ラテ飼育格闘日記(195)

「ラテ飼育格闘日記(190)」でジーン・ドナルドソン著「ザ・カルチャークラッシュ~動物の学習理論と行動動物学に基づいたトレーニングのすすめ」という本に少し触れた。本書は全米ドッグ・ライターズ協会やアメリカンペットドッグトレーナーズ協会など多くの賞賛を受けているというので購入してみたわけだが、読み進めるうちに違和感が増してくる...。

 

本書の著者、ジーン・ドナルドソンは本書のプロフィールによればサンフランシスコ動物虐待防止協会付属のドッグトレーナー養成校、アカデミー・フォー・ドッグトレーナーズの創設者であり、同校は高レベルの優れた教育が評価され「ドッグトレーナーのハーバード」と呼ばれているという。
筆者は大人気のトレーナーであり彼女のトレーニングコースは6ヶ月もの入学待ちという盛況ぶりだという。また”ほめる”ドッグトレーニングのパイオニアであるイアン・ダンバー博士が序文でべた褒めの一冊でもある。

Latte195_01.jpg

※ジーン・ドナルドソン著「ザ・カルチャークラッシュ」レッドハート刊表紙


オトーサンはその序文が気に入った...。
そこには「.....著者は映画が作り出した名犬のイメージを一掃し、気まぐれで遊び好きなイヌの愛すべき生態をありのままに描いている。そこに一貫して流れているのは、イヌへの尽きぬ愛とイヌの気持ちに対する深い洞察だ。著者が常にイヌの視点からしつけのあり方を問い、イヌの幸せを論じているのが本書の特徴である。」と評し「私が(イアン・ダンバー博士)これまで読んだイヌ関係の本の中でも白眉の一冊」と褒めているのである。

とまあ、本書はどうやらこれまであまたあるワンコ関連本の中で白眉の一冊であり優れた洞察により「イヌとは?」という長年の疑問答えてくれるのか...と期待して読み始めた。
しかし読み進めるに従いどうにも心地よくない感情が持ち上がってくるのだ。
オトーサンはこれまで文字通り数十冊ものワンコ関連本を読んできたが、それらの筆者らは動物行動学者、人類学者、科学ノンフィクションライター、動物病院の医者、トレーナー、ブリーダーと多義に渡る。ただし白状しておくが、トレーナー...訓練士たちの書いた本は総じて気にくわないのである(笑)。

Latte195_04.jpg

※砂場の公園はラテ大のお気に入りなのだ


オトーサンはトレーナーの方々に特別喧嘩を売るつもりもない(笑)。しかしこれまでに読んだ本の筆者である幾多のトレーナーの主張がオトーサンの勘に障り違和感を覚えるのだから仕方がない。オトーサンもビギナーの頃には見聞きする訓練法が良いように思え、「愛犬が見違えるほどいい子になる」とか「数秒で吠えなくなる」といった類のDVDも買ったことがある。それらは皆テレビ番組などで有名になったというトレーナーの方たちによる独自のノウハウだという触れ込みなのだが、実際に見てみると手品の種を明かされたような妙に空しさを感じるのだ...。

トレーナーという仕事は当然のことながらワンコをその飼い主の命じるままにきちんと動くよう訓練することだ。したがってどうしても結果第一主義ということになる。そして例えばシーザー・ミラン著「あなたの犬は幸せですか」のように群れとしてのリーダーシップをいたずらに強調しリーダー(飼い主)のエネルギーのあり方...といったつかみ所のない旧式の説でワンコとの接し方を説明しようとする人たちが多いように思える。

