Macintosh 128K マニュアルの秘密!?

 先日ひょんなことから入手を諦めかけていたMacintosh 128Kのユーザーマニュアルを手に入れることが出来た。無論私は最初のMacであるMacintosh 128Kマシンをリアルタイムに購入したユーザーだが、512KならびにPlusへとアップグレードを続ける過程で最初期のマニュアルを処分してしまったのである。

 
Appleがその製品だけでなくパッケージにも拘ることはよく知られているが、その究極はやはり1984年1月に登場したMacintosh 128Kだったと思う。この製品化の陣頭指揮をとったのはご承知のようにスティーブ・ジョブズだったこともあり、その拘りはパッケージはもとよりマニュアルにまで徹底していた。

なお蛇足であるが私たちは現在この最初のMacを “Macintosh 128K”と呼ぶが、リリースされた当時はただ単に“Macintosh”あるいは“Apple Macintosh”と呼ばれていただけだ。無論Macintoshというパソコンは1機種しかなかったのだから...。

その後メモリが512MBに増設されたマシンやMacintosh Plusと区別するために “Macintosh 128K”と称されることになったわけである...。
その “Macintosh 128K”だが、ご承知のように英語版であるからしてマニュアルも当然のことながら英語版だった。そして表紙には現在ピカソ風ロゴとして知られているカラフルなデザインがほどこされている。その後のMacintosh Plusのマニュアル表紙が単にMacの写真を使っているのと比較すればその拘りの深さは推察できるだろう。

そしてこのロゴは外側の段ボールから内箱まで徹底され、マニュアルやシステムディスクなどが収められていたパッケージは「ピカソボックス」などと称されている。

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※ピカソボックスとMacintosh 128Kのマニュアル


さてマニュアルに目を移して見ると、まずはAppleのシンボルともいうべき6色のアップロゴが表紙にプリントされておらず、裏表紙に置かれていることだ。これは企業名より製品名を前面にアピールするための典型的な方策だと思われる。
マニュアルそのものはリング式のものでその後のMacintosh PlusとかMacintosh Portableなどと同じだが、それらと比較してみると一番の違いは各章の冒頭見開きにカラー写真、それも製品そのものというより、そのカルチャー的イメージをアピールするためのデザインを考えた意図が伺える写真が多用されていることだ。別の言い方をするなら金がかかっているというべきか.,..(笑)。

もちろんMacintosh Plusのマニュアル各章冒頭ページも同様にカラー写真が使われているものの、こちらはより実用度というか直接ビジネスを意識させる写真となってしまい面白みに欠ける。そしてMacintosh Portableのマニュアルになるとすでにこうした写真は使われていない。
そうした意味においてもこの “Macintosh 128K”マニュアルは今となっては貴重な資料だが前記した各章に使われた写真の中で、「Chapter 1」および「Appendixes」の2カ所は特に興味深いことを教えてくれる...。

まず「Chapter 1」の写真だが、黒板を背景にしたデスクの上にはMacintoshが置かれ、ポロシャツを着た若い男性がそれを操作している写真だ。状況を想像すると数学の教師という設定なのだろうか...。

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※Mac 128Kマニュアル「Chapter 1」の写真とMacintosh部分の拡大


特に注目すべきはそのMacintoshの背面である。
ここには6色のアップルロゴのとなりにあるべき“Macintosh”というエンブレムが無い。
第一このアップルロゴと“Macintosh”のエンブレム位置は実際に出荷されたマシンとは逆なのだ!
また背面から見て実際のマシンは左側に6色アップルロゴ、その右に“エンブレムが配置されているが、マニュアルの写真ではその位置が逆になっている。

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※実際のMacintosh 128Kの背面。上の写真と比べてみて欲しい


背面の定位置に大きく貼られているはずのステッカーも無い...。さらによく見ていくとどうやらプリンタポートとモデムポートは実際のコネクターとは様子が違い、黒い穴状態に見える。
その上、他の2つのポートも電源ケーブルの位置に邪魔されてよく見えないが、どうも意図的な配置に思えてならない(笑)。
そして決定的なのは電源スイッチの位置だ。
このMacintoshの電源スイッチの位置はOFF位置ではないか!とすれば男性の見ているモニターには電源が入っていないはずだ(笑)。
さらにプログラマーズスイッチも付いていない。
したがってこの写真を撮影する時点でMacintoshが文字通りの意味で完成されていなかったことを示すものだと考えてよいのではないか...。ということはこの写真のマシンはプロトタイプということになる。

撮影時にスイッチの位置などを考慮できなかったことはコマーシャルディレクタなどの認識不足だろうが、そもそもMacintoshのリリース間際は開発側にとって激務の上にも激務だっというから、細部に拘るジョブズでさえもこうした不備を容認するしかなったのではないか。

また「Appendixes」の写真は違う意味で面白い。
そこにはスタンフォード大学構内を自転車に乗っている男性が映っている。そして自転車の前にあるバスケットにMacintoshのキャリングバッグが入っている。

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※Mac 128Kマニュアル「Appendixes」の写真


これまたよく知られていることだがジョブズはMacintoshの開発チームに関わった当初、Macintoshをユーザーにとっての知的自転車と考え、そのネーミングを「Bicycle」に改名しようとしたことがあった事実を知るとこの写真はより意味深に思える。

