ラテ飼育格闘日記(217)

ラテを飼い始めてからすでに4年が過ぎ5年目になるわけだが、それまで1度としてなかったことが先日起こった...。それはラテが初めてオトーサンたちの寝室で一緒に寝たのである。これまで寝室に入ることはあっても自分から早々に出て行ってしまい一緒に寝たことは一度もなかったのである。我が娘にどんな心境の変化があったのだろうか(笑)。


小型犬はもとよりだが大型犬でも飼い主さんの布団やベッドに入り一緒に寝るワンコは多いと聞く。まあ体の大小はともかく愛犬と一緒に寝るということは愛犬家にとってひとつの理想像かも知れない。無論現実には腕がしびれたり、寝苦しいこともあるだろうが(笑)。
一方、ラテがそうなのだが室内で飼っている愛犬が眠るとき寂しがらずに一匹で大人しく寝てくれることはこれまたワンコの鏡ともいえよう。しかし贅沢なもので飼い始めてから一度も一緒に寝ようとしないとならば些か寂しい気持ちになるのもこれまた当然ではないだろうか...。
ともあれこればかりは強制的にやろうにもどうなるものでもないしと諦めていたが1月15日の土曜日にユーザーグルーブの総会に出席して帰りが遅くなったときがあった。

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※オカーサンと一緒!


夜半近くに戻ってみるとラテと女房が仲良く出迎えてくれたが女房曰く寝室でラテと共に仮眠していたという。だから「もしかしたら今日はこのまま一緒に寝るかも知れないね」という話になった。
我々が寝る支度をしながら女房の脇に柔らかな毛布を折って敷き試しにと「そこで寝な」というと言われたとおりにするのだからラテはイイコである(笑)。ただしいざ女房が布団に入るときには布団の足下に移動して丸くなっていた。
女房は遠慮気味に布団に入り「おやすみなさい...」ということになったが私はラテが気になってなかなか寝付かれない(笑)。

その夜は2,3度目を覚ましてトイレに行ったり喉を湿らせに階下に降りたがラテはぴくりともしないで熟睡しているようだった。結局朝までその状態でラテは大人しく寝ていた。無論それは初めてのことだったのでオトーサンは感激したわけだが、問題はたまたまオトーサンが夜半に帰ってきたという出来事があったからラテもその気になっただけで今後もまた一人で寝続けるのかも知れないとも考えた。
それに、女房いわく「足下の掛け布団に寝られたら安眠できない」とのこと(爆)。確かにラテの体重は20kgもあり、首の根本から尻尾の付け根までは約60cm以上もあってかなり大きいからそのラテに遠慮しながらの睡眠は洒落にならないではないか...。
ということでウィークディはこれまでどおり一人で寝かせ、例えば明日は休日といった夜にラテを呼ぼうということになった。

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※ある日の夕方の公園には卵の黄身のような満月がオトーサンとラテを見下ろしていた(笑)


そのチャンスは次の週に訪れた...。
例によって窓際のスペースにラテ用の毛布を敷き、オトーサンが階下で顔を洗ったりして戻ると何と娘はオトーサンの掛け布団の真ん中にその大きな図体を丸めて気持ちよさそうに寝ているではないか。
その姿を見ているとそのまま寝かせてあげたいと思う気持ちも無かったわけではないが、それではオトーサンの寝るところがない(笑)。
オトーサンは平然を装って布団の中に入り、両足を少しずつ伸ばした。
ラテは仕方なく自分の寝る場所に移動したが、これまたそのうち女房の足下付近に落ち着いたようだ。

その晩もラテはオトーサンたちを起こすようなこともなく静かに寝ていた。
朝になり、起きる時間になったのでオトーサンがもぞもぞし出すとラテは感心なことにオトーサンの枕元に近寄り口元を3回ほどペロペロと舐め、朝の挨拶をした。まったく普段はそうした行為をしないラテなのでオトーサンは喜んでその太めの体を抱いてやった。

まあまあたわいもない出来事だがオトーサンたちにとっては印象深い体験だったが、たまたまそんな折りも折り1月19日(木曜日)に(社)東京都家庭動物愛護協会主催で「犬猫から人に感染する病気対策シンポジウム」というのが開催されたというニュースをウェブのNHKニュースで見た。短い映像はそうしたシンポジウムがあったという事実を報告しているに過ぎなかったが同時に配信されているテキストを読みオトーサンは憤慨してしまったのである。
それによるとペットから人間にうつるおそれがある病気は、日本ではおよそ30種類あるとし、中でも犬や猫に噛まれるなどしてうつるとされる「カプノサイトファーガ・カニモルサス感染症」は、発症するのはまれなものの、平成14年以降6件の死亡例が確認されているらしく、寝ている間にかまれるのを防ぐため、室内で飼っていても寝室には入れないことや、かまれて心配な場合は、早めに病院で抗生物質の投与を受けることを呼びかけましたという。

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※ラテのベッドと化した電動マッサージチェアだがラテが大きくなったので些か手狭になってしまった...


オトーサンはそのシンポジウムに参加したわけではないのであくまでニュースのソースから判断するしかないが、些か滑稽に思えて仕方がない。
確かに愛犬などから人に病気がうつり、それが原因で死亡するといったことがあるなら大変不幸なことだ。しかし誤解を承知でいうなら、我々のどのような行為にもリスクが存在することを忘れてはならない...無論ワンコを飼うという決断にも...である。
例えば車を運転する人は交通事故で死亡する確率が運転しない人よりずっと多いだろうし、癌をはじめとした病気で命を落とす方たちも少なくない。
これらは他人事でなく明日オトーサンだって「余命数ヶ月」と宣告されるかも知れないし交通事故は勿論だが買い物に出かけた途中で階段を踏み外して頭部を打って...という可能性もあり得るわけだ。
それに比較すればだが...平成14年以降6件の死亡例というのは亡くなった方たちには心よりお悔やみを申し上げるしかないがその確率は決して高いものではない...。
無論犬猫と遊んだ後では手を良く洗うことは一般の感染症予防のためにも有効だと思うし、もし強く噛まれたら病院で抗生物質を投与してもらうといった注意は大切かも知れないが「動物との過度のふれあいは避けろ」といった抽象的な物言いや単純に「愛犬を寝室から排除しましょう」というのでは東京都家庭動物愛護協会の「愛護」という語が泣くのではないか。そんなに病気が怖いなら犬猫など飼わなければよい!
そもそも...猫は分からないが犬だって寝ている時より日中...例えばボール遊びなど活発に遊んでいる時にこそ噛まれる可能性が多いのではないだろうか。
何か、どうにもしっくりこないニュースである。

オトーサンは正直そう思ったのである。
それにニュースの末尾に「犬の訓練方法を教えている日本訓練士養成学校の藤井聡教頭は、室内で飼う場合は、生後1か月から3か月ごろの間にしつけることで、かごの中など一定の場所から出ないようにすることもできると説明しました。」とあるが、これって何事なんだろうか。
ニュースサイトの文字数制限などで表現が舌っ足らずになったのかも知れないが、カゴなど一定の場所から出ないように訓練するまでもなくクレートに入れた方が早いしそれなら訓練など不要だ(笑)。まさか日中でもカゴの中から動かないようにワンコを飼育しようというのだろうか...。それはまさしく虐待である(笑)。それに最近の学説では幼すぎるワンコへの訓練は噛み犬などを産むきっかけとなるという話しもある。
無論これはオトーサンがいうのではなく例えばムツゴロウ動物王国の石川利昭氏が「2000匹が教えてくれた犬の真実~飼育マニュアルに吠えろ!」で主張していることでもある。
なにかオトーサンにはこのシンポジウムのニュース...犬猫を寄って集って厄介者にするような気がして気分が悪くなってきたのである。

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※ 「おっ、ラテ...あれは何だ!」


オトーサンは一介の飼い主に過ぎないが関連の本を多々読み、日々ラテと文字通りの格闘をしながらここまできた。しかし前記した日本訓練士養成学校教頭の著作「愛犬の困った!をカンタンに解決する裏ワザ77」(青春出版社刊)はオトーサン自身、ラテを飼い始めたころに薦められて買った一冊だが正直これはワンコの飼い主が一番参考にしてはいけない本だと思うに至っている。

