ラテ飼育格闘日記(426)

ラテも今年の6月で推定年齢9歳となる。ワンコは小型・中型犬の場合、一般的に7歳~8歳くらいからシニア犬になるといわれているがそうだとすればラテも早いものですでにシニアの仲間入りだ…。とはいえお陰様でアトピーは直ってはいないものの後は太り気味である点を別にすれば毎日元気に過ごしている。


ここの所の散歩でオトーサンが気がついたことだが、ラテの歩き方が遅くなった気がするのだ。いや…気がするというだけでなく確かに歩くのが遅い。その上、我が娘は気が乗らないと歩くのが遅くなる(笑)。
とはいえラテと初めて散歩をしたときオトーサンが持っているリードを引き少しでも早く前に進みたいという感じだった。それがいまではオトーサンが後ろに続いているラテを引っ張っている(笑)。

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※元気なんだけど歩くの遅いぞ...ラテ!ハーネスが嫌いなのか?


ラテの歩き方が遅いという感覚はオトーサンの思い込みではない。すれ違い様に「老犬かい?」と聞かれたこともあったし先日も見知らぬオバサンに「この子はいくつになったの?」と聞かれたので「後半年で9歳になります」と答えたら「それでは仕方がないよねぇ…」と妙に納得されてしまった。
やはり他人様から見てもその時のラテはヨタヨタと歩いていたらしい。ただしラテの名誉のために一言添えれば、最近使い始めたハーネスを着けると両前足の付け根にベルトがあたり、どうも違和感があるらしい。首輪だけの時の方が速く歩くようにも思えるのだが...。

確かに今年9歳になるラテはシニア犬と呼ばれる年齢になったのだろうし幼犬時代と同じパワーであるはずもない。外見的にも体毛は真っ黒い毛が次第に少なくなり茶色になってきたしマズル回りはすでにかなり白くなってきた。そしてマズルの髭の中には白髪の髭もある。

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※腹ばいになって一休み...。ウィンクしてる(笑)


そうした外見だけでなくともワンコが年齢を重ねて老犬になっていく過程にはいろいろと変化があるという。前記のとおり歩くスピードが遅くなることも事実だし、階段の上がり下りを嫌がったり、日中のほとんどを寝て過ごすようになるという。さらにこれまで見知らぬ人が玄関に立てば猛烈に吠えたのに吠えなくなるとか、粗相などしたこともないのに粗相するケースが増え、オシッコの間隔も短くなってくる…といった変化もあるらしい。

あるいはこれまで興味を持っていたあれこれにも注視しなくなったり、呼んでも反応が遅かったり無かったり…。まあこの辺は我々人間が歳を取るのと同じだろう。
ただし現在のラテは好奇心は相変わらず旺盛だ。新しい場所や道を好むし、階段の上り下りはオトーサンが困るほど好きだ(笑)。また幼犬時代からお気に入りのゴムボールを口に入れてフガフガと噛み、それを絶妙なコントロールで放り投げて追いかける。さらに身体を横たえるようにと置いた数枚のシートをメチャクチャにしてボールを隠し、それをまた自分で掘り起こすといったことを続ける。

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※至極当然だという顔をして抱っこされるラテ


夕食を終えるとここのところ、オトーサンのところに来て吠える。無視すると段々に大きな吠え声になる。実に五月蠅い(笑)。これは「いつもの頂戴」という要求なのだ。”いつもの” とはペーパータオルやトイレットペーパーの筒状の芯にワンコ用のガムと少量のオヤツ(牛肉の乾したもの)を入れ、紙筒の両端を潰して閉じたものだ。
オトーサンが適当なオモチャがなかったとき苦肉の策ででっち上げたものだが、ラテはこれが気に入ったらしく最近では要求するようになった。
これをボール同様に口で放り投げたり、足で踏んだり蹴ったりし、最後は腹ばいになって紙筒を破いて中のオヤツやガムを取り出すのが楽しみなのだ。

先日は散歩の折、久しぶりに以前走り回った砂場の公園に入ったが、ラテは忘れてはおらず、その太い身体をもろともせずに砂を掘り、オトーサンのかけ声と追いかけに反応して砂場を全速力で駆け回った。

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※フルスピードで走るラテ。結構速い(笑)


これだけ走る気力があればまだまだ老いたと嘆くことはないと思うし、オトーサンたちとしては無理なく身体を動かすように心がけると共にラテが興味を持つような場所やオモチャなどを考え、好奇心を刺激することがラテの健康に繋がると考えて気を遣っていかなければならない。

とはいえ歳を取ることは悲しむべきことではないと歳を取ったオトーサンは考える(笑)。シニア犬には子犬時代とは違う…シニア犬ならではの可愛さ愛おしさがある。これまでの長い時間を一緒に過ごし、お互いに培った信頼感もある。
オトーサンたちもラテと共に日々を元気で楽しく、そしてより良い歳を重ねていきたいものだと思っている…。


メーカー公表値3800ルーメンのLEDライトのその後

先にレポートしたメーカー公表値3800ルーメンのLEDライトTrustFire TR-3T6/GREEXM-Lを常用している。明るいうち散歩に出るときにはバッグの中に収納し、帰り道の暗い時間帯になったら取り出している。1週間ほどあれこれと使い勝手やバッテリーの持ちなどを体感しつつ過ごしたが気を遣う点もある…。


LEDライトTrustFire TR-3T6/GREEXM-Lを手に入れた1番の理由は申し上げるまでもなく一般的なハンディライトとは比較にならないほど明るいからだ。メーカー公表の3800ルーメンというのをそのまま信用するわけでもなかったが、確かにこれまで数種のライトを手にしたうちで抜群の明るさであることは事実だ。しかし実際に愛犬との散歩で使ってみるといくつかのことに気がついたので今回はそうしたご報告である。

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※思っていた以上に気に入ったLEDライトTrustFire TR-3T6/GREEXM-L


まず変な言いがかりに聞こえるかも知れないが、このTrustFire TR-3T6/GREEXM-Lは時に明るすぎる…(笑)。いや、まだ日の出前の暗い道や日の入り後で街灯が少ない場所を歩く際には明るすぎて困ることはないし助かっている。問題は使用者である私自身の問題と言うより周りに与える影響についてなのだ…。

どういうことか…。それはTrustFire TR-3T6/GREEXM-Lをフルの明るさで使っているとすれ違う人たちが「この人、なにしているのか?」とメチャ明るい照明を照らしている私を疑り深い眼差しで見つつ距離を取ることがある(笑)。別に他人に嫌われても悪い事をしているわけではないから気にすることはないのだが、帰り道の暗い場所とはいえ最大の光量で歩く必要がある場所ばかりではないことも確かだ。

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※結局専用バッテリーを6本購入し、3本ずつ充電しながら活用している


ふと「便所の百ワット」という言葉を思い出した(笑)。これは適度というものを越えていることを揶揄する言葉だが、確かに街灯が明るい場所もあるし人通りがある道では不必要な明るさかも知れない…。
それに光量が最大のときだけではないが、注意することがある。それは今更ではあるが人に向けたり愛犬の顔に向けたりしないよう保持しなければならない。

最近の自動車のライトはLED化が進んでいるが、これを真面に喰らうと一瞬視力がなくなるほど眩しくて迷惑だ。TrustFire TR-3T6/GREEXM-Lはそれほどでなくとも自動車より近い距離で人々と行き会うのが普通だし、愛犬との散歩でも犬の進路を照らすのが普通だ。しかしそれは犬の頭近くであるから犬が振り向いた際にライトを直視してしまいがちだ。

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※光量を一段落として使っても夜明け前の散歩には十分だ。写真はライトを当てる前(上)と当てた後(下)の違い


対向の人間はもとより愛犬でも直接TrustFire TR-3T6/GREEXM-Lの照明を直視すると視力障害などの危険が大であるからして最大の注意を払わなければならない。
前回詳しい事は書かなかったがTrustFire TR-3T6/GREEXM-Lには調光機能がある。バッテリーの蓋端が電源ボタンだが、それを深く押せばON・OFFだが、点灯時に軽く押すと最大光量のときに後2段階光量を落とすことが出来る。さらに押すと2種類のフラッシュ点滅モードになるという仕様になっている。

試しに1番光量が少ないモードにして歩いてみたが、このあたりがこれまで使ってきたライトと同程度でありある意味で安全なモードなのかも知れない。
ということで私は人の往来が目立つ場所ではこの最小光量で使い、さらに暗い場所や街灯が少なかったり届かない場所では最大光量で使うといった臨機応変な使い方を始めている。

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※実際にはボディにフェルトを巻いている。暖かいし滑り止めにもなって具合が良い


また愛犬との散歩中は細かな作業、例えば小さなオヤツを取り出すとかウンチの始末といったあれこれをスムーズに行うために指が出る手袋をしている。しかし朝晩の気温はかなり低くなっているため金属製のTrustFire TR-3T6/GREEXM-Lを手に掴むと熱を感じるどころか指が冷えて仕方がないので手近にあったフェルトを巻いて使っている。こうすると見栄えはよくないが、手触りもよく滑り止めにもなるので実用的である。
この季節、TrustFire TR-3T6/GREEXM-Lにはまだまだお世話になりそうだ…。





Apple、記録的な第1四半期業績を発表

Apple Japanは1月28日、米国報道発表資料抄訳として米国Apple本社が1月27日、2014年12月27日を末日とする2015年度第1四半期の業績を発表し、当四半期の売上高は過去最高の746億ドル、純利益も過去最高の180億ドル、希薄化後の1株当り利益は3.06ドルとなったと発表。


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前年同期は、売上高が576億ドル、純利益が131億ドル、希薄化後の1株当たり利益が2.07ドルだった。売上総利益率は、前年同期の37.9%に対し39.9%となった。当四半期の米国市場以外の売上比率は65%。
これらの業績に貢献したのが過去最高を記録したiPhoneとMacの収益、およびApp Storeの記録的な成績だった。またiPhoneの販売台数も7,450万台と、新記録を樹立した。

Appleの取締役会は、普通株式1株当り0.47ドルの現金による配当金を発表。配当金は、2015年2月9日の営業時間終了時点で株主名簿に記録されている株主を対象に、2015年2月12日に支払われる。

なお、Appleはこのカンファレンスコールのライブストリーミングを、2015年1月27日14時00分(米国西部時間)より、AppleのWebサイトで配信するが、このウェブキャストは配信開始後約2週間にわたり再生が可能。

Apple Press Info



オールドMacクイズ「これは、なあに?」

昨年末にFaceTimeを使って仕事の打ち合わせをした後、古いMacの話しになった。きっかけは何だったか…忘れたが、私は思いついて手元にあったいくつかのアイテムを会話の相手である30代の方に見せて「これは何でしょう?」というクイズまがいのことをやったら意外と受けた(笑)。それではということでここでもお披露目してみたい…。


当然黎明期からのAppleユーザー、Macユーザーであればご存じのことばかりだろうし、当ブログを端から端までご覧いただいている奇特な方はすでにご存じかもしれない。また知らなかったとしても人生に何の影響もない(笑)。単なるお遊びとしてご存じない方は頭をひねっていただければ…嬉しい。
問題は全4問で「これなあに?」という問いなので「なにをするためのものか」をお答えいただければ良く、製品名までお考えになる必要はない…。無論ご存じの方もいらっしゃるだろうが…。なお回答は後ろにまとめて記載してある。なお厳密に言えば第3問は "Mac" でない...かも知れないが、まあ堅いこと言わずに(笑)早速始めてみよう!

■第1問〜これはなあに?
まずは意地悪して(笑)アイテム単独の写真をご覧いただくことにしよう。無論これはこれ単体で機能するわけではなくMacintoshに取り付けて使うもので樹脂製。

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■第2問~これはなあに?
金属製で棒状の片方が90度曲がっている。長さは約25cmほどでその一端には星型六角のドライバーがあり、もう一方の端には直径38mmほどの円盤状になっている。円の板には2mmほどの突起(ガラスエポキシか)が31mmの長さで埋め込まれている。

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■第3問~これはなあに?
昔駄菓子屋で電車ごっこセットみたいな一式に入っていたオモチャの切符切りみたいだ。しかしその先端に特別な工夫がなされている。無論その形状からご推察の通り、何かを挟み込むようなことに使うのは明白だと思うが、さてどのような道具なのだろうか…。

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■第4問~これはなあに?
さて最後の問題はこれ…。これまた使ったことのない方には当然のことながら知り得ないアイテムだ。写真のものはアップルロゴが入っているいわゆるApple純正品。

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【答えと解説】
■第1問の答え
Macintosh本体に付ける"プログラマーズスイッチ" と呼ぶ特殊なスイッチで “インタラプトスイッチ (interrupt switch)” と "Reset" スイッチが一体になっている。インタラプトスイッチを押すことでCPUに割り込みをかける。結果としてOSを含むプログラムは停止し、デバッガ (MacsBugなど)がインストールされている場合ならそれが起動する。II fx以前の機種には別部品として供給された。

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※側面下のスリット定位置に取り付ける


具体的な使用としてはMacがシステムエラーに見舞われた際、このインタラプトスイッチを押すことでROMにあるモニタープログラムのプログラマーズモードに入り、データを失わずに復帰させることができる...とされたが、ほとんどの場合は正常に戻すことは難しかった。また "Reset" スイッチは強制的に再起動させるスイッチ。
これをマシンの向かって左側のスリット定位置にセットすると内部基板にあるボタンを押すことができるように設計されていた。
ということで多くのユーザーには無縁のものだったし誤って押してしまうこともあるため一般的には外していたケースが多かった。

■第2問の答え
これは “MacOpener” という製品だが同類のものがいくつか販売されていた。その用途だがMac 128K, 512K, Plusなど、オールインワン型オールドMacの筐体を開けるための専用ツールである。

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まず特殊な星型のドライバーで前後2つのケースを留めているネジを外し、続いて円板に付いている板状の突起を合わさったケースの溝に差し込んで少しずつ捻ることで合わさったケースが緩んでくる。このとき、いたづらに適当な道具を使うとMacintoshのケースを傷めてしまうのでこの種の専用工具が必要だった。ただし手慣れたユーザーは適当に削った割り箸を使うという裏技もよく知られていた…。

■第3問の答え
商品名は “Nibble Notch”。5インチのフロッピーディスク専用なのでまずはその5インチフロッピーをApple IIなどで使ったことのない方にはまったく縁の無いアイテムである。
要は標準の5インチフロッピーディスクにはコの字型の切り込みが1箇所ある。これは書き込み防止のためで、ここに専用シールを貼り塞ぐことで書込防止となるが、フロッピーディスケットは当時1枚1,300円ほどしていたわけで、おいそれとは使い捨てにできず、本来は片面の利用を前提にしていたメディアを裏返しにして両面を利用する工夫をした時代があった。

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※ “Nibble Notch” と5インチフロッピーディスケット


その際には新たに切り込みを入れないと書き込めない。ハサミやカッターで切り込みを入れる強者もいたが正確な位置でなかったり、内部のフロッピーを傷つけてしまったりとトラブルも生じる。ために正確な位置に正確なサイズの切り込みを入れる切符切りのようなNibble Notchが重宝されたのである。とはいえさすがに愛用していたユーザーは多くなかったに違いない。
詳しくはこちらをご覧下さい。

■第4問の答え
SCSI ターミネータ (SCSI terminator)。
現行のUSBインターフェース以前にハードディスクなど周辺機器を接続するために使われていたインターフェース規格がSCSI (スカジー)インターフェースだった。SCSI は Small Computer System Interfaceの略。

SCSI ターミネータ はSCSIコネクタに接続する信号の反射を防ぐための集合抵抗。普通SCSI 機器には内蔵されておりスイッチで機器番号の指定やON・OFFができるタイプもあった。またSCSI機器をデイジー・チェーン接続する場合には必ず終端にこのSCSI コネクタを接続する必要があった。

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※SCSIインターフェースコネクタ例。2つあるのはデイジー・チェーンを可能にするため


いかがだっただろうか…。全問正解されたからといって何の景品も出ないが(笑)、すべてをご存じの方であればAppleに、そしてMacintoshに多大な時間とお金を費やしてこられたご同輩に違いない。また繰り返すが大方の方々は見た事もないというケースがほとんどかも知れない。それがノーマルなユーザーという証しである(笑)。
なにしろ、例えば第1問のアイテムをインターネットでググってみていただきたい。こうしたアイテムが全盛時代には当然インターネットは我々の前には存在しなかったしその製品寿命も短かったから情報が残っている可能性は極端に少ないのである。
お疲れ様でした!

