ラテ飼育格闘日記(117)

最近は多少なりともワンコに関する科学的な考察も進んできたようで、一昔前の定説オンリーのような躾やトレーニングは流行らないようだ。しかしワンコの心理的なことや能力に関してはまだまだ研究が至らないのか分からないことも多い。そうしたことが理由でワンコの飼育方法ひとつをとっても様々な説があり、多くの人たちが真反対のことを力説している。

 
ラテが我が家に来て早くも2年3ヶ月になろうとしている。その間オトーサンは悪戦苦闘の中で恥ずかしいほど膨大なトレーニングや飼育あるいは犬とはどのような動物なのか...といった本を読み、インターネットで躾に関する情報を集め、その中から自身で納得できるあれこれを実践してきた。
そのおかげもあってかラテは基本的に良い子に育ったと思うしこれはという問題行動も今のところ現れてこない。ただしオトーサンは今のままで十分だと思っているわけではなく、もっとより良い方法でラテとの信頼関係の絆が太くなるよう努力をしたいと思っているのだ...。

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※オトーサンの腕に前足を回しておやつをねだるラテ。これも絆か...(笑)

 
そうした情報を集めている中で一番の問題はワンコの躾や問題行動を扱うプロという人たちのもの言いが真逆な場合が多々あることだ。ただし多くの本や資料などを比較してみるとプロフェッショナルといっても職業というか立場によっても意見が異なることも分かってきた。
例えば私たち一般の飼い主から見てまず接触しやすいのが動物病院の医師があげられる。最近は動物病院でもワンコの躾に関してサポートするところも多くなってきたし同じ事はワンコの美容室などでもいえることだ。
これらの職業に従事する人たちは日々多くのワンコを扱い、特に獣医はワンコの生体や病理学的なことに対して文字通り専門の知識を持っているはずだがトレーニングに関してどのような勉強をしてきたのだろうか...。

ワンコの専門家は他にも多々存在する。ブリーダー、ペットショップ、動物行動学・心理学研究家、訓練士の方たちはもとより科学者・作家・ジャーナリストもワンコに関する著作を手がけている場合も多い。これらにオトーサンも含めていわゆる飼い主自身が多くの情報を提供しているわけでその内容が一定であるわけはない。
なぜなら例えばドッグトレーナーと動物行動学者とではワンコに対する立場そのものが違う。
動物行動学者は行動の社会的、生理的、神経学的要因を扱う専門家であり遺伝的要因を含めてその進化などを研究する立場だ。対してドッグトレーナーは文字通り、いかにしたらワンコを飼い主の思い通りにコントロールできるかを実際に見せなければならない職業だ。理窟や論理ではなく、いまリードを強く引き飛びついたりして散歩もままならないワンコがいたとすれば、その飼い主にとっての問題行動を実際に無くすのが仕事だ。
結局極端なもの言いをするなら、ワンコに対する向き合い方や目的が違うわけで、ワンコへの理解や接し方もおのずと違ってくるわけだ。
それに、少し前までのワンコの躾やトレーニングに関する本の多くは海外の著作や情報からの受け売りやバリエーションが多く、事の良し悪し以前に情報の信憑性が疑われるようなものもあった。

野村獣医科Vセンター院長の野村潤一郎氏はその著書「Dr.野村の犬に関する100問100答 /Part2」で「全てを否定するわけではないが」と断りながらも「外国の本の孫引きを繰り返して出来上がった多くの飼育本は愛が不足している」とした上で、「原文でないと伝わらない微妙なニュアンスが欠落したり、全くのコピーにならない配慮から無駄な装飾が付け足しされ、さらに多くの誤訳が加わってアホにターボーがかかっていることが多い」とその種の本をこき下ろしている(笑)。
結局ひとつ大きな問題を取り上げるとすれば、「ワンコは飼い主との間で支配性を争うのか否なのか」が焦点になるようだ。
というわけでオトーサンは最近ワンコの行動ならびに躾に関する気になる2つのアイテムを購入した。

ひとつはナツメ社刊「図解雑学/イヌの行動 定説はウソだらけ」(堀明著)という本、2つ目はGoogleのアドセンス広告などでよく見かける「あなたの愛犬が見違えるほどいい子になる 森田流 犬のしつけ法」という5枚組DVDである。

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※ナツメ社刊「図解雑学/イヌの行動 定説はウソだらけ」(堀明著)表紙

 
正直「○○のしつけDVD」といったものはこれまでその内容はともかく、素人がパソコンで自作したようなものを販売しているケースが多く今回もどんなものが送られてくるか気になったが、実際には一般店頭で市販されているのと同様な立派なDVDパッケージと製本されたA4判Bookがついてきたのでまずは安心した。

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※「あなたの愛犬が見違えるほどいい子になる 森田流 犬のしつけ法」5枚組DVDパッケージ

 
さて、幾たびか書いてきたが、オトーサン自身にとってもこれまでのワンコのしつけ方や飼い方に関して疑問と思う点が多々あったので「図解雑学/イヌの行動 定説はウソだらけ」という本はその書名どおりこれまでの考え方はウソ...間違っているという正しく胸が晴れるようなタイトルの一冊である。ただし飼い主にとって本書のような心地よい説が果たして真実なのか...ということになると無論それは分からない。

例えば「ワンコがリードを強く引く」といった件ひとつでも「支配性を主張している」という立場を取る森田誠氏と単に「早く目的地に行きたいという犬の欲求に過ぎない」という立場の堀明氏はまったく違った見解である。さらに堀明氏は「犬が自分をリーダーだと示したいから」といったこの種の定説を「支配と服従の理論に凝り固まった人たちのいいだした誤解」と切り捨てている。
当然のことながら見解が違えばそれに対処する方法も違ってくるわけで、これでは善良な素人のオトーサンは困ってしまうわけだ(笑)。
もしラテが喋れるのならひと言「お前はどうなんだ?」と聞けば済むことだが、ラテは黙して語らない。

オトーサンの立場はあくまで自分の責任において納得できるものを採用し、かつそれぞれの良いと思う所だけを組み合わせ工夫してラテの躾に応用することを実践してきた。したがってある意味では独自の方法であり、もしかしたら松田流といえるかも知れない(爆)。
プロのドッグトレーナーであり「TVチャンピオン2 ダメ犬しつけ王選手権優勝」という強力な実績をアピールしている森田氏、そして動物学研究家で犬を放し飼いできる牧草地(八ヶ岳)「犬の牧場」で、500日にわたり、群れで生活する127匹の犬たちと寝起きを共にし、2000回を上回る犬同士の接触状況を詳細に観察したという堀氏であるからそれぞれのやり方や考え方はそれぞれが自身の体験から導き出したノウハウには違いない。しかし考えてみればオトーサンだってそうしたもの言いをするなら、「800日も一匹のワンコと寝起きを共にしてその日常のすべてを観察し、日々会う仲間のワンコとの接触や葛藤をつぶさに体験...」といったことには間違いない(笑)。

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※ラテは好奇心旺盛なワンコである。遊歩道柵にデザインとして取り付けてある鳥の彫刻を覗き込んでいるところ

