「スティーブ・ジョブズ 1995 〜ロスト・インタビュー」の注目すべき点

スティーブ・ジョブズ 1995 ~ロスト・インタビュー(講談社刊)だが、その売り文句である「大半がこれまで一度も公開されていない映像」という点は間違い無いことだがその内容のほとんどは周知のことでもある。ただ貴重なのはそれをスティーブ・ジョブズ本人の口から聞けることだが、注視すべき発言も多い。


今回は本書の中でスティーブ・ジョブズが発言している内容の内、注目すべき点の第1回目をご紹介してみたい。初回のテーマは「スティーブ・ジョブズはApple初期の成功に対してほとんど貢献していない…」という話や「ジョブズはテクノロジーやコンピュータに関して素人」説への反論および考察である。

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※「スティーブ・ジョブズ 1995 ~ロスト・インタビュー(講談社刊)」表紙


Appleはご承知のようにスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックの2人で設立されたということになっている。実際にはもう1人ロン・ウェインという人物が関わっていたが2週間ほどで離脱したこともあってその後表には出なかったという経緯があった。
それはともかくウォズニアックが天才技術者としてApple I やApple II を独力で開発したのに対してスティーブ・ジョブズは技術のことなどろくに知らない人物であり、ウォズニアックの力に乗っただけの男だ…という話がまことしやかに流れた時期もあった。
相棒のウォズニアック自体、「私はコンピュータの技術者ですが、スティーブ(ジョブズ)は違います。彼はエンジニアの指向を理解していませんでした」とApple IIのスロットの是非について対立した時の様子を語っている(マッキントッシュ伝説)。

ではスティーブ・ジョブズは電子工学やコンピュータの基本をまったく知らなかったのか…といえばそんなことはない。
そもそもウォズニアックがジョブズと出会い、彼を気に入ったのはボブ・ディランが好きなこと、悪戯好きといった共通点はもとより、ウォズニアックが話すエレクトロニクスのあれこれを周りの誰よりも理解してくれるからだとウォズニアック自身が話している。事実ジョブズは子供の頃から養父が持ち帰ったレーザーの部品を使ってオモチャを作ったり、回数計を部品レベルから組み立てたりと自身ではエレクトロニクスに関してかなりの自信を持っていたようだ。しかしウォズニアックが自分より電子機器のことをよく知っていることを喜んだというからジョブズがまったくなにも知らなかったわけではないのだ。

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※1977年に開催の第1回ウエストコースト・コンピュータフェアの自社ブースにてジョブズとウォズニアックのツーショット。ウォズの格好は贔屓目に見てもビジネスモードではない(笑)


確かにウォズニアックはエンジニアだった父親の影響もあり、子供のときから天才的な閃きを持った人物だったが、カリフォルニア大学バークレー校で電子工学の学位を取得したのは1986年6月になってからだ。
ともあれスティーブ・ジョブズ自身は「スティーブ・ジョブズ 1995 ~ロスト・インタビュー」の中で12歳当時にタイムシェアリング端末を見てコンピュータに魅惑されたこと。BASICやAPLによる自身のプログラミング体験を語り、さらにコンピュータ科学を一般教養と捉え、皆がプログラミングを学ぶコースを必須科目にすべきだと発言している。また程度問題は不明ながらアタリ社でジョブズはウォズニアックと電子部品(チップとか配線)をハンダ不要のブレッドボード(試作用基板)に配置しワイヤラッピングしていたというから、自身で何かを設計という能力はなかったにせよエレクトロニクスの基礎は理解していたと考えて間違いないと思う。

話は少し遡るが、長距離電話もただでかけられるブルー・ボックスをウォズニアックが作った際に「ラッキーなことに、その少し前にスティーブ(ジョブズ)が周波数カウンターを組み立てていた。それと自作したトーン・ジェネレータを組み合わせ、発生するトーンを測定した…」とウォズニアック自身が自著「アップルを創った怪物」で語っている。
また結論めくがスティーブ・ジョブズがある意味、型にはまったエンジニアでなかったことが皮肉にも今日の成功をもたらしたことは間違いない。

