ビジネス回想録〜ソフトウェア流通に苦慮した思い出

1989年から2003年まで、自社開発のMac用アブリーション販売を行ってきたが現在の流通システムと比べて何とも壁が多かった時代を振り返って見たい。2010年10月にApp Storeが発表された折「スペシャルイベントで発表の「Mac App Store」は世界を変える!?」をご紹介したが、今回は当時のソフトウェア販売に苦慮した思い出としてもう少し問題点を掘り下げてみたい。


Macに限ってだがそのアプリケーションの大半はご存じの通りApp Storeからのダウンロード販売が浸透している。無論いくつかのソフトウェア...特に高額な製品や特別なサポートを必要とするものはメーカーの直販という形でビジネスが成り立っているケースも多い。それでもパッケージ販売よりダウンロード販売が主流か…。

今回はソフトウェアを自社開発し、そのパッケージを10年以上販売してきたその昔話を聞いていただこうと思う...。無論時代が違うし社会の価値観も、そしてユーザーの数もまったく今とは比較にならないほど違っているから現在のビジネスに役に立つ内容ではあり得ないが、まあ話しのネタにはなるかも知れない(笑)。

さて25年前ほどになるが、当時ソフトウェアを市場に流通させる現実的な方法はひとつしかなかったといって良いだろう。それはいわゆるメーカーとショップを取り持つ卸売業者というべき企業に口座を開き売り込むことだ。現在ではすでに無くなってしまった企業も多いが、ソフトウェアジャパン、カテナ、ソフトバンク、コンピュータウェーブといった物流専門の会社にパッケージを大量に販売することで秋葉原のパソコンショップを代表とする全国のパソコンショップ店頭に並べてもらい、顧客の目に触れることが可能となった。

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※私の会社が当時販売していたMac用アプリケーション・パッケージ(一部)


1990年代初頭と言えば我々の前にインターネットはなかったから開発元がパッケージをネットで直販はもとより、エンドユーザーに直接販売する手段も整っていなかった。例えば私の会社はショップを兼ねていたわけでもないからたまたま電話やFAXなどで学校や企業から注文が舞い込むことはあってもそれは希なことだったのである。それは近隣にパソコンショップがないためにソフトウェアを手に入れられない顧客に便を図るため、やむを得ず直販するという形だった。

事実流通会社に販売するメリットは大きいものがあった。繰り返すがソフトウェアジャパンとかコンピュータウェーブといった会社に納入できれば、それは全国のパソコンショップに当該製品が置かれることを意味していたからだ。何十人もの営業マンを抱え、経費の出費をいとわず全国を渡り歩くことができれば話しは別だが、現実には流通各社に取り扱ってもらうのが一番の方法だった。堂々と直販できたのはMacworld Expoのブース内くらいだったのである。

しかしどのような商売でも物を売り込むことは至難の業であり、杓子定規にかまえていては流通各社に口座を設けてもらい、販売契約するまでに頓挫してしまう...。
それは卸売価格の取り決め、返品や交換といった基本取引に関係する条件、注文時の最小ロットなどといった基本的なことをクリアしなければならないことを意味した。それをクリアしたとしても新しく開発したソフトウェアを取り扱ってくれるかについては別問題でもあった。

そのための営業努力、すなわち製品の魅力や市場における必然性といった情報を流通各社の担当者たちにプレゼンし、私たちの開発したパッケージソフトが全国販売に値する製品であることを理解してもらう必要があった。彼らにしても売れるであろう商品は喜んで買ってくれる理屈だった。とはいえ流通会社の仕入担当者たちが最新のコンピュータテクノロジーのあれこれやその意味するところについて我々以上に知っているはずもなかったから、どうしても是非の判断は情緒的なものや価格がらみになりがちだ。
結果1年もかけて開発した新しいアプリケーションもとある流通会社では販売に値しないと取扱を拒否されることだってあり得た…。

