ラテ飼育格闘日記(182)

先週の土曜日、遅ればせながらラテを狂犬病予防注射の接種ならびに毎年この時期に行っている健康診断のため動物病院へ連れて行った。その前日に予約を入れたが動物病院も混んでいてなかなか思うような時間帯に予約が取れない。幸いその日は何とか午前11時に予約が取れたが問題はラテが素直に病院へ向かわないことなのだ...。

 

過日ラテを美容室に連れて行ったときの事をご紹介したが当然のことながら病院も嫌いである(笑)。特に病院への道のりは普段向かわない方向であり誤魔化しが効かない。
何しろいつもの散歩とは逆方向だからしばらく進むとラテにはすでに感づかれているようだ。しかしワンコのエピソード記憶がこれほどまでに優れているとは本当に感心してしまう。
動物病院に行くなど希なことだし事実前回病院に行ったのは昨年の11月だからすでに半年も過ぎている。それなのに自分がいまどこに向かっているのであろうということが10数メートル家を離れたときから気づくのだから大したものではないか...。

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※さて、出かけるとしますか...。ちょっと緊張気味か


可笑しいほど足取りが重く見るからに不安そうな様子で落ち着かない。
見かねて女房がオヤツを取り出して鼻先に出してみせるが、普段なら飛びつくのに食べようとしないのだ。いかに緊張しているかが伝わってくる。
女房と「これはすでに感づいてるね」と苦笑いしながらリードを引いていたところ急に座り込んで脱糞してしまったのである。朝の散歩でもウンチはしたから3時間程度しか時間が経っていないのにである。
これは先に美容室に連れて行ったときと同様、緊張のあまりウンチをしてしまったわけだが笑ってはラテに悪いとは思いつつ後始末をしている女房を見ながらオトーサンは笑いを噛みしめていた...。

今回動物病院へ向かった理由のひとつは狂犬病予防注射の接種のためである。いろいろと事情も重なり昨年と比べると小1ヶ月遅れてしまったが、この接種は近年不要論も出てきて論議もあるようだがともかく法令で決められていることでもありやっておかねばならない。また同時に約半年の間、ひと月1回飲むフィラリア予防の薬をもらうこと、そして年1回やらなければと続けてきた健康診断のためである。
特に気にしているのが体重の増加による内臓への負担である。毎日の食事にはカロリー的な注意を払ってはいるものの体重は減らず、もしかしたらボーダーラインと考えている20kgを超えているのではないか、そうした要因で血糖値や肝臓をはじめとする部位への疾患が出ていないかを心配していたからである。

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※一休みが多いぞ、ラテ(笑)


嫌々歩くラテをなだめながら動物病院のドアを開けて待合室にて待機する。ラテは腹ばいしながら入ってきたドアの方向へと移動し外に出たいとリードを引く。
幸い予約をしていたのでほとんど待たずに診察室へ案内されたが、これからがまた大変なのだ。
診察台にラテを抱き上げるが怖いからなのだろう前足をオトーサンの肩に預けるようにして抱きつき「嫌だ」としきりに診察台から降りようともがく。その力は半端でなく強いからそれを制止しなければならないオトーサンは診察室に軽い冷房が入っているにもかかわらずすでに大汗をかいている。

まずは体重を量るが19.84kgと20kgオーバーに至らなかったものの昨年の同時期より680gほど増えている。
続けて体温計を肛門にさして体温を計るが39.1度とワンコとしては平熱で問題ないとのことなので続いて採血を行うことに...。
これは後ろ足の腱から採血し、数十分待っているとその結果が出るわけだが、採血時もラテはオトーサンの肩に抱きついたままなのだからオトーサンはたまったものではない。しかし一段落するまでは頑張らねばとラテを抱き続けるが、この娘のボディはまことに熱くてオトーサンは眼鏡に汗を滴らせるほどに...。
それに採血の結果がどうにも気になって落ち着かない。それは女房も同じなようで気がつくと口数が少なくなっている(笑)。
昨年はCPKという検査項目の値が177になり、もしそれ以上の増加となれば心筋梗塞や骨格筋壊死に至る可能性もあるからと気になっていたし何よりも体重増加により様々な弊害が出ているのではないかという不安がつきまとい、時間が経つ毎に心配がつのってくる。

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※スタンダードプードルのムギちゃんのオカーサンにオヤツをねだるラテ


しばらくラテをあやしていると医師が入ってくる...。「問題ありませんね」という第一声にオトーサンたちは声こそ上げなかったものの心からホッとする。
幸い問題のCPKの値は今回は 84まで落ちている。そして血糖値も尿素窒素、総蛋白、ALPなどほとんどの検査項目の値が昨年より少ないのだ。
医師は「これだけの体重にしては幸い問題がまったくなく、まだ若いこともあるのでしょうがもともと肝機能が丈夫なのかも知れませんね」という。そして「これ以上体重増加にならないように注意しましょう」と言われて健康診断は終了した。
また念のため聴診器で心臓の音なども検査してくれたがこちらもまったく問題なく健康だとのこと。そして健康面で問題がないからと続いて狂犬病の予防注射をお尻に打って診察はやっと終わった...。

女房が会計を待っている間オトーサンはラテを病院の外に連れ出す。
ラテはやっと尻尾があがり笑顔が戻っている。オトーサンはペットボトルをバッグから取り出して水を飲ませてやる...。
家に向かいながら女房はラテに「健康なデブでよかったね!」と笑う。まあ幸いそうした冗談を言える結果だったからよかったものの本心は随分と心配していたわけなのだ。
医師の「この体格だと理想体重は15kgくらいでしょうか」という声が耳に残る。現実問題として5kg近く体重を落とすのは難しいと思うのでこれ以上増えないことを目標にしたいとオトーサンは強く誓ったのである。が、その日の夕食で早くも我々のおこぼれを美味しそうに食べるラテを見ているとその誓いも簡単に揺らぎそうだ(嗚呼)。だから少しでも問題意識を高めて持続をさせようとこの4年間の健康診断結果票をデジタル化し、iPadに登録していつでも確認できるようにしてみた。

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※4年間の検診票をiPadにデジタル化してみた


さて、効果はあるのだろうか...。

念願の「レオナルドの手稿、素描・素画に関する基礎的研究」入手

レオナルド・ダ・ヴィンチのアマチュア研究家の端くれとして目を通すべき資料や書籍は多々あるが必要不可欠ともいえる重要な資料...それも日本語で読める資料としての第一はやはり裾分一弘著「レオナルドの手稿、素描・素画に関する基礎的研究」であろう。しかしこれまでなかなか入手できなかった...。

 
本書は我が国は勿論、世界的にもレオナルド・ダ・ヴィンチ研究の第一人者として知られている裾分一弘氏の著作であり2004年11月15日に中央公論美術出版から出版されたものだ。
そのハードカバーのサイズは27.3×19.5×7.3cmと書籍としてかなり大振りなものだが、研究篇および500点あまりの図版などを収めた資料篇の二冊からなる大著である。ちなみにハードカバーごと重さを量ってみたら2.6kgほどあった。

