ビジネス回顧録〜他社が開発を失敗したネットツール開発顛末記

足かけ14年アップルのデベロッパーをやっていた間、それはそれは今でも公言をはばかれる出来事も多かった(笑)。問題の発生には常に相手が存在し、それは現存する会社だったりそして我々のスタッフだったりするわけで話しは当然デリケートなことを含むから詳しくは語れない...。ともかく今回は忘れようにも忘れられない超大手企業とのバトルについて回想してみたい。

 
私の会社は1989年にMacintosh専門のアプリケーション開発を生業とする目的で生まれた。仕事は大別してオリジナルアプリケーションの開発と他社からの依頼による特注開発の2つで成り立っていた。
今回の話しは私の会社の歴史にとって後半最後の光を放つ出来事であったと同時に超大企業との実務的な駆け引きで苦悩した忘れようにも忘れ得ないビジネスとなったのである。

2001年春のある日、アップルジャパンのデベロッパーリレーションズ担当から電話をいただいた。
聞けば超大手通信関連企業からの依頼だということで、Mac版アプリケーション開発の相談に乗ってもらいたいとのことだった。無論我々はそれが仕事だし相手の会社は本来なら私たちのような超マイクロ企業と直接取引などするはずもない誰もが知っている大企業だったし相手に不足はなかった。そして近年不景気も関係してか特注開発の話しが少なくなっていた時期なのでそうした話しは願ってもない事だった。

ただし直接担当の方にお会いして話しを聞いてみると事は簡単ではなかった。なぜ私の会社に話しが回ってきたのか、それは些か特殊で複雑な事情があった。
その超大手企業(以後A社)の話しによればその小1年前にインターネット接続に関係するMac版アプリケーション開発をとある国内の企業に依頼したものの結果として開発に失敗したとのこと...。そのツールのWindows版は広く配布されていたからその名をいえばインターネットを使っていたほとんどのパソコンユーザーは膝を叩くに違いない...。

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※超大手通信関連企業へ納品した成果物としてのCD-R (実物のバックアップ)


技術的な詳しいことはあえて伏せるが、A社が求めていた核となる機能はAppleの技術解説書にはっきりと「サポートしていない」と明記されていたのだ。しかし詳しい事情は不明だがそうしたことを知らずに、あるいは何とかなると思って開発を進めたのかはともかくその開発会社は目的を達成できずにバンザイしてしまったとのこと。
苦慮したA社はアップルジャパンに泣きつき、アップルジャパンは数社に打診したものの断られ、私の会社ならもしかしたら何とかできるのではないかと紹介の労を取ったという。

要はアップルの技術解説書にサポートしていないと明記されていることを実現しなければならないのだ(笑)。なぜそうしたアプリを作らなければならないのか...それは公に配布するインターネット関連アプリケーションは大企業の使命としてWindows版と共に同様な機能・仕様を持つMacintosh版も用意しなければならなかったからだ。しかし良く比較される両者は当然のことながらまったく違うOSであり、対応するブラウザも機能面や性能面で良い悪いはともかく相容れない部分を持っている。

これが失礼ながらどこかのベンチャー企業からの依頼だったら私は即断っていただろう。苦労することは目に見えていたこともあるが、相手がA社だったからこそ「なにかトリッキーな方法で解決できないものか」という熱意が生まれた。しかし闇雲に開発を開始したところで無理なことは無理に違いない。
話しを詰めていくうち、私はひとつの提案をしてみることに…。

そのひとつは失敗したというアプリケーションのソースリスト開示の依頼、2つ目は問題のルーチンの解決策があるやなしやを模索する件を有料で請け負うということだった。
ソースリストの開示はともかく、開発の可・不可を検証することを有料で請け負うという発想はあまり受けの良い提案ではない(笑)。ただし、本来この種の業務はどのようなものであっても人的リソースとまとまった時間を必要とするわけで簡単にいえばコストがかかるわけだ。しかし今でもそうかも知れないが期間限定の検証を有料で請け負うなどという提案を簡単にOKする業界ではない(笑)。ましてやあくまで検証だからして、問題の解決に至らない可能性も高いわけで、例えば二週間経って「やはり出来ませんでした」しかし「請求書は送ります」というのではこちらは当然の要求でもクライアント側は社内稟議を通すのが難しいに違いない。

それは分かっているが我々も不可能なのか、あるいは何かトリッキーな工夫で問題を解決できる可能性があるかは正直ある程度の時間をかけてやってみなければ分からないのだ。そしてそれを無償で請け合う義理もないし余裕もない...。だからこその提案であった。

結局A社は私の要求を受け入れた。それは想像するに予算の問題以前にかなりの期間が経っても解決しない問題に早くケリをつけたかったに違いないし、出来る限り開発の可能性を探ってみたいという切羽詰まった判断だったと思う。
私自身は検証だけで話しが終わっても仕方がないと考えていた。ともかく開発担当のプログラマに先方から開示されたソースリストを渡し、不可能だろうと言われている問題のルーチンを理解した上で何らかの方法・手法がないかを探るよう指示した。
しかしビジネスとは面白いもので、運命は我々を検証だけに終わらせなかった。なぜなら担当プログラマが少々トリッキーな方法ではあったが問題箇所を何とかする糸口を見出したのである。

もともと当該業務を担当させたプログラマは百戦錬磨の経験を持つ人物だったが、ともかくアップルのドキュメントに出来ないとされていることを実現するすべを見出したのだから見事だったが私より喜んだのはA社の担当者たちだった。
まあ、検証だけで逃げていたら後の苦労はしなくて済んだのかも知れないが(笑)、この件で我々はA社の信頼を勝ち取り本来なら孫請けとかひ孫請けになっても当然な大口開発契約がそれもダイレクトに実現したのである。
それにしても当初の予定ではMac OS 8.6/9.1をターゲットにした開発とMac OS X版との両方の開発を請け負うことになっており、我々の算出した概算見積額は数千万を超えるものとなったほどのビジネスだった。

その後の経緯をダラダラとご紹介するのも気がひけるので止めるが、事は簡単に運ばなかった。
最大の危機は肝心のプログラマが途中で「独立したいので○月に退職する」と言い出し相談の余地もなく同年秋口に辞めたことだ。
いや...退職する自由は当然だとしても、会社が直面している業務を担当しながら事前の相談なくいきなり「辞めたい」と言いだしたスタッフには絶望したが、例え引き留めたところでこの種の話しは1度表に出れば本人はもとより私の気持ちも元の鞘に収まることはない事を経験上知っていたから当てにしないことに決めた。留保したところでいつまた同じ事になるやも知れず信用できない...。このことはピンチには違いなかったが、幸いそれまで縁あって信頼がおける外部プログラマとつなぎを作っておいたこともあり彼ら2人と契約して難局を乗り越えることになった。

またA社の窓口および担当者たちは当該業務そのものがそもそも難しい仕事だと理解し我々に真摯に対応してくれたがその上司はβ版納入時のミーティングにぼさぼさの頭、ネクタイゆるゆるで登場しアクビをしながら「この仕様では物品受領書にサインはできない」と言いはじめた...。
ただし無理なことは事前に無理だと告知し、担当者たちが納得した仕様の開発をやってきたわけでこちらに契約上の落ち度はないのである。しかしその上司は大企業の看板を傘に横柄な態度に出る典型的な奴でこちらが紳士然としているほど無礼な物言いをする。椅子から滑り落ちるのではないかと思うほどふんぞり返って人の話を聞くタイプなのだ。
ともかくその納品は最終納品ではなく中間点だったが無論納品が出来なければ支払いも受けられないわけでそれは大いに困る...。そして契約プログラマの方たちにも約束通りの支払いができなくなるではないか。これまたピンチであった...。

まあ、私は自分で言うのも僭越だが仕事上...特に外部に対して大声など出したことはなくいつもは穏和な対応を心がけてきた。しかしそんな理不尽な奴にびびるほど柔な人生を送ってきたわけではない(笑)。ここでどう振る舞ったら相手に勝てるかを一瞬で計算した...。
ちなみにその打ち合わせをしていた場所は個室ではなく広大なオフィスの脇にあるミーティングテーブルだったから、それを意識した私はわざと強くテーブルを「バシッ!」と叩き、オフィスの周りにいる人たちの視線が「何事か?」とこちらに集まるのを確認しつつ「話しが違いますね。大企業だからそんな対応しても許されると思っているんですか? 何なら全部白紙に戻しましょうか?」と大声で啖呵を切った。

こうした奴らは弱い者には強く出るが周りの目を気にするものと相場は決まっている。案の定彼はそれまで反っくり返っていた姿勢を正し、無言で納品の書類にサインした。
例えしぶしぶであろうと正式なサインをもらえばこっちのものだが(笑)、帰り際エレベータを待っているとき同席してくれた外部プログラマが「さすがですね...」と言ってくれた。

結局A社との契約はその後も一段落するまで続いた。この開発はA社にとって前記したように失敗という不名誉なスタートを経験しただけにどこの開発会社でもできることではないことはA社自身が身にしみていたからだろう。それは当然のことながら会社の売り上げに貢献したものの、大いに時間を取られる気むずかしい仕事であった。
例えばA社の札幌営業所にまで出向いて問題点の洗い出しと処理方法の打ち合わせを続けたことを昨日のことのように思い出す。
ホテルに戻ってからも細かく記された改良点に関してどのように対応すべきかを夜遅くまで考えた。

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無論仕事に絡み様々な思い出もできた...。待合室というよりホールといってよいほど広大なスペースは我々の会社の数倍の広さがあり、あらためてA社の巨大さを痛感したし、複数箇所との電話会議のために専用機器をセットアップしたものの通信会社にもかかわらず上手く動作しなかったこと(笑)、マニュアルをPowerPointで作れという指示に従ったがMacintosh版とWindows版の違いに苦労したことなどなどだ。
良し悪しはともかく強烈な体験をしたからだろう、当該ビジネスが無事完了後もA社の担当者たちと打ち合わせをしている夢をよく見たものだ。

