ラテ飼育格闘日記(17)

初めて下痢をしたラテは、翌日の朝になっても調子が戻らない。朝のウンチが普通なら安心できたのだが、相変わらずだった。心配なので朝一番に動物病院に連れて行くことにする。病院へは今年の1月に狂犬病の予防注射以来である。 


朝の散歩途中でも下痢が続いたので取り急ぎ午前9時からオープンする動物病院へ連れて行った。動きそのものは元気で、道々走ったりもする。しかし病院のドアを開けてエントランスに入ろうとすると嫌がる...(笑)。ああ、前回来たことを覚えているらしい。 
ともかく抱きかかえるようにして待合室に入る。そして受付に診察券を提示し、一連の症状をメモしておいたものをお渡しする。メモには症状と共に、この2,3日の食事内容などを記してある。 
言われるままに3番の診察室に入るが、ラテは観念したのかとても大人しい。 

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※公園に行くも仲間が一匹もいないので...寂しい表情をするラテ(上)と、元気にボール遊びに興じるラテ(下)


若い先生が診察室に入り、診断開始。この2,3日の様子などについて聞かれるままにお話しする。その間も待合室には他のワンコやニャンコが出入りしたり、別の診察室からはワンコの吠える声が聞こえるがラテは無言だ(笑)。 
体重を量り、体温を測り、便を検査してもらうが幸い問題はないようだ。結局皮下注射を2本打ち、全身を問診してもらったがその間もラテはワンとも言わない...偉い! 
そのうち先生いわく、まだ痩せ気味だからもう少し食事の量を多くあげてもいいと思うとの話し...。あらら...。 
そして下痢をしても吐くようなことがない限り、食事も普通にしてくださいとのことなのでひとまず安心する。 

「食べ終わった後に食器を舐めますか?」と先生。 
「メチャなめ回します」と私。 
「そうならやはり、もう少し量を増やしてやってください」と言われる。 
勿論量を増やすのはやぶさかではないが、倍食べさせても食べ終わった食器はなめ回すラテだと確信しているのだが...(笑)。 
ともかく、避妊手術をしたこともあり、ホルモンの関係でどうしても太りやすいから過食に注意をしなければと考えていたので、ドッグフードの量を規定量しかあげていなかった。それでもその上に茹でたブロッコリーやパンの切れ端をトッピングしてはいたが...。 

診察も終わったころ、院長先生が私の渡したメモを見ながら診察室に入ってきた。院長先生とは初対面である。 
「パンの切れ端と書いてありますが、パンは止めてください...極たまにあげる程度ならまだしも、常食にしてはまずいですよ」とにこやかに話しかけてくれた。 
「塩分ですか?」 
「そうです。パンって意外に塩分が多いのと、人間とちがって犬は汗をかいて塩分を体外に出すことができないから蓄積すると腎臓をやられますからね...」。 
ということで、即日パンは取りやめて代わりに蒸かしたサツマイモを採用することにする。 

ともかく診察が終わり、病院の受付で3種類の薬を出してもらう。 
ふと、戻してくれた診察券と共に渡された薬袋を見て思わず吹き出しそうになった。 
実は診察券にはオーナー名として"松田純一様"と明記されているが、それと共に"ラテちゃん"とワンコの名も書かれている。それを係の人が誤認したのだろうが、薬の袋には何と...「松田様 純一ちゃん」とあるではないか(爆)。 
まあ「これ違ってますよ!」とクレームを付けるほどの事ではないから、笑いを抑えながらそのまま動物病院を後にした。 

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※散歩コースにある桜並木のひとつ。ほぼ満開だ(2007年3月29日撮影)


さてラテはその後、お陰様で元気すぎるほど元気である。 
今朝も、いつもの散歩コースである桜並木を通るが、季節柄桜は見事に満開。ラテは舞い落ちる桜吹雪を追いかけてはしゃいでいる...。 
そしてラテの食事係でもあるオトーサンは今日もトッピング用のサツマイモを電子レンジで蒸かし、小ロットづつラップで包んで冷蔵庫の冷凍室に備蓄する日々である...。 

【追伸】 
全国のラテファンの方から6通お見舞いのメールをいただきました(笑)。ご心配をいただきあらためてここに御礼申し上げます。お陰様でその後、ラテはいたって元気です! 
しかし...オトーサンはお見舞いをいただきたいくらいボロボロに疲れてます(爆)。

18年前の魅力的な代物「Macintosh Portable」再考(2/2)

1989年9月に発表されたApple初のポータブルマシン「Macintosh Portable」を眼前にしてしばし感慨に耽っている...。しかし「Macintosh Portable」はなぜこんなにも大きく重くなってしまったのか。


さて先般のiPhone発表は、これだけ斬新な製品作りができるメーカーはApple以外にないことを世界に示した好例でもあろうか...。但し、ここに至るまでにはこれまで蓄積されたテクノロジーとそれを現実の製品として組み立てる最新技術を必要としたわけだが、「Macintosh Portable」が登場した1989年ははたしてどのような時代だったのだろうか...。 

結論を急げば搭載部品、バッテリー、液晶といったひとつひとつのテクノロジーが「Macintosh Portable」をこれ以上小型化することを拒んでいたとも考えられる。 

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※「Macintosh Portable」のサイズは約103×387×365mmで重量は7.2Kg


また「Macintosh Portable」がこうした仕様に落ち着いたもうひとつの要因ともいえるのが、スティーブ・ジョブズから受け継いだAppleの完全主義であった。 

その当時でも液晶画面を使ったいわゆるハンドヘルド・コンピュータとかラップトップ・コンピュータと称するバッテリ駆動のマシンがなかったわけではない。しかしきついことを言えば、どれもこれもが小型化するという一大使命の前には妥協の産物でしかなかった。 
しかし、Appleにとってポータブルマシンとはいえ、使いやすさと与えられた機能を犠牲にすることなく設計した結果が「Macintosh Portable」だったといえる。 

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※写真上は1985年発売のタンディ社ハンドヘルド・コンピュータTRS-200。電池で駆動し、モデム内蔵および通信プログラムや表計算ソフトなどがROM化されていたがハードディスクはなかった。 写真下は1986年10月発表の日本電気PC-98LT。重量は3.8Kgで日本語MS-DOSとN88−日本語BASICをROM化、3.5インチフロッピーディスク搭載だがハードディスクはない。またデスクトップ機(PC-9801)とのソフト互換性はなかった。


