ラテ飼育格闘日記(130)

ラテは約2ヶ月毎に美容室へ連れて行くことにしている。それは体毛全体が伸びるからで見映えを良くするのと同時に汚れにくくするといった実用面も考えてのことだし、本格的なシャンプーやブラッシングをやってもらうことで皮膚を清潔に保つ意味もある。しかしラテ自身は美容室に行くことを嫌がるので連れて行くのも一苦労なのである。

 

毎日2回の散歩の後、オトーサンはラテの体を専用のウェットティッシュなどで拭き、清潔なタオルで濡れた体をマッサージしブラッシングを怠ることはない。そのためかこれまで皮膚病にかかったこともなくラテの毛を触る人たちからは「ラテちゃんの毛は柔らかくて気持ちがいいねえ」などと言っていただける。しかし身体全体の毛は2,3ヶ月も過ぎればかなり不均等に伸びてくる。
目立つところといえば、首の回りにタテガミのように伸びてくるのはまだ問題はないとしても、例えばお尻回りの毛が伸びてくると排便の際に汚しやすくなるし、四つ足や肉球回りの毛が伸びればこれまた汚れやすくなって綺麗にするのに時間がかかるようになる。そして毛並みの荒れは汚れやすくなるだけでなく毛玉の原因となったりダニなどを付着させる毛原因となり、ひいては皮膚病を誘発することにもなりかねない。
なにしろ季節は初夏といってよいほど暖かい日もあり、散歩で歩く径は草木が青々と成長し始め、多くの虫たちも目立ち始めてきた。

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※ガムを噛みながらオカーサンの行動を観察するラテ

 
というわけで2ヶ月ほどをメドにラテを美容室に連れて行くことにしているが今年になって2回目を実行することになった。
そこでは単にシャンプーやトリミングだけでなく、爪切り、耳掃除、歯磨き、そして肛門線絞りといった一連のサービスもしてくれるので大助かりなのである。それにラテは極端に水を嫌がり、まともにシャンプーをさせてくれないからこうした機会に本格的なシャンプーをするのも健康によいと思っている。
無論いきなり愛犬を美容室に連れて行ったところでダメで事前に予約が必要である。それだからと、とある金曜日に電話をいれ「明日か明後日の土日のどちらか予約を入れたいが」と聞いたのだがすでに予約は1杯であるという。仕方がないので日曜の翌日の月曜日なら何とか予定が取れると考えて聞いてみたがこれまたウィークディーなのに予約は1杯だった。
確かに一匹のワンコを綺麗にするのに時間はかかり、1日に数十匹も相手にできないのだろうがこんなところにもペットブームだ...という実感がわいてくる。
結局1週間遅らせた次の日曜日に予約を入れることにした。

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※公園内を全力疾走すると咽が渇きます...

 
さて予約の時間は午前11時であり、朝の散歩を終え一休みしてからまた出かけるということになった。この時点でラテは尋常の散歩ではないことを感づいているはずだが、その美容室は駅の向こう側にあり、途中までの道のりはたまたま行くコーヒーショップへの径と同じなのでしばらくは違和感ないようだ。
というのはラテはすでに十数回もその美容室の経験はあるわけだが、基本的に嫌がるのである。無論他人に体をあれこれと触られるわけだから気持ちは分かるが、病院に対してとはまたいささかニュアンスが違う。とにかく美容室に近づくとリードを引き行きたくないと抵抗する。
それをなだめながら、時には強くリードを引くが面白いのはあと10数メートル先に近づくと「嫌だあ!」の極致なのだろうか、リードを引くのではなくオトーサンに抱っこを要求するのである。
しかしこのラテの行動はオトーサンにとって美容室に連れて行きやすい状況を作ってくれるので歓迎である(笑)。だからいつもラテはオトーサンに抱っこされながら美容室のドアを入ることになる。
ただし美容室のカルテにはラテのことを「良い子」と書かれているらしい。オトーサンたちから離れてしまうと心細いこともあってか大人しくなるようで、歯磨きもお願いできるワンコはそう多くはないらしい。

2,3時間後に「終わりました」という電話が入るとオトーサンたちはまたまた坂道と階段が多い美容室までの道を30分ほどかけて歩かなければならない。飼い主もなかなか大変なのである。
ともあれ美容室のカウンターの向こうからリードに繋がれたラテの姿を見ると疲れなどは吹っ飛んでしまう。
口を開け、耳を後ろに引き倒し、目をキラキラと輝かしながら尻尾どころか大きなお尻をフリフリしてオトーサンたちに飛びついてくる。
美容室でラテがどれほど協力的なのかはわからないが、毎日朝晩の散歩の後で体をきれいにする際には驚くほど協力的である。オトーサンの作業手順とかパターンは覚えているからだろう、特に最近はやりやすくなった。

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※よく運動した後はよく眠る。しかしこんな狭いところで寝ることもないとオトーサンは思うのだが...

 
玄関のたたきに上がったラテはシートの上に腹ばいになる。オトーサンは普通、雑巾でラテの前足の肉球そして後ろ足の肉球を拭くことから始めるが、オトーサンが雑巾を持ちラテに近づくとラテはお手のように左前足を差し出すのだ。そして後ろ足の番になり、片方の後ろ足がお腹の下になっているときオトーサンが「ほら、足を出して...」とお腹を軽く突くとラテは腰を浮かして後ろ足を引っ張り出しやすくするためにちょこっと出す。
肉球の汚れ落としが終わると大判の専用ウェットティッシュで顔、首、腹、背中、股、お尻、尻尾などを順番に拭いていくが、どの箇所を触ってもラテは怒ったり唸ったりはしない。無論オトーサンもデリケートな部分はゴシゴシと力を入れることなくそれなりに優しくする...。
このときラテは四つ足立ちしている状態だがオトーサンがラテのお腹を拭くとき、ラテは両前足を座っているオトーサンの太股に置き腹の位置を高くして拭きやすいように配慮してくれるのだ。
このウェットティッシュによる拭き掃除は身体全体を適度に湿らせることになるので汚れを拭いた後は乾いたタオルで丁寧に拭き乾かすことになる。面白いのはラテはこの乾いた石鹸の香りがするタオルが大好きなことだ。濡れることが嫌いだということもあるのだろうが、オトーサンがタオルを取り出すと待ってましたとばかり頭を突っ込んでくる。そのまま両手で顔を包んで拭いてやるとハアハアと呼吸を荒くして喜ぶ...。

まさか美容室でラテが進んで仕事をやりやすくするような気遣いをしているとは思わないが、美容室に行くことは例え2,3時間だとはいえオトーサンたちと離れる唯一の経験であり心細いのだろう...。
余談になるがシャンプーとトリミング、そして歯磨きといったオプションも含めて美容室の料金は9,135円もする!
オトーサンはこのところ10分間程度でカットだけしてくれる1,000円の理髪店に行っているというのに...である(笑)。

ソニーのデジカメ新製品「DSC-HX1」ファーストインプレッション

大谷和利さんからの刺激を120% 受けてソニーの高画質技術を結集した新しいデジタルカメラ「サイバーショット DSC-HX1」を手に入れた。ソニーのデジタルカメラを手にするのは何年ぶりだろうか...。私はサイバーショット誕生時の最初期ユーザーでもあったがソニーのデジカメは正直好きでなかったのだ..。

 
最初期のサイバーショットは出来が良くなかった。蒸し返すようだがバッテリーの持ちも非常に悪く私たちは「サイバー“ちょっと”」と揶揄していたほどである(笑)。
それ以上に違和感を持ったのはソニーが独自に開発したメモリスティックだ。
コンパクトフラッシュ、SDカードなどなどさまざまな記録メディアが乱立し始めた中で事実上ソニーだけが採用しているこのメモリスティックなるものは他メーカーの製品に転用できないこともありその「自社が提唱するモノが一番なのだ」とでも言っているようなコンセプトが鼻につき気に入らなかった。
考えても見ていただきたい。もしもそんな調子で富士フィルム、カシオ、リコー、オリンパスなどなど各社が独自の記録メディアを開発されてはユーザーはたまったものではない...。当時はそう考えたのである。したがってこの十数年多くのデジカメを手にしたもののソニーの製品はそれ以来1台も買っていなかった。

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※ソニーのサイバーショット「DSC-HX1」パッケージ


さて今回手にした「 DSC-HX1」は正直そのデザインがあまり好き出てはないもののあくまで機能重視で選んだ結果である。
有効画素数は910万ピクセルでCMOSセンサー「Exmor(エクスモア)」と画像処理エンジン「BIONZ(ビオンズ)」の搭載によって、低ノイズ設計かつ最大画像サイズ(9M)で秒間最大10コマの高速連写を実現。無論光学式手ぶれ補正機能も備えている。
カメラを一振りするだけで、最大224度のパノラマ写真を1秒で撮影できる「スイングパノラマ」機能。最大画像サイズ&メカニカルシャッターで、秒間10コマの高速連写、高速連写した6枚の画像を1枚に合成してノイズを低減する「手持ち夜景モード」、動画撮影機能はCyber-shotでは初めてのフルHD(1440×1080)に対応そして28~560mm相当/F2.8-5.2の20倍ズームレンズなどなど見るべき機能が満載の製品である。

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※「DSC-HX1」はこの種のデザインとしてはコンパクトだ(上)。液晶は3型でチルト可能(下)

 
すでにいくつかのデジタルカメラを所有していることもあり個人的に本機に期待する機能は限られている。無論その第1は「スイングパノラマ」機能、第2は高速連写した6枚の画像を1枚に合成してノイズを低減する「人物ブレ軽減モード」「手持ち夜景モード」そして20倍ズームといったところだ。
特に海外旅行に行くとか、珍しい風景に出会うといったことを期待しているわけではないが、私の住んでいる地域は緑が多く土地の起伏も激しい。春には桜が、秋には燃えるような紅葉、そして夏にはむせるほどの緑に埋め尽くされ様々な野鳥が飛び交い鶯の姿も難なく見られるという土地柄である。その恵まれた風景の真っ只中に愛犬と足を踏み入れる毎日だがその圧倒的なスケール感を含めてパノラマ撮りをしてみたいと考えていたからだ。また緑が深い場所は夕刻にもなれば薄暗くなるものの、だからこその美しさも手軽に残して置きたいと日々デジカメを携帯してきた。
「 DSC-HX1」はどこまでそうした期待に応えてくれるのだろうか...。

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※使用するバッテリーはNP-FH50。記録メディアは取り急ぎテスト用としてMEMORY STICK PRO Duo-Mark2を買ったが、別途MEMORY STICK PRO HG Duoも入手中

 
「 DSC-HX1」はレンズ一体型だが手にすると実際には意外と小ぶりであることが分かる。なお液晶部は3型で前後方向にチルトが可能だ。
本体はブラックでボディの材質は特に高級感はないがネットの写真などで見るよりは存在感がある。またグリップ感も悪くないがジョグダイアルを押し込んでしまったりMENUボタンを押して「あらら...」ということになっている。まだ手に馴染んでいないからだろう。
ともかくバッテリーを充電し、夕刻の散歩に首から提げてみたが持つと小型でも常時携帯するとなればコンパクトデジカメのようにはいかず少々邪魔になる。しかしとにかく数枚の連写と「スイングパノラマ」を撮ってみたがパノラマもシャッターを押した後にカメラを設定にしたがって振れば良いだけだ。これで1秒程度できれいに画像をつなぎ合わせてくれるのだから凄い。ただし難しいことは一切ないが、やはりそこはカメラを移動するスピードをはじめとして多少のコツは習得する必要があるようで数枚は一部の画像が出来ていない形になっていた。

パノラマ撮影は「標準」と「ワイド」が選べ、左右の場合にはそれぞれ最大154度で4912×1080ピクセルと最大224度で7152×1080ピクセルになる。
ともかく「標準」設定でまずまず旨く撮れた1枚を見ると154度全域のパノラマ写真なのに歪みは目立たない...。本来は4912×1080ピクセルでファイルサイズも3.6MBほどあるわけだが事情を知らない人にこの縮小した写真を見せても一般的な写真の上下を取り払い、中央部分だけをトリミングしたように見えるかも知れない。

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※パノラマ例


また夕暮れの風景などを撮った感想としてはフォーカススピードが速くかつなかなかシャープな写真が撮れるようだ。
具体的な使用感については後日にお伝えしたいと思うが、愛犬たちが激しく動き回る姿を収めるにも大いに役立つように思う。
デジタルカメラも一時はその解像度を上げるだけに終始した時期があったし、はたしてデジカメはこの後どのような進化あるいは退化するのだろうかと少々訝しく思ったこともあった。しかしハイビジョン撮影はもとよりだが、メーカー各社が独自のユニークな機能で製品開発を行っている現状はユーザーとして楽しみである。

本機は記録フォーマットにRAWがサポートされていないこともあり、当然のことながら価格も含めてプロ志向の製品ではないがデジタルカメラ本来の「写真を楽しむ」ということを思い出させてくれる製品のような気がする。
また良い意味で意外だったことがある。それが「 DSC-HX1」の操作性の良さ、分かりやすさだ。かなり多機能な製品だからしてさぞかし扱いや操作が複雑なのでは...と思っていたが取扱説明書はたった70ページほどに要領よく説明されているといういたってシンプルなものだった。
まだまだ全ての機能を把握したわけではないが、一通りの機能を取扱説明書と共に確認しているが全体的に操作が分かりやすくて好感が持てた。

ちょっと...ソニー...見直したゾ。


 

当研究所にあの大谷和利さんらが来訪!

