ホームコンピュータの元祖「Altair 8800」物語(1)

定義にもよるもののパーソナルコンピュータはApple II からスタートしたと考えて間違いない。樹脂製の綺麗なケースに収まり、購入後電源コードと家庭用テレビを繋げばそれだけで即利用できるコンピュータはそれまでなかった。そのApple IIがパソコンの元祖なら個人でコンピュータを所有するきっかけとなったのはMITS社の Altair 8800 だという話しは定説になっている。


当サイトの常連の方には多々重複な物言いになるが、私は1977年にワンボード・マイコンを入手したのをきっかけにそれこそ数十ものマイコンやパソコンを使ってきた。しかし結局1984年にMacintoshを手に入れてからずっとMacを愛用しつづけ、そのソフトウェア開発を仕事にしてしまった1人である。
またAppleという企業文化に最初期から興味を持ちその成り立ちや製品の歴史といったことにも興味を持って調べてきたし現在もいつでも起動するLisaをはじめとするオールドMacに囲まれている。

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※「ポピュラーエレクトロニクス誌」1975年4月号に広告掲載されたAltair 8800


なぜスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックはAppleという会社を作るに至ったのか、そしてApple IやApple IIというコンピュータは当時どんな感慨をもってユーザーに評価されたのか。ウォズニアックはApple IやApple IIを設計するとき参考にした前例はあったのだろうか…といったどこか考古学的な興味に突き動かされてここまできた。しかし私は決して古いコンピュータそのもの、ハードウェアに興味があるのではない。
私にも一時期 ”Appleコレクター” という称号をいただいたこともあった。しかし言い訳めくが私はあくまでソフトウェアやOSを動作させるために最低限必要な古いマシンを所有しているだけであり、自身でコレクターとはまったく思っていない。
それに近年はとみにハードウェアとかソフトウェアそのものに対してではなく、それらを生み出した時代背景やその開発に関わった生身の人間たちのドラマに興味が移っている。

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※1978年になると私自身も猛烈にコンピュータ理論をはじめプログラミングなどを勉強していった。同年夏には私の記事が早くもマイコン雑誌 I/O などに載るようになった


また当然のことながら何の脈絡もなくAppleという企業ができたわけでもないし時代的な背景を無視して2人のスティーブが青春を送っていたわけではないはずだ。
ウォズニアックがApple I を開発してみようとした動機もあるわけだし、その時代のマニアたちは何を求め、何を欲していたかにも興味がわいてきたのである。
その興味に引きずられ、これまで本棚に飾ったままになっていた数冊の本をあらためて読み、一部当時の資料の現物を苦心して入手し、個人とコンピュータの接点とその歴史を再確認してみようと考えた次第である。
そうした視点からしばらくの間、Apple以前のホームコンピュータ登場物語にお付き合いいただこうと思う…。
時代背景をより認識することでAppleという企業やApple IIといったパーソナルコンピュータの存在意義がより明確になってくるのではないだろうか。

さて前回ご紹介した「ポピュラーエレクトロニクス誌」を1975年1月号から12月号まで手に入れたのもそうした調査の一環だし、「ポピュラーエレクトロニクス誌」がきっかけとなってホビーコンピュータ熱が燃え上がった「Altair 8800」というマシンの物語にも興味を持った。

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※「ポピュラーエレクトロニクス誌」1975年1月号から12月号まで(筆者所有)


TVドラマ「パトルオブシリコンバレー」の中でスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックの2人がホームブリュー・コンピュータクラブでApple I を披露するシーンがあり、同時に持ち込まれたAltair 8800を「あんなの目じゃない」と豪語するシーンが描かれている。しかし後にウォズニアックが開発したApple IIにしても先達のAltair 8800 から影響を受けたことはあるはずだ...。

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※ホームブリュー・コンピュータクラブで紹介されるAltair 8800。TVドラマ「パトルオブシリコンバレー」でのシーン


いや、ウエストコーストコンピュータフェア(WCCF)を主催したジム・ウォーレンによればウォズニアックやジョブズらが出入りを始めたホームブリューコンピュータクラブはそもそもAltair 8800の登場に触発される格好で発足したというから影響云々以前の問題であろう。
例えばその仕様は違うにしてもApple IIの拡張スロットを多数装備することに関しジョブズは2つで良いと反論したそうだが、この点はウォズニアックが珍しく「どうしてもそうしたいのなら、どこかほかでコンピュータを手に入れろよ」とスティーブ・ジョブズにくってかかり、頑として自分の主張を通して希望通り8本の実装となった。それは「Altair 8800」がS-100と呼ばれる拡張バスを18本も装備していたことと無関係ではないと思う。ただしその内の2つはCPUボードとインターフェースカードで占有されていたからユーザーが使えるのは16本だったが…。

こうした拡張スロットの話しをすると現在のユーザーは「そんなに必要なんですか?」と不思議そうな顔をする。しかし例えば1982年当時私のApple IIのスロットは16KB RAMカード、プリンタインターフェース、フロッピーコントローラーをはじめとしてライトペンシステム、ビデオデジタイザ、Z80カードなどで埋まっていた。そしてそれでも不足なので「SWITCH-A-SLOT」という拡張スロットを4つ増やす機器まで手に入れた経緯がある。
まあ分かりやすく申し上げるなら現在はUSB接続で様々な周辺機器が利用できるからその代わりといえばよいのだろうか…。

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※1982年当時の私のApple IIはスロットはほとんど空いてなく(上)、スロットを4本追加できる「SWITCH-A-SLOT」という周辺機器まで入手していた(下)