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※裾分一弘著「レオナルドの手稿、素描・素画に関する基礎的研究」とサイズの比較のために文庫本を置いてみた


内容はレオナルドが書き遺した厖大な手帖や画帖などの絵画作品以外の文化財を徹底的に点検し、その内容、年代、資料としての価値、収蔵機関など、あらゆる情報を提供するレオナルドの人と芸術の全貌を研究する上で必須の著といわれているものだ。

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※本書は研究篇と資料篇の二冊からなる


私はレオナルドの手稿のうち「マドリッド手稿」「鳥の飛翔に関する手稿」という2つのファクシミリ版を所有しているが、それらを活用するにもこの「レオナルドの手稿、素描・素画に関する基礎的研究」は是非手元に置きたいと考えていた。しかしすでに絶版になってはいることはともかく、価格がなかなかに高価なので容易に手が出せなかったのである。
今般私が入手した本書は古書ながら中身は新品と変わりなく大変綺麗である。まあ閲覧に支障がなければ多少の汚れは仕方がないと思っていたが、ハードカバーの一部が少々汚れている程度で状態は良好である。

さて内容だが申し上げるまでもなくこれだけの大著の内容を把握するにはかなりの時間を必要とするからあくまでも第一印象ということでご紹介しよう。

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※資料篇を開いたところ


前記したように本書は研究篇と資料篇の二冊から構成されている。無論二冊のうちどちらが主だとするなら研究篇に違いないが、本書の意図・意義という点に付き著者自身が研究篇の冒頭「序 レオナルド研究の現状および本書の意図」に詳しく書かれている。
あえてそのエッセンスを記すなら本書はレオナルドの美術作品以外の遺産である手稿、素描・素画に関する基礎的研究書であり、レオナルド研究史の現時点に立ち、対象を統一的に整理し、広範・正確な情報・資料を提供し、レオナルド研究に寄与することを目的としている。
また最近のレオナルドに関する出版物の多くは、欧米においても単なる論評、読み物でしかないとし、作品の単なる印象批判による美術史でなく、片や美術作品を凝視し、片や制作者の身辺あるいは周辺・前後に遣るリテラルな資料・記録を視野に加えることにより美術史は美術史学として学問たる資格を得ることになると...。そして視線の交差する位置に、作品とその制作者は存在するからである...としている。

あえて研究篇の章立てを紹介するなら以下のようになってる。
・序
・第一章  座右の画帖・手帖
・第二章  散逸
・第三章  確認(1)
・第四章  確認(2)
・第五章  筆跡・描線
・第六章  内容
・結    学としてのレオナルド研究

こうして章立てを見ると簡素に見えるかも知れないが例えば第六章の内容は一節「アトランティコ手稿」、二節「ウィンザー紙葉、解剖手帖」、三節「マドリッド手稿」そして四節「ウルビノ手稿」まであり、さらにそれぞれの節は三つから四つの項目に分かれているというようにボリュームのある内容なのだ。
一方、資料篇は研究篇本文に関わってくる図版、写真、資料をまとめたものである。
したがって本書は私などが簡単に読破できる内容ではないものの、個人的にささやかな宝物だと思っている前記3種の手稿をどのようなアプローチで見ていくべきなのかを含め、レオナルドが残した絵画や素描などは勿論、その意味するところや価値、時代背景までを教えてくれるものだと考えている。
レオナルド・ダ・ヴィンチの人となりの一端でも知り得たいと考えている私にとってライフワークに欠かせない宝物がまたひとつ増えたといえる。

レオナルドの手稿、素描・素画に関する基礎的研究

何度見ても感動する物語〜DVD「赤毛のアン 特別版」

世の中にはそれこそ数多くの小説や映画作品が存在するが2度と見る気のしない作品というのも実に多い。しかしだからこそいつ読んでも...観ても、何度読んでも...観ても感動するという作品に巡り会うと宝物を得たような気持ちになる...。私にとって後者の好例がルーシー・モード・モンゴメリ作の「Anne of Green Gables」邦訳「赤毛のアン」である。

 
いい歳をしたオヤジが「赤毛のアン」の物語を好むと聞いても笑わないでいただきたい...。そもそも「赤毛のアン」は決して子供向けとして書かれた物語ではない。
確かに私が最初にこの大変魅力的な物語を読んだのは中学生の頃だったと思うが主人公のアン・シャーリーほどではないにしろ、空想・想像好きの多感な少年にとってアンの思考回路が理解できたのだから面白くないはずはなかった。
少年の頃、夜になっても布団をかぶりながら読んだ「赤毛のアン」はアンの身に自分を重ねるという興味だった。無論私は孤児ではないが年頃の少年には、いや...多少世間というものがわかりかけてきた少年にとっては嫌なことや相応の辛いこともあり、アンの不幸と後の幸せをまるで自分のことのように感じて涙し笑ったものだ。

いま、久しぶりに新訳の「赤毛のアン」(松本侑子訳)を読むと同時にこれまた手元に置いておきたい映像と考え、以前観たことのある「赤毛のアン 特別版」DVDをあらためて入手してみた。
この作品はすでに多くの方がご覧になっていると思うが、1985年にカナダで制作され公開は1994年6月だという。監督はケヴィン・サリヴァン。

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※DVD「赤毛のアン 特別版」パッケージ


そこには...DVDのパッケージコピーではないけれど「あの日に帰れる。そこでアンが待っているから。」という感覚に浸ることができ、昔住んでいた故郷をのぞき込むような何とも暖かくも懐かしい、そして美しい自然とグリーン・ゲイブルズの存在を楽しむことが出来る。
私はこの歳になってもいまだにアンの気持ちは十分に分かるものの、さすがにアンよりはマシュー・カスバートやマリラ・カスバートに感情移入してしまうことに気づき、自分も歳を重ねたことをあらためて認識せざるを得ない(笑)。
マシュー・カスバートは確か60歳くらいだったと思うがそのマシューと同年代になった私にはアンを慈しみたいと願う彼の心根がひしひしと伝わってくる。

原作ではグリーン・ゲイブルズに引き取られることになったアンは11歳だったが映像の中のアンは13歳と言っている。映像の中のアンは原作のイメージより少々大人っぽくあまり痩せてもいないもののさすがアン役のミーガン・フォローズは3000人のオーディションの中から選ばれただけあって、私にはアン本人として楽しむことが出来る。ちなみにミーガン・フォローズは当時16歳だったという。
欲を言えばアンを含め、ダイアナもギルバートも原作のイメージはもっと子供っぽいのだが...。
ただしマシューとマリラは原作から飛び出てきたようでイメージにぴったりなのは嬉しい。

