそれ自体が面白いが、一般のサラリーマンに与えた影響は計り知れない。思い起こせば私の場合も残業の多くは計算上の縦横が合わないために読み合わせをやり、数値に間違いがないかどうか、縦と横の計算に間違いがないかを確認するためのものだったといえる。そして読み合わせには当然のことながら2人の担当が必要だったし、計算は1人では間違いを見つけづらいという経験則からこれまた2人で交互に行ったものだ。それも計算は算盤が主だった...。

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※最初の表計算ソフトVisicalc。罫線はなく必要ならハイフンなどで区切りを入れる必要があった


いまでは表計算...スプレッドシートといえば "EXCEL" ということになっているが、ここに至るまでには幾多の生まれては消えて行ったソフトウェアがあった。
結果、求人募集には「WORDとEXCELが使える人」というのがポピュラーになった。しかし私たちはEXCELの使い方には精通したが計算能力が向上したわけではないのだ(笑)。

■6■ ワードプロセッサ
パソコンが登場した後、課せられた1つの使命がワードプロセッサ...すなわち電子タイプライタともいうべき文章を綴るためのソフトウェア開発だった。文字を扱うという意味ではパーソナルコンピュータはキーボードを有しタイプライタを模したことで機能面はもとより取っつきやすくなったともいえる。
ただし私らの興味はいつになったら日本語で文字入力できるのか...ということだった。そうした期待が大きかったから、やっと日本語入力と共にドットインパクトプリンターで打ち出されるようになった漢字はいま思えばギザギザだったが、随分と美しく思えたものだ。

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※PC-9801で一太郎を使う筆者(1985年9月撮影)


最初はパソコンよりワープロ専用機の方が機能が特化していただけに実用になったしコストパフォーマンスも高かった。私が好んで使ったApple II はついに日本語対応にならなかったしMacintoshだって正式に日本語システムが搭載されたのは漢字Talk 1.0 (1986年)になってからだが実用となったのは漢字Talk 2.0 (1988年)になってからだった。
そしていつしかワープロを扱う事は一昔前の読み書きソロバンのように考えられたし、特にビジネスに携わる者は必須科目となっていく。

ワープロはそれまでの手書きのように字が綺麗とか癖字であるといったことで評価されるのではなく文章そのものの巧みさも問われるようになった。サラリーマンやOLたちは所属部署を問わずそれまでとは違ったスキルが求められるようになった。

■7■ 携帯電話
携帯電話の月額料金が現実的な値段になり、本体も小型になった1994年前後に最初の製品を手にした記憶がある。小さな会社の代表者であった私はいま考えてもかなり忙しかったし講演やセミナーあるいは展示会などなどで全国を飛び回っていたから連絡を取り合う手段としては最適なものだった。とはいえまだまだ通話料金は高かったから携帯電話はもっぱら受信用と考え、よほどの急用でなければ発信は公衆電話を使うようにしていた...。

よく言われることだが、いつでもどこでも連絡ができる...ということは確かに便利だし何らかの決断を急ぐ場合にはありがたいものには違いない。ただし反面こちらの意志にかかわらず呼び出し音が鳴るというのは鬱陶しいものとなる。
第一、携帯電話を使って呼び出しするほど急ぐ用事などそうそうあるのだろうか(笑)。
1970年代に会社の机上に電話機はあったがそのほとんどは取引先からの通話だったし、例えば外出している部課長にコンタクトをしたくても戻ってくるか、あるいは向こうから電話連絡があるまではどうしようもなかった。
とはいえそれが当然のことだったからほとんどの場合はイライラすることもなく時を待つしかなかった。そしてそのことで仕事に大きな支障が出たという例はほとんどなかった。

