ラテ飼育格闘日記(234)

オトーサンが犬を飼っているということで仕事で接触する人たちとの間でも必然的にワンコの話しになることが多い。オトーサンは意識的に犬の話に振ることを遠慮しているつもりだが相手がオトーサンに犬の話しをすると機嫌が良いことを知っているからか、どうしても話題はそちらにシフトしてしまう(笑)。


しかし犬を飼っているいない...に関わらずいまだに多くの人たちが犬の祖先は狼であり、狼の習性の一端を持ち続けているから「狼の習性を学ぶことで犬の飼育に効果的な情報を得ることができる」と信じているのには驚きである。
「狼は○○の習性があるからワンコもそうなのだ...」といった話しになりがちだが、これは冷静に考えればおかしな話しである。
ワンコを知るためになぜ滅多にその本物に出会うことなどない狼を引き合いに出す必要があるのだろうか。周りには溢れるほどのワンコがいるのだから、ワンコを研究するにはそれらのワンコを対象にすれば良いではないか(笑)。

Latte234_01.jpg

※何を見つめているのか...。太めだけどナイスバディ!(笑)


またワンコの魅力的な面をファンタスティックに演出する話しとして一般に好まれているのは犬と人との出会いの物語である。
確かになぜ犬の祖先は人間と共存するようになったのかという問題は考えるに値する興味深いものだ。
世界にはそれこそ数え切れないほどの動物がいるし我々人間の祖先達の周りにも様々な動物であふれかえっていたはずだ。それなのになぜ犬という生き物だけが人類最古の友などといわれるほど人間社会に深く入り込んだのか...。

一般的には...というよりオトーサンもラテを飼い、多くの情報を知る以前までは「人類の祖先、たぶん...女性が可愛いと感じて狼の子供を連れ帰った」といった話しを信じていた。いかにもありそうな話しだしそこには人間の優しさが溢れている。
そして餌を与えて飼い慣らし、番犬にしたり狩りの手伝い、あるいは物の運搬をさせるために役立てたに違いないというのが相場であろう。
しかし最近の研究ではこうしたこれまでの定説は完全に否定されているという。まま我々は人間が、人間だけが自分の意志で歴史を作っているのだという信念や高慢な考えがあるから、そうした支配的なものの見方は至極自然に思えてしまう。
ただしその種の話しの最大の欠点は「狼は犬ではない」という事実である。

Latte234_05.jpg

※久しぶりに会った女子たちの間に当然のように入り込むラテ(笑)


結論から先に申し上げればミトコンドリアDNAの解析から狼と犬は同じ祖先より13万5千年前に遺伝的に分岐したことが明らかになっているという。したがって犬は狼の子孫ではないのである。
もう少し詳しい話しをするなら、67犬種140頭の犬のミトコンドリアDNAを分析した結果、犬はそれぞれ単独の祖先を持つ4系統のグループに大別できたという。さらにそのうち、ほとんどの犬種を含む過半数の犬たちのミトコンドリアDNAに特有の配列は、27地域の162頭の狼にはまったく存在しなかった。
この結果がどういうことであるかは明らかだ。それはほとんどの犬種の犬には、現存する狼の祖先とはるか大昔に分岐した独特の祖先がいたこと、したがって繰り返すが犬は狼の子孫ではないのである。

そもそも狼を子供の頃から育てたとしても一部の例外を除けば非常に危険なことに違いない。例えペットと同じく家族と一緒に生活し、日常は尾を振り飼い主の顔を舐めるといった狼でも何の前触れもなく突然人間に攻撃を加えることがあるという。それは狼と犬との交雑種でも同様で例えば幼児が走ったり、泣いたり、あるいは躓いたりすると捕食者としての本能が呼び起こされるのか攻撃を始めることがあるらしい。したがって古代人とて同様であり、彼らが棍棒1つで狼を飼い慣らしたとはとうてい考えられないわけだ...。

Latte234_04.jpg

※ボビー(ボストンテリア)のお母さんに甘えるラテ


人間の骨と狼の骨が一緒に発見されたのは約40万年前に遡るが、その頃はまだ人間と狼はなわばりを共有し頻繁に遭遇していたようだが狼は人間達に飼い慣らされていたわけではなかった。
完全に犬だと確認できるもっとも古い化石は、中東のいくつかの地域で発見されているが、それらは1万四千年前と推定されるものでこの頃でも犬の祖先は人間に飼い慣らされていたという証拠はないようだ。ただし1万2千年前と年代推定されるイスラエルのアイン・マラーハという墓地の跡から発掘された中にはかがんだ姿勢で埋葬された老人と一緒に4~5ヶ月ほどの子犬の頭蓋骨があり、老人の左手は子犬の頭蓋骨の上に置かれていたという。

どうやら犬と人との接触はそれまで多々あったものの、人間が好んで犬の子供を連れ帰り...といったことではなく犬が人間の生活圏に転がり込んだというのが真実らしい。いわば犬が人間との共存を選んだのである。
興味深いのは人間を選ぶということは人間が危険視する狼といった類から社会的にも隔絶することを意味する。
「犬の科学」の著者であるスティーブン・ブディアンスキーはいう。「(犬は)」自分自身の起源となった相手から、自分の意志で、自らを隔絶した。彼らは、雇われたのでもなく、奴隷でもない。あるいは招かれた客人でもない。彼らは、パーティー会場に押しかけ、もぐりこみ、決して立ち去ることはなかったのである」と...。
いわば我々人間が犬を選んだのではなく、犬が我々を選んだのだ。我々は犬族の従順な笑顔の裏にある決意に気づかず、彼らの思うつぼにはまってしまったのである。

Latte234_031.jpg

※この笑顔にオトーサンは弱いのだ(笑)


だからオトーサンとてラテのしたたかな笑顔に抗しきれるはずはないのだ(笑)。
ワンコと人間との心理的パワーバランスはとうの昔に決まってしまっているのである。

【参考資料】スティーブン・ブディアンスキー著「犬の科学」(築地書館刊)

Bluetooth対応ウェアラブル・カムコーダ LOOXCIE LX1の画質に迫る

ここのところ、Bluetooth対応ウェアラブル・カムコーダ LOOXCIE LX1を日々身につけて試しているが煩わしい部分もあるものの実に面白い。今後はUstreamなどへも対応可能になってくるものと思うし動向に目が離せないが、多くの方の最大の興味は画質に関するスペックではないだろうか。                                                                             

今回は「LX1」の画質に関する話題だが、最初に申し上げておくことは現在安価なコンデジで撮った動画もハイビジョンだったりするから、「LX1」の高画質モード、すなわち640×480ピクセル(VGA 30fps, 4000kbps)での撮影はどうしても劣って見えてしまうかも知れない。事実その640×480での撮影映像を見ていると一昔前に多くの時間を費やしたHi-8ビデオカメラ(アナログ)を思い出す...。

looxcie_C_00.jpg

※Bluetooth対応ウェアラブル・カムコーダ LOOXCIE LX1


「LX1」で高画質モードによる撮影を行うとバッテリーはフル充電で2時間持つが本体の容量の問題で実際の撮影は約1時間強が限度であり、そのデータ容量を確認すると2GB強といったところになる。
その「LX1」で撮ったデータをデスクトップ用のアプリケーション「LooxcieDesktop」を使ってMacのハードディスクにコピーするのに筆者のMac Proで約30分ほどかかる。
ただし良い条件下で撮れた映像をQuickTime Playerで再生すると正直画質は気にならないしApple 30インチ Cinema HD Diaplsyにフルスクリーンにして観ても動画であるからして粗はそんなに気にならない。
そもそも「LX1」に課された使命といえば撮影者は常に動いていることを前提にしている。
私のように犬の散歩時であったり、サイクリングであったり、あるいはもっと激しいスポーツであっても「LX1」は撮影者の両手を解放してくれるというメリットを活かし、普通では撮りにくい...撮れないシーンを残すことが可能になる。とはいえビデオ撮影ではカメラが大きくぶれたり早く動かすことを一番嫌うものだが「LX1」は逆にそうした場面で使われる傾向が多いわけで、その映像はもともと見やすいものではないのだ(笑)。

実は映像のクオリティに関わる「LX1」のスペックは詳しく公開されていないようなのでほとんど分からない。分かっているのはレンズのF値が2.8であること、コーデックはMPEG-4 video AAC Audioであること、そして露出やホワイトバランスはオートといったくらいだ。
ということでとにかく様々なシーンを撮影してみようと一週間ほど使い続けたがその撮影結果をご覧いただきながら「LX1」の特性を考えて見たい...。
ともかく最初に実際の動画をご覧いただきたい。音声を消去するなど些かデータを編集しているがモニター上での見栄えは元データとほとんど変わらないはずだ。



