自分の生まれた56年前の新聞を手にして...驚く!

自分の生まれた年月日の朝日新聞を手に入れた。いわゆる社説が載っている一面と社会面であり、時は1948年6月3日(木曜日)。何と...56年前の出来事が今日の新聞を見るようで興味深い。 


この昭和23年当時の世相をあらためて申し上げる必要はないと思うが、一部ではまだまだ戦後の混乱が残り、あちらこちらで陰を落としていた時代であった。 
それはともかく、その日の紙面の見出しや小見出しを見ると、その使用されている活字は旧字体が混ざっていたりするものの内容は面白いように(失礼)現在とシンクロする部分が目立つ。ちょっとそれらのいくつかをご紹介しよう。 

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※1948年(昭和23年)6月3日(木曜日)の朝日新聞(部分)。私の生まれた年月日の紙面である。


●個人献金あり得ず〜西尾氏証言に政令違反論 
 相変わらず、政界には違反や不正が横行していたようだ。 
●予算審議に強行策 
 これまた政局は毎度のことだが混迷を深めている...。
●社説の中で〜パレスチナの停戦 
 こんな今様の見出しを見ると、その根の深さをあらためて感じて将来が不安になる。 
●アラブ、ユダヤ停戦命令を発す 
 本当の意味での世界平和は絵に描いた餅なのだろうか? 
●共和党はデューイ氏。ト大統領優勢〜民主党予選 
 アメリカでは大統領選の動向が注目を浴びていた。 
●三県下に別の奇病〜ショウコウ熱に似たもの 
 奇病と聞けば、鳥インフルエンザや狂牛病などで不安が広がっている今を思わざるを得ない。 
●増加する少年犯罪〜警視庁も検挙主義で 
 なにか、いつの世も同じ事を言っているようだ(^_^;)。 
●PTAの実態 
 最近、PTAを解散した学校が話題になったが多数の人が集まる所にトラブルが生じ得るのは古今東西同じようだ。 

さて、これらをご覧いただきどのような感想をお持ちになっただろうか。大げさにいえば当サイトのコンセプトは「太陽の下に新しき物無し」といった認識を新たにして、未来を見つめようというものである。しかしテクノロジの世界だけでなく私たちを取り巻く日常もこれまたひとつひとつの事柄を取り上げれば、2004年の現在と56年前の1948年(昭和23年)のある一日に驚くほどの類似があることに気が付く。 
確かに当時はテクノロジー系のニュースはないし、映画の宣伝や広告を見れば時代を彷彿とさせるものの、人の営みには代わりがない...進歩がない(^_^)と言うべきなのだろうか...。少々ショックであった。 



1990年ラフォーレミュージアム飯倉でのJDC

私が会社を興し、事実上活動を開始した1990年、港区麻布にあるラフォーレミュージアム飯倉でApple Computer Japan Developer's Conference '90(JDC)が開催された。アップルからは参加だけでなく、出演を求められた我々だったがアンバランスで奇異な記憶がよみがえる...(笑)。


1990年7月12日と13日の両日、それまでそんなしゃれた場所には行ったことがないラフォーレミュージアム飯倉へ出向いた私は妙にそわそわしていた。
確かJDCはこの年で2回目だったと思うが、起業して一年足らず...実稼働では半年足らずの超マイクロ企業がテクニカルセッションの「アドバンテージコーナー」へ新製品の事例紹介として講演することになったのだ...。

いま手元に数枚の写真とアップルが当日配布したパンフレットが残っている。そのプログラム内容を前回(2月27日付で)ご紹介した1993年のJDCと比較するとシンプルさが特に目立つ内容となっている。やはり時代的なことも含めて、ネタが少なかったと思われる(笑)。

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※1990年7月12日に配布された「Apple Computer Japan Developer's Conference '90」パンフレット表紙


ラフォーレミュージアム飯倉の会場は約800人収容の会場をマーケティング・セッション会場とし、500人収容の小さな会場をテクニカル・セッション会場として平行したプログラムが実施された。

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※1990年7月12日に配布された「Apple Computer Japan Developer's Conference '90」パンフレット見開きのプログラムと会場案内図