Altair 8800が飛ぶように売れ始めるとサードパーティからメモリボードやCRTディスプレイボードなど様々なS-100ボード製品が登場し、それがまたAltair 8800の魅力となったその事実をウォズニアックはよく知っていたのではないだろうか。無論それらはコンピュータそのものの応用が多義に渡る利点もある。
コンピュータの存在意義は申し上げるまでもなくフロントパネルのランプがチカチカしているのを楽しむためではない。ユーザーが考える仕事や遊びを実現できてこそのコンピュータなわけだから特にこの頃の拡張性は生命線だったといえよう。実際Apple IIの魅力はその拡張性にあったといえるわけでウォズニアックはAltair 8800に学んだのではないか...。

先日のトピック「スティーブ・ジョブズ29歳のPLAYBOY」誌インタビューが凄い」でスティーブ・ジョブズがインタビューに答えているが、この1984年当時でも個人がコンピュータを所有することはどのような意味があるのか…という点に明快な答えを出せる人はほとんどいなかった。ましてや1975年に個人でコンピュータを手に入れたとしてそれで何が変わるのか、何のためになるのかなど考える人もいなかったしそうした市場をビジネスとして捉えることができる人もいなかった。

何しろAltair 8800を開発して販売したMITS社のエド・ロバーツにしても果たして市場があるのかないのかさえも分からなかったという。
開発を決意した後、そのキットが受け入れられるのかを知りたくなったロバーツは知り合いのエンジニアたちにキットの説明をして買う意志があるかを尋ねたが誰も欲しいとは言わなかったという。
結果としてロバーツは実業家というより自身がホビーストの気概を強く持った人物だったのだろう。だからこそ仲間たちの反応にはがっかりしたものの自分の信念を貫き、コンピュータの開発を進めたのである。

つづく

【参考資料】
・「Popular Electronics」 1975年1月号~3月号
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社刊
・「アップルを創った怪物」ダイヤモンド社刊
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊

ラテ飼育格闘日記(247)

世間では8月といえば夏休みというところなのだろうがオトーサンたちにはまったく関係がない。そもそもラテを飼い始めてから女房と一緒に旅行したことはないしこれからも...たぶん...ないと思っている。しかしまあ朝夕二回の散歩は例え短いものでも欠かせないし、それがカフェ通いであっても散歩をしないよりはましだ…。                                                                                            
猛暑というより酷暑のピークはひとまず終わったようだし気温は多少下がったけどラテの散歩嫌いはまだ続いている。そもそもワンコとの散歩は天気が良いのが条件だがリードつながりとはいえ同じ道を一緒に楽しみながら歩いてこそ意味がある。無論そこで見る物、感じることは違うわけだが、同じ時間を共有し多少なりともわかり合えたと思えることが楽しいわけである。
それがラテはこの足かけ3ヶ月近くの間、とにかく自宅から離れることが嫌みたいで、自宅の前にある遊歩道を行ったり来たり、進んでみては戻り、戻りつつ踵を返すという訳の分からない行動に終始しているのだ。
その間、地面をヲクンクン、植え込みの小さな葉を一枚一枚臭いを嗅ぐような行動を見ているとオトーサンもさすがに焦れてくる。

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※この娘は何を考えているのやら...


ワンコは嗅覚の生き物だから、我々人間が視覚で世界を判断しているのと同様、ワンコは嗅覚で自分の世界を認識しているとすればできるだけラテの社会認識の邪魔はしないように...とは思う。
しかしオトーサンから見てラテの行為の真意は分かるはずもないが、同じような所を、あるいは足下の地面すべての臭いを嗅ぐように緻密なクンクンを見ているとイライラし蹴りのひとつも入れたくなる(笑)。
ラテにも趣味趣向あるいは都合というものがあるのだろうがオトーサンだって都合がある。何が因果でこの蒸し暑い曇り空の下で大汗を流しながら数十分も同じところを行ったり来たりしなければならないのか…。

そりゃあ人間とワンコはある程度意思の疎通が図れるからこそ信頼関係を築くことができるわけだが最近のラテは勝手すぎないか…。まったく飼い主を何だと思っているのだろうか。その点、お隣の猫はまことに如才がない(笑)。
ラテと一緒の時は近寄らないがオトーサンだけのときに出会うと「ニャ~」と鳴きながら近寄ってきてお腹を出したりオトーサンの足下に体をこすりつけてくる。オトーサンが撫でてやると気持ちよさそうに体を預けてくるのを見ながら「ラテもこんなならいいのに…」とため息が出る(笑)。

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※お隣のニャンコは実に愛想がよい。オトーサンの足下に顔を擦りつけてくる


しかしこれはオトーサンの穿った見方かも知れないが、ラテも自身の行為を一生懸命に正当化しようとしているようにも思える。単にオトーサンのいうことを聞かないのではリードをバシッとされるだけになるしオトーサンは不機嫌だ。そこでラテとしては強力な武器として抱っこ攻撃を繰り出す(笑)。

朝の散歩時に玄関から出ようとすると「嫌だ!」とばかりに四つん這いで踏ん張る。しかしいくら踏ん張ったところでオトーサンの力には敵わず、玄関から外に引き出されてしまうことは間違いない。
元々外に出るのが嫌だというより歩きたくないラテだからして、オトーサンにとった先制攻撃は「抱っこして!」になったのかも知れない。
しかしまだ一歩も外に出ていないのに20キロもの大きなワンコが抱かれて玄関から出て行く…という様は他人から見たら実に滑稽な姿に違いない。いや、女房も呆れている(笑)。

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※散歩から戻って後始末をしているオトーサンをじっと観察しているラテ


