久しぶりに再読したアラン・ケイの論文

ここしばらく書棚に入れっぱなしになっていた「アラン・ケイ」(アスキー出版局刊)を久しぶりに引っ張り出した。教育とコンピュータに関わることを調べると同時にAltoやSmalltalkそしてLisaプロジェクトについて再確認する機会があったからである。無論Macintoshユーザーならずともアラン・ケイの名はご承知だろう。

 
アラン・ケイ(Alan C. Kay)は「パーソナルコンピュータの父」とか「Dynabookの生みの親」といったことでも知られているが、Appleのフェローだった時期がある。
アラン・ケイは1940年にマサチューセッツのスプリングフィールドで生まれた。10歳でクイズ・キッズというラジオ番組のチャンピオンになり,神童として名前が知れ渡っていたが、その後ブルックリン・ハイスクールを退学になり、10年間もジャズと ロックのプロ・ギタリストとしてギターを弾いていた。現在でも音楽好きの彼の自宅には自作のパイプオルガンがあるという。
その後、1961年に徴兵されたのをきっかけとして空軍の援助でコロラド大学に進み、1968年には有名なダイナブックのコンセプトを発表している。
スタンフォード大学の人工知能研究所を経て1972年にゼロックス社のパロ・アルト研究所に入るが、この研究所でパーソナルコンピュータの原型ともいえるAltoやオブジェクト指向言語のSmalltalk開発の指揮を執ることになる。

このパロ・アルト研究所に当時のApple Computer社、スティーブ・ジョブズがビル・アトキンソンらを連れ、そこでAltoを見たのがAppleがその後のLisaを開発する大きな動機付けとなったことは、あまりにも有名な話だ。
「未来を予測する最前の方法は、それを発明してしまうこと」という台詞や、発表されたばかりのMacintoshを見て「1/4ガロンのガソリンタンクしか持たないホンダ」と発言しスティーブ・ジョブズを怒らせたこともよく知られている話しである。ただし彼は「Macintoshは批判されるに足る最初のコンピュータだ」ともフォローしているのだが...。

さて、「アラン・ケイ」(アスキー出版局刊)には彼の3つの論文が和訳されているが、あらためてMacintoshはもとよりパーソナルコンピュータとは我々にとって何なのかを考えてみたい方には是非これらアラン・ケイの論文に目を通していただくことをお勧めしたい。

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ただし天才と称されるアラン・ケイだが、彼とて時代という大きな流れの中に存在するわけであり、総てを見通せているわけではないのも事実で、そこがまたリアルで面白い。
例えば彼はパーソナルコンピュータをツールとしては考えず、ダイナミックなメディアとして捉えている感があり、ダイナブックもそうした延長線上に位置づけていたと思われる。そして近未来のパーソナルコンピュータの姿を思い描いてはいたが、後に我々が実際に手にするいわゆるパッケージソフトウェアというものには思いを寄せていないようである...。

本論文の「マイクロエレクトロニクスとパーソナル・コンピュータ (Microelectronics and the Personal Computer)」で彼は人々の要求が多様であることに触れて言う。
「...子供といわず大人といわず、あらゆるユーザーが、専門家の力を借りることなく、コンピュータに有益な作業をさせられなくてはいけない」とし、続けて「パーソナルコンピュータの最大の障碍は、たんなる『束の間の救い』というレベルを超えるには、専門家ではないユーザーでさえも、たぶんまちがいなく、なんらかのプログラミングをしなければならないことである」と記している。
彼は子供も含めて、ダイナミックなシミュレーションを必要とするとき...それはゲームでも音楽でも、そしてアニメーションでも...Smalltalkでユーザー自身が作り上げることを考えていた。したがって現在のように特定の目的のための既成品ソフトウェアが多様に、それも豊富に存在する事を背景にしたパーソナルコンピュータは考えていなかったようだ。

無論現在の既成アプリケーション利用が当然となっていることがパーソナルコンピュータと我々ユーザーにとってベストなことなのかはわからない。しかし文字通り誰でもが思うがままにプログラミングを扱える言語やシステムがあればともかく、現行ではアプリケーションでさえ使うに難しい場合が多いという事実は大いに考えさせられることである。それとも後50年、あるいは100年も経てばアラン・ケイの予言は現実のものとなるのだろうか...。
いずれにしてもアラン・ケイはコンピュータをコミュニケーションのための増幅機であり、ファンタジー・アンプリファイアと捉えている。そして彼の思い描いたパーソナルコンピュータは決して使い勝手や目的を無視して機能を増やすだけの道具、機械ではなかったはずだ。しかし我々の実態はアラン・ケイの思い、願いからかなり離れてしまっているようである...。

いま、私の手元にアラン・ケイ関連資料としてはこの「アラン・ケイ」(アスキー出版局刊)、「マッキントッシュ伝説」」(アスキー出版局刊)、そして「アラン・ケイ~パソコンを発明した」CD-ROM電子ブック(アスキー刊)、そして1989年にボストンで開催したMacworld Expoの基調講演をアラン・ケイが行ったその一部始終を収めたビデオなどなどがある。それらを私は何回読み、見ただろうか。特にCD-ROMでは当時のAltoなどが動いている映像が見られるので楽しい。
何かアイデアに行き詰まったとき、アラン・ケイの論文を読むと思考回路がリフレッシュされるような気がするのだ。

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 「アラン・ケイ」 

 1992年3月31日 初版発行
 著者:Alan Curtis Kay
 翻訳:鶴岡雄二
 監修:浜野保樹
 発行:株式会社アスキー
 コード:ISBN4- 7561-0107-0 C3055
 価格:2,400円(税別) 

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ラテ飼育格闘日記(121)

毎日朝晩の散歩はオトーサンの足腰に多大な負担を強いている。散歩というニュアンスからはノンビリと風景でも楽しみながら歩いているという印象があるかも知れないが体力的にはかなりきつい。したがって湿布薬と栄養ドリンクは欠かせないし、散歩から戻るとまずはマッサージチェアで一息入れる毎日なのである。

 

ワンコの里親を募集するサイトの中には例えば「60歳以上の方はご遠慮下さい」などと但し書きされている場合がある。無論それはワンコを飼うと言うことは費用といった負担だけでなく体力的な負担を避けるわけにはいかず、高齢になってくると散歩も思うようにできなくなるからでもある。
無論手を抜こうとすればいくらでも可能だが、ワンコを散歩に連れ出すことを意図的にしないのでは一種の虐待になってしまう。それだけワンコにとって散歩は大切で不可欠なものなのだ。
今回は散歩の大変さをテーマにオトーサンの近況をご紹介してみようと思う。

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※あちらこちらで桜の花が咲き始めた!


正直、ラテとの散歩は楽しい。楽しくて愉快だし毎日新しい発見もあるから回数を重ねる毎に愛犬との絆が太くそして深くなっていく事を肌で感じることができる。
ラテは人間の子供のように言葉を発することはできないが、すでに彼女が何を欲し何をしたいのか...してもらいたいのかという大概のことは分かるようになったと思っている。

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※疲れたり怖いワンコが来ると抱っこを要求するが...重い!


