ラテ飼育格闘日記(34)

人間に不可解なワンコの行動のひとつに所かまわず臭いを嗅ぐというのがある。せっかく散歩のために外に出たのだから、青い空を眺めるとか、緑の美しさを堪能したりすれば良いと思うのに、クンクンと地べたや電信柱あるいは壁面などを嗅ぎ回っている。その姿はどうしても格好良く思えないし解せない...。したがってついリードをグイグイと引っ張って先に行こうとしてしまう。 


しかしワンコという生き物は私たち人間が一般的には五感のうちでも視覚を中心に生きているのに対して臭覚の生き物であることを理解しなければならない。私たちが視覚で物事を判断理解し記憶するのと同じようにワンコは臭いで物事を理解し、記憶して自分たちの世界を認識しているという。だからオトーサンが毎日通る散歩の道筋を思い浮かべるとき、当然のことのようにビジュアルなイメージに頼ることになるが、ラテは臭覚で行程の地図を認知し、時間の経過さえも理解していることになる。 

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※近所の遊歩道を散歩中のラテ


ラテにしても日により態度は違うが、散歩中は基本的にはクンクンモード全開である。地べたをクンクン、道ばたの草木にクンクン、曲がり角のブロックをクンクン、橋の欄干をクンクン、大木の根元をクンクンなどなど...道行く時間の大半、その鼻面を地面に向けていることがある(笑)。そして何よりもクンクンの対象物は総じてバッチイものが多いように思えるし、拾い食いに繋がるわけだから、最初はリードを引いてしまうことが多かった。 
しかし今は時間の許す限り、そして場所をわきまえるものの、なるべく嗅ぐという行為を規制しないように心がけている。 
何故なら前記したように、ワンコにとって臭いを "嗅ぐ" ことは私たちが "見る" ことと同じく重要な情報収集だと知ったからである。ワンコの臭覚がとてつもない高度な情報収集能力を持っていることはよく知られているが、我々人間が臭覚を主として生きる動物ではないだけに、その理窟がなかなか理解できないわけだ。 

ラテが一定間隔で並んでいる電信柱の根本を丁寧にクンクンしていく様は、言わば伝言掲示板を一つ一つ"読む"ことと同義だと思われる。物の本によれば、そこに記されたマーキングと呼ばれるオシッコによる情報には、雄雌は勿論、個体を特定する情報をはじめ、その身体の大きさや、何時間前にここを通ったか、そして発情期であるかどうか等々多くの情報を有しているそうだ。したがって嗅ぎ回る行為はラテにとって、私たちがメーラーに届いた情報やウェブにアクセスして得る情報と同じように重要なものだと考えられる。 

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※たくさん散歩した後のご機嫌な表情


無論クンクンから得た情報が物理的に正しいかどうか我々には分からない(笑)。特に雄は自分をより大きいワンコだと思わせたいために片足を上げ、前に残っているマーキングより上にオシッコをかけようと片足を上げる...。無論これは自分の優位性と縄張りをアピールする行為である。 
おかしいのはラテも片足を上げることがままあることだ。雌犬のラテは電柱の臭いを嗅いだ後のマーキングだが、通常はその根元にしゃがみオシッコをする。しかし、たまに何を思ったのか本格的なマーキングしようとするときがある。問題は地べたならともかく、電柱などのより高い位置にオシッコをかけようとするのは身体の構造上無理である(笑)。 
それを知ってか知らずか、ラテは片足を上げてオシッコをするが、そのオシッコは空しく自分の足元に落ちるだけだったり、ある時は旨く行かず自分の足にひっかけてしまうことさえある...(笑)。 
そんなラテの行為を苦笑いしながら眺めるオトーサンは思わず「おっ、頑張れ!」と声をかけてしまう...。 

まあ、こうした行為は公園であるとか木々が多い散歩道であれば許してもらうしかないが、そこはワンコだからして遠慮がないのが困る。だから場所によってはオシッコの後にいつも携帯しているペットボトルの水をかけて、洗浄することもあるが、開店間際のクリーニング店やケーキ屋さんの店頭当たりでオシッコモードに入ると、さすがにオトーサンは慌ててリードを強く引きその場を離れるようにする...。しかし時には...嗚呼...申し訳ないことに間に合わず...オシッコがラテを引きづった2メートルほどの残痕となってしまうこともあった(笑)。 
ただしラテなりにTPOは持っているようで、すでに飼い始めた7ヶ月の間に、例えばカフェのテラスで一度も粗相をしたことはない。 

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※たまたまテニスコートが空いていたのでラテと一緒に駈けてみた...