※「LX1」による高画質モード( 640×480ピクセル/30fps)での撮影例。音声は消去してある


さて実際の動画をご覧になってどのような感想を持たれただろうか...。
まず画質に関係する一番の問題がレンズである。なんだかピンホールカメラに毛が生えた程度のレンズに見えるが、監視カメラなどに使われている程度のものなのかも知れない。正直今少し良いものを採用して欲しいと思う。
ともかく露出をオートで撮った結果から判断するとフォーカスはパンフォーカスうんぬん以前にレンズから数十センチからせいぜい1メートル程度までにピントが合うよう設計されているように思える。

looxcie_C_01.jpg

looxcie_C_02.jpg

※レンズから近い距離ではなかなかよくピントが合う(上)。この事は地面のタイルを撮った例でもよくわかると思う(下)


もっと具体的にいうなら撮影者の両手を伸ばした範囲はピントが合うように設計されている感じを受ける。したがって例えば母親が子供を両手に抱き上げて「高い高い!」などをする距離や1メートルほど離れている相手と会話するようなケースがベストということになる。だから、遠景というか風景を撮ったところであまり見栄えはよくない。

looxcie_C_05.jpg

※遠景の木々のディテールはほぼ潰れている


そしてピントが合う範囲が狭いことと同時に画面の四隅はノイズも多くクオリティはかなり落ちている。

looxcie_C_03.jpg

※特に四隅は映像が流れ画質が落ちている


とはいえこうした認識は動画の1フレームをキャプチャすると目立つが動画を普通に再生している際には前記したように30インチのApple Cinema HD Displayのフルスクリーンモードで観てもそんなに気にならないのも事実だ。
ただし、いかんせん...ビデオ映像から特定のフレームをキャプチャしてプリンタへ印刷を試みる...という目的にはキツイ...。

looxcie_C_07.jpg

※本例はナンバープレート一部にモザイクを入れてあるが、条件が良ければこの距離で車のナンバーが認識できる


そうしたあれこれを理解した上でもう1度「LX1」の画質の意味に迫ってみよう。
繰り返しになるがそもそも「LX1」はヘッドセット型のビデオカメラであり耳に装着する。ということは我々がそれを着け何かを撮影する際にはビデオカメラとしてはかなり過酷なというか本来諫められるような使い方をすることになる。
「LX1」の使用時に、まさか視線をほとんど動かさずその場に立ち尽くして撮影する...といった用途はほとんどなく、撮影者自身が歩き時には走るといったことになるわけで、もし「LX1」がハイビジョン仕様になったところで大きく株が上がるようには思えない(笑)。無論画像は良いに越したことはないがその分データ容量は大きくなりBlutoothやUSBを使ったパフォーマンスや扱いも難しくなるだろう。
「LX1」を生かすも殺すも当然のことながらユーザーの工夫次第ということか...。
それからついでに音質に関して記しておくと、レンズ部位...すなわち正面にマイクロフォンが位置しているため風が強い時はモロにノイズを拾ってしまう。また少々エコーがかかったような音質になるのが気がかりだが、これが仕様なのかも知れない。

ということで私にとって「LX1」は画質を最優先した目的のために利用する機器ではない。しかし日常には「LX1」が生きるシーンは多々存在することも事実。要は適材適所ということなのだろう。
ただし現実問題として低解像度モードでの撮影は例えYouTubeなどへのアップロードが目的としても使うつもりはないが、できるだけ外に持ち出して様々な機会に活用していきたいと考えている。

“Apple University” は成功するのか?!

相変わらずAppleに関連する情報には事欠かないが、最近の情報の中で個人的に興味を持ったのは“Apple University” すなわち「アップル大学」に関する情報である。それは「Apple流のやり方を整理してまとめ、次世代に伝える努力が進行中」だということらしいが、こうした試みが本当だとしても私はその成果には懐疑的である。                                                                                     
情報が確かであるなら“Apple University”はスティーブ・ジョブズ自身の依頼によってイェール大学マネジメントスクールのジョエル・ポドルニー(Joel Podolny)が2008年以降に立ち上げたプロジェクトだという。
ジョエル・ポドルニーがAppleに引き抜かれたとき彼の使命がどのようなものであるか、我々には想像ができなかった。文字通り教育機関を設立するのだとか、それはオンラインの大学になるのでは...といった推測もなされたが最近になって再び注目を浴びる記事が目に付くようになった。それによるとどうやら社員教育のカリキュラム作成がジョエル・ポドルニーにより組まれているとのこと。ただしそれはどこの会社にもあるような新人教育向けではなく、Appleが次世代に向けジョブズのDNAを守り続けることを意図したものだという。

どうやら“Apple University”はジョブズそのものともいえるApple経営のノウハウを後継者に残そうとするのが目的らしい。
Appleには独特な管理スタイルはもとより意思決定プロセスがあるようだし、その歴史もすでに伝説が折り重なって事実が見えない傾向もある。それらを明確に再構築してメソッド化することで後継者たちに役に立つものとなるだろう...という考え方だ。
確かにAppleはスティーブ・ジョブズらにより創業され、そしてまた1996年末に奇跡的なApple復帰後、瀕死の重傷だったAppleを生還させたのもスティーブ・ジョブズである。その後のApple社の躍進はあらためて記す必要はないだろうが、問題は類を見ない強烈なリーダーシップとカリスマ性により成功を収めてきたジョブズだが健康問題の発覚からこのかた、彼が退陣した後のAppleが果たして輝き続けることができるのか...に株主ならずとも気をもめることが多くなった。

AppleU_02_20130624082522.jpg

※Apple,Inc. スティーブ・ジョブズ CEO


そのことは我々が気にする以前に当事者であるスティーブ・ジョブズ自身痛いほど分かっていることに違いない。
自身が退陣を余儀なくされた後、自分が心血を注いできたAppleはどうなるのか...について当然のことながら考え続けてきたのだろう。
これまた最近のニュースによればスティーブ・ジョブズの伝記がオフィシャルに制作されているという。
ジョブズがそうであるかはわからないものの、人はいわゆる社会的に成功すると最後は名誉と共に自分の名を後世に残したいと思うものらしい。だから伝記の制作をOKしたのもそうした心の動きの一環なのかも知れないと邪推したくなる。

とはいえスティーブ・ジョブズがまさか本社前に自身の銅像を建てさせるような俗物だとは思わないが(笑)、自分の心血を注いで育てたAppleを後の世まで成功裏に続いていくようレールを引きたいと考えるその心情は痛いほどよくわかる。だからジョエル・ポドルニーを中心にしたチームがAppleの意志決定のプロセスや管理ノウハウなどをケーススタディとしてまとめ上げ、次世代のトップ経営陣や管理者層に直接参考となるようにシステム化することに興味を持ったのだろう。
ただし結論めくが、こうしたニュースに接したとき私は少々憂鬱な気持ちになった。なぜなら「気持ちは分かるが成果は疑わしい」と直感したからである。また「ジョブズらしくないな...」とも思った。
不世出のカリスマ経営者なら...そして若かりし頃から仏教に強く影響を受け瞑想に浸った彼であるなら世の儚さを悟り、自身の命が尽きるとき、例えば織田信長の「是非に及ばす」とはいかないまでも「僕のAppleはこれまでだ。後は君たちが好きにやってくれ」と突っ張って欲しい気もする。
あるいは勝海舟が福沢諭吉へ反論した言葉「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存知候」といった類の捨て台詞を吐いて欲しいのだが...。
ちなみに「行蔵は我に存す...」の意味だが、「運命を含んだ我が身の出処進退の決断は自分にしか下せず、そのことを他人がいかように批評しようと関係のないことである」といった意味だ。でないとスティーブ・ジョブズは自分が培ってきたApple成功の理論をきちんと学べば誰でもが同じ成果を期待できるのだと信じているかのように思ってしまう。

ある特定人物の思想やカリキュラムは確かに後継者へと伝達できるだろうが、それを上場企業のルールによって運営されている会社組織内に取り入れることには無理があると思うのだ。
ご承知のように歴史を紐解くまでもなく世の中には特定の思想やその活動を広め、後世に伝えようとする働きは多く現在も存在する。例えば松下電器産業(現在のパナソニック)の創立者、松下幸之助により1979年に設立された「松下政経塾」もそうしたひとつである。事実そこから政治家や経営者あるいは大学教員などを多々輩出しているが当然のことながらこれらと“Apple University”の性格はまったく異なる。

なぜなら「松下政経塾」などは企業内に組み込まれたものではない。しかし“Apple University”の問題はそれがAppleという企業内に存在し、Appleのためだけに運用あるいは活用されることを目的としている点だ。
いや、私は自社内にノウハウを囲い込むことに異を唱えているのではない。
そもそも企業とはなんなのかを考えるまでもなく、それをそのまま未来永劫輝きを失わないように存続させるようと考えること自体無理がある。だからもし“Apple University” が報道されているようなものであるなら何だかスティーブ・ジョブズのデジタル・クローンを作るようなイメージが湧いてきて違和感を感じてしまう..。
そして企業は生身の人間により構成され支えられているわけで、社会情勢をはじめ多くの不確定要素の上に存在する。
極端な話し、もし第三次世界大戦でも始まればコンシューマ製品メーカーとしてAppleの存在価値はほとんど無くなるだろう。要は志の高い経営の目標があり、過去の実績そして優秀な人材が存在したとしても厳密な意味では予測不可能なファクターによりいくらでも企業の状況は変わるからだ。また良くいわれるように同じ事をやったとしてもスティーブ・ジョブズだからこそ第三者は耳を傾け、交渉事が上手くいくということは当然あるわけで、残されたカリキュラムに沿って例えばティム・クック最高執行責任者(COO)が同じ事をやっても同様の成果は期待できない...といったこともあり得る。

