ラテ飼育格闘日記(152)

この11月でラテと出会ってから丸3年が過ぎ、4年目に入る。つきなみだがまことに長いようで短い3年間だった。子供の頃からの念願が叶いワンコを飼うことになったものの、最初は大変なことになったと困惑したが正直これほどどっぷりとはまるというか...心を奪われてしまうとは思いもしなかった。

 

「光陰矢のごとし...」とはよく言ったもので、この11月でラテと巡り会ってから丸3年が経過することになる。
「石の上にも三年」ともいわれるようにこの3年という歳月は決して短くはないが、オトーサンには一瞬のようにも思えるほど密度の濃い時間であった。

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※お陰様でラテは良い子に育ちました。ちょっと太めだけど...(笑)


その間、これまで一度もワンコを飼ったことのないまったくのビギナーであるオトーサンが関連育児書を買い漁り、昼夜読み耽りつつ悪戦苦闘、格闘しながらの日々を過ごしたがその一端をこの「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」に記してきた。
最初はこうしたウェブページに掲載するということで当然のことながら他者の眼を意識していたが次第に当該日記は文字通りラテを中心とする我が家の日記・記録という色合いが強くなってきた...。自分自身以前の記事を読むとすでに忘れていることもあり、懐かしく思い出されることもあって記事の出来はともかく楽しみなのだ。
ともかく毎週土曜日に「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」の原稿をアップするようになって今回で152回目となったが、幸いその間一度も休むことなく続けることができた。
最初の頃と最近とでは原稿の量も写真の数も違うものの、例えば一回の原稿が平均約2,000文字だとすればそれは1ヶ月で8,000文字、1年で96,000文字、そして3年間で288,000文字...すなわち400字詰め原稿用紙で720枚ほども書いたことになる。

まあ量が多ければ良いということではないしその内容・出来はともかく続けてこられたということはなによりもオトーサンたちとラテとの絆が深いことを意味する証明だと思っている。
ありがたいことに毎週かなりの方々が読んでいただいていることは分かっているが、一度や二度休んだところでどうということもないこの日記をこれまでの3年間一度も休まずに続けてこれたというその事実はオトーサン自身も驚いている...。

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※雨の朝の散歩シーン。雨の嫌いなラテは早々にオシッコとウンチを済ませて帰りたがる...


思えば2006年11月12日、横浜のとある動物病院の里親会に参加したときそこに集められた10匹ほどのワンコの中にラテがいた...。無論当時は別の仮名で呼ばれていたが。
そのほとんどが飼育放棄や放浪していたとき保護されたワンコたちだが、姿かたちがダックスフンドやキャバリアといった純血種の姿をしているワンコは人気があり、オトーサンたちが出向いた際にはすでにそのほとんどは里親希望者が複数いるといった状況だった。
そうした中で見るからに雑種であるラテのようなワンコは売れ残り状態だった。
これまで何回かそのときの様子をご紹介してきたのでまたまた繰り返すことに躊躇もあるが、もともと犬種に拘るつもりがなかったオトーサンはたまたま取り残されていたラテを偶然に引き取ったわけだ。ただしその時のラテは2時間もの間、一度も声を立てず、粗相もせず、リードを持ったオトーサンの帽子を唾液でベトベトにしていた。そして体を触っても口を強制的に開けても怒ったり唸ったりしないという良い子だったことが決め手となった。
正直当時推定5ヶ月というラテの姿は何と言ったらよいか...見映えはしなかったが(笑)、女房の「ワンコらしくて可愛いんじゃない」というひと言で決まった!

もうひとつオトーサンはワンコを飼うのであれば是非雌がいいと考えていた。これは自分が男だからといったことだけでなく動物行動心理学の権威でノーベル賞受賞者コンラート・ローレンツ博士の著「人 イヌにあう」(至誠堂刊)を読んでいたからだ。
その中でローレンツ博士は「よく心得たイヌの飼い主はみな、雌イヌがその性格のいくつかの点で雄イヌより好ましいという私の意見に同意されるだろうと思う」といい、続けて「雌イヌは雄イヌより忠実だし、その心の仕組みはより美しく、豊かで、複雑であり、その知力は一般にすぐれている。私は非常に多くのイヌを知っており、そのうえで確信をもっていうことができる。あらゆる生き物のうち、ものごとをわきまえる点ですぐれていること、および真の友情を分かちあえる能力において人間にもっとも近いのは雌イヌである」と…。
それが本当かどうかはともかくワンコの娘を欲したわけである(笑)。

オトーサンはまだまだ隠居できる身分ではないが、がむしゃらに働いてきたこれまでの生活に区切りを付け、この娘と10数年心持ちだけは多少なりとも豊かに暮らしてみたいと引越までしてラテを向かえた...。
ワンコに対して予備知識もなく経験もなかったが、愛情を持って接すれば言うことをきちんと聞き、毎日規則正しく生活できるだろうと単純に考えていた。そして信頼関係を築きワンコと一緒にコーヒーショップなどで微睡みながら時間を過ごしてみたいと夢見たのだが...ことは簡単ではなかった。
その原因はラテがどうのこうのというのではない。オトーサンが自分でも驚いたほど、こんなはずではなかった...と思うほど彼女に惚れてしまったのである(笑)。
ただし飼い主の責任として闇雲に「可愛い」というだけで接していれば済むわけではない。
ラテの欲するままに餌やオヤツを上げ、ラテの行動したいように散歩を続ければラテに好かれるだけでなくすべてが円く納まるならよいが、ワンコといえども人間社会の中でトラブルなくそして健康に過ごすには相応の躾や行動の規範が必要になってくる。したがって幼犬のときほど良い意味での躾が大切だというセオリーに従い、オトーサンは心を鬼にしてラテに厳しく対峙してきた(ホントカ...笑)。

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※ビーグル犬のハリーちゃんと激しいバトルを楽しそうに繰り広げるラテ


その結果、総じて良い子に育ったと思うがその副作用ともいうべきなのかオトーサンを確かにリーダーとして力尽くでは適わない人間として認識したのだろう、信頼と愛情を寄せてはくれるものの甘えてくれることはほとんどない子に育ってしまったのである。
まあもともとラテは人間に自分から寄り添ってくるというタイプのワンコではないようでひと言で言うなら「寂しがり屋のひとり好き」といった性格を持っているようだ。
とはいえ女房には進んで絡みにいくし、公園で出会うワンコ友達の飼い主さんたちには抱きついたりチューを迫ったりする。
そんなとき、ラテのリードを持ちながらも嫉妬の感情がわき上がる自分にオトーサンは苦笑せざるを得ない(笑)。