 
ところで森田流のしつけに関して本来ならもう少し踏み込んでその長所短所を紹介したいのだが、残念ながら少々極端とも思える著作権に関する記述があり、損害賠償額まで記してあるので(タレコミした人に報酬を提供することまで書かれている)内容に触れることは念のため避けるしかないのである。
ともかくその内容はさすがにトレーニング専門家であり、大いに見るべく所...参考になる部分が多かったことは事実だが考え方の基本は前記したように従来からの定説であるワンコの支配性うんぬんをベースにしたものだけにオトーサンは一部違和感を覚えるし、いわゆるトレーニングに関わる「飴と鞭」に相当する森田流独特なトレーニング表現・命名もどこかしっくりこない。さらに「鞭」をカバーする目的の「飴」が何故犬の心にプラスに働くかに飛躍があるような気がしてよく理解できない。
どうも抽象的なもの言いになるが、これは著作権者に配慮したからでありご了承いただくしかないが、これでは他人に勧めることもできない(笑)。
とはいえ面白いと思ったのは森田流のしつけDVDを勉強のためと一通り真摯な気持ちを持って観たが、ワンコに対する接し方の妙は当然プロには及ばないものの、ラテに対して接してきたしつけのやり方の根本はオトーサンもいい線いってたようだ。

しかしオトーサンは甘いのだろうが、ラテ...犬の本能を片っ端から取り上げてしまうようなトレーニングにはどうも本気になれないのである。
人と一緒に生活するからにはいわゆる社会性を持ち周りに迷惑をかけないことが前提ではある。それは確かにそうなのだが、私たちはワンコと一緒に生活したいのであり、単に言うことを聞くだけの生きものと一緒にいたいわけではない。それに森田流の「犬たちに自由という権利を与えるため」とはいえ本能の多くを否定されたそんなワンコはワンコ自身幸せなのだろうか?
オトーサン自身もそうだが、昨今はワンコのしつけというものに神経質過ぎるのかも知れない。一昔前の飼い犬なんてほとんど放し飼い同然だったけどあまりトラブルがあった記憶がないのだが...。

まあ「ワンコの祖先はオオカミ説」や「犬は上下関係が厳しい縦社会で生活する生きものだから強い者には従う」という説は米国の有名なドッグトレーナーであるシーザー・ミラン氏などに通じるこれまでの定説なわけで、「図解雑学/イヌの行動 定説はウソだらけ」の著者である堀明氏やムツゴロウ動物王国の石川利昭氏などとは正反対の説なのだ。
したがって相変わらずワンコに関して真っ向から意見の違うしつけを唱える “専門家” に我々愛犬家は戸惑い続けなければならないようだ。

なにが本当で誰が正しいのか...。しつけとか教育は単純にリセットややり直しが難しいだけにこの混乱は洒落にならないのである。

犬のしつけ教室/わんわんスタジオ

イヌの行動 定説はウソだらけ (図解雑学) (図解雑学)

Dr.野村の犬に関する100問100答〈Part2〉

ラテ飼育格闘日記(116)

毎日ラテとの散歩の中でいろいろな愛すべきワンコたちと遭遇する。中には餌をもらえることを覚えていて飛んでくるワンコもいてその可愛いこと...。しかしそれらの多くのワンコたちの中でもどういう分けかラテは感情表現が豊かでオーバーなのは本当に興味深い。


もともとラテを里親として引き取ることを決めたとき、それまで保護してくれていたボランティアの方からラテの特徴として「甘え上手」そして「感情表現が豊かというか、オーバーというかはっきりしている」ということを聞いていた。
最初はワンコにもそんなに違いがあるのか...と気にもしなかったが、我が家に慣れてくるにしたがって確かにその表現力が豊かであることが次第に分かってきた。無論オトーサンはラテが最初の飼い犬だから前例と比較するわけにはいかないが、毎日さまざまなワンコと会い、つき合っているとその違いがはっきりと分かってくるのである。
その感情表現はときに他の方に失礼になるようなときもあるが、皆さん可愛がってくださるしオトーサンもそれはラテの個性だからいたずらに禁止して萎縮させてはならないと考えるようになってきた。

とはいえ、ラテは五月蠅いワンコ...ということでは決してない。
毎日の生活の中でいわゆる無駄吠えが目立つこともないし、暴れたりすることもない。
出窓のたたきで外を行き交う人たちを眺めながらウトウトしているラテは何ということもない普通のワンコである(笑)。そんなときオトーサンが「ラテ!」と呼ぶと眠そうな、実に眠そうで瞼が腫れぼったいような目つきでこちらを眺め、特に感情表現がオーバーということもない。しかし相手次第...それは好きなワンコは勿論だが女房や公園で会う可愛がって下さる飼い主さんたちに出会うとそれはそれはオーバーと思うほどの行動、表現をとるのである。

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※休日の朝、天気が良ければ雄のボーダーコリーと遊ぶのを楽しみにしているラテ

 
例えばである...。
ラテのリードを持ち歩いていると数十メートル先にいつも「ラテ、おいで!」と声をかけてくださる方が他のワンコにおやつをあげている。それを目敏く見つけたラテはリードを引きはじめオトーサンの方を振り向き「早く行こう」というサインを出す。
とはいえ駆け出すのもはばかれるからオトーサンはリードをコントールしながらその方に近づくが、ラテが近づくのを知り「ラテか。おいで...ラテ」と声をかけてくれる。
オトーサンがリードを緩めるとラテは喜んで飛んでいくが、飼い主さんに触れるほどの近くになるとラテは身をよじり、頭を低く腰を上げて短いステップを踏みながら「ウォ...オオオン」と吠える。
それは身体全体で喜びを表しながらも「早くおやつを頂戴」と催促しているようでもある。
その飼い主さんも愛犬家であるから、ワンコの扱いはさすがである。きちんと「お座り」ができないとおやつをくれない。ラテもおやつを食べたい一心でお座りをする。
無論他のワンコもおやつを貰えるとなれば喜んで集まってくるし飛びつこうとするワンコもいるが、ラテはそれらのワンコたちの中でアプローチのやり方が一番オーバーアクションなのだ(笑)。

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※ラテもかなりの運動量を必要とする。たまにはこうして全速力の走りを体験さなければならないがオトーサンは付いていくのが大変だ

 
それから以前にもご紹介したとおり、ラテは子供に出会うと大げさな喜び方をする。ワンコの中にはいたずらに追い回されることなどを嫌って子供を避ける場合もあるが、ラテは真反対に子供が大好きなのである。
それもそれまで会ったこともない初対面の子供に対しても大げさと思えるほどの喜び方をするのはこれまた周りの他のワンコで見たことはない。
尻尾は高く上げてブルブルと振り、耳を倒しお尻を高めにしてほふく前進のような姿勢...それも嬉しさを全身で表すように身体をよじりながら口を開け、満面の笑顔で子供たちに近づくわけだが、ワンコが嫌いな子供たちからするとその様は恐ろしく映るのかも知れない。したがって大概顔見知りの子供以外は避けて通るが、その時のラテの落胆たるやオトーサンから見ても気の毒なほどだ。
しかし中にはワンコを飼っているのだろう...ラテに手を差し伸べてくれる子供もいる。そんな時、ラテの喜びようは大変なものでオトーサンは思わずその子供に「ありがとう!」とお礼を言ってしまうほどだ(笑)。

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※通学途中の女の子に手を差し伸べてもらい嬉しそうに臭いを嗅ぐラテ

 
なお公園に可愛がってくださる方の子供さん(女の子)が来るとラテはまっしぐらに飛んでいく。それも...例えばお母さんと子供さんが並んでいるとして、ラテが駆けてくるのを知って「ラテ、ラテ」と手を広げてお母さんが待ち受けてくださるのを尻目にラテは子供さんの方へ飛びつく...。勿論オトーサンとしてはリードを適当に引き、服を汚さないように配慮するが足元に伏せてお腹を見せたり、チュー攻撃までするというありさまだ。
さらに頭を下げ、腰を高くする遊びのポーズで誘いながら子供さんの周りをひとり全速力で駆け回る。
お母さんは「やっぱり、若い方がいいのかなぁ...私も昔は若かったんだけど」と笑ってくださるが、いつもは喜んで飛びつく大人の飼い主さんよりその子供さんの方が好きなのだから面白い。

