ラテ飼育格闘日記(173)

ワンコというのは一般的に飼い主にじゃれつき、飼い主の後を追い、膝に飛び乗り...といったイメージがあるのではないだろうか。しかし愛犬ラテはどうしたことか...このもっともワンコらしいともいえる行為には興味がないようである(笑)。

 

オヤツでも持っていない限りオトーサンがソファーに座っていてもラテがその足下にすり寄るとか、ましてや膝の上に飛び乗ってくるということは残念ながらいまだかってない。
ソファーで読書でもしているとき、その足下にそっと寄り添い、オトーサンと一緒に時を過ごす...といったイメージを持っていた1人として最初はすごく寂しく思ったことは確かだ。
そしてそれはまだオトーサンが信頼されていないからだろうと思っていたがどうもそうではないらしいとすぐに気づいた...。

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※ラテの視線の先には数人の女の子が遊んでいるのである...


オーストリアの動物行動学者でノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツ博士はその著書「人 イヌにあう」でジャッカル系とオオカミ系の犬の違いを論じ、前者は自分の主人として飼い主をとらえるのに対して後者は飼い主をリーダーの位置において見る...という説を唱えている。
それが正しいかどうかオトーサンが結論を出せる訳もないが、ラテはオトーサンに対して絶対的な服従と親愛を示すが子供っぽくまとわりつくことはない。ただしオトーサンと女房への対応は全く違うのも面白い。

女房へは飛びつき、抱きつき口を舐め...といった行為を頻繁にするし、例えば女房が寝ている側でその顔をのぞき込むラテの表情は何とも慈愛に満ちたものである。そして散歩の途中で出会うワンコを連れた飼い主さんや子供たちに対してもお気に入りの人には積極的にチューを迫るラテでもある。
しかしくどいようだがオトーサンに対してラテから近づき積極的に口元を舐めたり抱きついたりすることは滅多にないのだからオトーサンとしては心穏やかではないのである。
なにしろ毎日朝晩の散歩は勿論、食事の用意から体のケアなどのほとんどをオトーサンがやっているわけで、そのオトーサンをないがしろにされてはやはり寂しいではないか(笑)。
たまにオトーサンがラテに「ラテ、来い!」とチューを迫っても目と鼻の先までは近づくものの、どうしたわけかそこで身をよじりそれ以上は近づかないのだ。

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※散歩の帰りに自動販売機で買った水を飲み、そのボトルを咥えて歩くラテ


どうやらラテは前記したコンラート・ローレンツ博士流にいうならオオカミ系のワンコのようであり、飼い主とは深い信頼で結びつくものの自己意識も強くベタベタしない性格だと思われる。
その顕著な例をひとつご紹介すると...ラテは1階のリビングがテリトリーでキッチンとの間には柵があり、キッチン側に来るにはオトーサンたちがその柵を開けてやらなければならない。
そのリビングでラテは床に寝転び、古い電気マッサージチェアや出窓のたたき、あるいはハウス(クレート)に入るなり自由に過ごしている。
その柵が開くのはオトーサンたちがリビングはもとよりキッチンにいる時であり、通常ラテはリビングからは出られないようにしてあるわけだ。そしてオトーサンたちの食事の時やラテとひとときの遊びを楽しむなどの場合に柵は大きく開け、ラテも喜んでキッチン側の絨毯の感触などを楽しみボールを追いかけたり女房のスリッパや靴下を脱がそうとかけずり回る(笑)。

2階にはオトーサンたちの寝室、女房のプライベートの部屋、そしてオトーサンが日常そのほとんどを過ごすパソコンルーム兼書斎があるが、これらの部屋にはラテが口にしたりすれば危ない物が多く通常は立ち入り厳禁のエリアなのだ。だからウィークディの散歩もリビングからキッチンを通って玄関に至るわけですべて1階でラテの用事は済んでしまうしラテも立ち入り禁止されている2階への階段をオトーサンに無断で上ることはない...。
ただし土曜日とか日曜日などの休日...特に朝はいささか違った待遇となる。それは時間的に余裕があるからだがオトーサンが目を覚まして1階のトイレにでも行くと普段ラテは朝でもオトーサンたちを起こすようなことはないのに「ウォン!」と低く吠える。なぜ休日の朝だけオトーサンたちを呼ぶのか...不思議なのだが起床時間がウィークディより一時間ほど遅いそのことでラテは判断しているのかも知れない。

オトーサンはラテのいるリビングへ入り「ラテ、おはよう!」と声をかけて柵を開ける。そしてオトーサンがそのまま2階へあがるとラテは全身に喜びを表して一緒に階段を上ってくるのだ。そして寝室へ飛び込むと必ず女房の枕元に飛びつき、鼻面で布団をめくり女房の顔や口元を舐めたり口を開けたまま女房の顔に押し当てたりする。
そしてその日の気分によるのだろうが、女房の脇に伏せて静かにしていたり、枕元の着替えを咥えて遊んだりもする。
また時々まだ布団から出てこない女房の顔をのぞき込むそのラテの表情はオトーサンから見て何とも言えない慈愛に満ちたものなのが印象的である。何だかラテの方が母親で子供の寝顔でも見ているような気がするほど優しい目つきなのだ。

しかし可笑しいのは隣のオトーサンの布団にはほとんど来ないのである...。
前記したようにオトーサンが1階から連れてくるのではなく、たまたま女房がラテを2階に連れてくるとき、そしてオトーサンがまだ布団に入っているときにはオトーサンの口元を軽くひと舐めするときがあるが、その後は呼んでも身をねじるばかりでこっちへ来ないのだからオトーサンとしては面白くない。ずっと女房の隣で伏せたりあるいは衣類で遊んだりするがオトーサンのところには来ないのだ...。
さらにワンコらしくないというか変なのはこの至福のひとときが意外と短いことだ(笑)。
なぜならどういうわけかラテはオトーサンにしろ女房にしろその側に侍って一緒に眠るということをしないからである。あれだけ喜び息を切らして2階に上ってきたにしては飽きるのが早い...。
ひととき自分の気が済むと和室から出て階段を下り、そそくさと自分のエリアであるリビングに入ってしまうのだから可笑しいではないか...。

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※久しぶりだがオトーサンに抱っこをせがんだラテ


何故なのか...。ワンコは飼い主の足下や膝の上でぬくぬくと一緒に過ごすのが好きだとばかり思っていたがどうやらラテはそうしたワンコではないらしい。
決して我々を嫌っているというのではないし信頼しているものの、ベタベタは好きではないというオオカミ系の血を色濃く持ったワンコなのだろうか。
クールというか「寂しがり屋の1人(匹)好き」というのがラテの性格なのかも知れない。しかしそのラテが散歩の途中、何か怖いことでもあったのかオトーサンに抱っこをせがむときこそオトーサンは自分の出番だと、天にも昇る気持ちで20キロ近い体重のラテを膝をガクガクいわせながらも笑顔で抱き上げるのであった(笑)。

iPhone版「聖書 新共同訳」に見る私的聖書物語

聖書研究というと大変恐れ多い物言いだが、私はこれまで数冊の聖書と共にデジタル化されたものもいくつか手にしてきた。それはキリスト教を信じるというより私たちの日常感覚からは馴染みにくい、分かりづらいその聖書の一字一句を多少なりとも理解したいというのが動機だった。無論信仰は理解するのではなく信じることが大切なのだろうが残念ながら私はまだそこには至っていない...。

 

私がキリスト教...というかイエス・キリストに興味を持ったきっかけは意外と思われるかも知れないが遠藤周作(1923年3月27日~1996年9月29日)一連の作品を読んだのがきっかけである。
特に「死海のほとり」「イエスの生涯」ならびに「キリストの誕生」には大きな衝撃を受けたと同時にそれまで異国の神であり信じるも信じないもほとんど縁のない対象だったイエス・キリストが歴史上の人物として私の心に強い痕跡を残した。
なにしろイエス・キリストといえば当然のことながら神の一人子であり多くの奇蹟を行い、歩けない人を歩かせ、目の見えない人の目を開眼させ、死んで四日も経ったラザロを蘇らせたというから凡人にそのまま「信じろ」と言われても「はい、分かりました」とはいえない(笑)。
しかし遠藤周作が描いたイエスは違った。奇蹟を行わずただただ弱い者、病人の手を握りながら一緒に苦しみを分かち合うという人物として描かれていた。そして弟子12使徒も皆心の弱いただの人間であり、イエスを裏切ったのはあのユダだけでなくすべての弟子はその時、イエスを拒絶したどうしようもないダメ人間だったと描写されていた。
ただし遠藤周作は読者にたたみかけるような書き方はしないものの、その我々と同じような弱い人間の弟子たちがその後に何故布教活動で命を落とすまでの強い意志を持つに至ったのか...を問う。それは彼らが間違いなくイエスの復活に居合わせたからだ...というのがテーマなのだ。