いつも思うのだが、この鋭い牙を持ちもしその気になればオトーサンの手足の骨など一瞬にして砕いてしまうだろうワンコのどこがこんなに可愛いのかと...。
もう少し冷静に距離を持った信頼関係で良いとも思うのだが、毎日ラテに振り回され3年が過ぎた。
後から考えればもっと「ああしたかった...こうすれば良かったかな」と思う点もないではないが、ラテとはまさしくよい関係を築けたのではないかと思っている。
ラテが我が家に来たとき、いかにしたらラテの期待に応えつつ飼い主として好かれるのかが気になったが、ラテを引き取って40日ほど経過したときオトーサンは札幌に出向くため初めて一泊家を空けた。その間、女房に世話を頼んだが、一日半後に戻ったときのラテの顔は忘れられない。
目を細めて口を大きく開け、ほふく前身姿勢で近づきシッポをブルンブルンしながら飛びついてきた。そして私の顔を唾液でいっぱいにしてくれた。
その時、オトーサンは手前味噌だがこの子に嫌われてはいないことをあらためて感じ目頭が熱くなったものだ。

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※オトーサンが部屋に入るとラテはこんなあられもない姿態で寝ていた(笑)


これは先日の事だが公園で友達のワンコ、アポロちゃんと遊んでいたときアポロちゃんがクリクリした目でオトーサンの足元に踞ったので空いていた右手で抱くようにして「よしよし...」とボディを撫でたらラテは珍しくオトーサンに近づき口元をペロっと舐めた。
明らかに嫉妬というか「アタシも忘れないでね」というサインだが、これまでオトーサンに対してこうした態度はほとんど取ったことのないラテだけにその後にあげたオヤツはいつもより少々大きかった(笑)。

ソフトハウスの内部事情〜経営者とプログラマの関係

これから新規事業を立ち上げる企業...その経営者になる方にアドバイスをする立場で資料を整理している。その過程で自身がソフトハウスを起業し幾多の製品を作り出してきたときのあれこれの記憶をたどっているがソフトハウスには限らないものの経営一番のポイントは代表者がその主たる事業の展開においていかにリーダーシップをとることができるかにある。

 
まあ、他の分野の仕事はともかくここでは自身が経験したソフトウェア開発を生業とする場合に限ったもの言いをすることにしよう...。
具体的なお話しはできないが、先般ソフトウェア開発会社を起業したいのでアドバイスを欲しいという話をいただいた。いろいろなお話しを伺いながらその初対面の方に最初に申し上げたことは「失礼ですが○○さんご自身はソフトウェアの開発・経験というものがおありですか?」という問だった。

突っ込んだもの言いなら「自身プログラミングをやったことがあるか?」ということだ。
彼の答えは自分は資金提供ならびに経営すべての責任者として代表取締役社長に就任する予定で、知り合いを含む数人のプログラマと共に起業を予定しているという。したがってご自身はプログラムの開発をやったことはないしまったく分からないという...。

結論めくがその話をお聞きし私はあくまで一般論としてと断りながらも「それは正直お勧めできませんね」と答えた。
無論その会社がどのようなアプローチでどのような分野のソフトウエア開発を目的とするか、雇用条件や契約事項を含めプログラマの方々との話し合いがどのような内容になっているのかにも関わってくるが、前記した答えは私の率直な感想である。

その意味・主旨を突き詰めるのは条件などにより一定ではなく大変難しいことだが、可能な範囲でという条件で面談を続けた。そして会社を立ちゆかせる一番のポイントは何と言っても社員となるプログラマとどのように対峙していくかにある。

まず認識しておくべき事はどのような仕事でも「できる人とできない人」の差はあり得ることでプログラマとしての力量は人によりそれこそ大きな差があることを認識すべきである。プログラマだからといって皆が皆同じ能力を持っているわけではない。

その上に当然ながらオールマイティの人間はおらず、例えば画像関係においては優れていても別の分野は苦手あるいは開発経験がないというケースが普通なのだ。
分かりやすくたとえ話として進めるが、とある大手企業から開発依頼の話が飛び込んだとしよう。

社長としての貴方はクライアントの信頼度や予算を考慮し大変魅力のある仕事だと考え積極的に取り組んで契約に結びつけたいと考える。しかしプログラマではない貴方(経営者)はクライアントが求める技術的仕様が自社の技術 (自社プログラマの経験と技量・能力) で問題なくクリアできるかできないかは当然分からない。無論できない仕事を受けたら大変なことになるわけで、技術担当、すなわちプログラムを担当する人間に同席を求めることになるだろうし念密な打ち合わせが必要となる。
なおここではあくまで社内の人材で開発を進めていくことを前提にして話を進めるが、クライアントとの条件が許せば外注先に応援を求めることもありうる。ただしそれはまた別の難しさを生むことにもなるのでここでは省略したい。

仕事とはそもそも難しいものだが、ここから経営者のあなたはストレス120%の世界にワープする(笑)。
クライアントから「こうした事をこのように実現したい」「納期は○ヶ月」という説明を聞いた貴方の会社のプログラマが例えば「あ、それは無理ですね」と言ったとするなら貴方はどのように判断すべきか...。
「無理」というのが納期の問題であればまだ話し合いの余地は残されているが、技術的にできないからとプログラマが発言する仕事を社長の貴方が独断で契約するわけにはいかない。

やっかいなのはソフトウェア開発を身にしみて実践したことのない貴方はプログラマが一刀のもとに切り捨てた「できない」という判断が文字通りの意味で正しいのか...判別する能力を持っていないことだ。
確かに技術的な面から総合判断しても開発が不可能なことは多々存在する。その場合は他社に話を持ち込んでもできないものはできない...。しかし貴方の会社のプログラマにはできないかも知れないが隣の会社のプログラマには意外に容易なことかも知れないその事を経営者の貴方が知らなければ競合と有利に渡り合うことなどできない。

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※1994年当時筆者の会社の応接室にてプレゼンテーション!


事実私の会社でもそうした体験をしたことがある。
それは超大手の某通信関連企業が自社サービスの一環として配布するネットワークツールのMac版開発をあるソフトハウスに依頼したものの、数ヶ月もかかった末に開発に失敗したという。
その某通信関連企業は藁をも掴む思いで当時のアップルジャパンに相談したことから私の会社に話が回ってきたのである...。

当時Macintoshの業界でその名を知られていたとはいえ私の会社は自慢ではないが超マイクロ企業だ...。確かにMacintoshビジネスの黎明期から取引が始まったキヤノンやリコー、富士写真フイルムやエプソン、そしてソニーなどといった日本を代表する大手企業と直接渡り合ってきた我々だが、その話があった2001年当時のビジネスの常識からいえば超大手の某通信関連企業からダイレクトに仕事がくるということは通常まずあり得ないことだった。

幸いに受託できたとしてもそれは孫請けかひ孫請けといった契約になるはずだが口幅ったい事ながら技術力を買われその時を契機に足掛け2年ほどの間、直接契約に相成ったのである。
ともかく当該ソフトウェアの技術面からいう仕様とクライアントの求める機能はアップルの技術ドキュメンテーションの記述から判断しても不可能なはずだったが我々は検証期間の後、トリッキーな解決策を含みながらも基本的問題をクリアしたからこそ本契約に結びついたのだ。

