ラテ飼育格闘日記(95)

人間同様にワンコもただただ “喰っちゃ寝“ の繰り返しでは頭脳は活発にならない。本来はラテにも何らかの仕事をあてがいたいと思っているオトーサンだが、この数ヶ月は意識して頭を活性化すべくゲーム性を取り入れた遊びを実施している。


家犬のほとんどは一昔前のワンコとは違い、肉体的な労働は皆無だろう。ただただ飼い主のメンタリティの安定に貢献しているといえるのかも知れない...。いや、中には飼い主の血圧を上げる原因になっているワンコもいるかも知れないが(笑)。 
そのワンコ自体の日常は本人がどのように思っているかは不明なものの、比較的単調な毎日の繰り返しに違いない。 
ラテにしたところで朝起きてオトーサンと散歩に出かけ、帰宅したら朝食を食べて一眠りする。昼になればオヤツが出て通常ならオトーサンと室内でひと遊びした後、夕方の散歩まで出窓から道行く人たちやワンコなどを眺めたり、居眠りして過ごす...。そして夕方の散歩に出かけてタイミングが合えば仲の良いワンコたちと遊び回る至福のひとときを過ごして帰宅。またまた夕飯の時間まで一眠りするが、夕食の後はオトーサンとオカーサンと共に遊んでいると大きなアクビが出始める。 
というわけで午後10時頃にはハウスに入ってゆっくりと就寝といった繰り返しだ。 
ともかくワンコにもよるだろうが、ワンコはよく寝るし眠るのが仕事のようにも思える。しかしそれは良しとしてもこの日常の繰り返しだけではいかにも単調すぎるのではないか。 

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※オカーサンに買ってもらった花飾りを付けて出窓のたたきから外を眺めるラテ


前回にもご紹介した「理想の犬の育て方」(文集文庫)で著者のスタンレー・コレンは「豊かな環境は性格にも影響する」として動物に対しても毎日の生活や訓練のやり方次第でその学習能力が大きく違ってくると書いている。 
同書によればこの種の研究例として1960年代、カリフォルニア大学バークリー校の心理学と生理学研究所で静かな革命が起きていた。研究者らは経験が脳の構造に観察可能な変化をもたらし、その後の行動に影響を与えるという仮説を直接調べてみるという画期的な試みに挑んだ...。 
続いてイリノイ大学シャンペンアーバナ校のウィリアム・グリーノーによる研究は、豊かな環境で育つと、動物の神経回路が変化することを実証したという。 
詳細は本書を読んでいただくとして、要は脳に刺激を与えることで脳の神経細胞の増殖が学習や記憶に関わる海馬と呼ばれる領域で起きるという。 
海馬は脳に入ってきた情報を大脳皮質が処理し蓄える前に情報を整理する役割もする。いわばコンピュータの一時記憶の容量を増やすようなことにもなる。 
ここでいう刺激とは遊びや訓練を通じて新しい環境と接触し、情報を処理し、問題を解決し、新しい関係を学習する行為そのものが脳を変化させ、その結果学習能力が高まり、それまで以上に情報がうまく整理できるようになる。すなわち頭が良くなるわけだ。

例えば、ネズミでもワンコでも研究設備で飼われているものより家庭で飼われたものの方が頭がよくなるという。 
ラットの実験では研究室のラットはすることも動き回る範囲も限られたゲージの中で育つこともが普通だから問題解決の機会も少ない。そのラットを家庭に持ち込んでペットとして飼うと、家族と共に暮らし、遊び、触れ合いを持つことで豊かな刺激を受ける。そうしたラットの方が例えば迷路を素早く学習し落ち着きがあり感情的にも安定するという。 
同じ事をマギル大学の研究仲間はワンコに対し実験をしたところ、ラットとおなじ結果がでたという。 
まあ、こうした実験による検証は素人にはできないものの「さもありなん」という感じはするし、納得できる結論でもあると思う。 
オトーサンとしてはラテとの日々心がけていることは可能な限り、ほんの些細なことでも毎日新しい事を学ばしたいということだ。というよりラテを観察していると、少々臆病で肝っ玉が小さいにも関わらず、常に新しいことに興味を覚えるという性向を知ったからだ。そして新しい事をオトーサンと体験することをとても喜ぶからでもある。 

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※朝の散歩途中で一休み。ラテはとにかく新しいものに興味を持つ...


例えば公園の奥にちょっとした木製遊技施設があり、そのひとつに吊り橋を模したものがある。数段の丸太の階段を上るとそこはぐらぐらと揺れる吊り橋が数メートル続くというものだ。 
最初は丸太の階段それ自体ラテは恐がり足を出さなかったが、ある時オトーサンは少々強引にラテを引いて駆け上った。仕方がなくラテも何とか階段を上ったがそこは足元が前後左右にゆれる場所であり、恐怖のために足を竦ませている...。 
こうした時にオトーサンの態度が重要なのだが、オトーサンと一緒だから安全だということをアピールし、ラテをなぜながら声をかけてゆっくりとその橋を渡った。 
それがいまでは仲間のワンコがいると自分から「君もできるかい?」とでもいうように自分からその遊技施設に駆け上るようになった。そしてオトーサンと一緒に降りたときの嬉しそうな顔がとても印象的である。