何故なら「飛びつく犬には玄関マットを引っ張ってワンコをスッテンコロリンさせろ」とか「吠える犬にはお酢をスプレーしろ」とか「家具を噛む犬には足払いの天罰」といった裏技?が続くわけだがこんなことをしては...確かに一時的に恐怖感や嫌悪感を利用し人の都合の良いようにワンコを動かせるかも知れないが、愛犬と本当の意味の絆などできようはずもないではないか。
やはり基本は愛犬を常にしっかりと抱きしめ、愛情深く接することが一番だとオトーサンは思うのである。そのために家の中でワンコを飼うのではなかったのか...。
そういえば先の「カプノサイトファーガ・カニモルサス感染症」は免疫機能低下しているオトーサンの年代で重傷化するケースがあるというし、オトーサンは持病もあるから発病の可能性は低くないかも知れない。しかし遊んだ後の手洗いといった行為は当然としてもせっかくの愛犬との生活だからして神経質になるつもりはまったくない。
まっ、オトーサンが万一「カプノサイトファーガ・カニモルサス感染症」で死んだら笑っていただいてかまわないがオトーサンはそれでも本望である。

1983年実施「Lisaセールス・トレーニングコース認定書」入手

他人には馬鹿げたことを...と思われても当人にとっては大切なものがある。私が今般入手した額装のペーパーは長い間探し求めていたものであり、昨年1度はその存在を知ったものの永遠に手の届かないものになってしまったと諦めた品なのである。それは Apple が Lisa をリリースした当時、販売側の担当者らにセールスのための基礎知識を習得させたコース認定書なのだ。


このアイテムにどういった正式名称がついていたかは不明だが、あえていうなら「Apple Lisaプロダクトセールス・トレーニングコース認定書」とでもいうのだろうか。
文字通りこの認定書はLisa 1を積極的に販売するため1983年当時のAppleが販売担当者らにとったプロモーションの一環であった。

とにかく現在ではマウスがついたパソコンなど珍しくもないし、いわゆるグラフィカル・ユーザー・インターフェース (GUI) 云々といったところで誰も驚きもしない。しかしLisa 1はコンシューマ向けのパソコンで初めてマウスとGUIをサポートしたまったく新しいマシンであったことを思えば市場はもとよりユーザーにいかにその先進性とこれまでにない使い勝手および利点を明確に知らしめたらよいかを考慮する必要があったわけだ。
したがってLisa 1は陳列しておけば売れるような製品ではなかったし、販売する側もそれなりの知識を持たなければ販売効果は望めないと考えられていたに違いない。

実はこのLisaの販売はAppleにとっても経験のないことだった。それまでのApple IIはVISICALCという表計算ソフトの登場でビジネス市場への活用も大きくなったものの、どちらかといえばホビーユーザーが対象だったわけで、すでに周辺機器やソフトウェアも数多く存在し認知されていたこともあり、販売そのものに手がかかるといった製品ではなかった。しかしLisaは価格が10,000ドルほどもするわけで、そのターゲット層や販売戦略および手法に関するノウハウを当時のAppleはまったく持っていなかった。急遽セールスチームを構成し対処を始めたようだが結果が物語っているとおりスタートから成績ははかばかしくなかったのである。

確かにApple内部における営業マンの教育は勿論、直接顧客と対応する販売店側の担当者たちにとってもLisaは敷居の高い製品だったわけで、相応の販売教育と共にモチベーションを高めるあれこれを考える必要があったのだ。
事実Lisaのシステムは底知れぬ深さと大きさを感じさせただけでなく販売側は付属の7種のアプリケーションについても熟知していなければならないわけでこのトレーニングを短時間で習得するのは大変困難を極めたに違いない。

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※1983年Apple発行「Apple Lisaプロダクトセールス・トレーニングコース認定書」


ではそうした時代背景と意味合いを理解していただきこの認定書を見てみよう。
認定書のサイズはほぼA4判といったものでまず目立つのが “Lisa” という大きなロゴタイプである。
このデザインは勿論Lisa 1、すなわち1983年にリリースされた最初のLisaを意味する。そして下の方にはゴールドに光る型押しされたアップルロゴがありこの認定書を認定書らしく一際引き立てる役割を果たしている。またLisaというロゴタイプの上下にはカラフルな線が置かれ、左上には “Apple Computer Inc.”の表記と右上には6色のアップルロゴがある。

認定書中央付近には “This is to certify that :” および “has successfully completed the Lisa Product / Sales Training Course.” という表記の間に人の名前が入力されている。無論これは当該人物に対して「 Lisaのプロダクトセールストレーニングコースを首尾良く完了したことを認定する」といった意味の文言である。ちなみにご覧いただいている人名は私の名前であるが1983年当時私に本トレーニングコースを受けられるチャンスがあったはずもない(笑)。
これは名前の部分を同種のフォントで置き換え合成したものでオリジナルに記されている個人情報を隠す配慮である。
そしてゴールドのアップルロゴの左にはAppleのコース・ディレクターのサインと右には認定の年月日...ここでは1983年3月12日の日付が手書きでなされている。

注目すべきはその日付であろう。何故ならLisaの公式な発表は1983年1月19日であり出荷が開始されたのは同年6月だ。その販売に合わせてAppleは選り抜きの100人からなる販売スタッフをゼロから作り上げなければならなかったわけで、このLisaのセールス認定コースの実施もそうした一環として企画されたものだろう。したがってLisaの公式発表と時期を同じくして本認定コース実施はスタートされたに違いない。

無論この認定コースを完了するのにどれほどの日程が必要だったかについてデータはないが、Lisaの全容からいって2,3日で済んだとは思えないし告知から募集、そして実施に至るあれこれを考えればそれは販売開始を目前にし、まさしく急ピッチな取り組みだったのだろう。

さてこの認定書の存在は2009年の初頭あたりからLisaにまつわるあれこれを調べ始めた頃に知った。しかしそれは当時こうしたものがあったという話しだけのことでありすでに26年近くも過去の話だからその認定書とやらの実物を手にすること...いや、見ることすら可能性の無いものと考えていた。それが昨年2010年の秋頃だったか、たまたまeBayのサイトを眺めていたら何とその認定書がオークションに出品されていたのである。

喜んだ私はすぐに入札をしたがその時点では他の入札者もいなかったし、確かに私にとってはレアな一品には違いないものの、今さらこのようなものを欲しがる人など他にはいないだろうと高を括っていたこともあり、仕事の忙しさに紛れて終了日まで忘れてしまったのである。

数日後、確認したところ僅かな金額の違いで私は落札を逃したことを知り我ながらおかしいと思うほど落胆した..。そしてこの種のアイテムは1度コレクターの手に渡れば再び出品される可能性は限りなく小さいと思わざるを得なかったし、数日後悔の念でもやもやしながらも諦めるしかないと自分を納得させたのだった...。

そのアイテムがこれまた久しぶりにeBayのサイトに入ったら即決価格の提示で出品されていたのだから私がどれだけ驚喜したかご想像いただけるだろうか...。
ただし今回入手したものが昨年と別のものなのか、あるいは落札者が再び出品したものなのかはデータを取っておかなかったので不明だが、そもそもこんなものがそうそう出てくるわけもないだろうから以前の落札者が出品したものかも知れない。

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※筆者所有のLisa 2だが勿論完動品である


勿論興味のない方たちにとってすでに過去の遺物となった紙っぺら一枚に一喜一憂するのも大人げないと思われるかも知れない。まあ、そうした感覚の方がまともなのだろうが(笑)Lisaの歴史を調査し続け、Lisaの実機を入手して日々そのGUIを調べている私にとってこの認定書はまさしくその歴史の一端を証明する重要なアイテムなのである。
いま私はこの「Apple Lisaプロダクトセールス・トレーニングコース認定書」を眺めつつ、1983年当時当該トレーニングコースに参加しこの認定書を取得した人たちの感慨を想像している...。
それは現在の我々がiPhoneとかiPadを目にした感激とは比べものにならないものであったに違いないのだ。何しろそれは高価でこれまで見たこともない眩しいほどの先端テクノロジーを駆使したパーソナルコンピュータだったのだから...。


「Apple 32 SuperMicros」Developer's Handbookとは?!