そして経営者が変われば企業の価値観は一変するだろう。第一後継者といわれているティム・クックが本心スティーブ・ジョブズのやり方を理想と考えているという根拠もないし、ティム・クックならずとも次世代の経営者はかつてのAppleであのジョン・スカリーがそうであったように成功すればそれなりに自身のカラーを表に出したくなるに違いない。その結果極端な話し、スティーブ・ジョブズのカラーが強く残っている“Apple University”の存在そのものを疎ましく思うかも知れない。人とは、組織とはそんなものなのである。
経営だって不変な形で長期にわたり存続するのは難しい。例えば経営の神様と称された松下幸之助がもし現在のパナソニックの経営トップの座にいたとしても我々が知っているかつての成功と同様な成果は望めまい。それはソニーの創業者である井深大と盛田昭夫であっても同じであろう。事実ソニーは一時の光を失っているし盛田昭夫のファンだった私から見て現在のソニーはすでに違った会社になってしまったと思っている。
人は良くも悪くも限られた時代、限られた場所と時間内で光り輝くものであり、どのような時代、どこの世界でも通用するセオリーなどあるわけはないのだ...。と私は思っているのだが。

”法人” と称される企業も本来、長い短いはあっても限りある命の存在と考えるべきで、生き残るためには時代時代に即した新陳代謝すなわち迅速な変わり身が必要だと考える。無論 “Apple University” のカリキュラム、あるいはその運営方針や方法論がどのようなものであるかは興味のあるところだが、時代背景や具体的なターゲットを抜きにしたマニュアルやノウハウを信奉することは危険を招くのではないだろうか。
まあ、誤解のないよう記すが私は決して“Apple University”が失敗することを願っているのではなく最初期からのAppleユーザーとしてスティーブ・ジョブズ退陣後もその輝きを失わないことを心から願っている。そして可能な限りスティーブ・ジョブズがAppleのCEOの座に留まって陣頭指揮にあたって欲しいと思っている1人だ。しかし “Apple University”という方法論で自身の生きざまを後世に残そうと考えるそのこと自体、彼がこれまで意図的に過去を葬り去り、後ろを振り向かずに生きてきたことに矛盾するのではないかと危惧しているのだが...。

ラテ飼育格闘日記(233)

もうすぐ満5歳になるラテはオトーサンたちにとって何ものにも代え難い大切な娘である。少々マズルが長く鋭い牙を持ち言葉を話さないもののオトーサンに叱られ、あるときにはに抱っこされ、チューを浴びながら元気に暮らしいている。そしてそれなりに意思疎通もできていると思っているが、窓の外をじっと眺めているその目を見ると「こいつは一体何を考えているのか」を知りたくなる。                                                                                  

ワンコは状況判断力に優れている。自分の欲求を飼い主の言動に照らし合わせ、上手に意思表示するそのタイミングは絶妙なものだ。
例えばオトーサンが玄関で上着をはおり、キャップをかぶるその音を聞くとそれまで出窓のたたきでウトウトしていたのにのそのそと降りきて一緒に行くよとアイコンタクトする。
オトーサン1人で玄関のドアを開ければ出窓のたたきに上がってその下を通るだろうと準備をする。無論ラテのオヤツを置いてある棚で袋をガサガサすれば飛んでくる(笑)。
またラテが自分の足をかみかみしているところに顔を出すと繕うように止め、さも申し訳ないといった表情をする。無論それはこれまでかみかみ現場を見たオトーサンがうるさく「ダメ!」を繰り返してきたからだ。
こんな毎日を体験しているとワンコの知能の高さと優れた学習能力に感心することになる...。

Latte233_01.jpg

※珍しくカメラ目線が笑顔です


しかし本当のところ、ラテはオトーサンが考えているそのままに行動し学習しているのか...といえば、それはどうやら違うらしいのだ。
なぜなら、例えば床を散らかし、あるいはウンチなどしたとき私たちは当然のことながら大騒ぎをしてそれを片付ける。そして場合によっては散らかしたあるいは粗相をしたワンコに対して強い言葉を発するに違いない。だから次にまたひっちゃかめっちゃかの現場に飼い主が戻ってきたとき、ワンコは申し訳なさそうな表情と態度で私たちに接するだろうが、問題はワンコたちがいわゆる罪の意識に苛まれているわけではないことを理解しなければならない。

「いや、あの態度はさも自分が悪かったといった態度だよ」といわれるかも知れない。しかしそれは飼い主に叱られるであろうことに反応しているのであって「自分が散らかして」あるいは「床にウンチをしてしまって」「悪かったです...ごめんなさい...」と考えているのではないらしい。
オトーサンは実験したことはないが幾多の実験でこのことは確認できているという。
それは...ワンコがその場にいないとき、飼い主自身で例えばリビングにダンボールや新聞紙などを散らかして於き、その部屋にワンコを入れる。そしてすぐに飼い主本人がさも現場を発見したぞといった感じでリビングに入るとワンコはどのような行動を取るか...。
それは自分が散らかしたときと同様にすまなそうな顔をし、すごすごと部屋から出ていくに違いないという。ワンコは「これは自分がやったことではない」ことを弁解しない(笑)。そもそも散らかすことに罪の意識があるわけではなく、単に大好きな飼い主が怒ったり不快な言動をすることを学習しているから服従的態度を取るだけなのだ。

Latte233_04.jpg

※この娘はいったい何を訴えているのか(笑)


そもそもワンコが「私が悪うございました」と態度で示していると我々が感じるのは錯覚であり思い込みなのだ。それは人間社会の観念をワンコに投影してしまう人間側の思考や要求がいかに強いかを示す恒例でもある。しかしそれは明らかにワンコの行動の真の意味ではなく我々の大いなる勘違い...錯覚なのだ。
もうひとつオトーサンにとって衝撃的な実験を知った。
それは、離乳前の子犬を母親や兄弟姉妹から離すと、高い声で不安の悲鳴をあげる。この声を聞くと、母犬はかけよって子犬を咥えあげて巣に運び戻す...。なんとも微笑ましい光景であり母親が子を心配する気持ちは我々と同じなのだと感激してしまう。
しかし...である。レイ・コピンジャーという人の実験によれば、子犬の悲鳴をテープに録音しておき、それを巣の外に置いたテープレコーダで再生し母犬に聞かせたところ母犬は子犬にしたとおりのこと、すなわちテープレコーダを咥え上げて巣に運んだという。ちょっとショックではあるまいか...。ただしオトーサンはラテを見るに付け、まさかテープレコーダーを子犬と間違えるとは思えない...。生き物と非生物を見分けることくらいワンコにもできるはずで、これは「子供の声を出す変なモノ」として一応かたづけるだけなのではないかとも考えるが、こればかりは確かめようがない。

ともかくこうした実験が確かだとすれば、ワンコが我々人間と似たような行動を示したとき我々がワンコの心を安易に推量してしまうことを戒めるのには十分だ。ただこうしたことはワンコが思考し、感情を持っていること、周りの人や生き物の行動に絶えず気を配っていることを否定するものではない。
ワンコは、あるがままに我々人間世界に共存し、自分の生態系に適応した生き方をしているだけなのだ。
オトーサンがラテの行動をまるで人間と同じだと勝手に思い込んだとしても、それはラテの知ったことではないのだ。

Latte233_02.jpg

※散歩中、ラテが好きな猫に遭遇!