私は弱いイエス、人間としてのイエスに興味を持ち日本語で読める可能な限りの書籍などを読んでみたが、正直どれもこれも遠藤周作が描く人間味溢れるイエスにはほど遠く(当たり前だが)、近寄りがたいものばかりで挫折が続いていた。
それに教義がどうのこうのといった深みにははまらないよう意識してきたものの、そもそも聖書は実話なのかフィクションなのか、もし実話を記録したものであるなら信頼できるものなのかを知りたくてこれまた時間のある限り自分なりに追ってみたがなかなか納得できる文献には巡り会うことができないでいた。

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※愛用の聖書だが小型判なので老眼にはきつい


ともかく聖書の内容は日本人には理解できにくい内容ばかりで何度読み始めてもいつも挫折するばかり。その理由は内容そのものが時代の違いはもとより我々とは文化がまったく違う世界の話であり、聖書の物語にリアル感を感じられないからであった。
例えばヨハネによる福音書2章に婚礼へ参列したイエスが水を葡萄酒に変えたという有名な奇蹟のシーンが登場する。ちなみにこれはイエスの奇蹟デビューなのである。
そこでは母であるマリアがイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言うとイエスは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と答えるシーンがあるが、何だか会話自体が異質でその意味が分からないでいた(笑)。
なぜマリアがイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言わなければならないのか、また「わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」という返事は何を意味しているのか...。

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※ギュスターヴ・ドレによる「カナの婚礼」シーン。ここでイエスは水をぶどう酒に変えるという奇蹟を行ったという


イエスの言動は何だか普通でないように思えるし、それぞれの行動や行為のシチュエーションも明確でないため面白い、面白くない以前に読み続けるパワーが続かなく、聖書を手にすることは単なる苦行としか思えなかった...。
しかし以前にも書いたことがあるが、神の子イエスは理解できなくても紀元一世紀前後に実在したナザレのイエス、史的なイエスを知りたいとこれまた個人的に手探りしてきたが、近年歴史的な考証を踏まえた優れた研究も多く、信仰の基盤となる神うんぬんは別にしても聖書に書かれているあれこれは考古学的にも学問としても信頼できるものだという事も知り、私のイエス探求熱はまたまた再燃したのである(笑)。

例えば事件記者のリー・ストロベル著「ナザレのイエスは神の子か?―「キリスト」を調べたジャーナリストの記録」(いのちのことば社刊)によれば、四福音書と呼ばれるイエスの一代記に関する権威として、アメリカ中にその名を知られた哲学博士のクレイグ・L・ブロンバーグ氏曰く、ルカやヨハネの福音書が目撃証言に基づいて書かれたこと、マルコの福音書が紀元70年代に、マルタとルカが80年代、そしてヨハネが90年代に書かれたことで専門家の意見統一がなされ、この時代はまだイエスの行動を見聞きした人が生きている時代であり、もし誤ったことが書かれればそれこそ反対者たちに攻撃の材料を与えるようなものであり、そうした面からも内容は信頼できるものだと明言している。
イエスの死んだ年を紀元30年あるいは33年とすれば福音書が書かれるまでの時間のギャップは他の古典的資料と比較して異常に短く、ニュース速報並みであり伝説化する時間的余地などなかったという。

聖書の記述が信憑性のあるものだという証拠は多々あるようだが、私自身が最初に納得したひとつにイエスが復活直後、最初に出会ったのがマグダラのマリアなど女性たちだと書かれていることだ。なぜなら当時一世紀のユダヤでは社会における女性の地位は大変低いものだった。
「律法を女性に伝えるならば、燃やしてしまったほうがよい」という格言があったり、法廷でも女性が合法的証言者として認められることさえなかった...。
したがって聖書の書き手たちも本来ならイエス復活後最初にその姿に出会うのはペトロなど男の弟子たちであって欲しいし、創作や伝説として書かれるならそう脚色したかったに違いない。その方が信憑性を増すと考えても不思議ではない。しかし聖書にはそのイエス復活という最大のクライマックスに女性たちを主役として立てたのはそれがまさしく真実だったからだしこの一点をとっても聖書の記述は脚色や伝説化されたものではないことの証明になるというわけだ。
まあ、一冊の本のキーポイントを数行で説明できるわけもないので興味のある方は一読していただきたいが、ごく一部だとしても長年の疑問にきちんと向き合った情報に巡り会ったのは嬉しい。

また、最近かなりの数のイエス・キリストに関する映画やTVドラマのDVDを見ているのも文化の違う私たちには一筋縄には理解しにくい部分を映像ならはっきりさせてくれると考えているからに他ならない。
事実前記した水をぶどう酒に変えた奇蹟の意味することが本当の意味で理解できたのは実に最近幾多のイエス・キリストをテーマにした映画やテレビドラマをDVDで見たからだ。
文字通り百聞は一見にしかずだが、それぞれ解釈やアプローチに違いはあってもこのシーンは母であるマリアが率先してイエスに神の子としての力を示す良い機会だから奇蹟を行ってみろと迫っている場面なのだと気がついた。それならイエスが「まだその時ではないのではないか」と躊躇する意味も理解できる。
さらに元はテレビドラマとして制作されたらしいが「JESUS 奇蹟の生涯」には布教を始めるころの若々しいイエスが登場し子供たちと遊び、よく笑い、前記した結婚式では列席者たちと踊るシーンもある。とかく受難物語に隠れてしまいがちだが、イエスはまだ若くいつも暗い表情をしている人物ではないはずでありさもありなんと思う。

というわけで、ともかくイエスに会うにはまずその公文書ともいえる聖書を手にしなければならないとこれまで一般的なバイブルはもとより「アートバイブル」といったものも手元に置いているが本格的なiPhone向け聖書があるというので購入してみた次第...。

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※iPhone版日本聖書協会による新共同訳聖書のアバウト画面


それが「モビリス聖書」であるが一般に無料として出回っている著作権期限切れの聖書ではなく、財団法人日本聖書協会から正規のライセンスを受けた「新共同訳」聖書だという点がポイントである。

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※「モビリス聖書」のインターフェースと本文表示例


無料版が多い中で3,000円は躊躇する方もいるかも知れないが、誰にでもお勧めできる類のアイテムではないし、格好をつけるわけではないがきちんとしたものにはきちんとした対価を払うのも大切だと思う。そしてなによりもiPhone 3Gで旧約および新約すべてが網羅された共同新訳の聖書がいつでもどこでも読めることは自称アマチュア “聖書研究家” の1人として大変嬉しいことである。

モビリス聖書
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ラテ飼育格闘日記(172)

スヤスヤと寝ているその姿を見ているとラテの求めることはすべて叶えてやりたいと思うほど可愛い。しかし人間社会に一緒に住むワンコは基本的な躾ができていないと不幸だし回りに嫌われてはそれこそ思うように楽しめない...。しかし新たにワンコを飼う人にとってこの躾というのが一番難しく頭を悩まされることになる...。今回も「オトーサン流しつけ考」であるが基本はやはり毎日ワンコと真摯に向き合うことがポイントだと思う。

 

ワンコの躾というとオトーサンもそうだったが、あらためて構えてしまい難しく考えすぎる傾向がある。また逆に「ワンコには好き放題させてやりたい」とか「うちは放任主義で」といった飼い主もいるようだが100%家の中で過ごすのならそのリスクは100%飼い主が負うわけで知ったことではないが、散歩のために外出することがあるのならやはり最低限の躾はしないと回りが迷惑するに違いない。
とはいっても具体的にどうしたらよいか...。吠える、噛む、飛びつくといった問題や排泄の問題など事は毎日リアルタイムで進んでいくわけで猶予はなく飼い主としてはまさしく子育てノイローゼのような状態になる。
そこで市販されている多くの飼育書を買い込んだり、一瞬で言うことを聞くようになると言ったDVDに頼ってみようということになるがそれで愛犬が思い通りになればともかく現実はなかなか上手くはいかない。しまいには「こいつは特別に馬鹿ワンコなのか?」と思ったりもする(笑)。
しかし人間の子供がそうであるように、マニュアル本の通り画一的なあれこれをやったとしてもそれだけですべてが上手くいくわけではない。

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※夕闇が迫る公園で怪しげな美しさを見せる梅の古木


この躾に大切なのはやはり「叱る」という飼い主の行為だと思う。そして日常ワンコに接する飼い主自身の態度や行動に一貫性があるかどうかを今一度振り返ってみたいものだ。なぜならワンコが同じ事をしても、飼い主の気分であるときは叱りあるときは褒められる...といったことではワンコは混乱してしまうからだが概して我々は自分の気分やそのときの周りの様子でワンコに対する態度を変えがちであるからだ。
しかし大げさな物言いをするなら「親の後ろ姿を見て子は育つ」と同様にワンコは毎日飼い主のすべてを観察していることを肝に銘じておくことも大切だ。

