Lisa用マウスとMac用マウス、互換性のミステリー!?

先日、とある方に乞われて久しぶりに Lisaのマウスを持ち出した。そういえばマウスを搭載した最初のパソコンはMacだと思っている人が意外に多いことをあらためて知った。事実 Lisa用マウスは残っている数も少なく貴重品になったことでもあり、Lisa本体にMac用のマウスを添えたビジュアルも多いからか、所以を知らない人はそれがLisa用マウスだと誤解することになる…。


Lisaは失敗作と判断され、不売在庫による税金控除を受けるため、Appleは売れ残ったLisa約2700台を破砕し、ユタ州ローガン市の埋立処分場に埋立処分された。したがって本体はもとよりだが、状態が良いマウスはいまや貴重品となっている。そしてLisaマウスとMacのマウスは互換性があることから LisaにMac用のマウスをつないで使っているケースも多く、そうしたビジュアルが流れることでLisaのマウスもMacのマウスと同じデザインだったと勘違いされることが多くなっているようだ。

MouseStory_01.jpg

※当研究所所有のLisa 2


今回のテーマはそのLisaとMacのマウス開発に関わる話しだ…。LisaやMac本体の開発秘話は多々見聞きできるが、マウスに関しては意外と情報が少ない。少ないだけでなくそれらは何が真実なのかが分からないほど交錯している。
マウスそのものに関しては別途「なぜMouseだったのか? マウスのボタンとシッポの物語」あるいはLisaマウスに関しては「Lisaマウス再考」に詳しいので参照いただきたいが、ほんの少しおさらいさせていただくとマウスそのものは1960年代後半から1970年代にSRI(スタンフォード研究時)のARC(オーグメンテーションリサーチセンター)にいたダグラス・C・エンゲルバートにより発明された…。その試作品はエンゲルバートのスケッチを元にビル・イングリッシュが設計したという。

MouseStory_02.jpg

※ダグラス・C・エンゲルバート、ビル・イングリッシュらによるマウスの試作品


マウスの試作品は木片をくり抜き、移動を感知するのは90度の位置に配置された2枚の金属円板(ホイール)だった。ただしこのマウスはエンゲルバートらにとって様々なポインティングデバイス、コンピュータを操作するインターフェースのひとつに過ぎなかった。そしてマウスという名もその場しのぎの呼び名だったそうで、それが世界中に知られて固有名詞になるとはエンゲルバートは考えもしなかった…。

ポインティングデバイスとしてのマウスは後にゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)でアラン・ケイらによりAltoおよびSmalltalkによる暫定ダイナブックとしてのGUIマシンに採用された。ただしその3ボタンマウスはエンゲルバートがセットとして考えていた鍵盤型デバイスのコードキーセットと一緒に使われた。

MouseStory_03.jpg

※ゼロックス社のAltoに装備された3ボタンマウスとコードキーセット(筆者撮影)


1979年も押し迫る頃、スティーブ・ジョブズはPARCを訪問してそのグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)に驚き「...理性のある人なら、すべてのコンピュータはやがてこうなることがわかるはずだ」と言ったという…。
Altoはゼロックス側の様々な事情で製品化はなされていなかったし、将来もその可能性はほとんどなかったことを知りスティーブ・ジョブズはAppleの次世代マシンはこのAltoのような製品にしたいと考えた。この辺のストーリーは「スティーブ・ジョブズとパロアルト研究所物語」に詳しい。

さて本題だが、Apple におけるマウス開発秘話のいくつかをご紹介しながらその過程を考察してみたい。勿論Appleが Lisaを開発するにあたりマウスをも開発製造するのは初めてだった。その上、念のために申し上げれば1980年初頭すでにスティーブ・ジョブズは Lisaプロジェクトから外されている。ジョブズの様々な口だしにより開発が大きく遅延すると社長のマイク・スコットが判断したためだ。

スティーブ・ジョブズがLisaプロジェクトから外され、ジェフ・ラスキンが少人数で開発を進めていたMacintoshプロジェクトを知ったのは1980年末頃だったようである。したがってジョブズがラスキンを追い出してGUI をサポートしたマシンの開発を進め、そのデザインの概要ができたのは1982年の春頃らしい。そしてMacintoshは1984年1月24日の発表となった。

対してLisaが発表されたのはMacより1年前の1983年1月である。ある意味、MacはスモールLisaであり競合製品でもあったがシステムに互換性はなかった。ただしビル・アトキンソンなどは両方の開発を掛け持ちしていた時期もあり、ジョブズの存在は別にしても情報はある程度共有されていたに違いない。しかしこれからご紹介するLisaとMacのマウス開発にかかわるエピソードは矛盾が多くどうにもしっくりとこないのだ…。