特に最近は家の中でも新しいことに挑戦させる工夫をしている。とは言っても大げさなことではなくボール遊びひとつでもラテを喜ばせながらこれまでとは違う体験をさせるような方法を考えているだけだ。 
ここのところラテが夢中になっているのはボール探しとボール取りの遊びだ。ラテが大好きなボールを使ってそれをフローリングに敷いたマットの下から取り出させることや、ちょっと工夫をしないと取れない場所や高さにボールを置いて取らせる遊びをしている。 
マットの下にボールを置くと最初は単純に上から口に咥えたり、そのまま振り回して何とかボールを取りたいと苦労するが、次第にマットをめくりあげるとボールが見つかることを知ると次からは素早くマットを退かすようになる。 
またラテが嫌いな椅子がある。その椅子は回転するためにラテは足場にするのが怖いようなのだ。 
その椅子の背もたれにタオルをかけ、タオルの上にボールを置くとラテはボール欲しさに吠え始める。 
他の椅子なら飛び乗って簡単にボールを取るものの、嫌いな椅子には前足をかけたり、ましてや飛び乗ったりはしたくないわけだ。しかしボールは欲しい...。 
吠えながらも周りを観察してあれこれと考えた結果ふとタオルを引っ張るとボールが落ちてくることを学ぶのだから面白い。 

しかしである...。オトーサンは椅子の背もたれにタオルを掛けてその上の真ん中当たりにボールを置く。ラテはしめたとばかりに椅子の横からタオルを引っ張るが、ボールは椅子の座部中央に落ちてオトーサンの手の中に収まる。 
ラテは自分がボールを咥えたいがために必死になっているわけで、この結果は不本意だから悔しがって吠える...。 
オトーサンはまた同じ事、すなわち椅子の背もたれに掛けてあるタオルの真ん中にボールを置く。 
ラテはタオルを引っ張るがボールは転げ落ちてまたまたオトーサンの掌に落ちる(笑)。 
ラテは足を踏みならしたり吠えたりするが、何回やっても自分のところにボールが落ちてこない...。 
親ばか承知だが、この後のラテの行動には舌を巻いた! 

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※ボールが欲しいと舌なめずりするが椅子には触りたくない...(上)。結局タオルを引っ張ってボールを取ることを学習したラテ(下)


同じ事をやってもボールが取れないことを学習したラテは一計を巡らした...らしい。今度はオトーサンがボールをセットした途端いつものようにタオルを口で引っ張るのではなく何と椅子に体当たりしたのである! 
ボールはその衝撃で椅子の背面に落ち、それに飛びついたラテはめでたくボールを口にすることができたという次第。 
こうした遊びはラテが飽きない程度に繰り返して行う必要があるが、大切なことは最後は必ず成功させて終わらせるようにすること、そしてボールを放置せずにオトーサンが取り上げてラテが勝手に取り出せないように管理することだ。 
あくまでこのボール遊びはオトーサンとの共同の遊びであり、オトーサンと一緒に何かをする楽しみを与えるということを知らしめなければならない。 
ラテは2歳と3ヶ月を過ぎるところであり、ワンコによっては落ち着きが出てあまり遊ばなくなってくるというがラテはまだまだ幼児性を発揮すると共に新しい遊びを喜ぶからオトーサンも次々と新メニューを考え出さなければならない。 

ところで先日テレビを付けたらちょうど動物番組をやっていて飼い主さんと一緒にダンスをするワンコが紹介されていた。 
それを見てオトーサンの目標がまたひとつ増えたことは申し上げるまでもない(笑)。

ラテ飼育格闘日記(94)

少々感傷的な願望だということは百も承知だが、ラテを文字通り我が子のように可愛がっていると我が家に来る前の様子を無性に知りたくなる。それは幼犬の時代に経験したことが現在の性格や行動に大きく影響しているはずだからでもある...。 


我々人間も幼少期の育ち方が大人になってからその性格形成に大きく影響することはよく知られている。 
最新の学説によれば同様にワンコも幼児期のあり方がその後の性格に大きく影響することが知られるようになった。したがって良心的なブリーダーは当然このことを認識した上で生まれた子犬を必要以上早く母親や兄弟たちから引きはないよう注意をしているという。 
新刊「理想の犬の育て方」(文集文庫)で著者のスタンレー・コレンは幼犬にとっていかに社会化期の学習が重要なのかを分かりやすく解説している。 

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※スタンレー・コレン著の新刊「本理想の犬の育て方」(文集文庫刊)


ワンコが将来いわゆる家庭犬として迎えられて人間たちと一緒に生活していく上で大切なことは多々ある。それはワンコとしての自分の本性に関わること、そして人や他のワンコとの接触の仕方を学ぶ社会化の問題、そして最後に感情の押さえ方を学ぶことだ。 
重要なポイントとしてそれらは生後3週から12週という限られた期間に会得できないければ後から矯正することが非常に難しいとされるらしい...。 
この「飼育格闘日記」にも度々登場した一般的なワンコの育児書類にはまだまだ古い考え方...すなわちワンコはオオカミの血を引いているために飼い主を群れのリーダーとして認識するかしないかによりその行動に大きな違いが生じると説明されている。しかしオトーサンの経験からも言えることはワンコは人と犬を区別して対処できないほど馬鹿な生き物ではない。したがって家犬はワンコ仲間との接し方と共に人間社会でどのように接しふるまったらよいかを学ぶ必要があるわけだ。 

