iPod shuffle (第 2 世代)

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iPod shuffle (第 2 世代) はオリジナルの iPod shuffle よりもコンパクトで背面はクリップになつている。容量は1GB 発表は2006年9月


三遊亭圓歌「中沢家の人々」完全版は抱腹絶倒

先日たまたまテレビのスイッチを入れたらチャンネルがNHKだった。画面にはしばらくぶりに見た3代目三遊亭圓歌が十八番の「中沢家の人々」を演じていた。無論その演目は知っていたし断片的に見聞きしたことはあったが1時間以上にも及ぶ完全版のCDがあるというのでAmazonで手に入れてみた。

 
届いたCDのジャケットに写っている圓歌はどこかあの谷啓に似いている(笑)。
その久しぶりの姿を眺めていると歌奴の時代に「授業中」で随分と楽しませてもらったことをまざまざと思い出す。
落語に詳しい方は沢山いらっしゃるから蛇足かと思うが、三遊亭圓歌は現在社団法人落語協会の最高顧問だが1996年から10年間会長に就任していたこの世界の重鎮である。
圓歌は1929年の生まれだと言うから今年80歳ということになるが、吃音者であったことをネタにしたあの「山のあなあな...)」で一世を風靡した「授業中」に笑い転げていたころは1960年代後半だったが、1970年に3代目圓歌を襲名してからテレビにはとんと出なくなったこともあり、その落語に接する機会も少なくなってしまった。
その上、彼は1985年に日蓮宗本法寺で得度(法名・本遊円法日信)出家し、噺家と僧侶の二足のわらじをはくことになる。

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※三遊亭圓歌「中沢家の人々」完全版CDジャケット


さて今般あらためて圓歌の十八番である「中沢家の人々」完全版を謳うCDを購入し、その1時間以上にもおよぶ落語を聞いてみた。
ご承知のように私たちが気楽に接することが出来るテレビやラジオによる落語は時間的な制約が多く10分とか20分で演じきらなければならないことがほとんどだ。
嘘か誠かは分からないが本演目の中でも本人が「一番短いのは4分」という話しもあるくらいなのだ。したがって1時間以上にもなる噺は文字通り完全版といってよい代物なのである。
本演目の収録は2005年3月31日、鈴本演芸場における「三遊亭圓歌の会」の収録だというが、多く耳にしている噺が贅沢にも “まくら“ として使われ、そうしたお馴染みの話を楽しみながら本編「中沢家...」へと入っていく。

この「中沢家の人々」だが、圓歌の本名が ”中沢“ であり、自分の両親はもとより、先妻の両親、再婚相手の両親の計6人もの年寄りと暮らすことになった圓歌自身のエピソードが語られすでに大ヒットした「授業中」を超える圓歌の代表作となった噺である。
「ジジイ」とか「ババア」といった乱暴な言葉がポンポンと飛び出しその語り口は些か乱暴だが、決して人を不快にしない独特の噺は絶妙である。
圓歌はこの「中沢家の人々」という演目を圓歌襲名後から少しずつ温め、そして大きく膨らましながら演じてきたというが、聞いている年寄りたちが楽しんでいる雰囲気はこれまた大好きな中高年のアイドル「綾小路きみまろ」に通じるものがある(笑)。
もしかしたら綾小路きみまろの原点は圓歌にあったのではないかと思わせるような雰囲気も感じられるほどだ。

笑ってはいられない深刻な問題を多々かかえる高齢化社会だが「中沢家の人々」にはその深刻さを笑って乗り越えようという牽引力がある。無論現実にはそんな生やさしい問題ではないわけだが、誰もが100%毎日老いに向かって歩み、これまた100%その死から逃れた人はいないのだ。だからこそ物事は...毎日をポジティブに考えて過ごすことがいかに大切なのかを「中沢家の人々」はあらためて知らしめてくれるような気がする。
とはいってもこの圓歌が噺す「中沢家の人々」を実話と真に受けてしまってはいけない。落語なんだから...(笑)。
どこまでが本当でどこからがウソ...いや創作なのかがわからず、ついすべてが実話だと思いたくなりその噺の心地よさに身をゆだねてしまうが、それは圓歌の噺が巧いからだ。
いまのところ1時間を超える「中沢家...」を聴くことが出来るのは本CDしかないようだが、聴けば聴くほど今度は圓歌の姿が見たくなってきたので別途DVDも注文してしまった...。

中沢家の人々・完全版

ラテ飼育格闘日記(147)

常々ご紹介しているようにラテは子供好きであり初対面の大人は警戒するものの知っている人間にはまずまずフレンドリーだと思う。そして近隣の公園などで子供たちや可愛がってくださる飼い主さんたちに囲まれて至福の表情をするラテだが、そこはワンコだからして一番は気の合う仲間と遊ぶことに違いない。しかし最近は幼犬時代とは違いなかなか気の合うワンコたちと出会う機会が少なくなってきた...。

 

そろそろ午後6時を過ぎると暗くなってくる季節になってきた。そして7時ともなれば懐中電灯などの明かりがないとウンチひとつ拾うこともできなくなる。したがって真夏の時期より夕方の散歩に出る時間は30分から1時間ほど早くなってくる。
この夕方の散歩はラテにとっては単にオトーサンとの散歩...というだけでない重要な意味を持っている。それは朝の散歩ではほとんど出会うことができない気の合うワンコたちと遊べる可能性が高いからである。

オトーサンの住居はコンクリートのビルが立ち並ぶ地域とは違い、緑が多く近隣にいくつかの公園があるというワンコを飼うには大変恵まれた場所ではあるが、ワンコが安心してそしてクレームがなく遊べる場所となればそうそう多くはなく場所は決まってしまう。それにワンコ同士を遊ばせたいと多くの飼い主が集まるのは大体決まっている公園になる。

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※道端で草木の臭いを嗅ぎながらご満悦の表情をする


オトーサンたちが日々夕刻の散歩のターゲットとしている公園もそのひとつで、タイミングが合えば様々なワンコたちが集う場所である。そこでは球技などを楽しんでいる子供や学生たちと一緒に我々ワンコの飼い主たちが愛犬と戯れている。
そのなかなかに広い公園を縦横無尽に走り回ったりあるいは散歩する飼い主もいれば、公園を囲むような歩道を何度も回っている飼い主たちもいる。そして日々変化はあるものの、そこに集う人たちはまずまずお馴染みさんたちだ。
たまに新しくワンコを飼ったことで公園デビューにいらっしゃる新しい飼い主もいるがオトーサンのように毎日通っているという人たちがほとんどだ。しかし当然のことながらワンコだけでこの公園に遊びに来るわけではないから、当然のことながらその都合はワンコではなく飼い主の都合となる。

ワンコと違い、こちとら人間様の世界はいろいろと大変で複雑である。
仕事の都合はもとより飼い主の体調、子供の世話、浮き世の義理などなどが優先となり愛犬の散歩はどうしても二の次になる場合もあるはずだ。したがってほぼ毎日通っているオトーサンから見れば「今日はあのワンコがいないなあ」ということも多いのだ。
またラテが公園デビューしてからすでに2年半という歳月が過ぎたから、それぞれの家庭においても子供の成長やらで生活事情が変わりこれまでのように定期的に公園へ散歩に来られないという人たちも多いはずだ。それに子供たちがワンコを連れて散歩に来ていた場合も進学などで環境が変わり、それまでと同じようにワンコと遊べなくなったというケースも見受けられる。

