ジョブズ学入門講座「成功の秘密」【9】〜時代に先んじる心意気

スティーブ・ジョブズ成功の秘密に迫ろうとしているが、スティーブ・ジョブズ成功の秘訣は "これだ!" と掌に乗せて見せることができるような単純なものではないし誤解を承知でいうなら運が良かったという面も大きいと思う。とはいえスティーブ・ジョブズはエレクトロニクスという子供時代から好きで興味のあった分野の延長線上で生涯の仕事を見つけたことが幸運に繋がったといえよう。


ジョブズはなぜ友人ウォズニアックの作ったコンピュータをビジネスに乗せようとしたのだろうか。「これは売れる!」と思ったのだろうか…。しかし当時の状況を見回しても彼らのやろうとしていたことはApple 1のプリント基板を作り1枚原価が20ドルのものを40ドルで売ろうとしていた程度の話しだった。
そのためジョブズは車、ウォズニアックは電卓2台を売って資金を作ったことはよく知られている。このとき、ロン・ウェインを入れた3人で会社を作ったがまだ法人組織ではなかった。そして目標どおり売れたら手放した車と電卓を取り戻そうと考えていたようだ。

肝心のApple 1だが当初完成品を売るという予定はなく、ウォズニアックらは友人知人らのために無償で組み立て支援をしていた程度だった。なにしろ完成品を作るには部品を仕入れる必要があったものの彼らにはその資金はなかった。

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※Apple 1を持つ若かりし頃のスティーブ・ジョブズ ( Legend Toys Limited “The Young Steve Jobs” 1/6 フィギュア) 〜当研究所所有


しかし少なくとも組織を作り、程度はともかく3人で契約を取り交わしたことを考えれば…少なくともジョブズはApple 1を足がかりに継続的なビジネスを念頭においていたと考えるのが自然だ。ところが予想もしなかったことだがバイト・ショップからApple 1の完成品を1ヶ月以内に納品できるなら50台(100台という説もある)の注文分を現金で支払うという話しが舞い込んだ。
創業仲間のロン・ウェインはその受注額にビビり、リスクが大きすぎると早速離脱する。なにしろ卸値を500ドルとしたから50台なら2万5千ドルの受注となるからだ…。

これだけの部品代を確保するには1万5千ドルほどの資金が必要だったが彼らにはその資金がなかった。したがってウェインの心配は単純な杞憂ではなく現実のことだったのである。しかしジョブズは怯まなかった。一部を友人たちから借金し、さらにバイト・ショップからのオーダーを担保に部品の仕入れ先に1ヶ月間の支払猶予をしてもらうことで部品調達を実現する。
ということはジョブズはともかく他の2人は小遣い銭程度の収入が得られればそれでよいと考えていたようにも思えるしそもそも大きく儲けようという気はなかったようだ。

ジョブズたちがApple Computerという会社を作るに至る話しは「ジョブズとウォズがApple Computer社を作った経緯は?」に詳しいから繰り返さない。しかしApple 1の原型を見たジョブズは機会到来とウォズニアックに会社設立を勧める。ジョブズは「お金は損するかもしれないけど、自分の会社が持てるよ。一生に一度のチャンスだ」とウォズニアックを説得する。

話しの通りだとするならジョブズは自分の思うようにできる…夢を叶えるための会社が欲しかったのだと受け取れる...。そのスタートがApple 1のプリント基板だったわけだが、その他近未来に具体的なビジョンがあったわけではなかったと考えるのが自然だろう。
Apple 1のプリント基板を販売しようとしたとき、ジョブズらが会社を作ろうとしたとき、Apple II の計画がすでに具体的になっていたとは思えない。ウォズの頭の中にはApple 1の設計を踏まえてもっと良いコンピュータを作ろうという気持ちが膨らんできたとしてもそれを念頭に入れた計画だったはずもない。

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※Apple 1のプリント基板 (Replica)。当研究所所有


なにしろウォズニアックは趣味を金儲けにすることには気が進まなかったものの取り急ぎ勤務していたヒューレット・パッカード社を辞める必要もなさそうだと判断しジョブズに薦められるままに会社を作ることに同意する。こうして1976年4月1日にApple Computerはスタートした。だからジョブズはともかくウォズニアックはあくまで片手間仕事のつもりだったのだ。