大切なのはワンコが思考と感情を持てること、そして他の人間や他のワンコの行動と社会的シグナルを知る能力を持っていることは確かとしてもそれは必ずしも他者(犬も含め)も同じように何かを感じて考えているという認識を持っていることを意味しないのだ。
例えば2,3歳以下の幼児は、オモチャを隠したときに、その場にいなかった人はオモチャの隠し場所を知らない...という事実が理解できないという。他人が心を持っていることがわかるのは、幼児・児童期になって初めて発達してくる人間固有の特性らしい。

Latte233_03.jpg

※遭遇といえば、たまにはこんな鴨にも出会います


ということはオトーサンが日々ラテのことを考え、愛情を注いでいることをラテがどれだけ認識しているかは疑わしいことになる。ラテはオトーサンたちの庇護の元であれば安全だという認識はあるに違いないし上位の仲間か家族あるいはボスといった感覚で接しているのかも知れない。
しかしまあ、そもそも我々人間同士だっで大いなる錯覚、思い込み、思い違いでこそ毎日を何とか無事に楽しく過ごしているのかも知れないし、ワンコが我々人間と同じような思考を持っていなかったとしてもワンコはあるがままで愛しい存在なのである。

【参考資料】スティーブン・ブディアンスキー著「犬の科学」(築地書館刊)

Bluetooth対応ウェアラブル・カムコーダ LOOXCIE LX1を試す

Bluetooth対応ウェアラブル・カムコーダ LOOXCIE LX1を使い始めた。このヘッドセット型のビデオカメラは前回ご紹介したように数々の利点・特徴があり撮影時に両手が空くと共にiPhoneと同期して使うことが出来るわけだが、果たして実用になるのだろうか。今回は「LX1」の第2弾である。                                                                                                                         
「LX1」はこの小さな筐体にボタン類が4つある。まずイヤーチップの反対側は電源ならびに電話着信の場合の呼び出しボタン、イヤフック上部にビデオ撮影ON・OFFボタン、同じくイヤフック後ろ側にボリュームボタン、そしてカメラ部位の根本当たりの下側にインスタントクリップ・ボタンといった具合だ。
まずはこのボタン類の使い方の基本を覚えないとならない。ろくにマニュアル(英語)も見ずにあれこれとやると混乱して操作を間違う恐れがあるので注意する必要がある。

LX1_B_01.jpg

※小型の「LX1」本体には4つものボタン機能があるのでまずはその扱い方を覚えるのが先決


「LX1」を入手して最初にやることはiPhoneとのペアリングおよびiPhoneにAppStoreから「LooxcieMoments」「LooxcieCam」という2種類のiPhoneアプリをダウンロードしインストールすることだ。勿論両方とも無料である。

LX1_B_02.jpg

※AppStoreから「LooxcieMoments」「LooxcieCam」をインストールする


iPhoneとのペアリングは電源/呼び出しボタンを長押しして電源を入れ、続いてボリュームボタンと電源/呼び出しボタンを3秒ほど押すことでBluetoothがペアリング状態となる。後はiPhone側で検知し確認するだけだ。なおペアリングコードは不要である。

LX1_B_03.jpg

※iPhone 4とのペアリング完了


ペアリングが終わったらiPhoneにインストールしたアプリのどちらかを起動してみよう。通常それで本体ファームウェアのアップデートが要求される。また別途メーカーサイトからデスクトップ版アプリ「LooxcieDesktop」もダウンロードしインストールを済ませておこう。
念のためだが、手動でのファームウェアアップデートはこの「LooxcieDesktop」を起動し電源をOFFにした「LX1」をUSB接続する。続いてデスクトップに「LX1」がマウントしたら表示ウィンドウの「Install Update」をクリックすればアップデートが始まるが5分ほどかかることもあるようだ。
画面が切り替わったらUSB接続のまま画面表示の通り「LX1」の3つのボタンを同時に3秒ほど押し続け再度画面が変わり「Your Looxcie Device is up-to-date」と表示されれば完了である。なおUSB接続した「LX1」は必ずUSB機器の通例通りの手段でアンマウントしてから取り外す必要がある。
取り急ぎ「LX1」の電源を入れ、ペアリングが出来ていることを確認しiPhoneの「LooxcieCam」を起動の上「LX1」カメラからの映像が表示されればセットアップならびに接続確認はOKということになる。

LX1_B_04.jpg

※「LooxcieCam」のビュー画面に「LX1」からの映像が表示される


さて実際の利用に際して意外と難しいことは「LX1」を耳に装着することではないだろうか...。
これは耳のサイズや形状などにより個人差があると思うが、付属の3つのイヤピースを試し、一番フィットするものに換えておく。そしてまずは自分の耳にどのようにしたら簡単にそして違和感なく取り付けることができるかの練習にきちんと時間を使う必要がある。
なお「LX1」は電源ならびにイヤピース部位が回転するので左右どちらの耳にも装着が可能だ。
最初は違和感なく装着するのに手間がかかった...。何しろ耳にかけることは出来てもイヤピースが耳の穴にピッタリとこない。押し込もうとすると電源が入ったりあるいは切ったりしてしまうし押し込もうとして他のボリュームボタンやビデオボタンを押してしまうこともしばしばだ。

耳に違和感なく装着できるようになったら次の課題は実際の撮影に備えて手順を十分確認しておくこと...。
例えば撮影開始と耳にかけた「LX1」の電源ボタンを押し、ペアリングされていることをiPhone側で確認した上で「LooxcieCam」アプリを起動する。そして録画開始ボタンをタップするか「LX1」側のビデオボタンを押すことで録画が開始され、再度押すことで録画が終了となる。しかし問題は闇雲に録画を開始しても実用にはならない...。
それは耳に装着した「LX1」が撮影者の視線に準じた方向ならびに角度を保持しているかがiPhone側で確認しないと分からないからだ。
こうした確認を疎かにすれば撮りたいフレームは回転したままでかつ対象物がフレームから外れたり欠けたりすることになる。
したがって撮影時には必ずiPhone側のアプリでプレビューし、「LX1」の上下位置や角度を正す必要がある。

私はといえば現在の所「LX1」の全てを理解できたわけではないがテストを兼ね、毎日朝夕2回愛犬との散歩に使っている。ただし画質的な問題でもっぱら640x480モード撮影で「LooxcieCam」を使っているが...。
そうそう、取り急ぎお伝えしておく必要があるが「LX1」の2つの撮影モードは撮影後の手順が違うので注意が必要だ。なぜなら「LooxcieCam」を使った場合、その撮影データはリアルタイムに「LX1」に自動的に保存蓄積される。しかし低解像度モードを持つ「LooxcieMoments」の場合はクリップビデオ...すなわち本来低解像度で短いショットを撮ることを想定してか、撮影後自動的に保存はされない。その代わりクリップの任意のイン・アウトを指定でき、その範囲だけあらためて「LX1」に保存されることになる。

LX1_B_10.jpg

※「LooxcieMoments」は撮影後クリップの保存範囲を指定可能


そして「LooxcieMoments」はファイルの共有を意図した機能、すなわちメールをはじめFacebookやTwitterと連動する機能も持っている。

LX1_B_11.jpg

※「LooxcieMoments」にはファイル共有機能もある


ともかく自宅を出る際に「LX1」の電源を入れペアリングを確認しカメラの角度と回転位置などを正しておく。こうすれば散歩中にiPhoneへ着信があった場合でも電源/呼び出しボタンをクリックするだけで会話ができるしiPhoneの「LooxcieCam」でプレビューしてから即撮影開始が可能だから...。後は基本的に帰宅するまで回しっぱなしだ。

「LX1」の画質などに関しては別途レポートするつもりだが、「LX1」を装着し愛犬との散歩を繰り返してみたがいろいろと発見があった。当初は撮影時に「LX1」の存在を意識せず、意図的にいつものように振る舞ったが、習慣となっている愛犬の進行方向1メートルから3メートルほどの地面ばかり注視している自分を再確認したこと、そして左膝が痛くサポーターをしていることでもあり厳密にいうなら映像が左にカクカクと揺れる。やはり意識していないものの軽く足を引きずっているようだ...。
さらにこれまた意識外だったが、頻繁に視線を変えているため、ビデオ撮影には相応しくない歩き方だということも分かった(笑)。だからそこそこの撮影を意識するなら頭はなるべく動かさず、そして視点移動も緩やかに行わないと結果は見るに堪えないものとなってしまう。
そう、話しは長くなると焦点がぼける(笑)。次回画質篇へ続きとしよう...。

1996年の「AppleCup」資料を見てため息!