あちこちで住居の沿線に新型インフルエンザの感染者が乗ったとか、降りたとかの情報が先行し大阪の知人からは「東京でマスクは手に入らないか?」といった問い合わせがあるまでになった。そういえば50歳以上は感染者が少なく60歳以上はいないといった情報まであるらしい。そんな殺伐とした昨今でもオヤジは忙しいのだ...(笑)。

 
感染者が出た地域の学校などは万一の場合を想定して1週間ばかり休校するところが多くなったが、本当かどうかは不明ながらもしかしたら私らオヤジたちは新型インフルエンザに対しての基礎免疫力があるのかも知れないという説まで出ているという。
それはともかく私は一時より外出というか遠出は少なくなったものの、組織のバックアップもなければ縛りもない。したがってスケジュールさえ問題なければ何処にでも出向かなければならないがマスクはしていない。なかなかゆっくりと休んではいられないのだ...。そして何だか一年中風邪気味といった状態が新型インフルエンザに強いのかも知れないなどと悪たれをつきながら今日も人混みの中へ...(笑)。

さて、Lisaが当研究所に鎮座したことを知った友人や知人からいくつか質問など寄せられているが、“動く” Lisaを確認したいということで来訪される人も多くなった。なかなか当方とのスケジュールが合わないのでまだお会いできていない人たちもいるが先日の土曜日の午後、あの大谷和利さんがお二人の方と共にLisa見学に見えられた。
大谷さんについてMacユーザーにあらためてご紹介する必要はないと思うが、最初期からのMacintoshユーザーでありテクノロジーライターそして私設Macエバンジェリストや路上写真家と自称されるほど多面的なそして熱い活躍をされている方である。また周知のように原宿にあるAssistOnのアドバイザーでもあり、カメラをはじめ新しくそしてユニークなアイテムの探訪者でもある。
身近では資料として日々役立てている「AppleDesign 日本語版」の訳者であり「iPodをつくった男」や「Macintosh的デザイン考現学」など多くの著者でもあるし、ご承知のようにMac Fan誌やMacPeople誌の執筆では常連である。

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※Lisaの前に座る大谷和利さん。ご本人の許可をいただき掲載

 
僭越ながらそのお人柄を紹介するなら大変有能な方であると共に常にポジティブ、そして人間的にも素晴らしい方である。
どの業界もそうかも知れないが、自分のことを棚に上げてもの申せば...特にベンチャーだのITだのと持ち上げられてきたこの業界の中には企業経営者から開発者に至るまでよくいえば個性的、悪く言えば非常識人も目立つ。
特定の分野には確かに高い能力を持ってはいても人との接触の仕方を学んでいない人物もいるし、いわゆる非常識が個性だと勘違いしている輩もいる。またこれまでビジネス上の約束などを守れない人たちも数多く見てきた。
そんな中で大谷さんは他に類のないポジションを築かれてきた。そして一見自由人のようだがバランス感覚に優れた正真正銘のビジネスマンでもある数少ない方だと拝察している。そしてお会いする度に何らか新しい刺激を受ける方でもある。
ともあれ個人的には大変古いお知り合いである。なぜなら演算星組が「Mac書道」開発中、私は頻繁に同社に立ち寄りその開発過程を拝見するだけでなくマニュアルまで書くことになったその当時にお目にかかったのが最初だった...。

最近では多摩美術大学のHi-Fi (History of Interface and Future of Interaction)「インターフェースの歴史とインタラクションの未来」プロジェクト・メンバーとしてご一緒する機会が増えたが、当研究所にお越しいただくのは初めてである。
ご一緒された和田電機(株)の代表取締役であり信頼文具舗というサイトも運営されている和田哲哉さんと(株)ヒトリシャという編集プロダクションの代表取締役である石川光則さん共々、動作しているLisaをご覧になるの初めてだという。まあ私自身だってリリース当時を別にすれば、催事の際に電源が入っていたLisaを遠目で眺めた程度だから、ほとんどの方はLisaの起動ならびにオペレーションを経験したことはなくても不思議ではない。まさしくほとんどの方にとってLisaは「古くて新しいマシン」なのである。

当日は狭くて居心地の悪い部屋で我慢していただくしかなかったが、幸いLisaの機嫌も良く無事に一通りのデモは終了した。
マックとのデザイン面での類似性や昔話に楽しい一時を過ごさせていただいたが、さすがに大谷さん...。首からはソニーの新製品デジタルカメラ「Cyber-shot DSC-HX1」を下げておられただけでなく私が愛用しているカシオのデジタルカメラ「Exilim EX-F1」もお持ちだとか...。そればかりでなくキングジムの「ポメラ」のユーザーというからやはり古参のマックユーザーは接点が多いなあと再認識した次第である(笑)。

その「Cyber-shot DSC-HX1」の一大特徴でもあるカメラを縦横に流すだけでパノラマ写真が撮れるという機能を見せていただいたのが以下の写真である。無論実際のデータは4912×1920ピクセルのJPEGで約3.9MBくらいにもなる大きなものだが、当研究所の狭い空間とその乱雑ぶりを見ていただけるものと思う。

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※大谷さんがDSC-HX1のパノラマ機能で撮影した当研究所の様子


私にとってLisaは研究のためのアイテムだが、この古くて新しいマシンが意外にも新しい出会いのきっかけを作ってくれることになったのは何よりも喜ばしいことである。

ラテ飼育格闘日記(129)

ラテが自分専用の場所だと言わんばかりに出窓の狭いたたきの上で居眠りをしている姿を見ているとオトーサンはつい愛しくなりその眠りを妨げてしまう。ラテは日中のほとんどをこうして外を眺めながら過ごしているが、一体何を考えているのだろうか...幸せなんだろうか。

 

オトーサンはラテがこの世界をどのように眺め、どのように感じているのかを知りたいと思い続け、ラテの毎日を観察し多くのワンコ関係の書籍を読んでいる。
そのまことに穏やかな寝顔を眺めながらオトーサンは考えてしまうのだ。
彼女にはこの世界が...いや我が家とオトーサンたちがどのように見えているのだろうか。彼女にとってオトーサンたちはどのような存在なのだろうか。そもそも彼女は本当に幸せなのだろうか...。
そのウトウトした目で見上げる視線を暖かく感じながら考えてしまうのである。
私たちが70年、80年生きるであろう世界をワンコたちは10数年そこそこで駆け抜けていく。その短い生涯をどのように思い、感じ、眺めているか、ワンコの飼い主ならきっと不思議に...疑問に思うことがあるのではないか。

先日書棚にあったエリザベス・M・トーマス著「犬たちの隠された生活」(草思社刊)をあらためて読んでみてオトーサンは感動に打ち震えると共にワンコの本当の意味における幸せとは一体何だろうかと考え込んでしまった...。

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※エリザベス・M・トーマス著「犬たちの隠された生活」(草思社刊) 表紙


ラテを含むいわゆる家犬はその飼い主なくしては生きていけない。これは特に現代の都会では事実である。そしてその多くはワンコ一匹が人間の家族たちの中で暮らしているケースだと思う。まるで一人っ子そのものである(笑)。
いや...なにを言いたいのかといえば、「ワンコは人間たちと一緒に生活することが幸せなのだろうか」と思ったまでだ。

ワンコの祖先がオオカミであろうとディンゴあるいはコヨーテであってもよいが、本来彼らの祖先が人間に近づいてきた一番の理由は食べ物だったに違いない。いわば食べ物欲しさに人間に接近し一緒に生活することを選んだわけだ。
ただしオトーサンはワンコたちは人間から食べ物を貰うだけのために人間にすり寄り、生きているというつもりはない。他のワンコはともかくラテを見ているとオトーサンたちを信頼しつつ大変豊かな感情をぶつけてくれる。満面の笑顔を見れば彼女が本当に喜んでいることはわかるものの肝心の部分については一定の距離を置いているように思えるのだ...。それがラテの知能の高さを際立てるようにも感じるし反対にいささか寂しくも感じる点なのだが...。

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※最近では珍しいラテとオトーサンのブランコシーン。しかし...でかくなった(笑)


これまでの定説だと我々人間もワンコにとっては群れの一員であり、ワンコはその中で序列を作り規律のある生活をするとされてきた。しかしオトーサンが見るところ、何度も自説を展開してきたとおり、ラテはどう見てもワンコと人間とを同列には見ていないと考えざるを得ないのだ。
一見ワンコたちより人間の方が好きだと思わせる行動もするし、事実そのように思える。しかしそれだからこそラテは人間とワンコは別の種だと理解している証拠ではないかと思うのだ。
きれい事をいえば、ラテはオトーサンたちから見てまさしく種を超えた大切な家族であるが、ラテから見てもオトーサンやオカーサンは犬ではないからやはり同じく種が違う家族だということになるのだろう...。
そうだとすれば、当然のことだろうが同じ種であるワンコ同士とのやり取りとはまた違った気の使い方をラテはオトーサンたちにしているように思えるのである。

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※オトーサンと歩きながらコミュニケーションするラテ


もしも...である。人間が滅び、犬の種族が生き残ったとする。そして彼らの生命を維持していくだけの食料や水が確保できたとするなら、犬にとって犬同士で生活することが何よりも自然であるべき姿なのではないかと想像してしまうオトーサンなのだ。
犬同士だからしてさまざまな意味でそこには序列があり、彼らが生きていく上に守らなければならない掟もあるだろう。しかし別の種である我々人間たちとの生活より、犬同士でコミュニティを構成できるなら彼ら彼女らにとって一番の幸せではないのか...と少々感傷的になってしまうオトーサンなのだ。
それは前記した「犬たちの隠された生活」を読んでいてある種の確信みたいなものを感じたのである。