中には玄関のチャイムに反応して飛び出すのを止めさせるのに玄関マットに紐を付けて引き、愛犬をスッテンコロリンさせる...とか、吠える犬を一瞬で黙らせるためお酢を薄めたものをスプレーしろ...とか、久しぶりの再会時には2日目まで知らんぷりしろ...とか、飼い主が帰ったときなどに飛びつくワンコには後ろを向いてしまえ...などなど奇妙なテクニックが披露される本もあるが、ワンコの気持ちはどうでも良いのだろうか(笑)。
例えば本書の著者ジーン・ドナルドソン自身、トレーニングという名に基づき、ワンコを競技会で入賞させるためとはいえワンコが命令に反した場合に耳をひねるといった嫌悪刺激を用いることが公然と行われていることを指摘し、それは動物虐待以外のなにものでもないと指摘している。ましてや競技に勝って小さなリボンや盾をもらうことがそれほど大事なことなのか...という物言いには多いに賛成だ。

さて、オトーサンもワンコのすべてが「名犬ラッシー」のように大変利口で善悪をわきまえ、悪に対して復讐し、周到な計画を立て、難問を解決して飼い主の大切にしている人や物を守る...というストーリーがフィクションであることは承知している。しかし一方ルネ・デカルトのように、ワンコに高度な精神機能はなくスイッチを入れればそれに反応して動き出す機械と同じく環境からの刺激に反応しているに過ぎない...という説が真実を表しているとはとても思えない。
本書にはラッシー的解釈をウォルト・ディズニー映画に帰し、デカルト流の行動主義心理学理論をB.F.スキナー(米国の心理学者で行動分析学の創始者)に帰した解説がなされているが、それによればジーン・ドナルドソンはB.F.スキナーの流れをくむ行動主義的理論の支持者ということらしい。

まあジーン・ドナルドソンの趣旨は、ワンコは例え「空っぽの頭しか持っていなくても素敵で可愛い」ということであり、いたずらに擬人化することがワンコと人との生活に問題を引き起こす...ということに尽きるようだ。そしてワンコの身になって考えることを薦めている点や、これまで多くのトレーニング書に主張されてきたワンコの群れの理論や支配性うんぬんについて完全否定している点は評価できる。
彼女はワンコが飼い主よりも先にドアを出たり、リードを引っ張る行動を飼い主を支配しようとしているからだという考えはまったくもってナンセンスとバッサリと切り捨てている。ましてやそれらを止めさせようと嫌悪刺激を与えるのは間違っていると言い切る。そしてこれまた一説にはやってはいけない遊びのひとつであり、もしやる場合には必ず飼い主が勝って終わるべきと言われてきた「ひっぱりっこ」遊びについても問題視される点を否定しているなど確かにこれまでの保守的な見解とは異なった物言いをしている。

Latte195_02.jpg

※オカーサンのリードで珍しく散歩。しかし暑い!


ただしオトーサンが安心して本書を読み進められたのはこの辺までだ。第3章「社会化、争いの解決、恐怖心、攻撃性~イヌの咬み癖と攻撃性」あたりから「あれっ?」と感じることが多くなる。
ジーン・ドナルドソンはワンコが咬むこと自体は自然で正常な行為といい、人を咬むということの責任の一端は社会化を含むトレーニング不足が原因...すなわち飼い主側の責任というスタンスを取っている。それはオートサンも賛成だ。
「イヌは、人間が意識的に行動を矯正してやらない限り、他の動物と全く変わらない危険な存在なのである」と書いている。その後、どのようなトレーニングが効果的かというテーマに話しが移るが、実は137ページの「予防策」には奇異なことが書かれているのである...。

「咬み癖のある成犬の扱いには3通りある」とした後、「問題解決をはかるか、問題と共存するか、あるいはイヌを殺処分するか。」と続く。
そこまでは良しとしても続いて「安楽死ではなく殺処分といったのは、咬むイヌは病気にかかって苦しんでいるわけではないので安らかな死を与える必要はなく、またイヌ自身もそんなことは望んでいないからだ。イヌが殺されるのは人間に対して罰を犯したからであり、罪人が罰を受けるのは当然のことである。」とある...。そして次のページにも首をかしげる一文が続く。
ジーン・ドナルドソンは前記したように動物虐待防止協会付属のドッグトレーナー養成校の創設者ではなかったか...。
100%譲って問題のワンコを殺処分しなくてはならないとしてもだ...わざわざ安楽死の必要はなく、ましてやワンコはそれを望んでいないとはどういうことなのか...。
そもそも咬むという行為はワンコとして自然な行為であり、人を咬むという行為の多くは飼い主のトレーニング不足や方法の誤りだと一方で論じているにもかかわらず、殺処分の際に安楽死は必要ないというのはどうにも気にいらない...。
もしかしたら原文ではニュアンスが違い、翻訳の際の問題かも知れないと前後関係も含めて何度も読み返してみたが、これが動物虐待防止協会付属のドッグトレーナーの言うべきことなのだろうかと首をかしげてしまう。