思えばアップルのデベロッパーという立場の方々はビジネスとはいえ随分とアップルに翻弄され続けてきたものだ。手元にある1996年に配られた「AppleCup~アップル法人ユーザー会・募集要項」というリーフレットを見るとあらためてその感を強くすると共に当時を思い出して目眩を感じため息が出てしまう。


現政府のやり方ではないが、いつの世もお題目ばかりでやることなすこと堂々巡りでとんと物事が前に進まないという事はあるものだ。さらに困ったことだが人が代わり組織が変わると昔のことはリセット...フォーマットされていかにも真新しいアイデアといった感じで同じようなものが再登場する。この業界に20年以上もいて、マイコン/パソコンのユーザー歴30年以上ともなればこうした滑稽な思い出も多い。

今般資料整理をしていた際に1996年に配られた「AppleCup~アップル法人ユーザー会・募集要項」というリーフレットを見つけたとき、昔の事とはいえ苦い思い出がわき上がってきた。

さて「AppleCup」とは “Apple Corporate User Party” の略だというが当時アップルコンピュータ社(現アップルジャパン)のオフィシャルな組織であり、独立した任意の非営利団体「Apple-CUP事務局」として運営されていた。
資料によればその目的は「法人ユーザーにおいて、Macintoshを中核とした情報システムの企画・構築・管理における共通の課題の解決(アップコンピュータ株式会社への提言とその協力活動を含む)と、先進システム構築のために必要な製品/技術/事例研究を主な目的とし、併せて会員相互の活発な交流と親睦を図るものとします。」とある。

AppleCup2.jpg

※1996年に配布された「AppleCup~アップル法人ユーザー会・募集要項」の表紙


さて「AppleCup」の具体的な活動は「関連サポートプログラム」と「関連テクニカルプログラム」に分かれる。
まず「関連サポートプログラム」にはアップル製品全般の情報提供とテクニカルサポートに関するエンドユーザーからの問い合わせにフリーダイアルの電話とファクスで解答するという「カスタマーアシスタントセンター(CAC)」があった。そしてアップルの情報はもとよりサードパーティー各社の情報をファクスで提供する「FAXAID」、さらに現在も一部その名が残っている製品保守期間を過ぎても追加保証料を支払うことで無料修理をするという「AppleCare」というサービスである。

「関連テクニカルプログラム」にはアップル製品によるシステム設計、構築に必要な技術情報およびテクニカルサポートの提供を目指した「アップル・システムエンジニアリングプログラム」、Macintoshプログラミングの入門から応用、そしてドライバ開発など開発者向けトレーニングとして、広く一般の方々に受講を勧めるプログラミングスクールの「デベロッパユニバーシティ」があり、さらにMacintoshネットワーク環境を活用するための各種トレーニングを行う「Apple Traning for Network」というプログラムで構成されていた。

さらに「クロスプラットフォーム分科会」「ネットワークシステム分科会」などいくつかのテーマ別分科会活動計画や「ソリューションセミナー」と題して「OpenDoc」や「New Mac OS」などのセミナーを開催すること、インターネットでの専用フォーラム提供、幹事会の招集、そしてその他の予定として「国内研修セミナー」やMacworld Expo/SFへの「海外研修セミナー」と各種国内のビジネスイベントへの参加も謳われていたのである。

入会資格は基本的に法人ユーザーであるが活動に賛同する個人の入会も認めていた。そして年会費は会員一口(2名)で2万円だった。
なお入会手続きが完了すると「ウェルカムキット」というものが送付されてくる。それらは入会通知やらガイドラインそして年間スケジュール表だったが笑ってしまうのは「Apple-CUP ’95 CD-ROM」が同梱されその説明には「2万円相当」とあることだ(笑)。記憶がまったくないのだが2万円相当の貴重なゲームでも入っていたのだろうか...。

当時私自身もアップルのデベロッパーだったからアップルのサービス向上には人一倍注目し実現に期待をしていたが、この「AppleCup~アップル法人ユーザー会」が文字通り成功して本当の意味で我々の役にたってくれた記憶は...まったくない(笑)。事実当時の業界人に「AppleCupって覚えていますか?」と聞いたところでほとんど記憶にないだろうしご存じないだろう...当事者はともかく。

それどころかその前後の時代はアップルジャパンの社長が1年ごとに替わっただけでなく業績に大きな陰りがあった時代だったから、サービスどころではなかったのかも知れないし、ご承知のように同年暮れにAppleはNeXTを買収しスティーブ・ジョブズを顧問としてAppleに復帰させることを発表した。

こうした大きな変動の前にはあれほどきれい事をならべた「AppleCup」は自然消滅させるしかなかったのだろう。そして我々の記憶からも早々に消え去ったのである。
いまさらではあるが、あのOpenDocの消滅が象徴するように当時のデベロッパーは理由はともあれAppleに随分と翻弄され裏切られたものだ。

ともかく例えばAppleCareはサポート組織やサービス形態は当時と違うものの、現在も「AppleCare Protection Plan」として存在しているし「Apple Traning for Network」トレーニングはそれこそ現在のアップル技術者認定プログラムそのもののように思える。
問題は失敗や挫折を繰り返すほどに理想に近づいているのであれば良いがリセットとやり直しの連続では関係者たちはやりきれない...。

まあ一番の問題はアップルのデベロッパーに対する現サービスはこの時代から果たして大きく向上しているかどうかにある。しかし幾多のデベロッパーやディストリビュータあるいは開発者の方々からの話しを綜合するに私にはそう思えないことが残念である…。


Bluetooth対応ウェアラブル・カムコーダ LOOXCIE LX1とは?

iPhoneの世界は本当にエキサイティングだ。アプリケーションや周辺機器との組み合わせでまさしく何でも可能なように思えるほど多様なことが可能になる。今回はBluetooth対応でヘッドセットのように耳にかけたまま動画撮影可能な WEARABLE CAMCORDER LOOXCIE LX-1を手に入れその感をあらためて強くした次第。                                                                                                                  

昨今は安価なコンパクトデジカメでもハイビジョン動画を撮れる機種が多いからすでに動画を撮ることは特別なことではなくなった。しかしカメラ同様にビデオカメラにもいわゆるシャッターチャンスはあるし、撮りたいのに撮れなかったということも多々経験するものだ。
その多くは当然撮っておきたいと思った瞬間にはすでにそのチャンスは逃がしているわけだが、我々はいつもカメラを手にしているときばかりではないしそれは仕方がないと諦めるしかない...。

ところで仕事を別にすれば私が求める動画のクオリティなど高いものではない。日常の記録としてそこそこの画質であれば良いと思っているしその一部をウェブで利用できる程度なら上々である。
だとするならそもそも画質うんぬんより、撮るべきものをいかにチャンスを逃さず撮るという方へより意識を向けるべきだと考え、iPhoneなどと連動可能な小型ヘッドセットビデオカメラ「LX1 Camcorder」を手に入れた。
パッケージには本体の他、ACアダプタ、簡易英語説明書、簡易日本語設定書、イヤーチップ、USBケーブル、専用ポーチが付属している。

looxcie_01.jpg

looxcie_02.jpg

※小型ヘッドセットビデオカメラ「LX1 Camcorder」パッケージ(上)と同梱品(下)


本製品は別名「WEARABLE CAMCORDER」と称されているようにこの「LX1」はヘッドセットのように耳かけ式のビデオカメラである。無論BluetoothV2.1+EDRをサポートするヘッドセットとしてiPhoneの通話にも使える製品である。
一見耳にかけるには少々大ぶりかと感じるが重量は約28gと軽く何よりも装着感がよく安定性がある。ただし慣れるまでは耳への装着がなかなか上手くいかなかったが3つ用意されているイヤーチップを全部試し、数十分試行錯誤した結果、眼鏡をかけている私でも違和感なく使えるまでになった。

looxcie_03.jpg

※「LX1 Camcorder」はヘッドセットのように耳かけ式だ


本体には365mAh リチウムポリマーバッテリーが内蔵され、最大4時間録画(低画質モード)および10時間のヘッドセット通話が可能という。なお画質的には640x480/30fpsモードの高画質と320x 240 /15fpsモードの低画質の2種類を使い分けることが出来る。そして面白いのはiPhoneなどスマートフォンと連動可能であることだ。
Bluetooth class2をサポートしているのでペアリングし公式サイトから無料でダウンロードできるソフトウェアをiPhoneへインストールすればスマートフォンの画面にカメラの撮影画面がリアルタイムに表示され、そのまま携帯電話から録画などの操作も可能。さらにヘッドセットとしてスマートフォンへの着信に応答することができるといった具合だ...。
撮影した動画もBluetoothで携帯電話への転送・保存が可能であり、デスクトップ向け専用アプリを使えばMacへ転送することもできる。さらに低画質モードにはEメールへの添付やYoutubeへの投稿やFacebook、Twitterでの共有を視野に入れたソフトウェアになっているし近々ストリーミング用アプリもリリースされるようだ。
そう...コーデックはMPEG-4 videoならびに AAC Audioである。

looxcie_04.jpg

※「LX1 Camcorder」をレンズ部位から見た例


こんな感じで「LX1」は魅力的な製品だが、やはり一番は両手が空くだけでなく自分の視点で動画を撮影できることだ。そもそもが一般的なビデオカメラでは無理な運動中の撮影も「LX1」なら苦もなくできる。この点はいくら声を大きくしてアピールしてもアピールし過ぎることはないほど素晴らしいことだ。
特に私のように愛犬との散歩で四季折々の風景を楽しみ、愛犬とのコミュニケーションを記録している人間にとっては文字通り手放しで嬉しい。

looxcie_00.jpg

※iPhone 4で「LX1」の映像をモニターしながら撮影した例


そして何よりも面白いというかユニークなのは決定的瞬間が起きてから録画スイッチを押しても30秒までは遡り保存が可能なことだ(低画質モードのみ)。これはとかく撮りたいシーンに出会った瞬間にシャッターを押したのでは間に合わない場合がほとんどだからだが「LX1」は装着しているユーザーの視点にカメラが固定されているので自分が見ているシーンを逃しにくい。
ところで「LX1」は "Made for iPhone" を明記した製品だからしてiPhoneユーザーも安心して使うことが出来る。ただし問題は現在のところ日本に正規の代理店がないことだ。とはいえamazonや楽天などいくつかのオンラインショップでは販売されているから興味のある方はサービスや万一の場合の修理や初期不良交換などについて確認の上で購入することをお勧めしたい。

