1983年12月に開催された「第3回Apple Fest 東京」の思い出

古い話題をほじくり返すのが我がMacテクノロジー研究所のコンセプトでもある(笑)。ということで今回はこれまで「私製アップルロゴ入り『レターヘッド』物語」などで背景としてご紹介したことがある「第3回 Apple Fest 東京」というイベントを思い出してみたい。


「第3回 Apple Fest 東京」は(株)イーエスディ ラボラトリの主催、アップルコンピュータジャパン(株)の後援で1983年12月10日と11日の両日、後楽園展示場で開催された。イーエスディ ラボラトリ(以後はESD)はAppleの日本総代理店を勤めてきた企業であり、サードパーティ20社の参加も得て当時としてApple関連の催事としては最大級のものだった。

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※「第3回 Apple Fest 東京」のチラシ(上)と招待券(下)


ただし後から振り返ればこの2日間にわたるイベントはある意味で日本のアップル市場が大きく変化する前触れであり、ESDが最後に放った輝かしい光だったといえる。なぜならそのイベントの少し後、年末の挨拶を兼ねた酒宴の席でアップルジャパン社長の福島氏とESDの水島社長は決定的な溝を作ってしまい、総代理店契約の解消に至ることとなったからだ。

1983年といえばキヤノン販売は6月に念願の1部上場を果たしたばかりだったが、翌月にアップルジャパンの福島社長がキヤノン販売の滝川社長を訪れ日本の総販売元としての打診をし、基本合意となった年だった。さらに10月6日付けの朝日新聞朝刊一面に「アップル社がキヤノンと提携」と発表され、同月11日にホテルオークラで合同記者会見が行われた。問題はそれまで日本市場で販売はもとよりサポートや啓蒙活動を行ってきたESDに無断だったことで明らかにアップルジャパン側の契約違反だったという。

さて、アップルやキヤノン販売の思惑は別にして私個人としてもこのイベントは忘れられない特別なものとなったのである。
なぜならいま振り返っても得意な時代であり、得がたい体験をさせてもらったとしみじみ思うし、単なるアマチュアの私が当該イベントにブースを持ちサードパーティ側として過ごした2日間だったからだ。しかしなぜそんなことになったのか...。

その2,3ヶ月前だと思うが相変わらず本郷のESDのショールームに出入りしていた私に、社長の手塚さんから意外な誘いがあった。それが「Apple Festという展示会にブースを持ってみない?」というものだった...。
当時の私は小さな貿易商社に勤務するサラリーマンだったし、Apple II の熱心なユーザーだったが、それらを仕事としていたわけではなかった。

「ビデオデジタイザを専門に展示して欲しいのよ! 勿論ブースの出展料は取らないからさ...」との話。思わず私は膝を乗り出しOKしてしまったのである(笑)。
振り返れば出展各社は当時として錚々たるものだった...。書き出してみると、(株)アシスト、(株)イケショップ、(株)石橋楽器店、(株)イワタ、今井コンサルタント、喜島科学、Gibuson Laboratories、(株)協和商会、啓学出版(株)、(株)東レリサーチセンター、東京ニーズ、日本デジタルイクイップメント(株)、日本ビジネスオートメーション(株)、(株)富士音響、ブラザー工業(株)、マミヤ機器販売(株)、(株)メディァセールスジャパン、アップルユーザーズサロン、TPO、コンピュータ ラブ、そして私のブース(JUN I.G.C.)といったメンバーだった。

それぞれのブースの概要はESD発行の季刊誌「APPLEマガジン」1984年 Vol.2 Nomber 1 に詳しいが、ブース出展は単なるアマチュアだった私にとって1大決心のいる出来事だったし小さくてもブースを持ち来場者に接するという経験はこれまた始めてのことだった。

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※「第3回Apple Fest 東京」が特集として掲載されている「APPLEマガジン」1984年 Vol.2 Nomber 1 号


私に声をかけていただいたのはそれまでApple II 用のビデオデジタイザをいち早く購入し「APPLEマガジン」へレポートを書いていたしESDのショールームには入り浸りの客の1人だったわけだが、最新テクノロジーのひとつだったビデオデジタイザを展示するブースは他になかったからに違いない。

出展の依頼を受けたはいいが、繰り返すもののそうした経験はなかったし準備は多忙を極めた。出展のための機材は基本的に自前だ。そして何らかの魅力的なデモンストレーションのビジュアルも作りたいしブースに特化したなにがしかの作戦も立ててみたいと文字どおり寝る時間を惜しんだ毎日が続いた。

結局小さなブースではあったが、時間を決めて1日に数回希望の来場者の顔をビデオデジタイザで取り込み、フロッピーディスクに記録しプリントアウトするなどしてお渡しするサービスを考えた。