ところで、一般的にワンコの喜び方はどんなものなのだろうか...。
仲間のワンコたち...特に中型犬や大型犬を観察している限り、人に対しての喜び方は様々だとしても大概が尻尾を振りながら近づいたりお座りして「ワンワン」などと吠える程度のように思える。
まあ、その程度がいわゆる行儀が良いワンコの範疇なのだろう。中には飛びついたり抱きつくワンコもいるが、そうした行為こそものの本によれば概して放置してはいけないこととされている。しかしラテにしても子供であれ大人であれ、知らない人に対して闇雲に飛びつくわけではない。反対に初対面の大人には警戒し吠えることの方が多く、子供相手のように誰に対しても喜んで向かっていくわけではない。あくまでこれまでラテを可愛がってくれた飼い主さんならびに一緒に公園などに来られるワンコの扱いに慣れているファミリーなのでオトーサンも気を許していられるのである。

そて、嬉しい場合にその感情をあらわにするだけ、嫌いな時はその反動かこれまた大げさだ(笑)。
申し訳ないことだが、喧嘩を売られたわけではないのにたまに会うマスティフ犬に対しては異常とも思える反応をするラテなのだ。
何しろ面と向かったら唸り吠え続けるし、そのワンコが去った後も後ろを振り向きながらまるで捨て台詞のように「ウ~ウァン」と繰り返し断続的に吠える。
オトーサンとしては相手の飼い主さんに気の毒だからなるべく対面させないように工夫しているが、直前に去っていったそのワンコの臭いだけで猛烈な反応をするのだから困ったものだ(笑)。姿も見えないのに何か勝ちどきをあげるように声高らかに吠え続け歩く姿は滑稽の極みなのだ。

表現がオーバーといえば、好き嫌いだけでなく甘え方もなかなかなものだ。
なにか怖いことがあったりするとその18.5Kgの身体をオトーサンたちに預けて「抱っこしろ」とせがむ。それもラテの抱きつき方は一般的なワンコが抱かれるのとは違い、まるで人間のこどものように腹をオトーサンの胸に合わせ、両手をオトーサンの両肩に置くという姿勢なのだ。

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※ラテはオトーサンに抱っこされてご満悦であるがオトーサンは...重くて大変なのだ(笑)


小型犬ならともかく中型犬、それもかなり太めの大きなワンコが抱っこされている姿は妙なものかも知れないし事実他に見たことはない(笑)。
それに室内にいるとき、出窓のたたきに昇り外を眺めるのが習慣となっているが、そのたたきは狭いし確かに滑るので激しい動きは出来ない。だから床に降りるとき、滑るからだろう...かなり慎重な行動を取るラテだ。そして自身で飛び降りることができないほど高くはないし事実飛び降りている。
ただし、たまたま甘えたいときなのだろう、自身で飛び降りずに「ピィ~ピィ~」と鳴き、降ろしてくれと哀願するときも多い。
オトーサンは両手を前に差し出すとラテは身体全体を預けにくる...。まあまあ過保護丸出しだがそれを喜んでいるオトーサンも困りものである(笑)。

SOHOと言えば聞こえは良いが「一人の仕事術」考察

そういえば一時はSOHO...SOHOと騒がれたが最近はあまりこの言葉を聞かなくなった。それはともかく最近会社を辞めて独立したり定年を契機に新しい仕事を一人で始めた友人知人たちが目立つようになった。しかし口々に一人の仕事は思ったより楽ではないとぼやく...。今回は「一人の仕事術」といった話をしよう。

 
私たち団塊の世代が定年を迎える時代である。しかし現在の60歳はまだまだ健康であれば働けるしまた働かなくてはならない。
友人や知人たちの中には何らかの形で再就職する人たちも多いが早期退職した幾人かは良い機会だからと自分で思うような仕事を始めている。その仕事の内容や売上がどうのこうの...という話は横に置いておくとして、彼らが一様にいうのは当初考えていたより一人でやる仕事はなかなか難しいということだ。

私自身は2003年に会社をたたんでから良くも悪くも一人で仕事をするはめになったから、早くも今年で6年目になる。彼らよりはSOHO先輩格だからか、先日そうした人たちとの話の中で「一人の仕事術」といったことに対して意見を求められた。

それまで30年以上もの間、大小はともかく組織の中で仕事をやってきた一人としては一人で仕事を始めたとき、確かに戸惑うあれこれに遭遇した。
実際にそうした環境に置かれる前に想像していたことといえば、まず自宅を事務所とするなら「通勤から開放される」という安堵感があった。そして自分一人なら上司も部下もいないわけで、厄介な...実に厄介な人間関係を気遣う必要もないということになる。

持論だが、会社というのはおかしなもので、業績がよく順調なときには人事の問題で悩み、人事が順調なときには業績悪化で悩むものだ。結局いつも人と金の2つの問題で経営者や責任者は頭が痛いわけだから、自分一人が喰っていければよいと腹をくくれれば気が楽になると考えても責められまい...。
そして時間だって十分あるはずだし、その配分だって自由に使えるに違いない。さらに自身の責任において他人の意見に惑わされず思った通りのことを思った通りに進めることができるわけだから精神的な圧迫も少ないはずだ...。

ほとんどの人がSOHOというか、一人で仕事を始めようとするときこうしたイメージから利点ばかりを期待するケースが多いと思う。
事実世の中には最初から自身の能力を最大限に活かし、一人で世間を相手に立派な業績・実績を残している人たちもいる。だから自分もやり方次第で頑張れば組織ではできなかった類の仕事も可能になると考えても不思議ではない。しかし現実はそうそう一人で仕事をやろうとする人に楽をさせてはくれないのである。
ではどんな問題点があるのだろうか...。

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※その昔、先輩に「仕事は名刺でするものではない」と言われたけれど、それは大会社の看板に寄りかかってはいけないという意味だった。寄りかかるもののないSOHOではまず名刺からビジネスを始めるしかない(笑)

 
まず最初に考えなければならないことは、古くさい言い方だが自分をコントロールする強い意志を持たなければならないことだ。そして組織内での仕事以上に仕事の手順を明確にし、優先順位をはっきりさせないと混乱の極みとなる。
なぜなら基本的に通勤もないしタイムカードもない。気を使う同僚もいないとなれば、クライアントから電話で起こされるまで寝ていてもそれは誰も文句はいわない(笑)。
また飯を食いながら仕事しても、あるいは就寝の時間を無視して仕事を続けてもこれまた自由だ。しかしこんな行き当たりばったりの生活を続ければ早々身体に異変を起こすに違いないし効率もあがらない。

次に気づくことは一人でいるのは大変刺激が少ないということだ。
日々インターネットでニュースを覗いているだけではすぐに飽きてくるに違いないし、物事は目的があって初めてやる気がおきてくるものだから、モニターを「ボーッ」と見ているだけでは情報も刺激にならず、あっという間に呆けるかも知れない。

自由気ままに数週間も過ぎると何だか離れ小島に流されたような妙に寂しい思いが膨らんでくる...。
ふと思い出すと辛いと思っていた通勤時の中吊り広告でさえ懐かしく、そんなものもそれなりに大切な情報源だったと気づく。

