ロシア版「シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険」DVD 再考

ロシア版「シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険」DVD2枚組をあらためて鑑賞した。国内リリースとしてはホームズ役のワシーリー・リヴァーノフとワトスン博士役、ヴィターリー・ソローミンの本シリーズは1作目の「シャーロック・ホームズとワトソン博士」および2作目「バスカヴィル家の犬」に続いて3作目の作品だ。


「シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険」DVD2枚組には、一部「恐喝王」、二部「決死の闘い」そして三部の「虎狩り」という全三部作が収録されているが、他のシリーズ同様に冷戦時代のソ連で1980年に制作されたものだという。
無論「恐喝王」は聖典(原作)でいうところの「チャールズ・オーガスタス・ミルバートン」、「決死の闘い」は「最後の事件」そして「虎狩り」は「空家の冒険」と訳されている物語を意味する。

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※「シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険」DVD2枚組、初回限定版パッケージ


特に「最後の事件」と「空家の冒険」はホームズがライヘンバッハの滝に落ち死亡したはずが生還するという物語であり、いわばホームズ物語全体としても大きなクライマックスとなった作品だが、この一連のロシア版シャーロック・ホームズ物語はあの英国グラナダTV制作、ジェレミー・ブレッド主演のホームズ物語とは別の楽しみを味合わせてくれる。

グラナダTV制作の物語が…後年の数作は別として…聖典と呼ばれる原書に忠実に作られているとすれば、このロシア版ホームズ物語は良い意味で意訳されて映像化したとも受け取れる新しい面白味があるのだ。しかしグラナダTV以前に、それも後述のように本場イギリスではなくロシア内で撮られたホームズ物語として原作の気品を漂わせている点は見事としか言いようがない。

この初回限定版のDVDパッケージに同梱されていたライナーノートによれば、脚本を書いたウラジミール・ヴァルツキーは「私にとって問題に思えたのは最初の2話があまりに真面目に始まっていることだ」として「ホームズの冒険や捜査自体はいささか素朴なものに思える。だから原作からもう少し離れ、もっと現代的な視点から見た方がいい」という。

続けて「総じて私は文字通りの映画化というものが理解できない。それは文字通りであればあるほど、多くを失う。なぜなら、文学と映画は別の芸術だから...」と...。
またホームズを演じているワシーリー・リヴァーノフは「作者に従って、この文学の正確な表現形式を見出すことだった」としながらも「私もソローミン(ワトソン役)も、子供のころコナン・ドイルを読んで熱中した。(中略)観客は皆この推理物を、発端から展開、そして結末にいたるまで子供の頃からよく知っており、ストーリーで特に(視聴者の)興味を引くことはできない...」とインタビューで語っている。

まさしくひとりのシャーロッキアンとしてこのロシア版ホームズ物語に引かれるのは、原作の本筋から離れない範囲で新しいシチュエーションを見せてくれるからなのだ。そしてそれらは決してストーリーを台無しにするのではなく、ある意味原作で描かれていない疑問点や不備を補うという役割も果たしている。だからストーリーをよく知っている者が見ると、ニヤリとしながらも納得する…。

そうした点は本作品に随所に見られ、新しい興味を生む原動力となっている。
例えば、死んだものと思われていたホームズを眼前にしたとき、生涯でただ一度という気絶をしてしまうワトソンだが、このロシア版ではその場にいたハドソン夫人も一緒に気絶してしまう(笑)。また2人の感激にホームズ自身も目頭を押さえるシーンがあり、原典より人間味のあふれた人物として描かれている点も面白い。

そしてライヘンバッハの滝でモリアティー教授と格闘したホームズいわく、上から銃で狙われているため必然的にモリアーティーと組み合っていなければならなかった…という合理的な言い訳もしている。そして自身も滝壺に落ちたと思わせるために悲鳴をあげ偽装している。
無論このことはモリアティーと組んずほぐれつしている間は敵は撃てないという意味、そして同時に銃で狙っている相手がみすみすホームズだけ助かった姿を見てその場から立ち去るわけがない事などを含め、我々ホームズファンが潜在的にこのライヘンバッハの滝におけるホームズとモリアティーとの丸腰の闘いに不自然なものを感じていたことに対するひとつの回答になっているわけだ。

さらに「虎狩り」で殺害されるアデア卿を見張っているワトソンが牧師の格好をしているがこうしたシチュエーションは原作にはまったくない。しかし思わず笑ってしまうのは事件が解決し懐かしのベーカー街211Bの部屋でホームズに「…牧師姿は止めた方がよい。君には似合わないから」といわれ、はにかむワトソンの姿は何とも愛らしい。

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※ロシア版シャーロック・ホームズに関する詳しいことは西周成著「ロシア版シャーロック・ホームズ完全読解」が参考書となる


ホームズ物語が時代を超え、国や文化の違いを超えて愛されるのは単なる推理小説、探偵物語の醍醐味だけではなく、先のインタビューでワシーリー・リヴァーノフが述べているように、主人公たちの人間関係…すなわち男の友情の展開やハドソン夫人、レストレイド警部などといった人々との人間関係が良く描かれているからだろう。
そしてワシーリー・リヴァーノフが続けて言う…。「イギリスではシャーロック・ホームズとワトソン博士は一種の記号になり、人間的性格が消えてしまった。(しかし)私たちは彼らに日常生活のレベルでさえ人間関係を取り戻したのだ」と。

したがってホームズにしてもいたずらにエキセントリックな性格を描く必要はなく、ワシーリー・リヴァーノフのホームズは至極紳士でノーマルな人間として演じられている。
そして何よりもホームズが愛されるのはこれまたイーゴリ・マスレンニコフ監督がいうようにホームズの正義の精神のありかただ。

監督は、「私の考えでは...」とことわりながらも、この特筆はホームズだけのものであり、他の推理ものの主人公たち、例えばメグレやポアロを含めて、彼らはなによりも罪の証明と犯人逮捕に腐心し、そこでは全てが純粋に法学的な規則に基づいて展開する。しかしホームズは、ある時には捕まえ、ある時には罪人を犯罪者ではなく環境の犠牲者とみなして放免する…。
ホームズにとって重要なのは犯人逮捕ではなく、弱者に救いの手を差し伸べることなのだ...と。

そして何よりもホームズ役のワシーリー・リヴァーノフとワトソン役のヴィターリー・ソローミンは個人的にも大変親しい友人となったことは重要だ。後に2人が舞台の演出や監督として協力した時代もあり、リヴァーノフが書いた戯曲(元は小説)をソローミンが舞台で演じたりもしたという。さらにハドソン夫人役のリナ・ゼリョーナヤはリヴァーノフの少年時代からの知り合いという...。だからこそ解説の西周成氏も指摘しているように、ロシア版ホームズたちの集うベーカー街221Bには何とも言えない暖かく家庭的な雰囲気が漂っているのだろう。

なお本作のほとんどはレニングラード(現サンクトペテルブルグ)とその近郊でロケ撮影されている。その解説の一部は初回限定版DVDの特典映像に紹介されているが、そうした視点でも楽しめるロシア版「シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険」である。
それはそれとして、作品自体の価値とは関係ないが、発売元のアルトアーツ社が作るパッケージデザインはどうしてこうも素人臭いのだろうか(笑)。なお現時点で当該「シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険」は通常版のみ販売されているようだ。


 


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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員