オトーサンが歩きながら鼻歌でも歌い出すと頻繁にアイコンタントを取ってくる。オトーサンが機嫌がよいことはラテにとっても嬉しいことなのだろう。
したがって散歩といってもただただリードを引いて歩くだけではなく、ラテとさまざまなコミュニケーションを取りながら過ごす時間は本当に愉快なのだ。だから携帯電話を操作しながらの散歩などもってのほかである。
そう、精神的には豊かな気持ちになれるのだが問題は体力である。

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※普段のラテはリードを強く引かずオトーサンと一緒に上手に歩く
 

何度も同じ事をご紹介しているが、天候やオトーサンの都合にもよるものの一回の散歩で3キロから多いときには5キロ程度も歩き回る。そしてそれとは別に公園で気の合う仲間と興が乗れば走り回ることになるわけで、オトーサンは5メートル伸び縮みする巻き取り式のリードの先に2メートルほどのリードを付けてラテをコントロールしながら一緒に走るハメになる。
若い頃には運動不足だと指摘されていたオトーサンがこの歳になって日々走り回るとは思いもよらなかったが、健康には良いはずだとしても足腰には大きな負担をかけることになる。
例えば草野球をやるとか子供の運動会でつい頑張ってしまった...ということは多々あるだろうが、それらは毎日ではない。
数日の間、足腰が痛んでもしばらくすれば普通それらの苦痛は取れて体力は回復するはずだ。しかしワンコとの散歩は毎日であり、真面目にやればやるほど疲れは溜まって増大していく...。
正直風呂に入り、マッサージでも受けて4,5日ゆっくりとできればオトーサンだって気力はもとより足腰の痛さも回復するに違いない。しかし朝晩の散歩は特別大雨だったりラテの具合が悪いといったケースでもなければ休む事を許されないのである(笑)。

その点、当事者であるラテはうらやましい。仲間と駆けずり回って散歩から戻ると玄関で身体を綺麗にする間、それはそれは満足そうに寝そべっていればいいし、その後はハウスに入って爆睡できる。
まあ食事のとき以外は寝ているようなものだから疲れも取れやすいだろう。しかしオトーサンはそうはいかない。
足腰がガタガタになって戻ってもラテの身体を拭いて綺麗にしなければならないし、持ち帰ったウンチの始末はもとより床の掃除などの役目があり一眠りするわけにはいかないのである。だから疲れはなかなか取れない。
そう、足腰と書いたが散歩中には肩や腕の筋肉もかなり使う。

ラテは普段リードを強く引くワンコではないが、すれ違うワンコと威嚇のし合いや反対に近づきたい場合、あるいは猫と遭遇した場合などの引きは大変強い。
なにしろ体重が18キロを超えるラテが本気で引く...それも瞬発的に引くそのパワーを通常オトーサンは左手1本でコントロールすることになるのでかなりの力を必要とするしコツも重要になってくる。
手首や肘の角度が悪ければ疲れだけでは済まなくなることはわかりきっているほど大変な力なのだ。
ワンコ同士はもとより、人や車など通行量の多い場所ではラテを信頼しきってリードを緩めるわけにはいかない。ひとたびリードのコントロールを誤ればラテ自身が車や自転車に轢かれるかも知れないし反対にすれ違う人に吠えかかるかも知れないからだ。
無論ラテは誰彼かまわず向かっていくようなワンコではないが、怪しい人には特別注視するワンコでもある。問題はその怪しさの基準はラテの側にあることだ(笑)。
ともかく間違いの無いようにリードをコントロールするのは小型犬ならいざ知らず、なかなかに大変なのである。

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※好奇心旺盛なラテは頻繁に後ろ足だけで立ち上がって遠方を確認する


その上、最近では散歩が原因で新し症状が発生してしまった...。それがリードを持つ左手親指の腱鞘炎である。
原因はあきらかで、前記した巻き取り式のリードのボタンを親指で操作してきたことによるものだ。
ロックを外しておくとラテがリードを引けば限界まで伸び、ラテが近づけばリードは自動的に巻き取られて収納する便利なものでリードを引いた場合もボタンを押すことでリードの伸びをストップすることができるわけだ。したがってオトーサンは相手のワンコあるいは人との距離感を常に図りながらリードのボタンを押したり離したりすることになる。その負担が親指に腱鞘炎という形で出てしまった...。
このため親指関節は壊れた蝶番のようにカクカクと引っかかり、その度に痛みが走るが問題はこれまた使わないわけにはいかないことだ。

本来、左手の親指が使えなければ右手に持ち替えればよいのかも知れないが、残念ながら右手は20年来もマウスを使い続けたことが原因でこれまた腱鞘炎で苦しんでいるのだから世話はない(笑)。
嗚呼...いくらなんでも両手がステレオ腱鞘炎とは予想外の展開である(笑)。これも使用頻度が高いことは勿論だが筋力を含めて身体全体のパワーが加齢と共に弱くなっているのだろう。

なんだか毎日ラテとの散歩もオトーサンにとっては命がけになってきたようだ(爆)。

二代目中村吉右衛門主演「鬼平犯科帳」 DVD 全巻が揃った

鬼平犯科帳ならびにその主人公である長谷川平蔵についてあらためての紹介はいらないかも知れない。それほど池波正太郎が著したこの小説は時代劇を好まない人たちにも愛されてきた。そして二代目中村吉右衛門主演の同名TVドラマは小説映像化の決定版といわれているがこの度一部のスペシャル版を除きDVD全巻がやっと揃った...。

 
これまでテレビ放映された一部をVHSビデオで所有していたが、保管ならびに使い勝手を考えてDVDに変えようと心がけてきた。今般やっとDVDとして販売されている1巻から9巻までの全巻をそろえることができた。
何しろ全巻138話/DVD73枚にも及ぶ大作なのだが、これでいつでも好きな鬼平に会えるわけだ。
さて、池波正太郎による鬼平犯科帳の小説本も全巻所有しそれこそ数え切れないほど繰り返し読んでいるが、二代目中村吉右衛門主演で映像になったドラマはまた格別の味わいがある。

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※鬼平犯科帳 全9巻 DVDが勢揃い...

 
ところで鬼平こと火付盗賊改方の頭(かしら)である長谷川平蔵宣以(のぶため)は実在の人物であり、旗本の家督相続前は銕三郎(てつさぶろう)と名乗っていた。また青年時代は本所・深川界隈で無頼の徒とも交わり放蕩のかぎりを尽くしたそうで「本所の銕」などと呼ばれていたという。

父の死去にともない28歳で家督を相続し、火付盗賊改方の長官に任ぜられたのは天明7年(1787年)、42歳の時であった。
なぜ火付盗賊改方なのか...。それはこの時代、浅間山の噴火による不作から飢饉も続き世情は不穏であり凶悪な犯罪が増加していたからである。
無論町奉行所はあったが、町奉行所では武士たちを取り締まることはできず、扱う事件もどちらかといえば民事が多かったという。したがって火付盗賊改方は押込強盗や放火など凶悪な事件を取り締まるために組織されたもので、武士や僧侶に対しても権限が及ぶという一種の特別警察...治安機関であった。
そうした凶悪な犯罪には容赦のない取締を徹底したことから、犯罪者たちから「鬼の平蔵」すなわち鬼平と恐れられたとされるが、その呼び名は池波正太郎の創作らしい...。

とにかくTVドラマの鬼平犯科帳最大の魅力はなんといっても二代目中村吉右衛門が演じる長谷川平蔵の魅力にほかならない。過去に中村吉右衛門の父である松本幸四郎をはじめ、丹波哲郎や萬屋錦之介らが演じたものの平蔵の魅力を定着させたのはやはり中村吉右衛門の功績であろう。
平蔵は世情に通じ、弱者や下々の者たちには慈悲深い一方で凶悪な犯罪者には文字通り鬼となり容赦のない取締を実行するその人間味と彼を取り巻く部下や密偵となって働く元犯罪者たちの絆がすでに忘れ去られた感のある人情というか、こうあるべきという人のあり方を思い出させてくれるに違いない。
ドラマが良くできているのは当時「こうだったに違いない」といったリアリティを出しているからだろう。所作は勿論だが言葉遣いも現代の私たちにわかりやすく、かつ時代を感じさせるのが好ましい。
ただし例えば「急ぎ働き」「引き込み」「おつとめ」あるいは「盗人宿(ぬすっとやど)」といった会話が多々登場するが、実はこれらのほとんどは池波正太郎の造語であるという。

