ラテ飼育格闘日記(191)

暑い...。言いたくはないけど暑い日が続く。猛暑である。こうした真夏の約3ヶ月間はワンコにとっても大変辛い時期になる。無論日差しが強い時間帯には出歩かないようにと注意をしているがそれでもこの時期はラテの健康面についてもいろいろと気を遣うことも多いのである。

 

犬種にもよるのだろうが、長毛系のラテは暑さに大変弱いようだ...。我が家に来てから4度目の夏を迎えたわけだが、そのつらさ加減は行動や態度に明確に出ているのが面白いものの...やはり熱中症など病気にでもなったら一大事だからとこの時期は冬場より注意をすべきことが多くてオトーサンとしても厄介なのである。何しろ先日、夕方の散歩時に赤外線非接触温度計を持参して路面の温度を測ったら公園に至る歩道橋の路面は18時15分時点でまだ摂氏41.8度もあったのだからたまらない...。
一番重要なのは1日のほとんどを過ごすリビングの室温が必要以上に上がらないように気をつけることだ。何しろ防犯的な意味や虫除けの意図も含めて窓は通常閉め切っているし、天気の良い日には出窓側から強い西日もあたる。無論遮光式のカーテンがあるもののそのままでは室温は文字通りうなぎ登りに違いない。

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※暑いときはベンチを探して休憩モードばかりのベンチ犬に変身するラテ(笑)


したがってエアコンは不可欠である。設定温度は状況により変えるものの、散歩のための外出時および夜間の一部時間帯以外はほぼエアコンをつけっぱなしである。それでもラテの行動は冬場と比較してかなり緩慢であり疲れやすいというかダレた状態が続く。
一番顕著に表れるのが食欲が減退することだ。朝晩二回の食事を食べないとか大幅に残すという...らしくない行動を取るようになるのがこの時期の特徴だ。
最初の頃は心配してあれやこれやとメニューを変えたりもしたが、最近ではお腹が空けば食べることを知っているのでメニューを変えることもないし、小一時間の間に食べなければ食器を片付けてしまうことにしている。

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※友達のハリーちゃんと...。あたしホント疲れたんだからあ...とラテ(笑)


そして今年のこの時期、初めての行動を取るようになったのは興味深い。
それは、ウィークディの朝、女房が通勤のために近隣の駅に向かうとき、ラテを連れてオトーサンも駅まで行きそのまま朝の散歩コースをたどるという日課となっている。
その駅までの間、ラテは女房から小さなオヤツをいくつかもらいながら歩くのが楽しみとなっているわけだ。
所々で女房やオトーサンの膝などを「ツン」と突いてオヤツをねだったり、無類の笑顔でアイコンタクトしながら歩くのを我々もラテも楽しみにしてきた。それは昨年の夏場だって変わらなかった...。
ただし雨の日は例外で、濡れるのを嫌うラテは少しでも早く帰りたいとオシッコとウンチを早々に済ませたら即座に自宅に向かう(笑)。だから雨の日は女房と一緒に駅まで向かうということを放棄して早く帰ろうとラテ自身が努力するのである。

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※人間同様夏場は水分の補給が大切だ


今年の7月に入ったころからか、朝から無類の強い日差しが照りつけているとラテはまるで雨の日のようにあれほど楽しみにしている女房と一緒に駅まで行く行動をキャンセルするようになったのである。
駅に向かう方向とは真反対の自宅から数十メートル先にある小さな公園に向かって階段を上り、狭い芝生のあるエリアまで...そう時間にして10分から15分程度の間にオシッコを数回しウンチをし、その向こうに我が家の玄関に近い場所に降りられる階段を駆け下り、自宅に戻ってしまうのだ。
当然日によってはウンチが出ない場合もあるが、基本的に散歩を続けることをよしとせず、早く帰りたいという行動をとる。そうした日のウンチをオトーサンは「義理ウン」と読んでいるが(笑)、ウンチをしないとオトーサンの機嫌が悪いのを知ってか、まるで「これで帰ってもいいでしょ」と言わんばかりに小振りなウンチをしてリードを引くラテなのである。

しかし、たまたま階段を下りずに道なりにリードを引くような時もあるが、そうした日には国道の信号を渡ったところにあるコンピの前まで行き、座り込むケースも多くなった。
ラテの目的は明白である。コンビニで何かワンコ用のオヤツを買って欲しい...または冷たい水を飲みたいという意思表示なのである。
オトーサンもこうした日には「チョイあげ」といった105円のワンコ用オヤツの袋をひとつとぎんぎんに冷えたペットボトルの水を買うことにしているのだ。そして店の前の電話ボックスに繋いであるラテにオヤツの袋からひとつまみを与え、そしてオトーサンが飲んだ後の冷たい水をあげること数回、しっかりと味をしめたようなのだ。
ともあれコンビニは自宅から歩いて5分程度の近いこともあり、それで気が済むならオトーサンも楽だと無理にリードを引くことなしにしているが、コンビニでの一休み後は可笑しいほど素直に自宅戻るのだ。

戻った後、玄関のたたきにへたり込み、ゼイゼイと激しい息づかいをしているラテにオトーサンは冷蔵庫で冷やした水に浸したタオルを軽く絞り彼女の頭を包んでやる。

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※冷やしたタオルで頭をつつんでもらい、嬉しそうなラテ


眼も鼻もそして耳も包み込むような行為は本当なら嫌って暴れる所だろうが、最近ではタオルを持って近づくと自分から頭をタオルに突っ込んでくるほどになった。多分に気持ちが良いのだろうが、オトーサンだって雨に濡れたように肌着までびしょ濡れなのだ(笑)。それを後回しにしてまずはラテの頭を冷やし、四つ足や体を拭いてブラッシングするのが日課である。
その後ラテはいそいそとリビングの一番涼しそうな場所や肌触りのよいカーペットのある場所に陣取って横になり目をつむっている。
その姿を横目で見ながらオトーサンは汗だくで後片付けをするが、ふとラテを見ると今度は出窓のたたきに陣取って稲妻と雷鳴で騒がしくなった外の景色を平然と眺めている(笑)。

学研 大人の科学「テルミン Premium」とは?

