横浜赤レンガ倉庫へ「70's バイブレーション YOKOHAMA」を見に行く
9月13日、株式会社技術少年出版の吉崎さんにお誘いいただき、ご一緒に横浜赤レンガ倉庫で開催されていた "70's バイブレーション YOKOHAMA" の最終日に行って来た。1979年の YMO ワールドツアーで使用された楽器などが展示され70年代ニッポンの音楽とポップカルチャーの展示がてんこ盛りだった。
"70's バイブレーション YOKOHAMA" という催事はポスター、チケット、雑誌など、時間を越えて大きな足跡を残す1970年代の音楽とアートワーク...その現物に加えて鋤田正義や井出情児といった写真家の作品を一堂に展示したものだという。
※"70's バイブレーション YOKOHAMA" のチケット半券
ただし「70年代とはどんな時代だったのか」と問われれば私個人の切り口は今回のテーマやコンセプトとは些か違っていることを再認識させられた。
まず、私にとっても当時音楽は大変重要なファクタだった。「音楽がなくては生きてはいけない」などと叫ぶつもりはないが、音楽はただ鑑賞するだけでなく楽器演奏する楽しみがあり一種の自己主張でもあった。
70年代前半の勤務先では夏とクリスマス時期にダンスパーティーがあり、その際にはエレキギターを手に舞台にあがることになっていた。変な言い方だが私は会社公認の唯一のバンドメンバーだった。そこではベンチャーズ、フォークソングは勿論、ポップスや歌謡曲にいたるまでさまざまな曲を演奏し歌った。
※赤レンガ倉庫まではシーバスでゆったりと...
ただし今回 "70's バイブレーション YOKOHAMA" の会場に足を踏み入れて再認識したことは同じ70年代の音楽シーンといってもまるでパラレルワールドのように世界が違っていたことだ。概要的には認識していたが、私の音楽シーンには和製ロックは絶無といってよいほど存在しなかったからだ(笑)。
※会場は横浜赤レンガ倉庫1号館の2階スペース
ロックのサウンドは、確かにエレクトリックギターを中心とするが、70年代にはすでに多様化していたものの個人的にロックは60年代後半のチェット・アトキンス、チャック・ベリー、エルヴィス・プレスリー、ポール・アンカ…あるいはビートルズ、ザ・ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズあたりまでで卒業した感じだった。
したがってジミ・ヘンドリックス、ザ・モンキーズ、シカゴ、デヴィッド・ボウイ、レッド・ツェッペリンなどになると拒否反応を起こした。ましてや和製ロックに興味はわかなかった。
展示されている中でYMOはミュージックカセットテープを買ったほど好きだったものの、ファンの方々には申し訳ないが例えば小坂忠、南佳孝、鈴木茂、小原礼、屋敷豪太などなどの名を知らないばかりか写真を見てもまったく分からない...。
※YMO (イエローマジックオーケストラ)がワールドツアーで使ったシンセサイザーや楽器、衣装などが展示されていた
それでも矢沢永吉、泉谷しげる、井上陽水、松任谷由実、ジョー山中、佐野元春などなどといったミュージシャンはよく承知しているが和製ロックというジャンルが私の中で欠落しているのを思い知らされた。
そもそもがギターを始めたきっかけはクラシックギターだったのだからどうにも最初からすれ違ったようだ(笑)。
ともあれこの"70's バイブレーション YOKOHAMA" は8月1日から横浜の赤レンガ倉庫1号館で開催されてきたもので我々が出かけた日は最終日だった。その催事も期間中にピーター・バカラン、佐野元春、片岡義男らによるアナログ・コンサートがあったり、高橋靖子、牧村憲一によるドリンク付きのイベントなどが別途有料で開催されたりもしたらしい...。