ともかく生後3週から5週間の間は第一社会化期とよばれ、子犬が子犬であることを学ぶと同時に種の異なる動物とも仲良くなれる時期だという。この頃に例えば猫との接触を図り、猫と一緒に育てられると猫的な行動をとるようになるワンコもいるらしい。 
ともかく第一社会化期に幼犬を親兄弟から引き離してしまうと自分が犬であることを学習できないで終わってしまう。こうしたワンコはその後に犬仲間と上手くやっていけずトラブルばかり起こすことになる。 
例えば前足を延ばし伏せて頭を低くし、逆にお尻を高くするポーズは「遊ぼう!」というポーズだが、これを犬社会で学ばないで育つと当然のことながら相手が出しているこのサインを攻撃や威嚇のポーズと判断し喧嘩を誘発してしまうこともあるわけだ。またいわゆる甘噛みができるようになることも大切で、こうした行為は幼児期にワンコ同士との接触の中で覚えていくものだという。 

さて、ラテを我が子のような気持ちで育てているオトーサンとしては我が家に来た生後(推定)6ヶ月以前のラテを知りたいと考えることは親心として当然なことだとご推察いただけるものと思う...。 
雑種の場合でもその母犬が分かっている場合もあるだろうし、一般的にペットショップで手に入れた場合には血統書の証明としてその両親の素性はきちんと分かっているはずだ。そして良心的なブリーダーに育てられたとすれば極悪な環境で幼犬時代を過ごすと言ったことはないに違いない。しかしラテのようにノラ犬として保護されたような場合はその両親はもとよりどのような環境で幼犬時代を過ごしたのかはまったく分からない...。 
ただし生後3ヶ月程度のときにボランティアの方に保護され、我が家に来るまでそのお宅で育てられたことははっきりしているから問題は誕生後の3ヶ月という空白が分かれば嬉しわけだが、それは我ながら無理な相談に思える...。 
とはいえ現在のラテの性格・性向を観察することでどのような生後3ヶ月を過ごしたのか...という想像はできるような気がするのだ。 
その空白の期間(大げさだが)、すなわち幼犬時代のあり方がその後の性格形成に大きくかかわっているとすれば、現在知り得る情報から逆にラテがどのような状態で育ってきたのかを想像することも可能ではないかと思い始めた次第...。 
野良犬だからしてすべて幸せであったはずもないが、オトーサンとしてはどんな生活をしていたのかを知りたいと思ってきた...。 

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※オカーサン(女房)大好きのラテ。いい顔してます!


以下はあくまで推理遊びに過ぎないが、まずは基本に戻ってラテが保護されたときの様子を振り返ってみた。 
先のボランティアの方によれば雨の日、ある方のベランダの下にうずくまっていたそうだが、栄養状態は良くなかったもののガリガリに痩せていたわけではなく、長い間放浪した様子もなかったという。そして人間を極端に怖がったりもしなかったらしい。 
これらの点は多くの不幸なワンコを世話している方の観察眼なので信頼できる情報と考えて良い。 
オトーサンが里親会でラテに会ったのはそれから2ヶ月経った生後5ヶ月と推定される時期だが、今から考えるとその里親会に連れられてきたラテはその場がどのような機会の場所なのかを本能的に知っていたと思えるほど良い子だった(笑)。 
約2時間ほどの間、一回も吠えることなくリードを持つことになったオトーサンのキャップを唾液でベタベタにしながらも口元を舐め、オトーサンがマズルを触っただけでなく口を開けさせ、歯や舌を触っても怒ったり唸ったり噛もうとすることはまったくなかった。 
後で思えば犬のくせに猫をかぶっていたとしか思えないが(笑)だからこそ安心してラテの里親になることを決心したわけで、その場で暴れ回ったり吠え続けたりするワンコなら選ばなかったと思う。 
その場は「新しい飼い主が決まる...」というか、ラテには「自分の生死にかかわる大切な場」であるといった何らかの感覚にとらわれていたように思えてならないのだ。 
そしてその翌月、生後6ヶ月になったと思われるラテが我が家に来たわけだが、その後毎日を一緒に過ごし成長ぶりを観察しているとひとつのことに気づく...。

どういうことか...。そう、ラテは前記した第一社会化期ならびにもっとも幼犬に大切な時期といえる第二社会化期すなわち生後3週から12週という限られた期間はどうやら母犬ならびに兄弟たちと一緒だったと推定できる...。 
なぜなら後からでは矯正できにくいといわれるワンコとしての社会化ならびにワンコと人との付き合い方をきちんと区別し接する能力に長けているからである。そして人間への対処方法を学習していたとすれば母犬は直前まで飼い犬だっと考えて良いかも知れない。 
だとすれば社会化期の終わり頃、ちょうど生後3ヶ月あたりに捨てられたか、何らかの理由で母犬とはぐれたかで迷い犬となったところをあまり日にちをおかずに保護されたと考えるべきではないだろうか。 
こうした推測が正しければ、嬉しいことにラテはオトーサンたちが心配するような野良犬として過酷な日々を長い間過ごしたわけではないことになる。 
繰り返すが幼犬にとって一番大切な時期、母犬あるいは兄弟たちと一緒に生活していたとするならまさしくワンコらしい幼犬時期をそれなりに楽しく過ごしていたのかも知れない。 
とはいえ最初の頃に気づいたことだが、オトーサンが手を頭の上にかざしたり、足でラテを跨ぐような動きをすると怖がって身を引く行動を示していた...。したがって短期間ではあるが、この野良犬の時代に虐待とまでは言わないまでも人間に叩かれたり、蹴られたりというような体験をし、それがトラウマになっていたのかも知れない。 
いまでも気を許した人間は別だが、初対面の人が頭を撫でようとすると威嚇はしないものの怖がってか、すっと頭を引いてしまうことがある。 

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※朝露一杯の芝生で一休みするラテ。お腹は冷えないのか?