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※いつも会う女の子たちにチューを迫るラテ


余談になるがシャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルは大の愛犬家だったという。そしてホームズ物語の「這う男」でホームズに「犬は家庭生活を反映する。陰気な家庭には陽気にじゃれつく犬はいないし、幸福な家庭にはみじめな犬はいない。口汚く乱暴な人の犬はうなるし、危険な人の犬は危険なものだ。」と言わせている。
また獣医の野村潤一郎氏は著書「Dr.野村の犬に関する100問100答」の中で人間は外観と中身が違っていることが多いから気をつけなければならないとしながらも「正常な飼い主が連れている犬は正常だと思っていい」と書いている。
ことほど左様にワンコはその飼い主の一挙一動を見て成長する生き物であり、ワンコはその飼い主に大きく影響を受ける生き物なのだ。

とはいえワンコに人間の言葉がそのまま理解出来る能力があればいわゆる言い聞かせで済むかも知れないが現実にはそうもいかない。ましてやワンコには人間社会の倫理感などあるはずもないからある意味ひとつひとつ経験則で教え込む必要がある。
その方法を私なりの言葉で言うなら前回同様「飼い主の嫌がる行為はさせない」の一語に尽きる...。

ワンコは高度な意識と感情を持つ生き物であり、人間と共存できるある意味で珍しい生き物だと思う。
猫やカメ、小鳥といった類のペットと違い、中型犬以上のワンコがもしその気になったら飼い主であろうとなかろうと人間を襲い息の根を止めることなど造作もないはずだ。それほどの動物が飼い主である人間を信頼し一緒に生活できるのだから大げさにいうならちょっとした奇跡かも知れない(笑)。
ともかくワンコは躾が可能なとても利口な動物なのだ。
無論躾は叱責ではなく教育であり、ワンコ自身も人との触れ合いを求めているからこそ人に従うのだろう。

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※柵に前足を乗せてトカゲを追うラテ


躾で一番大切なのは前回も記したとおりワンコの名を呼んでから「ダメ!」という言葉と飼い主の態度だと思う。そして飼い主の言うことに従ったり、言いつけたことを守ったら必ずその場で「イイコだ!」と褒め...飼い主もできるだけ大げさに喜び撫でてあげることが重要だ。
問題はワンコは「なぜ叱られたのか」という理由を知り得ないことだ。残念ながらワンコは人間と同様に良心とか道徳といった心が発達しているわけではないから「前にもダメっていったでしょ!」といった言い聞かせはワンコにとってまったく意味がないと肝に銘じるべきである。無論反対に飼い主がいきなり笑顔で近づきナデナデしてくれたとしても一般的には「なぜ撫でてくれたのか」に思いを寄せることはできない。
だから重要なのは飼い主にとって止めさせるべき行為をしたその瞬間にリードを「バシッ」と強く引き「ラテ、ダメ!」と声をかける、あるいはボールをオトーサンの手元まで咥えてきて手のひらの上に上手に落としたら即「イイコ、よしよし」と撫でてあげるというリアルタイムな対応がキモである。そして最初期はご褒美として小さなオヤツをあげるのも効果的だろう。
これを繰り返していくことでワンコはこの行為・行動は飼い主に喜ばれる、あるいは嫌われるという結びつきを覚えていき基本的に飼い主に寄り添いたいという本能から嫌われる行為はしないようになっていくわけだ。そしてそのうちリードを「チョン!」と軽く引くだけでワンコはそれに従うようにもなってくる。

特に最初の頃は口調を強くするとよいと思うが、毅然とした態度でワンコの正面から視線を合わせてその行為はイケナイ...というより飼い主が怒っているということを分からせることが大切である。そしてリードにつないでいる外出時などはリードを「バシッ」と引くことでダメという意志を伝えることができるわけだが、室内にいるときなどはマズルを押さえる...あるいは頭を軽く地面(床)に押しつける...といった「これをやられたら叱られている」「これをやると嫌なことをされる」ということを行為で示すことも大切なように思う。

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※本邦初公開、マズルにシワを寄せ牙をむくラテの威嚇顔。前片足を上げているのは緊張を示すというがなかなか迫力がある(笑)


例えばワンコのトレーニング本の中には「無視する」という勧めが多い。無視されることを避けたいという気持ちが飼い主の嫌う行動をしなくなるということらしい。
ワンコがオシッコをシートでなく別の場所でやってしまった時なども騒がず、できるなら片付けているところも見せずに綺麗にし「なにやってるの!」などと叱ってはならないということらしい。
なぜなら飼い主が慌てふためいているその姿はワンコにとって遊んでくれている姿と映り、ここでオシッコしたら遊んで貰える...と思い込んでしまうから...ということらしい。
無論躾の途中でワンコは何回かオシッコする場所を間違えることもあるだろうが、それを叱ってはいけないことは確かだ。まだ学習途中なのだから間違っても仕方がないと考えるべきだろう。
しかしオトーサンの経験則からいうなら、ワンコに対しての叱り方を誤らなければワンコはオトーサンが怒っているのか、あるいは喜んでいるのかを間違うわけはないと思うのだ。そして叱られているワンコの態度もきちんと観察すれば自ずからワンコの感情も理解できるはずだ。
なぜなら一般的に叱ったことが伝わるならワンコの尻尾は垂れ、その表情もいかにもすまなそうな...恨めしそうなものになるはずだ。
ワンコの思いは素直に表情や態度にも出るものだから、最初はなかなか分かりづらいと思うものの注意深く観察を続けていると理屈でなくワンコの感情が伝わってくると思う。

とにかく飼い主としては毅然な態度で愛犬に接するべきなのだが、オトーサンとしては惚れた弱み...。視線が合うとつい笑顔を返してしまうのが自分でも困ったことだと思っている(笑)。

白昼夢〜私の音楽歴とは?

先日電話で仕事の打ち合わせをした後、音楽の話になったが「松田さんはギターを弾くようですが音楽歴は?」と聞かれた。音楽歴...とあらためて言われるとそれほどの事でもないので申し上げるのに躊躇もするが、音楽は聞くだけでなく楽器を演奏することこそ醍醐味を味わえると思っているひとりではある。

 
というわけで、今回は私の音楽との関わり合いの歴史といったことを書き連ねてみよう...。とはいえ私らの歳になると音楽歴も長いだけでなく色々とあってひと言では説明できず、話が長くなって嫌われる(笑)。
さて、私の生まれた年代は六畳一間のアパートに両親と兄弟3人が住んでいた戦後の混乱期だから当時の我が家の経済状態など説明する必要もないだろう(笑)。ただし母が若いときに琴を習っていたとかでいわゆる音楽には理解があった家庭だった。なにしろ物心ついたとき、そんな貧乏暮らしの我が家に大正琴とウクレレがあった...。
大正琴は母の十八番であり、古賀政男などの曲を上手に弾いていた。
そんな母の趣味趣向からだったろう、私が小学校に入学する前から三味線を習わされた...。月謝が幾らぐらいだったのか聞いたこともないが、私たちが住んでいたアパートの崖下に住居を構えていた師匠のところに1週間に一度程度だったか通わされた。

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※筆者九歳の夏


三味線そのものは父が中古品を探してくれたようだが、稽古の日に私が近所の友達たちと遊んでいると「若旦那、お稽古だよ!」と崖下から粋な声がかかるのだった。
「は~い!」と返事をした私は急いで自宅に戻り、自分の背丈ほどもある三味線を肩に担いで坂道を下っていく...。

その師匠...子供の私にとってはオバサンだったが若い頃には新橋...柳橋かどこかの芸者であったとかで鴨居の上に若い頃の写真が額に入って飾ってあった。確かにその写真は子供心にも綺麗な女性だった記憶がある。
子供の、それも男子の弟子は他にいなかったようで師匠には可愛がってもらった。そして新年の会には大人ばかりの席で師匠のとなりに座らされたことを覚えている。

私の三味線習得はその後高校に入ってからも続いたが正直本人としてはあまり好みではなかった。いや、三味線そのものが面白くないというのではなく、男の子が三味線を抱えているその自分の姿がどうにも好きになれなかったのである。それに師匠は、小唄、長唄、端唄、清元などなど何でも教えてくれる人だったが粋な台詞の意味も分からずに弾き語っても面白いはずもなかった。
まあ、特に高校生ともなれば同級生...特に女の子たちの目を意識する年代になったこともあり、高校1年のときギターが上手い同級生に感化され「ギターの方がもてるだろう」と三味線を止めた(笑)。その同級生は1年後だったか突然に亡くなってしまうのだが...。
その高校1年の夏休み、近所のおもちゃ屋でアルバイトした金で3,000円のギター買った。それはスチール弦が張ってあった文字通りの安物だが嬉しくて数日間は枕元に置いて寝たものだ。
一緒に古賀政男著「1ヶ月ギター独習」とかいった教本を買い、弦をナイロン弦に替えてとにかく練習した。