こうして我が家自慢の "ションベン娘" は今日もクンクンモード全開で散歩を楽しんでいる(笑)。しかしふと思いついたようにこちらを見上げてアイコンタクトする...。それは「クンクンしていいかしら...」と問われているようでオトーサンは思わず優しく...何回も頷いてしまうのだった。

ラテ飼育格闘日記(33)

ワンコの躾はなかなか難しい...。しかし、ラテにしてもまだ拾い食いが完全に直っていないし、散歩の途中で誘惑があれば急に引きが強くなるといった具合で理想にはほど遠いものの、時間の経つにつれて矯正できているように思える。


毎々申し上げていることだが、私も人に講釈をたれるほど長い間ワンコを飼ってきたわけではない。しかしこれからワンコを飼おう...あるいは飼ったばかりというオーナーにはアドバイスくらいはできると思っている。 
私自身がそうであったように10数冊もの育児書を読むのはそれなりに有益だとしても、よりストレートで生きたアドバイスができると思っている。まあ、それだけ苦労も心配もしたわけだから...(笑)。 

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※散歩の途中で道ばたの草木にちょっかいを出すラテ


別にワンコ育児書の著者、すなわちプロと言われる方々に喧嘩をうるつもりはないが、それらは書籍という形であるからしてどうしても最大公約数の一般論を振りかざす内容になりがちである。そして中には元ネタは一緒だと思われる本も多いから、冊数を読んだらといって自慢にもならないし、ましてや役に立つとは限らない。 
いま、オトーサンたちの手元にいるワンコは見も知らずのワンコでもなければ隣のワンコでもなくオンリーワンの家族であり生命なのだ。だから...例えば犬種による性格の傾向やら、遺伝として受け継いだあれこれもあるだろうが、画一化されたトレーニング方法ですべてのワンコが飼い主の思うようなよい子になるとは限らないのではないだろうか。 
この点を柔軟に考えないと「うちの子は本の通りにならない」とばかり、育児ノイローゼになってしまう(笑)。 

重要なことは、例えいま思うように躾ができなくてもトレーニングを日々続けることだとつくづく思う。 
トレーニングの中には、例えば「お手」とか「お座り」といった比較的ワンコが習得しやすいものから、例えば飼い主にまで噛みつく...といった問題行動を直したいといったさまざまなレベルのものがある。しかしラテを例にすれば、ほんの2日程度で完璧に覚えることができた「お手」もあれば、いまだ完全に止めさせられない「拾い食い」問題などを抱えているものの、トレーニングを根気強く続けてきた甲斐もあり、良い意味で時間が解決してくれると思えるようになった。 

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※ペットボトルに上手に舌を入れて水を飲むラテ


思えば「拾い食い」という問題ひとつを取り上げて、育児書の通りにトレーニングを続けたとしても、ある日突然100%拾い食いをしなくなった...というような現実はあり得ないと思わなければならない。 
ラテにしてもこちらが癇癪を起こしたくなるほど鼻面を地面にクンクンしながら、あるいは別のところに注意を向けている振りをして、あっという間に地面に落ちているターゲットのものを口にするといったことはまだまだ直っていない。しかし散歩の途中、まったくと言ってよいほど道ばたに落ちているあれこれに興味がない感じで、前を向いてよい子で歩くこともできるようになってきた。 
そして程度の問題だが、確実に我が家に来たときとは拾い食いのレベルが違っていることも確かなのである。 
ともかく最初は目に付くものすべて、それがタバコの吸い殻であっても落ち葉であっても、あるいは包装紙やビニール袋であっても、何でも手当たり次第に跳びかかって口に入れていた(笑)。それを防ぐためオトーサンはラテの進行方向3メートル先を常に凝視し続け、ラテが口にすると問題になりそうな物があるかどうかをトレースし続けていた。そのため、前方不注意となり前からくる人や自転車にぶつかりそうになったことも幾たびかあるほどだ(爆)。 