携帯電話はまた人との待ち合わせの風景を激変させた。それ以前はもしすれ違ったとしても対処方法がないため、どこで何時何分で待ち合わせだということをくどいように確認したし、特に仕事などで初対面の場合には自分の風貌や着ているもの、あるいは持ち物等まで知らせたものだ。
また大きな駅には伝言板が必ずと言ってよいほど設置されており「○○さん、先に行きます」とか「30分待ったけど、さよなら」などの伝言がびっしりと書かれていたものだ。そしてすれ違いというか約束していたとしても会えないケースも多々生じたものだったし、いま来るか...と待ち続けて1時間...といったことなども珍しくはなかった。

ただし、誰もが携帯電話やスマートフォンを所持している昨今では待ち合わせの時間はともかく場所も「○○駅の改札で」程度で済むようになった。なぜなら現地で電話を掛け合えば間違いなく会うことができるからだ。
携帯電話は人と人の出会いや仕事だけでなく我々の生き方そのものを変えた...。



iPhone登場10周年に寄せて

先日の2017年1月9日はiPhoneが発表されてからちょうど10年となる日。つきなみだが長いようでもあり一瞬のことだったようにも思えるが、iPhone成功の秘密をあらためて当時に立ち帰って眺めてみるとなかなかに面白い。私自身は日本では発売されなかった初代 iPhoneの情報に接したとき本当に心がときめいたものだ。


ということで今回は当時そのiPhoneに関して書いた記事を読み返しながらどんな反応があったのかを振り返ってみたい。なおここでご紹介するアーティクルは現在でも当時のまま、お読みいただくことができる。

私がニュース記事を別にして、iPhoneに関する記事を当Macテクノロジー研究所ブログに掲載した最初は発表から2日経った2007年1月11日だった。それは「Apple iPhoneの素直な印象~写真だけではその凄さは分からない!」と題した記事だったが、自身まだ実機を手にしてはいなかったし「iPhoneの凄さは一般的なウェブサイトのニュースなどで、その紹介されたスペックを追っても実態は分からないのではないか」としながらも「iPhoneと現在我々が手にしている携帯電話を比べて見ると、スペック以上にその違いがよく分かると同時に、iPhoneの素晴らしさが理解できると思う。そして『なぜ、iPhoneの機能の一部でもいいから、使いやすく魅力的な製品がこれまで出来なかったのか…』を思い、Appleという企業の特殊性と技術力の高さをあらためて痛感した」と書いている。

そして「現在のiPodがそうであるように、街中で…電車の中で…人々が集まるとき、iPhoneを使う多くの人たちとすれ違うようになることを夢見つつ、じっくりと情報を集めながら待つことにしようではないか」と結んでいるのが我ながら興味深い。

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※初代iPhone (当研究所所有)

続いて1月24日に「『iPhone』にも酷評があるようだが...いつものことだ!」と題した記事を掲載した。
これはiPhone発表を受けて世界中のメディアがその反応を挙げ始めたからである。そうした中には意味のないべた褒めの記事もあったが、見るからに情報を精査していない否定的な意見も多かったことを思い出す。
当時の原稿をお読みいただければお分かりの通り、私自身は iPhoneに関して大いに賞賛を惜しまない一人だったが、アナリストの一部や業界関係者、専門家と称する人たちの中には様々な酷評を唱える人もいた。
例えば「iPhoneの技術は目新しいものではない」という批評は大いに笑えた。そして確かマイクロソフトのお偉いさんの「500ドルもするバカ高い携帯など誰が買うか?」といった批判もいまだに記憶に残っている。

特に「iPhoneの技術は目新しいものではない」だから「一週間で飽きる」といった批判を繰り返す人たちはそもそもテクノロジーの進化・進歩とはどういうことかを理解していない。いみじくもスティーブ・ジョブズは発表時にiPhoneを「携帯電話の再発明」といったが、いま思えばかなり控えめないい方だったとも思える。
ともあれ個人的にはこのiPhoneのニュースに接した際、前記アーティクルの本文にもあるとおり、スティーブ・ジョブズがあのゼロックス・パロアルト研究所(PARC)を訪れ、Lisa開発のヒントを得たという歴史的現実が甦ってくる。