というわけで確かに気苦労は大きかったが救われたのは心を許せる友人をはじめ外部にお願いした契約プログラマの方々が誠実に努力してくれたこと、そして当初からA社の窓口となってくれたM氏が紳士でその難しい仕事を理解し随分と仲立ちとなって助けてくれたために無事役割を果たすことが出来た。

友人知人たちの動向を見ているとこの業界はいまでもまともな契約書や覚書の取り交わしなしで仕事の依頼や請負をしているケースが多いらしい。あるいは大企業から提示された契約書にそのままサインしているというケースも多い。しかし14年間の業務の中で私たちが大きなトラブルに巻き込まれなかったのは超マイクロ企業とはいえ、可能な限り対等の立場を主張してきちんと契約書を取り交わしていたことが根底にあったと考えている。
そして何よりも目先の受注に意識が先行し、為に言いたいこともいえずに結局不本意な結果にならぬよう、どのような相手に対しても正攻法で対峙したいものである。

ラテ飼育格闘日記(186)

4歳になったラテはお陰様で元気である。この蒸し暑さにいささかバテ気味のようで散歩の途中にベンチを見つけると飛び乗って一休みするし、公園でもあまり動こうとしない。なによりも食事を残したりする季節になった。そして相変わらず子供たちには愛想が良いが、仲間のワンコにもたまたまにしろ「ガウッ」とやったりするのでオトーサンは心配が絶えない。

 

無論常にそうした攻撃性を見せるわけではない。ただしラテが怒りを見せる理由は相手のワンコにもよるものの明らかに3つある。
まずひとつは「オヤツがらみ」の場合。2つ目が「オモチャがらみ」の場合。そして3つ目が「人間がらみの嫉妬」である...。
オヤツとオモチャに関係しこれまでにも小さなトラブルは多々あったのでそれらに関するラテの態度はかなり予測が可能だと思っている。したがってオトーサンが他のワンコにオヤツをあげるときには大概ラテのリードを短くし、手近に止めてから実行するようにしている。
また他の飼い主さんがその場にいるラテを含む数匹のワンコにオヤツをくれる場合も他のワンコたちとの距離を保つようにオトーサンはラテのリードを引いている。隣にいるワンコによっては取り合いになり喧嘩となる可能性もあるからだ。

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※アジサイが群れる遊歩道をラテと散歩


そして同時に他のワンコが近くにいる場合にはラテとボールなどで遊ばないようにしているし他のワンコがボールやフリスビーなどで遊んでいるとき、それになるべく近づかないように注意をすればオモチャにまつわる取り合いなどが防げるわけだから比較的簡単だ。
簡単でないのが最後の「嫉妬」が絡む場合である。
一口に嫉妬と言ってはみたが、ラテの場合は些か複雑なバリエーションもあるようだし、なによりも心の動きそのものなので「いつ」「どんな時」に嫉妬の衝動が起きるのかが明白でないのが難しい。また周りのワンコたちを観察する限り、どうもラテほど嫉妬深いワンコはいないようにも思えるのだが...。

ラテは自分を可愛がってくださる方の足下ににじり寄ったり、その膝に前足を乗せてチューを迫ったりとお気に入りの方だと積極的である。面白いのはオヤツをいただける人が好き...といった単純な好みではないことだ。それは子供から大人、女性でも男性でも初対面の人には警戒心を強く持ち、吠えたり唸ったりするラテが好きな人にはメロメロなのが面白い。
やはりラテが自身から近づいていく方はワンコにとっても、そして人間世界においても何らかのオーラーに満ちあふれた魅力のある人たちに違いないとオトーサンは密かに思っている。
しかしラテが好きであればそれだけその人に近寄ってくる他のワンコに対しては許せないらしく攻撃を仕掛けるのである。だからラテを撫でてくれていても他のワンコが近づいてきた場合はリードを引き、一端ラテを離して大きく動けないようにしなければならない。

困るのはワンコが近づく人がそのワンコの飼い主の場合だ(笑)。これはワンコが飼い主に近寄るのは当然のことだが、ラテは飼い主さんとそのワンコとの関係など意に介さない。とにかくその瞬間自分が可愛がってくれている人は独占したいと思うのか、その人の飼い犬に威嚇をするのだから困る...。これでは逆ギレである(笑)。
ただしどんなワンコに対しても逆ギレするわけではないのが判断を難しくする。ラテが一目置いているワンコは数少ないが存在し、それらのワンコにはラテも大人しいし一本のペットボトルの飲み口から一緒に仲良く水を飲むこともできる。

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※ハリーちゃんやボーちゃんとは仲が良くペットボトルの水も一緒に飲む(上)。下の写真ではラテのマズルは完全にボーちゃんの歯の中にあるが、決して噛んでいるわけではなくお互いこうした激しい遊びの中で信頼関係を築いていくようだ


「嫉妬」を辞書で引いてみると「自分が愛している人や心を引かれる人の愛情が他の人に向けられることを恨み憎むこと。また、その気持ち。やきもち。悋気りんき
」などとある...。したがって食べ物とかオモチャといった具体的な対象の取り合いは理解しやすいが、人間に対する好き嫌いの感情をこれだけ端的に表すワンコもオトーサンの周りにはほとんど見ないように思うほどラテは好きな人間に対してストレートに感情をあらわにする。
ラテは可愛がってくださる人の足下にうずくまり、お腹を出し、折りあれば抱きつき口元や顔を舐めにいく。そうした時に割り込んでくるワンコは皆敵だと言わんばかりなのだから困ってしまう...。

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※気温が高くなる季節にはベンチを見つけると頻繁にご休憩モードに入るラテなのだ(笑)


実はこの嫉妬に関して一番の火種は女房なのだ。
いくら嫉妬深いラテだとしても見境無く威嚇したりはしない。例えば昔から気を許しているワンコ仲間に対しては時に「ガウ!」とポーズはするものの実際に歯を当てにいったりすることはまずない。しかしこれまでの記憶の中でそうしたワンコ仲間にさえ歯をむいた例が2回ほどあったがその場には必ず女房の存在があったのである。
物言わないラテだからして確証はないが、女房はラテにとって特別の存在のようだ。それは日常食事の世話から散歩、そして体の拭き掃除やらのほとんどをこなしているオトーサンにとっては些か寂しいことだが、そのオトーサンに感謝の念は薄いように思える(笑)。確かにラテにとってオトーサンは存在不可欠なリーダーとして認知されてはいるのたろうが総じて怖い存在であり100%リラックスできる人間ではないようだ...。
対して女房にはベタベタである。
たまたま女房が仕事で遅くなったときなどラテを連れて駅まで迎えにいくが、10数メートル先に女房のシルエットが見えると駆け出し、「ウォーン」と声を発しながらピョンピョンと跳ね回る。
自宅にいるときも女房がリビングに姿を見せれば積極的に近づいて口元を舐めたり体をぶつけに行く。そしてなによりも女房が寝ているその場にラテを連れて行くと、顔中を舐めた後にその傍らに座り込むが、女房を見つめるその表情が何とも優しいのである。その慈愛に満ちた視線は何だか母親が子供を見る目つきのようにも思えるほどだ。

その女房が土日や休暇のとき、散歩に同行するとなるとラテの気の使いようはオトーサンと2人だけの時とはこれまた違う。
リードはオトーサンに引かれながらもラテは頻繁に後ろを振り返り、女房が後からついてきているかを確認し、もし遅くなったり物陰で見えないような場合は座り込んで姿が確認できるまで待つのだ。
そんなラテにとって一番好きな女房が側にいるとき、どうやらラテの嫉妬は頂点に達するようなのだ。
女房が他のワンコにオヤツをあげている場面、女房の周りにまとわりつくワンコたちには猛烈な嫉妬を感じるらしい。それもその瞬間だけでなくしばらく時間が経っても当該ワンコが女房と親しくしていた(笑)ということを覚えているようで一見何の脈絡も無いように思える威嚇をしたりする。

そんなわけでオトーサンとしては一層注意をしながらの散歩を心がけなければならないものの神経を使いすぎると遊び友達のワンコ以外には近づけないということになってしまい兼ねないので...難しい。
しかし人間相手に問題を起こすのではそれこそシャレにならないが、根は臆病で自信というものがまだ確立されていないのかも知れない。ともかくこれが先ほどワンコに歯をむいた同じワンコかと思うほど人間の女の子たちにはフレンドリーなラテなのだから、まあ良しとしようか...。

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※この女の子たちにラテは何とも優しい態度で接する


ともかくワンコに言い聞かせて納得させることはできないが少なくとも女房が一緒のときは一層注意を怠らないようにしなければならない。

松本侑子著『誰も知らない「赤毛のアン」〜背景を探る』の魅力

先にDVD「赤毛のアン 特別版」について記したが、その機会にと松本侑子による新完訳「赤毛のアン」(集英社文庫)も手に入れ久しぶりにアンの世界を堪能した。その心地よさは格別のことで若かりし頃には思いもしなかったがアンが生きた時代やグリーン・ゲイブルスのあれこれについてより深く知りたいと思い同じ筆者による『誰も知らない「赤毛のアン」〜背景を探る』を読んでみた。

 
「赤毛のアン」の魅力はいったいどこにあるのだろうか...。勿論その第一は主人公アン・シャーリー自身によるものだ。このやせっぽちでソバカスだらけ、そしてニンジンのように赤い髪をもったお喋りで空想好きな孤児の少女に惹かれてしまうからだ。