詳しいことは忘れたが、以前に二代目中村吉右衛門がインタビュー中で、鬼平がひと睨みすると犯罪者たちはもとより部下たちが震え上がる“凄味”というか、殺気とでもいうのか...その迫力を出すのが難しいと言っていたことが印象的だった。
現代の我々はこうした人知を越えた人間の凄味というものをあまり知る機会はないが、それと共に型破りで清濁を知り尽くした長谷川平蔵は今の時代においても理想的な上司として慕われる人物だからこそ人気が衰えないのだろう。
さらに火付盗賊改方を管轄する上司である若年寄の京極備前守もまたよし。なぜなら例えば大身の旗本が絡むと思われる事件の捜査に躊躇する鬼平へ「この一件...おぬしの思うがままにしてのけるが良い、責めはわしが負う」(スペシャル「鬼火」より)と言い切るのも男同士の信頼関係が見て取れて嬉しくなってくるではないか。

そしてドラマとはいえ、鬼平犯科帳には多くの忘れ得ない名場面が登場する。
例えば茣蓙を抱え小さな居酒屋・加賀屋に入ってきてお忍びで飲んでいた平蔵の隣に座る夜鷹の “おもん” に「遅くまで大変だな...」となんとも優しい声をかけ酒を振る舞う平蔵...(「凶族」より)。男として人間としてこうありたいと思うその理想の姿が鬼平犯科帳の長谷川平蔵なのだ。
史実の平蔵も犯罪者更生の場の必要性を幕府に説き、石川島人足寄場の設立などを実現した功績はもっと評価されてよいと思う。こうした罪人の弾力的な扱いと更正をめざした平蔵の寄場運営はイギリスの流刑地、オーストラリアのノーホーク島による仮釈放制度施行より1年早く国際的にも誇るべき先駆の業績だという。
また強盗や婦女暴行を繰り返した凶賊葵小僧を逮捕した際に職権をもって捕縛後わずか10日後に処刑してしまったことがある。
裁判には念を入れ慎重な判決をくだしてきた平蔵にしてこれは何から何まで異常な早さであり、このように早い処置は徳川300年の江戸刑事事件中でも初めてであり、かつ以後にも例がないという。

こうした一見暴挙とも思える行動は幕府の上層部にも批判があったようだが、葵小僧を正規の手続きに則って罪状を問えばおのずと被害に会った女性たちの名前も公になることを危惧した配慮だったといわれている。
平蔵が火付盗賊改方の加役についていたのは天明7年(1787年)から寛政7年(1795年)までの8年間であり、その職を退いた3日後に50歳で鬼籍に入ってしまった。まさしく「人生50年」の波乱に満ちた生涯であった。

さて、この138話すべてについて1度は観ているはずだがしばらくの間は第1話からゆっくりと鑑賞したいと思っている。
今日はどんな鬼平と会ってみようか...。

【参考資料】
・別冊・歴史読本/実録「鬼平犯科帳」のすべて 新人物往来社刊

松竹DVD倶楽部/鬼平犯科帳シリーズ

全自動エスプレッソマシン「デロンギEAM1000BJA」レポート

14年ほど愛用してきたイタリアPAVONI社製エスプレッソマシンがついに調子が悪くなった。これまで全自動のマシンなど見向きもしなかったのだが寄る年波に勝てず(笑)少しでも美味いコーヒーを楽に煎れたいと考え方が変わってきた。というわけでイタリア デロンギ社製のワンプッシュで豆挽きから抽出、粉の処理までおこなう全自動マシンを手に入れた。



コーヒー好きの一人として、自宅でも美味しいコーヒーをいつでも飲めるようにしておくのは当然のことだが、一杯のコーヒーを煎れるのも拘りが強いと意外と面倒なものだ...。
特にこれまで長く愛用してきたイタリアPAVONI社製エスプレッソマシンはその操作すべてがマニュアルで行う仕様であり、思うような一杯のコーヒーを煎れるにはそれ相応の手順を踏まなければならない。

これまでその手順は、そう...あたかも茶道のそれのようにその手順は作法と同じようなものだと認識して楽しんできたが、やれ腱鞘炎、筋肉痛といった腕でエスプレッソマシンのハンドルをプレスするのも面倒になってきたのである(笑)。
それもまだ使える内はこのお気に入りのマシンを変える気はなかったが長い間使い続けたこともあり問題の箇所がいくつか出てきた。無論修理も可能だろうが、拘ってきた手順もそもそもは美味い一杯を煎れるためのものだったわけで、いくつか調べた結果イタリアのデロンギ社製全自動エスプレッソマシン「MAGNIFICA EAM1000BJA」を買うことにした。
外寸は幅280×奥行き380×高さ365mm、重量は約10Kgだがオペレーションのすべてはフロント側で可能なので左右にあまり気を使わないですむ。
取り急ぎこれまでPAVONI社製エスプレッソマシンとコーヒーミルがあったところに設置してみた。

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※デロンギ全自動エスプレッソマシン「MAGNIFICA EAM1000BJA」の勇姿(笑)


この全自動エスプレッソマシン「MAGNIFICA EAM1000BJA」の特徴は文字通り、専用投入口にコーヒー豆と水をセットし前面パネルのダイアルでコーヒーの濃さと量を調節した後、抽出ボタンを押すだけでクレマも豊かに香り高いイタリアン・エスプレッソが抽出できることだ。なお、抽出は1杯は勿論2杯同時に可能である。
「MAGNIFICA EAM1000BJA」は抽出ボタンを押すその都度7段階コーン式のグラインダーで豆を挽き、ポンプ圧15気圧で20~180ccまでの抽出を、そして抽出が終わった粉の処理までを全自動でこなしてくれる。

さて、ここで味に関わるのは申し上げるまでもなく3つある。
ひとつはコーヒー豆の選択とその挽き方、2つ目は抽出の濃さそして3つ目に抽出量ということになろうか...。
特に味に関わってくるのは豆の種類は勿論その濃さだが、基本操作はすべて前面パネルで調整が可能であり、日々の掃除やメンテナンスもすべてフロントから可能なのも楽である。

水を満タンに入れ、お気に入りのコーヒー豆を多い目にセットの上、濃さを確認するため数杯を無駄にするつもりでテストを始める...。その抽出の量もダイアルの位置が実際にカップのどの程度まで入るのかも確認するつもりでいろいろとやってみた。
こ日のために別途手に入れたドイツ製だというカプチーノ用コーヒーカップをお湯で温める。なお「MAGNIFICA EAM1000BJA」に電源が入っていればその上面の一部がカップウォーマーの働きをするので準備ができるまでそこに伏せておくとよい。
マシンの電源を入れ、抽出の準備がOKとなったらカップを置き、抽出ボタンを押す...。
するとまずは豆が必要量挽かれ、しばらくするとカップに抽出が始まる。

幸い最初からクレマも豊かなエスプレッソが味わえたが、思ったより薄めだったので次は濃さのダイヤル調節を時計の位置で言う3時ほどにしたら好みの濃さとなった。
とにかく豆と水がセットされていればボタンひとつで香り豊かな美味しいエスプレッソが出来上がるのだからこれはラクチンである。そしてミルクフォーマーもPAVONIより肌理の細かなものが容易に作れる感じだ。最初に作ってみたカプチーノもまずまず美味しくできたので一安心した。