それは例えiPhoneに採用されているテクノロジーの一部が、過去に存在していたとしても、誰もそうしたものを活かすすべを知らなかったことを証明しているともいえる。
「iPhoneの技術は目新しいものではない」というのなら、なぜA社もB社も、そしてC社からも1970年代からの30年間、iPhoneに匹敵するエキサイティングな製品をただの一度も出せなかったのか。メーカー各社はこれまで何をやっていたのか…少しは反省して欲しいと思う…」と書いているが、残念ながらその思いはいまだほとんど変わっていない。

その後、iPhone 3Gが登場した後でも国内メーカーやキャリアの代表者たちがさまざまな発言を繰り返していたが、iPhone 3Gと比較して自社製品のデキの悪さを認識していないのが笑えた。なぜ iPhone 3Gの登場に多くの人たちがこれだけ騒ぐのか、それは一昔前とは違い ”彼ら彼女らがアップルフリークだから” ではなく、iPhone 3Gにそれだけの魅力を感じる様々な要因があるからだ。

ましてや…とある企業の代表者が自社新機種リリースの際に「これでiPhone独壇場の時代は終わった」などと発言するに至っては身内へのリップサービスだとしても状況判断がきちんとなされていないことを暴露しているとしか思えなかった。そして「iPhone 3Gに対抗してタッチパネルを採用すればそれで勝てると思っているのであれば返す言葉もない」と書いたが…結果10年経った現状は申し上げるまでもない…。

iPhoneの優れた利便性は決してiPhone本体だけから生まれたものではないことも再認識すべきだろう。iTunesやMobile Me(当時)の存在、App Storeなどなどデバイスの使い勝手を最大限に生かす努力をAppleは独自で切り開いてきたのだ。
残念ながら他のキャリアやメーカーが一夜にして同等な魅力ある環境を作り出すことは無理なのである。
さて、そのiPhoneも勢いが鈍化したという情報もあるもののAppleが余程のヘマをしない限りスマートフォン市場において世界市場での優位を続けることは間違いないだろう。

【参考】
初代 iPhoneは2007年1月9日に開催されたMacworld ExpoにてAppleのCEO スティーブ・ジョブズにより「携帯電話の再発明」と発表された。同社デジタルオーディオプレーヤーのiPod、携帯電話、インターネットや電子メールの送受信等が行えるという3つの機能を併せ持ち、マルチタッチスクリーンによる操作性を謳った携帯情報端末。
カラーはシルバーのみで、発売当初は容量4GBと8GBの2通りだったが後に16GBモデルがリリースされる。
発売は同年6月29日よりアメリカ合衆国にて発売されたが通信方式にGSMを採用していない日本などでは発売されていないため、iPhone 1st Generationは染みが薄い。しかし本機はまぎれもなくAppleのその後の命運を左右するにふさわしい記念すべき製品である。



Appleの株券物語

当ブログ連載「[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ」でAppleが株式公開する話しを書いていたとき、構想の概要を友人に話したところ「ところでお前はAppleの株、何株持ってるんだ」という話しになった。株の所有は即いまの価値がどうのとか金額がどうのこうのという話しになるので嫌だが、まあ正月ということであらためて調べてみた。


まず私がAppleの株を購入したのは2000年8月と2003年8月であり、それぞれ一株ずつだ。いや間違いではなくそれぞれ一株だから合わせてもたったの二株ということになる。
そもそも私には株で儲けようとする才覚がないことは自覚しているので本格的に株を買って云々するつもりはまったくなかった。ただし一般的には株を購入しても株券の不発行が当たり前だからAppleの株主だったにせよ株券そのものを所持している人は少ないに違いない。

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※2000年8月に初めてAppleの株を購入(株券は本物)


それは有価証券だから盗まれたり紛失すればそれまでだし管理も面倒だからだ。私はといえばそのApple社の株券そのものが欲しかったのでその本物が手に入るなら一株で良かったのだ。
当時はネットでそうした有名企業の株券を代理購入してくれる企業があったことでもあり気楽に購入しそれを額に入れて飾ってきた。だからそもそも株価が高騰しても売る気はないし(売れるかどうかも知らない)、暴落して紙くず同然になってもこれまたどうということはなかった。