朝起きて学校に行く前に練習、学校から帰ってきたら夕食まで練習、夕食が終わったら寝るまで練習の連続だった。味噌汁のお椀を持つ指が痛いほど練習した。
自分でいうのも烏滸がましいが、三味線などをやっていたこともあり音感は良かったし努力の甲斐があってまずまずの曲は弾けるようになったが、最初に取り組んだのがクラシックギターだったのが幸いしたのか独学ながら指がよく動き、学校でもギターを持たせたら誰にも負けなかった。
時代はビートルズ、そして反戦歌を含むフォークが台頭してきたときだったが誰いうともなく同好会を作ろうということになった。それは教室で誰はばかることなく練習が出来るというメリットを考えてのことである。
結局お堅いことで知られていた担任のT先生を口説き落として顧問に祭り上げ、職員会議と生徒会を無事パスして「フォークソング同好会」を発足した。ここに初めて「ビートルズ来日演奏会に行ったら退学」という時代、そして「ギターなどやる奴は不良だ」と白い目で見られていた我々は逆に憧れのグループとなった。なにしろそれまでは学校にギターを持ち込むことさえ難しかったのであるからそれは大きな一歩だった。
そして卒業生を送る送別会や自分たちの卒業式のときなどに我々数人は楽器を持って舞台に立った。
しかしまあ思い返すと私以外の3人はまともに楽器をやったことがなかったらしい。その3人と銀座の十字屋に行き、バンジョー、4弦ギターなどを買い込んで悦に入っていたのだから面白い。

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※椿山荘の舞台でフォークソングを演じる(高校の卒業式)。左が筆者


ただし個人的にはギターはあくまで自分の楽しみのためにと考えていたから就職するとバンド活動などコロッと忘れてしまう。しかし時代が私を放っておかなかったのである(笑)。
確かに履歴書にはギターとか三味線といった楽器演奏の趣味を書いたはずだが、それがどのようにして知れたのか...ある日総務部に配属された同期のK君から「バンドを作るのでリードギターを担当してくれないか」という話が舞い込んだ。何しろ今思えば景気もよい時代だったしめちゃくちゃな時代だった...。
リードギター兼リードボーカルの私(笑)、ドラムを担当したK君、そして我々より2,3歳先輩だった2人がベースギターとサイドギターを担当し4人でバンドを組むことになってしまった。何よりも驚いたことに我々のバンドはその東証一部上場の本社唯一の公認社内バンドという触れ込みだったのである。
それに他の部署の部長などがたまたま通りかかると「三味線とギターを弾くというのはおまえか?」と肩を叩いてくれたりとまさしく芸は身を助けるではないが、名前を覚えてもらう一助になった。

夏のビヤパーティーや暮れのクリスマスパーティーの時期になると会社側の依頼で練習が仕事になるのだから可笑しい(笑)。ただしリードギター兼ボーカルは良いとして、そのギターはエレキギターだったので最初は戸惑ったしダンスパーティーのためのバンドでもあったためレパートリーはフォークなどではなく歌謡曲までをも含む何でも屋でなければならなかった。
ある時の舞台で演奏したレパートリーは確か...スプートニクス「霧のカレリア」、ベンチャーズ「パイプライン」、ロス・プリモス「ラブユー・東京」、加山雄三「蒼い星くず/旅人よ」などなどだったはずだ。ただしこのとき、舞台に上がる直前にフロアーにいた先輩に「飲んで景気を付けろ」と渡されたビールのグラスに口を付けたこともあり、1曲目の「霧のカレリア」の出だしで何度もとちったことは忘れられない想い出となった。
もともと飲めないアルコールを飲み酔ったからか、珍しくどのフレットから始めるのかレロレロになってしまい、私自身の記憶だと3回は出だしが上手くいかずにやり直した。ふとフロアーに目をやると同じ部署の同僚や先輩達が心配顔で見上げており、関連部署の常務取締役からは「なにやってんだ。早く始めろ!」と叱咤の声が...。
幸いその後は自分を取り戻したのでそつなくこなしたが、後で同僚からは「寿命が縮まったよ」と笑われた。しかし今更ではあるが私らのバンドでダンスを踊る人達も人達である(笑)。

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※1973年から76年までにソニーのワンポイント・ステレオマイクを使い実家の四畳半で録音したテープを後にデジタル化したCD。「アランフェス協奏曲2楽章」や弟との二重奏、F.カルリの「アンダンティーノ」他全17曲が家庭内ノイズと共に残っている(笑)




※前記した弟との二重奏、F.カルリの「アンダンティーノ」。1973年頃四畳半スタジオで練習録りしたもの(笑)


この時代、父が弟の英会話勉強のためにと購入したホータプル式オープンリールのテープレコーダーを使い練習時に使ったが、その後所在が分からず当時我々の腕前がどの程度だったのかは確認不明である。ただし当時300人近く在職していた本社社員のほとんどが参加したパーティーだったわけで私が在籍した足掛け8年ほどの間は何らかの形で続いたのだから聞くに耐えないものではなかったのだろうと自負しているのだが(笑)。
そして当時芥川也寸志が指揮をとっていたアマチュア演奏家たちのオーケストラ、新交響楽団にチェロ奏者として参加していた人に私のギター演奏は過大に評価されたこともあり、会社内にギタークラブまで作らされるはめになった。

その後も、クラシックギターは趣味として続けていたし30歳を過ぎたころには1年半ほど近所の教室でピアノを習った。また2001年4月から大沢憲三先生にフラメンコギターをこれまた1年半ほど習ったが、音楽...特にギターは付かず離れずいつも私の身の回りにあった。
またギターは弾くだけでなくギターの構造や仕組みを理解する意味も含め、数本手作りした。その中にはN.イエペス調弦の10弦ギターもあったし古楽器のリュートも自作したことがある。

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※1973年11月に自作したモダン・リュートもどき。当時は正確な資料も手に入らなかったので苦労した


ただし歳のせいか、この数年は新しい曲を覚えるのが大変だけでなくせっかく弾けるようになった曲も都合で2週間ほど練習しないと忘れてしまうという情けないありさまである。その上、近年両手指の腱鞘炎に悩まされ、右手はともかく左手がギターのフレットを正確に押さえるのが難しくなっている。

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※1974年に製作した10弦ギター


それでも鍵盤は何とか叩けるだろうと電子ピアノを腱鞘炎のリハビリ道具の変わりに楽しんでいるが、過去には友人達の結婚式などでギターを独奏したこともあったものの、クラシックギターの演奏も20代前半にワンポイント・ステレオマイクで録音した十数曲のみしか記録に残っていない。それに一番活躍したサラリーマン時代のバンド活動も演奏はともかく私自身には1枚の写真も残っていないのも不思議だ。
確かにあの時代、今のように常にカメラを携帯する時代ではなかったからそんなものなのかも知れないが、舞台上での我々の姿は文字通りあやふやな記憶の中でしか残っていない...。

しかし数日前に夢で昔のバンド仲間が出てきたのには驚いた...。その夢には懐かしくもエレキ・ギターを振り回していたそんなシーンらしきものが登場した(笑)。そういえばその会社で出会った無二の親友K君はその後独立して事業で成功もしたが、若くして癌で亡くなった。その彼と夢の中とは言え久しぶりに笑顔で会えたのだから...嬉しかった。
ともあれこの原稿を書きながら、久しぶりにとフラメンコギターのケースを開けたら...弦が1本切れていた(笑)。「何をか言わんや」である...。

ラテ飼育格闘日記(171)

ラテが前足を引きずるようになった...。最初は散歩中に肉球の間に傷でも負ったのかも知れないが、それが気になるのか自分で噛み傷口を広げてしまったようなのだ。肉球はかなり丈夫だというが、そもそも裸足で歩くわけでガラスの破片や枯れ草の切り口などが当たって傷を付けることは多々あるのだが...。

 

傷云々は別にしても時々ラテは前歯を上手に使い、肉球や足の腱などを「ガシガシ」「ペロペロ」と囓りメンテナンスしている。ただしそれも過ぎると今回みたいに肉球の間、人間でいえば土踏まずといった箇所になるのか...毛があるものの肉球とは違ってかなり柔い箇所を掻き壊してしまうこともある。
少し良くなると今度は痒くなるのだろうか、またまた血が滲んでしまうことになるがこればかりは包帯を巻いておくわけにもいかず始末が悪い。

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※前足メンテナンス中のラテ


一応、散歩から戻ると洗面器に入れたぬるま湯で四つ足を洗い、その後雑巾で拭くのが日課だが問題の右前足をオトーサンが握ると痛いらしく「キャン!」と小さな声を出す。そして多少乾いた後にイソジンという消毒薬を綿棒で傷の箇所に塗るが抵抗の反対でこれまた大変なのである。

