あのPIXAR社の一株株主になった!

当サイトでは過去にも数回にわたりApple社の一株株主になったという話題などをお届けしてきたが今回スティーブ・ジョブズ氏がCEOのもうひとつの会社であるPIXAR社の一株株主となった\(^_^)/


Apple Computer社のCEO スティーブ・ジョブズ氏がオーナーであるもうひとつの企業がコンピュータグラフィックス製作会社のPIXARであることはよく知られるようになった。そして同社の開発した3Dレンダラー「RenderMan」は数々の映画の3D製作に利用され、第73回アカデミー賞科学技術賞に輝いているしディズニーから配給された数々の作品もヒットを続けている。 
ところで私とPIXARの接点は意外に古く1990年代初頭に「RenderMan」のMacintosh版が早くもリリースされたものをサンフランシスコMacWorld Expoに出展していたPIXAR社のブースでTシャツやビデオと一緒に購入したのが最初だった。そういえば「RenderMan」のMacintosh版は当時まだフロッピーディスク3枚組だった。 

さてAppleの株券を取得する経緯の中でPIXAR社の株券も欲しいと前々から考えていた。株券といっても私には株の売買で一儲けできるような資金と才覚はないのでAppleの場合と同様に相変わらず一株株券を所有して飾っておきたいというささやかな希望である。 
先般スティーブ・ジョブズ氏のノンフィクション「iCon Steve Jobs」を読み、その思いをより強くしたのをきっかけにPIXAR社の一株株券をONE SHARE OF STOCK, INC.に申し込んだ。 
最初にApple株をオーダーしたときには到着まで約3ヶ月程度かかったと思う。今回のオーダー確認メールにも4週間から8週間かかる旨の注意書きがなされていたが実際には思いの外速く、インターネットによるオーダーから17日目で届いた。 

page5_blog_entry4_1.jpg

※本日届いたPIXAR社の株券。少し写り込みしているが株券はオプションのガラス付きフレームに納められている。無論株券は本物である


さてPIXARの株券の特徴というか楽しいところは同社のよく知られている3Dキャラクタが印刷されていることだ。いまiTunes Music StoreでPIXAR社の懐かしいショートムービーの名作が300円で購入できるが、そこに登場するLUXO JR.やRED\'S DREAM、そしてTIN TOYなどの主人公がカラーでプリントされている。 
またこのPIXAR社の株券がApple Computer社の株券に無い魅力を備えている点がある。それがスティーブ・ジョブズ氏のサインである。 
実はApple Computer社の株券には彼のサインはないがこのPIXARの株券にはCHAIRMAN OF THE BOARDとしてきちんと彼のサインが入っているのだ(無論印刷だが)。 

page5_blog_entry4_2.jpg

※PIXAR社の株券には同社の有名なアニメーションの主人公たちと共にスティーブ・ジョブズ氏のサインが入っている


これでPIXAR社から次の株主総会の案内や業績の資料などが届くはずだ。この一株は売買して利益を得るためのものではないが(手数料の方が高くなる...笑)、PIXARに対するささやかな応援と共にいま3Dにどっぷりとはまっている自身の守り札となるに違いない(^_^)。 

■ONE SHARE OF STOCK, INC.

レオナルド・ダ・ヴィンチの書棚にあった本とは?

本好きの1人として他人の蔵書や書斎を覗くのは大変興味のあることだ。本棚に並んでいる本を見ればその人となりが分かる...といった言葉もあったと思うが、事レオナルド・ダ・ヴィンチがどのような本を所有し読んでいたかは特別興味深い。 


先にご紹介した「マドリッド手稿」を少しづつ斜め読みをしているがその中で大変目を引く記述があった。それはレオナルド自身が所有していた書物のリストが書かれているのだ。これは面白いではないか! 
無論こうした分野をアカデミックに調べている専門の方々がいるわけだから興味本位の取り上げ方は迷惑かも知れないがまあお遊びということでお許し願いたい。 

