ジョブズ学入門講座「成功の秘密」【7】〜 孤高の人

ジョブズ学入門講座「成功の秘密」として故スティーブ・ジョブズがいかにして成功を手中にしたのか…を考察してきたが、今回は「孤高の人」と題して連載を続けたい。テーマの趣旨は組織を率いる者は時に皆に愛されるリーダーあるいはトップといった考え方を捨て去らなければならない時があるということだ…。


スティーブ・ジョブズの生涯を追ってみると強烈なカリスマ性とリーダーシップの後遺症とでもいうのか、彼の姿に孤独感を強く感じてしまう。そして “スティーブ・ジョブズ = 孤高の人” というイメージを受けるのは私だけではないだろう。

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※故スティーブ・ジョブズにはどこか孤高の人というイメージがつきまとう


「孤高」とは「ひとり超然として高い理想と志を保つこと」と辞書にあるとおり、まさしくスティーブ・ジョブズの人生を一言で表すのに「孤高の人」とは最適な言葉とも思える。
スティーブ・ジョブズは時に狂気を感じさせるほど物事に拘り、自身の意志を貫くためとはいえ周りの人たちを不快な思いに巻き込むことが多かった。

もう1人の創業者で親友だったはずのウォズニアックでさえも急速にAppleからというよりジョブズから距離を置くようになっていく…。
ジョブズの人生は喧騒続きだったといえるし、どこか意識的にトラブルを起こし続けたように思えるほどだった。そして特に創業当時からの人付き合いを見ても、社内の人間と上手にやっていこうとか仲間に愛されたいといった気配りや配慮はまったく見られない。

Appleが法人化された後、社長に就任したマイク・スコットと衝突し、結果Lisa開発のプロジェクトリーダーから外されたり、その結果社内で細々と立ち上がっていたMacintoshプロジェクトを自分のものとしてそれまでの責任者だったジェフ・ラスキンを追い出す。そしてご承知のように自身がヘッドハンティングしたジョン・スカリーとも確執が生じてAppleを辞めざるを得なくなる。

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※Apple Iic発表時に一堂に会したスティーブ・ジョブズ、ジョン・スカリーそしてスティーブ・ウォズニアック。Newsweek誌より


その後、NeXT社やPIXAR社での経験で多少は大人の対応ができるようになったとはいえApple復帰後も、自分をAppleに戻してくれた恩人でもあるはずのギルバート・アメリオ CEO を追い出し、創業時から支援をし続けてくれたマイク・マークラでさえ必要がなくなったと取締役から退任させたジョブズである。

そうした話を見聞きすればスティーブ・ジョブズという男は恥も外聞もない人物だという印象を深めるが、ジョブズとて周りの人たちの心情がまったく分かっていない独りよがりの狂人ではなかった…。
例えば「スティーブ・ジョブズ 1995 ロスト・インタビュー」で自身が述べていることを精査すれば、ジョブズは自分自身が他からどのように思われているかをきちんと意識していたことがわかる。しかし自身の信念を押し通すためには文字通り手段を選ばす…というのがジョブズ流だったわけで、ジョブズ自身これでは気が休まることはなかったように思える。

要は目的を達するためにスティーブ・ジョブズは自分がどう思われるか…という一般的には当然持つであろう意識を捨て去っている。いくらAppleが彼の人生そのものであったとしてもこれは尋常な神経の持ち主とは思えない。逆な見方をするならジョブズほど目的のためなら世間や周りから自分へ向けられる評価を強い意志で無視し捨てた人は珍しいのではないだろうか…。勿論それは彼の性格がもたらす言動でもあったに違いない。
それでなくとも企業という組織の中で一番のトップである社長とかCEOといったポジションは実に孤独なものなのだ。

