サンコー 充電式エアダスター 「SHUっとね」ファーストインプレッション

エアダスターはお使いになるだろうか...。私はけっこう便利に使う方だ。埃やゴミを取り除くには一番手軽な方法だと思うし、拭き掃除などができない精密機器の埃取りとなればエアダスターの独壇場だ。しかし市販のエアダスターはコストはともかく決して使いやすい代物ではない。


価格は容量で違うが一般的なものは一本500円程度だから惜しげもないが、けっこう消費するため買い置きしているはずが、いざという時に在庫がなくなっていることもある。また最近は逆さにして使えるものも出てきたが、これまでのものは逆さや横向きでは十分に使えなかったし時に冷却ガスが機器の表面を濡らしたり凍らせる勢いで噴射されるときもある。
さらにガスは可燃性で火気は厳禁だし、吸引すると害があるし臭いもある。その上、破棄する際にはガス抜きをしなければならないという面倒もついてまわる...。

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※サンコー充電式エアダスター 「SHUっとね」。筒状中央付近の突起がスイッチ、下にある四角い部分が電源スイッチ


ではそれらと比較してサンコー 充電式エアダスター 「SHUっとね」はどのような利点があるのだろうか。
その愛称はいささかふざけてるが、本体サイズは一般的なエアダスターと大きく変わるものではなく重量も462gと購入直後の300ml 標準的なエアダスター一本と比べて少し重たい程度だ。

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※ノズルを起こした場合


この 「SHUっとね」最大の特徴は充電式であり、内蔵バッテリーでモーターを回し空気を吹き出す仕組みだ。したがってガスは一切不使用なので臭いもなく火の気も特に気にする必要はない。持ち手にとって有害でないばかりか、精密機器を冷却したり濡らしたりすることもないし逆さの使用も問題なくできる。したがってカメラのレンズや精密機器に向けても問題は生じない。
さらにノズルの根本にLEDライトが付いているので暗い場所を照らしながらの作業ができるしノズルは折り畳みでき、収納時に場所を取らない。ちなみにノズルの長さは120mmある。

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※ノズルの根元上にLEDが付いている(上)。噴射するとノズルの先を照らしてくれる


なお充電時間だがフル充電までには約4時間半ほどかかるが、連続使用はモーターの負荷を考慮し5分程度までとマニュアルに記されている。また5分間なにも操作しないと自動的に電源が切れる。
ともかく初期投資は必要だがパワーが弱くなったら充電すればよく、一般のエアダスターのように頻繁に購入する必要はないのは楽だ。

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※底に付属のADアダプターのプラグを挿す端子がある


さて肝心の噴射のパワーだが、マニュアルには風速200kph以上とあるものの、まったく想像できない(笑)。ともかく実際に輻射してみるとフル充電していれば埃類を吹き飛ばすには十分なパワーだと思うが、ノズルの口径が一般的なエアダスターより太いことも関係しているのか比べれば弱い。
また噴射時の音はかなりうるさい。要は掃除機の逆といった仕組みだからして事実ミニ掃除機並の音が出る。さらに無理な注文だと思いつつ、もうすこしデザイン的な工夫がほしいところだ。
そういえば底の部分の合わせ目が滑らかでないためと同時にバランス的に頭でっかちなので本来なら立てて保管したいところだが、周りに支えとなるものがない場合は転倒する可能性が大だ。したがって念のためだが横にして保管するようにしている。

ともかくキーボードやマウスといったものだけでなくこれから年末にかけて大掃除の時期にもなる。充電式エアダスター 「SHUっとね」であれば地球に優しいことは間違いないし、従来のエアダスターでは使えなかった様々な場所で活躍してくれることを期待している。

サンコー 充電式エアダスター 「SHUっとね」



ラテ飼育格闘日記(517)

毎日繰り返されるラテとの散歩は、とかく惰性になってしまうものだがそれでも日々大げさでなく新しい発見があったり考えさせられる出来事に遭遇したりとなかなか面白い。このラテ飼育格闘日記では度々書いてはいるが、子供なら初対面でもフレンドリーなラテだが、大人だと吠えたり唸ったりする場合が多いのでオトーサンが一番注意をしている点でもある。


ではなぜ子供なら気を許すのに大人だと吠えるのか。ラテはその理由を語ってはくれないもののオトーサンにも想像はできる。それはやはり大人は怖いのだろうと思う。
ラテは推定ではあるが生まれてから1ヶ月か2ヶ月のあいだ野良ワンコ時代があったようだ。3ヶ月あたりでボランティアの方に拾われ大切に育てられ、6ヶ月たったころにオトーサンの家に連れてこられたのだった。

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※来月はラテと出会ってから丸々10年目だ。思えば本当にあっと言う間だった...


その短いとはいえ野良時代にトラウマになるような出来事、例えば大人に追われるとか叩かれるといったことなどがあったのかどうかについてはまったく分からない。

この10年間、ラテと同じ空間で生活しつつ毎日散歩にでかけて様々な経験・体験をしてきたが、やはりラテから見て人間の大人は背丈が高いし威圧感があるのではないかと考えている。ただし単純に大人には警戒心を持つというのではなく、幼犬時代から可愛がってくださった数人の飼い主さんはもとより、当時は子供だったがいまでは成人された人たちに出会うとき、ラテの喜びようは大変なものだ。2年や3年まったく会っていなかった人たちだとしてもきちんと覚えているのが凄い。

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※子供好きのラテもタジタジ(笑)


長い間、ラテを観察しているとラテにとってどれほど気を許した人なのか、好きなのかがその態度でわかるようになった。
大人であっても子供であっても、ラテの反応はいくつかの段階に分類できる。まずは吠えないものの臭いを嗅ぐだけで興味をもっていないように振る舞う段階がある。したがってその表情は無愛想だ。この場合は吠えないがときに緊張している場合もあるようで、尻尾が下がっているケースもある。
次の段階は近づき、口を開けて笑顔を向けて体を寄せていく段階があり、その人の足元に座り込むこともある。

ラテが信頼を通り越し、友達というのか好きであることを示す行為が口元や顔を舐めにいくことだ。また相手が立っている場合には手を舐めたり、生足を舐めたりもするがこれは人間側がそれを許してくださる人に限っての観察になるのは当然だが…。
そしてゴールドランクの相手となるとラテの行為はより積極的になる(笑)。
例えば相手の人が座っている姿勢のとき、単にその顔や口元を舐めるだけでなく、膝に前足をかけて頭の高さを人と同じにして口元や耳を舐め回し、相手が許してくれればラテの前足は相手の人の腕やときに肩にかかり、まるで抱きつくような姿勢になる。

このとき、舐めるのが終わってもラテはその人にワンコ特有の遊びのポーズをとったり、お尻をぶつけてみたりする。
問題はラテにとってこうした段階というかランクといった違いはどこからくるものなのか、判断の基準は何なのかについて知りたいところだが、先日そのステップの秘密を垣間見るような体験をした。

近所の砂場の公園でラテとよく遊んでくれる小学生の女の子がいる。その子に出会えばラテは笑顔で近づき、ときに雄叫びをあげて喜びを表すし座り込めば口元を舐めようとする。
その女の子の母親が、弟を連れてはじめてラテに近づいて来たときオトーサンは「お子さんは大丈夫ですが初めての大人の方には吠えますので」と申し上げた。ワンコの吠え声には多様な意味があり単に威嚇だけではないが、ワンコをよく知らない、あるいは怖いと思っている人にとって吠えられるのは不快であろうことを案じてのことだった。

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※歩みが遅れたオカーサンを振り返った待つラテ


その後、回を重ねて公園でお子さんたちと共に出会うようになると、母親はラテに接近したり手を出したりはしないもののリードを持っているオトーサンと挨拶程度の言葉を交わすようになった。そうしたことでラテも警戒を解いていったのか、足元に近づいても座り込んで手を出してくださっても吠えることなく臭いを嗅ぐようになった。

先日もお馴染みとなった親子が砂場の公園にいた。また周りには子供たちも数人遊んでいたが、ラテを見知っている子が集まってそれぞれ思うようにラテの背や頭を撫でている。
そこにお馴染みの姉弟と母親が来てくれた。無論ラテは姉弟にはフレンドリーだが座り込んでくれた母親には吠えなくなったもののオトーサンとしては安心はできない。これまで人に対して危険な行為をしたことはないが、誤ってだとしてもラテの歯でもぶつかって顔に傷でもつけてしまったら申し訳が立たない。したがっていつものとおりリードを強く保持した。

それでもラテは尻尾を振りながら耳を倒し、口を半開きにしつつ笑顔で母親に近づこうとするのでオトーサンも少しずつリードを緩めていった。
母親も両手を出して「来てくれたの!」と声をかけながら撫ではじめた瞬間、ラテは母親の口元を舐めだしたのだ。驚きつつ少し安堵したオトーサンはリードをまた一段緩めたが、母親がラテの行為を許してくださるからこそ成り立つことなのだが、ラテは夢中といった感じで顔や耳まで舐めている。

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※馴染みの女の子の母親に対して最大級の喜びを表した


そのことで味をしめたのか、ラテは翌日も翌々日もその公園にいったがファミリーには会えなかった。まあまあ親バカではあるがそのときのラテの落胆の表情は本当に寂しそうなのだ(笑)。後でお聞きしたらお姉ちゃんが熱をだしたとかで外出できなかったのだというが、ラテの吠え声を聞き母親だけわざわざマンションのエントランスまで出て来てくださった。

そのとき数日ぶりで母親と出会ったラテはオトーサンも感動するほどの喜びようで、腰を落としてくれた母親の膝に登りながらなんということか前足を母親の肩にまでかけ、まるで抱きつくようようにして口元を舐め始めた。

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※次ぎにお会いしたとき、ラテは女子の母親に抱きついた!


オトーサンが感動…というのはそれなりの理由があるのだ。
相手が大人の場合、ラテがこれほどの積極的な姿勢を取るのはこの10年間でも数える人数でしかない。それもほとんどは女性だが、マキちゃんのオカーサンとハリーちゃんのオカーサンたち、そして男性ではボビーちゃんのオトーサンくらいしかいないのだ。
そしてこちらに引っ越しして3年になるが、この地では柴犬アンリちゃんのオカーサンくらいなのだから…。さらに特筆すべきはご紹介した方々はすべてワンコの飼い主さんなのだが、先の母親はワンコを飼われていない方なのにラテが抱きつくまでの態度を示したからこそオトーサンが驚いたのである。

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※ラテが大好きな柴犬アンリちゃんの飼い主さん。これまた最大級の喜びを表す


ラテがどのような判断基準で好き嫌いが決まるのか、それはまだまだ分からないが、母親は後で大の動物好きだとお聞きした。その思いがラテに伝わるのだろうか。そしてあらためて気がついたこととして座る姿勢をしてくださると前記した威圧感がなくなるのか安心するらしいことは想像がつく。無論そうでなければ顔を舐めることもできないわけだ…。
しかしそうだからといって特に大人の方に、それもワンコの飼い主さん以外でこれだけ夢中に抱きつくラテはこれまで見た事がなかったのでオトーサンは感動したのだった。
それにしてもその1/10でもいいからオトーサンにも態度で示して欲しいとちょっぴり嫉妬心が湧いてきた飼い主がいることは内緒である(笑)。


Apple、新境地を開く新しいMacBook Proを披露

Appleは10月28日、これまでで最も薄くて軽いMacBook Proを発表した。従来のファンクションキーに代えて、Touch Bar(タッチバー)という名称の、鮮明なRetinaクオリティのMulti-Touchディスプレイを搭載した、まったく新しいインターフェイスが特長。


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新しいMacBook Proは、Appleのこれまでの製品の中で、最も明るく最もカラフルなRetinaディスプレイ、Touch IDのセキュリティと便利さ、より反応の良いキーボード、より大きな感圧タッチトラックパッド、そして2倍のダイナミックレンジを持つオーディオシステムを搭載している。また、これまでで最もパワフルなMacBook Proでもあり、第6世代のクアッドコアおよびデュアルコアプロセッサ、前世代に比べて最大2.3倍のグラフィックスパフォーマンス、超高速SSD、そして最大4基のThunderbolt 3ポートを搭載している。

Touch Barによって、ユーザは多くのアプリケーションを指先で簡単に操作することが可能になる。Touch Barは、システムやメール、Finder、カレンダー、Numbers、GarageBand、Final Cut Pro Xをはじめ、サードパーティのアプリケーションなど、さまざまなアプリケーションに応じて動作する。例えば、Safariの使用時にはTouch Barでタブやお気に入りを表示できる。また、メッセージでは絵文字にすばやくアクセスしたり、写真アプリケーションでは画像編集やビデオのプレビュー操作を簡単な方法で行ったりできるようになる。

【価格と販売について】
13インチMaBook Pro(148,800円)は、2.0 GHzデュアルコアIntel Core i5プロセッサ(Turbo Boost時は最大3.1 GHz)、8GBのメモリと256GBのフラッシュストレージを搭載し、本日から出荷される。
革新的なTouch BarとTouch IDを搭載した13インチMacBook Pro(178,800円から)は、2.9 GHzデュアルコアIntel Core i5プロセッサ(Turbo Boost時は最大3.3 GHz)、8GBのメモリと256GBのフラッシュストレージを搭載し、2~3週間後に出荷される。
15インチMacBook Pro(238,800円から)は、革新的なTouch BarとTouch ID、2.6 GHzクアッドコアIntel Core i7プロセッサ(Turbo Boost時は最大3.5 GHz)、16GBのメモリと256GBのフラッシュストレージを搭載し、2~3週間後に出荷。

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Apple、Final Cut Pro Xの重要なアップデートをリリース

Appleは10月28日、プロフェッショナル向けビデオ編集アプリケーションのFinal Cut Pro Xに、マグネティックタイムラインに対応する新しい画期的な編集機能、最新のMacBook Proに搭載する革新的なTouch Barへの対応、広色域ワークフローに完全対応する再設計されたインターフェイスなどを特長とする重要なアップデートを発表した。


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Touch Barはキーボードの従来のファンクションキー列をRetina品質のMulti-Touchディスプレイに置き換えたもので、指先ひとつで直観的に状況に応じた操作ができ、Final Cut Pro Xにダイナミックに適応する。また、AppleはMotionおよびCompressorのアップデートもリリースした。

【価格と販売について】
Final Cut Pro 10.3は本日よりMac App Storeを通じて、既存ユーザには無料アップデートとして、新しいユーザには34,800円にて提供開始。Motion 5.3 および Compressor 4.3も同様にMac App Storeを通じて、既存ユーザの皆様には無料アップデートとして、新規ユーザの皆様には各6,000円にて提供開始する。

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Apple、Apple TV、iPhone、iPadのための新しいTVアプリケーション発表

Appleは10月28日、Apple TV、iPhone、iPadで、統一された体験を提供し、複数のアプリケーションのテレビ番組や映画をまとめて検索してアクセスできる、新しいTVアプリケーションを発表した。


TVアプリケーションは、1か所でテレビ番組や映画にアクセスしたり、新しいコンテンツを見つけて視聴したりできる。Appleはまた、SiriのApple TV向け新機能において、視聴者が利用する複数のアプリケーションで、生放送のニュースやスポーツイベントに直接チャンネルを合わせることができるようにした。これらの機能により、Appleのデバイスでテレビ番組や映画をこれまで以上に簡単に視聴できるようになる。

【提供について】
TVアプリケーションとシングルサインオンは、Apple TV(第4世代)、iPhone、iPadを利用の米国のお客様を対象に、無料のソフトウェアアップデートとして12月に提供される。Siriを使った生放送の視聴は、本日から利用可能。詳細については apple.com/jp/tv を参照のこと。なお機能は変更される場合があり、対応するアプリケーションにのみ適用される。また機能によっては一部の地域または言語だけで提供される可能性がある。

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[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第13話 Disk II 誕生

加賀谷友彦は1976年12月6日に出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩が...。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープしカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そしてスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※


■第1部 ー 第13話 Disk II 誕生
Apple IIは売れ続けていたが、市場が広がるにつけApple II はホビーストだけのものではなくなっていった。それはより厳しい世間の批評に曝されることになったことを意味する。
1番のクレームというか評判がわるかったのはApple II のカセットインターフェースだった。無論ウォズが作ったものだが家庭用のカセットテープレコーダーを記憶装置として使うことができランニングコストは安価だったがApple II だけの問題ではなかったもののその信頼性には問題があった。カセットテープをコンピュータの記録媒体に利用することはAppleの発明ではなく、この頃のパソコンの多くがそうだったのだ。

信頼性に問題とは、例えば同じApple II でも違うカセットテープレコーダーを使うと巧く行かないことがあったりする。ホビーストたちにとっては珍しいことではなく「相性が悪い」で済んでいたものの一般ユーザーにとっては欠陥品と映った。
さらにカセットテープによるデータの書き込みや読出しには時間がかかり、ちょっとしたゲームでも数分、コンピュータ言語のようなものだと10分ほどかかることもざらだった。そのうえ、ロード中に読み込みエラーとなる場合もあり得たしコンピュータへの期待が高まり多様なデータにアクセスしたくともカセットテープではランダムアクセスができなかった。

さてこの時代にフロッピーディスク装置が無かったわけではない。しかし8インチの大型の製品が主流でシュガートのSA800が市場を席巻していたがやっとサイズの小型化を目指して5.25インチのSA400が登場した。

1977年の12月、マイク・マークラは翌年1月にラスベガスで開催されるCES 国際家電ショーまでにディスクドライブの可能性を明確にしたかった。
取締役会の席でマークラは同席したスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアク、ロッド・ホルト、マイク・スコットそして私の全員を見回してからいった。

「知っての通り、私は最近ランディの力を借りて小切手帳管理プログラムを作っている。これはそんなに大きなプログラムではないがカセットテープによるセーブ/ロードにはウンザリしてるんだ。市場は日々大きな容量が必要なプログラムが必要となるしその兆候も出てきている」
一息入れたマークラは続けた。
「是非フロッピー・ディスクドライブの開発を進めたい。勿論これを実現できるのはウォズしかいまいが…」

とはいえウォズはフロッピー・ディスクの動作原理については詳しく知らなかった。しかし以前ヒューレット・パッカード社に勤めていたとき、シュガート社からマニュアルを取り寄せたこともあった。
ともかくSA400の実機をスティーブ・ジョブズがどこからか調達してきた。ウォズは目新しい機器を手にして持ち前の知的好奇心が膨らんでいった。

「僕がフロッピーデスク装置に精通していなかったことが幸運だったと思うよ」
ウォズは笑顔で私に話してくれたことがあった。
制御方法や回路設計に関してもウォズはこれまでの常識にはとらわれず、一から独自の考え方で難関を突破していった。
「僕は難しいと言われたことに挑戦するのが好きなんだ。巧く行けば自慢できるしね」

しかしロッド・ホルトもスティーブ・ジョブズもあらためてウォズの天才ぶりには驚いた。
ホルトはいう...
「あのSA400のマニュアルをどう熟読したのかわからないけど、あれだけの情報から動作原理を完全に理解しただけでなく回路の簡素化を思いつくなどウォズしかできないことだよ」
マークラも、
「まさしくウォズは魔法使いだな」
凄いというより呆れていたというのが周りの人たちの感想だった。

そのウォズもディスクへのデータ読み込および書き込み、フォーマッタのソフトウェア作りにはランディ・ウィギントンの応援を求めた。
ウォズとランディはクリスマスが迫る頃、本気を出したようだ。昼夜を問わず働き続けクリスマス休暇も返上で働いた。
ただし社長のスコッティはイライラのしっぱなしだった。
「できるのか、できないのか。俺には製品発表と出荷日を決める役目があるんだ。胃が痛いよ」

いつもは途中で飽きて仕事を先延ばしすることも多いウォズだったが、ホルトが驚嘆するほどフロッピーディスクドライブ開発には入れ込んでいた。
「奴は本気だよ。トモ」
ウォズの監視役だったホルトは愛用のキャメルを咥えながら私にウォズの働きぶりを聞かせてくれた。
「精魂かけて取り組んでいるよ。鬼毛迫るというか狂気に近い集中力だよ」
事実たまたまウォズとすれ違っても魂がどこか別の所にあるようでブツブツと独り言をいっていた。その姿は寝ることや食べることなど眼中にないように思えた。

それでもウォズとランディは展示会までにはディスク用のオペレーションシステム作りは間に合わないと考えていたらしい。ともかくデモ用でいいから開発を完成したいと努力したがやはりラスベガスに立つ日までには間に合わなかった。
しかしラスベガスの雰囲気はウォズとランディをうきうきさせた。開発を徹夜で続けながらときおり息抜きと称して賭け事で憂さを晴らした。
ランディはダイスで35ドル稼いだことに有頂天になったのか、開発中だったディスク内のデータをうっかり消してしまうというアクシデントを起こしてしまい一時はデータ復旧を絶望視したほどだった。

