Apple 「Human Interface Guidelines : The Apple Desktop Interface」雑感

GUI すなわちグラフィカル・ユーザー・インターフェイスといえば1984年に登場したMacintoshのデスクトップがその典型的な例とされるのはMacintoshのそれが優れていたというだけではない。重要なのはAppleが1987年に「Human Interface Guidelines : The Apple Desktop Interface」を出版し、一般向けにマン・マシンインターフェイス設計のガイドラインを明確に提示したことが大きく影響しているのだ。

 
Apple社が1984年にリリースしたMacintoshは、現在パーソナルコンピュータの主流となっている「グラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)」を搭載したコンピュータの先駆けとして知られている。無論本当のところはその1年前にリリースされたLisaだと主張したいところだが、Lisaはビジネス的に失敗したプロダクトでもあったため短命に終わったこともMacintoshのそれを際立たせることになった。
無論物事は多くの人たちに知られなくては認知されたことにならない。Macintoshは幸いなことに現在でも健在なわけで、実質GUI云々といえばMacintoshと言われても間違いではないというべきだろう...。
事実MacintoshはApple Desktop Interfaceが最も高い完成度でインプリメントされた機種といえるからだ。
ただし本書「Human Interface Guidelines : The Apple Desktop Interface」冒頭には「.....このインタフェイスはLisaにおいて初めて実現され、その後のMacintoshでさらに洗練されたものとなりました」ときちんとLisaに附言している点は気持ちが良い。

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※1987年発行「Human Interface Guidelines : The Apple Desktop Interface」英語版


さて今回はその「Human Interface Guidelines : The Apple Desktop Interface」の紹介だが、Macintoshのソフトウェア開発者でまさかこの書籍の存在を知らない人はいないだろうし万一通読していない人がいたとするならそれは責められるべきである。
本書はAppleが1987年に出版したもので、そのマン・マシンインターフェイス設計のガイドラインを解説した先駆けであり、現在でもインターフェイスの一般的なデザイン原則(General design principles) を語る上でアプリケーション開発者ならびにデザイナーたち必読の書と高く評価されているものだ。
確かに25年ほども前の内容だから概念に古さを感じる部分もあるが、今日のGUIを形作っただけでなくMacintoshというパーソナルコンピュータ開発の背景にある設計思想やあるべき姿勢を具体的に紹介したその意義は大変大きなものがある。そのおかげでサードパーティー製を含む多くのアプリケーション間で、操作の一貫性、統一感を保つことができるようになったといっても過言ではない。

本書による設計思想には「ユーザー側の視点」「グラフィック使用の原則」「プログラミング上の戦略」「ハンディキャップを持つユーザーへの対応」なとが記載されているが最も知られているのは「Apple Desktop Interface の基本的な10 原則」として提示されたインターフェイスの「一般的な設計原則(General design principles)」の項だろう。
取り急ぎそれらの項目のみ紹介してみる。

□ Metaphors from the real world ~ 比喩の使用
□ Direct manipulation ~ 操作の直截性
□ See-and-point (instead of remember-and-type) ~ 見たものを指示する(憶えてキー操作するかわりに)
□ Consistency ~ 一貫性
□ WYSIWYG (what you see is what you get) ~ スクリーンで見たままをプリントする
□ User control ~ ユーザによるコントロール
□ Feedback and dialog ~ フィードバックとダイアログ
□ Forgiveness ~ 寛容性
□ Perceived stability ~ 安定性
□ Aesthetic integrity ~ 美的完成度

そのひとつひとつについてここで説明することはできないが、一般ユーザーの方々も機会があったら是非目を通していただくことをお勧めしたい。
MacintoshのFinderひとつ、メニューひとつがなぜそうなっているのか...それらは偶然の産物ではなくAppleの開発者等の強い意志とこれまでの歴史を踏まえた地道な研究の成果が見て取れるに違いない。
なお “Direct Manipulation” の項の最後に記されている「コンピュータ操作をエンジョイしてはならない、という理由はどこにもありません」とする下りはそれまでコンピュータという代物がいかに面白味のないものだったかを再認識させると共にMacintoshがなぜ熱狂的に受け入れられたのかを考えるヒントにもなるだろう。
このもの言いはLisa開発陣たちの設計要綱にあったという「Lisaは使って楽しくなければならない」あるいは「Lisaを使うことそのものが報酬となって、仕事が充実するよう、ユーザーとの相互作用における友好性と機微には特に注意を払わなければならない」と同じくAppleの志の高さを感じさせずにはおかない。
とはいえ前記したように本書の発端はすでに25年も前であり、GUIといってもすでにメタファーを利用したインターフェイスを最良のものだとする時代ではなくなっていることも事実だ。ただし本書自身が述べているように「これらのガイドラインは最終的なものではなく」「今後も機能強化される」ことを示唆した上で「全く別なインターフェイスが現れることも考えられる」としているAppleの柔軟で現実的な認識は素晴らしい。

なお原書はAddison-Wesley社より1987年に米国で発刊されたものだが、今回はその日本語版も参照した。
手元の日本語版は2004年7月22日に(株)新紀元社から出版されたものだがそれは1989年11月に(株)アジソン・ウェスレイ・パブリッシャーズ・ジャパンより発刊されたものを著作者の許可を得て再発行したものだという。

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※日本語版「Human Interface Guidelines : The Apple Desktop Interface」


また余談だが英語版の原書ならびに日本語版表紙に描かれているマウスを操作する手は、どこかあのM.C.エッシャー(1898年6月17日~1972年3月27日)の描く“Drawing Hands” を彷彿とさせる。したがって原書英語版と日本語版の表紙デザインはほぼ同一だが、日本語版には英語版にある“For any Macintosh or Apple II computer”という文字ならびに6色アップルロゴが無い。
内容については英語版は2色刷りだが日本語版は単色刷り、そして日本語版の図版は英語版の印刷面をそのまま転用したためかクオリティは落ちている。
本書はコンピュータのインターフェイスを語るには避けて通れない貴重で実用的な資料であり、コンピュータやソフトウェアに限らず参考になる部分が多いと思うのでお勧めしたい。

ラテ飼育格闘日記(138)

物事には「飽きる」というある種のブレーキというか切替ポイントのための原動力となる意識が働くものだが、どういうわけかオトーサンにとってのラテは生き物だからというだけでなくますますのめり込んでいくようで自分でも少々困惑している...。「こんなオオカミみたいな、そして鋭い歯を持つワンコが何故にもこれほど可愛いのか」と思いつつ毎日を過ごしている(笑)。

 

愛犬との暮らしは...いや夫婦だって2年半も過ぎればさすがに惰性的になり、粗が目立ち、飽きが出てくるというのが一般的な見解か...(笑)。
確かにラテとの毎日も怪我とか病気といった場合は別だが、彼女の気性も呑み込めているし生活のパターンも決まっているからそうそう慌てたり困ったりすることはない。だから理窟ではラテとの暮らしも惰性というか飽きがきて以前より気を使わなくなるというのが普通なのかも知れないが、オトーサンはますますラテに惚れてしまったという...些か想定外というかおかしな具合になってきている。

いや、「擬人化の末に子供や孫と間違っているのでは」と笑われるかも知れないが、いくら何でもワンコを本当の意味で擬人化するほどオトーサンはまだ耄碌はしていない...。ワンコはワンコとして可愛いのである。
とはいえ何でもオトーサンのいうことをしっかりと聞き、オトーサンに愛情タップリの姿勢を見せるといったことが少ない異形の “娘” になぜこれほどまで惚れ込んでしまったのかと自分でも訝しく思っているのだ。
友人たちの中には「それが耄碌というやつなんだよ」としたり顔でいう者もいるが、そうだとすれば耄碌という代物もなかなか捨てたものではないではないかと思う(笑)。

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※オカーサンにアイコンタクトしながら歩くラテ


面白いといっては何だが、日々接していて楽しいのはやはり心を通わせることができる生き物としてワンコは最上級の存在なのだと思う。無論ラテが日常どんなことを考えているかは正直分からないものの、オトーサンたちに対峙するときの喜怒哀楽は明快だ。
嬉しいとき、楽しいとき、嫌なとき、怒っているときは勿論、元気なとき疲れたときなどなど我々人間と同じように態度と表情を見ればそれは分かるからだ。
そして時には健気にもオトーサンを気遣う態度を見せたりもするから何とも可愛いのだ。だからこそオトーサンとしても縁があって巡り会った小さな命を守ってやりたいとするある種の本能が働くのかも知れない...。まあラテはあまり小さくはないのだが...(笑)。

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※雨上がりの夕刻には素晴らしい二重の虹が我々を見守っていた(笑)