とにかくパソコンの前に座ってインターネットにアクセスしていれば情報が入ってくると思っていたら大間違いである。重要なのは良い意味での刺激になる情報の求め方だ。
意識して自分の頭脳に良い意味の刺激を与え続けることを考えないと仕事に対する意欲も減退する。ここが勝負所であろう。

実は私が犬を飼い始めたひとつの理由はここにあるのだが、そのことはまた別の機会に譲るとしよう。
またそれらに関連し、当然のことながら会話すなわち喋る機会が極端に少なくなる。一昔前ならビジネスは人と面と向かわないまでも電話でやり合うのが普通だったが、近年は電子メールでほとんどのことが済んでしまう。
そんなわけだから会話の機会がグンと少なくなり、中には自分では意識せずに独り言が多くなるという人もいるくらいだ。

それから特にこれまでずっと組織の中で働いてきた人は、些細なことほど多くの人たちに支えられて仕事が遂行していたことを嫌でも気づかされるだろう。
例えば封筒への宛名書き、郵便物の投函、宅配便の準備やピックアップの依頼、見積書や納品書あるいは請求書作りは勿論契約書などの法的文書の作成、コピー1枚撮るのも当然だが自分でやらなければならない。ボールペン1本、プリンタインクひとつでもこれまでなら総務部に連絡すれば揃えてくれたかも知れないが、ひとりになれば自身で買わなければならない。

仕事って...こんなに雑事が多かったのかとあらためて思うに違いない。
さらに務めていたとき、例えば勤務中時間調整のためにコーヒーショップに入って一杯のコーヒーを飲むことはそれなりの癒しになっていたはずだ。コーヒーショップでなく本屋でもよい...。
駅構内の小さな本屋で一冊の本を探しているときなどそれはそれで「サボっている」という感覚も含めて仕事から解放され安らぎを覚える一瞬に違いない。しかし一人になって同じことをやったとすると理窟では例え半日コーヒーショップに入り浸っていても誰も文句は言わないはずだが、他の人が働いているときにこんなことしていて良いのか...と妙に後ろめたい気持ちがついて回る。
まあまあ...人間というのはどんな立場にいてもなかなか一筋縄に達観はできないものらしい。

またこう言っては何だが、例えば長い間営業一筋...といったビジネスマンがいたとしても意外と世間を知らない場合も多い。
いや...自分の仕事そのものに関してはプロフェッショナルなのだが「会社・企業は物を販売すればそれで済む」といったことを無意識に身につけてしまった類の人もいる。しかしそれが何であれ、ビジネスは対価となる支払をきちんとしてもらい利益を得て初めて成り立つものだ。そうした当然のことをないがしろにし、相手をよく見ずに売上を焦げ付かせたり、入金より先に支払をしなければならないはめになったりという苦労をしている人たちも多い。

それから、年長者が会社を辞めて1人仕事を始めるという事がそもそも大変不安定な生き方となることは知るべきだ。会社というバックグランドがなくなり、部長とか課長と言った肩書きもない。そんなオヤジが形どおりの名刺を作って歩き回ったとしても相手にしてくれる人は希だ...。昔の関係者以外は誰も貴方のことなど知らないわけで、相手にされないことに愕然とするかも知れない。

例えば昔のコネを利用しようと思っても、それまで会社の一員であり部長や課長という立場だったからこそ取引先も相手になってくれたが、1人では体よく付き合いは断られて当然だ。ましてやサラリーマン時代に企業の看板を盾にして取引先に無理を言い、それが自分の能力による成果だと考えていたような奴はそれこそ掌を返されるだろう。

そこで初めて組織の意味や会社の看板の有り難さや重みに気がつくのでは遅いのだ。世間にとって自分がいようがいまいがどうでも良いということに思い至って愕然とするし、思わず「元○○商事の営業一課課長だった鈴木です...」と昔の会社の名前を出さざるを得なくなる...。敗北感を味わう瞬間である。

さらに組織では自分のミスや至らなかった部分を他者が変わってやってくれたかも知れないが、一人の仕事はすべて自身でゼロからやり遂げなければならない。したがって仕事のやり方は勿論だが資金の流れやその確実性に気を使いすぎてまずいことはないのである。
いやはや、意外にSOHOも気苦労が多いということだ。

それにサラリーマンなら交通費は支給されるし大手の場合なら昼食も一部負担あるいは社員食堂で安価に食べられる企業もある。しかし個人では打ち合わせのために電車に乗ろうが車で出かけようが電車賃やガソリン代は100%自己負担だ。それでも打ち合わせの結果、仕事になればなにがしかの額が入ってくるだろうが、世の中そんなに甘くない。そもそも打ち合わせの相手がサラリーマンならそうしたコスト感覚がないことが多く、時間と経費をかけてこの場にいることを察していないケースが多く、気楽に付き合ってはいられない...。したがって付き合いは大切だが、安易に振り回されることのないようにしなければならない。

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※時には大きな組織が懐かしくなる...かも


ひとつ具体的なアドバイスとしては、落ち込んだときあるいは困ったとき気軽に電話できる友人関係を作っておくことをお勧めする。それは具体的な解決策を授けてもらうということでなく大切なのはあなたの仕事と個性を理解して親身に話を聞いてくれる友人だ。無論飲み友達でそうした仲間がいるならなお良いだろう。

確かに仕事は一人でできるかも知れないが、その小さなビジネスにしても側面や裏側で様々な人たちが動いていることを忘れてはならない。
そして事実気のあった人たちと組んでやる仕事ほどうまく行くものだし、良い結果となることが多い。
だからなんでも自分一人でできると思い込むほど、危険なことはないのである。自分の不得手なことは他の人に手伝ってもらうことがお互いに良い仕事をそつなくこなす仕事術の極意なのかも知れない。

そして最大の問題は家族...特に奥さんの理解を十分に得なければ仕事どころか家庭崩壊、熟年離婚にも発展しかねない(笑)。いや笑い事ではない!
「亭主元気で留守がいい」ではないが、これまで朝出勤して夜帰宅するというリズムがあったのに、亭主がずっと家にいるだけで奥さんのストレスは確実に増すに違いない。

自宅で仕事を始めたのはよいが、奥さんとの衝突が多く、これなら会社のやつらとやり合っていた方がマシだった...ということになってはマズイのである。
特にそれまで奥さんを空気みたいな存在にしか認識していなかった旦那は、つい奥さんを自分の部下代わりに使おうとする人も多いようだ。

やれ、あれを買ってきてくれ...銀行に行ってくれ...などなどと...。
一人で、それも自宅で仕事をやろうとする男は、1週間のうち数日でも良いから夕飯の支度をかって出るくらいの覚悟と決意が必要だと思わなければならない。
奥さんに疎まれる一人仕事など、長くは続くはずがないではないか。
頑張りましょう...ご同輩!