そのDisk II と名付けられた5インチ・フロッピー・ディスクドライブはウォズでなければなし得ない成果だった。ウォズ自身も後年当時を振り返って「自分にとって disk II はApple II 以上に素晴らしい製品だと思うし、生涯でもっとも気に入った誇れる製品だよ」と言っている。

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※Apple II 用 Disk II (当研究所所有)


とはいえDisk II の開発はスティーブ・ウォズニアクの独り舞台のように伝わっているし後年本人も (自分が創った)と明言しているが、実際は見てきたようにソフトウェア面ではランディ・ウィギントンの力が不可欠だったしフロッピーディスク装置自体のアナログ回路はロッド・ホルトがモトローラの新型チップを駆使し、それまで18個使っていたチップを4個に減らした。
ウォズの真骨頂はデジタル回路だった。フロッピーディスクのコントロール・ボードのチップ数を従来の40個からたったの8個に減らした!やはりウォズもホルトも天才なのだ。

ただし別項でお話しすることになるが Disk II を実際に使うとなればCP/Mのようなディスク・オペレーティング・システム(DOS)が必要になる。さすがのウォズもこれには手を出せなかった。独学の天才の限界だったのだ。

話しは先走るが、1978年初頭のコンシューマ-・エレクトロニクス・ショーでこの Disk II が発表され、その後に開催された第2回ウエストコースト・コンピュータ・フェアでは厳しい眼を持つコンピュータに詳しい専門家たちの度肝を抜いた。
Appleとは競合だったコモドール社のCEO チャック・ペドルもいつもの毒舌ぶりとは違い Disk II を「これはエレクトロニクス業界を完全に一変させてしまう」と絶賛した。

「このDisk II がリリースしたらApple II の出荷は大幅に伸びるよ」
私がスティーブにささやいたが、スティーブ・ジョブズは当然だという顔をして笑っていた。
安価に提供されたこともあったし1979年秋にはApple II 用に初めての表計算ソフト「VisiCalc」がディスクベースで発売されたがこれがキラーアプリケーションとなる。なぜなら米国ではサラリーマンであっても確定申告が必須なため、一般のユーザにもApple II と Disk II の有用性をストレートにアピールできた。そしてApple II は、いやパーソナルコンピュータはすでに単なるゲーム機ではなく、ビジネスや家庭においても有用なツール…武器になることを示したという点でも功績は大きかった。

Disk II の試作品が出来上がると社内では様々なテストが重ねられていた。勿論フロッピーデスクドライブのテストにはフロッピーが必要だ。あちこちで様々な使われ方が始まるとあっというまにその5インチフロッピーが不足するようになった。その度にクリス・エスピノサやランディ・ウィギントンが買いにいかされた...。
そんなシーンを見ていて私はふと未来の自分がApple II と Disk II を手にして楽しみ、工夫したことを思い出した。

当時の Disk II は片面単密仕様とよばれ、フロッピーの片面を35トラック、16セクタに分割してデータの読み書きを実行できた。
トラックとは外周から内周に向かい同心円状にエリアが列び、0から34までの番号がつけられている。さらにこのトラックは16のセクタに分割され各256バイトのデータが書き込まれる仕様だった...。
したがって1枚の(片面)のフロッピーには16セクタ × 35トラック × 256バイト = 143360バイト、すなわち143Kバイトのデータを格納できたわけだ(フォーマット以前の容量)。
いまの感覚では「なにそれ、メチャ小さいじゃん」と思うだろうが、Apple II 本体の標準メモリが4KBとか8KBといった時代だからすばらしく広い空間に思えたのだ。

ただし当時はフロッピーも一般ユーザーにとっては高価だった。米国と日本では状況がかなり違うと思うが、1982年に私が手に入れた5インチ・フロッピーは秋葉原で10枚入り16,000円もした。したがってショップによっては1枚ずつのばら売りをしたほどだった。
したがって1枚のフロッピーを至極大切に使った。どのようにしたらフロッピーのギリギリまでデータを書き込むことができるかを考えながら使ったものだ。

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※未使用5.25インチフロッピーディスケット10枚パッケージ(当研究所保存品)


あるとき、たまたまビル・フェルナンデスやクリス・エスピノサらが Disk II を使っていたときのことだった...。
「143Kというとデカイと思ったけどすぐに一杯になっちゃうな」とクリスが言ったのを聞き、私は悪戯心がわいた。
「クリス、新しいフロッピー1枚貰える?」
何事かと思ったのか、怪訝な顔をしてクリスは机上にある箱から1枚の未使用フロッピーを取りだし私に差し出した。
「なにするの? トモ」
「まあ、見ててごらんよ」
私はフロッピーのエンベロープの端にハサミで切り込みを入れ始めた。
「あっ、だめになっちゃうよ」
クリスが叫んだが、私は笑いながら作業を続け、書き込み防止の切り込みがない側に同じような切り込みを付けたフロッピーをクリスに渡しながらいった。
「はい。クリス、これで143Kの倍容量のフロッピーのできあがりだよ」

市場に出回っていた片面単密のフロッピーは文字通り片面しか使えなかった...。というより製造工程上磁気媒体は両面に塗布されていたが検査は片面しかされておらず、別面は保証対象外だったのだ。
しかし金のない我々ユーザーは何とかして高いフロッピーを有効的に使いたいと考えたあげく、エンベロープの中身、すなわち記録媒体を傷つけずに反対側の書き込み防止位置に切り込みを入れればフロッピーを裏返してさらに143Kが使えることを経験上知ったのだった。

勿論保証対象外だからデータエラーが起きても文句は言えない。しかしほとんど問題がなかったと記憶している。事実後年米国でもそうした切り込みが間違いなくできるようにと専用パンチが売られたが、我々はカッターナイフやハサミでそれを行っていたのだった。

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※5インチ、フロッピーディスケット用、書き込み防止の切り込みを正確に作る “Nibble Notch”


「クリス、だけど承知のように保証されているのは片面だけだ。だから仕事上重要なバックアップには止めた方がいいよ」
笑いながらいう私にビル・フェルナンデスが言い放った。
「これはいいなあ。ただしこの話しは、シブチンのスコッティには内緒だな」
「確かに。これを知ったらスコッティは在庫全部のフロッピーに切り込み入れろ!って叫ぶからな」
クリスの一言で我々は心の底から笑い合った。
「だけどトモ、ハサミやナイフを扱うのは結構難しそうだよね。失敗もありえるなあ」
そういうクリスに私は、
「クリス、見ていてご覧、そのうち安全に同じことが出来るツールが登場するよ」
私はウインクしながらその場を離れた。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「スティーブ・ジョブズ~無謀な男が新のリーダーになるまで」日本経済新聞出版社



Apple、第4四半期の業績を発表

Appleは米国報道発表資料抄訳として10月26日、10月25日に2016年9月24日を末日とする、2016年度第4四半期の業績を発表した。当四半期の売上高は469億ドル、純利益は90億ドル、希薄化後の1株当り利益は1.67ドルとなった。


前年同期は、売上高が515億ドル、純利益が111億ドル、希薄化後の1株当り利益が1.96ドルだった。売上総利益率は、前年同期の39.9%に対し、38%。当四半期の米国市場以外の売上比率は62%だった。

Appleは、2016年度第4四半期業績発表のカンファレンスコールのライブストリーミングを、2016年10月25日14時00分(米国西部時間)より、AppleのWebサイト(http://www.apple.com/investor/earnings-call/)で配信する。このウェブキャストは、配信開始後も約2週間にわたり再生が可能。

Apple Press Info




ランニングの完璧なパートナー、Apple Watch Nike+が10月28日発売

AppleとNikeは10月24日、Apple Watch Nike+を10月28日(金)に発売することを発表した。Apple Watch Nike+は、Apple Watch Series 2独自の全機能と、Nike+ Run Clubアプリケーションのランナーごとに異なるスケジュールや進捗に合わせてプランを調整したり、世界のトップレベルのコーチやアスリートからのガイダンスを受けたりでき、ランニングに対する最高のモチベーションをキープできる。


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また、Apple Watch Nike+は、専用のNike Sport Band、Nikeの象徴的なスタイルに相応しい独自の文字盤も備えており、アクティビティのリングや、心拍数、ストップウォッチ、天気のような便利なアプリケーションと併せて簡単に自分用にカスタマイズできるので、ランナーが一目で情報を見るのに役立つ。

Apple Watch Nike+は、Apple Watch Series 2全モデルと同様にGPSを内蔵し、ペース、距離、経路を記録できるので、iPhoneを持たずにランニングを始めることができる。Apple製品史上最も明るいディスプレイのおかげで屋外でもデータが読みやすい上、ランニング後にプールに飛び込みたくなったら、50メートルの耐水性能を備えたApple Watch Nike+を身に付けたまま、ひと泳ぎできる。Nike+ Run ClubアプリケーションはApple Watch Nike+とシームレスに連係し、ランニングの時間を知らせる賢いリマインダー、友達からの挑戦状、ランニングに適した天候を知らせる通知などをとおして、今日も走ろうという意欲を高めてくれる。Apple Watch Nike+では、ペース、距離、心拍数などのトレーニングデータはひと目で確認できるほか、ランニングの概要を共有して友達と競争したり、互いの手首からフィストバンプを送り合ったりすることもできる。

Apple Press Info




Apple II 用 「Color Demosoft」オリジナル・カセットテープの使い方

手元に1本のカセットテープがある。カセット自体は何の変哲も無いものだがご覧の通り、ラベルには6色アップルロゴがあり "apple computer inc." という表記がある。そう、これは1979年Appleが出荷したカラーデモソフトが記録されているApple II 用オリジナル・カセットテープなのである。



Apple II だけではないが、パソコンが登場したばかりの黎明期は何もかも現在とは違った環境に甘んじるしかなかった。そのひとつがデータの外部記憶装置である。ユーザーがプログラミングしたデータを保存する場合に最初期にはフロッピーディスクもハードディスクも無論USBメモリもなかった。ではなにを使うのかといえば音楽用のカセットレコーダーおよびカセットテープだったのである。

こうした状況については以前「データ記録媒体としてのコンパクト・カセットテープ雑感」で詳しく述べたので繰り返さない。しかしその際にはApple 1のソフトウェアをターゲットしてカセットテープを当時のものと同じようにと復元してみたが、今回のカセットテープはApple II 用の本物...オリジナルである。

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※片面には “Color Demosoft” 反対側には “Little Brick Out” というBASICで書かれたプログラムが記録されている


ということでここではApple II に限ってだが、前記事の補足という意味も含めて接続やら簡単な使い方といったことをご紹介してみたい。なお今回手に入れたカセットテープの中身だが、片面には “Color Demosoft” 反対側には “Little Brick Out” というBASICで書かれたプログラムが記録されている…はずだ。

ここでは正真正銘30数年ぶりにカセットテープからApple II へプログラムをロードして走らせてみるが、時の流れは非情とでもいったら良いのか、当時あれほど日々繰り返し夢中になった手順が思い出せない(笑)。
そうした準備の前段階はハードウェアの用意と接続だ。今回はApple II Plusを引っ張り出してみたが、これにNTSC小型テレビ、そしてカセットテープレコーダー(モノラル)を準備した。

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※今回使用したハードウェアはこの三種


さて、Apple II とテレビの接続とか電源がウンタラは当然のことなので省くが、カセット・レコーダーとの接続に関しては、Apple II 背面にはオーディオ入出力ジャックが用意されているので、その “IN” とカセットコーダー側のモニター(出力)端子をミニプラグ・ケーブルでつなぐ。

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※Apple II 背面にはオーディオ入出力ジャックが用意されている


では実際にカセットテープに記録されているデータをApple II へ読み込むにはどうしたらよいのか…。この辺のことをあらためて認識するといかに現在のMacやらが使いやすいかが身にしみてわかる。
具体的な手順だが、Apple II Plusは使用環境における様々な初期状態があり得るもののここでは本体のみで電源投入と共にAppleSoft BASICが起動していることを前提にしよう。したがって起動後の初期画面を見ると “ ]” の形をしたプロンプトが表示し入力待ち状態になっているはずだ。

ここでカセットテープをレコーダーにセットすると共にApple II のキーボードから “LOAD” の文字を入力する。Apple II は標準では大文字しか使えないのでシフトキーうんぬんへの気遣いは不要だ。

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※プロンプトの後に "LOAD" と入力


ただしこのカセットレコーダーからプログラムデータを読み込むにしてもコンピュータ側でレコーダーのプレイとかストップを制御できるわけではないことにお気づきだろうか。したがって “LOAD” と入力したまままずはレコーダーの再生ボタンを押してテープを走行させてからApple II の “RETURN” キーを押す。
これでレコーダーのテープ走行に準じてApple II 側にプログラムが正常に読み込まれると画面は改行され、再度プロンプトが表示しコマンド待ちとなる。そこでまだカセットテープが回っているならストップさせる…。

ただしその際、レコーダー側の出力ボリュームが適切でなかったり、テープ走行に異常があったりすれば読込はエラーになるが、そんなことは多々あるからして気落ちせずまた再度はじめからやり直すことになる。

こうして最初に “Color Demosoft” をLOADして走らせてみた。プログラムのスタートはプロンプトに続き “RUN” と入力し“RETURN” キーを押す。プログラムが起動し “APPLE DEMONSTRATION PROGRAMS” とタイトル表示のスタートアップ画面が表示されるが、無論テキストだけでイラストとか写真はない(笑)。

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※ “APPLE DEMONSTRATION PROGRAMS” スタートアップ画面


ここには4つのメニューが用意されているが、3番の “KALEIDOSCOPE” を見てみたいのでキーボードの “3” を押して“RETURN” キーを押すと “KALEIDOSCOPE” すなわちカラーの万華鏡がスタートする。

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※ “KALEIDOSCOPE” はまさしく万華鏡!


表示スピードやらのコントロールはできず、ただ見ているだけだ(笑)。それでも当時はApple II の魅力を最大限に示すデモであり、例えば1977年4月に開催された第1回ウエストコースト。コンピュータ・フェアー(WCCF)でAppleが初めてApple II をお披露目した際、大型モニターに映し出した “KALEIDOSCOPE” もこれと類似のものだったに違いない。



※ スタートアップ画面から “KALEIDOSCOPE” が表示し始める様子


もうひとつのプログラムは “Little Brick Out” だが、これは「ブロック崩し」ゲームとして一世を風靡したものだ。無論Apple II に読み込ませる手順は前記と同じだが、テープを裏返してレコーダーにセットし、まずは念のために巻き戻す。そして実行だ…。
こちらは無事読込ができて走らせてみるとスタートアップと簡単な解説の画面が表示されるがゲームを走らせれば何とも簡素なブロック崩しゲームの画面が現れる。ただしゲームを行うにはパドルといった類のコントローラーが必要だが、手近に見つからなかったので今回遊びは断念した(笑)。

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※至極シンプルなブロック崩しゲームがスタートする


ということで読み込み時に数度エラーも出たが、入手したカセットテープのプログラムは基本的に破損や消滅しておらず使えることがわかった。
確かに一般音楽用カセットテープにコンピュータのプログラムを保存して使う…といった類のことはいまでは思いもよらないことかも知れないが、安価にそして手軽な外部記憶メディアとして当時は不動の地位を占めていたのだ。
しかしその後、パーソナルコンピュータの外部記憶メディアは5インチのフロッピーディスク、そして3.5インチのフロッピーディスクへと変わり、その後はより大容量を実現するためにMOドライブやら数種のメディアを体験しながらハードディスク利用あるいはUSBメモリなどの活用に進化してきた。そして現在ではクラウドへの保存も珍しいことではなくなっているが、果たして今後30年とか40年後に現在我々が当たり前に便利だと使っている外部記憶メディアは利用できる形に残っているのだろうか…。
そう考えるとこのカセットテープという正しくローテクな記憶媒体は俄然素晴らしく思えてくる。

ちなみに今回テストした1979年Apple Computer製のカセットテープはテープの長さは3分以内という短い物を使っている。単にコストということではなく単一のプログラムを記録するカセットテープは一般音楽用の30分とか60分のものだと使いづらいのだ。なぜなら巻き戻しや早送りにも時間がかかるし、30分のテープ片面に複数のプログラムを収録することは物理的に可能でもランダムアクセスができないから頭出しに苦労するわけで、秋葉原のマイコンショップなどでも3分といった音楽用カセットではあり得ない、コンピュータ専用のカセットテープを販売していたものだ。

当ブログで新しく連載を始めた「[小説]未来を垣間見たカリスマ ~ スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第7話 WCCF前夜」の中でWCCFで展示するデモ用ソフトを複製するためのカセットテープをクリス・エスピノサが買いに行くとき、ビル・フェルナンデスが「カセットテープは30分のにしてくれよ。いや、もしあったらもっと短いのを頼む。60分や90分はダメだぞ!使いづらいからな」と叫ぶのはそうした理由なのだ...。

では私自身、このカセットレコーダーをコンピュータの外部記憶装置としていつ頃まで使っていたのかを確認してみた。使い勝手はそれぞれ違うものの、ワンボードマイコンの富士通 L-Kit8は1977年末から1979年まで使ったがその間はずっとカセットだった。
1978年12月に購入したコモドール社のPET2001は本体にカセットテープレコーダーを装備していたから1980年秋口に専用のデュアル・フロッピーディスクシステムを購入するまでカセットを使った。

Apple II は1982年に手に入れたが、同年8月にDisk II を手に入れたから比較的早くフロッピーディスクを使い始めた方なのかも知れない。しかしソフトウェアはまだまだカセットテープで供給されたものがあったから、フロッピーとカセットはしばらくの間共用することになった。
ただし他機種では1983年に登場したハンドヘルドコンピュータ HC-20はマイクロカセットだったし1983年にビデオとコンピュータ映像をスーパーインポーズしたいと手にしたシャープのX1もカセット駆動だった。

ちなみに "カセット (cassette)" とは小さな容器・箱を意味し "小さな~" をつけると宝石箱などといった意味もあるという。いまではフロッピーディスクもそうだが、カセットテープのひとつふたつは価格的にも貴重とは思わないが、1980年代前後においてコンピュータの外部記憶メディアとしてのカセットテープ...特にゲームなどが書き込まれて販売されていたものたちは私らにとってそれこそ宝石箱に入れておきたいほど大切なものだったのである。




[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第12話 ジョブズという男

加賀谷友彦は1976年12月6日に出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩が...。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープしカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そしてスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※


■第1部 ー 第12話 ジョブズという男

スティーブ・ジョブズは1955年2月24日の生まれだから、私が1976年12月にタイムワープし彼のガレージに転がり込んだとき、彼は21歳の若者だった。
私は1978年には(ややこしい)すでにApple II というパソコンの存在を知っていた。しかし日本での販売価格は当時の価格で80万円ほどもした。給料が10万円そこそこの時代だったからおいそれと買えるはずもなく、間に合わせのつもりでコモドール社のオールインワン・パソコン PET2001を買った。それでも30万円ほどは必要だった。

ただしApple Computerという企業が作ったパソコンがApple II だと知ってはいても "Apple" とか "アップル" という社名は当時の日本ではかなり怪しくいかがわしいイメージがあった。
なぜならラブホテルや怪しげな商売をしている会社の中に "アップル" という冠がついている企業が目立ったからだ。だからというわけでもないが今のように「素敵」だとか「クール」といったイメージとは無縁だった。

さらに違い遠い米国の、それも一企業の情報を安易に見聞きできる時代ではなかったから1982年にApple II を手に入れたときにもスティーブ・ジョブズがどうのこうのといった情報は皆無だったし気にもとめなかった。
Macintoshが登場した1984年、私も縁があってそのMacintoshを手に入れた。Apple II 同様日本語はサポートしていなかったが、そのGUI に夢中になったものの、Appleという会社は2人のスティーブがガレージから起業した会社…といった伝説も耳に入ってこなかったと思う。

繰り返すが、Apple II の情報自体が極東の島国にリアルタイムに入ってくる時代ではなかったし、せいぜい私らが入手できるのは日本総代理店のイーエスディ ラボラトリという会社が発行していた「アップルマガジン」程度のことでマシンや関連するソフト&ハードの情報を集めるだけで四苦八苦していた。
また日本のメディアも今でこそAppleの動向や新製品情報などを進んで取り扱うが、新聞やテレビでAppleの名が出ることはほとんどなかったし米国で発刊されるようになったMACWORLD誌にしても2ヶ月ほど遅れてやっと手に入れることができたのだ。

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※1984年1月に発表されたMacintoshだが、早くもその翌月の2月号として世界初のMacintosh専門月刊誌「MACWORLD」誌が発刊された。表紙は若き日のスティーブ・ジョブズ氏である。当研究所所有