問題はこの写真が現実的でないことだ...。なぜなら当時のMacintoshをキャリングケースに入れて自分の自転車のバスケットに入れようとしたことがある者ならキャリングケースが一般的な自転車のカゴには入らないことを知るからだ。
それともアメリカの自転車のバスケットは実際こんなに大きいのだろうか...。
私はアメリカの自転車の実態について知らないために強くは主張できないが、写真を見る限りこのカゴは特注のように思える。

昔、ソニーが小型のトランジスタラジオを開発した際「ワイシャツのポケットに入る」ことをアピールしたかったものの、実際にはほんの少しラジオの方が大きかったので入らなかったという。そこで当時の企画者は営業担当者が着るワイシャツを特注しポケットを大きめなものにして事を解決したという逸話を聞いたことがある。
このMacintoshをバスケットに積んだ写真を見ると私はその逸話を思い出すのである。
一冊のマニュアルから話がこれだけ広がるのだから面白い!

ラテ飼育格闘日記(108)

ラテはこの12月で推定2歳と6ヶ月になる。しかしワンコの年齢を人間の歳に換算するとどの程度の年齢と考えるべきなのだろうか...。以前にはワンコの1年は人間の7年間に匹敵するという説もあったが、最新の学説によればそんな単純なものではないらしい。


こうした考え方はワンコの平均寿命と我々人間の平均寿命から単純に割り出したように思えるが、まともに考えてみれば単純でないことはすぐにわかる。
何故なら、例えば雌のワンコは1歳にもなれば子供を産むことが出来るから、その成長過程を人間の7歳に当てはめることが適当でないことはご推察のとおりである。

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※オーバーと思うほど表現豊かになってきたラテ


さて、よく言われることだが人間が子供のときに生まれたばかりの子犬が飼われたとしてもワンコの寿命は長くて10数年といわれているから、子供が成人になる頃にはほぼ確実にワンコを見送らなければならなくなる...。
ムツゴロウ動物王国の石川利明著「飼育マニュアルに吠えろ!」(青山出版社刊)によれば、石川氏は「赤飯年齢」を提唱しているという。
これはワンコがある年齢になったら赤飯を炊いてそれを飼い主とワンコがともに食べて祝い、その後はおまけの年齢すなわち余生と考え、感謝の気持ちで見守ろうということだそうである。
したがってこの赤飯年齢+余生年齢がいわゆる寿命となるわけだが、続けて石川氏は犬種ならびに体重別にこの赤飯年齢を考察している。
もともとワンコは一般的に小型犬は寿命が長く、大型犬や特殊な毛とか鼻がつぶれる、あるいは極端に巨大化や矮小化したワンコは寿命が短いという。
勿論人間同様例外もあるわけだし個体差もあるが、一般的に大型犬は10歳程度の寿命であることが多いようだし反対にオオカミ系の風貌を持つワンコや日本犬などは15歳くらいまで生きるのもまれではないらしい。
ラテのような中型のミックス犬で体重が15Kgから40Kgほどなら石川氏は「赤飯年齢」を13歳としている。
だから、繰り返すが人間の7歳の子供がいる家庭に生まれたばかりの子犬がやって来て大の仲良しとなり、共に成長していったとしても残念ながら人間の子供が成人に達する前後に愛犬とは別れなければならない理窟だ...。

無論年齢とは肉体的なことだけでなく精神的なことも含んで考えなければならないが、こうしたことを考える場合の主たるウエイトは肉体的な意味合いが大きくなる。
それはもともと家犬はネオテニー、すなわち性的・肉体的に成熟した個体でありながらその性向は幼児性を保っているわけであり、例え10歳になったからといって人との対峙に大きな変化を生じることは少ないからだ。
「ワンコは永遠の子供」などと言われる所以である。
ともかくスタンレー・コレン著「犬も平気でうそをつく?」によれば、ワンコは1年で人間が16歳までに身につけるような肉体的能力をすべて備え、思考の仕方も人間の10代とおなじ領域にはいるという。
そして2歳になると人間の24歳と同じ段階に到達し、それ以降は1年がだいたい人間の5年という割合でワンコの肉体...すなわち脳と神経組織なども含めて変化していくらしい。ただしスタンレー・コレン氏も前記の石川氏と同様に犬種はもとより大型小型による違いを認めている。

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※ボーダーコリーのボーちゃんと隠れん坊しながら遊ぶラテ


まあ、こうした計算に基づいてラテ現在の年齢を換算すると...26歳ほどになる理窟だ(笑)。
それこそオトーサンは妙齢の女性と毎日対峙しているわけで、楽しいはずだ(爆)。
でも前記したように人間とワンコの肉体的な成長の差があるから、日増しにその年齢差は縮まっていく。
この計算に沿って考えるなら、例えば後10年経ったとして幸いオトーサンもラテも存命だとすると、オトーサンは70歳なのにラテの比較年齢は76歳ほどになりオトーサンを抜いてしまうのだ...(嗚呼)。
オトーサンは自分の娘と思って毎日を過ごしているつもりでも、10年も経つとまるで茶飲み友達の関係になってしまうのかも知れない(笑)。