Latte195_03.jpg

※大好きなオカーサンの膝に頭を寄せて寝転ぶラテ


話しは内容に戻るが後半はドッグトレーナーの真骨頂というべきか、さまざまなトレーニングの効果的な方法が書かれているものの行動主義のトレーナーらしくオペランド条件付けなどについても多々解説がある。しかし少なくとも和訳としての本書として特にその後半は煩雑でありかつ白眉の一冊といわれるほどの新鮮味はない。
そしてこの人は本当にイヌが好きなのか...愛情を持ってワンコに接しているトレーナーなのだろうか?といぶかしい感じを持ってしまう。
無論この感覚はオートサンの個人的なものだろうが、どうにも機械的な物言いに聞こえてきて愉快でない。
その点、同じ行動科学者でワンコの訓練士でもあるスタンレー・コレンや人類学者のエリザベス・マーシャル・トーマス、そして「犬の科学」という本の著者スティーブン・ブディアンスキーといった筆者らの著作の方が生き物を相手にしているという暖かいニュアンスが伝わってきて心地よいのである。

オトーサンといえば、ご承知のようにラテというたった一匹のワンコの飼い主に過ぎず専門家でもない。そして変な擬人化は意図的に避けてはいるもののワンコは「空っぽの頭しか持っていなくても素敵で可愛」で済む生き物だとは到底思えない。またワンコは刺激に単純反応するサブルーチンで出来ているロボットのような生き物ではないことは日々接していれば理解できると思うのだが...。
オトーサンがソファで大あくびをすると、その脇で寝そべっているラテはいわゆるあくびが移り同じような大あくびをする...。こうした行為ができる生き物の頭が空っぽであるはずはないのである。

ラテ飼育格闘日記(194)

ここ最近、ラテの成長というかまたまたステージが変わったという印象を受けることが多い。確かに4歳を過ぎたわけだし幼犬時代と同じであるわけもないが、自己主張が多くなったと同時に常に新しいことにチャレンジしたいという意欲が強いように思えるのだ。

 

この猛暑にバテていることは確かだが、それを別にしても最近ラテの行動はまたまた別ステージにレベルアップしているようで興味深いと共に些か困惑している。
個体差はあるにしてもラテのような中型犬は7歳あたりからシニア扱いとなるようだ。健康を考えこの頃からドッグフードもそれなりのものと代えることが薦められている。そして当然のことながらシニアともなればすべての行動が落ち着くというか緩慢になり、刺激に対しても反応が鈍くなったり無闇に駆け出して遊ばなくなってくるという。
しかしラテはまだ4歳になったばかりだ。行動が緩慢で歩きたくないのはこの暑さのせいだし昔ほど走り回らなくなったのも友達ワンコたちと会う機会がないからだ...とオトーサンは思っているのだが...。
それはともかくラテがマンネリを嫌い、新しいことに意識を向けていることは毎日の散歩の中でひしひしと感じているオトーサンである。

