ラテ飼育格闘日記(265)

この2週間、オトーサンは咳で七転八倒していた。咳は昼間起きているときも出るが身体を横にして布団に入ると猛烈に止まらなくなる。これはどう考えてもこれまで経験した咳とは違うような気がして、喘息にでもなったのかと再びクリニックへ出向いてみた。


熱は37度5分程度で38度まで達することはほとんどなかったようだ。また痰はなく鼻の通りも悪くない。ただただ咳が止まないというありさま。
そんなわけで数日熟睡できない朦朧とした頭と微熱で怠い身体を引きずるようにしてラテの散歩を続けてきたが、何が因果でこんなことしているのか…と混乱してくる(笑)。
そういえばオトーサンは自身の見る夢を自分なりに夢判断するのが好きなのだが、先日咳で苦しんでいたが疲れてウトウトしたのだろう…そのとき典型的なというか、分かりやすい夢を見た。

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※なんか...あたし、迷惑かけてますぅ?


オトーサンは木製の広いテーブルの前に座っている。どうやら周りには誰もいないようだ。そこへラテの友達ワンコの飼い主さんが現れ一枚の書類のようなものをテーブルに置く。その飼い主さんはどうにも深刻な表情をして重苦しい雰囲気なのだ。
オトーサンが「どうかしましたか?」と聞くと飼い主さんは神妙な声で淡々と「いや、もう身体が持たないので決心しました」と言いながら書類をオトーサンに手渡そうとする...。
オトーサンはその書類を見るまでもなくその中身を知っている感じで受け取るのを躊躇っていたが、その書類を手に取るとそれは愛犬の譲渡承諾書だったのである…。

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※体重も2Kg落ちて現在18Kgのナイスバディです(笑)


その夢に登場した飼い主さんは意識的に顔色も変えずに淡々と書類を差し出すが、これまでの経緯を多少なりとも知っているオトーサンは飼い主さんが大きな悲しみを持ってこの場に来たことを理解しているので慰める言葉もない…。なにしろこれ以上世話ができないので愛犬のために新しい飼い主を探してくれという相談だったのである。
その書類を手にしたオトーサンは呆然と座っていたが、その暗い気持ちのまま…目が覚めた。

目が覚めたオトーサンは後味の悪い思いをしながらもその夢の意味をすぐに理解した。
心理学を系統立てて勉強したわけではないものの、その夢は夢判断するまでもなくこの数日間に至るオトーサン自身の苦悩が形を変え投影されていることは明らかだった。だから夢を反芻しながらオトーサンは苦笑せざるを得なかった…。
なぜなら夢に登場したラテの友達ワンコの飼い主さんは多分にオトーサン自身の投影に違いない。夢とはいえ…だからこそ心理的検閲機能が働きストレートではなく、オトーサンの苦悩が他人に置き換えられたと見るべきだろう。
愛犬の譲渡書を差し出して淡々と事務手続きをする飼い主さんは実は心理的に抑圧されたオトーサン自身だったのだと思う。

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※夕闇迫る頃、久しぶりに小学生女子がラテがいることを知ってわざわざ公園内に立ち寄ってくれた


無論現実のオトーサンはラテを手放そうと思ったことは正直1度もないしこれからもあり得ない。ラテを飼おうと決めたとき、何を差し置いてもこの小さな命の存在を第一に考えようと決意した。何しろオトーサンにとって願って我が家に迎え入れた生涯ただ一匹のワンコである。
したがってささやかに舞い込む仕事のスケジュールも場合によってはラテのために犠牲にしてきたし、親の葬儀もラテが気になって気もそぞろだった(笑)。
だから、ラテがどんな悲しい思いを…一次的にせよ…するかと思うとラテを預けて女房と旅行に出かけるといったこともあえてしないできた。それはこれからも同じだと思っている。

しかしそれはそれとして咳が止まらず熱が下がらないままに朝晩の散歩をこなしているときは正直大変辛かったのである。
別にラテが悪いわけではないし責任があるわけでもない。注意をしていたつもりでも風邪をひいたオトーサン自身が責められるべきなのだが体力的に辛いものは辛い。その上に咳でまともに寝ることも出来ず睡眠不足が重なった。
そんな普通でない身体と心理状態で見た夢はやはりラテの世話は大変だという本音が出たのだろう。

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※家族揃ってカフェにて朝食(笑)。外だから寒いんですがラテはおこぼれを狙って大変!しかし関心なことにテーブル上の食べ物には手を出しません


とはいえオトーサン的には「ラテの散歩がなければ楽ができる」という事実(笑)は心理的に抑圧されているに違いない。
ラテを否定することは自分でラテを飼おうと決意したそのことに対してアンフェアーであり責任を感じなければならないという気持ちも働く…。だから、夢ではオトーサン自身ではなく旧知の別の飼い主さんを登場させ、デフォルメしながらもオトーサンの辛さの代弁をしてもらったに違いない。
しかしリアルな夢だったから、今度その飼い主さんと出会ったとき、オトーサンは思わず「先日はどうも...」等と言い出しそうでちょいと怖い(笑)。

そんなオトーサンの咳は激しく胸も痛くなるほどなので再度クリニックへ行きレントゲンと心電図をとってもらい診察を受けた。
聴診器を胸から外した医者にオトーサンは「犬も飼っているし、アレルギー性の喘息かなんかでしょうかね」と誘い水?をかけてみたが、「そんなわけ無いでしょ」と言わんばかりにフフッと鼻であしらわれた(笑)。幸い異常は無く喘息でもないというので肩すかしを食った感じもするが一安心…。
薬も変えてもらって服用した結果、大夫良くなってきた。ただしラテに引かれていくカフェのテラスは当然のことながら室外なので夕刻の激寒の中でコーヒーを飲むにしても長い間時間を潰すわけにもいかない。それにこれではまたまた風邪をぶりかえしてしまいそうだ。
「ラテ、早く帰ろうよ!」

スティーブ・ジョブズの生涯における11の強運を検証する

スティーブ・ジョブズの人生を追っていると彼がいかに強運の持ち主であるかに否が応でも気づかされる。無論彼が成功したのは無類の明晰な頭脳を持ったカリスマ性にもあるわけだが、人の運命は自身の力量ではどうにもならないことも多いのが現実だ。しかし彼はその強運で成功の扉を押し開き続けたように思う。


どうやら世の中には一見して運の強い人と運に見放されたように思える人がいるように感じる。
人が与えられた仕事や使命を全うし、社会に役立つと同時に相応の財を得たり名を残したりすることが社会的な成功と評価されるわけだが無論すべての人たちがそうではない。家族を養うために意にそぐわない仕事を黙々とこなして名も無く財も無く一生を過ごす人も多いだろうし、反対に親の遺産で大した努力もしないで人の上に立ち、自分が偉くなったと勘違いしているような人物も目立つ。

ただしどのような生き方であっても当人としてみれば100%満足した人生を送っていることなど希だろうが、人生の中で多々遭遇する運命の岐路選択がピタッとツボにはまる人もいれば、反対に何をやっても上手くいかない人もいる…。
スティーブ・ジョブズという人物の一生もご承知のように何の苦労も苦悩も無く成功裏に終わったわけではない。彼は養子として貰われて悩んだことは間違いないし、気質的にも激しい性格から一般的に考えれば社会から嫌われ人知れず歴史の底辺で埋もれてしまっても不思議ではなかった。
しかし友人のウォズニアックらとApple Computer社を起業し、世界を変える第一歩を踏み出して成功したが、皮肉にも自身がヘッドハンティングしたジョン・スカリーに会社を追われるように辞める。その後あらたに設立したNeXT社は外部からも多くの投資を受けたもののビジネスとして成功しなかった。彼はそのまま過去の人として忘れ去られても不思議では無かった...。

ただしコンピュータ・アニメーション制作会社 PIXARのCEOとして一躍時の人となっただけでなくその後Apple社に復職し、瀕死の会社を早々黒字に転換する。そしてiMac、iPod、iPhone、iPadなど人々のライフワークを変える製品を次々と開発してAppleを時価総額で世界第一の企業に育て上げた。
これらはまるでヘタな小説というか嘘みたいな出来すぎた話だが、ご承知のように本当のことなのだから驚く…。

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※スティーブ・ジョブズの一生は我々から見ると強運の女神に守られているように思える


こうしたスティーブ・ジョブズの人生をあらためて振り返って見ると大別して11項目の強運が彼を救ったと思えてくる。
今回は興味本位ではあるが、そんな強運・幸運を簡単に検証してみたい。

①1955年生まれ
いつ生まれてくるかは当人にとって選択の余地はないが、一人の人間の一生を俯瞰してみると運不運の最初のファクターであることは間違いない。エレクトロニクスが急速に発達し、カウンターカルチャーとして個人向けコンピュータが求められてくる時代にジョブズは少年期を過ごせたことはラッキーだった。

②育った環境(国)
申し上げるまでもないがジョブズが米国西海岸の養父に貰われたのは幸運だった。10歳の頃、ジョブズたちはマウンテンビューに住んでいたが、この地はパロアルト周辺で次々と生まれていたエレクトロニクス企業のベッドタウンだったからコンピュータテクノロジーに興味を持つためには好条件だった。

③スティーブ・ウォズニアックと出会う
スティーブ・ジョブズの人生の歯車が噛み合い始めたのはやはりスティーブ・ウォズニアックと出会ったからであろう。ウォズニアックと意気投合しなければAppleという会社は生まれなかった。

④マイク・マークラのAppleへの出資
会社を設立することにはなったが二人のスティーブには資金がなかった。ジョブズは車を、ウォズニアックは2台の電卓を売ったというが、それだけではまったく足らなかった。しかし結局マイク・マークラと出会って大きな資金調達に成功したからこそApple IIの本格的な製造やWCCFなどのコンピュータフェアに大きなブースを持つなど、企業らしいスタートをきることができた。

⑤ゼロックス・パロアルト研究所でAltoおよびSmalltalkの暫定ダイナブックと出会う
このゼロックス・パロアルト研究所(PARC)訪問はジョブズに大きなインスピレーションを与え、Lisaやそれに続くMacintoshのGUI パーソナルコンピュータ開発のきっかけを作った。

⑥Apple IIの成功ならびに株式公開で個人的に大金持ちになったこと。
Apple IIは大成功だったが、その後のApple III、Lisaはビジネス的に失敗だったしMacintoshも販売の勢いは最初だけですぐに在庫が膨大になってしまう。結局ジョブズは尊大すぎる態度とMac販売不振を突きつけられ権限のない会長職に追いやられるがAppleを辞めてしまう。
しかしその後の人生においてジョブズは大金持ちになっていたことがその後の彼を救ったのである。なぜならもし金がなければNeXT社を設立し資金をつぎ込むことはできなかったしPIXAR社を得て成功するまで支えておくことができなかったからだ。

⑦Appleを退社
スティーブ・ジョブズ自身、スタンフォード大学におけるスピーチでAppleを辞めたことは皮肉なことに「人生最良の出来事」だったと振り返っているが無論それは後になっての感想だ。ともあれもしこの時ジョブズがAppleを辞めていなかったら、今日我々が知るAppleやスティーブ・ジョブズは存在しなかったに違いない。まさしく「人間万事塞翁が馬」を地でいったような出来事であった。

⑧NeXT社の設立
ここでいうNeXT社の存在意義は何かといえば無論NeXT STEPの存在である。このOSがなかったらAppleによるNeXT買収はなかったからだ。

⑨Appleが経営難だったこと
スティーブ・ジョブズは瀕死寸前のAppleの救世主として降臨した。だからもし当時のAppleが上々の経営状態だったとするならスティーブ・ジョブズが如何にAppleに戻りたがったとしてもApple復帰の確率はほとんどなかったに違いない。

⑩Appleに復帰当時のCEOがギル・アメリオだったこと
ギルバート・アメリオは自身でもアップユーザーだと明言している。程度問題は不明だがAppleが作る製品には愛着を持っていたフシもある。だからこそ彼がCEOになったとき、それ以前のスピンドラーとは違い会社を売却するという安易な選択より何とか時間がかかってもAppleを再生させようとした点は評価すべきなのだ。これが外部から単純に招集されたようなCEOだったらAppleはジョブズが復帰する以前にすでに売却されていたかも知れないのだ。そしてまぎれもないことはジョブズをAppleに呼び戻そうと決断したのは誰あろうギルバート・アメリオなのだ。

⑪iMacの成功
結果から見ればボンダイブルーの初代iMacは売れるべきして売れたといわれるかも知れない。しかし、もし何らかの問題でこのiMacが売れなかったら、ジョブズとAppleはどうなっていたか分からない。

以上時系列にスティーブ・ジョブズの人生における強運と思える11ものターニングポイントあるいは出来事を記してみたが、人生の数々の大きな分岐点でスティーブ・ジョブズという男は無類の強運の女神に守られていたように思える。波瀾万丈という一言では済まない彼の強運に導かれた人生が見て取れるのではないだろうか。まあ、運も実力のうちなのかも知れないが...。
無論スティーブ・ジョブズという特異な人物の成功を強運の一言で片付けることはできないのは承知の上だ。しかし冒頭にも記したように人の一生には努力とか強く渇望したからといって目的を達せられない...いわば人の力ではどうにもできない事も多いことを私達は知っている。そして一生のうちでひとつや2つ、無類のラッキーな目に会ったとしてもそれは偶然であり、たまたま事が上手く運んだからと考えた方が現実的だろうが、ジョブズのように良い方向に事が運ぶあれこれが多く見られるとするなら正しく強運に導かれていたと考えるのもあながち無理ではないと思うのだが...。

今年もすでに明日の大晦日だけになってしまったが、皆様方にとって2012年がより良い年でありますよう祈念してこの項を終わることにしよう…。

当研究所 お気に入りの加湿器は「VICKS」スチーム式加湿器

室内はそろそろ加湿を考えなければならない季節である。空気が乾燥し過ぎれば風邪やインフルエンザにかかる可能性も高くなるという。うがいを怠ること無くそして適度な湿度を保ってこの年末年始を健康に過ごそうではあーりませんか…。ま、現在風邪引きの私には言われたくないだろうけど(笑)。                                                                                                                                 
10年ぶりに本格的な風邪を引き、約2週間ほど猛烈な咳に悩まされた。無論医者で咳止めの薬などを処方してもらったが日中はともかく夜になり身体を横にすると咳が酷くなり眠れないのである。私自身の睡眠不足はもとよりだが、これでは側で寝ている家族やワンコまでが熟睡できないというありさま…。
しかたがないので起きだし、机の上に枕を置いて突っ伏して寝てみたりと工夫をするが、とにかく咳が酷いのだ。

一時は喘息ではないかと心配になり再び病院で肺のレントゲンと心電図をとってもらったが幸い肺炎ということもなく心電図にも異常はみられないとのことで一安心したが、咳止めの薬を変えてもらったりした結果、かなり改善したように思う。
だからというわけではないが、丁度買い換え時期だったことでもありリビングと仕事場の加湿器を交換することにした。結果今回選んだ製品は「VICKS」スチーム式加湿器である。

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※「VICKS」スチーム式加湿器


この製品は水を入れるタンクの容量の大小で2種類の型番があるが、私はModel V105C(M)という小さめのものを2個購入した。
ただし小型とはいってもタンクの有効容量は2.7リットルあり、連続加湿時間は約9時間あるから通常使用では十分である。無論昨今はファッショナブルなデザインの加湿器も多々登場しているから購入時に迷って当然だが、特にデザイン的に優れているわけでもない本製品を選んだのは私なりに訳がある…。

実はこの「VICKS」スチーム式加湿器はかなり前に愛用していたが、買い換え時にデザインや機能面などで優れているように思えた別製品に変えた経緯があった。結果満足しなかったこともあってこれまで5種類の加湿器を使ってみたものの結論として「VICKS」スチーム式加湿器が最適だと判断し元に戻ったという次第。

加湿器には大別してスチーム式と超音波式の2種があるが、昨今はスチーム式が再び見直されて主流になっているようだ。それはともかく加湿器を利用する場合には当然タンクに水を入れなければならないこと、そして頻繁に水が澱むエリアを掃除する必要がある。また機種によっては何らかのフィルターと称するものを必要とするがこれは消耗品だし1年経つと手に入りにくくなったりする...。
といいうわけで、さまざまな加湿器を体験してきた一人として扱いは勿論掃除が楽なこと、フィルターのような1年や半年で取り替える必要がある消耗品は不要なこと、そして安全に使える製品が重要であることを再認識させられた…。

では「VICKS」スチーム式加湿器の利点はどんなことだろうか。
まずはそのタンクの形状は安定感があり、容易に倒れたりしないことだ。倒れれば場合によっては火傷などを負うこともあるからこの安全性は重要である。
次にタンクの掃除が簡単だということ。「VICKS」スチーム式加湿器の基本構造はタンクとスチームユニットだけであり、スチームユニットを外したタンク部は単なるプラスチック容器であり、広い水差し口だからして容易に水を入れ替えたり洗ったりができる。常に清潔に使いたい加湿器だからこれまた重要な点だ。

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※タンクは口が広く洗浄や水供給も楽。そして安定感があるのがよい


またメンテナンスも1週間程度毎にタンク内部にたまる黒いカス上のもの(炭素と水に含まれる成分で無害)を水入れ替え時に捨てること、そして理想は1ヶ月程度毎にスチームユニット内の電極棒を掃除することくらいだ。この電極棒の掃除は正直当初は面倒に思うかも知れないが慣れればどうということはない。

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※タンク部に収めるスチームユニット


このスチームユニット内の電極棒は消耗品といえば消耗品だがメンテを怠らなければ数年は使えるし、必要ならスチームユニットだけ購入することも出来る。
その他には特別フィルタといったものは必要ないし、Model V105C(M)で9時間連続加湿が可能だから寝るときセットしたら朝までOKだ。そして重要なことはタンク内にほんのひとつまみの塩を入れることだ。これは電流の流れを良くするためだが、これだけで快適な蒸気を出し続けてくれる。
無論安全面も万全である。過電流防止装置つきプラグを採用しているから塩を入れすぎたり手入れ不足などで電流が流れすぎたとき、過電流防止装置が働き電源プラグのリセットレバーがOFFになって電源供給が遮断される。

なおVICKSといえば、そう…私などにはのど飴を思い出すが「VICKS」スチーム式加湿器用のリフレッシュ液が別途販売されている。香りの違いでリフレッシュ液は数種あるようだが私は「VICKS リフレッシュ液 KFC-6J 」を愛用している。心地よいメンソール感とリラックスできる香りはなかなかである。

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※お気に入りの「VICKS リフレッシュ液 KFC-6J 」(別売)


加湿器をお探しなら是非選択肢のひとつに加えてみてはいかがだろうか。

VICKS スチーム式加湿器 V105CM
VICKS リフレッシュ液 KFC-6J


ジョブズの人生で最も奇蹟的なシーン、Apple復帰のきっかけを探る

波瀾万丈の人生を送ったスティーブ・ジョブズだったが、彼の成功を支えた生涯で重要なシーンがいくつかある。その最もエキサイティングでドラマチックなシーンは何かと問われれば私は「AppleによるNeXT買収のきっかけ」と答えるだろう。ジョブズの人生にとってこれ以上の奇蹟はない…。


1996年当時のAppleのCEOはギルバート・アメリオだった。同年2月にスピンドラーの後任としてAppleのCEOに就任した彼に問題は山積みだった。在庫圧縮や人員整理といった当然のあれこれをやったもののAppleで一番の大問題は次期OSをどうするかだった。
無論自社内でオブジェクト指向の次世代OSとしてのコープランドの開発が進められていたが一向に開発の目処がたっていなかった。
アメリオに請われてAppleの最高技術責任者に就任したエレン・ハンコックが最初に決断したことは皮肉にも次世代OS開発を自社で行うことは無理だという結論を出すことだった。