この少女が巻き起こすトラブルに困惑しながらもアンを引き取り育てていくマシューとマリラというそれまでひっそりと暮らしていた2人の老いた兄妹の変化も魅力的だ。そしてグリーン・ゲイブルスを中心とした様々な季節とそれが織りなす風景が眼前に浮かぶ文章が素晴らしい...。しかし「赤毛のアン」の魅力はもうひとつ重要なキーがあるのだ。

一般的に小説はいかに面白いといってもその内容はいわゆる荒唐無稽なものなのが普通である。
小説を読み終わり、確かに面白かったとしてもストーリーのネタが明白となっては再読する気持ちにならなかったり、ましてや架空の主人公をもっともっと掘り下げて知りたいなどとは思わないだろう。
反対に小説を読むだけに留まらず、それだけでは満足できずにその主人公を深く知りたいと願うあまり、小説の時代背景やら登場する人物、風景や街並みにいたるまで細かく考証したくなる優れたストーリーも存在する。

そんな小説をひとつ挙げるなら私はすぐにコナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズを思い浮かべる。
ホームズと親友のワトスン博士の友情と数々の冒険ならびにホームズたちの活躍したヴィクトリア朝時代の雰囲気を楽しむと共に、ひとつひとつの事件があたかも本当に起き、史実としてホームズとワトスンがベーカー街に住んでいたことを疑わないまでのリアルさを感じるのだ。だからこそホームズ物語は聖書に次いで世界で数多く翻訳され、大の大人たちが今でも各国各地で集まり研究や発表を楽しんでいる。
ちなみに私も実際の活動に参加はできないでいるものの日本シャーロック・ホームズ・クラブの正規会員である。

さて「赤毛のアン」の魅力はどこかシャーロック・ホームズ物語に似ていると直感的に感じたが、実は本書後半にモンゴメリが後にアンの続編をある意味お金のため、嫌々ながら書いたというショッキングな話を紹介している。そしてホームズ物語の作者、コナン・ドイルがホームズ物語を続けるのはうんざりだとホームズが人気絶頂期にライヘンバッハの滝壺に落として殺してしまったことと比較して考察している点も面白い。

ともかく「赤毛のアン」の魅力は主人公の魅力と共にホームズ物語にも似たリアリティにあると感じその背景や作者の意図といったことまで知りたくて本書、松本侑子著『誰も知らない「赤毛のアン」~背景を探る』を手に入れた次第。

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※松本侑子著『誰も知らない「赤毛のアン」~背景を探る』集英社刊の表紙


本書は『「赤毛のアン」を、もっと深く、もっと知的に、さらに魅力的に味わいたいと思うすべての読者に捧げる』とあるだけに第一章では「赤毛のアン」の時代背景、すなわちアンが生きたカナダ社会やプリンス・エドワード島の歴史、そして当時の人たちがどのような日々をすごしていたかという交通、政治、宗教、産業、家庭生活などなどといったことなどが詳しく紹介されている。

また第2章では『「赤毛のアン」の植物園』として本編に登場する数々の植物などについて考察があり、第3章は作者モンゴメリの知られざる人生について、そして第4章ではモンゴメリの生涯をたずねるカナダ紀行といった構成になっている。

もともと「赤毛のアン」は私たち非西洋文化圏の人間には読み飛ばすだけでは気づかないことが多い。なぜならそこには聖書はもとよりテニスンやシェイクスピア、バイロン、ブラウニング、ロングフェローなどから引用された台詞やしゃれた言い回しが多用されているものの、特にこれまでの日本語訳では意味不明のままに読み飛ばすしかない現実があった。

松本侑子氏は「赤毛のアン」の後書きで『「赤毛のアン」には、古くは古代ローマにまでさかのぼる英米文学の長い歴史の中で、さまざまな詩人たちが書き残した情熱が、ゆたかにこめられていることを感じていただきたい。数千年もの文学の伝統の厚みが、この一冊にこめられていることに、訳者として何度も感動を覚えた。』と書かれている。
したがって繰り返すが翻訳の問題も含め、表面だけなぞるように読んだだけではアンが何を感じて何を思ったのかなどは到底分からないのだ。

そういえば本書で再認識したが、「赤毛のアン」に登場する主要な人物の名は聖書にちなんでいる。
アンは聖母マリアの母親の名前、マシューはイエスの弟子のマタイを英語読みしたもの、マリラはマリアの変形、リンド夫人...すなわちレイチェルはヤコブの妻ラケルの英語読み、そしてミス・バリーのジョゼフィーンはヨセフの女性型といった具合だ。したがって「赤毛のアン」はそもそもキリスト教色で塗られた物語であり、キリスト教を深く知っていない我々にはひとつひとつの言葉の端々に隠されている意味を知らずに読んできた感があり、本書『誰も知らない「赤毛のアン」』は松本侑子氏の「赤毛のアンに隠されたシェイクスピア」や「赤毛のアンの翻訳物語」と共に「赤毛のアン」の心髄を知るために...一歩踏み込んだ理解をしたい大人の読者にとって最適な一冊なのである。

誰も知らない「赤毛のアン」ー背景を探る

数々の害虫に悩まされるこの夏に必須な「瞬間凍殺ジェット這う虫」

世の中は広いから、虫類の存在に寛大な方もいるだろう。私も「一寸の虫にも五分の魂」ではないが、野外では気がつく範囲で蟻などを踏まないようにしているし、いたずらに蜘蛛の巣を壊して楽しんだりはしない(笑)。しかし自身の住居に潜入してくる虫は情け容赦なく殲滅するのを心かけているが実際にはそれがなかなか難しい...。

 
三年半ほど前、いまの場所に引っ越ししいわゆる戸建てといった住居に住んでいるが困ったことは虫が入り込んでくることだ。
私は所帯を持ってからこの方、いわゆる高層住宅にしか住んでいなかったことでもありゴキブリとかハエや蚊あるいは蛾などはお馴染みでもムカデ、ゲジゲジなどには無縁だった。しかし戸建ての構造上なのかあるいは環境なのかは不明なものの注意をしていてもたまたま洗面所にダンゴムシは勿論、ムカデやヤスデといった一番嫌いな虫たちが入り込む場合がある...。ムカデの類は今年はすでに3回にもなっている。
最初は我が家が目視できないものの隙間だらけのためかとも思ったが、近所の薬局に聞いたところでは近隣では珍しいことではなく為に殺虫剤も売れているとのこと。
実際に進められた殺虫剤を買ってみたが、問題は一撃で動きを止め殺すことが難しく結局殺虫剤をあちらこちらと散布することになり後始末が面倒なだけでなく我々は勿論愛犬の健康にもよいはずもないからと悩んでいた。

どのような進入経路で室内に入り込むのかいまだに確証はないが、洗面所や風呂場で発見されることが多いので下水を逆にあがってくるのかも知れない。ともかくムカデの類は噛まれればかなり痛いというし素手で掴むわけにもいかない。そして前記したように殺虫剤を噴霧してもすぐには死ぬことはなく物陰に隠れてしまったりと始末が悪いのである。
まあ、ゴキブリとかカマドウマはスリッパという武器が一番効果的だと思っているが(笑)、これまた潰してしまうと後始末が嫌だ。
過日、ひさしぶりに洗面所にムカデを発見しスリッパで動きを止めたがなかなかしぶとい相手だった。動いているときに不用意にティッシュペーパーなどで掴むと噛まれるおそれがあるので注意が必要だが、私はまず動きを止めた後トイレットペーパーを厚めにしたもので捕捉しそのままトイレに流してしまうことにしている。

問題は動きを止める方法である。実際に体験するとムカデの動きは思ったよりずっと素早い。1度逃がしてしまうと狭い隙間などに隠れてしまい次の機会を待たなければならないので一撃必殺が重要だ。しかし広い場所ならともかく現実には物が多々置かれている場所などでは難しいのである。
ともかく何か良い方法はないかと先日ネットで検索してみたところ、スプレータイプでマイナス85度の瞬間冷却により虫を凍らせて動きを止めるという製品があることを知った。それがフマキラーの「瞬間凍殺ジェット這う虫」である。

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※フマキラー製「瞬間凍殺ジェット這う虫」450ml缶


その450ml入りの缶を一本Amazonから購入した翌日、何というタイミングのよいことか...本当は嫌なのだが...愛犬がリビングでかなり大型のムカデを発見したのである。
愛犬の挙動がおかしいのでその鼻先を見たら家具に沿ってムカデがいる。早速買ったばかりの「瞬間凍殺ジェット這う虫」を取り出したものの愛犬がムカデに噛まれては大変だしと愛犬を離そうとするがこれが言うことを聞かない(笑)。
まさかその鼻先にスプレーをかけたら愛犬の鼻先が凍傷になってしまう。
愛犬の首輪に手をかけ、離そうとしているすきに敵は家具の隙間に滑り込んでしまった...嗚呼。

こればかりは一時休戦を余儀なくするしかなかったが、その後しばらくして再び家具の上にいることを発見し早速「瞬間凍殺ジェット這う虫」をなるべく近くから噴霧してみた。
最初の一撃で歩みが止まり、次の数秒間の噴射で完全に凍ってしまったようでまったく動かない。このときを逃さず前記したようにトイレットペーパーを厚めに巻いたもので捕捉しトイレに流してしまう。
実はこの「瞬間凍殺ジェット這う虫」は殺虫剤の成分はまったく含んでいないので臭いもなくベタつくこともないのが最大の利点で、後の拭き掃除も楽である。ただし噴霧した後に放置すると虫類はそのままでは死んでおらず再び動き出すので即処分をすることが肝心なのだ。

それにしてもムカデやゲジゲシが室内に入り込むのは勘弁して欲しいが、これまで駆除方法に良い方法がみつからなかったので諦めかけていた。しかし本製品のおかげで万一それらに遭遇してもこれまでのように悪戦苦闘することなく一撃必殺ができる事を知りいささか気が楽になった。
同じようにこの種の虫にお悩みの方は1度試してみてはいかがだろうか。