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※「MAGNIFICA EAM1000BJA」で最初に煎れたカプチーノはまずまずだった


ただし使い終わった後のメンテはボタンひとつというわけにはいかない(笑)。トレーに溜まった水やコーヒーカスを捨て、スチーマーの口を洗い、抽出口はもとより抽出ユニットを綺麗に掃除しなければならない。ただしこれらの掃除などはすべてフロント側を開いてできるので場所もとらずになかなかやりやすいと思う。また掃除やメンテは確かに面倒ではあるがこうしたことを怠ると故障の原因になり機器の寿命が短くなることもあるので大切なことなのだ。

ひとつ気になったのはその消費電力である。定格が1150Wなのはともかく、電源はONにしておくと3時間後に自動的に内部洗浄が行われてOFFになるという。しかし文字通り「いつでも美味しい1杯」を実現できるのは電源が入っていればこそなのだが、消費電力が1000Wを超える機器となれば場合によってはエアコンやら電子レンジの使用と重なるとブレーカーが落ちる可能性もありうるわけで決して何も考えずに使うわけにもいかない。
まあ飲み過ぎにブレーキをかける意味でも、美味しい1杯を楽しんだら少々面倒でも手動で電源を切っておくことにしよう。

ともかく「MAGNIFICA EAM1000BJA」なら1杯のコーヒーを抽出するために準備の時間をほとんど必要としないで済む。したがって例えばお客に対してもほとんど待たせることなく手際の良いコーヒーを出すことも可能なのが嬉しい。
毎日のメンテナンスをきちんと続けて愛用してみたいと思っている。




ラテ飼育格闘日記(120)

今年の6月で3歳になろうとするラテだが、1年目と比較すればその行動は大きく変わった。散歩に行く公園などではまだまだ遊びたくて仕方がないようで仲間のワンコを挑発し、相手がのれば一緒に走り回る。また相手がいないときにはオトーサンに向かって「ボール遊びをしよう」とか「駆けっこをしよう」と誘いのポーズを取るものの家の中では寝てばかりいる...。

 

ラテの朝はオトーサンがハウスから出すことから始まる。普段ラテが吠えて我々を起こすということはほとんどない。
ハウスに掛けたタオルケットを取り、ドアを開け「おはよう!」と声を掛けると大きな伸びをしながら出てきたり、あるいはまだまだ眠いのだろうか...しばらくハウスに入ったままだったりする。
以前はとにかくハウスから出たがっていたものだがやはり年齢的なことなのかよく眠るし、生活のパターンが身に付いたのだろう、その行動にゆとりが感じられるのである。

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※休日の朝、公園でラテと語らうオトーサン(笑)


例えば食事だが、我が家に来た当時は食器を置くとものの10秒くらいでガツガツと平らげるというワザを見せた(笑)。無論ワンコとは本来そうしたものらしいが経験のないオトーサンは驚いたものだ。
しかし最近は総じてゆっくりと食べるようになった。それも出された食事はすべて自分が食べられるもので取り上げられたり誰かに食べられる心配がないことを学習したと思われる。
なぜなら、食べている途中で食器の外にドッグフードが1粒2粒飛び出たとする。昔のラテならそんなことをかまわず、まずは食器の中にある本命を平らげてからおもむろに外にこぼれたものを食べるという順序だった。
これは食べられるときに食べなければならないという自然界の厳しい掟からすれば道理にかなったことに違いない。
食器の外に落ちた少量に注意を向けているときにメインの食べ物を他のワンコや動物にに食べられてしまったりする可能性があるわけで、まずは量的に豊富なものから食べるということは当然のことのように思える。
しかし最近のラテは自分の前に出された食事...特に室内でのそれは競争相手がいないことを学習しているはずだ。

食事の途中にオトーサンが食器に手をやったりしてもラテは怒ったりはしないし、食べている物を取り上げられたこともないから安心して食べていると思う。したがって食器の外にフードが少量落ちると、そちらに注意を向けて散らばったものを丁寧に拾ったりする余裕を見せるようになった。
無論ワンコだからして食欲は最大の関心事であり、太り気味の対策として決して多めの量を出さないからラテとしてはまだまだ食べ足りないに違いない。
食べ終わった食器の底を舐め回しているその姿を見ると思い切り食べさせてあげたいとも思うが、ワンコにそれは禁物である。

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※何を思ったのか、チロリと舌を出すラテ。ワンコの舌は意外と長いのだ...。


食事といえば、そろそろ暖かくなってくると例年は食事を出しても食べないというケースが出でくるものだが、さて今年はどうなのだろうか...。
ともかくこの半年はドライフードにトッピングする牛肉や鶏肉のササミなどは缶詰やレトルトパックから出したそのままをあげるのではなく、電子レンジで少し温めてから乗せるようにしている。これは香りが強くなるからか食いつきはとても良くなった。
食事が終わると続いて少量のプレーンヨーグルトを出すことにしているが、こうしたメインの食事は朝晩の2回と決めている。後は昼頃になると簡単なおやつをあげるので1日のカロリー摂取量はほぼ計算し把握しているつもりだが、意外と盲点は散歩に出た際のおやつである。

オトーサンは散歩に出るとき、ササミが主原料というカリカリした煎餅みたいなものを1センチ角程度に割って持参することにしている。これは時々のシチュエーションにより一種のご褒美としてラテに与えるものだ。
ササミは一般に低カロリーであること、そして1度にあげる量が極小なので回数をあげてもそんなにカロリー的には心配ないと考えているが、すでにラテはどのようなときにオトーサンからこのおやつを貰えるかを覚えているのが面白い。
例えばウンチをした後、なんだか誇らしげにオトーサンを見上げて「ちょうだい」の顔をするし、ある場所を通るとここでおやつを貰えるといった記憶が蘇るのか立ち止まってアイコンタクトする。
さらに歩きながらオトーサンの膝裏あたりを鼻で突いて「ちょうだい」と催促することも多い。

オトーサンは前記した約1センチ四方の小さなおやつを指でつまんで腕を下げるとラテは歩きながら上手にそれを前歯で受けるというわけだ。無論決してオトーサンの指に食らいつくといったことはないし、逆にその前歯の当たり具合が心地よいほどである(笑)。
ただし鼻で「ツンツン」されたからといっていつもいつもおやつを出していてはオトーサンは自動販売機になってしまう(笑)。そしてあまりに甘やかすのもよくないからと大半は無視するか、ツンツン毎にリードを引き寄せて「よしよし!」と頬を撫でてやることにしている。
少しずつでも「褒美はおやつ」というこれまでの概念を修正し、褒めたり撫でることでその代わりとしなければならないと考えているわけだ。

おやつで問題なのはオトーサン以外からいただくことも多々あることだ。
それは公園内でワンコを連れた他の飼い主さんたちからいただく場合があるわけだ。無論ラテもどなたがおやつをくれるのかをよく知っているから、近くまで飛んでいって「ウォーンオンオン」と催促することもある(笑)。
その様子はまるで営業回りというか集金でもしているようで微笑ましいが、多くの飼い主さんたちが集う休日などではそうしていただくおやつの数も半端ではなくなってくる...。

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※大好きなマキちゃん(左)と一緒にオトーサンへおやつをねだるラテ