レオナルド・ダ・ヴィンチが所有していた書物のリストは「マドリッド手稿2」に116冊記述され、別途「アトランティコ手稿」に40冊ほどあるという。 
現在と違い、もともと彼が書き残した手稿に使われた紙自体が貴重な時代であったし、ましてや書物はそこいらで売られているものではなかった。また私たち自身もそうだが本当に自身の好みから手にする本と仕事で関連知識や情報を知りたいがためにやむを得ず購入する本といった区別はあるが、それらを一貫して眺めればその時期に何に興味を持ちどのようなことをやっていた...やろうとしていたか...という推測はできるのではないだろうか。 
こうした「下種の勘繰り」的な発想ではあるがその相手がレオナルド・ダ・ヴィンチともなればなおさら勘繰りたくなる(笑)。ちなみにフランチェスコ・ダ・シェナ(FRANCESCO DA SIENA)という本一冊のみ、レオナルドの蔵書としてフィレンツェのロレンツォ図書館に現存しているそうである。 

page5_blog_entry6_1.jpg

※「マドリッド手稿2」にあるレオナルド直筆の蔵書リストページ(一部)。無論鏡文字で書かれている


さてこの1975年に岩波書店から刊行された「マドリッド手稿」のファクシミリ版には良質の訳書が別途付いているので私などにもその内容がわかるのだが、レオナルドの記述が曖昧なこともあり、かつ500年も前のことだからしてそれらの書物の特定は大変難しいようだ。 
しかし私が興味を持つのはそうした緻密な話ではなくレオナルドがどのような分野、話題に興味があったかというその一点にある。これらのリストを眺めてまず納得したことは極めて広範囲な分野の書物が含まれていることだ。医学、哲学、博物学、解剖学、地理、算術、天文学、幾何学そして詩の本や手相術とか骨相学などにまで及んでいる。そして当然のことながら多かれ少なかれレオナルドはこれらの書物に影響を受けているようだ。 

page5_blog_entry6_2.jpg

※これまた前記ページの一部を左右反転させてみるとスペルの概要が判別できる


例えば「外科術提要(GUIDONE IN CERUSIA)」とか「聖書(BIBBIA)」、「バッティスタ・アルベルティの建築論(BATISTA ALBERTI IN ARCHITETTURA)」、「軍事論(DE RE MILITARI)」、「エウクレイデスの幾何学(EUCLIDE IN GEOMETRIA)」、「透視法概論(PROSPETTIVA COMUNE)」といった書物(どんなものか分からないが...笑)が含まれていることはレオナルドの業績から見て誰しもが頷けるものだろう。 
面白いと思うのは(以下和訳の書名のみ記述)「プリニウス」や数冊の「イソップ寓話集」、「霊魂不滅論」、詩集や自身の手稿...「トリヴルツィオ手稿」などがあるだけでなく、科学一辺倒の現在から見ると怪しげな書物らしい本も多々含まれていることだ。 

まず「ミラノの手相論」をはじめとする手相の書、「スコトゥスの人相学」、「ダニエルの夢占い」などが含まれているのは興味深い。 
特に「アルベルトゥス・マグヌスの神秘論」に至っては文字通り神秘学の分野になり真にレオナルドがこうした傾向の知識をも好んでいたかも知れず、だからこそ「ダ・ヴィンチコード」といった読み物も流行るのかも知れない(笑)。 
アルベルトゥス・マグヌス(1193〜1280)は13世紀スコラ哲学の大立て者であり、ドミニコ派の学僧として名声ならぶ者なき人物である。ただ後世このアルベルトゥスの名を騙り魔術書などが多々登場したことを考えるとレオナルドの所持していた「アルベルトゥス・マグヌスの神秘論」がどのようなものなのか俄然知りたくなる。 

もともとアルベルトゥス・マグヌスには雪が降っていた僧院の庭にオランダの公爵ウィルヘルム二世を招待したとき、彼が準備を始めるとたちまち雪は消え庭の花々は咲き乱れ春のように小鳥たちが鳴き始めた...とか、アルベルトゥスが人間の言葉をしゃべることができる自動人形を作ったなどという伝説を持つ人物なのだから...。 
さらにアルベルトゥスの本といわれる中にはランプの中に薬草を投入して悪鬼の幻影を見る方法が述べられているという。そういえばシャーロック・ホームズ物語の中に「悪魔の足」というこの種の話にインスピレーションを受けたと思われる話があったっけ...。 