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※2003年8月には株券のデザインが変わったのでさらに一株購入(株券は本物)


さてそのAppleはこれまで4回株式分割を実施している。株式分割とは、資本金は変えないで一株を細かく分割することで、株式会社が発行する株式の流通量を増加させたいときなどに利用される新株発行の一種である。
現実問題としては、単元単価が高値をつけておりその為に市場流動性が低下しているなどの状況がある場合、株式分割によって単元あたりの単価を縮小させることで市場流動性を向上させる効果を狙ったものだという。

例えば 1 : 3 で実施された場合、1株に対して2株が無償で株主名簿に記載された株主に対し配られることになる。したがって持株数は3倍になるが、理論的に株価は1/3になるので、資産の総額自体は変わらないしすべての株主の持株数が均等に増加するので持分比率の変動もないという理屈になる。無論分割後の株価の変動はそのまま株主の損得に直結する (ウィキベディアを参考)。

繰り返すがAppleの株式分割は以下のように4回実施されている。

・1987年6月 株式1株を2株に
・2000年6月 株式1株を2株に
・2005年2月 株式1株を2株に
・2014年6月 株式1株を7株に

前記したとおり、私が購入した時期、タイミングからして1987年と2000年6月の株式分割は関係ない。2000年8月と2003年8月に一株ずつ買った計2株がまず2005年2月に実施された1: 2の株式分割に関係する。
この株式分割により私の持ち株数は4株となったことになる。さらに2014年6月9日に実施の1: 7の株式分割時には28株の持ち株になった理屈だ。これが現在のところ、私の総持ち株数である。

ついでに野暮な話しを続けるがAppleの株価を調べると2016年12月30日現在、115.82 USD だというから持ち株の総額は3,242.96 USD となり、2017年1月2日現在の1米ドル = 117.302053円 というレートで計算すれば 380,399円という結果だ。
まあまあそれぞれ一株を買った時期に例えば100株ずつでも手に入れていたら今頃はバラ色の人生だったかも知れないが(笑)、そもそも株で儲けようという才覚と意欲がないのだから私にはあり得ない話しで "たられば" そのものが成立しない。
その他、株券と言えば同じ要領で PIXAR社の株券も一株持っている。これもご承知のようにディズニーに併合したが、私には貴重な資料なのだ。

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※2005年11月に購入したPIXARの株券。これも一株だ(株券は本物)。これにはスティーブ・ジョブズのサインがある


※なお以前Twitterでツイートした際には上記より多い額を記したが計算間違いだったのであしからず。


2016年度、MacTechnology Lab.的ベスト10プロダクト紹介

私の年齢になると1年間はとても短く感じるが、反面振り返って見ると様々な忘れ得ない出来事も目立つ。ともあれ1年のまとめという意味を含め、好例の年末特集ということで「2016年度、MacTechnology Lab.的ベスト10プロダクト!」をお届けしたい。


1年を総括してみると個人的にはベスト10に含まれない逸品もあるわけだが、概してソフトウェアの1年だったような気もする。1位にAdobe Muse CCを入れたのをはじめ、Smart Photo Editor、StoryMillといった初めて使い始めたソフトウェアに魅入られた年だったようだ。

それでは簡単にベスト10のアイテムに関してコメントをご紹介してみたい。なおブログやサイトの代表的な記事などにリンクを貼っておくのでご参考になれば幸い。

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① Adobe Muse CC
  今年の春から現行のブログとは別にウエブサイトを公開した。そのサイト作りをAdobe Muse CCで始めたのだが様々な制約や限界はあるものの基本的にはHTMLのコードを知らずして高度なデザインを有したサイト作りが出来ことにハマってしまった次第。Adobe Creative Cloudユーザーではあるが、活用しているのはこのAdobe Muse CCが一番だ。

