ラテ飼育格闘日記(73)

オトーサンはワンコを飼おうと決心したとき、可能な限り雌犬にしようと心に決めていた。ラテを選んだ要因のひとつにはこうした意図もあったのである。ではなぜ雌犬なのか...オトーサンが単に女好きだというのは当たらない(笑)。
 

愛犬を選ぶには色々な選択肢が存在する。まずは小型犬から中型犬そして大型犬のどれを選ぶかが問題となる。これは単に飼い主の好みの問題だけに留まらず、住居が賃貸の場合にはワンコを飼うことが許可されていても中型犬までという条件が付いていたり、購入マンションでも管理組合の総意で小型犬に限るといった取り決めがなされている場合があるからだ。 
またそうした点を考慮にいれるにしても一番の問題はどのような犬種を飼いたいのか家族間でも意見が分かれるかも知れないし、その上で雄がいいのか雌がいいのかも選ばなければならないだろう。 
たまたまラテは雑種だったから、遺伝的にはいろいろな気質が混じり合ってもっともワンコらしいワンコだと思っているが、純血種を選ぶときには飼い主はもっともっと犬種に拘るべきだという。 
「友達のAさんがダックス飼っているから、うちもダックスにするか!」だなんて選択はまるでWindowsマシンを買う場合の台詞みたいで好ましくないというより、飼い主のライフワークを無視することでもある(笑)。なぜならワンコは確かにチワワもセントバーナードも遺伝的にはひとつであり学名もカニス・ファミリアリスとされている。しかし現在700種ほどある犬種はそれぞれ人間が役割を意識して作り上げたものだ。だから気質や本来持っている基本的な性格はかなり違うことになる。 
オトーサンは中型犬に分類されるであろうラテをいわゆる室内飼いして実体験しているが、単純に狭い家だから小型犬...扱いやすいだろうから小型犬といった選択は大きな間違いだと思う。一般的には小型犬種の方が活動的であり良く吠える傾向にあるし、噛む事故も小型犬だから少ないわけではないらしい。したがって小型だから扱いやすいという発想はオモチャや家具ならともかく、生き物を選択する上では相応しくないと思う。 
ムツゴロウ動物王国の石川利昭氏は著書「飼育マニュアルに吠えろ!」で「...どうか皆さん犬種にもこだわってください」としたと後で「世界中で700犬種の犬たちは700の異なった生き物なのです」と書いている。 

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※昼寝のひととき...オトーサンに撫でられてウトウトするラテ


さて、我が家でワンコを飼おうとしたとき、すでに何度もご紹介したとおり最初はペットショップで手に入れようとしたが、世の中には飼育放棄や捨てられて保護された不幸なワンコが沢山いることを知った。そしてそうしたワンコを世話しているボランティアや里親募集団体があると聞き、雑種でよいから適当なワンコが欲しいとネットで探し始めたのがきっかけだった。 
結局実際に自分で選ぶべきワンコに合う必要があると感じて里親会に出席しラテに巡り会ったが、その際の決断には姿形とか性格の良さはもとよりだがラテが雌犬だったこともオトーサンが気に入った点なのだ。 

里親会でお世話いただく条件のひとつとしては必ず去勢あるいは避妊手術を行うことが条件だったから、雄でも雌でもよいという意見もあるかも知れない。しかし去勢あるいは避妊手術後にある種の行動や性格に変化が出る場合もあるらしいが、雄は依然として雄であり雌は雌だ。例えば雄犬は強いテリトリー意識を持ちマーキングが激しいのが普通である。場合によっては訓練の最初は家中オシッコしまくるというワンコもいるが、雌犬は比較の問題ではあるもののそうしたケースは少ないという。そしてラテは家の中でマーキングしたことは一度もない。 
無論オトーサンはラテが最初の飼い犬であり、雌犬と雄犬の顕著な違いについては自身で体験していない。しかし一般的にいわれていることは雌の方が性格が穏やかでサイズも小型なことが多く初心者向けだという。何故なら雄は雌より活発で気性も荒い場合が多く、さらに雄は他のワンコに対して攻撃的であり放浪癖を持つ場合も多いという。対して雌は飼い主に対して愛情を求める傾向があり、人なつっこく従順で訓練もやりやすいといわれる。 

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※いまだにラテは好奇心旺盛である。駅にある植え込みをのぞき込むのも日課だ(笑)


一般論はともかく、なぜオトーサンは雌犬がよいと思ったのか...。それは個人的な好みでもあるからして現に雄のワンコを飼っている方たちは気を悪くしてはいけない(笑)。 
まあ、正直にいえばオトーサンは男より女の方が好きである(爆)。そしてワンコに対して多少の擬人化を許していただるなら、男親として娘と一緒に遊び回るというシチュエーションは大いに魅力だったのである。 
確かに公園などで出会うワンコたちを観察していると雄と雌ではその気質は違うことが分かるし、ラテと1年以上も付き合っていると女の子らしい(と思われる)細かな気遣いを見せるときがあってオトーサンを喜ばせることも多い。 
だから飼い始めた頃に「雄ですか?」と多々聞かれるのに腹を立て、スカート型の服を着せたときのオトーサンのときめきをご想像いただきたい(笑)。とはいえ散歩の道すがら、雌なのにそのスカート姿で片足を上げマーキングするのは興ざめだったが、いまではそれも可愛いと思うようになった...。最近では身体も大きくなり、スカート型の洋服を着せようにも既成ではほとんど見あたらないし第一贔屓目に見てもボーイッシュな方が似合うのが難点なのだ...。 

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※昨年(2007年)2月のスナップ。スカート型ワンピースを着たときのラテ