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※大あくび中のラテ(笑)


それに...面白いと言っては何だが、公園に集まる飼い主さんのほとんどがお互い住居を知らないばかりか、名前や年齢そしてどのような仕事をされているのか、そして経歴などもほとんど知らないということだ。しかし2年半以上もお顔を拝見していればお互いに挨拶は勿論、ワンコの話題から始まり、差し支えない程度の近況といった話しを紡ぐわけで「ああ、こういう方なんだろうなあ...」というイメージを持って接している...。無論、中にはたまたま住んでいる場所や家族構成といった断片的な情報を知るに至った方もいるが、ほとんどは名前すら知らないのだから面白い。
しかしそうしたお互いに愛犬を接点に知り合った方々ながら、いつもの公園でいつもの時間に出会えないと「どうされたのか...」と余計な心配してしまう場合もある。
この2年半という思えば長い期間中、お互い愛犬の病気や怪我に悩まされたり、ご自身や家族のトラブルで思うように散歩に出られないということもあるわけだ。

事実それまでにラテが仲良く遊んでいただいたワンコでの中にも飼い主さんの事情で公園に来られなくなったり、外出可能な時間帯が変わったりすることもあるわけで、仕方のないことだとはいえラテならずとも残念に思っているオトーサンなのである。
また公園に集まったワンコたちすべてがラテの遊び相手というわけではないのも困ったことで、どちらかというと好き嫌いの激しいラテは近づくと吠えるワンコも多く、安心して遊ばせられるワンコは限られてくる。
しかしこればかりは仕方がないのだが、やはりラテ自身が幼犬時代から遊び回ってきた相手は今でも気を許しているように思える。
それぞれ出会った時期は多少違うし、ラテが遊びに誘っても応じないワンコもいるものの(以後敬称略...笑)、ミックスの「マキ」、コーギーの「アポロ」、ビーグルの「ハリー」、柴の「クロ」「ぽん吉」「ハチ」、ゴールデン・レトリーバーの「ヒナ」といった限られたワンコたちなら安心して対峙させておけるし、相手のワンコたちもラテに対して威嚇したり怒ったりしない。
その他にも会えばラテが遊びのポーズを取ったりするワンコもいるし、餌などがからまなければ喧嘩をしないワンコたちもいるものの多くは近づくと唸るのでどうしようもない(笑)。ただし面白いのはコーギーの「シン」とかボストンテリアの「ボビー」はワンコ同士は喧嘩仲間だが、ラテはその飼い主さんが大好きで近づいて口元を舐め回そうとするのだからオトーサンのリードさばきは至極難しいものになる(笑)。

したがってそうした気の合うワンコたちと公園で出会った日はラテにとって良い日となるが、それら常連のワンコたちとすれ違うことは多く一堂に会することはなかなかない...。
時には広い公園にラテとオトーサンだけ...といった寂しいときもあるのだ。

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※広い公園に来たものの誰もいない。誰か友達来ないかなぁ...


しかし先週のある日、ラテにとって盆と正月が1度に来たような時間帯があった!
それはラテの大好きな「マキ」、そして久しぶりに本気で走り回れる相手の「ヒナ」がいただけでなく「ソレ」「ぽん吉」などの中型犬...大型犬がずらりと一堂に会したのである。

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※手前のラテをはじめ、反時計回りに「ヒナ」「ぽん吉」「シン」「マキ」「ソレ」たちお馴染みの中型・大型犬が集まった


ラテは節操なく(笑)「マキ」にチューを迫ったか思うと今度は「ヒナ」と本気の駆けっこをする。
最近はなかなかラテが全速力で走る相手がいないのでそれは貴重な瞬間だったしゴールデン・レトリーバーの「ヒナ」とラテとの競争は圧巻だった。
なにしろラテのリードが高速で走る「ヒナ」に絡まないようオトーサンは最大の注意をするが「ヒナ」は何のその...オトーサンとラテとの間にあるリードを軽々と飛び越えながら走るのだから凄い...。
その後「アポロ」や「クロ」といったまさしく常連のワンコたちも到着し何だか同窓会といった感じでラテにとって馴染みのワンコたちが揃った見事なひとときであった。

ひとしきりの宴の後、帰り径のラテは疲れたのだろう些か歩みが遅かった...。そして自宅に戻ったラテは玄関でオトーサンに体を拭いてもらうとき、すでにヘタっていた(笑)。そして夕食までの間、実に良く眠っていた。
出窓のたたきに体を伸ばしながら「ウ~」と小さな唸り声と共に四つ足を動かすラテはきっと夢の中でも楽しく走っていたに違いない...。

ラテ飼育格闘日記(146)

ワンコの日常にも日々変化があるし良い1日とそうでもない1日があるに違いない。ラテにとって良い1日とは良い散歩の時間を過ごせるか否かにかかっているはずだ。ではラテにとって良い散歩とはどんなことなのかといえば、やはり気の合う友達ワンコと遊べる機会や可愛がってくれる子供たちと触れ合えた時が至福の時間なのではないだろうか。

 

ある日の土曜日、夕方の散歩のためにオトーサンは女房と共にラテを連れ出した。天気は曇りだったが数時間前に弱い雨が降ったこともあり草木は濡れていたし今にもまた雨が降り出しそうな雰囲気だった。というよりすでに空気は湿り気を帯びていたといった方がよい...。
オトーサンたちはいつもの公園に行くために慣れた遊歩道を歩きはじめていたとき、どこからか「ラテ!」という声がかかった。
ラテは瞬時にそれが誰からの呼びかけなのかが分かったのか、すでに喜びの姿勢を表しオトーサンが握っているリードを引き始める。
ふと声のする方向を見ると左方向10メートルほど先にある階段を下りてくる男の子3人が目についた。

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※最高の笑顔を振りまくラテだが、お目当てはオトーサンの右手にある縫いぐるみなのだ!


