ラテ飼育格闘日記(113)

我が家の日常生活は間違いなくラテを中心に動かざるを得ない。特にオトーサンのスケジュールはラテ抜きにしては語れないし仕事すらその優先順位はラテなのだ(笑)。まあ猛烈サラリーマン時代を長く経験したのだからこうした生活も良いと思っているが、他人から見ればよほどの変わり者と写るに違いない。

 

1月25日の日曜日に父が91歳で亡くなった。朝の6時に弟から電話があり、父が入居していた老人養護施設にすぐ来てくれという話だった。
幸いその日は日曜日で女房も休みだったから安心して出かけることができたが、普段の散歩はすべてオトーサンの役目なので代役の女房では心許なくオトーサンは出かける段になっていささか心配になってくる(笑)。

ともかく急いで電車に乗り、iPhone 3Gに愛用のイヤフォンを装着する。そのスタートアップの画面はオトーサンと一緒に撮ったラテの写真なのだが、そのラテの顔は心なしか不安そうに見える...。
前の座席のご婦人が持っているバッグに抽象的だが犬の刺繍がされているのを見れば、それにラテの顔が重なってくる。もうこうなると病気である(笑)。
なにしろ、弟と共に葬儀社の人と葬儀の打ち合わせをしているときもフト「ラテは今頃どうしているか...」といったことが気になってならない。まったく親不孝の極致であるが自分の気持ちを偽るわけにはいかないのでこれは仕方がないのだ。
そして女房との散歩はトラブルに遭遇していないか、リードを離したりしていないか、他のワンコと喧嘩したりしないか、あるいは悪いものを拾い食いしていないか...などなどオトーサンの頭の中はさまざまな心配で膨らんでいく。

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※2009年1月28日(水曜日)父の通夜が始まった...

 
ワンコを飼ったことのない方にその心配のイメージを知っていただくとするなら、そう...例えば2歳児を一人で家に置いてきたときの気持ちといったらお分かりいただけるだろうか...(爆)。
ともかく父の葬儀、すなわち通夜と告別式の両日は長時間留守しなければならず、心配なのはやはりラテのことだ。
まず考えることはその2日間、安全を第一に考えるならどのような形にせよラテをペットホテルのような場所に預けることだろう。
これまでの行きがかりから言うなら、ひとつは行きつけの動物病院と美容室の2カ所である。
どちらもいわゆるペットホテルを兼ねているので空いていれば預かってくれるに違いないが問題はラテがどちらを好むかということになるが、これはなかなか難しい。
結論は決してどちらも好きではないからだ(笑)。しかしどちらかといえば美容室の方が痛い目にあったことはないはずだしラテの好きな若い女性スタッフも多い(爆)。
そして一番の問題はこれまでラテは我が家に来てから一度も外泊を体験していないことだ。

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※居眠りを邪魔されたからか「何よ!?」と言っているような...(笑)

 
そもそも寂しいという以前に最初のこうした経験は食欲がなくなったり下痢や便秘になるケースもあるほどワンコにとっては辛い体験だという。特にラテのようにこれまで飼い主というか預かり主が変わった経験のあるワンコはペットホテルなどに押し込められれば「捨てられた」と思うに違いないのだ...。
オトーサンとしてはラテに「アタシは捨てられたかも...」などと考えさせる行為をするとなれば自分を許せないのである。
そりゃあ...ワンコの感情より人間の道理が優先することは事実だろう。それでもいつも言うとおり、高度な頭脳と感情を持っている愛犬に一瞬たりとも「裏切られた」とか「何故こんなことに?」といった思いをさせるのはオトーサンとして忍びないのだ。
とはいえ一方でこうした事はこれからもあり得るのだから慣れさせる良いチャンスかも知れないという気持ちもちょっとある...。

オトーサンの本音をいうなら、通夜も告別式も弟や妹に任せてそこそこ早く戻ってきたいのだが、こんな罰当たりのことが頭をよぎるのだからオトーサンも亡くなった父親を変わり者だったと非難もできない(笑)。まあ、父は笑って「バカ野郎!お前は俺の子だ」と許してくれると思うのだが。

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※仲間のハリーちゃん(左のビーグル)と右のボーちゃん(ボーダーコリー)と楽しそうに遊ぶラテ(上)。公園を狭しとばかりボーちゃんと全力疾走するラテ(下)


そういえば生前父にラテの写真を見せたことがあった...。私が遠方に引越したこともあり、かつ父の足腰が弱ったこともあって父は現在のオトーサンの家に立ち寄ったことがないのだ。したがって父はまだラテと会ったことがなかったのである。
というわけで、親ばかだが特に可愛く写った一枚をオヤジにも見せたいと持参したのだが一瞥した父は「俺は犬...嫌いだ!」と言い放った。
おいおい...いつからオヤジは犬嫌いになったんだよぉ(笑)。
あまりに嬉しそうに愛犬の写真なんかを取り出すオトーサンに反発を感じたのかどうかは知らないが、オトーサンが犬を好きになったのはそもそもオヤジの影響なのだから犬嫌いの訳はないのだが...。
斎場の棺に飾られた父の写真を眺めながら、そして「ラテは大人しく留守番しているだろうか」と心配しながらオトーサンはそんなことを思い出していた。

結局ラテはペットホテルなどに預けることは止め、自宅にいつものように留守番させることにした。
いつものように...といっても今回は少々留守番の時間が長いが、オトーサンたちが外泊するわけでもなく遅くなっても帰宅するわけだから前記したようにラテに嫌な思いをさせるより、ちょっと寂しい思いをする程度の方がよいと判断したわけだ。