フルキーボードの横にトラックボールまで置き、横幅が大きくなったのも膝の上でマウスを必要とせずに快適なオペレーションができることを目指した結果だといえる(膝に乗せるのは些か無理があるが...笑)。 
そして「Macintosh Portable」の魅力はポータブルながらハードディスクを搭載し、最長12時間も連続使用できるマシンだった。しかし当時はまだミニサイズのハードディスクはなく、大きく重たいものを搭載するしかなかったのだ。そして12時間もの連続使用を実現したのは一般的な家電用バッテリーでなく、自動車用の鉛蓄電池を採用した結果だった。 


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※「Macintosh Portable」の背面ケースを開けたところ(上)。左の黒いのがハードディスクで、右のカバーがかかっている部分が鉛蓄電池。バッテリーはそれ単体で約1.3Kgほどもある(下)


さて、Appleの完全主義と記したが、詳しく探ればその拘りの多くは当時チームを率いていたジャン=ルイ・ガッセーの指示だった。もともとスティーブ・ジョブズが率いたMacintoshデザインのポイントは設置面積を小さくすることだったという。さらに彼は1986年までにはブック型のMacintoshを開発すると明言していた。 
「自分で持ち上げられないコンピュータなど信用するな」とジョブズは当時の他社製コンピュータを嘲笑していたという。 
たぶん、ジョブズがAppleを追われることなく在籍し続けていればこの「Macintosh Portable」は商品化されなかったと思う。 

また「Macintosh Portable」のアーキテクチャはMacintosh SEそのものだった。なにしろMacintosh SEのプロダクトデザインマネージャのテリー・クリステンセンはポータブルの設計経験がなかったため、どこから始めればよいかわからず、市場に出ている小型マシンをすべて購入し、バラシて研究したという。 
その結果「Macintosh Portable」はCPUが68000、クロックが16MHzであり、2年も前に半額で買えたMacintosh SEと同等な仕様でしかなかった。無論その独特な魅力ある大型の筐体を除いての話だが(笑)。そう、デザインはあのフロッグデザインが担当した。 

一番コストがかかったのはアクティブマトリックスのスクリーンだった。安価なパッシブマトリックスではなく当時としては大変クリアで残像も生じないというアクティブマトリックスに執着したことが原因だ。その640×400ピクセルの液晶は日本のホシデンが製造を担当したものだったが、完全無欠な製品をつくることができない時代であり、専用の工場をつくり励んだが歩留まりを上げることに苦慮した。また本来なら640×480ピクセルが必要だとAppleは判断していたが、それをAppleのいう条件で作れるメーカーはまだ存在しなかった。 

発表された「Macintosh Portable」を見て口さがない業界人は「ポータブルではなく、これは旅行鞄マックだ」と嘲笑したという。 
また真偽の程はわからないが、後にガッセーがAppleを退社するとき、ガイ・カワサキは大型のラジカセを「最新のウォークマンだ」として餞別に渡したという逸話がある。ガッセーが「Macintosh Portable」の指揮をとった結果を皮肉ったのだ。 

しかし「Macintosh Portable」はLisaやApple IIIのような失敗作ではなかったようで、ビジネス的にはかなり売れたという。 
そしてこのマシンを様々な角度から眺めていると、「Macintosh Portable」開発による教訓はPowerBook 100などに様々な形で生きていることを感じる。Appleにとって「Macintosh Portable」は思い通りの製品ではなかったかも知れないが、そのDNAは次の時代に間違いなく受け継がれているようだ。この辺についてはまたあらためて意見をのべさせていただくつもりである。 

そういえば、もともとこの「Macintosh Portable」のターゲットユーザーは「デスクトップのMacintoshを持つビジネスエグゼクティブ」だった。 
なぜ当時私は「Macintosh Portable」に縁がなかったのか...。立場上というか事実私は管理職ではあったが、たった3人の超マイクロ企業の社長であり、"エグゼクティブ"という心地よい響きにはやはり無縁だったのかも知れない(笑)。 

【参考資料】 
・アップルデザイン−アップルインダストリアルデザイングループの軌跡(アクシスパブリッシング刊) 
・アップル・コンフィデンシャル(アスキー出版局刊)


ラテ飼育格闘日記(16)

ラテが初めて体調を崩した...。いつものように夜食事をさせ、しばらく遊んだ後でハウスに入れる。しかしどうしたわけか真夜中の12時頃に「クィ〜ン」とか「ウァン」と鳴き出したのである。※食事中の方は後から読んでね※ 


我が家に来てからの一週間はハウスに入らず、電動マッサージチェアで寝ていた関係で、こちらのちょっとした騒音で目を覚ますことが多かった。しかしハウスの中で寝るようになってからは、まず夜泣きをするようなことはなかったラテだった...。 
それが夜中に騒ぎ出したのである。初めは何かの拍子に目を覚ましたのだろうと考えたが、心配なので夜の12時半頃、一端ハウスから出してみた。ハウスから飛び出たラテは嬉しかったのか、私に飛びつき例のペロペロ攻撃を始める。その後オモチャでひと遊びしているので少々安心し、再びハウスに入れた。 

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※甘えて抱っこ状態のラテ(笑)


こちらも着替えて寝ようとしたとき、またまた「クィ〜ン」が始まる。すでに時刻は午前1時を回っている...。 
泣けばハウスから出してくれるというパターンを覚えさせてはいけないと、物の本にも書いてあるから、しばらく放っておいたが、どうも鳴き声が変だし泣きやまない。普段は我が儘を言っても10分か15分もすれば諦めて静かになるのだが、今回はすでに小一時間近くも「クィ〜ン」が続くことになる。無論オトーサンは心配で眠れない。 
泣きやむ気配がないので、もしかしたらどこか具合が悪いのかと、午前2時過ぎに再びラテをハウスから出してみる。 
勢いよく飛び出たラテはハウスの横に敷いてあるトイレシートに滑り込むように移動して、我が家に来てから初めての室内ウンチをした...それも...下痢であった! 
私は早速汚れたシートを片付け、新しいシートをセットしているその最中に、第2弾をフローリングの床にしてしまった。シート敷きが間に合わなかったのだ...嗚呼。 

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※いつもよりいい子で大人しいと心配してしまう...