またレオナルドが亡くなって19年後に生まれた自然魔法の大家ともいわれるジャン・バチスタ・デラ・ポルタ(1539〜1615)という当時の医者でさえ独特の骨相学を信じており、例えば牛のような顔をした男は強情で怠惰で怒りっぽい性格の持ち主だと論じていたという時代なのだ。このポルタの著書「人相学」は当時ヨーロッパ中に異常な反響を巻き起こしたという。 

現在の私たちから見れば科学的な視点を持っていたという印象を受けるレオナルドがこうした怪しげな魔法書同然の書物を所持していたことは訝しいがさすがのレオナルドも時代の子であることを忘れてはいけないのかも知れない。無論その種の書物を持っていたらからといってそうした趣旨に賛同していたとは限らないが...。 

ともあれ山上から発見される貝殻などの化石が旧約聖書でいわれるノアの箱船を証明するものではなく土地の隆起によるものだとし、永久機関はあり得ないと談じているレオナルドが占いや魔法書同然(無論正確な中身は分からないが)の書物を所持していたことは愉快ではないか。 
なぜなら私自身も日々時代の最先端テクノロジーのパソコンを操ってはいるがその書棚には「エリファス・レヴィ〜高等魔術の教理と祭儀」「錬金術〜タロットと愚者の旅」「グリヨ・ド・ジヴリ〜悪魔の書」などといった類の書籍が並んでいるからである(笑)。 
「マドリッド手稿」のおかげで、それまでは知るよしもないレオナルド・ダ・ヴィンチの書斎を覗いた気がして愉快なひとときを味わった。

レオナルドの「マドリッド手稿」ファクシミリ版を入手

ささやかではあるが宝物がひとつ増えた。先のレオナルド・ダ・ヴィンチ展で触発されいくつかの資料を集めていたところ縁があって従来から欲しいと考えていた1975年に岩波書店から発刊された「マドリッド手稿」ファクシミリ版全5巻が手に入った。 


この種の情報に興味のある方ならよくご存じだと思うがレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿としてもっとも名高い「マドリッド手稿」はその存在が知られていたものの長い間行方不明だった。しかし1964年から65年にかけてスペイン、マドリッド王立図書館内から発見されたのである。 
イタリアの天才レオナルド・ダ・ヴィンチがその67年間の生涯でどれほどの業績を残したのかという評価について実は20世紀前半までさまざまな意見もあり定まってはいなかったといえる。その評価が一気に高まったのはこの「マドリッド手稿」の発見であった。なぜなら「マドリッド手稿」はレオナルドに関する知識全体をほぼ20%追加するものであったからだ。 

page5_blog_entry7_1.jpg

※本棚に納まった「マドリッド手稿」ファクシミリ版全5巻(左の赤い背表紙)


レオナルドといえば私たちの多くはモナ・リザなどの名画を思い浮かべるが彼の絵画作品は厳密にいうと9点しか残っていないという。意外と少ないのである。それら人類の宝とも言える名画と同様にレオナルドが残した貴重な遺産が先日まで「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」でオリジナルを見ることが出来た「レスター手稿」であり、ファクシミリ版とはいえ今回私が手に入れた「マドリッド手稿」などのノート類なのである。 
現存するレオナルドの手稿、素描・素画の類は分類して9部門、約8,000ページ以上あるという。それらは「マドリッド手稿」と「レスター手稿」の他、「アトランティコ手稿」「トリヴルツィオ手稿」「鳥の飛躍に関する手稿」「パリ手稿」「解剖手稿およびウィンザー紙葉」「アランデル手稿」「フォースター手稿」ということで9部門となる。それぞれのオリジナルは世界各地の博物館や図書館が収蔵しているが「レスター手稿」のみマイクロソフト会長ビル・ゲイツ氏の個人所有になっている。 
ビル・ゲイツ氏がオークションで落札した後、近年「ハマー手稿」の名で呼ばれていたこの手稿を当初の持ち主だった英国貴族レスター卿にちなみ「レスター手稿」という呼び方に戻したとのことだ。しかし近い将来この「レスター手稿」は「ゲイツ手稿」あるいは「マイクロソフト手稿」などと言われるようになるのかも知れない(笑)。 

