ライターへの道を振り返る

日本で個人用コンピュータをパーソナルコンピュータではなく "マイコン" と読んでいた時代にいくつかのマイコン雑誌が登場した。最初に目に付いた雑誌としては「I/O」「RAM」「マイコン」といった月刊誌であり、その後に「アスキー」が市場をリードしていく。今回はマイコン雑誌に記事を投稿し始めたきっかけと当時の様子をご紹介したい。


先日仕事関係でお会いした若い方に「中学生時代からMac雑誌に載っている松田さんの記事を読んでました」と言われて驚いたと同時に感無量だったが、ライターになったきっかけを聞かれたことでもあり、思い出しついでに以下書き出すことにした…。

結婚した翌月だった1977年の12月、富士通のFACOM L Kit-8というワンボードマイコンを秋葉原で電源を含め10万円で購入したのがそもそも私がこの世界に足を突っ込んだきっかけだった。本来そうした製品は一般に販売されるものというより技術者たちの評価用として市場に登場したわけだが、時代は私のように何の予備知識もない人たちが手にするようにもなっていた。

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※ 机上の一式が富士通 FACOM L Kit-8 。キーボードや増設RAMボードなどを拡張した1978年春頃に撮影


しかし系統立てて学んだ人はともかく私のように興味だけでマイコンを手にしただけの人間は当然のことながら簡単に使いこなせるはずはない。基礎から学びたいと思っても現在のように日本語で読める様々な教則本があるわけでもないしネットで検索できる環境もなかったから、試行錯誤と僅かな情報に飛びつくしかなかった。

その貴重な情報源のひとつが1976年10月から発行されていた「I/O」という月刊誌だった。ただし私が同誌の存在を知り、毎月本屋で購入するようになった1978年には工学社の発行だったが、創刊時は出版人が星正明氏、編集人は当時大学生だった西和彦氏、その他郡司明郎氏、塚本慶一郎氏、吉崎武氏らと後にきら星のように大活躍する人たちが参画していた。そんな「I/O」だったが1977年5月には方針に関する意見対立から西和彦氏らが退社しアスキー出版を創業して同年6月には「月刊アスキー」が創刊された。

記憶している範囲では「I/O」「RAM」「月刊マイコン」そして「月刊アスキー」とすべての月刊誌を購読してそれこそ隅から隅まで目を通した。
それぞれ特色があったが「I/O」が一番投稿雑誌の色合いが深かったこと、そしてその編集方針が取っつきやすく映ったからだろう…大した内容ではなかったものの L Kit-8に関して自身の覚えたことなどを編集部に投稿するようになった…。
その動機を今風にいうなら「情報の共有」を望んだからだ。とにかく情報がないわけで、自分もそうした雑誌から役立つ情報を得、そこから生まれたなにがしかの成果はフィードバックすべきではないかと考えたのだ…。

勿論投稿した原稿全てが雑誌に採用されるはずもないことは承知していたが、意外なことにすぐ数編の原稿が採用されたときには純粋に嬉しかった。
残っている資料を確認する限り「I/O」誌への最初の掲載原稿は「L Kit-8でBASICを」という内容だった。1978年春に登場した4K BASICを走らせたレポートである。

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※「I/O」に載った「L Kit-8でBASICを」の投稿の一部 (1978年)


その上驚いたことにいただく原稿料は当時としては十分な額であり「これは小遣い稼ぎになる」と思った。とはいえ当時L kit-8でBASICを走らせるためにメモリボードやインタフェースボード、さらにフルキーボード等のハードウェアオプションを購入しなければならず、それには20数万円もかかったわけだから決して元が取れるものではなかった(笑)。

そんなわけで自己満足を味わえるだけでなく原稿料が入ることに味をしめた私は「I/O」「RAM」「月刊マイコン」に投稿を継続的に始めたが、それがライターのきっかけといえばきっかけであり、私のマイコン/パソコン雑誌のライター歴は実に37年にもなり、この業界でのライターの先駆けとなった…。
とはいえ日本語ワープロが使える時代ではなかったから、原稿は手書きでありそれを封書に入れて郵送しなければならなかったし、記憶が間違っていなければ最初期の原稿料は現金書留で送られてきたはずだ(笑)。

「L Kit-8でBASICを」の他「I/O」誌へはBASICで書いた「家計簿プログラム」、ミニアンプをPET 2001に接続して「PETの芸術的(?)使用法」「宛名プリント・プログラム」、また「マイコン」誌へはL kit-8用の自作ケースを紹介した「ホームコンピュータのふんいきを!」などが記録に残っている。

