ルルドの奇跡〜聖ベルナデット死後の物語

過日は無学で貧しい少女ベルナデット・スビルーとルルドにまつわる奇跡を描いた映画、20世紀フォックスが1943年制作の「聖処女(The Song of Bernadette)」をご紹介した。今回はそのときにお約束したとおり続編をお届けしてみたいと思う。なぜなら彼女の物語は死して終わらなかったからだ…。


1879年4月16日、結核のため35歳で死去した彼女の遺体は鉛とオーク材で作られた二重の棺に納められ、その棺は証人同席のもとに封印された。そして修道院の中庭にある聖ヨセフ小聖堂の地下墓地に安置されることになった。

ただしベルナデットは死後も注目を浴び続ける...。なぜなら彼女が自らの手で掘ったルルドの泉が多くの人たちの病気や怪我を治癒させるという事実が重なったことに加え、彼女の聖性等の調査のため法律と教会法に従って1909年の秋を皮切りに3度の遺体鑑定が行われ棺が開けられた。そして1933年12月8日には列聖に加えられたからだ…。
要するにベルナデットは聖人となったのである。

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※1860年代に撮られた修道女になってからのベルナデット・スビルー。残された写真の中で最も好きな1枚だが、オリジナルプリントを購入したもので元写真は約21.5 x 15 cmのサイズ


それら一連の行為は公文書に記録されているというが、1度目に棺を開いたとき完全な状態で保存されているベルナデットの遺体が現れた。腐臭はまったく感じられなかったという。
ただし遺体全体につやがなく、かさかさで硬直してたもののすべての部分はまるで生きているかのような印象を与えた。修道女たちは遺体を洗い、決められた手順に従って白い絹がはられた新しい棺に納めた。

死後30年経った遺体が完全に保存されていたそのことを単純に "奇跡" と呼び "聖人の遺体は腐敗しない" と名言するには抵抗あるが、あり得ることとはいえやはり特異なことには間違いない。なぜなら地下墓地の湿気でベルナデットが持っていたロザリオは錆び付き、十字架は緑青のためか大きく変色し修道服まで湿気を帯びていたというから、肉体を腐敗させる要因は十分にあり得た環境だった。

その後、 1919年4月と1925年4月に計3度目の遺体鑑定が行われた。その3度目の儀式はベルナデットの死後46年と2日後にあたる...。
立ち会った医師の報告によれば、骨格、腱膜、靭帯、皮膚が完全に保存されていたこと。特に死後46年も経過している肝臓が普通の状態といってもよいままに保存されていたことに驚愕する…。ただし3度の遺体鑑定のためとはいえ棺が開けられたことから遺体の一部が傷つき皮膚が黒ずんできたため、修道女たちはベルナデットの遺体に新しい修道服を着せると共に、顔と組み合わされた両手の型がとられ、薄く精巧な蝋のマスクが被せられ現在に至っている。

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※ヌヴェールのサン・ジルダール修道院の大聖堂にガラスの棺に納められているベルナデットの遺体


ベルナデットの遺体は現在もヌヴェールのサン・ジルダール修道院の大聖堂にガラスの棺に納められており、参詣者はその姿に接することができる。そして繰り返すが1933年12月8日、ベルナデットは教皇ピオ11世によって列聖に加えられた。とはいえそれらのことはベルナデット自身が望んだことではなかった。

ベルナデットは聖母に愛されたゆえに残りの短い一生を孤独に生きなければならなかったし事実彼女は黙々と生き、黙々と死んだだけだ...。
「なぜおまえなんかが聖母を見たのか、なぜ自分ではないのか」などと罵られることも度々だったという。また修道女となってからも病気がちだったこともあって「役立たずのシスター」と陰口をたたく輩もいた。

信徒でもない私がこの種の話しに最初に興味を持った点は、聖母出現といった奇跡を疑うよりももっと根本的な点においてこの種の話しに不自然さを感じたからだ。
それは…もし聖母マリアが本当に現れたとして、何故小さな地方都市に貧しくも慎ましやかに生活している、それも無学な少女の前に出現するのだろうかという点だった。他にも少女たちの眼前に聖母マリアが出現したという話しは珍しくなく、ファチィマの聖母の例は特に有名だ。まあ、夢見がちな思春期の少女たち特有のことだと主張する人たちも多いだろうが…。