さて以前にもご紹介したが人類学者のエリザベス・M・トーマス著「犬たちの礼節ある社会生活」(草思社刊)に興味深いことが紹介されている。
それは犬の知能を査定するためのテストだ。
このテストはスイスの心理学者ピアジェ(1896~1980)が幼児の認知能力を図るために考案した「対象の永続性」テストというものの応用だが、それは「ある物を布などで覆って見えなくしても、その下にまだ物はあると認識する能力」を調べるテストだという。
実は我々人間も生後5ヶ月程度まではオモチャなどの上にタオルなどをかけたりするとオモチャ自体が無くなったと認識して興味を失うという。タオルなどで覆ってもその場所に存在し続けるという認識・概念を得ることを心理学で「対象の永続性」といい、生後5ヶ月を過ぎたころからこうした概念を会得すると言われているのだ。またそもそも課題解決への興味や動機付けが低いと「対象の永続性」の解決に失敗することになる。

実際のテストは床にワンコの好物の小さな食べ物を置き、その上にタオルやハンカチをかぶせて隠し、ワンコがどのように反応・行動するかを見るわけだが、トーマスの飼い犬の中で一番人間的で利口だと思われていたサンドッグというワンコは即座にタオルを鼻で押しのけてオヤツにかぶりついたがミスティというワンコはタオルの前で呆然とするだけだったという。
さらにパールというワンコは飼い主(トーマス)が見ている間はタオルに触れずに立ちつくしていたもののトーマスが少しの間その場を離れた時にオヤツを平らげたようだ。
一番印象的なのはルビーというワンコだが、このワンコはやおらタオルに食らいつき、しゃにむにタオルごとかじったという...。なんとオヤツを噛みきった布きれごと飲み込んでしまったわけだ(笑)。

また個人差はあるわけだが幼児は2歳くらいまである決まった条件下でしか物事の文脈を捉えることができないという。例えばいつもラフな洋服の父親がピシッとスーツを着て例えば駅で会ったとしても瞬時には自分の父親だと判断できない。触れられたり抱き上げられたりするまでは...。
人間とワンコを単純比較するなど乱暴なことは承知の上だが、その点ラテは衣装が違い持っている物も先ほどと違っている女房を駅のコンコースで発見することができる。また他者の感情や心理を把握推測しているものと思われる行動などと共に考えるならやはり高度な認知能力を持っていると考えるのが妥当だろう。

それから「対象の永続性」のテストで重要なことはワンコでもこれだけ反応が違うということ、そしてどの行動が真の意味で「利口」なのかどうかは正直分からないが...。ともかくラテはいわゆる空間的な把握には秀でているように思える。
ラテと歩く散歩道や遊歩道には自転車の進入を防ぐ柵やさまざまな物体があるわけでオトーサンが引いているリードはラテの侵入経路が違えば引っかかってしまう。しかしラテはそれら選択が必要な場に来るとそれまで引いていたリードを緩めオトーサンを先に行かせようとする。無論ステンレス製や鉄柵もラテが勝手に通り抜けようとすればリードが通らなくなるが、それらを考慮した歩き方をしているのは感心するしかない。

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※叱られるのを承知でオトーサンの顔色をうがいながらオカーサンの靴下を奪って遊ぶ...


まあ前記の筆者も述べているようにこの遊び...テストだけでワンコの知能の高さを調べるには少々乱暴だと思うしワンコにも性格の違いから来るものが影響することもあるだろう。しかしひとつの指針にはなると思うのでオトーサンもラテに対して試みることにした。
結論めくが、実は幼犬のときからこの種の遊びは多々実践してきたこともあり、そうそう程度の低い結果になるとは思わなかった。
ボールをリビングのいろいろな場所に隠して探させるとか、ラテの見ている前で少々届かない場所や一工夫しないと取れない場所に置いて、いかにしたら好きなボールを確保できるかといった遊びをやっていたのである。そうした遊びの中には絨毯の下に隠すこともやった結果ラテは空間的な把握、すなわち「タオルで隠した下にはさきほど見たオヤツが隠されている」という意識・感覚をきちんと把握しているものと思われる。

あらためてそのテストをやってみたラテの結果は見事だった。前記したサンドッグではないがタオルを鼻で押しのけ、時にはタオルを口に咥えて振り回し難なくその下にあったオヤツを口にした。何回やっても戸惑うような素振りは少しもなかった。目的を遂げた後もタオルの下にまだ食べ物があるのではないかと探し続ける始末...(笑)。



※ラテは「対象の永続性」を難なくクリアした


続いてオトーサンはタオルのテストより一段と難易度が高いと思われる「箱の中にオヤツを入れる」というテストもしてみた。これは文字通り段ボール箱にオヤツを入れるところをラテに見せた後それをラテがどのように扱うかを見るテスト...遊びだ。
他のワンコの場合、オヤツが箱の中に入っただけで興味を失うケースもあるらしいがラテはアクティブであった。

これまたラテは箱の中にオヤツが入っていることをきちんと把握している。そして箱を開けるか壊すかすればそのオヤツが自分の物になることも知っている。
このゲームもラテは難なくこなす。無論目的を遂げる時間は箱がどの程度頑丈なのか、あるいは開けやすいかに依存するのは当然としても紙製の箱を足で押さえて鼻面あるいは噛んでこじ開けたり、紙を噛みちぎったりして目的を遂げる様を見ていると惚れ惚れしてくる(笑)。
親ばかを承知ではあるが、そうしたラテを見ているとやはり高度な頭脳を持っていることを伺わせるし、オトーサンの機嫌を伺いながらの行動は見事というしかない。



日本市場におけるLisa販売当時を振り返る

私自身がLisaを入手する機会を得たこともありこれまで様々な視点からこの革新的なパーソナルコンピュータに関する話題を取り上げてきたが、今回は日本市場においてLisaはどのように販売されようとしたのか、どのような状況にあったのかについて再び考えてみたい。

 
冒頭からいきなり変なもの言いになるが、いくら公知の事実であったとしてもすでに25年以上も過ぎた昔のあれこれを掘り起こして幾多の方々のお名前を記すのも少々気が引けるものがある。しかしその点をぼかしてしまうとリアリティも何もなくなってしまうしノンフィクションではなくなってしまうのでご容赦いただきたい。

さて、Apple IIの先進性に目をつけ、それを我が国に紹介したのはイーエスディラボラトリ社(ESD)の社長水島敏雄氏だった。1977年4月16日、米国のWCCF (West Coart Computer Fair)というコンピュータショーに出向いたときスティーブ・ジョブズ氏本人に「ほら、凄いだろう」と袖を引かれた...といったことを私自身直接水島さんからお聞きしたことがある。それが日本人とApple IIの最初の巡り会いだったことになる。それが縁で水島氏の会社でApple IIを扱うことになる...。

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※筆者の所有するLisa 2 。その勇姿を眺めていると多くのあれこれを思い出す...


いまさらではあるが私たちがAppleならびにApple IIと触れ合い、そのカルチャーを含めて深く心に刻むようになったのは実にこの水島氏のおかげといってよい。いや、水島氏がApple IIを持ち帰り、ESDで扱うことがなかったとしても後に何らかの形で日本に入ってきたに違いないだろうが、その様子は些か違ったものになったと思う。

ましてや私個人にとってESDの存在はAppleという遠い米国の香りの一端を嗅がせてもらえる唯一無二の場所だった。私はESDでAppleを知り、Macintoshを購入し、後にイケ・ショップが発行したユーザーグループ向けマガジン「MacTalk」Vol.3では「日本一Appleに金を注ぎ込んだ人々」の一人として紹介されたほどESDでAppleの周辺機器やソフトウェアを手に入れた。

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※1987年12月15日発行「MacTalk」。その編集後記には無理矢理?金注ぎ込み人にさせられた筆者らに編集長から労いの言葉がある(笑)


また自身がプログラミングしたApple II用ゲームソフトをESDのショップで販売していただいたり、展示会にブースを出させていただいたり、「APPLEマガジン」の編集長を一年間務めさせていただいたりとお世話になった。
さらにそのESDを媒体にして実に多くの方たちと知り会い大げさでなく自身でも思いもかけない方向に人生を変えた原動力はESDだったのである。

ともかくESD社は正規にAppleを扱う代理店として日本にApple IIを知らしめた企業となった。その後に2年ほど国内総代理店の権限は東レに移った時期があったものの、1982年の7月以降は再びESDが務めるようになるがその辺のあれこれは一冊の本が出来てしまうほど複雑で当時ESDに頻繁に出入りしていた私から見ても同社の困惑は明らかだった。

1983年の夏、それまで東レに勤務していた羽根田孝人氏がESDに移籍して営業部門の強化を図ることになったが、いみじくも羽根田氏がESDに来て最初に担当した大仕事がAppleの新製品 Lisaの発表会開催だったという。
興味深いことだが水島氏は技術者の視点と経営者の立場、そしてこれまで多くのApple IIを販売しサポートしてきた経験から、Lisaは高額な点はともかく安定性に疑問があるので大がかりな発表会開催には反対したという。できたら積極的に扱いたくなかったのかも知れない。