こうしたことはあくまで理窟のように思えるかも知れないが、実際にワンコと対峙しているとその成長の早さは実感として分かる...。
人間なら誕生してから1歳過ぎたとしてその顔立ちは誕生時と比較してはっきりしてくると同時に身体も目に見えて大きくなるだろうが、ワンコの誕生時から1歳に至る変化と比べれば違いは大変小さいと思わなければならない。
何しろ例えばラブラドールなら誕生数週間で体重4Kgほどの子犬が1年で20Kgを超える場合もあるほど成長が早いのである。
もしそのワンコが盲導犬候補なら、1歳ともなればパピーウォーカーの家から離れ、専門の訓練センターで教育を受けることになるほど精神的にも成長しているのである。ちなみにパピーウォーカーとは盲導犬候補のワンコを預かるボランティアのことである。
人間なら他人の釜の飯を喰う年代というか、昔なら仕事を覚えるために奉公にだされる年齢といったところなのだろうか。

オトーサンは毎日ラテとの生活でその成長ぶりをつぶさに見ているわけだが昨年...すなわち1歳程度のときと現在とで他のワンコたちに対する態度が大きく違うのもこうした意味から考えれば納得できる。
なにしろ我々の感覚ではたった1年しか経過していないが、実年齢は昨年16歳だったラテがいまでは26歳ほどになっている理窟で10歳の差が出ていることになる。だとすれば、その行動や好き嫌い、あるいは考え方に大きな違いが出て当然ではないか!
とにかく今後、人の1年がワンコの5年に相当するなら、人の1ヶ月はワンコにとって5ヶ月過ぎることであり、人の1日はワンコにとって5日に相当する。さらに人の1時間はワンコの5時間...と計算していくまでもなくオトーサンたちとラテはまったく違う時間軸を生きていることになる。
無論ワンコには生死感はないだろうし、オトーサンの子供時代がそうであったように自分の時間は永遠に続くと思っているに違いない。
それに日々接しているとその変化には鈍感にならざるを得ないが、幸い我が家に来てから多くの写真を撮って記録を残しているから以前の姿と現在を比較すると体長とか体重だけでなくその顔立ちもかなり変わっていることを認識せざるを得ない。

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※オトーサンにとってはいつまでも可愛い娘でいて欲しいのだが(笑)


ただしこうした差は感覚的なことだけでなく健康面を考えると大いに注意を要する。
なぜなら我々人間の感覚でワンコの健康診断など数年毎にやればいいだろうと考えたとするなら、ワンコの肉体的な進化から見るとあっという間に10数年が過ぎてしまう理窟になるからだ。
オトーサンはラテの寝顔を見ながらフトこんなことを考えると、愛おしくてたまらなくなり、窓際でうたた寝しているラテの頭に手を伸ばしてしまう...。
嗚呼...せっかく寝ていたラテを起こしてしまった(笑)。

さて今年最後の「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」となってしまったがラテと迎える3度目の正月を迎えることになる。
なにはともあれ健康で毎日を過ごしていければと願っている...。
皆様もよい新年をお迎え下さい。

「アップルを創った怪物〜もうひとりの創業者、ウォズアック自伝」を読む

“ウォズアック”とはご承知の通りスティーブ・ジョブズと一緒にAppleを起業し、世界初のパーソナルコンピュータであるApple IIを作った天才エンジニア、スティーブ・ウォズニアックのことだ。本書は彼が創業の秘話を初公開した自伝である。 


Appleの歴史を語ることは二人の創業者(本当はもうひとりロン・ウェインがいたが...)、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックについて語ることだ。しかしこれまでApple創業時の逸話や伝説の類は多々見聞きするものの、それらの多くはよくあるように事実とは言い難い話にさらに尾ひれがつき、訳が分からないものになっている傾向がある。 
やはり真実を語れるのは当事者でしかないが、これまでインタビューなどで断片的な情報しか伝えていなかったスティーブ・ウォズニアックの生の声が聞こえる(読める)のが本書の特徴である。 

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※ダイヤモンド社刊「アップルを創った怪物~もうひとりの創業者、ウォズアック自伝」表紙


本書はアップルフリークでさえその帯に記された数行の記述を読めば早くも引き込まれてしまう逸話が多々登場する。 彼によれば「僕について世の中で言われていることには間違いが多すぎる」とのことで、例えば大学を中退したとか(していない)、コロラド大学から放校になったとか(なっていない)、ジョブズと高校生の同級生だったとか(何年かずれている)ということらしい...。 
さらに私自身も正確に知らなかったことだが、ウォズニアックは形式的にはAppleを辞めてはいないのだという...。そして本文によれば、今に至るまでウォズニアックはAppleの従業員であり、社員証も持っているし給料もとっても少ないけどもらっているという。 
だから、イベントや講演ではAppleを代表してしゃべることができるわけだ。 