ワンコはきれい好きなこともあって自分の住み処ではトイレはしないと聞いているが確かにハウス内は綺麗であった。 
そもそも我々人間にしたって、お腹が痛くて2時間もトイレを我慢できるだろうか...。それを思うと可哀想なのと申し訳ないのとで叱ることもできない。まあ、こうしたことも長い間にはあるものだ。 
急ぎ床を掃除し、ワンコが舐めても安全だという消臭・除菌スプレーを使って綺麗にする。しかし部分的な臭いは消えたが、部屋全体に悪臭が残っているのでこうしたときの為にと購入しておいたパナソニック製の消臭・除菌対応空気清浄機をフル回転させる。みるみる...いやクンクンする間に見事に嫌な臭いがなくなっていくのがわかる...。これはありがたい。 

それはそうと、問題はラテだ。 
まだ続きの第3弾があるのかも知れないし、このままハウスに無理矢理入れるわけにもいかない。とっておきのオモチャを渡してラテの様子を見ることにする。時刻はすでに午前3時を回っているものの心配のためか眠気は失せている。 
幸いラテは元気なようで、お気に入りのボールを噛みながら遊び始めたので、まずはホッとした。 
私の足元に敷いたマットの上で楽しそうにボールを噛んでいるラテを眺めながら思わず頭を撫でたら、お返しのつもりだろうか、こちらの腕をビショビショになるまで舐め返してくれた。 
何だが勝手な感情だが、この臭い一件でラテとの絆絆が一層太くなったような気がする(笑)。明け方の4時過ぎになって、やっとラテはハウス内で眠り始めた。 

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※近隣の公園でお友達の"マキ"ちゃん(雄)にチューするラテ(笑)


そして...そう、問題は原因だ。 
拾い食いがまだまだに直っていないので、気をつけてはいるものの、散歩の途中で悪いものを食べてしまった可能性もある。あるいは今日の食事内容と量はいつもと変わりはないのだが、風邪でもひいたのだろうか...。 
結局、ラテのおかげで一睡もできなかった...。勿論ラテ自身も睡眠不足なわけであり、朝食の支度を始めても起きてくる気配がない(笑)。その日の朝は不思議な静けさで始まった...。 
念のため、可哀想だが朝食はリンゴの切れ端程度にしておくことにした。 
しかし、ことはこの日だけでは収まらなかったのである...。

18年前の魅力的な代物「Macintosh Portable」再考(1/2)

Apple社はその30年の歴史の中で多くの製品を開発してきたが、LisaやApple IIIのようにビジネス的に失敗した製品群もある。また失敗作ではないものの、Apple社の完全主義も祟ってか、少々異質と思われる製品も存在した。その代表格が「Macintosh Portable」ではないだろうか...。 


いま「Macintosh Portable」のバックライト液晶型を手にしてしばし感慨にふけっている。なぜなら「Macintosh Portable」が発表されたのはMacintosh IIciやSystem 6.0.4と一緒の1989年9月だが、その年は私が起業した年でもあったからだ。 

Macintosh Portable

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※18年ぶりに手に入れた「Macintosh Portable」の勇姿(笑)


無論当時Appleから「Macintosh Portable」が発表されたというニュースを知らなかったわけではないが、私は買わなかった...。 
いまその理由を考えるに、まずハードディスク搭載タイプで価格が116万8千円もしたこともあるかもしれない(爆)。ただしMacintosh II(150万円)よりは安かったから価格だけの問題ではなかった。 

二つ目に1989年といえば前記したようにMacintosh IIcxやciもリリースされ、こちらはカラーマシンの新型実用機として即買いしたことがあげられる。まあ、Macintosh IIciだって「Macintosh Portable」ほどではないにしても40MBのハードディスク仕様は97万8千円だったから、大変高価な代物だった。 

とはいえ、当時懐具合は悪くなかったはずだから購入する気なら何とかなったはずだ(笑)。そして「Macintosh Portable」を"かっこいい!"と思ったことはあっても、その大きな筐体に尻込みし、かつモノクロ液晶では起業した会社の開発ツールにはなり得ないと判断したのかも知れない...。何よりも目の前に新しくやらなければならないことが山積みされたわけで、個人的に新しいマシンを楽しむ時間的な余裕はまったくなかったことが最大の原因だったと思う。 

冷静になればなるほど「Macintosh Portable」はいろいろな意味でも凄いマシンだったし興味はあったが、今思えば"縁がなかった"ということになる。 
魅力の第一はバッテリー駆動だということ。Apple IIはもとよりだが、1984年に登場したMacintosh 128Kを初めとしてPowerBook 100が登場する1991年12月まで、いわゆるバッテリー駆動のApple純正品はなかった(1990年にOutBoundというMacのROMを使う互換ポータブルが登場したが)。 

「Macintosh Portable」は鉛蓄電池によるフル充電で最長12時間の連続使用が可能という、現在でも優れたスペックを持っていた。またポータブルという性格を考え、マウスオペレーションのスペースを必要としないようにとの配慮からか、キーボードの左右どちらにも設置可能なトラックボールも付いていた。しかし、当時まだ珍しい液晶モニターだったとはいえ、モノクロ2階調の表示はカラー環境を充実させたいと考えていた当時の私には魅力薄だった。 

まだまだ短所を探せばいろいろとある。ポータブルと名前は付いているものの、重量は7.2Kgもあった。これはMacintosh Plusの重さとほとんど変わらないのだ。したがって外部に持ち出す際には車でもなければ実用とならない。そしてなによりも筐体の幅や奥行きはMacintosh Plusなどよりはるかに設置面積を必要とした。 
要するに狭いスペースに暮らす私などには相性が悪かったのである。 

当時取引先の人が誇らしげに「Macintosh Portable」を私の会社に持参したことがある。それが「Macintosh Portable」の現物を見た最初だったが、本体はともかく、そのアップルロゴが付いている専用のキャリングケースが素敵で、それだけでも欲しいと思った(笑)。 

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※「Macintosh Portable」の専用キャリングケース。ショルダーストラップも付けられる


なにか言い訳がましいが、私は歴代のマシンをコレクションしようと考えたことは一度もなかった。ただ、金銭的なことも含めて手にできなかったマシンはLisaを含めていくつかあったが、屁理屈を言えばLisaは後からMacintosh XLだなんて名にすり替えられたが(笑)、私の中ではMacintoshファミリーではないとの判断もあり、あまり執着はない。どちらかというと「Macintosh Portable」を手にしなかったことに正直一抹の寂しさを感じていた...。
 
その私がいま「Macintosh Portable」を手にして思うことは、様々な革新的で新しい技術を素晴らしいデザインで私たちに示してくれたAppleも、時代の壁は破れなかったということを痛感している。さらに「Macintosh Portable」は、Appleの完全主義が生んだ当然の結果でもあったのだ。 
次回はその理由などについてお話ししたい。 



ラテ飼育格闘日記(15)

ワンコとの生活はやはりスキンシップが大切である。単に触れ合いが大切だというのではなく、ワンコの何処を触っても抵抗しないように訓練しないと、いざ病気治療などには大変困ることになるからだ。