反対に開発に失敗した会社は数ヶ月もの時間を費やしたにもかかわらず当然のことながら契約金は入らないばかりか膨大な違約金を払わなければならなかったに違いない。

話を元に戻そう...。
これまた一般論だが人は厄介な仕事に進んで頭を突っ込むのは避けたいと思う傾向にある。例えば「給料が上がるわけではなし、こりゃあ残業が続くようなメチャ大変な仕事になりそうだ」という仕事を会社のためとはいえ進んで請け合う社員はそうそういないに違いない(笑)。
要するに「出来る...出来ない」という判断およびその根拠となるべきニュアンスを社長が分からずして社員たちを動かせないということだ。

反対に笑い話のようだがクライアントとの打ち合わせに同席したプログラマがひと言「あっ...それは簡単ですね」と言い切るのもこれまた困る...(笑)。
相手は当然のこと「簡単」=「納期が短い」=「開発費が安い」と連想する。しかし受注する企業側としては1人月の予算というものを基準にきちんと見積を出して考えなければならない。
私自身も起業してしばらくの間は「簡単です!」と頼もしく言い切る相棒の足をテーブルの下で何度蹴ったか...(爆)。

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※札幌支店開設に伴い3人のプログラマの打ち合わせを新宿本社にて行う(1991年3月)


さて他人のことはともかく私も現在の高度なプログラミングの世界を熟知しているわけではない。ただし起業以前アマチュアとしていくつかのコーディングを体験してきたしパソコン雑誌のプログラミングコンテストに入選したことを含め、ソフトウエアでなにが出来て出来ないのかを体で知っている強みがあった。そして当時の社員たちもその程度の知識しか持っていない私に分かりやすい解説を常々してくれたし、私も納得のいくまで恥ずかしいほどの初心者的質問を連発し続けたものだ。

ただしそれでもソフトウェアの基本中の基本の知識がなければプログラマたちの思考回路はまったく分からなかったに違いない。
さらに幸いなことに私の相棒はプログラミングの能力も人間的にも信頼に値する人物だったから彼の判断は私の判断として納得できたが、一般論としては経営者とプログラマの価値基準や会社に対する展望などが違っているとまったく仕事にならないだろう。

幸い他企業からの開発依頼では1度も納期を遅らせたことがなかった私の会社でもオリジナルソフトの開発では当初のスケジュールどおりにことが運ばないことも多々あった。そんな、ひとたび歯車が噛み合わなくなると命取りになる可能性もあるマイクロ企業にとって納期はまさしく生命線である。だから受注の際にも十分な検証と共に必要な納期を算出し、それをクライアントが納得できるよう説明できなければならない。

例えばプログラマが開発に12ヶ月あればOKだという認識でスタートした企画が1年過ぎたにもかかわらずいまだ正常に動作せずバグも取り切れていないといった場合その責任は誰がどのように取るべきなのか...。そして最大の問題は多くの開発の機会を積み重ねたプログラマ本人は場数を踏めば踏むほどプログラミングの能力に磨きがかかりノウハウを蓄積できる。

しかしソースコードは企業側の所有物だとしても、ひとたび当該プログラマが辞めたとすればマイクロ企業などその存続は即危ぶまれるものになる。
すなわちマイクロ企業にとって開発能力の向上とか開発のノウハウを企業そのものに蓄積させることは至難の業なのだ。ただしそれが出来なければ企業が長期にわたり存続し、力を付けていくことは不可能となる。

だから、ソフトハウスの理想は社長自らがプログラマであり、そこに優秀なプログラマたちが集まった企業というのがベストなのだろうが世の中はそんなに都合良くいかない...。

要はそもそもが人数の少ないマイクロ企業は1人1人に対する負荷が高いわけで、社員やスタッフらを単純な雇用契約で縛った関係では心許ないのである。
無論私が相談を受けた方が、今後どのような判断をし、どのような組織を作り上げるか否かはこれからの問題だが、起業は資金があれば済むというものではないだけに特に小さな会社の代表者となる方は器量がシビアに問われるのである。


ラテ飼育格闘日記(151)

10月のとある日曜日、5種混合ワクチン接種のために動物病院に連れたていった。幸いこのところラテは病気らしい病気や怪我をしないこともあって病院へは半年ぶりである。しかしオトーサンたちはついでといっては何だが、もうひとつ心配なことがあった。それは左後ろ足外側に6,7ミリほどの円形の黒いでき物みたいなやつが出来ていたのに気づいたからである。

 

その日は朝の散歩を終えて帰宅後、朝食をとってからすぐに動物病院へと急いだ。やはり朝一番の方が病院も空いていると判断したからである。
今回の第一目的は毎年この時期に接種する混合ワクチンのためだ。
当日は天気も良くいつもの川沿いの道を歩くがラテはすでにどこに向かっているかを察知しているようで足取りが重く、要所要所でリードを引いてそちらの方向には行きたくないという意思を示す。
とはいえどうしたことか、前回の時と比べるとその抵抗も比較的小さなものだったが、さすがに病院のドアの前では「いやだ!」とばかり腹ばいになる。それをなだめすかして受付を済ませるがチャンスがあればドアから出たいとばかりほふく前進する(笑)。

名前を呼ばれ、病室に入りまずは体重計にもなっている診療台にラテを乗せなければならないが、これがなかなか大変なのだ。やっと乗せ、首輪にオトーサンの指を入れてラテの行動を制御するが、ラテはひと言も吠えることなくオトーサンの肩に抱きついてくる。そのチャンスを医者も逃がさず(笑)、お尻に体温計を入れる...。
幸いラテの体温は問題ない平熱だったので早速ワクチン注射の準備をする。
しかし体重は減っていない様子にオトーサンはため息が出るが、これすべて飼い主の責任なのだから誰に文句をいうわけにもいかない...。
注射器を持った院長が診察室に入り、あっというまに腰に注射をして終わるがオトーサンはこの機会にとラテの後ろ左足にできた黒い円形の “できもの” らしきモノについて先生に意見を求めてみた。

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※休日の朝の公園でラテは大好きなマキちゃん、仲良しのボーちゃんと3匹並んでオヤツをねだる


オトーサンは毎日ラテの肉球や体全体を散歩の後に拭いている。そしてその際には尻尾から肉球そして首肩から耳の先まで痛いところはないかと触っているがその後ろ右足にできたモノについてこれまで気がつかなかったのである。
最初自分で歯を当てた...あるいはワンコ友達らとのバトルで傷でもついたのが直ってかさぶたができたのかと思った。その黒い部分に毛は無く周辺も不揃いになっていたからラテ自身が舐めたりむしったのかも知れない。
しかし傷跡にしては些かそれはちんとした円形であること、そして何よりもオトーサンがそのモノに触れてもラテは痛がることがないのが気になった。
ということはこれは傷あるいは傷跡ではないということになる。
しかし万一悪性の “できもの” なら1日も早く手術して除去しなければならないからと院長に相談したわけである。