彼らはラテが大好きな雄のワンコ、マキちゃんの家の一番下のお兄ちゃん(小学生)とその友達たちである。マキのお兄ちゃんは勿論、友達の男の子もラテに会う度に可愛がってくれるのでその声を聞いただけでラテはすでに舞い上がっている。
行き交う車に注意しながら小学生のお兄ちゃんたちの近くに向かう。そして3人に囲まれたラテはもう後ろ立ちしてお兄ちゃんたちに抱きつこうと大変な騒ぎだ。
いやはや、すでにその服を少し汚してしまっている...嗚呼。しかしお兄ちゃんたちは「大丈夫です」とそのままラテの相手をしてくれている。
しまいにラテはお腹を全開ににして喜びを表すが、コンクリートの一部にはちょっと濡れた部分が出来ていた。まだ雨脚はコンクリートの一部を濡らすほど強くはなかったから、たぶんラテは嬉しさのあまり「うれション」をしてしまったようだ(笑)。
お兄ちゃんたちと戯れているラテの姿を見ているのはオトーサンも楽しいがいつまでもこのまま続けているわけにもいかない。
すでに空気は湿り気を通り越して幾分霧雨に包まれ始めているから本降りにならないうちに散歩を終えなければならない。無論散歩中にはオシッコはもとよりだがウンチも終わらせたいがこればかりは強制するわけにもいかないのでなかなか難しいのである。

オトーサンたちはお兄ちゃんたちに心からのお礼を言って渋るラテを引き離し、散歩道に誘導した。
ラテは後ろを振り返りながらもやっと歩きはじめるが、本音はこのままいつもの公園に向かうよりお兄ちゃんたちに囲まれていたいのだろう。しかしお兄ちゃんたちだって遊ぶために集まったのだろうからいつまでもラテの相手をしているわけにはいかないはずだ。
ラテの視線を追ってオトーサンも後ろを振り向くと彼らは遊歩道わきにある小さな公園で声を掛け合いながら遊び始めている...。
オトーサンも「ラテ、行くよ!」と声をかけてリードを引く。
傘をさすまでには至らないものの雨が降り始めているし、無論それを察知しているラテは耳に雨が入らないように倒しながら歩いている。

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※公園の芝生で一休みするラテ


なんとか雨脚が強くならないようにと祈りながらオトーサンたちはいつものクンクンモードに入ったラテを注視していたが、ラテはものの1ブロックも歩かないうちに遊歩道の草むらへしゃがみこんだのである。
距離的なことで言うなら、これまで自宅から公園に向かう道のりでの最短距離でウンチをしたことになるだろうか...。
まあ、それは腹具合の問題でもあるからオトーサンたちのコントロールできる問題ではないわけだが、雨が強くならないうちに帰りたいと考えているオトーサンにとってはまことに喜ばしいラテの決断であった(笑)。
しかし自宅を出てからものの10数分しか経っていないわけだしウンチをしたからといってこの場でUターンするのはいかにも可哀想だ。
雨足が強くなったら別だが、この程度なら行けるところまで連れて行こう...そう思ってオトーサンはそのまま歩き始めた...途端にラテが強くリードを引き、なんと驚いたことに今来た道を帰ろうとするのだ(笑)。

親ばかではあるがこの辺がラテの凄いところなのである...。散歩に出たからにはウンチをしなければならないということをまず知っている。無論ミッション以前にラテ自身の生理的欲求のためにウンチをするのが先決だが、それはそれとして彼女はウンチをしないとオトーサンの機嫌が悪いことも知っている(笑)。したがってオトーサンのメンツを立てるためにと形ばかりの小さなウンチをして得意そうな顔をする時さえあるラテなのだ。そしてなによりもウンチをしないと早々帰れないことも学習しているわけだ...。
特に雨の嫌いなラテは散歩に出たがらないときもあるくらいだから、早く家に帰りたいのかと思ったが、ラテの目的は明らかに違った。

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※久しぶりにラテとブランコを楽しむオトーサンだが...重い(笑)


散歩を続ける楽しみを放棄してまで来た道をとって返したラテの狙いは先ほどのお兄ちゃんたちだった。鋭いその感覚でまだ100メートルも離れていない公園で遊んでいるお兄ちゃんたちの存在を感じていたに違いない。そしてオトーサンにアイコンタクトするその顔は明らかに「ウンチはしたから戻っていいでしょう」と言っていた(笑)。
オトーサンたちとしても最大のミッションは済んだから、戻ることに異存はないしラテが戻りたいのならとリードを引くままに来た道をとって返した。
向こうを見ると3人のお兄ちゃんたちは何か独自に考案したゲームなのか、駆けたりブランコに乗ったりしながら遊んでいたが近づいてラテのリードを緩めるとラテはその彼らの真ん中に駈け寄った...。まるで自分も仲間の一人であるかのように。

お兄ちゃんたちがどのような遊びをしていたのかは分からないが、お互いに「タイム!」と叫び合いながらひとときラテの相手をしてくれた。
ラテはまたまた3人の男の子の間を駆けずり回り、喜びいっぱいのひとときを過ごした。
それにしても子供たちに「ラテ、ラテ!」と声をかけてもらえるラテは何と幸せなワンコなのだろうか...。
そして「ワンコと子供が一緒に遊んでいる姿は何故にもこんなに絵になるのだろう」とオトーサンはリードをコントロールしながら少々目頭を熱くした次第であった。

Apple II 用として開発された表計算ソフト「VisiCalc」再考

現在パソコンを少しでもビジネスに関連づけた使い方をしている方の多くは表計算ソフトを当たり前のように活用しているに違いない。そして表計算ソフトのルーツはApple IIで動作したVisiCalcというアプリケーションだったことをご存じの方も多いはずだ。今回調べることがあって入手した当時のVisiCalcのパッケージを頼りにあらためてその歴史を振り返ってみよう。

 
VisiCalcという表計算ソフトは後述するように当初はApple II専用だった。そのApple II版も時代を席巻した数年の間にいくつかの形態のパッケージが登場したが、私の手元にあるものはフェイクレザーの3穴バインダ形式になっているものでリリースは1981年、パーソナルソフトウェア(Personal Software)社から発売となっている。なお同社はこれまた後述のようにVisiCalcの販売の成功を確信した後、社名をビジコープ社と変えているから手元のパッケージはまだ販売初期のものということになる。
対象は “Apple II & II Plus 48K 16Sector“ と明記された文字通りApple II版だが、すでにオリジナルディスクは無くバックアップディスクしか残っていない。しかしマニュアルやリファレンスカード、保証書などは当時のまま残っている。

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※パーソナルソフトウェア社から発売されたVisiCalc のパッケージ(上)とそのマニュアル部分(下)


1979年1月、Apple Soft BASICで開発された「Calculedger (カルキュレジャー)」と称したソフトのβ版をパーソナルソフトウェア社ダン・フィルストラがAppleのスティーブ・ジョブズとマイク・マークラらに見せたという...。しかし彼らはこのアプリケーションがその後自社のApple IIの販売を大きく伸ばす原動力になるとは夢にも思わず対応は冷淡だったという。そしてビル・ゲイツらもこのプログラムの真の先進性を見抜くことはできずに扱いを断ったという。

Daniel H Fylstra

※ダン・フィルストラ(InfoWoirld誌1984年3月26日号より)


「Calculedger」は当時ハーバード・ビジネス・スクールの学生ダニエル・ブルックリンと友人のマサチューセッツ工科大学に在籍していたロバート・フランクストンが自身らの会社であるソフトウェア・アーツ社で開発したものだった。

Dan Brricklin

※ダニエル(ダン)・ブルックリン((InfoWoirld誌 Volume 5, Number 49より)


話は前後するが、プルックリンは自身のアイデアをハーバード大学の財務学教授に相談したが、教授は大型コンピュータの時分割システムが存在するのにマイコン用のソフトウェアなど売れないと笑いながらも以前自分の担当学生だったパーソナルソフトウェア社のフィルストラを紹介した。
ブルックリンに会い、彼のアイデアが気に入ったフィルストラは自分の手元にあったApple IIをブルックリンに貸す...。
こうしてブルックリンとフランクストンの2人はソフトウェア・アーツ社で...といってもフランクストンの屋根裏部屋で...プログラムのコーディングを始めることになった。