斎場で遺骨を受け取りそれを自宅に迎えるためタクシーに乗った。そしてタクシーの運転手さんとペットの話しになったとき、運転手さんは「犬とか猫とかは死んだときのことを思うと飼えないんですよ...可哀想で」という。続けて「本来動物好きなんですが、しかたなくいまは金魚で楽しんでいるんですが」とおっしゃる。
いや、私からペットの話しを持ちかけたわけではなく運転手さんがこれから向かう...些か遠い我が家がある場所...「○○のお住まいは長いのですか?」という問いにオトーサンが「2006年の暮れに犬を飼うために引越したんですよ」と答えてからしばらくの間、ペット談義となったわけだ。

とにかくいろいろと大変だったが無事に父の葬儀は終わった...。
しかし考えてみるとラテの事ばかりが気になった葬儀のように気がする。実に親不孝なオトーサンであった...。
そして父は遺骨となって初めて我が家を訪れラテと対面することになったが、父はラテを「可愛いなあ」と言ってくれるとオトーサンは信じているのだが...。

Mac生誕25周年の翌日にMacユーザーだった父が91歳で死去

 1月25日の日曜日、朝6時過ぎに自宅の電話が鳴った。こんな早朝に電話があるとは間違い電話でない限り、良い知らせであるわけはない。まさかと思いながら取った受話器の向こうの声は弟だったが、早朝午前5時頃に父が死亡したという知らせだった...。

 
父は今年の3月で満92歳になるところだった。90歳に至るまでは幸い元気だったし気丈にも一人暮らしを続けてきたが昨年当初から一部にボケの症状も出始め、一人暮らしは無理だと判断し本人納得の上で老人擁護施設に入ったのが昨年8月だった。
そこは個室があてがわれ冷暖房完備は勿論、24時間のケア付きであり、事実スタッフの方々はとても親身になって世話をしてくれていたからこれで一安心と考えていた。しかし歳が歳だからいつでも...いわゆる覚悟はしていたが、実際にその訃報に接すると自分でもおかしなほど動揺しているのがわかる...。

 一身上のあれこれを書き連ねても生臭いことばかりだから遠慮させていただくが、長男の私はこの頑固で我が儘な父親はどちらかといえば...苦手だった(^^;)。
なにしろ私の子供の頃、父はほとんど家にいなかった...。別に放蕩していたわけではないが、仕事の関係上九州や札幌あるいは東北といった遠方に長いときには1ヶ月以上も出張しているのが常だった。だから三人兄弟の末っ子の妹など、まだろくに言葉も話せない幼児のとき父の顔を覚えていなため、出入りの御用聞きのお兄さんを「パパ...」などと言っていたらしい(笑)。

大正生まれの父は関東大震災ならびに先の大戦を経験した一人だから、人並み以上の苦労を重ねたはずだが、戦後は自動車の部品会社を始めたのが大ヒットしインフレの時代だとはいえタンスに札束があふれいたという。
アパートに行商がくると「松田さんのところなら買ってくれるよ」と言われたほどだという。しかし残念なのはそうした好調な時期に私は幼児だったから記憶がまったくないことだ(笑)。
そしてまるで下手な小説みたいだが、家を建てようと支払った金を知り合いの大工に持ち逃げされたのをきっかけに一家の転落が始まる...。
だから終戦直後の混乱期だというのに私の1歳の誕生日は写真館でウサギのケープを着て記念写真を撮っているが、2歳違いの弟1歳のときの写真は近所のお墓の前で毛糸のパンツ一挺というありさまだ(笑)。

私が社会に出てからも人がいいというか、人を疑うということを知らないのか...ある人物に祭り上げられて社長になったものの数ヶ月で意見が合わずに辞めることになった。それはそれで良いのだが、その辞め方である。
代表取締役という立場は法律的にどのようなものなのかすら意識になかったようで、代表者印などをそのまま置いてきたため、父の退職後も父の名でかなりの額の手形を切られて、結局母があちこちかき集めて苦労の末にやっと工面することができたという。

時代背景もあり、確かに父は私たちを喰わすだけでいっぱいだったと思うが、世渡りが下手な人間だったと思う。そして余裕がなかったのだろうが子供時代に旅行に連れて行ってもらったことなど一度もなかったし、一緒に遊んでもらったという記憶がなく、ただただ怖いオヤジという存在だった。そして実際子供の頃はよく殴られたものだ。
とはいえ晩酌後機嫌がよいときには徹夜で私が学芸会で使う衣装や小道具を作ってくれたり、学校でオリジナルの紙芝居をやることになったと言えば「カッパのへーちゃん」という...いかにもその場で適当に考えたと思われるストーリーの紙芝居を絵と共に作ってくれた父だった(笑)。
それでも退職後、まだ元気だった母とそして女房と4人で毎年京都や北海道を回ったことは記憶に新しい。

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※1984年頃の写真だと思うが私はビデオカメラ、父は一眼レフカメラを携えて京都の哲学の道を歩いているシーン。父とのツーショットはあまり例がないのだが(笑)


若い頃には大酒飲みの父もさすがにそんなに量が飲めなくなったが、息子が下戸なので女房相手に嬉しそうに酒をやっていた姿が目に浮かぶ。
母が癌で長期入院した時期にはよく看病していたが、80歳を過ぎても自前の歯だったし、ジーパンを好み私たちが不自由だからと薦めるステッキや補聴器を嫌って使わなかった。
その父と2週間ほど前、弟妹から一緒に昼食をたべようという誘いがあったので出かけてみると父はその嫌いだというステッキを握っていた...。それでも歩くのが困難なようで一緒に付いてきた弟の手にすがりながら姿を現したとき、正直「そろそろかな」と悲しくなった。