ラテ飼育格闘日記(115)

愛犬と共に生活するとき、いろいろと困惑することがあるが、そのひとつに夜泣き...すなわち夜に吠えたりすることではないだろうか。日中であればどうということもない場合でも近隣が就寝する時間帯に吠えれば飼い主としては気が気ではない。事実そうしたトラブルを抱えている飼い主さんもいらっしゃるかも知れないが、最近ラテは驚くほど良い子なのだ。

 

ラテを飼い始めたとき、一番苦労したのは寝場所の問題だった。物の本によればクレートとよぶハウスで眠るようにトレーニングすべしとあった。
問題はそこで寝るか寝ないか以前に、当初そのハウスにラテはなかなか入らなかったのだ...。
幸い夜泣きは少なかったが、ラテが常駐する場所はリビングであり、日中であれ夜中であれそこにオトーサンが近づけば目敏いワンコは目を覚ましてしまう。実際当時マッサージチェアで寝ていたラテは寝心地はともかく、本当の意味で自分だけの場所を得てはいなかったに違いない。

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※草むらに鼻先を突っ込むラテだが、まだまだ朝の散歩には懐中電灯が欠かせない

 
ハウスの中は動き回るほど広くなく確かに狭いが、ワンコは狭さは苦にならないのだという。それよりそこに入っていれば他のエリアを気にすることなくゆっくり身体を休め、あるいは熟睡することができるはずだ。そう思ってオトーサンはいかにしたらラテが好んでハウスに、それも自発的に入るようになるかを考え続けてきた。しかし「親の心子知らず」ではないがなかなか理窟通り上手く行かない日が続く。
気の短いオトーサンはある日、入りかけたラテのお尻を押して無理矢理ハウスに入れようとしたのがいけなかったのか、それ以後しばらくはハウスに入る兆候さえ見せなかったのである。
そのハウスに入るようになったのはやはり食べ物の力だった(笑)。

とにかく朝夕の主食は勿論、おやつをあげるときには常にハウスに入らないともらえないという学習に徹することになる。無論おやつを見せたからといって進んでハウスに入るのは後のことで最初はおやつをハウスの中に放り投げる...。するとラテはすかさず頭だけハウスに入って後ろ足はハウスの外に踏ん張りながらおやつを咥えるというワザを編み出した(笑)。
これはおやつを食べている間にハウスの扉を閉められないようにという作戦なのだろう。しかし今度はオトーサンも無理矢理押し込むことはまったくやらないでとにかくハウスの中でしか食べ物は出さないということをしばらく続けていくうちに前足だけでなく後ろ足もハウスの中に入れるようになった。

次のステップはオトーサンたちがおやつを見せるとラテは進んでハウスに入るようになっていく。ロックはしていないがドアが閉じているとそのドアを前足で上手に開けて自分から入っていくようになった。こうなると正直いろいろと助かる場合が多い。
後に6時間程度の長い間留守にするときはオシッコが自由にできるようにとリビング内を自由にさせておくこともあるが、やはりオトーサンたちとして安心できるのはハウスに入ってもらうことだからだ。リビングで自由に...となると少なからず出窓に陣取って向こうの遊歩道を行き交うワンコや怪しいオジサンたちに吠えることもあるだろう。そしてなによりもハウスに入ると基本的にラテはよく眠るのである。やはり安心できるのだろう。
だからオトーサンたちがラテをハウスに入れたいと思ったら、お気に入りのおやつをリビングに持ち込みラテに見せて「ハウス!」といえばよい。よほど機嫌の悪いときでない限りラテは素直にハウスに入っていくようになった。

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※相変わらず好奇心は旺盛で、後ろ足だけで立ち上がって上をのぞき込むのは毎度のことだ

 
なんだかんだとここまで2年ほどの時間が必要だったが、実は最近逆にオトーサンたち自身が面白くないほどラテは自分の住み処であるハウスをお気に入りのようなのだ。
その日により、ラテの行動も違うものの例えば朝の散歩から戻り、玄関で身体全身を綺麗にして「良し!」といえばラテはリビングに入っていきそのままハウス内でおやつが出るのを待っているのである。
その後ラテをハウスから出すのはオトーサンが昼飯のときだ。無論オトーサンの食べ物をラテにあげるのではなく、トーストを焼くとかラーメンを作るといった何らかの臭いがリビングに続くキッチンでやるわけでさすがにラテも気になり出たがるからである。そしてオトーサンが食べるのと同時にラテ専用の昼用メニュー(例え煮干しが3匹でも)をあげるようにしている。これで満足とはいかないがなにがしかの納得をするようだ。

その後リビングの出窓のたたきに陣取り、差し込む柔らかな日差しにあたりながらウトウトしたり、マッサージチェアで居眠りをしたり、あるいはまたまたハウスに入ってしまうこともあるが、夕方の散歩までラテの自由時間となる。
この間、オトーサンが2階から度々降りてきて、コーヒーや紅茶を入れたり、煎餅をかじったりする度にラテは頭をもたげてオトーサンを見入る。その表情があまりに可愛いのでついついビスケット(ワンコ用)を差し出してしまったりすることも多いのだが...。
そのラテも夕方の散歩に出かける時間になると五月蠅く騒ぎ出す。といっても「ワンワン」と声高に吠えるのではなく実に繊細なそして多様な鳴き声を発して「早く散歩に行こう」と哀願するのだ。
その声は最初「ウォン...オーン」とワンコらしいが、そのうち「ピィー...ピィー...チチチチチ」とまるで鳥のような声を出す。これは典型的な哀願と甘えなのだが、放っておくとそのうちさも残念だというように「クウーン」と悲しそうな声を出し始める。
オトーサンがやっとリードを持ってリビングに入るとラテは嬉しそうに自分の頭をオトーサンに押しつけて早くリードをつけろと催促する。

こうして夕方の散歩が始まるわけだが、帰宅して身体を拭いた後はまたまた進んでハウスに入ってしまう。
通常はそのままオトーサンたちの夕食時間までハウスで静かに休んでくれるので助かるのだが、あれほど「いかにしたらハウスに入ってくれるか」で苦労したことを忘れるほど最近は贅沢な悩みにとらわれている。

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※夕食後、ラテはハウスに入らず床でウトウトすることもあるが最近では珍しい...


それはラテはこの後自分の夕食を食べ、タイミングがオトーサンたちの夕食と一緒だとひとときおこぼれをいかにしたら貰えるかと画策するが、この辺までだと判断するとソソクサとリビングに行きハウスに入ってしまうのである。
「おい!ラテちゃんよ...それはないだろう!」と思うのだ。これではまったく飼い主として至極つまらないではないか...(笑)。
以前なら夕食が終わった後のひととき、ボールで遊んだり、引っ張りごっこをしたりしてラテと楽しんでいたが、最近は食事が終わると即ハウス行きなのである。それもウィークディには夕食が遅くになりがちであり、午後8時とか9時になった場合はそれもいいだろう。しかしたまたま休日で食事時間が早く、午後6時半頃に終わってもラテはハウスに入ってしまう...。
いくらなんでも寝るのは早いぞとオトーサンは思うのだが、それだけラテはハウスの中が自分の住み処であること、そして安心していられる場所であることに得心しているのだろうし、同時に大人になったというべきなのか...。

なかなかハウスに入らずに苦労し、また良い子過ぎても面白くない...。オトーサンたちも我が儘な生きものである(笑)。

コーヒーの香りがする線香を知ってますか?