ギルバート・アメリオは最終的にそれまで一番有利だと考えられていたジャン・ルイ・ガセー率いるBeOSを廃してスティーブ・ジョブズのNeXT社を買収することになったのはご承知のとおりだが、私が知りたいのはそのきっかけである。
多くの情報によれば、ガセーがリークしたと考えられているがAppleが次世代OSを他社から調達しようと画策している噂をNeXT社の社員が知り、ジョブズに内緒でエレン・ハンコックに接触したのがそもそものきっかけだと信じられている。

もう少し具体的な話しとしてはNeXT社の製品マーケティング担当の中間管理職、ギャレット・ライスという人物がジョブズに無断でエレン・ハンコックに電話をかけたというものだ。その話にハンコックが乗りNeXT社のOSを調べ始めたということになっている。しかし確証はないもののこの話はどうにも上手すぎる…。

スティーブ・ジョブズはそんな重要なことを不用意に社員たちにさせるとはどうにも思えないのだ。製品開発はもとよりだが会社の隅から隅まで自分の意志を行き届かせなければ気が済まないそのジョブズに内緒でそんな重大な行動を社員一存で行うものだろうか…と考える。
やはりそこにはスティーブ・ジョブズの意志が働いており、自分の知らないうちに社員が勝手にAppleに接触を図ったということにしておきたいという筋書きがあったと考えても不自然ではないだろう。なにしろ交渉事だから上手くいかないこともあり得るし、そのときジョブズ自らが乗り出して断られたというイメージは残したくないと考えるだろう。

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※スティーブ・ジョブズの生涯は実に強運に恵まれていたことは確かだ


実はアメリオがAppleのCEOになった直後、ジョブズと面談する機会があったのだ。そのときにはジョブズから「会いに行きたいのだが」という電話が直接アメリオにあり会談が実現した。その時驚いたことにジョブズは自身がAppleのCEOに返り咲くための手助けをして欲しいとアメリオに訴えたのである。
アメリオの具体的なApple再建策の質問にジョブズはかんばしい答えを発しなかったこともありアメリオはぞんざいに追い払ったという。しかし是非はともかくCEOに就任したばかりのアメリオ本人を前にしてジョブズは自分がCEOになるべきだから手助けしてくれというのはいかにも凄すぎる。アメリオがムッとしたとしても責められまい…。

そんなことがあったからアメリオにすればBeOSしか選択肢がないという状況下でNeXT社に当たってみたいと考えていたものの自身で電話をする気にはならなかったらしい。したがって「誰か、この件で電話できるくらいスティーブと親しい者はいないか?」とアメリオはスタッフらにたずねたという。
そんな絶妙なタイミングのとき、NeXT社の方から接触があったのだからアメリオが驚喜した姿が思い浮かぶ。
スティーブ・ジョブズとしても前記したように、以前けんもほろろに追い返された経緯もあったから、プライドとしても自分から再度アメリオに直接電話をかけるのをはばかったのではないだろうか。

ジョブスとしてはNeXT社が困窮しているという直接の現実があり、良い条件でNeXT社を売却したいと考えていたことも事実のようなのだ。さらにAppleをBeOSのガセーに渡すのは是が非でも避けたかったという気持ちも強かった。ジョブズはスカリーとの確執時にそれを打ち明けたガゼーがスカリーにご注進と裏切ったことを許してはいなかった。ジョブズにとってガセーはスカリーより恨み重なる人物だったのである。
ともかく当時のスティーブ・ジョブズは機会があればAppleに戻りたいと考えていたし、それを知っていた友人のオラクル社CEOのラリー・エリソンは一時期自身が公開買い付けでAppleを買収してスティーブ・ジョブズをCEOの座に据えるという提案をしたくらいだ。しかし敵対的買収はしたくないというジョブズの希望でその計画は反故となった。事実ラリー・エリソンがAppleを買収するのでは...という情報は当時何回も我々の耳に入ってきたのだ...。

AppleがNeXT社を買収しスティーブ・ジョブズを顧問として迎え入れ、新OS戦略を語った1997年1月のMacWorldExpo/SFから1ヶ月後の2月、私は第7回MacWorldExpo/Tokyoのために来日したエレン・ハンコックから新OS戦略についての話しを直接聞く機会を得た。

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※1997年2月にエレン・ハンコックが来日際、筆者は新OSについてハンコックと話しができる機会を得た。中央の女性がエレン・ハンコックで向かって右が筆者


ともかくスティーブ・ジョブズがAppleに戻るというきっかけは偶然に起こったことではなく私にはジョブズが強くその意思を持ち裏で指示を出した結果だと思えるのだ。
そして長い間、暫定CEOとして市場やユーザーをヤキモキさせたがそれもある意味で彼の計算済みの行動だったと思わざるを得ない。だとすれば形としてはAppleから請われた形になっているがスティーブ・ジョブズは自分の意志でAppleに戻ったのだ。
しかしどんなにジョブズがAppleに戻りたいと考えたにせよAppleの業績が良ければまず無理だったろうし、現実にいつ倒産するか分からないほど脆弱な企業になっていたAppleだとしてもジョブズが復帰するためのファクターは針の穴のように小さく思える。

そもそも当時のApple CEOがギルバート・アメリオでなかったらAppleは早々に売却されていたかも知れないし、ジョブズを呼び戻そうなどと考えもしなかったに違いない。そしてもしスティーブ・ジョブズがAppleに戻っていなかったらAppleは無くなっていたか別の形の企業になっていただろうし、ジョブズ本人もPIXARのCEOという立場はともかく、コンピュータ業界では過去の人という位置づけて話題に上ることもなかったに違いない。
スティーブ・ジョブズという人物はこの一点に限ってもどれほど幸運な男であったかが伺い知れるのではないだろうか。

【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」東洋経済新報社刊
・「ジョブズ伝説」三五館刊
・「スティーブ・ジョブズ」講談社刊

ラテ飼育格闘日記(264)

ラテのアトピーは対策を講じてはいるものの肉球を噛んでしまう行為はなかなか止まない。これは長期戦で挑むしか仕方がないが、そんなときオトーサンが風邪をひいてしまった。インフルエンザの予防接種はしているがインフルエンザではないという。特に困るのが寝ると咳が止まらなくなることだ。


先週の金曜日から咳き込むだけでなく熱が出てきた。女房が買ってきてくれた市販の風邪薬を飲むと熱と咳も楽になるもののそれを三日続けても治らない。風邪薬のパッケージにも三日服用して変わりがなければ医者に行けといった注意書きがあったし薬は三日分でなくなってしまった。同じ薬を飲み続けるのもまずいと思い月曜日の朝一に近くのクリニックへ行ってみた。

曜日の関係でクリニックの医者は私の主治医ではなかったが、聴診器を当てられ喉を調べ、そして指にはめ酸素量を測るパルスオキシメーターという機器を初めて使う。これにより心肺機能が正常であるかを知る事ができるらしい。
特に気になる問題はなく喉が少し炎症を起こしている程度のようだが、体力的には辛い。結局咳止めなどの薬を処方してもらったが咳がなかなか止まらない…。
そういえばオトーサンはこの地に引っ越してからちょうど丸5年が過ぎたが、その間風邪などで寝込むことはなかった。以前住んでいたところでも確か4, 5年は寝込むような風邪はひいたことがなかったから実に10年ぶりということになる。

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※オトーサンは珍しくネックウォーマーとマスクをして散歩。実はこのとき微熱と咳で苦しんでいた..


インフルエンザはともかく多少の風邪なら暖かいものを食べ、よく寝ればすぐに回復するはずだが今回の症状は安静にしようと横になると咳が止まらないことだ。
無論咳止めなどの薬は処方してもらったわけだが、インターネットで調べてみると単純な風邪というよりアレルギー性の咳喘息といった例が多々あることを知った。無論オトーサンの場合は一般的なハウスダストを別にすれば妖しいのは当然のことラテの体毛だろう(笑)。それにこの時期は空気が乾燥していることも関係しているように思える。

これまでこんな事はなかったわけだが、オトーサンも加齢で抵抗力が弱っているのかも知れないし、ここの所ラテが好んで一緒に寝たいと寝室に上がってくるのでオトーサンの隣で寝かせているのが原因かも知れない。無論直接の要因は風邪なわけだが、そこにきてそうした環境が悪さをしているのかも知れない。
とはいえラテを部屋から遠ざけて室内を掃除した程度でオトーサンの咳は止まらないし、寝ようとすると余計に咳が出るわけでこれでは養生どころか睡眠不足だ。

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※幸いラテはアトピー以外は健康なようだ。体重も18Kgとかなりスリムになった


例えば微熱がある程度でも暖かくしてMacの前で仕事をしていれば咳はそんなに出ない。市販の風邪薬を飲めばそれなりに熱も抑制され楽になるのだが身体を休ませたいと横になると咳だけは止まらず往生している。
困るのがラテへの対処だ…。我が娘はオトーサンがどんなに辛くても遠慮する気配は見せず一端外に出れば1時間以上は歩きたくて仕方がない。
特に朝の散歩などはそこを何とかショートカットして30分程度に短縮して戻ったりとオトーサンなりに工夫しているがそんな時、戻った玄関先に控えているラテのブスッとした顔がなんともいえない(笑)。
その顔は「なんでこんなに早く戻るのよ!」「ねぇ、何でだよ!」と言っているように思える。

まあ寝ようにも横になれば激しい咳に見舞われるのだから多少の無理をしてでも朝晩の散歩を続けているがこの状態が続くようなら内科ではなく循環器系の専門医に調べてもらった方が良いかも知れないと思っている。とはいえ無論現時点で風邪そのものが完治していないので素人判断は禁物なんだろうが、何とか咳を止めたいのだ!

ところで先日あらためてラテの知能の高さを思い知った。まあまあ親バカの馬鹿談義ではあるが(笑)。
ハウス…いまではほとんどラテは中に入ろうとしないものの我が家に来た頃から1年以上はこのハウスの中で眠る習慣をつけた。そのハウスの中にはクッションのために小型の敷物が二つ折りで敷いてある。
先日、ボール遊びをしているときたまたまボールがハウスの中に転がり込んだ。普段はドアを開けたままにしており、いまでもラテが自由に出入りできるようにしてあるのだ。
その奥にボールが転がり込んだが、ラテはハウスに入れば当然ボールを持ち出すことが出来るわけだが、入った途端にドアを閉められる可能性を信じているらしい(笑)。だからボールが中程あたりならへっぴり腰で後ろ足をハウスの外に出したまま頭を突っ込んでボールを咥えるところだが、その時は奥にボールが止まったためハウスに完全に入らないとボールが取れないと判断したらしい。

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※ラテ最大の武器、熱い視線(笑)


ボールを取りたいが、そのときドアが閉まって閉じ込められるのは嫌だと思っているのだろう、最初は頭だけ突っ込んでボールを取ろうとしたがそれでは届かない。しかし入り込んでしまうのは嫌だと「オーン、オンオン」と吠えながらオトーサンに助けを求め始めた。オトーサンは聞こえないふりをしていると意を決した我が娘はハウスに敷いてある敷物の一端を咥えて引っ張り始めたではないか。
無論ボールはその上に置かれていたわけだから少しは位置をずれながらもラテが易々と手にする距離にまで近づいた!
そのボールを咥えたラテは自慢げにオトーサンに走り寄る。
しかし我々にはどうということもない行為かも知れないが、敷物の上にボールがあり、敷物を移動するとその上のものも移動するということを認識することはなかなか高度な頭脳活動に違いない。
その姿を見ていたオトーサンは人工知能を勉強すると必ず出で来る大きな壁…「フレーム問題」というのを思い出していた。専門家でもないオトーサンが知ったかぶりをするつもりはないが人工知能の実現に際してこれは厄介な問題らしい。

それから前記したように最近は夜寝る時間になると特に呼ばなくてもラテは2階の寝室にある自分のエリアにうずくまるようになった。
1階のリビングやキッチンに放っておきオトーサンたちはパソコンのある部屋やテレビを見たりしていると自分で2階に上がり、気がつくといつもの場所でうずくまっているのだから面白い。
そうした際に何回か気づいたことがある。それは2階に上がる際に水を飲んでから上がることだ。この行為もオトーサンにはなかなか高度な頭脳活動だと思うのだ。

何故なら2階で一緒に寝るとき、寝室のドアは閉めておく。無論それは我々が寝ていて気づかないときラテが勝手に階下に降りていたずらをしたり危ない行為をしないようにとの配慮である。ということは一端2階の寝室に入ると朝まで水は飲めないことを理解していることになる。だから精一杯水を飲んでから寝ましょうということなのだろう。
オトーサンにとってラテはいまだに新しい発見と刺激を与えてくれるが、オトーサンがラテの体毛アレルギーにならないことを願うばかりだ(笑)。


スティーブ・ジョブズの特異な性格を形作った要因を再考する

スティーブ・ジョブズへの評価はテクノロジーの世界に置いて揺るぎのないものであり間違いなく彼は「世界を変えた」。彼がいなかったら現在のパーソナルコンピュータは大きく違ったものになっていただろう。そのジョブズの原動力となった彼の強烈な個性と性格はどこから形作られたものなのだろうか…。


天はカリスマ性、天才的なショーマンシップ、人を魅惑するという天分をジョブズに与えた。反面、冷血で他人に対する思いやりに欠如し誠意がない行動をとることも多かった。
最近ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」や高木利弘著「ジョブズ伝説」をはじめ様々な史料を読み、かつ高木さんと対談をさせていただく課程で刺激を受け、私なりの思いが少しずつ見えてきたように思う。それはジョブズの性格は養父からの強い影響を受けながらも基本的には当然といえば当然だが生まれたときからすでに備わっていたものであり後天的なものではない…という思いである。無論これは現時点での個人的な見解であるが...。

スティーブ・ジョブズは3歳ころになるとすでに手に余るほどの子供になっていたという。
朝早くから遊び始め、コンセントにヘアピンをさしてひどい火傷を負ったり、殺虫剤を味見して病院に担ぎ込まれるなどトラブルメーカーだった。とにかく変な子供で友達も少なかった。
学校ではいたづら好きなガキどもを率いて教室にヘビを放ち、爆発を起こし、教師をこてんぱんにやっつけたりした。これらは放校になってもおかしくない行為だったしジョブズ自身後年になって「4年生の担任だったヒル先生に出会わなければ自分は犯罪者になっていたかも知れない」と言ったほど問題児だった。

ヒル先生に出会ったことで俄然勉強に興味を持ったジョブズだった。成績も優秀になり事実5年生を飛び越してミドルスクールに入学するが、この学校は大変柄が悪く警察沙汰もいつものことだったしジョブズが好んだいたづらなどお遊びに見えるような有様だった。
ジョブズは登校拒否を宣言する。両親も非行少年になりそうなジョブズを放っておくこともできず、1967年にロスアルトスに引っ越すことになる。
この地でジョブズはビル・フェルナンデスと出会い、彼の紹介でスティーブ・ウォズニアックと運命の出会いをすることになった。スティーブ・ジョブズの人生の歯車は噛み合い始めたのだ。

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※スティーブ・ジョブズの特異な性格はどのように形成されたのだろうか?


さて、本稿はジョブズの性格を形作った一番の要因は何かということを再考してみようというものだ。
公式伝記などを含め、現在有力視されている説として実の両親から捨てられたという喪失感が彼の性格に強く影響しているという話しは有名である。事実ジョブズの友人の1人、ダン・コトケは「欠落感があったのでしょう。母親に捨てられたという生い立ちが、我々には理解できない力となってスティーブを突き動かすんだと思う」と語っている。
しかしこの種の話しはそのまま信じてよいのだろうか…。

確かにオープンで隠し事が嫌いだったという養父らはジョブズが物心が付かないうちに養子であることを伝えていたという。それについて友達にからかわれたりすることもあったというし子供にとって自分の存在を揺るがせる辛い体験だったに違いない。
しかし、そういった養子の子供などいってみれぱ当時はごまんといた事実を忘れてはならない。

養子縁組は20世紀半ばには現在より一般的に行われていたことだという。なぜなら当時、未婚の母は恥だったし中絶は違法だっただけでなく母体の死亡率も高かった。無論ピルといった避妊薬も存在しなかったから妊娠した未婚女性に残された唯一のまともな道は、子供を出産し養子に出すことだったのである。そして需要があったのだろう、身ごもってしまった女性と子供を欲しがる夫婦を結ぶサービスがあちらこちらで提供されていたという。

だから養子縁組で新しい両親のもとで育った子供は決して少なくなかったはずだが、ジョブズだけが為に冷血で人を人と思わないような性格になったと共に世界一の企業を生み出す...だなんていう話しは上手すぎるのではないだろうか。
育ての両親は学歴こそなかったが実に立派な両親だった。そして特に父親であるポール・ジョブズの影響をスティーブ・ジョブズは色濃く受けているように思える。

その養父母、特に父からの影響について語る前にもっと根本的な事を考えなければならない。
以前のアーティクルにも記したことがあるが、スティーブ・ジョブズの言動…特に若い頃のそれをそのまま考察するなら病気とは言わないまでもどうにも病的な激しさを感じる。
彼の特異な言動は一説によると自己愛性人格障害の成せるわざだったという話もあり、ウィキペディアで「自己愛性人格障害」の項を見てみると「5つ以上が当てはまると自己愛性人格障害の可能性がある」として記されている9つの判断基準のほとんどがジョブズのことを言っているのではないかと思うほどマッチングしている。

ちなみに簡単に記してみると「自己の重要性に関する誇大な感覚」「限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている」「自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達にしか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている」「過剰な称賛を求める」「特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する」「人間関係で相手を不当に利用する。つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する」「共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない」「しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む」「尊大で不遜な行動、または態度」。
いかがだろうか、多くの症例はまるでジョブズのことを語っているようにも思えるほどだ。
ジョブズは最後まで愛車に正規なナンバープレートを付けず、駐車もきまって障害者用のスペースに行うという奇行を続けていた…。

またジョブズは欠陥多動性障害 (多動症)だったのではないか…という説もある。これまた著しい特徴として「人の話を最後まで聞くことが困難」「相手の立場やその場の状況を考えずに話す」「感情的・衝動的な行動」そして「順番を待つのが難しい」といった言動が目立つという。
無論程度の違いもさまざまなケースもあるだろうが、ジョブズの…特に若年期の特性はこうした症例に近いことは間違いない。ただし彼が成功したのは確かに明晰な頭脳を持っていたこと、そしてエレクトロニクスの革命の中でウォズニアックと出会い、常にCEOとか会長といったトップの地位に立っていたからだ。もし単なる平社員だったらすぐに首になるだろうし誰も相手にしてくれなかったに違いない…。
無論私はジョブズを自己愛性人格障害とか多動症といった症例を持って一刀両断に片付けようとは思っていないし、彼を貶めるつもりもないことははっきりと申し上げておきたい。

とはいえ実の両親に捨てられたためにひねくれた性格になったというのはあまりにも短絡的でお涙頂戴の物語過ぎる…ということを申し上げたいのだ。
それに養父のポール・ジョブズはスティーブほどではないにしろ体格も良く押し出しの利く立派な人物だったという。ジョブズは当然のこと、その父を尊敬し身近に育ったのだから影響を受けないわけはない。

ポールは大恐慌の時代、職を探して中西部を転々とするといった放浪に近い生活を数年続け、その後「ごろつきの海軍」と呼ばれていた沿岸警備隊に入隊し機関室で機械工としての技術を身につける。
腕には入れ墨、髪は短いクールカットと当時の沿岸警備隊らしいスタイルだったがポールは親切で快活、誇り高く、建設的と典型的なアメリカ人のプルーカラーらしさが全身からにじみ出ている人物だった。