可愛がっていただき、おやつまでいただけることは本来大変ありがたいことだが、お互いにワンコの要求にそのまま応えてしまうことは避けなければならない。しかしこれがなかなか難しいのだ。
その可愛い瞳で見つめられるとツイおやつを差し出してしまう...。
ラテにとっても、我が家のおやつでは味わえないものがあるわけで、それはそれは楽しみにしているように思える。しかし少量とはいえ文字通り、チリツモであり1日当たりのおやつ全部のカロリー量を計算すれば場合によってはかなりになるものと思われる。

これからの季節はますます散歩に最適な日が多くなると思われるが、ラテもダイエットを徹底しなければならないと思っているから、せめておやつの量を減らしたいと考えているオトーサンなのだ。
まあ、そのオトーサン自身がドーナツ食べながら原稿書いていては説得力もないのだが(笑)。

20年ぶりに再会〜Mac Japan誌の想い出

2度の引越が原因でいくつか大切なものを紛失してしまったが、そのひとつがMac Japanの増刊号である。幸い過日オークションで出品されていたので落札し20年ぶりにその誌面と再開したが、今回はそのMac Japan誌の思い出話をご紹介する...。

 
かつてはMac専門誌もMACLIFE、Mac Fan、Mac User、Mac Powerなどに代表される多くの雑誌がしのぎを削っていた時代があった。
私は縁あってMACLIFEの創刊に立ち会ったが、1989年4月に技術評論社が創刊したMac Japanのスタートからも立ち会わせていただいた深い想い出がある。そのMac Japan誌創刊号と20年ぶりに再開したわけだ。

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※20年ぶりに手元に置くことができたMac Japan創刊号

 
私はそれまでにもI/OとかASCII、RAMといったパソコン関連雑誌に早くから投稿し多くの原稿を書いていたが最初の単行本は技術評論社から出版された「図形処理名人 花子」というPC-9801用グラフィックソフト誕生に合わせたものだった。
まったくラッキーというしかないが、この「図形処理名人 花子」は3ヶ月間ベストセラーを続けて2年の間に13刷を重ねる記録を打ち立てた。その後多くの書籍を書いたが残念ながらこの記録には遠く及ばないものばかりだ(笑)。まさしくビギナーズラックそのものである。

ともかくそれが縁で技術評論社のOさんやKさんらにはお世話になり、その後も単行本執筆はもとよりムックなどに様々な形で寄稿するようになった。
正確なデータは覚えていないが1988年の秋口あたりだったか、技術評論社のKさんから連絡があり、当時靖国通り沿いにあった編集部に伺ったところ新しいMacintosh雑誌を発刊することになったので協力して欲しいという話をいただいたのである。
当時私はサラリーマンだったが来年早々に起業しようと画策していた時期だったしMACLIFEのライターとしても常連だったものの旧知の技術評論社から出版されるという月刊誌「Mac Japan」のコンセプトに賛同して連載をさせていただくことになった。
MACLIFEはすでに多くの読者を得てそのスタイリッシュな誌面作りは高い評価を受けていたが、Mac Japanはプロ仕様を意識したプログラミング関連情報や当時の日本市場において相対的に弱い立場にあったユーザー、サードパーティー、ショップらの利益保護や強化に一役買いたいということもあり、よりユーザーよりの立場を強化したイメージで編集された。

これらの内容についてはあやふやな記憶によるものではなく実は当時の媒体資料にそれらのコンセプトは明確に打ち出されている。
手元に残っている「Macintosh~おいしいリンゴのかじり方教えます」と書かれたA4見開きの媒体資料を眺めていると技術評論社の応接で出版の経緯を熱く語るOさんやKさんらの顔が思い出される...。

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※1989年初頭に技術評論社で受け取ったMac Japn発刊のための媒体向け資料表紙(上)とA4判見開きの中身(下)


というわけで同年10月号まではThe BASICの別冊という形だったが1989年5月号を創刊号とした「Mac Japan」がスタートした。その特集は「これでいいのかっ!? Macの日本語環境」だったが、私は「絵心のない人のためのグラフィック講座1」といった連載を開始した。

創刊3ヶ月後の8月号は早くも32ページほど本誌ページが増え雑誌も厚くなったし、スタートが好調だったのだろう...広告ページが増大しただけでなく本来なら競合相手であるはずのビジネス・アスキー刊「月刊Mac Power」の一面広告まで載るようになった。そして私の記事はともかく、藤本裕之さんの「情報概論」などMac Japanならではの名物記事も多々生み出されることになる。
こうしてMACLIFE誌とはいささか趣が異なった技術向けというか硬派のMacintosh月刊誌「Mac Japan」は好調な船出をしたのだった。

しかし起業したばかりのソフトハウスがフル回転する中、毎月8ページの連載をしつつ他にムックや単行本の執筆を続けるという無茶苦茶な毎日が続いた...。
気がつくと窓の外が白み始めていた...だなんて事も度々あり毎日の睡眠時間は平均で4時間という凄まじい生活になったのも今ではよい想い出である。
それに現在のように原稿が書き上がったといっても図版などと共にメールに添付して編集部に送って終わり...といった時代ではなかったから、そのほとんどはフロッピーディスク書き込んだものを持参することになっていた。
確かに面倒といえば面倒だが、靖国通り沿いを歩くと千鳥ヶ淵あたりは桜の季節や積雪による薄化粧などなど絶妙の美しさを見せてくれた。
そんな季節感を味わいながら編集部に伺い、旧知の編集者らとしばしの懇談することの楽しみがあったことも事実であり、会話の中から新しいアイデアや企画が生まれてこれまた新刊書として世に問うことができる機会もあったのである。

面白いことに「Mac Japnに何を書いたか」はほとんど覚えていないが、編集部のKさんらと語り合ったいくつかのことは今でも覚えていることがあるのだから不思議なものだ...。
結局私にとっての収穫は決して20年ぶりに再会した雑誌そのモノではなく、多くの方たちと直接巡り会い、語り合ったあれこれが血肉になっているように思える今日この頃である。

ラテ飼育格闘日記(119)

愛犬と毎日を過ごしているとき一番心することはいかに日々健康に過ごすかということである。ラテはこれまで1度肉球を噛まれて約1週間足を引いていたこと、そして風邪らしき症状が1度と3回下痢症状があった程度で幸い大事に至っていないが、毎日文字通り走り回っていることでもあり、怪我はもとより様々な病気が心配なのだ。

 

オトーサン自身、足腰に湿布をはり、時間があればマッサージチェアを愛用し、そして時には栄養剤を飲んで散歩にでかけるありさまで正直体力的には大変きつい毎日だ。
何しろ朝晩で合計6キロから8キロくらいの距離を散歩するのが日課になっているし、時には公園で気の合うワンコたちと出会えば走り回ることになり、リードを離さない主義のオトーサンとしては自身もラテに合わせて走るハメになる。
一昔前の健康診断では運動不足を毎回指摘されていたが、現在は間違いなく運動過多に違いない...(笑)。
まあ、歩くのはともかく走るのはひかえればよいのだろうが、ラテの嬉しそうな顔を見るに付けつい無理をしてしまうのだ。

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※嬉しそうに快走するラテと顎があがっているオトーサン(笑)