1984年2月にAppleから発行された「Apple 32 Developer’s Handbook」という面白い資料が手に入った。このちょっと見は味気ないハンドブックはMacintosh用のソフトウェア開発を促進しようとAppleがデベロッパー向けに用意したもので今となっては珍しい資料である。


さてまず「Apple 32」と言われてもほとんどの方はご存じないだろう。とはいえこれはApple内部の部門名でありAppleがLisaをリリースし、Macintoshの開発が佳境に入った1983年のことだからご存じなくても一向にかまわない(笑)。

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※1984年2月リリース「Apple 32 Developer’s Handbook」表紙。プルダウンメニューがタイトル名のデザイン


その年、すなわち1983年の4月はスティーブ・ジョブズがAppleへの転職をと説得したジョン・スカリーがAppleの社長兼CEOとなり、Appleの機構も大きく様変わりした時期だった。
それらに合わせスティーブ・ジョブズは新任のスカリーがそれまでの経緯を知らない事を利用し自身の指揮権強化をアピールし始めたのである。なぜならそれまでの社長だったマイク・スコットからジョブズはLisaのプロジェクトの指揮権を剥奪されていたこともあり、ジョブズはMacintoshの開発列びに販売に関してすべての指揮を取りたかったからだ。

ジョブズの強力な訴えに動かされ、スカリーはジョブズにMacintosh部門を自由に統括する権限を与えた。そしてその11月にはMacintoshとLisa部門は「Apple 32 SuperMicros 」部門として統合されたのである。
この頃のパッケージにはそれを示す「Apple 32 SuperMicros 」というロゴタイプが印刷されている。

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※これはLisa 2上でMacのアプリを動作させるソフトウェア「MacWorks」のパッケージだが、左上に "Apple 32 SuperMicros" と記されている


ともかく重要なのはこの「Apple 32 SuperMicros 」部門の指揮をスティーブ・ジョブズが取ることになったことだ...。いわば彼は念願のMacおよびLisa開発に関わるすべての指揮をとる権限を与えられたわけだ。

この辺のApple内部における確執についてはこれまでにも幾度がご紹介してきたから繰り返さないが、この事実はMacintoshの開発および販売を一大優先と考えるジョブズによってLisaの販売は意図的にブレーキをかけられることになった。ただしそのLisaにも実は大切な存在意義があったのである。

それはLisaがMacintoshのソフトウェア開発のためのフロントエンドマシンだったからだ。なぜならMacintosh登場の最初期はMacintoshそのものでプログラムを組むことが難しかったからだ。

何しろメモリは128KBしか搭載されていなかったしハードディスクも装備されていなかった。開発マシンとしても非力としいうしかなかったから当時のプログラマはLisaとPascalを使ってMacintosh用ソフト開発をしていたケースも多いのだ。そしてLisaのコードはPascal言語で書かれているものがほとんどだったからMacintoshへの移植も比較的やりやすかった事も大きく関係している。

そうした背景もありAppleはひとつでも多く魅力的なソフトウェアをデベロッパーが開発してくれるようにと画策しなければならなかったわけで、すでに存在したLisaとその開発者らにMacintoshの情報を正しく理解してもらうためこの「Apple 32 Developer’s Handbook」を配布したようだ。無論それだけでなくエバンジェリストとして知られているあのガイ・カワサキ氏などがデベロッパー各社を飛び回ってソフト開発をするように説得を続けたことは知られていることだ。

ともかく内容は32ページという薄いものだが Introductionの後、The Marketing of Apple 32 SuperMacros、The Apple 32 SuperMaicro Products、Macintosh : A : Look Inside、Apple SuperMaciro Product DevelopmentそしてMarleting Apple 32 SuperMicro Products、How to Get Startedなどなどといったタイトルを見るだけでAppleの熱意が伝わってくる。

それに一般ユーザー向けのハンドブックではないからだろう作りは地味で全ページが2色刷りなのはともかく写真は一枚もないのも特徴だ。奥付に “All graphics were created using MacPaint in the Macintosh.”と書かれているように文中にあるMacやLisa、Apple IIなどの図版はすべてMacintoshとMacPaintによって描かれたものだ。さらにプルダウンメニューを表紙タイトルに使ったりページタイトルに用いるデザインなど良い意味で遊び心も見受けられて今見ても「さすがにアップルだ」と思わず笑みが浮かぶ...。

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※本「Apple 32 Developer’s Handbook」の図版は全てMacとMacPaintによるものだ


まあこの「Apple 32 Developer’s Handbook」がリリースされたのは本体が発表された翌月だが、現実問題として本ハンドブックがどれほど役に立ったのか...効果があったのか、なかったのかは今となっては分からないもののMacintoshのユニークなアプリケーション...それも実用的なアプリケーションが登場し始めたのはFat Mac、すなわちメモリが4倍の512KBを搭載したモデルが登場してからだったことは間違いない。


Mac発表記念日にスティーブ・ジョブズの休職を憂う

先頃AppleのCEOであるスティーブ・ジョブズ氏が病気療養を理由に再び休職を発表したが本日1月24日はMacintosh発表の記念すべき日だ。彼の健康回復を祈ると共にこのタイミングで彼の生み出したMacintoshというパーソナルコンピュータに再び光を当てるのも無駄ではないと考える。                                                                                            

日米の時差はともかく、Macintoshは1984年1月24日に正式発表された。無論その発表は27年前のスティーブ・ジョブズその人が行った。そして我々はYouTubeなどでその記念すべき映像を見ることが出来る。



※1984年1月24日、年次株主総会でスティーブ・ジョブズがMacintoshを発表した


長年Appleとスティーブ・ジョブズを追っかけてきた私にはその若かりし頃の自信に満ちた、そして小生意気そうな表情と昨年のWWDCなどにおける痩せこけた顔とがオーバーラップし何ともいえない辛い気持ちになる。
これは単に大病をした、あるいは見るからに老けた彼に対する同情だけではない。なぜならかくいう私も27年前は相応に若く元気であり自分が50歳とか60歳になるなど想像もできなかった(笑)。運命だけでなく歳月もまことに非情である...。

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※昨年(2010年)10月、Apple Special Eventで笑顔を見せるスティーブ・ジョブズだがその痩せた姿は痛々しい


Macintoshがなぜ眩しかったか...。それは単に最新のテクノロジーを見せつけてくれただけでなく私にとってアメリカという世界の最先端技術を持っている国、それも自由を象徴するカリフォルニアの風を感じる製品だったし、何よりもこの9インチでモノクロの小さなディスプレイを覗いていると自分の輝かしい未来が見えるような気がしたといったら若い方々はお笑いになるだろうか。

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※筆者所有の初代Macintosh


しかし私は現実にMacintoshのリリースから3年後に初めてアメリカの土を踏むことになったし、無論そのきっかけはMacintoshでありコンピュータグラフィックスの存在だった。そしてさらに2年後に思いもかけない機会が訪れ、Macintoshのソフトウェアを開発する会社を作ることになり、良くも悪くも私にとってAppleとの出会い、Macintoshとの出会いは自身の半生を決定づけてしまったといえる。

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※Macintoshの背面も美しい


Macintosh以前からApple IIのユーザーだった私はApple Computer Inc.というメーカー名を無論知っていた。しかし我々の情報の窓口は日本総代理店のイーエステディラボラトリ社に限られていた時代であったし、現在のようにインターネットのインフラが存在しなかったこともあってリアルタイムの情報が豊富に入手できるわけはなく、また情報の多くは製品やそのスペック、OSはもとより魅力的な周辺機器たちの存在だった。だからAppleという会社のCEOが誰でどんな人物であるのかなどほとんど気にならない時代だったのである。
そしてAppleという会社を意識し始めた頃、すでにスティーブ・ジョブズはAppleを追われてある種過去の人物となりつつあった。しかし誰もが我が目、我が耳を疑うような出来事が1997年1月のMacworld Expoで起こった。なぜなら11年の空白をもってスティーブ・ジョブズがその壇上に登場したのである。

ところで私が生のスティーブ・ジョブズを見た最初は1989年7月10日、幕張の東京ベイNKホールにおいてだった。その際のエピソードは「スティーブ・ジョブズのプレゼンテーション秘話」として別途紹介してあるが、プレゼンの前に正装した彼とホテル内ですれ違ったときの緊張した顔と壇上に登ってそのカリスマ性を十分に見せてくれた姿はいまだに脳裏にやきついている。
人は歳をとれば自ずと風貌が変わってくるがジョブズのそれは思い切りの良さといえば良いのだろうか、薄くなった髪を撫でつけるのではなくバッサリと刈り込んで頬には髭を蓄えてしまった。しかしそれがまた似合う...格好いいのだから不思議である(笑)。