さて、この二人のスティーブの物語は多くの人たちの手によりさまざまな書籍となっているが、それらに共通なことはどちらかといえばジョブズが悪役なのに対してウォズニアックは善人として描かれていることだ。 
Apple創立以前の話しだが、ジョブズがゲーム機の設計を頼まれそれをウォズニアックに依頼し無事完成後に報酬の700ドルを半分ずつ得たが、本当はより高額をジョブズが得ていたという話は我々の間にはよく知られていることである。早い話、ジョブズは友人のウォズニアックを騙したのだ...。 
一方自身で「ウォズ・プラン」と名付け、Appleの株式公開時に株を持っていなかった社員に一人2,000株ずつ安くわけたという話しは金銭に執着のないウォズニアックの人柄が現れている。 
あるいは秘密主義(そうした方がビジネス上有利だから)のジョブズに反してウォズニアックは、例えばApple Iの設計に関してホームブリュー・コンピュータ・クラブで開発の仔細を公開するなど自分の知っていることを多くの人たちと共有したいという開けっぴろげな性格を見せている。 
こうしたことからもウォズニアックは人間味に溢れた暖かい人物であるといわれている。そして敵の多いジョブズとは違い、多くの人たちから敬愛されているが、ジョブが表舞台に多々登場するのに対してウォズニアックはシャイであまり表に出なかったこともあり、意外とその素顔は知られていない部分が多い...。 

本書にはウォズニアックが始めてジョブズに会ったときのエビソードや自身の飛行機事故などについても書かれているし、自身がフリーメーソンとして活動していることなども赤裸々に記されている。そして白か黒かではなくグレースケールで物事を見るべきだという人生哲学も披露されているが、正直私の知りたかったことはそんなに書かれていない...。 
それは本書が自身の生い立ちとか生き様について多くのスペースが割かれており、私が知りたいAppleとかジョブズとの関係についてあまり詳しくは書かれていないのだ。 
ウォズニアックには申し訳ないが、個人的に知りたいことはウォズニアックの人生哲学でもなければその人柄でもなく、彼の目を通して見たAppleやスティーブ・ジョブズとの関係なのだ。とはいえジョブズはAppleのシンボルでもあり、ウォズニアックといえどもある種の遠慮があるのかも知れない...。 

ただし本書ではじめて知り得たこともある。それは私が以前「スティーブ・ジョブズとパロアルト研究所物語」で検証したことがあったが、ジョブズやビル・アトキンソンらがパロアルト研究所に出向き、後のLisa開発のイマジネーションを得たその場にウォズニアックも同行していたことがウォズニアックの口から語られていることだ。 
このジョブズたちによるパロアルト研究所訪問を紹介した幾多の情報にウォズニアックが同行していたと記述されているものはほとんどないのだが “さもありなん” と納得した次第である。まあ現実はそんなものなのだ(笑)。 
それから笑ったのはMac OS 7の時代、Macはよくクラッシュすることでも知られていたが、ウォズニアックによればその原因はMac OSにあったのではなく多くのユーザーが使っていたブラウザ、あのIE(インターネット・エクスプローラ)にあるという...。 
仔細は本書で確認されたし(笑)。 

というわけで本書はそのスティーブ・ウォズニアックの自伝であるが、自身が書き下したものではなくジーナ・スミスのインタービューをまとめた形で実現したものである。そのため訳者の井口耕二氏が述べているように、同様のことが繰り返されていたり前後で話が些か違っていたりということもあるようだ。 
しかし冒頭に書いたとおり、そもそも過去に起こった物事の真実は当事者とか本人に聞くのが一番だとしても、それが事実であるかどうかは分からない...。 
ただしその語り口のなかにこれまで我々が思い込んでいた間違いを訂正せざるを得ないものも多々あり、本書はAppleをより良く知る上でも貴重でユニークな一冊であるといえよう。 

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 「アップルを創った怪物~もうひとりの創業者、ウォズアック自伝」

 2008年11月28日 第1刷発行 
 著者:スティーブ・ウォズニアック 
 訳者:井口耕二 
 発行:ダイヤモンド社 
 コード:ISBN 978-4-478-00479-1 
 価格:2,000円(税別) 
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ラテ飼育格闘日記(107)

ラテが我が家に来てから2年のお祝いをささやかに行った翌日、オトーサンの失態から大きな心配を抱えることになってしまった。それはラテが直径5センチほどのゴムボールを飲み込んでしまったのだ...。 


ラテ用のオモチャはこれまで多々手に入れて与えたが、飽きっぽいのか夢中になるようなものは多くはない。 
そんな中で薄い天然ゴム製で圧を加えると音が鳴る直径5センチのボールはヒットだった。ネットで見つけて赤と青のボールを購入したが材質が同じなのに何故かラテは青いボールが大のお気に入りだった。 
このボールは室内では“ボール探し“とか”ボール取り“といった遊びをし、屋外ではオトーサンがボールを投げてラテが取ってくるという遊びをする。 
ただし過去にもこの種のボールを食いちぎったこともあるからと特に室内でボール遊びをした後は必ず取り上げて片付けることにしていた。しかし12月11日の夜、オトーサンはついうっかりとボールを片付けるのを忘れたのだ...。 

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※女房が食べているどら焼きをねだるラテ(笑)


その夜は比較的早く夕食を終えてひとときボールで遊んだが、眠くなったのだろうかラテは自発的にハウスに入ったのでドアをロックしてカバーをかけ、我々はその場を離れた。 
オトーサンの心理としては通常このまま朝まで起きないのだからボールはそのまま置いても大丈夫だという気持ちがどこかにあったのかも知れない。 
ともかくいつものようにそのまま夜が明ければどうということもなかったわけだが、オトーサンが就寝しようとしたときラテが吠え始めたのである。 
とはいえラテも夢を見て声を上げることがあるので、一声二声吠えたからといってハウスから出すことはしないようにしているが、吠えるのが続くと出さざるを得ない。 
当日もオシッコがしたいのか、あるいは過日のようにお腹が悪くなったということもあり得るからと心配してオトーサンはハウスのドアを明けた。 
ラテはハウスから出たものの、特別変わった様子はない。やはり怖い夢でもみたのかと思いオトーサンは安心して眠りに入ってしまった。ボールがそのままになっているのを忘れて...。 