後年隣に住んでいたジョブズの遊び相手の女性がポールのところに逃げてきたことがあった。酔うと隣の男は彼女を殴ることがあり、それを恐れた女性はポールに助けを求めたらしい。
怯えた彼女を追って男が来たときポールは「彼女はうちにいるが、おまえは家には入れない」と男の前に毅然と立ちはだかった。若い頃のポールはあのジェームス・ディーンにも似たよい男だったらしいし実に男らしい父親でもあったのだ。

そのポールは暇さえあれば機械いじりをしていた。そして一番の楽しみはポンコツ車を何週間もかけて修理し、それを売ってはまた次のポンコツ車を手に入れることで小遣い銭を稼いでいた。
1952年にポール一家はサンフランシスコに引っ越すが、ここでポールは信販会社に採用された。仕事は自動車ローンの回収だった。はやくいえば取り立て屋である。場合によっては若干の危険も伴う仕事だが、ポールは体格も良く押しが強かった。それにローン滞納で車を回収しなければならないとき、彼の機械好きが実利となった。なぜならドアロックを外したり、必要ならキーなしでもエンジンをかけることができたから適職だったのである。
ポールはレポマン(ローンが未払いになっている車の回収業のこと)のはしりとなった。

ジョブズは10歳ころになるとはっきりとエレクトロニクスに興味を示していたという。そのころジョブズたちはマウンテンビューに住んでいたが、パロアルト周辺で次々と生まれていたエレクトロニクス企業のベッドタウンだったからそうした情報も得やすかった。あたりにはヒューレット・パッカード社などで働くエンジニアが多々住んでおり、週末にはそのガレージで作業している風景も見られた。ジョブズには最適の場所だった。そして父ポールはここでもレポマンとして働いていた。

結局ジョブズは父ポールとは違い、車いじりは好きではなかったが間違いないことはジョブズがエレクトロニクスに興味を持ったのは父親の車いじりを通してだった。ポールはジョブズを連れ週末になるとジャンクヤードで部品の買い物を楽しんだ。そして父の知識の正確さと交渉の見事さにますますジョブズは父に惹かれていった。
ジョブズは「スティーブ・ジョブズ」でいう。「両親はふたりとも僕を理解してくれていた。僕がふつうの子じゃないとわかって大きな責任を感じたんだ。新しいものに触れられるようにいろいろと工夫してくれたし、いい学校にいれる努力をしてくれた。僕のニーズを尊重しようとしてくれたんだ」と…。

この「ふつうの子ではない」というのは少々説明が必要だろう。ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」によれば自分が養子であったことから家族においても世界においても自分を異分子だと感じると共に次第に父より自分の方が頭が良いということを思うようになったという。しかしこの自己認識こそ前記した自己愛性人格障害の「自分が”特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達にしか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている」といった感覚ではないだろうか。
ジョブズ自身、自分は捨てられたという感覚だけでなく、自分は特別だという感覚を持ち合わせながら成長したが自分の性格に対して後者の方が大きな影響を与えてたと話していることがそれを物語っているように思える。

ここまで彼の幼年時代から少年期をざっとおさらいしてみたが、私にはジョブズが自分は養子だったということを知り、為に自分勝手で短気、粗暴にして狭量といった性格に育ったとは思えない。彼は捨てられたという思いを持っていたにしろ例えば養護施設で育ったわけではない。ジョブズは当然のことながら父ポールらの愛情にはぐくまれ、父を尊敬して育ったのだ。したがって病的とも思えるその性格のいったんはやはり生まれつき…先天的なものだったと思うし、その上に父の交渉能力や押しの強さを体験的に学んだに違いない。さらに時代と生まれ育った環境に後押しされ、幸運にも恵まれスティーブ・ウォズニアックらと出会うわけだが、彼の病的な性向は後年多少は軽減されたように思うものの、禅を通しても一生変わりはなかった。それは生まれついてのものだったからではないか…。

だからこそスティーブ・ジョブズという特異な人物は真似れば近づける...といった単純なことで理解できるわけもない。良くも悪くもスティーブ・ジョブズはスティーブ・ジョブズであり他の誰でもない。
ただし面白いのはこうした問題児がビジネスで大成功を収め世界を変えた事実であろう。そう考えるならMacintoshをジョブズ自身 "知的自転車"などと称していたが、もしかすると...彼にとってMacintoshを始めとするプロダクトは "自己愛増幅装置" なのかも知れない…と気がついた(笑)。だからこそ徹底的に拘るのだ。
そしてそれを好んで使う我々Macユーザーも程度の違いこそあれMacintoshを「自己愛増幅装置」と感じていたのかも知れない。なぜなら当時「なぜMacなの?」と聞かれて明確な答えを出せなかったものの、それはステータスでありWinとは違うんだ…という特別な感覚がなかったとは言えまい。
またMacやAppleは宗教として揶揄されることもしばしばだったが、スティーブ・ジョブズの作るプロダクトは「自己愛増幅装置」だからこそ使ってハッピーになれるのだ。
20世紀はパーソナルコンピュータ誕生と共にスティーブ・ジョブズという偉人をも生み出したのだ。

【主な参考資料】
・ジェフリー・S・ヤング+ウィリアム・L・サイモン著「スティーブ・ジョブズ偶像復活」
・高木利弘著「ジョブズ伝説」
・ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」

私的なウィンチェスターライフル M1892 物語

撮影小道具のつもりでウィンチェスターライフル銃を手に入れようとしたが凝り性の私としてはあまりにオモチャ然としたものでは納得がいかなかったため、まずまずリアルなものを探すことにした。なにしろ予備知識がなかったから少々苦労したが、ちょっとした拘りもあって探すのに時間がかかった。しかし結局最初から目標だった "Winchester Model 1892 Carbine" が手に入った。無論いわゆるモデルガンである。


少年の頃の大きな楽しみのひとつはやはりテレビである。無論白黒テレビだったが父が得意げに買ってきたそのテレビで多くの西部劇を楽しんだ。
今般、撮影小物として西部劇に登場するライフル銃を探すことになったが、少年の頃の憧れが膨らんできてしまった。
そういえば先日、ベルギーだったか銃マニアが銃器などを乱射し多くの犠牲者が出たというニュースがあった。こうした事件があると例えモデルガンだとしてもそんなものを好む者の気が知れないと白眼視する人が増えるかも知れないが、それとこれとは別の話である...。

さて、TVの西部劇で大きな影響を受けたのは「ララミー牧場」と「ライフルマン」だった…。特に印象的だったのはTBSで1960年から放映された「ライフルマン」である。いま思うとたった30分のそして当然ながらモノクロ番組だったがメチャ面白かった。

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※1958年制作「ライフルマン」DVDパッケージ。3話が収録されている


主演のチャック・コナーズ(Chuck Connors 1921年4月10日~1992年11月10日)は美男子だったわけでもなく美しい女性が多々登場する番組でもないが、妻に先立たれ、小さな息子と共にニューメキシコ州ノースフォークの町へとやってきたルーカス・マッケイン(チャック・コナーズ)。息子マークを育てながら、自分の小さな農場を守っていく姿がこれぞ西部の男といった感じで子供心にも憧れた...。
無論チャック・コナーズの0.3秒の早撃ち...ガンさばきが楽しみだったのは申し上げるまでもない。
それまでの西部劇のほとんどは拳銃の早撃ちが見せ場だったが「ライフルマン」は些か変わった西部劇でその名の通り主人公のマッケインはウィンチェスターライフル・カービン銃 (ウィンチェスターM1892)の名手なのだ。愛用のウィンチェスター銃を自在に操り、ルーカスは、無法の西部で悪に立ち向かう…。

また従来の西部劇と違い、単に勧善懲悪の物語というのではなくフェアプレイ精神やヒューマニズムがよく表れていて非常に後味のよいTVドラマだったことも長い間見続けた要因だと思う。
ともかくそのウィンチェスターカービン銃を腰の高さで早撃ちする様や、片手でそのウィンチェスター銃を回すオープニングの真似をそれこそ数え切れないほどやった(笑)。まずはYouTubeにアップされているオープニング映像をご覧いただきたい。



※オープニングの早撃ちのシーンが印象的だ!


無論真似するためには銃が必要だが、オモチャとはいえライフル銃など簡単に手に入る時代ではなかったから木ぎれを自分でけずってそれらしいものを作ったものだ。
だからというわけでもないが、ウィンチェスター型のライフルを見ると心が騒ぐのである。それに男にとって銃は…何といったら良いのか、それは場合によって命のやりとりをする可能性もあるシビアな道具の美しさといったら良いのだろうか…その存在が魅力的なのだ。なおカービンとは一般的に小型のライフルを意味し、銃身が標準ライフル銃より短いものを指すという。

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※今回手に入れたWinchester Model 1892 LLFL


ただし弁解めくが私は銃マニアというわけではない。銃器のモデルガンを多数集めている友人もいるしその魅力はよく承知しているが、銃の収集をする気は無いもののできるだけリアルなウィンチェスター銃を一丁飾っておきたいと常々考えていた...。しかし近代のマシンガンのようなものにはまったく興味がないのは自分でも面白いと思う。
さて、そのウィンチェスター銃がひょんなことで手に入った…。

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※無論弾もダミーカートリッジである


そういえば私は実際に本物の銃で射撃する機会を得たことがある…。初期の頃Macworld Expoのために渡米した際、サンフランシスコのダウンタウンにあった店頭に日本語で「射撃ツアー募集」の張り紙を見つけたのである。明らかに日本人ツアー客を狙ったもので金額も70数ドルと当時の為替レートとしては決して安くは無かった。
しかし聞いてみるとホテルを起点に車で送り迎えしてくれ、射撃場はガードマンやらが訓練のために使う合法的な射撃場だという。正直少々リスキーかと思ったが、こんな機会はめったにないからと友人達と参加申込みをした。

翌朝ホテルから車で3, 40分走っただろうか、射撃場に着いた我々の耳には明らかに射撃音が聞こえる。
簡素な建物に入り、誓約書を書かされた後に注意事項などのレクチャーを受ける。
銃口を覗かないこと。絶対人や生き物に銃口を向けてはならない。テレビや映画の真似して銃を頭上から振り下ろすようなことをしてはいけない。ベルがなったら銃を置いて後ろに下がること。耳にプロテクトを付けること。銃の調子が悪いときは自分で処置せずそのまま銃口を的の方に向けて置き、係を呼ぶこと…などなどだった。

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※射撃場に置かれていた本物の銃たち


最初に渡された銃は小型のオートマチックだった。的は25メートル先に自分専用のものが置かれている。射撃は1種類の銃で50発撃てたと記憶しているが、オートマチックの銃はなんといったらよいか期待はずれだった。
まず音がテレビドラマなどの「バギューン!」といったものでなく乾いた板でも叩いたような「パン!」という面白くない音だったし小型銃だからだろう、射撃の反動もほとんどなかった。まるでオモチャみたいな銃だったが反面撃ちながら「これは怖い…」と思った。

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※緊張しながらも初めて本物の銃で射撃を体験する筆者(上)と写真下はその腕前(笑)


なぜなら意外と的に当たるのである。それと例えば25メートルも離れている人間に対して発砲したとしても相手の返り血を浴びるわけでもないしどこか他人事で済んでしまうような気がして次第に恐ろしくなってきた。何故なら当然だがこの小型銃でも立派に?人は殺せるのだ。
続いてリボルバーを試した。これはまさしく両手で銃を支えて撃ってもまともな反動があったし明らかにパワーが先のオートマチックと違い銃らしい感覚を味わうことができた。
オプションで別の銃…例えば大型銃のマグナムでもライフルでも試すことはできたが、正直100発の射撃で緊張し疲れてしまったので基本をクリアしただけで帰ってきた。ちなみに2回目に行ったときにはマグナムを試してみたが、これはなかなか凄かった。
ともかくこうして念願だった本物の銃を撃つという体験ができたが、いま思えばライフル射撃も体験しておけばよたかったと思う…。

さて、前記したようにこの世界は深い知識を持った方々が多々いるからしてここで知ったかぶりをするつもりは無い(笑)。ただし行きがかり上、簡単に手元にあるウィンチェスターM1892ライフル(Winchester M1892)について記しておきたい。
西部劇に登場する拳銃の多くはコルト社製のものが多かったが、ウィンチェスターライフルは創業者オリバー・ウィンチェスターが1857年に武器製造工場を買収しライフル銃などの製造を始めたのが最初だったという。
それまでの銃は南北戦争で使われた銃のように単発式であり、一発発射する毎に弾込が必要だったが、ウィンチェスターは後に「レバーアクションライフル」といって銃の下にあるレバーを下に引き、戻すという一連の動作により撃った空の薬莢を自動的に排出すると共に次の弾を装填できるという仕組みを持った。これにより10発ほどの連射が可能になったわけだ…。

無論ウィンチェスター社は数多くのウィンチェスターライフルのモデルを製造したが、今般私の手元に届いたウィンチェスターライフルは「ライフルマン」に拘り、彼が持っていたのと同じウィンチェスターM1892ライフル(Winchester M1892)であり、「西部を征服した銃」と呼ばれたレバーアクショライフル M1866やM1873の発展型である。
少々形状はテレビのものとは違うものの、LLFL (ラージ・ループ・フィンガーレバー)タイプというフィンガーレバーが一般的なものよりループ状に大きくなっているモデルでもある。
ウィンチェスターライフルのモデルガンもさまざまなものがあるようだが、私はせっかく一丁手に入れるとすれば「ライフルマン」に拘りウィンチェスターM1892にしたいという念願をずっともっていたがそれが今回叶ったわけだ。

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※LLFL (ラージ・ループ・フィンガーレバー)の部位(上)とWINCHESTER MODEL 1892の刻印部分(下)


このウィンチェスターM1892ライフルはガスを注入すればBB弾を発射できるが、私は出来の良いリアルなライフルを側に置き、重量感とかメカニカルな存在感を楽しむつもりなのでいわゆる射撃をするつもりはない。ただし全金属製ボディと木製ストックから成るその本体は全長965mm、重量が2800gあり、ローディングゲートからBB弾を装填し、レバーアクションで発射するといった実銃と同様のアクションが楽しめるまずまず本格的な作りなのが気に入っている。
しかしマッケインのウィンチェスターライフルはフィンガーレバー操作だけで弾丸が発射できたとはいえ、これをどう工夫したところで0.3秒、すなわちライフルマンのように1秒間に3発も撃てるものかと思う。なにしろ本物の重さを「THE HISTORY OF WINCHESTER FIREARMS 1866-1992」という書籍を入手し調べてみると、バレル(銃身)が20インチのM1892 カービン銃(round barrel)はフルマガジンで約5 3/4lbs とある。2.6Kg強といった重さだ。しかしドラマとはいえこんな重いものを軽々と扱っていたチャック・コナーズはさすがメジャーリーガー出身で長身も2メートル近いという偉丈夫だったということを思い出した...。

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※ウィンチェスター銃の歴史が写真入りで載っている「THE HISTORY OF WINCHESTER FIREARMS 1866-1992」の表紙


ついでだからと1958年制作の3話が収録されているDVDと別途VHSを8巻手に入れたが、いやはや懐かしい。そのノイズが多々入ったモノクロの画面は気になるどころか一瞬にして六畳の部屋で家族たちとテレビを観ていたあの少年時代の空気感といったものを思い出している。

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※あらたにVHSによる「ライフルマン」8巻を入手。全部見るのが楽しみだ..


そういえばTVの日本語吹き替えでライフルマンの声の吹き替えをやっていたのは水戸黄門で風車の弥七を演じていた中谷一郎だった。中谷一郎もチャック・コナーズもいまはもういない…。


ラテ飼育格闘日記(263)

外気温が10度以下になるとラテはこれが夏場に動かなかったワンコかと思うほど歩く、歩く。アトピーの影響で肉球を噛むのは相変わらずだが、それでも傷が軽減していると思われた先週に久しぶり美容室に連れて行った。実に半年ぶりである。


美容室ではトリミングとシャンプーは勿論だが、爪切りや耳掃除、肛門腺絞りそして歯磨きなどのフルコースをお願いしてきた。そして理想的には2ヶ月に1回程度が良いのだろうが、実際には3ヶ月空いてしまうときもあったものの、今回みたいに半年も美容室に行かなかったのは初めてのことである。
無論それはラテの四つ足や身体に傷があり、痛がったりすると美容室にも迷惑がかかるのではないかという配慮だった。その間オトーサンは自宅でのシャンプーなど慣れないあれこれと格闘したし、小さなバリカンやハサミで伸びた毛を切ったし処置しやすいという爪切りを買ってきて伸びたラテの爪を切ったものの最初から深く切りすぎて出血させてしまうというヘマもやった…。

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※オトーサンとのツーショット!


ともかく美容室に連れて行き、形だけでなく本格的なシャンプーもしてもらおうとラテの状態を見ながらウィークディの11時に予約を入れた。
その美容室までは我が家から徒歩で30分程度の距離なのだが、問題は平坦な道ではなく階段の上り下りが大変多いのである。無論階段を避けるというルートもないわけではないがかなり遠回りになってしまう。

その道を当然ではあるが2往復しなければならない。ラテを連れていって一端自宅に戻り、そして完了したという電話を受けて引き取りに行くということになる。その間の時間が30分とか小一時間であれば途中の駅コンコースで一休みして待つということもできるが、2時間あるいは3時間かかる場合もあるからそうもいかない。
それに自宅を出た瞬間からラテはどこに連れて行かれるのかを察知している…。リードの引きが強いし時々に今来た道を戻ろうとする。その強い抵抗を制御しながら長い階段を上ったりするオトーサンの足腰はすぐにギシギシしてくる。

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※友達ワンコに遊びのポーズで迫るラテ


ともかく美容室の店内でラテがアトピーになったこと。したがってシャンプーもそれに適するものがあるのか等々を聞きながらフト足下のラテを見ると震えているのである。やはり何度も体験しているはずなのに怖いのだ…。
結局低刺激のシャンプーを使ってもらうことでラテを預けオトーサンは美容室を後にした。
その後、帰りがけに昼食と買い物を済ませて自宅に戻ったが1時間半ほど経った午後1時30分過ぎ「終わりました」の電話をもらう。オトーサンはガタガタ震えていたラテの姿を思い出し、少しでも早く引き取りに行こうと腰を上げた。それに万一肉球などを他人に触られるのを嫌がり、担当者にガウッ…だなんてしてやしないか等々も心配になってくる。まあ向こうはプロなのだから心配はないとは思いながらも、先日オトーサンの左手に威嚇したラテの姿がオーバーラップする…。

美容室までの30分…長い階段を上るときになるとサポーターをしている左足の膝が痛んでくる。しかし確実にそして膝に負担がかからないように注意をしながら歩き、美容室に着いたのが2時5分頃だった。
「お世話様です」と声を出しながら美容室の二重ドアを開け閉めし、店内に入るとその声が聞こえたのかラテが喜びの声を上げているのが聞こえる。
オトーサンは料金を払いながら「暴れたりといったご迷惑をおかけしませんでしたか?」と聞いてみた。担当の女性は意外な質問だというような顔をしながら「いや、まったく良い子でしたよ」と行ってくれたのでオトーサンも一安心する。
ラテはオトーサンたちがいないと心細いのか気弱で良い子になるのだ(笑)。

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※美容室から帰った直後のラテ。随分と綺麗になりました...