ともかく製品は勿論だが、人間および企業も寿命というものから逃れられない。それは早いか遅いかの違いはあっても逃れるすべはない...。
そうして考えるとコンピュータという日進月歩の激しい世界で生き残ってきただけでなく、我々に次々と新しい夢を見させてくれるAppleという企業はやはり特異な存在であり、それを根底で支えてきたのは間違いなくスティーブ・ジョブズその人だったに違いない。
1984年1月24日に晴れ晴れしい姿でMacintoshを紹介するジョブズの理念はいまiPhoneやiPadで開花し、ある意味彼の考えてきたパーソナルコンピュータというものの目標は達成できたものと思われる。
誰でもが余計なことを考えずに使えるクローズドなマシンとしてMacintoshは開発されたが、さすがに当時一般の人たちの日常に影響を与えることはできなかった。何故ならパーソナルコンピュータという物自体がまだ特別のものだったし車の価格と比較できるほどそれらは高価でもあった。
街中で「マッキントッシュ」といっても知る人はまずいなかったし「アップル」といってもそれがコンピュータメーカーの名前であることなど認知する人もいなかった...。そしてMacintosh用のソフトウェアを開発する会社を設立した私でさえ市場を大きくしたいとは考えたが正直現在のように子供たちがアップルロゴを見て「iPhoneの会社だ!」などという現実や、電車の車両を見回せば周りに数人iPhoneユーザがいる風景など想像したことはなかった。

スティーブ・ジョブズはそれをやってのけた...。彼は「宇宙に痕跡を残す仕事、世界を変える製品を作る」ことを目標にしてきたがこの30年ほどの短い時間にそれらの主旨は達成できたのではあるまいか。
だとすればスティーブ・ジョブズよ、貴方はAppleそのものであり、いつまでもAppleに関わりたいと願っていることは痛いほど分かるし私たちユーザーも出来ればそうありたいと心から思っている。しかし貴方はいま病気で苦しんでいる時期だし家族もあるのだ。一日でも長く元気でいられるように今度こそCEOの座を譲り顧問にでもなって本当の意味で肩の荷を下ろすときが来たのではないだろうか。
私は貴方たちが生み出したApple IIやMacintoshで人生を変えさせられた一人だが、幸いなことに後悔はしていない。無論さまざまな出来事もあったがエキサイティングで面白い30年だった。そして貴方の名を我々は決して忘れないし事実歴史に残るだろう。貴方は確かにそれだけの仕事をしたのだ...。
スティーブ・ジョブズよ...。男にとって仕事はかけがえのないものだが人生の存在意義は決して仕事だけではない。
この機会にAppleのスティーブ・ジョブズから普通の父親に戻り健康に留意して穏やかな後半生を過ごしてくれることを願っている。そしてAppleだって心配することはない。確かにスティーブ・ジョブズという一大看板なくしてどうなるのかを試されることになるがすでに貴方の蒔いた多くの種があちこちで新しい花を咲かすに違いないと私は楽観している。

ラテ飼育格闘日記(216)

この1,2年はラテが公園デビューした頃と比べると友達ワンコに会える機会が極端に少なくなった。朝夕2回の散歩だが、朝はともかく夕方の散歩時の公園は様々なワンコで混雑していたというイメージだったが今は比較にならない寂しさだ。特にワンコの好き嫌いが激しいラテだから、安心して遊べる友達ワンコはそもそもが限られているので余計遊べる機会が少ないのである。


今日はラテの友達ワンコの話しだ。ここでいう友達ワンコとは多少の前後はあるもののラテが公園デビューしたときからの馴染みのワンコであり、オトーサンも安心して一緒に遊ばせることができるワンコたちだ。無論...といってはなんだが皆雄のワンコたちである。
それら友達ワンコとはビーグルのハリーちゃん、雑種のマキちゃん、ボーダーコリーのボーちゃん、柴のクロちゃん、コーギーのアポロちゃんだが、これらのワンコたちと出会うとラテはその日の体調や興味に合わせてそれぞれのワンコたちとアプローチする...。

面白いのはそれぞれのワンコたちは性格はもとより特徴が違い、かつラテもすべての友達ワンコに対して同じ態度というか行動はせずそれぞれ皆接し方が違うのである。
そういえば先日の日曜の朝、ラテをいつもの通り土日に行く小さな公園に連れて行った。この公園は小振りながら早朝などは人の姿をほとんど見かけないのでボーダーコリーのボーちゃんと体をぶつけ合いながら駆け回ることができる場所なのだ。
前記したように普段の日はラテがかけずり回って遊ぶ機会がほとんどないのでこの土日の朝は貴重なのである。したがってオトーサンたちは休日にもかかわらず朝早く起き支度することにしている。

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※遊んだ縫いぐるみと手をつないで昼寝するラテ


ボーちゃんはラテより一回り大きい感じだしとにかくパワフルで遊び好きだ。公園にいる間、常に走り回り遊びを誘い駆け回っている。ラテに対しても遊びを催促し、体をぶつけ、前足でラテの頭を巻くようにして一緒に遊ぶようにと誘う様はとても可愛い。
ラテにしてもボーちゃんは文字通り体をぶつけ合っても安全な互角の体長を持っている貴重な友達ワンコなのだが、持続力がボーちゃんに敵わないのと元々飽きっぽいのでボーちゃんに繰り返し強力なアプローチをされて初めて動き出すことも多い(笑)。
そんなボーちゃんと今日も遊べるといいな...と思いながら激寒の朝、オトーサンと女房はラテと共に公園に向かっていた...。
女房が「あれっ!」と声を出したので前方を見ると向こうにオカーサンに連れられたマキちゃんがいるではないか。マキちゃんはラテが幼犬のときから大好きなワンコで、奇遇なことに時期は半年ほどマキちゃんの方が早かったものの横浜のとある動物病院で開催している同じ里親会の場で出会ったというワンコなのだ。そして雄犬だからとはいえラテはこのマキちゃんに会うと姿勢を低くし、下から執拗にその口元をなめ回し追っかける。ありがたいことにマキちゃんも嫌がらずにラテと付き合ってくれるというまことに見ていて微笑ましい仲良しぶりなのだが、いかんせん飼い主同士の生活パターンが違うわけで最近は滅多に会えないのだ...。

そのマキちゃんはオトーサンの姿を見つけて飛んできた。
結局散歩の途中だったマキちゃんのオカーサンの計らいで一緒に目的の公園まで付き合ってくださったのである。途中ラテがどれほど喜んだのかは文章にできないほどだ(笑)。
公園に着くとそこにはいつもどおりにボーちゃんもやってきた。ラテにとってはイケメンワンコに囲まれ、マキちゃんとボーちゃんの間を行ったり来たりとはしゃいでいたがしばらくすると今度はビーグル犬のハリーちゃんがオカーサンに連れられてやってきたのである。

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※オヤツを貰うため、全ワンコ集結(笑)


これすべてお互いの都合がたまたま合致した偶然なわけだが、ラテにとっては大好きな雄ワンコ三匹に囲まれるという盆と正月が1度に来たような至福の時間と化し、そのはしゃぎ方は尋常ではなかった。とはいえ単にイケメン三匹の雄ワンコたちに同じように挑んでいるわけではないのが面白い。
ハリーちゃんとはとにかく見かけは喧嘩でもしているのではないかと思うほど手荒な取っ組み合いを望んでいるラテなのだ。そしてハリーちゃんは小型犬だからして体力的に差があるわけだがお互いそうしたことは無視した闘いぶりなのが楽しい。
ハリーちゃんは遊びのポーズをとりながらもラテと正面からぶつかり合い、はじき飛ばされても苦にしないで突っかかってくる。ラテは昔からそのハリーちゃんの後ろ足を甘噛みのように咥えようとするが、その行為は他のワンコに対してはまったく見せず、ハリーちゃんだけにする特有の行為なのが面白い。
無論本当に噛んだら大変なことになるが一種の儀式のようでありハリーちゃんも平然としている。それに取っ組み合うときボーちゃんらとは違い、ハリーちゃんに限ってラテは「グウァ...」といった声を出すのも特徴でどうも本気度が高い遊び方をしているように思えるのだ。

そこにマキちゃんが近づくとラテの力がふっと抜け、すれ違いざまカウンター気味にその口元を舐めようとする。マキちゃんも一瞬止まってラテにチューを返したりするがラテは執拗にマキちゃんに絡むとマキちゃんは苦笑しながらも「おいおい、お前...しつこいなあ」という表情を見せる。そしてマキちゃんは同じ雄ワンコのボーちゃんを牽制しながらも一緒に公園狭しとかけずり回り、オトーサンがポケットやバッグに手を突っ込むような仕草を見過ごさず「オヤツ頂戴」とばかりに飛んでくる。オトーサンはマキちゃんの黒いその目に見つめられると弱いのである(笑)。

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※大好きなマキちゃんにチューを迫るラテ。マキちゃんの表情が何とも良いではないか...