著者のエリザベス・M・トーマスはいう...。
「犬はなにを望んでいるか。彼らはほかの犬といっしょにいることを望んでいる。人間などは彼らにとって、所詮“擬犬化”された代替物にすぎない」と...。
「友達同士いっしょに生きる犬は、穏やかで、プラグマティックであり、ほかの、人間という友達しか知らない犬たちが、ときとしてヒステリックにそうしたがるように、自分の要求や感情を知らしめようと躍起になったり、自分の観察したことを伝えようとむきになったりはけっしてしない。」
そしてトーマスの愛犬がアルツハイマー病に冒された晩年、「人間なるものが存在していることさえ、あらかた忘れはてていたが、森にはコヨーテが、草原にはハタネズミがいることは知っていたし、他の妹たちのことは覚えていた。ただし人間たちのことは、ときおりとまどったような目で、あたかもわたしたちがだれであるかだけでなく、どんなものであるかも忘れてしまったように、ぼんやりと見つめていた...」とある。

ワンコたちにとって当然といえば当然なのだが、犬同士の絆の方が例え餌をくれ、安全な寝場所を提供してくれる人間たちより自然なのだ。
だがラテだけではないがほとんどの飼い犬は一匹だけで人間の家族の中で暮らしているケースが多い。その中でたまたま犬としての自尊心を出すとすればそれは人間社会にとって問題行動といわれてしまうこともあり得る。彼ら彼女らも生きていくのはなかなかに大変な世の中なのだろう...。さらに「うちのワンコは人間の方が好きなのよ...」とばかり、ワンコと遊んだり喧嘩したりする機会を奪ってしまう飼い主もいる。これらはワンコにとって決して生きやすい世の中ではないのかも知れない...。
しかし確実にいえること...それは冷静に考えれば考えるほど、オトーサンたちがラテに与えているものよりもラテから受けている恩恵の方がはるかに大きいと思う昨今である。

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※この穏やかな表情を眺めているとオトーサンも幸せな気分になってくる


ともかくオトーサンが、辛い足関節に湿布を貼り、栄養ドリンクを飲んで毎日散歩に出かけるのも少しでもラテに仲間のワンコとの触れ合いをさせたいと思う一心からなのである。確かに好き嫌いの激しいラテは苦手のワンコや嫌いなワンコも多い。しかし真に気を許せる、そして大好きなワンコたちに会ったときのその姿や喜び様は我々人間たちに見せるものとは違うように思われてならないのである。しかし最近はいつもの公園に集うワンコたちの姿が少なくなったようで、ラテも些か寂しいようなのだ...。

「さあ、ラテ...そろそろ散歩にでかけようか!」とオトーサンはリードをラテに見せる。
ラテは耳を倒し、口を大きく開けて尻尾を振りながらオトーサンに駈け寄り早くリードを付けてくれといわんばかりに頭を差し出す。
その顔を見るとツイ無理をしてしまうオトーサンなのだ。

Lisaの処理スピードはどの程度なのか?

Lisaが商業的に失敗した原因といわれているあれこれについてはこれまでにも紹介してきたが、そのひとつに処理スピードが遅かった...というのがある。しかしこの辺の問題は現在の視点からのみ判断することは正しくないと思うが、友人知人たちからも「Lisaのスピードはどの程度なのか?」と聞かれることも多い。今回はそうした点に的を絞ってお話ししたい。

 
あのアラン・ケイはLisaの欠点はAltoで使っていたような高速のビットスライスプロセッサを使わなかったことだと延べ、68000はオブジェクト指向のプログラムには非常にできの悪いアーキテクチャだとまで言い切っている。そして高級なことを性能の悪い緩慢なハードウェアでしようとすれぱ、急激に困難な常態に陥り作動しなくなるともいっている。
彼のもの言いは問題の要点を突いているように思える。

市販のパーソナルコンピュータとして初めてマウスを標準搭載しGUIを採用、そしてマルチタスクを実現していた文字通り革新的なシステムやアプリケーションを理想的な形で動かすには時代背景的に考えてもハードウェアの準備が整っていなかったともいえるし、またその利点を市場にアピールするのは至難の業だったといってよいのかも知れない。なにしろLisa開発のインスピレーションを得た暫定ダイナブックとしてのAltoおよびSmalltalk自身多くの人たちが見学したにも関わらず、それらの利点を製品化しようと試みたのはスティーブ・ジョブズしかいなかったのだから...。

Lisaが登場した翌年1984年にリリースしたMacintosh 128Kでさえ、CPU 68000のクロックは8MHzだったがLisaのそれは5MHzで動作させることになった。
Appleの誰がLisaのCPUをモトローラの68000に決めたのかについてはよく分からないが、ポール・クンケル著「アップルデザイン」ではスティーブ・ウォズニアックだとされている。
そのウォズニアックは斎藤由多加著「マッキントッシュ伝説」の中で68000は新型マイクロプロセッサの中でベストだったとしながらも、その命令セットには少し失望したといっている。
ともかくこのCPUはマルチタスクを実現でき、適切なソフトと十分なメモリがあればゼロックス社のStarのように動作するであろう事を期待された。

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※Lisa 2をLisa Office System 3.0で起動したそのパフォーマンスをご紹介する

 
とはいえLisaだけが、Lisaのみがいわゆる往時のコンピュータとして遅かったわけではないらしい。これは随分と昔に聞いた話だが、ゼロックス社のStarも同じように遅かったという...。これまたソフトウェアが複雑すぎてハードウェアの限界を超えてしまうことが度々あったという。
事実Thierry Bardini著/森田哲訳「ブートストラップ~人間の知的進化を目指して」のなかで「リサはひどく遅かった。ゼロックスのスターほど遅くはなかったかもしれないが、それでも快調というよりは大変遅いといった方がよかった...」と記述されている。

さて、Lisa開発の時代背景はともかく私の目の前にあるLisa 2はどうなんだろうか...。
結論めくが、この十数年の間にパーソナルコンピュータのユーザーとなり、それを仕事であれホビーであれ使い込んできた人には間違いなく「遅い」と感じるに違いない(笑)。ただし私らのようにリアルタイムにMacintosh 128Kを手にしたユーザーは当初ハードディスク環境がなかった。だから、そもそも速い遅いの印象はある種の体験から来る比較の感覚に違いない。
例えばMacPaintというグラフィックソフトはそのフロッピーディスクにOSも含まれており、フロッピーを入れて電源をONにすればまずOSが起動後にアプリケーションが動き出すということを当たり前としていた。したがってそうした体験を持つユーザーはLisaの緩慢な動きも正直大して苦にならないのではないか。そんなものだ...ということが染みついているからだが、しかしどうあがいても「遅い」という汚名は返上できるものではないこともまた事実であろう。
あえてLisaを擁護するもの言いをするなら、昨今の大変大がかりなアプリケーションの中にも...CPUが桁違いに強力になってにもかかわらず...起動が遅くそして動作も緩慢に思えるものも少なくないではないか...。ましてやLisaのそれは今から25年とか26年も前の話しなのだから...。

今回は「百聞は一見にしかず」の例え通り、まずはLisaによるLisa Office System 3.0の起動の様子をご覧いただきたい。なおLisaの起動から終了に至る概要は「Lisa オペレーションの核となる 7/7 Office Systemについて」を合わせて一読していただくことをお勧めする。
なおお断りするまでもないと思うが、ブラウン管を撮影しているため一部に走査線が映っているが、このパターンは実際のモニター上にはない。
まず最初の動画はLisaの電源を入れたところからの撮影である。



 
電源投入後しばらくしてブラウン管が明るくなり、Lisaの起動を確認できるようになるが、最初のダイアログはハードウェアテストの表示だ。それが問題ないと起動がフロッピーディスクからなのか、あるいはProFile(X/ProFile)を接続してあるパラレルボードからなのかを問う画面になる。
それをマウスで指定するとはじめてLisa Office System 3.0が起動し、デスクトップ画面が表示する。
繰り返すが途中、マウスでオペレーションする箇所があるものの電源を入れてデスクトップが表示し、いわゆるハードディスク(ここではCF化のX/ProFile)ボリュームのウィンドウを開くまで約60秒程度である。

続いてのテストは起動後、あらためて「Disk」アイコンをダブルクリックしウィンドウを開き、そのウィンドウ移動やメニューバーのプルダウンメニューを開く様子、そしてLisaDrawというアプリケーションを起動する過程をご紹介している。
ちなみに新しい書式を用意してからアプリケーションを起動するというLisa独特の手順ではあるが、LisaDrawの起動時間を計ってみると約20.63秒だった。
その後、LisaDraw上で矩形と円形を描いて移動やリサイズを実行し、LisaDrawを終了しウィンドウを閉じ、使ったファイルをゴミ箱に捨ててから電源を切るまでをご覧いただける。



 
いかがだろうか...。Lisaの動作は我慢できないくらい遅いか、あるいは思ったより速いなどなど...感じ方は人それぞれだと思うが、本機は何度も記しているとおりOSやアプリの起動をハードディスクではなくCF(コンパクトフラッシュ)、すなわちシリコンディスク化している。
これは不安定で壊れやすいProFileを考慮しての改良だが、ハードディスクと比較すれば若干そのアクセススピードは速くなっていると思われる。
そうした点を鑑みながらこの映像をご判断いただきたいと思う。

私自身の感想だが、決して速くて快適だとはいわないものの、Lisaのインパクトはスピードの問題を超えたものがあったわけだし、当時の他のパソコン...具体的にはIBM5550、PC-100、Macintosh 128Kを使ってきた感覚として「こんなものだ」という思いを持っているのだが...。

【主な参考資料】
・「アップルデザイン」アクシスパブリッシング刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「ブートストラップ~人間の知的進化を目指して」コンピュータエージ社刊

Lisa オペレーションの核となる Lisa 7/7 Office Systemについて

Lisaは “Lisa 7/7 Office System (LOS)” によりオペレーションすることになる。それらにはOSはもとよりLisaCalc、LisaTerminal、LisaDraw、LisaGraph、LisaList 、LisaProjectそしてLisaWriteという7つのアプリケーションが含まれている。そしてそのパッケージは実に見事な存在感だ...。

 
Lisaは他のコンピュータとのデータ互換性がなかったこと、そしてAppleがサードパーティーのGUIソフトウェア開発には時間がかかると考えたため、自社開発した7つのアプリケーションを同梱した。ただしLisa 2になってからはコスト的な配慮から別売になったりしたが、それらはワードプロセッサをはじめドローアプリケーション、表計算ソフトやグラフ作成ソフトなどなどを含み一般的なビジネスで必要とする仕事をこなすためのツールが一通り揃っていたわけだ。
「Office」うんぬんといえば今ではマイクロソフト製品の代名詞みたいだが、文字通り統合アプリケーション環境であった。

私の手元にあるのはLOS 3.0のパッケージである。それは昨今の味気ないパッケージと比較すると圧倒的な存在感があり大変豪華に思える。

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※Lisa 7/7 Office System 3.0のパッケージ


それは前記した7つのアプリケーション毎に良質なマニュアルが用意され、それらとは別にOffice Systemのマニュアルが含まれている。そしてそれぞれの3.5インチフロッピーディスケットが別のケースに収納されている様はなかなかに美しい。

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※Lisa 7/7 Office System付属のシステムあるいはアプリケーションフロッピーディスク一式


ちなみに1984年のキヤノン販売カタログによれば、バージョン2.0だがLisaTerminalを除いて価格は50万円になっている。そしてそのLisaTerminalは別途8万円だ...。

なおこれはLisa 2用であるが、ちなみにLisa 1のLOSパッケージはこれまた桁違いだった。7つのアプリケーションのマニュアルはそれぞれOwner’s Guideと同じハードで大型のバインダーに納まっていたからだ。
ともかくそれらを一望すれば、昨今のiWorkに含まれているNumbersがApple最初のスプレッドシートでないことはお分かりだろう。
またLisaDrawは後にMacintosh用のドローアプリケーション「MacDraw」に、LisaProjectは「MacProject」として書き直されてリリースされている。