これらの手稿はレオナルドが生存中に座右に置き、自身の工夫や考え方・考案などを鏡文字で記録したノートでありそのページの多くにこれまた直筆の素描が描かれている。そして現在のように豊富で便利な筆記用具が使える時代とは違い、レオナルドは自身で削って作る羽根ペンとイカ墨のインクでこうしたノートをとっていた...。 

さて「レスター手稿」の内容が主に月の満ち欠けや地殻変動など天文学、流体力学、地球物理などに関する記述であるのに対して「マドリッド手稿」は機械理論、フィレンツェでの活動、スフォルツァ騎馬像の習作などに関した記述がなされている。具体的には手稿1は整然と機械理論や工学的な理論が展開されているが手稿2は数学の計算や技術上の雑記的な記述がほとんどだそうである。そしてその成立年代は1491年〜1505年といわれ「レスター手稿」以前のようだ。 
ざっと「マドリッド手稿」をながめた範囲の印象としては機械理論のページに描かれている歯車や滑車らのメカニカルな図が大変美しい。 

page5_blog_entry7_2.jpg

page5_blog_entry7_3.jpg

※「マドリッド手稿」にはこのようにレオナルド直筆の美しメカニカルな図版が多数描かれている 


ところで1975年に岩波書店から発刊されたこの「マドリッド手稿」のファクシミリ版はすでに入手はなかなか難しいものになっているがその全5巻は以下のような構成になっている。 

page5_blog_entry7_4.jpg

※「マドリッド手稿」ファクシミリ版全5巻の平積み


○第1巻 マドリッド手稿 1(マドリッド国立図書館蔵本原本複製) 
○第2巻 マドリッド手稿 2(マドリッド国立図書館蔵本原本複製) 
○第3巻 解題(ラディスラオ・レティ [等] 小野健一, 裾分一弘, 久保尋二訳 付:主要文献) 163ページ 
○第4巻 マドリッド手稿 1 本文翻刻(ラディスラオ・レティ [翻刻] 清水純一 [等] 訳) 332ページ 
○第5巻 マドリッド手稿 2 本文翻刻(ラディスラオ・レティ [翻刻] 裾分一弘, 久保尋二訳) 532ページ

現在この「マドリッド手稿」は1と2に分類されているが合計342ページにもおよぶ量であり「レスター手稿」の全36紙葉72ページとは桁が違う。 
また当然のことだが各ページは鏡文字であることも含め、それを見ても私などにその内容が分かるべきものではない。しかしこのファクシミリ版のおかげでレオナルドの直筆の文字と素描を眼前に見ることが出来、その翻訳と共にレオナルドの英知に触れることができるのはまことに幸せである。 

ところで「ファクシミリ版」と聞いて「何それ?」と思った方は多いのではないだろうか。まさかファクシミリで複写したわけではないだろうし...と(笑)。 
このファクシミリという言葉は現在では通信回線を通して情報を遠隔地に伝送する機器、あるいは仕組みのことを意味するが、ラテン語の fac simile (同じものを作れ)という facere(写す)+ simile(同一)が語源であるという。したがって「ファクシミリ版」は単なる量産の印刷物と一線を画する意味で用いられるレプリカと同義な「同じもの」という意味なのである。 
したがって直接拝むことがほとんど不可能なオリジナルは別として研究者たち、あるいは愛書家がレオナルド・ダ・ヴィンチの息づかいを知る最も重要な資料がこれら「ファクシミリ版」なのだ。 