さてオトーサンのことはともかく、ラテは推定2歳9ヶ月ほどになるがこれまでありがたいことに大きな病気をしたことがないが先日公園でお会いするお仲間から聞いたところによればオトーサンもよく知っている10歳のコーギー犬が “胃ねんてん” で亡くなったとのこと...。
そのワンコは体毛にウェーブがかかった感じで少々太り気味のワンコだったが、その涼しげな目元が大変可愛い子だった。
詳しい経緯は知らないが、その原因からして文字通りの急病だったようだ。
飼い主さんの悲しみは想像するに余りあるが、ことは他人事ではなくいつ同じようなことがラテに降りかかるかわからない...。
人間の病気として「腸ねんてん」というのは耳にすることがあったが「胃ねんてん」とはこれまで知らなかっただけに調べてみたが、やはり時間が勝負の急病のようで経験のある医師による緊急手術が必要なようだ。

どうやらワンコは消化に時間がかかるようで、食後のすぐの運動は胃ねんてんの引き金になりやすいので注意を要するとのこと。ただし胃ねんてんという病気は神経質であったり太り気味といった性質・体質である場合の他、主に遺伝的な要素も大きいといわれているらしい。
一説には犬種によってもなりやすいケースもあるというが、雑種であるラテはその点どんな爆弾を抱えているのか不明なので怖いところである。

そういえば、ラテは持病をひとつ持っている。
持病といえるのかはともかく、彼女を引き取ってからこれまで何十回と経験しているので持病といって良いと思う。
なにかといえば “足がつる” という現象なのだ。
ラテが公園デビューの直後に「キャイーン」と高い声で鳴き、最初に右後ろ足を上げたときには怪我をしたのかと思った。
ガラスの破片や金属片あるいは草木の根だって形状と踏み方が悪ければ肉球を傷つけることもあるだろう。あるいは足を挫くという可能性もある。
オトーサンはそっとその大腿部に手を触れたが、明らかに筋肉が硬直しているので単に肉球を傷つけたのではないと直感した。
ラテは片足を上げたままじっとしているので様子を見ていると、1,2分後に少しずつ足を地面に降ろしてちょっと引きづりながらも歩き始めた...。その後念のため肉球を触ってみたが痛がる様子はないので一安心したが「ワンコも足がつる」とは考えもしなかった。そして散歩から戻ってから丹念に調べたが傷はなく当然出血もしていないし、ラテは普通に歩いていることからオトーサンは先ほどは “つった” のだと確信した次第...。

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※満面の笑顔でオトーサンにアイコンタクトするラテ

 
その後ラテはひと月に数回走っているときにまったく同様な症状を見せてうずくまることがあったし、自宅で身体を拭いているときオトーサンがちょっとぞんざいに足腰を扱ったのか「キャイーン」と鳴いて足を上げることもあった。
問題なのはそのすべてがいつも同じ右後ろ足なのでこれは癖というか持病なのかとラテをお世話して下さった方にも聞いてみたが、預かってくれていた3ヶ月間の期間中はそのようなことはなかったとのこと。
やはり何かの具合で1度つるとそれが癖になるのかも知れないが、私たちでも足がつるのは大変辛いことだから、我慢強いというワンコでもそれはかなり痛いはずだ。だから最近ではもしそうしたことが起こった場合はことを急がず、足が下がり自力で歩こうとするまでオトーサンは待つことにしている。

まあ、毎日雨の日も風の日も散歩を続けていれば様々なことが起こりうるが、先日オトーサンとしては初めての体験をした。
それは散歩から帰り、四つ足はもとより身体全体を綺麗にした後にラテの顔を見ると左目を頻繁に瞬きしているのである。
どうしたのかと眼を見開いてみると自身の細く短い毛が眼球を横断するように付着しているのだ。
これがオトーサン自身なら目薬を使うのはもとより、傷つけないように加減しながらも濡らしたティッシュなどで取り除くのは容易だが相手がラテなのでどうしようかと迷った。
このままだとラテ自身で眼をこすったりするかも知れないしオトーサンの指の腹で取ろうとすれば傷をつけてしまいかねない。なにしろじっと大人しくしているとは限らないのだから...。
そしてなによりも自分のことではないので加減が分からないだけに「さて...」と考えたが一瞬フラッシュバックのように思い出した光景があった。

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※石垣に身体を付けるようにして覗き込むラテは何を見ているのか?

 
それはしばらく前に公園で走り回っていたボストンテリアのワンコの眼に細かな枯れ草が入ったことを知った飼い主さん(男性)がとった行動だった。
ボストンテリアの眼球はゴミ類が入りやすくこれまでにも経験があったのかも知れないが、そのご主人は躊躇うことなく愛犬の眼球を自身の舌で舐め、ゴミを取ったのである。
「しょっぱいです...」と苦笑されていたが、その光景は強烈な印象としてオトーサンも覚えていたのである。
そうした方法が一番よいのかどうかは分からないものの、指やティッシュなどよりはずっとラテの眼球を傷つけることはないように思えたのでオトーサンも躊躇わずにやってみることにした。

まずオトーサンの口の中が汚れていてはまずいので洗面所で簡単に濯いでから早速ラテの眼球ナメを実践することにした(笑)。
さすがにラテもオトーサンの舌で眼球を舐められるという経験は初めてなので「なにされるのだろうか」と心配そうだったが、暴れたりせずされるがままだったので楽だった。そして細い毛は無事にオトーサンの舌の上に乗って取れたのである。
直後に再度確認のためにオトーサンはラテの両頬を両手で挟んで左目を覗いたとき、ラテの長い舌がオトーサンの口元をかすった...。
オトーサンには「ありがとう...」と言っているように思えた。

こうしたことが出来るのも日頃、それなりのコミュニケーションを交わしているからだろうと思うし、お陰様でラテはそれなりに良い子に育ったからだと嬉しくなり、その少々太い身体を抱きしめたオトーサンだった。

大阪ドームをいっぱいにしたMac Fan Expo in Kansaiの想い出

Mac Fan誌の最新号(2009年4月号)の特集のひとつは私が執筆の一部を担当した「マックワールド・エキスポの24年」だが、忘れるわけにはいかないもうひとつのExpoといえば大阪の地で1997年12月12日~14日の3日間開催された「Mac Fan Expo」である。

 
当時幕張で開催されていたMacworld Expo/Tokyoは恒例となっていたが常々東京だけではバランスが悪いし不公平だという意見があった。そして「マック関連の大型イベントを東京だけでなく大阪でも開催すべき」という意見や要望は多くの方々からあがっていたがこの年ついに実現したのである。

その名のとおり、このイベントはMacworld ExpoがIDG社により企画運営されたものとは違い、読売テレビが開局40周年イベントとして企画したもので、読売テレビおよびMac Fan誌などを発刊しMacコミュニティーを強力にサポート牽引している毎日コミュニケーションズ社の主催によるものだった。
今月号のMac Fan誌特集ではこのMac Fan Expoについてはごく簡単に紹介されているだけなので、その補足と言った意味も含めて往時の印象を記しておきたい。

まず特筆すべきはこのイベントは当時のMac Fan総編集長だったT氏の大きな企画力と尽力によったことは特筆しておくべきだろう。大げさでなく、この規模のイベントを成功裏に終わらせるのはコスト的な面も勿論だが、大変なパワーとバランス感覚を必要とするものだ。
脇で拝見していただけの私だが、イベントを成功させるのはまさしく人の力なのだということを肌で感じたイベントでもあったのである。

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※毎日コミュニケーションズ発行のMac Fan Expo in Kansai '97 出展案内ガイド表紙


さて会場はあの大阪ドームだった。
当初大阪でのイベントと聞いて私たちも正直二の足を踏んだ...。
何故ならMacworld Expoでさえビジネスオンリーで考えれば採算は取れていないのに、未知数の大阪でどれだけの成果が上げられるのだろうかと危惧したわけだ...。
何しろ機材や販売品などは札幌からタイミング良く搬入しなければならないし、当然の事ながらスタッフの滞在費もかかる。
正直苦慮したが、ともかくなるべく金をかけずにやってみよう...ということになった。
それにいま考えると笑い話だが、スタッフの間では即売コーナーでお客様から「まけてくれ」と言われたらどうしたらよいかを真剣に考え、マニュアルまで作ったことを鮮烈に思い出される(笑)。