取り急ぎ今回は製品概要をお届けしたが次回はiPhoneとのペアリングならびに録画のポイントなどをご紹介したいと考えている。

LOOXCIE

ラテ飼育格闘日記(232)

ワンコと生活を共にすることは大きな喜びだ。変な擬人化の罠にはまらないようにと考えているオトーサンでも、もしかしたらラテはこちらの話していることすべて理解した上で分からないふりをしているのでは?と考えてしまうほど奇妙にマッチングした行動をとるときもある。またその場に即した絶妙の笑顔を見ていると我々と同じように楽しさや嬉しさを感じるのだと得心してしまう。                                                                                            
ワンコと意志を通じさせる...というと飼っていない方には「誇大妄想では」と笑われそうだがそんなことはない。無論最初は可愛く駆け回り、床で眠っているワンコが何を考え何を欲しているかも分からなかった。第一どこでオシッコしたいのか、あるいはそろそろウンチをするのかしないのかも分からないし喉が乾いたとか寒い暑いも言わないのだから意思疎通どころではなかった。ただただその笑顔に励まされていただけのような気がする。

Latte232_03.jpg

※新緑の中をラテと歩く...


しかし最近では100%というわけではないが「ここらあたりでウンチかな...」といった事が分かるようになってきたから面白い。
お仲間の飼い主さんの中には「愛犬の肛門が開いてきたからもうすぐだ」とウンチ捕獲の用意をする強者もいらっしゃるが、ラテは長毛のためか美容室に行った直後はともかくいつもお尻の穴が見えているわけでもないのでそうした観察は難しい(笑)。ただ歩き方と行動に微妙な変化が出てくるから「そろそろかな」と分かるのである。それにオシッコとウンチでは姿勢が違う。
その上「ラテ、そろそろウンチをして!」といった途端にラテがしゃがみ込むといったこともあるのでオトーサンとしてはある程度意思の疎通ができていると思いたいのだが...。
また水が飲みたいとき、公園に水飲み場があればそこにリードを引くし、散歩の途中ならオトーサンの膝裏をツンツンと突いて注意を促し、目が合うと舌なめずりすることがあるから「ああ、水ね」と足を止めバッグに用意してあるペットボトルの冷たい水を飲ませることもしばしばだ。さらに驚いたことに自動販売機の前で動かなくなるときもあって、これは間違いなく水が飲みたいという意思表示なのだ。

Latte232_04.jpg

※休日の朝は顔見知りのワンコが多く集まる


遊んで欲しいときのボディアクションとその表情や独特の甘える声...といった具合にラテが何をしたいのかは大方分かったつもりでいるオトーサンだがそこはワンコである...。やはり人間にはまったく理解できない行動もするわけで、いまだに何故そうした行動をするのかについてどう考えても納得できる答えが見つからないことも多い。
その第一は我々がバッチイと思う場所ほど好きなことだ(笑)。そうした場所は多分にワンコのオシッコがかかっている可能性や草むらの奥に食べ物の残りやウンチなどがある可能性があるから注意を要するのだ。そして困ったことに道端や公園などでピンポイントに気になる...あるいは好きな臭いを見つけると頭や首筋から背中全体をそこに擦りつけるような動作をするときがある。

最近ではそうしたタイミングが分かっているのでオトーサンはラテがクンクンし、その後で鼻筋を、そして頭を擦りつけようとする瞬間にリードを引く。
ラテには気の毒だがその場所を確認してみるとオトーサンの目には特に変わったものが落ちているようには思えない場合もあるし、明らかにミミズの死骸がある...といった場合も多い。
物の本によるとこのミミズや豚のウンチなどを体中に擦りつけるのはワンコの本能なようだ。
獣医の野村潤一郎著「犬に関する100問 100答」ではカレーの臭いも好きだという。こうした有機的な臭いはワンコにとって一種の香水なんだろうというのが野村先生の意見だが、反対に人間が良い香りとして好むオーデコロンなどはワンコにとっては苦手だという。

Latte232_01.jpg

※友達ワンコ、ハリーのお母さんに撫でられ最高の笑顔を振りまくラテ


だとするとラテは少々変わっているのだろうか...。なぜならオトーサンがひげそりの後でつけるアフターシェービングローションの香りが気になるようでオトーサンに近付き、まだ香りが残っている指などを舐めようとするからだ(笑)。
ともかくワンコがそうした我々にとってはまことに不潔で嫌な臭いを体に擦りつける理由は本当のところ分かっていないらしい。
確かにワンコの行動を見れば草むらの一点に自分の体を擦りつけているわけだから、我々の目には文字通りその臭いを自分の体にしみ込ませたいからだというように思える。
一説に寄れば現代のオオカミも同様な行為をすることが観察されていることから、捕食行為すなわち獲物を追う場合に自分の臭いを消すのが目的ではないかという話しがある。自分の臭いを消せば獲物に近づきやすくなるというわけだ。しかしこれらは当然のこと我々人間側の思考でありワンコの立場になって考えて見るとまったく別の意味があるのかも知れないという説もある。

それは...もしかすると体に臭いがつくという事は別の目的の副次的な出来事かもしれないのだ。
ご承知のようにワンコは他のワンコがしたオシッコの上に自分のオシッコをかけるマーキング行為をする。まるで前の臭いを消すために上書きでもするように同じ場所で足を上げる様はオトーサンたちには不可思議でも重要な情報発信であり自己主張なのかも知れない(笑)。そしてあまり知られていないことのようだが、オオカミやワンコの頭部には臭いを出す分泌腺があるらしい。
したがって腐った臭いの上で頭や体を擦りつける行為はその臭いを自分の体に付ける意味ではなく、オシッコへの上書きのようにその強い臭いの場所に自分の臭いを付けたいとする行為かも知れないのだ。
そういえば猫も犬も人の足元にすり寄り、自分の体を擦りつけようとするときがある。我々には甘えを意味しているように思えるその行為も実は自分の臭いを我々に付けたいという行為だと解釈もできる...。

Latte232_02.jpg

※暫くぶりに出会った大好きな女子に熱烈なアタック!


その他、食糞行為や車や自転車を追いかけようとしたり、我々には理解しがたく異常にも思える行為が目立つが、それでも一般的にはワンコが病的異常であるわけではないのだ。
ワンコたちは人間世界といういわば異文化の世界で適合するように...人間が喜ぶようにと努力している反面、本能に従った行動に走ってしまうのだろう。そしてそれらは彼らにとってしごく合理的な振る舞いをしているわけで罪はないのである。
ワンコの行動が本当の意味における病的異常なのかは我々にはなかなか見分けがつきにくい。しかし「犬の科学」著者のスティーブン・ブディアンスキー氏はいう。
「そもそも犬が犬になったのは、狼的神経回路、狼的成長、狼的内分泌機能の、一種の損傷によるのだから(中略)ある程度まで、もともと犬は異常なのだ」と。
異文化交流は楽しいが、なかなか本当の意味で理解することは難しい...。

1930年代のポケット計算機「Fowler's Calculators」がやってきた!

「計算機」といえば現在ほとんどの人はコンピュータあるいは電卓のことを思うに違いない。誰もソロバンであったり計算尺のことを思い浮かべる人はいないというのが現実だろう...。しかしソロバンや計算尺といったものは単に計算機の進化上、その途上にあっただけのものなのだろうか...。そうした疑念というか思いが募り、以前タイガー計算機を手に入れたこともあったが、今般手に入れたのは1930年代に作られた円形のポケット計算機である。


最初にイメージを確かなものとするために結論めくが、このアイテムを理解するには「円形の計算尺」というものを想像していただくと良いと思う。事実現在でもコンサイス社製の円形計算尺などは入手できるようだ。
ところで「尺」というと古くさく感じるかも知れないがそれは長さの単位であり、映画やフィルムのカット長のことも「尺」というのだから、デジタル全盛の現代でも意味のある言葉である。
また「尺貫法」といった物言いのとおり、単位といった意味合いからそれを図る物差しを意味するようにもなった。「計算尺」しかりである。

ところで私は元来技術畑の人間ではなかったから計算尺の使い方は学校で習っただけであり実用としては使ったことがない。したがって正直いまでもその使い方の妙はほとんど分かっていない(笑)。
その代わりと言っては変だが子供の頃に一時期ソロバンを習わされた。最初はソロバン塾に通うのが嫌で嫌でたまらなかったが結局珠算検定三級に合格するまで通わされた。そしてこのソロバンは事実私の若かりし頃には現実的な計算機として大いに役に立ったのである。