ではなぜ70年代なのか...。それは大戦後にアメリカから入ってきたジャズやカントリーといった洋楽が日本でも広まり好まれていったわけだ。そしてグループサウンドやフォークブームを経てこの70年代に洋楽と日本語のロックが定着したというが、フォークはともかくロック...特に和製ロックに疎い私はほとんど知識がない(笑)。
別に外国かぶれしていたわけではないが、日本のロックミュージシャンたちにほとんど興味はなかったのだからこればかりは仕方がない…。
さて自分の欠落部分を突きつけられたような "70's バイブレーション YOKOHAMA" だったが、出不精な私にとって久しぶりに...本当に久しぶりに向かった横浜での目的は株式会社技術少年出版の吉崎さんとお会いできることの方がウエイトが高かったといえる。"70's バイブレーション YOKOHAMA" はまあ、その切っ掛けだ...。
これまでにも吉崎さんとは何度かお会いし八王子のパブ、"シャーロック・ホームズ" というお店で会食したり、高尾にある "Legacy8080体験デモルーム" にお邪魔したこともあるが、その博識と「月間アスキー」の初代編集長などを歴任されてきた経験や実績をバックグランドにしたお話しは実にエキサイティングなのだ。共に...というと語弊があり、吉崎さんは情報の送り手であったとき、私は一介の読者にすぎなかったものの、同じ時代を通ってきた共通項が心地よいといったらよいのだろうか。
結局すべてをお膳立てしていただき、横浜駅から赤レンガ倉庫まではシーバスで短いクルージングを体験したし、遅めのランチはホテル・ニューグランドで懐かしい味を堪能した。
そもそもが横浜と名の付く場所に足を踏み入れたのは9年ぶり、赤レンガ倉庫近くにある山下公園に両親と女房と出向いたのはすでに20年ほども前だ。
※昼食はホテル・ニューグランド
そういえば70年代の終わり、1979年に山下公園近くにオープンしたシティホテルの先駆けとも言える「ザ・ホテルヨコハマ」にこれまた家族で宿泊し横浜の街を堪能したこともあったがそれも正しく "70's バイブレーション YOKOHAMA" の時代であった。そのホテルもいまはない。
ホテル・ニューグランドで食事をしつつ、ふとそんなことが頭をよぎったとき横浜散策に同行した今は亡き母のしゃがれた声が聞こえたように思えた…。
"70's バイブレーション YOKOHAMA" という催事はポスター、チケット、雑誌など、時間を越えて大きな足跡を残す1970年代の音楽とアートワーク...その現物に加えて鋤田正義や井出情児といった写真家の作品を一堂に展示したものだという。
※"70's バイブレーション YOKOHAMA" のチケット半券
ただし「70年代とはどんな時代だったのか」と問われれば私個人の切り口は今回のテーマやコンセプトとは些か違っていることを再認識させられた。
まず、私にとっても当時音楽は大変重要なファクタだった。「音楽がなくては生きてはいけない」などと叫ぶつもりはないが、音楽はただ鑑賞するだけでなく楽器演奏する楽しみがあり一種の自己主張でもあった。
70年代前半の勤務先では夏とクリスマス時期にダンスパーティーがあり、その際にはエレキギターを手に舞台にあがることになっていた。変な言い方だが私は会社公認の唯一のバンドメンバーだった。そこではベンチャーズ、フォークソングは勿論、ポップスや歌謡曲にいたるまでさまざまな曲を演奏し歌った。
※赤レンガ倉庫まではシーバスでゆったりと...