道ばたに落ちているモノを口にしようと首を伸ばした瞬間、リードを「バシッ」と引っ張る。それはワンコにとっても心地よいことではないし「ああ、落ちているものを食べようとしても食べられないんだ」と覚え込ませるようにと育児書には書いてある。 
しかしワンコも我々と同様、個体それぞれに性格が違い、素直なワンコから懐疑心の強いワンコまで100ワン100様なことを忘れてはいけない。ダメといわれれば余計に反抗したくなるワンコだっているに違いない。 
ただし大切なのは、適切なトレーニングは成犬になった後も、習得した後も続けなければならないということらしい。その中で昨日と今日の成果という差はほとんど無いかも知れないが、3ヶ月前と今日の差は確実に違っていることを実感するに違いない。 
またラテは別にワンコの競技コンクールに出すわけでもなし、盲導犬でもないから100点満点を要求する必要もないと考えている。いつも言うように人に迷惑をかけなければ、少しぐらい間抜けでもそれはそれで可愛いではないかと思うのだ。 

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※外が気になるのか、時々出窓に乗って回りを見渡すのが日課に...


ところで先日来、ラテには「待て!」の強化合宿を行っている(笑)。やはりどのような状況にあろうとも「待て」がきちんとできないと他人に迷惑をかけるだけでなく、ワンコ自身も危ない目に合うかも知れないからだ。 
勿論ラテはオヤツを見せながら「お座り」をさせ、その後「待て」と声をかけてオトーサンが数メートル離れ、10数秒あるいは数十秒の間待たせることができるようになった。その「待て」をより確実に、そして頑強に守らせるため、より過酷なシチュエーションを作ってトレーニングをしているわけだ...。 
といってもたいそうなことではない。ラテに「お座り」をさせ、その目の前にオヤツを置いて「待て!」を実践させるわけだ。当然のことながら魅力的なオヤツが近いほど待つのが難しい理窟だが、意外と思うほどこの試練をラテは楽々クリアしたのであった。 

そこで意地悪なオトーサンはレベルアップを考え、何ということか...お座りしているラテの前足の "上" にオヤツを乗せて「待て!」を実行したのだった。これは目の前にあるだけでも辛いのに、自分の前足にオヤツが乗っているのだからラテには過酷なことに違いない。しかしその直後、オトーサンは思わず我が子を強く抱きしめたのだった...。 

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※ラテの足の上にオヤツを乗せて「待て!」実行中(笑)。この後、大きなヨダレが床に落ちた...


なぜなら、このできた娘は(親ばかだあ〜)思うことか十数秒間の「待て!」を健気にも守りつつ、その口元から大きなヨダレを床に落としたのだった。 
それを見てオトーサンは、思わず手にしていたオヤツ全部をラテの前に差し出してしまったのだ...(笑)。 

まあ、はっきりいえば...またまたオトーサンの負けであった。

ラテ飼育格闘日記(32)

ワンコは飼い主に似る...とよく言われる。毎日一緒に生活しているのだから、ワンコが飼い主の行動パターンや性格を自然に身につけていくのも当然かも知れない。またそういった眼で見るからだろうか...実際に吹き出してしまいそうな似たもの同士もいる(笑)。 


そもそも一般的には飼い主がワンコを飼う際に、まず自分の趣味にあった犬種を選ぶのが普通だろうから、無意識的にも何らかの形で自己を投影してしまうのかも知れない。 
それにしても毎日沢山のワンコとその飼い主たちにすれ違ったり話をしたりしていると、中には失礼ながら思わず吹き出しそうなほどワンコと飼い主の姿が似ているケースもあって面白い。無論似ているといっても"同じ顔" というのではなく全体的な雰囲気の意味である...(笑)。 

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※ある土曜日の夕刻、公園は多くのワンコと飼い主たちで賑やかになる