先日、宝島社刊「テルミンで音を奏でよう!」に関するトピックを書いたら意外といっては失礼なものの数人の方からメールをいただいた。すでに使っている方やこれからテルミンを使ってみたいと考えている方々だったが特に完成品として売られている学研 大人の科学「テルミン Premium」に感心がおありの方がいたので今回は遅ればせながらそのお話をしたい。

 
前回のトピックでテルミンを知るには最低でも学研「テルミン Premium」程度の製品を使うべきだと紹介した。
それは...詳細な点は繰り返さないが、まったくのオモチャ同然なものではテルミンの面白さや楽器としての実用性を味わえないからである。
そうした意味でも学研 大人の科学「テルミン Premium」は完成品として価格的にも取っつきやすくそれなりに実用的でもあり、テルミンを楽しんでみたいという方にはお勧めの製品だと考えているわけだ...。

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※「テルミン Premium」の化粧箱


学研「テルミン Premium」の利点は価格だけではない。
まずは小型であること、そして単三アルカリ乾電池4本で動作し内蔵スピーカーも付いているため野外でも使え、本体から2本のアンテナを外せばアースバンドと共に例えばMacBook用などのソフトキャリングケースに収納して持ち運ぶのも容易である。
さらに外部アンプやスピーカーにも出力できるから、より良い音で使いたい場合にも対応が可能なのもよい。そしてボリュームアンテナも装備しているから楽器としてのテルミンを手軽に堪能できる。このボリュームアンテナがないとスタッカートや消音といった演奏には不可欠の表現ができないからだ。なお本体サイズは220×120×36mm 程度(突起物を含まず)とコンパクトである。
そう、楽器と言えばよくチューニングされた学研「テルミン Premium」は約5オクターブほどの音域を再現できるとのことなので演奏に制約も少ない。
パッケージを見るとまさしく女性ユーザーを意識したデザインだ。本体の形も変に異質なものでなく曲線を持ってはいるがフラットな作りであり全体がホワイトなABS樹脂製だからして大変明るくて優しいイメージの製品である。

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※「テルミン Premium」にアンテナをつけた全体(上)と本体フロント拡大(下)


さてテルミンは最初入念なチューニングをする必要がある。ここでは具体的に解説しないが、マニュアルや学研のウェブサイトなどで詳しい説明があるから難しくはないだろう。そしてもともとテルミンという楽器は電磁場を扱うわけで大変デリケートな楽器であり、演奏者も立ち位置を途中で変えたりオーバーアクションすると演奏に影響を及ぼすほどだ。したがってテルミンを設置する場所の半径1メートル程度には壁や物体、特に携帯電話やパソコンなどを含む電気製品がない場所が必要となる。
さらに演奏途中に他者が近づくといったことも避けなければならないし、テルミンを設置し演奏する毎に確認の意味で簡単なチューニングをする必要がある。それらを面倒だと考える向きもあるがそもそもギターだって弾く前にはチューニングする訳だし慣れればどうということもない。そして重要なことだが、正しくチューニングされた楽器による練習はテルミンならずとも上達のための早道なのである。
ともかく理想はテーブルの上というのではなく「テルミン Premium」底にあるネジ穴(3/8インチ)に合うスタンドを探し、部屋の中央などに立てて使うのがよい。奏者が椅子に座り、その膝に「テルミン Premium」を置いて...などというのは以ての外である(笑)。

ところでテルミンは馴染みがない楽器だけに習得が難しいといわれることがある。ひとつは同時に複数の音...すなわち和音を出すことはできず常に短音しか扱えないこともあるが私は最初、金管楽器のトロンボーンを扱うようなイメージでテルミンに向かったことを思い出す。あまり特殊特殊と思ってはかえって萎縮してしまうし他の楽器同様ステップを踏んで練習することが上達の早道であることは間違いない。
無論テルミンも教室に出向いて先生に直接指導を受けることが理想だが、一般的にはそうも言ってられないだろうから教則本を見つけることになる。ただしギターやピアノといったポピュラーな楽器の教則本とは違い、街の本屋の音楽コーナーにはテルミンの本などまずはないかも知れない(笑)。そもそもがまだまだ種類が豊富というにはほど遠いが個人的には我が国のテルミン奏者の第一人者である竹内正美著「テルミンを弾く」(岳陽舎刊)をお勧めしたい。

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※竹内正美著「テルミンを弾く」(岳陽舎刊)化粧箱


ただしすでに入手しにくいのが残念だがテルミンの初歩から丁寧な解説をされ図版も多くて分かりやすい編集である。本書はモーグ博士が開発したEtherwave Thereminを例にした教則本だが、演奏時の注意や奏法に至るあれこれは「テルミン Premium」でも十分に参考になるに違いない。そしてCDに収録されている模範演奏を参考にすれば最短距離でテルミンを習得できるはずだ。
私も時間のある時にこの教則本で繰り返し基礎を学んでいる。機会があったら是非体験していただきたいものである。
なお「テルミン Premium」の詳しいスペックやデモ演奏などは「大人の科学.net」を参照いただきたい。

大人の科学 製品版 テルミンPremium

ラテ飼育格闘日記(190)

多くの人たちにとって犬という動物のイメージはどんなものだろうか。犬嫌いならその姿はよだれを垂らしながら獲物を狙うオオカミ同然かも知れないが愛犬家なら名犬ラッシーやディズニー映画に登場する人に奉仕すると共に人間並みの頭脳を持った最高の友といったイメージかも知れない。

 

ワンコは我々と比較してかなり単純かも知れないが、人間同様高度な判断力とか思考力を持っていると考えている人たちも多い。反面哲学者のデカルトではないが、かつてはワンコは思考力も判断力もなく単に刺激に反応する機械であると論じる人たちもいた。
しかし本当のところはどうあれ、ワンコたちは古代から人間の最良の友であり協力者として一緒に生活してきたことは事実である。
そうした長い長い人類の歴史の中で多くの人たちにとってワンコは信頼に値する動物だと信じられてきた。しかし近年、ワンコたちの役割は大きく変わり、狩猟の友でもなければ荷物を運ぶこともなく、ただひたすら飼い主のペットとして癒しに貢献するという役割が多くなってきた。しかし考えればこのことはワンコにとって決して歓迎すべきことではないのかも知れない。

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※起きたばかりのオカーサンに執拗にチューを迫るラテ


多くの飼い主...すなわち人間は仕事を持っていたり地域にとっての役割もあり、文字通り四六時中ワンコにかかりっきりにはなれない。その反面限られた時間内では逆にワンコにとって迷惑なくらい猫かわいがりし、ある意味ワンコの自由を奪うことにもなりがちだ。そして日中はワンコ一匹で留守番をさせるといったワンコにとって不本意な日常になるのが一般的だろう。
もともとワンコは長時間一匹で楽しくリラックスして過ごすことが得意な生き物ではない。特に飼い主を愛すれば愛するほど一匹で過ごす時間が長ければ長いほど落ち着かなくなる...。だから、飼い主のいないとき家具を囓りたくもなるし吠えたくもなる(笑)。
それにもともとワンコにとって室内に置いてあるものは「囓れるもの」と「囓れないもの」に分類されるだけであり「囓ってはいけない」とか「囓ることでの罪悪感」といったものはない。無論飼い主に対して嫌がらせをするために家具を囓ったりするわけでもない。ただ囓りたいから囓っただけなのだ。

しかし飼い主側はこの辺のワンコが持っている特性を理解せず、前回も期した間違った擬人化のためかワンコに人間の思考能力と同等な能力があると誤解あるいは期待するだけでなく道徳の概念までをも押しつけたがる。まあ、そう思いたくなるほどワンコの知能は高いわけだが我々とその方向性が違うのだ。
そうした結果がどうなるのかは目に見えている...。
トレーニング、訓練が不足していると考えるのは正当だとしてもワンコにとって不当な期待がなされるだけでなく、トレーニングの名を借りた過酷な対応をとられることも多いようだ。そして期待はずれだとして体罰同然な扱いを受けるワンコも多いと聞く。