卑近な例で恐縮だが、私自身長らくサラリーマンを経験した後に文字通りの超マイクロ企業を起業した。その直後「社長とは孤高の存在」という思いは常に重たくのしかかってきた。なぜなら一般社員とかスタッフらは社長という存在を例え畏敬の目で見ていたとしても反面仲間としては見てくれないということを思い知らされたからだ…。
どういうことかといえば、社長…特に小さな会社ではその権限は絶大であり無論人事権も把握している。したがって企業のトップは給料の取り決めから賞与の査定、はてまた配属や転勤といった社員にとっては常にピリピリせざるを得ないあれこれを決める立場の人間だ。そんな奴と例え「今日は無礼講だ」と一緒に酒を飲み飯を食ったとしても本音を漏らすわけにはいかないではないか…(笑)。

例え私の会社のように数人しかいなかったとしても社員らの受け取り方は同じであり、いくら私が「私も会社の一員であり、飯を食ったり酒を飲んだりするときには仲間に入れて欲しい」と考えたとしても社員らにとっては迷惑な話なのだ。
創業直後のときには社長だの専務だのといったところで社員を混ぜてたった3人だったし(笑)、私も皆も会社という意識が薄かったものの札幌に支店が出来、全員で8人になるとそうもいかなくなった。

例えば社員らが「今日仕事終わったら○○で食事でもしないか」と誘い合っていたとしても、彼ら彼女らの頭の中に社長の私も含まれている可能性は限りなく小さい(笑)。いや、考えすぎだという人がいるかも知れないが、よほどの必然性でもないかぎり「松田さんご一緒します?」と聞かれたとしても「ありがとう。まだ仕事が残っているからまたにしよう」と断るのがトップとしての礼儀であり、社員らもそれを願っていると考えなければならない。

しかし自身がサラリーマンだった時代を振り返れば自分もそう考えてきたのだから仕方がないが、当人としては実に寂しいものだ。
これは一例だが、すべての面に於いて仕事中はともかくお互いのプライベートではおいそれと友達面ができないのだ。いや、できないのではなく、気遣いしなくては逆に迷惑をかけることになる。
仕事中ならともかく一度プライベート空間となれば社長とか上司という存在は社員にとって当然のことながら煙たい存在なのである。

経営側は時に人事考課の末に当人たちから恨まれることや誤解を受けることもあるかも知れない。しかし社員の顔色を伺いつつ行うビジネス判断が功を奏するはずもない。業務については上司やトップが責任を取らなければならない分だけ厳しい判断が必要な場面も多々出てくるわけだが、それはときに利害が反する社員らに100%理解してもらうことはまず難しい。

まあまあ、こんな具体的なあれこれを記すまでもなく世間の社長とか副社長といった立場の人たちは程度問題頷いてくださると思う。もし「いや私は社員たちに愛されているからそんなことはない」という方がおられるとすれば、それは失礼ながら社内の空気を読み間違って大きな誤解をされている人たちに違いない…(笑)。

ところで最近ダグ・メネズ著「無敵の天才たち~スティーブ・ジョブズが駆け抜けたシリコンバレーの歴史的瞬間」という写真集を見ていてあらためて気づいたことがある。それは20ページと21ページ載っているスティーブ・ジョブズがNeXT社のピクニックでビーチボールを蹴って遊んでいる写真だ。しかしタイトルは「人間のふりをするスティーブ・ジョブズ」という意味深なもの…。
解説によればジョブズは決してリラックスするような人物ではなかったとしつつ、一見楽しんでいるようにも見えたものの、むしろチームをリラックスさせようと計算された演技のような感じを受けたという。

ダグ・メネズの見方が正しいとするなら、トップである自分(ジョブズ)がリラックスした姿を見せなければ、チームの人々が本当の意味で安心しリラックスできないことを知り尽くした上での演技だということになる。
この示唆に富んだ見解はスティーブ・ジョブズという人間像を理解する重要なポイントのひとつだと思う。
別項「ジョブズ学入門講座「成功の秘密」【6】〜 優秀な人材を得る心得」にも記したが、スティーブ・ジョブズは「ロストインタビュー1995」の中で明言している。それは「優れた人材は (略) …同時に彼らはうんざりするほど扱いにくい人間だということを知ったよ」とも発言している。