かつてApple IIIが登場したときも水島氏は技術者の視点から厳しい評価を下して扱おうとはしなかったことがある。そしてApple IIの不良率の高さ、Apple本社の対応の悪さなども手伝ってAppleに対して不信感が膨れていったものと思われる。ましてや近々Lisaよりずっと安くて高性能だというMacintoshのリリースを間近に控えてLisaを扱うことに関して慎重になるのは当然だった。

利益の問題は勿論、不良在庫などにも神経を尖らせるのは経営者の水島氏として当然のことだったが、営業畑の羽根田氏には別の事情があった。何故なら彼はESDが東レの日本総代理店をESDに移管したことを受け、Appleの製品を売るため営業部門の強化のためにESDに入社したわけで、入社早々Appleの事業が萎んでは何のために東レを退職してESDに入社したのか分からなくなってしまう。

結局羽根田氏は水島氏を説得して同年10月に帝国ホテルでLisaの発表会を開催することになった。結果として発表会は大盛況でたったの2日間で最初に仕入れたLisa 50台は完売した...。
ただしさすがに水島氏の杞憂は的を得ていたわけで、販売後のトラブルも多かったが運命の歯車はとんでもない方向へと回ってしまう。なぜなら正にLisaの発表会の最中にアップルがキヤノン販売との業務提携を発表したのだ。ESDと総代理店契約を結んでいるのに...である。

その背景にはAppleは日本市場でもっと多くの製品が販売できるはずだと考え、そのためにはメジャーな企業、全国展開を積極的に進めることが出来る企業を探していたことによる。反して当時のESD社は自社が得意とする計測器回りのコントロールにApple IIを積極的にからませた販売をしていたこともあり、そのターゲットとしていた市場はそんなに大きなものではなかったらしい。

それはともかく当時の認識からいえば、キヤノン販売との業務提携は明らかに契約違反であったが、企業の屋台骨を揺るがす大問題の前にはいかに革新的なパーソナルコンピュータのLisaだとはいえ性根を据えたビジネスなどできるわけもなかったに違いない。

余談だが現在経営状態もよく、カリスマ経営者であるスティーブ・ジョブズ氏の存在も相まって世界に類のない魅力的な企業とされているAppleだがその市場やデベロッパーなどに対峙するやりかたはどのように釈明したとしても褒められることばかりではなかった。

Appleのビジネスをその業績や外面からのみ見て良い評価をするのは勝手だが、どうしようもないダークな部分をいまだに持っている企業でもあることは一人のデベロッパーだった人間として忘れることはできない。
私がアップルのデベロッパーだった約14年間はLisaの時代とは10年近く隔たりがあるものの、それでも裏切られたことなど数え切れない(笑)。

担当者が変わればそれまで多大な時間とコストをかけて交渉してきたことでも一瞬で無かったことになってしまうしライセンス支払のために送ったバンクチェックは退職した担当者が引き出しにしまい込んで行方が知れなくなってしまうという有り様だった。当事者としてはそれこそ生き死にの問題でもあり笑って済ますことなどできない...。
ソフトウェアのバンドルなどに関する契約ひとつでもそれは交渉ではなく一方的な押しつけに近いものだった。無論その条件を承知の上で契約遂行したわけで文句の言える筋合いではないものの、条件ひとつ価格ひとつに注文をつけるとすれば話は無かったことになったに違いない。

ただしひとつ申し上げておかなければならないことは当時アップルジャパンのデベロッパー担当部署の方たちには大変お世話になったし良くしていただいた。あくまでアップルジャパンの権限内ではあるものの彼ら彼女らの尽力や協力無くして我々のような超マイクロ企業がAppleと渡り合うことはできなかったと思っている。

そのような訳だからアップルとのビジネスシーンのあれこれで苦境にたたされたとき、私はこの時のESDが味わった歴史的事実を何度思い出したことか...。したがってこれまで痛い目にも合わずに「Appleは世界一素敵な企業だ」と言っていられる方々はほんとに幸せな方たちである(笑)。やはり物事は遠くから眺めていたほうが粗が見えないものなのだろう。

さて熱くなり過ぎるとまずいので話を元に戻そう...(笑)。確かにESDでは「APPLEマガジン」などにLisaの紹介記事を掲載したり、同社が1983年12月10日開催したイベント「第3回APPLE FEST東京」でLisaを初めて一般公開するなどの販促活動を進めていた。そのイベントに私は個人的にブースを出し出展側として楽しませていただいたが、実はESDとしてはこの頃が一番辛い時期だったように記憶している。

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※第3回APPLE FEST東京は大盛況だった。写真中央が筆者のブース。右はメディアセールスジャパン


すでにアップルジャパンの初代社長として福島正也氏が就任し、彼もそのイベントに来場したことは以前にご紹介した通りである。
実はこの1983年12月10日および11日のイベントはある意味でも日本のアップル市場が大きく変化する前触れであり、ESDが最後に放った輝かしい光だったといえる。なぜならそのイベントの少し後、年末の挨拶を兼ねた酒宴の席でアップルジャパンの福島氏とESDの水島氏は決定的な溝を作ってしまい、総代理店契約の解消となったからだ。

結果としてESDがAppleの販売から手を引いた後は望むところだとは言えキヤノン販売がその責を担うことになった。
これまた「日本におけるLisa販売期のブローシュアから当時を再考する」でも紹介したが、キヤノン販売からなかなか立派なLisa日本語カタログなども用意されたもののLisaという革新的なパーソナルコンピュータに関してまだまだ情報不足だったことが伺える内容だ。そしてなによりもその1983年9月にAppleは高価なことが販売の足を引っ張ると判断し、ソフトウェア一式の添付を止め、本体単体を6,995ドルに値下げする。販売不振のためにApple本社自体がグラグラしていたわけだ。

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※キヤノン販売が用意したLisaの一枚物のカタログ(両面)


それでも10月にはキヤノン販売本社の会議室で担当の社員が集まり滝川社長の口から月間100台というLisaの販売目標が提示された。そして翌月には全員が出席した研修会において実際のLisaを眼前にすることになるが、ほとんどの方たちがLisaの真価を見極めることはできなかったのではないかと思われる。

何しろセットアップはともかくソフトウェアのマニュアルだけでも大変なボリュームであったし、無論それらはすべて英語であった。したがってそのコンセプトや革新性を云々いうまえに販売のための最低限の知識を得るのも大変だったに違いない。
その上に当時すべての国産機が当然のことながら漢字対応していた時代に事実上はその予定すら立っていなかったし、MS-DOSはもちろん他の環境ともまったく互換性のないマシンは受け入れられ難かっただろう。

私の持論だがLisaは決して高価だったからという理由だけで売れなかったわけではないのだ。さらに翌年1984年1月にはMacintoshがリリースされかつ改訂版Lisa 2も発表されるという中でLisaの魅力は急激に焦点を失っていった。

その後もESDはもとよりだが、ゼロワンショップなどを頻繁に覗きに回った私だがMacintoshにはお目にかかったもののLisaを触ったという記憶はない。
パーソナルコンピュータとして文字通り革新的な能力と性能を誇って開発されたLisaはどこでどう間違ったのか...ユーザー不在の環境にうち捨てられるはめになったのである。

【主な参考資料】
・斎藤由多加著「マッキントッシュ2〜林檎の樹の下で」毎日コミュニケーションズ刊
・Mac Fan編集部編/我孫子竜也取材・文「もうひとつのMacintosh物語」毎日コミュニケーションズ刊
・林信行著「アップル・コンフィデンシャル 2.5J 上」アスペクト刊


Lisaマウス再考

市販されたパーソナルコンピュータとして最初にマウスを標準装備したのはAppleのLisaであった。マウスそのものはダクラス・エンゲルバートにより1960年代前半に発明されていたしゼロックスのパロアルト研究所(PARC)のAltoにはすでに搭載されていたがエンゲルバートのプロトタイプはいみじくもワンボタン・マウスだったのだから興味深い。

 
マウスの効用についていまさら良い悪いを言ったところで始まらないほどマウスは当たり前のデバイスになった。しかしどうやらこのマウスを発明したエンゲルバートをはじめ、ビル・イングリッシュら当時深くこのマウスに関係した人たち自身はマウスの利便性は認めるもののあくまで仮のデバイス...他のいろいろなポインティングデバイスのひとつといった位置付けであったようだ。

そして面白いのは1963年に初めてマウスに附言したエンゲルバートのノートにはプラニメータの原理に基づいて発案されたそれは当初「バグ(虫)」と名付けられていたことだ。無論最初のマウスはよく知られているようにボール式ではなく2枚のホイール(円盤)をXYの2軸につけたものだった。

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※エンゲルバートのスケッチを元にビル・イングリッシュが設計というマウスの試作品(ウィキペディアより)


さて、いまとなっては「マウスのボタンはいくつが正解なのか」についてとやかく言う時代ではなくなったが、Appleのワンボタンマウスが登場し、その後に2つボタンのMSマウスが登場したころからこの問題は些か感情的な響きを持って語られ続けてきた。