ボーちゃんはボーちゃんでマキちゃんと併走していたかと思うとラテに体当たりし、ハリーちゃんに遊びのポースをして促すなど一番アクティブであるし疲れを見せない。ラテをはじめ他のワンコが休憩モードに入っても公園内をギャロップしているといった感じで動き回っている。
その日のその時間がラテにとって素晴らしい一時だったのはラテが心を許しているワンコたちだけしか公園内にいなかったことだ。だから他に牽制したり注意を奪われたり威嚇するといった必要もなくハリーちゃんとマキちゃん、そしてボーちゃんと遊び回ることが出来た。
それに気が楽なのはオトーサン自身で、このメンバーならオヤツの取り合いもないしオトーサンが差し出すペットボトルの水を一緒に飲む間柄なのだから安心していられるのだ。

至福の時を過ごしたラテは解散後も途中までマキちゃん、ハリーちゃんたちと一緒に戻り久しぶりに十分満足した様子だった。
オトーサンは道々「ラテ、よかったなあ...ただしこんな日は滅多にあるもんではないぞ...」と言い聞かせたが、やはりというかその日の夕方の散歩は広い公園に友達ワンコの姿は勿論、ラテを可愛がってくれる女子の姿もまったくなかった(笑)。
やはりうまい話は続かないのであるが、それを知ってか知らずかラテは大人しく自宅に戻った。しかし数は少なくとも本当に気の許せるワンコがいること、そしてウィークディなら公園に入った途端に「ラテちゃーん!」と小学生の女子たちが駆け寄ってくれるワンコなどそうそう多くはいないだろう...。

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※ある日の夕方、小学3年生の女の子が駆け寄ってくれた!


夕食後、横になっているラテを撫でながら「お前は幸せなワンコだなあ」とオトーサンはラテの耳元でそっと囁いた。

マイコンに夢中になった原点はこの一冊だった!

貴方はどのようなきっかけでパーソナルコンピュータ...いやMacintoshのユーザーとなったのだろうか。勿論人ぞれぞれで100人いればすべて違ったきっかけがあるのかも知れないが私自身は一冊のムック本と橋本尚著「使いかた楽しみ方〜マイコンがわかる本」という徳間書店刊の新書がきっかけだったのである。


すでに記憶はかなり曖昧なのでどれほど正確なのかは自分でも不明だが、ともかく1977年の秋口だっただろうか、神田神保町の三省堂書店の店頭でたまたま一冊のムック本が目に入った。確かそれは昼休みに食事をした後書店に立ち寄ったときの出来事だったと思う。
ムック本のタイトルなどは覚えていないが「マイコンの本」といったようなシンプルなそして大きな活字が表紙に踊っていたように記憶しているのだが...。
そのムック本が私にマイコン(マイクロコンピュータ)というものが存在すること、そして個人でコンピュータが所有できる時代になったという事を実感させてくれたのだった。
無論私はそのムックを購入して貪るように読んだが、写真を多用したその一冊はマイコンがどのようなものであり、どんなことが出来るかについてその概要を分かりやすく解説してあったものの熟読するにつれもっと詳細な情報が欲しくなった。

昼休みの時間を利用して神保町の書店を回るのを常にしていた私はマイコンに関する書籍を探し始めたがいわゆるコンピュータ理論とか大型コンピュータに関する書籍はあったもののまったくの素人が読めるような本は見つからなかった。しかしある日、新刊書のコーナーだったと思うが「マイコンがわかる本」という私が探していた主旨そのもののタイトルが付いた本が目に付いた。
それが本日ご紹介する古書、徳間書店刊「マイコンがわかる本」(橋本尚著)だったのである。

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いま確認すると本書の初版は昭和52年(1977年)12月10日とある。したがって私が本書を手にした時期はその前後に間違いないはずで、本書に数日没頭した私は意を決し結婚したばかりでろくに蓄えもなかったが、かき集めた10万円をジーンズのポケットにねじ込み秋葉原へ富士通FACOM Lkit-8 というワンボードマイコンを買いにいったのである。
一冊の本を丹念に読んだとはいえマイコンの実物を触ったことがあるわけでもない私は本書の内容を理解できたはずもない。
本書巻末の「マイコン用語集」というページにある「アキュムレータ(accumulator)」「アセンブラ(assembler)」「インターフェース(interface)」「エンコード(encode)」「オブジェクト・コード(object code)」「コンパイラ(compiler language)」そして「サブルーチン(subroutine)」などなどといったほとんどが初めて見聞きする言葉をまるで呪文のように感じていたものである。

本書はマイコン、すなわちコンピュータとはどのようなものであるか、そしてどんな仕組みでどのような働きができるのかを応用編も含めて詳しくそして平坦に解説してあるが、本書の内容の一部が文字通り私の血肉となり実体験できるのはFACOM Lkit-8 と格闘し始めてからである。まだまだ素人が分かりやすい解説書など皆無の時代だったから私はFACOM Lkit-8と本書を報復しながら理屈と実際を重ね合わせていったともいえる。
ともかく翌年の1978年からマイコン雑誌に投稿を始めたのだから我ながらその没頭ぶりには感服する(笑)。

本書はそんな一冊だったから当時のものは一年も過ぎるとボロボロになりそのまま捨ててしまったのかも知れないがその存在すら忘れていた。それが昨年末急に思い立ち、再度読んでみたいと思ってネット検索を駆使してやっと手に入れたのが本書なのだ。
大げさにいうなら、いわば私は本書を探すことでマイコンとかパーソナルコンピュータといったものに取り憑かれた時代の原点へ自分探しの旅をしてみたかったのかも知れない(笑)。
そして本書巻末に筆者が書いている「マイコンの未来は、他ならぬ人間の未来に大きくかかわっている。マイコンは、私たちの日常生活を根本的に変える力すら持っている。」という記述は当時の期待感と一抹の不安がよく表れているように思えて興味深い。そして人間の未来はともかく、マイコンやパソコンは間違いなく私の未来を...人生を変えたのは確かである。
ちなみに本書が出版された1977年、私がワンボードマイコンを入手したその1977年はAppleが法人企業として正式なデビューをした年なのだ。
あれからすでに三十有余年たったわけだが、私の机上には当時想像もつかなかったほどのパワーを持つMac Proが鎮座し、iPadやMacBook Airが存在するのだから長いようで短いこの30年がいかにテクノロジーの進化にとって激変の時代だったのかをあらためて思い知らされるではないか...。

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「使いかた楽しみ方〜マイコンがわかる本」

1977年12月10日 初版

著 者:橋本 尚
発行所:徳間書店
定 価:630円
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ラテ飼育格闘日記(215)

早くも今年3度目の「ワンコの”ラテ”飼育格闘日記」である。ということで、何の感慨もなくラテとの5年目の年がスタートしてしまった...。さすがにこの時期の朝晩の散歩は寒いもののオトーサンは日々ラテとの散歩を楽しみにしているのだ。それは一緒に時間を過ごす毎にワンコの面白さ、素晴らしさが分かるような気がするからだ。