ただし今回 "70's バイブレーション YOKOHAMA" の会場に足を踏み入れて再認識したことは同じ70年代の音楽シーンといってもまるでパラレルワールドのように世界が違っていたことだ。概要的には認識していたが、私の音楽シーンには和製ロックは絶無といってよいほど存在しなかったからだ(笑)。
※会場は横浜赤レンガ倉庫1号館の2階スペース
ロックのサウンドは、確かにエレクトリックギターを中心とするが、70年代にはすでに多様化していたものの個人的にロックは60年代後半のチェット・アトキンス、チャック・ベリー、エルヴィス・プレスリー、ポール・アンカ…あるいはビートルズ、ザ・ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズあたりまでで卒業した感じだった。
したがってジミ・ヘンドリックス、ザ・モンキーズ、シカゴ、デヴィッド・ボウイ、レッド・ツェッペリンなどになると拒否反応を起こした。ましてや和製ロックに興味はわかなかった。
展示されている中でYMOはミュージックカセットテープを買ったほど好きだったものの、ファンの方々には申し訳ないが例えば小坂忠、南佳孝、鈴木茂、小原礼、屋敷豪太などなどの名を知らないばかりか写真を見てもまったく分からない...。
※YMO (イエローマジックオーケストラ)がワールドツアーで使ったシンセサイザーや楽器、衣装などが展示されていた
それでも矢沢永吉、泉谷しげる、井上陽水、松任谷由実、ジョー山中、佐野元春などなどといったミュージシャンはよく承知しているが和製ロックというジャンルが私の中で欠落しているのを思い知らされた。
そもそもがギターを始めたきっかけはクラシックギターだったのだからどうにも最初からすれ違ったようだ(笑)。
ともあれこの"70's バイブレーション YOKOHAMA" は8月1日から横浜の赤レンガ倉庫1号館で開催されてきたもので我々が出かけた日は最終日だった。その催事も期間中にピーター・バカラン、佐野元春、片岡義男らによるアナログ・コンサートがあったり、高橋靖子、牧村憲一によるドリンク付きのイベントなどが別途有料で開催されたりもしたらしい...。
ではなぜ70年代なのか...。それは大戦後にアメリカから入ってきたジャズやカントリーといった洋楽が日本でも広まり好まれていったわけだ。そしてグループサウンドやフォークブームを経てこの70年代に洋楽と日本語のロックが定着したというが、フォークはともかくロック...特に和製ロックに疎い私はほとんど知識がない(笑)。
別に外国かぶれしていたわけではないが、日本のロックミュージシャンたちにほとんど興味はなかったのだからこればかりは仕方がない…。
さて自分の欠落部分を突きつけられたような "70's バイブレーション YOKOHAMA" だったが、出不精な私にとって久しぶりに...本当に久しぶりに向かった横浜での目的は株式会社技術少年出版の吉崎さんとお会いできることの方がウエイトが高かったといえる。"70's バイブレーション YOKOHAMA" はまあ、その切っ掛けだ...。
これまでにも吉崎さんとは何度かお会いし八王子のパブ、"シャーロック・ホームズ" というお店で会食したり、高尾にある "Legacy8080体験デモルーム" にお邪魔したこともあるが、その博識と「月間アスキー」の初代編集長などを歴任されてきた経験や実績をバックグランドにしたお話しは実にエキサイティングなのだ。共に...というと語弊があり、吉崎さんは情報の送り手であったとき、私は一介の読者にすぎなかったものの、同じ時代を通ってきた共通項が心地よいといったらよいのだろうか。
結局すべてをお膳立てしていただき、横浜駅から赤レンガ倉庫まではシーバスで短いクルージングを体験したし、遅めのランチはホテル・ニューグランドで懐かしい味を堪能した。
そもそもが横浜と名の付く場所に足を踏み入れたのは9年ぶり、赤レンガ倉庫近くにある山下公園に両親と女房と出向いたのはすでに20年ほども前だ。
※昼食はホテル・ニューグランド
そういえば70年代の終わり、1979年に山下公園近くにオープンしたシティホテルの先駆けとも言える「ザ・ホテルヨコハマ」にこれまた家族で宿泊し横浜の街を堪能したこともあったがそれも正しく "70's バイブレーション YOKOHAMA" の時代であった。そのホテルもいまはない。
ホテル・ニューグランドで食事をしつつ、ふとそんなことが頭をよぎったとき横浜散策に同行した今は亡き母のしゃがれた声が聞こえたように思えた…。
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