MouseStory_11.jpg

※Lisa用マウス(左)と最初期Macに採用されたマウス(右)。当研究所所有


まずはスティーブ・ジョブズの公式伝記と評されているウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」を見てみよう。そこにマウス開発に関わることが書かれている…。
「...ゼロックスのマウスはボタンが3個用意された複雑なもので1個300ドルもしたうえ、動きがスムーズでなかった。2回目のPARC訪問のわずか数日後、ジョブスはとある工業デザイン事務所を訪れ、その創業者のひとりディーン・ハヴィーに、1個15ドルで作れるボタン1個のシンプルなマウスが欲しい、しかも、机でもブルージーンズでも使えるものが欲しいと語っていた」とある。

個人的にはこの内容にかかわらずウォルター・アイザックソンの伝記は信用できない点も多いが、そもそも工業デザイナーのディーン・ハヴィーという実名を出しながら "とある工業デザイン事務所" と記すなど詰めが甘いではないか(笑)。
ともあれこの記述は "2回目のPARC訪問のわずか数日後" とあることから明らかにLisaのマウスを意味していることになる。

実はディーン・ハヴィー本人の証言が存在する。それはスティーブ・ジョブズのドキュメンタリーDVD「スティーブ・ジョブズ ラスト・メッセージ~天才が遺したもの~」だが、デジフィット代表のディーン・ハヴィー(Digifit/President、Dean Hover)はスティーブ・ジョブズからマウス開発を依頼されたと証言しているのだ。ただし短いインタビューから肝心の時期的なことは読み取れない。

MouseStory_06.jpg

※ドキュメンタリーDVD「スティーブ・ジョブズ ラスト・メッセージ~天才が遺したもの~」


ともかくジョブズが放った条件は「普通の机上で動作するのは勿論、ジーンズの上でも使えるようにすること」「2年間の耐久性」そして「予算は15ドル」という過酷な依頼だった。これらの条件については前記したウォルター・アイザックソンの記述とも矛盾しない。

最初ディーンはスティーブ・ジョブズがイカれてしまったのかと思ったほどそれは突飛で非現実的な依頼だったという。一番の問題はマウスのボールを何で作るかということだった。ディーンは閃いたので薬局に走り、脇の下に使う制汗剤を買う。そのボトルトップに薬剤を滑らかに塗るためにボール状のものが装着されていたからだ。そのボールを外して小型の箱をかぶせ、箱状のマウスの原型を作ったという。無論ボタンは依頼どおりのワンボタンだ...。

さて、ここで問題だ…。ディーン・ハヴィーが言うところのマウスはLisa用のマウスなのか、あるいはMac用のマウスなのか? 無論前記したようにアイザックソンの伝記ではLisa用のマウスだとすでにご紹介した…。
ディーン・ハヴィーの意識が「マウスのボールを何で作るか」に向いた事を考えればボールマウスの先例があったことになる。事実ゼロックスパロアルト研究所 (PARC)のAltoiで使われていた3ボタンマウスには金属製のボールが採用されていた。

混乱のひとつ目だが、前記したドキュメンタリーDVD「スティーブ・ジョブズ ラスト・メッセージ~天才が遺したもの~」のパッケージにはディーン・ハヴィーは「Macコンピュータのオリジナルボールマウスを設計」した人物と紹介されている事だ…。話しの内容からすればLisa用でなければいれないはずだが、Mac用マウスというのは単純な間違いなのだろうか?

エンゲルバートやビル・イングリッシュらが生み出した最初のマウスはこれまた前記したように90度に置かれた2枚のホイールが使われたが、ボールを使った最初の人が誰なのかについてははっきりしないものの、1970年前半にゼロックスパロアルト研究所 (PARC)に移っていたビル・イングリッシュが考え出したという説がある。

また、テイエリー・バーディーニ著「ブートストラップ~人間の知的進化を目指して」によれば、ボールマウスはPARCでロン・ライダーの指示により生まれたとある。ただしアラン・ケイは「マッキントッシュ伝説」(斎藤由多加著)の中で「...トラックボールは長いことありましたから自然にそうなりました。ボールマウスはちょうどトラックボールが逆になったもので、たいしたアイデアではありません」と発言している…。

ということでウォルター・アイザックソンとディーン・ハヴィーの話しを合わせて考えれば、ディーン・ハヴィーが依頼されたマウスはやはりLisa用のマウスでなければならないはずだ。何故ならもしMac用だとすればすでにAltoは勿論 Lisaマウスの情報はジョブズから知らされていたはずでその材質もすでに決まっていたと思われるからだ。今更あらためてMac用のマウスの開発を外部に依頼する必要はないだろう…。
しかし大きく矛盾する別の証言もある。それはポール・クンケル著/大谷和利訳「AppleDesign 日本語版」に載っている話しだ...。