瞬間凍殺ジェット這う虫

ラテ飼育格闘日記(185)

オトーサンはラテに出会うまで犬を飼うチャンスに恵まれなかった。子供のときから犬を飼いたいと思っていたから道ばたにワンコがつながれていれば近づいて頭を撫でたりして満足するしかなかった。それは大人になってからも同じで、例えばラーメン屋につながれていたワンコ、コンビニの入り口につながれていたワンコたちとは友達になれたと思っている。

 

子供と犬...この両者が一緒にいると実に絵になる。オトーサンは不幸ながら子供時代にワンコを飼うことはできなかったが、いつの時代でも子供とワンコの物語は語り尽くせないほど存在する。
ワンコを飼えなかったオトーサンでも子供時代周りには必ず「ちびっこギャング」に登場するワンコ(ビート)ではないが、何かしらのワンコがついて回っていた。当時は深く考えることもなかったが、そのワンコたちのほとんどはいわゆる野良犬だったに違いない。
しかし思い出すに、子供同士の喧嘩で怪我をしたという話は幾多あってもワンコに噛まれたとか、ワンコを怪我させたといった記憶はまったくない。子供心にもワンコに対してひとつの人格ならぬ犬格を認めていたようだ。

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※ボーダーコリーのボーちゃんと全力疾走するラテ


そんな訳だからオトーサンにとってワンコは自然に周りにいる一番身近な動物だった。したがって大きなワンコも決して怖いと思ったことはないしワンコに危害を加えられたり恐ろしい目に遭わされたこともなかった。
それにいま思えば母がワンコを好きだったこともオトーサンがワンコを好むようになった要因かも知れない。
母は戌年であり、アパートの玄関に子連れでやってくるブラッキーと名付けた黒いワンコに夕飯の残りを食べさせていたから自然にワンコに対する抵抗力が出来ていたのかも知れない。

そのオトーサンだがラテを連れて散歩に出かけると自然に子供が気になってならない。
ひとつには幼児や低学年の子供たちはその挙動が予測できず、万に一つでもラテが子供たちに怪我でも負わせたら大変だと注意しているからである。
ある時など狭い遊歩道を歩いているとき、幼児の手をひいた母親が向こうからやってきた。オトーサンはラテのリードを極端に短くして構えていたのだが、なんてことか「わんわん!」と叫んだその子が母親の手をふりほどき、すれ違いざまにラテに抱きついたのである。
オトーサンはその想定外の行動に肝を冷やしたが幸いラテは何もなかったように歩き続け、唸ったり吠えたりしなかったから良いものの、いくら何でも母親は注意が足りないと思う。
オトーサン自身、幼児や子供がラテを怖がることなく近づくことは後述する意味も含めて歓迎である。しかし親が一緒ならまずは飼い主に声をかけてからでないとこちらが困惑してしまう...。

他のワンコは知らないが、ラテは子供を三段階に分けて認識しているように思うのだ。
どういうことかといえば幼児、すなわち親に手を引かれてヨチヨチと歩いている年代の子は嫌ではないがどうもあまり興味はないようである。この年代の子供が触っても表情はほとんど変わらないし態度に変化もないのが普通である。
それが幼稚園に入る年代から小学生あたりの子供たちとなるとラテは自分から積極的に接近しようとする。何だかラテ自身がこの年代の子供と仲間だという意識でもあるみたいに喜び、好意的に扱ってもらえればお腹を出してしまう(笑)。しかしそれが中学生以上になると警戒し、初めて会う子供たちの場合は吠えて嫌がるのだから面白い。

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※初対面でも小学生の子供たちにはフレンドリーなのだ。隣は友達ワンコのハリーちゃん


さて、散歩途中で出会うラテに対する子供たちの反応は当然ながら「ワンコは怖い」と思う子供たちと「ワンコは可愛い」と思う子供たちに分かれる。
ラテと小学校の前を通るとき、たまたま下校時間だと多くの子供たちが校門から出てくる。それを見るとラテは小耳を倒し、尻尾をお尻ごとブルブルと振り、姿勢を低くし、口を開けながら嬉しそうに近づこうとする。
しかし大半の子供たちは「ハアハア」と息を荒くして近づこうとするラテを見て「わあ、犬だ、噛まれるぞ」とか「オオカミだ! 怖い」などといいながら逃げていく。それを見てラテは「クウ~ン」と悲しそうに鳴くがこればかりは仕方がない。
そんな中で1人か2人の子供...何故か女の子が多い...が「あっ、可愛い」といって近づき手を差し出してくれるとラテはお腹を出して大喜びだ。

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※ハリーちゃんのお母さんに最高の笑顔で甘えるラテ


思うに果たして子供がワンコを怖がるのは本能なのだろうか...。子供が自分と同じほどの大きさ、あるいはもっと大きい動物を前にして不安や恐怖をいだくのを非難するつもりはないが、では自宅にワンコを飼っていないのにワンコを怖がらずラテに笑顔で近づく子供は何故そうなのだろうか...。
無論以前にワンコとの遭遇で怖い思いをしたといったことであれば理解できるが、3年半も毎日ラテを連れて歩いていると偏見かも知れないものの、幼児や子供がワンコを怖がるのは親自身の思いがそのまますり込まれているのではないかとも考えてしまう。
ワンコが近づくと親自身(特に母親)が腰を引き、子供に「ワンワン...大きいね!危ないよ!」などという母親がいるのだ(笑)。無論その母親はワンコが怖く嫌いなのだろう。
まあ知らないワンコだから万一の場合を考えて用心するのはありがたいが「危ないよ!」は無いだろうと思うのだ。

精神を病んでいるワンコは別だが、正常なワンコは子供と接しても理由なく噛むようなことはまずあり得ない。逆に子供たちがワンコに対して正しい...というか適切な処し方を知らないがため粗暴に振る舞ったりすることの方が怖いのである。ワンコだって防衛本能もあるわけだし。
まあ、こんなことは愛犬家の物言いであり、ワンコ嫌いの人たちに百万遍唱えたところで理解は得られないだろうが、親がワンコという動物を正しく理解し子供に教えることができるなら子供はいたずらにワンコを怖がることはないように思えるのだ。無論正しく理解するというのは前記したように子供がいたずらにワンコを粗暴に扱わないようなことを教えることも含むのは勿論である。

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※ボストンテリア、ボビーちゃんのオトーサンにもラテは積極的にチューを迫る(笑)


とかく幼児はワンコの前で奇声を発し、激しく動き回り、場合によっては手や枝などでワンコを叩いたりするケースも多い。だからコンラート・ローレンツ博士の言うように一般的にワンコは子供から逃げ出すすべを知っているし子供が苦手なワンコもいる(笑)。しかし子供から見ればどうしたらワンコと友達になれるかをを理解する良い教育にもなり、ワンコと遊ばせることは幼いうちに他人に気を配ることの価値を学ぶという。
そのローレンツ博士は、「どこかの家で、イヌが五, 六歳の子供に対してひるまず、むしろ恐れ気もなしに近づくことに気づくと、私はその子供と家族についての評価を高める」といっている。それはその子供や家族がワンコの扱い方をよく知っている証拠だからであろう。
さらに博士は「私は、よしんば非常に小さい子供であっても、イヌを恐れる人間に対しては偏見を持っている」とし、続けて「たとえ見知らぬ大きいイヌでも恐れずに、それをどう扱ったらいいかをわきまえている子供を私が好きだということは、それなりに正当化できる。というのは、このことは、自然とわれわれの仲間の生き物をある程度理解している者によってのみ可能だからである」と著書「人、イヌにあう」の中で動物行動学の権威らしい物言いをしている。

ラテを可愛がってくれるから言うのではないが、ラテに駆け寄り遊んでくれる女子たちは総じて気配りが上手で礼儀正しい。
最初に会ったときには「触っていいですか?」「名前はなんていうの?」と聞いてきたし、去るときには「ありがとうございました」という。
そうした子供の大半はワンコを飼っていないようだが、他人の子供ながら将来素敵な娘さんになるんだろうとオトーサンは思わず目を細めてしまう。
ワンコ好きの私が言うのだから話半分としてもだ...ワンコを嫌いだとか怖いとして退けている人間はその一生で何か大切なものを失ってしまうのではないかと思うのだが...いかがだろうか。

ビジネス回顧録〜アップルでやった500万円のプレゼン!