ということでファクシミリ版というのは学術的な研究材料として、あるいは愛書家の蔵書として、オリジナルの完全な代替品を意図して製作されるものであり極細部にいたるまで忠実な再現を求められるため必然的に高価になる。 
例えば別途「パリ手稿」と呼ばれているノートがあるが、それは「レスター手稿」や「マドリッド手稿」よりはるかに量も多いこともあり、かつて岩波書店で別巻を含み全14冊が販売されたがその定価は2,472,000円だった。 
私が手に入れた「マドリッド手稿」もその販売価格は1975年発行当時で98,000円であった。余談ながら2年後の1977年に私はかき集めた10万円をジーンズのポケットに突っ込んで秋葉原に行きワン・ボードマイコン(FACOM L-kit8)を買ったことがあり、往時の10万円という価値の重みはよく分かるつもりだ。なにしろ給料が税込みで14万円程度だったのだから...。 

なお現存するレオナルドの手稿は全てがファクシミリ版として出版されているが価格も含めすでにそれ自身も手に入れることは難しく希少価値の高い資料になっている。 
ということでご想像いただけると思うが「ファクシミリ版」というものはこれらレオナルドの手稿独特のものではない。例えばバッハやモーツァルトといった音楽家の直筆、カール・マルクスの「経済学批判要綱 ノートM」直筆、あのグーテンベルグの聖書といった貴重なものたちが「ファクシミリ版」として世に出ている。 

さてレオナルド・ダ・ヴィンチはどのような意図・目的でこれらのノートを残したのだろうか。 
ちなみにこの「マドリッド手稿」をレオナルドが記述していた時期は彼の壮年期にあたり、生涯のうちで最も多彩な活動期であった。「スフォルツァ騎馬像」や「最後の晩餐」などを計画・製作し力学や機械工学に関する考案・工夫を進めていた。 
こうした彼のすべての研究はもともと絵画を極めるための手段であったと考えるべきだろう。現代ではアートといえば芸術であり創造性を評価されるべきものだがレオナルドの時代は絵描きは評価が低い職業だったという。 
レオナルドは絵画とは多くの知識の習得と理解を必要とする科学・学問であることを立証しそれを確立したかったのだろうと思う。 

事実レオナルドであっても絵を描くだけでは生きていけない時代でもあった。だからこそ彼は30歳のときミラノ公に宛てた自薦状のなかで「きわめて軽量で頑丈な橋の計画」「嵐のごとく散弾を撃ち出す運搬可能な大砲」「堀や河の下を掘って地下道や通路」といった物の造営・製作を売り込み、絵画や芸術とはまったく違う就職活動をしている。 
レオナルドを俗人に貶めるつもりはまったくないが、逆に天才の一言で済ませてしまうのも彼の正しい評価を歪めるものだともいえる。「レスター手稿」や「マドリッド手稿」を眺めれば、彼こそ自由な発想をバックにした努力の人であったと感じざるを得ない。ただ彼の何物に対しても極めなければ気が済まない性(さが)が直接の要因だとしても、絵画を極めるためと同時に生きるために多芸にならざるを得なかったのではないだろうか。無論その表現は天才のものであったが...。 

また例えば人体描写を極めるというその果てが解剖学の研究に没頭するというレオナルドの性は凄いというより悲劇的なニュアンスを感じざるを得ない。これでは本来の目的であるはずの「絵など描いている時間などないだろうに」と思う(笑)。事実彼の作品は未完が目立つし現存作品の数も大変少ないのではないか...。 
逆に言えばそれだけこれらの手稿、ノート類にはある意味で絵画以上に人間レオナルドという生身の人間性が現れていると考えられ、彼を知る上で貴重な資料だといえる。 
時間のあるとき、アイデアが行き詰まったとき(笑)この「マドリッド手稿」のページを開き、レオナルドの英知と息吹に触れてインスピレーションを受けたいと願っている。そしてまた「マドリッド手稿」そのものについても気がついたことがあればレポートしたい。

東京国立博物館で開催の「北斎展」でデート(笑)