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※オカーサンに食事のおこぼれをもらおうと愛想を振りまくラテ。その表情は輝いている(笑)


確かにトレーニングはワンコにとって人間社会でトラブルなく過ごすための社会化を植え付けるものだ。
無駄吠えせず、かみ癖がなく、ワンコや未知の人間にも温厚でトイレの習慣を守り、食事中に手を出されても怒らず、体のどこを触られても唸ったりしないようにというのが我々のいう社会化トレーニングである。
しかし考えてみればこれらのほとんどがワンコ自身が本来持っている特性・習性に逆らうものだともいえる。
ワンコはそもそもが吠える動物だし、噛む生き物だ。そして自身の生命を守るために一度得た食べ物は他に渡したくないと執着する。そして体の急所部位はこれまた攻撃されないようにと守りの姿勢となり、基本的に触られるのを怖がるわけだ。しかし上手なトレーナーや飼い主の手にかかればワンコの本能や特性を巧く引き出しながら人間社会にとって適切な形に矯正できるほど賢くて柔軟な能力を持っているのがワンコでもある。

ただし問題は、繰り返すが...オトーサンたちは愛犬に対して知らす知らずのうちに人間的な知性を持っていることを期待し、ワンコの能力以上のことを求めがちなことだ。無論その要求や思い入れの多くはかなえられないことになるが、その結果「教えたのにできない」「いうことを聞かない」「悪いと知って反抗している」などと多くのワンコは問題犬とされ不当な罰を受けることにもなりかねないのだ。
インターネットや書籍などの情報を集めるといまだにワンコの訓練と称して虐待まがいの罰を受けているワンコが多く存在するらしい。
例えば期待と違った行為をしたからと打たれる、耳を引っ張られる、必要以上なチョークリードの使用などなどだ。中には一度で懲りる強い罰を与える必要があるという理由で蹴って制御するトレーナーもいるらしい...。

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※散歩から帰った後、疲れたのか...床にへたり込んで居眠りを始めるラテ


オトーサンはワンコの専門家でもないしトレーナーでもない。ただただ一匹のワンコを愛し、この子と毎日を安全で楽しく暮らしたいと願う1人の飼い主に過ぎない。しかしその三年半以上もの生活の中で少しずつだがワンコとは何者なのを考え、観察してきた。
その結果、いまさらではあるがワンコは高度な知能を持ってはいるもののその働きは我々人間の理解できるものとはかなり違うということが肌で分かってきた。
我々はワンコ自身たのめにも飼い主の責任を重く自覚し、いわゆる最低限の社会化トレーニングを怠らないようにしなければならない。しかしそこに体罰的な罰則は不要だし、いたずらに人間側の理論で多くを望まないことだ。
確かに愛犬を「うちのはおりこんさんで!」と思いたいのは山々だが、その利口さ加減は人間社会の価値判断と些か違うものだということを十分に理解してあげたいと思うのだ。もしラテが喋れたならきっと「オトーサン、ペット稼業も楽ではないのよ!」と愚痴るのではないだろうか(笑)。
ワンコは素のワンコのままで十分に可愛いのであり、ましてやトレーニングの名を借りワンコにとって心身ともに辛い罰を与えることなどもっての他なのではないだろうか。

そんなあれこれを考えていたとき全米ドッグ・ライターズ協会主催 Maxwell Awardを受賞したという「ザ・カルチャークラッシュ(The Culture Clash)」という本を見つけた。
ジーン・ドナルドソンというサンフランシスコ動物虐待防止協会付属のドッグトレーナー養成校、アカデミー・フォー・ドッグトレーナーズ創立者が書いた本だが、ヒト文化とイヌの文化の衝突といった面を考察し動物の学習理論と行動科学に基づいたトレーニングの薦めである。

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※ジーン・ドナルドソン著「ザ・カルチャークラッシュ」表紙


まさしく本書はイヌの身になって考察されただけでなく、ワンコを本来の姿のまま深く見据えたもので旧来からの支配性などにとらわれない説には大いに共感が持てる。機会を観て本書そのものに関してもレポートしたいところだが、私見ながらやはりというか...ドッグトレーナーという立場からワンコを考察しているという限界も感じる。
ワンコについて近年多くの研究が進んでいるがワンコ自身の証言はないわけで(笑)何が正しいのか真実なのかは我々にはまだまだ見通せないでいることが多い。
こんなに身近にいて伴侶ともいえる愛すべきワンコのことを我々はほとんど知らないというべきなのだ。
トレーニングが必要なのは愛犬そのものより我々飼い主の方なのではないか...。最近はそう思うことしきりである。

ラテ飼育格闘日記(189)

ワンコにも反抗期というのがあるのだろうか...。今年の6月で4歳になったラテはこれまでとは違い散歩の途中も自己的行動をしようとする傾向が多くなった...。オトーサンのリードに逆らったり、いきなり座り込んで頑として動かなかったりという行為は...さて何のサインなのだろうか?

 

ワンコに対し古い考え方を持つ飼い主なら言うことを聞かないその事は支配性の問題だと一刀両断するかも知れない。
相変わらず多くのトレーナー本には「犬はオオカミの時代から群れで行動する動物であり、リーダーに従って生活する」といった思い込みから、言うことを聞かないのは飼い主より自分の方がリーダーだと思っているといった考え方に向いてしまうようだ。しかし実際のところはリーダーがどちら...といった問題とは無縁だと思う。

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※さて、今日はこれまで通ったことのない方向へ行ってみようか?


さてこれまでラテと生活を共にするようになってから、どうしたらラテとトラブルなく健康に暮らせるかを一生懸命考えてきた。その課程でワンコの知能が当初考えていた以上に優れていることも知ったしラテの行動パターンもかなり分かったつもりでいた。
しかしここのところ散歩時にリードの引きがこれまでとは違った感じで多くなったのをきっかけにして「ワンコの立場から日常を考えてみよう」という気になってきた(笑)。
いや、笑い事でなく常々思うのだが我々はまだまだこのワンコという動物の実態をよく知ってはいないのではないか...。

オトーサンは勿論、我々は人間の理屈、人間の理論でワンコを理解しようとする。これは我々が人間であるからして至極当たり前のことだという以前に仕方のないことでもある。
そうした人間側の理屈でワンコを見るとどうしても愛犬に多くの期待をし、いわゆる擬人化を進めてしまうことになる。
特に飼い主はリーダー云々といったこと以前に愛犬は自分の所有物だと考える。多くはペットショップで大枚何十万円もする子犬を買ってきたのだからその感覚は当然でもあるだろう。また一生愛犬を守り育てることが飼い主の義務だと感じているはずだが、愛犬側からすればこうした飼い主の思い入れはまったくのナンセンスに違いないのだ。