Latte194_01.jpg

※「オトーサン...なんかご用?」


先日のこと、毎朝と同じように茹だるような蒸し暑さの中散歩に出かけた。ラテは最初から歩く速度は鈍く、どちらかといえば早く家に戻りたいという態度でぐすぐすしている。オトーサンはそのラテをだましだまし歩かせ、早く排泄を済ませたいと工夫をしていたが、ふと横にある小さな公園にラテがリードを引く。
その場所は狭いが一面砂が敷いてあるから感触が好きなのかも知れないと思いつつその公園に入ると真ん中付近に子供が置き忘れたのだろうか小振りのバスケットボールがポツンとあった...。
ラテはボールに直進し鼻先でツンと突き、少し転がったボールを続けて前足で押さえる仕草をする。
オトーサンもピンと来て、巻き取り式のリードのロックを外しながらボールを軽く蹴るとこれまであれほどぐうたらしていたラテが突然フルスピードで走り回りボールにも体当たりをし、時に公園の一画の砂地をこれまた猛烈に掘り始めた。

Latte194_04.jpg

※ハリーのお母さんからオヤツをいただく


それまでヨタヨタと歩いていた姿とはまったく違うその動きにオトーサンは驚きながらもしばらくの間ラテに向かってボールを蹴り続けた...。
ほんの5,6分だろうか、夢中で遊んだラテはまたまたぐったりと舌を長く出して公園を後にする(笑)。オトーサンは見かねてペットボトルの水をラテに飲ませた。
要は遊びたくない、動きたくないということではなくその切っ掛けや新鮮な出会いがあればラテは元気で対応することが分かった。そういえば最近、一頃のように良い意味での刺激が少ないようにも思う。
この暑さも原因のひとつだが、オトーサンの体力にも限界があり相変わらず左膝にはサポーターを巻いていることもあり、一頃のように坂道を駆け下りたり崖みたいな斜面をラテと登ったりはなかなか出来なくなったからラテとしては不満なのかも知れない。
そう思ったオトーサンは次の日の夕方、いつもの広い公園に立ち寄ったとき向かいの小山のように盛り上がっている斜面をひさし振りにラテと共に駆け上ってみた。その瞬間ラテはやはりというべきか狂ったように小山の狭い頂上をかけずり回り、両前足で土を掘り、時折お尻を上げて遊ぼうのポーズをとると同時にオトーサンを誘うようにかけずり回るではないか...。

Latte194_02.jpg

※さあ、これからどっちに行こうかなあ?


オトーサンは何だか嬉しくなるのと同時に、ラテはマンネリを好かず新しいことに挑戦したいと思っているに違いないと確信した。しかしオトーサンの体力の問題だけではなく、そうそう日常の中に新しいことを持ち込むことなどできないのも事実なので難しいところなのだ。
先日もそんなことを考えながら安全度の高そうな縫いぐるみをラテのために買ってきたが、これが図に当たりここのところ喜んで遊んでいる。何しろ夕食が終わると縫いぐるみが置いてある場所で我々に視線を送りながら「遊ぼう」と吠えるのだ。
何とかオトーサンの体力を必要以上に消耗しないでラテの希望、すなわち新しいことに挑戦させるあれこれを考えたいと思っているがなかなか思うようにはいかないのが情けない。

ともかくこれまでの好みのパターンが大きく変わったことは散歩のときの行動ですぐわかる。
オトーサンは「散歩のコースを決めるのは飼い主である」と考え、リードを常に引くのはオトーサンだった。ラテは基本的に大人しくそれに従ってきたが、ここにきて未知の方向、歩いたことのない道を行きたくてオトーサンに逆らうことが多くなった。
それにこれまでは臭いをクンクンと嗅ぎながら、オシッコをする場所は主に草むらだった。わざわざ生い茂っている場所に入っていこうとするラテをリードを引いて適宜止めていたのだが最近は草むらを避け、コンクリートの道や花壇のブロックなどを好んで通るのである。
オトーサンがオシッコをさせようと芝生がある方向にラテを移動させると何としたことか...わざわざ反対のコンクリートとかタイルの道へ鼻面を向けるのだから憎たらしい。