そのファチィマの聖母だが、それは1917年5月13日、ポルトガルの小さな町ファティマの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れて毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言ったという。そして聖母は教皇への要望を訴えた...。
繰り返すが信徒でもない罰当たりのオヤジが "いちゃもん" をつける訳ではないものの、聖母マリアが教皇へメッセージを伝えたいのであれば何故バチカンの教皇自身の眼前に素直に出現しないのか? わざわざ田舎町の子供たちの前に現れ、大騒ぎを起こす意図はどこにあるのだろうか...と素直に思った(笑)。

いや、理屈は分かっているつもりだ。聖母はこの世の中で一番貧しく無力で純真な少女だからこそ、彼女らを使者としたのだと…。とはいえ確かに子供たちの信仰心は強まるかも知れないが、結局聖母マリアと出会った子供たちは大人たちの懐疑や嫉妬あるいは利害に巻き込まれ波乱の人生を送ることになりがちなのだから…。聖母マリアも罪なことをするなあ…と考えたのだ。とはいえ「信仰とは、信じることと見ることの間にあるものなのだ」とはシルヴィ・バルネイ著「マリアの出現」(せりか書房刊)にある言葉だ。

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※シルヴィ・バルネイ著/近藤真理訳「マリアの出現」(せりか書房刊)


...ただし少女ベルナデット・スビルーの場合は私なりに書籍をはじめ幾多の情報を得た限り、少なくとも彼女自身や両親らに聖母出現を政治的・経済的に利用しようとか、有名になりたいといった野心や意図はまったくなかったと信じられる点に心を引かれた。
ベルナデットが当初、自分の前に出現した人を「あれ」とか「貴婦人」と称し、聖母マリアとは語っていない点も興味深いし、聖母マリアの出現のことを口にすることを嫌がった。

"聖母はたった1人の少女が見ただけだった。それだけだったのに母親が怯え、警察は騒ぎ、ジャーナリズムが揶揄し、司祭が当惑し、市長が夢見、病者が期待し、人々が興奮し、無数の人の無数の思いが交錯し狂騒となっていく..." (竹下節子著「奇跡の泉ルルドへ」より)。

また彼女の名が知られるようになると贈り物と称して多々届けられる品々があったとされるが貧しくその日の食べ物にも困窮していた家庭であってもそうした心付けを受け取らなかった。さらにお金を握らせようとする人たちもいたが、彼女は投げ返したという。そして後年兄妹たちが正業につかず、ルルドの泉で記念品販売をはじめ、ルルドの巡礼者相手のアルバイトなどをしていたことを嘆き、いつも諫めていた…。

ただしベルナデットにとって幸か不幸か、彼女がルルドの洞窟の地面を両手で掘って湧いて出た水たまりは多くの残された資料と証言があるとおり、ルルドの奇跡として知られていく。それらは前回にも記したとおり2,500例にも上る「説明不可能の治癒」と記録されている事象からカトリック教会が慎重に調査した結果 "奇跡" と認められたのが65例だとはいえ、これまたそれらの事実はベルナデットの意志ではない。ベルナデットは聖女扱いされるのを嫌がった。

そういえば…そもそもマリア信仰...マリア崇拝はカトリック独特のことだとはいえおかしなことだ。キリスト教は当然のことながら救世主イエスへの信仰を意味するはずだ。その拠り所となる聖書にも母なるマリアが崇拝の対象となるようなエピソードなどないも等しく、せいぜい処女受胎の話しくらいではないか…。
勿論ベルナデット・スビルーはカトリックに属するからこその話しとなるが、プロテスタントでは基本的にマリア信仰は認めていないという。そう聖人の存在も ^^;

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※わが家のマリア像。中学3年の頃、デッサンの練習用にと買った小ぶりな石膏像。一部塗り直したりしながらもいまだにわが家に置かれている


ともかくカトリックでは神の子の母というそのことが「マリアという女性は神性な存在」と見なされるようになったと思われるが、単純な感想としてベルナデット・スビルーに限らず、多くの人たちの眼前に出現したというのがなぜにイエスではなくマリアなのかという点は興味深い。