初日の10時にアップルコンピュータ社の社長挨拶とあるが、往時は誰だったのだろうか(笑)。そこに名前がないのも奇妙な話だが...。
基調講演ならぬ記念講演が続けて行われ、当時放送教育開発センター助教授だった浜野保樹氏が1時間半の講演を行った。
その後ランチタイムを挟み、マーケティング・セッション会場では「海外製品のローカライズの方法及び手順」がApple Pacificおよびアップルコンピュータジャパンにより、そして平行してテクニカル・セッション会場では(株)データコム社とアップルコンピュータジャパンによりそれぞれ2時間枠でセッションが行われた。
ちなみに当時アップルはアップルコンピュータジャパン(株)という社名だったが、日本市場は独立したものではなくパシフィックと称したオーストラリアなどと一緒の市場に分類されていた時期だった。
その後、20分のコーヒーブレイクの後にマーケティング・セッション会場では「海外製品のローカライズの実際」と題して(株)システムソフト、 (株)SRAそして(株)サムシンググッドが自社の体験と取り組みなどを紹介した。
同時にテクニカル・セッション会場では「漢字Talk6.0.4の新しい機能及び今後の方向性」と題するセッションがアップル担当者により行われていた。
一日目は実質これだけだ。繰り返すが3年後のJDCプログラムと比較すると非常に単純である。しかも、本来日本のデベロッパを育成するためのJDCにおいて、そのメインとなる話題がローカライズであったことは時代を物語る。
「自社(日本での)開発のソフトを市場に!」ではなく、いかに欧米の有用なソフトを日本語対応させてマーケットに出せるかが注目されていたわけだ。無論、ひとつはこのローカライズがビジネスになるという時期であったわけだが、日本人の手によるオリジナルソフトウェアの開発がいかに難しいかをアップル自身が認めていた時代だったともいえる。

二日目はマーケティング・セッション会場で「WWDCの報告」と同時に、テクニカル・セッション会場では「マッキントッシュ・アドバンテージ・コーナー」と題する事例紹介が行われていたが、実はこのセッション担当企業が富士ゼロックス社と私の会社だった。
申し上げるまでもなく、富士ゼロックスは1962年に富士写真フイルムと英国 ランク・ゼロックスとの合弁会社としてスタートした企業であり、我が国有数の巨大な会社だ。片や当方は生まれたばかりの赤ん坊企業であり、株式会社ではあっても当時スタッフは私を含めてたったの3人...(笑)。私でなくても、晴れがましい思いと同時に何か場違いな居心地の悪さを感じたとしても責められないだろう...。
では何故、こんな超マイクロ企業がステージに立つことができたかといえば、その年の春のビジネスショーでデビューしたVideoMagician IIという自社開発デジタルビデオ・ソフトウェアが注目されていたからだ。ちなみにQuickTimeは翌年の1991年5月にならなければ登場せず、当時VideoMagican IIはMacintoshというよりパソコンによるコンシューマ向け唯一のデジタルビデオ・システムだったのである。
我々に与えられた時間は45分程度だったが、最初に私が壇上に上り、次に相棒の小池邦人氏(現有限会社オッティモ 代表取締役)がデモを行うといった形式だった。客席最前列には友人知人たちが座り「3分に一回は笑いを取れ」とプレッシャーをかけていたが、笑ってくれたのは...最前列の当人たちだけだった...(笑)。

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※ラフォーレミュージアム飯倉に於けるJDC '90のテクニカル・セッション会場における私の講演


しかし、前記したようにWWDCの報告セッションが平行して行われていたにもかかわらず、我々のセッションには多くの方たちが集まってくださり、500の席はほぼ満席だった。
まあ感覚としては、あっという間の出来事だったが、5月のビジネスショーが一般ユーザーに対するデビューであるとするなら、このApple Computer Japan Developer's Conference '90の場は、同業者の方々への最初のアピールだった。

さてその二日目の午後だが、マーケティング・セッション会場ではキヤノン販売(株)、関東電子(株)とアップルで「ディーラーの期待する製品像」、そしてテクニカル・セッション会場ではアップルによる「アップルの新しいフォント技術」というプログラムが行われた。
続いてこの日もコーヒーブレイクを挟み、マーケティング・セッション会場で当時月刊PowerMac誌の編集長 戸島国雄氏の司会によるパネル・ディスカッションが行われた。参加者は(株)ダイナウェア、(株)サムシンググッド、(株)システムソフト、そして(株)ビー・ユー・ジーの4社であった。

手元にあるApple Computer Japan Developer's Conference '90のパンフレットを見れば、日本市場が自己主張をし始めた時期だったことがわかる。その表紙には"日本"とカリグラフィを使ったデザインがなされている。この自己主張が2年後の漢字Talk7.1登場に際しその愛称として公募した結果が「おにぎり」だったように、少々外した企画が進むケースが多くなる(笑)。無論その愛称は一般に広まるはずもなかった...。
ともかくこの1990年は好むと好まざるとは問わず、我々の思惑とは別に会社や製品イメージが一人歩きし始めた年であるが、エキサイティングな時代であったことは確かである。

ゲイツとジョブズの合意の元に生まれた...Mac本がある!!