Latte194_05.jpg

※夕方の散歩の帰り道、ニャンコに呼び止められた(笑)。そのリラックスした態度にラテも吠えなかった


まだまだある...。これまで階段とスロープの両方がある坂道ではラテは必ず階段を使っていた。オトーサンがスロープの方が楽だからとリードを引いても嫌だとばかり階段にこだわっていた。しかしこれまた最近では進んでスロープを選ぶのだ(笑)。そして一級河川沿いの道も戻るのが大変だからと足を踏み入れなかったし国道を向こうに渡って進むという快挙も最近体験した。とにかく新しいこと...新しい場所...新しい遊びに飢えているようだ。
さらにワンコに対する態度も些か変わってきたように思える。これまでの友達ワンコと出会える機会が少なくなり寂しいのか、あるいは年齢的なことを含めて余裕ができてきたのか初対面のワンコに対しても猛烈に吠えたり威嚇することは少なくなった。

最初は事すべてオトーサンに逆らっているのかと思ったが、そんな単純なことではなく新しいことを体験したいという意欲の表れのようなのだ。
とかく私たちは飼い犬とは幼犬時のひととき一生懸命に訓練しトレーニングすればその後は何にもしないでも良いと思い込んでいるフシがある。しかしワンコの成長は人間の成長の数倍も早いわけで我々が考えている以上にすべてが日々成長しているに違いない。したがってオトーサンたち飼い主も旧態依然の対応をしていればそれで良いのではなく、その成長に合わせた対応と常時適切なトレーニングを続けることが必要に違いない。

ラテ飼育格闘日記(193)

「犬も歩けば棒に当たる」という諺どおり、ラテと散歩を楽しんでいると様々な経験をする。この諺の原義は俗に解釈されているように何らかの行動を起こすことで様々な経験をすることができるという意味とは違うようだが、先日の朝の散歩はまさしく珍しい経験をすることとなった。

 

朝の散歩は夕方のそれとは違い、フルコースをたどったとしても些か時間が短い。長くて一時間という程度に考えているが最近は暑いのでラテはあまり歩きたがらず、排泄を済ますといそいそと自宅に帰ろうとする。したがって一番短いときには15分位で朝の散歩は終わってしまうこともある。
先日の朝も出だしはそんな様子を見せていたラテだが、どうしたことか珍しい方向にリードを引っ張る...。
線路高架下の道をずんずんと歩き出したのである。無論初めて歩く道ではないが、これまで朝の散歩時に歩いたことはない方向だった。
当日の朝は相変わらず蒸し暑いものの、どこかピークを過ぎて秋の気配を感じさせる天気だったしオトーサンの気力もまずまずだったから、いつもより長時間の散歩になるであろうことを覚悟して歩き始めた。

Latte193_03.jpg

※ベンチで一休み...。オトーサンの様子をずる賢い表情で観察するラテ(笑)


まず500メートルほど東に歩きスーパーマーケットの建物を左折しバスが通る広い道を南下する。このまま歩けば土日などに立ち寄る小振りの公園にたどり着くことは分かっているのでオトーサンは安心してラテと共に散歩を楽しむことにした。
小さな神社の看板を右手に眺めながら「ああ、こんな店があったなあ」などと思いながらも約1キロメートルほどをゆっくり歩くがさすがに暑くて汗が滝のように噴き出す。無論暑さに弱いラテも舌を長く、それも横にだらりと垂らしながらハアハアともゼイゼイもとれる激しい呼吸をしている。しかし自分から進んで歩きたい方向だったからか引き返そうとはしない(笑)。

そのラテがオトーサンの膝を「ツン」と突いて立ち止まる。
ふと脇を見ると自動販売機が...。これは間違いなく冷たい水が飲みたいという意思表示である。
最近では自動販売機の存在を覚えたようで一度も使ったことのない自動販売機の前に立ち止まりオトーサンを見上げるという行動をするようになったのである。
オトーサン自身も喉が渇いたので早速ペットボトルの水を買い、まずはオトーサン自身が半分ほど飲んだ後でラテに飲ますことに。
ラテはペットボトルの口に長い舌を入れながら上手に、そして実に美味しそうに水を飲んでいる。
たまたま自転車でその横を通りかかったおばさんがその姿を見て不思議そうな顔をして走り去る...。