 文字通り線香臭い話で恐縮だが、いま父の遺骨が納骨の日を待ち我が家に安置されている。したがって朝晩あるいは気がついたときに線香をあげているわけだが、最近の線香は煙が少ないもののその香りはやはり...線香臭い(笑)。特別嫌いな臭いではないものの、最近は海外向けとして檜の香りとか蜂蜜の香りや緑茶の香りがするものまである。そうした中で今回は珈琲の香りがする線香を買ってみた。

 
昔は線香に縁もなかったし線香なんて皆同じだとしか思っていなかったが、いやいやこうした製品も創意工夫がないと生き残っていけないのかも知れない。
たまたまネットで知った創業三百有余年という梅栄堂のサイトでいろいろな香りの線香があることを知った。

日本の歴史に多少でも興味のある一人として、香は飛鳥・奈良・平安時代において仏教と共に渡ってきたとされていること。また現在のように仏事だけでなく貴族たちが日常的に室内や衣装に香を炊き込めていたということは知っている...。むろんこれは香りを楽しむというだけでなく、近代のように風呂に入る習慣がなかった時代でもあり、体臭を消す大切な役割も持っていたらしい。
それらの香りは香木が主だったようだが、後に線香が我が国にも伝えられ茶道・華道と共に香道が確立されていく...。
さて、香料の原料は高価な白檀、伽羅、桂皮など植物系がほとんどだが、他に巻き貝の殻なども使われているそうだ。

その線香にもいろいろな香りのものが存在するわけだが、やはりその香りは普段馴染みがない私などには仏事の一環としかイメージがわかない。そして冒頭にも記したが特に嫌いな臭いではないものの線香の香りを楽しむと言ったことには縁遠い。
しかし線香は線香だからしてこの種の臭いは当然のことであり仕方がないものだと思っていたが、実は檜の香りとか緑茶の香り、あるいは蜂蜜の香り、苺の香り、そして珈琲の香りの製品があることを知った。
そこで新しもの好きの一人として早速珈琲の香りがするという線香をオーダーしてみた。

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「仏前に変なものを...」と眉をしかめる方がいるかも知れないが、こうした変わり種の線香が登場するのも良いと個人的には考えている。それに父は生前コーヒーを好み、自分で豆を買い毎日飲んでいたし、死去する前日には弟の煎れたコーヒーを「美味い」といっていたほどの人間なので怒りはしないだろう(笑)。

さて今回手に入れた線香は前記したように梅栄堂というところの製品だが、珈琲の香りといっても2種類ある。まるで飲み物としてのコーヒーのようだが先に発売された香ばしいコーヒーの香りが売り物の「残香飛」と、最近その好評に答えて渋みを加えた香りの「残香飛ブラック」があるのだという(笑)。
無論コーヒー通としてはブラックにしようとその「残香飛ブラック」を買ってみた...。
その印象だが、正直期待していたより珈琲の香りは強くない。無論これは珈琲そのものではなく線香なのだからそうした...微妙なものなのだろうが、珈琲の香りだけを期待すると期待はずれかも知れない。また確かに珈琲の香りはするものの、豆を挽いたときの独特なあの芳香というより、ドリップした後の豆を片づけるときの苦み走った香りといった印象を受けた。

何れにしても線香の香りは部屋に残るものだ。したがって少しでも気に入った香りのものであるべきだと思うから、しばらくはこのブラック珈琲線香を使ってみたいと考えている。


梅栄堂

ラテ飼育格闘日記(114)

 毎日愛犬と共に過ごしているとワンコとはどのような生きものなのかが多少でも分かってきたと思っている。お陰様で多少は余裕がでてきたのか最初は愛犬の一挙一動に注目してきたものの最近はラテはオトーサンたちのことをどのように思っているのかが気になっている...。

 

 我々人間も気分や体調により機嫌が良かったり悪かったりするし、第三者に対しても時にその対応が違うことは多々あり得ることだ。そして昨日の敵は今日の友かも知れないしその逆もまたしかりでろう...。
そうしたことを考えれば人間より肉体の成長が早いワンコだからして、その変化が著しいとしても不思議ではなく、以前会ったときには友好的なワンコに対して今日の散歩のときには吠え合う...といったこともあり得ると考えなければならない。

オトーサンは当初ワンコを飼うことを決意したとき、犬種によりその基本的な気質は違うものの「犬はすべて犬である」といった感覚を持っていた。
確かに雄と雌は体格を含めて性向が違うことは想像できたが、ワンコは唸り・吠え・噛みつくものだと単純に考えていたフシがある。しかし実際にラテを里親として引取り、文字通り365日一緒に生活していると感情移入ではなくワンコの知能の高さとその豊かな感情表現に驚くし、また仲間のワンコたちと比較してみるとそれぞれが独特の性格を持っていることが分かるようになってきた。

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※朝早く同じ時間に散歩に出るが、空がいささか明るくなってきた...

 
これまでいわゆる社会性を植え付けるため、リードの使い方やコマンドの与え方、効果的な声の出し方や叱り方など、オトーサンが良かれと考えることをいかに学習させるかを中心に毎日を過ごしてきた感がある。
オトーサンが発する命令をどのようにしたらスムーズに答えてくれるか、悪いことをしたときにどのように叱ったら効果があるのか、リードの引きが強い場合にどのように対処をしたら言うことを聞くのか...などなど、とにかくラテをオトーサンたちの考える良い子に近づけるために多くの気を使ってきた。
無論これまで教えてきたことはこれからも引き続き忘れないように、そしてオトーサンたちの主旨がいつも一貫しているという意味で続けていかなくてはならないが、最近はオトーサンの思いをラテに伝えるということよりラテがオトーサンたちをどのように考えているのかが気になってきたのである。

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※緑が豊かな道をラテと歩くのは何とも楽しい!

 
ものの本によればワンコから見た人間は犬の同類と見ているからこそ、意思疎通ができるといったことが定説になっている。さまざまな専門家が様々な説を唱えるが、こと「犬は我々をどのように見ているか」といった話しにはほとんどが意見を同じくしているのは面白い。
例えば野村獣医科Vセンター院長の野村潤一郎氏はその著書「犬に関する100問100答」の中で「犬にとって人間とは何ですか?」への回答として、同族だと答えた上で「同族だからこそ人間社会にとけ込めるし、飼い主と飼い主の奥さん、または子供などなどと一緒になり、ひとつの群れになることができる」としている。
ムツゴロウ動物王国の石川利昭氏は著書「飼育マニュアルに吠えろ!」で「犬は人間家族を群れの仲間とは思っていない」といい「上下関係ではなく母と子の関係」だと力説している。すなわちニュアンスはかなり違うものの、母と子の関係だとすれば無論ワンコ側から見て我々は犬の同族の親と見られていることになるのだろう...。
「犬の科学」という本の中で筆者のスティーブン・ブディアンスキー氏は「犬は人間を犬だと思っている」とし「人間と犬とはある程度共通しているものがあり、犬は、人間の行為を何とか犬社会の枠組みに取り込むことができる」と説明している。
犬に関する多くの著書を書いている心理学者スタンレー・コレン氏も「犬も平気でうそをつく?」でやはり「犬は人を犬だ思っている」と説明し、かつ「『うちの犬は、自分を人間だと思っています』これは間違いだ。犬は、私たち人間を犬だと思っているのだ。四本足ではなく二本足で歩く、妙な姿をした犬、犬的な行動に完全には反応できない、あまり頭のよくない犬」だという。だから彼らは人間とつき合うことができるのだと...。

ともかく最近では「ワンコはオオカミの血を引いており、リーダーの元、群れで生活し、ある意味で常にワンコ自身がリーダーの地位を狙っている」といった説は否定されつつある。
犬とオオカミはすでに違った生きものであり、家犬は人に依存することなしに生きてはいけないことを知っていると考えられる。
そしてこの2年の間、毎日ラテと暮らしてきたオトーサンの感覚では「犬は人間を犬の同族とみなしている」というこれらの説に強い違和感を覚えるのである。
それはラテがワンコと人に対峙するとき、明らかな対応の違いを感じるからだ。
対応が違うということはそれなりに相手を区別していると考えて間違いないと思う。

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※彼女は...何をかんがえているのだろうか?最近気になってならない...