確かにマシンをオープンにするかクローズにするか、あるいはスロットはいるのかいらないのか…という点でウォズニアックと争ったこともあったしApple IIの成功はウォズの主張どおりオープンなマシン、スロットを複数持った設計が成功の鍵だった。ただしそれも時代という背景を抜きにして評価しては片手落ちだろう。なぜなら現在のiPhoneやiPadなどは勿論 iMacも間違いなくユーザーが本体を開け製品の内部へアクセスすることを考慮していない設計だが、誰もそれに文句はいわない(笑)。

それから気になることは、どうもスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックを並べて論ずるとウォズニアックは善人だがジョブズは悪役といった感じを受けがちだ。事実ウォズニアックの行動には仲間を裏切らない温かい心根を感じられるが、だからといって彼の主張を100%鵜呑みにしてよいか…となれば話は別だ。
例えばAppleの歴史を語るとき、避けて通れないことのひとつはApple I の開発に関してのエピソードだ。
私自身がエンジニアとかプログラマではなく営業畑、経営側の役割を果たしてきたから余計に感じるのだろうが、例えばウォズニアックが「Apple I は私1人で開発したんだ」というその物言いが少々気になるのだ。

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※それぞれ自身のオフィススペースで撮られた写真だが、いかにも人の良さが滲み出ているスティーブ・ウォズニアック(上)と相変わらず気むずかしい表情のスティーブ・ジョブズ(下)


勿論それは正しいに違いない。設計から開発製造に至る一貫した物作りは間違いなくウォズニアックが1人でやったに違いないのだ。その功績を貶めるつもりはまったくないが、Apple I を作るに至るきっかけや環境作りを精査するとそこにスティーブ・ジョブズの姿がはっきりと見え隠れすることも間違いない。
例えばウォズニアックは高価で手に入らないと諦めていたDRAMをジョブズがインテルからただでもらってきたり、Apple I のボードをプリント基板化し量産して販売するというアイデアはジョブズが言い出した事だという。そのプリント基板を揃えるためにジョブズは車を、ウォズニアックは電卓を売り最初期の起業資金とした…。

さらにいえばAppleという会社を始めようと言い出したのもジョブズだ。こうした要素がなければAppleという会社は存在しなかったしApple IIは勿論Apple Iという存在もただ一個人が趣味で作っただけのものであり、歴史の闇の中に埋もれてしまったに違いない。なにしろそもそもウォズニアックの作りたかったのは自分や仲間のためのコンピュータであり会社ではなかった…。
繰り返すがこうした一連の考察はウォズニアックの業績を卑しめるためではなく、Appleや黎明期の製品開発に関してスティーブ・ジョブズがなにも貢献していないと考える風潮がある点を糺したいからだ。

そういえば1976年にApple Computer社を設立するとき、ウォズニアックの父はスティーブ・ジョブズが息子のウォズニアックと儲けを折半すると聞き「くそったれ!」と不快を隠そうとはしなかった。なぜなら彼は息子がジョブズに利用されるだけと考えたからだ。
さらに、リード大学の一年生のとき友人となり、一緒にインドまで旅してApple最初期の社員となったダニエル・コトキでさえ「彼はAppleの初期の成功に対してほとんど貢献していない…」という発言をしている。彼は在職中にジョブズに嫌われたというから、少々屈折した感情を持っているのかも知れないが…。
さらにコトキはいう…。「ウォズニアックはジョブズのことをマーケティングの天才だと言っていた。まさにその通りだ。マーケティングの力を生かすためには、良い製品が必要だ。その意味でジョブズは幸運だった。」と(「日経ビジネスONLINE~アップルの操業社員が語るジョブズ氏の素顔」参照)。