一息入れたオトーサンたちは道なりにまっすぐ歩く。日差しは時間と共にますます強くなるがラテは感心に休むことなく歩き続けている。
「そうそう、もう少し先にいけばボーダーコリーのボーちゃんの家だ...」などと考えながら歩いていると道路を挟んだ右手に公園の垣根が見えてきた。
朝だし、それにウィークディだから友達ワンコはいないだろうが、ともかくラテが気の済むようにしてやろうと思ったそのとき、なんと公園の茂みからオトーサンに連れられたボーちゃんが現れ、続いてウエスティのクーンちゃんも...。
ただしクーンちゃんのオトーサンが見慣れない黒ラブのような大型犬を引いている。
挨拶しながらお聞きしてみるとどうやら公園に迷い込んだワンコのようで、力が強いだけに制御が大変の様子。しかし大人しいワンコだったし雄だったからかラテも吠えず、思いがげずに会えたボーちゃんと体をぶつけ合いして喜んでいる。

Latte193_04.jpg

※ボーちゃんに遊ぼうのポーズでにじり寄る...


黒いワンコに繋いだリードは小型犬のクーンちゃんのものだそうだから細くて今にも切れそうだが、これから交番に届けに行くというのでボーちゃんたちと共にご一緒することに...。
黒いワンコの首には鑑札がついているので近隣に飼われているワンコだろうと話しをしながら交番に向かう。
実はこれから向かう交番にはアラスカン・マラミュートのワンコがいるのだ。
交番の裏手を囲むようにしているフェンスからアラスカン・マラミュートが何事かと顔を出すが、ボーちゃん、クーンちゃんそしてラテと3匹ものワンコが一同に表れたので一声も発せずに奥に引っ込んでしまった(笑)。
交番の呼び鈴を押すとまだ早朝だったためかジャージー姿の警察官が出てきた。
事情を説明するとさすがにワンコの扱いには慣れている警察官で早速奥から太めのリードを持ってきて首輪に付けて保護...。

その上、警察官は黒ワンコの顔を見て「この子はモンちゃんかな?」という。どうやら近所にある焼き鳥屋のワンコで脱走の前科も数回あるようだ(笑)。
しかし大人しいワンコとはいえ、真っ黒な大型犬だから例えば夜道で急に出くわしたらオトーサンだってビビってしまいそうだし公園の横は交通量もある道路だから不用意に出れば車に轢かれるかもしれない。やはり飼い主はきちんと管理してくれないと困る...。
ともかく無事に交番で預かってもらえたので我々は帰路に向かい、途中でボーちゃんたちと分かれてラテと散歩の続きとなる。
ラテは心残りなのか頻繁に後ろを振り向いたり、座り込んだりを続けながらも見慣れた道に入るとさすがに諦めたのか相変わらず呼吸は荒いもののしっかりと歩き始めた。

Latte193_05.jpg

※カメラのシャッター音で起こしてしまった!


結局オトーサンとラテがへたりながら自宅に戻ったのは出発してから1時間40分も経ってからのことと相成った。
ともかく心なしかラテは満足顔のようで、オトーサンから体を綺麗に拭いてもらい、ブラッシングしてもらった後はフローリングで寝入ってしまったが、時折足をピクッと動かしている。あのハアハアと息をしながらボーちゃんたちと歩いたことを夢見ているのだろうか...。

ラテ飼育格闘日記(192)

あのマハトマ・ガンジーは 「その国の偉大さと道徳観のレベルは 人々の動物の扱い方を見ればわかる」と言っているが、だとすれば1人の愛犬家からみても私たちの国や地域は偉大であるどころか...道徳観のレベルも残念ながらいたって低いということになるに違いない。

 

これまでにも何度か取り上げているがいまひとつ釈然としないのが「ノーリード」(正しくはオフリード)の問題である。
オトーサンは条例で禁止されているそのことに対して文句をいうつもりはない。悪法でも法律は法律である。ただし法律とか取り決めといったものはある意味で施行側がどのように扱うかによりいかようにでも柔軟な発想ができることも確かだと思う。要は血の通ったものであるかどうかだし悪い点は直していけば良い...。
しかし現在のように面倒なことは形にはまったやり方が一番だといわんばかりの策は役人らしいというか血の通わない一方的な処置に思えて仕方がないのである。