 
確かに人に対してラテは前足を投げ出し頭を低く、お尻を高くするという例の「遊ぼう」ポーズで誘うことも多い...。したがってこうした行動・行為をするのはワンコが人を犬と同一視している証拠だという人たちもいるわけだが、それはあまりに短絡的な考えだと思う。
なぜならワンコは相手に対して「遊ぼう」という意思表示をする場合、ワンコとしてそうしたポーズを取る方法しか知らないに違いない。だからワンコに対しても人に対しても同じポーズをするからといって人を犬と同様に捉えていると考えるのはいささか早計だと思うのだ。
さらにラテは明らかに人とワンコと区別した対応を取る。

例えばラテは子供、特に小学生が大好きのようで、向こうから下校途中の生徒たち数人が歩いてくる度に姿勢を低くし身を倒し、尻尾をブルンブルン振り、身体をよじるようにしつつ目を大きく見開き、口も開けていわゆる満面の笑顔を見せて近づく。
もし子供たちの中で一人でも相手をしてくれる場合にはお腹を出して最大級の喜びを表すが残念ながらそうした子供は多くはなく、ほとんどの場合は身を引きラテに近づこうとはしない...。
するとラテはさも残念な表情をしたり、あるときはあまりに喜びすぎたことを恥じているかのように照れくさそうな顔でオトーサンを見上げるのだ。

面白いのはラテがそうした態度で近づこうとする子供たちがまったくの初対面であっても同じ態度を見せることだ。そしてここがポイントだが、そうしたやり方をラテはワンコに対しては決して見せないのである。
大好きなワンコに会ったときも似たような動作をするものの、彼ら彼女たちに対してはもっとストレートだし、そもそも人間の子供に対してはまったくといって良いほど好き嫌い無く近づくが、ワンコに対しては警戒心が強く、初めて会ったワンコに前記したような満面の笑顔で近づくということは絶対にない。その差は大変興味深いことだと思っている。

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※身体全体をぶつけ合ってボーダーコリーと遊ぶラテ。まるで踊っているようだ

 
それはオトーサンにとって、ラテが人間と犬とをきちんと区別していることの証のように思える。
こうした意見をいうと「犬は人間を犬と思っているが、4つ足と2本足の犬として区別しているだけでは...」という反論が聞こえそうだ。しかしラテは相手が犬の場合と人間の場合とではまったく違った喜びを与えてくれることを明確に知っている。そして少なくともラテは好きなワンコと好きな人が一緒の場にいるとき、人の方に近づきたいと行動することも確かなのだ。

無論ラテが2本足の我々を文字通り「人間」と認識しているかは知る由もないが、同時に「2本足の同族」と認識している証拠もない。しかしその明らかな接するときの態度の違いを考えればまったく別の相手ということをきちんと認識していると考えるのも合理的だと思う。
そうしたことからオトーサンは「犬は人を犬族と思っている」という定説には大いに疑問を持っているし、ワンコほどの頭脳があれば犬と人間をまったく別の生きものと認知しても不思議はないと考える。
「犬は人間を同族と思っている」という定説は、まだまだ「犬という動物はオオカミのように群れの中で生きていくものだ」という旧来からの説から抜け出ていないように思えるのだ。

いま気になっていることといえば、ラテにとってオトーサンは何者なのかということだ(笑)。
果たしてオトーサンそのものなのか、それとも母親とか兄なのか...あるいは気を許した親友なのだろうか...。

1983年 Apple Macintoshプロモーションビデオの再考

ここのところすでにご紹介したようにMacintosh生誕25周年を受け、「Macintosh 128K マニュアル」「MACWORLD 創刊号」などMacintosh誕生にかかわる古いアイテムを見直している。今回はあらためて1983年にAppleが製作したMacintoshのプロモーションビデオを見る機会があったので気づいたあれこれを聞いていただこう。

 
リアルタイムに事象を眺め情報を集めていても特にそれがAppleのような外国企業であるならもともと発表されたもの以外に正確な情報を得るのは難しい。ましてや当時にMacintoshという新しいパーソナルコンピュータ誕生に関わる企業活動がどのように展開したか、あるいはそれらがどのように影響し合っているかなどまったく知る由もなかった。
しかしすでに25年という歳月が過ぎ、その間に膨大な情報を見聞きすることができるようになったことも含め、現在から当時を俯瞰するとなかなか興味深いことが分かって面白いものだ。

勿論当時のAppleは画期的なパーソルコンピュータとして開発したMacintoshを市場やユーザーにどのように知らしめ、思惑通りの販売に結びつけるかをあれこれと模索しながら大きな予算を投入し広告宣伝にも務めたことは知られている。
あの1984年の第18回スーパーボール開催に合わせて製作した伝説的なコマーシャル「1984」ひとつをとってみてもその本気加減は分かるわけだ...。

また「MACWORLD誌」というメディアを立ち上げや大型展示会の「MACWORLD Expo」を企画推進、あるいは1984年に早くもCary Lu著「The Apple Macintosh Book (邦題はアスキー出版局刊~Macintoshそのインテグレーテッドソフトの世界)」出版に協力するといったことや、可能な限りメディアに登場してMacintoshの知名度を向上させる努力をした時代でもあった。

そうした活動のひとつにプロモーションビデオがある。
今回ご紹介する映像はYouTubeに2つに分けてアップされているが、その最後に「1983 Apple Computer, Inc.」とクレジットがある本作品は間違いなくMacintosh誕生に関わるプロモーションビデオの中で最も初期の作品のひとつに違いない。

 


 
※今回取り上げた1983製のクレジットがあるMacintoshプロモーション映像

 
先にご紹介した「Macintosh 128K マニュアルの秘密!?」でも取り上げたとおり、そこには明らかにMacintoshのプロトタイプマシンが登場し、製品のリリース時期を横目で睨みながら準備を進めていたAppleの苦悩が伝わってくるようで興味深い。
そしてご承知の方も多いと思うが、当初AppleはMacintoshの出荷を1982年のはじめと計画していたが間に合わず、1983年5月に目標変更した。しかしその時期を過ぎてもMacintoshは完成できなかったのである...。
開発者たちは週90時間以上も労働を続け、数々のプレッシャーと戦いながらやっと1984年1月24日の発表にこぎ着けたわけだ。したがって当時はそうした状況を知る由もなかったが、考えてみればその困難な時期と平行して企画製作されたであろうマニュアルやらプロモーションビデオが文字通りの製品版Macintoshを使って製作できたわけはないのである。

 「Macintosh 128Kマニュアル」の一部の写真に使われているMacintoshは明らかにプロトタイプのものであり細部が製品とは違うわけだが、同じようにこのプロモーションビデオに登場する映像もさまざまなことを我々に教えてくれる。
まず気づくのはいくつかのシーンに登場するMacintoshの背面だが、マニュアルの写真と同様に“Macintosh”のエンブレムがなく、かつアップルロゴとの左右の位置がこれまた製品とは逆なのだ。

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※Macintosh背面のアップルロゴの位置が出荷された製品のそれと違うし"Macintosh"というエンブレムが付いていない

 
したがってこのビデオに登場するマシンはマニュアルに使った写真を撮ったものと同様なプロトタイプである。しかしマニュアルでは分からなかったことがこのプロモーションビデオではっきりと写っていることもある。
それはMacintosh 128Kに付属していたワンボタンマウスのプラグデザインが実際に出荷されたものとはまったく違うことだ。

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※当該ビデオ映像に紹介されているワンボタンマウスのプラグ(上)と実際に出荷された製品のプラグ(下)


それからビデオ映像の中に女性がMacintoshをキャリーバッグに収めて自転車のバスケットに入れ街中を走るシーンがある。これはマニュアルのスタンフォード大学構内を自転車で走る男性のコンセプトに通じるものだが、どうやら同じ自転車...同じバスケットのようだ。

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※キャリングケースに入れたMacintoshを自転車のバスケットに入れて運ぶのもマニュアルと同じコンセプトだ

 
同じといえばもうひとつ気づいたことがある。
このプロモーションビデオにはスティーブ・ジョブズも登場する。
背景にある大きなアップルロゴの前にスーツ姿で座って話す彼のスーツならびにネクタイは「MACWORLD 創刊号」の表紙を飾ったそれと同じように思えるのだが...。

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※スティーブ・ジョブズのスーツならびにネクタイがMACWORLD誌創刊号の表紙のそれと同一のように思える...

