パソコン通信黎明期の通信費用事情
貴方は毎月インターネット関連費用としてにいくら支払っているのだろうか? 今では無くてはならないインターネットだが、もしその費用が毎月8万とか10万円もかかるとするなら貴方はインターネットを続けるだろうか...(笑)。 事実パソコン通信の黎明期には、いま考えるととんでもない額を支払っていたのである。
ひとつの例として私が国際ネットワークサービスに加入しパソコン通信を始めた1985年の物価を調べてみたが、JRの初乗りが120円、ビール(大瓶)310円、新聞(月極)2,600円、米価(10Kg)3,785円だというから、これだけ見ればデフレ不況の現在とあまり違わないように思える。無論給料の額も低かったがそれ以上にこと海外へのネットワーク接続ということになると話がまったく違っていた。
はじめにお断りしておくが、1985年に我々の前にインターネットなるものは存在しなかったし、あのニフティもなかった。しかし「パソコン通信」というものが台頭しはじめてきた時代で、それもコンピュータテクノロジーなどの新しい情報を求めたいとすれば、おのずと海外(特に米国)の通信事業者へアクセスするしかなかった。
そしてその方法も選択の余地はなく、当時の国際電信電話公社(KDD)の「国際公衆データ伝送サービス」通称「VENUS-P」に加入するしかなかったのである。
いまあらためてその時の資料を紐解くと、その料金体系のバカ高さに驚く(^_^;)。
※当時の国際公衆データ伝送サービス(VENUS-P)案内書
まず、電話回線が必要だが、これは一般加入電話で済む。しかしVENUS-Pへの加入時の契約料300円は良いとしてその設備料を名目に80,000円が必要だった。ちなみにその通信スピードは300bpsである。別途1,200bpsの契約も存在したが、こちらは契約料が110,000円だった。
こうした加入時の一時金をなんとかクリアしたとしても一番大きな問題は毎月の料金である。
300bpsの契約ではまず毎月の基本料金が21,400円かかった。なにも通信しなくても毎月この21,400円は負担しなければならないのだ(^_^;)。そして通信料は1分で40円と高価だった。その上にパケット通信を実行すれば、1有料パケット毎に2.4円が必要だったからいかに短時間で必要なソースにアクセスできるかが腕の見せ所だった(笑)。
※当時のVENUS-P契約書。契約日は昭和60年(1985年)8月20日付
さらにその上、SOURCEとかDELPHIなど、海外通信業者へも時間あたりの費用を払わなければならなかった。
※当時パソコン通信業者の代表的な存在だったSOURCE社の契約書。契約日は1985年8月25日付
くどいようだが、通信スピードが300bpsということは、モニター上にリアルタイムに表示するその文字が完全に目で追える速度と考えていただければよい。タイプライターで打っているような速度である。このようなスピードで通信費用をかけずに、必要なデータに最短距離でアクセスするために様々な工夫をしなければならなかった。
したがって現在のように、ネットワークに接続しながらモニターの表示を読むなどということはできなかった。無論そんなことをやっていたらすぐに10万円を超える請求書が送られてくることになる(^_^;)。さっさと必要だと思われる箇所にアクセスして即回線を切り、その後でゆっくりとモニター上のテキストをスクロールさせて中身を確認するわけだが、それが役に立たないデータの場合は再度接続をしなければならなかった。
結果として当時こうしたパソコン通信にチャレンジしていた人たちはKDDを初めとする毎月の請求額がいくらなのかに戦々恐々としていた。事実、私でも基本料金を含めて8万円を超える支払いをしていた時期がある。それも会社ではなく、まったくの個人で...。
奥がましい言い方だが、こうした時代のネットワークテクノロジーに触れてきた仲間や当時150万円もするMacintoshを無理して手にしてきたユーザー同士は例え初対面でも一種の戦友として心が通いやすい(笑)。何故ならこれらの人たちは特別に高額の給料をもらっていたわけではなく、他を犠牲にしながらも新しいことに真剣に取り組んだ共通の喜びを持つ人たちだからである...。