MouseStory_07.jpg

※ポール・クンケル著/大谷和利訳「AppleDesign 日本語版」


それによれば...その頃 Lisaのデザインを担当していたのはビル・ドレッセルハウスというスタンフォードのデザイン課程を学んだ人物だったが、マウスのデザイン概要が決まっていく中で大きな問題はマウスのコストだった。なぜならゼロックス社によるマウスの製造価格は400ドルもしたからだという。いくら Lisaのマウスでもこのコストでは現実的でないとドレッセルハウスらはホベイ=ケリー社のジェームス・ヤーチェンコを呼びメカニズムのコストダウンを依頼する。結果マウスの価格は 1/10 の40ドル以下に押さえることに成功したという…。ちなみにホベイ=ケリー社はApple IIeのケースデザインにも関わっている。

この「AppleDesign 日本語版」による情報はLisa用のマウスに関しての話しだ。またコストダウンも含めての依頼先はディーン・ハヴィーではなくホベイ=ケリー社のジェームス・ヤーチェンコと違うし、依頼者にスティーブ・ジョブズの名はない。なんだか情報が大きく違いすべてに整合性がないではないか。
それともホベイ=ケリー社が40ドルで製造可能な努力をしたものの、それではスティーブ・ジョブズは満足せず、前記したディーン・ハヴィーに15ドルで開発できるものを設計してくれと再依頼したのだろうか...。

それではたとえばの話し…ディーン・ハヴィーへの依頼はLisaのマウスではなくDVDパッケージの記述のとおりMac用だったと仮定してみよう...。すなわちLisaのマウスはホベイ=ケリー社のジェームス・ヤーチェンコに、Mac用のマウスはデジフィット社のディーン・ハヴィーに依頼したのだと。
しかしそれではディーン・ハヴィーがマウスのボールの材質に頭を悩ませたはずもない。なぜならすでにLisa用のマウスが存在していだはずだしジョブズからその話しも聞かされていなければおかしい…。また後述のようにLisaマウスとMacマウスの実際の商品化と矛盾する。

この混乱を収拾するにはドキュメンタリーDVD「スティーブ・ジョブズ ラスト・メッセージ~天才が遺したもの~」のパッケージに印刷されている「Mac用のマウス...」の記述は誤りだと結論し、「AppleDesign 日本語版」の著者ポール・クンケルの取材内容が間違っていたか、あるいはディーン・ハヴィーが嘘の証言をしているかのどちらかだということになる(笑)。

この疑問を解くの鍵は申し上げるまでもなく当研究所にある2つのマウスの実物にあるに違いない…。
なぜなら実際に流通した LisaマウスとMacマウスの出来は外装のデザインを別にしてほぼ同じなのだ。基板や部品レベルで比較したことはないが、前記したようにLisaマウスとMacマウスは現実に互換性があることは勿論、基本的構造やボールの材質およびボールの直径まで同じなのだ。

MouseStory_08.jpg

MouseStory_09.jpg

※Lisaマウス(左)とMacマウス(右)のボールを外して並べて見た(上)。両マウスのボール共に材質は同じだし直径も同じである(下)


であるならその意味するところは明白だ。2つのマウスは開発時期の違いは当然としてもまったく無関係に行われたわけではなく当然のことながらまずはLisaマウスが開発され、Macマウスの製品化はそのノウハウを持って製造されたということではないだろうか。
繰り返すが、もし2つのマウスがまったく関係なく別々に開発されたとするならこの2つのマウスは構造も材質も違わなければおかしい…。
というわけでいくつかの情報、特に時期的な情報がはっきりしないのが誤解と消化不良のもとになっている。

とはいえ、私自身にしても関係するすべての資料に目を通すことができるはずもないから、LisaやMacのマウス開発の核心に触れる情報が他にも多々あるのかも知れない。また今回の例も含めて、公開されている情報もそのまま鵜呑みにできないことを肝に銘じると共に引き続き矛盾を正せるかどうか、正確な情報を得るための情報収集を続けたいと考えている。

【主な参考資料】
・「ブートストラップ~人間の知的進化を目指して」Thierry Bardini著/森田哲訳 (コンピュータエージ社刊)
・「Apple Design 日本語版」ポール・クンケル著/大谷和利訳 (アクシスパブリッシング刊)
・「スティーブ・ジョブズ」ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳(講談社刊)
・「マッキントッシュ伝説」斎藤由多加著(アスキー出版局)



関連記事
広告
ブログ内検索
Macの達人 無料公開
[小説]未来を垣間見た男 - スティーブ・ジョブズ公開
オリジナル時代小説「木挽町お鶴御用控」無料公開
オリジナル時代小説「首巻き春貞」一巻から外伝まで全完無料公開
ラテ飼育格闘日記
最新記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

mactechlab

Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員