例えば、見るからに繊細で神経質そうな中年の女性は、これまた神経質そうに動き回り、他のワンコとはなかなか遊べない細面のプードルを連れている。その飼い主の言う「雄犬はダメなの...」という物言いは、そのまま連れのワンコが発してもピッタリだと思うほどだ(笑)。 
かと思うとブルドックを連れてくるある男性は四角い顔に長島茂雄ばりの濃いひげ面で、ブルドックと見比べてしまったほど(失礼)雰囲気が良く似ているのだ(爆)。 
また柴犬を連れたオジサンがいる...。挨拶をしてもほんの少し頭を傾ける程度で言葉を発しない無口な方だが、連れてくる柴犬も仲間のワンコがちょっかいを出すまでじっと座っているだけで、ちょこちょこと動き回ることはほとんどない。オトーサンはそのワンコに「哲学犬」と命名したくらい、いつも何かをじっと考えている感じでご主人の姿にダブって見える...。 

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※お気に入りの仲間と取っ組み合って遊ぶラテ


ゴールデン・レトリバーを連れてくる女性は見るからに大らかな方のようで、大型犬をきちんとコントロールしている。そのワンちゃんも飼い主に似てか、ゆったりと物静かで飼い主の言うことを良く聞き、見るからに問題行動などひとつも起こさないといったワンちゃんである。 
また、大型犬の雑種だと思うが、白い毛並みのワンコがいる。そのワンコは他のワンコたちに絶大の人望ならぬワン望が高いワンちゃんなのだ。そのワンちゃんの姿が見えると、それまで勝手に遊んでいた数匹のワンコはそのワンちゃんの回りに集まるのである。 
我がラテもその一人(一匹)で、もうラブラブであり、できたら独り占めをしたいと相手の口回りを舐めながら追っかけ回している。しかしそのワンちゃんはもともと静かで大人しいワンコなので、ラテがいくらしつこくされても怒らない。 
興味深いのはその飼い主の女性だ。どうやら3人の男の子のお母さんらしいが、これまた大らかで暖かなオーラーが出ている方である。面白いのは、ある飼い主のワンコは一時このお母さんが投げたボールしか追いかけて持ってこないという行動を示したほどである。なにしろ飼い主のいうことより、このお母さんのボール投げに喜んで遊ぶ姿に当の飼い主は「なんでだろう...」と頭を傾げていた...。 
飼い犬同様、他のワンコにも惚れられる魅力あるお母さんなのだろう。 

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※サンバイザーをつけたラテ。よい表情でしょ?(笑)


しかし散歩の途中ですれ違うワンコの中には、吼え続けるだけでなく明らかに威嚇の姿勢を見せるワンコや、中には恐怖で固まってしまうようなワンコもいる。すべてとは言わないまでもそうしたワンコの飼い主はこちらの挨拶や問いかけに、さも面倒だとばかりに無視したり、飼い主本人が人間嫌いといった感じの方もいる。 
他人に迷惑をかけなければ、自分のワンコをどのように育てようと勝手だが、ワンコが他のワンコと遊べないのはやはり普通ではないと思うし、その原因はワンコではなく飼い主にあると考えざるを得ない。思わずそのワンコに同情してしまう(笑)。 

ともかくお互いに年齢も職業も知らない、どこに住んでいるのかも分からない者同士が毎日一所に集まってワンコ談義をするのだから面白い。 
そうした際に意図的にワンコと飼い主とを関連づけながら眺めているから余計に感じるのだろうが、間違いなく飼い主の人生はワンコにも反映されているに違いない。そうだとするなら、ラテは私にとってどのような鏡なのだろうか...。

ラテ飼育格闘日記(31)

ワンコが言語を持っているかどうかについてはいろいろと学説もあるようだが、人間とのコミュニケーションを考えた場合、ラテは確実にボディランゲージを含めて声や表情といった多彩な意思表示手段を持っているように思える。


ワンコのビギナーオーナーであるオトーサンだから、あまり大それたことは言えないものの、ラテが何を欲し、どんなメッセージを出しているのかが日々の格闘の中で少しずつ分かるようになってきた。 
人とワンコとのコミュニケーションで問題なのは我々人間側がワンコの意図をなかなか理解できなかったり、事実とは違った解釈をしてしまうことだ。逆にワンコは我々人間の話す言葉をかなりの精度で聞き分けているように思える。一説では言語の理解においては人間の2歳児程度の能力を持っているともいう...。 