ただしワンコは雌がよいといった趣向はオトーサン独自の勝手な物言いだけではないことも知っていただきたい。 
例えば1973年にノーベル賞を受賞した動物行動学の世界的権威であるコンラート・ローレンツ博士は名著「人 イヌにあう」でいみじくも次のように言っている。 

「よく心得たイヌの飼い主はみな、雌イヌがその性格のいくつかの点で雄イヌより好ましいという私の意見に同意されるだろうと思う」とした後で「雌イヌは雄イヌより忠実だし、その心の仕組みはより美しく、豊かで、複雑であり、その知力は一般にすぐれている。私は非常に多くのイヌを知っており、そのうえで確信をもっていうことができる。あらゆる生き物のうち、ものごとをわきまえる点ですぐれていること、および真の友情を分かちあえる能力において人間にもっとも近いのは雌イヌである」と...。オトーサンもそう思いたいし、そうであって欲しいと願うが、ローレンツも男性であることを差し引かなければならないかも知れない...(笑)。 

ともかく毎日ラテとの生活の中でオトーサンの認識は少しずつではあるが変わってきた。それは、最初ワンコを飼いたいと考えた動機のひとつにともかく飼い主と飼い犬との温かい信頼関係の絆を味わってみたいという目標があった。そうした絆はお陰様でまずまず達成出来ていると思う。 
ともかく最初は、雨の日にずぶ濡れで一軒のベランダ下にうずくまっていたという子犬に何がしてやれるだろうか...飼い主としてラテに幸せだと感じてもらいたいといった “うのぼれ” があったことも事実だった。それが彼女と暮らす中で、どれほどオトーサン自身がこの子から得ているものの方が大きいかにあらためて気づく毎日なのである。 
そのラテも後一ヶ月半程度で丸2歳になる。人間の年齢ならぴちぴちギャルであり、健康で一段といい女になってくれることを願うばかりだ。 

ラテ飼育格闘日記(72)

犬のイメージとはどのようなものか...。一般的には「噛む」とか「不潔」というイメージではないだろうか。そして中には人畜共通感染症といったことを心配している人たちも多いという。しかしそのほとんどは過剰な心配なのではないか。 


確かに昨今「除菌」「殺菌」グッズが好まれている世間から見ればワンコはバッチイ存在に映るに違いない。裸足で歩き、糞尿の臭いを嗅ぐばかりか食べたり舐めたりする場合もあるし、路上に落ちているゴミ類やミミズなどに興味を持って咥えたりする。だからというわけではないがワンコの口の中はバイ菌で一杯であり狂犬病といった特異な病気は別にしてもその鋭利な歯で傷つけられたら即医者にいくべし...と考える人たちも多い。そして飼い犬を心底愛している飼い主さんたちの中にも口移しで食べ物をやり取りするのだけはやらないという人もいるらしい。また日常飼い主は愛犬の糞尿の始末をしなければならないし、常に雑菌と無縁ではない。 
第一ワンコの体毛も始末が悪い。掃除機をかけているその向こうでラテが後ろ足で身体を掻き毛を落としている。毎日散歩の後に身体を拭いているとはいえ、その軽い毛は家中に舞い上がりラテを入れない部屋にも我々の衣服などに付いた毛が丸まって落ちている。そればかりでなく、どんなに気をつけても例えば風呂のお湯の中にも自分で入れた紅茶の中にもラテの毛が舞い込むことがある。先日など違和感があるからと鏡をのぞいたが、オトーサンの口にラテの毛が入っている...といった具合だ。だからアレルギーの人はもとよりだが、神経質な人はワンコは飼えないかも知れない(笑)。 

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※桜はほとんど散ったが数本葉桜で残っている木々がある


ましてや昨今は人畜共通感染症とか人獣共通感染症といった、人と動物の間で相互に感染する病気が危惧されているらしい。これらに関して正式には1975年にWHO(世界保険機関)で「脊椎動物と人間の間で通常の状態で伝播しうる疾病」と定義されている。 
そもそも鳥類そして家畜にいたるまでさまざまな生き物を対象にするなら、鳥インフルエンザとか狂牛病を考えてもその怖さは理解できる。しかし話をワンコに限るなら、ムツゴロウ動物王国の石川利昭氏はその著書「2000匹が教えてくれた犬の真実~飼育マニュアルに吠えろ!」で、「現在の日本における犬の飼い方であれば...ワクチンと駆虫を行っていれば、必要以上に神経質にならなくていい」と言っている。そしてアメリカでは産婦人科の医者が「赤ちゃんを産もうと思ったら、その前に犬を飼いなさい」と勧める時代になったという。何故なら犬を飼うことで心と体の免疫力が高くなるからだ。 

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※オトーサンが写真を撮っているなど歩みが遅いとき、ラテは立ち止まって待っていてくれる


