NIFTY SERVEサービス開始前夜物語

先月3月31日をもって、商業パソコン通信としてのNIFTY SERVEが終了した。その役割はインターネットに取って代わられたわけだが、今回はそのニフティが開設される1987年当時の様子をご紹介しよう。


十数年前は良くも悪くもMacintoshとかパソコン通信に関する認知度は低く、私たちが昼飯を食べながらMacやAppleの話をし、ニフティでの出来事などを何のてらいもなく話したとしても特に問題はなかった。回りにいるほとんどの人にとってそれらの話題は興味の対象でなかったからだ。 

しかし思えば1992, 3年以降は様子がずいぶんと違ってきた。何故なら食事時に私たちの隣の席に座ったOLたちのクチから「ニフティサーブのID取った?」とか「貴方のメールアドレスは?」といった話題がささやかれ「Macのモニターが...」などという話題が聞こえた時にはたまげたものだ(笑)。したがって、公共の場でおちおち業界のうわさ話などはできなくなってしまったのである。 

ビジネスシーンのあらゆる場所で取り交わす名刺にメールアドレスが印刷されることもすでに当たり前のこととなったが、ニフティがネットワークビジネスを開始して現在のような大きな組織になるまでには当然、様々な出来事があった。 

現在のニフティ(株)はその設立時(株)エヌ・アイ・エフという社名だった。 
そのエヌ・アイ・エフ社はよく知られていたように、富士通と日商岩井の合弁会社として設立され、その事務所は東京の千代田区麹町...ちょうどダイヤモンドホテルの近くにあり、私たちはニフティの運用開始に至るまでに何度もエヌ・アイ・エフ社に集まり、打ち合わせを繰り返したものだ。 

ニフティの会議室のシステムをどうすべきか、我々が初代シスオペになるフォーラムの構造や機能、そしてその運営・管理に至る諸々のことを話し合うためだった。 
我々がニフティを訪問できるのは、それぞれの勤めを終えてからだから、当然夜になる。したがってエヌ・アイ・エフ社の正面玄関から入るより通用口から出入りすることがほとんどだった記憶がある。 

そして、その後同社の重役になられて既に退職されたYさんらと膝を交え、夜遅くまでミーティングを開いたがそのような時、かならずと言ってよいほど弁当を出していただき、それをほおばりながら熱心な打ち合わせを続けたことを昨日のことのように思い出す。 

思い出す...と言えば、1987年4月15日から正式な運用が始まる前日の夜まで、我々シスオペはエヌ・アイ・エフ社に集まり、自分が担当するフォーラムのメニュー作りなどを相談しながら開始直前まで設定やチェックを行っていた。 
私はMAUG-Jのグラフィックを扱うフォーラム担当というポジションでFMACCGというフォーラムを任されることになった。ちなみにこのフォーラムはその後、私自身が会社を設立するに際して専用フォーラムとして運営を続けたが、インターネットに自社のウェブサイトを運営するに至り、その契約を終了した経緯がある。 

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※1987年初頭に配布されたNIF社のCompuServeへのアクセスガイド。社名を1986年9月に前(株)から後(株)に変えた都合上、社名部分をまだシールを貼ってしのいでいた時期だった


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※NIF社が麹町時代の同社の名刺


ともかく私たちも若かったが当時のNIF社からNIFTYにいたるまで同社の関係者たちも若かった。なにしろ徹夜続きの仕事だったのだろうがNIFTYのある担当者は髪はぼさぼさでひげ面なのはともかく、ワイシャツの襟首と袖口が明らかに大きく汚れているのだ(笑)。たぶん数日風呂にも入れず、シャツを取り替えるという意識もすっ飛んでいたのではないだろうか...。 
そうした人たちが悪戦苦闘したおかげでまがりなりにもNIFTYは船出し、フォーラムはスタートでき、多くの人たちに多大な影響を与えることになる。 

あらためて申し上げるほどのことでもないのだろうが、フォーラムの会議室で会話を交わした人たちとは不思議に会いたくなるものだ。そしてオフラインと称して実際に会ってみるその楽しさは経験したことのない人には到底分からないものかも知れない。事実、FMACCGのアクティブメンバーさんたちを対象としてお茶の水にある山の上ホテルの一室でオフラインを開き、参加してくださった方たちと楽しい一時を過ごした思い出などは忘れられない。 


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※御茶ノ水「山の上ホテル」で開催したFMACCGフォーラム・オフラインパーティー。写真上の中央ネクタイ姿が筆者


無論良いこと、楽しい事ばかりではなかった。幸い私のFMACCGでは目立ったトラブルは無かったが、日々のフォーラム運営を行う中で会員同士の喧嘩、セキュリティがらみのトラブル、果ては脅迫メールが舞い込んだりと様々な問題が生じた。しかしNIFTY側のイニシアティブのおかげもあり我々シスオペやサブシスオペたちはそうした多くの出来事からノウハウを取得し問題解決の手法やいかにしたらトラブルを減らすことができるか等々を学んでいった。
 
そうしたNIFTY時代に培ったテクニックがそのままウェブサイト運営やビジネス上のメールの書き方といった具体的なことに至るまで役立っていると思う。 

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※会員勧誘のために大量に配布されたイントロパック


役だったと言えば...このニフティの存在が多くの人たちを結びつけ、人の輪を広げ結果としてMacintoshを仕事とするひとつのきっかけと出会いを生むことになったのも確かである。 
現在例えばMixi(ミクシィ)といったソーシャルネットワークビジネスも盛んだが、そこに出入りしている方々の多くがNIFTYの時代から活躍していた人たちであることに驚く...。そのやり取りを眺めていると私自身もそうだがNIFTY時代のフォーラムの代用としてこれらを捉えているように思えるふしもあってNIFTYが私たちに与えた影響力の大きさを再認識せざるを得ない。 

当時の私たちにとってNIFTYは単なる情報交換の場だけでなく、人との出会いと交わりの場であり、それぞれのフォーラムでは一緒に喜び怒り問題解決を図るという何か人生の一端を担うまさしく生きていくためには不可欠の共同体だったのだ。

現在はテクノロジーもより進化し、環境も良くなったはずだ。そして当時のフォーラムでやりとりできるレベルをはるかに超えた情報のやり取りも可能になったが果たして我々はそうした日常においてはるか昔のNIFTYフォーラムを超える豊かさを体現できているのだろうか...。 



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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員