ファイルメーカー、無料のオンラインコミュニティ「FileMaker Community」公開

ファイルメーカー株式会社は1月27日、ユーザー向けオンラインコミュニティ「FileMaker Community」にて、iPad、iPhone、Windows、Mac、Web向けのカスタム・ビジネスソリューションを構築・展開・運用する方法に関する情報やリソースを無料で提供すると発表。


FileMaker Community

この新しいコミュニティは、以前に「FileMaker Technical Network」(以下TechNet)として知られていた会員向けサービスを刷新したもの。インターフェースデザインが一新されただけでなく、どのスキルレベルのユーザーであってもこのコミュニティで恩恵を受けられるようすべてが再構成された。

日本で約13,000人を擁するTechNetメンバーは、そのままFileMaker Communityの日本語スペースにアクセスできるようになっている(TechNetメンバーは全世界で6万人以上)。これまで、TechNetメンバーのみがアクセス可能だった技術文書、サンプルやツールといった情報がすべて一般に公開され、会員登録しなくても、情報の検索や閲覧、リソースのダウンロードが可能になった。ただし、ディスカッションに参加したり情報を共有したりするにはアカウントが必要となる。

FileMaker Communityには、FileMakerソリューションの構築・展開に成功するために必要となるリソースが集約されている。利用可能なリソースや機能は下記の通り。

・ビデオ、技術文書、Webセミナー、サンプルやツール、製品マニュアル、ディスカッションフォーラムなど、幅広いさまざまなリソース
・FileMakerプラットフォームに関して他のFileMakerユーザーから寄せられた技術的な質問に対する回答例
・初心者からエキスパートまで、情報やリソースを共有するために他のFileMakerユーザーと交流を持つ機会
・素早く簡単にFileMakerプラットフォームに関する情報を検索できるインターフェース
・新着の投稿や最新のリソースを一目で確認
・ワンクリックでディスカッションの参加や質問の投稿
・FileMaker資格認定取得者専用の新しいフォーラム
・Developer Conference 2014にて収録されたセッションビデオ5点(英語)

また、新しいオンラインコミュニティの公開と併せて、ファイルメーカー株式会社は日本語のオフィシャルWebサイトのURL変更を発表した。新しいURLは下記の通り。
(旧)www.filemaker.co.jp
(新)www.filemaker.com/jp

FileMaker Community



仁科邦男著「犬たちの明治維新 ポチの誕生」はユニークな1冊で面白い!

しばらくぶりで犬に関する本を買った。一時は飼い犬のことを知ろうといわゆるトレーニング書はもとよりアカデミックな本も含めて多くの書籍に目を通したが、さすがに最近はよほど興味を惹く本の他は手にしなくなった。本書はそうした意味でも類の無いユニークな1冊だ。なにしろ犬たちの明治維新を描いたノンフィクションなのだから…。


明治維新を舞台にした小説や研究書はそれこそ星の数ほどといってよいほどある。時代が大きく変わるその舞台は創作意欲を刺激するのだろう。最近始まったNHKの新しい大河ドラマ「花燃ゆ」も黒船が襲来し国を憂う若き人びとをテーマにした明治維新の物語だ。
ヒロインは久坂玄端の妻となった吉田松陰の妹・文(ふみ)だという。そして吉田松陰のもとには高杉晋作、伊藤博文など後の世を担った人たちが集まった…。

しかし明治維新は人びとの生活を激変させ翻弄したが、犬にとっても大きな激変の時代となった…。その「犬にとっての幕末明治」をテーマにし、ペリー来航、横浜開港、文明開化、西南戦争…史料にちらちら顔をみせる犬関連の記述を丹念に拾い集めたのが本書、仁科邦男著「犬たちの明治維新 ポチの誕生」草思社刊である。

dogs Meiji Restoration

※仁科邦男著「犬たちの明治維新 ポチの誕生」草思社刊


これまで顧みられることがなかったが、人と同じように、日本の犬たちにも開国があり幕末があり、そして明治維新があり文明開化があった。ただ犬の歴史は我々人の歴史の中に埋没し、これまで犬が激動の時代をどのように生きてきたかは顧みられることはなかっただけだ。
明治維新の混乱の中、右往左往していたのは人であり、犬たちは “のほほん” と我関せずと過ごしていたわけではなかった。犬たちも江戸時代にいたるそれまでとはまったく違った扱いを受けることになり多くの犬たちが処分されることにもなった…。

ともあれ本書によれば明治維新前と後では犬の飼い方がまったく違った。詳しくは是非本書をお読みいただきたいが、本書は単に犬の歴史を追っただけではなく我々がよく知っている歴史上のエピソードに犬が密接に関係していることを紹介している点が素晴らしい。
例えば…前記したNHKの新しい大河ドラマ「花燃ゆ」に登場する吉田松陰と犬の関わり合いなどは実に面白い。吉田松陰はご承知のように黒船来航時に弟子の金子重之輔と二人で米国に密航を企て、下田村の海岸につないであった漁民の小舟を盗んで旗艦ポーハタン号に漕ぎ寄せる。一端は乗船したものの渡航は拒否されたために法を犯したと自首することになる。

実はこの密航未遂事件の3日前にも松蔭たちは横浜村の港に停泊していたペリー艦隊の舟に乗り込もうとした経緯があったのだ。したがって下田での行動は2度目だった…。
ではなぜ横浜村の港からの密航が失敗したのかといえば、それは浜辺をうろついていた松蔭たち2人に “村犬” が集まり不審者たちにつきまとって吠え続けたからだという。その吠え声に村人たちが起きだして騒ぎになればすべてが露見し計画は終わってしまう。
松蔭たちは仕方なくこの日の密航は断念するしかなかったのだ。
もしこの時、犬たちがいなかったら松蔭たちの運命も、またもしかしたらその後の日本の歴史も微妙に変わっていたかも知れないではないか…。

こうした教科書では教えてくれない明治維新と犬との関わり合が多々載っているのが本書の魅力だ。
明治維新と犬と言えば無論あの西郷の犬についても詳しい考察があって興味深い。ともあれ明治維新は人びとにとってだけでなく犬にとっても生き抜くのが難しい過酷な時代であったようだ。
犬を愛する人たちには是非ご一読をお勧めしたい1冊である。



ラテ飼育格闘日記(425)

過日の転倒では幸い目立った怪我もせず済んだが、どうしたことかしばらく忘れていたぎっくり腰が再発して苦しんでいる。やはり椅子に座っている時間が長いのが原因のひとつかと思うが、腰と左膝にサポーターを付けて散歩に出るものの特に歩き始めは辛い…。


毎日ラテと一緒の部屋で寝起きし生活を共にしていることが普通になってしまったが、あらためて考えてみると不思議というか、凄いことなんだと思わざるを得ない。それも小動物や鳥類のようにカゴや檻に入っているのではなく我が家の場合は基本的に3LDKのどこへでも行き来できるようにしている。

勿論オトーサンたちの都合で危ないと思うときにはドアを閉めてガードもするが、オカーサンの部屋で横になったり、オトーサンの仕事部屋に腹ばいになってこちらの様子をうかがったり、リビングテーブル下でイビキをかいたり、和室の窓際にあるラテ用マットで爆睡したりと自由きままだ(笑)。さらに布団を敷くとオトーサンの布団の上で仮眠をはじめるときもある。

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※何を思うのか...? ラテ!


しかしラテを飼い始めたとき、それこそ右も左も分からなかったから数冊のトレーニング本を読み、クレート(ケージ)で寝かせ、常駐のエリアは狭くすべしというような注意をそのまま採用していた。それはどうやらワンコが自分のテリトリーが広いと落ち着かず様々なトラブルに繋がるからということだった。

勿論飼い主が外出する際にはクレートにワンコを入れておくことでワンコも落ち着くし危険を避けることができるという理屈だった。
あるいはトイレシートをクレートの近くに置き、全体を大きな柵で囲めばベスト…といった内容の本もあった。外に散歩へ連れ出す以外はその中で一日を過ごすべきということだったが、すぐに疑問が頭をもたげてきた。

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※朝日がラテファミリーの長い影を作る


いくらワンコでも寝起きする、あるいはそこで食事をする場所の近くにトイレがあって良いものか…。ワンコはきれい好きであって寝起きするクレート内で粗相をすることはほとんどないし、そんなワンコがクレートの隣にトイレシートがある環境を良しとするはずもないと思った。ただしそれは随分と後になって確信したわけで1年ほどはトレーニング本のとおりの環境を作っていた。

ラテは黙して語らずなので真意は不明だが、トイレシートで用を足さなくなったのはクレートの隣にシートがあったからではなかったか…。そしてそもそもラテは最初からいわゆるオトーサンたちが出かけることでパニックになるという分離不安症状は示さなかった。

トレーニング本によれば飼い主はワンコに気づかれないようにそっと出て、戻ったときにワンコが飛びついても無視すべし…などとあったが、どう見ても可笑しな理屈だと思った。
だから出かけるときには「ラテ、行ってくるよ」と声をかけて出て、戻ったときに喜んで飛びつくようなことがあればしっかりと抱きしめてやることにした。

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※オカーサンにアイコンタクトしながら歩くラテ


だからというわけでもないのだろうが、いまはオトーサンが出かけようとしても追わないし戻ったときも…コンビニに行くなど留守にした時間が短いときなどは玄関のドアを開けてもお尻を向けたまま寝ている(笑)。

アトピーが酷い時期には大変だったが、いまはまったく手のかからない良い子である。日中オトーサンと一緒のときにはそのほとんどは場所を変えながら寝ている。そして凄いと思うのはオトーサンが昼ご飯をリビングで食べる時も和室で寝たままの場合とノソノソと起きてオトーサンの足元にお座りして「頂戴」とでもいうように見上げている場合があるが、その違いはオトーサンのメニューによるのだ…。

オトーサンの昼ご飯が大してバリエーションがない証明みたいなものだが、ラテはお裾分けしてもらえるメニューなのかダメなのかを臭いで学習したようで、ラテにあげられない食べ物のときはまず寄ってこない。

要はラテを飼い始めて2,3年までは常に娘の様子を意識していた。粗相をしていないか、危険なものを口にしていないか、肉球を噛んで血をだしていないか、家具などを噛んで壊していないか…等々と。ワンコは人とは違うからしてそれなりの気遣いが必要だと自分に言い聞かせて神経を使っていたがこの1,2年はそうした意識はほとんどなくなった…。

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※散歩から帰り、身体を拭く前に顔をオトーサンの両手に包み込むとうっとりした表情になるラテ


確かにラテはオトーサンたちと姿形はまったく違う。しかし同じ部屋で一緒に生活している文字通りの家族である。滅多なことはやらかさないという信頼もできたしラテの習性にも馴染んだということか。そしてラテはラテでやってはいけないことを理解している。
例えば散歩の時に大好きなオヤツを入れて持ち運ぶ容器が手の届く場所にあっても、容器に入ったオヤツは決して狙わないのだ。実験したことはないが、容器の蓋を開けたままで放置すればラテは食べてよいと判断するだろうが、蓋が閉まっていればそれを開けてまで中身を狙うことはしない。これはなかなか凄いことだとオトーサンは考えている。

勿論そうしたものを狙えばオトーサンからこっぴどく叱られることをよく理解しているからだろう。ともあれオカーサンとラテが寝ている寝室にオトーサンも支度をして入り、自分の布団の中に横たわるとオカーサンとラテが言い合わせたように軽いイビキをかいている…。なにかと厳しい世の中だが、1人と一匹の寝顔はオトーサンにとってささやかな幸せを感じる一瞬なのだ。



ジョセフ・ワイゼンバウム著「コンピューターパワー 人工知能と人間の理性」に注目

今回は先に映画「her/世界でひとつの彼女」のときに参考としたELIZAの生みの親、ジョセフ・ワイゼンバウム著「コンピューターパワー 人工知能と人間の理性」そのものを取り上げてみたい。一時はフレーム問題などを理由に真の人工知能の実現は不可能という話しもあったが、それはそれとして限られた環境における本格的な人工知能の実現は夢ではないという学者も多いようだ。


昨年「完全な人工知能は人類を滅亡させる危険がある」と車椅子の天才として知られるイギリスの理論物理学者スティーブン・ホーキング博士の発言がニュースとなって世界中を駆け回った。それは「いつの日か、自律するAIが登場し、とんでもない速さで自己改造を始めるかも知れません。生物学的進化の遅さに制限される人間がこれに対抗できるはずもなく、いずれ追い越されるでしょう」といった警告だった。

コンピュータが人類を凌駕し、反逆を企てるというSFのストーリーはこれまでにも数多く登場したが、その一端が現実のものとなるかも知れないという指摘だ。だがその正否について素人がとやかく言えることではないからスルーするとして、ここでは Siri のようなあるいは Knowledge Navigator のような知識ベースのAI、それもコンピュータと対話(会話)ができるテクノロジーの出発点ともなったELIZAに思いを馳せてみたい。