ネコ好きの方も多いだろうがそれ以上にワンコ好きの方も多いと思う。オトーサンも少年のころ家にはネコがいた時期があったが個人的にどうしてもワンコが飼いたかった。なぜワンコなのか、それは我々人間と本当の意味で友達とか家族になれる動物だと思ってきたからだ。
昔から「犬は三日飼えば三年恩を忘れず...,」とかいう諺があったがワンコほど人との絆を大切にし、いつも一緒にいる動物は他にはないと思う。
オトーサンも実際にラテと一緒に暮らすようになる以前はワンコに対する知識は皆無だったからこの四年間で随分と勉強したつもりである。そしてこれまでにも度々ご紹介してきたとおり、この生き物は驚くほど私たちとのコミュニケーションを図る能力に秀でているだけでなく、人間との接触を楽しみそれなくしては生きていけないと思えるほど親密な関係を築くことが出来る動物だということがわかってきた。

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※オトーサンの隣で何を思うのか...ラテ(笑)


ただしこれまで多くの学説がワンコをオオカミから進化したものというとらえ方に凝り固まっていたこともあって「群れで生活する」とか「リーダーの統率の元で生きる」といったイメージで理解しようとされてきた。だからワンコは人間も群れの一員として認識するとか、飼い主はリーダーにならなければならないといった論理でワンコの躾を考え日々の付き合い方も捉えなければならないとされてきた。
しかし近年ワンコに関する研究も随分と進み、こうした説は否定されつつある。
これまで専門書の多くにはワンコにとって人間も群れの中の一匹として認識している...といった解説が多い。
獣医師の野村潤一郎氏は著書「犬に関する100問100答」の中で「犬にとって人間とは何ですか?」という問いに「同族なんでしょうね」と回答している。またスティーブン・ブディアンスキー著「犬の科学」には「犬は人間を犬だと思っている」としての解説がある。それによれば、犬は人間と折り合いをつけるのに使える知的手段は、犬が進化する過程でほかの犬と付き合うために用意されたものだけであり、それ以外には持ち合わせていないと結論し、人間と犬はある程度共通しているものがあり、犬は、人間の行為を何とか犬社会の枠組みに取り込むことができるという。そして特に社会的序列の優劣や警告する動作や声の調子には、共通性があるとしている。

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※毎週土日の朝に一緒に遊ぶ仲良しの雄ワンコ、ボーちゃんと


しかし4年の間オトーサンがラテを毎日観察し続けた結果の感想はこうしたワンコに対する認識に大きな違和感を感じるのだ。
確かにワンコは言葉を話せないし人間のように両前足を手のように自由には使えない。したがってその行動は確かにワンコとしての能力から逸脱することは無理だが「吠える」といった行為ひとつでも実は多くのバリエーションがあるし、口を開けて歯を当てにくるといった行為でも本当の威嚇から遊びにいたるまでの大きな幅があるのだ。
それに特にラテが子供たちと付き合う課程を考えるとそれはどうしても人間の子供たちをワンコの一種...同族として認識しているとは思えない...。
ワンコなら...特に雌ワンコだと幼犬から成犬に至るまで広い年齢層のワンコに対してラテは威嚇するのを常にしている。無論例外はあるものの特に初対面の雌ワンコには100%警戒心あるいは嫉妬なのか、はてまた優位性を保とうとしているのかは分からないものの威嚇し吠える。
対して人間の場合、初対面の成人に対しては面と向かえば同じように吠えるが子供の場合は自分から近寄り親愛の情を示すのを常としてる点が面白い。無論初対面の子供たちでもラテは友好的だ。

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※ビーグル犬の友達ワンコ、ハリーちゃんのお母さんが大好きで熱烈なチューを迫るラテ(笑)


そうしたことを考えるとオトーサンは、犬は人とワンコを同種同族として認識しているという説はどうしても受け入れがたいものがあるのだ。
ラテを見ているとこのワンコは人間と犬をきちんと区別して自身にとっての価値観を作り上げていると感じる。子供たちに喜んで近づくのは大人たちとは違い、オヤツを貰いたいためではなく純粋にラテの喜びのために違いない。
男の子でも、そして女の子でも小学生くらいまでならラテはどのような子供に対しても嬉しそうに近づく。しかしワンコに対しては決してそんなことはない。これは明らかにラテは人とワンコを別種の生き物として区別していると考えて間違いないだろう。

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※ラテの真面目な表情もオトーサンにとっては愛しい...


というわけで多くの本を読み、毎日ラテと生活していると「犬はなぜ人間と共生できる生き物になったのか」という疑問が大きくなってきた。なぜならこれまでの説のようにオオカミが飼い慣らされてイエイヌになった...というのでは理屈に合わないことが多いからだ。
細かなことを多々記すのも煩雑だから避けるが、オオカミを飼い慣らしてまさしくイエイヌと同様に生活することはほとんど難しいことが幾多の研究でも分かってきているという。
結局オオカミと犬は祖先が一緒だったにしろ、我々人間と知り合ったときにはすでにイヌは犬であったと考える方が合理的なのだ。
そう考えればオオカミの習性がどうのこうのだから、ワンコの訓練もその習性を考慮してどうのこうの...といったやり方はまったく間違ったやり方だということになる。
こうした点をまとめて認識できる本は少ないが、以前にも一度ご紹介したことがあった畑正憲著「犬はどこから...そしてどこへ~犬はオオカミの子孫ではない」という一冊は面白いし、同じくムツゴロウ動物王国の石川利昭著「飼育マニュアルに吠えろ!」(青山出版社刊)も有益な本だと思う。

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※石川利昭著「飼育マニュアルに吠えろ!」(青山出版社刊)表紙


そして「飼育マニュアルに吠えろ!」には我々人間はワンコたちのボスにはなれない理屈やワンコと飼い主の繋がりは決してヒエラルキーとしての上下関係ではなくワンコが人間を慕い、人間と共にいることを喜ぶのはまさしく人間の幼児と母親の関係だと説いている。
そろそろ私たちもワンコはオオカミの子孫だといった説から解放され、ワンコはオオカミやキツネなどという野生動物とは違い、いわゆる社会適応期の成長が第一次でストップしているという特異な動物であるからこそ最古から人類の友ともいわれる存在であることを再認識すべきではないだろうか。

ラテ飼育格闘日記(214)

ワンコ好きの皆様、新年おめでとうございます! オトーサンの歳になれば正月だからといっても特に気持ちの変わりようもないが、愛犬ラテと共に家族が皆風邪もひかずに健康で新年を過ごせたということだけで嬉しい。ま、ラテが少々正月太りになっているように思えるのが問題といえば問題なのだが...。                                                                                                  
愛犬がいるとそれだけで遠方に旅行に行くとか混雑している神社仏閣に初詣に行こうという気持ちがなくなる(笑)。
我々夫婦も以前は正月を京都で過ごすという時期もあった。一年間がんばったのだからと心身ともにリフレッシュするのに旅行は最適だ。しかしまさかラテを預けてまで旅行に行く気になれないオトーサンたちは例年元旦の朝からいつものように散歩を欠かさずに過ごした。

この地に来てから5度目の正月を迎えたが、最初を別にして後の四年間はすべて元旦の日の出を拝みに女房およびラテと共にいつもの広い公園に行くことになっている。このかなり広い公園から見る景色はまだ暗い時間帯でもあり、少しずつ昇る朝日と対象に遠方の建物などがシルエットになってなかなか美しいのである。
今年...2011年の元旦も初日の出を眺めようと5時過ぎに起きて支度をし、6時前に自宅を出た。無論この時期のこの時間帯は6時前だとまだ懐中電灯が必要なほど薄暗くそして寒い。
オトーサンはヒートテックの下着にダウンジャケット、そしてネックウォーマーをして手袋をはめ、頭にはキャップをかぶってと完全装備であるが、ラテは素のままである(笑)。そうそう、左膝にはサポーターをしっかりと巻いて...。

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※公園はまだ暗かったが空には絵に描いたような三日月と明けの明星が輝いていた


こちらが寒いから余計に感じるのだが、いくら何でも家の中にいるそのままでマイナスの気温になるだろう外気に飛び出すのは可哀想な気もするがラテは嬉しいようで玄関から路面に出た途端に走り出す。途中「ウォーン」と声を上げるがこれは「さあ、行くわよ!」という歓喜の声だ。
オトーサンは膝が痛いのを無理して10数メートルをラテに負けじと走る...。
何だかラテが走りたいときにオトーサンの都合で走れないのは気の毒...可哀想に思えてつい無理してしまうのである。
ラテは時折オトーサンへアイコンタクトするが、そうした時にオトーサンはラテに笑顔を送る。
ラテはしばらく走ると後ろからオカーサンがついてこないのを心配して座り込み、近くに来るまで待って再度走り出す。

