ヴィヴィアン・マイヤーの写真集「Vivian Maier: Street Photographer」を紐解く

先般、ドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」をDVDで見たが、続いて写真集「Vivian Maier: Street Photographer」と「Vivian Maier: Self-Portraits」を時間をかけて楽しんだ。今回はその写真集の感想である。


ことは2007年、シカゴに住むジョン・マルーフ青年がオークションで大量の古い写真のネガを手にしたことが発端だった。落札価格は380ドルだったというが、その不思議な人物ヴィヴィアン・マイヤーについては「ドキュメンタリー映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』DVDを観て」をご参照いただければと願いたう。

手元にある2冊の写真集「Vivian Maier: Street Photographer」と「Vivian Maier: Self-Portraits 」はその彼女の写真集である。だが、これらの存在は彼女の知ったことではない(笑)。それはヴィヴィアン・マイヤー自身、生前写真を公表したことは1度もなかったからだ。したがってこの写真集は彼女のネガを発掘したジョン・マルーフ青年の成せることでありタイトルに合わせて写真をセレクトしたのも彼である。

今回は "Street Photographer" と名付けられた写真集に集中してみよう...。一通り収録された写真を眺めればストリート・フォトグラファーと称された意味は自ずとわかるが、もう1冊の画集 "Self-Portraits" と明確な意味での区別はないように思える。なぜなら本写真集「Vivian Maier: Street Photographer」にもいわゆる自撮り写真が多々収録されているからだ。

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※写真集「Vivian Maier: Street Photographer」


まず一目見てそれらの写真はスクエア形の写真であり、一部を除いてピントはしっかり合っているし驚くほどシャープなものばかりだ。
それはヴィヴィアン・マイヤー自身の腕と共に彼女が使っていたカメラがローライフレックスという中判カメラだからという理由もあるに違いない。これらの写真は狙った被写体と構図そしてシャッターチャンスの妙が見る者を忘れ得ない世界へ誘う魅力を持っている。

特に興味深いのはポートレートだ。といっても「撮らせてください」と断ってシャッターを切った写真はほとんどないように思える。なぜなら意外な表情、ムッとした表情の写真がけっこうあるからだ。そもそも当時女性が首からカメラを提げ、街中を歩き回っていること自体が奇異なことだったと思われるが、殴られたり怒鳴られたりしなかったとすれば女性だったことは勿論、彼女の体が大きかったことや文句を言わさないエキセントリックな人だったからかもしれない。

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※当研究所所有のローライフレックス Automat MX/カール・ツァイス:テッサー(Tessar) 7.5cm F3.5。ヴィヴィアン・マイヤーが使っていたカメラと同型だ


それらのポートレート撮影はヴィヴィアン・マイヤー自身、十分計算ずくだったに違いないが、ローライフレックスならではの利点も伺える。
この2つのレンズを持つカメラは上がビューレンズ、下が撮影レンズで上のレンズから入った像は45度の角度に置かれたミラーに反射しピントグラスに像を結ぶ。それをルーペで拡大することでピントを合わせやすくしている。

したがってピント合わせは普通上部から覗き込む形になる。現代の多くのカメラのように目の高さにカメラをかまえれば相手は誰が見ても写真を撮る行為だと身構えるかも知れないが、首から下げたローライフレックスは腰や胸近くにあるわけで、隠し撮りとまではいかないものの距離が離れている場合は "撮られる" という意識は弱かったように思える。

例えば44ページの帽子をかぶった男性の写真はそうした典型か...。その姿は下から撮ったことを伺わせる構図だが、男性の表情は決して好意的ではなく怪訝な表情だがその視線はカメラのレンズには向いていない。男性は明らかにヴィヴィアン・マイヤーの顔を注視しているに違いないが、この整然とした姿勢から想像するとヴィヴィアン・マイヤーは声をかけて近づき「こっちへ向いて!」などと頼んだようにも思える。そしてこの視差の違いは2眼カメラであるローライフレックスの妙でもある。
またこれらの写真はトリミングした結果ではないことを考えると彼女の距離感は素晴らしいと思えてくる。ピントを合わす十分な時間があったとは思えず、どれほど近づいたら...ということを体で知っていないとこうした写真を撮るのは難しい。

例えば写真集のP41の老婦人, P42の黒人女性そしてP44の帽子を被り厳つい表情の老人といった写真をあらためてよく見ると「フレーミングの基礎は引き算」だとどこかで教えられたことを思い出す。要は写したい対象にぎりぎり迫り反対に周りの余計なものは可能な限り入れないということだ。特にポートレートで被写体の心のヒダまで映し出すような写真は寄らなくてはならない。