抵抗の反対とは妙な話だが、オトーサンが小さなイソジンの瓶と綿棒、そしてティッシュ数枚を持ってラテの座っているところにいくと逃げるどころかその前足を差し出すのである(笑)。その真意は治療して欲しいということではなくどうやらイソジンを舐めるのが好きらしいのだ(爆)。

嫌で抵抗されるのも大変だが、大歓迎されイソジンをつけようとする側から綿棒を狙われるのもこれまた大変である(笑)。したがって消毒薬を塗った後はティッシュなどで患部を隠してオトーサンが数分の間握ることにしている...。それにしてもラテは変なワンコである。
ともかくどの程度痛いのか、あるいは気になるのかが分からないから心許ないものの、足を引きずりながら...少々肩を揺らしながら歩いているラテなのだ。ただし例えば砂場などに入るといきなりオトーサンに遊びのポーズをとり、狂ったように駆けずり回るのだから...ま、大したことはないと思う。しかしその後はまた足を綺麗にしなければならず、このループがいつまで続くのだろうかと些かうんざりする。

それにこのところ大変雨が多くてまるで入梅の時期のようだった。無論雨でも散歩は欠かせないからとオトーサンは苦にもならないが、レインコートを着せられて雨の中を歩くのがラテは大の苦手なのである。

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※雨の中、レインコートを着てコーヒーショップで一休み


何度か紹介したことがあるが、とにかくレインコートを着せると体がカチカチに堅くなる(笑)。しばらくはブルブルブルと体を揺すってレインコートを落とそうとするが、外に出ること自体は嫌がらずに出る。しかし特に朝の散歩はその出だしから違うパターンになるから面白い。
そしていつもは通勤のために出かける女房と一緒に駅まで歩き、そこからオトーサンとラテとの散歩が始まる。駅まで歩いて7,8分の間、ラテは女房にまとわりつきオヤツなどをねだりながら実に楽しそうに歩くのだ。しかしそれは雨が降っていない、レインコートを着ていない時の話で、雨降りだからとレインコートを着せて外に出るとラテは女房の向かう方向とは真逆な方にスタスタと歩きはじめる...。
そちらにはすぐ小さな公園があり、階段を登っていくと狭いながらも芝生のエリアがあるのだがラテはそこでオシッコをし、状況が許せばウンチも済ませて少しでも早く帰りたいのだ。しかし雨でそこら辺が水浸しの場合にはやはりウンチはやりにくいらしくある日曜日の朝はオシッコだけだった。だから時間はものの15分程度で散歩は終わりとなった。そしてその日の夕方もまたまた雨だったが、朝と同じコースでは物足りないだろうとオトーサンはわざわざ遊歩道に連れ出してみた...。

いつもの場所あたりでオシッコを済ませたラテはありがたいことにウンチも早々に済ませてくれた。しかし家を出てからまだ5分程度しか歩いていない。いくら雨だからと言ってもこのままUターンしてはラテが可哀想だと考え、そのままいつもの公園にでも行こうかと歩きはじめたがラテがリードを引いて動かないのである。
動かないどころか、彼女は元来た方角にリードを引き、早く帰ろうと催促する始末(笑)。
そうまでして散歩に行きたくないというラテを引っ張って歩くのもオトーサンたちの真意ではないからと喜んでそのまま自宅に向かったが、ラテの歩く速度は行きよりも速いのだから笑ってしまう。

しかしこうしたパターンも破られるときがある。
3月9日の火曜日、オトーサンたちの住んでいる地域はミゾレ交じりの雨が次第に雪となり、一時はかなり激しく降ってきた。路面はかなり濡れているため夕方の時点で積もってはいないが人や車が通らない遊歩道の一郭などはうっすらと白くなっている...。
こんな天気でも散歩に出なければならないとは因果なことだがこればかりは仕方がない。まずは例によって硬直しているラテにレインコートを着せて外に出る。朝の散歩が短時間だったからとオトーサンはいつもの公園に向かおうと考えたものの例によってこの天気だからラテは途中で引き返すに違いないとも予測していた。
実際に歩きはじめるとミゾレ交じりの雪がコンクリートにも重なり裸足で歩いているラテの姿は見ているだけでこちらが風邪をひきそうである(笑)。それに足の傷も治っていないから辛いのではないかと気にかけたがその日に限ってラテは雨が入らないようにと耳を倒し、目を細めながらもスタスタとオトーサンの少し前を元気に歩くのだ。

その何とも健気な姿を眺めていたオトーサンはあることにハタと気がついた。ラテもそうだが...ワンコはどういうわけか雪が大好きである。その雪も何度かの体験で感触やらを知ったラテはいまオトーサンと向かっているいつもの公園一面がその雪で真っ白になっているであろうことを期待しているのではないか...と。
もしかしたらラテの脳裏には一面真っ白の公園がイメージされているのかも...(笑)。
この突飛でもないオトーサンの推理も満更ではないことが次第に分かってきた。なぜなら公園が近くになるにつれラテの歩くスピードは落ちるどころか早まり「ハアハア」と興奮している様子なのだ。

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※3月9日の火曜日の夕刻、いつもの公園はうっすらと白くなっていた


公園が一望できるところまでくると残念ながら「一面真っ白」にはなっていないものの一部は積雪、一部は沼地のようになっており歩くには一番汚れるパターンである。
見るとコーギー犬のシンちゃんが一番乗りしていたがラテは向こうで雪だるまを作っている子供達を発見してそちらにリードを引く。
近くまで寄ってみると女の子と男の子の兄妹らしき2人が汚れ気味の雪だるまを固めている最中だったし、これまで会ったことがない子供たちだったからオトーサンはリードを短めに保持するがラテは尻尾をブルンブルン振り、口を大きく開けキラキラの笑顔で近づこうとする。

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※雪の感触を楽しむラテ


そのとき女の子が「あら、可愛い!」とラテに声をかけてくれた。オトーサンは「こんにちは」と挨拶しながら「ワンちゃん、怖くない?」と聞くと「大好き。お婆ちゃんちに小さい犬がいるの...」と笑顔でラテに両手を出す。
これなら大丈夫と判断したオトーサンは少しリードを緩めるとラテは嬉しそうに腰を落としている女の子の両腕に抱かれてその口元をペロッとなめた...。
オトーサンがリードを引こうとすると今度は女の子の方がニコニコしながらラテに近づくので続けてペロッが数回...。
ラテの表情と女の子の表情の両方共にとてもいい顔をしていたからこんなシーンを写真に収めたいとも思ったが傘をさし、すでに暗くなりつつあるからと諦めた。
オトーサンは女の子にお礼を言い、その場を離れたがちょっとした感動の一瞬だった。
こんな悪天候の散歩にもほんの小さな暖かい出来事もあるものなのだ...。

アナログチックなMacアプリケーションの逸品「Toy Shop」とは?

過日数人のMacユーザーと話をする機会があった。その席で何がきっかけだったか...私が「Toy Shop」といったアナログチックなアプリケーションの名を出したが1人も知っている方がいなかった。最近はよい意味でデジタルで完結するアプリケーションがほとんどだが黎明期にはいまでは考えられないユニークな製品が多々登場したのである。


そんなMacintoshに関するアプリケーションの歴史において最終的にアナログというか、手にとって遊べるアイテムを作るために登場したソフトウェアがいくつか存在する。その代表格で忘れられない製品のひとつが「Toy Shop」なのである。

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※Macintosh 128K用の製品として1986年リリースの「Toy Shop」パッケージ


無論例えばワードプロセッサもプリンタで印刷して仕事が完結するわけだから、ある意味ではタイプライターを模したアナログチックなソフトウェアだと捉えることもできるかも知れないが、Macintoshの最初期は現在よりプリンタという機器が物作りに活躍したともいえようか...。何しろMacintoshはある種の文房具だといってもよいシーンも多々存在したのである。

さて「Toy Shop」は良質のソフトウェアを提供するパブリッシャーとして知られているBroderbund Software社から1986年にリリースされたMacintosh 128K用の製品であった。
私自身はこの製品をどこで手に入れたかについてすでに記憶がないものの、日本に入ってきた最初のロットだったと聞かされたことは覚えている。ただし「Macの達人」には1986年12月に「Toy Shop」の名が登場するので入手はその前後だったのかも知れない。

それはともかく、この頃のソフトウェアパッケージは現在のようにダウンロード販売などない時代だしエコうんぬんといった配慮もなかったから大ぶりで確かな手応えがあるものが多かった。特にこの「Toy Shop」は手にしてみるとずっしりとした重さがある。

なぜなら一般的なパッケージのようにマニュアルとフロッピーディスクといった同梱内容だけに留まらない「Toy Shop」独特な内容だったからだ。
何しろそこにはしっかりとしたマニュアルと3枚のフロッピーディスク、そして厚紙、竹籤、針金、輪ゴム、たこ糸、風船が入っているのである。

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※パッケージにはマニュアルとフロッピーディスクの他、工作の材料となる厚紙、竹籤、針金、輪ゴム、たこ糸、風船が同梱されている