Appleをはじめ多くの業界関係者にデモをしたものの反応は良くなかったが、パーソナルソフトウェア社は1979年5月、ウエスト・コンピュータ・フェアでビジブル・カリキュレータ(visible calculator)にちなんでビジカルク(VisiCalc)と名付け当該ソフトウェアを一般公開する。発表によれば同年10月にリリースされるという触れ込みで当時ベストセラーになっていたApple II向けとして製品化した。
ともかくパーソナルソフトウェア社から発売された途端にVisiCalcは大評判となる。
なにしろ1979年発売当初の月間出荷数は500本程度だったのが1981年までには12,000本以上にもなっていたという。
その成功に導かれるようにパーソナルソフトウェア社は主要製品となったこのVisiCalcをより前面に打ち出すため、社名をビジコープ社と変える...。

当初しばらくの間VisiCalcはApple IIでしか動かなかった。したがってVisiCalcを使いたいが為にApple IIが売れに売れることになった。
VisiCalc最大の功績はApple IIの販売に大いに貢献しただけでなく、当時のパソコンは高価なオモチャ...といった印象が強かったものをビジネスにも立派に通用することを示したことだ。
VisiCalcはパソコンを本格的なビジネスツールとして認識させた最初のソフトウェアであり、Apple IIのキラー・アプリケーションとなった。そしてAppleも後のApple III時代にはライセンスを買い取りApple III用のVisiCalcをリリースしている。

そしてビジカルクは後にマルチプラン、ロータス1-2-3 、エクセルなどの流れを生み出す表計算(スプレッドシート)ソフトの先駆けとなる。
ただし当時ソフトウェアの特許は認められていなかったことでもあり、ビジコープ社らはその後に登場した同類の製品に対して権利を主張することができなかったのは不運だったとしかいえない...。
さらにブルックリンらは1983年からVisiCalc販売元のビジコープ社との間で訴訟問題を抱えることになり多くの時間を取られたこともあってその後VisiCalcの競合製品を凌駕するような改良を加えることができないままに時間が過ぎていった。
結局ブルックリンらのソフトウェア・アーツ社はビジコープ社との訴訟には勝訴したものの経営難に陥り、1985年にVisiCalcの権利はロータスデベロップメントに売却される。

さて、いま手元にあるVisiCalcのパッケージだがそのコピーライトは発売元のPersonal Softwarre社となっているが ”Program by“ はSoftware Arts社、そして ”Manual by“ はDan Fylstra and Bill Klingと記されている。
このVisiCalcの成功物語はすでに多々紹介されているがこのパッケージを制作した1981年あたりは開発者のダニエル・ブルックリンやロバート・フランクストンは勿論、販売元のパーソナルソフトウェア社のダン・フィルストラたちにとって有頂天の時期だったに違いない。
彼らの見た夢は短かったが、パーソナルコンピュータの世界を変えた功績は評価できないほど多大なことだった。したがって現在当たり前のように使っているExcelもそうした成功と挫折の物語の上に成り立っていることは忘れたくないものだ。

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち」マグロウヒル刊
・「林檎百科〜マッキントッシュクロニクル」翔泳社刊
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊


アップルから受けた接待物語(笑)

ビジネスという物は申し上げるまでもなく理窟や正義感だけで物事がうまく運ぶことはなかなかない。どちらかというとオドロオドロした人間関係をいかに上手に活用できるかといった視点がないと摩擦ばかりで成果はあがらない。そのビジネスの潤滑油と言われた「接待」も近年景気の悪さが目立ちままならないが、そういえばアップルジャパンから接待を受けたことが過去に2度あった...。

 
先日、知り合いの方と仕事の打ち合わせの後で昼飯を一緒に食べつつ雑談をしたが、そういえば昔は良くも悪くも接待が多かった...という話しになった...。
無論いまでもそうしたことはあるわけだが、一般企業のほとんどは交際費の予算など確保できない時代である。しかし私の若かりし頃は今日もグランドキャバレー、明日はナイトクラブといった時代だった(笑)。
知人が言う...。「松田さんは長い間この業界にいたのだから、アップルから接待を受けたことって多かったのでは?」と...。いささか単刀直入な問だが別に隠すようなことではない(笑)。

14年間もアップルのデベロッパーとして活動し、いくつかの賞もいただいたし、一般の方から見ると代表者だった私個人はアップルという会社や当時の社長たちと大変緊密な関係にあったのだろうと思われるらしい。しかし実際にはビジネスを円滑に進めるために緊密な関係を望むべく努力したことは当然としても、それは会社対会社の話であり、例え社長だったとしても私個人は決してアップルとべったりの関係ではなかったし、むしろアップルから見ると扱いにくい1人だったのではないだろうか。

現在は分からないがアップルジャパンの社長が原田さんの時代には当事者たちが好きだったからだろう...ゴルフの誘いが年1回はあった。
確かにゴルフという代物はプレーをするだけではなく和気藹々な談笑の機会が多いし、打ち上げの飲み会なども参加者同士が心を通わせるという社交にはうってつけのスポーツである。
それは私も認めるが、困ったことにゴルフ好きの方たちの中には私のようにゴルフが嫌いというか...出来ない人間の存在を認めようとしない人もいるから始末が悪い(笑)。

当時のアップルとしてはデベロッパーの社長たちと懇談し意思の疎通を図るにはゴルフが一番だと考えていたのだろう。そして社長の冠が付く人なら必ずゴルフくらいやるものだと考えていたように思えるほど様々なゴルフ招待の案内をいただいた。しかし出来ない人間が紛れ込むわけにはいかないのがゴルフのコンペである。したがって私は1度もアップルからのその種の誘いに応じたことはなかった...。

しかし逆に見るとゴルフコンペに喜んで参加しないようなデベロッパーの代表などまことに扱いづらい人間だと思われていたのではないか(笑)。
そんな私だったから原田さんとは個人的な付き合いはなかったものの、JDCや新製品説明会といった際に言葉を交わすことがあったし、私の会社がMACWORLD Expo/Tokyo出展時に幕張近隣のホテルを使いプライベートなパーティを開催した際にはPowerBookだったか...抽選会の景品を提供してくれたりもした。

ただし私が会社をやっていた14年間に1度だけ原田さんと一対一で飯を食ったことがある。
アップルとしては何を意図したのだろうか、それは今になっても不明だが、突然アップルのデベロッパー担当者から電話があり「原田(社長)が松田さんと昼食をご一緒したいと言っているんですがご都合は...」とお誘いをいただいたことがあった。

まあ格好をつけるわけではないが、原田さんと面と向かって話すこともないし(笑)、顔を見れば多分にアップルに対する不平不満が出てしまうことは目に見えていたもののお断りする理由もないし...とお会いすることにした。
いつ頃の話だったか思い出せないが、アップルの本社がまだ千駄ヶ谷にあった時代だったはずだ。
アップルに出向くと担当者に焼肉屋の個室に連れて行かれた。そしてしばらく待つと原田さんが来られて文字通り焼き肉をご馳走になりながら2人きりの会話となった。