エレベータから降りてきた父は私に向かい「どうした...元気か?」と不機嫌そうに問う...。
私は「なんとかね...」と答えると「元気なら...来いよ!」と叱るように言い放った。
整った設備とサービスが行き届いた老人養護施設に入居後も、弟と妹がかなり頻繁に顔を見せているのと比較すれば3ヶ月前の昨年10月20日にやはり昼食を共にしたきりの私は親不孝に思えたのかも知れない。
しかしまあ、男同士というか男親のところにちょいちょい出かけても話すことなどないではないか(笑)。
というわけで私にとって「元気なら...来いよ!」と叱られたのが父からの最後の言葉となった。

施設の個室に入るとすでに弟が待っていた。そこには無精ヒゲをはやした父が眠っていたが、その表情はとても穏やかだったものの凄く小さく見えた。
話を聞くと1月24日の土曜日にも弟と妹が来たという。そして弟の煎れるコーヒーを美味いと喜んでいたそうだが顔は少しむくんでいたらしい。
コーヒーを飲み小さなケーキを食べた後、父は「身体が辛い」とこぼし冗談交じりに「こんな調子が続くんなら死んだ方が楽だろうな」と言ったそうだ。
妹が「そんな簡単に死ねるものではないらしいよ」とこれまた茶化すと父は「そうだよな...」とベッドに潜り込んだとのこと...。
その明け方に死亡したわけだから、なにか前兆を感じたのかも知れない。
そしてその夜の24時巡回時には問題がなかったが、翌朝25日の午前5時の巡回時に死亡していたという。
近年心臓が悪かったこともあり、死亡診断書には心筋梗塞とあったがその姿は苦しんだ形跡もなかったから、年齢を考えれば大往生なのだろう。

私はその額に手のひらを乗せその冷たさを味わったとき、嫌でも父が死んだことを現実として認めなければならないことを悟った。
しばらくすると施設出入りの葬儀社の担当者がきて遺体を専用の台に乗せるという...。私も父の腰の当たりを支えて手伝ったが、額とか足先とはまったく違い、そのあたりはまだ硬直せずに柔らかで温もりがあった。
葬儀社の人たちは事務的に遺体を車に乗せて走り出したが、施設のドアの前にはお世話してくださった方たちが10数人も並んで見送ってくれたのは嬉しかった。

母が亡くなった後と同様に、父の存在も今後私の心の中で生前以上に大きな存在になるのだろうか...。
葬儀社と弟が細かな打ち合わせをしているとき、ふと窓際に置いてあるiMacが目についた。
それは4年前の2005年3月に「iMacを買いたいから一緒に行ってくれ」といわれ、父と共にApple Store Ginzaに出向いて買ったものだ。そして日々新聞のお気に入りコラムをPagesを使って入力するのが日課だった。
そんなことを思い出していると、1991年1月に父をサンフランシスコのMacworld Expoに連れて行ったときの記憶がフラッシュバックのように蘇ってくる。
そういえば...前日の1月24日はMacintosh生誕25周年だった。その翌日、ひとりのオールドユーザーが逝った...。

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※ゴールデンゲートブリッジの前で笑顔を見せる18年前の父(当時73歳)。キャップにはExpo会場でもらったマックの缶バッジが...

怖い父だったし、どちらかというと私にとって苦手な父だった。しかしその嫌だと思ってきた気質のかなりの部分を自身が持っていることも自覚している(笑)。そして鏡を覗けばそこに写った姿の半分以上は父そのものなのに我ながら苦笑せざるを得ない。
訃報を聞いたときも、そして父の遺体を見送ったときも涙とは縁がなかったが、いまこの一文を書きながら私は泣いている...。

ラテ飼育格闘日記(112)

最近はワンコの知能の高さを日々実感するだけに、ある程度の擬人化も正当な評価なのではないかと思うようになってきた。ところでジンバブエの民話によれば犬は昔々非常に頭がいいばかりか口をきくことも出来たというが人間にこき使われるのを嫌ってしゃべらないことに決めたのだという...。

 

ここのところ、ワンコの知能の高さに興味が集中している。無論知能が高いとしてもワンコは我々と違った世界観を持っていることは間違いないし同じように感じ、同じように考えるかは疑わしい。しかし同じ生き物として共通する意識もあるのではないかと思うわけだ。
事実ワンコの脳の活動領域は驚くほど我々と似たものだと言うし、メリーランド州ロックヴィルのゲノム研究所のチームはプードルと人間のDNAを比較した結果、人間と犬の遺伝子コードが75パーセント以上重なることをつきとめたという。
だから人間とワンコが行動の上でも頭脳の働きの上でも共通点が多くても驚くにあたらないのである。

今回はラテの日常でおかしなほど “人間くさい” 部分をいくつかご紹介したい。

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※ボーダーコリーのボーちゃんと早朝の一騎打ちだ(笑)。この後2匹共に遊び宣言のポーズに移ってから取っ組み合いを始める

 
さてワンコと人間の知能の働きで共通する一例が夢である。ワンコも我々と同じように夢を見る。それも大型犬より小型犬の方が夢を見る頻度が高いようだ。
いや、ワンコを飼っている方なら愛犬が夢を見ていることは決して疑わないはずだ。

私たちの睡眠にはノンレム睡眠状態とレム睡眠状態が交互にやってくる。そして脳が活動しているレム睡眠時に夢を見ると言われている。そしてこの睡眠についての詳細は現代の科学をもってしてもまだまだ解明されていない部分も多いが、胎児から新生児の段階のいわゆる脳の成長期にこのレム睡眠を長く経験するという。いわば脳の成長には夢が重要な役割を果たしているという説もある。