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※ビデオデジタイザのデモはとても人気があった


またデジタイザ関連やいくつかの映像関連ツールの日本語マニュアルを作り販売することも考えた。なにしろ輸入製品のほとんどは和文のマニュアルなど付いていない時代だったのだ。さらに6色アップルロゴを印刷したオリジナル・レターヘッドまで用意して販売するという熱の入れようだった。まあ最初から大赤字明白なイベントだった(笑)。

さてそれらが用意できたとしても実現には最大の問題が控えていた。車の運転ができない私はかなりのボリュームとなった機材や物販品を後楽園の会場にどのようにして持ち込むかということだ。それにいくらなんでも2日間、ブースに詰めるのが私1人というのでは現実的でない。食事の時間も必要だしトイレにいくその間、誰もいなくなるとすれば事故も起きるだろう。

そんなあれこれを当時の勤務先の同僚(女性)に話したら面白そうだから手伝ってくれるという。結局同僚とその親友2人でブースに立ってくれるだけでなく車を私の自宅まで回して搬出入もやってくれるというありがたい話となった。幸運がめぐってくるときにはすべてがこんな風に順風満帆となる(笑)。ただし手伝ってくれるという彼女たちはアップルもApple II もパソコンもぜんぜ〜ん、まったく知らないのだが、まあそんなことは些細なことに違いない(笑)。

てんやわんやの末に当日が来た。約束の時間に同僚の友達が運転する車が自宅の前に到着。早速機材を運び込んで後楽園を目指したが、その運転の危なっかしいこと...。ウィンカーを出さずに路線変更し後ろからクラクションを鳴らされると彼女は窓から顔を出し「すみません」と笑顔。これで許してもらえたが「松田さん、姿勢を低くして」といわれる。何故かと聞く私に彼女は「やはりさあ、男が乗っていると分かれば世間は厳しいじゃない!?」と(笑)。

こうして奥行き1.8メートル間口3.6メートル、壁高2.1メールという一小間のブースで2日間の催事が始まったのであった。
一番の心配は来場者がどれほどかという点だが、主催者側はすでに過去2回の実績があった。告知のためにアップルユーザーやディーラー、関係する教育機関や企業に9千通のダイレクトメールを出し、全国のマイコンショップやマイコンクラブや学校に1,500部のポスターを配布。さらにLOGIN誌とBASICマガジンに広告を掲載し、各マイコン雑誌に案内記事を掲載すると言った告知を行っていた。

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※一時は大変な込みようだった


会場は後楽園展示場の5階と6階のツーフロアーを貸し切っての催事だったが、私のブースは5階だった。左にはメディアセールスジャパンのブースが、そして正面の広いブースはイケショップだったしその隣は富士音響のブースが列んでいた。

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※後楽園展示場の5階(上)と6階(下)のフロアプラン【クリックで拡大】


個人的にはイケショップや富士音響へはしばしば足を向けていたから例えばイケショップの名物専務とは顔見知りだったしメディアセールスジャパンの社長もひとりの客として存じ上げていたから気が楽だし嬉しかった。一介のアマチュアがこうした世に知られている企業とブースを並べられるのだから...。

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※私が担当したブースの隣はメディアセールスジャパン(上)、正面はイケショップ(下)だった。イケショップの名物専務も若かった...


いやはや来場者は考えていたよりずっと多く、一時は対応できないほどだった。この催事はLisaの展示もあったし各所には来場者プレゼントとして用意された卓上カレンター、Appleマークタイピン、Lisaタイタックがそれぞれ1000個、マグカップが500個そしてアップルの飴が60Kg用意されていたがあっと言う間になくなったという。

当然だが私にはそれまでこうした経験はまったくなかったし来場者からの様々な質問にどのように答えるべきかを考えたこともなかった。しかしこの2日間の経験はその後、Macのソフトウェア開発を目的にソフトハウスを起業し、様々なプライベートショーやMacworld Expoなど多くのイベントへの出展企画をする際に大いに参考となった。

またこの体験を通して単なる顧客だったESDへとのお付き合いは少しずつ形を変えていった。結果翌年にはMacintoshの購入をきっかけに「APPLEマガジン」の編集長を仰せつかったり、アスキー刊 LOGIN誌が企画した「アダルトソフトウェアコンテスト」に入賞したApple II用のゲームを商品化しESDで販売させていただいたりもした。

ただし残念だったことは冒頭に記したとおり、「第3回 Apple Fest 東京」の後でESDとアップルジャパンは決定的な溝ができてしまい日本市場はキヤノン販売が牛耳っていくことになってしまった…。
こうしてそれまで日本におけるAppleの総本山だったESDはその座をキヤノン販売ならびにアップルジャパンに譲らざるを得なくなったし、当然のことApple Fest 東京はその後開催されることはなかった。




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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員