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※ジョセフ・ワイゼンバウム著「コンピュータ パワー 人工知能と人間の理性」サイマル出版会刊


本書「コンピュータ パワー 人工知能と人間の理性」はELIZAの開発者であるジョセフ・ワイゼンバウム(1923年1月8日~2008年3月5日) が1976年に出版したものの邦訳である。なお今回手元にある書籍を確認して気がついたことがある。それはカバーが再版時に変更されたようで中身の扉は「コンピュータ パワー 人工知能と人間の理性」となっているもののカバーの副題は「その驚異と脅威」に変更されている。しかしここでは「コンピュータ パワー 人工知能と人間の理性」に統一して話しを進めたい…。

ELIZAは AI ではないが、こうしたシステムに我々人間がどれほど思い入れ深く接し、その向こうに姿が見えない人格を思い浮かべてしまうという性向を持っている点が興味深い…。
さてELIZAはどのようなものだったのか…。まずは基本的なことからおさらいしてみよう。

ELIZAを端的にいえば、人と英語で会話のできるプログラムだ。MIT(マサチューセッツ工科大学)のコンピュータ科学科教授だったジョセフ・ワイゼンバウムが1964年から1966年にかけて研究し、コンピュータ科学関係の専門誌に1966年1月と1967年8月に報告したものだった。

さて、ELIZAの仕組みはこうだ…。会話者の一方である人間は、自身の言葉をコンピュータに接続されたタイプライター(英語)に打つ。するとELIZAと名付けられたプログラムはその内容を分析し英語でその答えをタイプライター上に打ち返す…。こうして人間とコンピュータの間で会話が続けられることになる。

ELIZA(イライザ)とは、映画「マイ・フェア・レディ」の原作であるジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」で有名なイライザに因んで名付けられた。そのイライザと同様に、教育することにより次第にうまく話せるようになるからだった。
ワイゼンバウムによれば、プログラムは二段構えの構造を持っていた。最初は言語分析プログラムだ。そして2つ目はどのようなテーマについて会話するか…という “台本” である。

最初の実験でワイゼンバウムがELIZAに与えた台本は精神治療医の役割を果たすべくDOCTORと名付けたものだった。なぜならロジャー学派の精神治療医を真似ることは比較的容易と考えられた。そのキモは患者の言ったことを反復することにより患者の内面を引き出すことを主なテクニックとしているからだった…。
例えばこんな感じか…。最初は人間から会話をはじめる。

僕はコンピュータが嫌いなんです
キライナンデスカ
だいたいが面倒で使いづらく難しいでしょ
何カトクベツノ例ガアリマスカ
え~と、キーボードって一番嫌いなんだ!
キーボードガ キライトハ ザンネンデス
早くやれと上司にいわれると余計嫌になるし…
アナタノジョウシニツイテ モットハナシテクダサイ

といった感じで人間側の発言をオウム返しにしたり、単純なパターンマッチングにより会話を続けるよう仕向ける仕組みだ。したがってELIZA側にテーマとなる…上記の場合でいえばコンピュータの知識は必要としない。こうしたソフトウェアはその後も多々生み出されたがMac版として記憶に残るのはやはり1984年にリリースされた「RACTER」というソフトウェアだろう。

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※RACTERの起動画面(上)と会話をはじめた一例およびフロッピーディスクとアイコン(下)


ユーザー側はキーボードから英文入力をするが、Mac…RACTERは英文表示と共にスピーチシンセサイザー機能で声(男性)に出すことができた。RACTERはスラングも多く英語圏のネイティブユーザーでないとなかなかついていけない内容を伴うが、いきなり「シェイクスピア知ってるか?」と話題を変えたり「ちょっと待ってくれ」と十数秒席を外した後に「待たせたな…」と登場するといった策を弄するなどそこに思わず人格を垣間見てしまうこともあった。

ちなみにiPhoneの iOS8に搭載されている Siri にもこうした上手にはぐらかす手法が使われている。
「話しをして…」とSiriに願うと最初は「前にもお話ししました」とか「それより○○さんのお話しを聞きたいです。将来の希望とか、夢とか。好きな映画のこととか…」と上手に相手へボールを投げ返す(笑)。

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※iPhoneのSiriにELIZAについて聞いたときの答えと人間側の依頼を上手にはぐらかす一例


ただし特筆すべきはELIZAが登場した1966年といえば、現在とは違いコンピュータとの対話は目新しかっただけでなく、あのApple II が登場する11年も前のことでもあり、パーソナルコンピュータなど無かったし、当然インターネットなどが利用できる時代ではなかった。そうした時代に ELIZA は人間と機械との対話をあたかも人間と人間の対話に見せかけようとした最初の試みだったのである。

そのプログラムを書いたジョセフ・ワイゼンバウム本人がコンピュータと人間との関係に脅威を感じたのが本書執筆のきっかけとなったという。
このDOCTORの知名度が高くなるにつれワイゼンバウムは大きなショックを受ける…。
まず多くの精神科医がこのDOCTORが成長し、将来は完全に自動化された精神医療が可能になることを真面目に信じたこと。そしてDOCTORと会話をする人びとが、極短時間のうちにコンピュータと深い感情的交流を持つようになり、コンピュータの相手を人間と同等のものとして扱おうとすることだった。さらにELIZAプログラムがコンピュータによる自然言語理解という問題に関しての一般的な解決になっていると広く信じられたことだ。
ワイゼンバウム自身はこれは “猿まね” であり “お遊び” レベルと考えていたELIZAだったが、ELIZAは作者の思惑を外れて独り歩きをはじめた…。

ワイゼンバウムが本書を書く動機となった主張のあらすじは “まえがき” に述べられている。それは第1に「人間と機械の間には差があること」、第2に「コンピュータにあることができるかどうかは別として、コンピュータにさせるべきでない仕事がある」ということを念頭におきコンピュータ、心理学、人工知能、人間、そして教育とコンピュータなどについて持論を展開している…。

勿論本書は1976年に発刊 (日本語訳は1979年) されたものであるから、すでに39年も昔の著作である。その間当然なことに科学も大きく進歩しコンピュータも人工知能といったテクノロジーも桁違いに進化した。したがって正直ワイゼンバウムの主張に古さを感じる部分もあるが、肝心の我々人間の心やコンピュータに託す心情みたいなものはほとんど変化がないといってもよいだろう。だからこそいまあらためてコンピュータとは何か、コンピュータは我々にとって何ものなのかを問うことも重要なことなのかも知れない。それが冒頭に記したホーキング博士の危惧を真正面から理解する縁になるに違いない。
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「コンピュータ パワー 人工知能と人間の理性」

1979年発行

著 者:ジョセフ・ワイゼンバウム
訳 者:秋葉忠利
発行所:株式会社サイマル出版会
コード:ISBN4-377-10456-X C1336
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端まで覆いガラス全面を守る、iPhone 6/6 Plus用つや消し保護フィルム発売

トリニティ株式会社は1月21日、iPhoneのガラス全面を守るフレームデザインのつや消し保護フィルム「Frame Film Anti-glare」をコンピューター周辺機器取扱店、および全国の家電量販店を通じて1月下旬より販売すると発表。なお本製品はTrinity Online Storeでも取り扱いする。


端まで覆う つや消しフレームフィルム
[ Frame Film Anti-glare for iPhone 6 ]
[ Frame Film Anti-glare for iPhone 6 Plus ]

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Frame Film Anti-glare(端まで覆う つや消しフレームフィルム)は、フルカバータイプのつや消し保護フィルム。
iPhone 6/iPhone 6 Plusはフチが曲面となっている。通常のフィルムでは曲面に貼り付けても端が浮いてきてしまうため、フチを避けたディスプレイ部分のみを保護する小さなサイズになっており、周囲まで保護することができなかった。
Frame Film Anti-glareは曲面となっているフチまで覆うことができるため、ガラス面全体を守り、安心して使用することができる。

▼ Frame Film Anti-glare for iPhone 6:価格/市場予想価格
  オープン/市場予想価格:1,200円(税抜)
▽ タイプ/型番/JANコード
  Black / TR-PFIP144-FLAGBK / 4582269474076
  White / TR-PFIP144-FLAGWT / 4582269474083
■ 製品ページURL

▼ Frame Film Anti-glare for iPhone 6 Plus:価格/市場予想価格
  オープン/市場予想価格:1,300円(税抜)
▽  タイプ/型番/JANコード
  Black / TR-PFIP145-FLAGBK / 4582269474151
  White / TR-PFIP145-FLAGWT / 4582269474168
■ 製品ページURL



iPhone 6対応!反射素材を採用し水洗可能なアームバンド付アクティブケース発売

フォーカルポイント株式会社は1月21日、iPhone 6にも対応した夜間でも安心して使える反射素材を採用した水洗い可能なスマートフォン用アームバンド付きアクティブケース「TUNEWEAR JOGJACKET for スマートフォン v3」を全国の家電量販店および雑貨店舗などを通じて発売すると発表。なお同社の運営するオンラインストアでも本日より販売を開始。


【JOGJACKET for スマートフォン v3 について】
JOGJACKET for スマートフォン v3 (ジョグジャケット フォー スマートフォン v3 以下、本製品)は、本体にネオプレーン素材を採用し、iPhone 6をはじめ各種スマートフォンに対応した反射素材採用のアームバンド付きアクティブケース。ケース本体とフリーサイズに調整可能なアームバンド部分に、軽量でスムーズな手触りのネオプレーン素材を採用している。

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[製品の主な特徴]
1.体に密着させられるフリーサイズ
  ケース本体とフリーサイズに調整可能なアームバンド部分に、軽量でスムーズな手触りのネオプレーン素材を採用しています。アームバンドは腕の細い女性から腕の太い男性まで装着する事が可能で、運動時にも腕にしっかりとフィットする。

2.タッチ操作に対応した反射素材付きクリアスクリーン
  大型のクリアスクリーンを搭載しているので収納した状態でタッチ操作が行える。クリアスクリーンの外周部分には反射素材を採用しているため、自動車やバイクなどのライトを反射し、夜間のランニングでもドライバーに自身の存在を知らせやすくなる。

3.コインやアクセサリを収納できるマルチポケットを搭載
  ケース前面にはキーやコインを収納できる薄型の収納ポケットが、背面にはクレジットカードやICカードが収納できるカードホルダーを装備。カードは開口部が上部にあるので装着したままでも出し入れしやすい設計を採用。

4.イヤホンやスピーカー用のポートを用意
  ケースに入れたままでも、iPhoneやスマートフォンにイヤホンを接続できるようにポートが設けられている。また、着信音や通話の妨げにならないように、スピーカーとマイク用のポートも開口されている。

5.水洗い可能でいつも清潔に
  そのまま水洗いできる素材を採用しているので、ワークアウト後にいつも清潔に保つことができるほか、JOGJACKETのクリアスクリーンが汚れた際も簡単に洗い流すことができる。

[製品仕様]
製品サイズ:約450(W)×166(H)×4(D)mm (ケース部分)
重量:約44g
素材:ネオプレーン

パッケージサイズ:約220(W)×205(H)×16(D)mm
パッケージ重量:約111g

[対応モデル]
・iPhone 6
・iPhone 5s
・iPhone 5c
・iPhone 5
・iPhone 4s
・iPhone 4

72.5(W)×146.5(H)×9mm(D)までのスマートフォン

定価:オープンプライス
オンライン直販価格:3,480円(税抜)

TUNEWEAR JOGJACKET for スマートフォン v3 製品ページ





女房用にと充電式エコ湯たんぽ「RE:HOT」を買ってみた

仕様はともかく”湯たんぽ” とか “あんか” と名のつく製品を買うのは初めてだと思う。私はこの歳になっても足が冷えるといった経験はほとんどないし寝る際に靴下を履くなど以ての外だが、女房はやはりというかこの時期寝入り端が冷えるらしく靴下を履いても寒いという。ということで安くて安全、そして使いやすいものをと探した結果、充電式エコ湯たんぽ「RE:HOT」を買ってみた。


北国の方には笑われるかも知れないが、この季節は私の住んでいる地域もけっこう寒い。東京都ではあるものの23区や横浜とくらべて4℃とか5℃も気温が低いときが多々あるからだ。したがって冷え性の人や女性にはやはり辛い時期なのだろう…。

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※充電式エコ湯たんぽ「RE:HOT」パッケージ


さて寝る際に布団の中に入れて足元を暖めるものはといえば ”湯たんぽ” とか “あんか” ということになる。私も子供時代はまさしくアルマイトとか真鍮でできた湯たんぽにお湯を入れ、専用の布袋に包んで使ったし、後半は ”豆炭あんか” という熱した豆炭を入れる “あんか” を布団に入れてもらった記憶がある。
しかし、いまそうした ”湯たんぽ” とか “あんか” を探すとなれば第一に安全と扱いやすさを考えなければならない。ということで結局選んだのは充電式エコ湯たんぽ「RE:HOT」という製品だった。安かったし…。

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※充電式エコ湯たんぽ「RE:HOT」本体と専用ケース


特長だがまずサイズは幅約265 × 縦約185 × 厚み約50 mmで重さは約1.3 Kgだ。蓄熱材に塩化ナトリウム水溶液を使っているため、手にした感じでは文字通りの “湯たんぽ” といった感じだ。ただし中身を入れ替えたりする必要はなく付属の充電プラグを本体に差し込み、電源プラグをコンセントに差して充電をする。無論繰り返し充電が可能だが、15分ほどでスピード充電ができ連続3時間から6時間の使用が可能だという。

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※付属の充電プラグを本体に差し込み電源プラグをコンセントに差して充電する


実際に充電してみると利用する室温などにも影響があるのか充電は20分少しかかっている。
充電した後は専用ケースに入れて使うことが推奨されているが、その場合はケース表面温度は約40℃前後という。なお充電直後の本体表面温度は約55℃だそうだ。
勿論専用ケースに入れた本体を布団の中に入れておけばまさしく “湯たんぽ” そのままで当然かなり暖かく感じる。

利用に際しての注意は取説にあるが、要点としては低温火傷に注意をすること。そして踏むなど大きな圧をかけないようにすることだ。そして一般的な電気アンカのように通電(充電)しながらの使用は禁止とされている。
その辺の注意を厳守すれば繰り返し充電でき、利用時にコードは不要だからどこへでも移動して手軽に使うことが出来る。無論前記したように ”湯たんぽ” の中身を取り替える必要もない…。したがって布団の中に入れて使うのは当然としても、寒い日には日中でも膝に抱えても良いし、色々なシーンで役立ってくれるに違いない。