ラテも日中床や電気マッサージチェアなどで寝ているとき、足を動かしたり口元をモゴモゴするときがあるし、その瞑った目を見ると眼球が動いているときがある。このとき彼女はオトーサンとか友達と走っている夢を見ているに違いない。あるいは大量の餌を前にした夢か(笑)。
また夜ハウスに入って寝るとたまたま「ウォ~ン...アン!」などと吠えるときがある。しかしその後吠え声が続かないときにはどうやら夢を見ているように思える。いわゆる寝言である。
それも声の調子から推察するにオトーサンに叱られている夢とか怖いワンコに追いかけられている夢でも見ているのだろうか。
あまりに悲しそうな声を出すのでハウスの扉を開けてやるとキョトンとしてこちらを眺める。
特にハウスから出たいとかオシッコをしたいといった様子ではなく、自分の声で目をさました感じである。
オトーサン自身の体験からも子供時代の方が怖い夢をたくさん見た記憶がある。怪物に追いかけられたり、崖から落ちたりという夢をよく見たが反対に空を飛びまくるという夢も多かった。しかし最近は見る夢も夢がないというか...リアルな夢ばかりでちっとも面白くない(笑)。

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※まるで猫のように四つ足でマズルを抱えて眠るラテ

 
そう...ハウスで声を上げるといえば先日女房と共に大笑いしたことがあった。
就寝時間にハウスへ入っているラテがいつもと違う声を出した。ハウスの扉はロックしてあり、よく眠れるように全体を大きなタオルケットで覆って中を暗くしているわけだがその中で眠っていたはずのラテが吠え始めたのだ。
オトーサンたちとすれば前記したように一声や二声では心配もしないが、ハウスの中で吠え続けるとなれば様子を見に行かなければならない。
その日も立て続けに鳴くのを心配して女房がハウスにかけたタオルケットを持ち上げ扉を開けたが「臭っさい...」と騒いでいる。
どうしたのかとオトーサンも階下に降りてみるとハウスの周りは異臭が漂っているのであった...。

ハウスの中を確認してみたが中でウンチをしたわけではなく、どうやらオナラをしそれがタオルケットをかけたハウス内に充満したので、さすがのラテも自分のオナラの臭さに脱出したくなったらしい(笑)。
散歩から戻ってラテの身体を拭いている際によく彼女はすかしっ屁をするが、オトーサンがたまらなくなって鼻を押さえても知らん顔しているのが普通なのだ。しかしこの時はさすがに臭気がこもってしまったために我慢ができなかったと思われる。
しかし自分のオナラに閉口するとはなんとも“人間くさい”話しではないか...。

ところで最近オトーサンがあくびをするときラテにうつる場合が多いことに気がついた。
勿論私たちは家族や周りの人たちがあくびをすると急にあくびをしたくなる事実を知っている...。
ではなぜあくびは出るのか?実はこんな日常的なことほどいまだにきちんと解明されていないのである。
以前は酸素が希薄だからその周りにいる人たちはこぞっていわゆる深い呼吸が必要になるから...といった説もあったが、室内ならともかく屋外でもあくびはでるわけでこれでは説明にはなっていない。
またあくびは緊張をほぐす役割を果たしているという説もある。周りにいる人はあくびをした人の“緊張感のゆるみ”を感じて同調してしまうのかも知れないし、一種の群集心理的生理現象なのかも知れない。
これまた研究によればあくびがうつる人は協調性のある人だという説もある。一種の感情移入なのだろうか...。

あくびがうつるのは本当だ。しかしうつる相手はこれまで人間とチンパンジーだけと考えられていたらしいが近年はワンコにもうつることが認められてきたようだ。事実ラテは私のあくびと同調して大あくびをすることがある。
ということはラテに限らずワンコは特に飼い主の行動を四六時中注視している生き物であり、我々の言葉でいうなら他者への気遣いに優れ、協調性の高い生きものだといえる。いわゆるKY(空気が読めない)の人よりずっと感受性に優れた生き物なのだ(笑)。
ワンコが人類最良の友といわれる所以かも知れない。

最後にワンコも立派に嘘をつくということも知っていただきたい。
スタンレー・コレンの著書に「犬も平気でうそをつく?」という一冊があるが、それだけワンコは知能が高い生きものである証拠だと思う。
無論「嘘」の定義にもより多少ニュアンスが違ってくるが、「欺く」「誤魔化す」という行為はラテの場合もしばしば見受けられる。
そのスタンレー・コレン自身の体験として紹介されている例はなかなか凄まじい。
それは愛犬(ビーグル)がこれまでそんなことはやったことがないテーブル下の床を掘るようなしぐさを続けるので不審に思い、何かあるのかとかがみ込んだ瞬間に愛犬はスタンレー・コレンの背中を踏み台にして普段は届かない高さにあった食べ物をかっさらったという。無論床に何の異常もなかった...。

これは説明も不要だろうが、愛犬はそのままでは食べ物に届かないのを知り、飼い主(スタンレー・コレン)を最初から屈ませるための演技...嘘の演技をしたのだと思われる。早く言えば飼い主を騙したわけだ。

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※ラテが少々迷惑そうな表情をしているのはオトーサンの気のせいでしょうか(笑)

 
ラテにも思い当たることは多々ある。
女房のスリッパなどを追い回して困らせているとき、オトーサンがひよいと顔をだすとしよう...。その瞬間ラテは手近のボールとかガムといったものを咥えて伏せ、いかにも「私はずっとイイコにしてました」とでも言いたげにその場を繕うのである。それも横目でオトーサンをチラチラと見ながら...。
まさしくラテはオトーサンに嘘をつこうと努力していることになる(笑)。

さらに散歩中、例えば前方左に人間が捨てたフライドチキンの骨があったとする...。ラテはそれを前日発見したことを記憶しており、それを口にしたいと考えるわけだ。
とはいえストレートに直進すればオトーサンに知られてリードを引っ張られることも学習している。しかしフライドチキンの骨は大好物であり何とか口にしたい...ではどうするか。
ラテは骨などにまったく気がついていないふりをしながらオトーサンを欺いて直進し、ちょっと通り過ぎたと思った瞬間左後方に飛びつき大好物を口にすると言うワザを持っている。