翌朝、着替えてからリビングに降りたオトーサンは青くなった...。床に伏せているラテの足元にボールの笛部分が転がっていたからである。 
あわてて周りを確認したが、ボール本体の姿はなく、音が鳴る笛の部分と小さなブラスチック製の部品みたいなものが残っているだけだった。 
考えたくないことだが、状況は明らかにラテがボールを食べてしまったことを示していた! 
もし目の前でボールを食べたのなら、すぐに病院に駆け込んで吐かすこともできるだろうが、どう考えてもラテが食べてから時間はすでに7時間を過ぎている。だとすればすでに胃の中にはなく腸に回っているかも知れないし、素人考えながらそれを無理矢理取り出すためには外科手術するしかないと思われる...。 

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※右がラテが飲んだ同種色違いのボール。左は飲まずに残っていた笛部分


オトーサンは常々朝早い散歩や夕刻の散歩にも懐中電灯を持ち、暗闇で変な物を拾い食いしないようにと目をサラのようにしているというのに、何と言うことか自宅で大きなミスをしてしまったのである。 
万一道ばたに落ちていた他のワンコのウンチを食べたとしてもまずまず死ぬようなことはないが、消化しないものを食べた場合、ウンチと共に排出してくれればよいものの、出なかった場合には大変なことになることを分かっているだけにオトーサンは血の気が引き、身体が冷たくなるのを感じた。ましてやラテを怒っても始まらないし悪いのはあくまでオトーサンなのだ。 
「ともかく落ち着こう...」と焦る気持ちを無理矢理落ち着かせ、時間が経ってしまったことだからラテの具合を見るしかないと思った。 
無論食欲がなくなるとか、発熱あるいはお腹が痛いといった症状を示したら即病院に駆け込もうと覚悟をしたが、ともかくいまは様子を見るしかないと自分を落ち着かせた。またもしかしたら排便と共に出てくるかも知れないし...。 

問題はボールを...固い笛部分を残して丸呑みしたのか、あるいは細かく食いちぎって飲んだかにある。なぜならある程度細かくして食べたのならウンチと一緒に無事排泄してくれる可能性は高いが、破片が大きかったりしたらどうなるのだろう...。 
このときオトーサンはラテが我が家に来てしばらくたったある日、ウンチにリンゴの皮むきといったら良いか...巻き付くようにしてゴムボールの1/3ほどが出できたことを思い出した。 
無論オトーサンの目が行き届かなかったためにどこかでパンクしたボールの破片を拾い食いしたのだろうが、あれだけの量が出てくるのだから今回も大丈夫かも知れないと願うしかなかった。それにいくら何でも丸呑みはし難いと想像できるし、いくつかに噛みきって飲んだとすればサイズが小さいなら排泄してくれるかも知れないと思いつつ心配と不安でその夜はまともに眠れなかった。 

12日と13日そして14日の日曜日もウンチはまともにしてくれたがボールの破片などは出てこない...。しかし相変わらず食欲もあるし具合が悪い様子は見えないもののオトーサンの心配は増すばかりであった。 
明けて15日の月曜日の朝も散歩の途中でウンチはしたが変化はない...。 
さて、15日は午前中早くからMacintoshの前に座って仕事をし、階下で昼の食事を済ませて仕事場に戻るとブラインドの隙間から明るい日差しが差し込み、部屋中は後光が差し込んだように輝いて見えた。 
オトーサンはその日差しを浴びながら「これからラテを連れ出してみよう」と急に思いついた! 
無論特別のことがない限り、ラテとの散歩は朝夕2回と決まっているが、オトーサンの心にボールの件が閊えていることでもあり、気晴らしの意味もあったのかも知れない。ともかく昼の12時50分に大喜びのラテを連れて駅前のコーヒーショップへと向かった。 

ラテは元気だった。途中落ちていたゴルフボールを口に咥えて嬉しそうに歩いている。オトーサンが「置いてきな!」と取り上げようとしても顔をそらせて黙々と歩く。なにしろゴルフボールを咥えたままクンクンしている(笑)。 

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※拾ったゴルフボールを大事そうに咥えて歩くラテ


しかし案の定、10分ほど経ったとき顎が疲れたのかボールを放り出した...。そして雑木林の中に入ったとき、いきなり座り...嗚呼...ありがたいことにウンチと共に大きめのボールの破片3個が出てきたのである! 
オトーサンは嬉しさのあまり...というより自戒を込めて、iPhone 3Gを取り出しそのウンチをカメラに収めた(笑)。 
まあそれはお見せしないが...(爆)。 

正直今度ばかりは最悪のケースばかり頭をよぎっただけに辛い4日間だったが、これで大丈夫だと思い胸をなで下ろした次第である。 
ワンコにもよるのだろうが、ラテは一時よりずっと拾い食いなどはしなくなったものの、まさしく人間の幼児と同様に何でも口に入れて判断するから怖いのである。 
ともかく安堵したオトーサンはその後ルンルンでコーヒーショップに入り、ラテにカプチーノの泡を舐めさせた(笑)。 

