ジョブズ学入門講座「成功の秘密」【3】〜工業製品と芸術の狭間で

「ジョブズ学入門講座」を続けたい…。さて、スティーブ・ジョブズという男はなぜ異例ともいえる成果をあげることができたかを考察しているが、忘れてはならないこととして彼も人生の途中のいくつかで大きな挫折を味わっているということだ。今回のテーマはジョブズの物作りの動機、原点に迫ってみたい。


さて、いきなりではあるがスティーブ・ジョブズはAppleという企業について「我々はテクノロジーとリベラル・アーツの交差点にいる」といった説明をしている。この明言はAppleという企業を知る上で非常に大切なポイントだが、テクノロジーについてはよく分かるものの、リベラル・アーツを “一般教養” と訳しては焦点がぼける。
「ジョブズ伝説」著者の高木利弘氏は当ブログのインタビュー、高木利弘氏独占インタビュー(前編)においてリベラル・アーツを辞書的な意味だけでなく「文系理系関係なく、あらゆる学問を徹底的に究めること」と捉えている点は興味深い。

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※Appleはテクノロジーとリベラル・アーツの交差点にいる独特な企業であることを説明するスティーブ・ジョブズ


要するにスティーブ・ジョブズが意図してきた製品開発は高度なテクノロジーを十分に活用した芸術表現といってよいのかも知れない。だからこそApple製品に我々は心を動かされるのだろう…。
またAppleは開発を進める製品に関し、上辺だけで機能やデザインを考えるのではなく全ての点において “徹底的に究める” ことを重視している。単に売れそうな物を大量生産するといった物作りはAppleに似合わないのだ。そして市場が受け入れると考える製品作りより自分たちが欲しいと思う製品作りを目指すのがジョブズ流でもあった…。

よく知られていることとして1984年1月にリリースしたMacintoshの本体内部には開発に関わった人たちのサインが残されている。それまでパソコンはもとよりだが工業製品…それもユーザーがほとんど見る機会がないはずの内面に開発者たちの名が刻まれた製品などあり得なかった。

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※1984年1月24日に発表された初代Macintoshの本体内部にはジョブズをはじめ開発者たちのサインが刻印されている(筆者所有Macintosh 128K)


これらのサインが集められたのは1982年2月のことだった。スティーブ・ジョブズは自分たちが開発しているMacintoshは単なる工業製品ではなく、芸術作品だという信念から鋳造する金型の内側にチーム全員のサインを入れることを思いついたという。

テーブルの上に大きな製図用紙が広げられ、そこに全員のサインが寄せ書きされた。それをネガフィルムに撮影の上でMacintoshの金型へエッチングをほどこすこととなる。
当事者のひとりであったアンディ・ハーツフェルドによれば、当日のサイン・パーティーに集まった35人の署名が終わるまで40分ほどかかったという。全員のサインが終わった一番後にスティーブ・ジョブズが例の小文字だけのサインを書き込み、サインの収集は終わった。

この一例だけを見てもジョブズは一般のメーカーが考える物作りとは一線を画したアプローチをしていることは明白であろう。
コンピュータやガジェット開発がそのまま芸術活動だといえば大いなる誤解を受けるかも知れないが、芸術は妥協とは無縁の存在である。絵画でも彫刻でも「まあ、こんなところでいいか…」といった妥協点が見え隠れするとしたらそれは人の心を打たないだけでなく芸術作品の名にはふさわしくないだろう。

しかし僅かな例外はあるにしても一般的に大量生産する工業製品はそうはいかない。コストや現時点のテクノロジーの限界、開発期間といった様々な制約が存在する。そしてある意味でその限られた制約の範囲で製品作りをしなければならないのが常である。要はある意味すべてのプロダクトは制約あるいは制限の範囲内で生まれているということになる。