さてLisaを現在のMacユーザーが予備知識無しに使うとすれば、そのかなり違うオペレーションに最初は大いに戸惑うと思う...。
Lisaに関して多少の予備知識ならびにリリースされた1983年以降これまで数回オペレーションする機会があったはずの私でも正直英文のUser’s Guideを見ながら試行錯誤を重ねている。
詳しいレベルの話は私自身まだ理解していない部分も多く、またそれは一冊の書籍ができてしまう事になるので避けるが、今回はLOS 3.0の起動から終了までのほんの“さわり”をご紹介してみたい。細かな点はまた別の機会に紹介する機会が多々あるだろう...。
なお特別断りがない限り、例として取り上げるのは私の手元にあるLisa 2/10ならびにX/ProFile化したProFileの設定に基づくものである。

起動するにはまずProFileの電源を入れ、続いてLisaの電源を入れる。Lisaの電源スイッチは本体正面の右奥下にある。

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※Lisaの電源スイッチがONの状態


これでまずハードウェアテストが実行され続いてスタートアップのデバイスすなわちフロッピードライブからか、あるいはX/ProFileからなのかを問い合わせる画面となる。

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※Lisa 2の起動直後のハードウェアテスト画面(上)、スタートアップのデバイス指定画面(中)およびLOS 3.0が起動中の画面(下)


これに答えるとX/ProFileのCFカードからLOS 3.0が起動となる。ともかくこれでMacintoshに似たデスクトップの画面が現れる。
ただし最初に起動するときには「The/Lisa clock/calender is not set properly. Open the Clock to set the correct date and time.」というダイアログが出るが、Lisaはそもそも1995年までしかカレンダーを認識しないので1995年に合わせるしかない...。したがってシステム起動後にClockアプリを立ち上げて時刻はもとよりだが1995年の×月××日と設定し、File/Printメニューから「Save & Put Away ”Clock“」を実行の上、設定を保存する。

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※Lisa 7/7 Office System 3.0起動後のデスクトップ画面。上にはメニューバーがあり、下にはいくつかのアイコンが
 

問題はここからだ...。
LOSのデスクトップはMacintoshのFinderに似てはいるが前記したようにその使い方や仕様はかなり違う。ざっとLOSが起動した画面を眺めるとメニューバーがあるがその表記は当然のことながらまったく違うし一番左にアップルロゴもない。
メニューバーの表示はMac OSと同様アクティブな対象により変化するが、例えば基本のデスクトップの場合はメニューバーの左から「Desk」「File/Print」「Edit」そして「Housekeeping」となる。
ちなみに「Housekeeping」メニューはいわゆるデスク回りを管理整頓するためのコマンドがあるが、”Housekeeper“ とはまったく素敵な命名ではないか...。

「Desk」のプルダウンメニューは「Calculator」「Clipboard」「Disk」といったデスクトップに置いてある対象のランチャーならびに起動確認メニューの働きをするし「Edit」には「Undo」もありオペレーションのイメージは十分理解できる。しかし戸惑うのは「File/Print」のプルダウンメニューだろうか...。

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※メニューバーにあるDeskのプルダウンメニューを開けるとこんな感じだ


ちなみに例えばデスクトップに置いた「Disk」アイコンをダブルクリックすればそのウィンドウが開いてインストールされている対象が表示する。そしてウインドウサイズの変更やウィンドウの位置変更などもMacintoshと同様だが、ウインドウを閉じるクローズボックスがない。
ウィンドウを簡単に閉じるにはMac OSでいうところのタイトルバー左にアイコンがあるので、それをダブルクリックすればよい。
またウィンドウや文書などを閉じるには例えば「File/Print」メニューにあるSet Aside “アクティブな対象名” を実行すれば当該ウインドウあるいはドキュメントが閉じられるし、Set Aside Everything を実行するなら現在オープンしているすべてのアプリが終了となりウインドウも閉じられる。

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※File/Print のプルダウンメニューもMac OSとは雰囲気が違う


なおウインドウ内の表示はMac OSと同じようにアイコン表示だけでなく名称によるリスト表示も可能だ。
重要なのはアプリケーションの使い方もMac OSとは違うことだ。
Mac OSでは一般的には、例えばワープロのアプリを立ち上げ、新規書類を用意してから文書を入力し、ファイル名を決めて保存するという手順を踏む。しかしLisaは例えばLisaDraw Paperといういわばルーズリーフから白紙の一枚を引きはがして書式を用意しタイトルを付ける。その後にその白紙を開いて文書を入力するという手順を取る。
勿論LisaDraw Paperといういわばルーズリーフから白紙の一枚を引きはがす(準備する)にはLisaDraw Paperアイコンをダブルクリックするわけだが、そうすると新規の文書ファイルが新たに作られるというわけだ。

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※LisaDraw Paperアイコンをダブルクリックして新規ファイルを作成(上)、それをダブルクリックするとLisaDrawが起動し新規ページが開く


Lisa一番の特徴はそのアーキテクチャにある。MacがMac OS Xの登場まで待たなければならなかったプリエンプティブ・マルチタスク環境をLisaは1983年に実現していたのだ。したがってMac OSのように爆弾マークが出てシステムがフリーズするということは基本的には回避されている。
そして最もユニークなのはシャットダウン...すなわちLisaを終了させる方法だ。
Mac OSに慣れているというか、その概念が染みこんでいる我々はマウスでメニューバーやそのプルダウンメニューから終了あるいはシャットダウンというコマンドを探してしまうがLisaにはその種のコマンドはない。
ではどのようにしてマシンを終了するかだが、使用中に電源ボタンを押せば良いのである。
この方法はMac OSに慣れている我々には無謀としか思われないがLisaはマシン起動中に電源ボタンが押されると、数秒かかるもののファイルは保存され起動しているアプリケーションが自動で終了した後に電源が切れるというシステムになっている。

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※使用中に電源をOFFにした例(上)、ウィンドウは片付けられた後、モニターは徐々に暗くなって電源が切れる(下)
 

そういえば、あらためて気がついたことがある。Windowsが登場した際、マイクロソフトは処理待ちを示すアイコンはMac OSに似せることを避け現在も使われている砂時計にした。しかしLisaのそれはまさしく砂時計なのである...。結局Windowsはその点Lisaを真似たことになる(笑)。

大げさに言うと...というよりあくまで個人的な感覚だがLOSによるオペレーションをMac OSになぞらえてひとつひとつ確認し解釈していく様はなんだか、古文書を現代語に解読していくようなそんな面白さを感じる。そしてLisa解読はまだまだ続く!

ラテ飼育格闘日記(128)

ワンコは我々人間とは比較にならない高度な嗅覚を持っているし聴力だって人間よりはるかに高い音まで聴きわけるという。ただし視力に関してはあまり頼りにならないというのが定説になっている。かなりの近視だという説もあるが、日常ラテと生活しているとどうやらそんな単純なものではないように思えるのだが...。

 

近視ということは一般的には近くのものは判別できるが一定以上の距離にあるものは判別しにくくなるはずだ。しかしラテをはじめお仲間のワンコたちを観察しているとどうも違うように思える。
なぜなら鼻先にオヤツを差し出すと一瞬臭いを嗅いで確認したりあるいは一度口に咥えるが地面に落として確認する場合がある。したがってワンコだからといって差し出されたモノを闇雲に食べるばかりではないのだが、こうした行為は個体差も大きい。しかしいくら嗅覚が優れているワンコだといっても差し出されたものを視覚で判断できないのかと思うが、実はワンコの目は70センチ以内になると焦点が合わないのだ。
これは単に視力の問題というより目の構造にかかわることだという。

我々人の目は両眼共に前方を向いているがワンコの目は40度ほど外側を向く構造になっている。このため犬種にもよるものの一般的にワンコは人間より視野が広いということになる。したがって逆に両眼による立体視が可能な範囲は人間よりかなり狭く、結果として目の前には焦点が合わないらしいのだ。

スティーブン・ブディアンスキー著「犬の科学」によれば200頭あまりのペットの犬の視力を調べた検査では全体の平均値はほぼ正常に近かったものの、狩猟犬であるレトリーバー種、コッカー・スパニエル、スプリンガー・スパニエルは平均してやや遠視だったという。そしてロットワイラーの2/3、ジャーマン・シェパードとミニチュア・シュナウザーの半数がかなりの近視だった。
要は個体差により正常な視力を持つワンコもいれば、遠視あるいは人間ならメガネを必要とするような近視のワンコもいるということになる。

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※ラテの見上げる視線には抗しがたい魅力がある


ワンコの視覚と嗅覚を小説で描いた例としてシャーロッキアンのオトーサンが印象的なのがシャーロックホームズの1編「ショスコム・オールド・プレイス」だ。
ポイントだけ説明すると飼い主が大事にしていた愛犬は不都合があったとかで屋敷から出されてしまう。
ホームズはその犬を預かり、飼い主が馬車で散歩に出かける時間を見計らって待ち伏せ、その犬を放す。犬は喜び勇んで飼い主の馬車に駆け寄るが瞬間喜びが激しい怒りに変わったようでそのスカートに猛然と噛みつく...といったストーリーである。
種を明かせば馬車に乗っていたのは本物の飼い主ではなく身代わりだったというわけだが、この小説が発表された当初から「犬は見た目でごまかせることはない」として姿だけを見て喜び勇んで駆け寄り、他人だと分かったからといって怒るようなことはない...といった意見が専門家と称する人たちからも多かったようである。
それらの根拠として犬は視覚に頼らず、嗅覚と聴覚だけに頼っているからというのがその理由のようだ。

しかしこのストーリーでは当然のことながら身代わりは本物の飼い主の身につけていた服を着用し、ビクトリア調時代だからして鍔の広い帽子とベールで顔を隠していたことになっている。したがってもし犬が視覚に頼らずうんぬんだとしても本物の飼い主が着用していた衣服を着ているのだから飼い主と認識し喜び飛びついてもよさそうではないか。
それにラテを見ていると鼻面の近くはともかく、意外と視覚にも頼っているように思えるのだ。

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※散歩の帰り道,空いたペットボトルをサッカーボールよろしく口でリフティングし蹴飛ばして遊ぶラテ


例えばラテを可愛がってくれる小学生の女の子がいる。たまたまそのオカーサンと愛犬と共に公園で会うが、女の子の姿がかなり遠くに見えたとき、そして風下でもないときにでもラテはそれと気づいて駆け寄る。
またラテに会うと「ラテ...ラテ」と呼んでくださり餌をくれる奥さんがいるが、同じくかなり遠くにその方と愛犬が見えると「ウォンウォ~ン」と一種の要求吠えをしながらリードを引いて近づこうとする。
こうしたことを嗅覚や聴覚だけで認識しているというのはいかに優れた嗅覚・聴覚を持つワンコとはいえ無理があるように思える。無論ワンコでも個体差があるだろうが、少なくともラテはかなり視覚も優秀だと考えざるを得ない。
同じことはラテだけではない。ラテが大好きなマキちゃんという雄犬はオトーサンがラテともに公園に入るその姿をかなりの遠くから認識し、オヤツを欲しさに猛烈な早さで駆け寄ってくる。
面白いのはオトーサンに対してだけではなく、馴染みの飼い主さんを見つけると同じように駆け寄るのだが、たまに相手を間違えることがある点だ。それはやはり視覚に頼るからこその間違いではないだろうか...。