院長は「病理検査をしなければ細かなことは分からないが時間を争うようなものではないと思う」といいながら「タコかなあ...」と照明を当てながら呟いている。
取り急ぎ消毒剤のイソジンで散歩の後に消毒してみてくださいといわれ、かつ大きくなるようならまた必ず来院するようにといわれる。そして毛が生えてくるようならまず心配はないのですが...とも告げてくれた。
そうしたことがどのような意味を持つのか、素人のオトーサンには分からないが一安心して病院を後にした。
ともかく人間の子供同様、ワクチン接種直後は万一のことを考え、今日は激しい運動を控えなければならない。

おかしかったのはラテの態度である。
診察室のテーブル上にいたときはずっとオトーサンに上半身抱っこ状態でいたくせに「はい、終わりましたよ」と院長の声で床に降ろすといきなり院長に向かって吠えだした(笑)。
診察中はひと言も発しなかったのに診察が終わってホットしたのだろう...なんだか「なによ!怖いし痛かったでないの!」と文句を言っているようで院長も苦笑していた。
幸いラテはこれまでもワクチン接種で体調を壊したこともなく今回も元気で病院を後にして自宅に向かったが、オカーサンの提案でちょっと寄り道したところにあるお店で美味しいクロワッサンを買って帰ることにする。

そのお店はコンクールで優勝したことがあるというパティシエが作っている洋菓子店でケーキなどの他、美味しい自家製クロワッサンなども販売しているお店なのだ。
そのクロワッサンを買いに立ち寄ったついでにと店の外にある小さなテラスに置かれているテーブルで冷たい飲み物とケーキでも食べようということになる。
嬉しいことにラテも一緒にテラスにあげてもらい、専用のハート型容器に水もいただいた。
ラテは先ほどの病院であれほど嫌な思いをしたことをカラッと忘れたのか、オトーサンたちに満面の笑顔を送ってくる。まあオカーサンも一緒だからはしゃいでいるのか機嫌がよい。そしていただいた水をダイナミックに飲み、ケーキのおこぼれをもらってご満悦だった。
そう、これだからラテ...痩せないんだよねぇ(笑)。

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※洋菓子店のテラスで(上)。ラテは嬉しいのかとても良い表情をしていた


その後数日間、オトーサンはあらためてラテ問題の左足の箇所が日常どのような使い方されるかを観察してみたが、例えば出窓のたたきで寝る機会にその箇所がちょうどたたきの縁...角にあることがわかった。ということはどうやら院長がいうように皮膚が硬化したある種のタコなのかも知れない。

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※矢印の箇所、すなわち左後ろ足首付近が出窓の角に当たり、そこにタコができたらしい...


なによりも数日経ってみるとその部位を含めて短い毛が生えてきたのだ...。だとすれば、これまた院長のいわれたように悪性のでき物ではないようなのでオトーサンは一安心した次第であった。
さらにある日の朝、公園に行ったら久しぶりにラテが大好きなマキちゃんと会えた。
ラテは一緒にいたボーダーコリーのボーちゃんとマキちゃんの間を行ったり来たりと驚喜していたがオトーサンはマキちゃんの前足関節後ろあたりにラテと同様な黒い突起物があることに気づいた。
マキちゃんのオカーサンにお聞きしてみるとやはり一種のタコのようで寝起きする場合のクセもあるのだろう...特定の部位に続けて力が加わるためにこの種のものができるようだ。

まあまあ人間と同じ生き物だから、同じようにクシャミ、咳、アクビをするし起きたときには背伸びもする。そしてオナラもするわけでタコだってできるんだろう(笑)。
それにしても人間もワンコも健康が第一であるがゆえに、ラテのクシャミひとつでも心配が絶えない毎日なのだ。

TBS日曜劇場「JIN -仁-」は面白かった

普段ほとんどテレビドラマというものを見ない私がTBS日曜劇場「JIN -仁-」を見たいと思ったのは25年ほど前のドラマ「大江戸神仙伝」を思い出したからだ。そしてどうもタイムスリップモノに弱いのだ(笑)。ともかく「JIN -仁-」は面白かった。DVD化されたら是非手に入れたいと今から思っているほどである。


ほとんどテレビドラマというものをリアルタイムに見ない私だが、過去に見た作品のうち強烈な印象を受けたと共に再びじっくりと見てみたい作品がいくつかある。
その1つが滝田栄主演「大江戸神仙伝」という番組だ。
あらすじとしては滝田栄演じるサラリーマンが日本橋で江戸時代にタイムスリップしてしまうという話...。そして主人公がその時代に多くの人たちが苦しんでいた不治の病 “脚気” を治すため奔走するシーンをいまだに覚えている。

そんなことが頭にあったからか、あるいはたまたま見た番宣に吊られたのか、ともかくTBS日曜劇場「JIN -仁-」を「面白そうだ」と直感した次第。ちなみにそれが村上もとかによる漫画作品でスーパージャンプ(集英社刊)で現在も連載されていることを後から知った。このドラマが面白そうだと思った背景にはタイムスリップものであることの他に勝麟太郎(勝海舟)、坂本龍馬、緒方洪庵など歴史上の実在の人物が登場するからでもある。何しろ私は「氷川清話」や「海舟座談」といった本を何十回も読み直しているほどの海舟フリークでもあるからだ...。

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※数え切れないほど繰り返して読んだのでボロボロの「氷川清話」角川文庫。1974年11月7日に購入した一冊


どうやらドラマは原作と些かストーリーは違っているようだが、そもそも原作を知らなかった私には何の違和感もない(笑)。とはいえ興味の対象には凝るたちの私であるから早速予備知識を得る目的で「小説 JIN -仁- 」(集英社刊)や数巻のコミック本を手に入れ、オリジナルストーリーの概要を頭にいれた...。

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※集英社刊「小説 JIN -仁-」の表紙(上)とコミック本(下)


これまで第1回と第2回の放送を見たがテレビドラマとしてはよくできていると思う。CGによる江戸の街の俯瞰はもとより町並みやそこに行き来する人たちもそこいらの時代劇とは違い、よい意味で現実感があり「当時はこんな感じだった」という雰囲気がよく出ている。
ストーリーは脳外科医の南方仁 (大沢たかお)が幕末の江戸時代(文久2年=1862年)にタイムスリップし、誰1人自分を知る者がいないという孤独感と戦いながら、そして「歴史を変えてはいけないのでは...」というプレッシャーを感じながらもそこでコロリ(コレラ)などで苦しむ人たちの命を助けようと現代の医療知識を駆使して治療に奔走するというものだ。
1862年といえば寺田屋事件、生麦事件などがあり世情は殺伐とした時代だった。なにしろ4年前の1858年には安政の大獄、9年前は浦賀にペリーが来航している時代であった。そして1863年にはあの新撰組が結成されている。