物語は手違いからプリンス・エドワード島のグリーン・ゲイブルズ(緑の切り妻屋根)に住むマシューとマリラのもとにやってきた孤児のアン・シャーリー。男の子を希望していたマシューとマリラだが空想好きのお喋りな赤毛の少女に次第に心惹かれていく...。
アンが空想好きなのは単なる趣味趣向ではなく孤児として辛酸を舐めた毎日を送ってきた彼女にとって唯一の慰めであったのだ。
すでに原作を多々読んできた私は大筋はよく知っているが「赤毛のアン 特別版」DVDによる映像化は原作とは別の味わいがあり、美しいシーンに出会う度に涙腺が緩んでしまう。
特にDVD作品は原作では断片的に知らされるだけだった孤児院時代のアン...。アンを受け入れた家庭で酷使され疎まれていた不幸なアンの姿を描いているのは興味深い。だからこそアンがグリーン・ゲイブルズに住めると信じたときの感激や手違いで本当は男の子が欲しかったのだと知らされた時の落胆の大きさをより感じることができる。

ブライトリヴァー駅で迎えを待つアン。
行き違いで来たとも知らずマシューの馬車に乗りマシューの腕にそっと腕を回すアン。
小言を言われながらもマリラと歩きながらその手を握るアン...。

美しいプリンス・エドワード島の自然と共にアンが健気に生きようとする姿やカスバート家の日常を見ていると現代の私たちは何か大切なものをどこかに置き忘れてきたのではないかと考え込んでしまう...。
この「赤毛のアン」を読んだマーク・トウェインはモンゴメリに「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最も利発な子」と絶賛の手紙を送ったというがアンの存在は小説ながらリアリティがあるため何度読んでもあるいは観ても飽きることがない。
日常の雑多なあれこれに疲れたとき、アンの台詞「思い悩む心は、深い忘却のとばりに包み隠そう(へマンズの詩)」ではないけれど...悩みはとりあえず包み隠し、グリーン・ゲイブルズのアンに会ってみるのも一興である...。

ラテ飼育格闘日記(181)

ここのところオトーサンはラテを叱ってばかりいるように思える。その第一原因はラテが相変わらず前足の肉球を自分の歯で傷つけてしまうことが続いているからだ。とはいえこればかりは四六時中見張っているわけにはいかないが、目に付いたときには「ダメ!」と制止するようにしているものの何だかラテの眼差しが冷たく感じてちょっと寂しい。

 

ワンコのしつけ本などには必ずといってよいほど「家庭内でその飼育に対する考え方を統一しなければならない」と書いてある。
例えばワンコが人間用の食卓に前足をかけるようなことがあったとき、オトーサンは「ダメ」としかって足を軽く払うといった躾をしているのにオカーサンは「おーよしよし」とそれを許してはいけないわけだ。
無論それはワンコにとってはやってよい事と悪いことを徹底して自覚させるためには家族全員が一丸になって取り組まなければならない。でなければワンコは何が良くて悪いのかが分からないことになりなかなか躾ができないことにもなる。

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※典型的なラテの不満顔(笑)


そうした理屈は分かってはいるものの我が家ではなかなか統一できていない事が多々ある(笑)。
そもそもがラテにとっても男性と女性の認識への違いを含めてそれらに対する処し方が違っているのだから厄介である。
我が家ではウィークディにおけるラテに対する責任者はオトーサンである。
朝晩の食事の支度から水の取り替えや補給、朝夕2度の散歩や室内での遊びなどなど...そのすべてはオトーサンとラテとの一対一の関係である。
それは自営だからしてできることではあるが、オトーサンとしては飼い始めたときから自身がトレーナーでもあることを自覚し厳しい対応をやってきたと思っている。無論好んで求めたラテを虐待するといったことなど考えたこともないが1度はビンタを食らわしたこともあるし幼犬時代はリーダーはオトーサンだということを徹底させるためマズルコントロールを随分と続けたものだ。

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※友達ワンコのハリーと一緒。いい顔してます


勿論普段はラテとできるだけ触れ合い、言葉をかけて遊ぶように心がけているがオトーサンの機嫌が良いことを知るとラテは少しずつ本領を発揮し我が儘をいうようになる(笑)。必然的にオトーサンはそれらを制御する役目となりいわば憎まれ役とならざるを得ない。
危ないエリアに入りたがったり、とんでもない道へ進もうとしたり、ばっちい物を咥えようとした時には当然のことながら「ダメ!」と強く言葉を発してリードを引くことになる。そうした連続が功を奏してか普段のラテはまずまずよい子に育った。
散歩のときも通常はリードがいらないのではないか...と思うほどオトーサンの脇にぴったりと付き歩く。しかしひとたび興が乗ったりすればつい我が儘が出るのも仕方がないのだろう...。
だからたまにはこれまで通ったことのない道を進んでみたり、ラテの引く方向に行ってみたりすることもある。
とはいえ1時間とか1時間半にもなる散歩の途中でオトーサンが「ダメ!」と叱ったり、家の中で肉球を前歯でガシガシしている姿などを見るとそれを制するわけだからラテとしてはオトーサンを怖い...煙たい存在と見ているのかも知れない。事実五月蠅いオヤジなのだ(笑)。

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※散歩の途中で立ち止まるラテ


ノーベル賞を受賞した動物行動心理学者のコンラート・ローレンツによればワンコは大別してジャッカル系とオオカミ系がいて前者が自分の飼い主を親として遇するのに対し、後者はリーダーの位置においてみるという違いがあるという。
子供っぽいジャッカル系ワンコは従順さと服従を常とするがオオカミ系ワンコはそうではない。
オオカミ系のワンコの主人に対する忠節はジャッカル系ワンコのそれよりはるかに強く、ワンコは飼い主を父と神の中間の存在に祭り上げてしまうという...。そしてオオカミ系ワンコは鋭敏で排他的で自主的な性格を持っているため訓練することは容易ではないらしい。
というかオオカミ系ワンコは服従するもそれは奴隷的な従順さではなくどこか覚めている部分があるように思える。
無論ラテはオオカミ系ワンコだとオトーサンは思っているのだが...。したがって飼い主に対してあくまでリーダーとして絶対の信頼を寄せるにしてもベタベタしないワンコなのかも知れない。

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※おはよう!元気?ウエスティーのクーンちゃんと


その上、叱ることが多い訳でこれでは「オトーサン大好き」といった態度にはならないと寂しく思うが反面怖いと思わせる...嫌われ者担当もいないとそれこそやりたい放題なワンコになってしまうだろうから最近では少々諦めている。
なにしろオトーサンの存在はラテにとって嬉しい存在ではないようなのだ...嗚呼。
例えばオトーサンがラテに近づくと頻繁にアクビをすることが多い。これは眠いのではなく緊張している証拠なのだがオトーサンはラテを緊張させる存在となってしまったのである。
またラテが近寄って来ないのならオトーサンからとラテに頬ずりしたりチューを迫ったりすると時に「フ~ッ」と大きく深いため息を漏らす...。
まったくもって失礼な娘だがラテがこの深いため息を漏らすとなればどう考えても何かを我慢している、ストレス溜まっているということを表しているとしか思えない。どうやらラテは「オトーサン嫌!」という微妙な年代なのかも知れない(笑)。