何だか生々しく露骨なタイトルに思えるが、これがこれからお話しする思い出の正直なイメージなのである。さて、足かけ14年間アップルのデベロッパーをやっている中で新製品の開発が佳境になる頃、私は必ずアップルジャパンに出向いてそのプレゼンテーションをすることにしていた。今回はある時のプレゼンで遭遇した希有な思い出である。

 
新製品を開発する度、私はアップルジャパンのデベロッパーリレーションズ担当者に声をかけ、その製品コンセプトやMacintoshのキラーアプリになり得るであろう機能などを知っていただくためにとプレゼンテーションをさせてもらうのを常としていた。
無論アップルはソフトウェア開発会社の我々にとって商品の販売先ではない。プレゼンテーションをしたからといって「それ1,000本いただきましょう」などと言ってくれる相手ではない(笑)。しかし申し上げるまでもなく我々アップルのデベロッパーにとってアップルジャパンは何といっても総本山でありその担当者らに製品の存在を知ってもらうことの意義は小さくはなく、我々の開発能力を高さを認知していただくことで第三者からの開発依頼の話を振っていただくこともあったし、Performaへのバンドルはこうしたプレゼン無くしてはあり得なかったと思っている。

1994年の夏のことだった。「QTアルバム」と名付けた電子アルバムソフト製品化のめどが立ったのでいつものとおりアップルジャパンに連絡しプレゼンテーションさせていただくことにした。
アップルジャパンがまだ千駄ヶ谷のビルに入っていた時代だが1階の中央あたりに位置していたブリーフィングルームに通された私は早速持参したPowerBookを大型モニターに接続し、プレゼンの準備を始めた。
デベロッパーリレーションズの担当者がいつものように声をかけて下さったおかげで他部署の人たちも集まりつつあった。

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※千駄ヶ谷にあったアップルジャパン1階のレイアウト。中央にブリーフィングルームがある


ところでその時代は後の2000年前後と比較してまだ経済的に余裕があった時代だったが企業の常として...いや経営者のはしくれとして資金繰りにはいろいろな意味で頭を痛める機会が多かった。
アップルジャパンに向かうため、新宿本社があるマンションを出た私は青い空を見上げながら頭の端に来月末の資金繰りに必要な500万円の捻出をどのようにするか、その可能性のあれこれを考えていた。
翌々月になれば資金繰りは潤沢に回るはずだったし、当時は取引銀行に行けば借り入れできることはほぼ分かっていたが出来ることなら借金はしたくなかった...。

そんなことを考えながらアップルジャパンのプレゼンルームに入り、プレゼンの準備をするうちにそうした雑念は消えていった。
部屋のあちらこちらにアップルの各部署から来てくれたスタッフらの顔が見える。そのほとんどの方たちとは顔見知りだったがそのとき1人の中年の男性が入ってきて私の近くに座った。これまで名刺交換した記憶はないがアップルの社員であることは間違いない。
ともかく準備ができた私は部屋の照明を落としてもらい、電子アルバムソフト「QTアルバム」のコンセプトならびにデジカメで撮った写真をいかに簡単にそして思うとおりの作品作りが出来るか。そしてその共有が可能になるかを力説しながら実際にMacintoshを操作しプレゼンを続けた...。

時間にして4, 50分だったろうか。一通りのプレゼンが終わり部屋の照明が明るくなったとき先ほどの男性が名刺を持って近づいてきた。
やはり初対面の方だったが、アップのとある営業部署の課長という肩書きだった。
型どおりの挨拶が終わった後、彼の口から飛び出た言葉に私は表情には出さなかったものの驚喜した...。
彼の話しは「いまプレゼンを拝見したが、自分が販売促進に取り組んでいるマーケットに配布する最適なアイテムだと直感した。いま500万円の予算があるがそれで3,000個の特別配布版作成を許可いただけないか?」というものだった。

驚いたというのは...前記したようにアップルジャパン自身が我々デベロッパーの製品を買い上げるという例はほとんどあり得ないと考えてきたから、後のPerformaへのバンドルといったことを別にしてこうした単刀直入な話に発展する機会があるなど夢にも思わなかったことがひとつ...。そして何よりも先ほどまで「500万、500万...」と頭の中で反芻していたその数字ぴったりの額の購入依頼があったことに大げさでなく「生かされている」という実感に包まれたのである。そして世の中は捨てたものではないなあ...と心から思った。
この出来事を偶然の一言で済ませてしまうのは容易いが、些かできすぎてはいないだろうか(笑)。こうした出来事の確率を計算したらそれこそ天文学的な結果になるのではないだろうか...。
世の中には「嘘だあ。古い話だからと面白可笑しく作り話をしているのでは?」と疑る人もいるかも知れない。私にとってもそんな言われようをされても当然だと思うようなドンピシャな出来事だったのである。
まあここでは作り話ではないことを示すため、当時の注文書を示しておこう(笑)。

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※当該出来事を証明するアップルの注文書(笑)


ともかくこの商談は即決されマスターとなるアプリケーションと簡易デジタルマニュアルを含むフロッピーディスク一枚とパッケージに記載するクレジットや欠かせないデザインパーツなどをデジタルで提示しただけで作業は完了した。無論請求額は間違いなくスムーズに入金された。
このときのあれこれが深く心に刻まれているのはほかでもない...。14年間でただ1回、この時だけのアップルジャパンへのダイレクト販売だったからだ。

パーソナルコンピュータは果たして知性を増幅させる代物なのか?

iPadやiPhoneを手にしている毎日は実にエキサイティングだ。次々に新しいものと出会うことになるだろうしそれらを手にしていると実に精神的にも落ち着いてくるような気もする(笑)。我々にとって無くてはならない物としてこれらは何らかの実用性を問うより精神健康グッズと化しているのかも知れない...。

 
マウスを発明したダグラス・エンゲールバートはコンピュータを「人間の知性を増幅させるマシン」と捉えていた。またスティーブ・ジョブズはかつてMacintoshを「知的自転車」と表現し、私たちの知的な行為はMacintoshを使うことで徒歩と自転車を使った以上の差を生じるとアピールした。

そうした観点から見ればパーソナルコンピュータやそこから派生してきた携帯電話あるいはiPadといった最新のガジェットは私たちの生活を便利で豊かにしてくれるものと考えられるし事実そうした考え方を否定する気はない。
私自身長い間パーソナルコンピュータおよびそのソフトウェアに興味を持ち、それらを扱うことを仕事としてきた1人だ。しかし手元にあるiPadの魅力に溺れつつ最近になって考えることはこれらの機器は果たして私にとって「知性を増幅するマシン」あるいは「知的自転車」となり得たのかどうか...ということである。

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※1978年撮影。前年に購入したワンボード・マイコンを自作ケースに入れて使っていた


ところでMacintoshが誕生したのはご承知のように1984年である。したがってその年に生まれた方は今年で26歳になる。
いまさらではあるがこうした方々は生まれたとき、パーソナルコンピュータが存在し無論家庭には電話やテレビは当然のこととして鎮座していたはずだ。また物心ついたときにはテレビゲームや携帯電話も自然な形で身につけたに違いなく、彼ら彼女たちの多くはこうした最新鋭の機器を身にまとって成長してきたといっても良いだろう。そして私などもパーソナルコンピュータという存在が新しい何かを生み出す原動力となり、新たな時代を作る基盤となると信じてビジネスを続けてきた。その課程でデジタルはすべてにおいてアナログより優れているといったイメージが先行したのも事実である。
これは最近の電子書籍は紙媒体の本を凌駕するといったニュースにおいても同じ視点で物事を見ていることに気づかされる。

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※1978年12月コモドール社PETを購入。写真はフロッピーディスクドライブとプリンターが揃った1981年撮影


が、過去を振り返って総括してみるとデジタル機器の台頭は果たしてそうしたバラ色の事ばかりであったとは思えない。
例えばだが、貴方は仕事関係、友人、家族、親戚らの電話番号をいくつ暗記しているだろうか。
先日身近の人たちに尋ねてみたが、ほとんどの方はそうした「電話番号を記憶する」ということを端から放棄し意識していないため、あらためて問われても自宅や会社の代表番号を含めて5カ所程度しか即答できないことがわかった。いや...他人事でなく私自身も同様で、まごまごしていると自宅の電話番号もあやふやになってくる。

ただし1970年代の私は間違いなく50カ所ほどの電話番号を記憶していたはずだ。無論間違い電話をしないため小さな手帖を確認することを常にしていたが、友人たちや主要な取引先、親兄弟などへの電話番号は自身の記憶を信頼していたものだ。
これは決して私が優れた記憶能力の持ち主であったわけではなく、当時皆が同様だったはずだ。そして問題は電話番号だけでなくより多様な住所だって数十カ所は記憶の棚にしまって置けた。
それがどうだろう...。いまでは携帯電話に100%頼っているからともすれば自分の携帯電話の番号でさえ確認しないと明言できないありさまだ。

一昔前は今のようにデータを容易に記録・再生できるものがなかったから自身で記憶するかあるいは頻繁にメモを取るしかデータと対峙する方法はなかったのである。とはいえ面白いことに当時だれもこうした環境を不満・不便に思っていたわけではないことだ(笑)。

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※1984年に購入したIBM 5550を前にした筆者


計算だって同じ事がいえる。
私が会社勤めをしたころ、机上にパソコンは勿論電卓すらなかった。無論会社に大型コンピュータが導入されたのは後の事である。だから一部上場企業の決算でさえ数値の集計はソロバンが頼りだった。
決算はともかく日常の集計にはソロバンで数回計算の確認をするのが日常だったし3桁4桁の四則計算程度はソロバン三級の私でさえ暗算ができたのである。それが今では2,3桁の加算でも電卓を頼りにしている自分がいる。

四半世紀前の日常を体験してきた1人として、そして1977年にワンボード・マイコンに出会ってこの世界に足を踏み入れ、その後現在までパーソナルコンピュータや関連機器あるいはソフトウェアを身にまとってきた1人としてこの変貌は果たして私の知性を増幅させたのだろうかと考えてしまう...。
しかし言葉の綾ではなく25年前の私は現在の私より若く柔軟であったということも含め現在より劣っていたとは思われない(笑)。

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※Apple IIとEPSONハンドヘルド・コンピュータHC-20とでファイル交換を試みた。1983年撮影


それに私のような歳になると以前には考えたこともないような昔の情景が思い出されるが、人の一生はコンピュータを使うことで長生きできるわけではない。限られた時間内に膨大な量の情報を体現させてくれることは間違いないが、その事だけで知性の増幅とはおこがましい。第一その情報だって本当に必要な物であるかは大いに疑問である。そうではないだろうか...。
さらに我々に与えられた時間はどうあがいても有限だ。したがってひとつの事に感心を向ければ別のチャンスは後回しになるか失うことになる。

コンピュータを使い、与えられた仕事を早く処理し余った時間をより有効なことに使う…といったことを目指しても現実は余った時間は別途増えた仕事に費やさなければならない。コンピュータで効率を目指した私たちだが結果は仕事を増やしてしまった感もある。