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※「I/O」に載った「家計簿プログラム」、「PETの芸術的(?)使用法」、「宛名プリント・プログラム」(共に一部)


また「月刊アスキー」誌へは同誌の表紙をTシャツにプリントした投稿やマイコン・ウィドウの話題に乗じて記事を投稿し掲載していただいたことがある。

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※「マイコン」誌に載ったL kit-8用の自作ケースを紹介した「ホームコンピュータのふんいきを!」(一部)


ただしこの種の投稿は1980年あたりで一端途絶えている。理由はといえばパソコン自体が面白くて原稿など書いている時間がなくなったからだ(笑)。PET2001やCBM3032に専用デュアルフロッピードライブとプリンタを手に入れ、本格的なBASICの勉強を始めたのもこの頃だ。そして1982年には念願のApple II を使いはじめ、本郷のイーエスディラボラトリ社に頻繁に出入りをはじめた。原稿を書くより自身が吸収すべきことが山積みで寝る時間がもったいなく感じた時代である。

1983年にはApple II に関してそれなりの情報を得るようになり、金回りが良かったこともあってビデオ・デジタイザやシンセサイザーなど最新かつ高価なシステムも手に入れ、それを元にイーエスディラボラトリ社発行の「アップルマガジン」誌に原稿を書き始めた。

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※「アップルマガジン」創刊号


ある意味この「アップルマガジン」に関わったことがそれまで単なるアマチュアとしてのお遊びだった原稿書きが出版側から執筆依頼される形になってきたわけで、ライターとしての心構えは必然的に変わっていく。それにApple II 用の最新ハード&ソフトをいち早く手に入れて実戦していたこともあって事情通になっていくが、掲載原稿に関係しての個人的な問い合わせや取材依頼に苦慮し始めたのもこの頃だ…。

1984年1月24日、ご承知のようにMacintoshが発表された。ただし販売開始は4月からで私が買う気になったのはそれから半年ほど経った10月だった。この間意外に空白期間があったように思えるが別途「Macintosh 最初期国内カタログに見るミステリー?」にあるような国内事情もあって販売が遅れたのかも知れない。

ともかく初代Macintoshをイーエスディラボラトリ社から購入したとほぼ同時に同社から「アップルマガジン」の編集長を依頼され1年間役目を果たすことになった。時に「アップルマガジン」のほとんどの原稿を多くのペンネームを使って書いた(笑)。
そうした環境下で得た一番重要なことはその後にさらなる多くの出会いを演出してくれたApple IIあるいはMacintosh仲間たちと出会えたことだ。松木英一さん、立野康一さん、大谷和利さん、そして評論家の紀田順一郎さんなどと直接間接に知り会えたことで人的ネットワークが大きく広がっていく。

1986年7月1日に「MACワールド日本語版」が発刊し、その編集部に度々通うことになり紆余曲折があって翌年の「MACLIFE」誌の発刊につながっていった。その「MACLIFE」には創刊からMacのグラフィック関係を主として多くの記事を書いた。そうしたご縁であるとき編集長の高木利弘さんからの紹介で大手広告代理店と接触を持ったことが2年後の起業に繋がるのだから縁とは奇妙なものだ。

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※「MACLIFE」創刊号


また1987年6月にNEC PC-9801向け、ジャストシステムのグラフィックソフト「花子」のリリースに合わせ単行本執筆依頼を技術評論社からいただき、1989年春には同社から「MacJapan」誌が登場する際には最初から連載を書くことになった。

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※「MacJapan」創刊号


この1989年は自身が起業した年でもあったが、生まれたばかりの会社名などどなたも知るはずもなかったが、MACLIFEやMacJapanに連載を続けていたこと、あるいは「花子」の単行本がベストセラーとなったこともあって会社代表者としてよりライターとしての名前を知っていただいたことがどれほどビジネスに役立ったか知れない…。

さらに1994年4月からは「Mac Fan」誌が刊行されたが、初代編集長の滝口直樹氏に依頼されここでも数々の記事を書かせていただいたし、後年(2000年)には「Macintosh業界発展のために活躍・貢献し、また多くのMacファンに支持された」と評価をいただきMac Fan MVP '99 特別賞を授与された。