しかし先日ラテが大好きな雄のワンコであるマキちゃんと会ったとき面白いシーンを見た。
マキちゃんはオカーサンに連れられて公園に来たわけだが、オカーサンの言うことを聞かないからとオカーサンが「あっ、オトーサンが来た!」と言った途端にマキちゃんは戸惑ったように周りを見渡すのだ(笑)。それはやはりマキちゃんにとってもオトーサンは怖い存在だからだそうで事実たまたまオトーサンに連れられているマキちゃんは別人格のワンコのようなのが可笑しい...。
だから少なからずどこのワンコもそうしたことがあるのだろうとオトーサンは納得せざるを得ないのである。

とはいえ無論オトーサンと接触を図らないわけではない。オトーサンがオヤツを持っているとき彼女は愛想がとてもよい(笑)。
例えばオトーサンがアイスクリームを食べている時にはその口元に飛びついてひと舐めするが、何も口にしていないとき女房の口元へは頻繁に舐めにいくもののオトーサンのところには全く来ない。しびれを切らしてオトーサンからチューを迫るとマズルを近づけながらも、身をねじって紙一重というところでチューを回避するのだから酷い奴だ...。
オトーサンだっていたずらに叱ってばかりいる訳でもなし、ましてや好きこのんで叱っている訳ではない。
「お前のためなんだぞ...」とそのブスッとした顔を指さしてオトーサンは今日も寂しく叫ぶのであった。

絶妙なサイズのiPadは昔の文具「石板」の大きさに酷似

iPadを日々膝の上に置き使っていてつくづく感じること、それはそのタッチインターフェースでもなく液晶の美しさでもない。膝の上に置き、時折片手で持ち上げ置き場所を変える...といった一連の動作にも邪魔にならずかつコンテンツの認識やタップなどをするにも絶妙とも思えるそのサイズの妙に驚かされるのだ。


iPadを手にしてあれこれと新しい体験を続けている。そしてiPadに特化したアプリケーションやコンテンツに魅惑されている毎日だ。しかしよくよく考えてみるにiPadをiPadたらしめているのは機能やタッチインターフェースといったものだけでなくその扱いやすい絶妙なサイズにあるように思う。
個人的にはiPadという名称に正直いまだ「どうだかなあ...」といった感じもするが、発表前の噂のひとに「iSlate」という名称になるのでは...といった時期があった。「スレート」とは申し上げるまでもないと思うが「石板(せきばん)」あるいは「石盤」と訳され文字通り “”石製の板” を意味する。

この「スレート」という言葉を聞いて古参のマックユーザーの中にはMacintosh最初期に登場した「MagicSlate」というアプリケーションを思い出す方もいるかも知れないしビル・アトキンソンが1983年に起案した同名のプロダクトの存在を知っている人もいるかも知れない。
まさしくアトキンソンが考えた「マジックスレート」はシンキングパッドであり電子石盤をイメージしたものであり一部コンセプトが違うもののiPadに驚くほど近いものだったといえよう。
蛇足ではあるが当時なぜこの「マジックスレート」が実現しなかったかといえば必要な技術がまだ存在しなかったからだ。

さて、では「石板」(Slate)という名がこうした名称に使われるのかといえば、それは「石板」が100年ほど前の文具・学用品だったからである。
ところで「石板」という名前を見聞きすると私はすぐ思い浮かぶひとつのシーンがある。
それはL.M.モンゴメリ女史の名作「赤毛のアン」のあのシーンであり、同じ思いをする方も多いのではないだろうか...。

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※新完訳「赤毛のアン」松本侑子訳/集英社文庫


それはアンが通っていたクラスでのこと、アンの気を引きたかったギルバート・ブライスはアンの長く赤いお下げ髪を引っ張り「ニンジン、ニンジン」とからかう...。赤毛であることを大変気にしているアンは涙を浮かべながらギルバートをにらみつけ「卑怯者、意地悪...」と叫びながら石板を彼の頭に打ち下ろすあのシーンである。無論石板は真っ二つに割れてしまうのだが...。

この名シーンは知っていても、では石板とは何か?と深く考えたことのない読者は多いかも知れないが、それは日本でも明治初期の小学校教育で使われていた過去の筆記具なのだ。また一部では昭和初期まで使われていたケースもあるというが...。

石板はスレート(珪酸質粘板岩)製で、これに滑石(かっせき)またはロウ石を棒状にした石筆(せきひつ)というもので字や絵を書いた。消すには布で拭くが、それが面倒な子供たちは服の袖で拭き、母親や教師に叱られることが多かったという。
無論現在のように紙類が豊富に消費できる時代ではなかったから書いては消せる石板は無くてはならない学用品だったわけだ。

それからもう一つ私が「石板」で思い起こすのは旧約聖書の申命記などに登場するモーゼが神から授かったという契約の板だ。これは石に神の言葉が刻まれていたというがまさしく石の板であった。

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※映画「十戒」より。神から授かった契約の板(十戒が刻まれている)を示すモーゼ(チャールトン・ヘストン)


ここで取り上げる石板はスレートを板状にしたものに扱いやすくすることを目的として木製のフレームが付けられていた。この部分を持てば手も汚れないからでもある。
ではこの石板のサイズはどの程度の大きさだったのだろうか...。とはいえサイズの問題だけでなく石板という名はご存じでも実際にその実物をご覧になった方は...特に若い方はこれまたほとんどいないに違いない。

当研究所が所有しているのはイギリスで使われていたものらしいが、詳しい年代は不明なもののやはり1800年代後半から1900年代初頭に使われていたものと思われる。

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※実際にイギリスで使われていた石板。アン・シャーリー嬢もこの種の石板を使っていた(一番最後の写真参照)


作りを見てみると前記した構成とまったく同じ作りであり、スレートを木製のフレームで覆い、スレート片面には文章を曲がることなく大きさを均一に書くガイドとなるグリッドが描かれている。そして興味深いのはそのサイズなのだ...。
それは縦横が26.0cm × 18.3 cmで厚みは0.7cmであり重さは274g。したがって厚みは石板の方が薄いし無論重さもiPadの1/4程度である。

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※iPadと石板のサイズ比較(上)と厚みの比較(下)。ちなみに石板は両面が使える


ちなみにiPadのサイズをあらためて記すと、242.8mm × 189.7mm、厚さは最大箇所で13.4mmと公表されている。したがって細かなことに目をつむるならiPadのサイズはかつて実用品として使われていた石盤とほぼ同一なサイズだったということになる。そしてiPadの液晶まわりのあの黒いフレーム部分は石板の木製フレームそのものだということになる。

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※1985年制作ドラマ「Anne of Green Gables」に登場する石板。木製の枠左に紐などで吊せるようにと穴が空いているがまるでiPadのホームボタンのようだ(笑)