だから、スティーブ・ジョブズという破天荒な男の存在やその魅力ある話に耳を傾けたのは1989年7月10日、幕張の東京ベイNKホールで行われたNeXT発表会あたりからではなかったか...。
したがって私がスティーブ・ジョブズという男を意識したとき、すでに彼はAppleの人間ではなかったのである。ただしその後、彼の名は良きにつけ悪しきにつけ見聞きする機会が多くなり、無視出来なくなっていった。特に1996年末にAppleがNeXTを買収し、スティーブ・ジョブズも顧問という形で復帰してからは...。

そのスティーブ・ジョブズのイメージはといえば元ヒッピーでプレゼンの神様、大金持ち、傍若無人の経営者で人を人とも思わず怒鳴り散らす嫌な男といったものだった。
1989年に起業した私はApple Japanのソフトウェア・デベロッパーとなり、14年間日本でもっともアップルに近いといわれた会社を経営したこともあって一般ユーザーの知り得ない情報をも知る立場にあったが、それでもスティーブ・ジョブズという人間を好きにはなれなかった。

さてそんな私 (加賀谷友彦) が40年前にタイムワープしスティーブ・ジョブズと出会ったわけだが、正直これまでの印象はいささか修正しなければならないと思った…。
Appleの中で “私の秘密” を知っているのはスティーブ・ジョブズただひとりだったし、私も社内で一緒に働く人たちに対し未来を語ることはなかった。しかしそこはこちらも生身の人間だから要所要所で自分が出てしまう。なにしろ明日や1ヶ月後がどうのこうのについて詳細な歴史を記憶に刻んでいたわけではないものの、Appleの歴史の節目節目に関しては多くの情報を集めていたから、それらの知識を隠して皆と話すのは実に難しいし苦しかった。

またスティーブ・ジョブズと2人だけのときにもAppleの未来について、あるいは当該企画が成功するか失敗するかといった具体的な話しはあえてしなかったしジョブズも聞かなかった。
とはいえビル・フェルナンデス、クリス・エスピノサ、ランディ・ウィギントンそしてダン・コトケらは折に触れて的確な指摘をする私に尋常でないものを感じていたようだ。無論それはジョブズが「みんな!トモは超能力者で未来がわかるらしいぞ」と冗談めかしいて言う話しの範囲であって、まさか40年後の世界からタイムワープしてきた人間とは夢にも思わなかったに違いない。

「スティーブ、言いにくいけど...君は周りの人たちからどんな風に見られているか知ってるかい」
ずいぶんと私を信頼してくれ、どこへ行くにも連れ回してくれるジョブズだったから、Apple II のファーストロットが出荷を終えたある日の夜、遠慮のない質問をしてみた。それに私の秘密を知っているからか、スティーブは私に対して決して怒鳴ったり口汚い物言いや素振りは見せなかったからクリスやランディたちは不思議がっていた。

スティーブはソファーに寝そべり両足をサイドテープルの上に乗せながらいった。
「俺も馬鹿じゃあないから知ってるよ」
足を組み直して続けた。
「君も感じているだろうけど、俺たちの周りに集まったというか集めた人間は一部を除いて優れた人間たちなんだ。俺は役立たずのクソやろうと一緒に仕事するなどゴメンだからね」
「それはわかってるよ」
「でもさ...トモ。これがホームブリュー・コンピュータ・クラブでならことは簡単だ。嫌な奴なら付き合わなければいいんだ、お互いにな」
私もスティーブに対面しているソファーに深く座りながらこの機会だから長年の疑問を聞いてみようという気になった。

「それとこれとどういう関係があるんだい」
「俺はウォズと一緒にAppleを作った。確かにラッキーだったけど1番難しいと思ったのは人を動かすことだよ。トモ!」
「それはよく分かるさ。私も小さな会社を経営していたからね…」
「うん。会社や製品のビジョンを明確にして頭の良い奴らを目標に向かって鼓舞し、目的を達成させるのが俺の役割だが、概して人は自分にあまいから “明日出来ることは今日はしない” という気持ちになるのさ。できるだけ楽な方向へと行って仕舞いがちなんだ」
「なるほど、それに発破をかけるのが君の役目というわけか」
私は腰が沈みすぎるソファーに埋もれながら頷いた。

「まあそれは分かるとしてもだ。君の物言いは誰よりもきついし気分を害する奴だっているに違いないよ。もっと諭すように対峙できないのかい」
声こそあげなかったがスティーブは口を開けて笑った。
「俺は宗教団体のグルでもなければ人生の指導者でもないんだ。君が見ての通りの若造だよ。そいつが頭のいい奴らを動かすのに優しく諭せば済むとでも思っているのかい? 誰も俺など信用しないよ」
スティーブは悪戯っぽい顔をしながらまたまた笑った。

「誰かがいってたよ。人を動かす重要な要素があるとすればそのひとつは相手に恐怖心を与えることだそうだ…」
「……」
「恐怖といっても無論命にかかわる云々ではないぜ。下手をすれば首になるかも知れないとか降格になるかも知れないという恐怖だよ。まあ人によっては全人格を脅かされるという気持ちになる奴もいるだろうがね」
スティーブは唇をひと舐めした。
「幸運なことに俺はAppleの創業者のひとりだ。全権というわけにはいかないが仕事上の権限も持っている。だからもしその気なら社員を首にすることもできるはずだ。そうだろう...」

「面白いもので、人って自分で率先して仕事に向かうより他人から指示される方が楽だと思うことが多いらしいんだ。頭の良さと行動力とはまた別の問題だし、怒られ叱られて鼓舞される方が理論然と指示されるより動きやすいんだよ」
「では君はそれらを承知で嫌われ者になってるのかい」
私は話しの核心をついた。

スティーブは冷静だった。私の煽るような質問にもニコニコしながら答えていた。
「確かに俺だって若いし気が短いことも確かだ。『若造が生き急ぐな』と禅の師に言われたこともあるけど、何をすべきかわからないでグズグズしている奴を見ると張り倒したくなる。決して俺は聖人だとは思わないしなりたいとも思わないよ。瞑想もやってきたけど自分の気持ちを落ち着かせるためには役立つが、悟りだなんてクソ食らえだ! 俺は『自分は何者なのか』を知りたくて禅に傾倒したんだ。前に話したコーブン・チノ(知野弘文)の門を叩いたんだが、彼曰く禅僧になるのも会社を運営するのも極めれば同じだといってくれたなぁ…」
「ああ、以前聞いたね。でもさ、スタッフたちだけでなく外部の人たちの中にも君に恥をかかされたと…君の態度が悪いと怒っている人もいると聞いたよ。それはAppleにとってマイナスではないのかい?」
私も食い下がった。

「知ってるさ。一作日だったか、君も同席したインタビューがあったろう…。しかしなんだいあの記者は。なんのために取材にきたのか自分でも分かってないんだよ。あんなクソやろうに大切な時間を取られると思うとインタビューなど受けない方がマシさ。ああして怒鳴っておけば2度と来ないよ」
スティーブは真面目な顔で言い張った。

確かに一昨日、大手メディアのジャーナリストと称する男から広報を通じて取材申込みがありジョブズはそれを受けた。しかし開口一番質問攻めにあったのはジャーナリストの方だった。
そのジャーナリストはパーソナルコンピュータとは何なのかを一度も真剣に考えたことがないのは明らかだったしApple 1のこともほとんど知らなかった。そんな奴がいま爆発的に売れ出しているApple II のことを取材したところで何がわかるのか…とスティーブはいいたかったに違いない。どうせピント外れのクソ記事しか書けないといいたいのだろう。
この種のことは未来の私も多々経験したから言わんとすることはよく分かった。無論私はスティーブのようには振る舞えなかったが…。
「俺はものごとを真剣に考えようとしない、人生を真剣に生きようとしない奴らを見ると無性に腹が立つんだ」

「君に話したこと...あったかなあ」
スティーブは一呼吸置いて神妙につぶやいた。
「俺は若いときから、自分は長生きできないと思っているんだ。いまでもその考えはあまり変わっていないんだけどね」
私はまさか (君は56歳のとき膵臓ガンで死ぬんだ) とはいえなかった。
「またなんでそんな考えに至ったんだい?」
当然の質問に少しいいにくそうなスティーブは続けた。

「いや、ある占い師に観てもらったときそういわれたんだよ。19歳のときだったかな。そんなにショックではなかったけどそのとき俺はいまだ自分で何を成すべきかわからなかったことが不安でさ...。だからやりたいことには何でも手を出したよ。LSDとかもね...」
「ギターも練習したしハーモニカもやったな。これはボブ・ディランの影響だ。マッサージも習ったし日本の易経...知ってるだろう、筮竹を使う占いにも夢中になったよ」
「それにすでに知っているだろうけど瞑想や神秘思想にもはまってさ “パラマハンサ・ヨガナンダ” の “Autobiography of a Yogi” だなんて本をいつも抱えていたよ。ダン・コトケとインドまで行ったしね...」
苦笑いしながらスティーブは私を見つめた。

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※ パラマハンサ・ヨガナンダ “Autobiography of a Yogi” (あるヨギの自叙伝)日本語版


「だからさ、自分はあとせいぜい数年か数十年の命なのになにをすべきかもわからないその自分にイライラした毎日を送ってたんだ。幸いいまは目標が見つかったと思っているけど、そのときから死という物を意識しだしたのさ。自分が死することを意識すれば毎日はおろそかにできないだろう? だから先ほどもいったけど自分の可能性にも気づかず、考えようともしない刹那的な奴らを見ていると以前の自分を思い出すのかな、腹が立つのさ」

スティーブは魅力的だが射すくめる視線を私に向けてから天井を仰いだ。
「いま思い出したけど、君が相手を射すくめるようなその視線だけど僕には一種の催眠術みたいに思えるんだ。もしかしたら催眠術も勉強したのかい...」
長年の疑問を思い出したので遠慮なく聞いてみた。

「ああ、よく分かるなあトモ!」
「いや、私も少年時代に数冊催眠術の本を買って独学し、ハイスクールで女の子たちに催眠術をかけていたことがあったんだ」
スティーブはどこか自分の深層心理と私の告白が相容れることを感じたのか具体的な話しをしてくれた。

「トモ、君はある意味同類だな。いや、なにか真理みたいなものを掴みたくて若い時にはそうしたことに夢中になるんだろうな。確かにある本に相手を意のままに動かす基本は “凝視” することと書いてあったよ。事実俺も催眠術を意識してそうした練習もしたけど俺には催眠術は向かないことがわかったよ。ただし今では意識していないけど習慣になってしまったらしいな」
「向かないと君は言うが、一番大切なエッセンスを君は会得しているように思うよ」
スティーブ・ジョブズは嬉しそうな顔をして座り直した。

「話しを会社に戻すけど...」
一呼吸してスティーブはまたも姿勢を変えながら続けた。
「恐怖心で人を動かせるとしてもだ、トモ…それだけではダメなんだ。成果を上げないとね」
「口うるさくいわれ、一生懸命に働いても成果を感じられず、結果がでなければ働く意欲も失うしリーダーに対する信頼や尊敬なんてありえない…。だから俺はますます追い立てられる気持ちになる」
スティーブは再び天井をながめた。

「俺は確かに暴君に見えるかも知れないが、でも…いつも自分が正しいと確信しているわけではないんだ。しかし君にもこぼしたことがあるけど、例えばウォズを会社の方針に沿って働かせるのは至難の技だぜ!事実スコッティは苦労しているよ。ウォズや奴らが (これが規則だから) と理論然とした指示で喜んで働くと思う方が甘いよ。皆本来は一匹狼なんだ!」
「だけど、俺も反省しないわけではないんだぜ」
スティーブは照れたような顔をした。

「レジス・マッケンナと知り合って少し経った頃だったけど、彼の事務所に電話をかけたとき担当者の物言いにカチンときて怒鳴るはめになったんだ。行き掛かり上、随分と口汚いものいいをしてしまったよ」
私は目で話しの続きを催促した。
「そのときレジスにこっぴどく叱られてさ『二度とスタッフにそういう物言いはするな!』と言われたよ。俺もその次にレジスに会いに行ったときばつが悪くてさ、そのスタッフのデスクにいって謝ったよ。俺だって誤るときもあるんだぜ」
スティーブは両肩をひょいと上げて笑った。

「トモ、君のように先が…未来がわかればともかく、俺だって自分の決断が100%間違いないとはいえないよ。だから口五月蠅く、時に乱暴な言葉遣いで指示したり鼓舞するけど意味のある反論は歓迎なんだよ。聞くに値する反論なら俺は自分の意見に固執するつもりはないんだ。まあ反論してくれる奴など滅多にいないけどさ…」
「なるほど、君はスティーブ・ジョブズを演じてるんだな」
私の発言を聞き流しながらもスティーブはちょっと寂しそうだった。
「でも、こんな俺でも廊下で待ち伏せされて殴られたり刺されたりしたことはないぜ」
スティーブは苦笑いした。

こうした会話から察するにスティーブは意外と自制心が強く、わざと人にきつい言い方をしていると思われるかも知れない。しかしスティーブという人間の持つマグマは本人が思う以上に強く熱いものだった。だからときにはコントロールを失う言動も目立ったのだ。

それにスティーブ・ジョブズの魅力の1つはその傲慢さとは裏腹にガラスのような壊れやすさを感じさせることだった。
いみじくもロッド・ホルトがいっていた...。
「単に年の差ということではないんだが、スティーブといるとどうにも危なっかしくて守ってやろうという気になっちまうんだ。あのクソ野郎をだぜ」
と笑っていた。
事実ホルトは時に兄のように、時に父のようにスティーブに接していた。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊
・「スティーブ・ジョブズ~無謀な男が新のリーダーになるまで」日本経済新聞出版社



ラテ飼育格闘日記(516)

毎週土曜日にこの日記を更新しているが、一週間という時間・期間は短いようで長く長いようで短い。しかしほとんどは特筆するような変化もない一週間だが、ときにいろいろな出来事が重なる一週間もあって面白いし、そもそもネタがない一週間は当該日記にとってはなかなかに苦しい(笑)。


この時期、少し前の印象と比べて日の出の時間が遅くなり、逆に日の入りの時間がかなり早くなった。したがって夕方の散歩は明るいうちに済ませたいと早めに出かけるようにと考えているが、オトーサン側にもそれなりの予定があるので調整が難しい。

一応暗い時間に出かける場合には明るい懐中電灯を持参する。したがってその懐中電灯もかなり大ぶりなものになり、大げさだと思われるかも知れないがオトーサンは強い近視だけでなく加齢だというものの白内障が進み特に暗い場所が見えないのだから仕方がない。結局来月に左目の手術を決断したが、術後の散歩は片目でできるのかいまから心配している(笑)。

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※なにを考えているのか、路面に座り込みながらも機嫌がいい


医者と言えばラテを動物病院に連れて行った。毎年この時期に5種混合のワクチンを打つことにしているからだ。午前中に済ませようと朝の散歩の帰りに立ち寄ったが、先客が三匹ほどいてなかなか混雑していた。
ただしラテは好んで病院に入りはしないものの、オトーサンやオカーサンと一緒なわけで、美容室ほど怖がったりはしない。早く出たいと出口方向にリードを引いたりするが、震えることもなく無論先般美容室で粗相したようなこともなくいたって静かなのが面白い。

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※野良猫を見つけたので遊びたいのだが...


注射もワンともいわずあっと言う間に終わり、穏やかな顔をしていた。5種混合のワクチンとはジステンバー、アデノウイルス(2型)感染症、伝染性肝炎、パラインフルエンザ、そしてパルボウイルス感染症予防のためのワクチンだという。これは狂犬病予防注射と違い義務ではないが、ラテの健康を1年間守ってくれるのであれば接種をうけるべきと考えているからだ。
ということで予防接種証明書をもらい、激しい運動は止めるようにと言われつつ動物病院を後にした。

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※数日前には砂場の公園にて全速力で走り回ったのでした


こうした強い注射を打ったあとは怠くなったりすることもあるらしいが、ラテは幸い元気だった。とはいえ室内ではほとんど寝ているのだが…。
夕刻になりオトーサンがそろそろ散歩の支度をしようと動き出すとラテも「そろそろですか」といった顔で起き上がってくる。
オトーサンは散歩用のバッグに冷やした水や必須アイテムなどを詰め込み、ラテにはハーネスを着けて出かけることにする。「ラテ、明るいうちに帰ろうな」と声をかけるとオカーサンからは「出かける前に帰ることを考えてる」とチャチャが入る(笑)。

まずは近所にある砂場の公園に向かう。この公園に足を向けるのがほぼ日課になっているが、近所だということは勿論いくつかの理由がある。
ひとつはラテが砂の感触が好きなことだ。砂場に入るとやはりコンクリートとは感触がちがうのだろう、動きが活発になる。そしてある種の雑草にアレルギーを持つラテだから、草が生えている公園より砂場の方が安全なのだ。三つ目は子供たちが遊んでいるケースが多く、それらの中にはラテが友達となった子供もいるのでラテが楽しみにしているからだ。

とはいえ、そういえばこの小1週間、ルートによってこの砂場に入る時間は多少違うものの、お馴染みの姉弟の姿が見えなかった。それぞれ都合というものがあるはずだし約束しているわけでもないのだから毎回会うことができるはずもないが、ラテは寂しそうだ。その寂しさを埋めようとしてか、サッカーなどで走り回っている見ず知らずの男の子たちに「ウォーン、オンオンオン」と声をかけるが、ワンコに興味がなかったり怖いと思っている子供たちは「ワッ、オオカミだ」と遠ざかる。

そんなときのラテは見るからに悄気ているのがわかる(笑)。時折オトーサンを見上げるその顔は「えへへ」と照れているようにも見えた。
そうした日が数日続いたある日の夕方も結局その公園に足を向けたものの、ラテと遊んでくれる女の子たちはいなかった。それでも砂地の感触を楽しみながらゆっくりとフェンス近くまでいったところ「ラテちゃ~ん」という聞き慣れた声が聞こえた。

オトーサンとほぼ同時にラテは声の聞こえた方向に顔を向けたが、その声は公園側の道路向こうにあるマンションのベランダからだった。お馴染みの女の子だけでなく母親に抱かれた弟もこちらに手を振ってくれている。オトーサンも手を振り返したが、ベランダからわざわざ声をかけ、手を振ってくれる人たちがいるなど、ラテは幸せなワンコである。
しばらくして女の子が笑顔で走ってきた。聞けば風邪をひいたらしく数日自宅にいたのだという。なるほど季節の変わり目でもあるからそうしたこともあるのだろう。

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※小1週間ぶりだったか、久しぶりに会った女の子に喜んで雄叫びを上げるラテ


ラテは久しぶりのご対面にお尻ごと尻尾をブルブルと振っている。その後、母親と弟も公園に入ってきたが、不思議と言ってはなんだが、ラテは母親に近づいても吠えることはなかった。すでに女の子のファミリーだと認識しているのだろうか…。
そんな風にオトーサンは考えていたが、実はその女の子の母親にラテは気を許したらしく珍しい振る舞いをするようになったのだが、それは次回にご紹介しよう…。

ともあれその女の子も久しぶりの公園なので嬉しかったのだろうか「ラテちゃん走ろう!」と誘ってくれた。しかしオトーサンは、「今日予防注射をしたので運動はしないほうがいいとお医者さんにいわれたんだよ」と説明して納得してもらった。

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※それまで大人には吠えるのでと申し上げたため近づくのを遠慮されていた母親にラテは静かに近づいた


子供たちはあっと言う間に大きくなる。ラテが約10年前に以前の住居近くの公園でデビューした後、当時小学3年生の女子数人が本当にラテを可愛がってくれた。というか仲間として扱ってくれたしラテもどうやらそのつもりだったようで一緒に駆け回っていた。それらの女子たちもあっと言う間に中学生になり高校生となり会えなくなってしまった。

日の入り前の一瞬の日射しの中で「ラテちゃん走ろう!」といってくれた女の子の笑顔を眺めていたオトーサンだったが、その元気な姿にあの頃よく遊んでくれた幾人かの子供たちの姿がオーバーラップした…。



乙川弘文という僧侶は何者なのか?