古参のMacintoshユーザーならどこかでこの「Toy Shop」のことをお聞きになったことがあると思うが、これはMacintoshと当時のドットインパクト式のプリンタであるImageWriterで厚紙に印刷した展開図をハサミやカッターナイフで切り取り、糊で接着して可動式の模型を組み立てるというユニークな製品だったのである。

どのようなものが作れるのか...をざっと列記してみるとアンチークなトラック、メリーゴーランド、日時計、紙飛行機、竹とんぼならぬ紙とんぼ、ジェット改造車、メカニカルな振り子、クラシックカー、重量計、蒸気機関、起重機など魅力的なものばかりである。

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※「Toy Shop」で作るメリーゴーランドの解説ページ


無論メリーゴーランドは回り、起重機は各部位が動作し遊べるのだ!ただし一見オモチャっぽいツールではあるがパッケージにも “Ages 12 Years to Adult” とあるように幼年向きのものではないし事実起重機などの組立やメカニカルな調整などはかなり複雑であるからして大人でも十分に楽しめると思う。というか、お父さんが子供のために「Toy Shop」で何かを組み立てたらきっと子供たちの目はキラキラ輝くに違いない。勿論主な材料は紙だから、それぞれのパーツや本体を好きな色で塗ってみるのも楽しいと思う。

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※「Toy Shop」で作る起重機の解説ページ。きちんと動かすにはしっかりとした調整が必要


私はかなり以前に付属の用紙ではなく別の用紙にディスクに含むデータを印刷し組み立てたことがあったが、製品同梱のパーツをそのまま残して置きたかったので購入時のパーツは現在もそのまま残っている。
デジタルで完結するアプリケーションはそれはそれで良いが、パーソナルコンピュータによるこうした類の楽しみも忘れたくないものである。

白昼夢〜母と占い師の物語

私は若い自分から随分とオカルト的な事柄に興味を持ち関連書籍を読みあさった。西洋占星術や催眠術にも凝ったし、しまいには何だか魔法のひとつくらいは実践できるような気もしたが、残念なことにこれまでUFOも見たことはないし幽霊に出会ったこともなくいまでは占いなどまったく信じないオヤジになってしまった。

 
科学、科学といったところで私たちが現在知り得ていることはほんの僅かな事実であり、証明されたというよりそう考えた方が物事が論理的に説明できるから...というだけのことも多い。
一方、やはり人間の知覚を含め、知能にも限界があるだろうし知り得ないあれこれも多いから、科学で証明できない不思議もあって良いわけだし、将来それらが解明されることもあり得るとは思っている。
何もかも「プラズマ現象」のひと言で説明しようとする科学者もいるが、それこそその態度は科学的でない気もする。
なにしろ歴史的にも占星術が天文学に、錬金術が化学にオーバーラップして進化していったことは確かであり、事実あのニュートンは占星術師でもあったのだ。

だからと言うわけではないが若いときにはホロスコープを作る本格的な西洋占星術に凝ったこともあるしタロット占いも研究したことがある。そして催眠術も勉強したからその気になれば今でも他人に催眠術の基本くらいは行える...。
とはいっても次第に「占い」という類を信じなくなった。ましてや血液型占いなどはそれこそ科学的な根拠が希薄であり、女の子に近づくための道具ならともかく(笑)、そんなもので自分の運命や行動を左右されてはたまらないと思っている。だからこれまで占い師と名のつく人達に自分のことを相談したこともないしこれからも興味はない。
しかし私個人のことではないものの、占い師の言葉が満更ではないという体験をしたことが1度だけある...。

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※筆者所有のタロットカード、大アルカナ22枚を使って「ギリシャ十字法」による占いをはじめた...イメージ画像(笑)


それは私がまだ小学4年生あたりの頃だったと思う。昔気質というか信心深い母はその時代の多くのオバサン同様とにかく世話好きで何にでも頭を突っ込む質だった。
なにが切っ掛けだったのかは不明だが、子供の私から見ると70歳は超えていると思われる老女がある時からしばしば我が家に姿を見せるようになった。
子供心にその姿はどこか絵本に出てくる魔法使いのお婆さんみたいで近寄りがたく、直接言葉を交わした記憶はないからこれから紹介するあれこれはすべて母から後に聞いたことなのだ。

その頃私たちの家族は古いアパートの六畳一間に家族5人で住んでいた。電気・水道・ガスは完備されていたと思うが洗濯場とトイレが共同という時代だった。そしていわゆる電化製品といえばラジオが唯一の製品だった。テレビも電話もなかったし冷蔵庫も洗濯機もなく、冬も火鉢ひとつで過ごした時代だった。
そのお婆さんは小さなちゃぶ台の前に座り、火鉢に手をかざして母と話をしていた姿が印象に残っているが、私にはどんな人なのか、なぜ我が家に訪ねてくるのかまったく分からなかった。

かなり後になって母からそのお婆さんの話を聞いた...。
母によれば彼女は占い師、それも良く当たるという評判の人だったという。とはいえローカルな商店街の片隅にポツンと座っているような占い師、それも現在のようにマスコミに紹介されるような時代ではなかったからそれは母の買い被りだったに違いない。
とはいえ結果的にその一連の関わり合いの中で我が家の未来はこの占い師のお婆さんの言うとおりに運んだのである。

母が私たちに話してくれたことはその占い師と母との関わり合いのほんの一部だとは思うが、印象的な話が2つあった。
1つはある日、そこにいた私を見て占い師は「この子は芸能人にすると長谷川一夫のような人気者になるよ」といったらしい...。
親ばかとはいえそれを真に受けた母はとある有名な劇団の入団テストとラジオドラマの子役の応募に私を連れて行った。
いまだに覚えているのは数人の前で「はい、楽しそうに笑ってください」とか「怒ってみて!」などと指示されたことだ。
私は何のためにここに来て、何をしようとしているのかもよく分からないまま何とかその場を取り繕ったが結果ラジオドラマの方は選外だったものの劇団は受かったのである。しかし馬鹿げたことだがその後いわゆる月謝が払えず私の芸能界へのデビューは早くも頓挫することになった(笑)。

ただしもうひとつ占い師が母にいったという「松田さん、いまね...貴方のために家を建ててくれている人がいるから近々ここから引越ができるよ」というもの言いはさすがに母もまともには受け取らなかったという。
何しろ自慢ではないが両親の親戚をくまなく探しても家を建てるような資産家はいなかったしどう考えても現実離れした話だったからだ。
とはいえ世の中とは奇っ怪なものでその半年後だったろうか、母は同じアパートの人と都営住宅入居の申込に行くはめになる。
それは母主導の行動ではなくその知人に「松田さん、一緒に行ってよ!」とせがまれ、仕方なくついていき言われるがままに応募の手続きをしたらしい。無論それまでにこの種の申込をしたことは1度もなかったという。
結果、連れていってくれた知人は落選し、母が当選してしまったのである。
確か昭和33年 (1959年) の出来事だったと思う...。

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※唯一残っている母とのツーショット写真。昭和42年(1967年)頃の撮影と思われる


母の言いぐさ...「確かに占い師の言ったとおり、我が家のために東京都が家を建ててくれたことになったんだよ...」は結果としてその通りであり、我が家は2DKの新築へ引っ越しできることになったのである。
その後もそのお婆さんは新しい家に何度か姿を見せたが、年齢的なことに加えて病気を発症し入院となった。
詳しい経緯は子供の私が知る由もないが、母曰わく「占い師のお婆さんは天涯孤独らしいからいまお礼も込めて世話している」と言いながら入院手続きをはじめ、何度か病院に出向いていた。
結局数ヶ月後にお婆さんは病院で亡くなったが、その遺品から連絡先などが見つかり家族が遺体を引取に見えたらしい。
母は「あの人、若いときに訳あって家を出たらしいけど良いとこのお嬢さんだったそうで...驚いたねぇ」と目を丸くしていた。

偶然といってしまえばそれまでだが、母は死ぬまでことあるごとに「あの占い師のおかげでアパートから出られたんだ」と言い、占い師の指摘が正しかったことを信じていた。しかし私の芸能界デビューの予言はその後も何の兆候もなくこの歳になってしまった。まあ、それで良かったのだろうが(笑)。

ラテ飼育格闘日記(170)

ワンコを飼い始めた人が最初に困惑することのひとつにリードさばきがあるように思う。リードはワンコの安全確保と共に行き交う人達の安全のために是非とも必要なものだが大げさにいうならこの散歩におけるリードさばき如何で飼い主とワンコとの絆は短時間で強くなるし、逆にやり方がまずければなかなか制御できないワンコに育ってしまうように思える。

 