例えばラテは「アタシはオトーサンを楽しませるために生きるの」とか「オトーサンと一緒にずっといたい」などとは思っていないに違いない。
いや、こうした物言いをするといかにもラテは薄情なように思われるかも知れないが、ラテに限らず愛犬は飼い主のために存在しているのではなく、あくまで自身の命を生かす努力をしているだけの生き物なのだ。
その課程でいかにしたら楽にエサにありつけるか、楽しいことを続けられるかを考え必要なら飼い主の顔色をうかがいお愛想をすることも辞さない(笑)。

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※小雨の降る日、雨宿りのためのガード下ベンチでご機嫌なラテ


申し上げるまでもなくワンコは我々人間のために存在するのではなく、自身の命を全うするために存在する。ワンコと人間との間で思い違いがあるとすれば、それはすべて我々人間側の責任だ。しかしワンコは飼い主にへつらうから可愛いのでなく、その存在がそのまま可愛いのである。
勘違いの多くはワンコに対する擬人化にあるといわれているが、ではそもそもなぜ擬人化はさけられないのだろうか。
それは私たち人類が生き残るために会得した相手を思いやる、相手の心理を読もうとする行為に関係するらしい。
集団で生活する生き物としての我々はいたずらな衝突を避けるため、常に相手が何を考え何を欲しているのかという情報を得ようとする性向を持っている。会話の端端や表情あるいは態度などからストレートに表に出ている情報だけでなくその裏を読もうとする。無論それは相手が具体的な行動を起こす前に知り得ればこちらにとって大変有利となるからだ。

問題はこうした本能ともとれる行為を無意識にワンコといった動物たちにも適応しようとするところにある。それは良い面では思いやりに通じるわけだが、相手はワンコであり人間ではない。
成犬の知能は人間の三歳児ほどだともいわれるが、それは人間の幼児と同じ思考あるいは行動ができることを意味しているわけではない。
例え知能はそれだけ高くても思考の手順と結果は我々人間のそれと大きく違っているはずだし、人のように両手が自由に使えないワンコは口を使わざるを得ない。
例えば「嫌っ!」と我々が相手を手で払うことをワンコは開いた口、すなわち歯を相手に押し当てるという行為で表すしかないわけだ。しかし我々は「こいつは噛もうとした」と思い込んでしまう。
人間とワンコとは体の構造と働きもまったく違うし、意識の働きに類似も多いがこれまたまったく違う生き物なのだ。しかし我々は自分が人間であるからしてワンコに対しても同じ意識で対峙してしまう。無意識にワンコも我々と同じ考え方をするに違いないと思ってしまう。こうして擬人化が起こる。

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※土曜日の朝、おはよう!と柴犬のタクちゃんに近寄るラテとボーちゃん


その擬人化の結果、我々はワンコの本当の姿ではなく自分たちに都合の良い、「こうに違いない」といった意味合いをワンコに押しつけることになる。要するに我々はワンコの意識側に立って物事を考えようとはしない独善的な生き物なのだ(笑)。
ここから多くのトレーナーとかワンコの専門家という人たちはもとより飼い主たちが間違った結論に達する。
「ワンコの祖先はオオカミだから群れで行動する生き物だ」「強いリーダーのもとで統率の取れた生活をする生き物だから飼い主はリーダーにならなければならない」。だから「玄関を出るときには飼い主が先に出て、飼い主の視線より上にワンコを置いてはならない」といったおかしな話しがまことしやかに正論として一般化してしまう。

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※今日のラテは滑り台への挑戦、やる気満々です(笑)


ということは、冒頭に書いたようにラテがオトーサンのリードを無視し、座り込んだり別の方向に行きたがる行動はオトーサンのリーダーシップに陰がさしていることになる。しかし本当にそうなのだろうか...。
その種の行動はリーダーシップ云々とはまったく関係はないと思う。実は反抗をしているのではなく、ただ単に「暑いし歩きたくない」あるいは「向こうの方に面白そうな何かがある」といった興味のためなのだ。
もともとワンコという動物は身の回りに起きるさまざまな出来事に反応せずにはいられない動物であり、それを飼い主側の意のままに操ろうととするのがいわゆるトレーニングという奴だ。
要はオトーサンの指示に従わせるためにリードを使ったトレーニングがマンネリ化しただけなのだと思う。どうもオトーサンたちは一定のトレーニングの結果、言うことを聞くようになるとそれでトレーニングが終わったと考える傾向にある。そしてそこで教えた...覚えたことは我々が自転車を乗ることを習ったと同様に生涯ずっとノウハウと体験が残ると思いがちだが、ワンコに対するトレーニングはこれで終わりということはどうもないようで、再確認させ繰り返し練習させることが必要なのである。

地べたに座り込んだラテはオトーサンが力ずくで引っ張るには大変な力を要する。しかし座り込んだラテの意志も尊重し、長くても数分そのままにしておき、その後で「ラテ、いくよ!」とリードをチョンと引けばオトーサンに付いてくるのである。
問題はいわゆるトレーニング...訓練の不足によること、そしてオトーサンの命令以上にラテにとって興味のある...あるいは重要なことがあればそちらに意識が向いてしまうということなのだろう。
したがって多くは飼い主側の怠慢と思い違いが原因なのにそれを愛犬が反抗していると捉え、場合によってはキツイ対応をとる飼い主がいるらしいことが問題である。これはワンコにとっては青天の霹靂であり迷惑千万の濡れ衣である。
まだまだオトーサンたち人間はワンコのことを知らなさすぎるのだ...。

新刊「スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン」を十分活用する心得

新刊「スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン~人々を惹きつける18の法則」を買ってみた。昨今はAppleという企業が注目を浴びてきたこともあってその代表者でありCEOでもあるスティーブ・ジョブズのプレゼンを参考にしようとする書籍も多い。しかしへそ曲がりの私はこの種の法則といったものを信用していない(笑)。

 
本書だけではないが、この種のノウハウ本はジョブズの極意を知り、それを勉強すれば貴方もジョブズ並の魅力あるプレゼンテーションができるようになると説く。
確かに人を惹きつけるしゃべり方というものは存在するし、そのスライドの作り方も真似すればそれなりに分かりやすい告知は可能だろうが事はそんなに単純ではない...。
そう、本書が文字通り真理なら本書の筆者カーマイン・ガロ氏はスティーブ・ジョブズ以上に魅力あるプレゼンができる理屈だが...さてどうなのだろうか(笑)。

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※日経BP社刊「スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン~人々を惹きつける18の法則」表紙


僭越だが私はAppleという企業やその製品に対する知識、そして歴代のCEOたちのプレゼンやらを体現してきたということなら人後に落ちない。
実際にジョン・スカリーのプレゼン、スティーブ・ジョブズのプレゼン、アラン・ケイのプレゼン、ギル・アメリオ、ビル・アトキンソンたちのプレゼンを眼前に見てきたしその長所短所だって比較もできる。そして確かにスティーブ・ジョブズのプレゼンが天下一品であることは認めるが単純に真似事をしたからといって文字通り上手くいくとは考えていない。そして私自身、全盛期には全国を飛び歩き、日々プレゼンテーションや講演、あるいはブースに立って製品のデモを行っていたし幸いそれらは高い評価をいただいてきた。そうした経験・体験からこれまでにもプレゼンをテーマにした何編かのトピックを書いてきたので参考にしていただければ幸いである。