またすでに古典の類に入るのかも知れないがエーベルハルト・トルムラー著「犬の行動学」(中央文庫)には「(人間の生活にとって)不潔さは絶対に必要である」と書かれている。そして著者は7人の子供を80匹の犬たちとの生活の中で育てたが、誰一人生まれてこの方病気になった者はいないという。続いて「新に到着した赤子の顔を、犬が嘗めるのを当然のこととして我慢できないような人は、犬も、そして子供も持つべきではないという助言を守るべきです」と書いている。 
「無菌」とか「除菌」といったことに気を使う方々にとってこうした物言いは理解できないかも知れないが、オトーサンらの子供の頃は現在とは比較にならない不潔さの中で生活していたともいえる。トイレはくみ取り式だったし、子供の遊びといえば野良猫や野良犬は勿論のことだが、虫をいじくり回し、土の付いた手でおやつを食べたものだ。それでもこの歳になって持病はあるものの、寝込むこともなく元気で生きている(笑)。 
第一日常も程度問題はともかく小さな傷は絶えない。ラテをはじめとして公園で会う幾多の愛らしい友達たちに飛びつかれたり、おやつを差し出したときに歯が当たったりとオトーサンの手足はそうした小さな傷が多々あるものの消毒さえ忘れてしまうことが普通だ。そして自宅に戻って傷を思い出して見ていると目敏いラテが寄ってきて嘗めてくれるから...それで終わりだ。 
またラテは気が乗ればよくオトーサンたちの顔や手を嘗めるし、時には口元を嘗めるついでに舌まで入れる濃厚なディープキスをしてくれる。問題はその直前にお尻でも嘗めているかも知れないわけだが、そんなことを考えていてはワンコと人生を楽しむことはできない。だから逆にオトーサンはアイスクリームを食べていると欲しがって寄ってくるラテに唇を突き出す始末だ(笑)。 
ただし散歩から戻り、ラテの身体をきれいにした後は手洗いとうがいを欠かさないが、オトーサンが気遣っているのはその程度である。 

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※この顔を見ると何でも許してしまいそうになる(笑)


さて、今年も狂犬病予防注射の季節がやってきた。それを機会にラテの健康診断もやりたいし、6月から半年間はフィラリア予防のため薬を飲まさなければならない。そして秋には混合ワクチン接種だが、こうした医者の指導に従い予防と検査をきちんと続けていれば現実問題としてラテとの接触は危険なものとはならないと考えている。 
今日もラテとオトーサンは久しぶりの青空の下、大きな水たまりがあるとラテが抱っこを要求するのに目尻を下げ(過保護犬だ)、微風で舞う桜の花びらを追いかけ、小学校の校門付近で馴染みの女の子たちと遊び、カフェで一休みして氷のひとかけらをラテに与え、行き交う新入社員やその研修生たちを追い抜き、公園ではコーギー犬のアポロちゃんと格闘ならびに追いかけゴッコをし、あちこちの飼い主さんにオヤツをいただきながら夕方の散歩を楽しんだ。 
戻ってみれば、ラテは四つ足を中心にして泥だらけだしオトーサンの両手もリードを引いたり、ワンコたちに飛びかかれたりして同じように汚れている。その汚れは後回しにしてまずはラテの身体をきれいに拭きブラッシングするが、その合間にもラテはペロペロとオトーサンの顔を嘗め上げる。 
ラテを解放してからウンチ袋の始末をし、最後に散歩で汚れた衣服を着替えて手を洗ったり顔を洗ったりする頃になりやっとオトーサンの息づかいも普通に戻ってくる。 
咽も渇いたし小腹も空いたから「コーヒーでも淹れようか...」と独り言をつぶやくと、隣でラテが「ウォン!」と吠えた。 

コンラート・ローレンツ著「人 イヌにあう」の勧め

何事にも別格というものがある。これは書籍でも同じ事が言えると思う。犬や動物に関する著作はメチャ多いがコンラート・ローレンツ著「人 イヌにあう」はそうした中で格調の高さといい、まさしく別格であろう。そして本書は単なる動物行動学の著書ではなく文学作品のようでもあり間違いなく名著だ。


コンラート・ローレンツ(1903年~1989年)はオーストリアの動物行動学者でハイイロガンのヒナに自身が母親に間違われたことからインプリンティング(刷り込み)現象を発見し、1973年にはノーベル賞医学生理学賞を受賞している。 
ローレンツは別著「ソロモンの指輪」で「この本はなによりも生きた動物たちにたいする私の愛から生まれたことにまちがいはないが、と同時に、動物のことをあつかったもろもろの本にたいする私の怒りから生まれたものでもあったので...」と記している。
 
何に対する怒りか? それは「今日あらゆる出版社から刊行されているおよそ悪質な虚偽にみちた動物の話に対する怒り、動物のことを語ると称しながら動物について何一つ知らぬ著者たちに対する怒りだ」と...。そして「無責任に書かれた動物の話が読者、とくに強い関心をもつ少年たちの間にどれほど多くの誤りをもたらすかを見逃すわけにはいかない」と書かれている。 

本書「人 イヌにあう」は動物、主に犬を扱った本としては古典の類に入り名著と称されている一冊である。そしてローレンツとその飼い犬や飼い猫たちとのエピソードは良質の文学を読んでいるようで格調の高さを感じると共に心地よく自然に犬という生き物の真の姿を知ることが出来る。 

これまで愛犬と飼い主の物語はそれこそ無数にある。それらの中にはフィクションも多いが、本書の「イヌの個性」の項に登場するローレンツと愛犬スタシの実話は涙なくしては読めないし、こうした絆こそ私たちが愛犬との間に求めているものではないだろうか。そして犬がどれほど知能が高い生き物なのか、なぜ「人類最古の友」と言われるのかを伺い知る逸話ばかりである。 

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私は当サイトの別項で自身の愛犬との生活を「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」と題して綴っているが、犬を飼おうとしたとき経験のない不安から、いや...何でもスタイルから入るクセのある私としては予備知識を得たいと多くのワンコ育児書なるものを買い込んだ。その一部はその「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」にも記してあるが、犬を飼う当事者の私がそれらの本に大いなる違和感を感じたのである。 

無論役に立った知識もあったことは認めるが、読めば読むほど「私たちは何のために犬を飼うのか」という本来の目的が歪められていくような感覚を持たざるを得なかったのである。 