さて、現代の医師である南方仁に高度な医療知識や腕はあっても当時は満足な医療器具もなければ抗生物質もない時代であり、全身麻酔もあの華岡清洲が開発したという"通仙散(麻沸湯)" 程度だから南方仁の困難は想像を絶するものだったことになる...。何しろ南方仁がタイムスリップ後最初に行った手術は準備の時間もなかったとはいえ頭蓋骨に穴を開けるのに煮沸した大工道具のノミと金槌を使うしかないという現実なのだから...。
そして江戸時代の人間からしてはその神業とも思える手術や治療法を目のあたりにした緒方洪庵や坂本龍馬たちは南方仁を尊敬し協力するようになる。

一番の興味だが、その結末は不明なものの南方仁が出会い交流を深める歴史上実在の人物が南方仁にどのように影響されていくかにある。その興味を一層膨らますものとしてキャスティングの妙が光ることだ。
主人公の南方仁を演じる大沢たかおは勿論、坂本龍馬を演じる内野 聖陽、緒方洪庵の武田鉄矢、子役の伊澤柾樹らはなかなか魅せてくれる。

それら出演者たちの魅力は当然としても屋外や室内のセットもまずまずリアルで往時の雰囲気を醸し出している。
例えばロウソクの使用だ。テレビの絵作りとして当時そのままの暗さではドラマにならないから...ロウソクだけの室内としては明るめだがなかなか時代考証がしっかりしているようだ...。
とはいえ時代考証そのままではこれまた現在の我々が楽しむには適さないこともあるわけで、例えば主人公の居候先の母親(麻生祐未)は眉を剃って(薄くして)はいるもののお歯黒ではない。あるいは野風という花魁はもっと白粉塗りたくりだったのではないか...などなどだが、まあこの辺は絵になるかならないかといった考慮からきた判断だろうし容認できる。しかし第2話を見ていてちょっと違和感を感じた箇所もある。
それは長屋でコロリ患者と戦っている南方仁が患者の脱水症状を抑えるため、体に吸水しやすい...いまでいうスポーツドリンクのようなものを作る箇所だ。
それには水は勿論として塩と砂糖を必要とするが「どなたか、塩と砂糖を」と声を高くする主人公に長屋の人たちから気楽に「...私が」と声があがる...。しかし塩はともかく当時高価だったはずの砂糖などその日暮らしの長屋の住人たちがストックしてあるとは思えないのだが...。
サトウキビは8代将軍徳川吉宗野時代、江戸城内で試験的に栽培を始め、各藩にも製糖を奨励したためそれまで輸入物でしかなかった砂糖がやっと庶民の口にも入るようになったという。ただし金回りの良い商家ならともかくまだまだ一般庶民に砂糖そのものなど馴染みはなかったはずだ。無論砂糖といっても現在どこの家庭にもあるあの真っ白でさらさらな砂糖を思い浮かべては間違いで、南方仁らが使ったのは黒砂糖だろう...。

こうした揚げ足取りのような些細な部分を除けばドラマのテンポもよく手術のシーンなどもリアリティがあって面白い。
しばらくの間、日曜日の午後9時が楽しみである!
そう、このドラマを見ていて思ったのだが人間やはり日常の努力...勉強が大切なのだ。万一過去にタイムスリップしたとき、困らないように専門分野の知識はもとより雑学や歴史も知っておく必要がある...。だってお馬鹿の現代人が江戸時代にタイムスリップしたとて何の役にも立たず、ただ野垂れ死にするだけではないか(爆)。

TBS 日曜劇場 JIN -仁-

ラテ飼育格闘日記(150)

最近はペットブームとかで確かに犬猫を飼う人も多くなっているという。話をワンコに限っても日々あたらしいワンコを連れた飼い主さんに出会う事も多い。そしてこのサイトをご覧になり「私もワンコを飼いたいのですが...」という学生さんから同年配の方などからメールをいただくが真摯に考えれば考えるほど「今すぐ飼いましょう!」とお勧めするわけにもいかないのが正直な話...。

 

無論手放しで「ワンコを飼いましょう」とお勧め出来ないのはワンコが可愛くないとか、意味のない行為だというつもりはない。
オトーサン自身何度も記しているように子供時代からいつかワンコと一緒の生活をしたいと夢見てきた1人として、そして幸いにその念願通りに毎日ラテとの生活に明け暮れているもののそうした生活について1度も後悔したことはないし、ましてやラテを手放そうと思ったことなどこれまた1度もない。
ではなぜ他人に自信を持って「ワンコを飼いましょう」とお勧め出来ないのか...。

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※木々の葉が色づきはじめた朝、ラテとの散歩中の一コマ


その理由をひと言でいうなら「めちゃ大変!」という一語に尽きる(笑)。
ワンコを飼うことはロボットを手に入れるとかデジタルカメラを購入するのとは分けが違う。高度な意識と命を持った生き物と向かい合うわけで嫌になったからといって返品したり捨てたりはできない。
それに多くの人たち...無論オトーサンもそうだったが...ワンコに対して良いイメージを持っている人たちは「名犬ラッシー」とまでいかないもののワンコは飼い主の言いつけを100%守り、飼い主の生命と財産をこれまた命をかけて守ってくれる意志の疎通が可能な利口な生き物だと思っている傾向がある。
事実ワンコは警察犬や麻薬犬、盲導犬や介護犬などなど私たち人間の役に立つことはニュースなどでも見聞きしているから、同じワンコなら私たちの生活も守ってくれると思っている。そしてペットショップから生後数ヶ月の子犬を我が家に向かえたときから愛犬は文字通り愛らしく飼い主を癒してくれる天使のような存在になると思ってはいないだろうか。
しかしオリコウサンどころか...天使どころか、実際は小悪魔のような存在に思える日々が続くかも知れないのだ(笑)。
なぜなら...

・所かまわずオシッコやウンチをする。そして吐く...。
・スリッパや家具は勿論、床にまで歯を立て家中囓りに囓りまくる。
・場合によっては貴方の手足は甘噛みで傷だらけになるだろうし、行き交う人たちに悪さをするかも知れない。
・拾い食いが激しく道端にあるゴミやウンチまで咥えてしまう。
・昼夜かまわず吼え立て近所から苦情が入るかも知れない。
・ワンコによっては1日2回、雨の日も雪の日もそして台風の日も排泄を含めて散歩に連れ出さなければならない。
・あっというまに子犬は大きくなり犬種によるものの、リードを引く力は強く、飼い主の腕・肩・腰は常に大きな負担がかかる。
・名犬に育てようと意気込んだものの、愛犬は一向に貴方のいうことを聞かない。
・シャンプーや毎日の手入れを欠かさないようにするには相応の手間と時間が必要だ。
・食費やオヤツといった日常最低限に不可欠なアイテムだけでも金銭的な負担は無視できない。
・その上に狂犬病予防注射や混合ワクチン接種、フィラリアの薬だけでなく病気や怪我でもすれば1度の通院で数万円は飛んでしまう。
・愛犬が気になり泊まり込みの旅行に行きにくいし行動が制限される。意を決してワンコを預ければ無論費用がかかる。
・家族の中でワンコアレルギーが出てしまうというケースもある。
・それに賃貸住宅や集合住宅ではまだまだワンコを飼うことを認めている物件は少ない。
・そんなあれこれが10年以上も続くのだ(笑)。
・老犬になればボケも始まるかも知れないし介護が大変かも知れない。