例えば私らがキッチンで食事を始めると、ラテはリビングからキッチン側に入ってくる。勿論おこぼれをもらえると思っているわけだが、ちょっとした物を与え「向こうに行け」と言いながらリビング側に顎でもしゃくるだけでラテはイソイソとリビングに戻る。明らかに「向こう」「行け」という言葉と私のボディランゲージから何を言われているのかが分かっているのだ。 
ただしラテが頻繁に発するボディランゲージはもとより、多くの鳴き声や吠え声が何を意味するのかを知ることは難しい...。 

人とワンコとは共にほ乳類であることは勿論だが、そのDNA配列コードは90%以上の一致を見ているという。だからといって人とワンコが同じ思考回路を持ち、同じ意思伝達パターンを持つだろうと単純なことを考えているわけではない。ただし、例えば言語能力というと誤解があるかも知れないが、意図伝達の能力を考えたとき、遺伝子的にそれほど多くの共通項を持っているのだとすれば量的にも質的にもまったく違ったレベルである方がおかしいと思う気持ちも湧いてくる...。 
とはいえ、残念ながら人とワンコとは意識や認識というプロセスも違うだろうし、何よりも身体の構造が違う。例えば人が喋れるのは声帯が発達したおかげだが、チンパンジーなどが高度な言語能力を持っているにもかかわらず、言葉が喋れないのはこの声帯が発達できなかった構造上の問題にあるという。 

ところで、レックス・ハリソン主演の20世紀フォックス映画「ドリトル先生不思議な旅」を30年も前に見たとき、大変感動して自分も動物と...特にワンコと話をしたいと心から思った(笑)。 

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※20世紀フォックス映画「ドリトル先生不思議な旅」のレーザーディスクジャケット


人間のいうところの言語と同じ意思疎通ではないものの、ワンコはワンコ同士で間違いなくコミュニケーションを図っている。であるならば、我々がワンコの言語を学べれば、彼ら彼女たちと意思疎通ができる理窟になる。とはいってもオトーサンが「ワンワン!」とワンコの吼え方を真似るということではない(笑)。ワンコの思考パターン、ワンコの行動パターン、ワンコのボディランゲージの意味を知ることができれば単に楽しいといったことだけでなく、ワンコと大きな誤解を避けることができるに違いない。 
とかく我々はワンコが発するメッセージを擬人化し、感情面から判断するといった間違った形で受け取ることが多いために、誤解が深まっていく...。 

では実際にラテの発するメッセージ(声とボディランゲージ)はどのようなものがあるのだろうか...。 
まずボディランゲージからご紹介するなら、例えば私がパンやお菓子を囓っているとする。そのパンをラテが欲しいとき、彼女は闇雲に吼えたりせず、鼻面で私の腕や手あるいは膝頭などを突く。それも必ずお座りをした上で「ツンツン」と濡れた鼻面を押しつけてくる。これは「わたしにも頂戴」と言っているのだ。 
またオトーサンの口元をペロペロ舐めるのも愛情の表現というより一種の服従の意思表示だと考えられる。残念ながら「愛してる」という意味ではなく、その多くは「アナタがボスです。宜しくね」といったある種の "おべっかい" 的ニュアンスだと考えるべきだろう。 

さらによく知られていることだが、両前足を伸ばして頭を低くし、そしてお尻を上げるというお辞儀のようなポーズをしながらにじり寄ってくるのは「遊ぼう!」「遊んで」の誘いである。 
また両手をお手のように上げ、少し振りながら近づいてくるときは「いいな!いいな!」とか「ワーイ!ワーイ!」といった意味のようで、このとき口は大きく開けて瞳はきらきらと光るように見開かれている。 
こうした能動的な行動ではなくてもワンコの耳やシッポ、そして口元やその表情でも喜んでいるのか嫌なのか、リラックスしているのか緊張しているのかは明確に分かる。総じて自信がなかったり、嫌だという気持ちのときには両耳は後ろに折りたたまれるが、反対に興味を持ったり機嫌が良いときには両耳を立てる(といってもラテの左耳はまだ少したれているのだが)。 