ともかく最近の散歩はオトーサンも可能な限りラテの行きたい方向に沿って散歩を継続しようと心がけているがラテも一時期よりオトーサンに抱っこを要求する度合いが増えた。
先日、気温が低かったからか久しぶりに大きな公園まで足を伸ばしたが、芝生に入った途端に抱っこ。その後も抱っこをせがむ…。オトーサンだけにではなく女房の背中に前足を掛けてさも「おんぶして!」といったポーズは可愛いが、20キロのラテをおんぶしたり抱っこできない女房は「ハイハイハイ…」と誤魔化している(笑)。
そうすると次はオトーサンに向かって抱っこの要求だ。まずいことにオトーサンはラテの抱っこ要求にニコニコして応ずるから余計にラテは調子に乗るのかも知れないが、まあ抱っこしてと娘が求めるのだから少しの間抱っこしてあげようとオトーサンは一生懸命なのだが、女房は軽蔑の目つきだ。

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※オトーサンに抱かれてご機嫌なラテ


結局、その公園から外に出るときにも抱っこ。そしてあと数メートルで自宅といったところでもまたまた抱っこの要求。オトーサンも苦笑いしながら「よいしょ!」とラテを抱き上げたら、それを見ていた近所のおばさんが苦笑していた。
外ではまったくもって我が儘なラテだが、どうやらこの季節…そしてこの年齢になると我が儘な振る舞いが出てくるものらしい。
土曜日の朝、久しぶりにお会いしたコーギー犬・アポロちゃんのオカーサンによれば、お馴染みの黒柴のクロちゃんも歩かなくて困っているとのこと。
クロちゃんの抵抗ぶりは以前から聞いていたが、あまりに歩かないので道筋に沿ってオヤツを置いてみた…といった逸話があるくらいなのだ(笑)。
それからこれまた柴のポン吉ちゃんにも出会ったが、オカーサンいわく歩くのを嫌がるポン吉ちゃんを騙し騙しここまで来たとのことだった…。
だからというわでもないが、こうした散歩嫌いはラテだけではないようなのでちょっと安心しつつも気長に付き合っていくしかないのだろうと思っている。

スティーブ・ジョブズ CEOの辞任に思う

すでにご承知のように米国Apple Inc.は8月24日、スティーブ・ジョブズ CEOが辞任し取締役会会長に就任したことを発表した。後任のティム・クック氏率いる新生Appleに期待する一方、正直私のAppleに対する思いも一区切りをつける時期がきたのかも知れないと感じる…。


陳腐な台詞になってしまうが、始まりがあれば必ず終わりがある。人の命も同様で死を免れた者はいないのだから病に冒されているスティーブ・ジョブズのCEO退任は誰が見てもそう遠くではないことを感じていた。
しかし実際にそのニュースに接するとなにか自分の人生とオーバーラップし、ここでも時代が大きく変わっていくという感慨を持ってしまうのも致し方のないことか…。

ビジネスそのものは新しくCEOに就任したティム・クックが問題なくやっていくと思うがやはりAppleといえばスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ジョブズといえばAppleという感覚だった私などは寂しくて仕方がない。
まあ「Appleって昔はねぇ...」といった類の古老の独り言みたいな話しは嫌いだという人はそれでよい(笑)。しかし実際に私を含めAppleをずっと意識しながら...それもビジネスにして生きてきた者も存在するわけで...私などはAppleが見せてきた歴史の妙がエッセンスとなり自身のアイデンティティになっている気がするほどなのだ。

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※今年のWWDCで基調講演を行うスティーブ・ジョブズ


Appleという企業ならびにその製品に対して人それぞれの思いはあるだろうが、私自身は「なんて特異な素晴らしい時代に生を受けたのだろうか」という思いでいっぱいである。
思えば私の生まれた1948年はトランジスタが発明され同年6月に特許取得を含めて正式発表された年でもあった。ちなみに私の生まれつきもその6月である。

最初に就職した東証一部上場企業では1970年前半に大型コンピュータが導入され、社内の仕事のやり方も混乱を極めながら大きく変わっていったし、私は資材購入部署の単なる平社員であったが仕事的にはコンピュータ導入で変化していくまっただ中にいた。
直属の上司に起業しようと誘われ、会社に辞表を出したとき「君にはコンピュータ関連の仕事で中心的な役割を担う人材になって欲しい」と部長から慰留されたことを今でも覚えている。

その後縁があったとしか思えないが、海の物とも山の物とも分からないワンボードマイコン(FACOM L Kit-8)を購入したことをきっかけにBASICを勉強し十数機種ものパソコンを楽しむ毎日となった。
主な機種だけでもコモドール PET 2001、Apple II、IBM 5550、PC-9801、PC-100、シャープX1、Macintoshと多種多様な機種を手にする中で何が使いよいのか、良いインターフェースとは何か…といった概念が自然に身についていった。

Apple Computer Inc. (当時)という会社を意識したのは1978年のことだった。池袋の西武百貨店のマイコン売り場に展示されていたシンプルなカラーアニメーションを見て虜になったが高価なそれは外車のようなイメージだったし買えるものとは考えていなかった。だからその代わりとしてPET 2001というオールインワンのコンピュータを買った。

当時Apple IIを安く手に入れる方法がひとつだけあった。それは秋葉原のとあるショップなどで出回り始めていたコピーの組立品である。
無論非合法のものでROMもまったくのコピーだったから問題なく組み立てればApple IIとまったく変わらないものが出来上がるという触れ込みだったし価格も1/3以下だった。

その代わり基板にひとつひとつ部品をはんだ付けしなければならないし、はんだ付けの課程でチップを壊したり接触不良といったアクシデントもあったがこれまた本物と同じようなプラスチックケースも手に入れた。
私のApple IIはまがい物から始まったのである。1982年6月のことだった。

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※1982年6月、はんだ付けの毎日に明け暮れて組み立てたApple IIのコピー品