シャンプーの香りをプンプンさせ、ルンルンで歩くラテと帰途につく。途中の自動販売機の前で立ち止まったラテは水が飲みたいとオートーサンにアイコンタクトする。
ペットボトルから直接美味そうに水を飲むラテを見ているとオトーサンも幸せな気分になってくる。
本当は少々疲れたしこのまま帰ろうと考えていたが、ラテは駅のコンコースに出るとまるでそれが当然だというようにいつものカフェに向かって歩く歩く(笑)。そりゃあオトーサンだって一休みしたいからとオープンテラスできしんだ足を癒やす。

しかし我が娘は帰る気はないようでオトーサンをそのまま遠方の公園まで連れて行き、歩くこと歩くこと…。途中立派なウンチもしてくれたから夕方の散歩を兼ねたわけだが、正直ふらふらのオトーサンとまだ散歩したりないラテが自宅に戻ったのは4時を過ぎた頃だった。
オトーサンはアイコンタクトしながら歩くラテを見ているのが楽しくつい無理をしてしまったが左膝はマジでガタガタだった。
問題はラテとの散歩に休みがないことだ…。この程度の疲れ、いや、足の痛みは散歩を1回控えるだけで元気になるはずだが休めないのが玉に瑕…。
しかし天はオトーサンに味方したのか翌朝は天気予報が外れて小雨が降っていた。ためにレインコートを着せた我が娘は近所の草むらに直行し、オシッコを1回しただけでものの5分で自宅に戻ってくれたのである(笑)。


禅とMac日本語化に見るジョブズ日本文化への理解度を探る

昨今のスティーブ・ジョブズ賛美ムードに水をかけるような事を書くとまたまた嫌われそうだが(笑)、彼の素晴らしい部分は多くの方々が紹介しているから私は逆の視点からスティーブ・ジョブズという人間を考察したいと思う…。今回はジョブズと日本の関係を禅とMac日本語化になぞらえて追ってみたい。                                                                                  

スティーブ・ジョブズをスティーブ・ジョブズたらしめる動機付けのうち禅および日本の職人気質といったものが非常に重要なものとなっていることは事実であろう。なにしろジョブズは一時期日本で禅を本格的に学びたいと永平寺の僧門に入るべく本気で考えていたという。
そしてそもそもが菜食主義者であったことも関係してか和食、すなわちサシミ蕎麦とか寿司を大いに好んだことも知られている。また京都の禅寺や庭園を見るためにお忍びで来日したことも少なくなかったしソニーという企業のあり方を進んで真似ようとし、盛田昭夫を尊敬していた…。だからスティーブ・ジョブズは日本贔屓であり、日本の文化を理解し好んでいたという話しがまことしやかに語られているわけだ。

こうした一方、以前から我々デベロッパーの間では「スティーブ・ジョブズは日本嫌いだ」という噂があったことも事実なのである。これはNeXT時代ひとつとってもジョブズは多大な投資をしてくれたキヤノンに負い目があり心理的に負担を感じていたのではないか...などと我々は勝手な想像をしていたものだ。
勿論今となっては真偽のほどは分かりようもないが、現在では前記したあれこれの情報を通してスティーブ・ジョブズは日本文化に深い造詣と理解を示していたと信じられているフシがある。まあ我々日本人からすれば、その方がジョブズとどこかで繋がっている感じがして気持ちがよい(笑)。しかし私はそうした一面的な見方でジョブズを日本贔屓とする意見には与しない...。一人の人間を理解するのはそんな単純なものではないと思わなければならない。

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※スティーブ・ジョブズは禅をどのように...どれほど理解していたのだろうか?


さて、ジョブズと禅との出会いは古く1975年にはアタリ社で働きながら近くのロスアルトス禅センターに顔を出すようになったという。
リードカレッジで精神世界に関わる多くの本を読み、自己実現に重きを置く禅に興味を持ったらしい。
このとき出会った曹洞宗の僧侶、千野弘文は後にジョブズがNeXT社を立ち上げたとき老師として迎えられたしジョブズの結婚式を執り行った人物でもありその親密さは生涯変わることがなかった。
ただし本来問われるべきことだが、ジョブズが禅をどの程度理解していたか…というか、どのように咀嚼していたかは残念ながらよく解らない。
ちなみに「禅」を広辞苑で確認すると「心を安定・統一させることによって宗教的叡智に達しようとする修行法。禅定。六波羅蜜の第5」とある。しかしここではひとつひとつ仔細は繰り返さないが、スティーブ・ジョブズの言動はどんなに贔屓目に見たとしても禅的な穏やかさとは無縁であろう...(笑)。

こうした点は今後もっと精査することが大切なように思う。繰り返すが禅を熱心に学び傾倒していたということと禅の本質を理解していたこととは別の次元であることは申し上げるまでもないからだ。
それに日本の禅宗は大別して臨済宗、曹洞宗そして黄檗宗に分かれているという。ジョブズの師は前記したように曹洞宗の僧侶だったが、米国の地でどのような教義あるいは布教を行ったのかについても我々は勉強不足だし情報が少なすぎる。

ともかく彼が禅と出会って傾倒していったのはApple Computer社設立以前なのだ。したがってスティーブ・ジョブズが禅を通じて日本文化に理解を示すようになったとするなら最初期からの可能性が高いが、どうもそうは思えない...。
なぜならジョブズが禅を学び始めてから9年後の1984年にMacintoshが誕生したものの、それを日本のマーケットで販売する際に日本語化が遅れたことは歴史が示す事実である。
業を煮やしたキヤノン販売はMacintoshにオリジナルの漢字ROMを装備し、エルゴソフト社の仮名漢字変換エンジン EgBridge で日本語環境を実現するDynaMacを作り出したほどである。
もし初期段階でスティーブ・ジョブズから日本語化にゴーサインが出れば歴史はかなり違った様相を見せたのだろうが実際はジョブズの承認が得られず、やっと模索を始めた頃になってジョブズはAppleを去ってしまう…。

アップルジャパン社長、福島正也から是非にと頼まれ日本での代理店契約を快諾したキヤノン販売滝川精一社長だったがMacintoshを日本市場で扱う条件として当然のことながら日本語化の問題をクリアする必要があった。このことは福島正也も十分認識し、日本市場拡大のためには是が非でもMacの日本語化を実現しなければならないと考え奔走していた。
そもそもこのキヤノン販売との契約締結に当時のマイク・マークラなどは当然のこと賛同を示したがスティーブ・ジョブズだけが反発していたという。
キヤノン販売の滝川社長が渡米し、Appleとの契約条件について話し合ったときも相変わらずジョブズの態度で一時は険悪な雰囲気になったという。ただし幸いなことに当時Appleの社長の座にはあのジョン・スカリーがいた。この交渉慣れした新社長のとりなしで何とか収まるところに収まった…。それにより日本でMacintoshはキヤノン販売が扱うようになったのだ。

当時のジョブズにとって日本はマーケットというより部品調達と新技術開拓の対象だったようで事実頻繁に視察に訪れ、例えば小型ハードディスクや液晶ディスプレイなどを研究していたようだ。
しかし日本市場に対してどういうわけか理解度が低かった。アップルジャパンの社長、福島正也がジョブズ来日に合わせてMacintosh日本語化の重要性を訴えるために準備したプレゼンテーションの場でもジョブズはまったく理解を示さず、「君はアップルの技術を日本人に売り渡す気か!」と机上に用意した日本語版Macのプロトタイプを床に落としたという。

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※スティーブ・ジョブズも愛したという龍安寺石庭


その後、スティーブ・ジョブズがMacintosh漢字化模索のゴーサインを出したのはお気に入りのジェームス比嘉に対してだった。
比嘉は後にスティーブ・ジョブズがAppleを退社し新に設立したNeXT社にも誘われ、ネクストジャパン社長に就任した人物である。
ともあれ当時Apple本社で日本語が解るのは比嘉だけだっというから日本語化の旗を振るのは必然だったと本人も「マッキントッシュ伝説」で発言している。しかし比嘉がケン・クルーガーというプログラマと相談しメモリが1MB搭載される次期Macintosh Plusをターゲットにソフトウェアで日本語化を実現しようと企画していた矢先にスティーブ・ジョブズがいなくなり、またまた数ヶ月も日本語化プロジェクト発進は遅れてしまう。

その「マッキントッシュ伝説」でジェームス比嘉は日本語化のゴーサインはスティーブ・ジョブズの権限で行われたこと、そしてジョブズは先見の明がある人間で彼のゴーサインがなかったら漢字Talkはもっと遅れていた…というが私には先見の明があったとは到底思えない。
"先見の明" とは文字通り「事が起こる前にそれを見抜く見識」のことであり、Macの日本語化は決して早めにそしてスムーズに行われたわけではない。
気まぐれのジョブズは状況が逼迫してきたことをやっと認識し、ジェームス比嘉からの提案だったから耳を傾けたのだ。事実いまでは信じられないだろうが漢字Talkが実現してからもこの日本語化の遅れは後を引き、1990年初頭になってもMacintoshは日本語処理に弱いパーソナルコンピュータだと言われ続けていたのである。

禅の理解とMacの日本語化への理解を同列に語ることに異論もあるかも知れない。しかし日本語に限らずその国の言語は文化の象徴であり要でもある。それを認識せず「Macintoshは優れたパソコンなのだから米国以外でもそのまま売れるはずだ」という根拠のない幻想を抱いていたスティーブ・ジョブズに先見の明があったわけでもなく日本文化に理解があったはずもないのだ。事実ジョブズはそのMacintoshの販売が振るわない責任を取らされた形で自分が設立したAppleから退社を余儀なくされたのである。
だから私にはジェームス比嘉のジョブズ評はまったくの身贔屓としか思えない。
まあやっとMacintosh PlusにApple純正の日本語環境である漢字Talk 1.0が搭載されたもののフォントひとつをとってみても実用とならなかった。漢字Talkが何とかまともになったのは2.0からである。

さらにスティーブ・ジョブズは寿司や日本蕎麦を好むと同時に版画家の川瀬巴水や橋口五葉の作品を集めていたことも知られている。そしてそれらを日本文化への理解と解釈する向きもあるものの、その意図は日本文化を理解した上での行為というよりそれらの作家の作品そのものがジョブズの求めていた美にマッチングしたからに他ならないと考えた方が自然である。
難しく考えず我々自身のことを考えてみようではないか…。例えばだが、パスタやピザが大好きだといってもイタリアの文化に造詣が深いわけでもないし、ルイ・ヴィトンを愛しているからといってもフランス文化を深く理解しているわけでもあるまい。
そういえばハンガリーのブダペストにジョブズの銅像が建つという。またそのハンガリーでは記念切手も発売になるそうだ。その是非についてのコメントはともかく、もしジョブズが日本と本当の意味で強いつながりがあるのなら、どこかに銅像を建てようという話しのひとつくらいは出てきても良いのではないか…(笑)。

減らず口はこのくらいにしておくが、世間では禅を学んだことから彼のシンプル指向や、それまでの先入観あるいは常識といった価値にとらわれない考え方ができたのだという説もある。しかしそもそも禅は企業活動の中で素晴らしいプロダクトを生み出すためのメソッドではない。
曹洞宗ホームページを見てもわかるが、その宗旨は次のように説明されている。
「曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。」

繰り返すが禅は人の心を安定・統一させ宗教的叡智に達しようとする修行である。無論そうした教義からビジネス成功へのヒントを掴むこともできるかも知れないし事実そうした活動をしているサークルや団体もある。しかしスティーブ・ジョブズの生涯は禅のスタイルを愛したが、修行した効果がその人間性に反映したとは到底思えない...。それでも禅は懐の深さ故にジョブズのあるがままの人間性を許してくれるのだろうか...。
ともかくスティーブ・ジョブズという人は間違いなく今世紀の偉人であり後世に名を残す人物に違いない。だからこそその人となりや彼の考え方あるいは彼の作ったAppleという企業理念といったものの研究が今後も重要になってくると思われる。ただしそのためには表面づらの評価と賛美だけでなく、ジョブズという人間の表裏共にきちんとした精査が大切になってくるのではないだろうか...。

【主な参考文献】
・「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊
・「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」東洋経済新報社刊
・「ジョブズ伝説」三五館刊
・「スティーブ・ジョブズ」講談社刊


Mac誕生10周年記念特別号「MACWORLD JAPAN」誌を振り返る

スティーブ・ジョブズの死去にともない彼の業績はもとよりAppleという企業の再評価や今後の行方を予測する情報が毎日多く寄せられている。そんな中、私はいま一冊の古い雑誌を入手しむさぼり読んだ…。それは1994年にMac生誕10周年記念特別号として出版された「MACWORLD JAPAN」(1994年3月号)である。


本誌はリアルタイムに購入して所持していたが2度の引っ越しのためか行方知れずになりどうしても見つからないので手元にある一冊はネットオークションで探したものなのだ...。
「MACWORLD JAPAN」誌の本号はMacintoshがリリースされた1984年から10年経った1994年に発刊されたものでその特集は「徹底検証 マッキントッシュ伝説」と題し、2人のヒッピーが生み出したコンピュータは、社会に何をもたらしたのか…を検証しようと試みた号なのである。

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※「MACWORLD JAPAN」(1994年3月号)表紙


そして現地取材としてスティーブ・ウォズニアック、ジム・ウォーレン、レジス・マッケナ、ジョン・カウチ、ジェフ・ラスキン、アラン・ケイ、ダグラス・エンゲルバート、ビル・アトキンソン、ジョアンナ・ホフマンらへのインタビューが載っている貴重なものでもあった。
実はこれらの取材の成果は量的にも本誌にその全部を載せるわけにもいかず、CD-ROM版および書籍「マッキントッシュ伝説」(斎藤由多加著)となったことが本誌や書籍「マッキントッシュ伝説」に記されている。したがってインタビューの内容は基本的に書籍「マッキントッシュ伝説」と同じであるが書籍の方がその内容が多いし掲載されている人も若干違っている。

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※「MACWORLD JAPAN」の特集インタビューを網羅した同名のCD-ROM(上)と書籍「マッキントッシュ伝説」アスキー出版局刊表紙


人の違いを記してみると、まず雑誌のインタビューに載っているが書籍に含まれていない人物として福島正也、前田達重、ボブ・ホック、ポール・サッフォーがいる。反対に書籍に載っているが「MACWORLD JAPAN」に載っていない人にジェームス比嘉、大河内勝司がいる。これらの違いというか相違にどのような意味があるのは知る由もないが、雑誌に載っていない例えばジェームス比嘉、大河内勝司の両氏は書籍化に当たり後で追加インタビューしたものなのかも知れない。

無論この「MACWORLD JAPAN」(1994年3月号)で見るべきものはこれらのインタビュー記事だけではない。色々な視点から「パーソナルコンピュータのルーツ」「ヒューマンインターフェースへのアプローチ」「新世代マシン LISA & Mac の誕生」「日本語化への道」そして「Macintoshの文化とその未来」といったことに関して検証がなされているわけだ。そして他にもガイ・カワサキ、スティーブン・レヴィなどのコラムや記事を読めるのも本誌ならではの魅力だが、17年も後になって当時を俯瞰するとそれぞれの立場や見方の違いが分かってより興味深い。

ところで本誌「MACWORLD JAPAN」(1994年3月号)の表紙に使われている写真をご覧いただきたい。
これはレジス・マッケナとスティーブ・ジョブズのツーショットだが、事情を知らない人にこの写真を見せて2人はどんな話しをしているところか?と質問してみると面白い。

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※前記表紙の写真部位を拡大してみた...


この写真がどういう場所でどのようなシチュエーションで撮られたのかは不明だが、私が数人に試みた範囲では、すべて右側の「スティーブ・ジョブズにレジス・マッケナが叱られている場面」という答えが返ってきた(笑)。
この写真は書籍「マッキントッシュ伝説」によれば当のレジス・マッケナから提供されたものだというからまさか彼にとって苦い経験の思い出の一枚ではないと考えているのだが...。

レジス・マッケナは Regis McKenna Inc.の社長でありAppleの6色ロゴをデザインし、マイク・マークラをジョブズに紹介した人物だ。そしてAppleの創業時にさまざまなアドバイスを通じて支えてくれた人だっただけでなくあのウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」の中にも登場しジョブズの人生とビジネスを最後まで支えた重要人物でもありジョブスにとっても恩人である。
その人物と相対しているこの写真だけを見ればジョブズはどこか不機嫌そうにレジス・マッケナに強い視線を浴びせているし、反対にレジス・マッケナはジョブズを直視せず目を伏せている。そうした印象から前記したような想像が出てくるのだが、当時ジョブズの傍若無人ぶりの一端が生き生きと表れている写真なのかも知れない。

さて本誌が出版された1994年といえば17年も前の話だ。その時代にMacintosh関連の雑誌だとはいえこうした企画を載せたところで注目したのは我々のような当時のMacintoshユーザーでありAppleフリークだけであっていわゆるマスコミが同調した記憶はない。
なにしろMacintoshが発売された1984年には早くも「Macは1985年か遅くとも1987年には無くなるだろう」といった観測もあったほどその評価は一部のものでしかなかったのである。
この17年も前の本誌の検証ならびに評価あるいは未来への展望を現在の視点からみて当たっているかどうかに興味があるものの、現在の一般的な評価や評論より具体性があり中身が濃い点は注目だ。ただし細部が気になる私としては本誌の表紙、すなわち前記した写真の背景にMacintosh Plusが使われている点はいただけないと思う。
申し上げるまでもなく本号のコンセプトは「Mac生誕10周年」を祝うものであるからしてここは絶対にMacintosh 128Kの写真でなければならないと思うのだが…。

本誌が発刊された1994年にはご承知のようにAppleにスティーブ・ジョブズはいなかったしその後彼がAppleに復帰するなど本人も含めて誰も想像だにしなかった時代である。それでもスティーブン・レヴィは「世界を変えたパーソナルコンピュータ」という記事の中で「Macintoshは世界を変えた」と言い切り、その影響は21世紀になっても電話その他のパーソナル通信機器、さらには冷蔵庫、自動車、クレジットカードなどなど、みんなMacintoshの進化の上に作られるだろうと予測している点はさすがである。そして彼はMacintoshをこれほど人気者にしたのは技術の力だけではなく、ユーザーの力でもあると言っている。

当時のユーザーは積極的に悪習を捨て、融通のきかないハイテク専門家が「おもちゃ」と馬鹿にした頃にいち早くMacを購入し、自ら進んでその魔法にかかった。
Macintoshは本当に世界を変えたが「それはマウスを手に握った大勢のユーザーの支持があってこそだと思う」と記事を結んでいる。

それから17年後、残念ながらスティーブ・ジョブズは亡くなったがAppleは時価総額で世界一の企業になった。
世間はスティーブ・ジョブズの功績を唱い、Appleの優れた点を検証し、少しでもその成功にあやかりたいと足掻いているが、そうした中で誰も褒めてはくれないものの、数え切れないほどのMacintoshを買い込み、毎日エキサイティングな日々を過ごしてきた私達アップルフリークは単に歴史の生き証人というだけでなく紛れもなくApple成功の歴史に力を尽くしたのだ。そのことをもっと声を大にして叫び、誇りに思うことにしよう!