また体を常時触っていることは、ワンコの怪我や腫れ物といった病気なども早期発見が可能となるので大変重要なことである。そして日常的には爪を切ったり耳掃除をしたりする場合に、いちいち噛まれては困るではないか(笑)。 
ラテは外面がよいのか、初対面でも体に触れることは嫌がらなかった。しかし我が家に来てから毎日一緒となればお互いにうわべだけの付き合いでは済まないわけで、本当の意味での信頼関係が必要となる。 

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※近隣の公園でボール遊びをするラテとオトーサン


一般的にワンコが触れられるのを嫌がる部分は決まっているという。鼻先、四つ足の肉球、尻尾、脇腹などだ。神経が過敏な部位だったり、腹のように弱い部分は自己防衛の意味を含めて触って欲しくないことになる。 
さて、ラテが来てからは毎日触られることに慣れるようにとスキンシップを実践してきた。そんな私を女房は「セクハラオヤジ」と茶化すが、真剣である。 
一番嫌がり、「ウ〜」と唸ることがあった部位はお尻だった(笑)。散歩から戻ったら乾いたタオルなどで全身を拭いたりブラッシングをするが、お尻の部分になると唸った...。次に嫌がるのがシッポ。続いて肉球といった感じか...。 
しかし鼻先をつまんでも、口を開けて舌をつまんでも激しく抵抗することはなく、基本的には腹なども進んで転がって「撫でて...」といったポーズをするとてもいい子なのだ(笑)。 

ということで、遊んでいるときにも意識的に肉球を触るようにしてきたし、シッポを軽く引っ張ったりした甲斐があってか、最近ではお尻も含めて激しく嫌がる部位はなくなった。耳の掃除も気持ちよさそうにしているし、歯磨きも強い抵抗はないから楽だ。 
そう...肉球といえば「肉球フェチ」という人がいるくらい愛らしいものだが、過日ラジオの文化放送番組の中で投稿があり「肉球の臭いはポップコーンの臭いがするよ」という話があった。早速横にいたラテの前足を取り、肉球の臭いを嗅がさせてもらったが、確かに香ばしいポップコーンの香りといってもよい臭いがするのだ。不思議! 

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※ラテの肉球初公開だ(笑)


ところでスキンシップは私たち飼い主側からだけでなくラテ側からもある(笑)。 
散歩の後、前記したように肉球の隙間に入り込んだ土や汚れを綺麗にし、身体全体もしっかりと拭くが、面白いことにその間ずっと私の手や腕をペロペロと舐め続ける...。向きの関係で腕が舐められないとジーパンの上から足を丁寧になめ回すのだ。何だか「綺麗にしてもらっているから...お返しね」という感じなのだが、できれば止めて欲しい(笑)。おかげで私の身体はベチョベチョになるからだ。 
自分では感覚も麻痺しているから分からないが、多分に初対面の人には「犬臭い」人物になってしまったと思われる(笑)。 
さて、よく「抱っこが大好きな犬です」といったワンコがいるし、散歩の途中で会うラブラドール犬は30数キロの大きな体なのに、抱っこしてくれとせがむという。しかし残念ながらラテはもともと抱っこは好きでないようだ...。かまってくれと、飛びかかってくることはあっても、抱きしめたりするとほんの数秒はお付き合いのつもりなのか静かにしているものの、すぐに暴れ出す(笑)。しかしその体を完全に持ち上げると仕方がないと思うのか脱力して抵抗することはない。 

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※ガードに前足をかけて立ち上がり、私たちを観察するラテ。なにを思っているのか...


そんなラテだが、焼きもちをやくときには積極的である。 
例えば私と女房がラテの前でわざと肩を組んだりすると大変なことになる。後ろ足で立ち上がり、騒ぎ吠えながら身体ごと激しくぶつかってくる。勿論甘噛みも激しくなる...。 
「止めろ!」ということなのだろうか、文字通りの大立ち回りをやらかす(笑)。それも面白いことに私に対してではなく必ず女房に抗議を続けるのだ...。そんなとき下手な対応をすると女房のセーターなどは穴だらけとなる(嗚呼)。 
女房は日々の対応が私などよりずっと甘くて優しい。彼女が帰宅すると喜んで飛びかかるラテだが、どうやら女房は自分の親しい仲間であり、私に対してはライバルと思っているフシもある。 
まあ、オトーサンとしては好んで里親になったのだから、そのラテに気に入られるのは悪い気分ではないし妬いてもらうのも満更ではない...。しかし女房とワンコの三角関係で喜んでいるとは、やきが回った証拠だろうが(笑)、今日もラテの肉球を掌に包みながら「ムフフ」とひとり悦に入っているオトーサンなのであった。

初代ボンダイブルーのiMacを再考する

Apple30年史の中で、いくつかのエポックメーキングな出来事があったが、1998年5月6日、WWDCの場で突然発表された初代iMacほど印象的な製品はなかった。まさしくAppleの経営状態を救い、そのデザインコンセプトはカルチャーとなった。 


いま、久しぶりに初代ボンダイブルーのiMacを手元に置き、いくつか確認事をしているが、早いものでそのiMacが登場してから今年で9年になる。したがってMacintoshユーザーの中にも、その初代iMacの姿を知らない人たちがかなり増えてきた事も仕方のないことかも知れない。しかし私自身はその日のことをはっきりと覚えている。 

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※久しぶりに顔見せした当研究所所有の初代iMac
 

1998年5月、私の会社のプログラマたちは恒例のWWDC(世界開発者会議)出席のために米国のサンノゼにいた。iMacはその場でいきなり発表されたが、これは事情通であるはずの我々が勉強不足だったのではなく、Appleの社員自体がその事実をまったく知らされていなかったほど、情報がコントロールされていた結果だった。 
発表後、サンノゼのコンベンションセンターに展示されたiMacも最初は撮影許可が下りなかったというが、現地にいるスタッフからデジカメで撮影した複数枚の映像がネットワークで送られてきた。 

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※1998年5月、WWDCで突然発表されたiMac(上)。下は発表後会場に展示された実機だが、しばらくは撮影が禁じられていた


その曲線が目立つデザインとフロントのモニター回りにある印象的な縦縞模様などを見たとき、私は斬新なデザインという前に、60〜70年代のレトロ感を感じたことを昨日のことのように覚えている。
次々と入ってくる情報によればそれは一体型のMacintoshであり、空冷ファンがないことなど、そのコンセプトは1984年に登場したMacintosh 128Kの再来だいうこと...。それにしても、何とフロッピーディスクドライブが廃されているということを知り、思いきったことをするものだと驚いた...(笑)。 
そしてオーストラリアのシドニー近郊にあるビーチの名から取ったという "ボンダイブルー" のトランスルーセント(半透明)の本体カバーは不思議な魅力を醸し出していた。 