無論これらは一般的に飼い主にかかる負担という意味でご紹介したまでで、幸いラテはオトーサンたちにとって良い子に育ったと思っている。
排泄も場所をきちんと選ぶしすでに所かまわずモノを噛むということはなくなった。そして余程の理由がない限り夜泣きや吠え続けることはない。
どこを触っても、口の中に手を入れても怒ったり噛んだりしないしオトーサンが出かけるときも騒いだりしなくなった。
ラテはともかくそうした可能性を認識すればするほど安易に「ワンコは可愛いですよ。是非皆さん飼いましょう」と声を大にしては叫ぶことができないのである。

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※砂場でオトーサンに遊びを挑むラテ。まるで相撲の仕切りである(笑)


となれば、ある程度飼い主も自身の生き方に自信を持てるようにならないとただ単に「可愛いから」「癒されたいから」というだけではワンコを不幸にしてしまう可能性がある。
結局飼い主自身のためにワンコを飼いたいというのではなく「共に生きる」という姿勢と覚悟が必要だということだ。
獣医師の野村潤一郎氏の著書「犬に関する100問100答 (PHP文庫)」には「下宿学生ですが、犬を飼うのはぜいたくですか」「貧乏なので犬を飼わないほうがいいですか?」といった問いに基本的には「そんなことはない」という回答をしているものの、例えば学生は社会に出たときのことも考慮に入れる必要があること、世話ができなくなって人にあげてしまうということのないように...とアドバイスしている。

続けて本書は未来を予測するのが人間と動物の最大の違いだとすれば、その未来を予測できるという人間ならではの能力を、ワンコたちの幸せのために使ってあげてこそ、犬の飼い主だと述べている。
また「貧乏...」といった問いにはワンコは飼い主といつも一緒にいることが幸せなわけで例えば大会で優勝を目指して訓練所に預けっぱなしにされているワンコより、浅草の花屋敷の近所で物乞いのおじさんといつも一緒に座り、おじさんと頭を下げていたワンコの方が幸せに違いないと言い切っている。

とはいえ一人暮らしの若い方が「寂しさを紛らわせるため」とワンコを飼えば結局寂しい思いをするのはワンコになると思う。
学校に、仕事に、バイトにあるいは友達と旅行に...というときいつもいつもワンコだけ一人ぼっちというのではあまりにも身勝手な飼い主だろう。
また若い方なら将来結婚という可能性も高いはずだ。そのときになってワンコは不要というのではそれこそ犬畜生以下の人間である。
ワンコを飼うことそれ自体は簡単だがことは10年から15年ほどの間継続しなければならないことになるわけで、それは子供や友と暮らすのだという思いで望まないと長続きはしないだろう。
とはいえオトーサンだって偉そうなもの言いばかりできる立場にない。
なぜなら若くはないオトーサンはいつ大病を患ったり車椅子生活を余儀なくされるか知れない。そして最悪は寝たきりあるいは急死するかも知れない...。
だから愛犬と暮らすということは心身共に健康であることが第一だ。
オトーサンは持病もあるし100%健康とは言えないが、だからこそ毎日規則正しい生活をし、1ヶ月に1度クリニックへ通い、薬を飲み、足腰に湿布、手の指にテーピングをしてラテとの散歩を楽しんでいる。
ただしよくよく考えてみると、ラテとの暮らしを維持する毎日が結局オトーサンの健康に寄与しているというのが本当の所なのかも知れない。大きな生き甲斐であることは間違いないし...。

以上ワンコを飼うことの大変さを強調してみたが、ではなぜそんなにしてまでワンコを飼うのか...。
まあこればかりはワンコ嫌いでワンコと接したことのない方にはなかなか分からないだろうが、理窟でなくオトーサンはラテの笑顔を見るだけで幸せなのだ!

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※これがオトーサンのハートを射貫くラテ会心の微笑みである(笑)。共に近所のケーキ屋さんのテラスにて撮影


はじめにワンコの里親会から譲り受けるとき、どうせワンコを飼うならペットショップで購入するのではなく、捨てられたであろう一匹の子犬を幸せにしてあげたい...などと思い上がった考えがどこかにあった。しかしラテはオトーサンたちに幸せを運んでくれる天使だったのである...。
まあ、翼もなく少々マズルが長く鋭い牙を持った厄介な天使ではあったが...(笑)。

ラテ飼育格闘日記(149)

先週の日記でラテとの散歩はさまざまな新しい体験や発見を促してくれるといった意味のことを書いたが、先週はオトーサンにとって「この歳になってもまだまだ知らないことが多いなあ...」と反省ならびに知識欲を刺激するような出来事が続いた。今回はそのうち2つをご紹介してみたい。

 

先週の金曜日の夕方のことだった...。雨が降った後にラテと散歩に出かけ、いつもの広い公園に向かった。その道すがら、雨上がりだったからかも知れないがかなり大きなカエルに出会った。まだまだ明るかったから接近する前に気がついたが土色のカエルはヒキガエルの類なのかも知れない。
それに気づいたラテは立ち止まり手を出そうするが、オトーサンは気持ちが悪いのでラテのリードを引き迂回して進んだ...。
公園に入ったが天気が良くないことも関係したのかお馴染みのワンコたちが少なくラテは寂しい思いをしているとコーギー犬のアポロちゃんがお母さんとやってきた。
喜んだラテはひとときお母さんに抱きついたりアポロちゃんと駆けっこを試みたりしていたが、まだウンチをしていないのでオトーサンは散歩モードに入り公園外周の道を歩きはじめた。
ふと広い公園内を眺めればアポロちゃんがオカーサンとボール遊びをしている。そんな気配にラテは気が気でないようすだがオトーサンとしては朝の散歩時にウンチをしなかったこともあり何とかこの場でウンチをさせたいと願っていた...。

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※雨上がりの朝、立派な蜘蛛の巣があちらこちらに出来ていた


オトーサンはすでに暗くなった道を懐中電灯の明かりを頼りに歩いていたが、外灯のある付近でラテが強烈にリードを引いた。ふと明かりを照らしてみるとそこには先ほどのより一回り小さい...といってもなかなか立派なカエルが石のように微動だにしないで座っていた。
「おお、またカエルだ!」と大きた声を出しながらオトーサンは離れようとするがラテは興味深そうに手を出そうとするのでリードを強く引く。そんなとき、オトーサンの声に何事かを感じたのかアポロちゃんが走り寄ってきた。
しかし最初は薄暗い場所に微動だにしないカエルの存在に気がつかなかったようだが、そこは嗅覚も優れているワンコのことだ。
瞬間こちらに近寄ってきたアポロちゃんのオカーサンが「きゃー」と叫んだと同時にアポロちゃんは何としたことか...そのカエルを口に咥えてしまったのである!