ジョブズが大声で怒鳴り散らし怒っているとき、もしかしたらそれは半分以上計算されたものだったのかも知れない。前記のビーチボールを蹴って遊ぶジョブズのように…。
なぜなら叱られ怒られるということは当人にとっては1番のインパクトとして心に響くからだ。そうした接し方が使いづらい人たちを動かす有効な方法だとジョブズは身にしみて考えていたのかも知れない。無論それが良い結果となる場合ばかりではなかっただろうが…。

さらに「無敵の天才たち~スティーブ・ジョブズが駆け抜けたシリコンバレーの歴史的瞬間」の23ページに書かれているが、ときにジョブズに怒鳴られたスタッフらが怒鳴り返して思いの丈をぶちまける勇者もいた。しかし面白いことにジョブズはそうした強い人格を持ったスタッフらを好ましく思っていたフシがあるという。
そういえば「コンピュータ帝国の興亡」の著者、ロバート・X・クリンジリーはその著書で同様なことをいっている。スティーブ・ジョブズとうまくやるには、ちょっとしたコツがあると。

それは彼が怒鳴り声を上げたら、同じように怒鳴り返せばいいのだ…と。もし彼がいい加減なことを言ったら、大勢の下っ端たちのいる目の前ではっきりと「貴方の話はいい加減だ」と言い返せと...。
クリンジリーは続ける。なぜならこの手の反撃が成功するのは彼の不安心理を突いているからなのだ。ジョブズは、我々には自身過剰丸出しのような男のように見えるが、その実は内心「自分は間違っているのではないか」と常に不安に思っているからだという…。

ここにも自分の思いは決して他の人たちには理解してもらえないだろうと考えているジョブズの孤高の姿が見えてくる。幼少時代からジョブズは自分は特別の存在だという意識を持って成長した。他人と同調し、意見を合わせるという気遣いはしない…というより、自分が抱えている問題は他者には決して理解して貰えないのだという信念みたいなものを持ち続けていたように思える。
また「Think Simple」で著者のケン・シーガルは書いている…。「確かに(ジョブズは)そういう(酷い)態度を見せることもあったが」と断りながらも、「ジョブズはユーモラスにもなれたし、温かくも、魅力的にさえもなれた」と。

新刊「ピクサー流創造する力」(ダイヤモンド社刊)で著者のエド・キャットムルも我々が持ち続けてきたスティーブ・ジョブズの印象とは違う一面を紹介している。「バグズ・ライフ」のアスペクト比について意見が2分していたとき、ワイドスクリーンに反対していたジョブズが制作デザイナーのビル・コーンと激しくやりあった後、結論を得ないままに別れた。しかし結局ジョブズはビル・コーンの主張を飲んだという。
エド・キャットムルによれば、それはビルがはっきりと自分の信念に基づいて主張したからこそ、その熱意に対して尊重したのだという。スティーブ・ジョブズは人と言い争った後、相手が正しいと納得したら、その瞬間に考えを改める人間だった。

さらにRenderManの開発者であり、アルヴィ・レイ・スミス、スティーブ・ジョブズと共にPixar社を共同設立したエド・キャットムルによれば、Pixarのオーナーとしてのスティーブ・ジョブズは様々な評伝で描かれたバッド・ジョブズではなく、信頼に値する人だったという。とはいえアルヴィ・レイ・スミスに言わせれば酷い罵声を浴びせられ会社を辞めるに至ったというから話しは真逆だ。
こうしたあれこれを考察すると、スティーブ・ジョブズにとって必要な人材とそうでない人材への扱いはまったく違うが、どうやらその場の感情に押し流されて激怒するというより、どこか計算ずくでバッド・ジョブズを演じている風にも思えてくる。

スティーブ・ジョブズという孤高の天才の天才たる所以は、生涯 ”スティーブ・ジョブズ” という希有な人物を演じ続けたその一点にあるのかも知れない。そしてジョブズの場合は自身が孤高であることを意識しつつ、どこか楽しんでいたように思えてならない…。
要は高い理想を掲げてそれを実現しようとする人間は周りのノイズに振り回されず、孤独に耐えられなければならないし、そうでなければ成功することは難しいといえよう。


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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員