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※充電済みの本体を専用ケースに入れて使う


そんな「RE:HOT」を充電するため充電プラグを差しながら忘れていた子供時代のことを思い出した…。台所で大きなヤカンで湧かしたお湯を金属製の湯たんぽに入れて蓋をするにしても、豆炭をあらかじめ真っ赤に熱するにしても相応の手間がかかった。その仰々しくも懐かしい準備をし、寝る前に布団に入れてくれた若い母の顔が思い出されて一瞬…足ならぬ目頭が熱くなった…。





映画「her/世界でひとつの彼女」を観て思うこと

2013年公開のスパイク・ジョーンズ監督・脚本によるアメリカSF恋愛映画「her/世界でひとつの彼女」を観た。コンピュータの人工知能型OSに恋いをした男をホアキン・フェニックスが好演していたが、さまざまな意味で考えさせられる映画だった。


映像も音楽も美しく、下手をすれば三流映画になってしまうようなテーマを正面から、そして繊細に描いた点は素晴らしい。以下多少のネタバレをしないと話しにもならないのでお許し願いたいが、アカデミー賞脚本賞を受賞したことでもうかがえるが質は高い作品になっている。

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※「her/世界でひとつの彼女」オフィシャルホームページより


ストーリーは近未来が舞台だが 、iOSのSiri を本格的な最新AI にしたようなサービス (声だけの彼女) に出会い恋いに落ちてしまう中年の男性...。ちょうど離婚話が進んでいる時期でもあり、悩み多い男の前に現れたサマンサというバーチャル女性に惹かれ、そして翻弄されていく。「あなたが…知りたいの…」などと言われればやはり動揺するに違いにない(笑)。
私にとっても人型ロボットより実態がなくても人と相対しているかのような会話ができるシステムは是非生きてるうちに体験してみたいと思いながら主人公に感情移入していった...。

すでにSiriにしても思わずニヤリとするような受け答えをするときがあるし、例えば自閉症の子供によい影響を与えているといった情報もある。
無論Siriはまだまだ本格的なAIとは言いがたいが、そもそも私たち人間はけっこう曖昧な会話で納得させられ感情移入してしまう生き物なのだ。事実人間同士でも会話だけ聞けば至極曖昧だが当人達は分かっているつもりになっている(笑)。

この手の話になるとよく引き合いにだされるのがELIZA(イライザ)だ…。
ELIZAはDOCTORという精神療法医のセラピストシミュレーションとして知られているが、MITのジョセフ・ワイゼンバウムが1964年から1966年にかけて書き上げたコンピュータプログラムである。ただしELIZAの基本は言語分析ルーチンとパターンマッチング技法によるものでAIといった高度なシステムではなく “人工無能” の起源といわれる。またスクリプト(テキスト)によるコンピュータとの会話だったが作者のワイゼンバウムが驚くほど話者(患者)はELIZAに感情移入し、相手がコンピュータであることを信じないケースが多かったという。

なおELAIZAとその類似ソフトウェアは現在様々な機種で走るものがあり無論Mac版もある。またMacの黎明期に登場した「RACTER」もそうした類のプログラムといえる。なおRACTERにはスピーチ機能が加わっていた。

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※1984年Macintosh用として登場した「RACTER」のマニュアル(上)とその機動画面例(下)


さて、面白いといっては語弊があるが、ELIZAへの反響の大きさはワイゼンバウムを悩ました。皮肉な事に「コンピュータ・パワー 人工知能と人間の理性」(Computer Power and Human Reason: From Judgment to Calculation)という自著でワイゼンバウムはコンピュータの限界を論じ、コンピュータを万能であるかのように見ている人々に人間や生命の重要性を説き「イライザとのコミュニケーションは底が浅く、人間社会にとって有害だ」と批判した。

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※ジョセフ・ワイゼンバウム著「コンピュータ・パワー 人工知能と人間の理性」サイマル出版会刊表紙


ましてや映画の中のサマンサは近未来における最新の人工知能型OSである。最初にサマンサと会話した際、極々一般的な仕様や能力を垣間見せるシーンがあったもののアルゴリズムだとかスペックといった興ざめなあれこれには触れていないから知り得ないことが多いが最後に Siriと同じく女性か男性かを選ぶことになる。
肉体はないが声も魅力的だし知的(コンピュータだから当たり前)で人間の恋人以上に相手を思いやりウィットもある。なにしろ調べ物を手伝ったりパソコンのデータ整理までやってくれるだけでなくバーチャルSEXの相手もしてくれるのだから...。

しかしストーリーとしては不満というか気になる点もある。
まずはサマンサと話すデバイスが小型の見開き型手帳とでもいった形状であり、別途無線で接続するインイヤー型ピースとで成り立っているが、その手帳型のデバイスがかっこよくないのだ(笑)。もう少し未来型のデザインであって欲しい…。

それはともかく私が一番気になったのはセオドアが夢中になっていくその人工知能型OSは (見落としていなければ) 果たして有料サービスなのか、あるいは無料サービスなのかというシビアな点に触れていない点だ。なぜならネタバレになるが、もし有料サービスであれば人工知能型OS側、すなわちサマンサから別れ話しを演出するなどということはいくら人間並みの知能と分別を持ったAIだとしてもビジネスの根幹にかかわることだからして不自然に思える...。

人工知能型OSのサービスがビジネスであり、現在のIT系サービス同様1人でも多くの参加登録者を得る努力をするのであれば他の展開があったのではないだろうか。それともSiri 同様サーバーにAIが置かれているわけで膨大な知識ベースとユーザーと交わしていく情報が蓄積しマッチングしていくはずだから、そうした個人情報の取得がビジネスの目的なのだろうか。
“1人とひとつの恋” の行へはロマンチックだが、その舞台裏を少し覗かせることでリアル感が増すと思うし、夢と現実とのコントラストが描けるはずなのでよりインパクトが強くなるように思うのだが…。

またサーバーといえば…セオドアも仕事でコンピュータを使っていることでもあり、コンピュータの基本が…サマンサのような対話システムが…どのようなものであるかは認識していると考えて普通だろう。サマンサがコンピュータシステム、コンピュータプログラムとして完全にスタンドアローンであるはずもなくサーバーに接続することでサービスを受けられるのだから “自分専用” と思う方がおかしいのではないか…。

結局、新しい恋を予感させて物語はフェードアウトする。やはりバーチャルよりリアルということなのか…。ともあれ人工知能が進化し人間並みに話しができるようになればそれは錯覚や思い込みとばかりと言っていられない時代がくるだろう。人型ロボットに対してもそうだが、利用者にとって人生における大切なパートナーとなっていくわけで、新しい価値観が生まれると同時に適切な法的整備も必要になってくるに違いない。
「her/世界でひとつの彼女」はそんな近未来に自分を置いてみるシミュレーションとして観ていただくのも面白いかと思う。

「her/世界でひとつの彼女」オフィシャルホームページ


ラテ飼育格闘日記(424)

またまたオトーサン大反省の巻…。オトーサンたちはワンコを飼ったのはラテが初めてだから、他のワンコとどのような点が違い、また共通なのかという細かなことは知り得ないでいる。しかし先日ラテが非常にデリケートというかあらためて感情豊かで心ある生き物だという事を思い知らされた。


ラテとの生活が9年目に入った。しかし毎日一緒に生活していても飽きるということがないほど日々新しい発見があって面白い…。
今更ではあるが散歩していて時に不思議だと思うことがある。首輪やハーネスにリードを付けて歩くわけだが、ワンコ自身としては思う方向や場所から飼い主にリードを引かれて離される場合もしばしばあるはずだ。もしこれが人間だったら大事になるに違いない。

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※ご機嫌なラテ!


なぜならそれらはまるで観ているテレビを消され、読んでいる本を取り上げられ、行きたい場所に行けず、座っていたい場所から離され、トイレに行こうとすれば禁止され、見ているタイムラインから引き離される…ということの連続みたいなことだからだ…。

「ラテ、今日はこっちへ行くんだ…。そっちではないよ」「バッチイ場所だから入るな」「このあたりでオシッコしてはだめ」「クンクンする時間が長いぞ」などなどでラテはオトーサンにリードを引かれ良し悪しはともかく自分の意志を否定される…。
こんなことが日々、365日続けばぶち切れて自由になりたいと飼い主に歯をむき、噛みついても不思議ではないと思うのだ。しかしワンコは…それをしない。だからこそワンコは人類生涯の友なのだが、人間側はそのワンコの優しさに甘えている面があるのではないか…。

人間は執念深く、数十年前の出来事や子供時代の出来事に至る恨みつらみを生涯記憶に留めている生き物だが、ワンコはどうなのだろうと考えてしまう。ただひとついえることはワンコも良し悪しの感情を持っているだけでなく記憶力も我々に劣らないほど優れていると思われる。楽しいこと、好きな人といった記憶、あるいは反対に怖かったこと、嫌いな人といったあれこれは人間並みに覚えているように思えてならない。だとすれば逆に鬱憤晴らしに飼い主に反抗するということも当然ありうると考えてよいのかも知れない…。しかしワンコは…正常なワンコはそれをしない。

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※オトーサンの真似をして?石垣に両前足を乗せて覗き込むラテ


実は先日オトーサンはあらためて考えさせられる出来事に出会い、そして反省させられた。
この冬場の散歩、特に夕方の散歩は夏場と違って早めに出て、できるだけ明るい内に戻りたいと考えている。しかしそうなると翌朝の散歩に至るまでの時間が長く十数時間も排尿を我慢させるはめになる。勿論自宅にシートを置いてそこで自由に排尿させていたが、ある時期から外でしかしなくなってしまったのだ。ために早めに戻った日はラテが可哀想だからと寝る直前にすぐ近所の小さな公園付近に連れて行きオシッコをさせるということを心がけている。ラテも心得たものでその時間になるとオトーサンのところまで催促しに来るときもあるくらいなのだ。

そしてものの5分程度で戻ってくるのが普通になっている。朝夕の散歩と違い、何の為に外に出たのかをラテも分かっているからだ。排尿してすぐに踵を返すのがいつものことだが、先日はどうしたわけかいつもの排尿エリアをはるかに通り越してもオシッコをしてくれない…。

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※この時期、特に夜は暗いのは勿論とても寒い!


しかしオトーサンはこのとき、いつもより迅速に用を足して戻りたかった確たる理由があった。
ひとつには軽いぎっくり腰で歩くのが少々辛かったこと、それ以上にその日は風呂から出た直後だったのだ。たまたまその時間帯になってしまったが、普段なら早々に用を済ませて帰れるからと出かけたものの当然この時期だから外は劇寒。重装備で出たが風呂上がりの身体にはその寒さがいつもより響くのだ。

ともかくラテはそんなことは知る由もなくズンズンと真っ暗な道を進む。数分経ってもいっこうに排尿の気配もなく…。オトーサンもさすがに焦れてきた。「ラテ、早くオシッコして帰るよ」と何度も言い聞かせたが我が娘は知らんぷりの体でのっそりと周りの臭いを嗅いでいる。
このままでは湯冷めをしてしまうと思ったオトーサンは「オシッコしないなら帰るぞ!」とリードをバシッと引き、足早に戻ろうとした。しかし知っているワンコの臭いでも感知したのか、ラテは「嫌だ」とばかり反抗する。正直頭にきたオトーサンは「ダメ!帰るぞ」と数回さらに強くリードを引き強引に進路を変更した。オトーサンはラテが嫌々ながらも帰り道でオシッコしてくれるだろうと思いながら…。

しかし気がつくとラテの様子が変なのだ。いつもならそれでも草むらの臭いを嗅ぎつつ、電柱があれば近づき…を繰り返すわけだが、どうしたことかオトーサンの顔を仰ぎ見しつつ、尻尾が下がっている。ために一向にオシッコをしようとする姿勢や気配を見せないのだ。
1度はキレたオトーサンだが、排尿のために出てきたわけでこれまで用を足さずに戻ったケースは1度もない。やはり明日の朝に出かけるまで我慢させるとなれば可哀想だと反省し、寒さに震えつつ戻るのを中止して一回りする覚悟をして歩きはじめた。

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※昼間の散歩は気持ちが良い


困ったことにラテの態度が変わらないのだ(笑)。とにかくリードするオトーサンに反抗はしないものの地面や植え込みの臭いを嗅ぐわけでもなくオトーサンに顔を向けながら歩く…。その表情は唸っているわけでも歯をむきだしているわけでもなく真ん丸の目を見開いて見つめるのだ。これは辛い…(笑)。

その表情は「オトーサンって怖いから嫌い!」「なぜ怒ってんのよ!」という批難の視線とも思えた…。
幼犬時代にリードを短く持って引いたとき、怒ったのかオトーサンの腰に数回両前足を上げて体当たりを喰らわした気丈な?娘だが、これまたオトーサンが怒ったことに対する抗議のように思えた。

なにしろ歩いている間、ずっとオトーサンを見上げているのだ!これまでこんなことはなかった。したがってオシッコする気配もなくすでに出かけてから15分を過ぎている(泣)。風呂上がりの身体はギンギンと冷えてくるが、こうなれば根競べだ。
近所で比較的明るい場所を一回りしようと覚悟した…。しかしラテは相変わらずオトーサンを見上げたまま歩く(泣)。
20分を過ぎた頃、一計を案じいままでと反対方向にリードを引いた。それはご近所に出会うと猛烈に吠える天敵みたいなワンコがいる。その家の前を通ってみようと考えた。

幸い偶然もあってこの策はうまくいった。なぜならそのお宅の近くにさしかかったときオトーサンたちと同じ考えなのだろう、そのワンコたちは夜の散歩から戻り庭へ入るところだった。ラテは遠目にそれを察知し早くも唸っている(笑)。ワンコたちが扉内に入ったのを確認してオトーサンはラテと共にその前を通った。

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※やっとオシッコしたラテと戻った直後の写真。どこかまだその視線はオトーサンを批難しているようにも思える ^^;


ラテはオトーサンが思ったとおり、そのあたりを急速に嗅ぎ回ったあげく少し先の草むらで長いオシッコをした!
オトーサンは完全に湯冷めをしてしまったが、家を出てから30分と少し経って戻ったことになる。心配して待っていたオカーサンがラテの身体を拭く前にオトーサンがラテの顔を間近で覗き込むとその黒い目はどこか怯えているようにも思えた。その表情を見つつオトーサンはワンコに本気で怒った自分を反省しつつ…ラテに頬ずりした…。



日経BP社刊「ジョナサン・アイブ」読了と危惧すること

昨年末に届いたリーアンダー・ケイニー著「ジョナサン・アイブ」(日経BP社刊)をまずは速読してみた。ただし個人的にはジョナサン・アイブのデザインに一抹の不安要素を感じている1人だし、彼の人生を知りたいとは思わない(笑)。ただただ本書への期待はアップルのIDg(工業デザイングループ)の様子とジョブズとの接点を知りたいと考えたからだ…。