なぜか...。それは犬という生き物は前記したように人類最古の友などと言われているわりには御しがたく、何とか飼い主の思うように立ち振る舞させるようにといわゆる”調教”しなけばならないといったイメージばかりが先行しているからだ。「こうも教えなければならない」、「こんなことを許してはいけない」といったようなことが育児書には山積みだ。そんなに大変なら犬なんて飼わなければいいかな...と思うほど、いかにしたら飼い犬を飼い主の思い通りにさせるかに力を注いでいるように思える。

申し上げるまでもなく飼い犬も間違えれば危険な存在になることもあり得るが、愛犬はもとより周りの沢山の犬を見ていても昨今の人間よりずっと危険はないように思える(笑)。だからあまり「調教、調教」と神経質になる必要はないのかも知れない。 

犬は表現手段として我々のように両手を自由に使えるわけではなく、文字通りの会話で意思疎通することができない。したがって噛んだり吠えたりするのは程度問題としても当然のことなのだ。そして犬の問題は総じて人間側、飼い主側の問題であることをきちんと認識すべきだと思う。我々はあまりにも愛犬のことを知らなすぎるのだ。 
だから「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」で度々申し上げているとおり、調教といった立場からしか犬を見ていない関係書籍には違和感を覚えるわけである。 

言い方を変えるなら、私はブリーダーになるために犬を飼おうとしたわけでもなく、ドッグショーで愛犬を優勝させたいわけでもない。そして犬のサーカスをやろうとするのでもなく、命のあるオモチャとして犬を求めたわけでもない。ましてや自身の憤怒の矛先を向ける相手を犬に求めるわけでもない。 
人生の伴侶、友人として連れ合いたいと願っただけだ...。 

ただそこは人と犬は相容れない部分もあることも事実である。ローレンツも犬や猫を人一倍愛しながらも行きすぎた擬人的動物観を避け、動物と人間との区別を明確に指導している点も興味深い。かといって機械的な動物観になっていないところがローレンツのローレンツたる所以であろう。そして動物を知ることがどれほど人間を知ることに通じるかという示唆にも大いに思い当たる。 

とはいえ犬に対して不必要な過大評価は避けているもののローレンツ独特の見解は説得力がある。例えば犬は家畜化されたために人間に対する理解において類人猿より優れているという意見や、一般的に犬には人間の言語理解能力は無いあるいは希薄と言われるが、ローレンツは犬は人間の発音を聞き分ける能力を持っていると指摘する。 

すでに犬を飼っている方々の中には本著を読んでいる人は多いと思うが、もしまだなら是非是非ゴールデンウィークの一日を潰してでもお読みになることをお勧めしたい。勿論まだ飼ってはいないが犬に興味がある人にもお勧めである。きっと犬の本当の素晴らしさを再認識され飼いたくなるに違いない。 
最後にひと言付け加えるが、コンラート・ローレンツは本書において犬の祖先に関しジャッカル説を取っている。しかし後にローレンツはこの自説を取り下げ小型オオカミ説を取った。 

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 「人 イヌにあう」 

 1966年7月15日 第1刷発行/2003年3月20日 第21刷発行 
 著者:コンラート・ローレンツ 
 訳者:小原秀雄 
 発行所:株式会社至誠堂 
 コード:ISBN4-7953-0208-1 
 価格:1,400円(税別) 
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ラテ飼育格闘日記(71)

女房が足がつって痛いと言い出したのは大分以前のことだったが、突然その足を引きずるようになってしまった。医者から戻ったその足には何とギブスをしていた...。実は軽い肉離れだったというが、原因はラテの散歩しか考えられない。 


ウィークディの朝晩の散歩はオトーサンの役目である。自由業だからこそ出来ることではあるが、仕事でどうしても都合がつかない場合以外あるいは希にラテ自身が外に出たくないという意志でも見せない限り、台風であろうと雪が降ろうと出かけることになる。まあワンコに散歩は不可欠だと考えているし、ウンチは外でしかしないからでもある。なによりもオトーサンは自分から言い出してラテを飼い始めたのだからその責任と義務をまっとうしなければならないと思っているわけだ。 
それに野村獣医科病院長の野村潤一郎著「犬に関する100問100答」によれば、ワンコは暇なとき90%は飼い主との散歩のことを考えているという。後の10%は食べ物のことらしい。いずれにしてもそれだけ楽しみにしている散歩を放り出すわけにはいかないではないか。 

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※散歩道は桜が散ってピンクの絨毯が続いている


ところで一般的に「散歩」と聞けば、風景でも見ながらゆっくり歩くというイメージがあるかも知れないが、実はワンコとの散歩は思ったより体力的に過酷である。オトーサンとラテが1年以上かかって作り出した散歩コースメニューはいくつかある。ただしそれらを朝晩こなすとなれば有に7,8キロは歩くことになる。それもラテのリードを引きながらだからなかなか大変なのだ。 
しかしラテにしても我が家に来た時期と比べればリードを引くことも大変少なくなりオトーサンとしては楽になったと思っている。 
ラテは家を飛び出た時や前方にワンコや雀などがいるとアドレナリンが出るのだろうか(笑)、リードを引っ張ることがあるが通常はオトーサンの右や左に付いてまずまず大人しく歩くのが常である。 
とはいえ時には道ばたの草花を摘んだり、落ちているものを咥えたり、風に舞う桜の花びらを追いかけたりするからまだまだ安心するわけにはいかない。それにひとたび公園に入り、仲間のワンコたちと気が合えば当然のことながら走り回ったりレスリング同然の取っ組み合いをする。5メートルほどのリードは付けたままだがラテが走ればオトーサンも走らなければならない。また仲間がいないときには持参のボールを使って遊んだりもするが、これまたかなりの体力を必要とする。大体が一度の散歩は時間にして1時間半から2時間に及ぶからオトーサンの足には湿布が絶えない(笑)。 