最後の興味はラテの母犬がどのようなワンコだったのか...だが、こればかりはどうにも調べようがない(笑)。 
ラテの姿からその両親の犬種を正確に確定するのはできない相談だが、多分に両親共に雑種だったと思われる。目の色やマズルなどを見るとシェパードの血が入っているようにも思えるし、身体全体をぶつけ合って遊ぶ様子などはボーダーコリーみたいだし、前足の斑などを考えるとセター系の血も混じっているようにも思える。そして毛並みや耳の形状そして尻尾の様子を見るとシェルティーが混ざっているのは確実な感じもする。その動作は全体的に牧羊犬の血が濃いような気がしてならない...。 
冒頭で記した「理想の犬の育て方」によれば、ワンコには犬種により特筆すべき性向もあるようだが、雑種の場合はその外観が似ている犬種の性向が最も強く出ると考えてよいらしい。 
ラテの性格をより深く知りたいと、こんなラチもないことを考えて楽しんでいるオトーサンなのである。 

1984年に作ったApple II用のプログラムリストが見つかった!

自分の過去を振り返るのは些か躊躇する部分もあるが、この歳になると若い頃のパワーが懐かしくなることは事実である。先日古い資料群を整理していたら、24年前にApple II用として作ったアダルトゲームのプログラムリストが出てきて我ながら思わず見入ってしまった...。 オールドな話しだが今回はMacではなくApple IIの思い出である。 


私自身は最新のMacintoshプログラミング事情を認識しているつもりだがそれはあくまで知識としてであり、自身で現在の高度なプログラミングができるわけではない。 
とはいっても私がマイコンとかパソコンを始めた時期はBASIC全盛期であり、ある意味BASICを知らずしてパソコンを語るなかれ...といった風潮まであったから、一時は人並み以上にそのプログラミングに没頭した時期もあった。 
後年何が因果か自身がソフトウェア開発会社を起業することになったが、そのとき「プログラマでもないのによくソフトハウスの社長などやってられますね」といった意味のことを何回も言われたことがあった(笑)。 

その云わんと言うことはよくわかる。プログラミングができないということはソフトウェアに関して無知であり、ましてやソフトハウスの社長として新製品開発やその商品化に支障があるのではないか...と思われたらしい。 
無論世の中には社長自らプログラマだという会社もあるし、大きな組織になればまったくその必要性を問われない企業もありさまざまだ。しかし起業した1989年当時はそんなことを云われる時代だったのである。
 
ともあれ私は社長としての役割を綺麗なことばでいうなら、会社が生み出すソフトウェアの企画ならびにプロデュースとそれを広め販売するための営業や演出にあると考えていたからそうした声も正直気にならなかった。 
というより意地悪な私はそうした見られ方を逆手にとって相手と交渉をすることもあった。 

時に私はプログラミングなどこれっぽっちも知らない振りをして商談相手であるプログラマの開発能力を測ったり、相手に話したいだけ話をさせたその後にギャフンと云わせたりして楽しんだこともあった(笑)。 
したがって例えばC言語によるソースコードは書けないとしてもプログラムとはどういうものなのか、プログラムに何が重要でポイントはどこにあるかは熟知していたからまったく困ったことはなかった。 

それに会社にはMacのプログラミングに関して最高の人材がいたし、必要ならいつでも知りたいことを問うことができた。彼らはプログラマではない私に平たく分かりやすい解説をしてくれたから私自身ソフトウェア開発のためにプログラミングの必要性を考えたことはなかった。
そういえば私の会社の社員ではなかったが、当時一緒にボストンのMacworld Expoへ行き、ボストン美術館などを回ったプログラマで博識のFさんなどもプログラミングのキモの話になると私に向かってそれこそ噛んで含めるように例を上げ、子供に諭すように教えてくれたことも懐かしい...。 

とはいえ1980年代にBASICに夢中になったことは大変役に立った。開発言語やそのレベルは違うものの多くのソフトウェア開発ビジネスにその時の基本知識は血となり肉となったのである。 
そのBASICに対する情熱の頂点が1984年にアスキー社「LOGIN誌」主催の「アダルトソフトウェアコンテスト」に応募した経験だった。 

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※アスキー月刊LOGINの1984年10月号表紙。「アダルトソフトウェアコンテスト グランプリ発表」が載っている


応募するからには納得いく内容でなければならないし、ましてや選に入ることを目標にするならインパクトの強いものでなければならならないと作品名には「Sexy Gals Game - OSAWARI」という些か下品な命名も考えた(笑)。 そうした作戦が功をそうしたのか、結果として約4ヶ月ほどかけて開発し応募したApple II用のアダルトゲームは入選を果たし賞金5万円を得た。 

しかしその賞金より嬉しかったのは自分の頭の中にあることを少しずつでも機能としてソフトウェアに実装していくことができたその醍醐味だった。ひとつの壁を突破するのに数日悩み続けることも多々あったが、文字通り何かの瞬間に解決方法が閃くという一種不思議な体験は得難いものだったし、本職のプログラマの業を垣間見た思いがしたものだ。 

やはり締め切りがない単なる趣味の世界に閉じた状況ならあれほどの力は出なかったように思う。 
その後、5インチのフロッピーディスクを媒体に簡単なコピープロテクション処理やパッケージまでを自分で作ったこのゲームは当時アップル製品の総本山であったイーエスディラボラトリ社のショップで販売されることになった。そして国産のApple II用ゲームとしては珍しいことだったが、あっという間に限定100本が売れてしまったのである(笑)。 

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※当時「アップルマガジン」に掲載の広告。一部自主規制している(笑)


その後すっかり処分してしまったものと思っていたそのゲームのソースリストが先日雑誌に挟まれた形で見つかったのである。 
おそらくEPSONのドックマトリックス・プリンタでプリントアウトしたものだろうが、連続用紙の左右にパーフォーレーションが付いたままの懐かしい姿で出てきた。 

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※今回見つかった「OSAWARI」のプログラムリスト(上)とその一部(下)。この程度の長さだとREM文がなくても理解できたらしい...