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※まるで猫のように両手で顔を覆いながら、甘えるラテ


ボディランゲージと共にワンコにとってのコミュニケーションで重要なのは勿論吠え声だ。以前にも書いたがワンコがこんなにも多彩な声を出すとは知らなかった。それらは鳥の鳴き声かと思うほど繊細な「チュンチュン」や「ピィーピィー」といった鳴き声だが、それはほとんど哀願を意味するようだ。「寂しい」とか「つまらない」あるいは「お願い...」「嫌だなあ」といった意味に受け取れる。 
また私がオモチャやラテが好きな段ボール箱などを見せるとちょっとした遠吠えのように口を上に向けて「ウォッ...ウォォォォン」といった吼え方をする。これは「イイジャン!」「嬉しいなあ」という意思表示だと考えている。 
さらに「オフッ...ワフッ」といった短い声を連続的に発すときは「早くして」とか「ねぇ!」という催促に違いない。 
こうした会話とも取れる吼え方の他に、一方的な告知というか知らせるための吼え方もある。私がラテの側にいない場合、例えば二階など比較的離れている場所いるときに限って「ワン...ワン」と少し間隔をおき、強く二度鳴くときは「オシッコをしたよ」という合図になっている。 
なお「キャイーン!」と高い声を出すときは「痛い」といった時に限られるようだ。以前歩きながらオトーサンはラテの足を少し踏んでしまったときがあったが、大げさだと思うほどの「キャイーン!」を発せられ周りの目を気にしたことがある(笑)。 

このようなボディランゲージと声によるメッセージ以前に、その顔つきを見ていれば大体の感情がわかる。その点ワンコはポーカーフェイスは使わないようだから(笑)、感情が素直に顔に出る。 
例えばラテは走るのが好きだ。朝の散歩などでもラテは軽快に走りながら伴走する私にアイコンタクトしながら、嬉しさを顔いっぱいに表す。感極まると走りながら私のジーンズの裾や膝裏に甘噛みしながら走るのだ。そのとき、私が掌をラテの開いた口に近づけると嬉しいとばかりに飛びつき歯を当てる。 
これは何だかラテと走りながらハイタッチをしている感じなのでこちらも嬉しくなってくる(笑)。 

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※何が嬉しいのか...ご機嫌の笑顔である!


どうやら、ワンコを理解する上での問題は、こちらの行動パターンや意志はかなり正確にワンコに伝わっているにもかかわらず、私たちがワンコ語を理解できないのが問題のようである。 
ワンコの言語は決して私たち人間にとって分かりやすいものではないが、人間側の思い入れというか、単純な擬人化による間違った解釈はワンコとの関係を良くするどころか異常行動などマイナス面を引き出すことにもなるという。したがって日々の観察の中で少しづつ「ワンコ語」を理解したいと考えている...。 

オトーサンはまだまだドリトル先生やソロモン王(魔法の指輪をはめる事で獣、鳥、魚達と語り合う事が出来たという伝説がある)には遠く及ばないものの、いつの日かラテと牛乳でも飲みながら、あるいはニボシでも囓りながら...語り明かしたいと考えているのだが...(爆)。

初期Macintosh におけるバックパネル内面サインの考察

よく知られているようにMacintosh 128KからMacintosh Plusといった初期の本体ケースの内側にはマックチーム関係者のサインが浮き彫りにされている。Macintosh Plusのケースを開けるついでに、久しぶりにそれらを眺めてみた...。


これらのサインが集められたのは1982年2月のことだった。スティーブ・ジョブズは自分たちが開発しているMacintoshは単なる工業製品ではなく、芸術作品であると感じていたこともあって、鋳造する金型の内側にチーム全員のサインを入れることを思いついたという。 
テーブルの上に大きな製図用紙が広げられ、そこに全員のサインが寄せ書きされた。それをネガフィルムに撮影の上でMacintoshの金型へエッチングをほどこすこととなる。 
当事者のひとりであったアンディ・ハーツフェルドによれば、当日のサイン・パーティーに集まった35人の署名が終わるまで40分ほどかかったという。 
全員のサインが終わった一番後にスティーブ・ジョブズが例の小文字だけのサインを書き込み、サインの収集は終わった。 

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※今回入手したMacintosh Plusの本体だが、なかなか美品である