「デジタル文化研究所」サイト( 所長:近藤龍太郎氏 )オープン

近藤 龍太郎さんからメールをいただいた。近藤さんは私にとって当時雲の上の存在であった。彼は「アップル操縦法入門」の筆者でもあり、イーエスディラボラトリ社のシステムサポート室長だった方だ。そして当時は知らなかったが、あのESD社社長水島敏雄氏は近藤龍太郎さんの叔父だったのである…。                                                                

当時私は近藤さんと親しく話しをさせていただいたという記憶はない。確かに1週間に数度も本郷にあったESD社のドアを押した私だし、そこに近藤さんの姿を拝見したこともしばしばだった。しかし正直それだけ近寄りがたい方だったのである(笑)。
一番新しい記憶として残っているのは1983年12月10日(土)と11日(日)の両日、後楽園展示場に於いてイーエスディラボラトリ社主催「第3回アップルフェスト」が開催されたが、その際近藤さんのブースで当時「アップルマガジン」編集長だった鈴木さん共々写真を撮らせていただいた…という程度だった。いやはやどうにも古い話で恐縮であるが...(笑)。

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※近藤 龍太郎著「アップル操縦法入門」ラジオ技術社刊(初版は1982年発刊)


しかし私がApple II に夢中になり、その後Macintoshに至る道に突き進んだ原点は間違いなくイーエスディラボラトリ社であり近藤 龍太郎さんがお書きになった「アップル操縦法入門」にあったことは間違いないのだ。その「アップル操縦法入門」は使いすぎてぼろぼろになり必要な役割を果たせなくなったほどでいま書棚にある同書は2代目なのである。

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※1980年代初頭のイーエスディラボラトリ社


その近藤 龍太郎さんがご自身のブログ「デジタル文化研究所」を開設されたと知り早速拝見することに…。
僭越ながらさすがにホームページのトップデザインはLisaカタログを配した美しいものだが、そもそも近藤さんは多摩美術大学卒であったことを思い出した...。

なお直近の書き込みには当サイト「Macテクノロジー研究所」にリンクも貼っていただき、特にウォルター・アイザックソン著の伝記「スティーブ・ジョブズ 」や高木利弘さん著「ジョブズ伝説」に関しても触れられている。

なおこれは仕方のないこととはいえ昨今はAppleやMacといったことに関しても実物を知らずに評論する方たちも増えているが近藤さんは間違いなく日本で最初にApple II を研究したお一人であり時代の生き証人でもある。そのサイトによれば「アップル操縦法入門」出版の後にLisaの書籍を出すつもりで執筆していたところ出版社がなくなってしまった…とある。近藤さんによるLisaの本…是非実現して欲しかった…。
ともかく近藤さんの視点は私にとっても新鮮であり刺激を与えてくれる。ご興味のある方は是非覗いていただきたい。

デジタル文化研究所

ラテ飼育格闘日記(262)

今日、すなわち12月10日はちょうど5年前…2006年にラテが我が家に来たその記念日である。一応6月10日を誕生日としたので今日で5歳と半年というところだ…。しかし親バカではあるがこの我が娘は臆病で我が儘、そして自分本位なのだから可愛いものの手を焼くことも多い。


ラテはいわゆる飼い主に対してさえ、尻尾を振ってその後を追うと言ったワンコではない。寂しがり屋ではあるが自分の都合のよいとき以外、基本的には一人好きなワンコである。
女房に対しては遊んで欲しい時や外出先から戻ってきたときなど大げさなほど歓待して飛びついたり口元を舐めたりする。
スリッパを履いている女房のソックスを上手に引っ張って脱がす技などは見ていて惚れ惚れする(笑)。しかしオトーサンに対してはそうした甘えの姿勢はほとんど見せない。したがって例えばオトーサンが座って本を読んでいるとしてもラテが近寄りオトーサンの膝に頭を乗せるとか、足下に丸くなるといったことは皆無である。それは些か寂しいがこればかりは強制できるものではないから仕方がない。

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※5歳半になったラテだが好奇心は強い!


しかし自分で言うのも変だが嫌われているわけではなく頼りにされているが怖い存在なのだと思っている。それはラテが我が家に来てからずっと朝晩の散歩は勿論、食事の世話や身体を綺麗にするなどなど、世話のほとんどをオトーサンがやっているものの、その課程で飼育や訓練の時間もあったからラテにとってはかなり五月蠅い存在なのだと思う。
しかしそのおかげで大きなトラブルに遭遇せずに済んでいると自負しているオトーサンだが、観察しているとラテも随分と我慢していることがうかがえる。

極々初期のころとは違いオトーサンは厳しいながらも溺愛状態でもあり(笑)、ラテもそれは分かっているように思う。
飼い始めて約半年ほどはお尻を触ったりすれば「ガウッ」と牙をむくラテだったがめげずに続けたこともあって今では耳の穴に指を突っ込んでもお尻を拭いても牙をむくことはない。しかし嫌なことは嫌なこととして認識しているわけでオトーサンもその限度を観察しながら飼育格闘しているつもりなのだ。

例えば柔らかめで音が出るようなボールを与えるとしまいには夢中になり女房では制御出来なくなることもあるし、そうした際にはオトーサンでも不用意に手を出せば牙を当てられ傷を負う可能性も否定できない。だからオヤツでつったりしてボールを解放させるようにするが、最近ではどのようなオモチャが異常に夢中となるかがわかってきたのでそうしたアイテムは最初から与えないようにしている。
こうして書くと随分と危ないワンコのように思われるかも知れないが、遊びの時のうなり声のほとんどはあくまで遊びなのでそんなに心配ないし事実オトーサンたちがそれで怪我させられたこともない。
いつもはボールを咥えて嬉々としているラテに「チョウダイ!」と手を出せばポロッと床に落とす。無論煮干しの一匹でもあれば完璧である(笑)。

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※水を飲み終えたペットボトルはゴミ箱まできちんと持って行くのがラテ主義です(笑)


とはいえラテも感情を持っている生き物だからして嫌なことはイヤだろうし、その我慢の限度もあるはずだ。
例えば先日夜半のこと、いつものようにラテはオトーサンの脇で寝ていたが激しく身体を掻き始めた。オトーサンはこれまた毎度のことだがラテの背中を軽く叩いて「ダメダヨ!」のサインを送ったがラテは軽く「ウ~ッ」と唸り始めた。無論こんなことは多々あるわけでオトーサンも手に歯を当てられないようにと首輪の後ろを握り、ラテの行動を制御するがどうしたことかラテはこれまでになく本気で歯をむき怒りと不快を表している。
オトーサンはラテが肉球を囓り傷を作ったのかと確認しようとする左手に「ガウッ!」と威嚇し、その後も姿勢を変えずにしばらく唸っている…。無論オトーサンの手にラテの歯は届かない。
また姿勢はうずくまったままで、オトーサンが手を出さなければ威嚇はしない...。

そもそもオトーサンは決して「我が家のワンコは120%安全で人様に万一でも危害を加えるようなことはあり得ない」とは考えていない。
よく人を噛んだりする不幸な事故があると「こんなこと初めてだし、信じられない。普段はイイコなんです」という話しをする飼い主さんがほとんどらしいが、その場でなぜいつもは温和なワンコが歯をむくか…実は我々人間にはほとんど計り知れないことなのだ。
その原因はワンコに聞いてみなければわからないし、ワンコにしてみれば原因はともあれ我慢の限界を超えたか、あるいは攻撃するに足りる原因があったはずなのだ。ただその判断基準は我々にはなくワンコ側のものだから計り知れないだけだ。そしてそうした可能性はどんなワンコでも持っていると考えておいた方がよいし、そうした可能性を否定しなければ飼い主の注意も多少は行き届くはずだ…。

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※オカーサンが新型のハーネスを買ってくれました


したがってラテがいきなりいわゆるアルファシンドロームになってしまい日常も危険なワンコになってしまったとは思わない。そもそもアルファシンドロームなどというもっともらしい言葉だけが先行しているのもいたずらに飼い主の不安を煽るだけだ。ただしワンコが飼い主に傷を追わせるという事実は現実にあるわけで、その可能性を認めつつ対処することが肝要だと思っている。
ともかく、ラテにしても痒いときに制止させられる辛さの我慢が限界を超えたのだろう。そしてワンコだって機嫌というものもあるし寝ぼけているようなときはつい本音が出てしまうものかも知れない。

オトーサンも安全のためしばらく首輪から手を離さずにいたが、万一にでも女房に傷でも負わせては大変なのでラテが落ち着いたのを見定めてから階下に連れて行きラテのホームポジションであるリビングに閉じ込めた。こうした時には例えば殴って叱ったりすることは逆効果で、無視し飼い主はその場から姿を隠すのが有効だと聞いていたからしばらくの間ラテだげにして様子を見た。ラテの様子は無線カメラでモニターできるようになっているが、マッサージチェアに丸くなり特に変わった様子は見せない...。

変わった様子がないことを確認しオトーサンはラテをそのままにして休んだが、朝のラテの様子はいつもと些か違っているように思えた。
無論唸ったり怒ったりが続いていたわけではないが、オトーサンにはラテ自身夜中に自分が怒ったことを覚えていて、後悔しているようにも感じた。ラテは女房が階下に降りてくるといつもは勇んで身体をぶつけにいくのがその朝はぎこちなかった(笑)。
オトーサンは一計を案じ…というほどのことでもないが、その一日ラテが肉球を舐めようが身体を後ろ足で掻こうが意識的に無視して一切止めたり叱ったりすることを止めた。

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※静かに寝ているときのラテは実に愛らしいのだが(笑)


オトーサンもそろそろ言葉や態度で制止するのは限界だと感じていたし、例え夜中や日中にオトーサンが止めることで出血を多少でも止めることができるとしても100%目を光らせていることは物理的に無理なのだ。そして頻度の問題としてはアトピー対策の後、身体を掻きむしることは確実に少なくなったから後は肉球を噛むことだけが問題なのだが、ラテがその気ならものの数十秒で肉球から血を出してしまうこともあるわけでオトーサンもこれまでの注意作戦の限界を感じていたのである。それに仕方のないこととはいえこんなことを続けていては益々オトーサンはラテに疎まれて嫌われるだけだ(笑)。

というわけで傷を付けたら治療し包帯を巻くという対処療法を続けながらどうしてもという時にはやはりエリザベスカラーなど、物理的なアイテムを使う必要性を感じている。しかしこれまたストレスの要因にもなるだろうから判断は難しい…。
ただし、リーダー云々といった説は横に置いておくとして、そして溺愛は溺愛としても飼い主が絶対であることを繰り返し教えることは大切だ。だから散歩は勿論、日常もオトーサンがより強くイニシアティブを取るように努力することを再認識した次第。やはり甘やかせば良いというものではないのだろう…。

オトーサンはその後も特に変わった扱いをせず、これまでとどおりにラテの身体を抱えたりしているがラテの方も怒ることはない。翌日それとなく四つ足を確認したら左後ろ足の甲に広範囲の傷があった。
きっとラテは自分で噛んだとはいえ痛くて触れられたくなかったに違いない。それに防御するのに夢中だったのだ。
まさしくオトーサンたちの飼育格闘の日々はまだまだ続くのであった(嗚呼)。

Walter Isaacson著「スティーブ・ジョブズ 」への批判について

ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ 」に関しては読了後も必要に応じてページを読み返している。しかし新鮮味が薄れたこともあるのだろうがどうにも物足りなさを感じる。そう感じるのは私だけではないようで事実本書の著者に対しての批判も目立つようになってきた...。


ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ 」の上下巻を読了した個人的な感想については「Walter Isaacson著『スティーブ・ジョブズ』2巻を読了した感想」で述べた通りである。ちなみにその中で私はいくつか著者であるウォルター・アイザックソンについての不満を述べた。

ひとつはどうやら彼はテクノロジーに詳しい人物ではないようだということ。そしてジョブズへのインタビューに関してジャーナリストとして鈍すぎると書いた…。さらに意図的に控えめな表現にしたつもりだが、本書は講談社の帯にあるように決してスティーブ・ジョブズの「最初で最後の決定版伝記」ではなく、ジョブズ伝説のほんの始まりに過ぎないことも示唆した。そして例えば「10年後に再び、”力ある著者” によりスティーブ・ジョブズの生涯を振り返って見るのもアリだと思うし是非そうすべきではないかと思う」と書いた。

これらから私の本著に対する不満を感じ取っていただければなによりだが、海外…というか米国ではもっとストレートにウォルター・アイザックソンに対する批判が強まっているようだ。
例えば「MACLALALA2」にJohn Siracusa(ジョン・シラキューサー)とJohn Gruber(ジョン・グルーバー)両氏の痛切な批判が取り上げられており大変興味深く拝見した。

シラキューサーはポッドキャストにおいて「伝記本作者の人選を誤った」と切り捨て「秘密主義のジョブズが、生涯にたった一度、何でも聞いてくれと与えた唯一無二、稀有のチャンスを(アイザックソンは)生かすことが出来なかった」と切歯扼腕する。
グルーバーはシラキューサーに全面的に賛同し「(アイザックソンは)一回限りのチャンスを永遠に逃してしまった」と嘆く。

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※ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」のUS版と講談社刊の日本語版


さて、一般的な小説ならその内容や著者が嫌いなら読まなければ済む。しかしスティーブ・ジョブズの伝記ともなれば例え誰が書いたものだとしても…ましてやウォルター・アイザックソンはジョブズが指名した筆者であるからしてアップルフリークの一人としては読まざるを得ないわけだが、要はウォルター・アイザックソンが最良の…ベストな伝記執筆者だったのかということなのだ。

他の方達がどう感じどのように思うかは別として、私にはウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ 」2巻を読み直してはいるもののどうにももの足りないだけでなく、売り文句の「最初で最後の決定版伝記」としてはどこか焦点がぼけているようにも感じるのだ。彼のベストセラーだという他の伝記本は読んでいないので分からないが、少なくとも本書からはスティーブ・ジョブズという希有な人物の人間性というものが浮き出てこないというか、希薄なのである。

ちなみにブリタニカ国際大百科事典で「伝記」を調べてみると「個人の生涯を、事績を中心に記録したもの。文学的な伝記は、主題となる人物をいきいきと描き、事実の記述も正確でなければならず、作者の個性、歴史観も要求される。」と解説が始まっている。

したがってその構成や表現の手法に決まりがあるわけでもなく例えば文学的な伝記もあれば逸話を集めた形式のものもあるわけだが史料の正確さおよび事実の記述も正確でなければならないことは当然だし、筆者の個性や歴史観も要求されるのが伝記作家としての使命であろう。
いずれにしても対象の人物を生き生きと描き出すというなかで伝記筆者の個性や立場を打ち出したものが好き嫌いは別として読むものに説得力と共感を与えるのではないだろうか。

こうした観点からウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ 」を見てみるといわゆる取材した材料をテーマ別に並べてはいるが伝記作家としての咀嚼が足りない…。別の言葉でいうなら食材をそのまま並べてはいるが調理・料理をしていないといった感覚を受けてしまうのである。そこにウォルター・アイザックソンという個性も見えてこない。

我々が知りたいのはスティーブ・ジョブズ本人がどのように発言したか…ではない。その発言が正しいとか間違っているという以前に何故そういう発言をするのか...を考えるべきだし、インタビューの本質は「話したことより話さなかったこと」の方に真実が含まれていることが多いことなどジャーナリストなら初歩の初歩ではないだろうか。ただしインタビューした人たちの発言の裏を読み、物事の真意を探るには業界の...というかAppleの歴史とそのテクノロジーに詳しくなければ出来得ない相談であろう。

だからというべきか、ウォルター・アイザックソンにはその追究や洞察に目新しいものがあまり見えてこないから奥行きが感じられないのだ。
そもそもウォルター・アイザックソンがスティーブ・ジョブズに自身の伝記を書かないか…と言われたとき「どうして私(アイザックソン)に依頼したのか」を聞いたと「スティーブ・ジョブズ」の「はじめに」に書いてある。
それによれば、ジョブズは「話を聞き出すのが上手だろうと思ったからさ」と答えたという。
アイザックソン自身もこのような答えが返ってくるとは思ってもみなかったと書いているが、これは褒め言葉だろうか(笑)。

ジョン・グルーバーのポッドキャストによればスティーブ・ジョブズはアイザックソンの力量をはじめから計算の上で伝記執筆者として “敢えて” 選んだのでは…と読んでいる。アイザックソンなら業界に関しては素人だし、ジョブズ自身を含むジョブズ側が提供する情報を元に伝記を書かせることができる…すなわちコントロール可能と判断したのではないかと推測しているのだ。

私は正直そこまで勘ぐってはいなかったがこの「MACLALALA2」を読んで「スティーブ・ジョブズ」の物足りなさの原因が分かったような気がしたのだ。
スティーブ・ジョブズは自身の命が尽きる最後まで…計算づくでアイザックソンを選んだ。
ジョブズは「何でも聞いてくれ」といったというがアイザックソンならジョブズの話しを表面的でそれ以上掘り下げずに伝記として書くに違いないと考えたのだろうか…。

そう考えると前記した「話を聞き出すのが上手だろうと思ったからさ」というジョブズの答えは「君はお人好しだからさ」と言っているのと同義に思えてくる(笑)。
第一ジョブズが言った「何でも聞いてくれ」をそのまま受け取ってはならない。ジョブズあるいはAppleには現時点で当然のことながら隠さなければならないあれこれも多々存在したはずなのだ。それがアイザックソンの公式伝記のおかげであやふやになってしまった...。

またウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ 」上巻の「はじめに」では「ジョブズへの取材は40回ほどもおこなった」と記されているが、カバー折り返しには「…2年あまりにわたって50回ものインタビューに応じてくれたのか。…」と矛盾も見える。これが事実の記述も正確でなければならない伝記執筆者の記述とは思えないし本文中の記述を100%鵜呑みにできない気持ちになってくる。

もしかしたら40回ほどインタビューした後に入稿を済ませ、その後インタビュー回数が増えたのかとも考えたが、前後関係を考えると不自然だ。それにしてもこうした点は出版以前の最終チェックで修正可能だろう...。

無論インタビューの回数が問題なのではない。著者の記述のあやふやさが問題なのだ。
当然インタビューにはボイスレコーダー類が置かれていたのだろうし、毎回のインタビューはジョブズに限らず何年の何月何日にどこで行ったかという記録を整理しているはずだ。それなのに公式伝記に書く「40回ほど」と「50回もの」の違いはアイザックソンの単なる不注意というより怠慢から生じた差異のように思えてならない。なにしろ相手はスティーブ・ジョブズなのである。そして彼の病状を考えれば彼と会話できるのは時間の問題であることくらいは認識できるはずだ…。

アイザックソンのインタービューに費やした時間はジョブズの余命がいくばくかになった貴重な一瞬一瞬だったはずだ。「インタビューした回数くらい正確にカウントしろ」といいたい。

無論ウォルター・アイザックソン側にも言い分があるだろう。そもそもが頼まれ仕事だった(笑)。そして限られた時間というものがあったし、事実ジョブズの容態が急変したことを受けて出版自体も早まった経緯もある。しかしこれまで記したあれこれが多少なりとも真実なら千載一遇のチャンス、2度とあり得ないチャンスをウォルター・アイザックソンは “ジョブズの思惑通り” 活かせなかったのだ…。だとしたらその責は小さくないと思うのだが…。


「ジョブズ伝説」著者、高木利弘氏独占インタビュー(後編)

新刊「ジョブズ伝説」の筆者であるメディアプロデューサーでMACLIFE誌編集長だった高木利弘さんへの独占インタービュー後編をお届けする。本インタビューはこの11月27日(日曜日)にFaceTimeを使って行われたものだが、話しは次第に白熱し組織論に至る...。インタビューは1時間半以上にも及んだ。



高木  ジョブズはそういうタイプの人物ですが、その強さってのは凄いですよね。退かないわけですから。「ジョブズ伝説」では触れなかったのですが、例のストックオプションの価格変更問題がそうなんですね。2000年くらいに、Appleが、ジョブズの功績に対してストックオプションを出すと決めたわけですが、その変更に対して、普通では理解できない「こだわり」を示したのです。

松田  そうですね。それが後々大問題になりますが…。

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※高木利弘著「ジョブズ伝説」三五館刊の表紙


高木  商法違反ではないかといった問題になるわけですね。でも、あの「こだわり」というのは非常に奇妙な話です。年俸は1ドルでいいといっているジョブズが、なぜ、そんなことに拘るのか。つまり普通の常識では考えられない「こだわり」です。