アップルがお手本としたAltoのマウスは3つボタンだったしそれはコードキーセットと共にエンゲルバートらが研究していたNLS(oN-Line System)インターフェイスの一環として深く結びついていた。ただしその頃のエンゲルバートはボタンの数を特に問題視していなかったという。ではなぜ彼らのマウスボタンは3つになったのか...。

これについてエンゲルバートいわく「どうして3つボタンに決めたのかとよくむ聞かれる。まあそれしかつけられなかったからだ。つける余地がそれしかなかった」
といっている(笑)。

実際マウスにいくつのボタンが最良なのかなどと言うことはどうでも良いことだと言い捨てる人もいるが。これほど多くの人たちが持論を展開した問題も少ないと思われる。
あのビル・ゲイツでさえ「マウスの数の問題はこの業界で最も論議を呼ぶ問題の1つだ」としながら「みんな宗教的になってしまう」と言っている。

繰り返すが販売を目的としたパーソナルコンピュータにマウスを標準搭載したのはLisaが最初だったが、その特徴は何と言ってもボタンが1つしかなかったことだ。これは一般的にスティーブ・ジョブズのシンプルさを好む性向から由来していると思われているふしがあるが、どうやらPARCからAppleに移ってきたラリー・テスラーの影響が強いようにも思われる。

結局エンゲルバートのいたSRI(スタンフォード研究所)の人間がPARCにマウスを持ち込み、テスラーやアラン・ケイらによりAltoのマウスとして使われたわけだ。無論そのマウスは3ボタンのボール式マウスだったが、ラリー・テスラーはそれが嫌いだったという。ただしこのマウスはPARCを訪れたスティーブ・ジョブズの注意をひき、後にテスラーがAppleに引き抜かれたときにはLIsaによるマウスの採用も決まっていたらしい。
そして周知のようにマウスを一般に知らしめたのは間違いなくそのLisaでありMacintoshの功績だった。

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※パーソナルコンピュータとして最初のLisaオリジナルマウス(当研究所所有)


マウスボタンの数のあれこれについてはPARCでも研究されていたようだし、Appleでもテスラーらによりユーザーを対象にした検証が続いたという。
テスラーは2ボタンマウスが経験豊かなユーザーにとって多少有利になることは分かったが、大きな違いではなかったとし、逆にビギナーにとってはボタンばかりを気にすることを知る。そして当時のAppleには「ユーザーは半時間以内にシステムを覚えることができるようにする」という非常に攻撃的な目標があった。したがってマウス操作に対する不安解消に20分もの時間を使わせるわけにはいかなかった。それがワン・ボタンになった大きな引き金だという。

事実マウスにとってボタンが増えるということはマウスがポインティングデバイス以上のものになることを意味する。それは各ボタンにはそれぞれいくつかの用途を割り当てることができるからだ。
無論マウスとボタンの数の研究や検証は他でも行われていたが、Appleはドラッグ&ドロップやダブルクリックといったソフトウェア側での絶妙なサポートにより、ワン・ボタンマウスの使いやすさを実現した。

そのLisaマウスだが、そもそもゼロックス社のマウス製造コストが400ドルもしたものをコストダウンを図るためにホベイ=ケリー社に依頼し40ドル以下に抑えることに成功した結果のプロダクトであった。

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※Lisaオリジナルマウスの裏面。基本構造はMacintosh付属のものと変わっていない


いま、手元にあるLisaマウスを眺め手に包むと本当に懐かしい思いがする。それは1つしかないボタンの存在を強調するかのような幅の広いボタンの存在は勿論だが小ぶりで角張ったそのデザインが手のひらに心地よいのだ。
昨今はエルゴノミクスということで手に包み込まれるような丸形というか曲線を多用したデザインが多い。しかし26年近くもマウスを握ってきた一人としてどうも最近のマウス...無論Apple純正品を含めてだが...は逆に手に負担がかかるような気がするのである。

私はといえばそのスクロールボールの存在が腱鞘炎の主たる要因になったという思いがあるだけにその種のマウスの利用を最低限にしているが、Lisaの角形マウスを握るとその角張った部分が手のひらにある種の存在感を示すと共に良い意味で刺激を与えているようにも思え心地よいのである。そしてボタンの幅があるだけ、マウスの保持する方法もアバウトでよく、いわゆる手に力が入ることが少ないように思える。

このマウスも現在ではレーザーや青色LEDによる製品と進化したかに見えるがその基本的な仕組みはLisaマウスと大きく進化しているわけではない。どうやらマウスに関する研究もまだまだ残された課題があるようだ。

【主な参考資料】
・「ブートストラップ〜人間の知的進化を目指して」Thierry Bardini著/森田哲訳 (コンピュータエージ社刊)
・「マッキントッシュ伝説」斎藤由多加著 (アスキー出版局刊)
・「Apple Design 日本語版」ポール・クンケル著/大谷和利訳 (アクシスパブリッシング刊)


ラテ飼育格闘日記(137)

本日記の「135」ではラテがなぜ人間好きなのか...に迫ってみたが今回は対ワンコに対する好き嫌いについてだ...。他のワンコを観察したり飼い主さんたちにお話しを聞いた限りでは性別や犬種が好き嫌いに関わってくる条件だというが、現実は単純でもないようなのが悩みの種である。

 

ラテは2歳くらいを境に他のワンコに対しての好き嫌いがはっきりしてしまった。特に雌のワンコに対しては同性のライバルと感じるのかそのほとんどに対して面と向かうと威嚇する。
日常出会うワンコが女の子だとすれ違うときも相手に向かってリードを引き吠える。それが初対面のワンコの場合でも男の子だと吠えることはほとんどないし逆に「ク~ン」と鳴いて近づきたいとリードを引くほどである。だから近づいてくるのが雌か雄かをなるべく早く判断しなければならないオトーサンだが、当然のことラテの判断の早さにかなうわけもない。
その判断が臭いだとすれば分かるが、随分と離れていても相手の性別を判断できているように思えて不思議に思っている。いつも風下にいるわけではないし初対面のワンコが雄か雌かをどうして距離を置いてわかるのだろうか...。室内から窓越しに嫌いなワンコも判断するから確かに視覚もなかなかに優れているように思うが...。
だからオトーサンはラテが騒ぎ出すと相手は雌で、何食わぬ顔あるいは嬉しそうに近づく場合は雄だとラテの態度で判断しているがまず間違うことはない。そして確証はないが毎日観察している限りではバグ、ブルドッグ、プードル、マルチーズなどが苦手のように思える。

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※ボーちゃんのオカーサンの気を引こうと脇の下から強引に潜り込むラテ(笑)


ところで先日ほぼ1年ぶりにいつもの公園でゴールデン・レトリーバーの女の子であるヒナちゃんと出会った。飼い主さんの都合でこちらにはしばらく足を向けなかったようだが、大型犬であるもののスリムなヒナちゃんは実に軽快にそして良く走るワンコだった。そしてラテとも気が合うらしく体をぶつけ合って一緒に走ったり、お互いに牙と牙をぶつけ合うように口を開いて遊んでいた友達だった。
そのヒナちゃんの姿が見えなくなったので勝手ながらどうされたのかと心配すると共に残念に思っていたのだった...。
先日いつものように公園に入るとクロちゃん(柴犬)のオカーサンに「久しぶりにヒナちゃんが来てますよ」と声をかけられた。見ると遠方のベンチに飼い主さんの家族と共にヒナちゃんの姿が見えたので喜び急いで近づこうとしたがオトーサンはフトためらって足を止めた...。
それはヒナちゃんが雌のワンコであることを思い出したからである。
文字通りヒナちゃんとは約1年ほど会っていないわけで、ラテの雌ワンコ嫌いがより徹底してきたと思える昨今、1年前に仲良く遊んでいたからといって急に近づき、ヒナちゃんにケガでもさせたり喧嘩になってしまっては困るからとラテのリードをしっかりと保持しつつゆっくりと近づいた。

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※雄のボーちゃんとは気が合うらしくリラックスした表情だ


ヒナちゃんの飼い主さんは無論ラテのことを覚えてくれていたこともあり「本当に久しぶりですね」と挨拶をしながらラテの様子をシビアに観察...。
とにかく鼻面を付き会わせてから「ガウッ」とすることもあるから油断がならないラテなので、最新の注意をしながら接近させると共にその慎重になっている理由をヒナちゃんの飼い主さんにお話しした。
しかし幸いオトーサンの心配は杞憂に終わった。ラテはヒナちゃんが自分にとって好ましい相手であることをきちんと覚えていたし、ヒナちゃんもラテと駆けっこをしていたことを思い出したようでいきなり2匹は走り回る...。
いやはやヒナちゃんは1年前より大きくなっただけでなくその走りっぷりもパワーアップしたように思えたが、ラテの体形もそれに負けるものではないので(笑)なかなか面白い勝負となった。