無論話題の中心はアップルの話であり、そのコミュニティの話題だったり新製品への印象だったりデベロッパーに対する意見だったりしたのだろうが、嗚呼...ほとんど覚えていない(笑)。そして当初原田さんとの会食は1時間程度だと告げられていたがどうした風の吹き回しか、腰を上げたのは午後3時近くになってからだった。いやはや随分と長く喋っていたものだ…。

普通に考えるならこの種の招待には何らかの目的があるはずだ。無論お互いに単なる遊びの時間つぶしをするほど暇ではない。私もそれを十分意識して事に望んだが、アップル側から特に依頼とか注文といった話はなかったと記憶している。
ではアップル側は忙しいスケジュールを調整して私などを昼飯に誘ってくれた目的は一体なんだったのだろうか...。

ビジネスとしてはそれまでにもアップルとは良好な関係を築いてきたつもりだ。例えば志賀徹也社長のとき私はMOSA副会長の立場で新春特別対談をやらせていただき、技術評論社刊「Developers Journal」1997年1月号に載せていただいたりと接触が多かったから決して単に頑ななデベロッパーではなかったつもりである。ただ原田さんの時代は向こうから声をかけていただけなかっただけの話しだ(笑)。

まあ冗談はともかく、本当のところは不明だが「ゴルフに誘っても1度も参加しない御しにくい奴だが1度は面と向かって話をしてみようか」といった程度のことだったのかも知れない。

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※技術評論社刊「Developers Journal」(1997年1/2月号)表紙(上)と当該対談中の筆者とアップルジャパンの志賀社長(下)


そう、アップルからの接待といえばもうひとつ大変印象的なことがあった。
これまた志賀社長の時代だっと思うが、当時のデベロッパーリレーションズの部長であった樋口泰行さん(現マイクロソフト株式会社の代表執行役社長)からディナーの招待をいただいた。
志賀さんはこれまでのアップルとデベロッパーのギクシャクした関係を修復しようと努力した方だったから、その部下であった樋口さんもその輝かしい経歴を見るまでもなく優れたマネジメント能力をお持ちで私は好感を持っていた。また私の会社主催のパーティー開催時にも来賓としてご出席いただき、ご挨拶をいただいたこともある。

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※筆者会社のパーティー(1995年)で来賓として挨拶をいただいた時の樋口泰行さん(当時はアップルの部長職だった)


ともかくお誘いはありがたいことだと思いつつ私は軽い気持ちでアップル指定の高級ホテルに向かった。
会場に出向いて驚いたことは、例えばアップルがMACWORLD Expo/Tokyoの機会を得て開催するパーティーのように数社のデベロッパー代表等が集まっているのかと思っていたが、実はその日の招待者は私一人だったのである。

ホテルの雰囲気は最高だったし出された料理も美味しかった。そしてその時の会話も心に残る暖かいものだったしギクシャクしたやりとりは絶無だったと思う。そして意外なことは最後に起こった...。
お開きの時間になり私は丁重なお礼を申し上げてホテルのロビーを出ようとしたとき樋口さんから「松田さん、車をご用意しておりますので使って下さい」といわれた。
すでに暗くなっていた外に出ると私のために黒塗りのハイヤーが待っていた...。そして私が車に乗り込んで走り出すまで彼らは見送ってくれた。

長い間、アップルとお付き合いをさせていただいたが会合の後で車を用意していただいたことなどそれまでに1度もないし無論考えたこともなかった。
だからと言うわけではないが「アップルはよい方向に変わったのかな...」と期待する気持ちが膨らんだものの残念なことに樋口さんも志賀さんもアップル在籍は短かった...。

ともかく14年間という長い間ではあったが、パーティーなどへの参加は別としてアップルから個人的に接待を受けたのはこの2回限りであった。
そんな私の昔話を聞いた知り合いは意外といった顔をしていた。しかし考えてみればソフトハウスとしての私の会社とアップルは特別なケースを別にすれば取引先といった関係ではないのだからそもそも接待を受けるといった立場ではないのである。

そして別に接待を受けたから、接待をしたからビジネスが好転するといった単純なものではない。逆に私がイベントや講演で地方に出向いたとき、一緒に仕事をしたアップルの担当者らを食事に誘ったことも多かったが、アップルからあらためての接待など思いもしなかったことでもあり、ご紹介した2度の接待を受けたことは今でも強烈な想い出として記憶に残っている。


ラテ飼育格闘日記(145)

ワンコにも固有の性格といったものがあるのだろうか...。オトーサンたちはよく「この子は我が儘でねぇ」とか「この子は気が小さくて...」といったもの言いを当然のことのようにしているし、誰もがそうしたやりとりを不自然だとは感じていない。しかしワンコをよく知らないひとから見れば擬人化も甚だしい馬鹿げた事だと思うのかも知れない。とにかく人間同様、ワンコだって性格がわかれば理解しやすいはずだ...。

 

余談ながら、オトーサンの若いとき催眠術と西洋占星術に熱中したことがある。単に「○○座だからあなたの運命は...」というだけでなく自分でホロスコープを作り性格や運命を判断するといった本格的な方法を究めようとした...。しかし人生の年輪を積み重ねてきたいまは話のネタとしてはともかく、占い全般に対してだが...信じていない(笑)。ただし催眠術は相手にもよるが今でもかけられるはずだ...。
もし生まれた場所ならびに月日あるいは時間を基礎にした占星術で性格が分かるならこんなに便利なことはない。そしてそうだとするならワンコにもそれは当てはめることはではないだろうか...(笑)。
だって人間とワンコのDNAは90%程度同一だという。それならもし人間の一生が天体に影響されるならワンコの一生だってその90%くらいは同じように影響されても良いと思うのだが...。
まあバカ話しはこのくらいにするが、ワンコにも人間同様固有の性格があることは間違いない。だとするなら、ラテの性格はどのようなものなのだろうか?
カナダのブリティッシュコロンビア大学の心理学教授であるスタンレー・コレン著「理想の犬の育て方」文芸春秋刊を参考にしながら具体的な性格を検証してみたい。

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※スタンレー・コレン著「理想の犬の育て方」文芸春秋刊表紙


そのコレンによれば人間の性格を構成している特徴因子は「外向性」「神経症傾向」「調和性」「勤勉性」そして「開放性」の5つに絞られるという。
蛇足ながら簡単に説明すると「外向性」はどの程度行動的で社交的、支配的で楽しいことが好きかを示す特徴。「神経症傾向」は、情緒の不安定度や感情的反応の強さを示す特徴。「調和性」は、温かさや好感度を示し協調性の有無や礼儀正しいかを示す特徴。「勤勉性」は、注意深いか無頓着かを示す特徴。そして「開放性」は、心理学者のあいだでも意見が分かれるらしいが、この特徴が高い人は大胆で好奇心が強く逆に低い人はことなかれ主義で新しい事が苦手だという...。