以前友人と話題にしたことがあったが、我々は好んでMacintoshを使ってきた。Macintoshだからというわけでは決してないが、このブラックボックスのパーソナルコンピュータというじゃじゃ馬を何とか乗りこなそうと多大な時間と労力をそれにかけてきた。特にこれまでにトラブル解消とメンテナンスにかかった時間を合計するとどれほどの時間を無駄にしているのだろうかと...。
勿論トラブル解消は単純に無駄な時間ではなくその体験から次のトラブルを減少させる何かを学ぶことができると宣うひとがいるかも知れない。確かに理屈ではそうだが、私にとってはやはり無駄なことは無駄な時間だったと思うしかない。
それこそ理屈だが、そのトラブルに使った時間を全部集め、本を読んだり映画を見たりできたとすればそれこそ知性の増幅となったのではないだろうか。

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※1984年、購入直後のMacintosh 128K。画面はMacPaint


パーソナルコンピュータに出会い、それをたまたま好んだ私は時代の風に後押しされ、自分で言うのも僭越だが針の穴のように小さな世界とはいえ一時期時代の寵児となった。しかし食うに困らない資産が残ったわけでもなし、実績として目に見えて残ったものは...そう、10数冊の著作物程度でしかない。
そうした体験からこれまでのパーソナルコンピュータという代物を振り返ってみるとそれは「知性を増幅」させるのではなくどこか「知性を消耗させる」アイテムではなかったかとも思ってしまうのだ。

いま、iPadが登場しパソコンの終演といったことが話題にもなっているが、我々は心のどこかでこれまでのパソコンというものに疲れを感じているのではないだろうか。その意識がよりシンプルなiPadを好ましく思うのかも知れない。

他の方は分からないものの、私にとってパーソナルコンピュータは残念ながら「知への好奇心を増幅」することはあっても「知性の増幅」にはなっていない。しかしパーソナルコンピュータの一番の効用は実に「人と人を結ぶHUB」となってくれたことではないかと考えている。それが近年ソーシャルネットワークの台頭で著しくなってきたと実感せざるを得ない。
それがコンピュータというものを33年間手にしてきた結論のような気がするのだが、皆さんにとってのパーソナルコンピュータはどのようなアイテムなのだろうか?


白昼夢〜Macworld Expoでパスポート盗難に遭った思い出

今年も日本からWWDCに多くの人たちがサンフランシスコに行かれたことだろう。私は1987年から2002年までの間、3回ほどは休んだが他はMacworld Expo参加のためサンフランシスコやボストンに降り立った。無論海外にでかければ様々なリスクは国内とは比較にならないほど多くなるが今回は渡米中にスタッフが盗難に遭いパスポートなどを掏られた苦い思い出話をしよう。

 
実は先日、すでに10年以上も前に体験したその夢を見た...。無論夢だからしてストーリーは荒唐無稽なのだが、その根幹たる不安感は実際に体験したものなのである。これまでにも同種の夢を何度か見ているが私なりのトラウマになっているのかも...(笑)。それに偶然なのだろうが、その朝にiPhone 3GSのiPodで音楽を流そうと以前iTunes Storeで購入したアルバム「モダン・ジャズ名曲100選」をシャッフルで再生したら流れてきたのは「思い出のサンフランシスコ」だった...。

何だかきちんと思い出して記録しておくように...といった啓示のように思えたのだが、アクシデントの話は正直当人にとって思い出したくないはずだ。しかしすでに10年以上も過ぎたわけでそろそろ解禁しても良いと考えご紹介することに...(笑)。それにもしかしたら今後誰かの役に立つかも知れない。いや役に立つような出来事に遭っては困るわけだが。
ということで...W嬢...いいよね!(笑)。

私自身は1987年から2002年までの間、年1回は米国へ行ったわけだが幸い身に迫ったトラブルに遭遇したことはない。いや1度だけサンフランシスコのExpo会場でクレジットカードを紛失したことくらいだろうか...。
さて本題だが1998年のMacworld Expoのためサンフランシスコに行ったときのことだった。

友人たち、そして私と共に会社の女性スタッフ2人を含む合計7人が参加することになり、出入りの旅行代理店に航空券や現地ホテルの予約、そしてオプションツアーなどを含めたオリジナルツアーを組んでもらった。なにしろまだ多少余裕のある良い時代だった。

確か1月5日の夜に成田を発ち10日に帰国というスケジュールだったと思う。
時差の関係でサンフランシスコへの到着は早朝のため、ホテルにチェックイン可能な時間になるまで市内観光することになっていた。
私らは今さらゴールデン・ゲート・ブリッジでもなかったが、ひとりだけ初めてMacworld Expoに同行したスタッフがいたことでもあり、ツイン・ピークスやピア39などを周り、翌日からのExpoに備えて鋭気をやしなっていた。

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※サンフランシスコの象徴でもあるゴールデン・ゲート・ブリッジ


Expoそのものは前年から開始されたThink differentの広告が異彩を放っていた時期で基調講演は無論スティーブ・ジョブズ CEOだった。そして気のあった仲間たちと寝起きを共にし、一緒に食事をしながら新製品やらの話をするのは無類の楽しみだった。

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※1998年1月開催のMacworld ExpoにおけるAppleブース(上)。そして当時はユニークで凝った展示をするブースも多かった(下)


楽しみと言えば最終日の9日にはApple本社に隣接しているカンパニー・ストアに出かけることにしていた。このカンパニー・ストアはご承知の通りアップル・グッズの総本山であり我々はここで自分用のアイテムは勿論、お土産を買うのを楽しみにしていたわけだ。
そのカンパニー・ストアの建物脇のスペースには私が「アイコン・ガーデン」と名付けた...そう、あのスーザン・ケア氏がMacintosh向けにデザインしたお馴染みの大きなアイコンが置かれていて、我々はそこでQuickTime VRを撮影することにした。

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※Apple カンパニーストア隣にあった「アイコン・ガーデン」


一通り撮影が済んだとき、向こうから女性の警備員が大きな体を揺すりながら駆け寄ってきて「撮影は禁止だ」という。誰が見たってこのだだっ広い場所に秘密があるようには思えないし、毎年この当たりでは記念撮影をしていたから一応抗議をした。しかしすでに撮影は終わっているし事を荒立てても益はないと判断してその場所を離れ市内に戻った。その後心臓が凍り付くような体験が待っているとも知らずに...。

市内に戻るとちょうど昼時だった。そこで皆一緒に毎年馴染みになったソバやうどんを食べさせる店に入り空いていた奥のテーブルへ座った。そして和気藹々オーダーした食べ物を食べ終わり、最終日のExpo会場に顔を出してみようかと店を出ようとしたとき通路側に座っていた女性スタッフのリュックがなくなっていることに気づいたのだ!

サンフランシスコ市内は特別なエリアを別にして比較的安全な街だといわれているがそこは外国には違いない。私自身パスポートの扱いや現金そしてクレジットカードの扱いには十分注意をしてきたしその旨スタッフらにも注意を促していた。
実は食事に際して彼女は小振りなリュックを椅子の背に掛け、それだけでは危ないからと厚手のジャケットをかぶせて座っていたという。それがジャケットはそのままに隠していたはずのリュックだけ丸ごと盗まれたのである。

彼女らが座った背中はトイレなどに続く通路であり、実は挙動不審の白人が行ったり来たりしていたのは覚えていた。だから隣に座っていた友人に「変な奴が」と話題にしたほどなのだ。
いま思えばかがみ込んで靴紐を結ぶような行為をしていたその男が犯人に間違いないと思うし、多分に彼は彼女が座る際にリュックを椅子の背にかけたところを外からガラス越しに見ていたに違いない。

しかし悲しいかな私自身にも危機意識が薄れていたのか、怪しい奴が行ったり来たりしていることは認識していたものの相対して座っているスタッフの荷物が取られることにまったく気がつかなかったのである。いまだから言えるがそれは見事なやり口だった。
ともかくリュックがない! 問題はその中に彼女の全財産が入っていたのだ。パスポート、航空券、財布とクレジットカード、自宅や会社の鍵類、デジカメなどなど...。

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※ホテルの部屋から展望したサンフランシスコ市内


気がついたのは9日の午後12時半頃だったが翌日の朝に帰国することになっていたのだ。しかし航空券はもとよりだがパスポートがなければ帰国できない。
本人は見るからに血の気を失っていたし会社の代表でありツアーを率いる責任者である私も初めての事に一瞬頭が真っ白になったが、ここで私が動揺するところを見せてはならないと気持ちをカモフラージュするのに必死だった。

数秒もかからなかったと思うが私はひとつの決心をする。それはまさか彼女1人を置いて我々だけ帰国するわけにはいかない。少なくとも私は彼女と数日このサンフランシスコに残り、領事館から仮パスポートの発行を待つしかないと...。そこまで決心したら気持ちが少し楽になった。後は手続きをどうするかだ。

一端ホテルの部屋に戻りツアー案内に記されていた旅行会社の緊急時連絡先に電話をした。しかし警察に行けというだけでいかにも迷惑そうな話っぷりで役に立たない。もっと詳しい対処方法を聞きたかったがこれでは時間ばかりが経過して無駄だと意を決し宿泊していたヒルトンホテルのロビーに降り、日本語を話せるコンシェルジェを見つけて相談した。

幸いその場にいた女性のコンシェルジェはまず「取られたとき気がつかなくて幸いだった」と慰めてくれた。もし気がついた場合、最悪は身の危険もあり得るとのことだった...。そしてその後我々が行動しなければならないことを詳しく教えてくれた。