しかし私にとってApple IIは当時から光り輝くブランドであった。正規品と変わりなくソフトウェアは動きBASICプログラミングも楽しめるが、どこか後ろめたいものがついて回る。「俺はApple IIのユーザーなんだ」という声を上げることが憚れる気がしてその年の秋だったか本物のApple IIを手にしたのである。

運命の女神は私の背中を押しているように思えた…。サラリーマンとしては異例の二カ所より給料が入るという幸運に恵まれ数年の間、ひとつの会社から受ける年収をすべてAppleやMacintoshにつぎ込むことになる。
一時期はMacintoshにもっとも金をつぎ込んだ男として雑誌の記事にもなった(笑)。

その上、パソコン雑誌からの原稿依頼が多々舞い込み、かつ書籍の執筆依頼も増えてきた。睡眠時間は一日4時間しか取れなかったがコンピュータのハードやソフトを購入する金にはまったく困ることはなかった。

その私が今から思えば周りに押されるようにMacintosh専門のソフトウェア開発会社を起業し、足かけ14年の間アップルジャパンのトップデベロッパーとして仕事をさせていただいたことはまるで夢のような体験だった。
私たち当人は1年間、与えられた仕事をしてそれ以降の展望がなければまたサラリーマンに戻れば良い…といったある意味いい加減な考え方をどこか持っていたものだが、大手企業から次々と持ち込まれるビジネスは我々をほおって置いてはくれなかった。

キヤノン販売、キヤノン、ソニー、ミノルタ、フジテレビ、東京都、富士写真フイルム、大日本印刷、ビクター、シャープ、パイオニア、エプソン、NTTなどなど日本有数の大企業から開発依頼が舞い込んだ。
なにしろソニーやキヤノンのカタログの中に我々の社名や製品名が載るという快挙に小躍りする思いもあったが、仕事は契約を含めてシビアに努力し、前記した企業らの開発も一度なりとも納期を守らなかったことはなかった。

そうした我々のバックグランドには常にAppleというブランドがあり続けMacintoshというパーソナルコンピュータがあった。
しかしいま思うとおかしなことに我々が起業したとき、Appleにスティーブ・ジョブズはいなかったし、経営悪化で会社を解散しなければならない事を意識し始めたころスティーブ・ジョブズはAppleに復帰する...。
まあそれでも1999年の5月のWWDCにおいて...まだスティーブ・ジョブズが暫定CEOではあったが、私の会社は日本初のApple Design Awardを受賞したことは誇れる思い出となった。

したがって私にとっては可笑しな事にAppleをビジネスとして捉えようと努力した時代にスティーブ・ジョブズは不在で、アマチュアの時代ならびに会社を辞めた後にスティーブ・ジョブズを強く意識するという結果になった。しかし私が啓示を受けたApple IIやMacintoshはまさしくスティーブ・ジョブズのスピリットから生まれたパソコンであったことは間違いないしそのスピリットのおかげで現在まで走ってこれたのだと思っている...。
スティーブ・ジョブズは世界を変えたのだろうが、間違いなく私の人生をも変えたのだ(笑)。

スティーブ・ジョブズがCEOを退任というニュースはどうしても感傷的に受け止めてしまうが、冒頭に書いたように何にでも終わりがある。とすればこの時代を彼のスピリットを借りつつ、走ってこれたことに…そしてスティーブ・ジョブズと同じ時代に生まれた幸運を喜びたいと思う。
そんな感慨に浸りながら、これを機会にいまいちどAppleという企業が生まれた時代…いや私のような者が好き勝手な事を実現できた時代を精査してみたいという気持ちが年々膨らんできている。

最近当サイトに書き出したAltair 8800といったホビーコンピュータに興味を持ったのも、Appleという特異な企業が登場するその時代背景をきちんと捉えてみたいという思いから出たことなのだ。

最初期からAppleの製品ならびにその企業文化に興味を持ってきた1人としてスティーブ・ジョブズ CEO退任のニュースはやはり軽くは受け止められないし私にとってもひとつのステージが終わったものと思わざるを得ない。
ともかくスティーブ・ジョブズ! 貴方にはお礼を言わなければならないし貴方の姿をステージで見られなくなるのは実に寂しい。しかしこれを機会に肩の荷を下ろし病気に打ち勝って欲しい。そして一日も長くAppleを見守り続けて欲しいと心から願っている。


ラテ飼育格闘日記(246)

ラテに関してここのところ散歩に消極的…といった話しばかりが目立つが散歩は申し上げるまでもなく毎日のことなので本当に気がかりなのだ。気がかりといえばもうひとつ足を咬むことが止まないのもオトーサンたちの心配の種である。前回医者に連れて行ったときには様子見という結果だったのだが...。                                                                                                                   
ワンコは猫ほどではないが自分の四つ足などを舐めたり、前歯で軽くガシガシしていわゆる毛並みを整えるというかメンテナンスしている感じの行動をする。そして生き物だからして傷がついたり痒かったりするときもあるだろうからそうした行為に目くじらを立てるつもりはないが、それが高じて血が滲んだり、傷になってしまうのは困りものだ。

いわゆるフロントラインといったノミやダニに対する薬剤の対処もしているし、ブラッシングはもとより散歩から帰ると四つ足を水で軽く洗い、よく乾燥させている。そうした課程でこれまでダニを発見したことはないがアレルギーとか細菌が原因だとすれば素人にはまったく手が出せない。
問題は原因の特定であろう…。
アレルギーを含めて、ダニや細菌といったものが原因ならその原因を根絶しなければならないが、もうひとつ厄介な原因?があるという。それは一般的にストレスとか癖といわれているものだ。

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※この娘にもストレスがあるのだろうか...


