パソコン世界を創造した傑物たち【第3話】〜 スティーブ・ドンビア

スティーブ・ドンビア(Steve Dompier)は1960年後半建築業者として正業についていた。アマチュアのパイロットライセンスも持つドンビアはすでにコンピュータに興味を持ち、ELIZAプログラムの一種を楽しんだり、BASICブログラムを勉強しつつ自宅にテレタイプを購入していた人物だった。


カルフォルニア州バークレーに住んでいたドンピアはピープルズ・コンピュータ・カンパニーという団体に出入りをする中でコンピュータに興味を持った。さらにホームブリュー・コンピュータクラブの初期からの会員でもあった。そして彼はポピュラー・エレクトロニクス誌に載ったAltair 8800の記事に啓示を受け、早速MITS社に小切手を送りすべての部品と周辺機器を1つずつ欲しいと注文する。ドンピアは一日も早く組立に必要な部品を手にしたいと考えたが同時に果たしてMITS社という企業は本当に存在しているのか…を確かめたくなった。

SteveDompier.jpg

※スティーブ・ドンピア


なにしろMITS社はポピュラー・エレクトロニクス誌によればニューメキシコ州のアルバカーキというところにあるという。行ったことも見たこともない場所にある、聞いたことのない会社に4000ドルという多額の小切手を送ったのだ。しかし待っても製品は届かないし、その上まだ全部の部品が用意できていないことを理由に半額ほどの小切手が返送されてきた。

ストレスに苛まれたドンビアは会社の存在確認と、もし会社があったら必要な部品を一式その場で調達してこようと直接行動に出る。
飛行機でMITS社のあるアルバカーキに向かい、レンタカーを使い知り得た住所付近を5回も回った…。

ドンビアは広い芝生の中にMITSという立派な標示がある大きなビルを探していたが、実は商店街のマッサージ・パーラーとコイン・ランドリーに挟まれたとある小さな建物だったことに驚く。しかし間違いなくMITS社は存在したのだった。
ドンピアは気がつかなかったが近くの駐車場には3週間も前からオーダー済みAltair 8800キット一式の配達準備ができるのを待っているハッカーもいた。


それほど出荷は大幅に遅れていた。長い間待っても品物が届かないからと当然苦情も多々舞い込んだ。
MITS社の電話を受ける女性はたった一人でてんてこ舞いしていた。出荷はいつなのかという問い合わせがあると「大丈夫、必ずコンピュータは届きますから」と同じ文句を繰り返していたが中には強い態度に出る客もいた。
そんなときMITSの社員は「わかりました。お名前は?経理に言ってすぐに返金用小切手を振り出させますから…」というと客は決まって大人しくなった。
「いや、そうじゃない。欲しいのは小切手ではなくAltair 8800なんだ!」と…。

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※ドンピアらを驚喜させたポピュラー・エレクトロニクス誌1975年1月号の33ページ。MITS社社長エド・ロバーツと技術者ビル・イエーツによる解説が始まる最初のページ


結局スティーブ・ドンピアは製造番号四番のAltair 8800を完成させることができた。しかしその組立は簡単ではなかった。30時間もかけて組み立てたマシンは当初正常に動作しなかった。さらに数時間をかけて調べた結果、プリント基板にあった傷が原因でメモリが正しく動作しないことを発見し、修理の上でやっと動作が確認できた。

苦労して組み立てたAltair 8800ができることはフロントパネルのランプをチカチカと点滅させることだけだった。キーボードもターミナルもなく、それらとインターフェースを取るボードもアナウンスされただけで一向に販売されず、自身所有のテレタイプとの接続もできないでいた。


ドンビアはある日、プログラムを書きながら飛行機を操縦するため小型ラジオで天気予報を聞いていた。そしてAltairのプログラムをスタートさせたとき、それは起こった。
側に置いたラジオが「ピィーツ、ピィーッ」と大きなノイズを発したのである。Altairがプログラムを実行していく度にラジオとAltair 8800に周波数の干渉が起きノイズが出たがそのノイズは時に低く時に高く鳴った。ドンビアは驚喜する。何故なら彼はそれにAltair 8800初の周辺機器を発見したからである。

どういうことか...。彼はもしノイズ音のコントロールがプログラムで可能だとすればAltairで音楽を演奏させることができるに違いないと考えたのだ…。
8時間ほどの格闘の末、ドンピアは音階のチャートを作り上げ作曲用のプログラムを完成した。そして次のホームブリュー・コンピュータクラブの会合時にデモするためビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル(Fool on the Hill)」を演奏するプログラミングを進め手筈を整えた。