さてではワンコもこうした心理学で言うところの性格分析をあてはめることができるのだろうか。そうした方向に話を持っていくのを危険だとする学者もいるらしいが、テキサス大学オースチン校の心理学者サム・ゴスリングとそのチームは「動物には性格がないという仮定」で研究を開始した結果、犬の性格構造は人間と似ているものの、より単純であると結論づけた。
それによると前記した特徴因子のうち「勤勉性」に関わる因子が備わっていないという...。この性格因子と結びつく要素、例えば整理整頓・時間や順序の感覚・倫理観・目的意識は犬の行動に当てはまらないらしい...。まあ、勤勉なワンコというのも確かに想像できないが(笑)。
結局ゴスリングたちは人間の特徴因子「外向性」を「活動力」と、「神経症傾向」を「感情反応」、「開放性」を「知能程度」そして「調和性」を「親愛の情と社交性」に置き換えて研究を続ける...。

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※公園で子供たちに囲まれてご満悦のラテ


詳しくは本書を読んでいただきたいが、結果犬の性格判断テストの有効性は人間の性格判断テストの有効性と同じ水準だったという。そして犬種の違いがかなり性格に影響を与えることが分かった一方、同じ犬種の中でも個体差があることも証明できたという。
その確認のためには犬種の分類が不可欠だが、本書の著書コレンたちの新分類法は例えばレトリーバー(獲物を回収する犬)、ポインター(獲物を指し示す犬)、多目的狩猟犬、番犬、警備犬、闘犬、コンパニオン・ドッグ、牧畜犬などなど16種に分類している。そしてゴスリングの分類「外向性」「神経症傾向」「調和性」「開放性」をそれぞれ「活動力」「安定度と興奮のしやすさ」「社交性」「学習・訓練能力および問題解決能力」と関連づけ、かつ独自に5番目の因子として「支配性と縄張り意識」を加えて研究した。
まあ、純血種のワンコは必ずどれかの分類に入るわけだが、問題はラテのように雑種の場合はどうなるのか...である。その点についてメイン州バーハーバー研究所の研究室による選択交配の実験の結果、簡単にいうならその外見が近い犬種とほぼ同じ行動を取るという結論に達したという。

ではラテの外観はといえば、いろいろとワンコの図鑑などで確認してみたがどうやら牧畜犬に相当するようだ。それもウェルシュ・コーギーのような群れを追い立てるタイプではなく群れを集める仕事に向いているタイプである。
このことは日常の行動からも納得できる。なぜならラテは友達のワンコと駆けっこをして追いかけるとき、闇雲に相手の後ろを走るのではなく、常に相手の動き...すなわち方向と速度を見ながら最短距離で回り込もうとする。まさしく相手が羊だったら良い仕事をするだろう...と思わせる走り方だ。
これらの分類に入る主なワンコはといえば、シェパード系、ボーダー・コリー、シェットランド・シープドッグたちだ。事実ラテの毛並みや目の色はシェパードのそれを思わせるし毛並みや尻尾を観察するならシェットランド・シープドッグ...すなわちシェルティーのようでもある。またある飼い主さんのお話ではラテの毛色に似たボーダー・コリーを見たことがあり、ラテととても似ていたという...。さらに前足の斑などはどこかセターの血が入っているようにも感じるのだが...。
ということでラテは前記した分類で言うところの「牧畜犬」それも「群れを集めるタイプ」のワンコと判断し、どのような基本的性格を持っているかを本書で確認してみた。

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※朝日の強い光を浴びてラテの全身が光輝く!


まずは「社交性」だが、「比較的低い」と判断される。しかしセターの血が入っているなら「比較的高い」に分類されるもののラテの外観はセターのそれではない。そして確かにラテは初めての人間に対しては警戒心も強く決して社交的ではない。決して誰にでも尻尾を振って付いていくタイプのワンコではないので納得できる判断だと思う。
「活動力」に関しては牧畜犬に分類されるすべてが「非常に高い」と判断されている。
ラテは家の中でほとんど走り回ることはないが、公園などでは心を許しあえる仲間がいるとその太めの体で全速力で走り回る姿は感動モノである。そして基本は活動的なタイプに違いない。
神経症傾向を示す「感情反応」だが、これまた「非常に高い」と判断されるがこれも納得のいくことだ。この場合、感情反応で重要な要素として共感、すなわち相手の気持ちを感じ取って理解する能力だが、ラテはオトーサンたちが里親になる際「ラテマジックにはまらないように」と預かり育ててくれたボランティアの方から忠告されたほど当初から人を観察して行動するワンコだった。反面気分が変わりやすいタイプでもあるようだが...。
それから「学習能力」を確認するとこれも「非常に高い」に分類される。
こう書くとまるで親ばかで子供の持ってきた通信簿に一喜一憂しているみたいだが、ラテの学習能力は大変優れていると思っている。そういえば、昨年の秋に道端に落ちていたイガグリをいきなり鼻で突いて「キャン!」と悲鳴をあげたラテだが(笑)、ことし最初に出会ったイガグリに対しては大変慎重であった。これは昨年の無謀をきちんと記憶しているのだろうか。
最後の「支配性/縄張り意識」の評価だが、これは「比較的低い」という判断だ。確かに子供が近づいても怒らないし邪魔をされたとしても怒ることはない。ただし警戒心は高いし臆病といった性格も持っており、支配性は弱いにしても自身が思っているテリトリーを守る意識は高いようで複雑さは否めない...。

こうして見るとラテの性格の概要は見て取れるし日常の行動に大きな矛盾はなく、常々オトーサンが感じていることをトレースしたという感想を持った。
とにかく活動的なワンコは当然のことながら学習能力を高めるチャンスも多いわけで、我々が考えている以上にワンコたちは毎日賢くなっているのではないだろうか。

ラテ飼育格闘日記(144)

何度もこの日記に書いているが、ワンコに対して過度の擬人化は避けるべきだと考えてはいる。しかし日を増すにつれてこの小さな頭脳を持った動物はオトーサンたちが考えているより遙かに人間に近い発想と知能を持っているという確信に近い気持ちが強くなってくる。そして人に対する気遣いや期待感といったものをひしひしと感じるのだ。


いまだにデカルト説の影響か、ワンコは高度な知能は持たず、いわば条件反射的に動いているだけに過ぎないといった意見もあるようだ。
チンパンジーとかイルカの知能の高さについて話題は事欠かないが、ワンコはそうした動物たちと知能の点で同列に話される機会はほとんどなかった。しかし毎日ラテと過ごしているとそうした考えはまったくナンセンスで陳腐なものに思えてくる。
確かにワンコは我々人間には不可解な行動を取ることは確かだ。例えば地べたといい草木といい、電柱などを見ればとにかく鼻面を近づけて臭いを嗅ぐし我々にはバッチイとしか思えないものを口にする。そして時にはウンチまで食べてしまう。
しかし我々が理解できないからといってワンコを単に下等な生き物でありその知能を推し量るのは無意味ということではないはずだ。ともかくワンコと我々は種が違うからして理解し得ない部分もあるものの、ラテの行動は単なる反射ではなく場合によっては周到な思考および原因と結果を予測あるいは期待した上でのことだと考えられるほどだ...。

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※以前大好きな猫と遭遇した場所で猫を待つラテ(笑)