人間の赤ちゃんが指をしゃぶったり成人でも爪を噛むといった癖を持つ人がいるようだが、要は退屈や不満から来るストレスが引き金となりそれが癖になってしまうというケースがワンコでもあるという。だとすればこれはそうそう簡単に止めさせることは難しいに違いない。
事実ラテの足噛みは四つ足全部におよび、治ったと思うとまたまたカミカミする繰り返しになっている。酷いときには歩く際に足を引くときもあるし、散歩から戻り足を洗うときに滲みるのだろう「ピー」と泣く場合もある。

無論オトーサンたちもラテのそうした行為を放ったままにしているわけではない。目にしたときには叱り、時には舐めたり咬んだりしている四つ足をオトーサンが握って囓ることを阻止しているが四六時中ラテを監視しているわけにもいかず、気がつくと足を引きずっている…ということが続いているのが現状である。
また対処療法でしかないが、患部を舐められないように、あるいは消毒した場合などしばらくはそのままにしておきたいときには軽く包帯を巻いておく。

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※ラテの後ろ足。これでも良くなった方なのだ...嗚呼!


実は先般大変都合の良い包帯を見つけたのである。
それがニチバン(株)の「自着性伸縮包帯~つきつきホータイ Mサイズ 4.0 cmx4.5 m」という品である。近所のドラッグストアで何気なく陳列されている品々を眺めていたら「犬のケガにも使えます」と明記されている包帯が目に入った。サイズというか幅のバリエーションは三種あるようだがオトーサンは扱いやすいと思われる4センチ幅のものを買ってみた。
この包帯は皮膚にはつかずに包帯自体重ねて巻くだけで密着する自着性包帯ということで、いわゆる包帯止め(ホック)類がいらないという利点がある。

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※「犬のケガにも使えます」と明記されている「つきつきホータイ」


例えば我々の腕や足に包帯を上手に巻くことは意外に難しい。上手に…というのは強からず弱からず、そして外れにくいような巻き方はかなりの練習というか場数を必要とするものだ。その上にワンコ、特にラテのような長毛の犬の足などに巻くのは毛が邪魔だし万一ワンコが外して飲み込んでしまってはダメだからと一般的な包帯を止めるホックは使えない。だからといってジッとしていないワンコの包帯をホックなしできちんと固定するのもなかなか難しい。
その点「つきつきホータイ」はワンコの毛に包帯がベタベタすることはなく、あくまで包帯同士が接着状態になるので大変扱いやすいのである。まさしく「犬のケガにも使えます」に嘘はない。

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※こんな感じでホックを使わなくてもホータイが巻ける


オトーサンがイソジンと「犬のケガにも使えます」とハサミを持ってラテの前に近づくと我が娘は逃げるどころかお手をするのだ(笑)。無論消毒や包帯を巻いたり、薬を塗ったりすることは残念ながら珍しいことではない。しかし場合によっては滲みたり痛い思いをすることもある。それなのにお手をするというのがどうにも良く分からないのだが、治療という概念はなくとも処置後に楽になるのが分かっているのだろうか…。
無論包帯を巻いてもそのままジッとしているラテではない。オトーサンの姿が見えなくなれば包帯を外してしまうのは分かっているが一時でも傷を舐めないようにとの対処である。それでもオトーサンの記憶に間違いがなければ包帯を巻いた部位の傷が痛いときほどラテはその包帯をそのままにしているような気がするのだが…。

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※悪魔か天使か? これはCG合成です(笑)


ラテのカミカミは肉球だけでなく後ろ足の関節内側にもおよび、何だか事情を知らない人から見れば虐待を受けた跡みたいに見えてオトーサンとしては些か見栄えの悪いことこの上ない。
何とかこのかみ癖ならびに傷を直そうと女房は専用の塗り薬を買ってくれたしオトーサンはオトーサンで「ビターアップル」という無害だが舐めると大変苦いスプレーを入手しラテが四つ足を囓らない…舐めないように患部に散布するつもりである。こうした治療の面でもオトーサンたちの格闘は続く...。

ラテ飼育格闘日記(245)

このタイトルを「飼育格闘日記」と名付けたとき友人たちからは「格闘」は大げさではないかと言われたこともあったが、格闘は体力的なことばかりではない。ラテとの毎日は体力的にも大変ではあるが心理戦、知能戦といった闘いを強いられているのも確かなのだ。オトーサンはその闘いを楽しんでいる面もあるから続いているものの、いやはや今さらだがワンコを飼うということは大変なことである。                                                                                                                       
まだまだ暑い日は続くだろうから、ラテとの散歩は苦渋を強いられる覚悟が必要だ。苦渋とは些かオーバーだが散歩はしなくてはならず、しかし動きたくないというラテをどう扱うか、本当に困ってしまう。
先日の朝の散歩など、天気は良かったが玄関を出た途端に四つ足を踏ん張って「歩きたくない!」と抵抗。
まだ自宅から一歩も歩いていないのにこの我が儘にオトーサンはしゃがみ込み、ラテと目線の高さを同じようにして「おいっ、お前は何考えてるんだ!」と叱ろうとした瞬間、娘は先制攻撃を仕掛けてきたのである。

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※この娘はなかなかの知恵者なのだ(笑)


急に後ろ足立ちして両前足をオトーサンに預ける形、すなわち「抱っこ!」の要求だ(笑)。
本来なら横っ面のひとつも張り倒してやろうと考えたオトーサンはこのラテの先制攻撃に簡単に撃沈…。にっこり笑って20キロのラテを抱っこした次第。
それを見ていた女房は「なに?玄関から抱っこ?馬鹿みたい!」と吐き捨てる…。
オトーサンは言い訳もできずニヤニヤとしながら道路に出るまで娘に頬ずりしながら「イイコだ!」とぽつり…。端からオトーサンの負けである(笑)。