ラテ飼育格闘日記(106)

12月10日はラテが我が家に来た記念日であり今年で丸2年が過ぎた。自分で望んだ結果が期待どおり...期待以上になることなど人生そうそうあるものでもないが、ラテと一緒に生活することがこんなにも楽しいものであることは想像できなかったほどだ。 


ワンコを飼うと言うことは一般的にいうなら確かに簡単なことではない。吠える、噛みつくなどトラブルの原因となる場合も多々あり得るはずだ。 
病気にかかれば医療費も高いし無論毎日の食費もばかにならない。そしてきちんと散歩を続けるとすればそれなりに時間は取られるし私のような年齢になると体力的にもきついことは確かである。 
ではなぜ人はワンコを好んで飼うのだろうか...。 
まあ他人はともかくオトーサン自身はこれまでにも記したように50年来の夢であったし名犬ラッシーやらの影響もあって後半の人生をより豊かにしたいという気持ちによるものである。 
なぜオトーサンのようなオヤジがワンコを飼うことで人生を豊かにすることができるのだろうか...。 
それはこれまで過ごしてきた人生の情熱を絶やさないため...だとは言えないだろうか。 

人生は誰にでも1度しかない。やり直しも利かないしリセットもできない。だからこそ体力も知力も残っているうちに自分の生き方を別の形で表現し直してみたいと考えても不思議ではないだろう。 
オトーサンの場合はそうした結果が50年来の念願だったワンコに向いたのだと自分で分析はしているものの、自分の心の奥底は自分でも分からない...。 
とにかく自分の人生の後半をおだやかでかつ輝かしいものにするためオトーサンはワンコとの生活を選択したわけである。 


ではなぜワンコなのだろうか...。猫でもなく金魚でもなく小鳥でもなく何故犬なのだろう。 
それはまさしくワンコが飼い主から見て擬人化するに値する相手であり、感情や表現あるいは思考の仕方が我々人間と似ており、意思疎通が可能だと思うからではないだろうか。 
高度な頭脳を持ち、人に従順なパートナー(ワンコ)と歩き回り、時には愛犬とコーヒーショップに行くことをオトーサンは長い間夢見ていた。そしていつも膝元に愛犬のいる情景を想像してきたのである。 
なんと言ったらよいか...オトーサンを必要とし信頼を寄せてくれる相手と共に過ごす毎日ほど生き甲斐のあることはないのではあるまいか...。 

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※駅前のコーヒーショップへラテと行くのがオトーサンの楽しみのひとつだ


オトーサンだけではないだろうがワンコと散歩をしているとワンコに呼びかけることが多い。 
「ほら、ばっちいぞ」「ダメダメ」「いい臭いがするねぇ」「ラテ、水飲むか?」などなど考えてみるまでもなく日常随分と話しかけている。 
無論オトーサンとてこちらの言葉を100%ラテが認識して理解しているなどと考えているわけではないが、反面意外と通じているようにも思えるのはワンコの飼い主ならある程度同意していただけるのではないか。 
またラテの行動や態度も我々人間の理解を超えている場合があるものの、歩きながらオトーサンの足を突いたり、抱っこをせがんだり、アイコンタクトして吠えたりするその意味や意図も大方は理解できると考えている。そして悲しい、嬉しい、不安、怖いといった表情も慣れればストレートに分かるし、オトーサンの顔色をうかがいながら上目遣いで悪戯をするなど、ラテとの日々はまさしく個性的な感情・意識・意志を持った頭脳と対峙している喜びがある。 

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※肌を刺すような寒い早朝からラテとの散歩は始まる


前回にもワンコと我々人間は程度はともかく同じように意識を持っていると書いたが、愛犬家はともかく一般的にはまだまだワンコの頭脳は100%動物のそれであり人間とは比べるべきものではないという認識が強いようだ。 
事実オトーサンもラテと生活するまではワンコがこれほど高度な知恵を働かせる動物であることは信じられなかったし、名犬ラッシーはあくまでフィクションの世界の出来事だと思っていた。 
確かに映画やテレビドラマのそれと同じとはいわないが、ワンコの頭脳は人間の2歳児から3歳児ほどだということが理窟でなく肌で理解できるようになった。無論人間とまったく同じというのではなく認識や表現手段が違うわけだが...。 

記憶力ひとつをとってもラテの能力はばかにならない。 
例えば数日前にある道を通り、その角に大好きな猫がいたとする。ラテはもう夢中で追いかけようとするが無論猫は遊んでくれるどころか即逃げていく...。ラテは「クウ~ン」と泣くしかない(笑)。 
問題はその2,3日後に同じ道を通るとき、ラテは以前どのあたりで猫にあったかを正確に覚えていて今日も猫に会えるのではないかとその茂みに頭を突っ込もうとする。 
また真夏の暑い夕方、散歩の帰りに自動販売機で良く冷えたペットボトルの水を買い、オトーサンの飲み残しをラテに飲ませた。 
多分に咽が渇いていたのだろう、残りの水をほとんど飲み干したラテだが、その翌日その道を帰るとき何ということか、ラテは自動販売機の方にリードを引っ張るのである(笑)。 
凄いのはそれまで自動販売機にボトルが落ちてくる音にビックリして近づかなかったラテが、その自動販売機以外の機械にも怖がらずに近づくようになったことだ。 
こうした事実はラテに心理学でいうところの「エピソード記憶」があると考えてよいのではないだろうか...。 