空気に触れていなかったからか、用紙の黄ばみも少なく、サインペンなどでの書き込みも滲んでないため1年前にプリントアウトした...といっても通用する姿だったが、どうやらこれはフィックスした最終バージョンではないようだ...。 
すでにApple IIのBASICコマンドやマシン語ルーチンの詳細は忘れてしまったが、冒頭の“POKE 1010,102: POKE 1011,213” などを眺めていると当時熱くなっていた時のことを思い出す。 

それにしても近所にあった古本屋で著作権が切れた古いヌード写真集を買ってきてはプログラミングに疲れるとApple IIのビデオデジタイザで画像入力していたものだが、そのとき女房には随分と呆れられていた...(笑)。 

ところでMacのアダルトゲームとしては「Mac Playmate」(1986年)が先駆者として知られている。 
Toy Boxから大人のオモチャを選び、それを女性に向けて操作するとリアルな声を出す...といったものだったが、そのインタラクティブな作りおよび人に覗かれそうになったとき、画面表示を表計算風に変えるパニックボタンは大変話題になったものだ。しかしジョイステックやパドルで掌を動かし、ビデオデジタイザによる女性の映像(裸)に触れると声を出したり(モッキンボードというスピーチシンセサイザをサポートしていた)音楽が流れるといったことをその2年も前にApple IIで実現させたことは私のパソコン人生にとって誇っても良い出来事だと自負している(笑)。 

後にあるMac月刊誌の編集長は「OSAWARI」を「映像とサウンド、そして音声などを十分に活用したGUIとそのインタラクティブな操作性を考えると、これこそ最初のマルチメディア作品だ」と評してくださった。 
その後ニンテンドーDS用アドベンチャーゲームに「おさわり探偵 小沢里奈」(2006年)などという製品が登場したときにはその命名に笑ったものだが、人の考えることはいつの世もそんなに変わらないということをあらためて実感したものだ。 

もし私にiPhone向けプログラミングの意欲と能力があったなら、この「OSAWARI」のiPhone版を開発してみたいと思うのだが...(爆)。まあ...しかしApp Storeでは扱ってくれないだろうなあ...。 




ラテ飼育格闘日記(93)

やっと朝晩は散歩がしやすい季節となった。こんなとき、ラテをノーリードで思い切り遊ばせたいが都条例でノーリードは禁止されている。という以前にラテが事故に見舞われないかと心配でオトーサンは律儀にリードを持ち続けているのだが...。 


毎日散歩にいく公園にはかならずといって良いほど「糞は持ち帰って下さい」と共に「散歩のときは、引き綱をつけて!」といった立て札がある。 
愛犬の糞をきちんと処理して持ち帰るのは当然のマナーだが、公園でワンコのリードを離してはならないというのは愛犬家にとって大変寂しいことだ。 
このワンコとリードの問題をインターネットで調べてみると情報自体はかなり多いものの、正直あまり役に立つ情報がない...。 
単に良いとか悪いといった意見は当然のことながら飛び交っているが、公園でのノーリード(正式にはオフリードというらしい)禁止は条例の曲解という意見から、条例以前にワンコの安全のためにもノーリードは危ないという意見まで様々だ。しかしどうしても最後は感情論というか犬の好き嫌いにまで発展してしまい議論はポイントを外してしまう...。 

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※近隣の公園にもこうした立て札がある。まあ、ワンコの公園内立ち入り禁止になっていないだけマシなのかも...


さて、ラテが遊びに行く公園にもたまたま警察官がやってくる。それは偶然立ち寄ったのではなく「公園にノーリードで犬を遊ばせている」という苦情の通報があるからだという。それもどうやら通報するのは毎々同じ人のようなのだが...(笑)。 
先日、ラテが仲間のワンコたちと駆けずり回っていたとき、警察官が園内に入ってきた。 
その日はこれまで見たこともない小型犬が数匹いて自由気ままにノーリードで遊ばせている。それを見た“通報オジサン”が交番に苦情を入れたらしいが、ラテはリードをオトーサンが持って走り回っているから何の問題もない。 
しかしその日は警官も散々な目にあった...。 
なぜなら、たまたま飼い主さんのところへ走り戻ってくるところだったゴールデン・レトリーバが勢い余ってに警官へ体当たりしただけでなく、ラテも警官を不審者と判断したのか猛烈に吼え立てたのだ(笑)。 
それを見ていた小型犬の飼い主であるニーチャンたちが笑い声を挙げたせいか警官は見るからにムッとした様子...。 
警官は我々の善良なワンコたちには目もくれず、小型犬の飼い主たちに「リードはしてくださいよ」と注意をして不機嫌に立ち去っていった。 

ところでワンコのノーリードを禁止しているという「東京都動物の保護及び管理に関する条例」というものをきちんと認識している飼い主さんはどれほどいるのだろうか...。ここでまずはその第9条をあらためて確認してみた。 

