ジョブズ学入門講座「成功の秘密」【2】〜生涯を左右する友人たちとの出会い

スティーブ・ジョブズはなぜ成功したのか…を考察しようとあれこれ試みているが、今回は人生で友人の果たす大きな役割について考えてみたい。ジョブズとその友人たちを語ろうとしてあらためて感じたことは、嫌な奴にも不思議に友人はできるものだという事実である(笑)。


会社の上司や部下ならともかく、友達・知人としてならつき合うもつき合わないも自由だ。嫌な奴なら会わなければそれで済む。しかし “最低の男” とも称されたスティーブ・ジョブズの人生にも要所要所でその後の人生を決める役割を果たす友人たちが存在した事実にあらためて驚く。

確かにジョブズの学生時代は友人が少なかったようだ。悪戯好きの問題児でもあったしジョブズ自身、自分より頭の良い奴はいないと考えていたフシもあり、尊大で我が儘な男に真の友達などできようもないと思うが、少ないとは言えジョブズに友達がいたのはまぎれもない事実だった。そして前回「大人の使命」で考察したとおり、ジョブズの成功には大物の大人たちが何人も力を貸してくれたわけだが、これまた友人の選択が違ったとすれば彼は別の人生を歩んだことになる。
特に若い時代に出会う友人たちの存在はジョブズならずとも相互に大きな影響を与え合うものだ…。

リード大学の1年生の時に知り合ったダニエル・コトキもそのうちの一人である。コトキ曰くジョブズはシャイな学生だったが、コトキはスピチュアルなことに興味があり “Be Here Now”という瞑想ガイドを持っていた。そしてジョブズも同じもの持っていることを知り友達になったという。事実二人は後に一緒にインドに行くことになったしコトキはAppleの早期社員となる。

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※Appleの社員時代のダニエル・コトキ。一緒にインドを旅した友人だったが、ジョブズの誤解により疎遠になっていった


友人といえばジョブズにとってスティーブ・ウォズニアックに出会ったことは人生にとって大きな出来事となった。自身のやりたいこと、人生の方向性を見つけただけでなくAppleという会社を設立するに至るきっかけとなったのがウォズニアックとの交流だったからだ。そしてそのお膳立てをしたのが双方の友人だったビル・フェルナンデスという人物だった。彼も後にApple最初の従業員となっている。

フェルナンデスはウォズと一緒にクリームソーダー・コンピュータと名付けたコンピュータを自作したこともあったがこれは完成しなかった。そんなフェルナンデスがある日、ウォズにジョブズを紹介したことで2人のスティーブは知り合うようになった。

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※スティーブ・ジョブズの実家の一室にてウォズニアックと(1976年)


ジョブズは自分よりエレクトロニクスに詳しい人に初めて会ったと喜んだようだしウォズも自身の話を理解してくれるジョブズを気に入った。両者とも悪戯好きだったしボブ・ディランのファンでもあった。2人とも孤独を好み自己陶酔型で友人も少なかったが、2人の関係がうまく続いたのはウォズニアックの方が5歳年上だったことにも助けられたのかも知れない。

我が儘なジョブズも自分よりエレクトロニクスに詳しいウォズを蔑ろにはできなかったし学ぶことも多く、利用するといえば聞こえが悪いが、様々なシーンで助けられたから友人関係を反故にできなかったものと思われる。要はウォズの方が人間的に大人で寛大だったことに助けられたしウォズにしてみれば自分にはないガッツを持っていた年下のジョブズを眩しく見ていたフシもある。

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※ジョブズの自宅にて、スティーブ・ウォズニアックと(1981年)


若いときに友人となる同性は趣味が一緒という点が重要なポイントのように思える。ジョブズとウォズは共に悪戯好きだし音楽の好みも一緒だったが2人を結びつけたのはなによりもエレクトロニクスへの興味だった。そういえばとかく我々はジョブズがウォズに出会ったことでAppleという会社が生まれ、Apple 1 やApple IIといった歴史に足跡を残すコンピュータが生まれたと考える。そしてウォズがいたからこそ…Apple IIの大成功がスティーブ・ジョブズという男を歴史の舞台に登場させ我々の生活スタイルを変えるに至ったと評価する…。

しかしウォズにとっても…状況は異なるにしてもスティーブ・ジョブズに出会い、最初はいやいやながらも押し切られた感じだったが、Appleで一緒に仕事をすることがなければ彼の作ったコンピュータは単なるアマチュアが作ったものとして表舞台に登場しなかったかも知れない。
ジョブズと一緒に仕事を始める際にジョブズとウォズが半分ずつの利益を分け合うと知ったウォズの父親は息子が利用されていると感じて「くそったれ!」と吐き捨てたという(笑)。しかしウォズにとってもスティーブ・ジョブズと出会わなければヒューレット・パッカードの技術者で生涯を終えたかも知れないのだ。

ウォズ贔屓の人たちがよく主張することとしてApple 1 もApple II もスティーブ・ウォズニアックが自力で開発したものであり、ジョブズはそれをたまたま売っただけではないか…という主張がある。その主張の多くは確かに正しいが、例えばApple 1の写真として知られ博物館に保存されている木製の箱を見るとこれは到底商品にはなり得ないと思う(笑)。またあのApple II にしても一般的にはジョブズが主張し作らせた洒落た樹脂製のケースに収められたイメージが浮かぶが実はリリース当初、ホビーユーザーへの販売目的のためにというウォズニアックの主張があり、基盤だけの販売も行った経緯がある。勿論というべきか、売れず早々に取り止めている。やはりスティーブ・ジョブズのアイデアのように樹脂製の一体成形のケースに収めたからこそ商品力がついたのだ。
例え素晴らしいものだとしても作れば売れるというわけではないのである。Apple 1もApple IIもウォズの技術力とジョブズのセールスセンスがあってこそ成功したと考えるべきなのだ。