勿論Macintoshの開発にも制約とか制限はあった。スティーブ・ジョブズの拘りで開発が遅れたし、ジョン・スカリーらの思惑により販売価格も当初考えていたより随分と高くなった。そのMacintosh開発にしても綱渡りのような無理難題を克服しつつやっとゴールにたどり着いた。そして出来上がったMacintoshを客観的に見れば理想には遠い製品だったともいえる。
当時としてもメモリの少なさ、9インチという小さなモノクロディスプレイ、3.5インチ・フロッピーディスクによるOSおよびアプリケーションの起動といった仕様はどう考えてもパワー不足であり、Mac OSによるアプリ開発の難しさも含めてサードパーティーのソフトウェアがなかなか充実しなかった。

結局Macintoshはリリース直後は売れたものの在庫が膨れあがることになり、そうしたあれこれが原因となりスカリーと責任のなすり合いとなって結局1985年の9月にジョブズは辞表を出すことになってしまう。
ただし皮肉なことにジョブズが在職中に培ったレーザープリンタやローカルネットワークといったものがアルダス社のPageMakerというアプリケーションと共にDTP (デスクトップ・パブリッシング)として花開く。まさしく机上のパソコンで商用印刷なみのクオリティ印刷が実現するDTPはMacintoshで実用化されたのである。

スティーブ・ジョブズはNeXT時代およびAppleに復帰後も初代Macintoshのように製品に開発者らの名を刻むことはなかったが、彼自身の名前は何よりもAppleのブランドと知られるようになったことは周知の通りである。
思うに、ジョブズが拘って作る製品は間違いなく一般的な工業製品ではあるものの、彼の意識下としては自身の芸術作品と捉えていたように思う。
あの最初のiPhone開発のエピソードもジョブズならではだ…。ゴリラガラスの採用の目処を立てただけでも凄いのに、9ヶ月もかけて練った完成間近のデザインを「こんなんじゃあダメだ!」とある日突然白紙に戻す。他の会社ならそのまま製品にしたであろう時期にスティーブ・ジョブズはデザインのやり直しを命じた。

新しいデザインはゴリラガラスのディスプレイがフレームぎりぎりまで広がるように、ステンレススチールの細い枠で支える形となった。スクリーンが中心だという点を明確にするためだ。ただしデザインの変更は回路基板、アンテナ、プロセッサーの位置まで内部を作り替える必要があった。それを承知でジョブズは変更を決めた。
したがって開発者全員は完成に向け夜も週末も働かなくてはならなくなったが文句をいう者はいなかった…。世界を変えてしまうAppleの革命的な製品つくりに妥協は存在しなかったのだ。

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※初代iPhone (日本では未発売)。筆者所有


さらにiPhoneが発表された後も多くのメディアは「500ドルもする携帯電話」は高すぎて失敗するだろうと評したし、マイクロソフト社のスティーブ・パルマーCEOは「(物理的な)キーボードがないしビジネスで使う人はいないだろう」とまで言い切った。しかし実際は大ヒットしたことは周知のとおりである。なぜこれほどiPhoneがヒットしたのだろうか…。

私自身、それまでに数多くの携帯電話を手にして実用として使っていた。しかしそれらは確かに便利な製品ではあったが所持してうきうきするような代物ではなかった。分厚い2冊の取扱説明書と格闘しなければ全体像が不明だったし、多機能を謳ってはいたものの携帯電話としての利便性以外特に注視すべきものではなかった。
しかしiPhoneは違った。困ったことに実用とは別の次元で持っているその事自体が嬉しいのだ。Appleらしさといえばそうなのかも知れないが、驚いたことにこれだけ多機能なガジェットにマニュアルらしきものは同梱されていなかった。それでも手にした途端に電話は使えたしメールもアカウントの設定をすれば難しいことはなかったしブラウザでネットにも入れた。それはまさしく小さなMacだった…。
また付属のカメラで写真も簡単だった。そういえばそれまでの携帯電話で写真を撮って二次利用するだけのために何度取扱説明書を開いたことか…。