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※桜の木々を背景に笑顔で遊ぶラテ


ただし土曜日と日曜日あるいは祭日になると散歩のリードは女房担当になる。オトーサンはデジカメを手にして歩き回るだけなので多少楽が出来るわけだ。 
さてワンコを飼っている方はよくご存じだが、ワンコという頭の良い生き物はリードを持つ相手によって態度が変わる。オトーサンとの散歩のときには優等生でもリードを持つのが女房だとその引き方が俄然強くなるようだ。第一ラテの女房に対する態度や接し方を観察しているとオトーサンとはまったく違う。女房が帰ってきたときの喜び方はオトーサンの場合の比ではないし、見ていて微笑ましいほどだ。しかしその喜びようを単純に「ママが帰ってきたから嬉しい」と受け取ってよいかといえばなかなかそう単純なものではないらしい...。 
ラテ側から見たらオトーサンは群れのリーダーだとしても女房は仲間か、もしかしたらラテは自分が保護しなければならない相手と思っているのかも知れない。だからリードを引くのは自分がリーダーシップを取ろうとする現れなのだろうか、女房のリードとなるとかなり勝手な動きをするためその制御はなかなか大変なのである。そしてラテにつられて本来走らなくてもよいところを走ったりしている。 

問題は肉離れの原因である。彼女がスポーツをする人間ならそうしたことが原因なのかもと思うだろう。しかし女房はスポーツと名が付くものはまったくやらない人間であり、脹ら脛が肉離れになる原因は考えるまでもなく毎週の散歩しかあり得ない...。 
いま思えばしばらく前から寝ていて足がつると言い出した。しかし会社の健康診断では幸い異常な箇所はなく、単なる疲れだと軽く考えていたが突然脹ら脛が硬直し痛くてまともに歩けなくなってしまったのである。足を引きずりながら医者に行ったが、帰りには...嗚呼...ギブスをはめられ包帯ぐるぐる巻きになった足を引きずって戻ってきた。 

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※嗚呼...なんじゃこれ!


肉離れとなれば2,3日で完治するものではない。これではしばらくの間、土日もラテの散歩はオトーサンの役割にならざるを得なくなりオトーサンの体力配分も考えなければならない。 
ただしラテとの散歩は無論プラス面も主張しておかなければ不公平になるだろう。プラス面とは単に面白いとか楽しいということではなく、女房はラテが我が家に来てから1年4ヶ月になる現在、体重が7キロ減量できたとのこと。これは大きいではないか。それも無理してダイエットし体重を急激に減らしたのではなく少しずつ減量していったわけだから健康にもよいはずだ。しかしそのツケが今回の肉離れになってしまったようだ。 

さて、女房が医者に行ったのは土曜日だった。そして翌々日の月曜日、女房は通勤のため早めに家を出た。何故ならギブスをはめた足ではいつもの三分の一以下のスピードでしか歩けないからだ。女房が辛いのは勿論だが、その歩くスピードに合わせてオトーサンとラテが歩くのもなかなか辛いものがある。オトーサンはまだしもラテはリードを引っ張るのではないかと思ったが、こちらの歩幅に合わせかつ女房の歩き方がいつもと違うからだろう、いたわるようにスカートにまとわりついたり顔を見上げている。 
感動したのはその翌朝の出来事である。その日は朝から強い雨と風が吹いていた。この悪天候の中、ギブスを巻いた足で駅まで歩くのは大変だが、こればかりは仕方がない。オトーサンは傘を差してラテのリードを引きつつ女房のサポートをするという覚悟で準備を始めた。女房の支度ができたのでオトーサンはラテにレインコートを着せて連れ出そうとリードを持って「ラテ!散歩だよ」と声をかけた。普通なら喜んで飛んでくるのに出てこない...。どうしたかとリビングをのぞき込むと、何とラテはすでにハウスに入り込んで寝そべっているではないか。明らかに「散歩に出たくない」という意思表示なのである。 
雨だからということもあるのだろうが、雨でも喜んで出かけるのが普通なのだ。 
ラテの顔をのぞき込んだオトーサンには「私は留守番してるからゆっくり2人で行ってらっしゃい」と言っているように思えた。愛犬に気を使わせたようで強い雨風を受けながらもオトーサンは駅までの道のり笑みが絶えなかった。

Appleが人間工学を考慮した製品〜Apple Adjustable Keyboard考

アップル製品はデザインの素晴らしさで定評がある。それは間違いないが、そのデザインは真の意味で使いやすさを追求するものであるかはまた別の問題である。しかし1992年に発表されたApple Adjustable Keyboardは間違いなく本当の意味で使いやすさを追求した製品のひとつだった。


パソコンのキーボード作りは難しいと同時にあまり面白みがないのではないか...。誰もが真に使いやすいとは思っていないQWERTY配列、どれもこれもキートップを同じように並べただけのような製品に新しいアイデアなど考えつかないのか面白くもない製品がほとんどだ(笑)。しかもパソコンを使うことは必然的にキーボードと向かい合うことであり、キーボードを無視して事実上パソコンを操作することはできないわけで、キーボードとはとても重要な周辺機器である。それなのにキーボードはいわばメーカーから与えられたものを使うしかない...というか、そうしたことに疑問すらわかないユーザーも多いのが現実だろう。 
Appleは最近もアルミニウムをベースにした新しい2種類のキーボードを製品化したが、それは雑然として製品になりがちな他社製キーボードとは比較にならないシンプルかつクールなデザインである点はAppleの真骨頂であろう。とはいえこの最新型が旧来のキーボードより格段に優れ、使い勝手にもめざましい進化が見られるわけではないところにキーボードという製品の難しいところがある。 