松田  普通だったら、まあいいか…の世界ですね。

高木  そうそうそう。しかしなぜこだわったか。彼にとって減額されたことが問題ではなく、決めたことを変えられた、そのことが問題だったんですね。

松田  うんうん。

高木  たぶんジョブズ自身、変えられないことだと思うんですよ。そういう確信を持って信念を突き進むという性格だったからこそ、これだけ偉大なことができたわけじゃあないですか。

松田  そういうことですね。

高木  まあ、いいや…では出来得なかったわけですよ…(爆)。

松田  ジョブズ自身のことについては後でもお話ししていただきたいのですが、そう「ジョブズ伝説」から外れますが、1986年からこれまでずっとメディアの立場でAppleを見て、そして付き合ってこられたわけですね。そして読者に大きな影響を与えてこられた当人として…ジョブズと言うより25年ほどもアップル、Appleという会社に対しての…無論ジョブズのいないときといる時がありますが、トータルな印象をお聞かせください。

高木  …ジョブズはAppleという会社も自分の作品だと言っているわけですね。

松田  ええ。

高木  まさにそういう意味においていうと、彼は…コンピュータも一種の組織で動作しますよね。ハードウェアとしての組織(organization)…。で、人間の組織が会社ということですから、組織作りの理想を目指した中でひとつの理想を実現したのは間違いないわけですね。どういうことかというと、ジョブズがCEOを辞任する2週間前くらいですね、Appleの時価総額が世界一になった。あのガレージから始めて、35年間で時価総額世界一の会社を作れる人間はそういない。

松田  まったく創立者の命が無くなるという直前にね…。先ほどの話しではないけど小説だったら巧すぎますよね。

高木  上場企業の社長が追い出されて、戻ってきてそこを立て直して世界一の会社にする。そんな小説、書けませんよ、普通は(笑)。でですね、彼のポリシーを受けたもの凄く強い「チーム」という言い方をしていますね、非常に強いチーム作り。それにジョブズという1人の…まあ監督ですよね、鬼の監督がいてですね、そこにいるチームスタッフは…たぶん僕のイメージでは…アメリカンフットボールの最強チーム。

松田  うん。

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※Think differentとしても使われたMacintoshの主な開発チームメンバーたち


高木  ひとりとひとりの個人能力が高いだけでなく、チームプレイができるもの凄いチームだと思います。ただしこれは、製品作りということではね…このチームでいいと思うんですよ。つまり良いものが作れますから。でもやっぱり色々と問題だなと感じるのは、その…カスタマーとのコミュニケーション…。つまりカスタマーは皆天才でもないし…。

松田  ビジネスといっても作る部門だけでは成り立ちませんからね。

高木  そうです。

松田  売らなければならないし、マニュアルも作らなければ、そしてサポートもしなければならない。

高木  そういうところにまでジョブズの「こだわり」は徹底できないだろうと。そこの矛盾というのを随所に感じてきました。たとえば、アップルジャパンに何を言っても埒があかないという経験を何度もしました。これって、ジョブズの理想なのかな…という気はします。

松田  はい。

高木  で、やはりジョブズという希有の天才がね完璧な組織を目指す、それで結果を出したことは素晴らしいけれども…そう例えばローリーン・パウエル…「スティーブ・ジョブズ」の中にティナ・レドセ…自分が愛した女性はローリーンとレドセの2人だけだという話しがありますね。そのレドセの言葉で非常に印象的だったのは、「自分は自分の美学を人に押しつけるものではないと思っている」と。で「ジョブズは自分の美学を押しつける人だ」という表現をしています。ですから、ジョブズの美学を受け入れられる人はいいけれども、受け入れられない人もたくさんいる。

松田  そうですね。

高木  で、そういう人たちに対してAppleという会社は今後どうするんだろうという思いはあります。たとえば、AppStoreでは、アプリを1つ1つ審査するわけですが、電子書籍を許可するしないという問題が起きました。

松田  はい。

高木  中身がAppleのポリシーに合わないとリジェクトするいうことが起きました。

松田  はい。

高木  普通に書店で売られているものでもダメ。そして、それぞれの国ごとにカルチャーの違いがあるわけですが、それを一律にアメリカの価値観で切ってしまう。

松田  はい。

高木  アメリカの価値観、Appleの価値観を押し付ける形で、書店をやるというのは無理ではないかと思うんですね。その点は、アマゾンのほうが柔軟です。

松田  なるほど。

高木  ですから、これからもAppleには素晴らしい製品を作り続けていって欲しいわけですが、やはりサービスと、カスタマーリレーションに関しては、今のスタイルというのは行く行く限界が出てくるのではないかという懸念があります。

松田  う〜ん。まあもうひとつ別の質問として、ジョブズがいなくなったAppleの近未来はどのように予想されますか…というのを用意していたんですけどね。それにも通じる今のお話しですが、続けて補足などがあれば…。

高木  そうですね。ひとつオープンかクローズかという議論があるわけですね。

松田  はい。

高木  Appleはクローズであると…。

松田  ええ。

高木  で、インターネットはオープンなので、オープンな時代が来ると。しかしこれは単純な問題ではないなあと思ったんですね。

松田  はい。

高木  で、それはジョブズにとってオープンとかクローズという単純な問題ではないと…。ジョブズ自身は、「統合か分離かの問題である」という言い方をしています。

松田  なるほど。

高木  私は、ジョブズの言い方のほうが正しいと思います。つまりソフトウェアとハードウェア、サービスなどを全部統合して、最高のものを提供するという考え方と、これらを分離する考え方の対立があるわけです。そして、分離したウィンドウズで、歴史に残るような名機があっただろうかと。ないですよね(笑)。では、アンドロイドはどうか、アンドロイドで歴史に残る名機は出てくるのだろうかということになるわけです。

松田  考えられないでしょうね。

高木  (笑)。ということは、ジョブズのいう「統合」が正しいあり方なのです。

松田  う〜ん。

高木  ただし、統合したサービスを提供するという考え方は正しいし、これが最高のものを作る上で必要不可欠だということは間違いないんですけど、その時にAppleがビッグブラザーにならないという保証はないんですね。

松田  そういうことですね。ということは、そうなると…私の偏屈な持論でもあるんですが、昨今ジョブズの知名度も高くなり私から見るとビジネスになるからと何でもかんでもジョブズを題材にした本や雑誌が多々登場してきましたね。その中でジョブズを天才と呼んだり神と呼んだりするケースも見受けられ…正直カチンとくるものもあるんですよ。ただこうした偉人、優れた人物から何かを学ぼうとすることは尊いことですけどジョブズはジョブズ以外の誰でもなく、先ほどの統合といった思惑を知れば知るほど、彼のプレゼンを真似ればビジネスが成功し一流の経営者になれるというわけでは決してないように思うんですよ(笑)。

高木  そうですね。はい。

松田  そうなりますと、どうなんでしょうか。我々はジョブズから学べることはあるんでしょうか。

高木  「魂の入った製品作り」これを我々日本人は忘れていませんか、ということを言いたいですね。

松田  はい。

高木  機械は機械なんだけども、完成度の高さを追求するということだと思うのです。「機械なのだから、機械のままでいい」という妥協を、ジョブズはしなかったわけです。

松田  う〜ん。

高木  で、つまりより完成度の高い製品を作るということが、「魂が入った製品作り」ということなのですが、それを実現するためには、最高のテクノロジーと最高のリベラル・アーツの交差点にいないとできない。

松田  例えば、そのAppleがここまで成功し、ソニーが一時代前の輝き・勢いを完全に失っている。で、禅の精神や職人気質を尊ぶといったDNAは現在の我々の中にも脈々と存在する…持ってるはずだと思っているのですが、ソニーや他の大会社もそうした点が重要だということに気がつかないはずはないとも思うんですよ。頭がよい方達が沢山いらっしゃるはずですから…。

高木  ジョブズが着ているあの黒いタートルネックは、三宅一生の作ったものなわけですが、そこには深い意味があったんですね。ジョブズがソニーの盛田さんに「なぜ社員はみんな制服を着てるんですか」と聞いたときに、盛田さんが恥ずかしそうに、「戦後まもないころは、会社が服を用意しなければならなかった」と答えたのだそうなんですね。戦後の焼け野原で何もない時代に、皆で力を合わせてソニーという会社を作っていった。

松田  はい。

高木  で、そのときに制服は「協調」、つまり「コラボレーション」のシンボルだったんですね。

松田  確かに制服というのは本来企業でなく学校でも良い意味で共同体の絆を強くするシンボルですよね。

高木  そうですね。ジョブズは、ずっと盛田さんのことを尊敬していたし、盛田さんが亡くなったときに、プレゼンテーションの中で追悼もしてますよね。

松田  はい。

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※1999年Apple Special EventのKeynote冒頭でソニーの盛田昭夫氏を追悼するスティーブ・ジョブズ


高木  井深さん、盛田さんのソニーと、今のソニーは違ってきてしまっているわけです。なぜ、ソニーがダメになっていったか。Appleでは、部門間の採算というのはなく、全社的に利益を出すという形でコラボレーションしないとその部門長は首になるというのです。ところが、日本の大企業では、部門間の足の引っ張り合いが当たり前のように行なわれているじゃないですか。

松田  はい。

高木  と、すごく当たり前のことなわけですが、部門間で足の引っ張り合いをしていて成功するわけはないですよね。

松田  私自身会社をやっているときにそうした経験をしたことがありまして…。キヤノンのまったく別の部門から…確かスキャナ関係の企画だったと記憶してますが同じような製品開発を進めていて、そのMacintosh用のアプリケーションを作って欲しいという依頼が別々に来たことがありました。キヤノンの親しい方に差し支えのない範囲でその旨をお伝えしたのですが、その方いわく自分たちの会社は多くの部門を抱えているが、各部門は他の部門の先を越そうと努力しているもののコラボレーションはほとんどしていないと。だから他の部門が何をやっているのかという情報は得られず、自分たちはこの状態を「縄のれん状態」と呼んで戒めているがなかなか巧くいかないと…。
縄のれんの下がっている紐の一本一本が部門だとして、通常はそれぞれ触れ合うことがない…。ただし誰かが縄のれんをくぐって手を触れると紐と紐が触れ合い部門間の情報が交差することがあるんですよと。うまいことをいうなあとその時は笑いましたが、これは大企業ほど切実な問題のようです。そこまで理解しているのに組織としてはうまくいかない…。

高木  ですから組織論なんですよ。ジョブズから学ぶべき事はね。組織はどうあるべきか…。

松田  なるほどね。

高木  ジョブズはAppleという会社を作って、ベンチャーから大きくなったわけですから…当初内部はめちゃくちゃだったんでしょう。そんな中にヒューレットパッカードなどから優秀な…MBAを持った人材が来たわけじゃあないですか。それでなおぐちゃぐちゃになったという経験をしています。

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※Apple本社エントランス。2000年に松田が撮影。まだ6色Appleロゴが輝いていた


松田  Lisaプロジェクトのリーダーだったジョン・カウチなんかも本来は優秀な人材だったわけです。

高木  そう。その中でジョブズが学んだのは、学歴とか大企業にいたという経験ではないんだと。それよりもパイレーツですよ。海軍ではなく海賊になろうですよ。

松田  うん。

高木  パイレーツが少人数でしかも自分たちの能力を超えたものを作るという組織が事を成すんだと。それを実際にやったわけじゃあないですか。ジェフ・ラスキンなんかは「あいつは盗んだ」とか言ってますが、ラスキンの弟子のビル・アトキンソンはそんなことはないと言ってますよね。つまりジョブズがいなかったらあのチームはまとまらなかった。

松田  そうですね。あのMacintoshも生まれなかったと。

高木  ですから、そのチームをまとめる…で例えば…合宿をしますよね。合宿をして、例えば、ホテルのプールで女の子が素っ裸で泳いでいるというシーンがあるんですよ。ですからメチャクチャなわけですよね。でもそれは解放の部分であってミーティングはもの凄く、スタンフォード出の優秀な連中にフリーディスカッションを仕切らせるわけです。そのディスカッションは、どの部門であるかにかかわらず、徹底的に問題の洗い出しをするのですね。

松田  はい。

高木  それをまとめていく…。でそれで製品を作っていくわけですね。で、こういう…なんて言うんですかね、垣根を越えたチームワーク、それをひとつにまとめていくリーダーがいるわけですね。つまりリーダーシップのもとでディスカッションさせ、最終的にはリーダー達が決めていくと。そういうチームワークといったものがなければMacintoshは出来なかったわけですね。たぶんLisaの場合もApple IIIの場合も、僕の書いた委員会方式というのがあるんですよ。

松田  委員会?

高木  委員会って何か聞こえはいいじゃあないですか。委員が皆出てね、ご意見を言ってね…。しかしろくなものはできませんよ。

松田  ふふふっ(笑)。

高木  ねぇ。で、その委員会方式で国も運営されているし、あらゆる企業もその形で運営されている…。で、ろくでもないものを作っているではないですか。これはものに対してのアンチテーゼなんですね。で、このチームワークの合宿の原点というのはジョブズにとってコミューンだと思うんですよ。ヒッピーの…。

松田  はい。

高木  ヒッピーの…あの反体制の連中が理想に燃えてコミューンを作っていくというところから彼は学習していて、それをビジネスに応用したのが3回くらいやったチーム合宿なんだと…。そのチーム合宿の中でMacintoshは完成していくわけですよね。そう考えると僕はそこにビジネスに対してひとつのヒントがあると。なんて言うんですかね、まさに委員会方式といった体裁だけ形式だけの民主主義みたいなのはダメだと…。

松田  …。

高木  ということですね。それで歴史は面白くて共和主義と帝国制というのが繰り返すんですよ。まあ、皆の意見を取り入れますと民主主義をやるんだけど、どうにも機能しなくなって戦争が始まったりすると強い独裁的なリーダーが望まれるわけですね。これはAppleだけの問題ではなく、我々人間というものが組織を作って…どう理想的な組織を作るのかという問題で、その時にジョブズという存在はひとつの理想をみせたな…と。で、要するにそのプロのスポーツチームのチームプレーというのはそういったものですよね。

松田  はい。

高木  それぞれが凄い能力を持っているけれども、コラボレーションしなかったら勝てない。というような、ある目標に向かって最高の結果を出すために全体がコラボレーションする仕組み…というのはMacintosh開発の中で行われたことだし、Appleという会社の中でも行われてきたことだと思うんですね。それを…ひとつの学ぶべき事、つまり何故我々はスポーツを見て感動するのか。民主主義的な手続きを踏んでなんていっているスポーツなんて面白くないですよね(笑)。

松田  勝つにはどうしたらよいかがポイントですからね。

高木  そうそう、そこに感動が生まれるわけじゃあないですか。ということはそこにひとつの理想があるのではないかと思うんですね。チームのあり方、組織のあり方に対して彼が我々に対して突きつけたひとつの命題ではないかと思うんです。つまり、ソニーがダメになっているのは、その縄のれんだからで、日本の企業は全部縄のれんなわけですよね。マネジメントがダメなわけです。オリンパスや大王製紙は氷山の一角にすぎません。

松田  そうですね。

高木  旧来からの、実は江戸時代からの話しなんですけど…江戸時代というのはですね、変化してはいけないわけですね。

松田  体制側は変化を望まないわけですね。

高木  はい。そのためになにをやったかというと、まさに合議制なんですよ。あらゆる役職に2人ずつつけて合議しなければ進まないようにしたから全部進まないんですよ。それは止めるための仕組みですよね。

松田  はい…。

高木  そのシステムというのがいまだに生きていると思うんですね。つまり誰も責任を取らずに言うことだけ言ってね、言いっ放し…といったようなことが許されてしまう仕組みに問題がある。

松田  なるほど。

高木  今、日本が直面している問題は、きちんと目標に向かって強いチームを作ってチームワークで結果を出していくという組織に変わらない限り、この国はもう危ないぞという状況にあるわけです。そういうところをジョブズに学ばなければいけませんよね。

松田  そのためには、ジョブズの真似というのは語弊がありますけど、チームをまとめるかなり優秀な監督が不可欠ですよね。

高木  ええ…。

松田  それは、そうしたことは我々にもできるものでしょうか。

高木  できると思います。というのは、まず思ったのは大松監督だなと…。

松田  鬼ですか(笑)。

高木  (笑)。鬼の大松監督です。だけど、なでしこジャパンの佐々木則夫監督でもいいわけですよ要は、どういうスタイルであれ、チームをまとめ引っ張っていくリーダーが必要で、そうした人材は日本にもたくさんいると思います。

松田  う〜ん。別にワンパターンである必要は無いと…。

高木  いろいろなパターンがあってよいし、大松監督ばっかりでなくてもいい。

松田  全部がジョブズである必要は無いと…。方法はいろいろあると。

高木  そうです。要するに有機的な連携ということです。有機的な連携を実現している世界か、無機的な連携していない世界かいうことなのです。有機的な連携が出来るチーム作りをできるリーダーが必要なのです。で歴史が示しているのは、そうしたリーダーがいないのではなく、いるのだけど選ばれないということが問題なのです。

松田  ええ。

高木  それは何かというと、まあ我々がいうのもなんなのですが、老害なわけです(笑)。社会のシステムが固まっているときには、優秀なリーダーはなかなか出てこない。それが、戦国時代とか明治維新とか、戦後の焼け野原とかという時期には、出てくるんですね。

松田  ええ…。

高木  いるし、いるんだけど潰されている…今はね。そのリーダーとなるべき人間を見つけ出し、リーダーと担いで組織を作り直すというように切り替わればですね、日本も切り替われると思います。

松田  この閉塞感の中でそろそろ新しい形の…幕末のリーダーみたいな人たちが出てくる時代になってきたんですかね。

高木  そう思いますね。

松田  ジョブズがこれだけ求められるというのはやはり意識的、潜在的に彼のようなリーダーが必要だと…。

高木  そうですよね。なぜいま世界中でジョブズがね、これだけ読まれているかといえばまさに待望論ですよね。

松田  待望論ね…。

高木  で、500年前にも同じ事が起きているんですね。まず、印刷技術革命という情報技術革命があって、それが宗教革命、産業革命、市民革命へつながっていくという歴史を我々は体験している…。情報革命がなぜそれだけのことを起こすかというと、社会組織は情報交換で成り立っているからです。組織の中でまず情報の仕組みが変わるというのが重要ですよね。そうするとそれに基づいた新しいチーム作りができるようになんるんですけども、そのとき我々が体験したのは…流血の歴史ですよね。

松田  う〜ん...はい。

高木  フランス革命もそうですし、第一世界大戦、第二次世界大戦を経て、現代の地域紛争にも繋がっている。こうした流血の歴史を経なければ、我々は変化してこれなかった。ジャスミン革命というのは、IT革命の次にきた宗教革命ですよね。

松田  ほんとですね。

高木  意識が変わればこれだけ変わるということなんですね。で、但しこの後出てくるのはイスラム革命なんですよね。フランス革命のとき、自由、平等、博愛を掲げる革命軍は、スペインに行って残虐行為を行なった。それをゴヤが描いたわけですよね。

松田  確かにねぇ…。

高木  我々は今、IT革命の中を生きている。IT革命はよく「大航海」にたとえられるのですが、その中でどういう方向に行けばいいか、それを示す「羅針盤」がジョブズであると思うのです。我々はいま、どこへ向かうべきか方向を見失い、漂っていますよね。そうしたときに、ジョブズに立ち返って考えることが、とても重要なことではないかと。

松田  なるほど。…よい〆になってきましたね。

高木  はい(笑)。

松田  で、ご質問としては最後になりますがこのインタビューは勿論「ジョブズ伝説」という本をより多くの方々によんでいただくきっかけづくりなわけですが、最後に著者からお勧めの言葉でも…いただければと。売り言葉を(笑)。