エリザベス・M・トーマス著「犬たちの礼節ある社会生活」の中に紹介されているエピソードのひとつはオトーサンにはとりわけ心を打たれる一節がある。それは後でルビーと名付けた18Kgほどの雌犬で外見はジャーマン・シェパードに似ているワンコの話である。
人類学者であるトーマスが里親を捜す番組に出演し、施設に保護されていた猫や犬を紹介する役割を担ったときのことだった...。
その犬は問題行動があったとかで飼い主が飼育放棄したらしい。呼ばれても来ず、家の中でオシッコをし、まったくしつけができていないため猫や小鳥を襲うクセを持っていた。
番組でゲージから出された犬はトーマスらの前に引き出されたのが嬉しいのか微笑みを浮かべすぐに自分の腹を見せたという。無論それは犬が自分を気に入ってもらいたいがための行為であることは明らかだったしトーマス曰く「自分にはあまり時間が残されていないのを知っていたかのように愛されようと最善を尽くした」という。
トーマスが撫でてやると体を揺り動かして手にまとわりつき微笑んだ...。
問題はここからだ。番組が終了しプロデューサーが彼女のリードをとってスタジオから連れ出そうとすると彼女は有頂天で踊るように飛び跳ね、嬉しそうに声を立てた。それはきっとプロデューサーが自分を望み、新しい飼い主になってくれると思ったに違いなかった。なぜならリードを引いたのはプロデューサが単に犬をゲージに連れ戻すためと知ったとき、まるで明かりが消えるように喜びも消え、啼きだした。
それを見てトーマスは即座に彼女を引き取ることを決めたという...。

こうした一連のワンコの行為・行動に対する我々の印象は人間側の思い込みであり、犬は実際にそうした感情や意図は持っていないと言い張る人もいるかも知れない。しかしルビーは現在の保護された環境下ではいずれ殺処分されることを本能的に知っていたように思えるし、だからこそ人の前に連れ出されたときあるいはプロデューサーにリードを引かれたときに新しい飼い主ができたのではないかと期待したのだ。そしてそれが誤解と分かると意気消沈する...。
保護施設の檻の中より新しい飼い主を求めるのは自然なことではないだろうか。そう考えた方がルビーの態度の変化が素直に説明できるし理解しやすい。
実はこの種のことをオトーサンもラテとの初対面で実体験しているのでトーマスがルビーに対して受けた印象は違和感なく同意できるのである。

ラテとの出会いはこの日記の最初期にご紹介した。しかし正直オトーサン自身がまだワンコに対して偏見...例えば極端なもの言いをするなら「ワンコはどのワンコでもそんなに違わない」と思っていたフシもあるし、ワンコがここまで高度な頭脳を働かせるということを知らなかったから、ラテの態度や行動の真意が当時よく分からなかったのである。
2006年11月12日のことだった。横浜のとある動物病院で開催された「犬の里親募集の会」に出席したとき、そこには7,8匹のワンコがいた。オトーサンたちが意識したキャバリエ系とテリア系のワンコはすでに欲しいという人が数組いたので諦めざるを得なかった...。
そんなときボランティアの方から「リードを持っていていただけますか?」と頼まれ手にしたのがラテ(当時は仮の別名だった)のリードだったのである。

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※2006年11月12日「里親会」で初めてラテと出会い、引き取ることに決めたときの写真。ラテはこの時推定5ヶ月の子犬だった


太いリードに繋がれたラテはキャバリエとかテリア系のワンコと比べると見映えがしなかったが実にフレンドリーだった。
両耳は垂れマズルが長く見るからに雑種のラテはワンコの扱いに慣れていないオトーサンに吠えることもなく、口を開けたり尻尾や肉球を触っても怒ったり歯を立てることはまったくなかった。何しろ約2時間の間、ラテの声を聞いた覚えはない。
他のワンコの中には五月蠅いほど吠え続けるのもいたし、リノリウムの床にオシッコをしてしまうワンコもいたがラテは吠えなかったし粗相もしなかった。
ひたすらオトーサンの差し出す手を舐め、口元を舐め、そしてキャップを噛んで唾液でべとべとにしてくれた(笑)。
後でオトーサンは「そのときラテは犬のクセに猫を被っていた」と記したが、いま思えばラテはその日、一世一代の賭をしたのだろう。
そのとき女房と撮った1枚の写真をいま見ると、当時は気が回らなかったが、ラテはそのお見合いの場に際して綺麗にトリミングしてもらっていた。だからというわけではないが、自分にとってその場がとても大切な時間であることを本能的に知って行動したのではないかと思わざるを得ない。

その場でオトーサンたちはラテを選んだつもりだったが、実のところラテに選ばれたと考えた方が分かりやすい。そう考えると我が家の家族となった後、他の人がリードを持とうとしたとき、異常とも思える脅えた態度を取るのもうなずける気がするのである。
その後ラテを見て感じたことといえば、彼女は決して大人しいワンコではないということだ(笑)。オトーサンに対しては聞き分けはよいが、自己主張をしっかりとするタイプである。そのラテがまだ子犬だったとはいえ、里親会の当日だけ神妙にしていたという事実は普通に考えるとおかしなことだろう。
見知らぬ場所、知らない大勢の人間たちの中では不安で声を挙げたくなる方が普通かも知れないではないか...。

そういえば女房が最近新説を出した(笑)。それは「なぜオトーサンにではなく女房や他の飼い主さんたち対してフレンドリーで執拗と思えるほどチューをするのか」というオトーサンの疑問に対するひとつの説である。
オトーサンに対しては近寄って体を寄せるといったこともないラテが女房とは実に仲がよく、オトーサンは嫉妬したくなるほどである。それは単純に女房や他の飼い主さんたちはオトーサンのように五月蠅いことを言わずに甘やかしてくれるからだろうと単純に考えていたが、女房の説はこの件に限りなかなか鋭い...。

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※寝ている女房に体を押しつけて目を瞑るラテ


女房曰くそれは「オトーサンの気を惹くための行為ではないか」というのだ。なぜならオトーサンが2日間留守にしたようなとき、ラテは女房に対してそんなにアクティブな接し方はしなかったという。
オトーサンがその場にいるときの方が女房に対してラテのチュー攻撃が激しいというのだ(笑)。無論日常の散歩のほとんどはオトーサンの担当だから、他の飼い主さんとお会いするときには必ずオトーサンがリードを持っている。そのオトーサンに見せつけるように好きな飼い主さんたちにチューをし、膝の下にまとわりつく姿は常々不思議に感じていたのだが...。
理由は不明だが、自分から積極的にオトーサンへ接近することははばかれるものの、オトーサンの気持ちをより自分に向かせたいというラテの思惑からくる行動なのだというのが女房の説なのである。無論本当のところは不明だが、そう考えると理解出来る点も多い。何しろオトーサンがラテの前でわざと女房の肩に腕を回すようなことをすればヤキモチなのか...女房に止めろといわんばかりに向かっていくラテなのだから。