・上手なプレゼンは「上質のジャズ演奏のように…」が理想
・スティーブ・ジョブズのプレゼンテーション秘話
・全国Mac行脚の旅…私のエバンジェリスト物語

さて「スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン〜人々を惹きつける18の法則」をパラパラと眺めてみると面白いことに気づく。それはここで好例として紹介されているスティーブ・ジョブズによるプレゼンテーションとはかつてのMacworld ExpoやWWDCあるいはプライベートイベントなどによるいわゆる基調講演、キーノートを意味しているということだ。勿論ジョブズはそうした要となる催事でしか登壇しないのだが...。

ではまず基調講演とは何なのか? それは催しや主張すべきことがらの基本的な路線を示し、来場者の興味を引き対象となるものが製品なら購買意欲に結びつけるための講演ということになる。
まだ記憶に新しい今年のWWDCにおける基調講演はiPhone 4の話題一色といってもよかったが、実際には冒頭はWWDCについて、そしてiPadの話しを含めAppleという企業の好調さをアピールしている。

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※2010年6月開催のWWDC基調講演におけるスティーブ・ジョブズ氏


さて、本書では基調講演やキーノートという場をプレゼンの目的のように解説されているものの果たして貴方は基調講演を行う立場にあるのだろうか...。
ここでいいたいことは一言でプレゼンというが、壇上に上がり集まった聴衆に新製品発表をするだけがプレゼンではないということだ。そして一般的にはいわゆる基調講演ではなく例えば展示会のブースにおける製品デモ...といった場面で通りかかる不特定多数の人々の注意を引き、足を止めさせ、デモを見る気にさせ、そして購買意欲を起こさせるといったことの方が我々には一般的かも知れない。
言葉の綾でなくプレゼンはKeynoteでスライドを作り、そしてそれを送りながら巧妙な話術を展開するだけのものではないということをまず知って欲しいし、繰り返せばほとんどの方は幸いにも基調講演を行うというチャンスには恵まれないだろう(笑)。
したがってプレゼンといっても社内の小さなサークルを対象にしたものから、何らかの展示会のブースで製品デモを行うといった広い範囲に役立つ練習を積み、ノウハウを自分のものにしていかなければならない。そこには単なるスライドの魅力的な作り方といった以前に話し手である貴方がいかに魅力的な話術を持っているかが問われるのだ。
大切なことはたくさんある。声の調子、抑揚、間の取り方、表情、ボディランゲージなどなど...すべてが調和したとき聴衆は足を止め注目し貴方の話を聞いてみようと思う。そもそもスティーブ・ジョブズに極意などあるはずはないのだ。彼が自身で努力し会得したように貴方も貴方らしいプレゼン、貴方でなければできないプレゼンを作り出すといった気持ちで事に当たらなければならない。

では早速私流プレゼンテーション心得というものをご紹介しよう。

[人前であがらないこつなどない、ただ十分な練習あるのみ]
では魅力的なプレゼンとは一体どんなものなのだろうか。
まず私たちのほとんどは欧米の人たちのように人前で自身の意見を理論然と述べるという教育も受けていなければ練習をしたこともないはずだ。したがってまず大勢の前で萎縮せずに明瞭な声を出すことからはじめなければならない。
このことは言うのは簡単だが、実践あるのみ...練習するしかない。無論闇雲でよいはずはない。
ただしレジュメに従い、喋ることはできたとしても人前で話すとなればあがってしまって思うように喋れないということになるかも...。この人前に出てあがらないこつがあるとすれば後述するいくつかのことをきちんと認識することから始まる。
そのひとつはどのような有名人、例えばスティーブ・ジョブズだとしても壇上にあがる前には猛烈に緊張するはずだ。この世の中で大勢の前に出て喋ろうとして...特に重要なプレゼンであればあるほど...あがらない人間はまずいないということを知っておこう。

アンドレス・セゴビアというクラシックギターの大家に「演奏時にあがらない方法を教えてほしい」という質問をした人がいた。彼は即座に「そんな妙案があるなら私こそ教えて欲しい」といったそうだ。
誰でもあがるものだ。まずはそれを認識し、それを克服するには自分の話っぷりに自信を持てるほど繰り返し、時計を見ながら練習するしかないのである。そして十分な練習をすることでプレゼンを自身が楽しみとすることができるまで咀嚼することだ。そして後述するようにテーマとなる対象を120%理解し、そして自身が素晴らしいもの(こと)だと核心していることが、あがらない一番の妙薬なのだ。

[アクシデントをイメージトレーニングで克服]
そもそも実際の場面では総じて事前の計画どおりにことは運ばないものだ(笑)。
喋っている途中でプロジェクターが故障したりパソコンが言うことを聞かなくなったり、あるいは聴衆が話し中にぞろぞろと出て行ったり、ヤジが飛んだりと練習時には考えもしないアクシデントが起こる可能性もある。
我々はそうした予想もしなかった出来事を前にすると臆してしまい、言うべきことを忘れ戸惑い、その結果支離滅裂な結果になりがちだ。
こうした間違いを事前に無くす妙薬は残念ながらないが、最善の方法は十分な練習と共にその練習中にさまざまなアクシデントが入り込む可能性をイメージトレーニングしておくことだ。
またプレゼン時の設備に関するアクシデントに対しては同じ関連設備を複数用意することで避けることが出来る。
昔、スティーブ・ジョブズがNeXT時代に行ったプレゼンテーションのとき、開口一番彼は「プレゼン時におけるアクシデントの確率は聴衆の数とその期待度に正比例します」と言いながら2つのシステムを用意している旨を紹介したことがあった。さすがである...。

[訴える熱意に耐えうる対象であるかどうか]
次に重要なのはこれから喋る内容、対象に対して本心から人に伝えたい、沢山の顧客に知ってもらいたいという熱意があるかどうかだ。
どこかの政治家や社長のように部下が書き下ろした原稿を棒読みするような姿勢では決して人々はついてこないだろう。
さらにプレゼンを成功させる最大の武器はプレゼンターが訴える対象をどれだけ理解しているか、そして心底その対象を好きであるか...という熱意である。
実はスティーブ・ジョブズによるプレゼンの魅力...強みは彼自身が当該製品開発の最初から最後まで関わっていることでもあり細部に至るまで熟知していること、そして自身の熱意で製品化したものであるからして自らが一番のユーザーという点なのだ。

そして逆説的だが、客観的にも(これが問題だが)訴えたい対象が本当に素晴らしいもの(こと)であるか...も大いに重要な問題となる。
「スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン~人々を惹きつける18の法則」の帯に「iPhone, iPad, iPodを成功に導いたプレゼンの極意を解き明かす」とあるが、私流の考えではこれは大きな間違いだ。決して彼の基調講演が直接製品の成功を導いたわけではない。