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※「Mac Fan」プレ創刊号


こうしたMac雑誌が刊行された当初はまだインターネットは我々の眼前にはなかったから雑誌から最新情報を得るのがユーザーの楽しみでもあった。したがってひとつひとつの記事に対する反応は怖いくらいに凄いときもあった。私の書いたMacのグラフィック関連記事を根拠に当時まだまだ高価だったMacのフルシステムを導入したという個人やデザイナー、企業が多々あったし、そうした情報を元に起業された人たちも出始めた...。
ライター冥利につきる反面、その責任の重さに緊張したものだ。しかし反面目立つということは反感を買うことでもある事を知る。

なぜならある編集部に立ち寄ったとき編集長との雑談の後「念のためですがこんなアンケート葉書への書き込みがあったのでお知らせしときます」といわれ、見せられた1枚の葉書があった。その「今月号でお気に入りの記事は?」との回答覧にはわざわざ「松田の記事以外の全部」とあった(笑)。
要は私の記事だけがお気に召さなかったということになる。その1枚のアンケート葉書から当人がどのような人でこれまでお会いしたことがあるのかないのか…などは分かりようもなかったが、多くの方に好感をもっていただくことは反面理由が不明ながら反感も買う事もあるのだと心したものだ。

しかし振り返って見るにご紹介した1970年代後半から1990年代後半までの約20年間は実に面白かった。3Dアプリケーションとして知られている「Shade」のMac版レビューを最初に書いたのも私だったし、グラフィック特集で1人で20数ページを書くはめになったこともあったが、こうした雑誌に書いた記事が多くのMacユーザーはもとより企業や出版社の方々の目に止まり、そこからまた新しい依頼事が舞い込むという連鎖反応が続いた時代だった。

あるとき、いつものようにとある編集部より新製品の評価記事を頼まれた。1冊の月刊誌に毎号いくつかのハード・ソフトの新製品紹介を兼ねて数人のライターが得意分野に筆を振るっていたわけだが、当該記事を参考にして読者は製品の選択をしたり、買う買わないといった決断をしていたわけで我々ライターも重い責任を課されていたといえる。
しかし原稿料をいただいて依頼された製品レピューを書くというのはなかなか簡単ではない。誉めればよいというわけでもないし、事実誉めるに値しないものを過大評価して良品として紹介することをやってはライターの存在意義にかかわるが、あるとき酷評の原稿を編集部に持ち込んだ…。

私はその製品に5段階評価の2をつけ、表現の仕方に気を付けつつ購入は勧めない旨を臭わせた。ところが編集部からはクレームが入った(笑)。要は新製品レビューにセレクトした同誌編集部としては最悪でも評価3でなければメーカーとの付き合い上まずいというのだ。そのページで取り上げること自体、編集部が市場にとって意義のある製品だと評価したことになるし、何とか再度よい評価を与えられるように書き直してくれという…。

世渡りが旨くない男だと自分でも思うが、私はその依頼を断り他のライターに書かせてくれとその場を去ったことがある。さらには自身が起業しアップルジャパンのデベロッパーとして様々なメーカーや同業者の方々にお会いする機会が増えたこともあって私はライター業をフェードアウトすることにした。
他のライター方はどのように評価するかは分からないが、この狭い業界内において最先端の情報を私なりに届けたいと努力をしてきたつもりだ。そして当然のこととはいえ持ち込まれる依頼の多くは同業者あるいはコンペチターの扱う製品だったからだ。

勿論優れたハード・ソフトも多々存在したが中にはどうしようもない製品もあったし、サポートもサービスも酷い会社も存在した。それをそのまま書けば記事として採用されないし、扱い業者や当該企業から営業妨害だとクレームがくるに違いない。とはいえ嘘を書いて読者を騙すなどは以ての外だった。その狭間にあって苦悩した結果私は書籍は別として当たり障りのない内容の依頼原稿しか書かないことに決めた。
そんな関係で時間的余裕があった時期にはこの業界とは無縁のクラシックギター月刊誌「現代ギター」にパソコンの話しを連載するなどしたが、それはある種のライター廃業宣言だったのである。

当該ブログにおいても新製品情報やレビューを載せているが、ニュースは別にしてレビューやレポートは実際に私が手にした正直な感想をお届けしているつもりだ。また時に販売店やメーカーさんからレビュー依頼もいただくが、自身にとって意味のない製品はお断りしているし、自身の懐から出した金で買っている製品に関しての評価は遠慮することもないので気が楽だ。

ただし内緒の話だが、当該研究所にはレポートやレビューに至らない製品もまた多々あることもご理解いただければと願う…。
大人の事情で酷評できないものは取り上げないで済むのが自身が主宰しているブログの一番の利点なのだ(笑)。


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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員