スティーブ・ジョブズが1997年にアップルに復帰してからの活躍はあらためて申し上げることもないと思うが、その原動力となったのはデザインチームにいたジョナサン・アイブだった。しかしどうにも自分の実体験からしてジョナサン・アイブには全面的な信頼を持てないでいる…。

それらの実例としては過去に「私がジョナサン・アイブへ不信感を持っている理由(笑)」で述べた通りだが、それはそれとしてもジョブズ亡き後、アップルをアップルたらしめる人物はCEOのティム・クックを別にすればジョニーしかいないこともまた事実だし、これまで鉄のカーテンと揶揄されるほど情報が入ってこないIDgのありようが少しは覗けるのではないかと期待して本書のページを開いた…。

本書はタイトルそのままにジョナサン・アイブ(ジョニー)の生い立ちからアップルへの入社、そしてスティーブ・ジョブズに認められ絶対の信頼を勝ち得ていく過程が描かれ、かつ彼のデザインに対する考え方も紹介されている。すでにアップルの顔となったジョニーを考察する本書はたぶん多くの方達に共感を与え、ジョニーはますます賞賛の的となるに違いない。
だからこそ、ここでは少し視点を変えた見方をしてみたいと思う...。

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※リーアンダー・ケイニー著「ジョナサン・アイブ」(日経BP社刊)


ところでアップルの最初期からのユーザーとしてApple II は勿論これまでリリースされたほとんどの製品を実際に手にし、机上に置き、あるいはバッグに入れて使ってきた。そうした中で確信できることは世論の評価をも含めてアップルのデザインは常に時代の先端を走っていた。

いや、正確には中だるみの時代が確かにあった。性能はもとよりだが、デザインになんの工夫も感じられず、ただただこれまでのバリーションとして製品化されたように見えるものもあった。しかし初代MacintoshをはじめMacintosh SEApple IIcMacintosh PortablePowerBook100などは現在の視点から見れば時代を感じるものの、当時はアップルでしかなし得ないデザインだと高い評価を受けたものばかりだ。

ジョニーが優れたデザイナーであることは間違いないが、アップルのデザイン戦略は創業以来面々と続いてきた事を忘れてはいけない。ジョニー自身、アップルの製品にそれまでにない魅力を感じたからこそアップルに入社するのだから…。

したがって決してジョニーがアップルのDNAを作ったわけではないしジョニーだけが最高の製品を作ったわけでもない。それは過去製品や多くのモックアップの貴重な写真が載っている「アップル デザイン〜アップルインダストリアルデザインの軌跡」という豪華本を開けば納得していただけるに違いない。

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※ポール・クンケル著/大谷和利訳「アップル デザイン〜アップルインダストリアルデザインの軌跡」アクシスパブリッシング刊より


さて本書だが普段はなかなか情報が少ないアップルのIDgだが、その成り立ちやスタッフらの確執が見えて正直面白い。なぜNeXT時代からジョブズの信頼した部下でありジョニーの上司だったジョン・ルビンシュタインが退社するに至ったのか、またiOSの責任者として一部では次世代のCEOかも…と言われたことがあるスコット・フォーストールが辞めたのか…などについての話題もあり、噂どおりジョニーとの確執が原因だったのかとそれなりに納得…。そしてデザインがエンジニアリングを支配する過程が描かれている…。

さらにジョニーとジョブズの絆も出会ってから急速に深まっていく様がよくわかる。例えば194ページには…どこかのApple Store内だろうか…ジョニーとジョブズが寄り添い、笑顔で同じ方向へ視線を向けている写真が載っている。いみじくもその後ろにNeXT時代からずっと右腕だったルビンシュタインが険しい表情で写っている。

本書によれは、ジョニーは直属の上司だったルビンシュタインとしょっちゅう怒鳴り合っていたという。結局ジョニーは「自分か彼か」とジョブズに選択を迫る。無論ジョブズはジョニーをとる…。ジョニーはデザインしか頭にないただただ温厚な人物かと思ったら「戦うときには戦う男」でもあった(笑)。

しかし大変僭越ながら超マイクロ企業とはいえ足かけ14年間組織を率いてきた多少の経験からいわせて貰えば、ジョニーの役割が大きくなったのは良しとしてもその権限が巨大になっていく様はひとつの企業として舵取りの難しさを抱え込んだと感じてしまう。個人的にはCEOのティム・クックに同情を禁じ得ない。そうしたのは間違いなくスティーブ・ジョブズだったが…。

「アップルでジョニー以上に業務運営の権限を持つのは私だけだ。彼に指示を与えたり、口を挟んだりできる人間はいない。私がそうしたからだ。」とはジョブズの弁だという。なにしろCEOのティム・クックでさえジョニーに口だしできないというしオペレーション担当のある重役は「アップルを支配しているのはIDgだ」といっているそうだ…。

これではジョニーという存在はアップルを次のレベルに引き上げる起爆剤と同時に一歩間違えば誤爆する可能性も否めない。どのような組織でも社長やらCEOはともかく、1人に権限が集中することはトラブルの元とは幾多の歴史が証明していることではないか。これはジョニーがいかに謙虚で賢い人物だったとしてもだ…。
アップルのファンとしてはジョニーがアップルの地雷源にならないよう願うばかりだ。

ともあれ本書はジョナサン・アイブという希有な人物に焦点を当てつつ、彼を取り巻く人びとは勿論、スティーブ・ジョブズの姿、アップルの様子、特にIDgの活動や内部の様子が生き生きと窺える点が面白い。アップルのデザインに対する考え方を知り、そのプロダクトやデザインに興味のあるすべての方に目を通していただきたい1冊だ。
ちなみに巻頭の日本語序文を書いているのはあのITジャーナリスト兼コンサルタントとして知られている林信行さんだ。

林さんは巻頭でいみじくも「アイブこそ、世界一特殊な(あるいは未来的)企業、アップル社の、特殊さの源泉...」と解説されている。
ただし、だからこそ危惧も生まれる。何故なら生身の人間が集まっている企業(企業だけではないが)は利益を出すことや社会的使命など目標や指針というものがある。それらの実現に向けて日々の活動を続けていくわけだが、"特殊性" こそそれを維持する難しさは言葉では言い表せない...。繰り返すがひとつ間違えばその "特殊性" は亀裂の原因となりうることもこれまた事実である。

いくらアップルにとってデザイン重視だといっても、製品はジョニーだけで生まれるはずもない。優秀な多くの人たちが力を合わせるからこそ良い製品が出来上がり我々の手元に届くのだ。したがってジョニーの思惑で製品のあれこれに予定外の影響が出るとすれば決して望ましいことではないはずだ...。

なによりもすべての企業活動や経営・運営の責任は当然のことながらCEOにある。責任のある者に権限がなければならないのが組織の基本中の基本に違いない。もしジョニーにもの申せる人物がいないとすればアップルは特殊な組織というより危険な間違った組織体系になってしまったということになる。

ということでこの後のアップルの命運はCEOのティム・クックとジョナサン・アイブがいかにお互いを認め合い、よい関係を築いていけるかにかかっているように思える。
少なくともクックがジョニーとの確執に疲れて退任するなどということのないように祈りたい…。アップルという企業の舵取りは決してジョニーにできることではなくクックでなければなし得ないのだから…。

最後に本書を読み終わり気づいたことがある。それは今後、さすがにスティーブ・ジョブズに関する書籍は一時のようには発刊されないと思うが、その代わりとしてジョナサン・アイブをテーマにした本や論評は益々多くなっていくのではないか...ということだ。
ジャーナリズムはネタがなければ前に進めない(笑)。その一挙一動を見守られているアップルの要となったジョニーは好むと好まざるとを問わず、アップルを語る良材として取り沙汰されるようになるのかも知れない。
そして「いかにしたらスティーブ・ジョブズのようになれるのか」と多々論じられたように、「いかにしたらジョニーのようにデザインと向き合い良い結果が出せるデザイナーとなれるのか、あるいはアップルのような企業になれるのか」といった話題が氾濫するような気がする(笑)。


弓月ひろみ氏とのコラボ、ポシェットタイプの女性向けiPhone 6とiPhone 6 Plus用ケース発売

フォーカルポイント株式会社は1月15日、iPhoneケース展プロデューサー弓月ひろみさんとコラボレーションしたポシェットタイプの女性向けiPhoneケース「Julia PhonePochette for iPhone 6」「Julia PhonePochette for iPhone 6 Plus」を全国の家電量販店および雑貨店舗などを通じて発売すると発表。なお同社の運営するオンラインストアでも予約受付中。


【Julia PhonePochette for iPhone 6 シリーズについて】
Julia PhonePochette for iPhone 6(以下、本製品)は、iPhoneケース展プロデューサー弓月ひろみ氏とコラボレーションした、女性のための小さなポシェットのようなPUレザー製iPhoneケース。内側にはICカードなどが収納できるカードホルダーが搭載されており、スタイルにあわせて付け替えるられる肩がけ可能なピンクゴールドのチェーンストラップとハンドストラップが付属する。

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iPhone 6用には3枚、iPhone 6 Plus用には4枚のカードホルダーが搭載されています

[製品別カラーラインナップ]
△ iPhone 6 用
・TUN-PH-000365(ブラック)
・TUN-PH-000366(ローズ)
・TUN-PH-000367(ブルー)

       定価:オープンプライス
オンライン直販価格:各4,480円(税抜)
     発売時期:1月下旬

△ iPhone 6 Plus 用
・TUN-PH-000368(ブラック)
・TUN-PH-000369(レッド)

       定価:オープンプライス
オンライン直販価格:各4,680円(税抜)
     発売時期:1月下旬

Julia PhonePochette for iPhone 6 製品ページ
Julia PhonePochette for iPhone 6 Plus 製品ページ



Apple製品から "i" が除かれる日はいつか?

これまた無責任な初夢のひとつとしてお付き合いいただきたいが、Appleが今後どのように成長し変貌していくかを漠然と考えている。良くも悪くも「脱ジョブズ」が目立ってくるとは思うが、ひとつにはそう遠くない時期にアップルの製品名から "i" が取れる日がくるのではないかと思っているのだが...。


勿論 "i" のつくプロダクトは多々ある。ご承知のように iMac/iPhone/iPad/iPodというハードウェアだけでなくiTunesをはじめ、iPhoto/iMovie/iBooks Authorというソフトウェアも存在する。
そもそもこの "i" はスティーブ・ジョブズがAppleに復帰し1998年5月6日に発表された初代iMacから始まった。

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※1998年5月6日に発表された初代 iMac (ボンダイブルー)。当研究所所有


この命名は広告のクリエイティブ・ディレクターであり、あの "Think Different" キャンペーンに携わったケン・シーガルによるものだ。最初スティーブ・ジョブズはその名を気に入らなかったようだが結局 iMacと命名されることになった。
その "i" は小文字で表記され、インターネットを意味した。初代ボンダイブルーの iMacは簡単にインターネットへ接続できるマシンであることを強調した製品だった。

それから早くも17年となる...。その間、前記したように幾多のプロダクトの命名に "i" が付いてきたしスティーブ・ジョブズ自身も暫定CEOの時代に好んで "iCEO" と称した。無論それはインターネットの意味ではなく "interim" すなわち「暫定」といった意味で使われた名称だった。

要するに当初の具体的な意味合いから次第に離れ、Apple製品のひとつの象徴...アイコンとなっていった。スティーブ・ジョブズの iCEOは2000年のMacworld Expo San Francisco基調講演でやっと取り去られたが、プロダクトのいくつかには現在にいたるまで使われていることはご承知の通りである。

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※ジョブズの iCEOは2000年のMacworld Expo San Francisco基調講演で取り去られた


ただしAppleのプロダクトを象徴し、文具や雑貨に至るまで時代のアイコンとして真似された "i" も今となっては些か時代遅れの感は否めない。
そろそろプロダクトの名付けに変化が起きるのではないかと考える理由のひとつは無論スティーブ・ジョブズのいないアップルになっていること、そしてジョナサン・アイブの存在がより大きくなった社内においてより統一感を求めるようになるのではないかと感じるからだ。

プロダクトデザインにシンプルさと統一感を求めるアップルだとすれば、大切なその命名にそれこそ統一感がないことに気づいていないはずはない。
MacファミリーにしてもiMacの他にはMac Pro、Mac mini、MacBookというように "i" が付いているのはiMacだけだ。無論この場合の iMacは “i” を含めてのプロダクト名だからして後付けの “i” ではないのだが…。
また自社開発のアプリにしても前記したようにiTunesをはじめ、iPhoto/iMovie/iBooks Authorがある反面、GarageBand/Pages/Numbers/Keynote/Aperture/Final Cut Pro X/Motion/Logic Pro X/Safari/QuickTime等 "i" が付いていないプロダクトの方が多い。

当初はインターネットを意識しつつ個人向けの製品、すなわち “私 = I” という意味合いも含めた命名という経緯もあったようだが、例えばiMacは昨年にRetina 5Kディスプレイモデルが登場し完全にパーソナル向けと言い張るには無理がある(笑)。そしてインターネットも現在では特に冠とする意味合いはなくなったといえる。さらに "GarageBand" といった名と比べて "Photo" や "Movie" は一般名詞だからしてそのままでは商標としてふさわしくないと考えられ “i” が付けられたのだろうが、そろそろ"i" でなくてもよいのでは...。

ただし、プロダクト名を変えるといった重要なことはより良いきっかけ...機会が必要だろう。私は今年登場するとアナウンスされているApple Watchがそのよいタイミングではないかと考えた...。なぜならこのまったく新しいプロダクトはご承知の通り "iWatch" ではなく "Apple Watch" と発表されたからだ。

ただし例えば "iPad" が "Apple Pad" 、"iMovie" が "Apple Movie" ということになれば慣れないことも含めて少々その名は長ったらしい印象を与えるかも知れない。しかしAppleはここでもすでに手を打っている…。それが "Apple TV" だ。正式名称は無論 "Apple TV" なのだろうが、ハードウェア本体の刻印やマニュアル表紙などなどには "TV" と表記している。

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※Apple TVのパッケージと取説(設定ガイド)


これに習えば "Apple Pad" や "Apple Movie" は "Pad" "Movie" でよいではないか...。ただし勝手な想像だが "iPhone" のように世界中に浸透し親しまれているプロダクトは簡単に名称を変えることは難しく、しばらくは現状のままとなるかも知れない。

まあ、何の根拠もない考察でありこれまた初夢といってもよいかも知れない。とはいえ私は前に「アップルはシンプルさを失ったのか?」でプロダクトのラインナップに関して現在はシンプルさを失うほどのラインナップではないと結論づけた。しかしそれらの製品名については些か根拠が薄弱に思えるし繰り返すが “i” の意味合いも薄れてきたとも感じる…。

ただし最近発刊されたリーアンダー・ケイニー著「ジョナサン・アイブ」(日経BP社刊)によれば、ケン・シーガルの発言として "i" を外すかどうかの議論がアップル内でも持ち上がったとある...。だが iMac、iPod、iPhoneといったような統一性が優先されたと結論づけ「完璧に統一されているわけではないが、うまくいっている」と書かれている。
何がどのように「うまくいっている」のかは不明だが、曖昧のままのように思えるしこうしたプロダクト名の不統一をそのままにしておくなら、ティム・クックやジョナサン・アイブのシンプル指向も底が浅いと言わざるをえなくなる(笑)。

とはいえアップルのロゴをデザインし、アップルの黎明期は勿論、ジョブズ復帰後の時代も様々な問題時に知恵を貸したレジス・マッケナはいう...。「実は名前はあまり関係ないと思っています。名前そのものが問題なのではなく、その名前に象徴されるもの、その背景にある考えというのが最も大事なんです」と...。

これは社名について語ったものだが、商品名についても同じような考え方ができるのかも知れない。自分で主張しておいて大いなる矛盾だが、アップルが輝いているうちはどんなプロダクト名でも素晴らしい製品があるだけで嬉しいというべきか...。
さて、今年はそうした面での改革があるのかないのか、Apple Watch登場のあたりで再度占ってみたいと思う。



オムロン クッションマッサージャを使ってみた!