スティーブ・ジョブズの生涯に興味がある方なら、彼が禅の師と仰ぎ、妻となったローリーン・バウエルとの結婚式を司ったりNeXTの時代にメンタルな指導者として任命された曹洞宗の僧侶、乙川弘文あるいは知野弘文という名をご存じだと思う。


以前ケイレブ・メルビー原作の「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」を読み、あらためてスティーブ・ジョブズと乙川弘文の縁を知ったが、今般ジョブズの高校時代からの彼女だったというクリスアン・プレナンの著作「THE BITE IN THE APPLE」(原著)をぽつぽつと拾い読みしていて驚いたのはクリスアンは弘文を聖書に登場する悪魔の名まで出して弘文を嫌悪していることだった。そこであらためて乙川弘文とはどのような僧侶だったのかを知りたくなった。

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※「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」表紙


とはいえ弘文について日本語で読める資料はほとんどない。詳しいのは前記した「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」だが、他は本書を訳された柳田由紀子氏のオフィシャルサイトにスティーブ・ジョブズと乙川弘文についての情報がいろいろと載っている。特にかつて集英社の季刊誌「Kotoba」に2012年から掲載された「スティーブ・ジョブズが愛した禅僧、乙川弘文評伝」が秀悦だ。
また脇英世氏著「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊の第16章に「THE BITE IN THE APPLE」について解説程度に触れられているくらいではないだろうか。

なお柳田由紀子氏はそのオフィシャルサイトにおいて乙川弘文の伝記を書いていると宣言されている。それが出版されれば乙川弘文という男の全容がわかると期待している。さらにTwitterの情報によれば「新潟日報」に「スティーブ・ジョブズが愛した禅僧ー乙川弘文」の連載が開始されるとのことだ。掲載は「新潟日報」のウェブサイトに登録すれば数ヶ月後になるようだが無料で読めるとのこと、これまた楽しみである。

さて、「THE BITE IN THE APPLE」では10章「THE PRACTICAL AND THE POETIC」の105ページあたりから "Kobun" というワードが頻繁に登場する。しかしクリスアンの描く弘文は信頼に値しない人物であり、彼女は弘文をして聖書に登場する悪魔ベルゼバブ(Beelzebub) と称して嫌悪している点が気にかかった。
まあ、”Beelzebub” の解釈については深入りしないが…。
また残念ながら私の語学力ではクリスアンの文章は分かりづらく、十分にその意図や意味を認識できているとは思わないし、彼女はいささかヒステリックで被害妄想、そして矛盾やぶっ飛んだところもあるようだが、彼女にそう思わせたにはそれなりの理由があるに違いない。

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※クリスアン・ブレナン著「THE BITE IN THE APPLE」表紙


私たちは僧侶というとある意味無条件で安全で無害、悟りを得たかどうかはともかく厳しい修行の果てに我々凡夫には及びもしない智恵と鏡のような心境を得、真理を探求する求道者という認識がある。
ただし世の中には "師" と仰ぐに相応しい人たちはさまざまな場所に存在しそれらは決して僧侶だけではない。例えば学校の教師、塾の先生、近所の老人、会社の上司、カルチャーセンターのインストラクター、かかりつけの医者はもとより友人たちでさえ時に師となりうる。
しかしそれらの人たちと僧侶とは明確に一線を期すものがあるはずだしなければならないと思っている。もしなければ姿形だけになってしまう。
僧侶といえばいまでは葬式のときに経を読んでもらう人...に成り下がってしまった感もあるが、本来は俗世間から意識的に離れ無欲で公正、そして人の哀しみや苦しみをその場を共有することで少しでも和らげてくれる特別な人でなければならない。青臭いかも知れないが私はそう思っている。

ところで弘文は知野弘文あるいは乙川弘文と呼ばれることがある。
乙川弘文は1938年2月1日に新潟県にあった曹洞宗・定光寺の三男として生まれた。知野という姓の由来だが、彼が7歳のときに父親が癌で死んだために知野孝英という老師の養子に迎えられたことによる。ただし後年、知野孝英は米国から帰国の気配がない弘文を後継者とすることをあきらめ、養子縁組を解消したため弘文は旧姓に戻った。ために弘文はときに知野あるいは乙川と呼ばれることになった。
ここでは彼の布教活動について詳しくは触れないが2002年7月26日、スイスの山荘において池に溺れた五歳の長女を救おうと飛び込んだものの娘共々溺死している。

スティーブ・ジョブズと弘文の付き合いは「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」で象徴的に描かれているので参考にしていただきたいが、そこに登場する弘文の姿はまさしく禅の達人ともいうべき形で捉えられているし、これまた前記した「スティーブ・ジョブズが愛した禅僧、乙川弘文評伝」でも破天荒な部分がきちんと紹介されてはいるものの著者の目は暖かく特別な人といったとらえ方をしているように思える。まあ単なる駄目男なら探求してみようなどとは思わないわけだろうが...。

その弘文の欠点だが、人とのアポはすっぽかすし酒にだらしがなかった。金にもルーズ。剃髪しないことや妻帯あるいは離婚はともかくとしても、同棲中の彼女を国際布教師会議に同伴させるというまわりが唖然とする行為を平然となす。さらにクリスアン・プレナンによれば、すでに法律で禁止されていたLSDも躊躇なく体験していたという。

こういうと、米国という禅にとって真っ新の社会で目的を果たすため、その手段は日本におけるものとは違って当然という擁護があるかも知れない。さらに俗社会の決まり事、常識を打ち破る"反俗の立場"を示した...という理解もあるかも知れないが、他者に迷惑をかけ法律を犯すことは一般の人たちを教化する立場の…それも僧侶がとるべき行為ではない。
それとも曹洞宗は法律に触れたLSDを使ってでも海外での布教活動を許していたのだろうか...。そんなはずはないだろう。
まあ、そもそも凡夫が僧侶をそれもすでに亡くなった人を批判するのは気がひけるが、公人としての…僧侶・老師としての言動を問題にしているのであって、ひとりの家庭人としての男を問題視しているのではないことはご理解いただきたい。

さて「スティーブ・ジョブズが愛した禅僧、乙川弘文評伝」の中で筆者の柳田由紀子氏は、「乙川弘文ってよくある女好きの教祖様?そんな疑念も湧いてきた。けれども、完璧主義者のあのスティーブ・ジョブズが、ちゃらんぽらんな色事師坊主を信頼するなどありえるのだろうか?」と疑問を呈しつつ、繰り返すが好意的なとらえ方をされているのが興味深い。
しかしスティーブ・ジョブズが信頼したから弘文が優れた人格者であり、ちゃらんぽらんでないはず…という物言いは論理的ではない。そもそもスティーブ・ジョブズは特にこの時代、いい加減なクソ野郎だったのだから。

ここは重要だと思うので押さえておきたい。我々はスティーブ・ジョブズを優れた企業家、ビジョナリーだとは認めるが、立派な人間、人格者であったとは認められない。また乙川弘文は永平寺などで厳しい修行をした正真正銘の僧侶であったが、少なくとも米国に渡ってからの行為の中にはすでに見てきたように人の道を教え、法(ダルマ)を伝えたかったからという理由であっても正当化できるものばかりではなかったようだ。
「泥沼に咲く蓮の花」といった生き方や考え方に彼のような生き方を準える人もいるだろうが、凡夫ならそれもよい。しかし僧侶であるならそれは方便でしかないだろう。

クリスアン・プレナンは失礼ながら私と同じく凡夫であり迷い続けながら精一杯生きようとしていた一人の弱い人間だ。そのクリスアンはお腹が大きくなるにつれ中絶すべきか生むべきかを迷う。肝心のスティーブ・ジョブズは認知を拒み養育費も払わないばかりか「あの女は他にも男が複数いた」あるいは「彼女の部屋には誰でも入れた」などとまで貶める物言いをした。まったく最低のクソ野郎だ…。
クリスアンは自暴自棄となり皿を投げつけ壁に酷い言葉を書き付けたりしたというが、本来父親となるべき男から「自分の子ではない」と拒まれた一人の女性がこの程度の狂気をみせても私は同情こそすれ批難する気にはならない。悪いのは間違いなくスティーブ・ジョブズなのだ。

そうした迷いの中でクリスアンは周知の弘文に相談する。弘文は精神的・物理的・金銭的にも必ず君を守るから子供は生むようにとアドバイスしたという。しかし当時の弘文の活動を俯瞰してみればそれはまさしく安請け合いであり、金銭的援助ひとつをとっても容易なことではなかったはずだ。
とはいえクリスアンにしてみれば文字通り藁にもすがる思いだったに違いないしスティーブ・ジョブズの人柄を知る僧侶、先生、老師であった弘文ならばと信頼したのだろう。

ために妊娠中もクリスアンは禅堂センターなど弘文がかかわる集まりに通い救いを求め続けるが、弘文がマリファナを吸うこと、彼の義母がマリファナ好きだったことを知り、禅の師にあるまじき行為と愕然とする。これまた自然な感情だ。
その後、リサを生んだクリスアンは妹や知人の温情に頼るが、長居は出来ないと移民向け簡易宿泊所に引越し生活保護を受ける。しかし生活は困窮を極め、家賃を払うと生活費は一ケ月159ドルしか残らなかったという。

そうした困惑と絶望の中で最後の頼みの綱だった弘文は結局なんの手も差し伸べてはくれなかったらしい。金銭はもとより精神的・物理的な面においても…。
ではなぜクリスアンが弘文を悪魔の主、ベルゼバブ(Beelzebub) と感じたのか…。その後もクリスアンと弘文は交流があったようだが、かなり後になっての話しになる。
弘文らとクリスアンそしてリサが談笑しているとき、クリスアンは日本人である弘文に娘のリサが日本語を勉強していることを伝えた。
それを聞いた弘文は目を見開いてリサに向き直りいった言葉が引き金となった。
肝心なところなので原書「THE BITE IN THE APPLE」207ページ中段から、なにがあったのかを和訳してみよう。

 その晴れた日の午後、私たちはお互いに満面の笑顔で挨拶を交わした。弘文と一緒に時間を過ごすのはいつだって特別なことであり、私は、何といってもこの数年来は、自分でも驚くほど弘文と会うのが嬉しかった。私は、そこでの立ち話の中で、リサが日本語を学んでいることを弘文に告げるのを忘れなかった。私は、そう聞けばきっと弘文は喜ぶだろうと思ったのだ。それは、弘文が、言うまでもないことだが、母国や母国語に対して終始変わらぬ深い愛情を抱いていたからである。私の話を聞いた弘文は目を大きく見開き、リサのほうを向くと、「日本語が話せるのなら、私の秘書になればいいじゃないか」と言った。リサにとって立派な雇い主に仕える機会となるそのありがたい申し出を耳にしたとき、私は弘文から5フィートほど離れたところに立っていた。ありがたい申し出とは言ったが、私にとってそれは、悪魔ベルゼバブが娘のリサの手を取ろうとしているようなものだった。この男が、そしてその考え方が、リサに影響を及ぼすのだと思うと、私は胸が張り裂けそうだった。結果は目に見えていた。
 リサは誰の秘書にもさせない、少なくともこの男の秘書にはさせるものか。私は、弘文にぶしつけな態度を取るのは好きではなかった(実を言うと、それだけは何が何でも嫌だった)が、弘文をどこであれ娘のそばに近ずけるわけにはいかなかった。だから私は、にっこりと笑ってその秘書の話を承諾するふりをするというようなことはできなかった。私は大きく一歩を踏み出して2人の間に割って入り、こう言った、「ごめんなさいね、リサをあなたの秘書にすることはどうしてもできないの!」そう言ったときの私は微笑んでいたが、神経は張り詰めていた。


クリスアンにとってその言葉はベルゼバブが自分の娘に魔の手を伸ばしたかのように思えたようだ。それは弘文が女好きであり酒癖がわるく、その上 LSDを吸っているなど彼の行状を知っていたからだろう。
さらに助けるといってなにひとつ手を貸してくれなかった男の魔の手のように感じたのだろうか。クリスアンにとって「たったひとつ一番大切な娘をおまえなんかに利用されてたまるか」という嫌悪感が湧いたに違いない。弘文の冗談でありクリスアンの考えすぎ、被害妄想と捉える人もいるだろうが、彼女にそう思わせる言動が乙川弘文にあったからだともいえる。
ただし「悪魔ベルゼバブが娘のリサの手を取ろうとしているようなもの」と嫌悪しているというのに冒頭の「弘文と一緒に時間を過ごすのはいつだって特別なことであり、私は、何といってもこの数年来は、自分でも驚くほど弘文と会うのが嬉しかった」という感情は相反するものであり、クリスアンの心の内はどうにも単純には理解できない。

ともあれ僧侶だから人の信頼を裏切っても彼は「破天荒で天然ボケ、世俗の価値観とは無縁な子供のような心を持った愛すべき人」と評価すべきなのだろうか…。私は決してそうは思わない。
僧侶も生身の人間であり食わずには生きていけない。しかしそれとこれとは話が違う。

どうにも我々は毎日決められた時間に起床し、満員電車にもまれながら遅刻せずに会社に行き、疲れた心身を癒やす時間もなくまたまた通勤電車に飛び乗って夜半に帰宅…というごくごくありふれた毎日を繰り返しつつ「このままではダメだ」と現状に満足していない。
だからか、弘文のようなあるいはスティーブ・ジョブズのような破天荒な人物に憧れてしまいがちだ。ちょうど世間を知らない少女が不良少年に恋するように…(笑)。しかし遠くから憧れるだけなら害もないが、その懐に深く入っていけばいくほど裏切られ傷つくことも多いに違いない。

弘文は対スティーブ・ジョブズを含めて確かに禅の優れた指導者だったかも知れないが、「THE BITE IN THE APPLE」にある通りなら私には僧侶として素直に認められないわだかまりが残ってしまう。
弘文にとってクリスアンへの対応は多くの信奉者たちのたった一人に過ぎなかったのだろうが、一人を救えず何の仏教なのだろうか。

本来教えとは師の口先の言葉を鵜呑みにすることではないはずだ。あえて古くさい物言いをすれば、弟子は師の言葉ではなく、その背を追い行動を見て育つものだと思う。そうした意味において弘文は僧侶として師として理想的な人物ではなかったと言わざるを得ない。
前記したクリスアン・ブレナンも著作の中で “Kobun” について多くのページを割いているが、悪魔といった比喩は特別だとしても期待や尊敬あるいは信頼への渇望も多々伺える。それだけに僧形の師としてはひとつひとつの言動に責任を持って貰わなければならない。

繰り返すが言動不一致、酒に乱れ、女好き、金にルーズでアポイントは守らないし法律に違反してまでLSDを公然と使う。さらに米国での活動や集めた信徒たちのデータを日本の本部に届けなかったというのではまるで破戒僧ではないか(笑)。
曹洞宗の海外における活動にどのような規約があるかなど知る由もないが、弘文は間違いなく曹洞宗の僧侶としてオフィシャルに米国あるいはヨーロッパで禅を広めようと活動したのだから、ごく平たく言えば曹洞宗本部の監督不行き届きではないのか。

なぜスティーブ・ジョブズは弘文に惹かれたのか。それは自分のネガティブな面をも理解し許してくれるだろうという意味において、弘文に似たもの同士を感じたのかも知れない…。
人間は決して完全完璧な生き物ではないし、それは僧侶とて同じだろう。しかしより良い生き方を探り修行するのが僧侶の僧侶たる所以だろう。私の乙川弘文に対する第一印象は厳し過ぎるのかも知れないが、スティーブ・ジョブズがそうであったようにGod JobsとともにBad Jobsも間違いなく本人の姿なのだ。したがって表面づらや禅僧という肩書きで判断するのは危険だと考える。
弘文の情報に関しては今後も注視していきたい...。

【主な参考資料】
・「THE BITE IN THE APPLE」St. Martin’s Griffin刊
・「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」集英社インターナショナル刊
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊
・柳田由紀子氏オフィシャルサイト
・DVD「スティーブ・ジョブズ 知られざる男の正体」NBCユニバーサル・エンターテイメント



インスタグラム、自殺や自傷行為防止ツールをアップデート、日本語でも利用可能に

インスタグラムは10月14日(米国時間)、自殺や自傷行為の可能性がある利用者にサポートを提供したり、そのような方の友人や家族のためにリソースを紹介するツールをアップデートしたことを発表した。


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自殺や自傷行為をほのめかす投稿を発見した場合、利用者はインスタグラムへ報告することができる。今回のアップデートによって、自分を傷つける恐れがあると思われる友人に向けて、彼らに役立つ情報をインスタグラムから提供できるようになった。当事者に提供されるリソースは、「友人に連絡する」、「ヘルプラインに相談する」、「アドバイスやサポートを得る」の3つのオプション。インスタグラムは世界中で40以上の団体のヘルプラインと提携しており、日本では「いのちの電話連盟」や「東京自殺防止センター」と協力体制にある。

本ツールの利用方法は下記の通り。
1) 自殺や自傷行為をほのめかす投稿を発見したら、投稿右上の「...」をタップし、「報告する」を選択。
2)「不適切である」をタップ。
3)「報告する」の画面で、「自傷行為」を選択。
4)「自傷行為として報告しますか?」の質問で「報告」をタップ。

インスタグラム 日本語版公式アカウント(日本語)




Apple、スペシャルイベント「hello again」を10月27日に開催

Appleが、10月27日にApple本社でスペシャルイベント「hello again」を開催すると発表(日本時間10月28日午前2時)。なお今年3月のスペシャルイベントでCEOのティム・クックは「今回がタウンホールで行われる最後のイベントになる」と公言しているので本社のどこで執り行うかも興味のあるところ。


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「hello again」という言葉は1998年5月にWWDCの場で発表されたiMacのコピーにも使われた。なぜなら "hello" は1984年にスティーブ・ジョブズにより発表された最初のMacintoshに使われたモチーフだったから、アップルに復帰し最初の新製品を発表するスティーブ・ジョブズに相応しい呼びかけだったといえる。

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※1984年リリースされた初代Macintoshのカタログより【クリックで拡大】


なお、本スペシャルイベントはいつもの通りライブ中継されるとのこと。
「hello again」が再び再現されるとすれば、発表の内容は 新型 Macなのか?!

hello again



スマホアプリと連係してサッカー選手の運動データを測定する「Zepp サッカーセンサー」発売

フォーカルポイント株式会社は10月19日、スマートフォンのアプリと連係してサッカー選手の運動データを測定する、3軸加速度・ジャイロセンサーを内蔵した「Zepp サッカーセンサー」を全国の家電量販店および雑貨店舗などを通じて発売すると発表。同社の運営するオンラインストアでも本日より販売を開始した。


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【Zepp サッカーセンサー について】
Zepp サッカーセンサー(ゼップ サッカーセンサー)は、iPhoneやスマートフォンと連係してサッカー選手の運動データを測定することが可能となる3Dモーションセンサー。センサーを製品付属のカーフスリーブの内側に入れてスマートフォンとペアリングするだけで、キック数、スプリント数、走行距離、最高速度などの重要なオンフィールドデータを測定できる。アプリ内のビデオ録画機能で試合のビデオハイライトを作成することも可能。

[製品の主な特徴]
パフォーマンス測定機能
キック数、スプリント数、走行距離そして最高速度などのオンフィールドデータを測定。

ハイライトシーン自動作成機能
アプリケーションで試合をリアルタイムで録画して、任意のシーンを選択して試合のビデオハイライトを自動作成することができる。

ゲームタイムライン機能
試合のタイムラインをキーイベントやビデオで友人や家族に共有することができる。

チームデータ
複数の選手のデータとビデオを集約してチームの試合データを作成することができる。

専用カーフスリーブが付属
Zeppセンサーを付属のカーフスリーブの内側に取り付けるだけで使用可能。カーフスリーブは、S/MサイズとL/XLサイズの2サイズが付属。

[同梱品]
・Zepp サッカーセンサー 本体 ×1
・カーフスリーブ S/Mサイズ ×1
・カーフスリーブ L/XLサイズ ×1
・専用USB充電器 ×1

[対応機種]
iOSデバイス(iOS 9以上)
・iPhone 5 以降
・iPad 第4世代 以降
・iPad mini 2 以降
・iPod touch 第6世代

Androidデバイス
・Android 5.0以降でBluetooth LEに対応する機器

[製品仕様]
本体サイズ:約27.2(W)×38(H)×7.2(D)mm
   重量:約6.8g(センサーのみ)

       定価:オープンプライス
オンライン直販価格:14,800円(税抜)
     発売時期:発売中
       型番:ZEP-BT-000004

Zepp サッカーセンサー 製品ページ



インスタグラム ストーリーズ 新機能:お進めのストーリーをExploreページに表示

インスタグラムは10月18日(米国時間)、世界中のコミュニティがシェアしたInstagram Stories(以下、インスタグラム ストーリーズ)をより発見しやすくするための新機能として、利用者の関心に合うお勧めのストーリーをExploreページに表示することを発表した。


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今回のアップデートで、5億を超える世界中のインスタグラムコミュニティから厳選されたストーリーがExploreページ(虫めがねアイコンのぺージ)の上部に表示されるようになる。Exploreページの他のコンテンツと同じく、おすすめのストーリーも利用者の興味・関心をもとにパーソナライズされる。

今年8月に発表されたインスタグラム ストーリーズは、日々のハイライトだけでなく、その合間にある何気ない瞬間を気軽にシェアすることができる機能で、ローンチから2か月あまりで、現在では毎日1億以上の利用者が使っている。