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※愛らしい眼と大きな耳を持つアポロちゃんは災難だった...


オトーサンたちが騒いだからか、アポロちゃんはすぐにカエルを吐き出した。
嗚呼...良かったと胸をなで下ろしたときアポロちゃんに異変が起こった。
うつむいたその口からこれまでオトーサンが見たこともないほどのアブクが出てきたのだ。それは単に唾液を出したと言うより文字通りアブクだった...。
その時までお恥ずかしい話だがオトーサンはカエルの体液があまりにも苦いので沢山の唾液を出した程度に思っていた。
ともかく水を飲ませようとアポロちゃんのオカーサンは水飲み場まで連れて行った。
しばらくしてこちらに戻ってきたアポロちゃんは一見普通に見えたし、オカーサンも「大丈夫でしょう」と言われたのでちょっと安心したが、あのときオトーサンが「おお、またカエルだ!」などと騒ぎ立てなければ、そしてアポロちゃんが近づいてきたとき何らかの方法でカエルに近づくのを避ければ良かったと後悔することしきりであった。
ラテのリードを緩めることができなかったという理由もあったが、心のどこかで面白がっていた気持ちもあったことを反省した次第。

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※誰か来ないかなあ...と待っているラテだが、この日は遊べるワンコは来なかった


ともかく帰宅してからインターネットで調べてみると驚いたことにヒキガエルの類でもいわゆる防衛のための毒をその皮膚粘膜に持っているとのこと...嗚呼。
我々人間もそれに触れた際によく手を洗わず、例えば眼でも擦ったら大変なことになるらしいし、ワンコの場合でもカエルの種類やどれほどの毒にあてられたのかにもよるものの体調不良となり場合によっては病院に行かなければならないという。
オトーサンは恥ずかしい話、この歳まであのようなどこにでもいるカエルにそれだけの脅威があることを思いもしなかったのだ。
そうしたことを知れば知るほどアポロちゃんがその後トラブルなく過ごしているのか気になって仕方がなかった。しかしこればかりはご自宅の場所は勿論電話番号などを知っているわけではないので直接確認のしようがない...。

翌日の土曜日、朝夕の散歩でアポロちゃんには会えなかったので心配はつのるばかりだったが、日曜日にボストンテリアのボビーちゃんのお父さんからアポロちゃんの話を聞くことができた。
お互いにどこに住んでいるかは知らなくても、日々この地域を散歩して出会うことが多い飼い主さんたちのネットワークはなかなか確かで迅速なのである。
ともかくお話しではその後いつもは元気なアポロちゃんだがテンションが低く、何度か吐いたという。ただしボビーちゃんのお父さんが今朝出会ったときにはすでに回復し元気だったとお聞きしてオトーサンは正直胸をなで下ろした。
その日曜日の夕刻、今度はお姉さんに連れられたアポロちゃんが公園に姿を見せたときにはホント嬉しかった。
アポロちゃんには辛い思いをさせてしまったなあ...。ラテも気をつけないと。

さて話は変わるが今度は穏やかな話題である(笑)。
とある休日の朝、休みの日には前記した公園とは別の場所に出向く事にしているオトーサンたちだがその小さめな公園でこれまたひとつ利口になったことがある...。
これまた前記したボビーちゃんのお母さんから「綿あめの臭いがする葉っぱって知ってます?」と話を向けられた。
残念ながらオトーサンはまったく知らなかったことだが、ボビーちゃんのお母さんは「あの葉っぱかな...」と公園の脇道に植えられている1本の大ぶりな木の前にいき、その落ち葉を手にとってオトーサンたちに示してくれた。
一瞬オトーサンはこの甘く少々香ばしい臭いが散歩の途中数カ所ですることをいまさらながら思い出した...というより気がついた。ただしどこかの落ち葉が朽ちてこんな香りがするのだろうと単純に考えていたが調べてみるとそれは「カツラ(桂)」の落ち葉だったのである...。

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※公園付近に多々植えられているカツラの木(上)とその落ち葉(下)はこの時期、綿あめの甘く香ばしい香りがする...


広葉樹は秋になると葉を落とす準備を始める。葉の根本に一種のバリアが作られ水分が葉に供給されないようになり逆に葉で作られたデンプンなども木に送られなくなっていく。その過程で紅葉が見られるわけだが「カツラ」はそのとき糖分が葉に残るという。その糖分が朽ちていく過程で甘い香り、すなわち綿あめのような香りとなるようで、したがって粉末にして香の原料ともなるらしい。
この「カツラ」は30メートルもの大木になり、日本各地でも神木として崇められているものもあるそうだが立木の美しさを讃えられることはあってもこの紅葉時期の香りについてはあまり知られていないようだ。

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※砂場でひと遊びした後、オカーサンと談笑中のラテ(笑)


それにしても毎日通っている散歩道のあちらこちらにもオトーサンがまだまだ知らない...気がつきもしないあれこれがあることに思い知らされた次第である。
それもこれもラテのおかげといって良いのかも知れない。

ラテ飼育格闘日記(148)

オトーサンが住んでいる所は一応東京都だ。地図で示すとすれば東京都の境界を示す横長エリアの大体左右真ん中あたりに相当する三多摩地域である。これまで25年以上住み慣れた埼玉県と比較すると起伏の激しい緑豊かな土地であり、体験したことのない多くの野鳥、昆虫、草花そして動物たちと遭遇することになった。大げさでなく毎日何が起こるか分からない...。

 

以前住んでいた場所は埼玉県といっても駅の近くであり大きな商業施設が立ち並ぶ開けた場所だったから緑を意識することはほとんどなかった。それでも雀の鳴き声や夏になれば蝉の鳴き声も聞こえたし、秋になれば虫の音も楽しむことが出来た。しかしそれは多少の木々と草むらがあれば全国どこでも同じかも知れない...という程度だった。
マンションが建ち並ぶエリアだったこともあり、たまたま犬猫に出会うことがあっても他の動物は勿論、昆虫やらと出会うこともなく虫といえばゴキブリくらいなものだった(笑)。だから家の中にいわゆる害虫といったものが舞い込むこともなかったわけではないが、それは稀でありせいぜい蠅や蚊、そしてたまに蛾といった程度であったが、現在の住居は緑豊かなエリアであり草木の生い茂っている場所も桁違いに多い。したがって当然のことながら引っ越しして一番難儀したのは虫退治だった。