ここのところマックの話題でないものが続くが、まあ芸術の秋ということでお許し願いたい。何しろこうした機会を逃せばまとまった形では二度と見られないかも知れない貴重な展示が目白押しである。実はダヴィンチ展を見た後に続けて上野へ足を向けた...。 


11日の予定としてはもともと妙齢の女性とこの「北斎展」を一緒に見に行く約束があったのだ\(^_^)/ 
その待ち合わせの時間帯が夕刻だったのでその前にと先にお伝えしたレオナルド・ダ・ヴィンチ展へ寄り、そしていそいそと上野に向かった...。 

さて葛飾北斎といえば多くの日本人はその名前だけはよく知っているし作品の一つや二つは教科書などにも載っているからおなじみかも知れない。しかし評価ということになると身近すぎてかあまり重きをおかない人が多いのではないだろうか。 
しかし江戸時代後期に活躍した浮世絵師葛飾北斎(1760〜1849)は世界で最も有名な日本の芸術家であり、その作品はヨーロッパの印象派の画家たちに大きな影響を与えたことはよく知られていることだ。また「北斎展」のカタログによれば1999年、アメリカの「ライフ」誌が行ったアンケート「1000年でもっとも偉大な業績を残した世界の100人」に、ただ1人選ばれた日本人がこの北斎であったという。 

page5_blog_entry8_1.jpg

※東京国立博物館の平成館で開催されている「北斎展」のパンフレット


ダヴィンチも凄いが、北斎も凄いのだ(笑)。事実90歳で没するまで花鳥画や美人画は勿論のことだが幽霊や古典物語を題材にしたもの、果ては気象の変化の様子まで森羅万象あらゆるものに興味を持ち克明にそして自在な筆で書き残していることはダヴィンチと似ているかも知れないと思う。 

その500点もの作品が世界から一堂に会すのだから目にしない手はないというものだ。 
さて作品の多くは木版画であり、いわゆる小さな作品がほとんどだ。しかし掛け軸や大判な作品は肉筆のものがありさすがに迫力が違う。 

くどいようだがダヴィンチ展を見た後の「北斎展」だったこともあり自然と私の頭の中では両者の描写比較みたいなことをやっていた(笑)。ダヴィンチが解剖をしてまで人の筋肉やらその表情の秘密を探ろうと多くのスケッチを残しているが北斎は北斎漫画と呼ばれている一連の作風に表情豊かな人の顔や姿を書き残している点に時代と国そして表現手法は違うものの多くの共通項があるような気がしてくる。 
ともかくこうして私たちの短い「北斎展」デートは幕を閉じた(^_^)。 
なお「北斎展」は12月4日までである。 

■東京国立博物館

レオナルド・ダ・ヴィンチ展で「レスター手稿」を見てきた

日本初公開となったレオナルド・ダ・ヴィンチの直筆ノート「レスター手稿」が六本木ヒルズ52階の森美術館で開催されているが確か11月13日までだと聞いたので急いで覗いてみた。 


芸術の秋...。各地で様々な展覧会が開催されているがこのレオナルド・ダ・ヴィンチ展は彼の直筆が見られるというので前から是非行きたいと思っていた。 
ウィークディーの午後ということもあり空いているのではないかと思って向かったが考えが甘かった(笑)。それでも何とか15分ほど並んでチケットが買えたのでまずまずなのかも知れない。 

page5_blog_entry9_1.jpg

※「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が開催されている六本木ヒルズの森タワービル


今回展示されているレスター稿と呼ばれているレオナルド・ダ・ヴィンチ直筆のデータはあのマイクロソフト会長のビル・ゲイツ氏が個人所有しているものだ。 
当サイトの2003年12月10日付けトピック「デジタルアートに見る私とビル・ゲイツ氏の接点(ウソ〜笑)」にも記したが、これらの資料は1994年にマイクロソフトのビル・ゲイツ氏がクリスティーズのオークションで3億800万ドルで入手したレオナルド・ダ・ビンチの科学メモ類である。 
一時はその豊富な資金力にまかせてビル・ゲイツ氏は人類共通の資産まで個人所有する気か...という危惧から多くの報道にさらされたが、ありがたいことにこうした形で我々もその実物を拝める機会を得た。 