それらのサインと書き込んだ人物については書籍などで詳しく確認できるが、私たちがマックの開発チームとして重要な役割を果たしたことを知っている、例えばスティーブ・キャプスらの名がそこにはないことを奇異に感じるかも知れない。しかしこれら数人の名は故意に消されたのでは決して無い。 
なぜ1982年にこうしたサインを集めたかという理由だが、それはMacintoshの発表が近いとされていたからである。しかしその1982年2月にスティーブ・キャプスはまだチームの一員ではなかったのである。 

Macintosh開発チームを率いることになったスティーブ・ジョブスは当初Macintoshの出荷を1982年の初頭と考えていた。それが不可能となったとき、今度は1983年5月に開催されるナショナル・コンピュータ・カンファレンスに合わせて出荷すると皆にハッパをかけた。 
「90 HRS/WK AND LOVING IT」すなわち「週90時間労働が嬉しい」とプリントされたTシャツを着ながらチーム全員が頑張ったが、結局1984年1月の発表まで予定は延びてしまったわけだ。 

サインに話をもどそう。こうして集められたサインはMacintosh自身の出荷が遅れるのと連動して新しい人材や逆にすでにチームを離れた何人かのサインも加えられることになった。事実ケースのサインにはあのスティーブ・ウォズニアックの名も存在する。 
ただしこの金型は大変高価なものだったこともあり、いわゆる金型代の償却ができず、結局サインを刻んだケースの金型は後のMacintosh PlusはもとよりMacintosh SEの頃まで手直しを続けながら使われることになる。その課程でケースの金型を修正する度にサインのいくつかはその位置によっては消されることになった。 

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※Macintosh Plus内面のサイン全貌(上)と中央付近にあるスティーブ・ジョブズのサイン(下)


さて「アップルコンフィデンシャル 2.5J」には、集められた47人全員のサインが紹介されている。そこで今回入手したMacintosh Plusのケースを開けた機会だからと、物好きにも実際のサインと照合してみた(笑)。 
スティーブ・ジョブズのサインはほぼ中央にあり、ウェズニアック独特のサインもはっきりしている。しかし前記47人のサインの内、アンディ・ハーツフェルドやビル・アトキンソンそしてジェフ・ラスキンら16人のサインがない。また当時デジタル基板設計担当だったビュレル・カーバー・スミスのサインは明らかに金型の修正時に半分以上消されてしまっている。 

今般手に入れたMacintosh Plusは極端な後期形なのか?とも思ったが、念のために別途所有している御影石調のMacintosh Plusケースも開けてみた。こちらは吹きつけ塗装のために細かな判別ができないものの、結局は同じであることが分かった。 
インターフェース・ポートのパネル部分内側でサインが消えている事実から推測するに、Macintosh 128KからPlusになった際、SCSIインターフェースなどが加えられ仕様変更となった。したがって金型改変のとき、もともとその位置にあったサインは消さざるを得なかったのだろうと思う。 

当時の設計思想...特にジョブズの考えでは、一般ユーザがMacintoshのケースを開けて内部にアクセスすることを想定してなかった...というか、Macintoshはそれ自体で完成された製品であると考えられ、拡張性を排除した製品だった。その上にケースを開けるためには特殊な工具も必要なため、誰でもがこのサインを見ることができるわけではない。したがって多くの人たちにアピールするためというより、世界を変えるであろう製品を生み出したという自負がサインを残す原動力となったのであろう。 
その47人の中にはジェフ・ラスキンのようにすでに鬼籍に入った人もいる。また現在所在が確認できない人たちもいるという。 

アルミ蒸着され、光を上手く当てないとサインがよく見えないMacintosh Plusのケース内部を覗きながら、47人の人たちはその時、それぞれどのような気持ちでサインをしたのだろうか...。そんなことを考えながら私の視線は一瞬、ケースのサインのはるか遠くを眺めていた。 

【参考】 
・「アップルコンフィデンシャル 2.5J」オーエン・W・リンツメイヤー+林信行著(アスペクト刊) 
・「レボリューション・イン・ザ・バリー」アンディ・ハーツフェルド著/柴田文彦訳(オライリージャパン刊) 
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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員