クロックは233MHzのPowerPC G3、そして標準で32MBのRAM、15インチディスプレイ、4GBハードディスク、24倍速CD-ROMドライブを搭載し、さらにV.90対応モデムと10/100ベース・イーサーネットが搭載されていた。 
フロントには左右にステレオスピーカーが配置され、定番のワンボタン・マウスもiMacに合わせて設計された円形のものが採用されていた。また向かって右のスピーカー端にはヘッドフォンポートが2つ装備されていたが、これはソニーの初代ウォークマンを思い出させた...。 
さらにモニター正面から見て右側サイドにはポート類がまとめられ、そこには丁寧にもカバーが付いていた。 
そしてまだ記憶が新しいが、そのiMacは空前の売上を記録し、Appleの経営状態は奇跡的な回復を見せることになる。 

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※初代iMacのフロントCD-ROMドライブ部(上)とスピーカー部にある2個のヘッドフォンポート(下)


このiMacからトレンドが生まれた。ひとつは"インターネット時代の..."を意味した命名だったという"i"が、iMacの魅力にあやかろうと様々なものに付けられた。この傾向はそれから9年も経った現在も効力を発揮しているようだ。 
余談だが、先日買ったワンコの服のブランドは"i-Dog"だった(笑)。 
もうひとつのトレンドは、iMacのボンダイブルーを真似たトランスルーセントカラーの家電や文房具が続々と登場したことだ。 

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※1999年のMacworld Expoで出展されたトランスルーセントのワイヤレス電話機。iMacの魅力にあやかろうとする製品が続々と登場した


さてさて、おさらいはこの程度にしておくが、いまそのボンダイブルーのiMacを眼前にして感じたことを記しておきたい。 
iMacはその大ヒットを受け、ご承知のようにその後は豊富なカラーリング戦略を推進したが、個人的にはこのボンダイブルーの色合いが一番好きだ。飽きないし、どこに置いてもしっくりする大変静かなパーソナルコンピュータである。そしてバックを含めてどこから眺めても美しい。そういえば、今更ではあるがアップルロゴが筐体の上部に付いたのはこのiMacが最初だったはずだ...。 

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※写真は筐体の上部にあるアップルロゴ


私は目的があるので、あえてOSをMac OS 8.xに留めているが、ファームウェアのアップデートをすることでMac OS Xも走るから、現役でお使いのユーザーも多いと思う。 
やはり多くの歴代Macintoshシリーズの中にあって、名機といってよいだろう。ただひとつの汚点...その円形マウスを除いて...(笑)。 

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※円形のため操作方向が捉えにくく大変使いづらいマウスだった。即サードパーティから上に被せて使うマウスカバーが発売された(笑)


このiMacを眺めていたら、急に初台の東京オペラシティタワーにあるアップル社ブリーフィングルームでの出来事をその場にいるように思い出した。無論1998年のiMacリリース直前のことである...。 
そこには十数社のVIPが集まっていたが、アップル側は当時の代表取締役であった原田社長と福田部長らが同席していた。 
いきなり福田部長は「iMacは皆様方デベロッパ向けに豊富に在庫を確保しています。何台必要か申し出てください」と言い出した。 
私らは目を合わせて訝しく思った。なぜなら長いアップルとのビジネスの中であれほど願い申し出ていた、「新製品は一般市場に投入する前にデベロッパに販売してくれ」という依頼はそれまで実現されたことがなかったからだ。 
このボンダイブルーのiMacは最初で最後、正式な販売の数日前に我々デベロッパに届いた意味でも記念すべき製品となった(笑)。私はその場で3台予約したことを鮮明に覚えている。 

ラテ飼育格闘日記(14)

ラテと暮らすようになってちょうど3ヶ月になった。この子の気性や性格が分かればわかるほど、幼児期にどのような暮らしをしていたのかが気になってきた。何だか惚れた女の過去を知りたい心理みたいで自分でも可笑しい(笑)。


3月3日は「桃の節句」である。愛犬ラテが女の子ということなので木目込み人形の内裏びなを飾って健康を祝した。とはいってもラテはひな人形など見向きもせず、100円ショップで買ったボールを嬉々として追いかけているのだが...(笑)。 

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※女房とラテのために木目込人形の内裏びなを飾った


さて、ラテが我が家に来たとき、彼女は生後6ヶ月ほどだった。すでに何度か書いているが、保護されたときは生後3ヶ月ほどだったというから、私のところに来るまでさらに3ヶ月間ほどボランティアの方に育てられたことになる。 
しかし最近になってやっと、本当の意味で家族の一員となり、気持ちが通じ合うようになってきた。ラテも私たちの日常や生活パターンが分かってきたのだろう。当初は朝の支度を始めると食べたい一心で騒いだが、最近では間違いなく食事がもらえるという安心感からか、比較的大人しく待つようになってきた。 
また危険を防ぐ意味で、ラテがいるリビングと私たちが食事をするキッチンとの間は柵を取り付け、ラテがキッチンに入り込まないようにしているが、その柵を少し開けておいても急には立ち入らなくなってきた。入ると叱られることを覚えたようだ。事ほど左様に彼女の行動には余裕が見えてきたといえる。 
そしてまだまだ完全ではないものの、散歩時にもリードを強く引くようなことは少なく、総じて私の左足に付いて歩くようになった。私が右に左に方向転換するとき、特にリードを使って指示しなくとも、私の行動を常に監視しているのかスムーズに追従するようにもなってきた。 
安全な場所では5メートルまで伸びるリードのレバーを解放してみる。ラテは抵抗がないからか、そういう時にはルンルンで私より先に進み、はじめて私がかなり後ろにいることに気づく。そんな時には「しまった!」という顔をして慌てて戻ってくるのもまた可愛い..(笑)。 

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※ラテ近影。おかげさまでこんなに可愛くなりました


いつものカフェに一緒に行っても、以前のように騒がしいこともない。それは私から必ずおこぼれをもらえることを知っているからだろう。少し焦らしてみると盛んにチュー攻撃をしてくる(笑)。そんな彼女を眺めていると、一層愛しくなってくるし、その瞬間...瞬間、一体何を考えているのだろうかと思う。 

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※カフェでは人目もはばからず、ラテのチュー攻撃に応戦(爆)