せいぜいApple 1を少しずつ組み立て、ホームブリューコンピュータクラブの仲間たちに売ろうと考えていたジョブズに前記したようにバイトショップから完成品の受注が舞い込んだために本格的なビジネスの始まりとなった。このバイトショップからの受注は彼らにとっても青天の霹靂だったようだ。ウォズニアックは自著「アップルを創った怪物」でそのときのことを「アップル、最初で最高の成功だった」といっている…。

ウォズニアックはともかくスティーブ・ジョブズは会社を作り、世間に対してなにがしかの挑戦をしたかった。そのきっかけがApple 1だったのだ。しかしバイト・ショップを別にすれば一般にパーソナルコンピュータを販売することは現在では考えられないほど難しかった。
無論ジョブズはApple 1を積極的にアピールし、販売する意欲は持っていた。その証拠といってはなんだが、1976年8月28と29日の両日、ニュージャージ州アトランティックシティで開催された「PC '76 Computer Show」にはApple 1のデモのためブースで説明するスティーブ・ジョブズの姿があった…。

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※1976年8月28と29日の両日、ニュージャージ州アトランティックシティで開催された "PC '76 Computer Show" でブースに立つスティーブ・ジョブズ


またアシュトン・カッチャー主演映画「スティーブ・ジョブズ」でも出てくるが、コンピュータを売ろうとし、それが何のための製品なのか、どのような製品なのかを電話で説明し苦労しているスティーブ・ジョブズの姿がある。事実ウォズニアックも「(Apple 1は)思ったほど売れなかった」といっている。

当然その頃はパーソナルコンピュータの市場自体存在しなかった。パーソナルコンピュータという代物が存在しなかったからだ。Altair8800をはじめいくつかのホビーコンピュータが登場しはじめたが IBMやインテルでさえ、個人がパソコンを持つ意味と意義が理解できなかったからこそ参入しなかった。だからパソコンとは何ものか、何ができるのか、何の為に買うのか、買う意味があるのか、売る意味があるのか、使うことで何が変わるのか…変わらないのかをゼロから説明する必要があった。こうした初期段階の困難や苦労からジョブズはApple 1やApple II を売るために自社商品を深く掘り下げて考える習慣がついたのかも知れない。

後年Macintoshをリリースした直後、PLAYBOY誌のインタビューでジョブズはコンピュータが個人や家庭に及ぼす影響について懐疑的な質問をされたとき「コンピューターは人間をつまらない仕事から解放してくれると同時に、人間がクリエイティブになるのを支援してくれる道具」と評し「教育におけるコンピューターは、批判なしで無限に対話してくれる存在としては書籍以来初めてのものになる」と発言している。
続けて消費者がコンピュータを買う理由として「コミュケーションネットワークに繋げられること」と話すがこれは1984年のことだから驚くではないか。

インターネット・プロトコル・スイート (TCP/IP) が標準化され、TCP/IPを採用したネットワーク群を世界規模で相互接続するインターネットという概念が提唱されたのが1982年といわれている。しかし1984年にMacintoshが登場した時期はまだまだ一般のパソコンユーザーが使える状況では無かった時代であることを忘れてはならない。

ではスティーブ・ジョブズは時代の先を見る…未来を読み解く力があったのだろうか。結果としてそうなったわけだが彼は占い師でもなければ市場予測の専門家でもない。しかし表には出て来ないがよく本を読み勉強したことが窺える。そして人の意見には耳を貸さないイメージが強いが、表面では反発しても自身が納得する情報は貪欲に自分のものにしていった。

スティーブ・ジョブズは1997年に「Think Different」キャンペーンについて語った動画がYouTubeにあるが、そのブランドについての話しは大変印象的だ。その中でジョブズは複雑で多くのノイズがある市場でいかにしたら(アップルが)記憶に留めて貰うことができるかについて語っている。
例えのひとつとしてナイキの製品は日用品であり靴に過ぎないが、ナイキは製品のあれこれを語るのではなく(それを使う)偉大な選手、アスリートたちについて言及している...と話している。

ジョブズが示したこのスピーチはその後におけるアップルの広告のあり方を示唆している点でも興味深い。すなわちスティーブ・ジョブズは時代に先んじるために何が重要かを精査し、それを実現するためには他社(者)の優れた点もきちんと見つめ、自社運営に取り入れていることがわかる...。