インスタグラム ストーリーズには、日常のあらゆる瞬間を簡単に楽しくシェアできるよう、様々なクリエイティブツールが用意されている。ネオンペンや絵文字を使ったり、ハイパーラプスやブーメランなどインスタグラムの単独アプリで撮影した動画をストーリーとして投稿することも可能。シェアされた写真や動画は投稿後24時間で自動的に消え、利用者のプロフィール画面やフィードには表示されない。

他にも、テキストの色を自由に変更したり、ミュート機能で特定の利用者のストーリーを非表示にするなど、ローンチ以来、様々な機能が追加されている。

インスタグラム 日本語版公式アカウント(日本語)



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第11話 トラブル続き

加賀谷友彦は1976年12月6日に出向いたApple銀座の店頭でiPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩が...。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープしカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そしてスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※

■第1部 ー 第11章 トラブル続き

「あらためて聞くが、そのiPhoneってのは電話機なのか?」
仕事から帰った真夜中、ダン・コトケも別の友人宅に泊まるからと出かけたある日、私が39年後から持ってきたiPhone 6s Plusの説明を続けることになった。
「ワインなら飲めるか…」
私がアルコールに弱いと知っているスティーブ・ジョブズがワイングラス2つとボトルを持ち出していった。
「少しいただくよ。君もそうだろうが疲れているから飲むと寝てしまいそうだ」
手にしたグラスにワインを注がれながら笑うとスティーブは「そうだな」といいながらも一気に飲み干した。

iPhoneは大別して携帯電話機、携帯情報端末機、携帯音楽プレーヤーを統合したものであること、情報端末はまだこの時代ではインフラが開かれていないがテキストだけでなく写真や動画に至るまでを送りあったり共有閲覧したりができるのだと説明した。
しかし実に妙な気分だ。2007年1月、MacworldExpoのキーノートで後年のスティーブ・ジョブズがiPhoneを iPod、携帯電話、インターネットや電子メールの送受信等が行える携帯情報端末という3つの機能を併せ持ったデバイスであると発表した姿が記憶に残っているからだ。彼はそのとき「Appleは今日電話機を再発明した!」とも宣言した…。その当人に「iPhoneとは」と御託を並べている自分が可笑しかった。

「なににやついてるんだよ」
スティーブは説明の続きを催促した。
そういえば、スティーブと私の間でひとつの約束ができていた。それはスティーブがあえて聞かない限りスティーブ本人やAppleの未来について話さないということだった。
スティーブは私が未来からタイムワープしてきた人間という "事実" についてはすべての前提として認めざるをえないと考えたようだが、未来は自分たちで築くもので用意されているものではないという持論を持っていた。そして良いこと悪いことに限らず基本的に自分の未来は知るべきではないと結論づけたようだ。

「持ち運べるという点を別にすれば電話機と音楽プレーヤーについては理解できるがその情報端末ってのがいまいちよく分からんな」
グラスに自分で2杯目のワインを注ぎながらスティーブはつぶやいた。

「君はARPANETを知っているだろう?」
スティーブは勿論だという顔をしながら
「タイムシェアリングシステムにコミュニケーション能力を持たせたコンピュータネットワークと考えればいいのかな」
それに...と思い出したように付け加えた。
「核攻撃にも耐えうる設計といったかな。だから軍用のシステムさ」
スティーブは自分たちには関係ないといった顔をした。

「まあ、実のところ核攻撃に耐えうるというのは副産物で、メインの使命は研究用の大型コンピュータの設置台数が限られていることからひとつの端末からそれら大型コンピュータのどれとも接続できるネットワークを構築することにあったようだよ」
スティーブは軽く右手を上げ、話しの先を促した。
「簡単にいえばARPANETの進化型が我々の誰もが使えるようインフラ化されたんだよ。1990年代中頃から私たちも公衆交換電話網...メタル回線を利用してインターネットと名付けられたコンピュータネットワークを使い始めたんだ」
スティーブは俄然具体的な話しになったからか、体を起こして本格的に聞く姿勢を見せた。

yamaha_ISDN.jpg

※筆者が1996年11月にはじめてインターネット接続を試み愛用したYAMAHA製 ISDNルーター


「要するに単に個人間でのコミュニケーションだけでなく新聞やラジオ・テレビ・メールといったメディアがすべてデジタル化されネットワーク化された結果このiPhoneで日々の事件やニュースといった情報は勿論、デジタルな百科事典にアクセスして調べ物をしたり、映画を見たりもできるんだ」
私もグラスに口を付けながら続けた。
「それに無線ルーターを使えばネットワーク回線に繋がっている機器とiPhone間は費用のかからない無線でも利用できるんだ」
「それがiPhoneをして情報端末っていう意味さ...」

さすがのスティーブも理解と言うより想像もできない点があるのだろう、困惑の顔をする。
「まあ分からんところは置いといてだ。文章入力するにはどうするんだよ。キーボードもないぜ」
わずかに残っているバッテリーを使い、ソフトウェアキーボードというものを見せた後、この時代では使えないが実は音声認識の技術が搭載されており、話し言葉をテキスト化して入力できることを説明するとスティーブはあきらめ顔をした。
「ぶっとんでいるな。まるでSFだ。目の前にこれがなければ信じられん...。」
少し考えていたようだが
「寝ようぜ。続きはまた今度だ」
スティーブはあきらめ顔のまま大きなアクビをしながらつぶやいた。

リビングで数十分を過ごした我々はそれぞれの部屋に分かれた。しかしこんなおだやかな時間は "ここだけ" だった。なぜならApple II は売れていたが、まだまだ企業の屋台骨は安定しておらずAppleの日常は予測できないトラブルが多々押し寄せ、平穏さとは無縁だった。

1977年の後半はふたつの危機に見舞われた。
そのひとつはすでに伝説化された話しになっているが、その伝説の筋書きを私流にご紹介するとこうなる...。

ランディ・ウィギントンが新しいBASIC言語...AppleSoft BASICを開発中、それまで1ヶ月半ほどの成果を保存してあったタイムシェアリング先の大型コンピュータから突如データが消えてしまうと言う事故が起きた。

「スティーブ、僕は早速コール・コンピュータ社に電話し最新のデータがダメでも直近のバックアップテープをセットしてくれるよう頼んだんです」
「それでどうした?」
問いただすスティーブに向かい、半べそをかいたランディは言いにくそうに...
「お前の会社は数ヶ月も料金が滞納しているからダメだ、できないと言われました」

この時期のAppleはキャッシュフローが逼迫していたのであちらこちらでこんなトラブルを起こしていた。
スティーブは普段威張り散らしているが、こうしたときの決断は早く肝っ玉が据わっていることには驚かされる。
早速コール・コンピュータ社の社長アレックス・カムラートを呼び出しなだめるようにジョブズはいった。
「君がこちらに来てくれたらたまった料金を小切手で用意しておくよ。ただし僕らも急いでるんだ、わかるだろう。だから直近のデータテープをセットしデータをダウンロードできるようにしてから出かけてくれないか。頼むよ!」
それならばと納得したアレックス・カムラートだったが、早速ランディはアレックス・カムラートがこちらに向かっている間にデータをダウンロードし、ログオフしてその場から去った。

アレックス・カムラートという人物はボクサーあがりの人物で鼻も目もつぶれた強面の男だった。事実怒りっぽいと評判だった。集金に来たその男に向かいスティーブ・ジョブズは真っ向から悪たれをついたのだ。
「おまえに小切手なんぞ支払うつもりはない。数週間分もの貴重な仕事を吹っ飛ばしやがったお前たちに払う金などあるわけないだろう!地獄に落ちやがれ。帰れ!」

スティーブ・ジョブズは菜食主義者で当時は痩せていた。したがって万一殴り合いにでもなったらスティーブは確実にボコボコにされるだろう。しかしスティーブの気迫に押されたのかカムラートはしばらく仁王立ちした後、怒りながらドアを蹴って出て行った...。


......とまあ、こうした伝説がすでに広まっているようだ。しかしその場にいた私が見た光景とはかなり違うことを告白しつつ状況の説明をしておきたい。
そもそもApple II にはウォズが開発した整数BASICが搭載されていたがユーザーはより実践的な浮動小数点演算が可能なBASICを欲していた。無論ウォズもそれは承知だったが変更にはまともな時間を必要とすることは明らかだったもののウォズはすでにフロッピーディスク・ドライブの開発を始めていたから取り組む余裕がなかった。

そこでAppleはマイクロソフト社から6502 BASICを買い取り、これをApple II の低解像度グラフィックスと整合性を持たせ "AppleSoft BASIC" として開発することになった。これまたランディの仕事だった。
しかしランディは愚痴が絶えなかった...。
「トモ、この6502 BASICはバグが多すぎるんだ。まずはこのバグを潰さないと」
私はランディの顔を見ながら
「ランディ、君の独壇場だろ」
と誉めるつもりでいったが、彼の表情は曇りっぱなしだった。

「いや、ウォズという天才と一緒に仕事をするのは素晴らしいことだけど彼は飛び抜けているから困るんだよ、トモ」
どういうことかと促すと、
「だってウォズはいまだにハンド・アセンブリングだから...凄いことだけど...Apple II で動くアセンブラーがないんだよ」
「ということは開発ツールがないってこと?」
私も驚き聞き返した。ちなみに "アセンブラー" とは、アセンブリ言語のソースコードを機械語のプログラムに変換するソフトウェアのことだ。

そこでランディは苦肉の策でコール・コンピュータ社のクロス・コンパイラを電話回線経由で使うことにした。そのクロス・コンパイラもBASICで書かれていたという。
処理にはひどく時間がかかりコンパイルには2時間ほど、ソースコードの打ち出しには数日かかると思われたが、ここでコール・コンピュータ社のシステムが故障し,契約のユーザーエリアに保存してあった6502 BASICが消滅した...。
とまあ、ここまでは確かなのだ。

ただしコール・コンピュータ社のカムラートが到着する間にうんぬんというのはいかにもありそうな伝説だが、実際はここで助け船をだしたのが1977年11月、ロッド・ホルトが採用したクリフ・ヒューストンとディック・ヒューストンという兄弟だった。
彼らはそれまでIMSAI 8080を所有していたがウエスト・コースト・コンピュータフェアでApple II を見て感激しホルトに接触したのだという。

データセンターのコンピュータが使えないことは確かだった。ではどうするかで青ざめたランディ・ウィギントンはスティーブ・ジョブズらに対処を求めた。結果、クリフ・ヒューストン、それにときおりウォズとジョブズがやってきては早口で話し合っていたが、私には宇宙人の言葉のようで意味不明だった。

後でランディに聞いたところによれば、クリフ所有のIMSAI 8080のおかげで窮地をのがれたのだという。
「いや、本当に助かったよ。クリフのIMASAに6502 BASICの紙テープを読み込ませ、それをフロッピーディスクに落として IMSAIベースの6502クロス・アセンブラーにかけたんだ」
「なるほど、IMSAIがデータ・センターのコンピュータ代わりになったというわけか」
私が少々とんちんかんな問いをしたもののランディは言い換えもせず
「それより開発ツールができたことが強みだったんだ。なにしろこれまで2時間かかっていた作業が6分で終わったんだからね。そして全ソースコードの打ち出しだって、そう確か40分もかからなかったよ。電話回線がネックなのは分かっていたけど、個人用コンピュータの威力をあらためて知ったよ」

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※BYTE誌、1977年7月号に載ったIMSAIの広告


ランディはろくに食事もとらずに働き続けたからだろうか、少し痩せてみえた。
ともかくデータセンターのコンピュータが使えなくなった現実を踏まえ、もし IMSAI 8080がなければ代替手段を考えつくまでまったく先に進めない話しだったから危機であったことは確かなのだ。
ただしスティーブ・ジョブズがボクサーあがりのカムラートと睨み合ったという話しの方が面白いのは確かだけど...。

もうひとつの危機はもっと深刻だった。
この頃スティーブの口癖は「Apple II の成功ははじめから確信していたよ」といったものだった。自分が予測したとおり、Apple IIは売れてるしこれからも売れるとメディアや周囲に自慢していた。しかし私と二人きりになるとニュアンスはかなり違った物言いになった。
「いや、売れるし売らねばならないと思っていたよ。しかし君だから白状するけどApple 1 の倍ほど売れれば上々だと思ってたんだ」
いたずらっぽい顔をして彼は続けた。
「Apple II にケースをというのは俺の考えだったが当時は金も時間もなかった。だからなるべく安く上げようとして低予算の加工法でケースを作ったんだ」
その低予算の加工法によるケース作りを依頼していたケースメーカーの金型が壊れたのだ。

ケースがなければApple IIは出荷できず売上げがなくなる。なによりも前記したようにこの時期Appleのキャッシュフローは底をついていたから根本的な改革は出来得なかった。
正真正銘の危機だった。スコッティもマークラも単に金を出せば済むことではないことは理解していたがキャッシュフロー不足を考慮し取り急ぎ個人で20万ドルずつ資金投与したが、ケース成型システムを修理し再度ケースを成型できるまでには物理的な時間が必要だった。

ここでもスティーブ・ジョブズのガッツが会社を救った。
「トモ、一緒に来てくれ」
スティーブと私はケースメーカーまで車を飛ばした。彼の運転はいつも乱暴で危なっかしいものだったが、数十分後に自分たちの運命が決まると思うと気が気でなくスティーブの荒っぽい運転も気にならなかった。
メーカーの責任者に会うとスティーブは挨拶もせずいきなり本題に入った。
「状況はわかっているつもりだ。ケースの出荷を予定通り…いや少しでも早めて欲しいが、ここで僕たちが君たちに報いることはひとつだと思う」
スティーブはメーカーの責任者をあの射るような瞳で凝視した。
「スケジュールより早く出荷してくれたら、一週あたり1,000ドルのボーナスを出すよ。だから何とか頑張ってくれないか!」

スティーブの真摯な態度とボーナスの提供は成型メーカーを奮い立たせた。文字通り早めにケースが届けられ始めたためApple IIの出荷もできるようになった。
Appleにとってもぎりぎり、背水の陣だった。あと一週間ほどケースの納品が遅れたら倒産の憂き目に遭うところだったのだ。

Appleの経営陣は他にもいろいろなヘマをやらかしつつ学んでいった。
マイク・マークラは自分が立案したApple IIの販売見通しが責められても仕方がないほど悲観的だったことを思い知った。ジョブズが下した技術的選択や試作品の最終仕上げをウォズが嫌がること、細かなことまで粗探しをするロッド・ホルト、製品の美的考慮を重要視しないマイク・スコットらも多くのいざこざの中でこれまでとは程度の問題はあるにせよお互いの欠点に寛容になっていく。

「俺もジョブズ流の足の疲れをとる方法を始めたよ」
いたずらっぽい顔してスコッティは私にいった。
「なんですかそれは」
「決まってるだろ。トイレの便器に水を流してその中に足を入れるのさ!」
スコッティと私は顔を見合わせ大笑いしたが、離れた場所にいたスティーブ・ジョブズが何事かと振り向いた。

(続く)

【主な参考資料】
 ・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
 ・「ハッカーズ」工学社
 ・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
 ・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
 ・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
 ・「林檎百科~マッキントッシュクロニクル」翔泳社刊
 ・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊


Apple Watch Series 2 スポーツバンド購入時の要注意点

Apple Watch Series 2 を楽しんでいる。今回購入したのは38mmゴールドアルミニウムケースおよびコンクリートスポーツバンドの組合せである。スポーツバンドはこれまでにも数種購入したが、コンクリートカラーというのはこれまでなかったので初めてだ。


好みといってしまえばそれで終わりだが、ゴールドという本体カラーにマッチングするバンドのカラーは意外と限定されるように思う。あまりにビビッドなバンドでは本体が目立たない。これまでに買ったピンクやブルーといったカラーのバンドも着けては見たがどうにも気にくわない...。

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※Apple Watch Series 2のゴールドアルミニウムケースおよびコンクリートスポーツバンドの組合せは素敵だ。なおバンドのピンの色も本体に合わせてゴールドだ


コンクリートスポーツバンドは最初に選んだだけに確かに本体のゴールドとよく合っているように思えるし気に入っているが、これひとつでは面白くないからと別のカラーのスポーツパンドを買ってみようかと考えた。
さて細かなことだが、ゴールドアルミニウムケースおよびコンクリートスポーツの組合せが美しいと感じるそのひとつは尾錠となるピンのカラーだ。

ゴールドアルミニウムケースおよびコンクリートスポーツの組合せで購入したコンクリートスポーツバンドのピンは本体と合わせたゴールドなのである。

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※スポーツバンドのピン比較。手前が今回購入したゴールドアルミニウムケースおよびコンクリートスポーツバンドのピン。奥は昨年購入のアルミニウムとホワイトスポーツバンドの組合せによるピン


オリジナルApple Watchはアルミニウムを手にしたのでほとんど意識はしなかったが、Appleのウェブサイトを見るとギヤラリーなどに載っているビジュアルはゴールドアルミニウムケースだけでなく、例えばローズゴールドアルミニウムケース付属のピンクサンドスポーツバンドに付いているピンはやはり本体に合わせたローズゴールドからーだし、スペースグレイアルミニウムケース付属のブラックスポーツバンドのピンはスペースグレイだ...。
これらのコーディネートはスポーツバンドばかりでなく、ウーブンナイロンの尾錠についても同様のようだった。

この気遣いはさすがAppleだ、いいな...と思いながら、それではオプションで別カラーのスポーツバンドを買ってみようと考え、Appleのウェブサイトをあらためて確認して気がついた!
スポーツバンドの場合は現在PRODUCT REDを含めて12種類のカラーバリエーションがあるが映像を見る限りどのカラーのバンドを選んでもピンのカラーはシルバー1色なのだ。

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※Appleオンラインストアでのバンドのみ購入はピンのカラーは選べられない


例えばピンクサンドスポーツバンドを買おうとした際、本体に合わせてピンのカラーをゴールドに出来ないのかと考えたわけだ。前記したように私はたまたまゴールドアルミニウムケースおよびコンクリートスポーツバンドの組合せを選んだが、もし購入をローズゴールドアルミニウムケースとピンクサンドスポーツバンドの組合せにしたらピンのカラーはローズゴールドの理屈だ。それだけ拘っているならオプションでバンドを購入する場合もピンのカラーを選ぶことができないのか、ウェブ上では不明だったのでAppleサポートのチャットで問い合わせて見た。

ただしこのチャットによるサポートはリアルタイムにテキストによるものだが、今回のような単純な質問を解決するには本来うってつけだ。ただし数回利用した素直な感想では相手をしてくれる担当者のスキルは決して高くないように思えた...。
ともかくオプションでスポーツバンド購入を考えているが、そのピンのカラーは所持している本体カラーに合わせて選択できるのか否かを聞いてみた。
返事はぶつ切れに短いものが続き分かりにくいものの「...どうしてもゴールドカラーのピンでご用意いただくことが難しい次第でございます。」という回答...。

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※Appleサポートのチャットで問い合わせたやりとりの一部【クリックで拡大】


これは明解な回答ではない(笑)。そこで「すみません。難しいのか、完全にダメなのかどちらですか」と聞くと今度は「わかりにくく申し訳ございません。」に続き「ゴールドカラーのピンをお選びいただくことはできかねます。」とのこと。
まあまあ、言葉使いが丁寧なのはよいとしてもできることとできないことは一度で明確にしてほしい :-P

ともかく結論だが、少なくともオンラインストアでオプションのバンドを購入する場合はすべてピンのカラーはシルバーだということらしい。
そうなると本体についてきたベルトは思いのほか貴重なのかも知れない。
今後、バンドの選び方あるいはバンドのみの購入時の参考になれば幸いである…。



ラテ飼育格闘日記(515)

朝晩は気温が低くなったからか、ラテは俄然元気になったように思える。オトーサンが日々注視していることはやはりラテの健康だ。10歳を過ぎたし太り気味なことと合わせてラテの動きや意欲といったものに注意を向けている。具体的には歩き方がおかしくないか、散歩から戻り体を綺麗にする際に全身に触れて皮膚に異常がないか等を確認している毎日だ…。


それからやはり意欲的かどうかも気になる。当然のことながら2,3歳のときと比べれば走らなくなった。その頃は広い公園に出向くと必ずといってほど数人の小学生女子が遊んでくれて「ラテちゃん、走ろう!」とラテを誘ってくれるとラテも一緒に走り回っていた。無論リードを持っているオトーサンも走った(笑)。

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※気温が低くなってきたので散歩への意欲が増してきた


やはり気温が低いと体を動かすには都合がよいのだろうか、土が露出している土手に登り、先日は久しぶりに夢中で穴掘りしたし、先日はどうした具合か直線の歩道を走り始めた…。
オトーサンもそうしたときにはラテの意欲を削がないように負けずに走るよう努力しているが、これまた10年前とは体力が違うからラテと50メートルほど全力疾走したつもりだったもののラテは余裕のようで、走りながらオトーサンにアイコンタクトし「オトーサン、大丈夫?」と言っているようだった(笑)。

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※ラテと全力疾走しているつもりだが、こうして見るとへっぴり腰だ(笑)


毎日自宅にいるときはほぼ寝てばかりいるが、オカーサンが仕事から帰ってくると俄然元気になり、吠えつつ遊びを要求したりする。
室内での遊びで1番のお気に入りはボール遊びだ。フガフガの柔らかいボールをオトーサンが投げ、ラテが取ってくると小さなオヤツをあげるというもの。しかしこの場合はオヤツが目的ではなくボールの感触、ボールの扱いを楽しんでいるようだ。
口に咥えてボールを軽くカミカミし、それを頭をひねることでオトーサンに向かって投げたり空中に放り投げてまた自分で追いかけるという繰り返しだ。

オトーサンが「ちょーだい!」と手を出すとしぶしぶ渡してくれるが、オトーサンはそのボールをラテに向かって山なりに投げると上手にキャッチする。あるいはオトーサンがラテの四つ脚の間をかいくぐってボールを壁に勢いよく転がし、跳ね返ってまたまたオトーサンの手に戻ると途中でブロックできなかったからか、ラテは悔しがったりする(笑)。

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※オトーサンが軽く投げたボールをナイスキャッチ!


