白昼夢〜Macworld Expoでパスポート盗難に遭った思い出

今年も日本からWWDCに多くの人たちがサンフランシスコに行かれたことだろう。私は1987年から2002年までの間、3回ほどは休んだが他はMacworld Expo参加のためサンフランシスコやボストンに降り立った。無論海外にでかければ様々なリスクは国内とは比較にならないほど多くなるが今回は渡米中にスタッフが盗難に遭いパスポートなどを掏られた苦い思い出話をしよう。

 
実は先日、すでに10年以上も前に体験したその夢を見た...。無論夢だからしてストーリーは荒唐無稽なのだが、その根幹たる不安感は実際に体験したものなのである。これまでにも同種の夢を何度か見ているが私なりのトラウマになっているのかも...(笑)。それに偶然なのだろうが、その朝にiPhone 3GSのiPodで音楽を流そうと以前iTunes Storeで購入したアルバム「モダン・ジャズ名曲100選」をシャッフルで再生したら流れてきたのは「思い出のサンフランシスコ」だった...。

何だかきちんと思い出して記録しておくように...といった啓示のように思えたのだが、アクシデントの話は正直当人にとって思い出したくないはずだ。しかしすでに10年以上も過ぎたわけでそろそろ解禁しても良いと考えご紹介することに...(笑)。それにもしかしたら今後誰かの役に立つかも知れない。いや役に立つような出来事に遭っては困るわけだが。
ということで...W嬢...いいよね!(笑)。

私自身は1987年から2002年までの間、年1回は米国へ行ったわけだが幸い身に迫ったトラブルに遭遇したことはない。いや1度だけサンフランシスコのExpo会場でクレジットカードを紛失したことくらいだろうか...。
さて本題だが1998年のMacworld Expoのためサンフランシスコに行ったときのことだった。

友人たち、そして私と共に会社の女性スタッフ2人を含む合計7人が参加することになり、出入りの旅行代理店に航空券や現地ホテルの予約、そしてオプションツアーなどを含めたオリジナルツアーを組んでもらった。なにしろまだ多少余裕のある良い時代だった。

確か1月5日の夜に成田を発ち10日に帰国というスケジュールだったと思う。
時差の関係でサンフランシスコへの到着は早朝のため、ホテルにチェックイン可能な時間になるまで市内観光することになっていた。
私らは今さらゴールデン・ゲート・ブリッジでもなかったが、ひとりだけ初めてMacworld Expoに同行したスタッフがいたことでもあり、ツイン・ピークスやピア39などを周り、翌日からのExpoに備えて鋭気をやしなっていた。

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※サンフランシスコの象徴でもあるゴールデン・ゲート・ブリッジ


Expoそのものは前年から開始されたThink differentの広告が異彩を放っていた時期で基調講演は無論スティーブ・ジョブズ CEOだった。そして気のあった仲間たちと寝起きを共にし、一緒に食事をしながら新製品やらの話をするのは無類の楽しみだった。

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※1998年1月開催のMacworld ExpoにおけるAppleブース(上)。そして当時はユニークで凝った展示をするブースも多かった(下)


楽しみと言えば最終日の9日にはApple本社に隣接しているカンパニー・ストアに出かけることにしていた。このカンパニー・ストアはご承知の通りアップル・グッズの総本山であり我々はここで自分用のアイテムは勿論、お土産を買うのを楽しみにしていたわけだ。
そのカンパニー・ストアの建物脇のスペースには私が「アイコン・ガーデン」と名付けた...そう、あのスーザン・ケア氏がMacintosh向けにデザインしたお馴染みの大きなアイコンが置かれていて、我々はそこでQuickTime VRを撮影することにした。

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※Apple カンパニーストア隣にあった「アイコン・ガーデン」


一通り撮影が済んだとき、向こうから女性の警備員が大きな体を揺すりながら駆け寄ってきて「撮影は禁止だ」という。誰が見たってこのだだっ広い場所に秘密があるようには思えないし、毎年この当たりでは記念撮影をしていたから一応抗議をした。しかしすでに撮影は終わっているし事を荒立てても益はないと判断してその場所を離れ市内に戻った。その後心臓が凍り付くような体験が待っているとも知らずに...。

市内に戻るとちょうど昼時だった。そこで皆一緒に毎年馴染みになったソバやうどんを食べさせる店に入り空いていた奥のテーブルへ座った。そして和気藹々オーダーした食べ物を食べ終わり、最終日のExpo会場に顔を出してみようかと店を出ようとしたとき通路側に座っていた女性スタッフのリュックがなくなっていることに気づいたのだ!