(大の飼い主の遵守事項) 
第9条 犬の飼い主は、次の各号に掲げる前項を遵守しなければならない。 

一 大を逸走させないため、犬をさく、おりその他の囲いの中で飼養し、又は人の生命若しくは身体に危害を加えるおそれのない場所において、固定した物に綱若しくは鎖で碓実につないで飼養すること。ただし、次のイからニまでのいずれかに該当する場合は、この限りでない。 
 イ 警察犬、盲導犬等をその目的のために使用する場合 
 ロ 犬を制御できる者が、人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法で犬を訓練する場合 
 ハ 犬を制御できる者が、犬を綱、鎖等で確実に保持して、移動させ、又は運動させる場合 
 ニ その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合で、規則で定めるとき。 

二 犬をその種類、健康状態等に応じて、適正に運動させること。 

三 犬を飼養している旨の標識を、施設等のある土地又は建物の出入口付近の外部から見やすい箇所に掲示しておくこと。 

問題は条文に「人の生命若しくは身体に危害を加えるおそれのない場所において、固定した物に綱若しくは鎖で碓実につないで飼養すること。」とあり、続いて「ただし、次のイからニまでのいずれかに該当する場合は、この限りでない。」とある点だ。 
そして特に“ロ” に「犬を制御できる者が、人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法で犬を訓練する場合」と明記されている箇所が混乱の元であり、これは禁止の例外事項と受け取れる。したがって、「犬を制御できる者が」「人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法」により「犬を訓練する場合」にはノーリードでも良いという理窟になる...? 
しかし残念ながらそれは非現実的な解釈である。なぜなら第一に「犬を制御できる者が」「人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法」といってもそれは自己申告でしかないことだ。 
オトーサン自身がラテを制御できると自負したところでそれを客観的に認めてくれる者はいない。そして第二に「人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法」の「場所」が果たして公園を想定してよいかという疑問がある。無論「方法」だって曖昧だ...。 

ともかくこの条文を盾に公園などでノーリードも可能なのだと主張する人たちもいるようだしオトーサンも、もしそれが許されるなら嬉しいが、あくまで条文をそのまま解釈するならそもそも「犬という動物は人に危害を加えるもの」として考えられており、トラブルを事前に防止するという前提に立って当該条文は作られていると解釈すべきなのだ。 
続いて「固定した物に綱若しくは鎖で碓実につないで飼養すること。」を原則としている点からも公園でノーリードを擁護するのは難しいと思う。 

ではなぜ例外事項として「ロ 犬を制御できる者が、人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法で犬を訓練する場合」といった取り決めがあるのだろうか。それを明確に説明してくれる情報がないのが歯がゆい...。 
「イ 警察犬、盲導犬等をその目的のために使用する場合」のようなケースは当然だとしても、「犬を柵や檻その他の囲いの中で飼養すべし」とまで言っているほどだから、100%ノーリードがだめならそんな例外事項などはじめから無ければ混乱しないではないか...とも思う。 
結局「人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法」とあるが、庭のない都会暮らしなら自宅の室内しかそんな場所はないでしょ! 
さらに「ハ 犬を制御できる者が、犬を綱、鎖等で確実に保持して、移動させ、又は運動させる場合」が例外に含まれていることを考慮すると、結局「犬をさく、おりその他の囲いの中で飼養」し「固定した物に綱若しくは鎖で碓実につないで飼養」しなければならず、移動や運動の時も「犬を綱、鎖等で確実に保持」しなければならないという解釈にならざるを得ない。 

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※それまで遊んでいたガムを保持したままでヨーグルトを食べる欲張りなラテ(笑)


まあ、このサイトをご覧いただくのはワンコを好きな方達だろうから勝手な暴論をはくと、危険犬や病的に攻撃性のある極一部のワンコを除けば犬が人を襲うということはめったに考えられない。そりゃあ、ボールを拾おうとして同時に突っ込んできたワンコにガブッとやられる可能性もあるだろうし、すれ違いざまに幼児などがワンコに手を出すような事があればワンコも驚いて歯を立てることもあるかも知れない。しかしそれは不測の事故であり、ワンコが凶暴のために人に「噛みついた」と考えてはおかしいとオトーサンは思っているのだが...。 
それに、公園で禁止されている野球やゴルフの練習をしている輩の方がよっぽど危ないと思うが、この手の場合に通報者がいないのは公平ではないように思う。やはりワンコが諸悪の根源と思う人が多いのだろうか。 
それに暴論の続きを吐くなら、つくづく昨今はワンコよりも見知らぬ人間の方がよほど危険だと思わざるを得ない(笑)。しかしこうした話を犬嫌いの人たちと何時間論じても話はすれ違うばかりなのは明らかだし、条例でノーリードが禁止されているなら悪法でもそれは守らなければならない。 

そういえば、愛犬家の中にもマナーが悪い輩もいるから困る。糞の後始末をしないケースも多々見受けられるし、公道を2匹のワンコにリードをつけずに連れて回るのもいる。これは小型犬でも迷惑だし万一の場合に2匹も同時に制御できないのは明らかだ。 
当人は「うちの子は大人しいし小型犬だから」と思っているのだろうが、人を噛まなくても近づくだけですくんでしまう犬嫌いもいるわけで、そうした行動は犬嫌いの人たちの声を益々大きくしてしまうことになる。そしてリードをきちんと付けて歩いているラテを挑発する自分のワンコを見てニコニコしているのだからその無神経さには呆れてしまう。 
ワンコならびに飼い主の立場が悪くなるのは犬自身の問題ではなくマナーを守らなかったり、他者の立場を理解しようとしない無神経な飼い主がいるせいでもあるのだ。 