要するにこの程度のサイズはあるときには手に持ち、机上に置くとしても読み書きするには適当なサイズだということなのだろう。
勿論iPadの方は写真や動画をフルスクリーンで見るという使命もあるわけだからそのサイズの縦横比はいい加減ではまずい訳だが...。そしてiPadは一般的な石板のサイズを参考にした証拠はないが、そもそも個人が手にして読み書きすることを考えると自然にこのようなサイズになるのかも知れない。

ともあれ私の年代の祖父母は石板を使っていたに違いない。その時代はそれで特に不便は感じていなかったのだろうが、iPadの存在を考えるとき、我々は実に素晴らしく希有な時代に生きているように思えてならない。


ラテ飼育格闘日記(180)

いつもの夕方の散歩...。これまたいつもの公園に向かう途中で出会った小学生の女の子数人にラテは強力にアタック...(笑)。耳を倒し姿勢も低くして尻尾をお尻ごとブルンブルン振りながら口を開け「ハアハア」と呼吸も荒く近づこうとするのだからワンコ嫌いな子供は「オオカミだ!」と逃げ出す。

 

そんな数人の中で1人の女の子が手を出してくれた。どうやら以前にも1度会ったことがあるらしい。女の子自身が「以前あったよね」と近づいてきてくれたのである。ラテは飛びつかんばかりに喜ぶがオトーサンはリードを強く引いて彼女の服を汚さないようにガードする。
女の子の手をペロペロ舐めたラテは「バイバイ」と手を振って走り去る子供たちの後を追おうとリードを強く引くが、オトーサンの膝は痛くラテと一緒に走るわけにはいかないので「ダメ」と制御...。ラテはいかにも不満そうに歩き出した。

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※初対面のワンコにはまずこの「遊ぼう!」ポーズから始めなければならない...


何しろラテは子供好きだ。好きと言うより自分も彼ら彼女らと同類と思っているフシがある。
あるとき、小学生の男の子数人が公園でサッカーの練習をやった後に騎馬戦をやったりと楽しんでいたが、ラテは近づくだけでなく一緒に仲間として遊びたいらしいのだ(笑)。特にその中にはラテが大好きなマキちゃんちの一番下のお兄ちゃんがいて、ラテに近寄り撫でてくれたりしたからもう大変である。
自分が受け入れられたと思うのか、彼らに近づこうとオトーサンの持つリードを強力に引く。とはいえお兄ちゃんたちが許してくれたとしてもラテがその中に入って一緒に遊べるわけもなくラテを一定の距離をおいた形でホールドするしかない。
「クウ~ン」と文句をいうラテをなだめすかしながらオトーサンも甘酸っぱい気持ちになるがこればかりは仕方がない。

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※広い公園内を疾走するラテ


そんな出来事の記憶がまだ頭の中から抜けきってなかった先日のことである...。
公園に入ってもトモダチワンコは一匹もいないため公園の周りを歩くことにする。2周ほどするといつもの場所当たりで子供の声がするのでラテとゆっくりそちらに移動すると数人の男の子たちがカード遊びなどをしていた。ただ残念なことにそこで遊んでいた子供たちはいつもラテに声をかけてくれる女の子たちではなく、またこれまでラテと遊んだことのない子供たちだった。
しかしそんなことはお構いなしのラテは例の姿勢を低くし、耳を倒し、お尻ごと尻尾を振りながらカードをホルダーに整理している1人の男の子に近づこうとリードを強く引く。オトーサンは仕方なしに「こんにちは」とあらかじめ声をかけてリードを少しゆるめたところ男の子は幸いワンコ嫌いではなかったようで姿勢を正してラテに片手を伸ばしてくれたのだった。無論ラテは喜んでその指先をなめ回したのは言うまでもない(笑)。

オトーサンは力尽くでラテを引っ張り、気を紛らわそうと10数メートル離れている砂場のある場所に向かうことにする。階段を上ると向こうには5人ほどの子供たちが遊んでいたが、嬉しいことにそのうちの4人はラテをいつも可愛がってくれる女の子たちで「ラテちゃ~ん!」と叫びながら駆け寄ってきてくれた。その時のラテの喜びようは大変なもので周りを取り囲む女の子の1人1人の顔をなめ回している。
その子供たちの布陣が面白い...。
1人は砂場に腹ばいとなりラテの正面に陣取ってラテとチューをしている。1人はラテの左から抱きつき首や肩に腕を回し、1人はラテの右側から頬ずりしつつ腹や背中を撫でているし、4人目の女の子は何とラテの背後からラテの腰をその両足に軽く挟んで頭を撫でている。

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※「ちょっと...アタシ...疲れてしまいました」と...(笑)


当のラテはすでに恍惚の表情である(笑)。
オトーサンはそのラテの姿を嬉しく眺めながらも万一ラテが怒り出すような事があっても即リードを引けるようにと注意を怠らなかった。しかし子供たちの中にはワンコを飼っている子もいて扱いには慣れているからまずまず安心して見ていられるのである。
ともかくその様子を眺めながらオトーサンは、よくもまあ...それが親愛を示してくれるからだとはいえ、これだけ全身を触られ、抱きつかれ、尻尾まで持ち上げられても嫌がらないラテを何故か眩しいものでも見るようなそんな気持ちになってくるのだった。
それも、本来は臆病で大人には警戒心が強いラテがよくもこれだけ子供たちを信頼して体を預けているものだと感心すると同時に、これまで女房から冗談で「セクハラおやじ」といわれながらもラテの全身をタッチしまくることをやってきた成果の現れでもあるのだろうと些か自負する気持ちもわいてきたのだった。

頭などはともかく耳、腹そしてお尻や尻尾といった部位を触られることはワンコとしても警戒すると同時に本来は嫌なことに違いないのだ。
ラテだって最初のころ、散歩から戻り体を拭く際にお尻に触れると「ウッ」と唸っていたものだった。それをオトーサンはどこを触っても怒らないようにと日々これたまに「ウッ」と歯を当てられながらも触りまくった結果が実ったというわけなのだ(笑)。

そう、いつもはこうしてしばらくラテに触れて遊んでくれた女の子たちは「じゃあラテちゃんまたね」と去っていくのが普通なのだがその日は違っていた。
1人が「そうだ、ラテちゃん鬼ごっごしようよ」と提案してくれたのだ。
まあ、自分たちが鬼ごっこしているのに混じってラテも駆けっこができるだろうといった配慮なのだろう。オトーサンは喜んでリードをゆるめると、ラテは走り出した女の子たちをあっという間に追い抜きながら砂場を力走する...。
「ラテちゃん、早い!」などと声をかけられると嬉しいのか調子に乗って砂を巻き上げながら女の子の後を追い、先導して走り回り、時折夢中で砂の地面を掘り始めたりする。

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※疲れたらまずは水分補給だ!