ワンコと一緒に生活を始めるとするなら毎日の散歩は欠かせない。その散歩には必ずリードが必要だが、このリードの扱い如何によってワンコとの絆がより強くなったり逆に言うことを利かなくなるワンコになってしまう可能性もある。
我々は「散歩」といえばお気楽に...思うがままに近隣を歩くといったイメージがある。したがって雨なら...あるいは気が向かないならいつ休んでも一向に不自由は感じない。しかしワンコにとっての散歩はそんなどうでもよい行為ではないようだ。
なにしろ獣医の野村潤一郎氏はその著書「犬に関する100問100答」で「通常、犬は食事よりも散歩の方が好きだ」と明言しているほどだ。だから病気でまともに歩けなくても散歩に行きたいというのがワンコという生き物だという。

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※膝の痛いオトーサンの歩調に合わせて歩くラテ


散歩は外の空気にあたってすがすがしいといった程度の行為ではなく、ワンコにとっては飼い主との共同作業であり、ワンコが生きていく上での集大成だということらしい。
それは生活の一部であり、仕事みたいなもので結果本能を満たす大切な行為でもある。
事実愛犬との絆を深め、飼い主の意思をワンコに伝えるためにはまず一緒に散歩に出かけることが一番だという。
オトーサンもラテが我が家に来てしばらくの間は朝昼晩と1日に3回の散歩を欠かさなかった。なぜなら一緒に歩く時、ラテがどのような行動をするのかを知ると同時に特に幼犬時代に何をやってはダメで、どうしたら褒められるかを教えるのに散歩はなによりも好都合だからである。

さて、その散歩に必要なアイテムといえばまずは首輪とリードである。
この首輪とリードはワンコのサイズに合ったものを手に入れる必要があるが、まず首輪は革製のものが一般的だろう。引っ張ると首が絞まるといったものもあるが、きつからず緩からずに調節しなければならない。またオトーサンの経験からファッション性を求めるよりはまずは丈夫なものを選ぶべきだ。
なぜならラテ最初の首輪はスーパーのペットコーナーで見つけたブルーとシルバーのバンドに型抜きした星のアクセントがなかなか美しいという代物だったが、1週間もしないうちに散歩中に切れてしまいオトーサンは心臓が凍る思いをした...。

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※オカーサンにおねだりの姿勢。真剣である...


まだ我が家に慣れていないから行方不明になったとしても我が家に戻ってくるはずもないだろうし、そのまま道路にでも飛び出せば確実に車にはねられるに違いない。
とにかくこのとき、オトーサンは口笛を吹き、リードを高くあげて人目もはばからず「来い!来い!」と大声をかけた。幸いなことにラテは大人しく戻ってきたから良かったものの首輪とリードは文字通り命綱である。
したがって繰り返すが最初はファッション性よりとにかく丈夫で確かなものを手に入れることをお勧めする。そしてリードも同様な注意を必要とするが個人的には革製というよりナイロン製などの方が濡れた場合に乾きやすく軽いからお勧めである。
リードは首輪に付ける金属製のフックがしっかりしているもの、愛犬のサイズに合わせてこれまた丈夫なものが良い。また手に絡める場合にあまり細いやつだと手が痛くなるかも知れないのである程度の幅があった方が持ちやすい。そしてほとんどの製品がそうだとは思うが手元側が輪になっていること、そしてできるなら中間部位にも輪になっている部分がある製品もあるのでそうしたものなら短く保持する場合にも確かなホールドが可能になる。

こうして首輪とリードが揃ったら後、ウンチを拾う準備とペットボトルに水を入れて携帯し早速散歩に出てみよう。
まずはおかしな程、ワンコは貴方の思い通りには歩かないはずだ(笑)。そして前へ前へと先導して飼い主を引っ張り、歩道の脇に頭を突っ込んだりバッチイ箇所を選んで踏み込んだりするに違いない。さらに幼犬時代は特に拾い食いに注意しなければならない。なんでも口に入れるから、タバコの吸い殻、ビニール袋や呑み込めるサイズのプラスチックの欠片などなどを飼い主が先に見つけてワンコが口に入れるのを回避する必要がある。
こうしたとき重要なのがリードの捌き方である。

とにかく散歩の際に重要なのは歩く場合に飼い主がリーダーであることを覚えさせなければならない。ワンコの引くままに歩くのは散歩ではないと肝に銘じておく必要がある。
そして飼い主の向かう方向に逆らったり、危ない場所にリードを引いたり、食べてはいけないものを口にしようとした場合は「ダメ!」と声を出しながらリードを引くわけだがこのとき「ぎゅー」と引っ張るのではなく「パシッ!」「チョン!」といった感じでワンコの首に強い弱いはともかく衝撃を与えるように引くことだ...。もしその瞬間リードがいっぱいに張られていたら一度緩めてから「バシッ!」と引っ張ることが大切。
引っ張りごっこは否定効果が半減するだけでなく幼犬の場合はまだしも成犬になっていく過程で力も強くなり飼い主側の体力に大きな負担がかかる。
それからできるだけ「ダメ!」の前にワンコの名を呼ぶようにしよう...。「ラテ、ダメ!」といった具合に。これは禁止の合図がワンコ自身に送られていることをより明確に知らせるためだ。

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※オカーサンからのオヤツを上手に食べるラテ


リードの先端は手首に巻き簡単に抜けないようにする。そしてリードはピーンと張らず、逆にあまり弛ませずといった注意が必要だが、例えば人差し指と中指に織り込むようにからめておく部分を作っておくと急に緩めなければならない時にも対処が出来る。
飼い主と歩くときワンコは飼い主の左あるいは右につけ、飼い主の歩調で歩くのが原則である。
ワンコが先に出過ぎたら前記の要領でリードを軽く「バシッ!」と引き逆に遅れるようならこれまた「チョン!」と引く。また強くリードを引いた場合は「バシッ!」の後でしばらく立ち止まることをやってみよう。
ともかく飼い主と同調して歩かなければワンコ自身が歩きづらい事を覚えさせるわけだ。ただし常に飼い主の横にピッタリとついていないとダメというのではなく、緩めたリードを引かなければ多少前に出ようが遅れようがあまり神経質になる必要はないと思う。
ワンコの飼育本の中にはワンコを先に歩かせると主導権すなわちリーダーは自分だと思ってしまうから避けること...といった解説が載っているものがあるが、それならソリを引くワンコたちは皆飼い主より偉いと思ってしまうのだろうか(笑)。
また「バシッ!」とリードを引くとき、ワンコに対して声をかけずに視線も合わせず、あたかも「飼い主がやったことではないように無視し「天罰」と思わせよう...」といったアホらしい解説もあるが、くどいようだがワンコは利口な動物であり、首輪にリードが付いてそれを引いているのはいま一緒に歩いている飼い主だと知っているのだからこれまたおかしな話である。

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※「おっ、ラテ久しぶり!」とボーちゃんの強烈なアタックにラテもたじろぐ(笑)


ラテなど散歩に出かけるときオトーサンがリードを持ってリビングに入ると、早くリードを付けてくれと首を下げてオトーサンの足元に寄ってくる。そんなワンコに「リードを引いたのはオトーサンではありません」と偽装する必要がどこにあるのだろうか(笑)。そしてリードを「バシッ!」と引くといったある種の罰を与えると飼い主を怖がったり嫌いになったりするから...という解説も見受けられるが、叱ったくらいで飼い主不審になるほどワンコはバカではない。
人の子供だって母親に叱られ、怒られて真人間になっていくものだしその過程で母親を恨むという子供はいないはずだ。
ただしワンコは人間側の理窟は知る由もないし良い悪いの倫理感を持っているわけでもない。だから飼い主の喜ぶことと嫌うことを教えるというのが基本中の基本だと思うのだ。

そして一番大切なこと、それは根気よく続けることだ。数回十数回ではなく数百回...数千回諦めず続けるつもりで対峙すること。
ある日「あれ、こんなに良い子になっていたっけ?」と気がつくに違いない。
無論ラテもまだまだ教えなければならないことが多い。オトーサンの格闘は続く...。

「偉大な生涯の物語」「パッション」に見る人間の愚かしさと残酷さ

まったく私的なことではあるが、これまで見損なったあるいは意図的に見なかった多くの映画を時間のある限り見てみようと思い立った...。というわけで先日も土日を利用しジョージ・スティーヴンス監督・制作「偉大な生涯の物語」とメル・ギブソン監督「パッション」の二作品を観た。共にイエス・キリストの生き様を描いた作品である。

 
私はキリスト教徒ではないがその教義より人の子としてのイエスに興味がある。いや、もしタイムマシンがあったならまずは是非イエス・キリストに会ってみたいと思うほどなのだ(笑)。
イエス・キリストとして聖書に記録された歴史上の人物がいかにして神の子として崇められるに至ったか、そして世界中の人々にいまでも多くの影響を与えるに至ったのかについては諸説あるものの、多分に人を引きつける大いなる魅力を持った人物であったことは確かだろうと思う。そして生身の人間として筆舌に尽くせぬ苦痛をともなう十字架刑をなぜに受けなければならなかったのか、私たちには大変分かりづらい。
それこそ余談だが、私に執筆の力があればあのTBSドラマ「JIN - 仁」ではないが、イエスの時代にタイムスリップした現代人がイエスと絡むという小説を書いてみたいと思うほどだ...。
タイムスリップした際に持っていたiPhoneをイエスに見せたとき、彼はもしかしたら「言っておく、私はそれを知っている...」というかも知れない。