話は違うがラテが出窓のたたきで寝そべって休んでいるとき、オトーサンが何らかのオヤツを持って近づくとラテはオトーサンの手首あたりにお手のつもりなのだろう前足を乗せる。オトーサンはその前足をそっと掌に包む...。
ただしそれは当然のことながらオヤツが欲しいからである。オトーサンがオヤツを持っていない場合はそんな行動には出ないシビアなラテである。
面白いのはオトーサンが手にしたいくつかのオヤツを寝そべったラテに少しずつ与えている間、ラテの前足はオトーサンの掌や腕に置かれてたままだが食べ終わった瞬間彼女はその前足を引っ込めてしまうのだ(笑)。

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※オヤツを食しているとき(左)と食べ終わったとき(右)のラテの態度は明確に違う(笑)


まるで前足をオトーサンの手にかけることでオヤツをもらっている間はオトーサンの喜ぶことをしておこうという彼女なりの心配りを感じる。
寝そべっているとはいえ、口を動かしながら前足をオトーサンに預けた姿勢はどう考えても自然ではなく楽ではないと思う。早く言うなら、ラテはラテなりに気を使っているのである。
もしラテに感想を聞くことが出来たなら、きっと「オトーサン!ペット稼業も楽ではないわよ」と言うのかも知れない(笑)。

Wozのサイン入り「APPLE-1 OPERATION MANUAL」考

パーソナルコンピュータの歴史の中でApple I を忘れることはできない。もしスティーブ・ウォズニアックがApple Iを作らなかった現在のAppleは存在しなかったに違いない。そしてApple Iのポリシーはより洗練された形でApple IIに受け継がれパソコンで世界を変える原動力となった。


ただしApple I は時代的にもマニアックな世界でしか知られていなかったからいまの私たちにはApple I の全容を知ることは難しい...。
したがってここであらためてApple Iのアーキテクチャやそのハードウェア的なあれこれの話をするつもりはない。
私自身残念ながらApple Iの実機を手にしたこともないし、そもそも2006年の9月にテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」にApple Iが登場した際600万円の値がついたようなものを手に入れることなどできる訳もない。
またApple Iは例えばLisaといったコンピュータとは別次元の製品であり、コレクターなら垂涎ものだろうが私などが手にしたところでまったく活用できないだろう。したがってレプリカが売り出された際も興味はわかなかった。

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※ガラスのケース越しに撮影したApple I


ご存じの通り、Apple Iは1976年にリリースされたがその正式な名称は「Apple Computer 1」で、Apple IIのように購入後すぐに使える完成されたコンピュータではなく販売されたのはメインボードとカセットテープ・インターフェースだけであり、購入者は別途キーボード、電源を用意して組み立てなければならなかった。無論ケースはなく、必要ならこれまたユーザー自身で好きなデザインのものを作る必要があった。
モニターはNTSCコンポジット出力をサポートしていたため家庭用テレビを代用でき、供給されたカセットテープベースのBASICを前記したカセットテープ・インターフェース経由で読み込ませることが出来た。しかし1977年にワンボードマイコンからこの世界に入った私にしても今さらその不自由な時代を体現したいとは思わない(笑)。

ともかく現在残されているApple Iの写真を見るとその多くは木製のケースに入っているのがほとんどだが、それは木材は加工しやすく作りやすかったからに他ならない...。私もワンボードマイコン用に木製のケースをいくつか作ったものだ。

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※1977年入手のワンボード・マイコン富士通 L Kit-8を収納するために自作したケース。撮影は1978年


ただしApple Iの歴史的な存在意義は申し上げるまでもなく大きなことだし、スミソニアン博物館にも所蔵されているこのパーソナルコンピュターの歴史に欠かせない製品を資料でわかり得ることは何でも知りたいと思ってきたことは確かである。

現物はともかくマニュアルは入手できないかとこれまで探してみたが、当然のことながら通常マニュアルはハードウェアと一体であり、170台ほど販売された後にApple IIへのアップグレードも災いし、世界中を探しても十数機種しか存在しないのではないかと言われているApple Iだからそのマニュアルもほとんど残っていないに違いない。
しかし過日やっとApple Iの開発者であるスティーブ・ウェズニアックの直筆サイン入りだという「Apple I Operation Manual」を入手した。
どうやらサインは本物のようだが、12ページのマニュアルそのものは複製である。まあ...私が必要なのは内容そのものなのだから当時のApple Iのきちんとしたコピーであれば資料としては十分だと考えたわけである。

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※筆者所有「Apple I Operation Manual」表紙。ブルーのペンでウォズニアックの直筆サインがある


原本のマニュアルは「APPLE-1 OPERATION MANUAL」と題され12ページと薄いながらきちんと製本されていたという。
興味深いのはタイトルの下にプリントされている社名である。それはこの1976年当時Apple社はまだ正式に法人として登記する前だったのでその名は「APPLE COMPUTER COMPANY」とある。また上部には大きくApple最初のロゴが描かれている。
このロゴはよく知られているようにアイザック・ニュートンが林檎の木に寄りかかっているもので、Apple共同設立者のひとりだったロン・ウェインの手によるビクトリア調のペン画である。しばらくの間はこのロゴが使われたもののスティーブ・ジョブズが堅苦しくそして小さなサイズにして使うには相応しくないと考え、1977年4月に広告会社レジス・マッケンナのアート・ディレクターであったロブ・ヤノフに依頼し、結果としてあの6色アップルロゴが誕生する...。
このロゴひとつの逸話にもジョブズの先見性と拘りの凄さが見て取れるではないか。したがって確かにAppleという企業はApple Iなくしては始まらなかったが、Appleという企業イメージを創作したのはやはりスティーブ・ジョブズの力だったといえよう。

さてマニュアルの内容だが、OPERATION MANUAL といっても現在の一般ユーザー向けと考えると大きな間違いである。
前記したようにそもそもApple Iを扱うにはハードとソフトの知識がないと使い物にならなかったからである。したがってスペック記述から始まり、キーボードやモニターそして電源はどのようなものが適合するか、そしてそれらの接続が正しく行われているかを検証するテストプログラムの実行方法などが2ページ目までに紹介されている。
そうそう...前後するがマニュアルのテキストはタイプで打たれたものを原稿にした簡素なものだ。
3ページと4ページはシステムモニターの解説、そして5ページと7ページまでが 6502 の16進モニターリストやキーボードならびにディスプレイ・インターフェースについての解説がある。

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※「6502 HEX MONITOR LISTING」ページ


8ページ目は「HOW TO EXPAND THE APPLE SYSTEM」について、その後は3ページ渡りApple Iの回路図といったハードウェア解説となっており、裏表紙にあたるページは「WARRANTY」すなわち保証に関する説明になっている。


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※Apple Iの回路図部分(上)と回路図のタイトル部位(下)。そこにはApple Computer社創立に関わった3人の名が記されている(下)


特に興味深かったのは回路図にある制作者たちの名である。そこには回路図を描いたのはR.WAYNE、デザイン・エンジニアとしてS.WOZNIAK、プロジェクト・エンジニアとしてS.JOBSの名がある。無論この3名はApple Computer社の創立メンバー全員であり、それぞれロン・ウェイン、スティーブ・ウォズニアック、そしてスティーブ・ジョブズのことなのは申し上げるまでもないだろう。
そして記述の年は1976年であり、すでに33年の歳月が流れているわけで、思わずこのマニュアルを眺めている私自身も遠い過去を見つめる視線になってしまう...。
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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員