このワザはリードが距離的に緩むためになかなか理にかなっており、オトーサンは数回ラテの戦術にやられたことがあったが、オトーサンだって学習能力は持っている(笑)。したがって最近では同じ手はそうそう成功しないが、問題は対象物を先に発見しておかないと遅れを取ることになるのでこれまたなかなか大変なのである。
文字通り、毎日は知恵比べの様相なのだ。

【参考文献】スタンレー・コレン著「哲学者になった犬」文藝春秋刊

ラテ飼育格闘日記(111)

 ラテが女房の口元に歯を当てた!女房の唇と顎は出血するはめとなったが、瞬間ラテのシッポは垂れ下がり自分からハウスに入り込んでしまった。しかし女房には悪いがことはラテだけを責めるわけにはいかないのだ...。

 

ワンコの中には食事中飼い主でさえ食器に手を触れたりするとその手を噛むワンコがけっこういるという。しかしラテはオトーサンだけでなく女房に対しても食事中に中身に触れようが威嚇したり噛んだりすることはこれまで起きていない。

例えばオトーサンがオヤツを囓ってるラテの横顔にチューしてもなんということはないが、オトーサンが差し出した食べ物を食べるその場所に女房がいると話がややこしくなる。勿論女房がワンコ用のオヤツを取るわけはないのだが、ラテはオトーサンが差し出すオヤツを注視しながらも左右や背後を見回して女房がいないかどうかを確認する(笑)。

おかしいのは女房自身からオヤツをもらう時には女房を警戒しないばかりか指や手を噛むことはまったくないし、たまにアイスクリームなどを口移しで上手にもらっているラテなのだ。

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※なにを思うか...虚ろな目をしているラテ

 
女房がいけないのは “からかって” ラテに不安を抱かせるような刺激を与えるからだ(笑)。ワンコに冗談は通用しない!
例えば私がおやつをラテに見せて「お手!」とやると勿論ラテは即お手をするが、そのオトーサンの手のひらに乗ったラテの手の上に女房もお手をしたりしてラテを慌てさせる...(爆)。こうした行動の積み重ねがラテにライバル意識を増幅させたと思うのだが...。

ラテはオトーサンからのおやつを女房に取られるかも知れないと焦り、先日も女房の鼻に歯を当て小さな傷を負わせたばかりなのだ。
それなのに女房は懲りずに...というかラテが可愛くて仕方がないからついついかまって挑発行為をしてしまう...。

このとき、オトーサンがラテに渡したおやつを食べているその横へ女房が平行に伏せた。オトーサンは「危ないから止めな!」と言おうとした瞬間ラテは「ガウ...」と振り払うように女房の口元に歯を当てたのである。
女房の下唇の右側付近と左顎の傷はラテの左上と右下の犬歯がそれぞれ当たったものと思われる。

傷口から出血したので消毒し、念のため顎の傷にはキズ絆を貼り事なきを得たが、さすがにラテも噛んではいない。無論噛んだらこんな傷では済まないことは明白だが、あの鋭い犬歯だから当たっただけで傷が付く。
ラテはといえば、しまったと思ったのか尻尾が下がってしまい、そのまま自分でハウスに逃げ込んでしまった。

女房は手当の後2階に上がったが、オトーサンは叱るためにハウスからラテを引き出した。
ラテは怒られるのを分かっているのだろう、尻尾は両後ろ足の間に巻き込むようになったままで両耳は後ろに引き脅えた表情だ。

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※お尻側からの激写(笑)。このふさふさの尻尾も自慢なのです

 
中公文庫刊「犬の行動学」の著者エーベルハルト・トルムラーによれば犬の感受性を低く評価してはならず、自分の周囲において何か過ちが冒されると、犬は正常でない行動を取る傾向があるという。
人間は通常理性で感受性をコントロールすることができるが、感受性が人間とは比較にならないほど高い犬は即行動に出てしまうという。
続けてエーベルハルト・トルムラーは、「なぜ犬は人を噛むのか?」という問いに、まず人間に対し十分な刷り込みのなされた犬は、人間を自分と同類と見なしているという。そして健康で正常な犬が人を噛むのは相手を同種とみなしているからこそと説明している。
健康で正常な犬(ここが重要なのだが)は正当な理由のある場合のみ同種を攻撃するものだという。無論 “ワンコにとっての正当な理由” という意味であり人間側の価値観ではない。
さらにエーベルハルト・トルムラーは、「私は自分を噛む犬を恨んだりしません。逆に、私が何か過ちをした時に噛まない犬をまったくの馬鹿だとさえ思うのです」とさえ言っている。

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※オトーサンからオヤツをもらうラテ。真剣な眼差しである

 
くどいようだがラテは女房を噛まなかったが傷を負わせた。しかし女房はこのときエーベルハルト・トルムラー式にいうならワンコにとっての感受性を刺激し過ちを冒したのだといえる。
なぜならワンコにとって食べ物は我々人間のように時に遊び半分に食すものではなく生命維持のための本能であり、ワンコにとっての日常は食べることができるかできないかの真剣勝負なのだ。なにしろ日常考えることの大半は「食べる」「食べたい」ということなのだから...(笑)。
指先ほどの小さな食べ物をもらうためにお手を繰り返し、お座り、伏せまでするのだからワンコも大変である。そしてその時の彼ら彼女らの眼を見れば真剣な眼差しであることがわかるだろう。
女房の行動はまさしくオトーサンがラテと対峙し、オヤツをあげたそれを横取りしようとする行動と受け取られたわけだ。

繰り返すが女房自身がラテに食べ物を与えるとき、ラテはきちんと女房に従い、がむしゃらに食べ物に向かって女房を傷つけることはまったくない。しかし今回の場合、ラテから見ればオトーサンからもらったオヤツに対して女房は立派なライバルなのである。
そもそもラテに対して女房は甘すぎるのであり、これまでリーダーシップ的な行動を意識的にとってこなかったこともこうしたことが起こる要因でもある。