お陰様で持病を別にすれば毎日愛犬との散歩に出かけ、1万歩以上歩いているほどだから健康ということか…。しかし歳相応に体力は低下しているし足腰や肩は痛むときがある。そんなときのためにマッサージチェアを用意しているわけだが、いちいちその設置場所に動くのがどうにも面倒だし、Macに向かいながら腰を揉む…という夢をオムロン クッションマッサージャ(HM-341)に託してみた…(笑)。


このオムロン クッションマッサージャ(HM-341)を選んだ理由の1つがとても安価だったことだ。ネットで調べて見ると結構様々な簡易マッサージ製品があるのに驚かされたが、2番目の理由はメーカーがオムロンだったこと。この製品の正確なメーカー名はオムロン ヘルスケア株式会社だが、オムロンという企業には個人的によいイメージを持っているからだ。

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※オムロン クッションマッサージャ(HM-341)パッケージ


血圧計とか電子体温計といった類を除いて “オムロン” と名が付く製品を購入するのは無停電電源装置およびネコ形コミュニケーション・ロボットとして登場した「ネコロ」以来になる(笑)。ちなみにネコロの取材のために私は京都のオムロン本社に出向いたこともあるのだ…。

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※オムロン京都センタービルに入る筆者(2002年10月)


ともかくあくまでイメージではあるが、オムロン製ということで「クッションマッサージャ」を信頼して買ってみた。

「クッションマッサージャ」はその名の通り小型のクッション、あるいは枕といったイメージを受ける形状をしている。サイズは約390 × 105 × 265 cmで重量は約1.6 Kgだ。家庭用マッサージ機器として医療機器認証を取っている製品だが、最大の特徴は小型軽量故にどこにでも移動して使うことができることだ。

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※「クッションマッサージャ」は小型の枕のような形をしている


例えば腰をマッサージしたいときには常用している椅子の背の腰部分におけば良いし、肩が凝ったときには肩部位に自分の体重で押さえ込めばよい。その他投げ出した足の脹ら脛などなど工夫次第である。

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※常用のチェアの腰部分に置いた「クッションマッサージャ」


ただし一般的なマッサージチェアのように揉み玉の動きをいろいろと変化させるモードは持っていない。ただひたすら独特の動きで揉み玉が動くだけである。
クッションマッサージャはスイッチを押すとマッサージモードに入り、もう1度スイッチを押せばマッサージ機能にヒーター機能が加わり、再度押せば電源がOFFになるという具合だ。したがってマッサージは1種類の揉み方しか持っていないし強さも一定で可変できないが、自身の体重のかけ方で強さは変わってくるし、付属のカバーを被せる…被せないでも身体に感じる強さは加減可能だ。
さらに本体を180度回して置き方を変えれば揉み玉が上から下に動作する揉み方を下から上に揉み上げるやり方に変えられるわけだ。

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※「クッションマッサージャ」のスイッチ部位


実際に使った感じを申し上げれば、揉み玉の動きはカバーを付けた状態でも強いといってよいだろう。しかし弱い揉み方を強くはできないが強い揉み方はタオルや衣服を当てることで加減ができるわけで私には不都合はないと思っている。そして動作音も低く気にならない。またマッサージを開始してから15分で自動的にスイッチが切れるようにもなっている。

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※本体カバーを開ければ揉み玉は強くなる...


さらに本体カバーは取り外して洗濯が可能なのも実用的だろう。またそのカバーはブラウン/ピンク/ベージュの3色が揃っているが私はブラウンを選んだが別売品として別途購入も可能だ。

というわけで10日間ほど使っているが “どこでもマッサージ” といった感じで手軽で良いし “揉む” ということしかできないものの通常は十分だと考えている。
これでMacの前に座り作業しながらマッサージを受けることができるようになったわけだが、果たして効率は上がるのか…それとも…?(笑)。





ラテ飼育格闘日記(423)

正月だ元日だといってもラテとの散歩は休むわけにはいかないので辛いところ。それに今年は元旦からオカーサンが仕事なのだ。したがって正月気分どころではなくいつもと同じ1日を粛々と過ごすことになったが、実際に散歩にでれば人出がないなどいつもとは違うことを思い知らされる。


女房が元旦から仕事なので朝4時起きとなった。まさに正月気分などまったく味わえないままにラテファミリーは早朝にラテとの散歩を兼ね、オカーサンを駅まで送りつつルンルンの散歩となった(笑)。
無論まだ日の出前であり街灯が届かない場所は真っ暗だが、オトーサンが暮れに買った新しい強力なライトを煌々と点けて霜が降りた道を歩くことに…。

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※ラテファミリーには盆も正月もありません(笑)


そういえば元旦は広い公園で日の出を拝むのが恒例となっているものの昨年は起きられずにパスしてしまったから今年はこの機会に立ち寄ってみようと考えた。
調べて見るとこの時期、日の出の時間は6時50分頃だという。そうであればオカーサンと駅で別れて公園に向かったとしても日の出の時間までにはゆっくりと行ける…。しかし日の出前だから駅から公園までラテとゆっくり歩くとしても20分程度は街灯と手持ちのライトを頼りにしなければならない。十分周りに注意を払いながら白い息をはきつつ公園に向かった。

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※人っ子1人いない暗い道をライトを点けて歩く...


勿論この道を歩くのは初めてではないし暗い時間帯に行き来したこともあるから勝手はよく分かっている。しかし寒いのはともかく早い時間帯には違いないものの歩いている人がほとんどいないし車も通らないのがやはり普段の日でないことを思い知らされる。したがってオトーサンはラテが好む道ではなく別のルートで目的の公園に向かうことにした。なぜならまだ暗い道が多い場所、それも人通りがない道を好んで通るのは安全でないと思ったからだ。なるべく明るい場所を通っていこうとラテのリードを引くが、我が娘はオトーサンの思いなど知る由もなく行きたい方向へと引っ張る(笑)。

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※10数分歩くと空が白み始めた


ともかく駅からラテと歩いて20分程度は有にかかる距離をオトーサンとラテはライトを頼りに歩いた。さすがに10数分歩いていると周りは少し明るくなってきて気持ち的に楽になるがここまで人っ子1人にも出会わないのはやはり心細い…。こんな道、ラテがいなければこんな日に、こんな時間帯には絶対に歩かないよなあ…と思いながらラテを見るとラテが見上げる目と目が合った(笑)。

日の出まで後10分ほどの時間帯に公園にたどり着く。あたりはさすがに明るくなっていてやはり日の出を見るために来たと思われる数人が広い公園の高台の一郭に集まっていてワンコ連れの方もいる。しかしいまのところすべて知らない方達ばかりだがホッとする。
日の出方向の空を眺めると残念なことに地平線から上空にかなりの範囲で雲がかかっている。このままではいつものように日が出たとしても雲に遮られてご来光は直接拝めないと危惧するがこればかりは致し方ない…。

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※日の出10分前に公園に着いたが日の出の場所に雲が広くかかっていた


それはそうと一番の関心事はワンコのお仲間たちが来られるかどうかにあった。オトーサンたちがこの地に引っ越してきたときこの公園で元旦にご来光を拝むということを教えていただき翌年から毎年来るように心がけてきた。昨年は寝坊してこられなかったが例えば2009年の元日の映像を確認すると我々の他にハリーちゃんファミリー、マキちゃんファミリー、そしてクロちゃんファミリーが揃っていた。それぞれにお子さんもいて賑やかな一時だったと記憶している。

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※2009年元旦の様子。お仲間たちの家族とワンコが集まり賑やかで楽しかった...


そんな光景を思い出しながら朝日の昇るのを眺めていたオトーサンとラテだが、ラテはともかく底冷えしてくる。しかし危惧したように日の出の時間が過ぎ、明るくなってきても雲に遮られて朝日は拝めそうもないし何よりもお馴染みの方達の姿が見えない…。

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※日の出の時間が過ぎたがやはり雲に遮られてご来光は拝めなかった


皆さんお子さんも成長しこの寒空、一緒に日の出を見に出かけることも嫌がるに違いないし生活のリズムも年々変わってくるだろう。さらに地方に実家がある方はこの正月休みに出かけている可能性も高いし旅行に行かれているのかも知れない。暇なのはやはりラテファミリーだけか…(笑)。

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※ラテ、そろそろ帰るぞ!


しばらく時間をつぶし、ラテのリードを引き公園を離れようとしたときパピヨンの飼い主さんが近づいてきた。ワンコ同士は遊んだことはないが機会がある毎にラテを可愛がってくださる方なので新年の挨拶をして帰ることにする。さすがにラテも抵抗することなくオトーサンに付いてきたが、帰り道は明るいものの来たときより幾分寒く感じたオトーサンであった…。



App Store、新記録を樹立し、2015年をスタートと発表

Apple Japanは米国本社発表資料の抄訳として1月9日、AppleはApp StoreでアプリケーションならびにApp内課金として1月第1週の世界中の顧客が支払った金額が約5億ドルとなる新記録を樹立し、1日あたりの販売額でも2015年元日にはApp Store史上最高額を記録した日となったと発表。


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これに加え2014年は通年でも記録をぬり替え、この年、アプリケーションの販売額が前年比で50パーセント上昇し、デベロッパは100億ドル以上の収益を得た。今日までに、App Storeを通じてアプリケーションやゲームを販売するデベロッパに対して支払われた金額は累計で250億ドルに上る。これまでで最も重要なiOSのアップデートとなったiOS 8の登場により、デベロッパは革新的な機能性を提供する素晴らしいアプリケーションを新たに作ることが可能になり、それらのアプリケーションはApp Storeを利用する世界中のユーザーの圧倒的な人気となった。

ホリデーシーズンを通じて、App Storeのユーザーにはストア内の特設ページに用意された専用コンテンツの収益金すべてをエイズ撲滅に向けた世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)に寄付する特別キャンペーンApps for (RED)に賛同いただき、ここでも歴史が生まれた。Appleはこの四半期に新記録となる2,000万ドルを寄付し、(RED)支援開始以来、これまでの寄付金の総額は1億ドル以上に達している。

Apple Press Info



単3・単ニッケル水素充電池を同時8本充電可能な「Fast Battery Charger」レポート

いまさら省エネやエコと声を大にするのも時代遅れみたいだが、こうしたことは急にできることばかりでなく確実に意識改革ができないと長続きしないものだと思っている。我が家もこの1年をかけてほとんどの照明器具をLEDに変えた。それと共にかなりの量を使う単3形乾電池と単4形乾電池を使い捨てのものではなくニッケル水素バッテリーの充電式に取り替えた…。


照明の方は玄関、キッチンやリビング、仕事場だけでなく風呂場や洗面所、そしてトイレに至るまでをLED照明に変えた。後もう少し努力すればオールLED化になる予定だ。
これらと平行して少しずつではあったが消費量の多い単3形と単4形乾電池を充電式のものにしようと心がけてきた。実際周りを見渡すと乾電池駆動のアイテムは実に多いことを再認識せざるを得ない。

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※「Fast Battery Charger YJ-FBC8CH」のパッケージ


勿論これまでにも1番電池を消費する懐中電灯は充電式の電池を使うようにしてきたが、時に充電を忘れて一般的な乾電池を使わざるを得ない場合もあったりした。より効率的でエコをと考えて充電式バッテリーを大量に購入したと同時に今般新たに単3・単4ニッケル水素充電池を8本まで同時に充電可能な充電器「Fast Battery Charger YJ-FBC8CH」を買ってみた。
これまではパナソニックの4本同時充電可能な急速充電器を愛用してきたが、それと併用して使おうと考えた次第だ…。

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※「Fast Battery Charger YJ-FBC8CH」の本体(上)と付属のACアダプタおよびシガーソケット(下)


と同時にこれまで適当な箱に放り込んでいた電池もきちんと管理しようとバッテリーボックスを2個購入。これは単3形が12本と単4形電池を16本納めることができるケースだ。この中に入れるのはフル充電済みの電池ということにしておけば停電などの非常時にも慌てずに済む。

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※単3形が12本、単4形電池を16本納めることができるケース


ただしバッテリーの充電が間に合わなければ意味がない。単3と単4共に充電するには相応の時間が必要だし場合によっては4本同時充電では間に合わないときもあるので今回多くの電池を一度に充電できる充電器をと8本同時に充電出来る製品を手に入れた…。
これは単3・単4ニッケル水素充電池、それも容量の違う電池を最大8本まで混合して充電可能であり、その1本毎の充電状態が一目で分かる残量表示機能付だ。そして繰り返し使って持ちが悪くなってきた充電池をリフレッシュできる放電機能も付いている。

購入した「Fast Battery Charger YJ-FBC8CH」は少々安っぽいので心配したが今のところ問題なく使えている。ただし商品名は “Fast Battery Charger” となってはいるが急速充電には対応していないようだ。

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※液晶表示でバッテリー残量も1本毎に確認できる


コンセントに繋ぐと液晶部位がブルーに点灯する。そしてバッテリーをセットすると電池のアイコンが表示し「CHG」の表示と共に充電が開始される。充電中はアイコンの残量表示がループしながら点滅し、充電が終われば点滅がなくなり残量表示がフルの表示になる。これが一本ずつ管理できるので便利だが、残量表示は3段階というアバウトなのがイマイチか(笑)。

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※充電が完了した場合のアイコン表示


リフレッシュさせるのは液晶右にある「REFRESH」ボタンを長押しすれば「CHG」表示が「DISCHG(ディスチャージ)」となり放電がスタートする。放電は時間がかかる場合があるので寝る前などにセットしておくことにしているが、放電が終われば自動的に充電が開始される。
なお充電時間だが、取説(英文)によれば容量AA 1800mAhの電池は4.6時間、AA2300mAhは6時間となっている。

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※放電させてから充電も可能


ということで文字通り急速充電が必要な場合にはこれまでのパナソニック製で4本まで充電し、一度に多くの本数を充電したい場合にこの「Fast Battery Charger YJ-FBC8CH」を使うことにしているが、発熱も少なく便利に使っている。
まあ、これで本当に急速充電できれば完全なのだが、安価なので単3・単4ニッケル水素充電池を多用する方にはお勧めである。なお12本同時、16本同時充電可能な製品もある。





スティーブ・ジョブズが日本文化に興味を持ったきっかけは!?