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※砂が敷いてある公園でオトーサンと軽快に駆けるラテ


本来ワンコは夜間視力も人間より優れているはずだ。他の夜行性動物と同じくワンコの網膜後方にはタペタム・ルシダムと呼ばれている特殊な細胞層があるが、この細胞層は反射鏡の役割を果たす。
猫や犬の目が光に反射するのはこのためである。網膜を通過してきた入射光を反射し、もう一度光の受容細胞に戻すことにより飛び込んできた光粒子を可能な限り検出しようとする働きをするわけだが、この仕組みは特に弱い光の場合は不可避的に像をぼやけさせるという...。
ラテだけではないようだが、そうしたことのひとつの証明として、夕刻になり公園全体が薄暗くなる頃になるとちょっとした人通りに向かっても吠えるようになる。それは近づく人が真っ昼間とは違い、誰だか視覚で判断が付きかね、不安になって吠えるのだとオトーサンは考えているのだが...。
しかし本来ワンコは動体視力に優れているから、制止していれば400メートル先でやっと見える目標でも動いていると800メートル先でも特定できる場合があるという。
だとすればワンコにもよるだろうが、視覚により物事を判断することも多々あるようだし、その視力もなかなか良いように思えるのだ。
ラテはきっとその優秀な視力でも日々オトーサンたちを観察しているに違いない。

刀剣、特にその"拵(こしらえ)"の魅力

前田慶次道中日記」の紹介時に日本刀の拵(こしらえ)に触れたが、今回はその刀と拵えの魅力について紹介させていただくことにする。よく刀は武士の魂などと称するが言ってしまえば元来は人殺しの武器である。しかしこの日本刀ほど日本人の美意識を表しているものはないと思えるほど特筆すべきものであり、その拵により刀剣は芸術性をも高めているという希有な存在である。

 

日本刀の特徴は、"折り返し鍛錬法"で鍛え上げられた鋼を素材とし、非常に高度な技術により「折れず、曲がらず、良く斬れる」の相矛盾する3要素を実現した我が国独特の武器である。
以前テレビの番組で日本刀の性能を試す実験として刀身に向け拳銃の弾丸を撃ち込むことをやったが、弾丸は見事に両断され刃こぼれもしなかった。日本刀はそれほど特殊で鋭利な刃物なのだ。

この日本刀の切れ味を子供の頃実際に体験したことがある。それは母方の祖先が武士だったらしく、日本刀の刃先が10数センチで折られた状態のものが我が家にあった...。たぶん祖父らが戦争中に持って行かれることを嫌がりいくつかに割ったのだと聞いた記憶があるが今となっては細かなことは分からないしその所在も分からなくなったままだ。
ともかく私が小学生の頃だったが、父が窓の外にある鉄柵にその日本刀の刃先を打ち付けたことがあった。たぶん私が「それって本当に凄く切れるの?」としつこく問いただしたからかも知れない(笑)。
その結果は子供心に驚いたが日本刀はしっかりと鉄柵に食い込んだものの刃こぼれひとつしなかった。そして印象的だったのは日本刀の折った部分を見せてもらったがそれはまるでフランス菓子ミルフィーユみたいに薄い金属が沢山重なっていた...。

まあ、刀そのものに関するあれこれは知識が豊富であるわけでもないので知ったかぶりは止めるが、我々の日常において刀からきた言葉が多々あることを知っていただきたいと思う。それだけ日本刀は我々にとって身近なものだったということだ。
例えば「切羽詰まる」の切羽は鍔(つば)の両面に添える長円形の金具のことだ。これが詰まって塞がると刀の抜き差しができなくなるところからこの言葉が生まれた。また「つばぜり合い」も文字通り刀のつばとつばが競り合うような緊迫した戦いを意味するわけだ。

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※鍔に密着した金色小判形のものが「切羽」で、鍔(つば)や鎺(はばき)などと共に刀身との接合を良くし機能を保つ役目をする


「折り紙つき」というのも元々は刀の鑑定書のことだし「さやあて」「しのぎを削る」「反りが合わない」「目貫通り」「やきを入れる」「もとの鞘に納まる」「単刀直入」「付け焼き刃」「おっとり刀」などなど、いかに私たちの生活に日本刀というものが例え象徴的にせよ染みこんでいたかという証ではないだろうか。

さてそれでは私のお気に入りの脇差しを例に刀の拵を見ていただこう。
ちなみに江戸時代と現代とは法律的な意味も含めて相違があるらしいが、現在30~60cm以下を脇指、60cm以上を刀と分類するそうである。
無論この一振りを気に入ったのは前田家の紋(梅鉢)が蒔絵になっている点を含め実用的な拵でありながら、垢抜けた作りになっているからだ。

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※お気に入りの前田慶次モデル脇差し(模造刀)


これは傾奇(カブキ)者として知られた武士、前田慶次をイメージしたものだということだが、残念ながら慶次が使っていた実物の揃いは現存していない。しかし叔父に当たる前田利家が奉納した拵などを見るまでもなく当時は金銀はもとより、貝や錦あるいは皮あるいは象嵌や金蒔絵を多用したかなり派手な作りの拵もあったことがわかる。
無論「江戸の刀剣拵-コレクション」(井出正信著/里文出版)という一冊に載っている数々のコレクションのような見映えのする拵は実用というより家宝あるいは鑑賞用として大切に保存されたからこそ現代まで残ったのだろう。

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※「江戸の刀剣拵-コレクション」(井出正信著/里文出版)は刀剣の拵写真集である


ただし侍たちにとって普段使うもの、正式な装束における佩刀はずっと地味な拵であったという。いわゆる登城差しといわれる大小は柄巻は黒糸、鞘も黒が普通だった。

そうしたことを念頭に入れて手元の拵を見るとカブキ者として知られた前田慶次をイメージにしては地味かも知れないが、実に垢抜けした拵であり飽きがこないのである。
この一振りは全長48cm、刃渡りが27cm、重量は鞘を含めて630gといった脇差しである。そして受け売りながらその拵を見ていくと、鞘が暗朱呂塗(前田梅鉢紋蒔絵入)で実によい色味だ。

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※前田慶次モデル脇差し各部位


柄の仕様は紺糸捻り巻き(暗朱染鮫)、縁頭金具は梅図高彫金具、目貫は雌雄龍図目貫(銀古美仕上げ)で鍔が菊図喰出鍔だという。そして下緒は多色織で真田紐打となっている。さらに刀身は美濃伝名工・関ノ孫六兼元を模しその波紋は孫六三本杉刃紋である。

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※刃がついていないとはいえ切っ先は鋭い。模造刀とはいえ扱いを間違えると大けがをする


刀身は亜鉛、真鍮、アルミニウムなどの合金でできており、ちょっと見かなりの切れ味に見えるが刃は付いていない。しかし鞘に納めたり鯉口を切る際に扱いを間違えると怪我をしかねないし、切っ先は鋭いから無論突いたら危ない。
日本刀は日本人の美意識をもっともよく表したものだとも言えるし、本来人を殺すための武器である点も逆に実用を超えた精神性を重視する方向に向かわせたのかも知れない。

ところで、許されるのなら着流しでも着てその腰にこの一振りを差し剣客商売の秋山小兵衛よろしく歩いてみたいが、それは立派な銃刀法違反だという。危ないという点だけでいえば鉄バイブや金属バットあるいはゴルフクラブだって危害を加えようとするなら立派な武器になるわけだが、勿論これらを持ち歩いても銃刀法違反にはならない。
銃砲刀剣類等所持取締法の第22条の4(模造刀剣類の携帯の禁止)にはあくまで「金属で作られ、かつ、刀剣類に著しく類似する形態を有する物で総理府令で定めるものをいう」と明記されている。
要するに一見本物と見分けがつかないようなブツを持ち歩いてはいけないということだ。ただし前記したように模造刀には刃がついていないために所有するに際して届け出を必要としないし勿論所持して楽しむのに制約はない。

しかしこれら日本刀をMacがある部屋で眺めることもあるわけだが、どう考えても...取り合わせがよくない(笑)。やはり床の間がある和室に正座して対峙しないとどうも格好がつかないのが難点である。

江戸の刀剣拵コレクション




興福寺の阿修羅に思う

上野の東京国立博物館平成館で国宝の「阿修羅展」が開催されている。奈良興福寺創建1300年記念イベントだという。会場には連日一万人以上の人たちが詰めかけていることもあって、入場待ち時間を携帯サイトで案内までしている。私も仏像好きの阿修羅ファンだが、だからこそ混雑の中では会いたくないので上野にはいかないつもりである。

 
奈良興福寺にこれまで何度足を向けただろうか..。無論それは阿修羅に会うためであるが、記憶しているだけでも6,7回は阿修羅像の前に立ったはずだ。その憂いのある表面の表情はどこかファンだった今は亡き夏目雅子の面影がある...。
この阿修羅像が東京に来るのは半世紀ぶりだという。あの、みうらじゅん的にいうなら「久々の阿修羅さん東京出張」ということになる(笑)。

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※国宝 阿修羅展のパンフレット表面


すでにご存じの方も多いと思うが、この阿修羅像はもと興福寺西金堂に釈迦三尊、梵天・帝釈天、四天王、十大弟子像などとともに安置されていた八部衆のうちの1体である。
この堂は734年(天平六年)光明皇后が前年の1月に亡くなった母橘三千代の一周忌に間に合うように創建したもので、光明皇后の強い意志が感じられるという。
興福寺の阿修羅像は3つの顔と6本の腕をもつ少年を思わせる可憐な像だが、胴体も腕もとても細く、憂いのある敬虔な表情が脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の技法でとてもリアルに表現されている。

リアルなのは体や顔だけでなく巻きスカートのような着衣、そしてなによりも身につけている装身具類も素晴らしい。
この天平時代、都にはシルクロードを通じてアジア諸国やオリエントの宝石や装身具も入っていたに違いないが、阿修羅の首からかけられているオーナメントに彩られた豪華な宝石類はもとより、腕釧(わんせん)や臂釧(ひせん)といったあでやかなブレスレット類はこの像を女性的なイメージへと誘う感じもする。

しかし阿修羅はもともと古代インドの神で、インド名をアスラという。アスラは戦闘の神であり、激しい気性の持ち主とされ、これまでにも様々な美術作品としても見ることができるが、興福寺の阿修羅にはその激しさはどこにも見られないし八部衆としてもこの一体だけ武装していない。
アスラは帝釈天(インドラ)に多くの戦いを挑むが勝てず、戦うことの苦しみを負い、ついに釈迦に帰依したという。したがって一般的な阿修羅像は怒り顔、三つの顔、6本の腕、そして赤い肌で表されるのが普通だが興福寺の阿修羅は造形として同様でもその表情から怒りがまったく消え、逆に内面に向かった憂いと懺悔の表情をうかべている...といわれる。
ともかく正面の顔を正視すると私は何故か切なくなってくる...。この切なさは正面から向かって左側の表情が下唇を噛んでいる悔しさの表情としか思えない姿を見ると増幅されるのだ。そしてもう一つの顔は私にはどこか魂が離脱でもしたような放心...諦めの表情にも思える。だから阿修羅像の前に立つと人間臭さを感じて共感を覚えるのだ...。

この阿修羅のモデルが誰か...といった論議も結論が出ていない。少年のようでもありまた少女のような中性的なその姿に多くの人たちが魅惑されるが、誰がモデルかについては記録がなく想像するしかない。
当時大陸から渡ってきた異国の少年たちをモデルにしたのではないかという説もあるが、一説には聖武天皇と光明皇后の娘でのちの孝謙・称徳天皇となった阿倍内親王では...という説もあるという。後に道鏡との醜聞で知られる彼女は当時15あるいは16歳だったらしい。
これだけの高度な表現を可能にした作者の名は仏師万福とされているがその作りは渡来仏師の感性とは思えない日本人の魂を揺さぶるものを持っている。

この阿修羅像には6月7日まで上野の東京国立博物館平成館の「国宝・阿修羅展」で逢うことが出来る。
私もできることなら覗いてみようと思っていたが連日大変な人手でピーク時には50分も待たされるというので躊躇している...。
阿修羅との再会が「...止まらないでください!」といったアナウンスの中ではなんともやりきれない...。したがってたぶん上野には足を向けないと思うが、気になったのは開催に合わせて会場限定販売の公式グッズ「阿修羅像フィギュア」が発売されたことだ。ただし予想はしていたものの即売り切れたらしい。
人気の秘密は展示会場のみの特別限定販売品であり公式グッズだということ、そして造形企画製作がフィギュア製作として定評のある海洋堂だからだ。
このフィギュアは阿修羅像を約12分の1スケールでリアルに再現したレジン製のミニチュアモデルであり、一体一体手彩色だという。高さは台座を含めず約12センチほどだ。