心理学では記憶を「顕在記憶」と「潜在記憶」に大きくわけて考えるという。その「顕在記憶」とは私たちが言葉で語ることが出来、自分の意志で思い出すことが出来る記憶である。 
また「潜在記憶」は反射的で意識の及ばない記憶だという。例えば自転車の乗り方とかピアノの演奏などがそれだ。自転車に乗れば理窟抜きで走ることが出来るし、ピアノの前に座れば覚えた曲を弾くことが出来る。しかしその行動を意識にのぼらせて他人に伝えることはほとんどできない。 
そして前記した「顕在記憶」には「エピソード記憶」と「意味記憶」の2種類があり、「エピソード記憶」は個人的に体験したことの記憶だ。 
前記したようにラテが猫に出会った場所とかその状況の記憶などがこれにあたる。 
一方「意味記憶」は事実の記憶である。これは「平安京は794年に建設された」という類の記憶だ。無論私たちは平安京に行ったことはないのだから個人的な体験ではない(笑)。 
問題はこの「意味記憶」の多くが繰り返しの学習で記憶として定着するのに対して「エピソード記憶」は練習や反復を必要とせず1度の体験で記憶として定着し、思い出すことで以前の体験を意識の中で再度体現できることを意味する。 
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※真面目な表情もなかなか可愛いではないか...(笑)


ラテが室内でボール遊びしている様を観察すればそれだけでも彼女に「エビソード記憶」能力が備わっていることは明白だ。 
散々ボールで遊んだ後に例えばオヤツの時間になったとする。ラテはオトーサンの手でちぎったササミの燻製を時間をかけて食べた後でオトーサンが「ラテ、ボールは?」といえば彼女はさきほど最後にボールを椅子の向こう側に入れ込んだままなのを思い出して取り出しに向かう。 
ここで注目すべきはボールの有り場所を嗅覚などで探すのではなく、ボール遊びの中断直前にボールのあった場所を覚えているからこそその場所に即行できるわけで、それは明らかに「エピソード記憶」が働いていると考えられる。 
こうした行動は程度はともかく我々と同様ワンコに高度な意識というものがあるということではないだろうか。 

感情が豊かで知能も高い相手と毎日対峙することほど楽しくエキサイティングなことはない。 
オトーサンの足にはいつも2,3枚ほど湿布が貼られているが、そんなことは些末なことに違いない(笑)。 

【参考文献】 
スタンレー・コレン著「犬も平気でうそをつく?」文春文庫刊

ラテ飼育格闘日記(105)

ラテは総じて大変良い子だと思っている。図体は大きくなったものの、まだまだ子犬のような愛らしさと悪戯心を持っているし、普段の聞き分けもよく無駄吠えもしない。そして自分からハウスの扉を開けて入りよく眠る。しかし先日ショッキングな出来事が...。 


ラテと共に毎日通う公園では当然のことながらさまざまなワンコが集う。しかしだからこそ色々なトラブルがあるのも事実だ...。 
過日はラテもよく遊んでもらうワンコが夢中になってしまったのか小型犬を追い回し、それをかばおうとした飼い主さんのお尻に歯を当てたということを耳にした。まあ、あってはならないことだがワンコに悪気があるとは思われないものの我々飼い主たち皆が気をつけるしかない。 
それはともかく先日オトーサンにとっては少々ショッキングな出来事があった...。 

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※散歩道の木々は紅葉真っ盛りとなってきた


ある休日の夕刻、いつものように女房と共にラテを公園に連れて行った。 
休日と平日の違いが大きくあるわけではないが総じて休日は毎日散歩に連れ出すオカーサンたちの労力を軽減しようとお考えになるのか、息子さんたちやオトーサンたちに連れられてくるワンコが多くなるという傾向がある。 
早くもすでに周りは暗くなってきたが、女房の足元にいつものオカーサンに変わってオトーサンに連れられてきたコーギー犬のアポロちゃんとラテが仲良く口を舐め合い遊んでいた...。 

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※コーギー犬のアポロちゃん(手前)とラテ


すでに何度かご紹介したがアポロちゃんとは公園デビュー以来の仲間でありラテは一目も二目もおいた存在の雄ワンコである。 
いつも組んずほぐれつの遊びをする間柄だし、これまで威嚇などし合ったこともない。 
オトーサンのペットボトルから水を飲むときアポロちゃんと一緒になればラテは必ず優先順位を譲る。そして他のワンコと違いオヤツなどの取り合いを巡るトラブルもまったくない間柄だったのである。だからその日もアポロちゃんがラテの耳を舐め、ラテもアポロちゃんの口元をペロペロとしていても何の心配もしていなかった。 
しかし突如...オトーサンの見ていた範囲では...ラテが「ガウ...ガウガウガウ...ウゥゥゥ」とアポロちゃんに攻撃をしかけたのである。驚いたオトーサンはラテのリードを引いて引き離した。 
オトーサンや女房がびっくりしたのは勿論だが当のアポロちゃんが見るからに呆然としている...。 
心配だったのはアポロちゃんに傷でも負わせたのではないかということだったが、幸いそれは回避できたようで一安心した。 
そもそも密着していた距離にいたのだからラテに本気で噛むといった気があったらすでに流血騒ぎになっていたものと思われる。ということは威嚇行動はしたが噛む行為をするつもりはなかったとも判断できるが、あの「ガウウウ」は遊びではなく本気だったと思われるだけにオトーサンはショックだった。 