まあ、イエスはただ一人の神の子であり救い主であるからして我々凡夫には近づきがたいことは確かだ。原罪を持つといわれる我々はイエス・キリストに直接あれやこれやと哀願することは恐れ多いが、母親のマリアならより親近感をもって近づくことができるし…女性の優しさをもって些細なことでも聴いてくれるのでは…といった心理が働いているのかも知れない。

ところで、私の手元にその聖ベルナデット・スビルーに関連した品がある。若い時代に1度手に入れたが紛失し、これは後に再度手に入れたものだが、それはベルナデットの姿が彫られているメダイである。
もともとはブロンズに銀メッキされていたもので、前記したように1933年12月8日、ベルナデットがローマで列聖とされた時期にフランスで製作された数種のもののひとつだと思われる。

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※筆者所有の聖ベルナデット・スビルーを象ったメダイの表裏


サイズは直径 16.35 ミリほどの小さなものだが、表面には修道女姿のベルナデット・スビルーが彫られている。これは残されている彼女の写真のひとつから取った姿に違いない。そして裏面にはルルドにおける聖母出現のシーンが刻まれている。なお表面の縁にある "Sainte Bernadette, priez pour nous." の文字は「聖ベルナデットよ、我らのために祈りたまえ。」という意味だという。

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※メダイは一円玉より小さい


さらにこのメダイだが、表裏をスライドさせて “ずらす” と裏面の内側にベルナデットの聖遺物として極小の布片が封入されている...。この布は聖人に列せられたベルナデットの聖遺物(遺体)に触れた布を裁断したものとされている。勿論、この布の切れ端が本物であるかどうかを知り得る手段は私にはないし、ベルナデットにしてみれば至極迷惑な話に違いない(笑)。

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※メダイの表裏を “ずらす” と裏面の内側にベルナデットの聖遺物が封入されている


なぜなら…こんな逸話が残っている。前記したようにベルナデットにとって一番辛かったのは聖女の扱いを受けることだった…。ひっきりなしに訪れる人たちはベルナデットに触ってもらおうとロザリオなどを持参して彼女に願った…。しかしベルナデットは「そういうことは禁じられています」と断るのが常だったが、訪問者も何とか触れてもらうためにと卑劣なことまでやった。それはロザリオをベルナデットの前でわざと落として拾わせようとしたという。

「拾って欲しい」と言われたベルナデットは「落としたのは私ではありません」と突っぱねた。またある時には後ろから近づいてきた女性が「彼女のスカートの端でも、ほんの少しでいいから切ることができないかしら」といった。それを聞いたベルナデットは「みんな、なんておばかさんなのでしょうね」と言ったそうである。したがって彼女の聖遺物をお守りとして大事に持っている私をベルナデットは軽蔑するかも知れない…(笑)。

ともあれ彼女に関して伝えられていることの多くも後から周囲の人たちが取り繕った話しが多く、彼女自身は奇跡やらの話題には興味がなかったようだし存命中に広まった噂の多くについても否定している。
例えば自身が右膝結核性関節腫瘍で悩まされ病弱だったが、周囲の人たちに「ルルドの泉に行けば直るかもしれない」と言われたときも「(自分には)効果はないから」と耳を貸さなかった。

ということで、カトリックの聖人はそれこそ膨大にいるようだし古い時代の人物には民間信仰も加わり実在しない聖人もいるという。そうしたことを踏まえると明治12年に亡くなったベルナデット・スビルーは写真に撮られた最初の聖人でもありとても身近に感じるし、ルルドの泉の存在と共に忘れがたい女性なのだ。

【主な参考資料】
・竹下節子著「奇跡の泉ルルドへ」NTT出版刊
・小林珍雄著「聖ベルナデット」エンデルレ書店刊
・ルネ・ローランタン著「ベルナデッタ」ドン・ボスコ社刊
・安藤敬子訳「ベルナデッタ 魂の日記」ドン・ボスコ社刊
・シルヴィ・バルネイ著/近藤真理訳「マリアの出現」せりか書房刊


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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員