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※会場限定販売の公式グッズ「阿修羅像フィギュア」


本物の阿修羅像には別の機会にまた会えるとしても、このフィギュアは機会を逃すと入手は難しくなると考え、結局ヤフーオークションで入手することにした。
ともかく幸い念願の阿修羅フィギュアを手に入れることができご機嫌である(笑)。
私は大阪四天王寺の国宝・菩薩半跏思惟像ならびに大阪・観心寺蔵の金銅菩薩立像(共に白鳳時代)のレプリカを所有している仏像マニアの1人だがこれでまた仲間が一体増えたというわけだ。それも仏像界のアイドル中のアイドルが...である。
そのフィギュアとしてのデキはどうかといえば...まあフィギュアであるからして興福寺公認とはいえ正直レプリカのレベルには達していないがそもそも定価が2,980円なのだからこんなものだろう...。しかし今後も国宝級の仏像などの展示には是非ミュージアムグッズとしてこの種の企画を続けて欲しいと思う。

【主な参考資料】
「国宝阿修羅展」のすべてを楽しむ公式ガイドブック (ぴあMOOK)
阿修羅を究める
阿修羅のジュエリー (よりみちパン!セ シリーズ44)
日本史の謎がおもしろいほどわかる本 (王様文庫)

国宝・阿修羅展

ラテ飼育格闘日記(127)

このシリーズの最初期にも一度取り上げたが毎日愛犬と散歩していると路上に散乱している多くのゴミ類が目につく。すでにマナーだとかいっている場合ではないように思えるし、公園の備品を壊したり燃やしたりする輩まで出てくる始末で危ないことこの上ない。

 

毎週土曜日と日曜日の朝に行くことにしている小さめの公園がある。自宅からその公園まではラテの気まぐれにつき合っているとゆうに30分近くかかることになるが、友達のボーダーコリーに会えるとラテは全速力で駆けたりして楽しむので欠かせないのである。
過日、いつものように朝の散歩時にラテと公園にいくと驚いたことに公園の遊具の一部が燃やされていることに気がついた。それは子供たちがローブにぶら下がり、滑車で左右に移動させて遊ぶものだが、そのロープが跡形もなくなり金属の一部は明らかに焦げ、地面にはロープが黒い灰になって落ちていた...。

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※公園の遊具が燃やされていた!


想像するにこの太いローブは例えばライターなどで直接火をつけたとしても簡単に燃え上がって灰になるようなものではないと思うし、その状況からみて何らかのオイルなどをかけた後に火をつけたように思われる。
他の飼い主さんから聞いた話だと近隣の花壇の一部も同じように燃やされていたという。公共の施設に火を着けるなどいうまでもなく犯罪であり、類焼の可能性を考えると洒落にならない...。
実はその2週間ほど後、オトーサンも別の大きな公園でそうした現場に遭遇したのである。

遭遇といってもオトーサン自身が犯人を見たわけではないが、いつも愛犬を散歩させている飼い主さんらが目撃し警察に連絡をしたらしい。
その時の犯人は高校生といった年齢の2人で自転車に乗り逃げたという。ともかくベンチ脇にオイルを撒いて火をつけたらしい。幸い発見が早く、これまた別の飼い主さんがペットボトルの水をかけて消火したので木製のベンチなど一部を焦がしただけで済んだが、一面は異様な臭いだった。
大胆なのはまだ明るい午後6時前であること、そして人通りも十分あり得る場所でそうした行為をするというのは尋常ではない。

この公園ではワンコの飼い主さんがリードを離したとか...といった苦情も寄せられ、たまに警察官が見回りにくるが、放火はそんなトラブルとは別格の問題である...。
今回も我々...といってはおくがましいが、ワンコの飼い主たちが十数組公園を回っていたから発見が早かったといってよい。とかく最近はワンコを連れている人たちを危険視するワンコ嫌いの人たちも多々いるが、私たちもある種の見回りの役目を果たしているのである。

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※公園でビーグルのハリーちゃんおよびボーダーコリーのボーちゃんと遊ぶラテ


ただし、そのワンコ連れもオトーサンが知っている多くの飼い主さんたちとは違い、そもそもワンコを飼う資格がないと思われる人たちもいる。そうした人たちが結局ワンコ嫌いの声を大きくしてしまうひとつの要因となっているように思う。
ウソのような本当の話だが、ワンコがうろうろしていたので捕獲し、その首輪に電話番号が記してあったので捕獲した人が親切に電話をしたという。ここにこういうワンちゃんが一匹でうろついているから保護してので引取に来て欲しいと...。しかし電話口に出た飼い主は驚いたことに「ほっといてください。そのうち戻ってくるから」と言い放ったという(笑)。そんな飼い主に飼われているワンコが気の毒だし、事実数回警察にも厄介をかけているらしい。

一番の問題はオトーサンが毎日歩いている径にワンコの糞が結構落ちていることだ。ある時には踏まないように注意せざるを得ないほど散らばっていることもある。
いうまでもなく現在いわゆるノラ犬はこの付近に存在しない。そんなワンコがいればすぐに保健所に通報され捕獲されてしまう。したがってワンコが歩けば一緒に飼い主もいるという理窟だ。それなのに分かりにくい草むらの奥といったことならまだしも遊歩道の真ん中などに糞をしたままにするのは故意であるというよりそもそも拾うつもりがないことを示しているように思える。
ワンコの散歩は日の高い明るいうちだけでなく、飼い主の事情により夜間になる場合もあるだろうが懐中電灯ひとつ用意すれば愛犬のウンチくらい簡単に拾えるだろうしまたそうしなければならない。
そういえば昼間にすれ違う飼い主の中にもいわゆる丸腰に見える人たちがいる...。

オトーサンなどはあらゆるケースを想定し、ウンチの処理袋を数枚、ビニール袋、トイレに流せるティッシュ、消毒スプレー、水を入れたペットボトル、懐中電灯などをバッグに用意して肩にかついでいる。まあ、処理袋の1枚や2枚は丸めればポケットに入ってしまうと思うが、いかにも何にも持っていないという感じの人がワンコを連れていると喧嘩を売りたくなってくる(笑)。
落ちているのは勿論ウンチだけではない。コンビニ弁当の食べ残し、タバコの吸い殻、ビニール袋、割り箸、カップラーメンの器や缶コーヒーの空き缶、それに危ないのがわざわざビンを割ったのだろうか、ガラスの欠片が飛び散っている場合も多い。

ガラスの破片は勿論ワンコとって危険この上ないが、とにかく得体の知れないものが道端や公園内に多々落ちているので危なくて仕方がないのである。
ワンコに「危ないモノは口にしてはいけない」と諭してもまったく心許ないし、そもそもリードを持っているオトーサンが気がつかないこともあり得るわけで、口にしたことが原因で危ない目にあったり最悪は命に関わることもあり得る。
ラテも幼犬時代とは違い、いたずらに何でも拾い食いするわけではないがそこはワンコだ。興味のある物が鼻先にあれば咥え、時には飲み込んでしまうこともあるし事実先日もオトーサンが何なのかを知る間もなくまるで蕎麦でもすするように布状の物を飲み込んでしまったので心配は絶えない。

そのラテの近況だが、どういう訳か最近室内でオシッコをあまりしないのである。
オトーサンはラテがワンコ独特のオシッコをしながら散歩することを「ちい散歩」ならぬ「チー散歩」と呼んでいるが(笑)、オシッコだけは室内でしてくれていたから安心だったがどうも最近は我慢をしてしまうようだ。
ある日、朝の散歩から戻ったきり夕方から本降りの雨となったのでラテは外に出たがらない。ウンチはともかくオシッコはすでに14時間以上もしていないことになる。ワンコは24時間ほども我慢できるというが、そもそも我慢し過ぎれば膀胱炎にもなりかねないとオトーサンは気が気ではないのである。

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※チー散歩中のラテ(笑)だが、猫と遭遇すると大変な騒ぎとなる。遊びたいらしく哀願の鳴き声をだす!


いろいろと画策してみたがラテが室内のシートでオシッコをしそうもないのでこのままではオトーサンたちが落ち着かない。
意を決して小雨降るなか、ラテにレインコートを着せずに夜中の23時頃に外に連れ出した...。
やはりというか、公道に出た途端にラテは大量のオシッコをし、オトーサンにアイコンタクトして歩き出した。オトーサンはすぐの十字路を2度左折し、自宅の玄関に通じる石段がある方向に戻る形で歩き出した。とはいえ、たぶんせっかく外に出たのだから石段は無視して直進し、散歩を続けたいのだろうとリードを緩めたオトーサンだったが、何としたことか...先に歩いているラテは石段を当然のことのように昇り、玄関に戻ってしまったのである!
その夜のチー散歩は何とものの3分だった(笑)。

当研究所に待望の Lisa2 が入所!そのファーストインプレッション

Macが登場した1984年の前年にAppleからLisaがリリースされたことは周知のとおりである。Lisaはその革新性で話題を独占したもののビジネスとしては不成功に終わり、税金対策から売れ残った約2700台を破砕しユタ州の埋立処分場に埋めたことはショッキングなニュースとして私などにはまだまだ記憶の端に残っている...。それはともかく今般Lisa 2が当研究所に鎮座することになった。

 
「なぜ今頃 Lisaなのか...」について説得力のある説明をするのは難しい...。
販売からすでに25年も経っているマシンをいま手に入れることにどれほど意味があるのか...と問う人もいるかも知れないが、私にとっては決して骨董趣味から出た興味ではないのである。
私は現在Mac Pro (Early 2008) 2.8GHz/8コアマシンを便利に使っているが、今年最新のMac Proが登場したニュースに接してもワクワク感がまったく感じられない...。どうやら実用品としてのパーソナルコンピュータには慣れすぎてしまったのか。
反して今般まさしく縁があって手に入れたLisa 2を前にすると、なにか若かりし時代の恋人にでも再会したようなワクワク感でいっぱいなのである。

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※セットアップの前に記念撮影したLisa 2とCF化したProFile

 
それにMacintoshのGUI (グラフィカル・ユーザーインターフェース)を研究し、より理想的なGUIを求めようとする立場から考えるなら、Macintoshの前にLisaが存在したことは紛れもない事実である。そしてパーソナルコンピュータとしてはじめてGUIを搭載したLisaはまさしくMacintoshの母親的な存在ということになる。
無論LisaのオペレーションはMacintoshと同一ではなく例えばマルチタスクをサポートし電源のOFFもソフトウェア的に行うなどまさしく革新的なマシンであり1984年に登場したMacintoshより優れていた部分が多かったのも事実なのだ。

Appleのスティーブ・ジョブズらがゼロックス社のパロアルト研究所を視察した際にインスピレーションを得てLisaプロジェクトはGUIを持つことになったが、Lisaそのものが商業的には失敗したこともあって製品は短命に終わり、その仔細な能力や魅力については納得のいく情報がいたって少ないのも事実である。それは例えばGoogleでLisaを検索してみればお分かりになるに違いない。
Macintosh開発者のひとりでファインダの共作者だったスティーブ・キャプスはMacintoshの仕様について「みんなは、(マックのGUIは) ゼロックスからぱくったって思ってるらしいけど、本当はリサから盗んだのさ」と発言しているくらいLisaはMacintoshの生みの親でもあるのだ。