学生のときはともかく、その後スポーツはおろか運動というものをまったくしなかったオトーサンが皮肉なことにこの歳になって一日数キロも歩き、時には走るのだから皮肉なものである。しかしほんの数分の間だがラテと走ると息は切れるものの体が温まり気持ちが良くなってくるから不思議である。
その後ラテは遊歩道をクンクンしながら歩き、目的地の公園に向かうがさすがに元旦のこの時間帯は行き交う人も車もいない(笑)。
薄暗い木立の中を白い息を吐きながら2人と一匹のグループは少なくなった落ち葉を踏みながら歩き、公園に入る。向こうを見るとすでに数人の人影が見えるもののお仲間たちはまだ見えないようだ。日が昇るあたりを見るとすでに朝焼けに染まりつつあり、ちょうどその上に1本の飛行機雲が見えてなかなか綺麗だ。

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※大分空が明るくなってくると一筋の飛行機雲が目に入った


しばらくするとオトーサンたちが入ってきたあたりからハリーちゃんご一家の姿が見えた。ご夫婦と息子さん、そしてビーグル犬のハリーちゃんが小走りに近づいてくる。それを認識したラテは軽く跳ねた後にハリーちゃんたちに向かって走り出した。
オトーサンたちは簡単に新年のご挨拶を済ませるがラテは嬉しくて夢中でハリーちゃんに列び跳ねながらも伴走している...。

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※ハリーちゃんと伴走するラテ


ひととき落ち着くとラテはお兄ちゃんに向かっていく。ともかく幼犬の時代から可愛がっていただいたハリーのお兄ちゃんやお母さんは大好きのようで「ラテ!」と声をかけてくれるとお兄ちゃんを押し倒さんばかりに飛びつき、その口元を長い舌でなめ回す(笑)。

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※ハリーのお兄ちゃんに抱きついてチューをするラテ


そんなラテを見ているとオトーサンも幸せな気分になってくる。
ふと気がつくと周りでデジカメのシャッター音が聞こえ始めた。向こうを眺めるといよいよ日の出の時刻である。とはいえ日の出の撮影はオカーサンに任せてオトーサンはひたすらラテのリードに注意をはらう。
ハリーちゃんとのからみは心配ないが霜柱を囓り、いつもの雰囲気とは違うからだろうか、人影が見えると吠えたりするのでなかなか気を許せないのだ。
それでも荘厳な日の出を眺めつつ今年も早起きして良かったと思うオトーサンであった。

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※2011年元旦の日の出である


その後ハリーちゃんご一家は初詣に出かけるとのことだったのでお別れし、オトーサンたちは自宅に戻ることに...。それにそろそろお腹も空いてきた。
帰り道は明るくなっているので歩きやすいが気温は心なしかさらに下がったようでかなり寒い。それでもラテは震えるといったこともなく元気に歩いている。
自宅に戻り、いつものようにオトーサンはラテの体を綺麗にしている間にオカーサンは元旦だからと雑煮を作っている...。
低温のぬるま湯でラテの肉球を洗いタオルで綺麗に拭くとコンクリートや霜柱を歩いた割にはかなり汚れている。そして本来水に足を入れるのを嫌うラテだが、今日は心なしか気持ちが良いような表情でオトーサンに身を任している。

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※疲れたのか、食事の後に早速うとうとし始めた...


食事をしながらもほとんどいつもと変わらぬ元旦の朝だったがこの難しい時代、風邪もひかず寝込むこともなく家族仲良く新年を迎えることができたことだけでも良しとすべきなんだろう...などと考えながらオトーサンはラテに視線を向けると我が娘はお腹もふくれ、やはりはしゃいで疲れたのだろうか、すでにリビングの絨毯の上で横になりウトウトしていた。

ルイス・ブニュエル監督1968年制作「銀河」をやっと入手

キリスト教、あるいはキリストをテーマにした映画は数え切れないほどあるがこのルイス・ブニュエル監督が1968年に制作した「銀河」(原題 : LA VOIE LACTEE)は一筋縄ではいかない作品だ。いやはや全編を通して神学書や福音書から採られたさまざまな異端のエピソードが時間と空間を超えてリアルタイムに進行するそのストーリーはまるで平行世界(宇宙)のようだ...。                                                                                              

タイトルの「銀河」とはスペインの聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラに向かって中世の巡礼者たちが通った道のことだという。
サンチャゴ・デ・コンポステーラの地には使徒聖ヤコブの墓があったからだが伝説によれば7世紀、輝く星が使徒の墓のある場所を教えたという...。それがコンポステーラ...”星の原”という名の起こりとなった。そして巡礼たちは銀河の流れる方角に道をたどったのである。

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※ルイス・ブニュエル監督「銀河」のVHSパッケージ


ストーリーの核はピエールとジャンという2人の男がパリ郊外から巡礼地のスペインへ徒歩で向かう。その途上で出会う様々な人物は異端的な神学を熱心に語り、その周囲では神学や福音書に親しんでいる人たちには思わず苦笑するような出来事が多々起こる。それもピエールとジャンがいる現代だけではなく、ストーリーはキリストの時代はもちろん中世へと飛んでは戻りつつリアルタイムに進行し、まるで平行宇宙を見るように変化する。

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※ストーリーはピエールとジャンという2人の男がパリ郊外から聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラへ徒歩で向かうところから始まる


ストーリー全体が神学的なジョークのようであり、キリストが登場するかと思えばサド侯爵が...といった具合に傍若無人な展開ながらキリスト教の歴史を横断するといったものだ。
一見キリスト教ならびにその教義を笑い飛ばし、皮肉っているかのようだが、全編を通して眺めてみるとブニュエルの意図はそんなに単純ではないように思える。
確かに異端的な言動が多々展開し、正統なキリスト教を揶揄するシーンが重なる。第一、巡礼者であるはずの2人も宗教に感化された人物とは思えない言動をし、盗むし聖地に着いたらついたで娼婦を買いに行く(笑)。
しかしイエス・キリストの姿は意外に現代的というか快活な普通の人間として描かれていることも面白い。

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※イエス・キリストの姿は現代的で快活な人物として描かれている


ブニュエル監督自身は無神論者というレッテルを貼られていたものの「私が無神論者でいられるのも神様のお陰です」と言っていたというからことはそんなに単純ではないようだ。
私には「銀河」全編を通して語られる異端のストーリーはそれらを提示することでキリスト教の真の教義を映画を見る者にあらためて考えさせようとする意図のようにも思える。そしてキリストの描かれ方と共に推測すれば異端とか聖体論争、教義の解釈などで争ってきたのは神自身の問題ではなく我々人間の問題であり、その滑稽さ幼稚さが人類の悲劇を生んできたそのことを批判しているようにも思える。
そもそも福音書の内容においてもご承知のようにイエス自身が記録したものではない。
イエスは生前、制度としての教会組織はもとより自身での著作はまったく残さなかった。したがって良くも悪くも現在の教会組織やそのより所ともなる正典(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書)は後年残された多くの資料から選別され、”ニカイア信条” が代表するようにある意味教会側に都合の良い解釈の元にまとめ上げられたものと言える。
したがって本作品でイエス・キリストが人間味豊かな人の子として、そして悪意を感じさせない描かれ方をされていることを考えれば、ブニュエル監督が批判している対象はキリストならびに宗教そのものではなく “人間が作り選別・差別し、権威付けして守ってきた” 教義...すなわちローマカトリック教会のあり方を批判しているようにも感じるのだが...。

この「銀河」という作品、昔その存在を知り一度見てみたいと考えたがずっと忘れていた。それが先日Twitterへの書き込みで知り、急遽あちこちを探し回ったがなかなか手に入らなかったもののやっとレンタル落ちのVHSテープが手に入った次第。
このテープはあまり多くの人に使われなかったのか、幸いノイズもほとんどない良好な状態で鑑賞することが出来た。
ルイス・ブニュエルは「アンダルシアの犬」でデビューを飾り、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の「昼顔」や「哀しみのトリスターナ」といった作品でも知られている著名な映画監督だが、この「銀河」はルイス・ブニュエルのスタイルが決定的となったとされる快作でありもし機会があれば是非ご覧になることをお勧めしたい。