サンフランシスコ市内は特別なエリアを別にして比較的安全な街だといわれているがそこは外国には違いない。私自身パスポートの扱いや現金そしてクレジットカードの扱いには十分注意をしてきたしその旨スタッフらにも注意を促していた。
実は食事に際して彼女は小振りなリュックを椅子の背に掛け、それだけでは危ないからと厚手のジャケットをかぶせて座っていたという。それがジャケットはそのままに隠していたはずのリュックだけ丸ごと盗まれたのである。

彼女らが座った背中はトイレなどに続く通路であり、実は挙動不審の白人が行ったり来たりしていたのは覚えていた。だから隣に座っていた友人に「変な奴が」と話題にしたほどなのだ。
いま思えばかがみ込んで靴紐を結ぶような行為をしていたその男が犯人に間違いないと思うし、多分に彼は彼女が座る際にリュックを椅子の背にかけたところを外からガラス越しに見ていたに違いない。

しかし悲しいかな私自身にも危機意識が薄れていたのか、怪しい奴が行ったり来たりしていることは認識していたものの相対して座っているスタッフの荷物が取られることにまったく気がつかなかったのである。いまだから言えるがそれは見事なやり口だった。
ともかくリュックがない! 問題はその中に彼女の全財産が入っていたのだ。パスポート、航空券、財布とクレジットカード、自宅や会社の鍵類、デジカメなどなど...。

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※ホテルの部屋から展望したサンフランシスコ市内


気がついたのは9日の午後12時半頃だったが翌日の朝に帰国することになっていたのだ。しかし航空券はもとよりだがパスポートがなければ帰国できない。
本人は見るからに血の気を失っていたし会社の代表でありツアーを率いる責任者である私も初めての事に一瞬頭が真っ白になったが、ここで私が動揺するところを見せてはならないと気持ちをカモフラージュするのに必死だった。

数秒もかからなかったと思うが私はひとつの決心をする。それはまさか彼女1人を置いて我々だけ帰国するわけにはいかない。少なくとも私は彼女と数日このサンフランシスコに残り、領事館から仮パスポートの発行を待つしかないと...。そこまで決心したら気持ちが少し楽になった。後は手続きをどうするかだ。

一端ホテルの部屋に戻りツアー案内に記されていた旅行会社の緊急時連絡先に電話をした。しかし警察に行けというだけでいかにも迷惑そうな話っぷりで役に立たない。もっと詳しい対処方法を聞きたかったがこれでは時間ばかりが経過して無駄だと意を決し宿泊していたヒルトンホテルのロビーに降り、日本語を話せるコンシェルジェを見つけて相談した。

幸いその場にいた女性のコンシェルジェはまず「取られたとき気がつかなくて幸いだった」と慰めてくれた。もし気がついた場合、最悪は身の危険もあり得るとのことだった...。そしてその後我々が行動しなければならないことを詳しく教えてくれた。

コンシェルジェは地図を広げ、具体的にマーキングしながらまず近所にある写真店でパスポート用の写真を撮ること。それからここの警察に出向いて盗難届を出しその証明書を受け取ること。別の警察署では対応してくれない場合があるから必ず “ここ” にと強調する。そしてそれらを持って今日の4時までに日本領事館に駆け込めばその場で仮パスポートが発行されるかも知れないという...。コンシェルジェは私たちに手続きの順番を間違えないようにと念を押してくれた。

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※これまたサンフランシスコの街にはなくてはならないケーブルカー


盗難にあった本人と私、そして私だけでは英語が心許ないからと友人の協力を得て3人でとにかくミッションを実行することにした。
別のスタッフ1人を含む友人へはホテルに残り盗まれたクレジットカードを止める手続きを取ってもらうように頼み我々3人は街に飛び出した。