無論ラテが他のワンコに対して威嚇することは多々ある。普段すれ違う場合は喧嘩をするでもない相手でもその時にオヤツが絡んだり、ラテが好きな飼い主さんの足元だったりすると嫉妬してラテは相手を威嚇をするのである。 
これまた先日、オトーサンが周りには仲間のワンコたちだけだからと安心してポケットからオヤツを出したとき、不覚にもオトーサンの足元にダックスフンドがノーリードで寄ってきた事に気がつかなかった...。 
一瞬ラテはそのダックスフンドに自分たちのオヤツを取られると思ったのか「ガウゥ」と攻撃をしかけ、リードを引くまもなくもみ合い状態となってしまった。 
相手のダックスフンドは大変大人しい良い子なのでただただオトーサンからオヤツをもらいたいと近づいたわけだがラテはそれが気にいらなかったらしい。 
ダックスフンドが「キャン!」と鳴いたので噛みついてしまったと青くなったが、飼い主さんに抱き上げられたダックスフンドの首回りと顔をオトーサンが丹念に調べた結果、幸い血が出ているとか傷になっている部分は見あたらなかったのでこれまた一安心した。 

とはいえ他のワンコはともかく一目も二目もおくアポロちゃんに対してこうした威嚇行動をやったことは1度もなかったラテなのである。 
問題はその原因である。 
そもそもラテは気性が荒いわけではなく、普通は仲間のワンコとはお陰様で楽しく遊んでいる。またどちらかといえば臆病な性格だし別のコーギー犬にはいつも追いかけられて逃げ回っている。それも数ヶ月前にはラテの方が威嚇していたのに...である(笑)。 
考えるに、いつもと違うシチュエーションだといえばその場に女房がいたことくらいしか思い当たらないのである。 
ラテの女房に対する態度を観察しているとラテにとってオトーサンとは質の違う大切な相手のように思える。それは遊び友達であり、100%甘えられる相手であり、ライバルでもある(笑)。 
そんな女房の足元でラテにとってたとえアポロちゃんでも譲れない何かがあったのかも知れないが、オトーサンの見ていた限りでは特にいつもと違ったことはなかったと思うだけにショックなのである。 
幸いその後、アポロちゃんと出会っても喧嘩するわけでもなく以前と同じように駆けっこをしたり、口を舐め合い身体を寄せ合って遊んでいる。しかし直接の原因が分からないだけにオトーサンの心配は尽きない...。 

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※朝の日差しを浴びてご機嫌のラテ


直接の原因はともかく、2歳半になったラテはいわゆる自我が目覚めたのではないかと思うのだ。 
こうした物言いをすると「犬に自意識などない」といった古い考え方を振り回す人がいるかも知れない。 
いまだにフランスの哲学者デカルトの理論、すなわち「犬には自我どころか思考力も判断力もなく自動人形と同じく動く機械である」といったことを信じている人がいるらしい。また愛犬家は自分のワンコを擬人化し過ぎるといった批判をする人たちも多い。 
オトーサンもいたずらに擬人化することは戒めてきたつもりだが、2年間ラテと生活を共にしてきた体験では「ワンコは擬人化に値する高度な頭脳を持った生き物だ」という結論に達している(笑)。 
そうした点についてはまた別途考えてみたいが、擬人化は心理学で「再帰意識」と呼ばれる人間の能力に根ざしている。つまり自分自身の行動や感情に照らして他人の行動を理解し予測することがてきる能力だという。 
ある状況で自分だったら...私だったらどうするかを考えられることは生きていく上に有利である。ライバルの行動の予測やトラブルの回避だけでなく、こうした能力がないとそもそも集団で生活し行動することはできなくなる。 
ラテだって先のアポロちゃんとの駆けっこの場合でも単純に後を追うだけではない。彼女なりにアポロちゃんにタッチするにはその走り具合からどの位置に向かえば最短距離で待ち受けできるかを計算して走っている。何しろラテのリードを持ってオトーサンも一緒に走っているのだから間違いない(笑)。 

ともかくオトーサンが擬人化によりラテの行動や考え方を予測するのと同様にラテも間違いなくオトーサンの行動を観察して学び、次の行動を予測しているようだ。これはラテがオトーサンたち人間を擬人化ならぬ「擬犬化」して思考できるからだろう。 
だからこそワンコは他のワンコに対するのと同様に人間に向かっても尾を振り、遊びのポーズをとり、オトーサンをリーダと認めて必要な態度を取り続けることができるに違いない。 
ただし問題はオトーサンたちのラテに対する「擬人化」とラテがオトーサンたちに対してする「擬犬化」との結果がぴったりと合うとは限らない(笑)。 
ラテは女房の膝元でアポロちゃんと遊んでいるとき、何らかの嫉妬の衝動と共にそんな哲学的な矛盾を感じたのかも知れない(爆)。 
それにしても...ごめんね...アポロちゃん! 

【参考文献】スタンレー・コレン著「犬も平気でうそをつく?」および「哲学者になった犬」(共に文春文庫刊)

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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員