一時は公園の真ん中にセンスのかけらもない素人が作ったようなノーリード禁止の立て看板がコンクリートに埋められて鎮座していた。しかしそれがなくなったと喜んだのもつかの間、今度は少し小振りではあるが同様な立て札が三カ所に増設されたのである(笑)。
まあ、子供たちの遊びにも邪魔になるであろう真ん中に立てるよりはマシだと思っていたが、しばらくしてその三カ所すべての横にまたまた新しい立て札がお目見えしたのである。

Latte192_03.jpg

※そのうち公園はこの手の看板で囲まれ、フェンスができあがるという噂も(笑)


ノーリード禁止の告知はともかくその看板の横には「幼児等に恐怖心をもたせる事例が発生しています。放し飼いを見かけたかたは、110番をお願いします」とあるのだ...。
「幼児等に恐怖心をもたせる事例が発生」とあるがそのような事があれば私たち飼い主仲間の耳にも入ってくる情報だと思うがこれまでそんなことは聞いたこともない。
確かにノーリードは禁止であり、そのノーリードのワンコがもし幼児や子供たちに恐怖心を与えたとすればそれはあってはならないことだし不幸なことに違いない。とはいえこの国は土地が狭いからなのか役人たちの肝っ玉も小さいようで、ワンコは繋ぎっぱなしにしておくべき動物だという意識しか持っていないことが腹立たしいのである。

私たちは「名犬ラッシー」や「忠犬ハチ公」の物語に感動するが、それらのストーリーはワンコがリードで繋がれていては成り立たないことを忘れては困る(笑)。
ラッシーがリードで繋がれていては学校まで子供を迎えにいけないし悪人に飛びかかることもできない。あるいはハチ公が鎖に繋がれていたのでは毎日駅まで可愛がってくれた教授を迎えに行けなかったことになる。
だからといってオトーサンはワンコをノーリードで街中を闊歩させろというのではない。広い公園の一部を時間を限って解放する、あるいは特定の公園に限り簡単なフェンスでも作ってノーリードで遊んでも良いといったことを実施して欲しいのである。

Latte192_01.jpg

※帰り道でちょっと休憩。何故かご機嫌のラテです


しかしガンジーの言葉を引き合いに出すまでもなく、昨今は自分の生んだ子供を餓死させたり、親が高齢で亡くなっても年金欲しさのためなのかミイラ化を放置したり、挙げ句の果てには親がどこにいるか知らないという子供(といっても高齢)がいる我々の国はどうなってしまったのか。現代の怪談である...。
そんな子供や親の命を粗末にする国民に犬猫の命などかまっている時間も余裕もないのだろうが、それではまさしく我々の国は末法そのものである。

ワンコ嫌いの人たちから言わせれば「公園に犬が入るのを禁止されないだけマシだと思え...」なのかも知れないが、結局嫌いな人の声がどうしても大きくなってしまうことを行政も考えてバランスをとっていただきたいものである。
オトーサンが毎日向かう問題の公園も病的に苦情を言い続ける人は特定の人のようなのだ。近隣の交番に詰めている警察官は様子を見に来たとき「苦情があれば対応しなければならないんですよ」といっていたが嫌いな人たちの声だけでなく愛犬家の声もきちんと取り上げるべきだと思う。

どうも「幼児等に恐怖心をもたせる」などとある種の人たちはワンコを危険視するが、ラテに限らないもののワンコたちと一緒に遊ぶのをなによりも楽しみにしている幼児や子供たちも現実に沢山いることを無視してはならない。
それに、公園にはどういうわけか現実的に取り締まりされることを見たことがない危険な遊びをやっている人たちもいる...。ゴルフクラブやバットを振り回している人、硬球でキャッチボールをしている人、消火の準備もせずに花火を打ち上げている人、それに蹴るボールが常に定まらないサッカー好きのオヤジだっているのだ。
例えば硬球キャッチボールだってもし人の頭にでも当たったらそれこそ命に関わる一大事だし、ゴルフクラブを振っている奴の近くに幼児が近寄らないという保証もない。

Latte192_04.jpg

※コーヒーショップでオトーサンが美味しい物を持ってくるのを待つ...