ちょっと考えていただきたい...。我々は確かにスティーブ・ジョブズのプレゼンは素晴らしいと絶賛するが、それは彼が単に舞台俳優のようにその場を上手にこなし我々を楽しませてくれるからではない。
忘れてもらっては困るが、彼が「素晴らしい」と誇示するMacintoshやiPod、iPhoneやiPadが例え好き嫌いはあってもそれらは確かに素晴らしい製品であることがまず前提だ。
もし多くのユーザーの手に渡った後にブーイングされるような製品をAppleが作ってきたのなら市場やユーザーはスティーブ・ジョブズの基調講演に良い席を取ろうと列んで待つような愚行は決してしないだろう。
我々はかつてMacintoshの登場も含め、iPhone, iPad, iPodが素晴らしく魅力のある製品だからこそそれらを求め、またそれらを鼓舞するスティーブ・ジョブズの物言いを信用するのだ。
我々ユーザーは決して馬鹿ではない。少しも面白くない製品をただただプレゼンの名手といわれるスティーブ・ジョブズが薦めたから買うのだろうか。無論そんなことはない。
「スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン〜人々を惹きつける18の法則」の帯にある物言いはiPhone, iPad, iPodユーザーに失礼であろう。

こうしたことは結果論だが忘れがちであり、プレゼンのノウハウ本などには書かれていることはほとんどないが重要なことである。つまらないものを大げさに鼓舞するだけならそれは詐欺である(笑)。観客は一度ならだませるかも知れないが次の熱狂を期待することはできない。そしてプレゼンター自身がその製品を120%知り尽くし、画期的で素晴らしい製品だと心から思っていなければ上辺だけの演技による熱意など聴衆にすぐ見破られてしまうだろう。
どこかのメーカーの社長のように、自信満々に掲げた新製品が上下逆さまだったというようなていたらくではプレゼンが上手下手以前の問題なのだ。

[プレゼンする相手により話し方や内容は変わることを知れ]
それに文字通り基調講演といった大がかりな場ではないケースでは聴衆はさまざまだ。
Macworld ExpoとかWWDCならそこに集まっている人たちが何を期待しているのかは分かっているが、場合によっては懐疑的な人たちが多い場所でのプレゼンだってあり得る。大切な事だが万人に受けるプレゼンというものはほとんど成立しない。
その場にどのような人々が集まるのかをきちんと認識し、その人たちに見合う話し方をしなければ決して支持されないだろう。
私自身の経験からいえば、基調講演のような壇上に立ってのプレゼンは比較的易しい部類に属す。なぜなら集まっている人たちはそこで何が起きるのかを知っているし、こちらも観客が何を期待しているかを分かっているからだ。

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※筆者による自社プライベートイベントのプレゼンの一コマ。個人的には壇上にあがる大規模なものより聴衆が眼前にいるこうした小規模プレゼンの方が難しい


逆に難しいのは街頭や展示会などで不特定多数の行き来する人たちの注意を引き、足を止めさせ、ブース周りに近づいてもらうことだ。
要は壇上でスピーチするやり方と街頭や展示会場...ブース内でのデモといった場所では規模の大小はともかく基調講演と同じ話し方では絶対にうまくいかない。

だから、スティーブ・ジョブズをプレゼンテーションの好例とすることは良いとしても、「基調講演のプレゼンをお手本にしましょう」というだけでは発展もなければ応用もきかずオリジナリティも生まれない。
昨今はスティーブ・ジョブズもAppleという会社も一昔前とは雲泥の違いでメジャーな存在になった。だからこそジョブズの名前を冠につければ書籍に限らず目立つし注目もされる。しかし我々はジョブズではないのであり、彼にならって黒いシャツにジーパンで登壇したからといって受けるわけではない(笑)。

[好感を持たれるような演出を]
基調講演もそうだが、聴衆に好感を持ってもらうためにはただ話しが上手であれば良いというものではない。服装、歩き方をはじめとしたボディランゲージ、表情などにも神経を使う必要がある。壇上の人物はそれだけでも偉そうなのに態度がどこか不遜と受け取られては大きなマイナス点である。
かつてAppleのCEOであったジョン・スカリーはMacworld Expo基調講演時、西海岸のサンフランシスコではTシャツ、東海岸のボストンではスーツにネクタイとスタイルを分けて演出していた。無論ボストンでTシャツ姿のときもあったが...。

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※Tシャツ姿のジョン・スカリー氏によるプレゼンテーション


個人的にはTシャツ姿のスカリーはどこか痛々しくて気の毒な感じもしたが、西海岸では堅苦しい雰囲気を与えないように、そして東海岸では旧来の大企業およびそれらのCEOたち、銀行や投資家たちを意識した演出だった。
したがって具体的には練習時に全身が写る鏡の前でやってみることも大切だし、幾度かは自分の姿をビデオに撮り全体の雰囲気や表情を研究するとよい。

[健康でなければならない]
最後にプレゼン...すなわち滑舌よく明瞭にそしてよどみなく喋るためにとても重要なことがあるのでそれに触れておきたい。
それは自身の口唇や歯の健康についてである。
毎日喋りが多かった時代、私はよく舌を傷つけたことがある。一度は声帯を傷つけ声がまったく出なくなったことがある。
その原因は虫歯を治療し金属を被せた歯にどういうわけか舌がよく当たったからだ。舌に小さな傷がついただけで喋りは大変辛いものとなるだけでなく滑舌が回らなくなる。
またお恥ずかしい話し、現在加齢も関係し歯の具合が良くないので遅ればせながら長期戦を覚悟して歯科医院に通っているが、1本歯を抜くと思うように喋れなくなるのだから困ったことだ。
したがって良いプレゼンを行うにはこれまで述べたいわゆるノウハウと同時に歯を健康に保つことが重要である。勿論人前で魅力的に振る舞うには歯だけでなくまずは健康でなければ話しにならない。風邪で咳き込んでいる人物に上手なプレゼンができるはずもない。

こんなあれこれを考えながら「スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン〜人々を惹きつける18の法則」をひとつの参考書とするのは確かにステップアップに寄与することになるだろう。しかし理想はあくまでも「スティーブ・ジョブズのように」ではなく「貴方だけにしかできない」プレゼンテーションを演出していただきたいと願っている。

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン〜人々を惹きつける18の法則

ラテ飼育格闘日記(188)

ラテの日常は他のワンコたちと同じだと思うがほとんどの時間を睡眠に費やしている。本当に熟睡しているのか、あるいは眼は明いて体だけ休ませているのかは分からないが朝晩の散歩と食事そしてオトーサンたちと遊ぶ以外は横になっている。しかし最近ラテにとって新しい居場所が追加されたのである。

 

これまで機会ある毎に記しているが、理由は分からないもののラテはオトーサンと一定の距離を置いて過ごしているように思える。無論散歩時とか室内でのボール遊びといった場合にはオトーサンと精一杯楽しんでいるようだがひとたび落ち着いて対峙すると口元を舐めたり体を触れてきたりといった行動はまずしない。
これが女房はもとより、他の飼い主さんたちには盛んに口元を舐めにいったり抱きついたりするのだからオトーサンは些かむくれているわけだ(笑)。