このコトキの物言いはまるでAppleがたまたま良い製品を生んだからジョブズの存在する意味が生まれ、活躍の場ができたというようにとれる。果たしてそうだろうか…。
Appleが誕生するにはウォズアックの天才的な閃きと技術力が不可欠だったことは確かだ。しかし繰り返しになるがApple I をバイトショップに販売し起業のきっかけを作ったのはジョブズだ。Appleという会社を作ろうとウォズニアックを説得したのもジョブズだった。そしてApple II を樹脂製のケースに収めカラフルな6色アップルロゴをと奔走したのもジョブズだった。
Apple II が存在したから、Macintoshが開発できたから、iPodが生まれたから、iPhoneがあったからスティーブ・ジョブズという人物が一躍脚光を浴びたというとらえ方があるとすればそれは逆だろう。ジョブズが欲のないウォズニアックの尻を叩きApple I やApple II を開発させ、宇宙を凹ませようとMacintosh開発チームを奮い立たせ、それまで隠れていたジョナサン・アイブの能力を引き出したからこそ良いプロダクトが生まれたのだ。
したがってマーケティングの天才というより、やはり天性のビジョナリーというべきだろう…。

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※1976年当時のジョブズとウォズニアック


とはいえ実際問題、ジョブズはAppleを売り込むために自身の役割を必要以上に大きくアピールしたことは間違いないし、彼が発想したと思われているものでも、実際には彼の発想ではなかったケースも多々あるに違いない。しかし語弊があるかも知れないが、企業のCEOであったり会長という職の立場で物を売るとき「私の会社が作った○○」といった意味合いはまったくの間違いではないし一般的には実際に汗を流した開発者らの名が表に出ることは少ない。なぜなら企業や組織にとって新しい物作りを実行するにはアイデアとか開発力、技術力以前に当該開発を予算面や人事面などと 鑑み、リスクを考慮しつつゴーサインを出すのは企業のトップであり経営側なのだ。
だから例えばMacintoshの生みの親はビル・アトキンソンでもなければアンディ・ハーツフェルドでもなくジェフ・ラスキンでもなく、それはスティーブ・ジョブズに帰せられることでありAppleという会社の功績なのだ。

そしてソニーのウォークマンの開発とくれば一般的にオーディオ事業部長であった大曾根幸三を思い浮かべる人はほとんどなく、当時会長だった盛田昭夫の功績と評価されるのが普通だろう。
またホンダのスーパーカブと聞けばやはり本田宗一郎の顔が浮かび、その右腕であり実際の功労者であった藤沢武夫を知る人はこれまたほとんどいないに違いない。
良くも悪くも企業とはそうしたものであり、さらに申し上げれば良い製品を作ったとしても広告や営業努力なくして簡単にヒットするわけではないのである。

今回私は少々スティーブ・ジョブズに寛容すぎるかも知れないが(笑)、Appleの強みはスティーブ・ジョブズ自身が広告塔でありショーマンだった点なのだ。そして考えてもみていただきたい。たとえばの話、1976年に起業したApple Computer社にもしスティーブ・ジョブズという男がいなかったら…ということを…(笑)。まあまあ最初から成り立たない話ではあるが、ウォズニアックとロン・ウェインで起業したと仮定しても現実問題今日の成功を思い浮かべられる要素はほとんどない…。
Appleの成功はスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック2人の存在が不可欠だったのだ。

ただし残念ながらジョブズとウォズニアックの役割分担に関してその後しばらく「ジョブズは口先だけで何もしていない」という評価が続く。しかしAppleの成功なくしてウォズニアックの成功もなかったことは間違い無いし、現在ではジョブズがAppleにとっていかに大きな存在であり必要不可欠な人材であったかを疑る人はいないだろう。
それにウォズニアックの最近の言動を見ていると、彼の人の良さは相変わらずだとしてもどこかもどかしいものを感じるのは私だけだろうか。
それは彼の言動はいまだに影響力が大きいからでもあるが、例えばAppleに対するアドバイスにしても、新製品に対するコメント、あるいは「Steve Jobs」の映画の出来に関しての評価や意見はメディアや一般ユーザーに発するのではあまり意味がない…。
自身が言うように現在でも…形だけだとしてもウォズニアックがAppleに席を置いているのなら、是非積極的に組織…核の中に入り動いて欲しい。
シャイだからとか対人関係が苦手…といった話は若い時ならいざ知らず、いまの彼の立場では通用しないと思う。ジョブズ不在を乗り越えてより良いAppleを、より良い製品をとウォズニアックが本当に願うのなら、彼自身Appleで相応の仕事をしてみて欲しいと思うのは私だけではないだろう。でなければただのノイズになってしまうし勿体ない…ではないか。


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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員