たまたま鬼の役になった女の子は5人のうち、ただひとりワンコが苦手だという子供だったのでラテに近づかなかったが、それを良いことに他の4人の女の子たちは鬼に捕まりそうになるとラテにしがみつく。するとラテが怖い鬼役の女の子はそれ以上近づけないので「ずる~い」と文句を言っている。確かにずるい...(笑)。
そうした女の子たちの中にあって、さも自分も彼女らの一員になったように顔を輝かしているラテを眺めていたオトーサンは不覚にも目頭が熱くなってくるのであった。

ラテ飼育格闘日記(179)

今年になってから2度目だがラテを美容室に連れて行くことにした。毛足が長めのラテは2ヶ月ほどたつと目立って首周りとお尻、そして四つ足の肉球周りが延びて見苦しいだけでなく実害も出てくるから費用はかかるけど欠かせない行事なのだ。

 

無論道具があれば毛先を整えることぐらいオトーサンでもできると自負しているが、手元の文具用はさみとワンコ用ながら小さなバリカンではいかんともしがたいのである。
人間の子供と違って虎刈りにしても「学校にいかない!」などと言い出しはしないが、1度オトーサンがやってみてそのできの悪さに自分で苦笑したほどだったからやはりプロにお願いすべきと考えた次第。それに一緒に本格的なシャンプーは勿論爪切り、肛門線絞り、耳掃除、歯磨きなどもやってもらえるのである。これは任せた方が良いとオトーサンは結論づけたわけ...(笑)。

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※美容室へ行く直前のラテ。大夫体毛が伸びました...


本来ならもう少し早く行かせたかったが、何がきっかけか不明なもののラテが前足の肉球の間を囓ったり舐めたりして小さな出血が続いたため遅らせていたのである。ほとんど傷が治る頃になると痒いのだろうか、また「カシガシ」と囓って血を出してしまうことが続いたからだが、さすがに完全に直るのを待っているわけにもいかないのでゴールデンウィークの一日を予約して連れて行くことにした。
車でも持っている方ならそれに乗せてあっという間に連れて行けるだろうがオトーサンは車を持っていないから、徒歩で約30分ほどの美容室まで当然のことながらラテを連れて歩かなければならない。したがって雨の日は論外だからと天気予報を睨みながら事前に予約をするわけだが昨今のペットブームを実感せざるを得なく、何しろ思った日程で予約が取れなくなってきた...。

それはともかくラテを美容室に連れて行くのは体力ならびに費用面でもなかなか大変だが、オトーサンたちにとってはトリミングで綺麗になったラテを見るのは嬉しいことだし病院のように詳細なことではなくても皮膚に問題はないか、耳や目、口内...特に歯に問題はないか等々に関してもチェックしてくれるし体重も量ってくれるので重要なことなのだ。しかしラテにとってはある意味、病院に行くより嫌なことのようである。
それは...想像するに病院は注射など痛い目に遭う可能性があるもののこれまでのところ、病室に入ってもオトーサンたちも一緒にいるし怖ければ抱きつくこともできる(笑)。時間的にも比較的短い。しかし美容室はオトーサンたちは預けて帰ってしまうし順番を待つ間、クレートに入れられるだけでなく周りには知らないワンコたちが常に騒いでいる。
勿論シャンプーやらトリミング、あるいは爪切りなどなど知らない人たち...慣れていない人たちに体中を触られるわけで、それだけで臆病なラテには怖いことなのだと思う。

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※オトーサンに抱かれて「あ〜極楽!」といった表情のラテ


その「嫌だ」「怖い」といったことはオトーサンたちの勝手な想像ではなくラテの行動にしっかりと表れる。
まず散歩の体裁を整えていつものように出かけるわけだが、普段足を踏み入れないルートに入るとラテは美容室へ行くのではないかと疑い始めて足が遅くなるだけでなく、事あるごとに今来た道を戻ろうとリードを引くようになる。
それをだましだまし歩き続けるが、美容室へ向かうとしか考えられない道に入ると何とか歩きながらもラテが硬直しているのがわかるのだ。
何しろオヤツをあげようにも食べないのだからその緊張ぶりは想像できるし、今回これで2度目だが目的に向かう坂道で緊張のあまりなのだろう...脱糞してしまうのだった(笑)。

なにしろ夕方の散歩時に約1時間半ほど歩き回る間にウンチをさせるのが一苦労だというのに、そして朝の散歩でもきちんとウンチをしたはずなのに真っ昼間にこの有様なのだ(笑)。そして美容室が見え始めるとラテの嫌がりようは極致に達してオトーサンに「助けて!」とばかり抱きついてくるのである。
オトーサンは「おーよしよし、イイコだ!」とかなんとか言いながら、ラテを抱っこしたまま美容室のドアを開けるのであった...。

店に入るとカウンター越しに若い女性が受付をしてくれる。
「いつものとおりですね」などとお願いする項目を確認した後オトーサンは「念のためですが、前足の肉球に傷があるようなのでご承知おきください」と知らせておいた。なぜなら、ラテが痛がるのは良いとしてもその瞬間作業をしてくれている人たちを噛んだりしては困るからだ。
きちんと問題点を知らせておけば後は向こうもプロだから上手く対処してくれるに違いない。
事実オネーサンはラテの肉球を軽く開きながら「あっ、ここですね。わかりました」と言ってくれた。

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※どうです...ナイスバディでしょ(笑)。かなり短めにトリミングしてもらいました


この日のラテの態度を見ていたオトーサンはあらためてラテの行動の秘密の一端を知ったような機がしたのである。
それは今さらではあるが、緊張しているとはいえ初対面のオネーサンに吠えたり唸ったりしないのも思えば不思議である。そして地べたには美容室の看板ネコが我々のいることなど無視するように床に伸びているわけだが、ラテはあれだけネコに会うと近づきたくて騒ぐのにこの時はまったく萎縮しているのかニャンコの存在など気がつかないといった感じなのだ。
オトーサンが思うに普段の散歩時、ラテが通りすがりのワンコに威勢の良いところを見せたり「可愛いねぇ」などと手を差し伸べてくれる大人に「ウ〜」と威嚇するのもこれすべて「虎の威を借る狐」であり、リードでオトーサンにつながっているからなのかも知れないと思った次第。
これがもしフリーで歩き回っていたとするなら、ラテのように臆病なワンコはただひたすらに難を避ける行動を取るのではないか...。そんなことを確信させる1日でもあった。

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※美容室からの帰り道、新緑の中ラテとひと遊び


ラテを預けて約3時間後、携帯電話に「終わりました」という連絡が入ったので早速女房と引き取りにでかける。
美容室の受付で対応してくれたオネーサンに女房が「ご迷惑をおかけしませんでしたか?」と聞く。それはラテが肉球の痛みなどで暴れたりしなかったかを心配したからだが、オネーサンの「いつものようによい子でしたよ」という一言で胸をなで下ろした我々であった。そしてラテはなかなかの上機嫌で飛び出てきた。
今回のトリミングはこれからの季節を多少考えてくれたのか、些か短めでかなりすっきりした仕上がりになっていたが心配していたラテの体重は嬉しいことに増加していなかったものの、太めの体が一層目立つ感じでオトーサンたちは思わず苦笑いする。
帰り道、オトーサンと女房の間を嬉しそうに歩くラテを眺めながら無類の幸せを感じるオトーサンであった。

Appleが最初に開発したポータブル機「Apple IIc」を手にして...