高木  ジョブズがやったこと、Appleが成し遂げたことというのは、日本の思想や文化なりに触発されて出したものだということを、ぜひ認識して欲しいと思うわけです。

松田  そうするとまあ、うがった見方になりますけど我々の自信回復にも繋がるという気がしますよね。

高木  「ジョブズ伝説」を読んで、我々日本人の原点に立ち返ってほしい、元気なってもらいたいということを言いたいです。そして、その中のキーワードは「魂が入った製品作り」というものです。

松田  なるほど。

高木  それから、「魂の入った組織作り」ですね。

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※Face Timeで会話中の高木利弘さん。「魂の入った製品」「魂の入った組織作り」を熱く語る


松田  はい。

高木  何故、今、日本の製品が売れないのか、それは、「魂が入った製品作り」を忘れてしまったからです。何故、今、日本の組織はダメになっているのか、それは「魂が入った組織作り」を忘れてしまったからです。非常に説明するのは簡単です。しかし、この問題を解決するには、まさにもの凄い高度なテクノロジーともの凄い高度なリベラル・アーツを融合させることが必要なわけです。職人芸、職人魂というのは、そう簡単に会得できるものではありません。でも、その原点が遠いところにあるのではなく、我々の歴史の中にあるということを知ることが大切ですね。

松田  我々のDNAに刻まれていると。

高木  そうなんですよ。で、ジョブズが凄いなあと思うのは、フェイスブックのザッカーバーグや、あれだけ敵視していたグーグルであっても、ラリー・ページが訪ねて来たり、あるいは、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグが訪ねてくると、親身になってアドバイスをしていますよね。

松田  はい。

高木  で、そういう意味で言うと、日本でも、世界を変えたいというような志を持っている若い連中がいたら、どんどんアドバイスをし、彼らが活躍できる場を提供する仕組みを作ればいいのです。そうすれば、きっと日本は元気になると思います。

松田  …。

高木  世界的に見てこんな恵まれている国はないと思います。優秀な人材はたくさんいるのです。問題は、それをどう組織化するかだけなのですから。

松田  ええ。

高木  ジョブズは「世界を変える」と言い続けて、本当に世界を変えてしまいました。

松田  はい。

高木  理想的な方向に変えたいという願いを強く持って実現するということが大事なんですね。そして、そのために皆が力を合わせることが。結構いまのインターネットって、方向感を見失っていますよね。若者は職がない。経済危機も起きている。これは、旧来の仕組みとが制度疲労を起こしているということだけでなく、インターネットが職を奪っているという側面もあります。

松田  確かにね。

高木  インターネットが普及したから、本屋の店員さんが職を失うということもあるわけです。情報化というのは、従来の職業を無にしてしまうところがある。一方、新しい職業が生まれる種もそこにあるわけです。

松田  そうですね。先に例としておっしゃったグーテンベルグの登場にしてもまさにそういうことですよね。

高木  そうです。

松田  印刷というテクノロジーが登場したおかけでそれまで本を筆記していた職業がいらなってしまったわけですし、それは近年のDTPにしても同じですね。

高木  新しいIT技術が、従来の職業を全部リセットして、新しい職業を作る段階でなわけですが、それを速やかに良い方向へ向けて進めないと、悲惨な事態が待っているわけです。強制的に、理不尽なやり方で行なうということになりかねない。

松田  はい、はい。

高木  オープンといえば聞こえがいいけど、オープンというのは実は無責任につながるんですよ。実際、アンドロイドでそうした問題が起きていますよね。

松田  うん。

高木  ウィルスに感染したり、詐欺にあったりとか。大谷和利さんは、中世の城塞都市に住むのがいいか、荒野の無法地帯に住むのがいいかといった例え方をしています(笑)。

松田  (笑)。

高木  何でも知っていて自分でできるという人にはいいですが、普通の人にとって荒野は、危険なだけです。

松田  (荒野に)解き放されたってねぇ、何ができるかってことですね。

高木  いまのインターネットもそういう状態だと思います。皆解き放たれて、失落する自由しかない。

松田  なるほどね。

高木  あなたは、機械のように使い捨てにされてもいいですか、それともちゃんと人間らしく扱ってもらいたいですか、ということにつながっていくと思います。

松田  はい、そうですね…。ありがとうございました。高木さんがお書きになった「ジョブズ伝説」は我々が直面している問題をあらためて直視していかにしたら製品や組織というものに魂を吹き込むことができるか、日本の社会を良くしていくことができるかということを再考するきっかけになると思います。

(完)

ラテ飼育格闘日記(261)

アトピーを除けばラテは元気である。あの夏場、まったく動こうともしなかったワンコとこれが同じワンコかと思うほどよく歩くし時には走る。朝夕の散歩も一通りのメニューを終えて自宅に近づく頃になると、もう少し歩きたいというのだろうか家の方向とは別の方向にリードを引いたりするようになった。                                                                                                                       
この12月でラテと生活して丸5年になる。その間、文字通りいろいろなことがあったがラテの様子も年齢に応じて随分と変化しているように思う。
我が家に来た直後の幼犬時には人間に対しては勿論だが他のワンコに対しても服従を示すためか、伏せた状態でにじり寄り、時にはお腹を出していた。したがってすれ違う他のワンコとガウガウやることはほとんどなかったが一歳を過ぎると次第に好き嫌いを態度で表すようになってきた。

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※紅葉が目立ってきた散歩道をラテと歩く


一歳程度のときには相手のワンコが生後数ヶ月の幼犬だと遊ぶ遊ばないというのは別にしても相手が何をしても怒らなかったし身体に乗ったりしてもそのままにさせていた。もともとラテは同性の雌ワンコとは相性が悪かったが、それでも一歳程度まではどんなワンコとも喧嘩らしい喧嘩はしなかったが気がつくとかけずり回る友達ワンコは一匹を別にすれば皆雄のワンコになっていた。いまでも…無論相手によるものの雌のワンコは目の敵にする(笑)。

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※ちょっと疲れたかな?


この違いは極端だ。とにかく公園デビューした時期にはある意味、一緒に遊んでもらった雌のワンコに対してある時期から猛烈に反発するようになったし、それはいまだに変わらない。
しかしその一歳くらいまでに身体をぶつけ合い、一緒に走り回った雄のワンコたちに対してはお互い昔のようにはいかないものの、いまだに安心して鼻面を合わせて遊ばせることができる。ただし物事には例外が必ずある…。

ラテの好みのパターンとして一般的に小型犬は苦手のようだが、前記したように幼犬時代に遊び回ったビーグル犬のハリーちゃんとはいまだに仲がよい。ただトイプードルなどには威嚇するラテだが、一匹だけ初対面の時からラテが「クウン…」と鼻を鳴らして近づくワンコがいたりして、雄雌の別はともかく何が好き嫌いの要因なのかはさっぱり分からなくなったオトーサンなのである。
それでも最近は二三の特例を除けば、多少温和になったようで(笑)これまで顔を合わせると唸っていたワンコに対しても無視するだけで通り過ぎたりするようになってきた。

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※相変わらずビーグル犬、ハリーちゃんのお母さんの膝に乗り甘えるラテ


人間に対してもラテの好き嫌いの激しさは時に困るほどだ。理由がまったく分からないが、朝に出会うことの多い男性にはどうやら本気で唸る…。その姿が見えたり、臭いが残っていたりするとすぐに反応する。
そもそも朝の散歩に出かける際にタイミングよく…いや、タイミング悪くその人は表れることが多いのだ。どうやら運動ならびに散歩のつもりらしく近所を一回りし、公園でストレッチ、小学校の裏門で柔軟体操といったことをラテとしては異様に映ったのかも知れない。しかしまたこれまで駅のコンコースで「ラテ、ラテ」と呼びかけてくれた女性にラテはずっと吠え続け、やっとお手をするとなったら可笑しなほど腰が引けたお手をしていたが、ここに来てその人が見えると駆けだして近づくようになった。やはりいろいろと変化...というより成長しているのだろう。

オトーサン的には高齢になった場合はともかく、ワンコというのは幼犬時代に手間がかかるが成犬になれば手がかからなくなるといったイメージを持っていた。
幼犬時はまず躾けをきちんとしなければならない。だからオトーサンもマズルコントロールもやったし、時には手加減しながらも掌でラテの横っ面を殴ったりもした。
甘噛みで家の中の木製のものが囓られるだけでなく、スリッパや靴べら、ペットボトルまでポロポロにするラテだったからオトーサンの手は生傷が絶えなかった。無論手がかかるというのはオトーサンもワンコを飼うのは初めてで要領がわからずあたふたとすることが多かったこともあるが、成犬になればこちらも慣れるわけだしラテも状況を覚えるわけだからそんなに手間はかからないだろうと考えていた。

しかし一日二回の散歩ひとつを取ってみてもラテは段々と学習能力を高めているのか、いつものコース、いつもの歩き方では満足しなくなり新しい変化を欲しがるようになった。逆にオトーサンは毎年確実に年齢を重ねるわけで体力が落ちていくことを実感しているので、ラテの興味を満足させてやるのはなかなか大変なのである。
それだけでなくアトピーになったことにも関係するが、2度の食事もドッグフードだけ与えていれば済むわけではなく野菜のトッピングを増やしたり、市販の缶詰などは止めて人間用の肉をフライパンで炙って乗せるようにしたから意外と手間がかかるのだ。正直「こんなはずではなかった…」といった感じだが、ラテの寝顔や笑顔を見ればやはり可愛くて頑張ってしまう(笑)。

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※こうした場所でも大人しく待てるようになりました...


可愛いといえば、最近ラテが身体を掻き始めたときに止める役目でオトーサンは夜ラテの横に寝ている。ラテが大きく身体を揺すったりして強く身体を掻き始めるとオトーサンはストップをかける…。ラテも辛いのだろう、時にオトーサンが止めようとして出した手に「ウッ!」と威嚇することがあるが無論噛んだり傷を付けたりすることはないから唸られた程度でオトーサンも制止を止めない。ラテは仕方なくまた頭を低くして寝始めるがそんなことを2度3度としなければならない時にはさすがにオトーサンも睡眠不足になるし辛い…。
しかし身体を掻くのではなく時々夢を見て泣いているのに気づきオトーサンは目を覚ましてしまうこともある。気がつくと「クイ~ン、ウンウン」と悲しそうな声を出して後ろ足を突っ張ったりしている。明らかに悲しい夢、あるいは怖い夢を見ているようなのでオトーサンは「ラテ、どうした?」と顔を撫でながら起こしてやる。

時にラテはきょとんといった顔をし、大きなアクビをしてまた寝入るわけだが、考えてみるにラテが見る悲しい夢、怖い夢って何だろうか…。もしかしたらオトーサンに強く叱られている夢でも見ているのかも知れないと思うと、ラテは目が覚めたらまたまたそこに問題のオトーサンが現実にいるわけで、少々気の毒に思えて苦笑してしまった。

「ジョブズ伝説」著者、高木利弘氏独占インタビュー(前編)

新刊「ジョブズ伝説」の筆者であるメディアプロデューサーでMACLIFE誌編集長だった高木利弘さんへの独占インタービューを2回にわけてお届けする。本インタビューはこの11月27日(日曜日)に FaceTime を使って行われたものだが、高木さんのお話しはスティーブ・ジョブズ論に留まらず、低迷・迷走する日本企業への熱い応援歌にもなっている...。
                                                     

松田  今日はよろしくお願いします。10ほどご質問したい項目を用意させていただきましたので宜しくお願いします。

高木  こちらこそ。

松田  早速ですが、前書の「ムック「The History of Jobs & Apple」も好評だと伺っていますが、ムックを出されてあまり間隔がなく今度の新刊「ジョブズ伝説」を出されたのでさぞやスケジュール的にきついお仕事だったのではと拝察してましたが、本書執筆のきっかけ、動機はどのようなことだったのでしょうか?

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※高木利弘著の新刊「ジョブズ伝説」(三五館刊)


高木   はい。ムック「The History of Jobs & Apple」はジョブズがCEOを辞任する直前、一週間前に出版することができました。実は、もっと早く出す予定だったのですが、3月11日に東日本大震災が起きたことで発刊が遅れ、8月に出すことになったのです。偶然に違いないのですが、何か運命的なものを感じます。

松田  あっ、そうなんですか。

高木   8月19日に発刊して、8月25日にその慰労会をやろうということになっていたのです。その慰労会当日に、ジョブズCEO辞任のニュースが飛び込んで来たのです。ショックですよね…。

松田  はい。

高木   間に合って良かったと思う反面、いよいよその時が来たと思いました。そして、自分なりのジョブズ論を書きたいという気持ちが沸いてきたのです。「The History of Jobs & Apple」は、できるだけ忠実にジョブズとアップルの歴史を記録するといった目的で作ったものです。文章も、私が書いたのは、冒頭の「世界を変えた波瀾万丈の物語」と、あといくつかのコラムだけで、あとは松田さんにも書いていただきましたし、大谷和利さん、松木英一さんなどに書いていただきました。どちらかというと、「MACLIFE」のときと同じように、私は編集者という立場で作ったのですね。でも、いよいよジョブズの死が時間の問題であると分かったら、ジョブズの歴史的貢献とは何であったのか、私なりの考えをきちんとまとめて、皆さんにお伝えしたい。そういう気持ちが強くなったのです。
アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』は、もともと2012年春に刊行予定だったのですね。それが2011年11月に早まりました。これは何かある、ジョブズの健康状態が相当悪化しているのだろうと思いました。

松田  2度ですか、前倒しになりましたね。

高木   はい。結果的にそうなりました。もともと11月21日に発刊予定だったのですが、ジョブズが10月5日に亡くなって、[1]が10月24日、[2]が11月1日に早まったのです。

松田  はい。

高木  実は『ジョブズ伝説』は、このアイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』刊行に合わせようと、11月21日に刊行したのです。

松田  なるほど。

高木   それが、先方が早まってしまって、同時刊行はならなかったのですが、結果的にそれがプラスとなりました。おかげで、『スティーブ・ジョブズ』を校了まぎわに読むことができたのです。

松田  読めたと…。

高木   読めたんです。これにも運命的なものを感じます。もし、同時刊行していたとしたら、『スティーブ・ジョブズ』でジョブズが語っていることを、『ジョブズ伝説』に盛り込むことはできませんでした。それを盛り込むことができたわけです。私は、『ジョブズ伝説』を書くために20冊くらいのジョブズ関連本を読み、何が真実か、事実経過はどうなっているかを考察しました。しかし、ジョブズ本人の語っていることは、『スティーブ・ジョブズ』が出るまで分かりませんから、結果的に、それも含めて全部に目を通し、批評することができたのです。とはいえ、大変でしたけれどもね。発刊された日に、付箋を付けながら一日で全部読みました。そして翌日、付箋を付けた中から特に重要と思われる箇所を『ジョブズ伝説』に引用し、本文を修正しました。[1]、[2]それぞれについてです。大変な作業でしたが、やれてよかったと本当に思います。

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※「ジョブズ伝説」著者、高木利弘さん(書斎にて)


松田   当サイトにも「ジョブズ伝説の」簡単な書評を書かせていただきましたが、結果として「ジョブズ伝説」としてはタイミングとして良かったということですよね。アイザックソン著の「スティーブ・ジョブズ」を含めて必要な資料を全部総括して、高木さんなりの良いとこ取りができたわけで(笑)。で、本書を手にとっていただければ昨今の「ジョブズって誰、どんなことをした人なの?」という疑問に答えてくれるわけですよね。
ですから「ジョブズ伝説は」現時点でのジョブズ像の全体を描けているんではないかと…。

高木  ありがとうございます。私もそう受け取っていただけるとすごく嬉しくて…

松田   ジョブズの話題も…私のサイトも含め、インターネットではご承知のように膨大な情報が飛び交ってますけど、やっぱりどうしても一過性で後々まとめて読んだり残したりが難しいですから、書籍という形で残すというのは重要ですよね。

高木  まあ、何だかんだといいながら、紙だなと…(笑)

松田   本書執筆の動機と重なるのかも知れませんが、高木さんにとってのスティーブ・ジョブズという人物はどのような対象なんでしょうかねぇ。

高木   (苦笑)そうですね。私は1986年に、当時日本で最初にパソコン通信を始めた「PCワールド」編集長の魚岸さんという人にインタビューをしたのですね。普通に取材をしただけなのです。そうしたら、その魚岸さんから電話がかかってきて、「これからMacintoshというパーソナルコンピュータが正式に日本語化され、発売される。ついては、「Macワールド日本語版」の編集長を探していた。その編集長は君しかいない」というくどかれ方をしたのです。Macintoshのことは何かのコンピュータ・フェアで見て知っていましたが、じっくり触ってみたのはそのときが初めてでした。そして、運命的な出会いを感じたのですね。「自分が探していたのはこれだ」と。

松田  はい。

高木   私は、ジョブズより前にまずMacintoshに出会っていたわけです。クパチーノに行ったときも、出迎えてくれたのはジョン・スカリーですから、ジョブズは、ある意味で過去の人というか、今はNeXTをやっている人という位置づけだったですけど。ただ何故、自分がMacintoshに惹かれるのか、何故、Macintoshには愛着が沸くのか、そして、どうしてこんなに凄いことができるのか、といったことをずうっと考えていたわけですね。ところが、1994年ころには、アップルの経営状態が悪くなり、この先どうなるんだという感じになりました。そのころ、たまさか1987年に「MACLIFE」を創刊したとき、創刊号でインタビューをしたジェームズ比嘉がNeXTジャパンの社長になっていることを知りました。そこで、ダメもとでジェームズ比嘉に会いにゆき、ジョブズにインタビューをしたいと申し込みました。ジョブズは、マスコミ嫌いで有名でしたし、まして、自分を追い出したアップルに味方するMacintosh専門誌のインタビューなど応じるはずがないというように思われていた時期です。でも、 OKが出たのですね。そこで私は、当時レッドウッドシティにあったNeXT本社に行って、ジョブズにインタビューをしたのです。阿吽の呼吸というか、当時のジョブズにも、アップルに復帰したいという思いがあったのでしょうね。

松田  ふーむ。

高木   そういうことも含めて、ジョブズというのは私の人生を変えた人であり、私の人生そのものなわけです。まあ松田さんもそうかも知れませんが...。

松田   確かに(笑)。だけど、ジョブズへのインタビューの話しも以前ちらとお聞きしたはずですが、インタビュー自体ジョブズは相変わらずの不機嫌な対応の仕方だったと…ほのぼとしたインタビューではなかったと。

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※Macテクノロジー研究所主宰 松田純一 (書斎にて)


高木   そうですねぇ。いきなりカメラのシャッター音が五月蠅いと始まりまして…。いゃあ、本物だ…と(笑)。ただここで怖じ気づいたら負けだと、インタビューはなし、ということになりかねませんから、堂々と、用意していた質問をぶつけました。おかげさまで、こいつはよくNeXTのことをよく分かっていると評価してくれたんでしょう。これがもし、ジョブズの嫌いな、どうでもいい質問だったら大変です。『スティーブ・ジョブズ』にも、そうしたエピソードが載っていますよね。

松田  はい。

高木   ま、ということですごく話しには乗ってくれました。ただ、今から思うと、残念なのは一緒に記念写真が撮れなかったことですね(笑)。もうカメラはダメという雰囲気でしたから。

松田  ツーショットを撮りたいですよね。

高木   そうそう(笑)。本当は撮りたかったんですが…。後に広報の人に「これでも、最近は家族ができて、昔と比べれば穏やかになった」と言われました。

松田  丸くなったんだと(笑)

高木   そう。では昔はどんなに凄かったんだろうと(笑)…思いましたけどね。ですから、もしジョブズが自分の上司だったりしたら、大変だったでしょうね。ただ、彼は大変な情熱を持って自分のビジョンを実現しようとしているのは伝わってきましたね。そして、その時点ではわからなかったですけどNeXT StepがAppleを救うわけですよね。