スティーブ・ジョブズは日本贔屓だったといわれている。蕎麦や寿司が好きだった、あるいは日本の版画家である川瀬巴水や橋口五葉の作品を好み、京都にも度々足を運んだという。また若い時には永平寺を訪れて禅僧になろうかと思った時期があったほどのジョブズだったが、彼が禅とか日本文化を好んだのはそのミニマリズムにあったと思われる。それらから後年彼の口癖となった感がある「クール」とか「シンプル」という意識に通じる閃きを感じたに違いない。


スティーブ・ジョブズは大学をドロップアウトした後も宗教寺院を訪ねたり禅を実践したり、結局インドにまで旅をすることになる...。
とはいえ彼が日本文化そのものや禅の奥義を知り尽くし極めたというはずもなく、若い時には自分の未来に光明を照らす何かを求めた過程の行為だったと考えるのが妥当だろう。

ではそもそもスティーブ・ジョブズが日本文化とそのミニマリズムの魅力を知り興味を持った "きっかけ" はどのようなことだったのだろうか…。そうしたことを長い間漠然と考えてきたが幾多のジョブズに関する書籍やらにも「これだ!」と納得するようなエビソードには巡り会えなかった。無論私が読んだり見聞きした限られた情報の中ではあるが...。

さて、ジョブズは大学をドロップアウト後、ヒッピー同然の怠惰な生活の中で自分の進むべき道を考えていたに違いないが、ヒッピー文化との接点から禅に出会ったのではないか...というのがこれまで漠然と考えていたことだがどうにもはっきりしなかった。それが過日(昨年12月)Gigazinemaclalala2 で紹介されたビル・フェルナンデスの話題の中で一気に納得させられたのである。

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※PDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」の表紙。札幌のアパートメントで電卓をリペアしているビル・フェルナンデス(1979年)


元記事はZDNetおよびTechRepublicの編集者であるジェイソン・ハインナーが書いた「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」という記事である。
なお同サイトではビル・フェルナンデスを取材したより詳しいPDF版を登録ユーザーに無償配布している。そこにはより詳細なビル・フェルナンデスとAppleおよびスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックらとの交流と自身のこれまでが描かれている。

要約したGigazineの紹介記事によれば「ジョブズとウォズニアックを引き合わせAppleの最初の従業員として雇われたビル・フェルナンデスの存在はあまり多くの人に知られていません。」とあるが、Appleフリークなら知っていなければならない人物である。

ただし今回の記事の中で一番目を引いたことは量産のためにApple IIの配線図を書いたのがフェルナンデスだった、フェルナンデスがApple II 誕生にいかに重要人物だった…といったことではない。ジョブズが少年時代、すなわちジョブズとフェルナンデスが友達だったころのエピソードに私は眼が点となったのである...。
それはスティーブ・ジョブズが日本やその文化を知り、興味をもった最初のきっかけはビル・フェルナンデスの母親にあったのではないか...という示唆を目にしたからだ。

ジェイソン・ハインナーの記事によれば、フェルナンデスが5歳の時に一家はサニーベールに引っ越した。そこでフェルナンデスの母親はスタンフォード大学で極東文化を専攻していたという。その影響で母が手がけた日本スタイルの家でフェルナンデスは幼少期を過ごした。
フェルナンデスは母親の影響もあったのだろうか、合気道の段位をもっていたし自身日本に興味を持ち、後年札幌に2年間住んでいた時期があったという。そして一時期バハーイ教(19世紀半ばにイランでバハーウッラーが創始した一神教)の信者だったりもした。

前記したPDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」の表紙にはフェルナンデスが札幌に住んだアパートメントで電卓をリペアしている姿が使われている(1979年)。特に注目すべきはクパチーノにあったフェルナンデスの自宅の一郭が載っていることだ。それは彼の母親による日本風のデコレーションの写真であり、生花が飾られ壁には2匹の鯉を描いた日本画と思われる絵が額装され飾られている。花瓶の右にあるのは香炉の一種なのだろうか?

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※フェルナンデス家の日本風デコレーション例。PDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」より転載(写真提供:ビル・フェルナンデス)


日本画を拡大し作者を特定しようと思ったが、サイン部位が不鮮明だしもともと日本画に疎いこともあっていまのところ特定できていない。どなたかお詳しい方がおられれば是非ご教授いただきたい。

ともあれ想像をたくましくして当時を振り返ってみよう…。フェルナンデス家を訪れこの絵を少年スティーブ・ジョブズが見たとすれば、フェルナンデスの母親に「これはなに?」と聞いたかも知れない。ちなみに “日本画” は日本美術に強い関心を示したあのフェノロサが西洋から渡来した油絵に対して “Japanese painting” と称した和訳だというが、フェルナンデスの母親ならフェノロサの名も承知していたかも知れないし日本画の特長のひとつである「簡素な表現」や独特な空間処理のあり方などについてジョブズに説明しただろう。
こうした体験が後年川瀬巴水や橋口五葉の作品を好むようになる原点であったような気がするのだが…。

こうした点は私の想像だけではない。中学時代からフェルナンデスと友達だったジョブズはハイスクール時代に至るまでしばしばフェルナンデスの自宅を訪れていた。そこでスティーブ・ジョブズはフェルナンデスの母親が好んだ日本スタイルにデザインのミニマリズムを見、好むようになったのではないかとフェルナンデス自身がいっている…。
フェルナンデスの母親はジョブズをもう1人の息子と思うほどに可愛がり、ジョブズも慕っていたという。

フェルナンデスやジョブズのこの少年期は何にでも感化されやすい年代でもある。マイケル・モーリッツは著書「スティーブ・ジョブズの王国」の中で書いている…。ジョブズは好奇心が強く冒険好きで、感動と興奮を常に求め、文学と芸術映画に惹かれ、シェイクスピアを読みかじったり、英文学の教師に心酔したり、フランス映画「赤い風船」に夢中になったりしていた。そしてバッハを好みしばらくの間、学校のバンドでトランペットを吹いたりもしていた…。ただし常に一匹狼でスティーブ・ウォズニアックの弟のマークをはじめ、ハイスクール時代の同級生たちはジョブズのことを「本当に変わり者だ」と思っていたという。

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※マイケル・モーリッツは著書「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社刊


そんな感受性豊かなジョブズがフェルナンデスとその母親に感化され、フェルナンデス家の日本家屋および日本式の調度が象徴する日本的デザインの簡素で神秘的な造詣に惹かれ、初めて日本的文化の片鱗を心に刻んだとしても不思議ではない。
さらに友人のフェルナンデス自身、前記したように合気道を習い、イランが発祥の地の宗教にまで興味を持っていたわけであり、長い間一緒にいたジョブズは意識するしないに関わらずフェルナンデス家の家風から得るものが多かったのだろう。そして後年、ジョブズの散策...散歩好きは知られることになったが当時からフェルナンデスと一緒に散策を好んで続けたという。

この中学と高校時代の強い影響は、ジョブズをして東洋の禅や仏教に目を開かせ「シンプル イズ ビューティフル」「シンプル イズ ベスト」といった意識を不動のものとしたのではないだろうか。勿論ジョブズのいうシンプルは単に簡素ということだけではないが、何事にも最初の受け止め方が大切だ。スティーブ・ジョブズはフェルナンデスの母親から可愛がられたことと合わせ、彼女から発せられるミニマリズムの文化に心地よさを感じたのかも知れない。

【主な参考資料】
・PDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」
・マイケル・モーリッツ著「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社刊



未来のApple〜個人用コンピュータ40年に思う初夢

個人の手にコンピュータを...という夢を現実とした製品は1975年1月に登場したMITS社のAltair 8800だった。そして翌年1976年にはスティーブ・ウォズニアックの手によりApple 1がリリースされ、さらに1977年にApple II が登場した。そう考えると今年は個人向けコンピュータの歴史が認識されてから40年ということになる...。


1977年にワンボード・マイコンを手にしたのをきっかけにコンピュータの世界にはまった私だが、本場アメリカから遠く離れたこの極東でよくもまあマイコンだのパソコンだのといったものに興味を持ったものだとつくづく思う。
その長い時間の中でコンピュータと個人がどのように分かり合えるのかについて懐疑的になった時期もあったが、状況は想像もつかない形でいま我々の眼前に広がってきた。10年あるいは20年前に夢想したあれこれがいまだに実現していないこともあれば、思いもよらない展開を見せられたこともある。

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※個人用コンピュータはAltair8800で幕開けしApple 1を経てApple II で開花した


新年の第一報…初夢としてAppleの未来について占ってみようと思う。ただしここでいう “未来” が10年先のことなのか、あるいは半世紀先のことなのかは私にとってあまり重要なことではない。なぜなら10年はともかく、コンピュータに囲まれ、Macのソフトウェアを開発する会社を起業し、紆余曲折の末に現在に至った私だが、多分に後20年とか30年もの長い時間は残されていないからだ。
個人的にはいわゆる人工知能の完成形をMacで実現できるような時代にまで生きていたいが、こればかりは残念ながらどうしようもない…(笑)。

さて、これまで文化としてあるいはテクノロジーとして惹かれてきたAppleという企業が今後どのような方向に向けて舵取りされるのかは私らなどより投資家たちが神経を使うことに違いない。ただし一時は消滅するかと思われたAppleがここまで成功し企業として盤石の体制が整ったいま、5年先あるいは10年先の変化は凄まじいものになる気がして仕方がない。
事実Appleはスティーブ・ジョブズ存命時とは違った戦略を進め始めている。過日我が国の総理大臣にリークされた横浜に研究所を設けるといったこともそうした一環だろう。それはこれまでにない…さらなる未来に向けた投資でありAppleがまだまだ躍進しようとしている証しでもある。また必要があればその膨大な手持ち資金を活用し企業買収等の手段も行使できるだろうから、最先端のテクノロジーは益々Appleに一極集中となるような気がする。

しかし振り返って見ればAppleという会社自体、法人となってからたったの38年しか経っていないのだ。私がワンボード・マイコンを手にした1977年のその年にAppleは法人化しApple II を発表した訳だがその後、Apple III、Lisa、Macintosh(デスクトップ)、Newton、PowerBook、PowerMac、MacBookといったいわゆるパソコン製品に留まらず、ご承知のようにiPod、iPhoneそしてiPadと世界を変える製品群を生み出した。

面白いといっては語弊があるが、例えばiPodの登場は当初単なるMP3プレーヤーをAppleが作っただけ…という認識しか多くの人たちは持たなかったが、iTunesの存在と共に我々の音楽シーンと日常を一変しただけでなくiPhone開発への布石となった。
いまAppleはデスクトップのMacとノート型Mac、そしてiPod、iPhoneそしてiPadというラインナップを持ち、今年早々にはApple Watchが登場する。思うに10年後にはこうした製品ラインナップがどのようになっているか、それに伴い私たちの日常はどのように変わっているか...あるいは変わっていないかが気になってくる。

ではそのAppleの未来はどんな風になっているのだろうか…。初夢だからと言うわけではないが想像の翼を大きく広げ、勝手な希望を膨らませて考えてみたいと思う。
まず、10年後のAppleではどのようなプロダクトがあるのだろうか。一時はデスクトップ機の類が消滅するのではないかと言われたが、私は名称はともかく現行のiMac的なデスクトップ機あるいはMacBookといったノート型は現在以上に評価というか必要性が望まれ存続しているように思う。反対にiPadとiPhoneの存在は無くなっているというより大きく形や目的が変わると共にその存在意義も違ったものになっているのではないかと想像している。

余談だが個人的に携帯電話を使い始めて長いが、数年前と現在を比べてもその携帯電話というものの使い方は確実に違ってきていることに気づかされる。
例えば渋谷の駅を出てハチ公前を通ったと思っていただきたい。待ち合わせに使われる場所だけあっていつも結構な人数が携帯電話を使って話しをしていた…。「もう着いてるよ」「早く来いよ」「時間がないから先に行くぞ」などなど、それぞれが電話で連絡を取り合い、中には場所をも顧みずに大声を出しているオヤジもいた。
しかし最近はどうだろうか…。無論スマートフォンで通話をしている人もいるが数年前と比較すれば静かなものだ。何故なら携帯電話やスマートフォンを手にしていても彼ら彼女らはメールやSNSを使って情報交換しているからだ。電話…通話というリアルタイムにその時間に相手を縛ることになる行為、そして少なからず他人に会話を知られるという行為は自然に敬遠されていったように思える。

そのうち「スマートフォンって通話ができるんだ!」などと言い出す人がいるかも知れないし、”フォン” とか “電話” という名称が使われなくなってしまうかも知れないと夢想してしまう。
その大きな牽引力としてApple Watchを代表とするウェアラブルなデバイスが台頭するに違いない。時計型であれ眼鏡型であれ、普段はそれらのガジェットを身につけていることすら忘れるほど違和感のない軽くて小さな機器である。iPhoneにしろApple Watchにしろこれからの主要機能はゲームやエンタテインメントではなく医療やヘルスケアに関係する点が重要になってくると考える。

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※Apple Watchのリリースが待たれる...


