ラテ飼育格闘日記(302)

ワンコを飼うということは、覚悟はしていたものの実に大変でもある。朝夕の散歩は勿論、清潔や健康を保つためのケア、そして朝夕2度の食事の世話などなどだが、それでも体調が良く無元気ならそんなに手もかからないのが普通だが、ワンコも人間同様風邪もひくし病気にもなる。そうなれば医療費もばかにならないが、それでもワンコが与えてくれる幸せ感は半端ではないのだ…。                                                                           

ラテの笑顔を見ながらオトーサンは常々考える…。なぜワンコを飼うこと、ワンコと一緒に生活することがこれほど楽しく嬉しいことなのか…と。
手はかかるし時間もそれなりに取られる、第一生き物だからして病気や怪我もするし寿命もある。
無論ペットはすべてそれを愛でる人にとっては可愛いし、特別な存在に違いない。しかしオトーサンは子供の頃、親が猫を二匹飼っていたので猫の可愛らしさや愛しさも知っているものの、やはりワンコは「人類最古の友」といわれるだけあって単に飼い主とペットという関係を飛び越えたものが感じられる。

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※機嫌の良いときの表情です


オトーサンは何故こんなにもワンコが魅力的なのか、ラテが愛しいかを考え続けている。まあ...あまり好きな言葉ではないが、一言で言うなら…またいま風の2言い回しなら、それは絆を感じることができるからだ。一緒の空間を共に気遣い合って生きていけるといった感じか…。
ラテとオトーサンは体型やデザインは違うものの、相手がどう感じているかを敏感に察することが出来る。ワンコの身体は人間と同じではないが、例えば前足は私達の両腕だし、口は私達の手と考えれば違和感はない。走ればどうあがいてもオトーサンはラテに敵わないが、一緒に散歩しているときにはラテは上手にオトーサンたちと歩調を合わせて歩く。

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※足の回転数は違うが観察していると不思議に歩調が合っているときがある。このとき暫くの間、ラテの前足と女房の足の左右交互がシンクロしていたのだった


それにそもそも我々人間もワンコも社会的動物である。しかしワンコ以外にも社会的な動物はいるが我々は通常ミアキャットやビーバーたちと絆を結ぼうとは思わない(笑)。
「犬から見た世界」の著者アレクサンドラ・ホロウィッツによれば、ワンコが我々にとって他の社会的動物と異なるのは「接触」「挨拶の儀式」そして「タイミング」という3つの行動手段によるらしい。

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※アレクサンドラ・ホロウィッツ著/竹内和世訳「犬から見た世界~その目で耳で鼻で感じていること」(株)白揚社刊表紙


まず「接触」いわゆるタッチだが、動物の感触は単純な皮膚感覚を超える大きな意味を持っている。ワンコと触れたいという気持ちは我々人間だけでなくワンコもそうした接触への衝動を生来のものとして持っている。生まれたばかりの幼犬はオッパイを求めて母犬の乳房に引き寄せられ、兄妹同士や仲間同士との身体の接触を好む。無論触覚は主観的なものだから触れる…撫でられるにしても嫌いな相手であれば嫌悪の感情を伴うことは人間とこれまた同じだ。

ワンコも個体差が大きく触れられたくない部分もあるものの、総じて飼い主や自分を好いてくれる人間たちからタッチされることを好むことはご承知のとおりだ。事実飼い主らに撫でられるとワンコは血圧が下がり精神的に安定するという。そして面白いことに撫でている我々人間側もその感触を楽しむだけでなくその感触は精神の安定に寄与してくれるのだ。
ラテがその鼻先でオトーサンを突いたり、指で挟んだ小さなオヤツを上手に前歯で噛もうとするとき、あるいは抱っこを要求しオトーサンの胸とラテの腹がピッタリと合うときの接触の心地さは格別のものである。

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※オトーサンに抱かれているとき、ラテは何を考えているのだろうか?


2番目の「挨拶の儀式」も大事だ。我々人間の間の挨拶も儀式化されているが、お互い相手の目を見て手を握り合い、相手によっては抱き合う…。オトーサンはアメリカのホテルでエレベータに乗ったとき、あらためて感じたが挨拶は「私は無害です。私はあなたに危害を加えません」という儀式なのだということを強く感じた。
日本ではあまりそうした経験はないが、アメリカではエレベータに一緒に乗り合わしたとき、知らない同士が微少を交わしたり軽い挨拶をし合うシーンによく出くわす。
日本人が挨拶のために頭を下げるのも自分の頭と首を相手に見せ、いわゆる無防備状態にして敵意は持っていないことを知らしめる行為と見ることもできる。
ラテはオトーサンに対しては滅多にしないが、女房や友達ワンコのオカーサンやオトーサンには抱きつき、顔を舐める。ラテは自身が相手の人間を認めているという事実を全身で表そうとしているに違いない。

3つ目の「タイミング」も人間とワンコとの絆を独特のものにしている要素である。
よくよく考えてみるまでもないが、我々はいつもかなり相手との距離を上手に取りながらもうまく歩調を合わせて行動しているのだ。
訓練結果および信頼関係からくることなのだろうが、ワンコは総じて我々人間に協力的である。一緒に狩りをするといったことでなくとも散歩道を連れ添って歩くとき、ラテは実にオトーサンたちと歩調を合わせて歩く。無論体調および機嫌がよいとき、そして外的ノイズが入らないときという条件はあるが…。

呼吸する回数や心臓の鼓動も特別なときを除けばラテとオトーサンは極端に変わらないだろうし、散歩中オトーサンにアイコンタクトを繰り返すだけでなく、例えば女房が一緒のときには後ろからついてくるかを時々確認するために振り向いたりもする。女房の歩みが遅かったり木々の影に隠れた見えない場合、ラテはその場に座り込み女房の姿が見えるまで待つ。
要するにワンコと人間は一緒に散歩し一緒に遊び、ある範囲内ではあるもののお互いを理解しつつタイミングを推し量り、一緒に生活しているのである。それに物の本によれば人間のアクビが移るのはチンパンジーとワンコだけだという。それだけワンコは人間世界の感覚の中で生きている。

オトーサンがふざけて…遊びでら手の身体を叩いたり押したりするとラテも目をランランと光らせ口を開けて耳を後ろに弾きながらオトーサンに身体を押しつける。無論それはラテも遊んでいるのだ。
人間が日常生活の中で他の種とコミュニケーションが図れていると感じるときほど幸せを感じるときはない。まさしくワンコは人間のよき相棒なのである。

【主な参考資料】
・アレクサンドラ・ホロウィッツ著/竹内和世訳「犬から見た世界~その目で耳で鼻で感じていること」(株)白揚社刊
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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員