オトーサンは初めて飼うワンコに対してリーダーシップを取らなければならないからと毎日の散歩や食事の支度は勿論、マズルコントロールやコマンドを教えるという教育を意識的にやってきた。そして最初期には危険な悪さをした時、手加減をしながらも張り倒したこともある。
勿論女房にもオヤツをひとつあげる場合も必ず「お座り!」と命令しそれにしたがったら渡すことやマズルコントロールなどをやれと言い続けたが優しい女房はただただ「可愛い」とか「可哀想」といった理窟を掲げてリーダーシップを取るべき行動をやってこなかったのである。とにかく甘い関係なのは良いが、ラテは女房を同輩か友達と思っているのかも知れない(笑)。

普段オトーサンには積極的に近寄って来ないのに女房には抱きつき、チューをし、観察しているとその視線は女房の一挙一動に注がれている。オトーサンが嫉妬するほど普段は仲が良いのである。
しかし真剣勝負の食べ物、それも三角関係のオトーサン(笑)からのオヤツを横取りしようとした(取ろうとした訳ではないのだが)女房に対してラテはその行動をたしなめたともいえる。

とはいえオトーサンとしてはそのまま放っておくわけにもいかない。事の問題を諭しても分かるとは思わないがラテを座らせ、おまえのやった行為はいけないことであり「ママに誤ってこい」と諭した(笑)。
一階のリビングとキッチンの間にある柵を開け、オトーサンが2階に上がるとラテは素直に後から付いてきた。そして2階の和室にいた女房に対して尻尾をぶるぶると振り、姿勢を低くしながら近づき、絆創膏と口元をペロペロと舐め回した...。

女房もその行為を受け、両手でラテを抱き寄せ仲直りは終わったが、食べ物がからむトラブルが一番多いのも事実なので注意をしなければならない。
まあ、人間世界だって「食べ物の恨みは恐ろしい」というではないか...。
女房にとっては災難だったが、大きなキズでなかったのは幸いだった。そしていかにお利口さんだとしても相手は人間ではないことをあらためて実感させられた1日だった。

ラテ飼育格闘日記(110)

2009年1月1日の朝は午前5時過ぎに起きた。本音は元旦でもあるし朝寝坊したいところだが、昨年同様ラテと日の出を拝もうというわけだ。とはいえ、無論ラテは日の出うんぬんなど知る由もなく、ただただ散歩に行けるのでルンルンである。

 

気温がマイナスに下がっている薄暗い中を暖かい服を着て使い捨てカイロを持ち、懐中電灯を照らしながら目的の公園へと急ぐ。その公園はかなり高地にあるので一部手前にある陸橋や木々の影になるものの朝日が昇るのがしっかりと確認できる場所なのである。

あらかじめ日の出の時刻を調べてみると6時50分前後とのことなので空が白み始めるところから眺めたいと早めに自宅を出た。
そんなオトーサンたちの都合などかまわないラテは途中の立木や街灯などなど垂直のものに片っ端から近づいてクンクンしたりオシッコをかけたりしている(笑)。本来なら出来るだけラテのクンクンを邪魔しないようにと考慮しているオトーサンだが、遠方の空はそろそろ明るくなりかけてきたので急がなければと足を速めたが、ラテはいきなりウンチだ...。

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※正月はなにかと騒がしいものだがラテはマイペースである(笑)
 

それやこれやで到着した広い公園は人っ子一人いない...一番乗りであった。

しかししばらくすると向こうに人影が見えてきた。近づいてくるその人たちは柴犬のクロちゃんとお母さん、そして少し歩調が遅れてお父さんではないか...。そのクロちゃんのお父さんに向かってラテは吠え始める(笑)。

簡単に新年のご挨拶などをしていると、ラテ最愛のワンコであるマキちゃんがお母さんと息子さん2人と共に登場。
ふと公園を見渡すとチラホラ数人の方たちもいて段々と賑やかになってきた。
ラテはマキちゃんはもとよりだが2人のお兄ちゃんたちが大好きなのでもう興奮して大変である。

そろそろ天空が明るくなり遠方がオレンジ色になりかけたころ、なんとビーグル犬のハリーちゃんがお母さんとお父さんと共に走ってくるではないか。
ラテの喜びは頂点に達し、早速ハリーちゃんの後ろ足に攻撃をかけて遊ぼうと挑発している。
ラテにとってはまさしく盆と正月が一度に来たような日となった(笑)。
ただし日が昇る前はかなり寒く、デジタルカメラを持つオトーサンの指先の感覚がなくなってくるし腱鞘炎部位が痛み出す。

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※朝日が遠くの木立の向こうから昇り始める(上)。それを仰ぎ見るワンコのお仲間たち(下)。しかし何故かラテはオカーサンに抱っこされている(爆)


しかしオトーサンはポケットに手を入れておくわけにはいかない。元旦のこのシーンを記録しておきたいと、Xactiで珍しく動画撮影も始めた...。
液晶画面を覗いていたとき、オトーサンはふとラテが我が家に来る数年前までの正月を思い出した。
女房と素敵な温泉で過ごした正月もあったし、私の両親と女房との4人と京都のホテルで過ごした新年もあった。それらは良い思い出として心に残っているが、ラテが来てからは正月はもとより家族旅行はしたことがない。

勿論ラテをペットホテルなどに預けて行くことはできるわけだが、きっと心配になって旅先で安穏とはしていられないと思うからでもある。
皆それぞれの生活があり、それぞれの心配や苦労もあるわけだが、愛犬を含む家族と共に健康だからこそこうして集まることができるわけだ。