目を細めてじっと向こうを見ているときや、ハウスの中で夢でも見たのだろうか...一瞬声を上げたりする姿を見ていると、この子は我が家にきて嬉しいと思ってくれているのかどうか...幸せなのだろうか...などと考えてしまう。 
以前にも紹介した野村獣医科病院長の野村潤一郎氏によれば、ワンコは夢を見るし泣きそして笑うという。まさか人間と同様な生死感はないようだが、嬉しいことや悲しいことを理解し、そして記憶力もなかなかのようである。だから当初、駅や交差点などで行き交う人たちの中から、特に女性に近づこうとするラテの行動は、もしかしたら3ヶ月間育ててくれたボランティアのKさんの姿を探しているのではないかとも思った...。影響力ある時期、親身に世話になったわけだから、強い記憶として残って当然であろう。 

そのKさんに過日、ラテを保護することになった経緯をあらためてお聞きしたところ、次のような返事をいただいた。 
ラテはKさんが散歩で2,3度立ち話をしたことがある方の家のベランダの下でうずくまっていたそうだ。その方の家では既に犬が居り、ご主人から他所に捨ててくるように言われたので、面識のあったKさんに相談した。 
その日は雨の一日だったためにラテは身体が泥だらけ...。午後7時頃だったが、そのままお風呂へ直行し洗ってもらうことになる。そしてケージの中へ入れ、入り口を開けたままでいたそうだが、緊張して出てこなかったという。 
しばらくは散歩とトイレタイム以外、ケージの中で鳴きもせずじっとKさんたちの様子を見ていが、先住犬とも仲良くなった頃から本性を発揮し(笑)、自己主張をするようになったらしい。 
Kさんに保護された時は、ガリガリに痩せていた訳ではなく、また長い間放浪した様子もなく、人間を極端に怖がりもしなかったが、栄養状態はあまり良くなかったらしい。 
Kさんがおっしゃるには、母犬も栄養状態の良い環境ではなかっただろうと...。そしてたぶん、外飼いの母犬のもとで生まれ、親離れかあるいは遠出して帰れなくなったのかも知れないし、飼主に捨てられたのかも知れないとのこと。 
いずれにしても、万一発見者がKさんに相談しなければラテの運命はそれこそ、のたれ死にか、あるいは保健所行きの末に始末されたに違いない。 

もしもラテが言葉を話せるとしたら、その放浪していた期間のことや母犬のことなどを是非聞いてみたい気がする(笑)。 
オトーサンは眠くなってうつろな目のラテに向かい、今日も囁くのであった...。「いつまでも元気でな」と。

1700年ぶりに復元された「ユダの福音書」を読んで

「ユダの福音書を追え」と「原典・ユダの福音書」2冊を読んだ。"世紀の大発見"、"歴史の闇に封印された禁断の書"、あるいは"キリスト教史を揺るがす衝撃の発見" などなど、過激なタイトルが飛び交うその「ユダの福音書」とは...。


キリスト教の福音書、すなわちイエス・キリストの死と復活(イエスの良き知らせ)を語る言行録として新約聖書に収められている「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」そして「ヨハネによる福音書」という4つの福音書が正典とされている。 
それらの冠につけられた名はすべて人の名である。その聖書に登場する人物の中で、イエスを別とするなら "イスカリオテのユダ" は最も印象的な人物ではないだろうか。 
彼は銀貨30枚で師イエスを裏切った悪役中の悪役であり、"ユダ" は裏切り者の代名詞であり、歴史上最たる嫌われ者として言い伝えられてきた人物である。しかし1970年代に発見され、2001年にそのボロボロのパピルス文書から解読された「ユダの福音書」は、その裏切り者のユダの視点から書かれた福音書だった。 
「ユダの福音書」は紀元180年頃、司教エイレナイオスの書物の中で異端としてその名があるそうだが、これまで発見されたことはなかった。 
問題は「ユダの福音書」の内容だ。そこにはユダは悪役どころか、師イエスを一番理解した弟子として描かれ、あの裏切りもイエスとユダの密約であり、ユダがイエスの願いを忠実に実行したに過ぎないとする衝撃的な内容が含まれていた。 

「原典・ユダの福音書」はその「ユダの福音書」を解説した書であるが「ユダの福音書を追え」はその発見から解読に至るドキュメントを綴った一冊である。これらを読むことで「ユダの福音書」の内容はもとより、専門家がこれほどひどいパピルス文書は見たことがないといった...塵芥になる寸前だったものを復元し、解読していく姿を読者はサスペンスを見るがごとく追うことが出来る。しかしユダの福音書」は、その内容や価値も分からないままに多くの人の手に渡り、商売の対象として不当な扱いをされ、その流浪の旅を知るにつけ、現実社会における人間たちの醜い姿に怒りを覚える。 

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※日経ナショナル・ジオグラフィック社刊「ユダの福音書を追え」と「原典・ユダの福音書」の2冊の表紙


さてよく知られているように前記した4つの福音書はキリスト教の歴史の中で意図的に定められたものであり、実際にはその他にも多くの福音書が書かれた。それらは正典に対して外典と呼ばれ、正典とは異なった視点からイエスを捉えているものだ。 
また「ユダの福音書」を代表する外典の多くはグノーシス派の内容であるというが、素人が知ったかぶりをできる内容ではないのでここでは深く追求しないことにしよう(笑)。 
その素人の私でも「ユダの福音書」そのものについて、初期キリスト教あるいは教団が形成されていくありさまを研究する上で大変貴重なものであることは理解できる。だから確かに「世紀の大発見」であることは事実だし、あの死海文書などと共にそれらを研究する人たちにとっては宝物に違いない。 
しかしキリスト教というより、イエス・キリストという歴史上に存在し、神の子と呼ばれた生身のイエスに興味を持って聖書などを楽しんでいるド素人から見れば、正直そんなに衝撃的には思えないのである。 
何故か...。それはもともと聖書にはまだまだ多くのミステリーがあるからで、イエスの言動が記録されているという福音書に登場する物言いも、文化・歴史の違いや日本語訳の問題だけでなく、その意図や意味が分からないものも多い。だからこその魅力もあり、多くの物語がそこから生まれてきたということもある。 