失礼ながら貴方はもし、毎月8万円から10万円ほどの通信費がかかるとして、インターネットをやるだろうか(笑)。
ひとつの例として私が国際ネットワークサービスに加入しパソコン通信を始めた1985年の物価を調べてみたが、JRの初乗りが120円、ビール(大瓶)310円、新聞(月極)2,600円、米価(10Kg)3,785円だというから、これだけ見ればデフレ不況の現在とあまり違わないように思える。無論給料の額も低かったがそれ以上にこと海外へのネットワーク接続ということになると話がまったく違っていた。
はじめにお断りしておくが、1985年に我々の前にインターネットなるものは存在しなかったし、あのニフティもなかった。しかし「パソコン通信」というものが台頭しはじめてきた時代で、それもコンピュータテクノロジーなどの新しい情報を求めたいとすれば、おのずと海外(特に米国)の通信事業者へアクセスするしかなかった。
そしてその方法も選択の余地はなく、当時の国際電信電話公社(KDD)の「国際公衆データ伝送サービス」通称「VENUS-P」に加入するしかなかったのである。
いまあらためてその時の資料を紐解くと、その料金体系のバカ高さに驚く(^_^;)。
※当時の国際公衆データ伝送サービス(VENUS-P)案内書
まず、電話回線が必要だが、これは一般加入電話で済む。しかしVENUS-Pへの加入時の契約料300円は良いとしてその設備料を名目に80,000円が必要だった。ちなみにその通信スピードは300bpsである。別途1,200bpsの契約も存在したが、こちらは契約料が110,000円だった。
こうした加入時の一時金をなんとかクリアしたとしても一番大きな問題は毎月の料金である。
300bpsの契約ではまず毎月の基本料金が21,400円かかった。なにも通信しなくても毎月この21,400円は負担しなければならないのだ(^_^;)。そして通信料は1分で40円と高価だった。その上にパケット通信を実行すれば、1有料パケット毎に2.4円が必要だったからいかに短時間で必要なソースにアクセスできるかが腕の見せ所だった(笑)。
※当時のVENUS-P契約書。契約日は昭和60年(1985年)8月20日付
さらにその上、SOURCEとかDELPHIなど、海外通信業者へも時間あたりの費用を払わなければならなかった。
※当時パソコン通信業者の代表的な存在だったSOURCE社の契約書。契約日は1985年8月25日付
くどいようだが、通信スピードが300bpsということは、モニター上にリアルタイムに表示するその文字が完全に目で追える速度と考えていただければよい。タイプライターで打っているような速度である。このようなスピードで通信費用をかけずに、必要なデータに最短距離でアクセスするために様々な工夫をしなければならなかった。
したがって現在のように、ネットワークに接続しながらモニターの表示を読むなどということはできなかった。無論そんなことをやっていたらすぐに10万円を超える請求書が送られてくることになる(^_^;)。さっさと必要だと思われる箇所にアクセスして即回線を切り、その後でゆっくりとモニター上のテキストをスクロールさせて中身を確認するわけだが、それが役に立たないデータの場合は再度接続をしなければならなかった。
結果として当時こうしたパソコン通信にチャレンジしていた人たちはKDDを初めとする毎月の請求額がいくらなのかに戦々恐々としていた。事実、私でも基本料金を含めて8万円を超える支払いをしていた時期がある。それも会社ではなく、まったくの個人で...。
奥がましい言い方だが、こうした時代のネットワークテクノロジーに触れてきた仲間や当時150万円もするMacintoshを無理して手にしてきたユーザー同士は例え初対面でも一種の戦友として心が通いやすい(笑)。何故ならこれらの人たちは特別に高額の給料をもらっていたわけではなく、他を犠牲にしながらも新しいことに真剣に取り組んだ共通の喜びを持つ人たちだからである...。
失礼ながら貴方はもし、毎月8万円から10万円ほどの通信費がかかるとして、インターネットをやるだろうか(笑)。
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