Appleは1984年にリリースした最初のMacintosh 128Kでそれまでのパソコンとは違ったアプローチをした。GUIもそのうちの大きな要因だったしワンボタンマウスも3.5インチフロッピーディスクもそうだった。それらに一貫していたことはメーカーとしてユーザーインターフェイスをきちんと認識していたことだと思う。単純に機器をカバーするためのデザイン設計ではなく最初にデザインありき、使い勝手の良さを追求したコンセプトがうかがえる製品だった。 

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※Apple Adjustable Keyboardフルセット(ケーブル類はつなげていない)


話をキーボードに絞れば、Apple IIから最新のMacBook Airに至るまで数多くのキーボードがAppleから提供されたが、キーボード製品そのもので忘れられないものがあるとすれば1992年5月に発表された「Apple Adjustable Keyboard」ただ一つだといってもよいかも知れない。あえてもう一つ上げるとすれば、拡張キーボードがあるが、これとてその名の通り往時のキーボードを拡張した製品であり、単体で目新しい特徴を持っていたわけではない。そして後のキーボードは当時のマシン本体に合わせて無難なものでしかなく、Performaの一時期などは見るからにコストダウン第一で製造したような粗悪なキーボードも存在した。 
そうしてAppleの歴史、キーボードの変遷をあらためて眺めてみればやはりApple Adjustable Keyboardの存在は歴然と輝いてくるし、これを抜きにパソコンのキーボードを語ることはできないと思う。 

さて、ではApple Adjustable Keyboardとはどのような製品だったのだろうか。 
ひと言でいってしまえばその名の通り「調節可能なキーボード」ということになる。調節とは使い手に都合の良いように変えることが出来るという意味だが、事実我々の手は大きさも指の長さも太さも人それぞれで違う。特に長時間の使用にも疲れを感じさせず、何よりも使い勝手の良いものでなければならないはずだがそんな多種多様なニーズにひとつのキーボードで対応できるわけはない。 
ともあれ、両手をキーボードの上に置いてみれば分かるが、両腕はキーボードのホームポジション位置に寄せられて手の甲はハの字形に置かれるのが普通だ。それらを考慮すればキーボードもそうした我々人間の制約に合わせて形状を作ればよいかというと、これがなかなか難しい。ハの字形の角度だって人それぞれで違うだろうし、キーボードの何処を中心にしてハの字形に分割したらよいのか...。第一スペースキーはどうしたらよいか。スペースキーも左右にそれぞれ用意するべきなのか...。そうした複雑な要求に対しひとつの理想型がApple Adjustable Keyboardだといえる。 

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※Apple Adjustable Keyboardのフルキー(上)とテンキー(下)の拡大


Apple Adjustable Keyboardはフルキー部分とテンキーに別れている設計である。テンキーが不要なら使わなくてもよいしこの分離型はキーボード設計のひとつの回答でもある。ただしApple Adjustable Keyboardのテンキーは単純なテンキーではなくカーソルキーやファンクションキーが付属している。そしてフルキーの方は大きめなスペースキーを中央に取り残す形で最上段の数字キーの「5」と「6」の間から上部に角度を付けて左右2つに分離するようになっている。したがって左右に分離させる際の角度は自身の手の置き方に合わせれば理想に近いポジションを得ることが出来ることになる。またフルキーならびにテンキー両方に取り外し可能な専用パームレストが付いている。 

キーボードに限らず我々は慣れという代物に判断を曇らせてしまう場合があるが、いまそのキーに指を触れてみるとキーストロークも良くそのインターフェイスがADBでなくUSBならいまでも使ってみたいと思わせるに十分な代物だ。 
当時、もしこのキーボードがすべてのマックに同梱されていたなら、Apple製品のキーボード評価はもっと高く、多くのユーザーの記憶に留まっただろう。しかしコストの問題もあり実際にはオプションという形で販売したために実物をご覧になった方は意外と少ないのではないか。 

手元にあるApple Adjustable Keyboardは経年変化でボディ部位が変色しているが全体のコンデションは悪くない。またそのパッケージはAppleのプロダクトとしては地味なものだが、蓋を開けてみると一部がアップルロゴの形にくり抜かれているなどAppleの拘りを感じさせる。 

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※Apple Adjustable Keyboardパッケージ(上)と緩衝材にもアップルロゴが抜かれている(下)


そんなApple Adjustable Keyboardだが、ひとつ大きな欠点がある。 
それはパームレストを含めたフルセットを机上に置くにはかなりのスペースを必要とすることだ。もしかしたらこのApple Adjustable Keyboardが日本で今ひとつ売れなかったのはコストの問題と共に設置サイズの問題があったのかも知れない。

ラテ飼育格闘日記(70)

愛犬とどのように付き合ったらよいか、最初にワンコを飼う人すべてがこの事に悩むのではないだろうか。勿論犬種やワンコの育った環境などでその性格も大きく変わるはずだが今回はラテとオトーサンのスキンシップのお話し...。 


ラテを飼う前に本で得た知識のひとつに「スキンシップはとても大切」ということがあった。信頼する人に触られたり撫でられたりすることでワンコは心拍数も減少し血圧も下がりリラックスするという。そして飼い主への信頼感や服従心を強めることにもなるらしい。またスキンシップは単にこうした効用だけではなく、身体に触ることで病気や怪我をいち早く発見するきっかけにもなるし、身体を拭くとか薬を塗るといった場合にも大切なことだ。ワンコが暴れたり、ましてや噛んだりするのでは処置に困ることになる。 