② Apple Watch Series 2
  今年手に入れたハードウェアを考える上でこのApple Watch Series 2と5位に入れたApple Watch Hermèsは大切なアイテムだがなんといってもApple Payを使いたいために手に入れたこのSeries 2は上位にせざるを得ない。本来ならApple Payの冠で記すべきなのかも知れないがそれはプロダクトではなくシステムだと考えこうした順位にした。

③ Smart Photo Editor
  ソフト屋としてソフトウェアの魅力は分かっているつもりだが、私の趣味趣向では大げさでなく近年一番二番を争うアプリケーションだと考えている。時々アプリが落ちたりもするが、これほどのソフトウェアを構築するメーカーおよびプログラマたちに敬意を表したい。Smart Photo Editorはその名の通り写真編集ソフトの範疇にいれるべき製品なのだろうがこれほど間口および奥行きが深いアプリケーションは少ないのではないだろうか。

④ AKAIのウインドUSBコントローラー「EWI USB」
  楽器演奏として個人的にはリュートを爪弾くのを楽しみにしているが、ときおり「EWI USB」を取りだしてつたない音をだすのも楽しみにしている。もっともっと練習をしなければと思うが時間は限られているからなかなか優先になり得ない。急がずゆったりと楽しみたいデジタル楽器である。

⑤ Apple Watch Hermèsドゥブルトゥール38mmステンレススチールケースとヴォー・バレニア(フォーヴ)レザーストラップ(L)
  Appleとエルメスのコラボ製品という初めてのアイテムは是非とも押さえておきたいと物欲100%が動機で手に入れた。あくまで自己満足の逸品でありいわゆる余所行きのアイテムである(笑)。

⑥ 遠赤外線輻射式セラミックヒーター「サンラメラ」
  新年早々に手にれた文字通りの暖房器具だが、安全性も含めてその輻射式という珍しい仕様が生きている逸品である。無論この冬も100%お世話になっている。

⑦ StoryMill
  小説「未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ」を執筆するにあたりあらためて探したテキストエディタだが機能的にこのアプリがあればこそといった感じで助けられている。ただし理由は不明ながら日本語入力自体は問題ないものの一端保存して再度開くと文字列の一部がばらけていることがあり困惑しているがそうならない場合もあるので現在調査中。

⑧ Blue Microphone snowball
  今年になって新たに始めたことのひとつにウェブサイトでポッドキャストを始めたことだ。まだ否定期であるが続けてみたいと考えている。そのために用意したコンデンサマイクロフォンだが、私の目的とする用途に合致する非凡なプロダクト。

⑨ スマホ通話レコーダー「Stickphone BR-20」
  仕事はもとより、病院で手術に関わる予約やアドバイスなどを電話で聞くときiPhoneの会話を簡単に録音できるアイテムを探していたが、この製品は大変気に入っている。小型軽量なのはもとよりケーブル類を接続しなくてよいのが最高。

⑩ PFU社のアルバムスキャナ「Omoidori
  スキャナフリーク?の一人としては使ってみたい製品だと思って購入した。求められている性能には満足しているが出番が少ないのが難点(笑)。

特別賞
我がMacテクノロジー研究所の1年を通して創作の動機付けやそのパワーの源となったのが自身で造形した等身大フィギュア(マネキン)。これを抜きにして1年を終わることは出来ない。

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※Macテクノロジー研究所専属モデル Eliza

既存のマネキンでは私の撮影目的としての趣味趣向を含めて満足できなかったのでボディと両手を含めて造形したことはとても面白かったし次の仮題も多々見えてきて興味を増した。こうしたマネキンに関わるのは丸々1年になるが、当初は「危ないオジサン」と揶揄されたものの、やっとそうした言われようは聞かなくなった...というか飽きられた(笑)。しかし今年から始めたウェブサイトの表紙を飾る専属モデルとしても活躍。繰り返すが創作意欲を鼓舞するのに重要な相棒となりつつある。

さて皆様のベストプロダクトはいかがだったでしょうか。
ともあれ、今年1年当ブログをご愛読いただきありがとうございました。よいお年をお迎え下さい。



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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員