全国Mac行脚の旅...私のエバンジェリスト物語

アップルはエバンジェリストとかエバンジェリズムいう名を使うのを一時止めたという。しかし1990年から数年の間、私は文字通り自社やその製品の宣伝という意味合いを越えてMacのエバンジェリストとして全国を飛び回った。まるでデビューしたての芸能人のようだったが、その多くは大変気苦労の多い旅だった。


残念ながら私には芸能人と違ってマネージャーはいなかったが、当時私の全国行脚の1/3はキヤノン販売札幌支店におられた熱心な課長が根回しをしてくださったおかげである。特に北海道に関わるイベントはほとんどその方が企画されたものと記憶している。
ともかく、創業してまもない私は北は北海道から南は広島まで、かなりの頻度で全国を飛び回っていた。それも常に大荷物を担ぎながら.....。

当時の私たちの使命は市場の拡大だった。後年そのような簡単な図式通りに事がはこぶほど甘くはないと思い知らされたが、1990年から1993年頃までは「Macintoshの普及が我々デベロッパー自身をも大きくする」ということをある種の旗印に日々努力していたように思う。したがって要請があればどこへでも駆けつけてセミナー、講演、講習などをさせていただいた。

北海道は札幌を中心に旭川、釧路、帯広。本州は仙台、山形、金沢、静岡、神奈川、名古屋、大阪、京都、福井、広島などが多かったと記憶している。もちろんその合間をぬって東京ではアップルコンピュータの依頼で大手町の一部上場企業の役員達にMacintoshの優秀さとそのビジネス上の利点、可能性などをプレゼンしたり、各種の展示会やセミナーなどに飛び回っていた。

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※1991年1月23日、札幌市内の企業での講演風景。当日は季節柄雪に覆われていた...。


丸の内のとある大企業では、アップルコンピュータの営業担当者と部屋に入るとそれまでパーソナルコンピュータなどとはまったく縁のないといった年配の役員クラスの人たちが並んでおり、ほとんど興味を示してくれないケースも多々あった。どうも、なにがそこで起きているのかが分からないらしいのだ(笑)。

さて、そんな訳でアップルコンピュータ社からは相変わらず「市場が大きくなればお互いに良い目を見られるのだから、プレゼンお願いしますよ...」といった依頼が本当に多かったものだ。だから、いまのアップルも自社努力だけで一人前になったのだと思っているなら、それはとんでもない間違いなのだ...ホントに(笑)。
こう言っては何だが.....当時の私は比類なきアップルのエバンジェリストだったのである。

そして当時はまだ我々の社名を知る人は少なく、Macintosh専門雑誌や著書から私の個人名を知っていただくことが多く、もともと企業としての宣伝になることは少なかったと記憶している。なによりも講演をやろうがセミナーをしようが、一部のケースを除けば交通費はおろか宿泊代も持ち出しという変な時代であり、まさしくエバンジェリストはボランティアと同義語だった。

それにも増して困ったことは機材に関することだった。私の意気込みは「日本で.....いや、世界でいま一番新しく進んでいる面白いことを見せたい!」という意気込みだった。
最新のデジタルビデオ技術や大量の画像データを気軽に扱える画像データベースなどなど、自社開発製品だけでなく、これから多くの注目を集めるであろうと予想し、アメリカから直接購入した3Dソフトウェアやアニメーションソフトなどを揃えていた。しかし当時の最高峰モデルがMacintosh IIciあるいはMacintosh IIfxであり、いま考えてもよくもまあそれで色々なことをやったものだと我ながら感心するほどの豪華メニューだったのだ。

ただし、それだけの最新テクノロジーを見せるためにはソフトだけでなく、それなりのハードウェア環境を揃えることは必須だった。例えば高速大容量のハードディスク、フルカラーボード、圧縮・伸張ボード、そしてビデオ機材などなどだったが、ハードディスクひとつをとっても高価であることはともかく、当時それらはとてつもなく大きく壊れやすい上に重かったのである。