家族で旅行に出かける正月も素敵だが、こうした平凡な正月もなかなか得難いものだとオトーサンは笑顔で雑談されている皆さんを液晶画面越しに眺めながらちょっと感動していたのである...。
朝日をいっぱいに浴びるとありがたいもので凍り付くような身体が少しずつ温まってくる。
興奮気味のラテを引っ張りながら、オトーサンたちは「2009年元旦ワンコと共に朝日を見る会」...そんな命名などはなかったが...(笑)をお開きとし帰宅を急いだ。

ところで...そういえばこの地に来て今年で3度目の正月だが一度も初詣に行っていない...。
女房の提案でラテとの散歩がてらに近隣の神社に行ってみようということになり、午後3時頃に再びオトーサンたちはラテと共に外出することに...。
ラテはいつもより早めに外へ出られることに喜びながらもまさか初詣に行くとは知らないわけで、どちらかというとオトーサンたちの足が向いた方向はワンコの美容室あるいは動物病院の方向だからか、少し腰が引き始める(笑)。
「大丈夫だよ、今日は病院ではないから」と声をかけながらリードを引くがラテはへっぴり腰だ。

 自宅から15分ほどだろうか...普段は人っ子一人いないような諏訪神社という小さな神社がある。いやもっとこぢんまりした神社もあるが初詣は賑やかでないとサマにならないからとその諏訪神社に向かった。
通りの角を曲がると点灯した提灯がぶら下がっていて数人の人たちがそちらに向かい歩いている。やっと初詣の雰囲気が出てきたと思ったが、こぢんまりした社にはさすがに氏子が御神酒を配っていたり破魔矢を売っていたりしているものの参詣人はまばらで数えられるほど。何とも寂しい...。

これまで例えば明治神宮はもとより、京都の有名どころの神社仏閣へ初詣に出かけたことが多々あるが、本殿に近づくのが怖いほどの人人人...だったがこちらはスカスカである(笑)。

しかしまあ、参詣人が少ないということは神様も一人当たりにより気を配っていただけるのかも知れないなどと罰当たりなことを考えながら社殿に近づく。

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※近隣にある諏訪神社は参拝客もまばらであった...

 
そう、問題はラテを連れたまま鳥居をくぐってよいのかと心配になった。いや、別に神様は怒らないだろうが大手の神社仏閣の中には「ペット禁止」の立て札がこれ見よがしに立っている場合も多いからだし、神殿の柱にオシッコをかけてしまってはまずいとも思って躊躇し、オトーサンがラテと共に鳥居の外で待ちまずは女房がお参りすることにした。
ただしラテが遠ざかる女房を心配したのか、はてまた慣れない場所に動きを止められているからか不安そうに「クーン」となく。

と...後ろから2匹の小さなワンコを連れた家族連れが何の躊躇もなく鳥居をくぐっていくし、それを見ていたはずの氏子たちも特に注意をしないようす...。
それではとオトーサンもラテのリードを短めに持って鳥居をくぐり、破魔矢を持った女房とラテの記念写真を撮った。
何はともあれ、今年も家族全員健康で仲良く過ごせますように...と願いながらラテの頭を突くと、最高の笑顔を返してくれた。
元旦の1日はこうしてラテと共に始まり、ラテと共に終わるのであった。

ラテ飼育格闘日記(109)

 新年明けましておめでとうございます!
ラテと過ごす正月は今年で3度目だが、最初の年は年末に我が家に来たばかりだったから無我夢中でよく覚えていない(笑)。正直この2009年の正月あたりでやっと落ち着いてラテと新年を楽しむことが出来るような気がする...。


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※心ばかりの年賀状です(笑)

 
しかし振り返ればとてつもない長い年月を一緒だった気もするが、実際にはまだ丸2年過ぎただけなのだ。
この2年の間、ラテは確実に成長した。そしてオトーサンとラテとの関係は良くも悪くも確立したように思えるが、飼い主としてオトーサンは果たして成長したのだろうか...。

2年の間、オトーサンは毎日ラテと共に歩き続け、走り続けてきた。
年に数回散歩を中止したこともあったが、その数日を除けばよくもまあ続けてこられたと自分で感心するほど毎日散歩が続いている。無論大晦日だって元旦だって散歩は同じように実行している。
そして毎日朝晩2回、ラテの食事を用意してきたし、朝夕2回の散歩から戻ると自分のことは後にしてまずラテの身体全身を綺麗に拭くことを日課としてきた。
続けてきたといえば...2年間日々ラテのウンチ処理係もやってきたことになる。
ウンチを拾い続けて2年である(笑)。

正月早々下ネタで恐縮だが、飼い主の務めとはいえこれはなかなか大変なのである。
何しろ持って帰ったウンチは当然のことながらトイレに流すことになるから、それを拾う紙もトイレットペーパーのように水溶性のものでなければならない。したがってトイレットペーパーをロールのまま持ち歩き、処理したものを別途ビニール袋に入れて持ち帰る飼い主さんもいるが、オトーサンは多少コストはかかるものの大変良いグッズがあるのでそれを使っている。

仕組みは簡単で、水溶性の紙が袋になっているその中にビニール袋が入っているというものだ。袋が二重になっているわけ...。
使うときは手をビニール袋に入れれば必然的に表面は水溶性のペーパーでウンチを掴むことができる。そしてそのまま「くるっと」裏返しにすれば手を汚さずにウンチを水溶性ペーパーで包み込み、それをビニール袋に封じ込めることができる。無論家に戻ったらビニール袋の封を開けてペーパーごとウンチをトイレに流し、ビニール袋は別途捨てることになる。

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※お陰様でラテはこんなに大きくなった!