確かにワンコは噛む動物だし注意の上にも注意が必要なことは確かである。事故があると「うちの犬は普段は大人しいんですが」と首をかしげる飼い主が多いらしいがそれは飼い主の勉強不足でしかない。
犬種の違いや個体差もあるが、ワンコも生き物である限り恐怖や嫌悪に対して我慢の限界というものが存在する事を忘れてはいけない。したがってどのようなワンコでもワンコ自身の判断で(人間側の基準ではない点に注意)威嚇や攻撃する可能性は常にあると考えなければならない。
しかしここで重要なのはそもそもワンコは殺し合いを好む生き物ではないということだ。威嚇し合うこともあるが一方が逃げたり腹を出したりすればそれ以上は攻撃しないのが普通である。ましてや相手が子供を含めて人間だとすれば、病的なワンコは別にしてそうそう相手を噛んで傷つけるということはないばすだ。とはいえ飼い犬が人を噛むというニュースは意外に多いのは何故なのだろうか...。

実はそうした行為につながるひとつのポイントはリードそのものの存在が裏目に出る場合があると考えられること。もうひとつは我々人間自身、自分の行為がワンコをどれほど怖がらせるものなのかに気がつかない鈍感な生き物だということでもある。何しろどんなワンコも「お手」といえば喜んでお手をするものだと思っている人は多いのだ(笑)。

ワンコが対する人やワンコを噛むとき、特に人に対する場合のほとんどの動機は怒りというより恐怖のためだ。相手が怖いから攻撃をしてしまうのである。無論闘犬として訓練された犬や虐待を受けるなどで精神を病んでいる犬は別だが...。

Latte192_02.jpg

※お気に入りのぬいぐるみと遊ぶラテ


何故ならリードに繋がれているワンコは自分が自由に逃げられないことを知っている。1メートル程度のリードの範囲でしか逃げたくても逃げられないからこそ攻撃に転じるしか方法がなくなるのだ。もし怖いと思う相手が近づいてきたとき、それ以上近づくなと威嚇をする場合があるものの、攻撃することを訓練された犬であれば別だがまずは逃げられれば逃げるのがワンコの常道であろう。だから、ここで申し上げたいことはリードの存在が裏目に出ることがあるのだ。
昔、ラテがノーリードで近づいてきたワンコに前足を噛まれるということがあったがオトーサンはあのとき、ラテも同じくノーリードだったら噛まれるという結果にはならなかったのではないかと思っている。リードで自由を奪われていたラテは自由に攻撃もできなかったし逆に逃げることもできなかったのだ。

無論だからといってワンコのリードを自由にさせろというのではない。しかしワンコはそもそも常にリードに繋いで行動を制約するべきペットではないことを知って欲しいのである。
例えばドイツなどはノーリードで良いエリアが断然広いという。そしてスウェーデンの動物愛護基本法は特に「リードをつけるべし」といった定めはないという。しかし飼い主に対してはワンコへの監視の義務がきちんと述べられており「犬が決して他人に迷惑をかけるようなことがあってはならず、管理するのが飼い主の義務」というのが法の主旨だという。
理想を言えば、これがあるべき姿なのではないだろうか。
したがって「ワンコは常にリードで繋いでおくべき生き物」だとしか認識のない我々の国はガンジーではないけれど、残念ながら偉大な国でもなければ道徳観のレベルも地に落ちた国だということになる。悲しいことである...。

メイン広告
ネットショップ先行販売
ブログ内検索
New web site
[小説]未来を垣間見たカリスマ  スティーブ・ジョブズ
ジョブズ学入門
WATCH 講座
大塚国際美術館ひとり旅
ラテ飼育格闘日記
最新記事
お勧めの新旧記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員