しかし、どうして雌のワンコなのにヒナちゃんとは仲良く遊ぶのだろうか...。ほとんど100%といってよいほど、他の雌ワンコには攻撃的で雌のミニ柴の飼い主さんには「ラテちゃんの3メートル以内には近づけないね」と笑われるほどなのに...。
ひとつには以前に本当の意味で気を許したワンコだからという理由があるように思える。気を許したと同時にラテ自身にとって「遊んでくれる相手」というプラス要素を持ったワンコは特別なのかも知れない。
それからこれまた確証はないが、ラテにとって相手が例え喧嘩になったとしても簡単に御し得ない大型犬であることがバランスを取るひとつの要素になっているようにも思う。

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※これは喧嘩ではなく遊びである。若い雄の柴犬 "はじめ" ちゃんと疑似格闘するラテ


どういうことかといえば、ワンコ同士には序列がある。そしてその序列はお互いに自分より相手が強いかどうかが大きなバロメータとなることは当然だろう。
家庭犬なら最初からそこにいたワンコに対して後から飼われたワンコは一目置くという...。少なくとも最初は。しかし後はお互い毎日の接し方や性格などで序列は動くというが外で会ういわゆる友達ワンコたち同士は一緒に住むわけではないからそうした気遣いはなく、好き嫌いや無視といった行為はストレートに現れると考えてよいだろう。
だから相手に対して恫喝し、相手がひるむような場合にはつけ込んで自分の優位をより強調することになる。その点雄のワンコに対しては一目置いているのかも知れない。
このことは散歩の途中でたまにお会いするジャーマン・シェパードのマリアちゃんを例にするとよく分かる気がする。
ラテもどちらかというと顔立ちの一部にシェパードの血が入っているのかと思う点もあるし体格も大きくなったがジャーマン・シェパードと並ぶとその迫力はまったく違う。そのマリアちゃんは名前から分かるように雌のワンコであるが短い時間とはいえ我々飼い主同士が立ち話をしている間、マリアちゃんはラテを刺激するようなこともいないしラテも威嚇したり吠えたりしないのだ。
どうやらラテを見ていると雌の小型犬に対して恫喝の反応をしやすいようだ。これは小型犬の方が出会う数が多いからそのように感じるのかも知れないが、中型犬や大型犬に対しては雌のワンコでも一定の評価をしているように思える(笑)。それは体の大きさを含めてラテも一目置くからかも知れないと思っているのだが...。
とにかく最近になって出会う雌のワンコでかつバグ、ブルドッグ、プードル、マルチーズに対しては好意を示すことはほとんどなく、出会って近づけば唸るのである。
少しは飼い主のオトーサンの立場も考えて欲しいのだが...。

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※どうです...この満足そうな表情は。この笑顔を見ると何でも許してしまいそうになる(笑)


では何故極少数ではあるが前記したヒナちゃんのように雌のワンコでも喜んで遊ぶのか...。無論ラテはその理由を教えてくれないので想像するしかないが、まずは前記したように自分にとって遊びの相手として理解し必要としているからという理由、それにラテ自身が幼犬の時から体を寄せ合い、ぶつけながら遊んでいた記憶は1年やそこいらでは忘れないということだろう。いわば幼なじみといったところなのだろうか。そしてなによりもヒナちゃんはラテより年上だし、そのパワーはラテをも凌ぐものがあるわけだからラテも喧嘩を売る気にはなれないのだろう(笑)。このことは遊び相手ではないマリアちゃんにも言える。
幼犬の時から知っているからという理由もあるだろうが、どう戦おうとジャーマン・シェパードのマリアちゃんには見るからにかなうわけがない(笑)。

こうした微妙な好き嫌いのバランスを示す恒例が同じくゴールデン・レトリーバーのサクラちゃんである。無論その名から分かるとおり雌のワンコだが散歩の途中で行き会うことも多く、飼い主のオトーサンにはオヤツをねだることもあるラテなのだ。
このサクラちゃんは飼い主さんがいつもリードをきちんと保持しているからラテと長い間遊び回ると言った経験はないが、最初に出会ったときラテも幼犬だったからだろうか、サクラちゃんには一目置いた接し方をしていた。しかしラテが2歳前後になったとき、遊びか本気かは分からないが近づいた途端にラテは「ガウ!」と恫喝するようになった。サクラちゃんは優しいワンコなのでラテに反撃を加えることもないから、それを良いことにラテは脅しをかけたのかも知れない。
しかし最近合うと、そして飼い主さんの許可があるとき...リードの長さの範囲だが、体をぶつけ合って遊ぶことがあるのだ。だから雌のワンコだといっても大型犬は基本的にラテは好みなのかも知れないし、常に自分との距離と力関係を測りながら対峙しているのだろうか...。
オトーサンの気苦労と観察はこれからも続く。

ラテ飼育格闘日記(136)

ラテと過ごすために現在の住居に移ってからすでに2年半が過ぎた。この地は緑が多いだけでなく大小の公園も多々あり、ワンコとの散歩には大変恵まれている環境である。これまで長い間コンクリートに囲まれた中で生活していた者にとって毎日の散歩は思いがけない鳥や動植物に出会う場でもあり刺激的な毎日なのだ。

 

この付近は緑が多いからだろう...とにかく野鳥が多い。ハトやカラス以外にこれだけ多くの種類の鳥たちを身近に眺めることができるのはこの地に来て初めてである。なにしろラテと歩いているその10数メートル先をつがいの鴨が散歩しているという環境なのだから...(笑)。
それにウグイスの声をこれほど頻繁に聞いたのも生まれて初めてだった。何しろ7月に入っても「ホーホケキョ...ケキョケキョケキョ」と、それもスピーカーから出る録音ではなく正真正銘の生の声が頭上で聞こえるのだ。なかなかその姿は確認できないが、鳴き声は頻繁に耳にすることが出来る。無論ウグイスだけでなくさまざまな野鳥、例えばキツツキも見る...。

出会うのは野鳥だけではない。季節により蝶やトンボも多いし芝生にはバッタも見かける。
ただしこうした馴染みの昆虫たちの姿は心を和ませてくれるが、あまり会いたくない虫や生き物たちも多い理窟なので困惑するときもある。
この地に来てまず驚いたのがミミズが多いことだけでなく、これまで見たこともないほど大きいというか太いミミズがゴロゴロとしていることだ。最初は小枝と間違うようなミミズに驚愕したが、ミミズ自体は我々に害をもたらすようなことはほとんどないようだから無視すればよいのだろう...。しかし雨の後など場所によってはそれこそ足の踏み場もないほどのミミズに取り囲まれることがあるのでこれは正直気持ち悪い(笑)。

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※駆けずり回った後、満足そうな笑顔を向けるラテ


それ以上に嫌なのはコウガイビルという生き物が多いことだ。これまたこの地にきて初めて見たときにはびっくりしたものだが、なにしろ最初の出会いはオトーサンのジーパンの裾に貼り付いていたのである。それを他のワンコの飼い主さんが指摘してくださり「なかなか厄介だから取りましょう」とビニール袋を使って取って下さったのがコウガイビルを意識した最初であった。
何しろ動かずに地面にいれば紐でも落ちているとしか思えない生き物なのだ。ただしヒルという名がついてはいるものの人間やワンコに貼り付いたとしても血を吸ったりはしないようだがいたずらに取ろうとすると切れてしまったり、後にネバネバが残ったりと厄介な生き物なのだ。したがって道端に発見すればそれを避けて歩くようにしているし万一ラテの足にでも付けば毛足が長いから取るのはなかなか容易ではない。

またラテがリードを引き、草むらの一点を凝視するような時のほとんどはトカゲである。保護色のトカゲが多いのでオトーサンにはなかなか見つけられないが、その点ラテは目敏く見つけて追おうとする。
それから多くはないがカエルを見ることもある。かなり大きめな奴と雨蛙のように小さなカエルとこれまた色々といるようだが、トカゲやカエルで驚くようなオトーサンではないが、先日ついに出ましたアレが...。

日曜日の夕方の散歩から帰る途中、いつもの散歩道をラテのリードを引いて歩いていた。後ろから女房がカメラを首からぶら下げてついてくる...。
オトーサンはすでにクセになっているからラテの進行方向3メートル付近の地面を見ながらの歩きになっている。これは口にしては危ないモノが落ちていたり、ガラスなど踏んだらケガをするであろうモノを避けるためである。無論大きなミミズも踏まないように気をつけている。
ふと動く気配を感じてリードを引きながら足を止めるとオトーサンたちの前30センチほどに茶色の蛇が文字通り蛇行しながら径を横断していたのだ。
思わず「あっ、蛇だ!」と叫んでしまったが女房は悲鳴をあげてオトーサンの後ろに隠れる。しかしラテは何処吹く風だ...(笑)。これまで出会ったこともないし怖い思いをしたこともないからだろうが、トカゲに向ける興味ほども気がないようで静かにしている。