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※大阪ドームをいっぱいにしたMac Fan Expo in Kansaiは大成功だった


さてブースは2小間とし、間口が約6メートル、奥行きが3メートル。そしていわゆる一番費用のかからないパッケージブースをお願いした。その真っ白に張り紙された殺風景なブース壁面に、札幌のプライベートショーで使ったディスプレイを再利用して飾りつけるという、まあまあ...経費節減ブースであった。
球場の真ん中にこうしたブースを出すことなど初めての経験だったし、なにしろ全方向がスタンドの座席なのだからまさしく異様である。
しかし恐る恐る初日の会場に来てみると、すでに開場を待つお客様の長蛇の列ができていたのに驚いた。なにか考えていた様子とまったく違う迫力と熱意が感じられるようで、身の引き締まる思いをしながらオープンの準備に入った。

結果は予想外の大成功だった。
Mac Fan Expoの3日間、過去のどのMacworld Expo/Tokyoより平方メートルあたりのブース来場者数は多く混雑を極めていたし、販売コーナーでの即売もここ数年間にMacworld Expo/Tokyoで経験した以上の売上げを達成したのだった。そして危惧していたお客様からの「まけて」という要望はたったのひとりだった...(笑)。
私たちのブースの通路前には知名度の高い大企業ブースがあったが、嬉しいことに...というか滅多にそうした事は起こらないのだが、一時期確かに私たちのブースの方がお客様が多かった(笑)。

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※私の会社の小さなブースは文字通り大入り満員が続いた


大阪のお客様は総じてストレートだった。例が適切かどうかは分からないが、私の感覚ではアメリカのお客様のような感じを受けた。なぜなら面白いものには即表情や体でそれを表してくださったからだ。
ともすれば東京を中心とするイベントでは「興味はあるが、気恥ずかしいので...」という気持ちが働くのか、斜に構えて極力感動を表さない人も目立つものだが反してこの三日間のお客様は素敵だった。お世辞でなく素敵だった!!
「これを買いに来たの」と笑顔で「キューティマスコット」のパッケージを抱えて帰られた女性の方が翌日「早速マスコットを作ってきたので見ていただけますか?」と再び私たちのブースを訪問してくれた...などなど印象的なお客様が多かったことは忘れられない。

ところで搬入の日、東京から大阪に向かう新幹線の中で「大阪は経験がないし、不安ですよね。自信がないし...」と愚痴をいっていたスタッフの一人は、現金なもので、帰りには「来年も私が担当になります」と目を光らせていたほどだった。
しかし残念なことにMac Fan Expoはこの一回限りとなってしまったのである。


ラテ飼育格闘日記(118)

 野村獣医科Vセンター院長の野村潤一郎氏はその著書「Dr.野村の犬に関する100問100答」で「暇なとき、犬は何を考えているのですか?」の問いに、飼い主と一緒に行く散歩のことだとし、90%は散歩のことで10%が食べ物のことで後はほとんど何も考えていないだろうと答えている。
はたしてそうなのだろうか? たまにはオトーサンのことなど思い出してくれないのだろうか。

 

ラテが暇なとき、何をしているのか...。完全に眠っているときを別にするとまず床やマッサージチェアに横たわっている時間が多い。ただし本当は寝ていてもオトーサンたちが近づいたから目を覚ましたというのが真相だとすればそのほとんどは寝てそして夢でも見ているに違いない。
また出窓のたたきに寝そべり、日差しを浴びながら寝ているときもあるものの、窓の向こうの径を行き交う人たちやワンコあるいは猫などに敏感に反応している時間も多い。そして窓の外を眺めながら吠えるときのほとんどは、警戒や嫌いな人物あるいはワンコが通ったときだ。
反対に知っている人やワンコが通れば吠えるにしてもその吠え方はまったく違う。
それらを見て、ラテが何も考えていない...何も連想していないというのはどうも信じがたいと思うのだが...。

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※その輝いた瞳で何を見、何を考えているのだろうか?

 
ところで「オトーサンはラテにとって何者なのか?」これはオトーサン自身にとって大問題である。単に好かれているのかあるいは嫌われているのかといった事ではなく、ラテにとってオトーサンはどのような存在なのかを出来ることなら知りたいと考えてきた。

推定だが生後6ヶ月ほどで我が家に来たラテは、すでに刷り込みの時期は過ぎているはずだからオトーサンのことを母親的存在とは考えていないだろう。またよく言われるように“リーダー”というのも存在としては大変曖昧で抽象的だ。もっと具体的にどのような対象なのかを知りたいのだが...。
やはり兄弟といった感じでもないから妥当なところとしては仲間として従うべき友人といったところなのか...。

自分で言うのも変だが、オトーサンはラテに嫌われているとは思っていない。散歩中にもアイコンタクトはきちんと取るし言うことも基本的には聞いてくれる。怖いことがあれば抱っこを要求してくるし時には無類の笑顔を振りまいてくれる。
女房への対応とは違い、オトーサンに対して口元を舐めにきたり、膝に乗ってきたりといった行動をしないのが少々不満だが、オトーサンが横になりウトウトしている時など、興が乗れば口元や耳などを舐めることもままあるのだ。
またラテの身体の何処を触っても怒りはしない。ワンコが触られるのを苦手とするマズル、お腹、尻尾、肉球の間はもとより耳の中やお尻に手を当ててもラテはオトーサンには怒らないし、食事中に食器はもとより食べ物に手を出しても威嚇したり歯を立てたりすることはない。

ここで一番問題になるのは前回「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記(117)」のテーマだった「ワンコは支配性を主張する動物か?」ということが大きくかかわってくるように思える。
これまでほとんどの育児書やトレーニング本などは犬をオオカミの子孫とした上で、強力なリーダの元で群れという縦社会で生きる動物であり、序列を常に意識して仲間との調和ならびに闘争を図っているというのがワンコという動物だということになっていた。
こうしたDNAあるいは性質を利用して、いかにしたら飼い主はワンコのリーダーになれるかを指向することがワンコの問題行動を是正するため、あるいは問題行動を生み出さないために必要だという理窟になっていたわけだ。
無論このことひとつをとってもいまだに犬のプロといわれる人たちの間に真反対の見解があり、定説は統一されていないことは前回ご紹介した通りである。
しかし、オトーサン個人としてはラテを見ている限り、支配性を主張しているとは思えないのである。

例えば散歩に出た直後、ラテは強くリードを引く。このことだけでもこれまでの定説によれば支配性の表れであり放置してはならないことだとされている。
とはいえオトーサン自身、800日間文字通りラテと寝起きを共にし、スキンシップと共に観察し続けてきた体験から導き出した結論は、ラテに限ってリードを引くことが支配性を主張するものであるとはまったく考えられない...ということである。
それはあくまで待ちに待っていた散歩の時間がきたことを喜び、少しでも早く外に飛び出したい、目的地に行きたいという願望がストレートに出ていると考えている。したがってオトーサンは自宅から出たとき、なるべくラテの気持ちをくんでやり一緒に走るようにしているのだ。
そのときラテはこちらにアイコンタクトしながら、大変嬉しそうな笑顔で伴走する。その表情には支配性のかけらもない。