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※オトーサンと談笑のひととき(笑)


しかし我が娘は道路に出ても一筋縄とはいかない。本来なら女房と一緒に駅まで歩くのが日課だったはずだが、同じ所をぐるぐると回ったり行ったり来たり、そして立ち止まっては座り込む。自分でもどっち方向へ行きたいのか決めかねている様子…というか本来は歩きたくなく自宅に戻りたいわけだ。
十字路をウロチョロしていると向こうから初老の男性がオトーサンに視線を合わせて近づいてきた。
ラテはいち早くそれに気付き、すでに唸っている…。男性は手にプラスチックのケースを持ち、その中から1枚の印刷物を取り出しながら声を掛けてきた。

オトーサンも朝のイライラしているときに何かの売り込みに付き合っている余裕はないと思ったがどうもそうではなさそうなのだ。
「朝から申し訳ありませんが…」と渡されたチラシにはワンコの写真がプリントされている。ラテをなだめながら話しをお聞きした範囲では7月31日の朝に飼い犬がいなくなってしまったので探しているとのこと。5歳の柴犬オスで赤い首輪をしているという。
5歳といえばラテと同じ年齢だし、いなくなった事情は分からないものの飼い主さんとしてはさぞや心配なことだろう。現にこうして朝早くからかなり広域を回ってビラを配布し探しているとのこと。
オトーサンは、朝夕この近所を回っている限りでは柴犬だけを見たことはないこと。もしそれらしいワンコを見たら連絡しましょうと連絡先が明記されているチラシを一枚いただいた。

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※早く見つかるといいが...


無論鑑札登録してあるなら近隣の保健所、動物管理センター、市役所担当課、警察などはすでに回られたのだろうし、いくら都会のまっただ中ではないとはいえワンコだけが歩いていれば目立つし、もしそんなことがあったら保護ならびに通報されるのが普通であろう。ただし市に登録していないと動物愛護センターなどに保護されても特定ができないのでなかなか探し出すのは難しいという。
だから、オトーサンはラテの首輪に鑑札ならびに狂犬病予防注射済の札を常につけていると共に、オトーサンの携帯電話番号を彫った金属プレートをはめ込んでいる。これなら首輪が抜けない限り、保護された場合に情報を得るのが早いと考えてのことだ。

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※ラテは万一散歩の途中などではぐれたら、我が家に戻ってこれるのだろうか...


以前にも同様なチラシが貼ってあったことを思い出したが、ワンコは人間が意図的に隠さなければ数日でお腹も空くだろうしそもそもが飼い犬だからして人に近づいてくるはずだと思う。それが見つからないとすればどこかで繋がれているのかも知れない…。
そもそもワンコは帰巣本能が強いはずだから、普通に考えれば老犬で惚けが入ってきたワンコならともかく住み慣れた地域で簡単に迷子になるとは考えられない。
とはいえ、もしラテがどこかでリードが外れて飛び出してしまったとして、我が家に戻ってくるという保証はない。ラテに聞いてみたことはないが(笑)、どうもこのノラ時代を過ごしたラテは人と生活するより自由気ままに動き回りたいと考えているフシがある。
オトーサンらはラテを当然のことながら、自分たちの所有物と考えているがラテの方ではまったくそんな気はないに違いない。
だからもしかしたらラテの理想は一時代前のワンコのように、日中は自由に野原をかけずり回り、あるいは1日中好きな場所でグータラしてお腹が空いたら飼い主の元に戻ってくるという生活が好みなのかも知れない。しかし現代はよほどの山の中にでも入らない限りそうした飼い方は許されない。

もしかしたらワンコの中には人との付き合いを煩わしいと考えるワンコもいるのかも知れない…。ラテの寝顔をながめながら「お前は散歩の途中ではぐれたら戻ってくるのかなあ…」とその鼻っ面を指で軽く突いたら「ペロリ」と長い舌でオトーサンの指を舐めた…。
ともかく他人事でなく気になって仕方がないが、一日も早くその柴犬が見つかるといいなと願っている。

ラテ飼育格闘日記(244)

ここの所、気温が多少低い数日が続いたがラテの散歩嫌いはまだまだ続いている。通常9月いっぱいは暑い日があるのだからまだ2ヶ月間もこうした状況が続くわけでオトーサンは些か疲労困憊である。それに合わせてというか、またまた足を囓る頻度が高くなったようで当然のことながら痛いことも含めてますます外に出るのを嫌がるのだ。 

                                                                          
先日のウィークディー、珍しく女房が休暇だったので朝の散歩をとラテと共に出かけた。天気もあまり良くないしオトーサンたちも些か疲れ気味なのでいつもの起床時間より1時間ほど遅く起きて身支度をする。
とはいってもラテは相変わらずでオシッコのために外には出るものの、大きな公園まで歩くというつもりは毛頭ないみたいだ(笑)。
オトーサンたちもそれを承知でとにかくラテを連れ出したが、猫を追いかけたりと寄り道をしながらも予想通り駅前のカフェに向かうのであった…。

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※ラテは相変わらず散歩中にストライキを起こしてへたり込む...