ともかくドンピアの努力は続く。クラブでの実演はプログラムを入力するところから始めなければならない。
何しろ外部記憶装置、すなわちフロッピーディスクドライブとかカセットデッキあるいは鑽孔テープによるプログラムの保存とローディングの環境がまだ整っていない時期だったから、Altair本体のスイッチを切ったら次はまたプログラムリストをゼロからフロントパネルのスイッチを操作して手入力しなければならなかったのである。


Altair 8800をホームブリュー・コンピュータクラブに持ち込んだだけで会場内がざわついた。ほとんどの参加者はまだAltair 8800の実物を見たことがなかったからだ。そもそもホームブリュー・コンピュータクラブの設立はAltair 8800の登場をきっかけとして作られたものだったから参加者皆がドンピアの挙動を固唾を呑んで注視した。

クラブの会合はメンロ・パーク市にある古い学校の木造校舎2階の一室で開催されたが、やっとプログラム入力が終わりかけたとき、廊下で遊んでいた子供たちが長いコードに躓きコンセントが外れてしまうというアクシデントが起きた。無論入力したプログラムはその一瞬で消え失せたがドンビアは怯まずAltair 8800のフロントスイッチを操り最初からプロクラムの入力をやり直し30分後には準備を完了する。
コンサートの準備ができたドンビアがAltair 8800の実行スイッチを入れたとき、その上に乗せたラジオが文字通りのノイズ音を発し始めた。しかしそれは間違いなくメロディーを奏でていた。



※Altair 8800bによる「Fool on the Hill」の演奏と解説


痺れを切らして待っていた部屋中のハッカーたちはあれこれと質問したい気持ちも忘れ畏敬の念にうたれ静まりかえっていたという。
ドンビアのAltairはビートルズの曲を終えると息をもつかさず次の曲の演奏を始めた。それは「デイジー」だった。
「2001年宇宙の旅」でHAL9000コンピュータがボーマン船長に思考回路を止められる際に歌ったあの曲だ…。
これ以上コンピュータに奏でさせるに相応しい曲があるだろうか…。演奏が終わると部屋中に拍手と歓声の嵐が巻き起こりハッカーたちは飛び上がって手をたたき合い喜んだ。


彼らが目にしたものはこれまで誰もが思いつかない新しいアイデアだった。まさしく彼らにとってコンピュータの可能性に確信を持ち歴史を書き換える大事件だったのである。
ドンビアは続けて自身がMITS社を訪問したこと、Altairがすでに4,000台以上の受注があったことなどMITS社で見聞きしたことを報告すると会場は再びざわめいた…。

スティーブ・ドンピアは髪を長く伸ばし口ひげを生やし一見ハッカーのように思えるが専門の技術者だったわけでもなく前記したように建築業という正業についていながらコンピュータの魅力に取り憑かれ、その過程でホームコンピュータ・ユーザーのパイオニアとして啓蒙活動に参加した点がユニークだ。一人のユーザーが歴史にどれほど名を残し得るかという見本みたいな人物だが、振り返って見るに黎明期にはそうした損得を度外視してコミュニティーに貢献する人たちが登場するものだし、それが職業としてのプログラマーや技術者でなかった点が新しい発想に至ることもあるという典型的な例となった。

というわけでAltair 8800が成功したのは決して製品が優秀だったからではなかった。ポピュラー・エレクトロニクス誌といったメディアが取り上げ、ホームブリュー・コンピュータクラブのような同好の士が集まる中でスティーブ・ドンピアのような熱烈な人物がリスクを厭わず啓蒙に力をいれたことが大きかったのである。そして事実個人用のコンピュータは関連する情報を得るために、多くの同好の士を一堂に集める触媒の働きをした。その人の輪が、さらに大きなコミュニティーを形成し新しい市場を作っていった。

スティーブ・ドンピアはその後ピープルズ・コンピュータ・カンパニーの会報に「MUSIC OF A SORT」というタイトルでその経験を紹介しプログラムの機械語コードをも公開した。ためにしばらくの間、Altairオーナーたちの多くがAltairを楽器?として楽しんだという。さらにスティーブ・ドンピアは後にソル・コンピュータ用に「ターゲット・ゲーム」というプログラムを書いたりもした。
現在の視点から見るなら、若い方たちにとってこの程度のことで大の大人達が嬉々とした事実を信じられないかも知れない。しかしこのエピソードはホームコンピュータにおけるひとつのエポックメイキングであったことは間違いなく、こうした工夫の積み重ねの上に現在の我々があることを忘れてはならない。

【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社刊
・「ハッカーズ」工学社刊
・「パソコン創世記」TBSブリタニカ刊



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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員