ほんの5分とか7分といった短い遊びだが、このときラテが乗るかどうかはひたすらオトーサンが本気で遊んでやるかどうかにかかっているようだ。義務感で嫌々相手をしてもラテは乗ってこない。
上手にボールをキャッチしたら少々大げさに「やったぁ!ラテ、凄い」と声に出して頭でも叩いてあげないとダメなのだ(笑)。

さて,先日朝の散歩でラテがお気に入りの小学生男子に出会った。ちょうど通学の時間帯だったようだ…。
笑顔で近づきそしてしゃがみ込んでくれた男子にラテは飛びつかんばかりの喜びようだ。口を大きく開けて顔を舐めに行く。男子の膝に両前足をかけてもう大変な騒ぎだ。

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※大好きな小学生男子に出会えて乱舞するラテ


そうしたラテの態度というか行動を見ていると、子供たちに接するにも好きな度合いのランクがあるのが分かってくる。
もともと幼児から高校生あたりまでの男女なら初対面でもフレンドリーなラテだが、体を触られてもただただ無視する、その子供の方に向いて臭いを嗅ぐ、手足や顔を舐めようとする…といった段階があり、同時に表情と態度にもいくつかの違いがあるから面白い。
無論星5つの相手は限られてくるし事実オトーサンの観察では昔馴染みの飼い主さんでも数人、現在地の付近では大人を混ぜても3人程度だと思う。

ただし例えばランクは5つ星の人は数年後に会ってもやはり喜び方が凄い。したがってランクが下がることはないようだが、3つ星が5つ星になることは触れ合いのあれこれで変わっていく。
親バカの感想だが、やはり本心からワンコ好きで可愛いと思ってくれる相手こそラテも好きになるように思う。
これから秋が深まり、春が来て桜が咲いて散るころまで、ラテはよく歩きよく走るに違いないしそうあって欲しいと願っている。問題があるとすればオトーサンの体力だ(笑)。



最高級の防水・耐衝撃性 「Catalyst Case for iPad Pro/iPad Air 2(9.7インチ)」発売

トリニティ株式会社は10月14日、防水・防塵の国際規格「IP68」を取得、水深2mと、1.2mの耐衝撃性能を兼ね備えた他の追随を許さないiPad Pro/iPad Air 2(9.7インチ)用ケース「Catalyst Case for iPad Pro/iPad Air 2(9.7inch)」を全国の家電量販店、および一部雑貨店を通じて本日より販売すると発表。なお、本製品はTrinity Online Storeでも取り扱いする。


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カタリスト 9.7インチiPad Pro/iPad Air 2 完全防水ケース。防水と防塵の国際規格であるIP試験で最高の等級を表す「IP68」を取得、最大2mまで水中での使用が可能。
お風呂やゲレンデなどでもiPadを楽しむことができ、さらにアウトドアやスポーツなど耐久性を要するさまざまな環境でも安心してiPadを使用することができる。

 ・水深2m完全防水
 ・1.2mの耐衝撃プロテクション
 ・最高レベルの耐塵性
 ・JIS防水規格 最上級「IP-68」準拠
 ・ハードコート光学カメラレンズ
 ・クリアなスピーカー音再生
 ・ケース使用時にすべてのボタンと機能が使用可能
 ・タッチスクリーン対応
 ・iPad指紋認証機能「Touch ID」対応
 ・Lightningケーブル対応
 ・ケースに付けたままLightningケーブルが使用可能
 ・背面クリアでAppleロゴがみえる

さらに、ケースを外す際に使用できる、Catalystのロゴマーク入りのオープニングツールも付属する。
定価はオープン価格だが、Trinity Online Store価格は18,000円(税別)。

カタリスト 9.7インチiPad Pro/iPad Air 2 完全防水ケース



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第10話 雑誌広告躓き

加賀谷友彦は1976年12月6日に出向いたApple銀座の店頭で iPhoneのホームボタンを押した瞬間目眩が...。思わず座り込み気がついたとき彼はタイムワープしカルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家ガレージ前にいた。そしてスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※


■第1部 ー 第10話 雑誌広告の躓き

Apple II の評判と売上げは好調だが、誰もが日々これまで経験したことのない出来事やトラブルをひとつひとつクリアしていくという忍耐が必要な毎日が続いた。しかし市場の反応が良いことはスティーブをはじめ全員の志気を高めていた。年の暮れにははじめて手応えのある利益を計上することが出来た。ただしそこに至るまでには文字通りの紆余曲折、試行錯誤、失敗への反省が繰り返されていた。

スティーブ・ジョブズは鼻息が荒かった。
「トモ、この調子だとApple II が一般家庭に浸透するのにそんなに時間はかからないな」
スティーブの夢はパーソナピュータを一握りのホビーストのものではなく一般家庭で楽しめる製品にしたいということだった。
「いいかい、コンピュータは決してホビーストが使うだけのものでもないし高価なビデオゲームではないんだ。無論教育分野にも大きく貢献するだろうよ。そして人々の毎日の暮らしを楽しくし、自分たちの能力を大幅に広げることに役立つと思うんだ」

スティーブ・ジョブズは後年、Macintoshのリリース前後にMacintoshを知的自転車と称し、コンピュータによって我々の能力の限界を大幅に越えることができると熱弁を振るったが、すでにこの時代から彼は機械いじりが好きなコンピュータ好きのホビーストではなく、予備知識がない一般家庭の主婦にでもApple IIは役立つばかりか、生活の向上が図れる事をアピールしたいと考えていた。

「だけどスティーブ、いまだにコンピュータなど個人が持ったところでなにをするんだ、何が出来るんだという人たちも多いよな...」
私は率直に意見を述べた。
「新しいツールの評価は最初そんなものかも知れんな」
スティーブは椅子に踏ん反りながら両手を頭の後ろに組みつついった。

「コンピュータは確かにこれまで発明されてきた家庭電化製品などとはまったく違ったものだからね」
私は相づちのつもりでいった。
「そういえば、トモ...君は未来から来た男だ。俺たちに直接かかわる話しは聞きたくないけど未来はコンピュータに対しての理解は大幅に向上するんだろう?」
やはり持論への不安もあるのかスティーブは真顔で私を直視した。

「そうだな...2000年前後になればコンピュータは特に珍しいものではなくなるけど、今後13, 4年に至るまでは残念だがコンピュータはやはり特別なモノといった感じかな」
「・・・・・・」
スティーブは怪訝な顔をしながら聞いた。
「何故なんだ、トモ!」
「君はよく承知だけど、コンピュータは未知の人にとっては利用目的が分からない製品なんだよ」
一呼吸して続けた。
「コンピュータはプログラミングもできればゲームも楽しめる。例えばマークラが作った小切手帳管理やこれからは料理のレシピ作りを支援してくれるソフトウェアも出るだろう。しかし普通の人にとっては自分が使いたい、やってみたいと思わせるソフトウェアや周辺機器がなければアプローチできないわけだね」
さきほど淹れたコーヒーのマグカップを口にしながら、
「だから、目的意識のない人は必要性を感じないんだよ」
「そして、相変わらず、コンピュータはブラックボックスであり、キーボードの習得にしろゼロから使い方を覚えなければならない難しい代物というわけさ」
私の熱弁にスティーブ・ジョブズは無言で耳を傾けている。

「冷蔵庫には食品を冷やして保存するという使命が、洗濯機には文字通り衣類を洗濯するという当然な機能・目的をもっているからユーザーは予算さえあれば躊躇せず買う気になる。車だってそうだよスティーブ。車はなんのためにあるかは誰でも知ってる。その上で乗り心地、安全性、デザインが良いといった新車がでれば購買意欲を刺激するんだ」
私は口を挟まないスティーブをいいことに話を続けた。

「Apple II で一体どんなことができ、どのような新しい体験ができるのかをあらかじめ思い描ける人などほとんどいないのが現実だと思うよ」
スティーブは姿勢を変えながら口を開いた。
「それはユーザーからだけでなく販売店からも言われはじめているよ。どのような売り方をしたら効果的かとよく聞かれるよ」
「まあいまはApple II を売ってる店の人たちはそれなりに詳しい人たちだよな」
私のあらためての問いにスティーブは黙って頷いた。
「でもさ、その詳しいというのはコンピュータのスペックについてであり、ユーザーがどのような体験をしたいのかを聞き出しそれに合ったソフトウェアや周辺機器を販売できる人たちは極一部だと思うよ。販売店の担当だってApple II の可能性など知ろうとしたこともないだろうに...」
「そして一番のポイント、それは一般の人たちは自分でプログラミングできないことだよ。だから様々なことに興味を向けるソフトウェアの存在が重要になるんだ」

私の物言いに興味を持ったらしいスティーブは表情で先を続けろと催促した。
「そうだな...君たち自身の未来については聞きたくないだろうが、私自身のことなら話してもいいかな」
断りつつ、私は話しを続けた。

「1977年12月の事だった...。いや今年がその1977年だからして変な感じだが、私は秋葉原という電気店が建ち並ぶ街で最初のワンボードマイコンを買ったんだ。富士通製だったな」
「アキハバラなら俺も聞いたことがあるよ。一度行ってみたいと思ってる」
「そのコンピュータを販売している店員は客に何ができるかと聞かれ『何でもできますよ』と説明していたんだ」
その時のことを思い出しながら私は笑った。

「ねぇスティーブ。その店員の物言いは間違いではないかも知れない。しかし何でも思うように使いこなすには相応の知識が必要だしメモリの増設や適切な周辺機器も揃えなければならないわけさ」
「で結局、何でも出来ると勇んで買った客はどうなるか...。なんでもできるはずが...なんにもできないで埃を被るわけさ」
私は喉を潤すために冷えてしまったコーヒーを口に入れた。

「何でもできるというような曖昧な製品を一般家庭ではなかなか買うわけはないと思うよ。やはりキラーアプリケーションといった (これを使いたい、実現したい、体験したい) という目的に合ったソフトウェアが重要になってくるんだ」
「人々は自分がコンピュータを持ってどうなるのかが想像できないんだよ。またすでに詳しいはずの技術者たちの間でも個人用コンピュータのあり方というのかな、目的意識や価値観にはまちまちな意見があるよね」
私は手に持ったマグカップをテーブルに置きながら続けた。
「後になって考えたんだが、そもそもコンピュータという代物を一般家電を扱うショップで販売したのが間違いだったのではないかとさえ思ったよ」
これは正直な私自身の体験から来る感想だった。

スティーブは椅子から体を、起こしながら私の顔を見ずにいった。
「わかるよ、その意識のずれはなにも君の言う未来の話しでなくてもさ...俺とウォズの間にも大きな溝として横たわってるんだ。さらにだ、スコッティやマークラだって俺が考えているコンピュータのあり方とは相容れないものを持っているに違いないぜ」。
Apple II で世界を変えようと話し合った2人のスティーブだったし、マイク・マークラやスコッティもイメージとしてはそうした夢というか目標を受け入れたものの現実問題として具体的な話しになるとそれぞれ大きな温度差があった。

ところで現在の私たちはApple II というとアイボリーの洒落たプラチックケースに収まって販売されたパーソナルコンピュータという認識しかないが、Apple II の売り出しに際して社内で喧喧諤諤の論議が戦わされたのだった。
そのひとつはウォズからの強い希望だったが、Apple II の基盤のみの販売もすべきだという意見だ。ホビーストなら自分で電源やキーボードなど苦も無く手に入れられるし安価でApple II が提供できるというのがウォズの主張だった。

ジョブズは勿論反対だった。時代に逆行するビジネスだしせっかく美しいケースに入れ、持ち帰ったらテレビに繋ぐだけで使えるという企業戦略、イメージにも逆行するからだ。
しかしApple II のスロット数を決めるあたりからウォズとジョブズの中は険悪となったこともあってジョブズは条件付けでウォズの提案をのんだ。

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※1977年 BYTE詩に載った最初のApple II 広告。右ページ下の写真が問題となった【クリックで拡大】


「知ってるよ。ボードのみの販売を君がOKしたことだろう?」
「まあ、正直そうまでいうなら勝手にしろといった気分だったよ。トモ、君も知ってのとおり4KB RAMのApple II は1,298ドルだけどボードオンリーは598ドルで販売することにしたよ。ただし半年ほど様子を見て市場の支持がなければボードだけの販売は止めることをウォズに納得させたけどね」
スティーブは苦々しくつぶやいた。

こうした私との話しが直接の引き金となったのか、WCCFが終わった2か月後のBYTE誌6月号にはじめてApple II の見開き広告が載った。事実BYTE誌に載せた最初期の広告には "Board-only" の価格も明記されていた。

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※前記広告の次ページにはオーダーフォームが用意されボードだけの販売もなされている


広告はスティーブ・ジョブズの思い、すなわち一般家庭にコンピュータを…というコンセプトを具現化したもので、左ページは全面写真で構成され、上部には "Introducing Apple II." と記されたテキスト、そして写真の内容は奥のキッチンにいる女性が笑顔でこちら振り向き、手前には若い男性がApple II 操作している…といったシーンだ。それは多分にホームコンピュータというコンセプトを意識したものだった。

この広告は一般的には好評だった。これまでコンピュータ会社はこうしたアットホームなイメージの広告など思いもよらなかったからだ。スティーブ・ジョブズの真骨頂といったことろだったが問題が起こった!
ひとつは広告右側ページ左下に採用した写真に対して1人の女性からクレームの手紙が舞い込んだのだった。

「困ったよ。この写真は『セックスを連想させ不快である』というクレームなんだ...」
ジョブズの話しにウォズもマークラもスコッティも不用意に言葉を発しなかった。
やっとホルトが口を開いた。
「どういうことなんだスティーブ?」
「いや、俺にもわからんが、女性がゲームコントローラーを握り、対面している男性が女性に指を突き出しているというシーンがセックスを連想させるんだというんだ...。Apple II を挟んで男女が楽しく会話しているだけの写真だし、まったくの言いがかりだよ」

スコッティが堅い口を開いた。
「まあ、無難なのは無視することだな」
その話しにマークラが続けた。
「無視するのは簡単だが、我々にとっては最初の広告であるだけでなくスタートアップの重要な時期だ。どんな小さな火種も過小評価せず対処すべきだと思うよ」

スティーブ・ジョブズはジーンズのポケットから封筒を取り出しながら珍しく気落ちしたようにいった。
「問題はそれだけではないんだ。一昨日だったか、俺宛に手紙が届いたが差し出し人は皆も知ってる業界筋の奴なんだ」
「それも広告に対するクレームなのかい」
私が質問するとジョブズは頷きながらテーブルに封書を投げた。

「こちらはもっと辛辣だよ」
内容は、当該広告を見たがApple II は実際のところ貴社の広告イメージとは違い、まだまだ家電のように誰でもが簡単に使えるものではないとした上でAppleの広告は証券市場分析や家計簿プログラムが存在するかのように訴えているが、それはどこで買えるのか…といった質問も含まれていた。

「なるほど、この写真は証券市場分析プログラムを使っているイメージだが、確かに外部記憶機器も映ってないしソフトも販売されてないからウソ...誇大広告というわけだな」
ロッド・ホルトはキャメルのタバコをくわえたままで呟いた。
「どうする...スティーブ」
マイク・マークラが不安そうに口を開いたがスティーブ・ジョブズはこれら一連のことをレジス・マッケンナ・エージェンシィに伝えて意見を聞いたと説明した。

「レジスがいうには (セックスを連想させる) といったクレーム云々はともかく、ホームコンピュータ市場向けという広告戦略は時期が早かったと言われたよ。
要はまだまだマニアやホビイスト、あるいはコンピュータの知識を持ちビジネス志向を探るユーザー達へのアピールが大切な時代だったのだ。
とはいえApple II のボードオンリーの販売には反応はほとんどなく、ほどなくジョブズとウォズ約束通りその販売は取り下げられたが、問題の広告ページ下の写真は静かに無難なものに差し替えられた。

Appleはやり方によっては反論もできようが、スコッティとマークラの判断でここは安全策をとることにした。
無論大手がこうした戦略の間違いや、クレームがあった場合には新聞や雑誌も飛びつき大騒ぎになる可能性もあった。しかしAppleはまだまだ無名に近い存在であり、拡大途上にある市場特有の寛大さにも助けられ、致命的なトラブルは避けられたのだ。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「林檎百科~マッキントッシュクロニクル」翔泳社刊



ファイルメーカー社 「FileMaker 15をひとつ買って、ふたりで使おう!」

ファイルメーカー株式会社は10月12日、FileMaker Pro 15およびFileMaker Pro 15 Advancedの「ひとつ買って、ふたりで使おう!」スペシャルオファーを開始したと発表。


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これは期間限定の特別なプロモーションで、いずれかの製品を購入したお客様に、ファイルメーカー社から同じ製品のダウンロード版ソフトウェア(税別希望小売価格はそれぞれ38,000円、63,000円)をもうひとつ追加で提供するというもの。
本日から12月20日までにFileMaker Pro 15またはFileMaker Pro 15 Advancedを購入したお客様は、追加のダウンロード版ソフトウェアを自分の組織や会社内で使うことも、家族や友人に贈ることもできる。

⬛️詳しくはこちら




小説や脚本書き支援アプリケーション「StoryMill」ファーストインプレッション

今般、永らく温めてきた題材を「[小説]未来を垣間見たカリスマ ~ スティーブ・ジョブズ」という文字通り小説の体でご笑覧いただくことにしたが、当然とはいえこれまで手がけてきた原稿とはアプローチも書き方も、そして資料の集め方もいささか違ったものになり戸惑った。しかしよいツールを見つけた。それが「StoryMill」という小説書き支援アプリケーションである。


そもそもこれまで原稿書きのほとんどを「StoryMill」と同じ開発元の製品「MacJournal」で書いて(入力)いた。大変気に入っているツールだが同じ資料集めにしてもストーリーを考え、登場人物とその性格を決め、それを史実という骨格の中でフィクションを交えて形にしていくのは思ったより煩雑だった。
ということでいろいろと探した結果、Mariner Softwareの「StoryMill」に行き着いた…。

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※Mariner Software社「StoryMill」アバウト画面


今回はその概要をレポートしてみるが、メニューが英語なのは「MacJournal」と同じだとしても、機能が充実している分、奥が深くまだ活用の仕方が分からない点もある事をご了承願いたい。

さて「[小説]未来を垣間見たカリスマ ~ スティーブ・ジョブズ」の骨格はスティーブ・ジョブズという男の実話、史実を軸としなければならない。その概要は長い間資料と向き合ってきたから頭の中に入っているつもりだが、細かなシチュエーションや固有名詞、年月日といった数値的なことの確認は資料を確認しなければならない。
ただしこれまで自分のブログに書いた物をデータとしてコピペすることができる部分は非常に楽だが、それ以外はゼロから書かなければならない。

というわけで今も私の机上周りには4冊の書籍と当時の新聞の切り抜き、製品カタログや広告といった一次資料となるべきものを広げた状態にあり、その真ん中に文章を書き、写真などをデジタル化するための iMac 27インチが鎮座している。
正直最初からガチガチにストーリーを練りに練って書くわけでもなく、どちらかといえば思うがままに書き始め、後で何度も読み直していく中で構成を変え、ストーリーの追加や削除を行っていくという方法だから厳格な作業ではない。