松田  はい。

高木   ジョブズは、コンピュータという20世紀最大の発明を、すべての人々にもたらしました。それがMacintoshであり、iPhone、iPadなわけです。iPadは、2歳の子供から100歳のお年寄りまで、本当の意味で「誰でも使えるコンピュータ」ですよね。それが、まず偉大だと思います。もしジョブズがいなかったらどんなに寂しい世界だったかと(笑)。

松田  確かに(笑)。

高木   IBM-PCとかWindowsマシンというのは、単なる「機械」なのですね。それが100%支配している世界というのは嫌ですよね(苦笑)。

松田   ジョブズはすでに伝説の人なわけですが、まさしく私も高木さんもそうですが、僭越ながらジョブズと同じ業界の中で時折接点を持ちながらも同じ時代を一緒に過ごせてきたという事実は凄いことですよね。

高木   まあ、ですからそれは凄くラッキーだと思いますよ。そのまさに革命ですよね、その目撃者になれたというか、少しなりともその革命に関われたということはなにものにも代え難いものですね。

松田   そういうジョブズに対する大きな思いが本書の動機付けにもなるのでしょうが、繰り返しますが高木さんが「ジョブズ伝説」という一冊に込めた思いとは何でしょうか。

高木   Macintoshをはじめ、アップル製品には非常に大きな魅力がありますよね。見た目にも美しいし、使い始めると、愛着が沸いてきて、手放せなくなる。

松田  はい。

高木   で、それは何故かということが分かったのです。要するにジョブズは、コンピュータという「機械」に「命を吹き込んだ」ということなのです。「魂の入った製品」、そこに魅力があるわけです。Windowsにはそれが無いわけですよ。単なる「機械」に過ぎない。

松田  はい。

高木   そして、このコンピュータは単なる「機械」に過ぎないという考え方が圧倒的多数なわけです。コンピュータは「道具」に過ぎない。だから、別にコンピュータと会話をしたいとは思わないし、ただ単に仕事の効率が上がればいい。そうした考え方が圧倒的多数なんですね。しかし、ジョブズは違った。コンピュータに命を吹き込もうとしたわけです。ただ、Macintoshがそうでしたが、常にマイナーであり、いつ消滅してもおかしくなかったですよね。

松田  我々がMacintoshに関わった頃は、なぜこんなに高価でオモチャみたいなものを好むのかと随分言われましたものね…

高木  ですから一部では宗教と言われたり、これは仕事には使えませんよと。ずっと言われてきましたよね。

松田  そうでした…。

高木   マイナーな存在であり、一部の熱狂的なファンがいるものの、主流はWindowsである。と、そうなっちゃいましたよね。とりわけ、Windows 95以降は。で、それで終わってもおかしくなかったわけですが、そうはならなかった。ジョブズの人生というのは、本当にドラマチックですよね。「小説よりも奇なり」という言葉がぴったりです。

松田  まさに(笑)。

高木   ジョブズは、Appleに戻って、製品に命を吹き込むことで、Apple を立て直していった。でも、こうした「魂の入った製品作り」というのは、我々日本人の伝統でもあるわけです。

松田  そのはずだと思うんですがね(笑)。

高木   そうです。それが過去形になってしまうところに問題があるわけですが、日本人というのは、「やおよろずの神」といって、あらゆるものに神が宿っているという感覚を持っていますよね。魂を感じるわけです。魂というのは、英語でいうと「アニマ」です。「アニメ」の語源ですね。何故、日本でマンガ、アニメの文化が花開いたかというと、その背景に「やおよろずの神」があるわけです。製品に魂を込めるといった「ものづくりの伝統」も、そこから生まれました。そして、もうひとつ、禅ですね。あらゆる前提をとっぱらって、ものごとを根本から考えるということ。ジョブズは、こうした日本の「ものづくりの伝統」や禅の精神を、心から尊敬していました。そして、それがジョブズの創造力の源だったのです。ジョブズが日本の美学や禅の精神に学び、我々日本人がそれを忘れてしまっている。何故、最近の日本製品に魅力がないかというと、魂が入っていないからなのです。非常にシンプルなことです。ジョブズは、「トイ・ストーリー」をはじめとするフルCGアニメ映画の傑作を世に送り出したわけですけれども、これもまた象徴的なことなのですね。というのも、ジョブズの人生そのものが、「トイ・ストーリー」だからなのです。

松田  トイ・ストーリー?

高木  そうです。ジョブズは、生まれてすぐ養子に出されます。本当の親に捨てられたわけです。まるでオモチャのように。

松田  うーん…。

高木  養子に出されるというのは、そういうことですよね。

松田  お前はいらない子供だよ…と。

高木   ジョブズは、「自分は捨てられ、拾われた。自分は無価値な存在だ」と、ずうっと思い悩むわけです。何故そこまで思い悩んだのか、その理由が『スティーブ・ジョブズ』を読んでよく分かりました。ジョブズを養子にした育ての親、ジョブズ夫妻はとてもいい人たちだったのですが、常に正直な人たちで、ジョブズが幼少のときから、本当のことを伝えていたのです。普通は隠しますよね。ものごころがつくまで。

松田  オープンだったようですね。

高木   そうなのです。でも不思議なのは、実の両親というのは、ふたりともアメリカ東部にあるウィスコンシン大学の大学院生だったわけです。ですから、子どもを養子に出さずに自分たちで育てていたら、ジョブズはジョブズにならなかった。

松田  うん。

高木   それが、実の父親がシリア人の留学生で、イスラム教徒。実の母親がアメリカ人で、厳格なカトリック教徒の家庭に育ったために、イスラム教徒との結婚を許されなかった。そこで、泣く泣く養子に出すことになったのですが、そうした斡旋をしてくれる医者が東部にはいなかったんでしょうね。そこで、母親はサンフランシスコの医者を訪ねて、西海岸に飛ぶわけです。

松田  …。

高木  なんとなくわかりますよね、西海岸の方が、古いしきたりから自由で、オープンだったということなんでしょうね。

松田  一方で堕胎は当時許されなかった…。

高木  そうです。

松田  ですから選択肢としては生んで養子に出すしかなかったということでしょうね。

高木   当時はまだ避妊薬を使うというのは一般的ではなかったのですが、もし、避妊薬があれば、彼は生まれてこなかった子供だと思うんですよ。

松田  はい。

高木   で、最初は両親ともきちんと大学を出た弁護士夫妻のもとにいくはずだった。ところが、ジョブズが生まれてみると、突然「欲しいのは女の子だ」と言って、断るんですね。そこで、生みの母は焦るわけです。次に電話したのがジョブズ夫妻で、ろくろく確認もせず、「もらっていただけますか」「お願いします」ということになった。ところが、ジョブズ夫妻は大学を出ておらず、母親は高卒、父親は中卒で、いわゆるブルーカラーの人たちだった。そこで、いったん生みの母は、書類にサインするのを拒絶するのですね。

松田  子供を大学に学ばさせるという確約を取って養子縁組を成立させたわけですね。

高木  そうです。ジョブズは捨てられたと思ったわけですが、実は、生みの母は決して捨てたかったわけではなかった…。

松田  はい。

高木   厳格なカトリック教徒であった自分の父親が死んだら、シリア人の夫と結婚しようとしていた。そして、実際にジョブズを養子に出した数週間後にその父親が亡くなるのです。

松田  その年の暮れに結婚して、ジョブズの妹、モナ・シンプソンが生まれ、自分たちで育てるわけです。

高木  数年後には離婚しゃちゃうんですけどね。この辺がアメリカっぽいんですけど。ともかくジョブズは、実の両親の愛情を得ていないわけです。ただ育った場所がシリコンバレーでしたから、コンピュータ少年として育つのにはうってつけだったわけです。そして、ウォズニアックと出会うわけです。

松田  そうですね。

高木   アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」には、どのようにしてジョブズとウォズニアックが出会ったかといったあたりが、かなり省略されています。

松田  はい。

高木   で、ウォズニアックの自伝などにはちゃんと詳しく書いてあるんです。「ジョブズ伝説」には、そういうところを重点的に補足しました。「クリームソーダー・コンピュータ」というのが2人が出会うきっかけなのです。そこのところが、「スティーブ・ジョブズ」には書かれていない。

松田  クリームソーダーを飲みながら友人のビル・フェルナンデスと一緒に作ったからという…。

高木  そのクリームソーダー・コンピュータはApple I の原型なんですよね。

松田   まあ、アイザックソンの著書が現実的にいま一番メジャーな本であり…といった形で捉えられてますしマーケットとしては確かにその通りなんでしょうが、私の印象ではアイザックソンはテクノロジーに強い人物ではなかったようですし当然のことながら限られた誌面の中でどこにフォーカスを合わせるかを考えなければならない。そして著者の得手不得手もあるんでしょうから完璧なものではないはずです。

高木  そうですね。

松田   で、いまジョブズの人生そのものが「トイ・ストーリー」だとお話しがありましたし…もうひとつ高木さんが主張なさっているジョブズは日本の禅から強い影響を受けているという話しですが、確かに「スティーブ・ジョブズ」にも記されてますがアイザックソン自身、禅とか日本のカルチャーをどれほど理解しているかについては疑問です。ですからその点は突っ込み足りない…。反面高木さんの「ジョブズ伝説」はそうした点も上手く補足されているように思うんですが…。

高木   アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」から禅や日本のカルチャーに関して深読みするのは難しいでしょうね。実はこの禅と、ジョブズが中退したリードカレッジのリベラル・アーツというのが繋がっているのです。何故、ジョブズが、スタンフォードと並んでアメリカで最も授業料の高い大学に入りたいと思ったのか、それはリベラル・アーツを学びたかったからなのです。このリベラル・アーツというのを普通日本語に訳すと「教養学部」ということになります。

松田  なるほど。

高木   で「教養学部」といった瞬間に、なんだか分からなくなってしまう(笑)。なんだ、教養じゃないかと。「教養学部」というのが間違いというわけではないが、文系理系関係なく、あらゆる学問を徹底的に究めるというのがリベラル・アーツなのですね。

松田  はい。

高木   リードカレッジは、博士号を取る学生の比率が高いことで有名な大学なのです。それは、優秀な学生が集まっているということでもあるのですが、リベラル・アーツということで、幅広くいろいろな学問を究めるという事が関係していると思うのです。そして、この「リベラル・アーツ」というのは、ジョブズを理解する上で非常に重要なキーワードなのです。ジョブズは、2010年に行なったiPadとiPhone 4の2つのプレゼンテーションで、「テクノロジーとリベラル・アーツの交差点」という表現を使っているのです。

松田  ふ〜む...。

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※2010年WWDCのキーノートで「テクノロジーとリベラル・アーツ」に附言するスティーブ・ジョブズ


高木  テクノロジーは、コンピュータを核としたあらゆるテクノロジー。

松田  はい。

高木   そして、ジョブズの言う「リベラル・アーツ」は、「自由な諸芸術」と訳すと、そのニュアンスが伝わってくると思います。つまり、どんな学問であれ芸術的なレベルってあるじゃないですか。芸術の域に達しているという。それを究めるという意味だと思うんですね。いわゆる「教養を身につける」といったレベルのものではないわけです。

松田  はい、はい。

高木  もの凄く高い要求ですよね。テクノロジーも最高レベル、そして、リベラル・アーツも最高レベルを究めたその交差点にいるからこそ、Appleはこうした製品を生み出せるんだと言うわけですから。
それを知らないで、見かけだけ似たような製品を作っても、勝てないわけです。そして、ジョブズはこの「リベラル・アーツ」の極致を禅に見たと思うんですよ。あらゆる前提をとっぱらって徹底的に考えるということですね。瞑想するのです。

松田  先入観というものやこれまでの価値を捨てて…ということですね。

高木  それから、彼のいっているデザインというのは、普通人は表面的な物と思っているという話しがありますよね。しかしそうではない。もっと深いもの、「デザインは魂だ」と言っています。ジョブズの言うデザインとは、見かけだけでなく、中もそうですし、ユーザーインターフェイス・デザインも含めて、あらゆるものを徹底的にデザインするということなわけです。その深みを知らずに、見かけだけ似ている製品を作っていると、ベニヤ板で作ったような薄っぺらな製品になってしまうわけですね。

松田  そうですね。

高木   そんなことで、さっきのトイストーリーの話しを続けますとね、本当にトイストーリーだと思うのは、彼はまさにリサ(Lisa)ですよね…自分の子供が生まれたときに、まさに自分が捨てられた同じ歳にですね…生むんですね、これがまたね。それを名前だけ付けて、それで捨てるわけですね。

松田  うーん…。

高木  自分が捨てられたように捨てちゃうわけですね。

松田  はい。

高木   それはまあ、そんな奴か…みたいな話しなのが、何故自分の新しいプロジェクトの名前にLisaと付けたのかということなんですよ。

松田  そうですね。普通に考えたら訳がわかりませんよね。

高木   説明がつかないわけです、普通は。しかもジョブズの声明が発表されるまではLisaが娘の名前とは正式に知られていなかったし…当初は何かの略だといわれてましたね。

松田  そうですね。Local Integreated Software Architectureでしたか…。

高木   そう、それがアイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」では、「あれは娘の名だ」とちゃんと言っています。これは何なんだろうと。と、考えたときに、その彼自身がモノのようにというか、オモチャのように捨てられたという原体験がある。で、人間の子供に対しては、愛し方が分からなかった。自分が愛されたことがなかったために。

松田  愛し方が分からなかった…。

高木   たぶん父親はどうあるべきだとかいったイメージが、彼にはなかったんでしょうね。とにかく自分の娘、リサに対して、当時は一片の愛情も示さなかった。それどころか、アップルが上場して億万長者になる前に、早く慰謝料の話しを済ませてしまおうとした。とんでもない奴ですよね。だけど、その一方で新しく開発するコンピュータにLisaという名を付けている。つまり、コンピュータのLisaこそが、彼の子供だったと思うんですよ。

松田  うーん。

高木   生身の自分の娘には愛情を感じないのに、機械には愛情を感じるというのは、普通ではないですよね。ともかく、彼はこの機械に命を吹き込もうとしたんだと思うのですね。Macintoshもそうでした。1984年、Macintoshのデビューのときに、Mac自身に喋らせますよね。

松田  そうですね。

高木  その中で、「私の父というべき人をご紹介します。スティーブ・ジョブズです。」というフレーズを言わせているのです。

松田  はい。

高木  つまりMacintoshの父親なんですよ。ジョブズは。

松田  うんうん…。

高木   ジョブズにとってMacintoshやLisaは自分の子供だったわけですね。はっきりとね。で、これのもとになるエピソードいうのは…あれは高校生ぐらいのときだったでしょうか、子牛が生まれてすぐに自分で立ち上がるというエピソードがありますよね。で、コンピュータもこのようでなければならないというわけです。

松田  教えられてないのにもかかわらず自分でちゃんと立ち上がるではないか…ということですよね。

高木   そうです。だから、ハードウェアとソフトウェアは一体でなければならないと言っているのです。つまり、子牛のような、命あるコンピュータを作りたいわけですから、ハードウェアとソフトウェアを分離してはいけないわけです。

松田  そうですよね。

高木   彼の人生は「トイ・ストーリー」であるといったのは、まさに人間として扱われずに生まれてきたジョブズ少年が、機械に命を吹き込もうとした生涯であったという意味なのです。

松田  なるほど。

高木   それがLisaでありMacintosh、iPhone, iPadであったと。そう考えると、製品の中を開けさせたくなかったというのも理解できるのですね。Macintoshの時に筐体を締めるネジを特殊な物に変えてしまいますよね。そこまでして中を開けさせたくなかった。それから、冷却ファンはダメ、ハードディスクもダメ、メモリの拡張もダメだと。めちゃくちゃですよね(笑)。

松田  (笑)。

高木   Macintoshは「瞑想の空間」だからといった言い方をしている。徹底的にクローズドを志向した。でも、それでは実用にはなりませんよね。

松田  そうですよね(笑)。

高木  もうメチャクチャです。Apple IIはオープンにしたからこそ、成功した。

松田  Apple IIの時代には拡張スロットの存在は不可欠のものでしたからね。

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※1982年当時の松田が使っていたApple IIと拡張スロットの様子。拡張スロットはさまざまな拡張カードですでに一杯だった


高木  オープンであったからこそ、沢山の人たちを巻き込むことができた。いろいろな人が拡張ボードを開発したり、アプリケーションを開発できた。でも、一方で、Apple IIはあの台所にも置けるような、ベージュの筐体に入っていたからこそ普及したという一面がある。ジョブズとウォズニアックのせめぎ合いの中で、Apple IIは成功するのですね。ジョブズのこだわりを示すエピソードはたくさんあるのですが、いわゆる「社員番号一番」問題というのがありましたよね。当時の社長、スコットが「一番はウォズニアック」、「二番がジョブズ」と決めたことに猛烈に抗議した。確かに、ジョブズの主張は正しいわけです。ジョブズが会社を作ろうと言い出したわけで、ウォズニアックはジョブズに誘われることがなければ、ヒューレット・パッカードの社員のままだった。

松田  うん、うん。

高木  しかし周りの出資者たちはジョブズはいなくてもいいけどウォズニアックがいなくなったらこの会社はダメだからと…。

松田   まあ、ジョブズの気持ちもわかるような気もしますし、ジョブズは早くApple IIを卒業して自分のマシン、高木さんの言われ方だと自分の子供を作りたかったんでしょうね。Apple IIはウォズニアックのマシンであって自分のマシンではありませんからね。

高木  そうですね。

松田   それが一貫して…iPhoneやiPadのように完全にクローズドなマシンとなっていくわけですね。それらを開けてどうのこうのする一般ユーザーはいませんからね(笑)。思えばその一貫した生き方というのは恐ろしいほどですね。

高木   ジョブズのこだわり、一貫性は尋常のものではなかった。ジョブズは癌で56歳で亡くなるわけですが、最初に癌が発見されたとき、手術で自分の体の中を開けるのを拒否するのですね。それが死期を早める結果となったわけです。彼がクローズドを主張したのは、単なる信条とか、ポリシーとか、そういったレベルのものではなかった。

松田  う〜ん…。

高木   もっと、遺伝子に書き込まれれているレベルのものだったのではないか。ジョブズの「こだわり」は、自分でもどうしようもないくらいのレベルのものだった。一般的には、病的と言われるくらいのものだった。

松田  あっなるほど、そこにきますか。なるほどなるほど。いまのお話しはちょっとショックですね私にも…。

高木   ええ。彼の「こだわり」の強さを示すエピソードは幼少期からありますよね。1度決めたら絶対に変えられない性格の子というのは、何パーセントかいるわけです。そうした人たちというのは、時に天才的なわけですが、日常生活を送るのには困難をともなう。「レインマン」という映画がありましたよね。ああした人々のひとりだったのではないかと思うのです。

松田  …。

高木  つまり超天才なんだけれども一般社会では何だろうこの人…という…。

松田  ドロップアウト、脱落者と見なされがちで…。

高木   ただしそうした人たちの凄さというのは、1度決めたら絶対に退かないところにあるわけです。例えば、広告代理店のレジス・マッケナ(Regis McKenna)を説得するときには、毎日、何回も電話をかけていますよね。そして、マッケンナが面会したら、今度は「引き受けてくれるまで絶対に帰らない」ですから。一歩間違えばストーカーですよ (笑)。

松田  ねぇ(笑)。それも臭いし酷い格好でね…。

高木   普通は、警察に電話をかけられて追い出されるようなタイプですよ。で、それをずっとやってますよね。てことは、彼は…自分でも言ってますけど小学校4年生かなにかのとき、あの先生に出会わなかったら自分は犯罪者になっていただろうと…。

松田  はいはい…。

後編へ続く




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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員