“盗んだ”とは文字通りのことでなく、例えばビル・アトキンソンなどはLisaとMac両方の開発にたずさわったわけだから製品のコンセプトは別にしても似ていても不思議はないわけだし事実彼がLisaのために書いたウインドウマネージャー、メニューマネージャー、イベントマネージャーをアンディ・ハーツフェルドがMacintoshのQuickDrawとして移植したものがその基本グラフィックルーチンになった。
そして事実MacintoshとLisaは平行して開発がなされており、Lisaプロジェクトのリーダーだったジョン・カウチとMacintoshプロジェクトのリーダーだったスティーブ・ジョブズはLisaとMacのどちらが先に出荷できるかを競って賭をした逸話も残っている。
無論事実が証明するようにLisaの販売が先行しスティーブ・ジョブズは5,000ドルの掛け金を払ったという。

私自身、これまでLisa1あるいはLisa2の実機をさらわせてもらったことがあるものの、時間的な制約もありその体験は十分なものではなかった。さらにLisaの在庫はユタ州の埋立処分場に埋められたこともあって一部の熱狂的なユーザーを別にすればその存在は忘れ去れることになる...。
それにLisaに限らないが、30年近くにも前のマシン...それもProFileというハードディスクや特殊な5.25インチのツゥイギーフロッピーディスクドライブは壊れやすく、純正の構成のままできちんと起動できるマシンがどれほど現存しているかは大変心許ない。というか、近年何回かLisaを眼前にする機会があったもののきちんと動作するマシンは皆無といってよいほどだった。
勿論Lisaについて調べるには現物を手にすることが不可欠だし、事実これまでにもその機会がなかったわけではない。しかしもし入手できたとしても安定した動作が保証できないマシンでは思うように調べることもできないしリスクが大きすぎるので手に入れることを躊躇ってきた...。

無論日本国内はもとよりだが例えばeBayといった海外オークションなどにはたまたま動作するというLisaが出品されることもあるが、価格はともかくとしても海外から送られてきたマシンが何のトラブルもなく動作すると考えるのはいかにもお目出度すぎるだろう。だから...正直Lisaを手元に置くことは諦めていたのである。
しかし願うことは叶うのかも知れない...。長い間恋い焦がれてきた甲斐があったのか、チャンスは意外な方向から開けてきた...。
とあるご縁からLisaに大変お詳しい方と知り合うことができ、その方のご厚意ご尽力により現時点で比類のないほど状態のよいLisa2を手に入れることができたのである。まさしく私にとっても最後のチャンスであったに違いない...。

ところでLisa1とかLisa2といっているが、まずはその違いを明確にしておかねばならない。
Lisa1とは1983年1月19日にAppleから正式に発表された文字通り最初のLisaを意味する。ちなみにこの“LISA”という名は若かりし頃スティーブ・ジョブズの恋人が生んだ子供の名前から取ったのだと囁かれてきた。ただし公式には “LOCAL Integrated Software Architecture” の略だとされているがいかにもこじつけたような名だ(笑)。実際「マッキントッシュ伝説」(アスキー出版局刊)の中でLisaプロジェクトのリーダーだったジョン・カウチはLisaという名前はジョブズの娘の名に由来していることを認めている。それどころか当時開発プロジェクトのコードネームだったLisaはジョブズ自身が付けた名だという。

ともかくLisaはCPUが5MHzのモトローラ 68000、1MBのRAMと容量860KBの5.25インチのツゥイギーフロッピーディスクドライブ2台を装備し、もともとApple III用に開発された外付けProFile という5MBハードディスクで構成された。そしてキーボードとワンボタンマウス、12インチで720×364ピクセルのビットマップ・モノクロディスプレイといった仕様だった。
さらにLISA 7/7 Office Systemといわれている LisaCalc, LisaDraw, LisaWrite, LisaProject, LisaGraph, LisaList, LisaTerminalが標準添付され定価9,995ドルで発売された。
これが後にLisa1と呼ばれるモデルである。ちなみに日本での価格は当時アップル日本総代理店だったイーエスディラボラトリ社の価格表によれば本体および5MBのProFileハードディスク、そしてプリンタのセットで228万円だった...。

Lisaはゼロックス社パロアルト研究所のAltoの真似事だったという輩がいるが、それはまったく誤った考え方だ。確かにポップアップメニュー、オーバーラップウィンドウ、スクロールバーはAltoによる暫定ダイナブックのSmalltalkを手本としたと考えて良いだろう。しかしワンボタンマウスをはじめ、ゴミ箱、ウィンドウ開閉のアニメーション、メニューバー、ドラッギング、クリップボードそしてダブルクリックなどはApple独自の発明である。
やはりLisaはこれまでにない革新的なコンピュータであったことは間違いないのである。そしてLisaならびにMacintoshでGUIは認知を得たからこそ、その元祖だといわれているAltoといった存在も表だって語られることになったのは事実だろう。

周知のように歴史に“if” は無意味だが、もしスティーブ・ジョブズがバロアルト研究所を訪れなかったら、もしLisaやMacにGUIが採用されなかったら現在我々が使っているパーソナルコンピュータはかなり違ったものになっている可能性もある。ましてやAltoやSmalltalkは完全に忘れ去られたか、あるいはずっと評価の低いものになっていたかも知れない。それだけLisaの登場はもっともっと高い評価を得てよいものだと考える。

さて、Lisa2はLisa1の改良型としてMacintoshを発表した1984年1月24日に同時発表されたものだが、フロッピードライブはMacintoshのものと同様でソニー製の3.5インチが1台ビルトインされている。そして最上位版のLisa2/10は内蔵で10MBのハードディスクドライブも備えることになった。
ちなみにAppleは翌年1985年1月には製品ラインを整理する目的でLisa2/10をMacintosh XLという名前に変更しMacWorksエミュレーションによりMac用のアプリケーションを走らせることを実現した。しかし早くも同年4月29日にAppleはMacintosh XLおよびLisaの販売中止を発表する。

その後Sun Remarketing社が売れ残ったLisaの在庫を引取り、サポートならびにアップグレードして延命を試みたが1989年9月Appleは税金対策の意味も含めてLisaを完全に葬ることを決断し、ユタ州ローガンの埋め立て地に埋められLisaは事実上消滅したのである。
「宇宙に衝撃を与えるほどのものを作るんだ」とスティーブ・ジョブズが意気込んでいたLisaはAppleにとって実質2年ほどの短い命だった。

とはいえ世の中は広いというか「事実は小説より奇なり」である。少ないとはいえその販売時に高価なLisaを購入したユーザーもいるだろうし、熱心なファンやコレクターの方々が後に限られた台数のLisaを手に入れて保有しているケースもある。
そして今回まさに縁があり、ほぼその入手を諦めていたLisa2が我が研究所に鎮座することになった。それもきちんと動作するマシンとして...。
ただしいつ壊れてもおかしくない外付けProFileそのままでは安心して使えないからとその筐体内部をX/Profileと呼ばれるCF(コンパクトフラッシュ)化したものに替えてある。そのため、Lisa7/7 Office Systemなどが高速にそして何よりも安定して走る。

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※さすがに無事起動したときにはホッとした!


また同時に取り寄せていただいたソフトウェア類も豊富でいわゆるLisa OS (LOS)2.0や3.0だけでなく、疑似Macを体現できるMacWorksや開発環境であるBasic, COBOL, PASCALも体験することができるのだ。

私にとってLisaはコレクションアイテムではないが無論実用機でもなく研究材料というべき存在だ。これから少しずつ時間を割いてパーソナルコンピュータとして最初にGUIを搭載したこのマシンのグラフィカル・ユーザーインターフェースをあらためて探求しMacintoshのルーツとなったそのコンセプトを体現したいと考えている。
当サイトは1993年にスタートしたが、最近までLisa自身の話題はほとんど取り上げてこなかった。それはこれまでその詳細について語る資格がないと自身で考えていたからにほかならない。

Lisaは私にとって一種のミッシングリングだったが、これでAppleのUIに関して全体像がつながるのではないか...。
ということで実機が揃い、関連資料が少しずつではあるが手元に集まってきたので今後はLisa自身の話題やMacとの関連性についてお話しをしていけたらと思っている。


Lisaとは一体どのようなパーソナルコンピュータだったのか?

AppleはMacintoshというパーソナルコンピュータによってGUIを世界に知らしめた。しかしその基本仕様はLisaから受け継がれたことは間違いなく、ある意味でMacintoshはLisaテクノロジーを抜粋して採用したことになる。なお「Lisaテクノロジー」と言ったがこれは私が勝手に作った言葉ではない。Apple自身が製作したMacintoshの紹介ビデオの中でもこの言葉が使われているし後述するようにスティーブ・ジョブズ自身も発言している。

 
ともかく周知のように商業的に失敗したLisaは様々な要因もあって早々に見切りをつけられ葬られた。その失策の原因は10,000ドルほどもする高価な値付けだとするもっともな説が信じられているが、多くの文献や資料を確認すればするほど、Lisaの開発は当初からビジネス面にシフトされてなくある意味で失敗するべくして失敗したという思いにとらわれてくる。
個人的にその高価な価格のために売れなかったという理由付けは正直納得できないのである(笑)。
そしてLisa開発に関わるそうしたジレンマはLisa開発者自身たちも肌で感じていたように思える。だとすればそうした違和感が経営陣に伝わらなかった、あるいは伝えようとしなかった...また経営陣たちが理解できなかったということがLisaビジネス一番の問題だったといえよう。

重い歯車が膨大なパワーを得てやっと回り始め、弾みが付いて終着点に近づくそのときにプロジェクトの中止や大幅仕様変更を実施するのは企業にとって大きな損失であると共に勇気がいるはずだが、Lisaプロジェクトはうすうす自分たちの失敗を認識しつつ誰もその問題点を正面から認識し、止めることができなかったというのが本当のところだったように思える。
後から俯瞰して見れば、様々な不手際からこの革新的な製品は忘れ去られることになった。そして感傷的なもの言いとは承知でもうひとつ加えるなら、Lisaの不幸は当時実の父親(スティーブ・ジョブズ)から認知されなかった娘、リサ・ニコールとダブってしまうのだが...。
今回は当時の関係者の発言を紹介しながら、Lisaの開発ならびにそのビジネスがいかにして難しかったかを再考してみようと思う。

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※1983年1月19日に公式発表されたLisa

 
スティーブ・ジョブズ~1983年1月31日号のビジネスウィークに

「我々はリサテクノロジーに本当にすべてをかけている」

確かに多額の開発費と多数の開発者を屈指したLisa開発プロジェクトは当初ジョブズが「宇宙をへこませてやろう」とまで言い、開発に専念したわけだからその意気込みはわかる。しかしジョブズはLisaプロジェクトから外される...。
その理由はともかくそもそもプロジェクトのリーダーが変わるというそのことこそLisa最初の不幸だったのかも知れない。

スティーブ・ウォズニアク~Appleの共同創立者

(Lisaは)Macintoshよりアーキテクチャー面からもよいコンピュータだった。問題は価格だ。

ウォズによれば当時のAppleはすぐに一万台売れなければ失敗と見なすようになっていたという。経営に余裕がなく事を急いだのもトラブルが多くなる要因かも知れない。ただしウォズは当時経営面からは遠いポジションにいた関係上、Lisaの進捗状況には詳しくなかったようだ。

アラン・ケイ

多くの人がMacintoshよりLisaを評価していた。しかし致命的な妥協を2つしていた。それは外付けハードディスクを頭上に乗せなければならなかったこと、そして68000を使ったことで遅くなったこと...。
MacintoshのUIと思われていることの基本はLisaで実現されていた。それはPARCでやったウィンドウインターフェイスよりも大きく進歩したものだった。これはApple最大の功績のひとつだ。