よく人は一人では生きていけない…といわれる。いや、理屈をいえば今の世の中、生存という意味でなら確かに一人だけで生き続けることはできるかも知れないが、世の中と接点を持ちなにかをやり遂げたいとするなら1人では難しい…。それに人は視野を広く持ちたいと思っても1人では限界があり思うようにはいかないものだ。
当然のことながら自分は自分の人生しか生きられないし別の人生を体験できない。だから先達は本を読めという。何故ならそこには他人の人生が広がっており、例え小説だとしても別の人生がどのようなものであるかに気づかせてくれるからだ。そして本以上に自分の視野を広げ新しいチャンスの扉を探すのに有用なのが良い友人を持つことだ。
どんなに仲が良くても友人は自分ではない。共に喜び共に泣き、時にいがみ合う中で自己とは違う生き方とか違う価値観が存在することを身をもって知ることが出来る。

ときに友達の作り方が分からないという話を若い人から聞くことがある。こちらから積極的に友達を探すという手もないではないが、世の中残念ながらよい友達ばかりではないのが難しいところだ。
悪い友達は悪い結果を招くことは世間が証明していることだ。自分にとって価値ある友人を作る秘訣はひとつではないが、私の経験則ではまず「これだけは回りの人たちに負けない」という夢中になる何か...得意分野を会得することだと思っている。それは例えば、映画の知識でも良し、楽器の演奏、ケーキ作り…等々と何でもよいが、熱中できる得意分野を自分なりに極めることが大切だと考えている。そしてそれを少しずつ回りに知ってもらう努力をすることがポイントだ。現在はブログとかTwitterなどさまざまな情報化ツールがあるから難しいことではないだろう。
後は回りにいる積極的な輩が間違いなく声をかけてくれる(笑)。

ちなみに私の場合もまさしくそんな感じだった。実例として簡単にご紹介すると…中学・高校と自分でいうのも変だが目立つ生徒ではなかった。成績は中の上といったところで可もなく不可もないどこにでもいる男子だったに違いない。また自分から知らない人に声をかけるといったことができなかったから最初友達も少なかった。そんな男子生徒が学内で知られるようになったのはギターが弾け絵を好んで描いていたことだった。

高校2年になると同じクラスの中でも大柄で目立つ男から声をかけられた。「おまえギターが巧いと聞いたけどホントか?」と聞く。私は巧いかどうかは自分ではわからないがクラシックギターを数年練習してきたことを言うと、今度フォークギター同好会を作りたいが仲間に加わってくれと頼まれた。結局私はクラシックギターをフォークギターに持ち替えていわゆるフォークグループのリードギター兼ボーカルを担当することになる。したがって好むと好まざるとを問わず当然目立つ存在となった(笑)。

いま考えればその高校時代にも少なからず虐めもあったしいわゆる不良学生もいた。だから普通に考えるといたずらに目立った奴は何らかの虐めにあった例も多かった。しかし私は一度も脅されたことも虐められたこともなかった。それはひとえにフォークソング同好会の創立メンバーの1人だったからだと考えている。
どういうことかといえば、当時学校にギターを持ってくることは禁止だったしそんなものを振り回すのは不良というレッテルを貼られた時代だった。しかし時はエルヴィス・プレスリーを経てビートルズの時代に、そしてエレキギターが台頭してきた時代だった。当然少年達は我も我もとギターを弾きたいと考えたものの、なにしろ初来日したビートルズ公演を観に行ったら退学だと学校内に張り紙がなされた時代だったのである。

ただし私の通う高校で唯一ギターを学校に持ち込み、視聴覚室で練習できるのは正式に職員会議や生徒会の規約に則り、許可を受けて作ったフォークソング同好会のメンバーだけだったのである。そして当時は見るからに粗暴そうな学生たちこそギターを弾きたいと考えていたことも事実だったが、我々と喧嘩をしてはメンバーになれない事を彼らはよく知っていたからこそ悪さをしなかったのである(笑)。

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※自分たちの高校卒業パーティー(上野精養軒)で舞台に上がる。1番左が筆者(1967年3月)


また似顔絵が巧みだとどこから聞いたのか、生徒会役員の選挙ポスターに女優の顔を描くことを依頼されたりして自分は目立たないにしてもそうした音楽やら絵といったあれこれが一人歩きし、重宝されるようになりそれがきっかけで多くの友人ができたという思い出がある。こうしたことは就職してからもまったくおなじであった。まさしく芸は身を助けるとはこのことだ。

紆余曲折の後、40歳のときMac専門のソフトウェア開発会社を起業することになったのも自身の努力というよりまったくの趣味で足を突っ込んだMacの知識欲が「類は友を呼び」結局は趣味が仕事になってしまった…というより回りから背中を押されてなるようになったといった方が正解か…。とはいえ残念ながら私はジョブズのような成功者にはなり得なかったが(笑)。
無論友人といっても実にピンキリだ。そのために良いことばかりでなく人付き合いで悩まされたり、あるいは裏切られたもする。しかし友人という存在は間違いなく我々を別の次元に誘い込んでくれる異次元ドアなのだ。だから良い友人と出会えたとするなら大切にしなければならない。

スティーブ・ジョブズに話しを戻せば、彼は人生の歩むべき道を探っていた時代にスティーブ・ウォズニアックをはじめ最良の友人たちに恵まれたからこそ、後の彼があった。しかしその前提において…ウォズに会う前にも自信過剰とはいえ同年配で自分よりエレクトロニクスの知識を持つ人間などいないと考えるほど知識欲旺盛な若者だったからこそ彼の前に幸運のドアが開かれたのである。



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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員