さて私にとって「偉大な生涯の物語」や「パッション」を見る意義というか興味のポイントはいくつかあるが、その最たることは時代的考証といったことに集約される。なぜなら私たち日本人は特に意識的に学ぶことはなくとも例えば江戸時代の風俗や人の生活などは知ったつもりになれている。それらの知識はテレビの時代劇などによる不確かなものであってもイメージとしては大方知り得ているように思う。
しかし例えばイエスの生きた時代のナザレがどんな所だったのか、彼らは何を食べ何を身にまといどんな生活をしていたのか、どんな時代だったのかについてはきちんと学んだ人でなければイメージがわかないだろう。
人は時代背景を抜きにして語れないわけで、映画としての演出や間違いがあったとしても一応は時代考証を踏まえたであろう作品を観ることで多少でも真実に近づけたら嬉しいと考えているわけだ。

とはいえ公開当時大いに話題になった「パッション」にしても史実そのままであったかはこれまた分からない。しかしこの作品を見るとそれまでのイエス・キリストの受難を描いたものが子供だましのように思える。なぜなら「パッション」で描かれるイエスは文字通り血の海の中で息絶えるからだ。
それに比べたら「偉大な生涯の物語」で描かれるゴルゴダの丘における磔のシーンはまさしく絵画的であり、不謹慎を承知でいえば美しいとさえ思える描写である。

何しろイエスの生涯において...というかキリスト教において最も重大な出来事は彼が十字架刑となるシーンである。逆説的だが受難があったればこその復活であり、イエスの生涯における最大のクライマックスであろう。
とはいえ映画は本来娯楽産業でもあり、多くの人達の目に触れることを使命として作られるわけだから、人が傷つけられるシーンをリアルに描けばそれで良いというわけではないことは確かだ。ただし特にそうした時代背景に疎い私たちにはイエスが受けた磔という刑罰がいかに非人道的であり、無残この上もないものであったかを知り得ないでいる。
そうした点に警鐘を鳴らす目的でもあったのだろう「パッション」ではその受難の苦しみ、刑罰がいかに惨いものであるかを「これでもか」といった感じで見せつける...。
以降の記述は正確をきすためとはいえ少々惨いというか人によっては気持ちを悪くする可能性もあるので心していただけば幸いである...。

ではイエスが受けた十字架刑とはいかなる刑だったのか...。聖書には「鞭打たれ」「茨の冠を被せられ」「十字架にかけられた」と簡素に書かれているため現代の私たちには想像もつかない。
まず罪人は十字架にかける前に鞭で何度も打ちのめされる。鞭といっても単なる革紐みたいなものでなく先にギサギサがついた2,3連の金属球が付いているものが使われ、これで打たれると皮膚はやぶれ肉までえぐれるはずだ...。

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※辱めを受けるイエス。以下を含めてギュスターヴ・ドレの作品


本来この鞭打ちの刑で絶命しないようにとユダヤ人が刑を執行する場合は最大40発と決められていたようだが、イエスはローマ兵から120発程度なぐられたと思われる。そしてすでに立っていられないほど衰弱した体に十字架を背負わされ刑場まで1キロほど歩かされるわけだが、絵画や映画のように文字通りの十字架の形に組んだものでなく実際には横木だけだったようだ。それはすでに刑場に縦木は準備されていたからであるが、横木だけでも20キロ以上の重さがあったらしくまともに歩けないイエスは何度も膝を折り倒れている。

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※ゴルゴダの丘まで十字架を背負わされるイエス


刑場に着くと担いできた横木に両手を広げられ両手首を釘で打ちつけられる。
絵画などではほとんど掌に釘を打ち込む表現がなされるが、それでは体を支えることができず、実際には手首が使われたという。そしてそのまま執行人たちが罪人を横木に打ちつけたまま吊り上げて縦木にはめ込み、十字架の形にするわけだ。無論罪人は体重がすべて両手の釘部位にかかり激しい苦痛を受ける。

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※十字架に打ちつけられるイエス。左下には賭け事に興じるローマ兵の姿が...


続いて両足を縦木に打ちつけるわけだが、釘の節約のため両足を重ねて一度に打ちつけることもあったという。そしてこのまま死ぬまで放置されるのが十字架刑なのだ。
なにしろ全体重は広げた両腕にかかり、体重で体が沈むと呼吸ができなくなる。だから...痛みと闘いながら懸垂のように体を持ち上げて息をするものの、再び傷の痛みに耐えかねて体はまた落ちてしまう。
この想像を絶する苦痛の繰り返しの後で窒息死するのが十字架刑なのだ。無論罪人は素っ裸であり、絵画や映画で腰巻きをしている姿はフィクションである。

イエスが十字架に磔となったのは午前9時(マルコによる福音書)でこの悲惨きわまりない苦しみの中で午後3時頃に息を引き取ったというから6時間も刑が続いたことになる。ただし長時間生き続けている場合は執行人側の都合で罪人の脚を折るという慣習があった。脚を折ると体重を支えられずに窒息死が早まることになるからだ。

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※他の2人の罪人と共に十字架に磔となったイエス


聖書によればイエスと一緒に十字架刑に処せられた2人の罪人は脚を折られたがイエスはそのときすでに息絶えていたため脚は折られず、死亡確認の意味を含めて兵士が槍で右脇腹を突いたとされる。
また刑を執行された罪人の死体は遺族などが引取を依頼しなければゴミ捨て場で焼かれるか放置され野犬などの餌食となったらしい。無論イエスの遺体はアリマタヤ出身で身分の高い議員だったヨセフが引取を申し出たので下げ渡され丁重に埋葬された。

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※ヨセフの申し出により十字架から下ろされるイエスの遺体


こうしてあらためて十字架刑というものを認識すると、それはできるだけ長い苦しみを与えながら窒息死させるという惨い処刑方法だったということがわかる。
結局ローマ兵たちに徹底的に侮辱を受け、唾を吐かれ鞭打ちで痛めつけられ、なぶり者にされたイエスは文字通り血まみれのはずであり、顔面は腫れ歯の一部や鼻柱は折れていたに違いない。したがってそうした意味においてはメル・ギブソン監督の「パッション」で描かれたイエスの姿は史実に近いのかも知れないが映画とはいえなかなか正視できない...。

ところで昼の12時頃になると全地は暗くなり太陽は光を失っていた(ルカの福音書)。それがイエスが「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ...」と叫び十字架上で息を引き取る午後3時まで続く。そして直後、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに避けたという。それを見ていた百人隊長は「本当にこの人は神の子だった」と言ったという(マルコによる福音書)。
映画「偉大な生涯の物語」では一天にわかにかき曇り、雷鳴が轟き、雨が降り注ぐ...。また「パッション」では突風が吹き荒れ、地震で大地が揺れ神殿は真っ二つに崩れる...。
私見ながらこれらの天変地異は史実ではないかも知れないが、イエスが受けた苦しみを思えばせめて天変地異でもなければやりきれないし不条理極まりないと考えた聖書制作者達の心情を表現したものだといえようか。このときイエスは33歳だったという。

そういえば「偉大な生涯の物語」にはイエス役のマックス・フォン・シドーの他にヨハネ役のチャールトン・ヘストン、力尽きたイエスの変わりに十字架を担ぐ役のシドニー・ポワチエ、百人隊長役のジョン・ウェイン、そしてユダ役のデヴィッド・マッカラムなど錚々たるスター達が顔を連ねているのも見物であろう。ただしこれらの作品は一般的な娯楽作品ではなく、聖書に興味のない者にとっては些か退屈な作品かも知れない...。また「パッション」はイエスの受難にフォーカスを当てているだけ主題ははっきりしているものの、これまたとてもとても饅頭などを頬張りながら観る作品ではなく...何とも心が重くなる。
しかし「偉大な生涯の物語」と「パッション」を観てあらためて思ったことは人間とはかくも残酷な行為を笑いながら行うことのできる愚かな生き物だということ...。無論現代に十字架刑は無くなったが天災を始めとして、あるいはいまだに人間の浅はかな行為や争いが発端で苦しんでいる人達が世界中に多々存在する。
イエスの時代から2000年も経ったこの世界であるが、果たして私たちの精神構造は過去に学び、かつ進歩しているのであろうか...。

【主な参考資料】
・THE BIBLE (日本聖書教会刊)
イエスのDNA―トリノの聖骸布、大聖年の新事実(成甲書房刊)
聖骸布の男 あなたはイエス・キリスト、ですか?(講談社刊)

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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員