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※リビングでご機嫌なラテ。隣の椅子に女房がいるからだ


オトーサンとしてはワンコを飼うということは、例えばリビングのソファーで読書しているとき、その足下に愛犬が寄ってきて体を傾けうずくまる...といったことをイメージしていたし望んでいた。しかし我が娘ラテはどういうわけかいたってクールな女で、幼犬時代にもオトーサンが本を持ち出すと読むのを止めろという意味なのか、その本に飛びついて破ってしまうことはあってもオトーサンの傍らにそっと静かにうずくまるということはなかった。ちょっと離れた場所で腹ばいになり、オトーサンの様子を伺うその様は何とも他人行儀に思えるのだ。

どうせ横になるのならオトーサンの側で座ればよいと思うが、それがラテのスタイルとなっているのだから仕方がない。
しかし思えばラテを飼い始めたとき、ひとつの大きな目標は...格好いい言葉でいうなら...”自立させる” ことだった。
ニュアンスは少々違うものの飼い方・育て方といった本にも同様のことが書いてあるケースもあった。
例えば、飼い主が留守でも分離不安などなく1人(一匹)大人しく留守番ができること。また夜は決まった場所でこれまた1人大人しく寝るワンコに育てること...といったことだ。
それに飼い主があまりにかまい過ぎるのはいけないともいうからオトーサンは朝の散歩が終わったら夕方の散歩までの間、昼時にラテにもオヤツをあげる程度で放っておくのが普通となった。無論この日中にオトーサンは仕事をし、場合によっては来客があったり出かけたりするわけだ。

最初の数ヶ月はオトーサンが玄関のドアを開けたりすれば心配になるのか追うように吠えたりもしたが最近では静かなものである(笑)。そして余程のことが無い限りオトーサンを呼ぶために吠えたりもしない良い子に育った...。というよりあまりに1人好きワンコなのでオトーサンが寂しいくらいなのだ。
無論夜寝るときはリビング全域がラテの寝室となる。クレート内はもとより出窓のタタキ、電気マッサージチェア、フローリングの床といった場所をラテは気分と体調そして室温などを考慮して自由に好きな場所で寝ていいことになっている。
これまた病気でもない限り、たまに寝言で吠えたりもするがオトーサンたちを起こしたりすることはまず無いし朝も大変大人しい...。

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※石の上にも30秒(笑)。散歩の途中で...


確かに、どうやらラテは自立したワンコに育ったようだが、これではオトーサンは面白くない(笑)。
あの「いつも足下に愛犬が...」という夢はどうしたのか。オトーサンはラテの寝顔を眺めながらため息をつく...。
ラテがオトーサンに近寄らないならオトーサンがラテに近寄ればよいと思ってたまたまご機嫌伺いをする。最初はラテも気を遣うのだろう...オトーサンの腕に前足を乗せたりもするがすぐに飽きて離れて行く。まったく愛想のない娘である。親の心子知らずである。あんまりである...。

しかし、女房には態度が違う。ラテから積極的に近寄り、口元を舐めたり体をぶつけていくのだから余計オトーサンとしては嫉妬するわけだ(笑)。
どこでどう間違ったのかは分からないが今さらベタベタするワンコに育て直すわけにもいかないだろうし、そもそもが視点を変えるなら実に手のかからないワンコなのだ。それは重々分かってはいるもののラテの素振りを眺めていると寂しくなるオトーサンである。

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※女房のリードで急な坂を駆け下りるラテ


だからというわけではないが、ある日これまでやったことのないことを試してみた。
ラテは前記したように日中のうちは1階のリビングにいるがオトーサンは2階のオフィス代わりにしているコンピュータ室で仕事をしている。そのオトーサンがいる部屋から1階のリビングの様子を小型のワイヤレスビデオカメラでモニターし、いまラテがどの位置でなにをしているかを常に分かるようにしているのだ。無論それはラテの安全のためである。
いま吠えたのが出窓から外に向かったものなのか、室内に向けオトーサンを呼んだのかもこれなら判断できるわけだ。したがっていちいち吠えたからといって階下に様子を見に行く手間もかからないわけで便利にしているが、余計安心して日中はラテを放っておくようになってしまったのかも知れない...。

それを些か反省し午後の2時間ばかりをオトーサンのいる2階の部屋に呼んでみたのであった。
これまでコンピュータ室にラテをほとんど入れないのには訳がある。
ひとつにはラテにとって危険なものが溢れているからだ。通電しているコードやケーブル類も多々あるしラテが飲み込みそうな小さな機械部品も転がっている。それにラテに壊されてはシャレにもならない貴重なアイテムも多いから、どうしてもラテを遠ざけてきたのである。
2つ目はラテの抜け毛がコンピュータやハードディスク類の冷却ファンなどから機器に吸い込まれトラブルを生じることを懸念してのことなのだ。したがってこれまで極々短時間、この部屋に連れてきたことはあっても30分と落ち着いたことはなかったのである。

今回オトーサンが連れてきてみようと思ったのは幼犬時代とは違い、むやみやたらにそこにあるものを囓ったりはしなくなったからだ。
一応オトーサンがリビングにいるラテに「ラテ、おいで!」と手招きすると喜んで2階へとオトーサンの後について軽快に階段を上がってきた。そしてオトーサンは自分の椅子に座り、あらかじめ危ないものは片付け、多少のスペースができた場所にラテを座らせてみた。
冷房が入っている部屋のフローリングは冷たくて気持ちがよいのか ( リビングも冷房を入れているので同じだが )、早速そこに腹ばいになり、しばらくすると完全に横倒しになって目をつむりはじめた...。
しかし正直「こりゃあ、続かないだろうなあ」と思った。飽きっぽいというよりそもそも散歩や遊んでいる時を別にすればオトーサンの側でリラックスするといったことを好まないラテだからである。だから部屋のドアは開けたままにしていつでも自由に階下に降りることができるようにした。

フローリングに寝そべったラテは文字通りオトーサンの足下であり手を伸ばせば撫でることもできる。
そのままオトーサンはモニターに集中し約30分程度作業を続けていたが驚いたことにラテはそのまま寝ているではないか。決して床が冷房で冷たいというだけではないはずだがその日は約2時間、ラテはオトーサンの足下でうずくまっていた。無論オトーサンはキーボードを叩いたり映像を再生するために音を出したりするがラテは気にするようでもなく静かにしている。
味をしめたオトーサンは翌日の午後3時から夕方散歩に出る直前までラテを同じようにコンピュータ室に連れてきたがこれまた嫌がることはなく素直に足下で横になり、時折オトーサンの様子を観察している。
どうやらラテはこの場所が気に入ったようなのだ。

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※コンピュータ室の床に大人しく腹ばいになったラテ


ある休日の朝、オトーサンはまだ布団の中でまどろんでいた。女房が階下のラテを呼んで2階の寝室へ連れてきた。まあまあその喜びようは見ていてこちらが嬉しくなってくるほどでひととき女房と遊んでいたが相変わらずオトーサンの鼻先までは様子を見に来るがチューもしてくれない(笑)。そのうち「カツン...カツン!」という音がするので「何?」と女房に聞くとラテがコンピュータ室のドアを開けたくて叩いているという...。

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※コンピュータ室にあるMac Proの光学ドライブを開け閉めすると何故か顔を輝かすラテ(笑)


ラテに甘い女房がそのドアを開けるとラテは早速室内に入った...。それを布団の中で知ったオトーサンは何か危ないものでも囓ってはまずいと起き出してコンピュータ室を見ると何とラテはいつもの場所に座り込み、口を開けて笑顔でオトーサンの方を見ているではないか。
どうやらラテにとっても、そしてオトーサンにとっても新しい憩いの場所ができたようだ!