FowlerPC_03.jpg

FowlerPC_04.jpg

※英国ファウラー社製(1930年代)のポケット計算機両面


1970年台初頭は東証一部上場企業であってもコンピュータはもとより電卓すら常設されていなかった。したがって日常の計算はもとよりだが会社の決算時にはソロバンの名手が活躍した。
私の同期に岩手県出身の男がいたが、普段は地味で目立たなかったものの決算期になると俄然注目を浴び、引っ張りだこになった。
何故なら彼はソロバンの腕が「級」ではなくその上の「段」であり、8桁や9桁の暗算が苦も無くできたからである。
コクヨの集計用紙に記された手書きの数字を上から「す〜っ」と目でなぞっただけで30や40段はある8桁や9桁の計算を暗算でやってしまうのだから戦力にならないわけはない。

そんな能力のない私でもソロバンは実践の計算機として日常的に使うものだった。なにしろその頃やっと部署に一台ずつほど置かれるようになった大型電卓で計算した結果をソロバンで検算するのを常としていたのだから...。
いや、お若い方は笑うかも知れないがこれは本当の話であり、例えば米国のアポロ計画においても当時のコンピュータが算出した軌道計算結果を担当者が計算尺で検算していた現実があるのだ。
その事実を踏まえ、映画「アポロ13」でもヒューストンのコンソール前には計算尺の姿が登場する...。

FowlerPC_01.jpg

FowlerPC_00.jpg

※ユニバーサル映画「アポロ13」より。オペレータの前には計算尺が置かれ軌道計算を検算するシーンが登場


ソロバンも計算尺も訓練され、使える人の手にかかれば文字通り強力な武器となるのである。
それにソロバンの訓練で自然に身についた補数という考え方は実に有益なものだったといまでもそう思う。
余談ながら私は駅のキオスクで働くおばさんたちがあれほど効率よい仕事ができるのは日本独特のものであり、多分にソロバンの訓練を受けた人が多い結果ではないかと考えているほどだ。
朝の混雑時に次から次へと出る客の手にあれほど手際よくお釣りを出さなくてはならない人たちがもし電卓を使っていたら、まったく仕事にならないだろう(笑)。

さて手元に届いた円形のポケット計算機だが、1930年代にイギリスのマンチェスターで作られたFowler & Co.製のものだ。このファウラー社は1898年にWilliam Henry Fowler (ウィリアム・ヘンリー・ファウラー)により創立され本計算機のパテントをとっている。

FowlerPC_05.jpg

※「Fowler's Calculators」とサイズ比較のiPhone 4


その形は丁度大ぶりの懐中時計のようでもあり直径が約68mm、そしてニッケル製ボディ側面に置かれた2つのリューズのようなダイアルを回すことで本体両面の放射状に記された目盛りが記されている円盤と基準線(カーソル)とを回転させ、値をセットし答えを読み取る仕組みである。
早速ウェブなどでその使い方の基本をと調べてみたが私には簡単に使いこなせそうもない(笑)。しかしこの製品は当時のエンジニア達のために設計され、一般的だった棒状の計算尺に勝つ多くの利点を好まれ、製図や科学を学ぶ学生達にとってなくてはならない物であったという。
こうした計算尺やソロバンは電卓とは違い、基礎的な計算能力を育成するためにまだまだ必要なものなのではないかと思うのだが...。

なおこの「Fowler's Calculators」は革製の専用ケースがついており、それに収納して手軽に持ち歩くことができたことから “pocket calculator” と称されていたらしい。
まあ手元に届いた「Fowler's Calculators」は無論実用となるわけでもなくオブジェとして当研究所の棚に飾られることになるが、大切にしたいと思っている。

ラテ飼育格闘日記(231)

最近はとみにワンコを飼う人が増えたように思う。オトーサンの周りを観察しているだけでもそれは間違いない。しかしあまり表には出てこないが飼い主さんの中には「こんなはずではなかった」と後悔したり、それほどではなくても飼育のあれこれについて頭を悩ませている人たちも多いようだ。                                                                                                                          
ワンコ好き...というか動物好きの人間にとってペットショップは特別の場所だ。そこにいる犬猫...それも子犬や子猫を眺めていると何とも言えない幸せな心持ちになってくる。
こんな可愛い生き物がいつも身近にいるとすれば、どんなに楽しくそして心温まることだろうと考えてしまう。
飼い主の足元に嬉しそうに伏せて待つワンコ。飼い主の投げるフリスビーを嬉々としてキャッチして持ってくるワンコ。飼い主の脇にぴたりと付きアイコンタクトしながら歩くワンコ...。
それに、テレビドラマや映画の中に登場する名犬たちを見ていると自分もああしたワンコと生活してみたいと思うに違いない。
そうしたシーンを想像して「犬を飼いたい!」と思うのは自然な感情だが、その一時の夢だけに押されてしまうと大変なことになるかも知れない。
なにしろ現実としては生き物を慈しんで育てることは気楽にできることではないし後戻りできないからだ。

Latte231_04.jpg

※いつもの公園にてオトーサンと一緒のラテ。ちょっと緊張気味か(笑)


オトーサンはラテを飼うために引っ越しまでした経験者だ。そしてラテとの生活を後悔したことは1度もないが、大変だということは骨身にしみて分かったつもりである。だから「犬を飼いたいが...」といった相談をされたときまずは東京都衛生局・生活環境部獣医衛生課が作成した「犬を飼うってステキです-----か?」をご覧になることをお勧めしている。
これは実に名作である。読ませるし泣かせる...。
無論ワンコを飼うということはどういうことなのかをきちんと教えてくれる得難い教材でもある。
ワンコを飼うことがどれほど大変な事なのかをあらためて気づかせてくれるし、かつ大きな喜びであることをきちんと伝えてくれる。
大抵の飼い犬は飼ってしばらくすればドラマや映画に登場するような名犬ではないことに気づくだろうし(笑)、そもそも我々飼い主の方に根気と努力そして継続した意志が欠如しているのではワンコが可哀想だということを認識させてくれるに違いない。

Latte231_01.jpg

※「犬を飼うってステキです-----か?」の表紙。是非ご覧下さい!


確かにワンコと生活することは当初考えるほど素敵でかっこいいことばかりではない。
雨の日も風の日にも散歩に出かけないとならないし、吠え声で近所に肩身の狭い思いをしなくてはならないかも知れない。
散歩だって途中マズイところでオシッコしてしまったり、ウンチの後始末もきちんとしなくてはならない。
無論これらは飼い主の責任とマナーとして忘れてはならないことだが、これが十数年続くのである。
だから飼い主はワンコより先に死んではならず、必ず愛犬の最後を見届けなければならない。でないと飼い主がいなくなればその時からワンコは路頭に迷うことになる。そしてこれだけ懸命にワンコを愛し続けたとしても無論誰も褒めてはくれない...。だから、「はっきりいって、犬を飼うことは誰にでもおすすめできるわけではない」のである...。

また周りの飼い主さんたちのお話しを聞くと子供さんの「飼いたい!」という声に押されてワンコを飼うことになったケースが目立つ。しかし「犬を飼うってステキです-----か?」は主張する...。
「そもそもワンコを飼うことは子供にできることではなく」、「金魚やカブトムシや小鳥を飼うのとは...違う」のだと。
当初「僕が...私が毎日散歩に連れて行くからワンコを飼いたい!」と言っていた子供たちはしばらくするとことの重大性に気づくと共に自分たちの手に負えないことを実感するに違いない。
結局子供がきっかけで飼い始めたワンコの面倒を見るのは...やはりお母さんになる...というのが相場のようだ(笑)。

Latte231_02.jpg

※オトーサンにアイコンタクトするラテ


ともかく一昔前の飼い犬は番犬はもとより何らかの仕事、役割があった。しかし今日のワンコの一番の役割は「癒し」に違いない。そして愛犬を心から慈しみ毎日を一緒に生活すれば時間とかお金には換えがたいものを与えてくれるのがワンコなのだ。
「犬は人類最古の友」といったことばがあるが、まさしくあなたを信頼し、あなたのことを観察し考え続けているワンコは人生最良の友になる可能性を秘めている。ただしその鍵はワンコ側にあるのではなくすべてが飼い主側にあることを忘れてはならないのだ。
「犬を飼うってステキです-----か?」の〆の言葉もなかなか深いものがある...。
「犬を飼うってステキです。あなたがステキな人なら...ね」と。

こうしたあれこれを踏まえてなおかつ「ワンコを飼う」と決心した方にオトーサンは以下のことをアドバイスしたいと思う。

①育児書に惑わされるな
このことは当サイトで何度も繰り返してきたことだが「犬を飼うってステキです-----か?」にも掲載されているとおり、貴方の家にやってきたワンコは育児書のようにはなかなか上手くいかないということだ。だから市販の育児書はあくまで参考程度に止め、可能な限り散歩の途中で出会う他の飼い主さんとコミュニケーションを取るように心がけてその心得やノウハウを教えてもらうことが大切に思う。