ともかく個人的には...愛犬家の端くれとして行政はもう少しワンコと人の絆を深めるためにも柔軟な対応をして欲しいと思う。 
「走りたければドッグランに行けよ」という人もいるが、近所にドッグランもないし私などは車の運転ができないから連れてもいけない。こうした物言いをすると「そんな奴は犬を飼う資格がない」とくる...。これでは議論にもならない。 
しかし犬を閉じ込めればそれで万事目出度しとするようでは行政の怠慢だし文化もクソもない国家ということになる。 
中には「そもそも犬を飼うなどということは人間の生活にとって不可欠の要素ではないから、そうしたことに行政も時間と金を使うのは無駄だ」と言い切る者もいるようだ。しかし犬嫌いもここまでくると何をか況やである。 
私たち人類は(大きくでたぞ...笑)寒さを防ぐためだけではなくファッションとして衣類をまとうし化粧もする。そして食べ物を料理するのも生き物の中で人間だけだし貨幣を使うのもまたしかりである。 
こうした行動は種の存続には関係ないものの、それらを包括して我々は “文化” と呼んでいるわけだ。
犬や猫を飼い、生活に潤いを与えてくれるこれらペットの存在を端から否定することは文化を否定するに等しい! 

ともかく飼い主は愛犬をきちんと躾をしなければならない義務があるとしても、時間帯を決めて公園をノーリードOKにしてくれないだろうか。 
「公園は犬たちが遊ぶ場ではないし、犬がいると嫌いな人たちが利用できない」と主張する人たちもいるが、近隣の公園を見ているとその利用率は大変少ないように思う。だから、朝早くとか夕刻などの決められた時間帯をノーリードでワンコを遊ばせたり訓練できたりする場所として開放して欲しいと願う。無論そこで愛犬が事故でも起こせば飼い主の責任であることは申し上げるまでもない。 

それに愛犬を連れての散歩や公園での遊びは犬嫌いの人たちから見ればそのすべてを否定したいと思うかも知れないが、こじつけでなく利点もあるのだ。 
それは朝昼晩とワンコ連れで散歩している我々愛犬家は地域の見回り役にもなっており、ある種の犯罪抑止にもなっていると思う。事実オトーサンは警察署から配布された「防犯」の腕章を携えて毎日ラテと歩いている。 
それを見て中には「ご苦労様です」と言って下さる親子連れもいるし、自転車やバイクですれ違う警察官が敬礼をしてくれる場合もある。 
まあ、ただただ腕章をつけて歩いているだけで特別なことをしているわけでもないが、犯罪抑止には常に人の目が届くという事実が大切なのであり、少しでも子供達が事故・事件に巻き込まれないよう注視しているつもりでもある。 

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※ラテ自身は自分の首輪についているリードをどう思っているのだろうか?


ともかく夕闇が迫り、子供は勿論人の姿が見えない公園ならノーリードでも良いではないかと思ってしまうが、実はオトーサンがラテのリードを離さないのはこうした条例を守ろうとする意図ではないのだ(笑)。 
その主旨は多少不自由であったとしてもラテの安全を守れるのはオトーサンしかいないと自負しているからで、道路に飛び出して交通事故に遭う可能性も大だし、目の行き届かない箇所で危険な物を食べることもあるだろう。そして人に対しての危惧ではなくワンコ同士の喧嘩で傷つけたりつけられたりするかも知れないことを心配しての話なのだ。 
事実ラテはノーリードのワンコに噛まれて肉球を割ったこともあった...。 

ラテ飼育格闘日記(92)

外出する際にワンコに「行ってくるからね!」「いいこでいるんだよ」などと言わずに黙って出ていくことがセオリーだという。しかしワンコは利口であり、飼い主が外出するかどうかも含め、それが長丁場なのかそれとも近くのコンピになのかを敏感に察知する。 


一般的なワンコの育児書には外出時に「いってくるよ」とか、戻ったときに「ただいま」と対応するのは分離不安を引き起こす場合があると警告している。だから、外出時の30分も前から愛犬を無視し、帰宅してもワンコが落ち着くまでこれまた知らん顔をしていることを勧めている...。 
ワンコの飼い主もいつもいつも愛犬と一緒にいることができるわけでもなく、時には出かけなければならない場合もあるわけで、そうした際にワンコをどう扱うかは悩みの種に違いない。それに分離不安となれば飼い主の姿が見えないと吠え続け、暴れ回り、破壊行動も含めて部屋中を汚し回ったりすることもあるという。 
とはいえ、オトーサンもラテを飼い始めてからいろいろと試行錯誤をしてきたが、どう考えてもこうした無視作戦はおかしいと思うし、それでは飼い主に対して不信感を増長させるばかりのように思えるのだが...。 

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※寝たふりしているオトーサンを心配して、のぞき込むラテ(笑)


幸いなことにラテには分離不安といった病的な行動はないものの、無論のことオトーサンが外出するとなれば心穏やかではないようだ。 
ラテを飼い始めて1年ほどはオトーサンが外出する直前にハウスに入れドアをロックし、タオルケットで覆うことにしていた。ハウスなら少々暴れようが吠えようが安全だからしてこちらも安心して外出が出来る。 
しかしワンコは大変利口な動物であり、不用意に外出しようと準備すればそれを察知して不安がって吠え出したりするし、そもそもオトーサンの外出が近くのコンビニなのか、あるいは長時間の外出なのかといったことを敏感に知る能力を持っている。 
事実飼い始めの頃にはオトーサンの気配がないと吠えたり、時には物を囓ったり、当て付けのオシッコをしたりする場合もあったしオトーサンが窓ガラスに顔を押し当てているラテに向かって外から「バイバイ」とでもやろうものなら大変な騒ぎだった。だから、時間のあるときにはわざわざラテが窓から外を覗いているとき、外から手を振り慌てているラテを見ながらすぐに戻り、次には自宅の周りを回って...と少しずつ姿を見せない時間を長くするといったこともやってきた。 
これはドアを開けて出ても、必ず戻ってくるということを分からせるためだ。 