「このエピソードは入れよう」と思い立ったことなどを箇条書きのように入力し、それを膨らましていくといったイメージである。
問題はそうした多様で雑多なデータを思い立ったときに書き残し、骨格となる史実とどのように組み合わせるか、この台詞は大人のロッド・ホルトにいわせた方がよいのか、あるいは少年のクリス・エスピノサの方が面白いか…といった思いを重ねていくには多機能とはいえ「MacJournal」だけでは難しい。したがってこれまでは「MacJournal」と同時に「ATOK Pad」を開き、メモ収集の役割を果たしてきた。特に「ATOK Pad」が良いと思ったのはページ毎に別データを持てること、入力中保存に気を使わなくてもよいことだった。

こうして何かをあらたに調べるとか前記したように自身のブログ記事を参考にしようとブラウザを立ち上げるわけで、Macの画面を複数セットしたとしてもそれらを行き来するのは大変だし効率も悪く、比較検討もままならないと感じていた...。

要は可能なら、入力ツールはひとつで済ませたいということだ。モニターのスペース効率においても多くのデータを比較参照してストーリーを練り上げるまでをひとつのソフトウェアで済ませられるなら理想的だと考えた。ただし単なるアウトラインプロセッサー的なものでは「MacJournal」と変わらない...。

さてここまで長々とこれまでの環境や作業手順などにお付き合いいただいたが、「StoryMill 4.0.5」は多機能なワードプロセッシングアプリが基本であることは勿論、アウトラインプロセッサー機能を持ち、沢山のカスタマイズ可能な引出を用意でき、簡易的なデータベース要素を組み合わせているツールだ。
章立ては「MacJournal」でも可能だが、「StoryMill」には登場人物のキャラクター、シーン、場所といったカテゴリー別のソースリストが左サイドバーにずらりと列び、タイトルの入力や各リストの追加や削除が可能になっている。

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※「StoryMill」の画面例【クリックで拡大】


例えばひとつのリストをクリックすれば右側にはコンテンツ、メタデータのペインが用意されていることが分かる。
使い方にこれといった決まりがある訳でもないが、一般的にはコンテンツペインには本文ならびに注釈やメモ書きと言ったテキストデータを入力する。
またメタデータのペインには"Notes", "Pictures", "Tags", "Links", "Scenes", "Locations", "Characters" といったタブがあり、"Notes" にはサブデータを "Pictures"には文字通り採用する写真やイラストといったデータを常備しておくことができる。

これらの各ペインの内容はキャラクタやシーンではその構成が違ってくる。特にシーンのペインは章立て、ストーリーライン、場所、キャラクタを日時と組み合わせ構成を組み立てる支援をしてくれる機能が備わっている。
またユニークなのは上部ツールバーにある「Timeline」だ。このウィンドウは秒単位から日、週、月、年といった時間軸上にストーリーがどのように展開し進行していくべきかの大まかな計画をビジュアルに仕立てることが可能な機能だ。

StoryMill_05.jpg

※ストーリー展開を時間軸上にビジュアル化できる「Timeline」機能


各コンテンツペインといった本文はSnapshots機能で原稿を現在の状況を把握しつつ比べながら加筆修正し記録することが出来る。さらに本文がドラフトのどの段階なのか、フィニッシュなのか、あるいは出版レベルなのかといった作業の経過チェックやAnnotation Infoすなわち任意の文字列の注釈をメタデータとして別ウィンドウに入力でき、ポップアップメニューで即閲覧が可能、そして削除したデータは一端 Trash に留まっているので完全に消去するまでは復帰も可能などなど、至れり尽くせりだ。

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※現在の原稿内容を把握しつつ比べながら加筆修正することも出来る【クリックで拡大】


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※本文の任意のワードに注釈を入力


また小説の構成を考えるとき、各章ごとのボリュームすなわち文字数などを管理統一する必要も出てくる。無論そうした大層なこではなく原稿を何文字以内に書こうとする場合でも良いが「StoryMill」では指定した文字数に至るとサウンドで知らせてくれるだけでなくその進捗状況はツールバー上の “Project Goal” にあるプログレスバーで示してくれる。さらにそれだけではなく、ページ数や文字数はもとより作業時間を分単位に監視し、例えば原稿書きを一時間にセットすればその時間になるとこれまたサウンドで知らせてくれる。

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※作業の進捗を示してくれる “Project Goal” 機能


その他、書き切れないがフルスクリーン・モード、指定時間毎に自動でファイル保存、一時的に「StoryMill」表示全体を半透明にして重なっている原稿などを確認する機能(Fade Window)なども効率よく安心して執筆が出来る環境作りには大切だ。
要は...ひとつひとつのシーンの構成を準備し、それを章として組み立て一本の小説に仕上げるための様々なデータの置き場所が用意され、比較検討しつつ本文入力が出来るように後押ししてくれるわけだ。

「StoryMill」は英語メニューだが日本語の入力は問題なくできる。そして「MacJournal」とインターフェイスが同種の部分もあって私には取っつきやすい。しかしこれは是非にも完全日本語版が欲しいアプリケーションだ!



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第9話 クリスアン

加賀谷友彦は久しぶりに出向いたApple銀座の店頭でタイムワープし、カルフォルニア、ロス・アルトスのスティーブ・ジョブズ家のガレージ前にいた。そしてスティーブ・ジョブズらと一緒に働くことになった。
※本編はフィクションです※


■第1部 ー 第9話 クリスアン・ブレナン 
WCCF出展はApple Computer社にとって大成功だったといえる。
かかわったスタッフら全員は高揚した気持ちのままいつもの仕事にもどれるのか心配したほどだった。
「トモ、驚いたよ...いや予測していたことだけどすでに数百台の注文が来てるんだ。Apple 1のときとはレベルが違うぜ」
スティーブ・ジョブズも興奮気味だった。

Apple IIの発売はその年(1977年)の6月だったが、ジョブズは確かに単に金儲けのためにAppleを始めたのではなかった。社長のマイク・スコットも驚いたようだが、スティーブ・ジョブズはApple IIの購入に際しApple 1のユーザーはそれを下取りに出せるサービスを発案した。
その下取りサービス、アップグレードサービスにはマイク・マークラも賛同する。

スティーブ・ウォズニアクもちょっと驚いたようだ。
「ジョブズはコストがかかっても正しいことをしなければならないといってたよ。僕もよい考えだと思う」
ウォズでさえこの下取りサービスなど考えもしなかったからだ。

ジョブズと2人になったとき彼は私の顔を覗き込むようにしていった。
「どう思う。下取りサービスは?」
「素敵なサービスだと思うな。今後コンピュータは年ごとに、いや毎日毎月新しい技術が開発され大きく進歩する。新機種を買う度に数千ドルを必要とするのでは、常々君が言うように家庭内にコンピュータを浸透させるには無理があるからね」
「君の判断は斬新だが正しいと思うよ」
私は付け加えた。

ジョブズはちょっと照れた表情をみせてつぶやいた。
「下取りサービスは差額だけの問題でなく手間もかかるんだ。スコッティに計算してもらっているけど集まったApple 1は市場に再度出回らないよう廃棄処分しなければならない。その為のコストも必要なんだ」

確かにWCCFでの成功でAppleの知名度は大きく向上した。そして広告代理企業レジス・マッケンナの努力もあってApple は実態以上に輝いて見えたが、Appleはまだまだガレージから脱却できたばかりのちっぽけな零細企業にすぎなかった。

私は40年前の未来から来た人間だったから、その後のあれこれは自分の体験として覚えている。下取りサービスもその名称はともかくAppleはその後、スティーブ・ジョブズがAppleを去ってしばらくの間、そうしたサービスを続けたのだった。
私自身、1984年に登場したMacintosh 128Kを数ヶ月後に512Kにしたとき、そしてメモリが1MBになった1986年、Macintosh Plusが登場した際にもこの前機種を下取りとするサービスを利用した。

そういえば相変わらずジョブズは社長のスコッティと喧嘩ばかりしていた。
Apple IIの発売に際しスコッティはその保証期間を90日間と考えていた。当時エレクトロニクスの業界ではそれが相場だったからだ。しかしジョブズは1年間保証を主張した。
「Apple IIの顧客は特別な客だよ。Appleも特別な会社だ。我々はまったく新しい分野の仕事を始めたんだ。だから相場なんてことで決めるのはクソだ」
スティーブ・ジョブズは泣きわめいてスコッティに抵抗した。
「大切な顧客は厚遇した方が次もまたAppleを買ってくれる」と大暴れする。
結局この戦いはスコッティが折れ、Apple IIの保証は1年間と決まった。

仕事は順調に回り始めたがジョブズの私生活は混沌をきわめた。それは私の日常にも大きな影響を及ぼすことになる。
Apple IIの出荷が始まった1977年の夏になるとジョブズはそれまでの自宅を出てクパチーノの一戸建てに移った。何しろ当座の金には困らなくなったしスティーブも自宅を出たかった。
「トモ、君も一緒にくるんだ。まさかひとりでママのところに置いていくわけにはいかないからな」
いたずらっぽく笑いながらジョブズはいったが、私が他に知り合いもなく行くところがないことを知ってのサポートだった。

というわけで私はジョブズの新居に小さな一室を与えられたものの、同居人は私だけではなかった。
スティーブとインドへ一緒に行ったというダン・コトケも一緒に暮らしはじめた。ダンは付き合いにくい男ではなく私とは気が合ったが、困ったことはクリスアン・ブレナンというジョブズの彼女も一緒だったことだ。
「トモ、居候の俺たちがいうべきことではないけど、女が同居というのも辛いものがあるよなあ…」
ダンもこぼすほど我々は彼女とジョブズの間にはいって日々気を遣うことが多くなった。

あるときたまたま早朝にテラスでクリスアンと2人になったとき彼女はわざとらしいしかめっ面で聞いた。
「ねぇ、トモ。スティーブって付き合いにくいでしょ。嫌な奴だと思わない?」
私は2人の間で板挟みになるのだけは避けたかったから正直にいった。
「彼は私には紳士だよ」
彼女は誰かに聞いて貰いたかったのだろうか、テラスに置かれたピーチチェアに座りながらぽつりと2人のことを話し出した。

Early in the morning

余談になるが、私はスティーブ・ジョブズのことは様々な本などでその生い立ちやらを知っていた。しかし幾人かのジャーナリストが書いた本でもクリスアン・ブレナンが登場しない本もあり、常々不思議に思っていた。
例えばマイケル・モーリッツ著「スティーブ・ジョブズの王国」にはクリスアンの名はなく、同時期に付き合っていた彼女の名はナンシー・ロジャースとある...。
また2005年に出版されたジェフリー・S・ヤングとウィリアム・S・サイモンの共著「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」にも当時の彼女の名はクリス・アンと書かれている。

単なる間違いとしてはお粗末すぎると最初は考えていたが、スティーブ・ジョブズがあれこれ書かれることは有名税としても一個人のプライバシーを尊重してこの頃までクリスアンの名は伏せられていたようだ。

それが初めてスティーブ・ジョブズとクリスアン・ブレナンとの仲が公開されたのは公認伝記といわれるウォルター・アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」だという。同書が出版されたのはジョブズが亡くなった2011年のことだった。
また2013年にはクリスアン・ブレナン自身が書いた自伝 "The Bite in the Apple" が出版されたことでスティーブ・ジョブズとの関係や彼の20代前後の様子が知られることになった...。

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「スティーブと出会ったのは高校生のときよ。私は彼より一学年下だったの。そして私は彼の瞳をみつめるのが好きだったの」
「ロマンチックな話しだなあ」
私は思ったとおりの感想をいった...。
「私がロマンチストだとすれば母の血よ。私の名 “クリスアン” って母が考えたらしいわ。なんだか “菊” を意味するらしいの。そういえぱ母は文学好きでいつも本を読んでたわ」

スティーブ・ジョブズが真面目に付き合った初めての彼女がクリスアンだったそうだ。
「思い出すのはいつもお金がなかったことだわ…。なにしろディランの音楽を一緒に聴くことぐらいしかできなかったのよ」
クリスアンはフトその場に立っている私に、
「あっ、ごめんなさい。トモもそこに座って!」
私もクリスアンの隣のチェアに深々と体を沈めた...。

太陽が昇り始めた空を仰ぎ見るようにして彼女は話しを続けた。
「スティーブとウォズ、そしてルームメイトと私の4人で猛暑だったのにもかかわらず着ぐるみのバイトもやったわ。10分も持たなかったけどね」
クリスアンは真っ白な歯を見せて笑った。
「あるときのことだけどデートして車に戻ると駐車違反のチケットが貼られていたの。そのときは絶望したっけ。罰金は25ドルだったけど私たちには大金で払えるあてがなかったもの。だけど彼は平気なのよ。心の中まではわからないけど」

思わず私は「それで罰金はどうしたの?」と聞き返した。
クリスアンは思い出し笑いをしながらその後のエピソードを話してくれた。
「私があまりにもお金お金と心配したからかも知れないけど、スティーブは苛ついた顔で私を見つめ、ポケットから小銭とドル札を掴んだと思うと有り金全部を目の前に広がる海に投げ捨ててしまったのよ!信じられる?!クレイジーよ!」

「そういえば...」
クリスアンは私の方を向いて、
「スティーブは例の囓り跡のある林檎のロゴについて私に意見を求めたことがあったわ」
「意見って?」
私はいささか意味が分からずおうむ返しに返事をした。
「あの、私は芸術的センスがあると彼に評価されていたからだと思うけど、彼はデザインされた林檎のロゴがどんなイメージとして一般の人々に映るかを知りたかったのね、きっと...」
「なるほど、それで君の意見は?」

右端を囓った6色アップルロゴは後にアメリカンドリームの象徴にもなったしクールで素晴らしいコンピュータを作る企業のシンボルに相応しい評価をされユーザーの熱狂的な支持を受けた。そのシールは好んで車のリアウィンドウなどにも貼られ、ロゴが載ったグッズも多々作られた。
しかし当時の第一印象は決してそんなに良い印象ばかりではなく (ダサイ) とまでいう人もいた...。

クリスアンは楽しそうにいった。
「私はこれは芸術的と言うより哲学的なロゴだといったのよ」
「......」
「レジス・マッケンナのデザイナー、ヤノフによれば右端を囓ったのは "a bite" (ひとかじり)と2進数の "byte" をひっかけたとか、林檎がチェリートマトに見えないようにと工夫したからだとかいってたようね」
「うん,私もそう聞いてるよ」
「でもね。私はヤノフはもっと哲学的に深淵な意味を込めたのではないかとスティーブにいったのよ」

私は俄然興味を持ったので続きを促した。
「だって聖書にはイブとアダムは林檎を囓って楽園を追われたけど "知恵" を得たのよ...」
「なるほど、我々もApple II を使うことで知恵を増幅できるというわけかな」
「そうね。その代わり楽園ならぬ何かを犠牲にしなければならなくなるのかも知れないわね」

クリスアンはスティーブという楽園から追われることを暗に気づいていたのではないかとドキッとしたが、うつむいた拍子に美しい長い髪が彼女の横顔を隠したので表情は分からなかった。

「そう...スティーブはいま何しているの?」
確か今日は休日だし、Appleへ出社していないはずだと思いクリスアンに聞いた。
「ああ、彼は明け方までタイプライターで詩を書いていたわ。ちょっと読ませてもらったけどディランの歌詞の真似みたいなところがあって芸術的ではないわね」
クリスアンは微笑みながら、
「スティーブは基本独りが好きなのよ。寂しがり屋の独り好きって奴ね」

笑顔のクリスアンは美しく賢明な女性に思えたが、悲運だったのはスティーブ・ジョブズという男の頭の中はこの時期彼女の占める場所がなくなっていたことだ。それはジョブズにとってAppleのビジネスが面白くて仕方がなかったからだ。
さらに起こるべきして悲劇が...本当なら喜ばしいことだが...起こった。クリスアンが夏も終わろうとしていた頃に妊娠した...。

ダン・コトケは私よりジョブズの心の内を知っているからかクリスアンの妊娠を知ると暗い顔をした。
「本来なら "おめでとう" といいたいところだが、これは一騒動おきるぞトモ!」
ダンは見つめた私に頷きながら「心すべきことは、そう、僕らにはなにもできないということだよ」

コトケの憂慮は当たった。スティーブ・ジョブズはクリスアンに「生むな」といい「俺の子ではない」とまでいった。クリスアンは半狂乱となった。彼女が中絶を拒否すると関係は終わったことをアピールするためかスティーブはすべての責任を回避する行動をとった。
結局クリスアンは絶望しAppleを辞めてオレゴン州の農場へと去った。

「僕はスティーブの親友のつもりだが、この件に関しては彼の言動で支持できることはひとつもないよ」
ダンは腕を振りながらいう。
「いいかい。スティーブは生みの親から捨てられ苦悩してきたことは僕ら皆が知ってることだ。そのスティーブが…スティーブ自身が父なし子を世に送り出そうとしてるんだぜ。どう考えても理不尽だよ。おかしいよ!」
私も心からうなづいた。

「トモ、君も知ってるとおりAppleは順調だ。マークラがいうには再来年には株式公開が実現するといってたよ」
「ああ、スティーブは大切な時期にスキャンダルを避けたいと思っているのだろうが、認知するならともかくまかり間違って裁判沙汰になれば、余計に目立つよな。なに考えているんだか?!」
ダンと私は顔を見合わせて同時にため息をついた。

「トモ、僕はAppleは好きだし仕事も好きだ。無論スティーブも好きだよ。だけどスティーブとは距離を置いた方が良いかも知れないな。なにしろ言うにことかいて僕にクリスアンを説得しろといったんだぜ。生むなと!」
「そればかりではないんだ、トモ」
私の視線を真正面から受け止めながらダンは続けた。
「絶対に自分の子ではないというだけでなく、クリスアンは他の男とも寝ていたと悪あがきしているんだ」
ダン・コトケはスティーブとの長い間の友情が冷めていく気持ちをどうにも押さえようがなかったようだ。

「Appleの役員たちもいざとなると冷たいよ」
私が無言でダンに視線を送ると、
「マークラは示談にしろとか養育費を払ってやれとはいうけど彼女のためを思っていってるわけではないよ。これまた株式公開前に決着をつけたいだけさ。クリスアンをきちんとサポートすべきと主張したのはスコッティくらいなものさ」

歴史の事実としてスティーブとクリスアン、そして生まれてくる女の子の運命を知っている私はダンに慰めの言葉も発することは出来なかった。
ましてやスティーブが後年生まれた子供の名前をそのままプロダクト名としたなど、口が裂けてもいえなかった。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
 



ラテ飼育格闘日記(514)

ワンコと子供が一緒のシーンを眺めていると心が温かくなる。どこを切りとっても1枚の絵になると思うほど素敵なシーンだが、前にもご紹介したとおりラテにとってはすべての子供がお気に入りというわけでもなく、ただ “付き合っている” あるいは “遊んであげている” といった気持ちの相手もいるようなのが面白い。


さて9月25日の日曜日、ラテを美容室に連れて行った。肉球の間にも毛が伸び、室内ではそれが滑る原因にもなるし2,3か月ごとではあるが本格的なシャンプーとトリミングをしてもらうためだ。勿論爪切りや肛門腺絞りといったこともセットになっているので大切なセレモニーだがラテは大いに嫌らしい(笑)。

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※その日の昼に大嫌いな美容室へ連れて行かれるとも知らず、朝の散歩でどこか薄笑いのラテ(笑)


その日も昼にラテを連れ出したから、我が家を出るとすぐどこに連れて行かれるのかが分かって歩くのを嫌がる。幸いすぐ近所なのでなだめながら進むがすでに尻尾は下がり、その表情は見るからに不安が滲み出ている。

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※どこに連れて行かれるかを察知して不安顔。尻尾も下がっている


美容室にはリードを強く引いて入るが、カウンターで待っているときラテは大量のオシッコをしてしまった!
この場所で粗相はこれで2度目になる…。お店のオネーサンは手慣れた感じで処置してくださったが、オトーサンは平身低頭だ。その上にラテは嫌だとオトーサンに抱っこを要求するありさま。まったく手が焼ける娘である。
約3時間後に電話をもらったのでラテを引取に行ったが、出てくるときの表情は来たときとはまるで違う笑顔なのが実に面白い。

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※美容室から出てきたときの表情は満面の笑顔だ


ところで数日近所の公園に足を向けなかったラテだが、その日は気持ちが落ち着いたのか公園に入っていった。
早速お馴染みの女の子が「ラテちゃ〜ん」と走ってきてくれる。ありがたいことだ。
ラテも尻尾を振り、口を開けて歓迎の気持ちを表している。とはいえ周りにいた幼児たちもその声につられて集まって来るのは必然だが、ここはオトーサンの腕のみせどころだ(笑)。