私たちの周りではいまiPadの話題で持ちきりだが、Appleが最初に開発したポータブル機は何かご存じだろうか? 無論古参のAppleユーザーなら周知のことだがそれは1984年4月にリリースされた「Apple IIc」なのだ。その「Apple IIc」が縁あって当研究所に鎮座することになった。

 
Apple (当時はApple Computer)は1977年1月3日に法人化してからすでに創業33年にもなっているが、その長いようであっという間の歴史の中で最初に「ポータブル」とネーミングされたマシンは1989年リリースの「Macintosh Portable」そのものだった。とはいえご承知のようにこのマシンはバッテリーで稼働したもののその6.4キロもの重さはとてもポータプルマシンとは言い難かった。
しかし実はその5年前、1984年4月にリリースされた「Apple IIc」は製品名にポータブルというネーミングこそ付いてはいないものの、その可搬性を重視した小型な設計とハンドルが標準装備されているデザインはパーソナルコンピュータを手軽に持ち運びすることを可能とした製品として知られている。ただし正直言えば大振りで無骨なACアダプタをも持ち運びしなければならなかったのだが...。

今般iPadの入手で慌ただしい毎日を送っている当研究所に縁あってその26年も前のマシン「Apple IIc」が鎮座することになったのである。

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※Apple IIc と専用のキャリングケース


そういえば、この「Apple IIc」発表の際にスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックそしてジョン・スカリーが並んで「Apple IIc」を前にしている写真が存在するが、実はこの「Apple IIc」はすでにウォズニアックの考えるマシンではなくなっていた。
当のウォズニアックは「Apple IIc」を「素晴らしいマシンだ」と評価しているが、その頃には有名になりすぎて忙しく開発には直接関われなかったようだ。

事実「Apple IIc」はスティーブ・ジョブズ主導で立案されプロジェクトだった。その “C” は「compact」を意味していたし開発コードネームは「Moby」だった。そしてそのデザインはApple社内デザイナーと外部のフロッグデザインが主導権争いにしのぎを削ることになったものの、結局はフロッグデザイン側の勝利となりスノーホワイトのデザイン言語ともいわれるようになる最初の優れたプロダクトとなった。そして多くの賞を受賞し様々なメディアにも取り上げられたが、例えばいみじくも1984年に制作されたピーター・ハイアムズ監督「2010 : The Year We Make Contact」(2001年宇宙の旅の続編)では砂浜でフロイド博士が液晶モニター付きの「Apple IIc」を使っているシーンが登場する。これなども当時のAppleとしては新しい広告手法の試みだったようだ。

ともかくApple IIのオープンな利点は「Apple IIc」の小型化への代償とはいえ失われ、いわゆる拡張スロットもないクローズドなマシンとなった。またその5インチの薄型フロッピーディスクドライブはコンパチビリティが低くそれまでのApple II用フロッピーメディアも読めないものが多発した。
私はといえば1984年当時、ひとつにはMacintoshに夢中でありすでに8ビットのApple IIには戻れないことを肌で感じていたこと、そしてパーソナルコンピュータにポータビリティを求めてはいなかったこともあり「Apple IIc」には興味を示さず購入には至らなかったのである。

今般、縁あって当研究所の一員となった「Apple IIc」は専用9インチのグリーンディスプレイと共にもともとのオフホワイトカラーが濃いアイボリーに変色し、26年もの長い月日が経過したことを思い知らされる。しかしそのディテールはいまだに抗しがたい魅力を放っていることも確かである。

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※専用の9インチ・グリーンディスプレイとApple IIcのフォルムはなかなかに美しい


ともかく手元に届いた「Apple IIc」は一部かび臭が強い箇所がありキーボードの一部に埃が詰まっていたりしたため、まずは風通しの良い場所に1日放置した上で簡単に掃除をした。同時にキーボードをひとつひとつ押してみたが一部に堅いキーやガクガクするキーもあり、もしかするとそのままでは使えないキーもあるかも知れないと心配になってくる...。

ともあれ一番の問題はモニターを含めて「Apple IIc」本体が基本的に動作するのか、起動するのか、そしてフロッピーディスクが読めるのか...といったことだ。特に前記したように「Apple IIc」の内蔵フロッピーディスクドライブはもともと不安要素があるからして確認を要する重要部分である。
万一「Apple IIc」が起動しない...ということなら、そして分かる範囲でのリカバリーも意味がないのであれば残念ながらただのオブジェに過ぎなくなってしまうからとまずは起動のテストをすることに...。
ただし残念ながら「Apple IIc」オリジナルのシステムデスクは手元になくApple IIeで使っていた DOS 3.3 のSystemMasterディスクや同じく “An Introduction to the Apple IIe Computer” というディスクを起動させてみた。
幸いこれらのフロッピーディスクは無事読むことができ、専用のグリーンモニタも微調整を必要としないほど問題はなかった。したがって今のところ致命的なトラブルは抱えていないように思える。
とはいえやはり一部のキー入力がスムースでなかったり、たまたま入力できない事もあるが、これらは後日可能な範囲で時間をかけリカバリーしてみたいと思っている。

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※一番心配だった内蔵フロッピーディスクドライブも問題ないようなので一安心だ


「Apple IIc」で忘れかけているBASICコマンドをたどたどしく打っているとApple IIに夢中になっていた1980年代前半のあれこれを思い出す。
今から思えば滲んだ画面だったもののカラーグラフィックスをはじめ、アニメーション、3D、シンセサイザー、ワードプロセッサ、BASICをはじめPascalなどの高級言語、音声認識、音声合成、ビデオ画像入力等々は皆Apple IIで体験し基本的知識を得たのだった。
私はそれ以前にワンボード・マイコンやPET 2001といった機器を使っていたが真のパーソナルコンピュータと呼べるものはApple II以外には考えられなかった。そのApple IIへの信頼があったればこそ1984年にリリースされたMacintoshへ何の不安もなく移行できたのだと思っている。
いまテストのため机上に乗っている「Apple IIc」を眺めているとこれまた自身のパソコンライフにとって欠けていたパズルのピースがまたひとつ埋まった感がして思わず頬が緩んでくる...。

ラテ飼育格闘日記(178)

ワンコは思った以上に表情が豊かである。寝ている顔も飼い主にとっては可愛いが、散歩の途中途中にアイコンタクトや休憩中に見せる笑顔はなにものにも代え難い宝物である。オトーサンはラテの笑顔には笑顔で答えることにしているのだ(笑)。

 