そうしたことが効いたのか、あるいはラテが大人になったのか、最近はほとんど騒がなくなった。それに長時間留守にする場合はオシッコを我慢させることにもなるわけで、水をよく飲む夏場は可哀想だからと最近ではハウスに入れず、キッチンへ入れないように柵をロックしただけで外出することが多くなった。 
これであればリビングはラテの遊び場となりオシッコもシートの場所で自由にできるし、お気に入りの出窓から外を眺めることもできる。場合によってはオトーサンがリビングにいる際にいつも聞いているラジオをONにしたまま外出するときもある。こうしておくとラテの不安が少なくなると思うからだ。 
最近は出かける際に「コンビニへ買い物に行ってくるよ!」と声を掛けて出かけ、窓から覗いているラテに手を振っても吠えたりしないし、20分ほどして戻ってオトーサンがドアを開ける音をさせても飛んでくることもなく出窓のたたきで静かに寝ていることも多くなった。 
そもそも狭い家だから、いかに抜き足差し足でドアの外に出たとしても、鍵をかける音やチェーンを外す音などできっとラテはオトーサンが外に出ることは知っているに違いない。だから最近ではあえてラテの不安をつのらせるような言動はしないものの、変な隠し立てもしないようにしている。 

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※のぞき込むといえば、柵越しとはいえ他人の家を覗くのは止めようね...ラテ(爆)


とはいえ先日、オトーサンは外出の際にうっかりいつものパターンを忘れてしまったためにラテに大いなる不安を与えてしまうことになった。 
その当日は午前中仕事があり、大崎まででかけなければならなかった。 
仲間との打ち合わせなどにはジーンズにジャケット程度のラフな格好がほとんどだが、クライアントの会社に出向くことを考慮してスーツを着用しネクタイも締めた。 
少々早めに支度が済んだのでMacintoshの前でメールのチェックなどをやっていたところ咽が渇いた。ちょうどマシンルームの小型冷蔵庫に飲み物を切らしたので階下のキッチンへ飲みに行くことに...。 
15分ほど前にキッチンからリビングを覗いたときラテはいつものように出窓のたたきに寝そべって爆睡していたから静かに入れば起こすこともないと思っていたのが間違いだった。 

キッチンに入った途端、いきなりラテと目が合ってしまった(笑)。そしてオトーサンがびっくりするほどラテが騒ぎ出したのである。甘え声を出して吠え、尻尾を振りながら柵に体当たりする。 
その時になってオトーサンは自分がいまスーツに着替えていたことを思い出した。 
ラテはオトーサンがスーツを着て出かけるときにはコンビニへ行くのとは違い、長時間留守にすることを覚えたのだ。だから不安になって騒ぎ出したのである。 

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※久しぶりに行ったコーヒーショップで穏和な表情を見せる


時計を確認するとまだ余裕があるのでオトーサンは「すぐに外出しないよ」とラテをなだめるべく、オヤツを持ってリビングへと入り、椅子に座りながら絡みついてくるラテをあやし始めた。 
いつもはなかなかチューなどしてくれないのに、こうした時には私のメガネが見えなくなるほどベロベロ攻撃をしてくる。その態度でラテの不安度が分かるだけに今さらながら「しまった!」と思った(笑)。 
スーツ姿を見せず、黙って出かければラテに悲しい思いをさせないで済んだのに、うっかりスーツ姿を見せてしまったのだ...。 

仕方なくラテの身体を抱き寄せながら撫でていたとき、何を思ったのかラテはパンツの膝頭あたりをペロペロと舐め始めたのである。 
スーツといっても時は猛暑が続いていた時期であり、当然のことながら夏服だ。したがって冬服とは違い生地が薄いだけでなくカラーも淡い感じのものを着用したわけで、ラテによる多量の唾液はオトーサンのパンツの広い範囲にしみ込んで水でもこぼしたような、またはそれこそオシッコでもお漏らししたように濡れてしまったのである(笑)。 
これでは正直このまま外出するのははばかれる...。まさかラテはオトーサンの外出を阻む目的でパンツを濡れ濡れにしたわけではないのだろうが、結果としてそうなってしまった。 
仕方がないのでこのクソ暑いのにドライヤーで急速に乾かして事なきを得たが、その後は一端ラテの側から姿を消し、しばらくしてそっと出かけた。 

その後ラテが吠えたのか、あるいは鳴いたのかは知る由もないが、結局その日オトーサンは6時間ほど経ってから帰宅した。ただしスーツ姿で「ただいま!」は止めて一端普段着に着替えてからラテの様子を見に行く。やはりラテはいつもとは違い、大歓迎をしてくれ、後ろ足立ちしてオトーサンにしがみついてくる。ここで無視などできるのは鬼に違いない(爆)。 
「ただいま!」「いいこだったか?」と声を掛け、しっかりとラテの身体を受け止めて抱き上げてやるが、すでに18Kg近くあるので重いのなんのって...。しかしラテの温もりを心地よく感じながらオトーサンは至福の時を過ごしていた。 
思うに、外出時に愛犬が騒いで問題行動を引き起こすのは無論困るが、反面「行ってくるよ」と宣言しても知らん顔で無視されるのも飼い主としては辛い物がある(笑)。やはり何事にもほどほどということが肝心なのかも知れない。

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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員