 
ビデオでは画質の関係上スーツの細かなディテールまでは不明だが、もしかしたらこうした一連の撮影は同時に行われていたのかも知れない。
無論本来お洒落な人は同じお気に入りのスーツを数着オーダーするものだと聞いたことがあるが、大金持ちだとはいえ当時のスティーブ・ジョブズはスーツを喜んで着用したとは思えない。とはいえまさか一張羅だということもないだろう...。ただし映像を見た限りはほとんど同じに思えるしネクタイはまず間違いなく同じもので、かつそのネクタイの結び目は両方共に少し左よりに結ばれているのも彼の共通した癖なのか、あるいはスタイリストの癖なのか...。

まったくの推測だがこのプロモーションビデオとMACWORLD誌の表紙の撮影が同日の可能性も否めないのかも知れない。
さらにアングルが多少違うがジョブズの髪のボリュームもほぼ同じように思える。
何しろ前記したように当時彼らはMacintoshの出荷を実現するために寝る間も惜しんでいた時期であり、そのリーダーだったジョブズにしても悠長に「今日はビデオ撮影」明日は「雑誌の撮影」などと余裕のあるスケジュールなど立てようがなかったはずだ。

過去を振り向かないというジョブズならびにAppleがこうした "些細な" 過去のことに附言するとは思われないが、こうして複数の資料を比べてみると当時AppleがMacintoshの販促活動に対してどのような戦略・姿勢で取り組んでいたのかという片鱗を俯瞰できて興味深い...。

MACWORLD誌 1984年創刊号はビッグバン!?

先月1月24日はMacintosh生誕25周年にあたる。1984年1月24日、Appleの年次株主総会においてMacintoshはジョブズ氏により発表されたわけだが、また同年2月は世界初のMac雑誌である「MACWORLD誌」が創刊された年でもあるのだ。

 
“MACWORLD”といえば新しいMacユーザーはAppleが参加する最後の機会となった先のMacworld Conference & Expoを思い浮かべるのではないか。しかしこれまた多くの方々がご存じのようにそもそもの発端はMacintosh 128Kが登場したその年に世界で初めてのMac専門誌「MACWORLD」が発刊されたことにある...。
この雑誌の誕生は当時Apple Computer社の全面的なバックアップもあってMacintosh登場と時を合わせて登場した(1984年2月)。さらに創刊号の表紙を飾るのも当然とはいえスーツに身を包んだ若き日のスティーブ・ジョブズ氏その人であった。

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※1984年2月に創刊したMacintosh専門月刊誌「MACWORLD」表紙


確かにMacintoshは1月24日に発表されたが、まだインターネットの恩恵を受けられる時代ではなく、私たちの興味をかき立てMacintoshを特別のコンピュータとして世間に認知させる大きな役割を果たしたのがこの“MACWORLD誌”なのである。

その発刊の噂は我々日本のユーザーにも届いたが、問題はリアルタイムどころか手に入れるには2,3ヶ月のタイムラグがあったことだ。さらに数ドルの雑誌が日本で買うと2,000円前後になっていた(笑)。
事実創刊号の米国価格は4ドルだった...。しかし情報に飢えていた私などは言い悪いではなくとにかく最新号を手に入れることが嬉しくてパソコンショップなどを丹念に回っていたものだ。
誌面に展開される新製品紹介やチュートリアル、そしてソフトウェアレビューや業界関係者へのインタビューといった内容を英和辞書を片手に苦労して読んだがそれ以上に興味の対象は広告ページだった(創刊号はまだマーケットが形成されていなかったこともあり広告が極端に少ないが...)。
中には“MACWORLD誌”でも取り上げられることのないような妖しげなハードウェアやソフトウェアが多々見受けられ、私の想像力をかき立てた。しかし時代背景もあって待っていたところで日本に入荷するはずのない物ばかりだからと送料込みプラスαのバンクチェックを作りメーカーや販売会社に送りつけて強引なオーダーを続けたのもこの時代だった。
最初期のイメージスキャナ「ThunderScan」やビデオデジタイザの「MicronEye」などは皆こうした手段で手に入れた製品だったのである。

ではその紙面の内容はどんなものだったのだろうか...。
表紙にタイトルが記されているようにとにかくMacintoshとはどんなパーソナルコンピュータなのかを知らしめる内容に尽きるわけだが「Apple's Remarkable New Personal Computer」「An Exclusive Look Inside the Macintosh」「Word Processing Tips for Mac Writers」そして「MacPaint's Amazing Electronic Easel」というテキストは文字通り時代を感じさせる。なぜならMacintosh本体を別にすればユーザーにとっても見るべきソフトウェアは同梱されていた「MacPaint」と「MacWrite」しかなかったのだから...。
しかしその内容や広告は現在の我々にとって大変興味使い物ばかりである。
まずApple自体の広告は本社と製造部門の従業員(全員かどうかは不明)の集合写真なのは当時の規模を彷彿とさせて面白い。そしてそこにはスティーブ・ジョブズを始め、アンディ・ハーツフェルドやジョアンナ・ホフマンらの顔も見える。

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※「MACWORLD」創刊号のApple Computer社広告


また表紙裏全面広告がMicrosoft社であるばかりか、ビル・ゲイツのインタビューが4ページにわたって掲載されている。さらに「The Making of the Macintosh」と題する記事ではMacintoshの開発にたずさわった人たちの中からMike Biich, Donn Denman, Andy Hertzfeld, Joanna Hoffman, Jerry manock, Dave Egner, Barbara Koalkin, Mike Murray, Susan Kare, Burrell Smith, Chris Espinosa, Jerome Coonen, Bob Belleville, George Crow, Bill Atkinson, Stive Capps, Bruce Horn, Larry Kenyon, Rony SebokそしてSteve Jobsがそれぞれのデスクや職場で写真に収まっている。したがって事実そのままであるかはともかく、当時彼らが寝る間も惜しんで開発に取り組んでいた職場の雰囲気が伝わってくるようで興味深い。

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※特集「The Making of the Macintosh」の一部

 
ところでこの“MACWORLD誌”はPC World Communications Inc.が発刊したものだが、同社は米国 IDGのグループ企業だったこともあり、IDGはこうした出版だけに留まらずApple関連製品の発表や展示あるいは販売を意図した最初の大型展示会であるMACWORLD EXPOを主催し開催したのは早くも翌年1985年であった。
私にとってこの“MACWORLD 創刊号” はその後現在まで綿々と続く宇宙の始まり...すなわちビッグバンであったかのように思えるアイテムなのである。
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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員