まずホテルの近くの写真店でパスポート用の写真を撮り、タクシーを拾い警察署に行く。幸いまずまず親切な警察官がいくつかの質問をしながら調書を書きともかく盗難証明書を発行してくれた。
気が焦っていたから詳しい時間は記憶にないものの、警察署を出たとき午後3時を少し回っていたと思う。後目指すは日本領事館だが4時までに入らなければならない。

あいにく雨が降り始めたが我々3人は傘をさす余裕もなくタクシーを探しながら地図をたよりに少しでも領事館に近づこうと駆ける...。途中でやっとタクシーを見つけて領事館の入っているビルに到着したが「日本領事館」という看板が壁面に大きく出ているわけではなく少々迷いながらもともかくたどり着いた。勿論我々は雨と汗とでびしょびしょだった...。

領事館へは時間的に間に合ったものの事は簡単でなかった。なぜならまず被害者の彼女が本人であることを証明しなければならないというがパスポートは無論、クレジットカードも何もかも失っているのだから証明のすべがない。
「こうした場合に他に方法はないのか」と聞くと私自身の身元が確認できれば保証人となることで彼女の身分を特定できるとのこと。私はそのときパスポートも所持していたし自社スタッフの保証なら容易いことだと手続きをしてもらうが、書類の発行に数ドル費用が必要になるとのこと。

当然私らは現金を所持していたから問題なかったが、彼女ならずとももし1人だけで旅行しこうしたアクシデントに遭遇した場合は保証人もクレジットカードや小銭もないわけで最悪の状態になってしまうことを痛感する。
領事館で仮パスポートを受け取ったときには大声をあげたいほど嬉しかったが明日の朝、彼女が我々と一緒に帰国するためにはもうひとつ重要なことを済まさなければならない。無論それは航空券の確保である。ただし当該便が満席などの場合は私もその便に変更しなければならないと覚悟する。幸い領事館へ向かうタクシーの窓から比較的近くにユナイテッドの看板があったのを記憶していた我々は一路その方向へ向かった。

友人がカウンター内にいる白髪のおばちゃんに盗難証明書のコピーを見せながら航空券の再発行ができるかを聞いてくれた。その担当者はありがたいことに大変親切で熱心だった。
”CLOSE”とか書かれたプレートをカウンターに置き私らの後ろに並ぶ人たちを他の列に促した後、じっくりと話を聞いてくれた。そしてどこかに長い電話をした後に「当該便の空席はあること」しかし「この場での再発行はできない。新規購入後、帰国したら手数料などを差し引かれた残金を返金できるよう手配する」と説明してくれる。
早速私のクレジットカードで1人分の航空券を購入し、帰国後に旅行会社に提示する書類を受け取った私たちは担当者に丁寧にお礼を言ってユナイテッドのカウンターを後にした。

「これで明日、一緒に帰れるのだ」と思わず3人は顔を見合わせる。それまでほとんど無言だった彼女にも笑顔が...。
3人はまだ小雨が降り注ぐ中を道筋にあったコーヒーショップに飛び込み本当の意味で一息入れることにした。
当時はアメリカ国内で使える携帯電話を持っていなかったことでもあり、ホテルの一室で我々の帰りを待つスタッフらに経過の連絡ができなかった。したがって待ち組の不安もまた特別なものだったと察するが、ともかく最悪の状態から幸い親切な人たちに助けられて難局を乗り切ることが出来た。
翌日全員が予定通りの便に乗り、おのおの座席についたときの感慨は忘れられない。

帰国後旅行会社に現地での対応の悪さについてクレームを入れつつ聞いたところでは午後に盗難に気づいて翌日帰国できた例は知らないと言われた。
それは前記したとおりまったくの1人でなかったこと、サンフランシスコという比較的短時間で関係先を廻れる狭い街だったこと、友人をはじめホテルのコンシェルジェ、警察官、領事館の担当者そしてユナイテッド航空の担当者ら親切な人たちがタイミング良く対応してくれたおかげであった。

後日談ということでもないが、被害に遭った彼女らと共に再びサンフランシスコに行った際、私らが誘ったにもかかわらず、あのうどん屋には入ろうとしなかった(笑)。


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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員