②他のワンコと比較してはならない
オトーサンがつくづく感じることはワンコも我々人間と同様に一匹一匹がオンリーワンの生き物であり、例え同じ犬種であっても性格が違うということを念頭において飼育する必要がある。「Aさんちのワンコと家のワンコとは何故違うのか...」「あっちは大人しいのに何故家のは活発なのか」などなどと他のワンコと比較して悩むことは止めよう。違って当然なのだから...。
またよく聞くことだが、前に飼っていたワンコと比較して今のワンコを馬鹿呼ばわりする飼い主さんもいるが、それは思い出は常に美しく現実は厳しいだけのことであるし何よりも以前飼っていたワンコと今のワンコとは違うのだから、その違いを認めなければならない。

③最低限のマナーは厳守しよう
毎日ラテを連れて散歩に出ている飼い主の一人として、残念ながらこうした人にはワンコを飼って欲しくないと思う場合も多い。
その第一が糞の処理をしない飼い主がいることだ。中にはノーリードで歩道を歩き、後ろから付いてくるワンコが何をしようが気にしないとでも言わんばかりのアホ飼い主もいる。無論ワンコがウンチをしようが最初から意に関せずを決め込んでいるのだから最低である。
この他にもワンコ連れなどと出会ったときにもそれなりのマナーを知っておかなければならない。
例えば相手のワンコに初めて近づけるとき「よろしいですか?」と飼い主さんに了解を取るべきである。相手のワンコが極端な犬嫌いといった場合もあるし相性がありうるからだ。
中には明らかに相手のワンコ...だけでなく飼い主さんも迷惑だという顔をしているその空気を分からず自分のワンコが喜んでいるからとニコニコして周りを飛び回らせる飼い主もいて...やはり問題は常にワンコ側ではなく飼い主なんだという感を強くするオトーサンである。

Latte231_03.jpg

※クーンちゃんというウエスティーの飼い主さんの膝元でリラックスするラテ。オトーサンの脇にいるより良い顔してます(泣)


今日、ペットブームだといわれている反面、犬を飼うことをファッションの一種のような感覚で捉える人たちも多く、結果として飼育放棄するケースも多くなっているという。
人間側の理屈は多々あるに違いない。辞令が出て引っ越さなければならないとか結婚するからとか...。しかしそれらの理屈はやはり利己的なものでしかない。そうした可能性を持っている人は決してワンコを飼ってはならないのだ。
ご承知のように保健所に捕獲された犬は一定期間が過ぎると殺されてしまう。そんなことの無いように犬を飼う前には一生共に生きることを誓ってからにしたいものである。

スーザン・ケアのサイン入り、Macオリジナル・アイコン版画入手

筋金入りのMacユーザー、Appleフリークならスーザン・ケア (Susan Kare) 女史の名前を知らないはずはない。彼女が1983年にデザインしたオリジナル・アイコンはいまでも我々の目に触れているものがある...。そのスーザン・ケア直筆サイン入りのMacアイコンプリント作品が販売されているのを知り早速オーダーした次第。


スーザン・ケアはニューヨークで生まれたグラフィック・デザイナーであり1983年1月にスティーブ・ジョブズ率いるMacチームで仕事を始めた。そしてMacintoshで使われている多くのアイコンやフォントはもとよりオリジナルなマーケティング資料などをデザインしたことで知られている。

SusanKare_01.jpg

SusanKare_00b.jpg

※購入したスーザン・ケア直筆サイン入りのアイコンプリント(上)とスーザン・ケア女史(下)


例を挙げれば、Macintosh起動時に表示したハッピーマック、調子が悪い時のサッドマック、システムエラー発生時の爆弾マーク、ゴミ箱、時計アイコンなどはもとよりMacintosh 128KのコントロールパネルやMacPaintのサンプル画の多くも彼女の作品である。さらにCairo Fontをはじめ当時のGenevaやCicagoといったビットマップフォントのデザインを手がけたのもスーザン・ケアだった。

SusanKare_03.jpg

※この初代コントロールパネルもスーザン・ケアがデザインしたもの


したがって彼女はユーザーが最初に「これがMacだ」と感じるシステム全体のイメージや個性を生み出したデザイナーだといえよう。
スーザンの影響はMac OS Xの時代になった現在でも決して無縁ではない。その代表的なものは「コマンドアイコン」だ。

Apple純正キーボードの”command”キーにも刻印されている花びらのようなアイコンがそれだが、これもまたスーザン・ケアがジョブズらMacチームの要請に従い国際シンボル辞典にあったスウェーデンの地図に採用されている記号をビットマップ化した結果なのである。

SusanKare_04.jpg

SusanKare_05.jpg

※MacPaintマニュアルにもある東洋の女性像や本マニュアル内の多くのイラストレーションもスーザン・ケアが手がけた


そもそもコンピュータに疎かった彼女だがスティーブ・ジョブズに気に入れられてMacチームで働くことになった。どうやら彼女をスティーブ・ジョブズに紹介したのはアンディ・ハーツフェルドだったようである。
アンディ・ハーツフェルドの著書「REVOLUTION in The VALLEY」によればスーザンはアンディの高校時代の友人と書かれている。そして前記したように後に多くの魅力的なアイコンを生み出すスーザン・ケアのためにアイコンエディタを開発したのがアンディ・ハーツフェルドだった...。

スーザンはジョブズに請われてファインダー関連のアイコンを作り始めたが、ある日スティーブ・ジョブズの肖像を作った。
当時のアイコンは32×32ドットの白黒だったから全部で1024ドットという大きな制約があった。しかし誰が見てもジョブズだと分かるそのアイコンを見てジョブズ本人も気に入ったという。
その後、ビル・アトキンソンをはじめスーザンに自分の肖像をアイコン化してもらうのがMacチームスタッフ達のステータスとなったが、ビル・アトキンソンのアイコンは実際にMacPaintのアバウトに使われた。

スーザン・ケアは1985年秋にAppleを退社し、スティーブ・ジョブズが設立したNeXT社最初の従業員の一人となったが1988年以降は独立した活動を続け、その後もマイクロソフト社やIBM社のためにアイコンやエレメントデザインを手がけている。なお現在は知らないが、かつては彼女の作品をモチーフにしたミュージアムグッズがニューヨーク近代美術館などで売られていた...。

SusanKare_06.jpg

※スーザン・ケアのアイコンは1997年頃までApple本社脇にオブジェとして飾られていた(筆者撮影)


というわけで古参のMacユーザーにとってスーザン・ケアは決して無視できない人物であると同時に私にとっては尊敬に値するアーチストなのだ。
ある意味、彼女が生み出したハッピーマックや時計アイコン、あるいは手のひらアイコンは6色リンゴに匹敵するインパクトを持って当時からユーザーの心を捉え続けたのである。

何故ならMacintosh 128Kを前にした当時のユーザーにとってMacintoshのシンボルは...といえばアップルロゴではなくハッピーマックだったといえるほど起動時に表示するハッピーマックはMacintoshそのものだった。
したがってそのスーザン・ケア直筆のサインがある限定アイコンプリントの販売は私にとって是非にも手に入れたいアイテムでもあった。

このアイコンプリントは販売サイト ( www.kareprints.com )にてその全容を確認できるが、爆弾マークやゴミ箱そしてサッドマックなどなどMac OS時代にはお馴染みのものが背景色のバリエーションを含み14種類とそれぞれサイズが4種用意されている。

この度の注文時にはどれにしようかと迷ったが、初代Macはモノクロだったこと、そして異論があるかも知れないが前記のとおり私にとってはやはりハッピーマックがMacintoshのシンボルとであることから「SMILING COMPUTER ON GLAY」を選び、サイズは一番小さなものにした。そしてこれは限定200枚の販売だそうである...。

SusanKare_02.jpg

※スーザン・ケアの作品を販売するサイト


スーザン・ケアはMacintosh誕生にとって関して忘れてはならない人物であることは間違いない。
現在のAppleで “デザイナー” というとどうしてもジョナサン・アイブといった人物が注目されインダストリアルデザインあるいはプロダクトデザインが重視されるが、スーザン・ケアの仕事こそMacをMacたらしめ、マシンに命を吹き込み、単なる四角いコンピュータをあたかも意志を持っているかのように思わせるに至らせた重要なものだったのだ。
ともかく早急にイメージにピッタリのマット付きの額を探して飾ってみたいと考えている。

【追伸】その後、ちょうど良い額を見つけたので早速額装して研究室の壁に飾っている。

SK_MacIconPrints.jpg

SK_MaciconPrintsB.jpg

※これまでApple社の株券を飾っていた額がイメージにピッタリだったので使うことにした!


メイン広告
ネットショップ先行販売
ブログ内検索
New web site
[小説]未来を垣間見たカリスマ  スティーブ・ジョブズ
ジョブズ学入門
WATCH 講座
大塚国際美術館ひとり旅
ラテ飼育格闘日記
最新記事
お勧めの新旧記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

appletechlab

Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員