コンシェルジェは地図を広げ、具体的にマーキングしながらまず近所にある写真店でパスポート用の写真を撮ること。それからここの警察に出向いて盗難届を出しその証明書を受け取ること。別の警察署では対応してくれない場合があるから必ず “ここ” にと強調する。そしてそれらを持って今日の4時までに日本領事館に駆け込めばその場で仮パスポートが発行されるかも知れないという...。コンシェルジェは私たちに手続きの順番を間違えないようにと念を押してくれた。

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※これまたサンフランシスコの街にはなくてはならないケーブルカー


盗難にあった本人と私、そして私だけでは英語が心許ないからと友人の協力を得て3人でとにかくミッションを実行することにした。
別のスタッフ1人を含む友人へはホテルに残り盗まれたクレジットカードを止める手続きを取ってもらうように頼み我々3人は街に飛び出した。

まずホテルの近くの写真店でパスポート用の写真を撮り、タクシーを拾い警察署に行く。幸いまずまず親切な警察官がいくつかの質問をしながら調書を書きともかく盗難証明書を発行してくれた。
気が焦っていたから詳しい時間は記憶にないものの、警察署を出たとき午後3時を少し回っていたと思う。後目指すは日本領事館だが4時までに入らなければならない。

あいにく雨が降り始めたが我々3人は傘をさす余裕もなくタクシーを探しながら地図をたよりに少しでも領事館に近づこうと駆ける...。途中でやっとタクシーを見つけて領事館の入っているビルに到着したが「日本領事館」という看板が壁面に大きく出ているわけではなく少々迷いながらもともかくたどり着いた。勿論我々は雨と汗とでびしょびしょだった...。

領事館へは時間的に間に合ったものの事は簡単でなかった。なぜならまず被害者の彼女が本人であることを証明しなければならないというがパスポートは無論、クレジットカードも何もかも失っているのだから証明のすべがない。
「こうした場合に他に方法はないのか」と聞くと私自身の身元が確認できれば保証人となることで彼女の身分を特定できるとのこと。私はそのときパスポートも所持していたし自社スタッフの保証なら容易いことだと手続きをしてもらうが、書類の発行に数ドル費用が必要になるとのこと。

当然私らは現金を所持していたから問題なかったが、彼女ならずとももし1人だけで旅行しこうしたアクシデントに遭遇した場合は保証人もクレジットカードや小銭もないわけで最悪の状態になってしまうことを痛感する。
領事館で仮パスポートを受け取ったときには大声をあげたいほど嬉しかったが明日の朝、彼女が我々と一緒に帰国するためにはもうひとつ重要なことを済まさなければならない。無論それは航空券の確保である。ただし当該便が満席などの場合は私もその便に変更しなければならないと覚悟する。幸い領事館へ向かうタクシーの窓から比較的近くにユナイテッドの看板があったのを記憶していた我々は一路その方向へ向かった。

友人がカウンター内にいる白髪のおばちゃんに盗難証明書のコピーを見せながら航空券の再発行ができるかを聞いてくれた。その担当者はありがたいことに大変親切で熱心だった。
”CLOSE”とか書かれたプレートをカウンターに置き私らの後ろに並ぶ人たちを他の列に促した後、じっくりと話を聞いてくれた。そしてどこかに長い電話をした後に「当該便の空席はあること」しかし「この場での再発行はできない。新規購入後、帰国したら手数料などを差し引かれた残金を返金できるよう手配する」と説明してくれる。
早速私のクレジットカードで1人分の航空券を購入し、帰国後に旅行会社に提示する書類を受け取った私たちは担当者に丁寧にお礼を言ってユナイテッドのカウンターを後にした。

「これで明日、一緒に帰れるのだ」と思わず3人は顔を見合わせる。それまでほとんど無言だった彼女にも笑顔が...。
3人はまだ小雨が降り注ぐ中を道筋にあったコーヒーショップに飛び込み本当の意味で一息入れることにした。
当時はアメリカ国内で使える携帯電話を持っていなかったことでもあり、ホテルの一室で我々の帰りを待つスタッフらに経過の連絡ができなかった。したがって待ち組の不安もまた特別なものだったと察するが、ともかく最悪の状態から幸い親切な人たちに助けられて難局を乗り切ることが出来た。
翌日全員が予定通りの便に乗り、おのおの座席についたときの感慨は忘れられない。

帰国後旅行会社に現地での対応の悪さについてクレームを入れつつ聞いたところでは午後に盗難に気づいて翌日帰国できた例は知らないと言われた。
それは前記したとおりまったくの1人でなかったこと、サンフランシスコという比較的短時間で関係先を廻れる狭い街だったこと、友人をはじめホテルのコンシェルジェ、警察官、領事館の担当者そしてユナイテッド航空の担当者ら親切な人たちがタイミング良く対応してくれたおかげであった。

後日談ということでもないが、被害に遭った彼女らと共に再びサンフランシスコに行った際、私らが誘ったにもかかわらず、あのうどん屋には入ろうとしなかった(笑)。


ラテ飼育格闘日記(184)

この6月10日はラテ4歳の誕生日である。無論ノラワンコを体験しているはずのラテは正確な誕生年月日など分かるはずもない。ラテが保護された当時、動物病院での診断で生後3ヶ月と判断されたことを根拠に計算したものだがそんなに事実とぶれてはいないはずだ。ただし何故10日なのか...という点についてはオトーサンたちが勝手に決めたことである。

 

ラテが保護されたのは1996年の9月だったそうだが、そのとき生後3ヶ月だとすれば誕生月は6月ということになる。そして我が家に引き取った日が同年12月10日だったことからオトーサンたちはラテの誕生日を6月10日と決めたのだった!
ということはラテと一種に生活するようになって早くも丸3年半が過ぎたことになる。

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※滑り台の不安定な階段も苦もなく登るようになった。いい顔してます!


いやはや、つきなみだが長いようであっという間だった...。最初は無我夢中でワンコを飼うことはこれほど大変なことなのか...と困惑したときもあったが、その後は日々ラテの成長が文字通り手に取るようにわかり面白くて仕方がない。
思えばラテを迎えて最初の頃、人通りが多い場所だったため散歩時にリードを極端に短く持ったのが気に入らなかったのだろう、後ろからオトーサンの腰に両前足で「ドン!ドン!」と蹴りを入れたときもあった(笑)。
逆に雨の日に大きな水たまりにさしかかったとき、そこを歩くのが嫌だったのだろう...いきなりオトーサンの両肩に両前足を置きダッコの要求をしてオトーサンを嬉しがらせたことも。

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※公園のベンチで一休み。それにしても大あくびだ(笑)


行き違う人たちにあまりに「雄ですか?」と聞かれるのに憤慨したオトーサンはラテにスカートのついた服を着せ半分得意、半分恥ずかしさに耐えながら散歩したことも昨日のようだ...。
そう、公園でワンコに前足を噛まれ、血を垂らし足を引きずりながら動物病院まで歩いた時もあったし、暴風雨の中だというのに散歩を決行したこともあった...。
動物病院といえば、最初にラテがお腹をこわしたとき、経験のないオトーサンは2時間近くもハウス内で我慢させてしまったことも。
女房にオヤツを取られると思ったのか、顔を近づけた女房の口元に「ガウッ」と歯を当て傷を負わせたこともあったなあ...。
最初期の頃は飼育本にあったとおり、1日何回もマズルコントロールを続けたし1度はビンタを喰らわせオトーサン自身の心が痛むときもあった。
それから、目を離しているスキにオモチャのボールを食いちぎって食べ、オトーサンは「これは外科手術でもしなければならないのか?」と一瞬頭の中が真っ白になったこともあった。
積雪を歩く初体験の日のラテのへっぴり腰と肉球の足跡がまるで梅の花のパターンみたいだったことも。
最初は他のワンコを怖がり近づかなかったので困ったと思っていたが、私が1日留守の際、女房に連れられていった公園で文字通り公園デビューさせてもらい、まだまだ好き嫌いが激しいものの...以来、ハリー、マキ、クロ、アポロ、ボー、ポン吉、ハチといった落ち着いて対応できる友達ワンコもできた。
物忘れが多い歳になったオトーサンだが、面白いことにそのひとつひとつのシーンにおけるラテの姿は表情まで思い出すことが出来る。

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※ビーグル犬ハリーのお母さんに甘えるラテ


そんなラテだがさすがに3年半も一緒にいれば随分とオトーサンたちの気持ちも楽になった。
毎日のトイレ事情は健康を考えて気になるものの、食事を残すことがあったり肉球をガシガシと噛んで傷つけたりしても以前ほどオタオタしないで済むようになった。そして何よりもラテ自身がオトーサンと女房への接し方や自分に対する役割を学んだようで大変落ち着いた対応をするようになった。
とにかくオトーサンが目指したのは家庭内でのトラブルを最小限度にしラテとの生活を楽しもうと考えたことだ。
どういうことかといえば、多少の欠点は仕方がないとしてもラテの健康と安全面に留意すると同時にオトーサンや女房は勿論、人に怪我を負わせるようなワンコではないこと。室内にいるときには必要以上に吠えないこと。そして何よりもラテに楽しいことを沢山体験してもらい、人生ならぬ犬生を謳歌してもらいたいと思ったわけ...。
だから人からどこを触られても怒らないワンコにしたかったし、餌を食べているときに手を出しても怒らないワンコ、そして人の手から安全に上手に食べ物を食べるワンコになってほしかった。
人の手は怖いものではなく撫でてくれたり美味しいオヤツをくれる嬉しいものだということをきちんと植え付けたかった。

4歳になったラテは初対面の大人に対して警戒し、一部の犬種および雌ワンコにフレンドリーでない点があるし嫉妬しやすい欠点はあるもののその他はまずまず良いワンコに成長したと思う。
面白いように感情を表現するし、かといって室内でもいわゆる無駄吠えはしない。
日中オトーサンはあまりかまってやれないものの、ラテはそもそもオトーサンにしつこくされるのは好まないようで普通は静かにテラスのたたきに乗り、外を観察したり寝たりしている。また信頼しているのか、食事が1,2時間遅くなるようなことがあっても催促して吠えることもなく、朝も五月蠅く吠えてオトーサンたちを起こすと言うこともほとんどない。
ただ食事後、遊びたいとボールやぬいぐるみを要求するときがある。その時は可能な限り例え10分でも遊んであげるよう心がけているオトーサンたちなのだ。

誕生日の夕方、散歩でいつもの公園に入ると小学3年生の女の子3人が「ラテちゃ〜ん」と駆け寄ってくれた。
数日前に話題となった...この10日がラテの誕生日だということを覚えていた1人がオトーサンの首から下がっているデジカメを見て「誕生日の記念撮影しないの?」と提案してくれる。オトーサンはいたずらに他人の子供の写真を撮るのも気がひけたが子供とは言え「ラテちゃんと一緒に撮りたい」といってくれるのだからとラテを囲んで数枚写真を撮らせてもらった。
無論ラテは1人1人の顔を交互にペロペロと舐めて喜びを表している。

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※3人の女の子と記念撮影。ラテは1人ずつ順番に顔を舐めていた...