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※ラテのカメラ目線は真剣そのものだ(笑)


さすがにオトーサンも一瞬のことでありカメラを取り出して写真を撮る余裕がなかったが、見た限りは全身が茶色で全長は40センチほどの長さはあったようだ。しかし特に目立つ斑はなかったように思える。
子供の頃、近所にいわゆる生きた蛇をショーウィンドウ内に飾ってある漢方の薬局みたいな店があったから、縞蛇程度は見分けがつくがヘビの種類など知る由もない。
ともかくこの地に来てからは勿論、オトーサンの生涯で動物園など特別の場所は別にして一般道でヘビに出会ったのは今回が初めてなのだ。
問題なのはそのヘビが害のないものであれば別に騒ぐほどのことでもないが万一毒蛇でもあったら洒落にならない。早速インターネットであれこれと調べてみたが残念ながら思い当たるものには該当しなかったのでいまだに不明である。それに他の飼い主さんたちに聞いた話では別の場所ではマムシがいたという...。
それに昨今は蛇に限らず、人間が飼っていたものを捨てたりするケースがあるから油断はできないし、毒蛇だからといってその姿が毒々しい色をしているとは限らないらしいので心配である。
何しろラテに限らずワンコはよく草むらに頭を突っ込む...。そんなときに噛まれたりしたらと思うとオトーサンは気が気ではならないのだ。

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※散歩中にクンクンモードのラテ


毒といえばこの梅雨時だからだろうか、様々な種類の茸にも出会う。中にはまるで腰掛けのように巨大なものがあるかと思うと芝生のあちらこちらに真っ赤な見るからに毒々しい小さな茸も群生している。
さすがにワンコたちもそれらは口にしないようだが、これまた心配の種である。

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※こんな茸が公園中のあちこちに生えている...


まあまあこれらは散歩の途中で出会うわけで注意をしていれば避けることも可能だが、回りに緑が多く土も多いとなれば虫たちも家の回りは勿論、場合によっては家の中に入り込んでくることがあるので嫌なのだ。
無論、蚊や蠅あるいは蜘蛛などは一般的だろうが以外なのはゴキブリにはほとんどお目にかからないことだ。その反対にこれまで家の中では出会ったこともない例えばムカデに遭遇したことがある...。大概の虫を積極的に退治するオトーサンもこのムカデには尻込みせざるを得ない(笑)。
後はカマドウマ、いわゆる便所コオロギなども入ってくることもあるし今年はどうやら丸まってしまうダンゴムシが多く発生しているように思える。

ヘビは勿論だが虫たちにはわずらわされたくないものだし友達にもなりたくないし正直嫌いである。しかしオトーサンのような年齢になるとできるなら一匹の虫も殺したくはない。ムカデはムカデの、蛇は蛇の命がある。したがってきれい事のようだが外で出くわしたそれらは出来るだけそっとしておこうと思っている。ただしオトーサンの自宅に無断で上がり込んだ虫たちには容赦はしない(笑)。
本来なら積極的に殺虫剤なども撒きたいのだが、ラテが舐めたりしては困るのでなるべく控えざるを得ずその兼ね合いが難しい。
この梅雨時と真夏は虫たちの季節でもある。特に害虫との戦いも激戦になるが、残念ながらラテは戦力としてアテにならないのである(笑)。

DVD 5枚組「コナン・ドイルの事件簿」は面白かった!

「貴方は1日のほとんどをMacの前にいるというが、なにをやっているのですか?」と聞かれることがある(笑)。無論その多くは原稿書きや企画書作りなのだが最近はMacintoshのモニタでDVDをよく観る。先日もずっと気になっていた作品をAmazonから取り寄せて楽しんだが、それが「Dr Bell and Mr Doyle」邦訳は「コナン・ドイルの事件簿」というDVD 5枚組である。


この作品はいわばシャーロック・ホームズの誕生秘話といったポジションにあるものだから、ホームズ物を知らない人がいきなり観たのではそのストーリーは単なるミステリー物というだけで面白くないかも知れない。しかしシャーロッキアンから見ればホームズの生みの親であるコナン・ドイルがなぜホームズならびにその聖典と言われている長編短編合わせて60編の作品を生み出したかという背景が浮かび上がってくるようで興味はつきないのである。

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※「Dr Bell and Mr Doyle」DVD 5枚組パッケージ。邦訳は「コナン・ドイルの事件簿」


ところで「Dr Bell and Mr Doyle」の“Doyle”は無論コナン・ドイルのことだが“Dr Bell”を知っている人はシャーロッキアン以外はそんなにいないだろう。
実はこのジョセフ・ベル(1837年~1911年)博士は医学博士であり王立外科医師院特別会員、王立慈善病院、王立小児病院外科顧問そしてエジンバラ大学大学院法廷判事という肩書きを持った実在の人物であり、コナン・ドイルがエジンバラ大学で医学を学んだときにドイルを指導した本人であった。そしてそればかりでなく、後にドイルが開業したものの患者が来ず、内職のつもりでシャーロック・ホームズ物語を生み出したとき、ドイルはこのベル博士をモデルとしてホームズを作り出したのである。
ベル博士は診療室にはじめて入ってきた患者に対して、症状は勿論だがどこから来て職業が何か...といったことを言い当てたという。
彼の口癖は「ただ単に見るだけではなく観察せよ」だった。まさしくこれはホームズの口癖でもある。こうして実在の師弟が、フィクションとはいえ一緒に難事件に直面していくストーリーはシャーロッキアンにとってはこたえられない...。ただし本作品はフィクションではあるものの例えば第1話「ドクター・ベルの推理教室」で隣室にガスを送って妻を殺害する話が出てくるが、これは1878年に起きたシャントレル事件という実際にあった話を元にしているものと思われる。そしてこの事件に実際ベル博士が解決の手助けをしたと信じている学者もいるようなのだ。なぜなら時々協力し合っていたベル博士の同僚が検視の一端を担った事実があるからである。

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※「コナン・ドイルの事件簿」第4話のDVDケース。右がベル博士役のイアン・リチャードソンで左がドイル役のチャールズ・エドワーズ


ともかく結論めくが、イギリスBBCが製作しただけあって全編にわたりとてもよく出来ている。
19世紀末の街並みはもちろん衣装や小道具などなども妥協はないようだし、何よりも素晴らしいのはホームズの聖典に描かれているストーリーを十分意識しているところだ。
第2話「惨劇の森」では「ホームズの帰還」に収録されている「ひとりぼっちの自転車乗り」という話しがこの事件を題材にドイルが執筆したと思わせるに十分なストーリーだし、単純にストーリーに焦点を当てるなら聖典よりこの「惨劇の森」の方が出来が良いと思わせるほどだ。
余談ながらこの「ひとりぼっちの自転車乗り」「寂しい自転車乗り」とか「孤独な自転車乗り」と訳される本作品は以前「美しき自転車乗り」と訳されて出版されたことがあった。
原題が “ the Solitary Cyclist ” なのだから明らかに過剰な意訳なのだが、NHKテレビで放映されたイギリス/グラナダTV製作「シャーロック・ホームズの冒険」の中のタイトルも「美しき自転車乗り」となっている。しかしその役者を見て私は「ちっとも美しくない!」と文句を言ったことがあった。それに対して弟が「それは好みの問題だよ...」といかにも冷静なもの言いをしていたのを思い出す(笑)。
しかしこの「惨劇の森」に登場する自転車乗りの女性、ヘザー・グレイス嬢は実に美しい...。

また聖典「四つの書名」の中でワトソンが父親から兄へと受け継がれた形見の懐中時計をホームズに見せ、この持ち主を推理してみろと勧めるシーンがある。ズバリと兄の悪癖などを指摘されたワトソンはホームズが事前に自分の家庭に関して調べた結果をさも推理したように言ったと思い込みホームズを非難するシーンがある。
「コナン・ドイルの事件簿」にもベル博士とドイルとの間で同じ展開があるのもシャーロッキアンにはニヤリとさせられるところである。
その他、ベル博士が死体を叩いたり、室内で拳銃をぶっ放したり、ドイルの弟イネスにベル博士が鹿打ち帽をプレゼントしたりと、シャーロッキアンなら思い当たるところが多々登場して息をもつかせないスピード感がある。

さて細かなストーリーはともかく本編はドクター・ベル役のイアン・リチャードソンの演技が実にいい...。イアン・リチャードソンは1980年代テレビドラマでシャーロック・ホームズを演じたことがあったが、どこか人間くさい情のあるホームズで今ひとつの感じがした。しかしこのドクター・ベル役では優しさと厳しさはもとよりアクティブな人間性がよく出ているようで何だか実際に会いたくなってくる人物である...。とはいえ残念ながら彼は2007年2月9日、72歳で鬼籍に入ってしまった(嗚呼)。

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※1983年製作「四つの署名」でシャーロック・ホームズを演じるイアン・リチャードソン