ただしiPhoneはスマートフォンとしてよく出来ているとしても何故こんなにワクワクするものだろうか…とその時考えた。時代の最先端のテクノロジーを手にしているという感覚もあったが、それが喜びの直接の原因とは思えなかった。あれこれと自分なりに考えてみたが、最新のデジタルカメラやパソコンを手にした以上の満足感はまるで気に入った手作りの工芸品でも手に入れたときの充実感に似ていることに気がついた。iPhoneを手にすると脳内麻薬の量が増え、我々はよい気持ちになれる(笑)。
先の高木利弘氏は「(ジョブズは)コンピュータという機械に命を吹き込んだ」と言い「魂の入った製品だからこそ魅力がある」とインタビューで表現している。

iPhoneは大量生産された工業製品であることには間違いないが、自分が手にしているiPhoneはどこか世界でこれひとつしかない代物であるかのような思いが膨らみ、高揚感が続いた…。まさしくiPhoneは “美的価値を備えた実用品” であり芸術品というのが言い過ぎなら、工芸品なのだ…。無論工芸品すべてが優れているというわけでもないが、その拘りはAppleの尋常でない情熱を伺わせた。

ところで芸術作品、例えば絵画にしろ彫刻にしろ一般的には作者以外の購入者、所有者はそれを改変することはない。例えば手に入れたピカソの絵に自分で筆を入れる人はまずいない(笑)。それはその価値を認めあるがままに所有し飾り鑑賞しあるいは保管する。所有しているそのことこそが喜びでありステイタスなのだ。

そうだとすればジョブズがAppleに復帰後にヒットした数々の製品群のほとんどはクローズドな製品でありユーザーによる拡張性は考慮されてはいない。一部の製品でメモリ増設やビデオカードのアップグレードが可能な製品もあるが、iPhoneやiPadの中を開けて改造あるいは増設を試みることなどジョブズは最初から意図していない。それらはAppleにより非の打ち所のない完成品としてリリースされたのだから…。

なにが言いたいのかといえば、スティーブ・ジョブズにとってのプロダクトは皆最高の開発陣が最高のテクノロジーで生み出す芸術作品と考えていたという事実である。だから最初のMacintoshでさえユーザーがケースを開けて内部にアクセスすることなど、ジョブズは考えていなかったし認めていなかった。

パソコンも音楽プレーヤーも、そして携帯電話もMacやiPodあるいはiPhoneの登場以前に存在していた。しかしそれらはジョブズにいわせればクールでもなければセクシーでもなく何の価値もない “クソ” 同然の代物であり、彼の意識下ではそれらを芸術の極みにまで高めた製品開発をすることことAppleの使命だと考えていたフシがある。そしてそれこそが大きな成功の要因ではなかったか。だからこそ我々ユーザーはテクノロジーの塊でもあるiPhoneひとつにこれだけ熱狂するのではないだろうか…。

ITジャーナリストのスティーブン・レヴィは自著「iPodは何を変えたのか?」で次のように書いている。
「… 世界で最も革新的な企業のひとつが、透徹した視点と何物にも縛られないエゴによって、勃興しつつある新しい製品分野の競合製品を分析し、自分たちならもっと優れた画期的な製品を創造できると考え、そしてiPodのハードディスクに収められた曲を聴き通す程度の期間に、その企業が誇ってきた高い水準をも上回るレベルの製品を設計・製造したのだから」と…。その集中力とピンポイントな拘りは他の企業には真似の出来ることではないのだろう。まさしくスティーブ・ジョブズがいたからこそ実現できた例だともいえる。

いわばスティーブ・ジョブズはエジソンであり、かつピカソでもあった…。勿論そんな人間はざらには存在しない。だからこそスティーブ・ジョブズ不在のAppleにもし不安があるとするなら、それはイノベーションやテクノロジーの問題ではなく、ましてやデザイン力でもないと考える。
重要なのは工業製品を芸術作品の高みにまで昇華させた物作りがAppleで引き続き可能かどうかにかかっているのではないだろうか。
我々はスティーブ・ジョブズという世界を変えた企業家、天性のビジョナリーを失っただけでなく偉大な芸術家をも失ったのである。

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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員