また休日には女房も散歩に参戦するが、そのときにラテは別の気遣いを見せるのも興味深い。
なぜなら、スタート時には同じようにリードを引き、前へ前へと急ぐラテだが、しばらく進むと後ろを振り返り、もし女房の姿がかなり遠くなっていたり見えなくなっていたりするとその場にお座りをして近づくのを待つのだ。
急ぎたいという気持ちはあるものの、そこは自我丸出しではないところが凄いと思う。

 なお公園から戻る頃になるとラテの興奮も落ち着いていることもあり、出かけるときとはうって変わってリードを強く引くことはほとんどない。オトーサンの左右にピッタリと付き、リードを付けているという感触がないほど見事な歩きっぷりである。
もしラテが支配性を求めているなら、行き帰りの差はあり得ないはずだ。支配性に“疲れたから”とか“気分”といったことはあってはならないわけで、支配性を持っているならいつでもオトーサンより前に出てリードを引き続けなければならない。

また公園でボーダーコリーと会うと実に楽しそうに遊ぶ。体形はラテより一回り大きい雄犬でボーダーコリー特有の身体全体をぶつけ合いながら駆け回る。その際に多々前足をラテの首や肩にかけたり、顎をラテの背中に乗せたりする行動を示す。

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※友達のボーダーコリーとお互いにマウンティングを楽しんでいるラテ

 
これはマウンティングとよばれ、定説では支配的行動だといわれている。しかしラテとの絡みを長い間観察しているとこの支配性行動だという説は当てはまらないことも明白だと思う。
なぜなら、ラテも負けずに前足を相手の身体に回し、相手が被さってくるなら逆に下に潜り込んで相手を持ち上げようとする。そしてその表情はお互い優位性を示すための厳しいものではなく、実に楽しそうにしている。
確かに人の子供も「僕の方が偉いんだぞ...強いぞ」といった力の誇示をするときがあるが、この場合のラテとボーダーコリーの取っ組み合いも確かに力の誇示といった意味合いも含まれるかも知れないが、真意は遊びと触れ合いを心から楽しんでいるとしか思えない。無論お互い所々で頭を低くし、お尻を高くあげる例の「遊ぼう」ポーズを忘れない。

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※遊びであることを示すワンコ独特なポーズをとるラテ。その表情は実に楽しそうだ

 
お互い、マウンティングされても怒ったり喧嘩になったりするわけではなく、嬉しそうに組んずほぐれつしている様は支配性行動うんぬんとは無縁だろう。

こうして考えるとますますオトーサンのポジションは見えてこない(笑)。なぜなら支配性を否定することはリーダーうんぬんというポジションも不用ということになるからだ。
ひとこと「リーダー」といえばそれらしく聞こえるが、群れとか家族のリーダーというだけではラテにとっての立場は明確に見えてこない。
リーダーでもなければ母親でもなく、兄妹でもないとすれば...やはり怖い父親といったポジションなのか?
それとも一目置いている友達といったところなのだろうか。オトーサンの探求は続く...。

「Vanlandingham」プログラムの思い出再考

「Vanlandingham」という古いソフトウェアの画面を「Apple 資料室」に載せてあるが知人から「これって...何?」というメールを貰った。オールドマックユーザーなら胸のすくようなエピソードを持ったこのソフトウェアを特別の思いで記憶に宿しているかも知れないが、ほとんどの方は当然のことながら知る由もない...。

 
「Vanlandingham」はプログラムサイズがたった14KBの小さなアプリケーションだが、最初期のMacintoshユーザーにとっては忘れられないソフトのひとつとなのである...。
Macintoshは当時最新のGUIを持って生まれてきた。しかし当初はアプリケーションが少ないとか、メモリが少な過ぎるとか、そしてモニタが小さくモノクロだとか...といった批判もなかったわけではない。

確かに往時他のパソコンと比較すると飛び抜けた先進性を感じるMacintoshだったが、実は早々にMacintoshを凌駕するのでは...と思われたマシンが登場したのである。それが1985年にCommodore社が発売したAMIGAだった。
AMIGAは早くからGUIとマルチタスク処理を取り入れた画像処理能力とサウンド重視のパソコンとして登場し、主にゲーム向けとして支持された。
私もお茶の水駅近くのマンションにショップを開いていた "パイナップル" でAMIGAを何回か使わせてもらったことがある。

正直、その魅力的なカラー画面と迫力のあるサウンド、そして確かに複数のソフトウェアが同時に走る強力なマシンを見て「これは凄い...」と思った。ただ何故か私はそれを欲しいとは思わなかった...。
結局AMIGAも日本語化の遅れの問題でつまずいた感があったが、それ以前にCommodore社が倒産し、経営体制が流転するうちに残念ながら一般には忘れ去られるはめになった。しかし現在でも熱心なファンが世界中にいるようだ。

さてそのAMIGAだがその関連サイトを覗くと赤と白の格子で彩られた球体が表示されるページがあった。
実は1985年当時、このボールがはね回るデモはAMIGAの強力なカラーおよびグラフィック能力を見せ付ける象徴的存在としてMacintoshユーザーにも驚異と写ったのである。

この「Vanlandingham」というプログラムはそうしたMacintoshユーザーの心理を十分承知した上でBoston Computer Societyから1986年に配布されたパブリックドメインソフトであった。それは無論カラーではなく、サウンドも出なかったがMacintoshのグラフィック能力も "ここまでできるぞ" という事実を示す具体的なアピールであり、だからこそ当時のユーザーグループなどでこのデモは大いに受けた。

実際「Vanlandingham」を起動すると約1分ほど待たされる間に表示する "About the program..."に明記されているように「このVanlandinghamは、AMIGAで驚かされたデモへのMacintoshの答えだ」とある。

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※「Vanlandingham」のAbout the program...画面


また "About the program..." には続けて簡単な使い方と、LisaやMac XLでは動かない旨が記され、最後にBoston Computer Societyの紹介と年間28ドルで入会できるという勧誘のメッセージがある。
その使い方の注意にはアニメーションが滑らかでない場合にはAppleTalk、デバッガ、スクリーンセーバー、時計表示をはじめ他のバックグラウンドプログラムを終了させてくれとあり、さらにマウスを動かすことさえアニメーションの速度を遅くするとあり、Macintoshの処理能力の限界を見せつけられた思いもしたものだ。



※「Vanlandingham」の "About the program..."とプログラム開始から終了まで


「Vanlandingham」は起動すると、透視画的に描かれたバックグランドの前に白と黒の格子縞模様の球体が何ともスムーズに...その陰と共に優雅にバウンドしながら回転する。なお、マウスボタンのクリックで動きを止めたり再開することができ、何らかのキーボードを押すことで球体は "じわ〜っ" と消えてプログラムは終了する。
ただそれだけのことなのだが、つい見続けてしまう魅力を「Vanlandingham」は持っている。

実はこの「Vanlandingham」がプログラムされたエピソードがこのソフトウェアを特別のものとして記憶させているのだ。
それはこの「Vanlandingham」は、あるカンファレンスかなにかの席で、AMIGAユーザーから「マックにはこんなことはできないだろう」と言われたプログラマーたち(Boston Computer Societyのメンバー)が、その言葉に発奮して、なんとそのカンファレンスの期間中に書き上げたものだという。

そうしたニュアンスが前記したAbout the program...の記述に見え隠れするように思う。
というわけで、大げさに言うなら、「Vanlandingham」は最初期のMacintoshユーザーにとって小さな "誇り" を取り戻し、加えて多少の "優越感" を持つことに貢献した記念すべきソフトウェアだといえるのかも知れない。


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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員