安全にラテとの触れ合いの場を作り、ラテの気持ちを推し量って適当なところで切り上げるというのもオトーサンの腕である。
子供や幼児たちの中には初めて会う子もいるから、いくらラテが初対面の子供たちにもフレンドリーでも注意を怠ってはならないのでリードを短くして動きを制することになる。
その日も数人の子供たちに囲まれたラテだったが、ラテの右側橫にあの三歳の男の子が座り込んだ。数回目の出会いだが初回は母親の手に引かれてこわごわラテの尻尾に触った子だ。それが躊躇なくラテの右横にちょこんと座り込んだ。

途端にラテはその子の口元をチョロッと舐めた…。男の子は嫌がるどころか嬉しそうに「チューだ」と笑顔だった。
これまでラテはフレンドリーではあったがその男の子に対して積極的にアプローチをかけたり舐めたりすることはなかったが、オトーサン流にいえば、これでこの男子もラテの友達になったということかも(笑)。

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※ラテの右横に座り込んだ男の子にチューをするラテ


家に戻ったオトーサンはいつものように顔の左側に着けているウェアブルカメラの映像をチェックしたが、先ほどラテが男子の口元を舐めたシーンがまずまず映っていた。
そのとき子供が初めてワンコに触れて声を上げているのを喜んでくれた母親を思い出し、そのシーンをプリンターで印刷した。余計な事だが、その母親に渡そうと考えたからだ。

余談ながらウェアブルカメラの長所もこうした点にある。別によいシーンを撮ろうとして身につけているわけではないがオトーサンの視線の向く方向が連続で撮れているわけだ。そのワンシーンにしても余程の準備をしていたとしてもほんの数秒のシーンを一般的なカメラで撮影することは難しい。しかしウェアブルカメラなら可能なのだ。無論画質はそれなりだが、ハガキサイズにプリントする程度ならまずまずだ。

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※公園からの帰り道、ファッションセンターしまむらのショーウィンドウ前でくつろぐ(笑)


その翌日も写真数枚を持ってオトーサンとラテはその公園に出向いた。
相変わらず嬉しいことにいつもの女の子が駆け寄ってくれたが、ふと見るとその女子と昨日ラテが初めてチューをした男子が同じ柄のTシャツを着ているではないか。目鼻立ちが似ているのでもしや…と思っていたが姉弟だった。そして公園の端で子供たちを見ていた母親にオトーサンは「僭越ですがよいシーンが撮れたのでよろしかった貰ってください」と写真を差し出した。

母親が喜んでくれたのでその日はそれだけで公園を後にしたが、またまた翌日にラテがその公園にリードを引くので出向いてみると姉弟と共に母親がわざわざオトーサンのところまで来てくれて「写真早速飾ってます」と笑顔を向けてくれた。
ちょっと驚いたのはラテの態度だった。初対面の時、子供の手を引いて近づいてきたときオトーサンは「お子さんは大丈夫ですが初対面の大人の方には吠えますので…」と申し上げた。母親は数歩下がりながら息子の背を押したことがあったがその日のラテは母親の近くまで来ても吠えないどころか、オトーサンが引いているリードを強く引き近づきたいという意志をみせた。

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※姉弟の母親に近づき臭いを嗅ぐラテ。珍しく吠えなかった


「ラテ、オカーサンのことを覚えたのかな」と笑いながらオトーサンはリードを少し緩めた。ラテは母親のジーンズにマズルを近づけて臭いを嗅いでいたが、納得したように一歩下がった。その間、唸ったり吠え声を上げることはなかった。
「覚えくれたのかな」と安心したような母親と「バイバイ、ラテちゃんまたね!」と手を振ってくれる姉弟に背を向け、オトーサンとラテはルンルンで帰路についた。


0.01g単位で計測できるRandretailingポケットデジタル スケール(秤)レポート

我が家にある秤(はかり)といえば、体重計と料理秤くらいしかない。その料理秤もデジタルなのはともかく1g単位のアバウトな計測しかできないから、もう少し精密な重量が量れるものが欲しいと常々考えていたところAmazonで小型・安価な製品が目に付いたので早速購入してみた。


それが Randretailing 携帯タイプ ポケットデジタル スケール(秤)だが、OEMなのか、Amazonには日本での販売が(株)ランドリテイリングとあったものの化粧箱にはメーカー名はなく、ただPOCKET SCALEとあるだけだった.。またAmazonでの製品説明には0.01g-500g精密 業務用(プロ用)と記されているにはかかわらず、製品同梱の取説(日本語)には「当製品は一般家庭用です。品物の売買取引等には使用しないで下さい。」と大きな矛盾がある(笑)。

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※Randretailingポケットデジタル スケール(秤)パッケージ


さて本製品のサイズは約117mm × 62mm × 20mmといった具合に小型であり確かにポケットに入れて持ち運びも可能だ。そうした仕様のためか、計測面は透明のプラスチックの蓋で守られている。したがって使うときはその蓋を開ける必要がある。

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※サイズ比較のためマウスと並べてみた(上)。使用時には蓋を開ける(下)


なお背面の電池ボックスに付属の単4乾電池2本をセットすれば準備は終わりだ。
本製品の特長は小型なことの他に、0.01g単位最大500gまで計測できることだがg(グラム)の他にいくつか計測単位が変更できることや風袋込みの計測も可能だ。

また液晶はバックライト点灯も可能なので少々暗い場所でも認識に問題はない(消去もできる)。
そして一般的な計測方法だが、まずは本体の蓋を開け「ON・OFF」ボタンを押す。液晶表示部が点灯するが初期値の単位はg(グラム)になっているものの「UNITS」ボタンを押して計量単位を変更することもできる。
表示がゼロになっていない場合は「TARE」ボタンを押して表示を "0.00"にする。0gで機器が安定するとg表示上に丸い印が表示されるので秤台に計りたいアイテムを乗せる。これだけだ...。

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※液晶もバックライトがあるので認識性はよい


一応使わないと約1分後に電源は自動的にOFFになるが、勿論「ON・OFF」ボタンを押すことで電源を切ることも出来る。実際に計測してみたが、誤差はあり得るものの価格を考えれば上出来だし私の考えている用途では十分な精度だ。ちなみに正確な重量が公表されている硬貨を数種計ってみたがその範囲では正確だった。

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※多少の誤差はあるようだが、0.01g単位で計測できるのはありがたい


取説が日本語なのはありがたいし、今どきこの価格で電池が同梱されているのも嬉しいが、形だけの保証書がついているものの社名や住所あるいはURLさえも連絡先の明記がないのも困ったものだ。
とにかく小型なのはありがたいので即壊れなければ(笑)愛用するつもりだ。




モバイルバッテリー、コンパクトモデルから大容量モデルまで3製品12品目を発売

フォーカルポイント株式会社は10月6日、米mophieのカバンの中に入れて手軽に持ち運びできるモバイルバッテリー「mophie power boost」シリーズの 3製品12品目を全国の取扱店を通じて発売すると発表。同社の運営するオンラインストアでも本日より順次販売を開始した。


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【mophie power boost mini について】
mophie power boost mini(モーフィー パワーブースト ミニ)は、カバンの中に入れて手軽に持ち運びできる手のひらサイズのモバイルバッテリー。コンパクトデザインに電源ボタンと充電残量を確認できる4つのLEDインジケータが搭載されている。スマートフォンでの動画再生時間を最大12時間延長できる、2,600mAhのバッテリーを内蔵。

[製品の主な特徴]
・2,600mAhの手のひらサイズのコンパクトバッテリー
・スマホゲームの長時間プレイに最適
・一般的なスマートフォンの動画再生時間を約12時間延長可能
・最大出力1Aで安定的に充電
・充電残量がわかる4段階のLEDインジケータ
・ブラック、ホワイト、ピンク、ブルーの本体4色から選べる

[製品仕様]
本体サイズ:約85(W)×21.4(H)×29(D)mm
   重量:約65.2g

オンライン直販価格は各2,500円(税抜き)

mophie power boost mini 製品ページ



[小説]未来を垣間見たカリスマ 〜 スティーブ・ジョブズ 第1部 ー 第8話 WCCF開催

突如40年前のスティーブの実家の前にタイムワーブしてしまった...。還暦も遠の昔に過ぎた男、加賀谷友彦は久しぶりに出向いた Apple銀座 のエントランスで1976年にタイムスリップし、スティーブ・ジョブズの若かりし頃に出会い一緒に働くことになった。
ー 優れたビジョナリーといわれたスティーブ・ジョブズ。その若かりし時代の秘密に迫る!ー
※本編はフィクションです※


■第1部 ー 第8話 WCCF開催
 WCCF (第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェア)を企画開催したジム・ウォーレンの目算では来場者の数を土曜日と日曜日の両日で7,000人から10,000人と見越していた。無論これだけの来場者があれば成功だし採算も十分取れた。しかし開催初日、市民ホールの片側には2列、反対側には3列もの長い列が数時間にわたって続いた。結局実際には13,000人もの人たちが集まったのである。

スティーブ・ジョブズは人手が足りない状況から1人でも事情を知っている、そして信頼できる人材をブースに置きたかったから私にもその要請があった。
WCCF開催の朝、ホテルのロビーでジョブズと2人だけになったとき私はブースに立つことを辞退した方がよいのではないかと申し出た。

「だってスティーブ、会場には日本人も来るはずなんだ。私がブース内にいたとなれば歴史が変わってしまうかもしれないし…」
ジョブズは苦笑した。
「トモ、歴史なんて、未来なんて自分たちで作るものだぜ。それにすでにトモは “君の知ってる歴史” を変えているぞ。そうだろ!」
考えるときに彼がとるポーズ、両手の指先を合わせながらソファーに座ったジョブズは続けた。
「日本人が来るなら日本語で説明できる人間もいた方がいいだろう。是非参加しろよ!」
こうして私もApple Computer社のブースに立つことになった。

どんなイベントも設営という地味な仕事があってこその成果・効果が期待出るものだ。そしてイベントにも数々のノウハウがある…。
「ランディ、カタログはそこに置かない方がいいよ」
私の物言いに怪訝な顔をしたランディ・ウィギントンが振り向いた。
「自由にカタログを持ち去られたらあっというまになくなってしまうよ。明日の終了直前まで残しておかないとな。途中で補充できないからね」
カタログの束の上に手を置いて私は続けた。
「来場者は必要だからカタログを手に取るんではないんだ。こういう場所に来るとまずはなんでもかんでも持ち帰ろうとするのが来場者の心理なんだよ。その上ひとりで数枚、十数枚持ってく人もいるし…。だからあっと言う間になくなるんだ」
「だから手間だけど、なるべく我々が自分の手で客に1枚ずつ手渡すのが1番効果的だと思うよ」

横で大型モニターの設営をしていたクリス・エスピノサが納得したようにランディ・ウィギントンにいった。
「トモのいうとおりだな。カタログを消化すれば良いというものではないからな。必要な客に確実に渡すことこそ重要だよな」
話しを聞いていたマイク・マークラはすでにきちんとスーツを着こなしていたが彼も私に賛同してくれた。
「トモはこうした催事の経験があるようだな。どうしたらよいか分からないときにはトモに聞くことにしよう」
「ありがとうマイク」
私はマークラに礼をいった。

「そういえば、ジョブズもいまスーツに着替えているから…ミモノだぞ」
マークラは笑いながらバックヤードに姿を消した。
マークラとAppleの広報・広告を担当することになったレジス・マッケンナは我々スタッフらの身なりにも注意を払った。ためにジョブズもサンフランシスコの洋服屋に連れて行かれ、三つ揃えのスーツを作らされたのだった。しかし本人はノーコメントだったがウォズはスーツの新調を断ったようだ…。

ところで、確かに私は起業した会社において大小多くの催事を経験した。プライベートイベントはもとよりだがMacworld Expo/Tokyoといった大きなイベントにも10年間出展したし、本場米国のMacworld Expoにもこれまた10年間視察を続けたから出店側としての重要なポイントはわかっているつもりだった。

開場時間になると来場者は我先にと駆けだしながら会場へ入ってきた。あっと言う間に200近い展示スペースのほとんどは人で一杯になったが、一部のエリアでは満員電車なみの混雑だった。無論我々のAppleブースも凄い混雑ぶりだった。

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※第1回WCCF会場の様子。もの凄い来場者数だ(BYTE誌1977年7月号より)


しかしブースに詰めかけた人々はそこに美しく洒落たケースに納まった世界初のパーソナルコンピュータを目のあたりにする。さらに来場者らはケースの蓋を開けたマザーボードを見るにつけ、その洗練された造りに驚かされた。
その上、来場者の中には大型スクリーンに鮮やかなカラーで映し出される万華鏡のようなスライドショーがその小さなマシンで実行されているとは思えず、後ろに大型コンピュータが隠されているのではないかと疑った人がいたためジョブズは苦笑しながらも何度も垂れ幕をめくっては何も隠していないことを示さなければならなかった。

ジョブズは勿論、社長のマイク・スコット、クリス・エスピノサやランディ・ウィギントンらも説明や来場者の対応に追われていた。
マイク・マークラは会場を回り、代理店の確保に努力していたが、後からマイクに聞いたところによればAltairのMITS社より大幅な自由を与えると約束したAppleに対し協力を望む代理店が多かったという。

やはり目玉はシャツにネクタイを締めベストを着たスティーブ・ジョブズの姿だった。長髪で髭面ではあったが、ガタイがしっかりしているから姿勢を正すと素敵だった。特にこうした催事には彼の人たらしぶりがいかんなく発揮され、常に大勢の人たちに取り囲まれていた。

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※WCCFのAppleブースで大活躍するスティーブ・ジョブズ。彼が視線を合わせているのがリー・フェルゼンスタイン


「Appleかあ、僕はバイトショップでApple 1をみたことがあるけど、Apple II はカラーなんだ!」
大型モニターに表示するカラーのカレイドスコープ・アニメーションを見上げ、口を開けたままの少年もいた。
私はなるべく裏方で皆のサポートをしようと目立たないようにしていたが、それでもあまりの人の多さに質問攻めにあった。

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※Apple制作のApple II 用デモソフトのひとつカレイドスコープ・プログラム画面例


昼過ぎだっただろうか。私は一瞬身体がこわばり、まごついた…。
なぜなら目の前にはイーエスディ・ラボラトリーの社長、水島敏雄さんの姿があったからだ。
(気づかれたらどうしようか)
私がApple II や周辺機器そしてMacintoshを買ったのは本郷にあったイーエスディ・ラボラトリー社だったし、同社が季刊で発行していた「アップルマガジン」という情報誌の編集長を1年間依頼されたほど周知の方だったからだ。
逃げだそうとしたがかろうじて踏みとどまった。

よく考えればこのとき、すなわち1977年4月前後に私がイーエスディ・ラボラトリーへ行った歴史的事実はなかったし、当然水島さんを存じ上げなかったから彼が私を知るはずはないのだ...。
私がイーエスディ・ラボラトリーに頻繁に通うようになったのはApple IIを手に入れた1982年からだった。
安堵した私は悪戯心もあってなにか質問したそうな水島さんの前に立った。

「ようこそApple Computer社のブースへ!」
私が日本語で迎えるように挨拶すると水島さんはちょっと驚いたような表情を浮かべながら「失礼ですが、これはゲーム機なのですか?」と日本語で質問された。
「いえ、これは世界初のパーソナルコンピュータです。無論ゲームもできますが…」
私は左手脇に抱えていた数十枚のカタログから一枚を彼の前に差し出した。

「ありがとう」
カタログに素早く目を通した水島さんは「凄いな...」と独り言をつぶやきながら再び私の顔を覗き込むようにメガネを直した。
「これはいま持ち帰ることができるの?」
「一般販売は6月を予定しています」
私は愉快になってきた。なぜなら私が得たApple II に関するハードウェアやソフトウェアの知識のほとんどは水島さんの会社、イーエスディ・ラボラトリー社から得たものだった。そのApple II の情報を私が水島さんに話しているその事実に快感を覚えた。
「価格は米国内では1,298ドルになると思います」
私は答えながら技術的な話しはぼろが出るとまずいと考え、後ろにいたスティーブ・ジョブズの袖を引き「大切なお客様になると思うよ」とささやいて対応を変わってもらった。
イーエスディ・ラボラトリー社はこの後、日本にアップルジャパンが設立されキヤノン販売に代理店権が移るまで、紆余曲折はあったもののAppleの日本総代理店として販売とメンテナンス、そして啓蒙や市場育成に力を尽くすことになる。

こうして一般展示の2日間、私はApple Computer社のブースに皆と一緒に詰めていたが、水島さんの他にも日本人の姿があった。当時マイコン雑誌 I/Oを発行したばかりで後にアスキー出版を立ち上げる西和彦さんは目立ったのですぐに分かったが、彼は来場者ではなく出展者側だった。
そういえば西和彦さんとは1990年代の半ばだったか、Apple Japanの応接室で名刺交換したっけ…。

その他、有名私立大学工学部教授の引率でツアーを組んで乗り込んできた一団もいた。参加者は大手一流メーカーのエンジニアや企画調査担当者などだったが、超デラックス観光バスで会場に乗り付けただけに目立ったし多くがスーツ姿だったので些か会場の雰囲気にはそぐわなかった…。その上、彼らは自分たちの所属を知られたくないとバッジを外して行動し、各ブースを丹念に回って技術資料を収集して回った。

まさしくこの第1回WCCFは個人用コンピュータの催事としてはこれまでで最大級のものだったし出展各社の方向性はこれまで大型コンピュータメーカーが夢想だにしなかった新しい市場が急速に膨れあがっていく確信を会場内にいる誰もが感じたに違いない。
我々のブースでは全員が夢中でWCCFを楽しんでいたし、声をからして多くの来場者らにApple IIをアピールしていた。しかしひとりスティーブ・ウォズニアックだけは期待したほどの役には立たなかった。何故ならウォズはこの大事においてもいたずらを考案し、想像上の新型マシンのパンフレットをでっち上げて会場で配り、ジョブズまでをも欺き慌てさせていた。

(続く)

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
・「アップルマガジン」イーエスディ ラボラトリー社



MT LINK、セールスフォース・ドットコムの「Financial Services Cloud」と連携

マネーツリー株式会社は10月4日、株式会社セールスフォース・ドットコムが開発・提供するクラウドベースのウェルスマネージメントサービス「Financial Services Cloud」と、マネーツリーの金融インフラサービス「MT LINK」がサービス連携すると発表。


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ウェルスマネージメントサービスとは、潤沢な資産をもつ顧客、投資家に対して、商業銀行や信託銀行、証券会社のファイナンシャルアドバイザー、リテール営業担当者、生命保険会社のライフプランナーの方々が、資産運用に関して、アドバイス、レポートを行うもの。

セールスフォース・ドットコムが提供する「Financial Services Cloud」は、アドバイザーの生産性を向上させ、いつでも、どこでも、顧客一人一人のニーズに注力できる環境を提供するクラウドベースのウェルスマネージメントサービス。

「Financial Services Cloud」は、MT LINKとの連携によって、銀行口座(個人、法人)、証券口座の明細データの自動取得を可能にし、資産を保有する顧客投資家の最新の資産情報を、確実で正確に把握できるようになる。

MT LINKの連携会社は公式で15社になり、会計、金融、不動産賃貸管理、自動車整備、経費精算、請求書発行など、様々な領域で採用されてきたが、今回の発表で高い信頼を必要とされる資産運用の分野にも進出することになった。

マネーツリー株式会社



MT LINK、カシオ計算機の「HANJO会計」と連携

マネーツリー株式会社は10月3日、カシオ計算機株式会社のクラウド会計サービス「HANJO会計」と、マネーツリーの金融インフラサービス「MT LINK」の連携を開始したと発表。


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カシオ計算機は、国内シェア14年連続No.1※1の実績を有する電子レジスターのトップ企業。同社が今回提供を開始した「HANJO会計」は、同社製レジと連携でき、様々な経営指標に基づく分析も簡単に行うことができる、電子レジスタートップ企業ならではの個人事業主向けクラウド会計サービス。
※1:2003年~2016年「電子レジスター事業所シェア」株式会社RJCリサーチ調べ

「HANJO会計」と「MT LINK」の連携により、銀行口座やクレジットカードの明細データを自動的に取得できるようになり、カシオのレジ経由で自動取得した売上データとともに、クラウド上で一元管理できる。これにより、店舗経営者にとって負担の大きい、日々のデータ入力業務の大幅な効率化を実現。カシオ計算機の「HANJO会計」とマネーツリーの「MT LINK」の連携は、飲食店経営者をはじめとする個人事業主の事務負担軽減に貢献。

会計業務のクラウド化は様々な業種で進んでおり、明細データの自動取得はクラウド会計サービスにとって欠かせない機能となりつつある。MT LINKによる自動取得は会計サービス業界で高い評価を得ており、カシオ計算機はMT LINKの公式連携会社として14社目。

マネーツリー株式会社



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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員