実際のベル博士の写真も今に伝わっているが、かなり紳士然とした男前である。そしてこのイアン・リチャードソン演じるベル博士も年季の入った初老の男として魅力的である。したがって彼の演技...姿を見たさに再度DVDを見ようとする気になるほどだ。

無論原題が「Dr Bell and Mr Doyle」となっていることからもお分かりだと思うが、このベル博士が本編の主役でありいわばベル博士がシャーロック・ホームズでドイルがワトソンに相当するという構成になっている。逆にワトソン役は学生時代と卒業後は別の役者だが共に実際のドイルを彷彿とさせる姿ではないのが少々残念である。
それから全体のストーリーは師弟愛を軸に描かれてはいるものの決して後味のよいものではない。
もともとベル博士は外科医であり警察から死体の検視を依頼される立場にあるから彼の日常に死体がどさどさと登場するのも道理であろう(笑)。そして「切り裂きジャック」といった犯罪史上もっとも残酷で陰惨な事件が多発した当時の暗い世相と時代背景を考えれば明るいドラマにはなり得ないわけだが、それにドイルの家庭環境にも暗い影が差しており、ドイルの心痛が耐えないのもこれまた史実なのだ。
さらに「催眠術」「降霊術」「毒薬」「写真機」といった興味あるテーマだけでなく女性の社会的地位がどれほど低かったか、あるいは警察の無気力ぶり...などなども描かれヴィクトリア時代後期のリアルな時代性をも楽しめる作品になっているものの、ハッピーエンドを期待する方にはお勧めできない...。

当時の実社会を描くとすれば残念ながらこんな感じにならざるを得ないのたろう。特に犯罪やら病気を扱う立場のストーリーとしては...。
そして別途 E.J.ワーグナー著/日暮雅通訳「シャーロック・ホームズの科学捜査を読む~ヴィクトリア時代の法科学百科」を読むと当時はまだまだ多くの迷信が色濃く残っていた時代であったことがよく分かる。だからこそ、ベル博士は勿論だがシャーロック・ホームズの観察と推理を前提にした科学的捜査が光ってくるのである。
そう納得すればするほど逆に聖典のホームズ物語はテーマが殺人だったりする場合でもホームズとワトソン2人のキャラクタによるものなのだろうか、あまり陰惨な感じを受けないのは素晴らしいことなのかも知れない。
この「シャーロック・ホームズの科学捜査を読む~ヴィクトリア時代の法科学百科」については別途機会があればより詳しくご紹介してみたい。

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※河出書房新社刊「シャーロック・ホームズの科学捜査を読む」表紙


第1話「ドクター・ベルの推理教室」ではドイルとベルが巡り会い、ドイルが助手になっていく過程が描かれ、ベル博士の推理手法に懐疑的ながら医者として大切なことを学んでいくわけだが、第5話「暴かれた策略」ではドイルの成長ぶりがうかがえて面白い。
シャーロッキアンのための作品だとすればこうして一般的にお勧めするのも矛盾するかも知れないが、本作品からシャーロック・ホームズ物語に興味を持つ人が一人でも増えると嬉しい。


1983年製作のMac販促ビデオ「The Macintosh Story」再考

手元に1983年当時のApple Computer社がMac販促のために製作したビデオ「The Macintosh Story」がある。VHSのビデオテープケースにはビル・アトキンソンら7名の開発者が一堂に会し、誇らしげな表情をしている。映像自体はすでに以前からYouTubeにアップされていたようだが、あらためてオリジナルテープをデジタル化する機会を得たのでご紹介してみたい。                                                                                                        
当ビデオはMacintoshの販売促進のために1983年に製作されたようだが、映像には開発者らと共にスティーブ・ジョブズの若かりし姿やマイクロソフト社のビル・ゲイツのインタビューなども収録されている。

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※1983年AppleがMac販促のために製作したビデオ「The Macintosh Story」


特にビル・アトキンソンらは露出も多く来日もしているからその実像や話し方などに接した人も多いかも知れないが、ビュレル・スミスやジョージ・クロウなどの映像はあまりご覧になる機会がなかったのではないか...。

まずは映像を見ていただく前に、ビデオテープのケースにある写真についてお話ししてみたい...。

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※「The Macintosh Story」ケースに紹介されている7人のMac開発チームたち


取り急ぎ名前を列記すると、左からアンディ・ハーツフェルド、クリス・エスピノザ、ジョアンナ・ホフマン、ジョージ・クロウ、ビル・アトキンソン、ビュレル・スミス、そしてジェリー・マノックであり、当時彼らがどのようにMacintoshに関わっていたかの概略は以下の通りである。

・アンディ・ハーツフェルド
ソフトウェア・ウィーザード。MacintoshのTool Boxのほとんどを開発。
・クリス・エスピノザ
マニュアル及びドキュメントを監修
・ジョアンナ・ホフマン
マルチリンガルを推進しマーケティング担当
・ジョージ・クロウ
アナログ基板や電源を設計
・ビル・アトキンソン
QuickDrawやMacPaintを開発。アップルフェロー
・ビュレル・スミス
ハードウェア・ウィーザード。デジタル基板の設計
・ジェリー・マノック
工業デザイン、エンジニアの管理

この写真の他に中央の椅子に座っているジョージ・クロウがマックを膝に乗せた各人の並びが少し違うバージョンも他で見受けられるがいくつかのパターンがあるのだろう。
とはいえMacintoshの開発に関わった人たちは彼ら彼女たち7人だけではない。ご承知のように最初期のMacintosh内側に刻印された開発者の名前だけでも47名にものぼるし、サインを集めた時期にはまだチームに加わっていなかったスティーブ・キャプス、スーザン・ケアらを加えればさらに多くの人材が関わっていたはずだ。
ではなぜこの7名が主役というか表看板のように扱われたのだろうか...。
無論ビル・アトキンソンやアンディ・ハーツフェルドらは確かにチームの中でも特別な存在だったが、例えばファインダを開発したスティーブ・キャプスとブルース・ホーンだって重要な役割を果たしたはずである。

当時のApple...というかスティーブ・ジョブズはMacintoshを単なる大量生産された工業製品とは考えず、その内側にある制作者たちのサインが意味するように芸術作品と考えていたという。したがって作り手の顔が見えない作品では価値がないと考え、業界の伝統を破り彼らの名と顔を積極的にアピールしたのである。無論Macintoshをより売るために...。
ということで、今となっては推測するしかないがこの7名がこうした広告を作る時期に集まれる人材だったこともあるだろうし、もっと端的に言うならこれらの7名は特にスティーブ・ジョブズに気に入られていた人たちだったと思われる。

また映像にはこの7名すべてが登場しているわけだはなく逆に写真には写っていない マイク・マレー(マーケティング・マネージャ)やキット・プランク(A.C.I.技術者)も登場している。そして前半はこれら開発者らのインタビューのような映像が続き、中程はMacintoshがいかに優れ先進的で使いやすいパーソナルコンピュータなのかといったいわゆるコマーシャル映像である。続いてソフトウェア・サードパーティー企業ならびにその代表格だったマイクロソフト社のビル・ゲイツが登場し最後にスティーブ・ジョブズがスーツ姿でMacintoshをアピールする。

 


※「The Macintosh Story」を二つに分けてアップロードしてある


それらの映像は実物をご覧いただくとして細部に拘る私としては中盤の映像のいくつかが興味深い。
以前に「Macintosh 128K マニュアルの秘密!?」で紹介したが、この当時にマニュアルなどに登場するMacintoshは明らかに実際に出荷された製品とは違ういわゆるプロトタイプであった。
この「The Macintosh Story」に登場するMacintoshもよく観察するとマニュアルに掲載した写真と同じ時期に作られたのだろう...実際とは異質な点が見える。
例えばマウスコネクタの形状が違うし背面の“Macintosh”というネームプレートが無い点と6色アップルロゴとの位置が逆になっているなどの違いがある。

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※マウスのコネクタデザインが実際の製品とは違っている


また今回新たに気づいたこととして映像の中でMacintoshの利用者がそのユーザーズガイドを開く場面がある。しかし映像を止めて見る限り、この128K用のマニュアルもプロトタイプのようだ。この時期まだ実際のマニュアルは出来上がっていなかったのだろう。なぜなら本物と比較するとかなりページ数が薄すぎるし、ページをめくるシーンではどう見てもそれらは白紙ページのように思える(笑)。

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※開いているユーザーズガイドは実物と比較すると薄すぎる。またMac背面のアップルロゴの位置ならびに"Macintosh"のネームプレートが無いことにも注意


当時このプロモーションビデオ制作者たちは自身たちが撮影している機器などがまだプロトタイプであることを承知していたはずだが、まさか26年も後になって重箱の隅を突かれるとは夢にも思っていなかっただろう(笑)。それに完全主義者のスティーブ・ジョブズにしてもスケジュール的に出荷できる最終製品を待っていてはこの種の準備ができないことを知り容認するしかなかったに違いない。

この時代は前記したような目的もあり、開発者個人が前面に出てくることで製品にリアリティとか存在感が生まれた。しかし最近はAppleもご承知のように一部の例を除いて開発者らが顔を出すことはなくなってしまった。良し悪しではなくMacintosh 128Kが開発された時代は天才を必要とする特異な時代だったのかも知れない。
それと比較すれば最近は世の中に無かったものを生み出すのではなく、iPodを例にするまでもないがすでに存在するテクノロジーをいかに組み合わせ、洗練された形で新しいものを作り出す時代になったことと関係しているのかも知れない。

ラテ飼育格闘日記(135)

どうやらワンコの中にはいわゆる「内弁慶」もいるし「外面の良い」のもいるようだ。ラテを見ているとそれを強く感じる。特にワンコに対してというよりワンコ連れの飼い主さんはもとよりだが人間一般に対して可笑しいほど愛想がよいのである。何故なのだろうか?