Lisaが失敗したのは、あまりにも処理能力が低く、動作が非常に遅かったからだというのがアラン・ケイの意見だ。とはいえPARCで暫定ダイナブックとしてのAltoおよびSmalltalk開発を進めていた当人がAppleの開発能力を評価しているのは嬉しい。
またケイがジョブズから誘われAppleに入社したのは1984年のことだから、残念なことにケイはLisaの開発には関与していない。同じゼロックス社パロアルト研究所にいたラリー・テスラーは1980年にLisa開発の要員としてAppleに入社したが、もしアラン・ケイも同じタイミングで入社してLisa開発に関与していればLisaの仕様にも大きな影響を与えたのではないかと思う。

ジョン・カウチ

販売戦略がまずかった。全米で50のディーラーに絞って販売させたのが原因のひとつ。LisaWriteというワープロのデキが悪かった。そしてジョブズが低価格のMacintoshのことをあちこちでしゃべっていたこと。
Apple III用に開発されていたProFileは外付けで大きく、しかも遅かった。フロッピードライブもあまりできがよくなかった。


 Lisa開発のプロジェクトリーダーだった彼がビジネスとしての失敗を販売戦略に押しつける気持ちはわかるものの、自身がLisaの欠点を認識していたという事実は重要だと思える。ある種の見切り発車せざるを得なかったのか...。

ビル・アトキンソン

Lisaはちょっと遅かったが非常によいマシン。

アトキンソンはLisaプロジェクトにも勿論Macintoshプロジェクトにも深く関わった1人だからLisaの悪口は言えないだろう(笑)。

リッチ・ペイジ Lisa開発メンバーの1人

MacintoshはLisaをだめにする!MacintoshはAppleを破滅させるんだ!
スティーブ・ジョブズは自分でコントロールさせてもらえないから、Lisaをぶち壊したいんだ。~1982年3月、アンディ・ハーツフェルドらがLisaのアプリケーションチームにMacintoshのプロトタイプをデモしたときの台詞


ペイジのいらいらは当時のLisaチームの思いを代弁したものだと考えてよい。そのいらいらの根本はMacintoshプロジェクトを率いることになったジョブズにあったといってよい。

ジャン=ルイ・ガセー

スタートからつまずいた製品を改良するのは難しいということを、Lisaプロジェクトは我々に教えてくれた。

ガセーは当時販売側にいた責任者のひとりだったが、まさしくLisaビジネスはスタートからつまずいた感があったのだろう。

ブルース・トグナッツィーニ(Appleヒューマンインターフェイスの導師)

Lisaはすばらしいマシンだった。売ることができなかっただけだ。

まあ、気持ちはわかるがAppleはPARCではなく、製品を市場に一台でも多く販売するために存在する一般企業だから、これは責任のある発言とは思えない。そもそも売るためにはどうしたら良いかを考えるのが企業活動の基本である。

さて、こうして関係者の発言を集めて見るとLisaの革新性に関しては疑いのないところだが、それを多く販売するための製品作りといった視点が欠けていたというべきか...。ただし皮肉なことにある意味、Lisaの安価なバージョンといった意味合いを持つMacintoshでAppleはGUIを一般に知らしめ、その後の成長の糧とすることができたのだから皮肉である。

私がLisaに魅せられるのはそのUIがMacintoshより優れている部分を多々持っている点にある。Macintoshは決して単純な意味でLisaの進化版だったわけではないが、逆にLisaのエッセンスを取り入れつつ、市場受けする価格帯で製造したプロダクトともいえる。
MacintoshのグラフィックルーチンであるQuickDrawひとつをとっても、その原点はビル・アトキンソンがLisaのために開発したものだ。
詳しくは別途ご紹介するが、そのLisaが今般...やっと...当研究所に鎮座することになった!

【主な参考資料】
・「レボリューション・イン・ザ・バレー」オイラリー・ジャパン刊
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」(上) アスペクト刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「アップルデザイン」アクシスパブリッシング刊

ラテ飼育格闘日記(126)

これまでこのコーナーは飼い主であるオトーサンが愛犬ラテとその日常をご紹介してきたが、今回はちょっと趣向を変えてラテの視点からオトーサンたち人間の不思議な言動とワンコの本音を語ってもらおうと思う(笑)。ラテにインタビューしたら、きっとこんな答えが返ってくるような気がするのだが...。

 

わたしはラテ。人間の数え方だとそろそろ3歳になる女のワンコです。でも、ワンコの寿命からいうと人間でいうところの30歳程度なんだそうですけど、なにしろ子供っぽい性格が抜けないのでわたしはいまだにオトーサンと一緒のボール遊びが大好き!
オトーサンは「ラテが喋ったら素敵なんだが...」とよくいってますが、わたしの本音を聞いたらきっと気を悪くするに違いないと思いますけど...。
私にとってオトーサンとオカーサンは大切な人です。なにしろ私は子供のときの記憶ははっきりしていないけど、1ヶ月以上はノラ犬だったはずです。
後で知ったんだけど、私が生まれ育った場所は茨城県というところだったようです。覚えているのはいつもいつもお腹が空いていたことかな...。

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※緑が美しい径をオトーサンと散歩です


ある雨の日に人家の軒下で雨宿りしていたところを親切な人に保護されたんです。びしょ濡れで汚れていたそうですが...だからかなあ、私が水を嫌いなのは...。
私を預かってくれたKさんのところに約3ヶ月いたけど、ワンコやニャンコもいて楽しかったなあ。だから今でもニャンコは大好きなんだ。
そう、そして横浜の動物病院の里親会でオトーサンたちと出会ったんです。

オトーサンは私のリードを握りつつも最初はキャバリエちゃんを欲しいと思っていたようです。これまたわたしがキャバリエのワンちゃんに会うとよく吠えたくなるのはその時の嫉妬かなぁ(笑)。
とにかくそのときはまだ子犬だったけど、大切な場所に行くからと綺麗にカットしてもらい車に乗った覚えがあります。
良い子にしているようにといわれていたけど、わたし一生懸命だったから一度も吠えなかったしオトーサンがわたしの口を開けても噛んだりしなかったよ...。
だからかなあ...わたし気に入ってもらえて翌月に引き取られました。

わたしは最初からオトーサン...嫌いではなかったから里親会の会場でオトーサンの帽子を随分と舐めたし確かチューもサービスしたなあ(笑)。でもねぇ、オトーサンはちょっとしつこくて困るときがあります。いつもいつもわたしに「チューしろ!」というのは止めて欲しいと思うんです。わたし、これでも女の子ですし。
オトーサンという人はあるときとても怖いし、あるときはわたしの仲間みたいに子供っぽいときがあり、どちらが本当のオトーサンなのかがよくわかりません。

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※私だって歩きたくないときだってあるんだもんね!


わたしはオトーサンたちとすでに2年半近く一緒です。この期間は80歳とか長生きする人間たちには短い時間かも知れませんがわたしたちにはとても長い時間なんです。だからたぶんオトーサンたちがわたしの事を知るより、わたしの方がオトーサンたちのことを知ったことの方が多いように思います。
何しろわたしがリビングあるいはキッチンにいるとき、そして散歩に出かけるているときもわたしはずっとオトーサンやオカーサンを観察しているからです。でも意外と人間ってワンパターンというか毎日同じ事の繰り返しだということがわかりました。だから何が好きで、どんなことをするとオトーサンが喜ぶのか、バッチリ覚えてしまいました。

オトーサンはどんな人か...ですって?
もちろんひと言で説明するのは難しいけど、優しけど気が短いってとこかしら。とにかくオトーサンはいつもわたしの側にいてくれるし、いつもいつも気遣ってくれます。だから安心して遊んだりできるんだな...。
だけど注文もあります。それは散歩の途中で私がクンクンするのをもう少し許して欲しいと思うわけ...。
「クンクンは1回5秒までだよ!」なんて訳の分からないこと言いながらすぐにリードを引っ張るから落ち着いて情報を集めることが難しいんです。それにいつも同じ道を歩くのって飽きるしつまらないと思うけど、わたしの行きたい方向にはなかなか連れて行ってくれないのも不満だなぁ...。

そう、公園にいくと仲の良い友達がいるときは楽しいですが、わたし嫌いなワンコも多いのでオトーサンを困らせているみたいです。この前はリードがついていない黒いプードルちゃんが急に後ろから近づいてきたので「ガウッ」としたら耳をちょっと傷つけてしまったようでオトーサンに叱られました...。
しかし好き嫌いは理窟じゃないので仕方ないですよね。自分でもなぜ嫌いなのか、分からないし...。でもわたしが思う存分公園で楽しめるのはオトーサンがいつもリードを離さないでいてくれるからかも知れません...。
最初はリードを離してもらって思う存分走り回りたいと思ったけど、オトーサンは決してリードを離してくれません。しかし今ではオトーサンがリードを持っていてくれるから安心して駆けずり回れるんだと思っています。危ないときやわたしが怖い時にはいつでもオトーサンがリードをコントロールしてくれるし駆け寄ってくれるから...。
オトーサンは私の気持ちを察して、咽が渇くとペットボトルを取り出して水を飲ませてくれるし、抱っこもしてくれます。

わたしはいま19キロあるので重いそうですが、それでもオトーサンは軽々と抱っこしてくれるのはさすがです。しかしこの前、オトーサンに抱かれていとき私の後ろ足を安定のためにオトーサンのベルトに付けてあるiPhoneケースにしっかりと乗せていたのを知られ「これは鐙(あぶみ)ではないぞ」と怒られたけど、鐙って何?
ただしオトーサンも歳だな...。もう少しパワーがあると嬉しいけど、こればかりは仕方がありません。足が痛いといいながら散歩してるから、わたしがもう少し労ってあげないとね...。だけど散歩はしたいし困ったなぁ。
でもね、オトーサンはわたしのことすべて知っているように思っているようだけど、まだまだだと思うよ。
わたしってそんなに単純じゃあないし、もう子供ではないからわたしの成長に合わせてオトーサンも考えてくれないと...といつも思うんですけど。オトーサンはいつまでもわたしを子供扱いにするし、顔を合わせば「オトーサンにチューしろ」と迫るしちょっとうざったいのよねえ。
でもまったく無視するととても悲しそうだから、たまにはちょっとチューしてあげるんです。すると大人げないほど喜んで...。人間って単純ねぇ。

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※たまにはオトーサンにチューしてあげましよう...でも本当はオトーサンの口の中にあるキャンディが目的なんだ(笑)
 

朝の散歩から戻るとわたしの身体をきれいにしてくれますが、最初の頃と比べると随分と上手になったと思います。なにしろお腹のような敏感なところを背中と同じようにタオルでゴシゴシしたときにはわたしもさすがに「ウ~」と抗議をしたことがあるけど、いまでは痛くすることはありません。
なにしろ身体を拭いているとき、いい子にしていると最後にササミのチップスをもらえるのが楽しみなんです...。いつも「そろそろかな...」と考えるだけでヨダレを垂らしてオトーサンに笑われますがわたしには重大事なんですよ...食べることはね。
そういえば公園で会うワンコと喧嘩する原因はいつもオヤツの取り合いから始まる感じね。



※これはおまけ...。私がまだ1歳にならない2007年春、散る桜の花びらをスカートをひるがえしながら追いかける姿なの...。勿論オトーサンが撮影してくれたものだけど、私...細かったなあ(笑)


玄関からわたしのお部屋(リビング)に移動し一休みする間もオトーサンはウンチの後片付けやわたしの食事作りなどで忙しそうに動いています。そういえば最近の食事のトッピングは「角切りビーフ」が乗るようになったので嬉しいけどどうしてもワンパターンになりがちなので食べたくないと思うときもあるんです...。するとオトーサンは心配して食器を持ってわたしの後を「ほら、美味しいぞ」と追いかけ回します。わたしだって食べたくないときもあるんだけど、ワンコの女心などオトーサンは気がつかないのかなあ...。
そんな毎日だけど、今日も楽しかったよ!

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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員