 
こうした使いやすい消耗品があるから毎日何とか役目を果たしているが、実際はなかなか厳しい場合もあるのだ...。
道ばたには季節柄落ち葉が多い。落ち葉の中をザクザクと歩くのはなかなか気持ちよいものだが、ラテにとってもコンクリートむきだしの箇所よりそうした落ち葉の堆積した場所の方がしゃがみ込むのに具合が良いようなのだ。したがって場所にもよるもののそうした落ち葉の中にウンチをしやすいのであるがそれはオトーサンにとって大変面倒なことになる。

何故なら前記した処理袋を使ってウンチを処理すると必然的に多くの落ち葉やらがオミヤゲとして付いてくる(笑)。
そのまま持ち帰ってトイレに流せば落ち葉などは溶けないからトイレが詰まってしまうは必然だ。したがってオトーサンはビニール袋にくるむ前にウンチの周りについた落ち葉を指でつまんで取り去るという作業をしなければならないのだ...。
まあまあ愛する娘のウンチであるからして、そうした務めも仕方がないのだが問題はラテが協力的でないことだ(笑)。
処理は両手を必要とするがラテをきちんとホールドしておかなければならないからリードの輪っかを左手に巻き付けラテに「待て!」と命令してから作業にかかる。勿論自分の指にウンチが付かないようにと細心の注意を払いながら...。
とはいえラテはウンチをして楽になったのか、動きたくて仕方がないようだ。

先日などオトーサンが落ち葉が沢山付いたウンチを拾い、ラテをホールドしながら落ち葉を取っていたとき向こうから帽子を深々とかぶりサングラスにマスクをした上に両手に大荷物をぶら下げてこちらに歩いてくるオジサンがいた。
オトーサンはリードをいつもよりさらに一巻き短くしてラテをホールドしながらウンチの処理を始めた途端、ラテが「う~っ」と唸りながらリードを引っ張った。
オトーサンは無意識にリードを引き返した途端、オトーサンの左手の指は何と...ラテのウンチの中に入ってしまったのである(爆)。
そんな悪戦苦闘の毎日だが、新しい発見もあって喜びも大きい。

最近ラテに新しく覚えさせたことだが、散歩の帰りに飲み終えたペットボトル(500ml)を約120メートルほど先にある専用のゴミ箱までラテに咥えて運ばせることにした...。
もともとラテは歩きながら拾った木の小枝を咥えながら歩いたり、落ちていたゴルフボールを口にしながら歩くこともあるのであらためて覚えたこととは言えないかも知れないが、これは遊びでなくミッションである。
散歩道を自宅に戻る途中にある自動販売機の近くになるとラテはリードを引く。オトーサンは140円を散財しペットボトルの水を買う。味が好みなのかラテは “ボルヴィック”を美味しそうに飲む。

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※ペットボトルの “ボルヴィック”を美味しそうに飲むラテ

 
それは良いのだが、問題はこの飲み終わったペットボトルの捨て場所だ。
ラテと共に水を飲む場所はすでに買った自動販売機から離れていることもあり戻るのも面倒だ。
だだし水を飲んでから自宅方向に120メートルほど歩くとまた自動販売機があり、そこにペットボトル専用の回収ボックスが用意されているから毎回そこに捨てることにしている。

ラテは初日から空になったボトルを楽しそうに咥えて歩き出した。途中咥え直しのために道路に置いたことがあるもののゴミ箱まで楽々と運んだのである。回収ボックスの前で「ちょうだい...」と手を出すとボトルをぽろりと落とした。オトーサンは「いいこだ!」とオヤツを差し出しながら...「これがホントのペット・ボトルだ!」と悦に入った次第(笑)。

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※空きボトルを咥えて運ぶラテだが...

 
翌日もラテは自動販売機の前で水を飲みたいとリードを引くので同じように空いたボトルをラテに運ばせた。
ラテは最初、ボトルのボディを咥えていたがそのうち顎がくたびれたのか、一度道ばたに落とした後に飲み口の細い部分に咥え直してまたまた歩き始めて無事に回収ボックスまで運んでくれた。
数日同じようなことが続いた日曜日の夕方、女房と共にペットボトルを運ばせたとき、どういうわけかラテはボトルを数回道ばたに落とすのである。

いつもと同じボトルだし、いつもと同じ道だがどうもやりにくそうでとうとう回収ボックスに至る前に放り出してしまった。
その後数回ラテにミッションを遂行するようにとボトルを差し出したが、どうも...嫌らしい(笑)。まあ、そういうこともあるよとオトーサンは気にも留めなかったが翌日のラテの行動には舌を巻いたのである!
散歩から戻る途中でいつもの自動販売機の前を通ったが、どういうわけかラテはリードを引かないのだ。オトーサン自身はあまり咽が渇いていなかったし「140円もうけた」とほくそ笑みながらその場を通過した。ラテも咽が渇いていなかったのだな...と思いながら。
しかしそこから120メートルほど歩いた例の回収ボックス隣の自動販売機の前を通過しようとしたとき、ラテはリードを強く引きオトーサンを見上げるのだ。明らかに水が飲みたいというサインである...。

オトーサンはラテの小ずるそうなその表情を見て閃いた!
ラテは先の自動販売機で水を飲めば、その空きボトルを運ばされる。しかしここの自動販売機で飲めば運ばされることはないことを計算したのだと...。
オトーサンはペットボトルの水を美味しそうに飲むラテを眺めながら笑いが止まらなかった!
いや、これはオトーサンの思い過ごしかも知れない。そう思いながらもラテの行動を考えるとやはり空きボトルを運びたくないための行動だと考えた方が合理的に思えるのだ。

オトーサンの思いは翌日に裏付けられた...。その日はラテも自動販売機の前でリードを引いたのでペットボトルを買って水を飲んだ後でその空ボトルをラテの鼻面に差し出した。しかし嫌がって咥えないのである(笑)。
飽きっぽい娘としては数度のことで嫌になったのかも知れないが、なにか知恵比べをしているようで楽しくなってくるではないか。

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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員