 

ラテは決してワンコ嫌いの犬ではない。確かに好き嫌いは激しく、特に雌のワンコにはライバル心からだろうか、あからさまに敵対心をむき出しにするが馴染みのワンコたちには遊びのポーズで誘う。そして相手が乗ってくれるなら駆けたりふざけたりとよく遊ぶ。
ただし人間も大好きで、特にラテを可愛がってくださる人たちの姿を見つけると仲間のワンコを置き去りにして駆けていく(笑)。
では何故ラテはそうした人たちが好きなのだろうか?

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※お陰様でラテは愛情いっぱいに育ってます


普通に考えるなら「オヤツをくれるから」と思われるかも知れない。無論それを目当てに近づく相手もいるが、ラテがその膝元に潜り込みお腹を出したり、伏せて一時の安らぎを得たいという甘えを見せるのは決して食べ物に関係するばかりでないのが複雑なところなのだ。
初対面の人間には警戒心からだろう、大いに吠えたり唸ったりするラテだが、馴染みの人たちに対してはまずその吠え声が違う。
ただしワンコをよく知らない人たちにとって犬が吠えるというのは気持ちのよいことではないと思う。
一般的には「吠える」=「威嚇・攻撃」といったイメージがあるのかも知れないが、肝心なのはワンコの吠え声も一種の意思表示であり言語なのだ。したがって威嚇や攻撃のための「ウ~ワンワン」といった吠え声と自分に注意を向けたくて吠える一種の挨拶に相当する「ウ~ウォンウォン」といった吠え声は意味が違う。それは声の調子ばかりでなく、表情は勿論尻尾の振り方や耳の倒し方と共に観察すれば明白だ。

ワンコを飼っている人たちはそうした違いを知っている場合が多いものの、それでも近づきながら声高らかに吠えるラテは体も大きいし怖いと思われるかも知れない。
したがって「どうしたのラテ...今日は機嫌が悪いの?」と手を引く人もいるが、ラテは決して怒っているのではなく手を触れて可愛がってもらいたいと主張しているのだ。そうした機微を分かっている飼い主さんに会うとラテはもうメロメロである(笑)。
例えば、餌を欲しくて吠える「要求吠え」といわれる吠え方があるが、ラテのそうした時の吠え方もある種の要求吠えなのだろう。「こんにちは!可愛がってね」という要求なのだ。

そうした人に対しての甘えは大人に限れば知らない人は対象外だが、子供...特に小学生たちには初対面でも喜んで近づくのだから不思議である。人間から見れば子供に甘えるという行為の意味がよく分からない...。
耳を倒し、尻尾をブルンブルン振りながら姿勢を低くしたほふく前進し、相手の足元でころりとお腹を出したりする。
小型犬ならいざ知らず、大型犬に近いような体形のワンコがほふく前進で近づいてくるのだから、ワンコ嫌いな子供たちは「わっ、変な犬...」と逃げてしまうのが普通で、そうした時のラテは「くう~ん」と本当に残念そうな声を出しながらオトーサンを見上げる。
その目はなんだか「ワタシ...近づき方間違ってましたか?」とでも問われているようでオトーサンは胸がキュンとなる(笑)。
それでも中にはワンコ好きの子供もいて、怖々でも近づき触ってくれる場合もあるが、ラテはその一瞬が至福のときのような顔をし、前足をチンチンするときのように折り曲げ、お腹を出してしまう。しかし何故子供相手だとこうなるのだろうか...。

興味深いのは、こうした態度はワンコに対して決してやらないことだ。仲の良いワンコたちに会うと勿論喜びを表すものの、その行動は人に対するものとは明らかに違うのである。そしていつも愚痴るようだが、オトーサンに対してはこの種の態度を見せることはないのもその目的を考える上で興味深い...。
オトーサンが知りたいのは「何故ラテはこんなにも人に対して甘えたがるのか?」ということなのだ。
別にオトーサンに対してこうした甘えの行為をしないから文句をいうつもりはないが、まるで愛情に飢えているようにも見えるその行為の目的あるいは真意は何なのかを知りたいのである。

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※なにか怖いことがあったのだろうか、オトーサンに抱っこをせがむラテ


そういえば先日面白いことがあった。いつもの公園に入る直前に陸橋を渡ることになるが、渡り始めたとき中学2年の男の子と出会った。
その子はラテが大好きなお兄ちゃんなのでラテはもう嬉しさを身体いっぱいに表し声をあげている。しかしお兄ちゃんは帰宅途中でゆっくりしていられないようで幾たびかラテの体を撫でた後「ラテ、またね」と去っていった。
ラテは少々不満そうに後ろを振り返りながら歩きはじめたとき、年格好がお兄ちゃんと同じような男の子が笑顔で近づいてきた。どうやら着ている物が先のお兄ちゃんと同じようなので同じ学校の学生なのかも知れないが、確かなこととしてその男の子は先のお兄ちゃんがラテと親しく遊んでいた姿を見ていたようである...。
だから、男の子は微笑みながらラテに近づき撫でてくれようと手を差し出したが途端にラテは唸り声を上げた(笑)。
その子にしてみれば先のお兄ちゃんとラテが大の仲良しであることなど知らないはずから「あの子と遊んだのだから自分も同じようにこのワンコと遊べるだろう」と思ったのではないだろうか。
申し訳なかったが、残念そうな顔をして去っていく男の子がとても印象的だった。

ラテに限らずワンコは相手を驚くほどよく覚えている。自分にとって有益(何を持っての価値観はともかく)な人間には喜んで近づくが、何度会ってもダメな人はダメなのだ...。しかし前記したようにその価値観が餌だけなら分かりやすいが、そうでないならその動機は一体何なんだろうか...。
そう、餌を貰うことが目的でないとすればいわゆる「自己中心的な独占欲」といったことかも知れない。
ひたすら自分の存在をアピールし、注目を浴びて可愛がってもらいたいという欲求である。いわば飼い主とは別次元、別レベルで自己中心的な「愛されたい」という独占欲としか考えられないのである。

Latte134_031.jpg

※オヤツでラテを吊ったヤラセの仲良しシーンである(笑)。普段ラテはオトーサンの膝に乗ってくるような行為はしない


女房は冗談で「こんなに愛想がいいなら、いつノラになっても拾ってもらえるね」というが、そうではないのだ(笑)。
オトーサンにリードを繋がれている安心感がまずベースにあり、かつ自己一身に注目を浴びたいという文字通り身勝手な欲求があるのかも知れない。だから膝元で至福の時を過ごしているとき、その飼い犬が戻ってきたりすると「邪魔しないで!」とばかり威嚇する。理窟も何もあったものではなく、ひたすら自分に気持ちを向けて欲しいという欲求故の行動のような気がしてならない。
その辺のワンコの機微というか思考は一般に考えられるほど単純ではなく、十分に意識した上での行動だと思われる。
例えばお仲間の柴犬であるクロちゃん(雄)もお気に入りの人たちに対してチョコチョコと近づき、ハグでもしようという風に前足を預ける。
面白いと思うのはその行為を観察していると明らかに単純な衝動としての行動だけではなく他のワンコを意識しての行動に思えるのだ。
腰を落としている飼い主さんの肩に両前足を預け、ハグされつつ彼は回りを見渡して他のワンコに見せびらかすような行動をする。だからその飼い犬が嫉妬を抱くことを承知上で...というか嫉妬させようとして悠然と抱きつくようなその姿はワンコの知能の高さを証明しているように思う。
聞けばクロちゃんは自宅ではそうしたことをしない内弁慶のワンコだという(笑)。

クロちゃんとラテとではその愛情表現や行動のあれこれはかなり違うが、ワンコも自己主張のため他を意識しながら行動することをまざまざと見せつけられている毎日である。
それはともかく、飼い主さんの足元に陣取りその愛犬に向かって威嚇するのはラテの理窟だとしても、人間界にいるオトーサンの立場はそれでは困るのだが...(笑)。

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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員