さて確かにレオナルド直筆の大変貴重なノートをガラスケース越しとはいえ間近に見ることが出来たことは嬉しい。しかしあらかじめ知ってはいたものの資料保護のために会場内は大変暗く目が慣れるまでに時間がかかったほどだ。そしてそこにあるのはレオナルド自身による挿絵とノートに間違いはないものの、その文字は鏡文字でありまったく見当もつかない(笑)。まあアルファベットが判別したところで私などにはその意味を解する能力などないので同じ事なのだが、ただ見ているだけというのは何とも面白くない...。 
こうした貴重な展覧会に向かう方法としては邪道なのだろうが、端から会場で販売しているであろう展示カタログを入手するのが六本木ヒルズに足を向けた目的でもあった。無論後からゆっくりとこの「レスター手稿」がどのようなもので何が書いてあるのかを知るためである。 

page5_blog_entry9_2.jpg

※レオナルド・ダ・ヴィンチ展オリジナルカタログ本の表紙(左)と裏表紙(右)。「レスター手稿」が鏡文字であることを意識してだろう、前後表紙をめくった扉が鏡面仕上げになっていて、その対面の「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」というタイトルは左右逆に印刷されている


それでも多分二度と実物を前にする機会が無いかも知れないという現実を考えると簡単に展示会場を後にすることにためらいがあったが取り急ぎ自己満足は果たせたと思っている。 

前記した「デジタルアートに見る私とビル・ゲイツ氏の接点(ウソ〜笑)」に記したように私はCD-ROMのデジタルデータながら「著作権フリー」でイメージを自由に編集・加工して独自のビジュアル素材として自分のアートワークに取り入れることを許諾されたレオナルド・ダ・ヴィンチの科学スケッチ類を所有しているが、なんだがそれまで価値が出てきたような錯覚を覚えるほど「レスター手稿」との対面はエキサイティングな体験となった。 

■レオナルド・ダ・ヴィンチ展  

博多・有田・佐賀〜駆け足の旅行記

11月7日、私は九州の地にいた。8日には焼き物の街として知られる有田、そして佐賀へと...。9日には太宰府天満宮と今年10月16日にオープンしたばかりの九州国立博物館へ駆け足で廻ってきた。 


博多へ降り立つのは1977年の新婚旅行以来なのである(^_^)。それはともかく幸い天気に恵まれたが100%自分の意志で自由になる旅ではないので少々気が重いのだが...。 
事実この12月にオープンすると言われているApple StoreのFukuoka Tenjin近くまで出向いたにも関わらず写真一枚も取る時間がなかったのが心残りである(笑)。 

さて8日午前中は焼き物の街、有田に降り立った。閑静で人通りもほとんどない道を佐賀県立九州陶磁器文化館方面へ歩く。さすが有田というべきか、橋の両側にはレプリカながら立派な有田焼の作品が並んでいる。 

page5_blog_entry10_1.jpg

page5_blog_entry10_2.jpg

※有田駅はかわいらしい駅だった(^_^)。途中にかかる橋の袂には有田のシンボルである有田焼の壺が飾られている。


我々一行はまず一息入れるために「ギャラリー有田」というカフェに立ち寄った。あらかじめガイドブックで知ってはいたが店内には眩いばかりのカップ&ソーサーがずらりと並び、望むなら好きなカップでコーヒーを頼むことができる。私は面倒なので「おまかせします」とお願いしたが...。ちなみに何客あるのか聞いてみたところ2,000客が並んでいるという。 

page5_blog_entry10_3.jpg

ギャラリー有田のカフェ店内。2,000客のカップが並んでいる
 

昔、神保町あたりでもカップを選ぶことが出来る喫茶店があったがさすがにここは桁が違っていた。 
一息入れた私らは山を登る感じで佐賀県立九州陶磁器文化館を目指して多くの階段と坂道を歩き始めたが息が切れてくるのはなさけない。しかしふと高いところから市内を一望すると山々はもとより紅葉をはじめた木々が美しい。 
九州陶磁器文化館はウィークディーの午前中ということもあってか空いているので十分堪能することかできた。 

page5_blog_entry10_4.jpg

page5_blog_entry10_5.jpg

page5_blog_entry10_6.jpg

※九州陶磁器文化館への道のりから眺めた有田の町(上)。途中の紅葉(中)と九州陶磁器文化館全景(下)