ただし一般的にワンコも触られるのが苦手な部分も多い。鼻先や口回り、足先と肉球、そけい部そしてシッポなどに触れられるのを好まない。したがって飼い主はもとよりだが知らない人がいきなりシッポを握ったりすれば、まず噛まれても文句はいえないことになる。 
ワンコを飼う、ワンコと生活をするということは触れ合うことだと考えていたから、オトーサンとしては何としても上手なスキンシップを取りたいと思って我が家にラテが来たときから「とにかく撫でる」「触る」ことにした。もともとラテは里親会の会場ではじめて会ったときも身体に触れたり、口の中に手を入れても怒ったり噛んだりしないワンコだったからオトーサンのスキンシップ作戦は功をそうしたといえる。ただし女房からは「ラテは女の子だから触りすぎはセクハラだ」とからかわれたが...(笑)。 

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※ラテのリラックスした真面目な表情は何とも愛らしい


散歩の途中でお会いする飼い主さんたちの話によれば、肉球に触らせないというワンコも多いようだし食事中に手を出すと威嚇したり噛みついたりといったワンコもいるようだ。しかしラテは喜ぶとは言わないものの例えば耳の穴に指を突っ込んでも、お尻を拭く場合にソケイ部はもとよりだが、股の間に手を突っ込んでも怒らない。 
こうした一連のスキンシップが日常で役に立つのは散歩から帰ってラテの身体全身を綺麗に拭くときだ。オトーサンはそんなに神経質な人間ではないが、家の中で一緒に歩き回るわけだから土足で上がり込ませるわけにはいかない。事実肉球をはじめとして土埃だけでなく塵芥や草の細かな切れ端を体中に付けて戻ってくる。 
身体をきれいにするにはまずラテを玄関に引いたマットの上に座らせる。そしてぬれ雑巾で四つ足の一本ずつを肉球の間や凹んでいる部分までゴシゴシと拭いて汚れを取る。しかし汚れがひどい場合には洗面器に水を入れ、そこに足を一本ずつ入れさせて水洗いしてから雑巾で拭くようにしている。 
ともかくラテはその順番と手順を覚えたから、前足を拭き終わると後ろ足が拭きやすいように向きを変えてくれる。 
続いて通常はワンコ用のウエットテッシュで顔と頭そして首回りをきれいに拭う。見かけはきれいでもワンコ同士がガウガウと唾液を付け合って遊んだ後だから手を抜くわけにはいかない。そしてウエットテッシュを替えながら胸回りと腹を拭くが、この時ラテはオトーサンが拭きやすいようにあぐらをかいているオトーサンの膝あたりに前足2本を乗せて上体を上げるようにしてくれるのだ...偉い!
こうして胸から腹が終わったら、今度は背中や脇腹などボディ全体をきれいにし、最後に尻尾と四つ足ならびにお尻回りをきれいにして一連の作業が終わる。ただし一週間に一度は別途シャンプータオルという別のもので全体を拭くことにしている。 

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※水仙の群れる公園で記念撮影


汚れを落としたら同じく頭から全体を乾いたタオルで拭くことになるが、ラテもこの最終的な拭き掃除が終わるとご褒美のおやつをもらえるのでなかなか協力的である。そして毛並みを揃える意味でも最後にブラッシングして終了となる。ただしまだラテは解放にならない。なぜなら最後にそけい部やお腹や四つ足などを丁寧に触って取り残したゴミなどがあるかどうかを調べるのは勿論、傷や出来物などがないか、そして触ると痛がる箇所はないかを点検することにしているからだ。セクハラオヤジの真骨頂である(笑)。 
このとき、優しくではあるが耳の穴に指を入れて臭いを嗅ぐこともやる。タダレたりすると悪臭があるのですぐに分かるわけだ。 
耳の他にも口回りや目にゴミなどが入っていないかも見るから、ラテが強く嫌がって暴れたりするとはかどらない。しかし我が家にきた最初の一ヶ月あたりまでは噛んだりしないものの強い抵抗もあったし唸ることもあったが、いまでは毎日朝夕2回の散歩の後はこうした作業が定例となったしラテは協力的になった。気が乗ればオトーサンが身体を拭いているときにこちらの顔や耳などをペロペロ舐めたりもするし、雨からの帰りなどは自分から乾いたタオルに早く拭いて欲しいと頭を突っ込んでくる。その顔を見ればラテが嫌がっているとは思えない...。 
この間、オトーサンはラテに話しかけながら手を動かすが、雨などで濡れが激しいときにはドライヤーで乾かす作業も入るから必要な時間は最低でも2, 30分はかかるはずだ。そしてリードは外していてもラテは一連の手順が終わりオトーサンの「よし!行ってもいいよ」の合図までその場から動くことはない。 