どこからともなく小蠅が入り込みカマドウマやダンゴムシが上がり込む。子供の頃にはこうした虫たちを手に取り遊んだものだが、なぜ大人になるとこうした虫たちを嫌悪したくなるのか自分でもよく分からないができることなら出会いたくない。
あの解剖学者の養老孟司氏は大の虫好きだそうだがテレビコマーシャルの中で「虫の住めない地球は人も住めなくなる...」といったことを言っている。そりゃあ理窟はそうだろうが蠅や蚊などの存在はやはり歓迎できるものではない(笑)。
確かにこの歳になると虫一匹にも命があり魂が宿っているかも知れないと思い、足元にうごめく蟻や木々にぶら下がっている蜘蛛などをあえて殺すことにためらいを覚えるようになった。だから、オトーサンは家の外にいる虫たちにはあえて危害を加えないが家の中に入ってくる不法侵入者には容赦しないというスタンスをとっている。とはいえ愛犬もいるわけだし、室内で強力な殺虫剤を多用するわけにもいかず真夏はなかなかに大変なのだ。
そして事実埼玉では体験したことのない出来事も多く、室内にかなり大きなムカデが入り込んだときにはパニックになった(笑)。

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※大好きなボールを咥えオトーサンと走るラテ


反面これまでには聞いたこともないほど鶯の「ホーホケキョ...ケキョケキョ...」といった鳴き声を季節中堪能できるし、蝉の混声合唱団が練習でもしているような中をラテと歩くのも楽しい。
近くに小さな池もあるからか、鴨がつがいで公園を横切り、キツツキがコンコンと澄んだ音で木をつつき、気がつくと赤とんぼの群れの中にいる...といった体験もできる。
春にはサクラの花びらに囲まれ、歩いているラテの背や頭に花びらが舞い落ちるし、春先から夏にかけては文字通りむせるような緑のアーチの中を、そして秋には息をのむように美しい紅葉の宇宙に浸ることができる。だから以前のようにわざわざ「桜を見に」とか「紅葉を見に」京都へ行こうといった発想がわかないほどである。
そういえばこの地に引っ越ししたのが2006年の12月だったが、オトーサンはGoogleで近隣の地形を概略頭に入れ、まだ紅葉が残っている道をラテと共に歩きはじめたことがあった。ただし引っ越しして数日しか経っていない時期であり勝手がわからないオトーサンは自分でも笑ってしまったものの夢のように美しい紅葉の雑林の中で迷子になってしまった。それほど見事な森林や公園がある地域なのである。

そんな中を毎日ラテと歩けばまずは虫に出会う...。嫌でも出会う。
蝶やトンボなどなら歓迎だが口の中に入りそうなほど大群の小さな虫たちに出会ったり、雨の後では足の踏み場もないほどのミミズが地を這う。
最初は随分と気味悪かったが、気にしていては歩けない。そして草むらにうごめくトカゲをラテが追いかけ、急に止まったかと思うとそこには石のように動かないカエルを発見。
力尽きて落ちた蝉をへっぴり腰で突っつくラテを笑いながらオトーサンは数メートル先に飛び交う見たこともない野鳥の姿に見とれる...といったことも多い。
これすべてラテとの散歩だから出会えることなのかも知れない。なぜなら変な物を拾い食いされては困ると可能な限りオトーサンは地べたを観察しているからだ。1人で歩くときは絶対地面にあるものなど気にしないのが普通だろうが、ラテとの散歩は必然的に眼の付け所が違うのである。だから普通に歩いていては分からないあれこれを発見することも多いのだろうと思う。

初めて蛇に出会ったことは以前ご紹介した。これまた正直嬉しい出来事ではないものの新しい発見であったことは確かである。
しかし究極...というのも大げだが先日これまたそこいらではお目にかかれないであろう動物に遭遇したのである。
オトーサンたちが朝の散歩でいつもの公園に向かう途中の上り坂を登り切ったとき、そう2,30メートル先だろうか、左から右に道路を横切り雑林に入る生き物が眼に入った。
最初は猫かと思ったが、猫なら大騒ぎするはずのラテが変に大人しい...。それに一瞬視覚に入っただけだが猫にしては少々変なのだ。
頭が小さく感じられ尻尾が太いのである。とはいっても逆光気味で距離も離れていたのだから確信はないものの納得いかないオトーサンはラテのリードを女房に預けてその場所に駈け寄った...。

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※これまで怖がっていた滑り台に初めて挑戦したラテ。少々へっぴり腰だが無事に滑り降りた(笑)


驚いたことにその動物は明らかに猫ではなかった。
雑林の中をオトーサンに気づきながらも平然と歩いているがフトこちらに顔を向けたとき「タヌキだ!」と思った。
無論オトーサンも本物のそれも生きているタヌキをまじまじと見た記憶がない。ともかく写真に収めようとしたが、何と言うことか...ラテとの散歩時には雨でもない限り女房がカメラを携帯するのが常なのにその朝に限って忘れたという(笑)。
この距離と薄暗い雑林の中というのでは高倍率のズームでもないとまともな写真は撮れないと思ったが無い物は仕方がない。腰に下げているiPhone 3GSを取り出してとにかく数枚の写真を撮ってみた。その間、こちらを振り向かせようとオトーサンはその未確認動物(UMA)に声をかけたりするが向こうは無視して平然としている。

オトーサンは散歩の途中もその未確認動物のことで頭がいっぱいだった(笑)。そういえば以前近郊でもタヌキが出るという話を思い出してやはりあれはタヌキかとも思ったがどうもタヌキにしては姿形が違うような気もする。
帰宅してから撮った写真を確認してみたが案の定自信を持って判断できるほどの出来ではない。やはり遠すぎた...。
しかし写真と記憶を頼りにインターネットで調べてみたが、アライグマみたいだが尻尾が違うしイタチの類かとも思ったがこれまた納得がいかない。
不十分ながらとにかくプリントアウトして夕方の散歩時に携帯し、どなたか近隣の方に聞いてみようと考えた。
ちょうど良い具合に公園に行くとラテの友達であるビーグル犬ハリーのオカーサンに出会った。ハリーがいるマンションはオトーサンが未確認動物の出会った十字路の一方角にあるのでご近所さんなのである。もしやとお聞きしてみるとハリーのオカーサンはご自身の携帯電話を取りだして写っている動物を見せてくれたがそれはまさしくオトーサンが見た動物そのものだった。

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※散歩中に初めて出会ったネコ目(食肉目)ジャコウネコ科に属する「ハクビシン」


お聞きしてみるとあの動物は「ハクビシン」だという。散歩から戻りあらためて調べてみるとまさしくその姿は間違いなくネコ目(食肉目)ジャコウネコ科に属する「ハクビシン」だった。
昨日今日に出くわしたのなら飼われていたものが逃げたり捨てられたりしたのかも知れないが、前にも出くわした人がいるということはすでに野生化しているものと思われる。
この「ハクビシン」は生息場所により畑などを食い荒らす嫌われ者のようだが、これから季節は冬に入り食べ物なども激減する野生動物にとって厳しい時期になる。
仲間がいるのかいないのかも不明だが是非また再会したいものである。

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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員