このお店は通常朝8時からのオープンなのだが、我々は開店を待ってオープンテラスの端に陣取り、ついでだからと朝食用のメニューをオーダーする。
ラテも隅っこに腹ばいになるが、以前のようにオトーサンたちが食べているものを強く欲しがることもなく大人しく外の景色をボーっと眺めている。
オトーサンも食事をしながら十数メートル先にある駅に向かう下り階段に吸い込まれるように消えていく通勤の人たちを眺めていたが、ふと気がつくと女性が大きく背伸びをしながらこちらに手を振っているのを発見。

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※特に砂場が好きでお腹を地面密着させ機嫌良くしている


遠いこともあって一瞬どなたかと思ったが手を振ってくださっている方向には我々しかいない…。
目をこらすとビーグル犬ハリーちゃんのオカーサンであった!
髪型がいつもお会いするときと違っていたので瞬間分からなかったが、ラテと共にカフェの一郭に陣取っている我々を見つけてわざわざ手を振ってくださったのだ。オトーサンは嬉しくなり思わず立ち上がって手を振った...。
後から考えるといい歳したオヤジが立ち上がってお若い女性相手に手を振るなどという光景は似つかわしくないかもしれないと少々気恥ずかしい気持ちになる(笑)。
そういえばハリーのオカーサンは通常自転車通勤だとお聞きしていたが、小雨もぱらつく天気だからして今朝は電車で通勤されるのだろうか…などとオトーサンは女房と話しながら朝食を続けた。

まあまあ、端から見ればウィークディの早朝にワンコを連れた夫婦がそこで朝食を過ごしているという姿は優雅に見えるのかも知れないが、その実態はそんなに微笑ましいものではない(笑)。
なにしろ、ここの所、夕方の散歩はほぼこのカフェなのだ。無論オトーサンが率先してならともかくラテに引っ張られて来るのだから変な話しではないか。
極端な話しだが、この前の土日の2日間は朝夕の散歩がここのカフェだったのだからいやはや困ったことになった(笑)。

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※このような笑顔を眺めていると叱る気持ちも萎えてくるのだが...


先日の土曜日の夕方も自宅を出たラテはあっちでクンクン、こっちでクンクンしながらもその行き着く先はカフェのオープンテラスだと決めていたようだ。しかしその日は店に近づくにつれて音楽が聞こえてくる。
耳を澄ませてみるとどうやらオープンテラスでジャズの生演奏をやっているようなのだ。
サックス、ドラム、キーボードそしてギターの音が次第に大きくなる。
オトーサンたちはそれこそジャズのスタンダードナンバーの生演奏を聴きながらコーヒーを飲むのことに異存があるわけはないが問題はラテが大人しくしているかどうかだ。
以前に同様なことがあったとき、音楽が始まった途端に「ウォーン」と吠え始めたので慌ててその場を離れたことがあったからだ。
それにドラムのようなインパクトのあるサウンドを嫌うワンコが多い。雷鳴、花火の音しかりである。
これらの音が鳴り出すと恐怖で立ちすくみ、中にはパニックを起こしてしまうワンコたちもいる。

ラテは幸い雷鳴や花火の音を嫌がることはない。オトーサンの方がよほど雷が嫌いなほどだ(笑)。しかしラテはサッカーボールをコンクリートの壁に蹴りつけているその音は嫌いらしく、近づこうとはしないからドラムの音も嫌がるかも知れないと思いつつ、ラテの反応を見ながら近づいたがどうやら平気のようなのだ…。
見回すまでもなく今にも雨が降り出しそうな湿度が高い夕暮れの一時、演奏している方々には気の毒なほどにオープンテラスに客がいない。それはワンコ連れのオトーサンたちには好都合なことなのだが客が少なすぎるのも辺に気後れしてしまう。

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※オープンテラスでジャズの生演奏中(上)。ライブ録音したというCDを一枚買ってみた(下)


ともかくガラガラの一郭に女房とラテと共に陣取ってしばし至福の時を過ごすがラテも吠えることなく床に腹ばいになって静かにしている。
女房は「でもさあ、朝夕2度の散歩が同じカフェでいいのかなあ…」と苦笑している。オトーサンも苦笑せざるを得ない。
確かにラテを連れての場合、なんだかんだと自宅から20分近くはかかるこの場所もそれなりに散歩のバリエーションではあったわけだが、こう毎日毎回では些か怠惰な散歩で好ましくない。それにだ…オトーサンたちが連れて行くならまだしもワンコに引かれて通っている点に「なんだかなあ…」という感じが漂うのだ(笑)。

そんなとき心配していた雨が降ってきた。本降りになるかも知れないと女房がビニール傘を2本持ってきてくれたので我々は急ぎオープンテラスを後にする。
雨は急にバケツをひっくり返したような激しい降りになり、時折雷鳴も響く。レインコートを着せていないラテはすでにびしょ濡れだ。無論ラテのリードを引くオトーサンも傘の一部をラテ側に向けていることもあって半身はびしょ濡れのありさま…。
そういえば先ほどのオープンテラスは天井がない。オトーサンは「バンドの人たちの楽器は大丈夫かなあ」と場違いな心配をしながら薄暗く雨で噎せるような道を急いだのであった。

スティーブ・ジョブズ29歳の「PLAYBOY」誌インタビューが凄い

iPad向けとしてあのPLAYBOY誌の電子版「iPLAYBOY」が登場した。それは1953年創刊号からすべて閲覧できるというから凄いが、今回GIZMODEのサイトで知ったPLAYBOY誌1985年2月号に掲載されている、若き日のスティーブ・ジョブズへのインタビュー記事を読み不覚にも目頭が熱くなった…。


当サイトを熱心に訪れてくださる方なら、私がスティーブ・ジョブズという人物にどちらかというと辛口であることをご存じのはずだ...。
ともあれ勢いづいているAppleを率いているのは病欠気味だとは言えスティーブ・ジョブズその人であることは間違いないし、瀕死のAppleをここまで成功裏に導いたのも彼である。しかし個人的な見解というかスタンスからいえば、社会的な成功とその人物の良し悪しは本来別次元のことである。