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「銀河 - LA VOIE LACTEE」 1984年公開映画

ルイス・ブニュエル監督 1968年 フランス=イタリア合作/カラー/102分

【主なキャスト】
・ピエール....................ポール・フランクール
・ジャン.......................ローラン・テルジェフ
・キリスト....................ベルナール・ヴェルレー
・死の天使....................ピエール・クレマンティ
・サド侯爵....................ミシェル・ピコリ
・マリア.......................ディフィーヌ・セイリグ
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ラテ飼育格闘日記(213)

この「ワンコの"ラテ" 飼育格闘日記」は2011年度最初の回である。まあまあ当初はいい加減に続けようと考えていた連載が一度も休まず毎週土曜日にアップすることとなり4年も続いてしまったのだからオトーサン自身が一番驚いている。何とか今年も健康に留意し本編を続けていきたいと考えている。                                                                                                            
ラテと朝晩の散歩を続けていると当然のことながら多くの見知らぬ人たちと行き交う。中にはこれ見よがしに傘を広げてラテを見ないようにする異常とも思えるワンコ嫌いのおばさんもいるが、微笑みながらラテとすれ違ったり声をかけてくださる人たちも多い。
そうした方々の中には「犬を飼いたいと思っているんですが、大変なんでしょう?」という人もかなり見かけるようになった。確かに事と次第によってはひとつの命を預かるわけだし人間と上手く共生していけるようにするまでには時間と根気が必要である。そしてまた餌代しかり、医療費しかりで費用もばかにならない。しかしワンコを飼うことはそうした我々にとって負担すべきあれこれを差し引いても余りあるものを与えてくれる。

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※オカーサンとアイコンタクトしているラテ


「犬を飼うとき一番注意をすることは?」「犬を飼うときの大切なこととは?」といった些か抽象的な質問を受けるときもあるがオトーサンは「飼える環境にあるならまずは飼ってみるべき」とつくづく思うし良い意味であまり神経質にならず、巷の「育て方・飼い方」といったノウハウ本や一部専門家と称する古い考え方の人たちの言動に惑わされず、のびのびとワンコと接することが大切だというお話しをすることにしている。

ワンコを向かい入れ、ノウハウ本の通りに毎日を過ごすことで万事上手くいくわけはない...。ワンコはロボットではなく命ある...そして高度な意識と頭脳を持つ生き物であり犬種によるある種の気質のパターンといったものもあるものの、我々人間と同様に一匹一匹が皆性格が違う生き物なのである。したがって飼育本やトレーニング本の通りにならないからと悩む必要はないのだ。というか、これまで何度も同じようなことを申し上げているがその飼育本といった類のノウハウにはまことに妖しげなものも多く初心者を悩ます要因のひとつになっているからでもある。
そんなものに気を向ける時間があるなら、10分でも多くワンコと接して遊んでやる方がメリットがあるに違いない。オトーサンは自身の4年間にわたる経験でそう思うのだ...。

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※床でちょっと一休み...


何故に飼い主がワンコのリーダーとなるべく努力しなければならないのか。主従関係や上下関係を意識し、玄関の出入りにも飼い主が先に入らなければならないとか、飼い主が座っているソファに愛犬を座らせるなとか、引っ張りっこの遊びは危険だとか...などなど。そしてまた愛犬の健康を考えるのは大切なことだが、シャンプーは一週間に一度必ず行わなければならないとか、餌も栄養素を科学的に栄養学的に考えてカロリー計算をしなければならないとか、子犬時代に甘噛みを許していると成犬になったら噛み癖がつくワンコになるとか、抱き上げて人間の目線より高くしてはいけないとか、ワンコに人間の口元などを舐めさせるなとか、ワンコの先祖はオオカミであり群れを意識して生活する生き物でありワンコは人を群れの一員として見なしている...などなど、こんなことを毎日考えながら愛犬と接していては誰でも育児ノイローゼになってしまうに違いない。

飛びつきを止めさせるために愛犬が飛びついてきたらクルリと後ろ向きになり無視しろ、愛犬を置いて出かける場合には出かける時と戻った後しばらくは無視しろ...などなど、そんなことならワンコなど飼わなければ良いではないかと思うようなことが今でも一部の育児書には明言されている。
そんなあれこれを知れば知るほどワンコを飼いたいけど自分にそれらが可能なのか...と自信がなくなる人たちも多いのではないだろうか。
前記したように、たまたま行き会う人たちが「飼いたいんですが大変そうで...」というのはこうしたあれこれを見聞きしているからに相違ない。しかしそうした質問にオトーサンは「注意をしながらも良い意味でいい加減に...寛容に接すればよい」という意味のことを申し上げるようにしているのだ。

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※お腹もいっぱいになって眠くなったのかネコみたいに顔を擦りながらうとうとする


無論オトーサンは飼いっぱなしでろくに世話もしない飼い主になれと言っているのではない。しかしある種のラフさがなければ息が詰まるしその飼い主の緊張感は間違いなく愛犬に伝わり神経質で臆病なワンコになっていくと思う。
散歩をする際にはリードを付け、人や他のワンコと近づくときに細心の注意をはらいながらも交流を深める努力をし、他者に迷惑をかけないようにするなら愛犬が多少我が儘でも太めでもよいではないか...と思うのだ(笑)。
いけないこと、例えばネギ類やチョコレート、レーズンといった命に関わる食べ物をあげてはいけないことは確かだが、塩分が多いとか味が濃いから人間の食べ物を一切あげてはならないといったことはあくまで理屈だ。
人間の飲む牛乳は濃いからワンコに飲ませてはならず、必ずワンコ用の(高価な)牛乳を飲ませろといったあれこれを考え過ぎると何にもできなくなる。私たちは愛犬の看護師や医者ではなく一緒に暮らす家族としてワンコを選んだのだから多少はアバウトなところもないと何のためのワンコかが分からなくなってしまうだろう。

オトーサンだって悩んだ...。ラテがお腹をくだしたときには寝られない夜を過ごした。オトーサンの不注意でゴムのボールを噛みちぎり食べてしまった時は最悪の事態を覚悟した。甘噛みが激しいとき、家具を壊されるのはともかく傷が絶えない両手を眺めて途方に暮れたこともあった。ラテが自身の肉球を噛み、出血したとき消毒し包帯を巻きながら数十分そのままラテの手を握っていたこともあった。前足を咬まれ、滴る血を拭いながら動物病院まで歩いたこともあった。女房や他の飼い主さん、子供たちにはフレンドリーなラテがオトーサンに冷たいことを悩んだこともあった(笑)。そして最初に動物病院に連れて行ったとき「痩せすぎだからもう少し太らせなさい」と言われたその医者に今は「太りすぎです」と言われ悩んでもいる...。
しかしオトーサンとラテにしたところで所詮限られた短い時間の中で、貴重な一時を共有している仲間に違いない。縁あって巡り会い、毎日の葛藤の中でお互いを深く知り合う努力をしているわけで寿命が1年、3年延びようと縮もうとそれは些末なことではないか。飼育本などにとらわれ、そのように愛犬が育たないからと悩むことはないとオトーサンはつくづく思う。ワンコも飼い主も楽しくなければ意味がない。

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※オトーサンの小言に嫌々耳を傾けるラテ(笑)


大人になってから犬を飼うということはその人生に置いてチャンスは度々あるものではないだろう。無責任な言い方に聞こえるかも知れないが犬種を選ぶときにブームに流されず、友人や隣人が飼っている犬種と同じにした方がいろいろと飼いやすい...といった偏見はやめよう。ワンコはパソコンではないのだから(笑)。ともかく実際にワンコと接して気に入れば是非是非お飼いになることをお勧めしたい。いろいろと大変なのは事実だが、些末な情報に左右されずただひたすら愛犬に目を向けていけば自ずと問題は解決していくものと信じたい。
我々が愛しているワンコは文字通りオンリーワンの存在であり、他のワンコと比較したり区別したりするべき存在ではない。ともかく可能な限り愛情を注ぎ接することができれば必ずやワンコの方もそれに答えてくれるに違いない。

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プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員