最新の設備調達を相手先に求めることはできないまでも、国内で一般的になりつつあるハード、例えばフルカラーボードの用意をしていだくことやMacintosh本体のメモリの最低必要容量などを担当者と何回も電話やFAXで打ち合わせてから出かける。それでも私の鞄はいわゆる出張に必要な身の回り品一式の他に、かならず大きな布製の鞄を持参することが一般的となっていた。

しかし、先方に出向けば必ずといってよいほど、あれほど打ち合わせをした機材がそろっていなかったりすることもしばしばだった。
Macintosh本体のメモリが足らず、思うようなプレゼンができずに大変な思いをしたことも多々あり、その結果次の出張にはより何でもかんでも持ち込んでしまおうと荷物は膨れるばかり...。そして集まるはずのお客様が集まらず、何だか売れない芸能人の悲哀を感じるような一日があったかと思うと、予想外の集客で大変な盛り上がりの一日もあるという、変化が多い日々が続いたのだった。

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※北海道釧路のフィッシャーマンズワーフにおける当時の展示会自社ブース


そんな中、一番待遇がよかった...というと語弊があるが、良い思い出として記憶に残っているのは旭川市に招かれたときだった。
100名ほどの地元のデザイナーさんにお集まりいただくことになっていたが、私が小雪が降る中、空港に降り立ち、いつものように肩にめり込むような荷物を担ぎながらタクシー乗り場を探そうとしたとき、なんとキヤノン販売の課長と市の担当者の方たちが黒塗りの車で待っていてくれたのだ。
「先生...先生」と呼ばれるのには閉口したが...(笑)。

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※1990年、旭川でのデザイナー向けセミナー風景。セミナー終了後も最新機材の回りには参加者の多くが集まった


そういえばそのセミナー後に関係者の方々から接待を受けた…。それは恐縮しながらも初めての土地に1人で向かった私としては心温まるありがたいことだったが反面とても困ったことに直面した。それは食事のとき北海道ならではの新鮮な魚介類がずらりと列んだのである。特に生牡蠣は沢山あったように記憶しているが、実は私はその魚介類が大の苦手なのだ(笑)。
とはいえゲストの私が箸をつけないと同席の方々が食べ始められないといわれ、仕方なしに無理して生牡蠣を噛まずに喉を通した…。

帰社してスタッフにその旨の話をしたところ、セミナーの企画担当者の方から電話をいただき「松田さんの好物は?」と聞かれたという。勿論スタッフは私の偏食と好みを知っているから魚介類や肉食はダメという話をしたというが、どうやら何かの行き違いか、私の苦手というあれこれが好物として伝わったらしい(笑)。
まあまあ、今となっては楽しい思い出ではあるがその場ではどうしようかと本音で困惑したものだ。

それから山形の東北芸術工科大学に講演にうかがった時、その大学の設備にも驚かされたが、なんと学校の設備であるゲスト用の宿泊場所に温泉があったのだった。
しかし、なかなか100%満足できたケースは多くはなかったもののどのような仕事も回数を重ねる毎にノウハウが蓄積してくることは確かである。

これまた数年前の大阪でのイベント「iWeek」に出展し、そこでプレゼンテーションを数回やらせていただいたとき、主催者側から「松田さんは15分といえば15分、30分といえばきっちり30分でまとめられるのは凄い...」とお褒めの言葉をいただいたが、やはりそれは全国行脚のおかげだと思っている。

エバンジェリストはもともとその労を報いられないことが多いものだ(笑)。前記したアップルの「市場が大きくなればお互いに良い目を見られるのだから、プレゼンお願いしますよ...」といった声がいまだに耳元に残っているが、残念ながらいまだに "良い目" に遭遇はしていない(笑)。しかしその数年間、夢中で全国を飛び回ったあの頃が確実に今の私を支えている。


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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員