Macintoshが登場してからちょうど1年と1日後「Macintoshそのインテグレーテッドソフトの世界」がアスキー出版局のマイクロソフトプレスシリーズとして出版された。翻訳本ながら、日本語で読める本格的な出版物としては最初期の一冊だったが、本書はS.ジョブズとB.ゲイツの合意の上で企画された実に珍しい本なのだ。


1984年1月24日、Macintoshが発表された。日本市場に正規に輸入されたのがいつ頃だったかはともかく、私は当時の総代理店からその年の10月に手に入れたと記録に残っている。これでも比較的早い時期の購入だったと思う。
しかし、そのMacintoshに関する情報は極端に少なく、米国の雑誌などから細々と情報を得ていたものの、当時のユーザーは特に日本語による情報に飢えていた。
現在もMacintoshはその市場が数パーセントなどといわれるが、その頃はGUIやマウスなどに理解と興味を示すユーザーも少なく、特別な人向けのパソコンと考えられていた時期だった。したがって現在のような関連機器や製品はもとより、Macintoshをターゲットにした出版物などはほとんどなかった。
勿論、日本総代理店だったイーエスディラボラトリ社から隔月で出ていた情報誌「APPLEマガジン」などではその概要を紹介されてはいたが、全容を見通せるような資料がなかったのである。

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※1984年発行「APPLEマガジン」2,3月号。Macintoshの特集が掲載されている


1985年1月25日付で「Macintoshそのインテグレーテッドソフトの世界」が出版されたのは、そんな時代だった。したがって繰り返すが現在のように、一時よりは少なくなったとはいえ、多くの出版物の中の一冊ではなく、文字通り貴重な一冊だった。

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※アスキー刊「Macintoshそのインテグレーテッドソフトの世界」表紙


興味深いのは本書の冒頭にある「謝辞」の内容である。それによると本書はマイクロソフト社のビル・ゲイツとApple Computer社のスティーブ・ジョブズの会話から生まれ、企画されたものと記されている。
無論その企画が持ち上がっていたときにAppleは秘密裏にMacintoshの開発に取りかかっていた時期だったわけだが、ビル・ゲイツからマイクロソフト社の新しい出版部門で解説書を出してはどうかという提案があったという。そしてマイクロソフト社側のスタッフの協力はもちろんのこと、 Macintoshのソフトウェア開発グループのリーダーであったジェフ・ハーバーズをはじめグループ全員が協力してくれたとある。
いわば本書は極秘で開発が進められていた当時にあって、Macintoshそのものの開発と平行してできあがった解説書ということになる。したがってこの初版本ではそのソフトウェアに関する解説はマイクロソフト社の製品に重点が置かれているのも致し方ない...。
ともかく「マイクロソフト社のビル・ゲイツはMacintosh好き」という話を聞くことがあるが、特にこの時代においては本当だったようだ。

本書の構成は巻頭でカラーページが4ページあり、アップルコンピュータジャパンおよびキヤノン販売の協力によるMacintoshの美しい写真と共に各部位の解説がなされている。ここでも時代というか、現在では当然となっている\"アイコン\"という単語にも「行おうとする機能を表すシンボルマーク」などと括弧書きがなされている点が興味深い。
内容はMacintoshの扱い方は勿論、操作の基本、MacPaintやMacWriteの解説と操作、表計算ソフトのMultiplanの使い方、MIcrosoft ChartやMicrosoft FileそしてMicrosoft BASICの説明、コミュニケーション、フロッピーディスクの解説、ビデオスクリーンとキーボードおよびマウスについて、I/Oポートやプリンタならびにモデムのあれこれ、Macintosh対IBM PCとかグラフィックアートおよびフォント、そして将来のアプリケーション像やマイクロコンピュータの未来などについても考察されている。
各内容は現在でも参考になる部分が多く、かなり突っ込んだ内容...例えばドットマトリックス型のプリンタリボンをケースごと取り替えると費用がかさむからと、ケースをドライバーでこじ開けてナイロンリボンを取り替える方法...といったマニアックな記述もある。

興味深いのは内容だけでなく、その裏表紙のデザインも往時を知る者にとっては懐かしい。本書の裏表紙には当時テレビコマーシャルやポスターなどで良く目に付いた、今は亡きイラストレーター ペーター佐藤による「菩薩」のイラストレーションが描かれている。仏像好きな私にとってはたまらないコマーシャルだった点も記憶に新しい(笑)。

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※「Macintoshそのインテグレーテッドソフトの世界」裏表紙。ペーター佐藤による菩薩のイラストレーションが懐かしい


本書は約280ページほどの本だが、今となっては特に目新しい内容ではない。しかし、Macintoshユーザーにとっては様々な意味で最初期のApple Computer社がMacintoshに秘めた多くのメッセージを読み取れる貴重な資料なのである。
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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員