我が国最初のMac専門誌「MACワールド日本語版」顛末記

日本のMacユーザーが米国発刊の月刊誌「MACWORLD誌」に多大な期待を寄せていた時期がある。それはまだインターネットもない時代だったから我々は情報に飢えていた。そんな1986年7月、日本で始めてのMacintosh専門誌が発刊された...。 


今回はこの「MACワールド日本語版」を通して、当時の特異な状況を振り返って紹介してみたい。 
愛機のMacintosh 512KをMacintosh Plusにアップデートすべく注文をしていた頃の1986年7月1日に「MACワールド日本語版」は月刊パソコンワールド誌の別冊という形で出版された。季刊誌という話だった。 

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※「MACワールド日本語版」創刊号表紙


私は1986年春頃から頻繁に千代田区三崎町の消防署近くにあるピーシーワールド・ジャパン編集部に出入りするようになっていた。 
それはたまたま同誌にMacintosh関連記事を数回投稿したことが縁で、ある日の午後に始めて編集部に呼ばれ、出向いたことがきっかけだった。そこで私は若く精悍な、そしてキラキラした目をした編集長の高木利弘さんに紹介され、夏に日本で始めてとなるMacintosh専門誌を立ち上げるので手伝って欲しいとの依頼をいただいたのである。 
無論お手伝いといっても私にできることは原稿を書くことだったが、すでに書きためてあった三編の原稿が「MACワールド日本語版」創刊号に掲載されることとなった。 

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※私が「MACワールド日本語版」創刊号に寄贈した記事の一部


当時は英語が苦手であっても新しい情報を知りたい一心で英語版の「MACWORLD誌」を取り寄せていたが、その「MACWORLD誌」にしてもリアルタイムに入荷するものではなかった。一ヶ月は確実に遅れるだけでなく、その価格も現地の数倍以上もの定価で売られていたという時代だった。だから、日本語でMacintoshの情報、それも最新情報を定期的に読めるということが当時のユーザーにとってどれだけ嬉しいことだったか...いまのユーザー諸氏には想像もつかないのではないかと思う。 

ともかく、7月1日に創刊された「MACワールド日本語版」は編集長の意向を酌み、それまでのパソコン関連雑誌にはなかった大変スタイリッシュでお洒落な表紙デザインでも注目を浴びた。勿論、その表紙には登場したばかりのMacintosh Plusが鎮座している。 

さて、その「MACワールド日本語版」創刊号をざっと見渡すと、これまた今では考えられない面白い内容が目につく。 
まず冒頭から見開きでアップルコンピュータジャパンの広告があるだけでなく、その次ページには折り込みおよび見開き形式の広告、それも「祝 MACワールド創刊」と記され、中央に大きなアップルロゴを配したこれまたアップルコンピュータジャパンの広告があることだ。 

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※「MACワールド日本語版」創刊号巻頭を飾るアップルジャパンの広告


さらに特筆すべきはそのページを見開くと、そこには4ページに渡ってMacintoshの生産工場内部が紹介されている。当時、25秒間に一台の割合でMacintoshが生産されていたという工場で出荷を待つ沢山のMacintoshの姿は圧巻である。 

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※「MACワールド日本語版」創刊号のアップルジャパン広告〜Macintosh生産工場写真


それから広告ページが終わり、目次の前のページにはなんと当時のアップルコンピュータジャパン株式会社の代表取締役であったアレクサンダ・D・バン・アイック氏が写真入りで「MACワールド日本語版」の創刊を祝うメッセージを載せている。

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※「MACワールド日本語版」創刊号にアップルジャパン社長の祝辞が掲載


こうして満を持し、「MACワールド日本語版」は世界最大のコンピュータ関連出版社であるCW Communications社との契約にもとづき、同グループが出版するMACWORLD誌の翻訳権を取得したという旗印のもとで華々しく登場した。しかし読者は無論のこと、関係者の大きな期待に反して同誌はトラブルに巻き込まれていく。 

創刊3ヶ月後の「MACワールド日本語版」2号目が10月に出版された直後、"MACWORLD"という誌名に対して米国よりクレームがあったため、次号からその書名を「季刊MAC+」と改名するというニュースが飛び込んできた。門外漢には詳細な理由や契約事情は知るよしもないが、創刊したばかりの雑誌の名が早くも変更になるのは大きなダメージに違いない。 
翌年の1987年1月に発刊された「季刊MAC+」誌はその号数表記がNO.3となっているのが、私には出版側のささやかな抵抗のように思えたものだ。 

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※「季刊MAC+」誌創刊号?の表紙


しかし無責任な言い回しとなるが、一度かみ合わなくなった歯車は日増しによりかみ合わなくなっていくものらしく、私たちの期待を一心に背負った「季刊MAC+」も様々な問題が生じて高木さんは編集長の職を離れることになる。 
内輪の話をあからさまにはできないので詳細な説明はご容赦いただくが、その後をどうしたらよいか、我々に出来ることは何か...などなどを私の勤務する会社の応接室に当の高木さんを始め、関係者が集まり、新たな出版の可能性をあれこれ模索したことを昨日のように思い出す。その場にいた全員がせっかく灯った日本語によるMacintosh情報誌という火を消したくないと切に考えていたからだ。 

しかし「人間万事塞翁が馬」とはよくいったものだ。その高木さんが次に就任したBNN社においてその後のMacintosh専門誌のスタンダードとまでいわれたあの「MACLIFE誌」を立ち上げることになるのだから...。 

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※「MACLIFE」誌創刊号表紙


この「MACLIFE誌」も残念ながらすでに廃刊になっているがMacintosh専門誌ならずとも関係各誌に多大な影響を与え、長きにわたりパソコン雑誌のスタンダード...目標とされるまでに至った。 
私自身も一時期はこの「MACLIFE誌」をホームグランドと考え、編集部からの依頼だけでなく多くの企画を持ち込み、特にグラフィック関係の最新情報を提供し続けたものである。その影響...結果として人と人との繋がりが広がり、結局Macintoshのソフトウェアを開発することを仕事にしてしまうのだから時代の勢いというものは凄いと思う。 

私たちは知っている。一冊の雑誌の創刊・出版にも、そこには多くの人たちの期待や野望が渦巻き、喜びと悲しみといったドラマがあったことを...。ある意味ではそうした人間たちのドラマがMacintosh業界を単なる無機的なものではない、血の通ったものにしていったといえるのかも知れない。そして、ドラマは決してMacintosh誕生やApple社だけのことではなく、業界は勿論のこと、ユーザーを巻き込んだ形で日々、そして多々存在することをあらためて知っていただけたらと思う。




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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員