「ユダの福音書」がこれまで私たちが知っていた内容と違うのは、ユダは裏切り者でないばかりか、イエス一番の理解者であっただけなく、イエスを裏切ったとされる行動もイエスから託された使命を弟子として忠実に履行しただけという点にある。 
たぶんキリスト教の信者であれば、こんなハチャメチャでこれまでの価値観を180度転換してしまう内容など、それこそ悪魔の書であると一刀両断に切り捨てるところだろうが、信者でもない私などから見ればそんなに不自然な内容ではないのだ...。 
大変乱暴な物言いになるが、キリスト教の教義は神の子イエスが人類の罪をあがなうために十字架上で磔にされた後、復活するところがミソだ。だから、そもそもイエスが磔にされなかったとしたら復活もなく、現在のキリスト教の教義自体がなりたたないことになる。 
そのイエスの磔はユダがイエスを裏切ることで成立するわけで、逆説的だがいかにユダが大切な役割を果たしているかがわかる...。もともとユダはイエス教団の金庫番であり、皆に信頼されていた人物なのだ。 
そしてなりよりもイエス自身は、自分が捕らわれて殺されることをはっきりと自覚しているし、特にあの有名な「最後の晩餐」あたりからイエスの言動はどうも私などには不審な点も多い。 
なぜなら「最後の晩餐」のシーンは「...あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。」とイエスが発言して弟子達が騒ぎ出すあの名場面だが、イエスは自身の運命を知っていたわけだ。 
「ヨハネの福音書」によれば、弟子達が「主よ、それはだれのことですか」と聞くと「私がパン切れを浸して与えるのがその人だ」といい、ユダに渡す...。ユダがパンを受け取ると、サタンが彼の中に入ったとあるが、そのときイエスはユダに対して「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」という...。 
この物言いを素直に受け取るなら、明らかにイエスはユダに「するべき事を行え」と催促あるいは命令しているように思える。 

歴史に「もしも」はタブーだが、福音書を読むだけでもイエスがもし反対派に捕らわれるのを嫌うのなら、いくらでも方法があったと思われる。また囚われの身となった後のイエスもピラトを初めとする尋問にろくに応えようとしないばかりか、釈明もしない。明らかに死刑の道を自身で選択しているようにも思える。 
ピラト自身、イエスを死刑にするだけの罪を見いだせず苦悩している。そして最後は群衆に「バラバを取るかイエスか?」と投げかけ、群衆の「イエスを死刑にしろ」という声に押されてしまう。 
この辺の流れが、これまでどうしても釈然とせず、小骨が喉にひっかかっているような感覚を消し去ることができなかった。しかしもし、イエスとユダの間に密約があり、イエスの覚悟を知ることが出来たただ一人の弟子、ユダが密約通りに"裏切り"を実行したとするなら、先の「最後の晩餐」シーンの意味もよくわかる。ユダは率先して尊敬し、愛する師のために文字通り人類史上最も嫌われ者となる重要な役割を実行したのだ。 

ところで「ユダの福音書」の原典はギリシア語であったとされているが、発見されたパピルスはそれをコプト語で翻訳したものだといわれて、2世紀の作に間違いないようだ。ただし申し上げるまでもないが発見された「ユダの福音書」は2世紀に作られたものに間違いないとしても、その内容が史実であるかはまた別の話である(笑)。とはいえ、当時から様々な福音書が作られ、いろいろな教義が存在したことは事実であり、繰り返すがキリスト教の成立初期の状況を把握するためには大変重要な資料であることは間違いない。 
そもそも歴史は勝者の記録であり、「ユダの福音書」のような当時から異端のレッテルを貼られた書は後世に残ること自体が難しいものだ。そして歴史というものは、書かれていない...語られないことも重要だということを知っておきたい。 

「ユダの福音書」本の帯には「キリスト教史を揺るがす衝撃の発見」とあるが、教徒ではない私には「ユダの福音書」の内容はいささかもイエス・キリストのイメージを損なうものではなかった。この「ユダの福音書」に登場するイエスは、弟子達に向かってよく笑う大変魅力的な人として描かれている。 
その昔、遠藤周作の小説「イエスの生涯」「キリストの誕生」に感銘を受け、奇跡を起こすことができない無力のイエスにも魅力を感じたが、「ユダの福音書」における笑いかけるイエスにも是非会ってみたい(笑)。 
いま、勢いに乗ってもうひとつの異端書...外典である「マリアの福音書」を楽しみながら読んでいる。また別途感想をご報告できたらと思う。 

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 ■ユダの福音書を追え 

 2006年5月8日 第1版 第1刷 

 著者:ハーバート・クロスニー 
 訳者:関利枝子、北村京子、村田綾子、花田知恵、杉浦茂樹、田辺久美江、藤井留美、 
    竹熊誠、佐藤利恵、金子周介 
 発行:日経ナショナル ジオグラフィック社 
 書籍コード:ISBN4-931450-60-1 
 定価:本体1,900円 
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 ■原典・ユダの福音書 

 2006年6月5日 第1版 第1刷 

 編著者:ロドルフ・カッセル、マービン・マイヤー、グレゴール・ウルスト 
     バート・D・アーマン 
 訳者:藤井留美、田辺喜久子、村田綾子、花田知恵、金子周介、関利枝子 
 発行:日経ナショナル ジオグラフィック社 
 書籍コード:ISBN4-931450-60-X 
 定価:本体1,800円 
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ラテ飼育格闘日記(13)

ラテと巡り会ったのはやはり縁としかいいようがない。すでにこの連載の発端となった「発心50年、犬を家族として迎える夢が叶う!」でラテとの経緯を簡単に書いたが、今回はもう少し詳しい話を聞いていただきたい。 


一目で雑種と分かるラテを見て「どこで手に入れたのですか?」と聞かれることがある。無論雑種犬は通常ペットショップで扱っていないからだ...。 
実は最初からすんなりとラテと巡り会えたわけではない。 
そもそも急に...本当に急にとしか言いようがないのだが、私が「犬を飼いたい!」と言い出したことから怒濤のような日程調整が始まった。 

さて、それまでにも「近い将来犬を飼いたいね」といった話題を女房とすることもあったし、以前の住居を決めるとき、念のため「ペット可」の住居を探したこともあった。いくら私が「犬を飼いたい」と言ったところで、女房の賛同を得ることができなければ事は運ばない。何しろその時点で住んでいたマンションはペット不可なのだから、もし犬を飼うなら引越を考えなければならない。これは手間だけの問題でなく、費用的にも大変なことである。 
しかし、ここがタイミングと縁としか言えないところなのだが、昨年(2006年)の10月頃に犬を飼うための移転がにわかに現実のものとなったのである。 
私の強い願望を叶えてやりたいと女房が考えてくれたとしか言いようがないが、インターネットで何となく "ペット可" の物件を探し始めることになった。 