そんなことでは企業として成り立たないからと開発がスタートする時点、途中経過、そしてβ版といった節々で担当者らに面会を求めてソフトウェア製品の売り込みを行うことになる。時には販売するために流通各社の希望をソフトウェアの機能に反映させることもあり得た。
まあ、いまだから言えるがどの世界でも売り込みは大変だし、買う方は時に尊大で無理難題をふっかけてくることもあった...。

例えば、流通過程で汚れたり壊れたパッケージは無償で取り替えるにしても私の会社では売れ残ったパッケージの返品は受けない契約を取り交わした。しかしそれを承知で堂々と返品を迫ってくる流通各社もあった(笑)。その上、後になって契約を返品可に変更しろと迫る…。
また当初注文を受ける最小ロット数を決め、それならと特別割引価格を提示したにもかかわらず、後には小さなパソコンショップからの直接注文かと思うほど極端な...ときには数本のオーダーが舞い込むようにもなった。しかし価格はそのままだと念を押される...。

なによりも繰り返すが力関係が歴然としていることでもあり、とある会社の担当者など対等にビジネスを語る姿勢などまったくなく、上から目線でしかない態度を取る輩もいた。
まあ、商社のサラリーマン時代に大手のバイヤーたちと仕事上の付き合いをしたが、ほとんどが嫌な奴ばかりだった(笑)。買う側の目線でしか物事を見ていないし、そもそも話し合いなどするつもりはなく一方的な押しつけで事を運ぼうとする輩だった。勿論それは担当者個人の問題だけでなく会社そのものがそうした意志でビジネスをしているわけだ。

それでも流通各社の極一部ではあったがビジネスはビジネスとして我々の話しをきちんと聞いてくれる担当者もいて、そうした人たちには札幌でのプライベートショーなどの催事に招待し、我々の仕事ぶりを直に見ていただく努力をしたものだ。とはいえこの種の苦労話は実際に経験したことのない者には実感としてわかり得ないものらしい。

私の会社では良くも悪くも営業を担当する人材は社長である私1人だったこともあり、こうした苦労のあれこれを社員らと共有する機会もなかったし話せば愚痴になるからと話題にしたことはほとんどない。それだけに理屈では分かったつもりでいただろうが、ソフトウェアはパッケージ化すれば間違いなく売れると勘違いするようなスタッフもいた(笑)。

パッケージ販売といえば、そうした販売面での苦労以前に製品を形にするための努力も重要だった。ソフトウェアといってもフロッピーディスクや後にCDといったメディアに書き込み、印刷製本したマニュアルと共に箱形のパッケージに収め、シュリンクすることが不可欠だった。
起業したての頃はフロッピーへの書込は勿論、パッケージに梱包するのも自社でやった時代があった。パッケージの数が知れていたからだ。しかし販売数が増えてくると見栄えは勿論だが間に合わなくなってきた。

幸い当初から超マイクロ企業の我々に親身になってお付き合いいただいたパッケージ業者のおかげで少しずつその会社にお任せするようになっていった。
要するにデザイナーが作ってくれた版下やDTPで作ったマニュアル原稿といったものを渡すだけで、ソフトウェアのフロッピーディスケットへのコピーからディスクラベルの印刷と貼り込み、マニュアルの印刷、外箱の製作およびパッケージ化に至る製品化の全工程をお願いできるようになった。

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※ソフトウェアパッケージの中身はこんな感じだった。フロッピーディスク(後にCD-ROM)、マニュアルそしてユーザー登録はがきが収納されていた


当初はコスト削減も含めて市販されていた樹脂製のゲーム用パッケージを採用していた。我々にとってはこれで十分だと考えていたが流通各社からは「このサイズではショップ店頭で目立たない」とか「ボリューム感にかける」といった指摘があり、やむなく紙製でサイズも他社に引けを取らないオリジナルパッケージを採用する。しかし当然ながら製作コストはかなり高くつくようになった。無論パッケージを大きくしたからといって販売数がみるみる増えることもなかった(笑)。