現在の日本では医療器具としての実用性を考えるとなればその壁は高くて厚いが、次の時代に進むためにはこれまでの制度や規制を見直すと共に新しいテクノロジーや企業の参入を加速せざるを得ないだろうしAppleは医療向け製品とファッション市場への野望を秘めているように思えるのだ。

またMac単体でも当然のことながらSiriをフルサポートするに違いないし、何らかのAIが搭載されるだろう。
そうなればかつてジョン・スカリーが在籍していた時代のAppleが盛んに未来のMacの理想像としてアピールしていた “Knowledge Navigator” の姿が現実味を帯びてくる。

Siriが本格的な人工知能テクノロジーである Mac AI あるいは iAI と結び付けば一昔前にはあくまで想像の世界だった “Knowledge Navigator” が意外と早く身近になるような気もする。我々は自然な会話で必要な情報を検索し、コミュニケーションできるようになる。

Knowledge Navigator

※Knowledge Navigator


ただし過日、理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士が発言した通り、究極の人工知能が完成した暁にはそれによって人類の存在が危ぶまれることになるかも知れないという危惧はついて回る。しかし人類の飽くなき探求は良くも悪くも行き着くところまで進むだろうしそれが未来の人類にとって栄光となるかあるいは悪魔の所行となるかは不明だが、まあ私はこの世に存在しない時代のことなので心配はしていない(笑)。

しかしデータやコンテンツの可視化に関しては現行のディスプレイの延長線以外にどのようなものが登場するかを考えるとどうにもSF的になってしまう。
それを承知でもう少し魅力的な発想をするなら、Apple Watchがホログラフィック・ディスプレイあるいは仮想ディスプレイをサポートし、グラフィックや写真あるいはメッセージなどを机上や壁面、あるいは空間に生成できる日が意外と早い時期に現実となるかも知れない。そうであればデバイスの小さなことは不便に繋がらない…。あるいは自分の分身であるアバターが本人は自宅にいながら世界中を駆け回って人と会い、情報を集めてくれるのかも知れない。

したがって身につけるデバイスは未来のApple Watchと音声を外に出したくない場合には耳に超小型で骨伝導タイプのワイヤレス・イヤフォンを付けておけばあらゆる通話相手と会話ができるだろうがリアルタイムの通話自体、前記したように次第に使われなくなっていくように思える…。ともかくデータ容量が嵩むものは自宅やオフィスのMacに転送しておけばよい理屈だ。

そのApple Watchは当然のことながらApplePayに利用できるだけでなく将来は個人を特定するための公的なデバイスと認定されるまでになるだろう。だとすれば単なる買い物の支払時にクレジットカード代わりやコンサートのチケット代わりだけでなく交通、金融、医療、教育なども含めての個人認証、身分証明にもなるだろう。すでに米国ではスマートフォーンのアプリが運転免許証代わりとして使える州が登場したという。こうした傾向は弾みが付く形で浸透していくに違いない。

こうなると当然個人の情報に関するセキュリティもより重要になってくるし消費者としては心配事も多くなる。何故ならこれまで ITに関わるビジネスは可能な限り顧客のデータ…すなわち住所や名前は勿論、生年月日から配偶者の有無、趣味趣向にいたるまで可能な限りのデータを集めることがビジネス成功の鍵だと考えられてきた。そして時にそうした個人情報が大量に不正流出するという現実もあった…。

こうしたビッグデータといった人の生死にまでかかわる情報をAppleが牛耳るようになる時代がくるのかも知れないと危惧していたが、それは我々が知っているこれまでのAppleではなく、かつてスティーブ・ジョブズが嫌ったビッグ・ブラザーそのものになってしまうという危惧であった。
ただし我々の日常や仕事のやり方あるいはアプローチも変わっていくだけでなくIT関係に限らずビジネスのあり方および価値観そのものも急速に変容していくに違いない。そして既成のビジネスのあり方を変えるのはやはりというか…Appleなのかも知れない。

なぜならAppleはApplePay発表時に「顧客のデータはもう収集しない」と公言しているからだ。デバイスやガジェットだけでなくそのサービスが世界中に支持されることで今後益々Appleのプロダクトとビジネスの手法はその業界のスタンダードになっていくだろう。そのAppleがビジネスに顧客データを頼りにすることは時代遅れと言っているようなものだ。まあどこまで本気で宣っているのかは現時点で不明だが、逆に未来はプライバシーという概念そのものが無くなっている可能性もある。
街に出れば多くのセンサーに自身の健康状態から感情にいたるまでがリアルタイムに把握されているかも知れないからだ。

それはともかくAppleは製品そのものをデザインや機能あるいはユーザーインターフェースそしてパッケージに至るまで拘った新機軸を開きそれが市場の大きな支持を得ると共にスタンダードとなってきたが、そのAppleはプロダクトだけでなくサービスや企業のあり方、ビジネスの手法、価値観にいたるまでを根底から覆すパワーを持っている。業界のリーダーというより良くも悪くも世界中のビジネスの指針となっていくに違いない。

Appleとその製品は私らがユーザーとなったその昔、ホントに知る人しか知らない企業だった。それが電車の中で周りを見渡せばスマホを使っているそのほとんどがiPhoneだという時代になった。マイナーなApple、分かる人しか分からないApple…それが我々の愛するAppleだったが、現在の繁栄は正直嬉しい反面、どこか黎明期の香りを恋しく思っている自分がいる…。

Appleに危惧する点があるとすればジョブズ時代とのギャップではないか。無論ジョブズはAppleの創業者だし復帰後瀕死のAppleを救った張本人だったが現CEOのティム・クックはそのDNAを引き継いでいるとは言え自身の血の中に創業の志は流れていない。

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※Appleの現CEO、ティム・クック


一部のユーザーと向き合いつつ、最高最良のプロダクトを作り出そうとしてきたAppleは突如世界一の企業となったしそのプロダクトは世界のスタンダードになりつつある。今後は少々特異な企業、ユニークなメーカーといったことだけでは済まされず様々な点で市場や業界、競合他社の攻撃の矢面に立たされ、追われる立場を多々味わうことになるだろう。

私達にとってAppleは、単なるコンピュータや携帯電話を提供してくれるメーカーではないのだ。黎明期にはアメリカの最先端の香りと文化を伝えてくれたが、それだけでなく世界を変える...いや自分を変えるツールを提供できる他に類のない特異なメーカーなのだ。
それが出来たのは何といっても創業者であるスティーブ・ジョブズの力があったればこそだ。別に無い物ねだりをするつもりはないし企業も時代と共に変容していかなければならないから昔のままでいろというわけではない。しかしこれからも世界を、我々の日常をより良いものに、より楽しいものに変えうるパワーを持ちうるかという点について申し上げればそれは簡単な事ではないと考えている...。

世間、業界、消費者は輝いているものには飛びつくが飽きるのも早いものだ。Appleが巨大な普通の企業になっていくとすれば突如市場やユーザーに飽きられそっぽを向かれる時代がくるかも知れない...。それが少々気がかりでもある。

ということで勝手な想像はまだまだ膨らむが、きりがないのでこの辺にしておくことにしよう…。いずれにしても今年はこれまで以上にAppleから目を離せない1年となりそうだ。



ラテ飼育格闘日記(422)

新年明けましておめでとうございます! 今年も「ラテ飼育格闘日記」をよろしくお願いいたします。さてさて、暮れも押し迫った26日の朝の散歩でオトーサンは大失態をやらかした…。ラテと駆けっこをする中で盛り土になっているところからコンクリートの路面に走り降りようとしたところ、足がついていけず1秒とか2秒の間空に飛んで転がるはめとなった…。オトーサンの運命やいかに!


まあ、無事だったからこんなおふざけなことを書けるわけだが、状況が悪ければ顔や頭からコンクリート面に突っ込むことになったかも知れず、骨折や怪我で年末年始を病院で過ごすことになった可能性もあった…。
実はいつものとおり、オトーサンの左腕と左頬上にはウェアブルカメラを着けていたので本人が空中浮遊の上で路面に転がる様の一部始終が記録されているのだ(笑)。

そのウェアブルカメラの映像を確認すると、走り始めて「ヤバイ」と思った瞬間から両手を突くまでが約3秒、右横に受け身し回転の上で仰向けになるまでが約3秒だが、本人の意識としてはまったく時間の感覚がない...。ふわっと浮いて両手を突いたときも誰かに身体を支えてもらった感じといったらよいのか、勢いがついたはずの体重の衝撃は不思議に感じなかった。

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※朝の散歩でよくいく公園からは天気が良いと富士山の絶妙な姿を見ることが出来る


さて、散歩途中あまりにゆっくりと歩いていると「老犬かい?」と問われることがあるラテだが、興が乗ればオトーサンと一緒に走り、追いかけごっこを楽しむこともある。近くにドックランがあるわけでもないのでたまたまラテが好きないくつかの場所で走らせる事を心がけている。

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※よく遊んだ後はラテも生き生きとした表情をする


ちなみに朝の散歩で立ち寄るこの公園は高台にあって一般道路から隔絶していることでもあり、車や自転車などは通らない場所なのだ。したがって安心してワンコと遊ぶことが出来るしいくつかの起伏が作られていてどういうわけかラテはその一郭にある土の感触が好きなのだ。

そしてそこに立った瞬間オトーサンに遊ぼうのボーズをとるだけでなく、オトーサンが一声「おっ!」とか「そりゃあ!」とけしかけると嬉しそうに全速力で駆け回り、時に両前足で土を掘ったりする…。
その際もオトーサンはラテのリードを離すことはしないが、1メートル少しの長さしかない散歩用のリードでは遊べないので別途巻き取り式で5メートルまで伸びるリードを繋いで使うことにしている。しかし問題はラテが走れば少なからずオトーサンも走らなければならない(笑)。

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※こんな感じでラテとオトーサンは追いかけごっこで遊ぶ...


幼犬時代もボールを投げ、それを取りに行くラテや友達ワンコと全速力で走り会う時にもオトーサンは自分で言うのも変だが抜群のリードさばきで走りを邪魔せず、かつ周りのワンコや飼い主さんたちを避けるためにオトーサンも走っていた。それは少なからず現在も同じだが、面白いことに長年の学習でラテは直線的には長い距離を走らないようになった。オトーサンを中心に円を描くように左右に走り回るのだ。

勿論前後に直進することもあるが、それだと早々リードの限界が来てガクンと首に負担がかかることを知ったのだろうと推察しているが、その前に止まって戻ったり左右に回り込む事を覚えたのだ。
したがって少々狭い土盛りの場所でもラテは実に器用に走り回る。オトーサンはそのモチベーションを高めるために声を上げ、足を踏み出し、覆い被さるようなポーズをする。

しかしそれだけでは実にせせこましいのでタイミングを見計らって狭い路面を挟んだ向こうの土盛の場所に直線で走り込むこともする。そうした時のラテはそれこそ遠慮なく全速力で小山を駆け下りて向こうの小山に駆け上るということを喜んでやる…。いわばそうした一連の遊びは定番化されているわけだが、その日その時の直線コースは理由があっていつもより左寄りのコースをとった…。

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※オトーサンが駆け下りようとする瞬間


なぜならいつものコースの向こうには別のワンコが遊んでいたからだ。まだまだ距離はあるとはいえラテが直進して走ってくるとなれば脅威に感じて吠え出すかもしれないからそれは申し訳ないとオトーサンは考えた。したがって左寄りに外して駆け下りようとラテをリードし起伏のある場所から駆け下りた。勿論ラテは喜んでオトーサンの後ろから全速力で走り始めた。オトーサンはリードを緩めつつこれまたダッシュしたが、いつもと僅かながら地形が違うからか…瞬間「しまった!」と思った。

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※足が追いつかず身体が浮いた瞬間


走り切るつもりが足が追いつかずリードを持ったまま上半身が前のめりになったからだ。身体全体として小山を駆け下り始めたことでもありそれなりに勢いがついているから自分でもまずいと思った瞬間オトーサンはリードから手を離し両手を前に突き出した。

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※両手の掌を広げて落下から身を守ろうとする...


自分でも不思議だが、結果論ではあるものの大きな怪我をしないで済んだのはほぼ地面に平行に突っ込んだからかも知れない。大げさでなくスーパーマンが飛ぶような感じだ(笑)。そこはすでに舗装されたアスファルトだったが両手の掌を開きつつ同時に地面に押しつけて支え、頭や顔がぶつからないようにし衝撃を和らげ、連続技で右周りに受け身のように転がった。なぜ右なのか…は自分でもよく分からないが左に転べば左上腕に付けていたウェアブルカメラの本体は壊れていたかも知れない。

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※両手で衝撃を受け止めつつ右に転がった。手前に映っているのは肩から提げていたバッグだ(上)。そして頭をかばいつつ仰向けに...。フレーム下側にはバッグの端と靴の先が映っている(中)。そしてやっと身体を起こした(下)


幸いだったのは両手に散歩用の簡易手袋をしていたこと、そしてダウンを着ていたことだ。手袋は全部の指が出る形のものだが掌は手首まで塞いであった。そして両掌は道路に垂直に落としたから滑らすことはなく左掌は無傷、右もアスファルトの凹凸で僅かな傷がついただけだった。

後は右側に受け身のように転がった際に右腕の肘に小さな擦り傷が1箇所だけついたものの腰や両足、膝には何の損傷もなかったし、なによりも頭部が無事だったことは幸いだった…。ヘッドセットに取り付けたウェアブルカメラも常用の眼鏡も飛び散ったり壊れたりしていない。ウェアブルカメラの映像を確認するとまさしく逆立ちするように両掌だけで落下時の体重の衝撃を受け止めたこと、そのとき両足は宙に浮いていたことがわかる。

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※見上げると散歩で集まっていたお仲間たちと駆けてくる女房が視界に入った


ほんの1秒…いや0.5秒以下の判断といったことだけでなく自然に身体が動いたとしか言いようがないが、当然ながらこうしたケースを想定した訓練などするはずもないのだからラッキーだったという一語に尽きる…。一瞬でも体勢が違ったりすれば年末年始は病院のベッドの上という可能性も大だったと反省している。

ひとつ思い出したことがある。それは足が追いつかず身体が宙に浮いた瞬間から両手を地面に突きだして転がるまで瞬きはおろか眼を閉じなかったことも判断に微妙な影響を与えたのかも知れないと思っている。

頭を保護しながら仰向けの状態から上体を起こしたとき何事かと向こうの盛り土から女房が駆け下りてきた。ラテはといえばオトーサンの手を離れたリードがついたままこちらを見つめていたが、気に入らないのはその表情だ。女房もラテも驚いた顔でもなく、心配顔でもなく両者ともに笑っている…(笑)。

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※女房とラテの表情は「バカ!なに遊んでるの」といった感じか(笑)


まあまあ、笑って済ませられたことは何よりなのだが、ラテなど遊びの延長だと思ったのだろうか笑顔で近寄ってきた…。しかし自分でいうのも変だが、単に石に躓いて転んだのではなく坂道を駆け下る途中、勢い余って身体が一瞬完全に宙に浮き、コンクリートの地面に叩きつけられたわけで、よくこの歳で捻挫や骨折せず無事だったと不思議でもある...。
ともあれ、ラテと散歩に出るとどうしても楽しませたいと無理をしてしまうオトーサンなのだが、まったく面目ないことであった…。



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員