昼飯は「公孫樹」というお店でランチをいただいたが、サンマの塩焼きと煮物などのセットが大変美味しかった。 
有田を後にして私たちは今日のひとつの目的である佐賀へ向かう。時間調整を含めてまずは佐賀市歴史民俗館へ出向き、大正5年当時の旧古賀銀行の建物として復元された優雅な館内でコーヒーを頼んだ。 
なんとその喫茶コーナーではクラシックギターの生演奏を始めたばかりの良いタイミングであり、昔は私もよく練習したいくつかの小品の演奏に耳を傾けながら至福の時間を過ごすことが出来た。 
その歴史民俗館の方に目的の場所を教えていただき一路タクシーを飛ばす...。こうして当日のミッションは無事完了。 

さて翌9日は朝早くホテルを立ち、太宰府天満宮へ。申し上げるまでもなくここは菅原道真公を奉る総本山だが私は初めて立ち寄った。 

page5_blog_entry10_7.jpg

page5_blog_entry10_8.jpg

page5_blog_entry10_9.jpg

※太宰府駅は午前中だというのにかなり混雑していた(上)。天満宮本殿に向かう途中の太鼓橋(中)と天満宮本殿(下)。本殿前には近所の幼稚園児たちが参拝をしていた


参道で名物梅ケ枝餅と抹茶をいただきまずは本殿へ。参拝を済ませて右を見ると道真公を慕って京都から飛んできたという伝説を持つ「飛梅」が植えられている...。また境内には歴史を感じさせる巨木が多い。 

page5_blog_entry10_10.jpg

※太宰府に左遷された道真公を慕って京都から飛んできたという伝説を持つ「飛梅」の木


その後軽い昼食を済ませてこの10月16日にオープンしたばかりという九州国立博物館へと急ぐ。天満宮からはすぐの距離だがまずは長いエスカレーターで山の上に上がり、動く舗道のトンネルをくぐるとガラス張りの巨大な建物が姿を現した。 

page5_blog_entry10_11.jpg

page5_blog_entry10_12.jpg

page5_blog_entry10_13.jpg

※九州国立博物館の入り口はエスカレータだ(上)。途中はトンネル状の動く舗道を通る(中)と流線型の巨大な建物が現れる(下)


話には聞いていたが、チケットを買う場所は混雑している様ではなかったものの館内は大変混雑しており見たい展示品に近づけない有様である。しかし展示会場はかなり暗く人垣の後ろからでは解説のためのプレートの文字が読めない(^_^)。無論それらを丁寧に見ていけば悠に一日はかかろうというものだが我々にはその時間がない。 
特に開館記念特別展「美の国日本」と題して普段見ることのできない正倉院宝物や韓国・中国の名品、そして国宝級の美が集まっているというのに歯がゆい限りだが、こればかりは仕方がない...。 
全館をほとんど足早に、それも展示品に近づけないままに早足で通り過ぎるといった感じでこの日本で4番目にオーブンしたという国立博物館を後にした。 
数年後、この人の波が落ち着いた頃にまた来てみたいと思う。 

メインであった用件の合間にこうした時間を作るしかない今回の旅だったので覚悟をしていたが心残りの場面が多くフラストレーションが溜まった。ともかくこうして2泊3日の九州博多への旅は無事に終わった。 
まあ、美味しい物も食べたし...めでたしというべきか(^_^)。

メイン広告
ネットショップ先行販売
ブログ内検索
New web site
[小説]未来を垣間見たカリスマ  スティーブ・ジョブズ
ジョブズ学入門
WATCH 講座
大塚国際美術館ひとり旅
ラテ飼育格闘日記
最新記事
お勧めの新旧記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員