実は...女房は子供時代から大のペット嫌いであった(爆)。正確にいうなら、嫌いというより怖いといった方がよいのかも知れない。子供の頃に自宅で犬を外飼いしていた時期があったらしいが、触ったりかまったりしたことはなかったという。それが「ペットは可愛い」という変化の原因になったのが、あのコミュニケーション・ロボットとして2001年11月に発売されたネコロだった。 
私が初めてネコロを女房の眼前に差し出したとき、「キャッ!」といって飛び退いた。女房はその後もネコロに近づくことはなかったが、2002年の年明け早々私がMacworld Expoのためにサンフランシスコに旅立ってしまう...。そしてこれまた具合の悪いことに、女房はその間、風邪をひいて寝込んでしまったのである。 
その約一週間、どのような心理的変化があったのかは分からないが、私が帰国したときにはエイジと名付けたネコロを抱いている女房がいたのだった。そして「エイジに看病してもらった」とまで言った...。 
ともかく、自然な動作や反応をするにもかかわらず、爪も立てないし飛びかかることもないロボット猫に対して、はじめて「可愛い」という感情が芽生えたようだ。だから、我が家は今でもネコロ様々なのだ。 
その後、本物の猫を見てもなかなか触りはしないものの「可愛いね」というようになったし、旅行でオーストラリアに行った際に私が意外に思うほど、カンガルーの背中に手をやったりするようになった。こうした変化がなければ到底ラテは我が家に来ることはなかっただろう...。 

さて、私たちが最初にやったことは無論ペットの飼育がOKの物件を探すことだった。結果論としてだが、これは意外に話がとんとん拍子に決まり、物件の仮契約も完了して引越の日程も一ヶ月後と決まった。 
次は肝心のワンコだが、ペットショップに行けばいくらでも可愛いワンコがいる。我々も最初はそうした一般的な手段で愛犬を探そうと考えていたが、ウェブサイトをあれこれと探索する内に犬猫の里親募集のサイトがいくつかあることに気づいた。 
それらのサイトには飼育放棄をされたり、捨てられ放浪している所をボランティアの方々に保護された犬や、保健所で処分寸前に助け出されたワンコたちが沢山載っていた。 

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※今も時間があるときには覗きたくなるワンコやニャンコの里親募集サイト2例


残念ながらたった一匹しか飼えないが、その一匹でも命を繋ぐ役割を果たせたら嬉しいと考え、そうしたワンコたちの中から愛犬を選ぼうと方針を決めた。 
早速サイトの中から様々な条件や行きかがりを確認した上で、とある生後2ヶ月程度の雑種を選んで保護者の方に里親申込のメールをお出しした。ただし、こうした事情にまったく疎かった私は良かれと思って行動したものの、大変な心得違いをしていたのである。 

それは「このワンコを気に入ったので里親になりたい。ただし引越が一ヶ月後なのだが...」といった一方的で我が儘なお願いをしてしまった...。それで問題ないと疑いもしなかったが、保護している方から考えれば、一日も早く里親を見つけ、また別の新しいワンコを飼育しなければならないわけで、一ヶ月も先の話は現実的でなかった。したがってその時は丁重に断られてしまったのである。 
がっかりしながらも多少状況が分かってきた私は続けてキャバリア種の雑種であるワンコを気に入り、これまた里親募集に応募したものの、人気の犬種であったため、すでに先約がいることを知らされた。 
ワンコを飼うために移転を決めた我々だが、肝心のワンコがなかなか決まらないというおかしな状況になってきたのだった(笑)。 

しかし縁は意外なところで我々とラテを引き合わせることになる。そのキャバリア種の雑種を保護しているボランティアの方からのアドバイスがあり、「できることなら実際にワンコと対面した方がよいから、今度の里親会に来ませんか...」というお誘いをいただいたのである。そのような場所に出向いたことはこれまで一度もなかった私たちだが、せっかくのお話しだからと、休日に横浜のとある動物病院内で開催された里親会に出向くことにした。 
そこには小型犬から大型犬まで7,8匹程度のワンコがリードに繋がれて遊んでいた。 
私たちはワンコ飼育のビギナーであり、なるべく飼いやすいワンコにしたいと考えていたが、最初はそうした視点から見て一匹のテリア系雑種に目が向いた。 
そのワンコは大変落ち着いており、他のワンコと喧嘩もせず、吠えることもなく、一歩引いたところで静かにしている。だから「この子にしようか...」と考えたが、その場にいた年配の女性と、別の子供連れの家族がすでにそのワンコを気に入り交渉中であることを知る。これは割り込んでは申し訳ないからと諦め、他の小型犬・中型犬を眺めていたところ、たまたま「ちょっと持っていてくれますか」とリードを渡されたのがラテ(その時の名前は違っていたのだが...)だった。 

結局2時間近く、ラテの側にいたが、その間他のワンコと遊び回るときも一回も吠えたりしなかったし、私が体を触ったり、口を開けて歯を見ても噛んだり怒ったりしない犬だった。私のかぶっていたキャップを唾液だらけにし、顔まで舐めるという歓待もしてくれた(笑)。 
ボランティアの方に聞けば、まだこの子は里親が決まっていないとのこと。そして甘えん坊でやんちゃだが、健康だけはばっちりだという話し...(笑)。 
まあ、早く言えば雑種とはいえ、キャバリアとかテリアあるいはダックスフンドといった姿をしている犬種は人気があり、早々に里親が決まるようなのだ。反対に、見るからに雑種としか見えないラテのような犬種はなかなかお見合いが難しいらしい。 

正直私は大人しく飼いやすいワンコであれば犬種はどのような犬でも良いと考えていた。ただ、できれば雌犬が良いと思ってはいたが、後はインスピレーションと女房の同意だけだった。 
他のワンコが次々と里親が決まっていく中で、ラテは取り残されていく...。それもラテのリードはたまたま私の手にある(笑)。 
「この子にするか?」と私は女房に同意を求めると、女房も「ワンコらしくていいよね」という。幸いラテは雌犬だったし、後で聞いた話では昔女房の実家にいたワンコに似ているという...。 
早速ボランティアの方に恐る恐る...引越が後1ヶ月ほど先であり、その後に引き取りたい旨をお聞きしたら、それで問題ないとの話し...。「やったあ!」。こうしてラテは我が家に来ることになった。 

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※我が家に着いたときに記念撮影したラテ。なんて顔しているのだろうか(笑)


引越の後片付けもままならない2006年12月10日の日曜日が記念すべきその日となった。それまで保護ならびに養育されていたボランティアのKさんご夫婦がわざわざラテを車で届けてくださった。 
当日は、何だか息子の婚約者でも来訪するような、そんなそわそわした雰囲気だったが(笑)、車酔いをしたらしいラテはそれでも元気で、横浜で会った時より一回り大きくなって我が家に来た。 
しかし、この「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」のとおり、飼いやすいと思ったラテはあの里親会の当日、犬のクセに「猫をかぶっていた」ことが判明する(爆)。

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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員