彼の若いときの人を人とも思わない言動は他人事としても、Macworld Expo/Tokyoのために来日した際、日本のデベロッパーが一同に介していたその場に(私もいた)登場したにもかかわらず、来賓としてアップルに招待され集まった我々を完全に無視し、側近と数語言葉を交わしただけで一言の挨拶もなく退席した彼の姿を記憶に留めている私としては決して「好ましい人」とは評価できないのである。

その私が、スティーブ・ジョブズ 29歳のときのインタビューが載ったPLAYBOY誌の記事を読み、目頭が熱くなったのにはそれなりに訳がある。

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※PLAYBOY誌 1985年2月号表紙


無論私が主に読んだのは原文ではなくGIZMODEサイトに紹介されたその和訳である。しかし原文の方がよりニュアンスが伝わってくる部分もあるのでつたない英語能力ではあるものの原文にも目を通したが、ある意味この時のスティーブ・ジョブズの物言いは後年スタンフォード大学における名スピーチよりインパクトのある内容とも思えるのだ。

さて「29歳のときのインタビュー」という事から判断すれば1955年2月生まれの彼だから1984年のインタービューだということになるが、事実このインタビューはニューヨークで行われた、とあるセレブリティたちのパーティーの後で行われたような記述が冒頭にある。

ちなみにそのパーティーだが「9歳のバースデー・ボーイのために…」というニュアンスで語られているセンテンスがあるが、この少年はどうやらジョン・レノンの息子、ショーン・レノンらしい…。
ショーンは1975年10月9日生まれだというから9歳の誕生日はまさしく1984年の10月9日ということになる。
そして印象的なのはインタビューアーの時に執拗で意地悪な問いにスティーブ・ジョブズは怒りもせずに真摯にスピーチを続けているだけでなく、その言葉の端端にAppleやMacintoshそのものへの深い情熱と愛情を感じることだ。

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※Macintoshを発表した直後のスティーブ・ジョブズ


スティーブ・ジョブズ嫌いの私ではあるが、このインタビュー記事を読んで感動した第一は彼の淀みのない答え方…話し方にある。
本文冒頭にもインタビューアーの質問によどみなく答えるジョブズを評して “His answer seemed unrehearsed to me:” すなわち、彼の答え方はリハーサルされた…あらかじめ用意周到に準備していたような答え方ではない…といった記述がある。
その一連の受け答えを見るとスティーブ・ジョブズは「パーソナルコンピュータとは?」「Macintoshとは?」そして「自分たちが行った革命的な業績が何であるか」について常々深い考察を続けていたことがわかる。

なぜならここに登場する彼の物言い、すなわちコンピュータに関する洞察やコンピュータが我々に及ぼす影響についてこれまでにも多く機会あるごとに同様な意味のことを話してきたことを我々は知っているからである。
コンピュータは本来すごくシンプルなものであること。コンピュータがどう動くかなど知らなくても良いこと。そしてモールス信号(電報)とグラハム・ベルが発明した電話との違いが我々に及ぼす影響などなどの話題はスティーブ・ジョブズが好んで使った話しなのだ。

このインタービューにはスティーブ・ジョブズの名言といってよい話しが数々出てくるがインタビューアーの「あなたはコンピューターが我々個人の生活を変えると信じているようですが、それに対し懐疑的な人や、否定している人をどんなふうに説得しますか?」という問いは私自身、身につまされる…。なぜなら1984年にMacintoshを購入したとき、それがセットで80万円もしたことを知ると当時の友人知人たちはこぞって冷淡な表情になり「そんなゲーム機に80万も出すのか」と嘲ったからだ(笑)。

当時はまだパーソナルコンピュータを所有する人は極端に少なく、その存在意味を深く考える人もなく、ただ変わり者のオタクとしてしか見られなかった傾向があったのだ。
またコンピュータが個人や家庭に及ぼす影響について懐疑的な質問をされたとき、ジョブズは「コンピューターは人間をつまらない仕事から解放してくれると同時に、人間がクリエイティブになるのを支援してくれる道具」と評し「教育におけるコンピューターは、批判なしで無限に対話してくれる存在としては書籍以来初めてのものになる」と明言している。

続けてほとんどの消費者がコンピュータを買う理由として「コミュケーションネットワークに繋げられること」と話す。
無論彼もパーソナルコンピュータが起こすであろうブレークスルーが具体的にどのようなものであるかについて「よく分からないが、すごく大きくて凄く良い何かだってこと」と曖昧に話す点もあるが、この発言が1984年であることを忘れてはならない。

少なくともこのインタビューからうかがい知ることができる彼は決してその場限りの逃げ口上や物事を事実以上によく思わせるための戯れ言で誤魔化していはいないことがわかる。そしてなによりも彼の物言いが当時から現在まで基本的にぶれていないことが凄いではないか。
さらに我々はここでスティーブ・ジョブズが話す内容が20数年後の未来、すなわち現在を間違いなく予言していることに驚きを覚える。

うがった見方かも知れないが、彼の言葉から発せられる「コンピュータをもっと持ち運びやすくし」「ネットワーク化でき」「データベース共有ができ」「コミュニケーション能力を高め」そして「電話とパソコンの融合」という発言をつなぎ合わせて考えるなら、現在の我々は間違いなくiPhoneを思い浮かべるのではないだろうか。
無論こうしたイメージはジョブズ以前にもアラン・ケイなどが描いていたビジョンでもあるわけだが、ケイの明言である「未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことである」を地でいっている感じがしてくる。

是非まだGIZMODEのサイトをご覧になっていない方は一読をお勧めしたい。無論本家のiPLAYBOYも…。
そして好き嫌いはともかく、やはりスティーブ・ジョブズという人物はただ者ではない。
本インタービューにおける29歳のスティーブ・ジョブズ一連の発言は現在のスティーブ・ジョブズという人物をより良く知る上でも貴重な資料になるだろう。


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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員