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※道の真ん中で駄々をこねるラテ


こうした散歩の後始末の他にもオトーサンは本来ワンコが嫌がるというスキンシップ?を意図的にやってきた。背後からホールドしてマズルを動かす、いわゆるマズルコントロールは勿論、伏せているラテの上にオトーサンが覆い被さるといったこともやってみる。ワンコはこうした圧迫感があることを非常に嫌うというが、ラテは四つ足を投げ出すなどして大人しくしながらガムなどを囓り、時々オトーサンの口元を舐め腹を出したりする。また強く抱きしめたりされるのも嫌うというが、もし一般的なワンコがそうであるならラテはまさしく変なワンコだ(笑)。 
ラテは他の飼い主さんたちからも珍しいといわれるほど人間の子供のようにオトーサンの両肩に前足を乗せて抱きつく。無論抱く場合は落としては大変なので右手で尻部分を支え、左手を背中に回して抱きしめるが、嫌がるどころか自分から抱っこしろとせがむときがある。そしてオトーサンが下ろそうとすると嫌だとばかりずり上がって抵抗を示すほどだ。 
どれもこれもラテがオトーサンをリーダというか上と見なしていないと上手くはいかないはずだと思う。勿論おやつなど、食べ物を食べているときに手を出して取り上げても、遊んでいるボールに手を出しても決してラテは怒ったり歯を立てたりしない。しかしこれが他のワンコ...数匹のラテが認めるワンコ以外がボールを取ろうとしたり、オヤツの取り合いなどがあるとラテはこれが同じワンコかと思うほど猛烈に威嚇するのだが...。 

というわけで、ありがたいことにラテはまずまずよい子に育っていると思う。ワンコと飼い主との関係を良い形に築く方法は色々といわれているが、オトーサンは先達の知識やノウハウを勉強しながらも自身の納得できる形でラテと付き合ってきた。 
そのラテはこの6月で推定2歳になる。ラテをお世話いただいたKさんからのアドバイスによれば、今後3歳から5歳あたりまでをどう教育しながら過ごすかで飼い主(オトーサン)の老後も決まるという(笑)。いわゆる問題行動がおきたりすればオトーサンの体力的、精神的な苦労も大になるわけだから、より信頼関係を築きながらよりよい子になるように日々努力しなければならない。

「清左衛門残日録 DVD-BOX」を購入

>藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」に関しては以前ご紹介したことがある。その後もこの名作を取り出して思い出すように読むことがあるが、NHKで放映されたドラマも見る度に心が豊かになる。しかし残念なことに数編録画を忘れたために欠けてるのだ...。


団塊の時代、熟年時代の日本の男たちにも定年という時が順番に訪れる...。私もそうした年代であるが「自分にはまだまだ出来ることがあるのだろうか」「やり残したことはないだろうか」「他人の役に立てることがあるのではないか...」と第2の人生を生きる意味と生き甲斐を模索していく清左衛門の姿は時代が違っても思い当たることばかりで思わず藤沢ワールドに浸ってしまう。 

このNHKのドラマは原作と些か違った構成になっているが、その演出も含めて大変よくできていると思う。いまさらこの名作の細かな解説をするのも野暮だろうから遠慮するが、主人公である三屋清左衛門は藩の用人の地位まで務め、51歳で息子に家督を譲って隠居する。用人とは江戸時代、大名や旗本の家で、家老の次に位し、庶務・会計などにあたった要職である。 
無理矢理今の会社に例えるなら、取締役とか部長職に該当するのではないか。それも清左衛門は優秀な用人だったようで隠居するときも殿様から特別の計らいがあったり、次々と生じるトラブルに隠居したのを好都合と殿様の覚えも目出度い清左衛門が活躍するという設定だ。 
このドラマを見ていると「歳を重ねることはどういうことなのか」を考えさせられる。熟年になり一線を引くとこれまで見えなかったあれこれが思い出されて気になって仕方がない。見えなかったというより当時は若さゆえの熟慮が足りなかったこともあるし、仕事が忙しく日常のあれこれを振り返る余裕もなかったということだろうか...。 

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清左衛門は妻を無くしてはいる。その妻に対しても十分に優しくできなかったことを悔いつつ、良い友人たちと素晴らしい嫁、そして息子に支えられながら人生を振り返り、そして身体の動く限り働かなければならないと決意する。 
とにかく主役の仲代達也はもとよりキャスティングがよい。ガキのころからの友人で奉行職を務める佐伯熊太に財津一郎、嫁の里江に南果歩、行きつけの料理屋の女将”みさ”にかたせ梨乃といった具合で、嫁の舅を思う気持ちや反目し合ったりしながらも友を気遣う人たちの姿が生き生きと描写されている。 

さて、ドラマは全部で14回分とスペシャル1回の計15編であるが、リアルタイムだったか再放送だったか忘れたもののビデオに撮りためていた。しかし残念なことに、第2回・第5回・最終回の3編を撮りそこなっていたのである。それがどうにも気になって仕方がなく、思い出したのを機会にと今回DVD6巻セット「清左衛門残日録 DVD-BOX」を手に入れた次第。これで心おきなくいつでも全編を堪能できる。 
こうしたものは好みだから無理矢理お勧めはできないが、映画やテレビドラマにしても繰り返し見る気にさせる作品はめったにない...。その点本作品は時代が江戸時代という設定ではあるものの一人の男の生き様がリアルに描かれ、時代を超えた人間というものを考えさせられる。 
見る度に清左衛門の心中が痛いように感じるのだが、何よりも大塚平八(河原崎長一郎)、中根弥三郎(中山仁)、そして前記した佐伯熊太らを見ていると何だか自分の旧友たちに会っているようなそんな温かい思いが膨らんでくるのだ。それはやはり私も歳をとったということなのだろう...。 
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 DVD「清左衛門残日録」 

 リリース:2004年10月22日 
 原作:藤沢周平 
 出演:仲代達也/南果歩/赤羽秀之/山下真司/かたせ梨乃/財津一郎/他 
 演出:村上佑二/清水一彦/吉川幸司/山本秀人/吉村芳之 
 著作/著作:NHK 
 発行/発売:NHKエンタープライズ 
 コード:ISBN4-87244-933-9 
 価格:29,610円(税込) 
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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員