ラテ飼育格闘日記(187)

ラテが自分の肉球をカミカミしなくなったと安心していたら夕方の散歩時に大きく後ろ足を引き一時は三本足でケンケンているのに気がついた。平らな舗装道路を歩くときには気がつかなかったが、草木の生えているところを歩くと痛いらしい。まったく困った娘である。

 

このところいわゆる夏場の様相が表れてきた。どういうことかといえば、ひとつには食事の食いつきが悪くなったこと、2つには気温のせいなのか体力がないみたいでしばしば足を止めて休むし、公園でベンチを見ると飛び乗ってご休憩ポーズとなる。
まあ、食事の食いつきが悪いといってもそれだけでは昔ほど驚きもしないしメニューを変えたりもしない。お腹かが空けば食べるだろう事は知っているし多少の食欲減退はダイエットにつながるかもしれないし...(笑)。
しかし肉球への傷は困る。こればかりは24時間見張っているわけにもいかないし、散歩から帰ったらイソジンで消毒する程度しか対処方法はない。とはいっても今日などは一時期後ろ右足をほとんど上げ、三本足で歩くような感じもあったからそれなりに痛いのだろうと思う。

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※右後ろ足を上げながら歩くラテ。痛々しい...


公園に行けばその真ん中に腹ばいになり、オトーサンがリードを強く引くまでそこを動かない。そしてしばらく歩いてはまたお座り状態となり友達ワンコを待っているのかそこでじっとしている。しかしかけずり回ることはしなくても、散歩に連れ出したのに草むらでずっと座り込んだり公園のベンチに飛び乗って「嗚呼...極楽」とばかりにご休憩のポーズをされては何のために外に出たのか分からないではないか。

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※天気雨の夕方、ベンチでご休憩のお嬢様(笑)


無論ラテが動かないのは肉球が痛かったり、あるいは暑さに弱いからだけではない。そもそも遊ぶ相手がいないのも原因に違いない...。
ここの所、随分と日が長くなったことでもありオトーサンも冬場とは違い夕方の散歩は遅めの時間に出るようにしている。それでも一昨年あたりと比較すると友達ワンコたちに出会う確率はかなり少なくなっている。
いや、当然のことながらワンコたちが忙しいのではなく飼い主さんたちの日常が2年とか3年前と比べれば大きく変化しているわけで、必然的にワンコの散歩にも様々な影響を及ぼしているものとオトーサンは想像している。

一番はお子さんたちの成長であろう。3年前に小学五年生のお子さんは今年中学3年生になり修学旅行に行かれただの、高校受験がどうのこうの...といった年代になったわけだ。したがって必然的に塾通いや学校の行事あるいは部活で忙しいらしく、ワンコと散歩という余裕はないらしい。だから、ラテが公園デビューした3年半前と比較するとお子さんがワンコを連れてくるシーンはあまり見られなくなった。
無論忙しいのは子供たちだけでなく大人もなかなか余裕のある時間を思い通りに過ごせる人は少ないようだ。仕事そのものも大変なのは当然だし、年代的に両親の介護に時間を取られている方々も増えている。
そんなわけでラテも気の合う仲間がいればかけずり回ることはともかく気が紛れるに違いないが、気の許せるワンコに一匹も会えないとなれば腹ばいになっているしかない(笑)。

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※公園にある遊具に挑戦?


いや、ラテの楽しみはワンコだけではなく小学生の子供たちでもあるが、特にラテを可愛がってくれる女の子たちを観察しているとこの子たちも当然のことながら時間とともに成長しているわけで大変興味深い。
例えば3年前に会ったとき、その子供たちは小学3年生だっがいまは当然のことながら6年生に成長している。
彼女たちも昨年あたりまでは出会うとかけ寄り「ラテちゃん」という声と共にラテの周りを取り囲んだものだ。しかし今では様子が些か違っている。
子供たちの近くに寄れば「ラテちゃんだ」とか「元気?」と声をかけてくれ、あるいはラテを撫でてくれるが彼女らの興味はワンコより友達たちとの交友へと変化しているように見える。いや、先日などオトーサンは思わず吹き出しそうな会話を耳にしたほどである...。

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※散歩から帰れば...やっぱり寝てる(笑)


夕刻6時過ぎたからか、彼女らはそれぞれ自転車にまたがり「ではまた明日ね」と声を掛け合っていたそのときオトーサンとラテが通りかかったのだった。
馴染みの小学六年生の女の子3人が自転車を引きながら「ラテちゃん!」と声をかけてくれる。
オトーサンは「気をつけて帰るんだよ」と声をかけると、1人の女の子がオトーサンに対してなのか友達の1人に対してなのかはわからないが「人を好きになるって辛いわよね」とシンミリ言うではないか(笑)。
オトーサンの前で悪びれることなく大人びた顔でいうその子の表情を見て吹き出しそうになるのを押さえながらオトーサンは「好きな人がいるんだ?」と答えるしかできなかったが、「そうなの...」と言いながら去っていく姿を眺めつつ、彼女たちは日々成長しているんだとあらためて知らされたオトーサンだった。

幸い今小学校3年生の女の子3人が昨年からラテに会うと喜んで遊んでくれるようになった。
オトーサンたちが公園に入るのを見つけると向こうの端から「ラテちゃ~ん」と言いながら走ってくる。また他のワンコの飼い主さんから聞いたところではオトーサンたちの表れる時間帯が遅くなったとき「ラテちゃん知らない?」と探してくれるらしい...。
この子たちも後3年もたてば異性への興味が増し、ラテのことなど見向きもしなくなるに違いない。いやそのラテだって後3年経てば7歳になるわけで一般的なワンコの年齢からすればシニアの分類に入ってしまう。

そんなあれこれを思うと実にこの瞬間、この時に何とか健康で元気に女房およびラテと暮らせること、そして様々な飼い主さんたち、子供たちと出会える幸せを大事にしなければならないと感じる。若いときには時間など未来永劫続くものと思っていたがラテと一緒に生活するようになって1日1日を例え平凡であっても安全無事に過ごすことの大切さを実感しているオトーサンなのだった。

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appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員