事実これらの写真はすべて一人の人物を狙ったものでアップで撮られているがローライフレックスにはズーム機能などないわけで離れてこうした写真を撮るわけにはいかない。ではどの程度被写体に近づいたのだろうか…ということをあらためて実機(ローライフレックスMX Tessar 75mm F3.5)で確認してみた。

そもそもローライフレックスは最短撮影距離が90 cmほどだといわれるが、ローライフレックスMX テッサー 75mm F3.5では60cm近くまでピントが合う。実際にファインダーに映る像を確認しつつ、バストアップのフレーミングをと捉えてみると被写体との距離は数値的なもの以上に近づいたという感じがするから、被写体の人物にしてみれば危険を感じる距離感に違いない。そしてヴィヴィアン・マイヤーのポートレート写真はこのピントの合うぎりぎりまで寄っていることがわかる。

単に歩いているのならまだしもヴィヴィアン・マイヤーはカメラを首から下げているから、近づけば誰が見ても写真を撮っていることは明白だ。したがってポートレートのような写真は撮られている人が気づかない距離ではない。事実P42の黒人女性は意識して笑顔を向けているが、P41の老婦人は振り向いた瞬間を撮られたようで気がつき明らかに不快な…不審な表情だ。文句のひとつも言ったに違いない(笑)。なにしろ屋外で目の前にカメラがあれば誰でも驚くに違いない。

特にセルフ・ポートレートの写真集「Vivian Maier: Self-Portraits 」のP41はシカゴで撮ったものらしいが、コートを着た二人の女性がベンチで足を組んでいる膝頭のアップの写真だ。このような状況でカメラを持って近接しようとするなら、即警察官を呼ばれても文句はいえない(笑)。カメラマン(カメラウーマン)はときに暴力的な行為をしているのだ…。

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※2冊の写真集より手前のページが足を組んでいる女性の膝頭のアップ写真。背面は前記P41の老婦人の写真


しかし結果があるようにマイヤーは臆することなく近距離まで近づきフレーミングを整えシャッターを切っているわけで私などにはその度胸はない(笑)。

ヴィヴィアン・マイヤーが愛用していたローライフレックスとはどんなカメラなのかについては別項でご紹介したいと思うが、彼女は常に被写体を意識し、カメラを覗きつつ歩き回り、ピンと来た対象や構図に気づくと躊躇なく近づきシャッターチャンスを逃さない狡猾さを持っていたに違いないし、前記したようにときには被写体の人物にある種のポーズを頼むというケースもあったようだ。

とはいえ彼女のカメラが捕らえたものは美しい人、美しい景色というより浮浪者などなど最下層の人たちも多く、猫や馬の死体?や焦げた椅子といった本来なら目を背けるような対象を執拗に追っているのも特長だ。

特に個人的に強く感じたのは彼女の自意識の強さだ。前記したようにセルフポートレイトを集めた写真集は当然だが「Vivian Maier: Street Photographer」にも自身を映している写真はけっこう載っている。
表紙カバーは当然としても扉の写真は彼女自身の影だ。また7ページはそのものすばりの写真である。さらに写真集最後の数ページの写真はすべて自分撮りの写真だ。

鏡に映る自分、ショーウィンドウのガラスに映る自分、そして自身の影を執拗に追っている写真を眺めていると光学的指向、光学マニアとでもいったらよいのか、画家が自画像を描く動機とはいささか違った意図を感じる。

そうした自撮りの写真を見ていると自身の姿をカメラに収めるという意図より「このシチュエーションだとどんな風に撮れるのか」を試しているようにも思える。合わせ鏡の中に立ってみたりガラス窓を通して見える実像と反射して映っている虚像が混じり合うような構図が多いように思う。
したがってこの種の試みは他者を使う訳にはいかないから自ずと自分が映り込むようになる...。そんな思いも強くしたが「Vivian Maier: Self-Portraits 」の方には間違いなく自身の影を、それも脱いだ靴や手提げを地面に置いて撮るなどという演出した写真も目立つから、やはり自撮りの意識が強かったのだろうか...。

ヴィヴィアン・マイヤーについては今後も新しい発見が続くと思われるが、彼女にとって写真を撮ることこそ生きることだったに違いないという強い印象を抱きながら写真集のページをめくっている…。


 

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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員