ジョブズはこれまでにない新しい製品を生み出し、新しい市場を作ることで世の中を変えることができるということをApple 1やApple II で実体験した。
これがもし既存の製品…というか、例えば車とか家電を商売のネタにしてもこれだけ世間の注目を浴びての成功はおぼつかなかったに違いないしその事をジョブズは十分承知していただろう。そして時代の最先端をいくコンピュータという目新しい製品を世に問う面白さと難しさは目立ちたがり屋の彼の自尊心を大いに満足させたに違いない。
私はスティーブ・ジョブズという男の不屈の原動力は顧客の満足度うんぬん以前に “自尊心の充実感” を得る点こそにあったのではないかと考えている…。

確かにコンピュータもミュージックプレーヤーも携帯電話もジョブズがMacintosh、iPod、iPhoneを世に問うたとき、世の中にそうした類の製品はあったとはいえ、ジョブズはそれらに満足せず世の中を変えうるであろう最高のプロダクト作りを目指し “再発明” の心意気で取り組んだ。他に先んじることができれば世界の注目を浴び、世界を変えることができると考えていたのだろう。

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※初代Macintoshを背景に初代iPodおよび初代iPhone (当研究所所有)


結局今日我々が感じている “Appleらしさ” というすべてはスティーブ・ジョブズが生んだものだ。「Appleのビジョン」あるいはブランドという目に見えないものを形作り、社員たちはもとより我々ユーザーにまでそれらを感染させたのは間違いなくスティーブ・ジョブズその人だった。

そもそもApple II が誕生した時代...得体の知れないパソコンをあたかもライフスタイルや購入者自身の生活向上に関与するといったイメージで売り込んだのはスティーブ・ジョブズだった。我々に「Macintoshは知的自転車だ」といった魅力的でインパクトのあるイメージを放ち「先進的なGUIを搭載したMacを買いたい」と思わせたのはスティーブ・ジョブズだった。
Apple II やMacintoshのインパクトはそれが「表計算やワープロとして使えるから便利だ」という合理的な意味合い以前の問題だった。それは精神の働きを拡大する新しいドラッグか新しい宗教のように当時の我々を包み込んだのである。
ではなぜ我々はApple IIやMacintosh、今で言うならiPhoneを欲しいと思うのだろうか...。それはそれらが "ありふれた" 製品ではなく "時代に先んじた" 少し未来を覗かせてくれるプロダクトだからではないだろうか。

ところで先んじるといえばスティーブ・ジョブズの決断はときに反発を感じるほど思い切ったものも多かった。例えばパソコンとしてMacintoshで初めて3.5インチフロッピーディスク(ソニー製)を採用したジョブズは iMacでフロッピードライブをいち早く廃止したことでも知られている。USBの採用、FireWireの採用も市場を変えたし内蔵のCD/DVDドライブを廃止したのもジョブズだった。
思い切った...といえば、Appleへの復帰後、不倶戴天のライバルといわれていたマイクロソフトとの提携を実現したのもジョブズならではのことに違いない。

iPodでは登場したばかりの1.8インチハードディスク(5GB)を採用しiPhoneではスタイラスペンを嫌いユーザーの指で直接液晶画面をタップするインターフェースを実現した。真似ではないと力説しつつ、二番煎じを追うどこかのメーカーとはスタンスがまったく違うのだ。
そして重要なことだが、ジョブズはオモチャ同然の製品には手を出さず常に本物のツールを開発し続けたことが世の中に受け入れられた要因に違いない。

後年「リサーチは意味が無い。これまで市場にない製品のあれこれを消費者に聞いたところで意味のある情報が得られるはずはない」というのがジョブズの考え方だった。新しい市場は自分たちで作り出す気概が必要だと肝に命じる苦労と努力があったに違いない。そうした意味でApple II はもとよりだが LisaやMacintosh、NeXTやPIXARに関しても一貫した気概の延長線上でスティーブ・ジョブズは物事を見据えていたのだ。

Lisaのインスピレーションがゼロックスのパロアルト研究所で得た例に象徴されるとおり、スティーブ・ジョブズは時代を読むというより時代に先んじる心意気が宇宙を凹ませ、世界を変える成功に繋がると信じていたに違いない。

【主な参考資料】
・スティーブ・ウォズニアック著「アップルを創った怪物」ダイヤモンド社刊
・ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」講談社刊
・ロバート・X・クリンジリー著「コンピュータ帝国の興亡」アスキー出版局刊



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員