友達ワンコには会えなかったが、ラテにとってもなかなか豊かなひとときではなかったか...。その後にわか雨に打たれたことを除けば(笑)。

ラテ飼育格闘日記(183)

犬を飼うということは単にワンコと暮らすというだけでなく自然に新しいコミュニティに参加することだ。今さらではあるがオトーサンにとって初対面の方々と知り合い、他愛もない話だとは言えお互いにコミュニケーションできるようになるとは思いもよらなかったが最近ではそれもひとつの生き甲斐になってきたように思う...。

 

オトーサンは目的があればどんな人ともそれなりに話を合わせることができる。それは長い間サラリーマンを経て後に小さいながらも会社を経営してきた課程で人との接触がいかに大切でかつ難しいな事なのかを身にしみて知っているからだ。しかし家族や友人たちとの会話は利害関係もなく楽しいものだが正直ビジネスが前提だと場合によっては人付き合いほど疎ましく心身を削られるものもないと感じるときが多々あった。
そんな経験を重ねたからワンコを飼おうとしたとき、もしかしたら深層心理は「人間より付き合いやすいワンコと生活したい」といった心の動きがあったのかも知れない(笑)。
というわけで3年半前、人生の1つの区切りという意味でもワンコを飼う決心をしたわけだが、ワンコなら四の五の言わずにオトーサンのいうことを聞くと思ったものの...そうは問屋が卸さなかったのである(笑)。

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※天気が良いとラテのご機嫌もよろしいようで...


ラテとの格闘は些か最初の頃と様子が違ってはきたものの、相変わらず体力戦および心理戦を戦っている毎日だ。しかしその戦いは決して仕事で付き合ってきた多くの人たちとのあれこれとは違い、心が豊かになることはあっても身を削られるようなマイナス面はない。
そして最初は考えもつかなかったがラテと暮らすようになり必然的に散歩などで行き交う方々との会話が増えてきた。
無論最初はワンコを連れている者同士としてすれ違ったら挨拶のひとつもするのが自然だろう...といった形式的な行動だったように思う。
ワンコ同士が行き交えば吠えたり吠えられたり、あるいはクンクンと臭いを嗅ぎ合ったりするわけで、その間リードを持っている人間同士が知らんぷりしているわけにもいかない(笑)。それにお互い犬同士仲良くすることも大切だしワンコ同士が友達になるにはその飼い主がそれを認めなければならない。
しかし面白いもので散歩を始めて数ヶ月も経つと気の合う方が自然にわかってきて何だか人付き合いの再発見とでもいうような心地よいものを感じ始めたのだった。

面白いといえばウィークディに公園で出会う飼い主さんのほとんどは年齢もまちまちな女性の方たち...奥さん方である。
しかし長い方だと3年半も公園で行き会っているにも関わらず、そのほとんどの方とは名前も知らず、住んでいるところも知らず、無論どのような境遇にある方たちなのかも知らないというのだから面白い。とはいえそれらの方々の何人かとは自然にお子さんの情報を含め家族構成や近況が分かったりもして親しみを感じる方々も多い。
無論散歩の途中でお会いしても難しい話をするわけではなく、ワンコの健康や食事のこと、近隣やワンコ仲間の動向といった話題が中心になる。そうした中で多少ではあるがお互いに個人的なことも会話に上ってくることもあるわけだ...。
一日中、何らかの形で人と接触していた昔と違い、日中1人でパソコンの前に座って仕事をしているオトーサンとしては公園などで出会うそうした方々との何気ない会話が心休まるものとなっていったのだからありがたいことである。

それから会話と言えば、ラテと散歩をしていると自然に子供たちとの接触が増える。なぜならラテが子供たちがいると好んで近づこうとして触れ合うきっかけが生まれることになる。まあオトーサンの歳になるとまさしく孫たちを見ているようで微笑ましくどの子供も愛らしいのだ。

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※女の子たちにもみくちゃにされながらもチュー攻撃をするラテ


オトーサンとラテの姿を見つけると「ラテちゃ~ん」と駆け寄ってくれ、最近ではラテに頬ずりし抱きつきもしてくれる。無論ラテはその子供たちが好きなのでされるがまま悦楽の表情をしている。しかしあまりにしつこくされるとさすがにラテもオトーサンに助けを求め抱っこを要求するときもあるが(笑)。
特に小学生の女の子たちが面白い。
木の上から「ラテちゃ~ん」と声をかけた後いきなり「バイバイ」と手を振る子。
ラテの正面に腹ばいになり「ラテ!ワンネエと呼んで」とラテとチューを交わす子。オトーサンが「ワンネエって何?」と聞くと「わたしラテのオネーサン、ワンコのオネーさんだからワンネエよ」という。
ラテに触るのが初めての子に「ラテは初対面の子は警戒するの。だから私と一緒にね」と現場を仕切る子。
ラテの首回りに抱きつき、「ラテちゃんの臭い、いいなあ」と頬ずりする子。

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※オトーサンの投げたボールを咥えて力走するラテ


そんな子供たちにある日いま話題のiPad (アイパッド)をバッグから取り出して見せた。
その場に居合わせた5人の女の子のうち2人が「あっ、それアイパッド」と叫ぶと同時に1人が「アイフォンだ」といったのには笑ったが...。しかしなかなかの知名度である。
早速1人の子供にiPadを渡すと初めてにもかかわらず、アイコンを次々にタップして自分の分かりそうなアプリを探す。結局ピアノアプリやお絵かきアプリを即使いこなす姿にオトーサンはあらためて驚いた次第。

翌日またラテと共に公園にいくと昨日はいなかった女の子が駆け寄ってきて「おじさん、アイパッドは?」と聞く。
「iPadを持ってると”もてる”」というのはどうやら本当のようである(爆)。
単刀直入な問いかけにオトーサンは少々たじろぎながらも「あっ、今日は持っていないよ。明日天気だったらまた持ってくるよ」と釈明を(笑)。雨の日は当然のことながら子供たちはこの場に遊びにこないからだ。
その翌日は幸い晴天だったからオトーサンは約束通りiPadをバッグに押し込んで散歩に出かけた。
本音を言うならバッグにはペットボトルに入った水や巻き取り式のリードなどが入っていて結構な重さなのだ。だからiPad単体ではあまり重さを感じないものの680グラムのiPadが加わると肩にグッと重みを感じるが約束は果たさなければならない。

事実公園に出かけ、子供たちが集まっている場所に行くと「あっ、ラテちゃんだ...」という声がかかる。オトーサンは昨日約束した女の子に「iPad持ってきたよ」と差し出すとその子の周りにはこれまでラテに近づかなかった男の子たちを含め8人ほどがワッと取り囲む。
子供たちの第一印象は「大きいぞ」ということだったがオトーサンが電子ブックとか写真の閲覧、お絵かきアプリの使い方を簡単に説明すると「スゲェ」と言いつつ全員が早くも手を出している。
正直オトーサンはiPadを落とされやしないか不安だったが、子供たちは嬉々としてアイコンを次々にタップし自分の理解できるものを探して遊んでいる。

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※iPadの周りにはあっという間にその場にいた子供たちの人垣ができる


ふと後ろにいた女の子から「おじさん、ラテちゃんのリード長くしてやって」と声がかかる。
オトーサンは沢山の子供たちが寄ってきたことでもあり、ラテが怖がったり吠えたりしないようにとリードを極端に短くして保持していたのである。そしてiPadを使う子供たちに気を取られてラテの様子を把握していなかったからリードが張ったままのためお座りも伏せも自由にできない状態だったようだ。
「ラテちゃん可哀想だから私が相手するよ」とその女の子は言いながらラテに頬ずりする。誠に気がつく優しい子である。
さすがに長い間ラテを放りっぱなしにしておくのも可哀想だからとオトーサンはiPadを持っている男の子に「では、またね!」と言いながらiPadを受け取ってバッグにしまう。男の子は感心なことに「ありがとうございました!」とオトーサンの背中に声をかける。オトーサンも「ありがとう」と言いながらその場を後にした。

iPadうんぬん以前にラテがいなければこうした子供たちとの接触もないに違いないしコミュニケーションなど取りようがない。こちらから積極的に近づいては単なる危ないオジサンになってしまう(笑)。
これすべてラテのおかげなのである。

初代 iPad

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2010年1月27日、サンフランシスコで開かれた製品発表会で発表され、4月3日より米国でWi-Fi版の発売が開始。さらに4月30日にWi-Fi+3G版が発売。日本では同年5月28日より発売開始となった。


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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員