手元に小型な一冊の本がある。アスペクト刊「あなたの愛犬を笑わせる97の方法~ドッグ・スマイル」という本だ。
基本的には一種のワンコ・ミニ写真集といった感じの本でさまざまな犬種のワンコ97匹が無類のカメラ目線でいわゆる ”いい顔” して写っている。そしてそれに合わせて97種類のワンコを笑わせる...楽しませる方法・遊び方が紹介されているといったものだ。
その表紙を飾っているのはピットブルのアーチーという雄のワンコだが、その表情はどう見ても笑っている。実に幸せそうに笑っている。だからその表情を見るこちらも自然に頬が緩んでくるではないか...。

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※アスペクト刊「あなたの愛犬を笑わせる97の方法~ドッグ・スマイル」表紙


私たちは人と話をするとき、相手の表情を読みながら会話を進める。相手がいまの会話を楽しんでいるのか、あるいは面白くないと思っているのかは普通その表情や態度に出ると考えてよいだろう。
ワンコとの “会話” も同じなのだ。そしてワンコは空気の読めない人間より余程人の気持ちを図っていると思われる。
オトーサンは散歩の途中はもとよりだが、自宅に戻りラテの体を拭いているときなど、なるべく顔を合わせながら喋ることにしている。それに面白いことだが、人が1人でブツブツ言っていればおかしな奴というレッテルを貼られてしまうがワンコを連れ、ワンコに話しかける分には誰も不思議に思わないのも不思議だ...。
そういえば映画「オズの魔法使い」ではドロシー役のジュディー・ガーランドの台詞の半分近くはトト役のワンコに向けられている。

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※オトーサンに撫でられ、ご満悦のラテ


オトーサンがラテに話しかけるとき、ラテの表情にはそんなに変化はないが尻尾は常に緩やかに振られ「オトーサンの話、聞いてるわよ」といっているように思えるのだ(笑)。また散歩しながらオトーサンが鼻歌や小さく声を出して歌やメロディーをくちずさみながら歩くとラテの機嫌も良い。時々オトーサンにアイコンタクトするその顔は「あたし聞いてるよ」とでもいうように口を開けてキラキラした視線を送ってくる。
まあ、ラテがオトーサンの話をそのまま理解しているとは思わないが確かなことはワンコほど素晴らしい聞き手はいないということだ。
たまにオトーサンの話に興味がないような素振り...顔を別の方向に向ける...などをしたときオトーサンはすかさずラテの両頬を両手で挟んで視線をこちらに向けさせて話を続ける。ラテにとっては迷惑この上ないことだとは承知の上だが、沢山話しかけることは少しでもわかり合える可能性が増すことだという気がするからだ。
そして時に...時にではあるが、もしかしたら「オトーサンの言ってることはすべて理解しているのではないか」と思うような反応を示すこともある。

面白いことにラテは単にオトーサンたちのいうことを良く聞き、そしてその通りに行動するだけではない...。どうやらオトーサン的な観察からいうなら、ラテにもプライドというような確固たる気持ちがあるように思えるのだ。
例えば散歩の時間が近づいているとき、オトーサンはラテのいるリビングに続くキッチン側に入り準備を始める。無論ラテはオトーサンが散歩用のバッグを持ち出し、ペットボトルの水を入れ替え、うんち袋を用意するなどの一連の行動が何を意味するかなど承知の上だ。
しかしたいていの場合、彼女は特に喜び勇んで駆け寄るということもなく床とかマッサージ・チェアの上で横になりながらオトーサンを観察している。
慎重なラテはオトーサンが散歩の支度をしていることは理解してもそれが即外に出られるとは限らないことを知っているからなのだろう。
支度には相応の時間がかかるし、もしかしたら支度は終わってもオトーサンに急用ができて外出が遅れるかも知れない...。だからオトーサンが散歩の支度をしているからと大喜びするのはまだ早いというわけだ。
オトーサンが散歩用のバッグを肩にかけ、リードを持ってリビングに入ってくるまでは散歩は確定ではないと思っている節がある...。慎重な娘である(笑)。

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※散歩中にツグミを激写!


ではオトーサンの支度が終わり、時間もちょうどよいからとリードを持ってラテのいるリビングに入るとラテは喜び勇んでオトーサンの足下に飛んでくるか...といえばこれがおかしな事にそう単純ではないのである。
支度をしているとき、ラテは明らかに柵の向こうでオトーサンの一挙一動を観察している。だからリードを持って柵を開け、リビングに入るということは散歩に行くことを意味することは間違いない。それも待ちに待った散歩に違いない。本来なら飛びついてきてその喜びを表すのがまっとうなワンコだと思っていたが...ラテは違うのである。嫌な娘である(爆)。

繰り返すがオトーサンが支度中はリビングとキッチンの間を仕切っている柵の向こうでオトーサンを観察しているラテだがオトーサンが準備を終え「ラテ、散歩に行くぞ!」とリードを持ちながら柵を開ける...。と、途端にラテは手近のオモチャとか犬用ガムの切れ端などを咥えて振り回し始めるのだ!
何だか「オトーサン、いまアタシ忙しいのよ」とでも言っているみたいだし、まるで取って付けたようではあるが、心待ちしていたことを感づかれないようにカモフラージュしているようにも思える。そう考えないとその行動の説明が付かない...。
それはひとつの自己主張であり、ある種のプライドなのだろうか。
「別に散歩、心待ちにしていたわけではないけどオトーサンが行くなら一緒に行ってもいいよ」と言われているみたいでオトーサンは複雑な気持ちなのだ。
ともかくやっとオトーサンにの足下に近づき、リードを付けろということなのだろう首や頭を押しつけてくる。

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※初対面のミニチュア・ピンシャーとご挨拶


同様に散歩の途中で疲れたのか、あるいは気に入らないのか急に地べたに張り付いたようになりオトーサンがリードを引いても「アタシ動かないもん!」と言っているように固まってしまうことがある。
オトーサンも最初は「愛犬に舐められてたまるか」とばかりリードをバシッ、ばしっとばかり引き、時には上に引っ張り上げて抵抗解除を試みてきたがそうした場合は1度立ち上がってもまたすぐに伏せ状態になる...。まったく何を考えているのか分からないが頑固な娘なのだ。
しかし最近は要領がわかってきたというよりラテの行動パターンが理解できてきたのでそうした場合でもオトーサンは動じない。無論それが道路の真ん中などでは危ないから抱え上げても移動させるが歩道や公園ならそのまま30秒とか1分ほど待つようにしたのである。
ラテがペタッとへばりついたことにまるで感心がないようにそのまま放っておく。少しするとラテはオトーサンを見上げてアイコンタクトしてくる。それを合図のようにしてリードを「チョン」と軽く引くとラテは納得したように立ち上がるのである。
これまたラテの自尊心をくすぐるというか、プライドをダイレクトに傷つけることなくオトーサンに従わせるノウハウなのだ。

愛犬と散歩といえばのんびりと歩いているだけ...といった印象を受ける方もいるかも知れないが、オトーサンは日々ラテと心理戦を含む格闘を続けているのである。

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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員