また業者に依頼することを考えるなら初期ロットを千個以上作らないと単品当たりのコストが高くなる試算となる。そして例えばひとつのソフトを1年間かけて開発商品化するには当然のことながらプログラマの給与や報酬、製品名の商標登録費用、パッケージデザイン費用、カタログの製作および前記したパッケージ業者への支払といった直接経費は勿論、様々な間接経費がかかってくる。これらを合わせると超マイクロ企業にとっては不用意に持ち出せる額ではなく、製品化は簡単ではなくなってくる。ましてや開発スケジュールが数ヶ月遅れれば資金繰りも大きく狂ってくるものの、これまた会社維持の資金は社長がどこからか自然調達してくるものだと思っているスタッフもいた。まあ確かにそれも仕事の内なのだが…(笑)。

ともあれアプリケーションの開発自体はともかくとして、流通の問題を何とか合理化する方法はないかと苦慮していたときNIFTY-Serveのフォーラムのシスオペをしていた私にとびきりのニュースが舞い込んできた。
それはフォーラムの中でソフトウェアのダウンロード販売をしたいという話しだった。まだ企業それぞれが現在のようにホームページを持って販売サイトを運営したり、楽天やらといったショッピングモールもなかった時代だった。ちなみに楽天は1997年創業である。

そのNIFTY-Serveにしても問題は山積みだった。確かに売上げ額の取りっぱぐれはないしサポートもフォーラムすなわちパソコン通信でやればよい。しかし匿名で運営してきたNIFTY-Serve上での販売となればユーザーをハンドル名のままで良いのか、シリアルナンバーはどう管理運営するのかといった問題もあった。またパソコン通信のスピードは現在のスピードとは桁違いに遅い時代だったからアプリケーションのサイズも機能豊富だからといっても極力小さくなければダウンロードしてくれなかった。

ということで取り急ぎ3種類のダウンロード販売用の小さなアプリケーションを新規に用意してことに挑んだのであった。思えば見切り発車的なスタートではあったがNIFTY-Serveでのソフトウェア・ダウンロード販売開始は私の会社が最初となった...。

それでも振り返れば1990年からの数年間はバブリーな時代だったとも言えるし特異な時代だった。パッケージソフトにしても販売価格は50,000円とか30,000円といった値付けができたからそれなりに数が売れれば我々のようなマイクロ企業は十分に維持できたし利益率もものすごく高かった。
さらに創立初期はソフトウェア価格が25万円という製品もあったから、オーダーが5本も来れば冗談に「今月の売上げ目標終わり」と皆で言い合った…(笑)。そしてこの調子でMacintoshの市場が拡大していくなら未来は明るいと希望を持っていたが、世の中は我々の予想より遙かに早く変わっていった。

世相に余裕がなくなっていくのと平行して我々が力を入れてきたいわゆるエンターテインメント系のアプリケーションがガクンと売れなくなった。何しろ前記した流通会社自体が大手商社に吸収されたり倒産したりで、形ばかりだとしても私の会社が債権者として債権者会議に出席するといったそれまで考えもしない出来事も生じた...。

ただしパソコンはソフトウェアがなければただの箱である点は昔も今も変わりはない。しかし多くのユーザーにとってソフトウェアはハードウェアを買えば付いてくる、あるいは無料であるべきだという感覚が浸透しているようで、そのことに危惧せざるを得ない。
まあ「金を払うだけの価値あるものが無い」と言われればそれまでだが、ソフトウェア業界に身を置いてきた1人としては、ソフトウェアの軽視は必ずやユーザー自身に大きなツケが回り回ってくると考えているのだが...。

ともあれApp Storeの存在は販売後のユーザー管理も含めてソフトウェアの販売を容易なものとした。販売価格がパッケージ販売時代とは一桁安いといった値付けになったり、アップルの認証が下りなかったりと問題は山積みだしビジネスとなればお気軽ではいられまい。しかし流通業者の顔色を伺いながらの無益なビジネスを思い出せば良い時代になったのか…とも思う。



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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員